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レースが荒れに荒れてこういうチームがポイントをとったりするとすげー嬉しいんだよなー
お金が無くても情熱は人一倍ある。そんな熱いチームが沢山あったF1だからこそ、私達ファンも夢中になった古き良き時代でした。
僕は中堅チームミナルディ含め、コローニ、ザクスピード、ユーロブルン、AGS、その他も好きでした。
私も、レーサーに、なりたかったのですが、お金も、技術の内と、何かの本に書いてありました。
今もフォーミュラカー(F1含む)のスクール経営でチームが存続しているのが他のチームと少し違っていて面白いですね。
鈴木亜久里さんが「SAF1やってた時はお金の事ばかり考えてた。もうやりたくない。」と言ってたのを思い出しました。フランスはモータースポーツの文化が根付いているんですね。
実に渋いですね、AGSもタルキーニも。スタッフの給与未払い、昼飯の話には涙しました。
移動の飛行機はビジネスクラス、それもタルキーニが出資。マシン組み立てもタルキーニが手伝い、ワックスまでかけたという話がある。お昼は全員ハンバーガ-1つと聞いて、クラブマンレースのアマチュアクラスかと思いました。
タルキーニってF1出てたのか!箱車畑のドライバーかと思ってた
タルキー二はAGSで入賞するぐらい腕のあるドライバー。後にツーリングカー選手権で大活躍する事に。
第一期F1ブームから見だした人からすればAGS.コローニ、リアル、ザクスピード、オニクスとか底辺チームの出入りも懐かしい
にしてもにしてもだよホンマ、ロベルトモレノって偉人だわな。資金難の下位チームで何度奇跡起こしてるんやホンマ凄い😊
AGSを入賞させたのと、アンドレア・モーダを決勝グリッドに並べたってだけでも十分だよな。
僕はロベルトモレノ選手の実力は並みいる強豪ドライバーと同等かそれ以上と思う。ぜひフェラーリ、マクラーレン、強いときのウィリアムズとかのマシンで走る姿が見たかった。丁寧に確実に走らせるマシンに優しい走りは彼ならでは。
モレノさんは1991年のシーズンオフにマクラーレンのMP4/6をテストドライブする機会に恵まれましたよね。またこの年のベルギーGPのレースで最速ラップを記録したりして、実力の高さを証明しました。@@スーツインナー
モレノとタルキーニはもっと評価されて良い
🎶 コーヒーギフトは A・G・S ♬
今回のマニアックな内容に関心させられました。昔、根性で何とか生き延びてたチームって多かったですね。今見ると全て尊いです。またよろしくお願いします。
AGSを始めコローニ、オゼッラ、ユーロブルン、ザクスピード等、ほとんど陽の目を見なかった下位チームの物語が面白い。非メーカーワークスの、所謂レース屋がまだまだ参戦出来た古き良き時代。
オゼッラのチームマネージャーだったレンツォ・アビダーノの名言「どんないいドライバーでもいきなりメジャーチームと契約できる訳じゃないだろう?そんな有望そうな選手を見つけてはF1へと引っ張り上げていく、そういう我々のようなチームは必要なんだよ。オゼッラを踏み台にして大きな素晴らしいチームのドライバーとなって活躍してくれればこんなうれしいことはないと思う。"F1への入門を受け持つチーム"とでも言おうかね」こういう人が居るからF1は面白かったんだ。
「4強」がいて、セカンドグループにアロウズ、ティレル、レイトン、ロータスがいて、さらに粘っこいミナルディ、たまに速いラルース、資金力だけはあるリジェ、怪しげな新規参入オニクス。こんな上位陣を出し抜いて1ポイントもぎ取った1989メキシコのタルキーニはスゴいよ。リタイアしたけど前戦のモナコも惜しかったんだよね。
あ、ブラバムとスクーデリアイタリア忘れてた
中小F1チームの話題になると、ほぼ名前があがる、苦労人R・モレノさん。 N・ピケに呼ばれてベネトンに乗り、日本GPでワン・ツーフィニッシュ出来てよかった。 (すぐに放出されちゃったけど・・・)
あの時はナニーニのヘリコプター事故での代役でしたね。
モレノさんはすごすぎる。鈴鹿ともなれば、他チームのマシンは殆んどドライバーが扱いなれている。モレノさんは初めて操るマシン。いろんな出来事はあっても、最後に2位の走行位置につけていたこと。ちなみに最終戦アデレードでは4位入賞している。やるときはやる。車さえ良ければできる。
B級チームとそれらを支えたドライバーが大好きでした。ガブリエル・タルクィーニやチェザリス、オリビエ・グルイヤールのような味わい深いドライバーが今は居ないのが寂しい限り。
こういった弱小チームのスタッフとして、入賞のシーンに立ち会えたとしたらどんなに興奮するのだろうか…。
ミナルディが89年イギリスGPでダブル入賞した時のピットは優勝した時のような盛り上がりだったようです。
こうしてみるとモレノ、タルクィーニ、ダルマスとF1では不遇だったものの、他カテゴリーで結果を残した凄腕ドライバーが結構在籍していたんですね。
タルクィーニさんはツーリングカー選手権で、アルファロメオ155で2年連続チャンピオンにかがやくことに。F1最後のレースは右京さんの代理出走のティレルでした。5週遅れで完走しています。慣れないマシンだから仕方ないかな。
ダルマスさんは1995年のルマン24時間レースでマクラーレンF1GTRで見事総合優勝。レート、関谷両選手とともに表彰台の中央に立ちました。彼はルマンでよく優勝しましたよね。
91年には途中までの契約だったものの、実力者ヨハンソンも起用していますしね。どう考えても実力不足のペイドライバーだけではなく、モレノみたいにスポンサーに恵まれないドライバーを起用して結果を出したところは、他のB級チームとは違うと思います
ダレストさんどうしておられますでしょうか
AGS時代の粘り腰を見て頑張っているなあと思っていたルーブルが93年にリジェを買収して体制一新させた時は、ようやく苦労が報われるかなと思ったら…よくよく考えたらAGSの資金繰りを考えたらねえ……
F1への参戦は本当の意味で『挑戦』なんですね!速いチームも有れば遅いチームも有る。だからこそドラマが生まれて面白い。全て引っくるめてF1だ!
フランスチームだったのが運の尽き。リジェがいる以上、母国スポンサーにとってAGSはお呼びじゃなかった。ラルースだって、資金を出したのは日本人だ。
@@伊藤宏憲-f6tそこがリジェというチームのたちの悪さですよね。実状はともかく、「オールフレンチ」という心地よい夢を見せられるぐらいの力はあった。その夢の裏でどれほどの人が犠牲になったか...
今は政治とかが絡む複雑なf1にはなってしまったけど。この頃はプライベーターがf1に参戦してそれぞれの想い、熱意がありどのチームにもドラマがある素晴らしいf1でしたね
タルキーニもモレノも、AGSに在籍していたせいで苦労人のイメージが定着した感じ😅
追いかけた夢が無駄にはならなかったのは良かったな
まさに情熱の塊ですよね・・・でも最後の現在の姿を見てホッとした😂
モレノがポイント穫った時の賞金が支払われてないどころか、ギャラ、交通費、ホテル、クリーニング代合わせて約350万円がモレノの建て替え払いで裁判沙汰になったとか。91年のアメリカはホテル代をアメリカ・フォードに支払ってもらったり、食事代は自分持ち。 90年オフにラルースと合併話もあったけど、このチームの不思議な点はあまりフランス人ドライバーを使ってないイメージ、91年は途中からイタリア人コンビだったし、でもタルキーニは上手いドライバーで1度でいいから速いマシンで見たかった。そして日本にほとんど縁が無かった不思議なチーム。
89年の途中からダルマスを乗せたりしてるし、ストレイフもその前のファブルもフランス人だったので、フランス人を使っていないわけではないけども。
でもってオーナーのルーブルはあのリジェを率いることになってもフランス人を乗せなかったお方(笑)。
80年代位まではトールマンやオゼッラ、AGSの様に当時のヨーロッパF-2のワンオフマシンで実績をあげてF-1へ…というチームが結構あった時代だったな。いずれもパッとしなかったけど
モレノ、タルキーニ、借金、予備予選落ち、オーナー逮捕と弱小あるあるの欲張りセットみたいなチームですな。
こういう弱小チームが多数いたこの時代、ほんとF1が面白かった。今と比べたら完走率も低く、たまの波乱でこの手のチームが棚ぼた入賞とかして盛り上がったもんだ。
たまに起こるとんでもない番狂わせ❗そして狂喜するも終盤にはリタイア…などなど。
1度も入賞を果たせねまま消えていくチームが多い中2度の入賞は立派です😊🏁👍しかもモレノ、タルキーニといった実力派ドライバーの腕によって勝ち取った入賞は高く評価されますね。
AGSって、'87年しか記憶に有りません💦ファブル、懐かしい~
オーストリアGPでは、最後尾から2回とも他のマシンに乗上げ決勝に乗るマシンが無くなり惜しくも欠場。
@@necoturbo7828 さん2回目のスタートは、マンセルが出遅れたためおきた多重クラッシュでしたっけ。
@@pompom_joki ですね。エスケープゾーンが無くてね。ヨハンソンは、鹿をはねて死亡させたりと、かなり波乱要素満載でしたね。
@@necoturbo7828 さんステファンのヘルメットのデザイン、歴代ドライバーの中で一番好きです(^^♪
9:33行くも地獄、残るも地獄…
当人達は大変だったとは思うけど、この頃のF1は見てて楽しかった。今もドライバー自身は一生懸命なのは変わらないと思うけど、なんだかね…
@Ken Boost 確かにそうですね
1988鈴鹿、フィリップ・ストレイフが8位でゴールし、翌年の予備予選を「ほぼ回避」して ピットはお祭り騒ぎだったそうな。
メジャーな話は他にもダブってわんさかあるので、こんなマイナーチームのエピソードは新鮮で面白いです。これからもお願いします。
当時存在していた予備予選に四苦八苦していた弱小チームのいろんなエピソードは興味深いです。今度は予選予選そのものについて取り上げて戴けると嬉しいです。
タルキーニさん曰く、たった1時間の猶予でマシンセットアップ、2回の予選(予備)に集中だからそこにかける圧力は絶大だね。通過できなければ帰らねばならないんだ。
モトーリモデルニV6しか選択肢がなかったのは本当に涙しかない。フォードDFZで人並みになったがシャシーが古すぎた。
私はAGSのマシンが走っている映像をみた記憶が正直言ってありません。まあ予備予備組のチームでしたから、テレビには映る機会はなかったでしょうから。
1988年は結構いい走りしてたんだよな。カナダでは予選10番手から一時3位走行、デトロイトでも予選11番手だった筈。1989年も前半は入賞したりとそこそこ活躍してたんだけどな…
思っていたより健闘していたんですね。アンドレア・モーダに比べれば立派な戦いぶりだったと思います。
こういうマイナーチームの説明、とてもありがたいです。情報が無いので…
JH25の黒いボディに白のラインと黄色のスポンサーロゴが入ったカラーリングが好きです。T字型のインダクションポッドも結構イけてますね。
T型のインダクションポッドは他にもザクスピードのマシンが採用していたと思います。
ロールバーに溶接構造とかは有り得ない
JH27は、なかなか好きなデザインだったんですが、チームの開発能力がもうすでになかったので残念な結果に。
先鋭化しすぎると面白味が無くなる。この頃のレースはGT500と300の混走レースのようなもの。たまの下剋上がまた楽しかったんですよ
懐かしいな・・コローニ等と共に、予備予選の常連さんてイメージでしたw
AGSと言いますと個人的にはティレル時代の神風右京さんと共に戦っていたガブリエル・タルキーニの事を思い出します。AGSの頃は予備予選があってその予備予選を通過できないと本選のグリッドにすら付けないと言う時代ではありましたが、多くのドライバーやチームスタッフが居て、そのF1の仲間達で行われていた山スキーの親睦会があり、その山スキーで大クラッシュを演じその事について『アンドレア(チェザリス)の真似をしただけさ。』と言う物を個人的には思い出します。
我々は決して笑えない!?...彼らはチャレンジしつづけたのだから!?...
何故だかわからないけど、なんか気になってたんだよなぁ🤔AGSは下位チ-ムの中では好きなチ-ムでしたモレノやタルクィ-ニの大健闘もあってか、なんか応援したくなっちゃうんですよね😄
AGSはスタッフ7名、食事に航空機、ホテル代金までタルキーニさん持ち。タルキーニさんはマシン組み立てにワックスかけまでやっていたらしいです。あるグランプリ。僕は結果よりF1で走ることが好きなんだとか。かなり身長は高い。ある年はフォンドメタルから鈴鹿完走はたしたことも。
91年チェザリスだったらどうだったのだろう?チームは解体してしまっただろうことは想像できる。
バンダープレイン氏は、どこか中堅以上のチームでの参加・活動を見たかったです。そこそこ良いマシンを、もっと作れたのではないでしょうか。返す返すも交通事故で早世されたのが残念です
AGS リアル コローニ ザクスピード オゼッラ 予選落ちばかりのチームありましたね。
agcかと思った 素材の会社
ステファンヨハンソンがシートを捨てた?後ファブリッツィオバルバッツァが来ましたよね🍛顔面かまやつひろし🌁
91年のAGSでは全く良いところがなかったバルバッツァが93年にミナルディにも起用されたのは驚きでしたが、2回も入賞を果たしたことはもっと驚きでしたね
1980·90年代は面白い。熱い、胡散臭いプライベータが多いですね。野望と無謀が蠢いている。完走率次第でワンチャンあるし
フランスABCD=アレジ、ベルナール、コマス、ダルマス。ダルマスがルマンで何度も優勝するとは90年当時思ってもみませんでした。
エリックコマスは亜久里のライバル
@@マジックリンT 亜久里のライバルってベルナールの間違いじゃ無いですか?ラルースでチームメイトだったし、似たようなポジション走ってたし。
久しぶりに聞いて思い出したAGSチーム。
コーヒーギフトはAGSと古舘伊知郎がやじったチーム。
最初からF1体験会だけやってれば良かったんだろうけど憧れは止められねぇんだ!だな
アンリ・ジュリアンの経歴が、フランク・ウィリアムズと重なりますね。レースへの情熱は同じなものの、成功と失敗の差はマネージメントと、スポンサー獲得へのセールス活動となるのでしょうか。
サイバーフォーミュラのagsの由来ってまさかコレかな?
これ、エンジンだけどうにかなったらワンチャンあったんかな?テッドラピドスのスポンサーのマシン好きだったなタルキーニといい
イタリア版のコスワースのような存在モトーリモデルニ黄色っぽいヘッドカバーをつけているイタリアメーカーはここと提携してる可能性あり??マークのマシンは洒落てますね😁👍1984年?F2のPストレイフ氏のマシンカラー見たらリジェと勘違いしてしまいそうですね💦👍この時期にはミナルディも同じみの黄色と黒カラーでF2参戦してましたね。
80年代末期〜90年代初頭のF1にはAGSの様な予備予選組の夢とドラマが有ってより面白かった当時の贔屓はマンセルとフェラーリだったけど同時にフォンドメタル、ミナルディ、AGSも凄く好きなチームだった下位チームの予備予選突破や決勝での活躍に心躍らせながらマンちゃんの熱い走りに興奮して楽しんでたなぁ、、、今のF1も好きだけどこの頃みたいにもっと多数のプライベーターのチームの奮戦も観たいと少し寂しく思ってる結局既存チームの利権とお金なんよな😅
AGSの現車を個人の方が所有されていて走行会で走らせていた動画を見たことがあります。
ちなみにAGSってネーミングだけはサイバーフォーミュラにも登場するんだぜ
タルキーニは1991年メキシコ予選シングルグリッドを獲得。残念ながらスタート前に最後尾に回されてしまいましたが・・・。
オリビエ・グルイヤールだったと思います。
@@スーツインナー 様しかもAGSではなく、フォンドメタルに乗っていた時のグルイヤールだったと思います
同じフランスのF1チーム、ラルースより影が薄かった
バンダーブレインさん、よりによってコローニへ移籍って・・・・で、結局AGSに出戻りか?寄り道せずメカニック達とそのままAGSで活動してたなら、もしかすると戦闘力の向上したマシンでチームももう少し良い成績が残せたかもしれないね
レッドブルのよ宇なチームばかりでは面白くない。かつてのジョーダンやレイトンハウやティレルのようなチームが中堅でスポンサーマネーを持ちこんで乗るチームとしてF1の面白さを作っていたティレルがホンダを積んだりするとワクワクしたものだ中島が乗ったりしてワクワクがあった。ベネトンだつてそんなチームだつたのがメジャーになったシューマッハのおかげで。中堅はジヤッドやコスワースを載せて頑張ってるというのも定番でレースに花を添えていた。皆がワークスでは面白くない。
昔のジャッドやコスワースのようなエンジンメーカーが皆無なんですよね。今のF1は。
ダルマスもAGSじゃない他チームからデビューだったらもっと結果残せただろうにな
カネがあってもレースから逃げちゃうトヨタ・トムスより存在してほしかったチーム
AGSもF1なんて野望を抱くより、身の丈にあった下位カテゴリーで活動していれば良かったのかもですね。
嗚呼懐かしい話ですね(笑)AGSって言うF1チームって
食事はマクドのチーム…
AGSはなんだか良くわからないチームでしたが、毎年毎年なかなかにカッコ良いマシンだったんだよなぁ。ノートに落書きした僕の考えたF1マシン、て感じで。しかし、速くないんだよなぁ、、、
フランスの小さな村ゴンファロンに構える小さなチーム。一応テストコース2400mも保有するらしい。故アンドレア・デ・チェザリスさんもテストしたがAGSにいたことはない。なぜなら大事のマシンをクラッシュさせたから。気まずいのかメインドライバーにはなっていません。
よく「コーヒーギフトはAGS」って言ってました。
それはAGFやねん♪
覚えやすいですよね。(笑)あっ、違った。AGSだった。😁
この頃のカーナンバーは昨年チャンピオンドライバーが1番チームメイトが2番一昨年のチャンピオンとカーナンバー入れ替えだった2台エントリーだと11番12番の次は13番14番になるんだが13番は縁起がよくないので13番を欠番にして14番のみ使用14番は1カーエントリーの弱小チーム専用14番付けてたATSが撤退で14番はAGSにだったよな
コローニも大概だった
AGSね 87年当時「何のために出ている?」と思ったものモレノが乗ってもこれだから まあっ良い車では無いとみていたねモレノの苦労はここから始まった?のかも?と今でも思う87年スズカでは タイヤ交換練習に あの右京がシートに座り・・ってね色々あったよね
アンドリューギルバートスコット---?🤔
情熱は共感出来るけどF1は結果が全て。何ゆえそこまで挑戦するのか。。
レースが荒れに荒れてこういうチームがポイントをとったりするとすげー嬉しいんだよなー
お金が無くても情熱は人一倍ある。そんな熱いチームが沢山あったF1だからこそ、私達ファンも夢中になった古き良き時代でした。
僕は中堅チームミナルディ含め、コローニ、ザクスピード、ユーロブルン、AGS、その他も好きでした。
私も、レーサーに、なりたかったのですが、
お金も、技術の内と、何かの本に書いてありました。
今もフォーミュラカー(F1含む)のスクール経営でチームが存続しているのが
他のチームと少し違っていて面白いですね。
鈴木亜久里さんが「SAF1やってた時はお金の事ばかり考えてた。もうやりたくない。」と言ってたのを思い出しました。フランスはモータースポーツの文化が根付いているんですね。
実に渋いですね、AGSもタルキーニも。
スタッフの給与未払い、昼飯の話には涙しました。
移動の飛行機はビジネスクラス、それもタルキーニが出資。マシン組み立てもタルキーニが手伝い、ワックスまでかけたという話がある。お昼は全員ハンバーガ-1つと聞いて、クラブマンレースのアマチュアクラスかと思いました。
タルキーニってF1出てたのか!箱車畑のドライバーかと思ってた
タルキー二はAGSで入賞するぐらい腕のあるドライバー。後にツーリングカー選手権で大活躍する事に。
第一期F1ブームから見だした人からすればAGS.コローニ、リアル、ザクスピード、オニクスとか底辺チームの出入りも懐かしい
にしても
にしてもだよ
ホンマ、ロベルトモレノって偉人だわな。
資金難の下位チームで何度奇跡起こしてるんや
ホンマ凄い😊
AGSを入賞させたのと、アンドレア・モーダを決勝グリッドに並べたってだけでも十分だよな。
僕はロベルトモレノ選手の実力は並みいる強豪ドライバーと同等かそれ以上と思う。ぜひフェラーリ、マクラーレン、強いときのウィリアムズとかのマシンで走る姿が見たかった。丁寧に確実に走らせるマシンに優しい走りは彼ならでは。
モレノさんは1991年のシーズンオフにマクラーレンのMP4/6をテストドライブする機会に恵まれましたよね。またこの年のベルギーGPのレースで最速ラップを記録したりして、実力の高さを証明しました。@@スーツインナー
モレノとタルキーニはもっと評価されて良い
🎶 コーヒーギフトは A・G・S ♬
今回のマニアックな内容に関心させられました。昔、根性で何とか生き延びてたチームって多かったですね。今見ると全て尊いです。またよろしくお願いします。
AGSを始めコローニ、オゼッラ、ユーロブルン、ザクスピード等、ほとんど陽の目を見なかった下位チームの物語が面白い。
非メーカーワークスの、所謂レース屋がまだまだ参戦出来た古き良き時代。
オゼッラのチームマネージャーだったレンツォ・アビダーノの名言
「どんないいドライバーでもいきなりメジャーチームと契約できる訳じゃないだろう?そんな有望そうな選手を見つけてはF1へと引っ張り上げていく、そういう我々のようなチームは必要なんだよ。
オゼッラを踏み台にして大きな素晴らしいチームのドライバーとなって活躍してくれればこんなうれしいことはないと思う。"F1への入門を受け持つチーム"とでも言おうかね」
こういう人が居るからF1は面白かったんだ。
「4強」がいて、セカンドグループにアロウズ、ティレル、レイトン、ロータスがいて、さらに粘っこいミナルディ、たまに速いラルース、資金力だけはあるリジェ、怪しげな新規参入オニクス。こんな上位陣を出し抜いて1ポイントもぎ取った1989メキシコのタルキーニはスゴいよ。リタイアしたけど前戦のモナコも惜しかったんだよね。
あ、ブラバムとスクーデリアイタリア忘れてた
中小F1チームの話題になると、ほぼ名前があがる、苦労人R・モレノさん。 N・ピケに呼ばれてベネトンに乗り、日本GPでワン・ツーフィニッシュ出来てよかった。 (すぐに放出されちゃったけど・・・)
あの時はナニーニのヘリコプター事故での代役でしたね。
モレノさんはすごすぎる。鈴鹿ともなれば、他チームのマシンは殆んどドライバーが扱いなれている。モレノさんは初めて操るマシン。いろんな出来事はあっても、最後に2位の走行位置につけていたこと。ちなみに最終戦アデレードでは4位入賞している。やるときはやる。車さえ良ければできる。
B級チームとそれらを支えたドライバーが大好きでした。
ガブリエル・タルクィーニやチェザリス、オリビエ・グルイヤールのような味わい深いドライバーが今は居ないのが寂しい限り。
こういった弱小チームのスタッフとして、入賞のシーンに立ち会えたとしたらどんなに興奮するのだろうか…。
ミナルディが89年イギリスGPでダブル入賞した時のピットは優勝した時のような盛り上がりだったようです。
こうしてみるとモレノ、タルクィーニ、ダルマスとF1では不遇だったものの、他カテゴリーで結果を残した凄腕ドライバーが結構在籍していたんですね。
タルクィーニさんはツーリングカー選手権で、アルファロメオ155で2年連続チャンピオンにかがやくことに。F1最後のレースは右京さんの代理出走のティレルでした。5週遅れで完走しています。慣れないマシンだから仕方ないかな。
ダルマスさんは1995年のルマン24時間レースでマクラーレンF1GTRで見事総合優勝。レート、関谷両選手とともに表彰台の中央に立ちました。彼はルマンでよく優勝しましたよね。
91年には途中までの契約だったものの、実力者ヨハンソンも起用していますしね。どう考えても実力不足のペイドライバーだけではなく、モレノみたいにスポンサーに恵まれないドライバーを起用して結果を出したところは、他のB級チームとは違うと思います
ダレストさんどうしておられますでしょうか
AGS時代の粘り腰を見て頑張っているなあと思っていたルーブルが93年にリジェを買収して体制一新させた時は、ようやく苦労が報われるかなと思ったら…よくよく考えたらAGSの資金繰りを考えたらねえ……
F1への参戦は本当の意味で『挑戦』なんですね!
速いチームも有れば遅いチームも有る。
だからこそドラマが生まれて面白い。
全て引っくるめてF1だ!
フランスチームだったのが運の尽き。リジェがいる以上、母国スポンサーにとってAGSはお呼びじゃなかった。ラルースだって、資金を出したのは日本人だ。
@@伊藤宏憲-f6tそこがリジェというチームのたちの悪さですよね。実状はともかく、「オールフレンチ」という心地よい夢を見せられるぐらいの力はあった。その夢の裏でどれほどの人が犠牲になったか...
今は政治とかが絡む複雑なf1にはなってしまったけど。この頃はプライベーターがf1に参戦してそれぞれの想い、熱意がありどのチームにもドラマがある素晴らしいf1でしたね
タルキーニもモレノも、AGSに在籍していたせいで苦労人のイメージが定着した感じ😅
追いかけた夢が無駄にはならなかったのは良かったな
まさに情熱の塊ですよね・・・
でも最後の現在の姿を見てホッとした😂
モレノがポイント穫った時の賞金が支払われてないどころか、ギャラ、交通費、ホテル、クリーニング代合わせて約350万円がモレノの建て替え払いで裁判沙汰になったとか。91年のアメリカはホテル代をアメリカ・フォードに支払ってもらったり、食事代は自分持ち。 90年オフにラルースと合併話もあったけど、このチームの不思議な点はあまりフランス人ドライバーを使ってないイメージ、91年は途中からイタリア人コンビだったし、でもタルキーニは上手いドライバーで1度でいいから速いマシンで見たかった。そして日本にほとんど縁が無かった不思議なチーム。
89年の途中からダルマスを乗せたりしてるし、ストレイフもその前のファブルもフランス人だったので、フランス人を使っていないわけではないけども。
でもってオーナーのルーブルはあのリジェを率いることになってもフランス人を乗せなかったお方(笑)。
80年代位まではトールマンやオゼッラ、AGSの様に当時のヨーロッパF-2のワンオフマシンで実績をあげてF-1へ…というチームが結構あった時代だったな。いずれもパッとしなかったけど
モレノ、タルキーニ、借金、予備予選落ち、オーナー逮捕と弱小あるあるの欲張りセットみたいなチームですな。
こういう弱小チームが多数いたこの時代、ほんとF1が面白かった。
今と比べたら完走率も低く、たまの波乱でこの手のチームが棚ぼた入賞とかして盛り上がったもんだ。
たまに起こるとんでもない番狂わせ❗そして狂喜するも終盤にはリタイア…などなど。
1度も入賞を果たせねまま消えていくチームが多い中2度の入賞は立派です😊🏁👍
しかもモレノ、タルキーニといった実力派ドライバーの腕によって勝ち取った入賞は高く評価されますね。
AGSって、'87年しか記憶に有りません💦
ファブル、懐かしい~
オーストリアGPでは、最後尾から2回とも他のマシンに乗上げ決勝に乗るマシンが無くなり惜しくも欠場。
@@necoturbo7828 さん
2回目のスタートは、マンセルが出遅れたためおきた多重クラッシュでしたっけ。
@@pompom_joki ですね。エスケープゾーンが無くてね。ヨハンソンは、鹿をはねて死亡させたりと、かなり波乱要素満載でしたね。
@@necoturbo7828 さん
ステファンのヘルメットのデザイン、歴代ドライバーの中で一番好きです(^^♪
9:33
行くも地獄、残るも地獄…
当人達は大変だったとは思うけど、この頃のF1は見てて楽しかった。
今もドライバー自身は一生懸命なのは変わらないと思うけど、なんだかね…
@Ken Boost 確かにそうですね
1988鈴鹿、フィリップ・ストレイフが8位でゴールし、翌年の予備予選を「ほぼ回避」して ピットはお祭り騒ぎだったそうな。
メジャーな話は他にもダブってわんさかあるので、こんなマイナーチームのエピソードは新鮮で面白いです。これからもお願いします。
当時存在していた予備予選に四苦八苦していた弱小チームのいろんなエピソードは興味深いです。今度は予選予選そのものについて取り上げて戴けると嬉しいです。
タルキーニさん曰く、たった1時間の猶予でマシンセットアップ、2回の予選(予備)に集中だからそこにかける圧力は絶大だね。通過できなければ帰らねばならないんだ。
モトーリモデルニV6しか選択肢がなかったのは本当に涙しかない。フォードDFZで人並みになったがシャシーが古すぎた。
私はAGSのマシンが走っている映像をみた記憶が正直言ってありません。まあ予備予備組のチームでしたから、テレビには映る機会はなかったでしょうから。
1988年は結構いい走りしてたんだよな。
カナダでは予選10番手から一時3位走行、デトロイトでも予選11番手だった筈。
1989年も前半は入賞したりとそこそこ活躍してたんだけどな…
思っていたより健闘していたんですね。アンドレア・モーダに比べれば立派な戦いぶりだったと思います。
こういうマイナーチームの説明、とてもありがたいです。情報が無いので…
JH25の黒いボディに白のラインと黄色のスポンサーロゴが入ったカラーリングが好きです。T字型のインダクションポッドも結構イけてますね。
T型のインダクションポッドは他にもザクスピードのマシンが採用していたと思います。
ロールバーに溶接構造とかは有り得ない
JH27は、なかなか好きなデザインだったんですが、チームの開発能力がもうすでになかったので残念な結果に。
先鋭化しすぎると面白味が無くなる。この頃のレースはGT500と300の混走レースのようなもの。たまの下剋上がまた楽しかったんですよ
懐かしいな・・コローニ等と共に、予備予選の常連さんてイメージでしたw
AGSと言いますと個人的にはティレル時代の神風右京さんと共に戦っていたガブリエル・タルキーニの事を思い出します。
AGSの頃は予備予選があってその予備予選を通過できないと本選のグリッドにすら付けないと言う時代ではありましたが、多くのドライバーやチームスタッフが居て、そのF1の仲間達で行われていた山スキーの親睦会があり、その山スキーで大クラッシュを演じその事について『アンドレア(チェザリス)の真似をしただけさ。』と言う物を個人的には思い出します。
我々は決して笑えない!?...彼らはチャレンジしつづけたのだから!?...
何故だかわからないけど、なんか気になってたんだよなぁ🤔
AGSは下位チ-ムの中では好きなチ-ムでした
モレノやタルクィ-ニの大健闘もあってか、なんか応援したくなっちゃうんですよね😄
AGSはスタッフ7名、食事に航空機、ホテル代金までタルキーニさん持ち。タルキーニさんはマシン組み立てにワックスかけまでやっていたらしいです。あるグランプリ。僕は結果よりF1で走ることが好きなんだとか。かなり身長は高い。ある年はフォンドメタルから鈴鹿完走はたしたことも。
91年チェザリスだったらどうだったのだろう?チームは解体してしまっただろうことは想像できる。
バンダープレイン氏は、どこか中堅以上のチームでの参加・活動を見たかったです。
そこそこ良いマシンを、もっと作れたのではないでしょうか。返す返すも交通事故で早世されたのが残念です
AGS リアル コローニ ザクスピード オゼッラ 予選落ちばかりのチームありましたね。
agcかと思った
素材の会社
ステファンヨハンソンがシートを捨てた?後
ファブリッツィオバルバッツァが来ましたよね🍛
顔面かまやつひろし🌁
91年のAGSでは全く良いところがなかったバルバッツァが93年にミナルディにも起用されたのは驚きでしたが、2回も入賞を果たしたことはもっと驚きでしたね
1980·90年代は面白い。
熱い、胡散臭いプライベータが多いですね。野望と無謀が蠢いている。完走率次第でワンチャンあるし
フランスABCD=アレジ、ベルナール、コマス、ダルマス。ダルマスがルマンで何度も優勝するとは90年当時思ってもみませんでした。
エリックコマスは亜久里のライバル
@@マジックリンT 亜久里のライバルってベルナールの間違いじゃ無いですか?
ラルースでチームメイトだったし、似たようなポジション走ってたし。
久しぶりに聞いて思い出したAGSチーム。
コーヒーギフトはAGSと古舘伊知郎がやじったチーム。
最初からF1体験会だけやってれば良かったんだろうけど憧れは止められねぇんだ!だな
アンリ・ジュリアンの経歴が、フランク・ウィリアムズと重なりますね。
レースへの情熱は同じなものの、成功と失敗の差はマネージメントと、スポンサー獲得へのセールス活動となるのでしょうか。
サイバーフォーミュラのagsの由来ってまさかコレかな?
これ、エンジンだけどうにかなったらワンチャンあったんかな?
テッドラピドスのスポンサーのマシン好きだったな
タルキーニといい
イタリア版のコスワースのような存在
モトーリモデルニ
黄色っぽいヘッドカバーをつけているイタリアメーカーはここと提携してる可能性あり?
?マークのマシンは
洒落てますね😁👍
1984年?
F2のPストレイフ氏の
マシンカラー見たら
リジェと勘違いしてしまいそうですね💦👍
この時期にはミナルディも同じみの黄色と黒カラーでF2参戦してましたね。
80年代末期〜90年代初頭のF1にはAGSの様な予備予選組の夢とドラマが有ってより面白かった当時の贔屓はマンセルとフェラーリだったけど同時にフォンドメタル、ミナルディ、AGSも凄く好きなチームだった
下位チームの予備予選突破や決勝での活躍に心躍らせながらマンちゃんの熱い走りに興奮して楽しんでたなぁ、、、
今のF1も好きだけどこの頃みたいにもっと多数のプライベーターのチームの奮戦も観たいと少し寂しく思ってる
結局既存チームの利権とお金なんよな😅
AGSの現車を個人の方が所有されていて走行会で走らせていた動画を見たことがあります。
ちなみにAGSってネーミングだけはサイバーフォーミュラにも登場するんだぜ
タルキーニは1991年メキシコ予選シングルグリッドを獲得。残念ながらスタート前に最後尾に回されてしまいましたが・・・。
オリビエ・グルイヤールだったと思います。
@@スーツインナー 様
しかもAGSではなく、フォンドメタルに乗っていた時のグルイヤールだったと思います
同じフランスのF1チーム、ラルースより
影が薄かった
バンダーブレインさん、よりによってコローニへ移籍って・・・・で、結局AGSに出戻りか?
寄り道せずメカニック達とそのままAGSで活動してたなら、もしかすると戦闘力の向上したマシンでチームももう少し良い成績が残せたかもしれないね
レッドブルのよ宇なチームばかりでは面白くない。かつてのジョーダンやレイトンハウやティレルのようなチームが中堅でスポンサーマネーを持ちこんで乗るチームとしてF1の面白さを作っていたティレルがホンダを積んだりするとワクワクしたものだ中島が乗ったりしてワクワクがあった。ベネトンだつてそんなチームだつたのがメジャーになったシューマッハのおかげで。中堅はジヤッドやコスワースを載せて頑張ってるというのも定番でレースに花を添えていた。皆がワークスでは面白くない。
昔のジャッドやコスワースのようなエンジンメーカーが皆無なんですよね。今のF1は。
ダルマスもAGSじゃない他チームからデビューだったらもっと結果残せただろうにな
カネがあってもレースから逃げちゃうトヨタ・トムスより存在してほしかったチーム
AGSもF1なんて野望を抱くより、身の丈にあった下位カテゴリーで活動していれば良かったのかもですね。
嗚呼懐かしい話ですね(笑)
AGSって言う
F1チームって
食事はマクドのチーム…
AGSはなんだか良くわからないチームでしたが、毎年毎年なかなかにカッコ良いマシンだったんだよなぁ。ノートに落書きした僕の考えたF1マシン、て感じで。しかし、速くないんだよなぁ、、、
フランスの小さな村ゴンファロンに構える小さなチーム。一応テストコース2400mも保有するらしい。故アンドレア・デ・チェザリスさんもテストしたがAGSにいたことはない。なぜなら大事のマシンをクラッシュさせたから。気まずいのかメインドライバーにはなっていません。
よく「コーヒーギフトはAGS」って言ってました。
それはAGFやねん♪
覚えやすいですよね。(笑)あっ、違った。AGSだった。😁
この頃のカーナンバーは昨年チャンピオンドライバーが1番チームメイトが2番
一昨年のチャンピオンとカーナンバー入れ替えだった
2台エントリーだと11番12番の次は13番14番になるんだが13番は縁起がよくないので
13番を欠番にして14番のみ使用
14番は1カーエントリーの弱小チーム専用
14番付けてたATSが撤退で14番はAGSにだったよな
コローニも大概だった
AGSね 87年当時「何のために出ている?」と思ったもの
モレノが乗ってもこれだから まあっ良い車では無いとみていたね
モレノの苦労はここから始まった?のかも?と今でも思う
87年スズカでは タイヤ交換練習に あの右京がシートに座り・・ってね
色々あったよね
アンドリューギルバートスコット---?🤔
情熱は共感出来るけどF1は結果が全て。
何ゆえそこまで挑戦するのか。。