テーラワーダ仏教と浄土真宗の悟りの違い
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- Опубліковано 18 гру 2019
- 釈尊の悟り
苦⇒瞑想⇒智慧⇒八正道⇒涅槃⇒慈悲
テーラワーダ仏教
慈悲(慈悲の瞑想)⇒瞑想(サマタ瞑想)⇒智慧(ヴィパッサナー瞑想)⇒涅槃
浄土真宗
煩悩具足と信知⇒死苦の解決⇒智慧(生かされている命)⇒慈悲(おかげさま)
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/ @user-kt9ro9wi8x
お題目もお念仏も 自分には心地良い。
釈尊も阿弥陀様も 自分には有難い。
自他の信心の相違はあれど、仏様の心に共に繋がって心が救われるだと思います。
私の家は浄土真宗ですが、お釈迦様の説いた教えから程遠く思います。お釈迦様がいなかったら仏教は成り立たない。矛盾が矛盾を生み出す事が苦しみの元になりました。インストールしたらそれは悟りでは無く妄想に感じます。悟りの段階で慈悲が生まれて来ますが仏教だと思いますよ。
わかりやすく勉強になりました◎宗派の違いとは悟りの仕方や言葉の違いだけのように感じました。。人によってはヴィパサナ瞑想(認知行動療法)が役に立つのかもしれないですね。思考を思考で変えられない人など。。
この間 テーラワーダのネットを見ていて 阿羅漢は 慈悲がなく慈悲そのもので 意識することがない!と聞いています。
コメントありがとうございます!そうやって、意識することがないと意識しているのは何なのか?なぜなのかと問いたくなってしまいますね!
質問です!
「戒律」の位置付けはどこでしょうか?
浄土真宗には戒律の位置付けはなく、あくまでも自己抑制です。善悪の判断もままならない凡夫であり、縁によっては平気で戒律を破る自分のあさましさを見つめます。
浄土真宗のみ教えの一つの柱は、二種深信の内の、機の深信ですね。その点二種ついては、蓮如様が繰り返し「二心なく」と御文章でもお書きですし、元より親鸞様も念仏以外を雑行と位置付けられて、雑行に依拠する者は、化仏土に住すと言われているかと存じます。
ご住職の仰られることは尤もだと存じますし、ある意味、寄り道しても良いじゃない、との趣旨は、私にとっても、気分が楽になるのですが、本動画から、一年、現在のご住職のお考えは如何でしょうか。
何時も理系的思考で理詰めに話されるご住職様にとって、浄土真宗のロジックはどのように感じられていますでしょうか。
テラワーダ仏教と大乗仏教、就中、浄土真宗の優劣を論じて、大上段に振りかぶる方の意見には些か疑問を感じつつ。
いつもありがとうございます!そうですね、優劣を語っている場合は「私にとっては」という文言が隠れているとお考えいただくといささか聞きやすくなるかもしれません。
同様に信心に関しても自己の解決ですので、自分がどのように受け取れるかを突き詰めていくしかないのでしょうね。蓮如上人などの二心なくとは、結果的には法も機もコインの裏表であって、一体のものであった(全て法におさまる)と行き着いた境地でありましょう。正直この動画でどのように表現していたか覚えておりませんが(すみません)、この一年で補強されることはあっても、方向性が変わるということはなかったかと存じます。
@@user-kt9ro9wi8x 色々な角度からお話頂き有難うございます。
迷い道くねくねな感じの私ですが、一歩、否、半歩ずつでも、理解と信心を深めて参りたいと存じます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
今小路 覚淳 様
北畑 宏道 拝
スマナサーラ長老派は、「そもそも大乗経典は後世の人間が勝手に作ったもので、阿弥陀仏は後世の人間の作り出した幻影」と言っています。どう反論できますかね?
刺激的なご質問、ありがとうございます!
実際には「だから?なぜ?」と聞き続け、その言葉の真意を引き出すことになると思います。そうすることで真実を語っているのではなく、否定のための否定であることが明らかになると思いますが、せっかくですので少し文章を繋げてみたいと思います。
大乗経典を勝手に作ったかどうかをどのように証明しますか?また、逆に原始仏典といっても釈尊入滅後100年以上たってからの成立ですが、その内容に後世の人間が作り出したものが入っていないとどのように証明しますか?その点は言い出したらキリがありません。お釈迦様は対機説法という形で、相手の機根に合った言葉を用いられました。大切なことはお釈迦様が説かれた言葉を紐解き、その仏意を読み解き、現代に伝えることではないでしょうか。無常、無我をどのように理解していますか?それが真実だと誰がどのように証明できますか?その解釈でさえも煩悩に歪められて幻影となっていませんか?自分を疑うことは重要です。完成した人はいません。主観に偏ってはいけません。人が信ずるものを貶めてはいけません。その刃はいずれご自身に返ってきてしまいます。仏教は人類の苦悩からの解脱を目的とします。ご自身の救いと同様に、いかにすべての人々を救うことができるかに専念しましょう。
南無阿弥陀仏。
どうでしょう、反論になってますでしょうか?それはあなたの主観であって、真実の証明にはなり得ないという反論のつもりです。そもそもで言えば、龍樹菩薩が信方便易行と述べられた教えですので、方便=幻影とするならば、後半は反論の必要がないものかとも考えます。すみません、長くなってしまいました。
@@user-kt9ro9wi8x さん、「そもそも大乗経典は後世の人間が勝手に作ったもので、阿弥陀仏は後世の人間の作り出した幻影」とは、スマナサーラ長老の意見であって、私の意見ではありません。一般論で言えば、500年後に作られたものより、100年後に作られたものの方が真実が多く含まれているような感じがします。阿弥陀仏の起源については、キリスト教の影響があるとか、ゾロアスター教の影響を受けているとかいろいろな学説があって、私もよく判りません。
コメ見て思ったこと、、、信仰心の競い合い。宗教でわ心の開放はないな。
ありがとうございます!反省します。殴られても殴り返したらダメですよね。僧侶失格です。
@SurvivorNow テーラワーダの視点では、「お釈迦様の宗教体験を共有して継続していこうということに、
重きが置かれている。日本の鎌倉仏教は、宗祖への祖師信仰とゆう形態が強く、宗祖の宗教体験を最高位においている。日蓮宗とその系統が顕著だけど、浄土真宗も釈尊関係の行事は「花まつり」だけ、昔から釈尊を軽んじる宗派と批判を受けてきた。いまさら、釈尊に正当性を求めるのですか?仏教の看板を下ろして、親鸞教にしたらどうですか?
もう少し、テーラワーダを勉強されたほうがいいかなぁというのが、
正直な感想でした。
ま、僕はテーラワーダ派ではなく、仏陀派ですが。
ご指摘ありがとうございます!もう少し勉強してみます。
死を解決する→ 生かされている(空)→慈悲の心
煩悩を持ったまま阿弥陀様の救いを得るってことかな?
テーラワーダの長老はお釈迦さんはいるけど阿弥陀さんはいないと言ってた。
日本人は初日の出を見て拝むがあんな火の玉拝んでどうするとも言ってたな。
また死ぬことは朝太陽が出るのと同じで当たり前のことと言ってた。
変化し続ける実態のない世界で自分と認識しているのは一時的な状態でしかなく自分などいないということかな?
自分など無く変化の中の一時的な状態を自分と認識しているだけだから生きても死んでも変わらんってことかなぁ?
その割には輪廻転生を言っているようだがその際魂の存在を認めると諸行無常と矛盾しないだろうか?
おだいじに、然し生命にとって迷惑な現象だと思います。
私はアホです何も分かっていません
コメントありがとうございます!無知の自覚こそが、大乗仏教の行き着く先という考え方は根強くあります。底下の最澄、愚禿親鸞という境地ですね。素敵な事だと思います。
「あるがままに生きる仏教教室」オンライン常楽寺
実体がないと瞑想します🙏