「西洋甲冑」と「日本甲冑」、どちらの方が優れているのか?
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根本的な知識が抜けてるせいで、日本鎧(鎌倉くらいまで)の鎧が、麻や葦の植物性だと勘違いしていると思われるコメントがたまにある
西洋鎧と東洋鎧の最大の違いは、焼き入れの最終工程にある
フルプレートに限らず、西洋鎧は、基本的に急冷法による焼き入れの最終工程をあえてしていないものが多い
刃物の切っ先に代表される、鉄と炭素(木炭が主だが、国によって竹炭や蔦炭)の合金、つまり鋼は、硬いが柔軟性に欠けるものが多く、一度鋼の状態にしてしまうと、加工が困難になる
炉の技術の発展と、錬金術による金属の細分化に成功した西洋では、いくつかの金属を混ぜ合わせた合金を作る事で、曲がっても戻せて、量産も加工が容易な鋳造後に、叩いて磨いて形を整える形式が一般化した
一般化であって、途方もない手間をかければ、急冷法で鋼として作ることもできたので、一部の金持ちや英雄に与えられた鎧は別とするが、ほとんどが戦場で凹んでも割れても野外の密閉されていない即席炉で石炭などで熱を加えて修理ができるものであった
一方、特に日本の室町前期まで使われた鎧は、あくまで鋼の使用にこだわり、日本刀と同じ玉鋼(炉の技術が拙かったために、職人の技術で折り返し撃ち鍛えることで、偶然にも高温で打たれて合金化した高炭素の層と内面の低炭素の層がミクロメートル単位で木目のように重なることで生まれる非常に強靭な鋼材)を使って鎧を作ろうとした
当然、焼き入れ急冷後の金属を再加熱するといろいろ台無しなので、鎧の形にはできない
ではどうしたかというと、「札板(さねいた)」と呼ばれる小さな金属の板を無数に作り、それを頑丈な麻や竹紐等の植物のワイヤーで繋ぎとめたのだ
つまり、日本鎧の表面に露出した無数のワイヤーを編み込んだ部分は、あくまで札板をまとめ上げるつなぎにすぎず、本質は一枚一枚日本刀と遜色ないまでに打ち鍛えられた、内部の金属部分である札板にある
ちなみに弱点は言わずもがな組紐部分、何度も斬られると、金属分はともかく、つなぎとめているワイヤーは切れて札板がばらけてしまう
また、制作費用面でも、全身金属の西洋鎧の板金部分を上回ってしまう(内部の鎖帷子部分まで行くとどっこいどっこいだが)
余り合理的とはいえない事は否定できない
質より数が重視される戦国時代になると、武将級の一部の猛者はともかく、一般的な武士は西洋と同じあえて急冷や焼き戻しをしない金属を伸ばした板や、竹などの防御力の有る植物の鎧が一般的になった
ttps://www.touken-collection-kuwana.jp/armor-basic/kozane-odoshi/
海外の甲冑というとプレートアーマーを上げてしまいがちだけど
世界的には意外と珍しい形式
封建制で豊富な資金を個人装備に費やせる貴族がいて成り立つしね。
東西どちらの鎧も終わらせた鉄砲ってやっぱ凄いや、当時の弓と比較すると射程も連射力も速射性も命中精度もコストも悪いけど「とりあえず当たればだいたい死ぬ」威力の偉大さよ
フルプレートアーマーは銃が主役になる前から終わってたけどね
@@f-22usffパイク戦術やクロスボウの発達でフルプレートの重装騎士の効果はすでに薄くなっていたらしいですね、しかし15世紀末にはプレートアーマーを貫通するアーキバスも登場しているので銃の進化も全身鎧の時代に止めをさす大きな要因になっていたと思います。
今は防具の性能の上がってきて銃弾も防げるくらいになってますよ
世界で初めて鉄砲を主力兵器にした信長もまたすごい
@@cedarbland
長篠の戦いのことならアレは嘘らしいよ。信長公記には火縄銃の数は三千丁じゃなくて千丁程度と書かれてある
織田徳川連合軍の戦力が三万超だから割合も低く、主力ではない
武田も火縄銃を500丁ほど持っていたから戦力を考えると同程度の割合
三段撃ちも江戸時代の創作だから
実際は馬防柵越しに銃や弓矢で撃ち合っていただけだと思う
鎧ってのは固くすれば鈍器に対して不利になってくし、弓が強化されれば、結局抜かれるから、機能性へシフトするしか無いと思う
フランスって弱者にはめっぽう強いが、強敵相手だと激弱い
日本も弱者にはめっぽう強いが、強敵相手だと滅法弱いけどな。
@@user-od6ku3zz3e なんだこの馬鹿
@@user-od6ku3zz3e日露戦争
フランス君格下のプロイセン等のドイツ諸国に惨敗してるから弱者にも負ける時あるよな
当時のドイツを強者と言うのであれば勝った方が強者で負けた方が弱者と言ってるのと同義だから日露戦争における日本は強者と言っているようなもの
@@user-od6ku3zz3e元寇
日本で西洋甲冑を着込むと、気温と湿度にやられるんじゃないか?
フルプレートメイルみたいな全身鎧が、西洋以外で流行らなかったのって、気候的なものがあると思ってるけど。
たしかに
これは見落とされがちだけど重要だと思います、日本の甲冑はある程度高い気温と湿度に適用するように八幡座等いくつか工夫が見られますが、もしフルフェイスヘルメットにプレートアーマーを着て日本の夏に運動したらすぐに熱中症だと思います。あと動画で南米での西洋甲冑の有効性が語られていますが、大航海時代のコンキスタドールが主に装備していたのは頭部と胴を集中防御した後の時代の形式の鎧であり、いわゆるフルプレートアーマーではないですね。
西洋はどっちかっていうと寒さのが問題なくらいだもんな
日本の京都でフルプレ着込んだらやばそうw
南ヨーロッパの気温は日本と大差ないぞ
ヨーロッパでも気候的な理由でプレートアーマーは一度衰退し通気性のいい鎖帷子がメインの時代が長いことあった
千年あるヨーロッパの中世期の内
フルプレートアーマーがあった時代は百年にも満たず、その時代もフルプレートアーマーを装備していたのは一部の王公貴族だけで一般騎士や下位貴族は軽装のプレートアーマーやラメラアーマーを装備していた
日本の鎧のように頭、胴、肩、前腕、脛だけを覆った軽装甲冑がヨーロッパでもメインだったんだよ
@@f-22usff
気温は大差ないかもしれないけど、降水量がローマを基準にしても、日本は1.5倍~7倍以上という有様でして。
とはいえ、例外的にイタリアで流行った以外は、ドイツ、フランス、イギリスに集中してたっぽいけど。
ヨーロッパの全身鎧は、ランスレストっていう、馬上槍を扱うための器具がついてるのが大半だから、騎士が扱ってたんだよ。
そして、ヨーロッパの戦術は歩兵で陣形を組んで、側面を騎兵が固めるスタイルが基本。
騎兵と歩兵で数が多いのは当然歩兵。それを比べて流行り廃りを語るのはおかしい。
どっちの甲冑も一種類じゃなく変遷があるのだから日本のどの甲冑と西洋のどの甲冑の比較なのかや、地形や気候等の条件も決めないと
フルプレートアーマーは騎兵である騎士たちの鎧だが、
この鎧が製造されるようになった14世紀半ばは戦場の主役は傭兵たちになっており、
騎兵の時代から歩兵の時代に移り変わっていた。
1513年、ノヴァーラの戦いで高価なフルプレートアーマーで全身を固めたフランス騎士団は、
簡素な鎧をまとうスイスの傭兵たちに完膚なきまでに粉砕され、
1522年の騎士戦争を最後に騎士たちは完全に没落した。
それ以降のヨーロッパでは、プレートアーマーを簡素化したプレートメイルにチェインメイルを重ね着する
スタイルが一般化し、全身甲冑は観賞用かトーナメント競技用で使用されるのみとなる。
西洋甲冑と聞けば多くの日本人はフルプレートアーマーを想像するが、
長いヨーロッパの歴史の中で、フルプレートアーマーは戦場で使われた年月が最も短い鎧である。
チェーンメイルが一番長かったよな
ローマの頃に作られたから千年以上使われ続けていた
その時代の流れを知ってないと、頓珍漢なことを言う
カリブに行った探検隊がフルプレート着てたとか、モンゴル軍と戦ったポーランド軍が着てたとか
甲冑は結局のところ頭と胸だけ守ってりゃいいからスイス傭兵みたいなヤツが最強
西洋の騎士ってフルプレート時代は筋トレしまくってたっていうよね
ダクソとかやってるとフルプレートとかロマンの塊に思える
ヴァイキングの着てる革で硬く作ったベストみたいなの着たうえで甲冑着たら生存率高そう
和弓は33間(約99m)飛んで角材に深々と刺さる化物弓ぞ
@user-qi9ub1yg1n
木の矢でそれは無理だけどね。戦国時代にそれができたのは鉄の矢を使ってたから。鉄は高価なので軍事費がすごかったとか。
@@user-sp1jv4fq2j
コメ主の言ってることは三十三間堂の通し矢のことでしょう
現代まで続く行事ですから木の矢でもできますよ。
ぶっちゃけ現地の気候によるって感じだよな
環境に左右されるからな。
日本の甲冑は山林に川や湿地だらけの日本の土地に合わせたもの。機動性と通気性が良い。
+用途と目的ですよね、日本の甲冑はフル装備状態で和弓を射れる様に作られていますね、その代わり可動域を確保する為に脇の下や指はほとんど保護されていません。
@@user-vw8it9oo8h
そうなんですよね。白兵戦になったら刀で脇の下を狙うんすよね。
甲冑剣術で鎧の隙間を狙うのは確かですが、喉鎧をつぶして窒息死というのは初めて聞きました。どこからのソースでしょうか?
飛天御剣流クラスの打撃力でもなければ鎧貫きはできまいよ
鎧砕きとかがあるから
鎌倉時代の大鎧は、弓が主武装だから矢への防護重視。
思い鎧だったらしい。
戦国時代初期のは、槍での白兵重視機動力を確保する為軽量化。
それも騎乗が前提だから大鎧は
下に重心が置かれてるらしい。
信長は鉄砲の弾もはじく南蛮の甲冑を愛用していたな
まあ、装備の優劣なんて、状況次第で変わるものね…。
絶対にこれだ、と断言出来るものじゃないよね…。
視界の広さの差は気になるかな。
西洋甲冑はヘルメット一体型なバイザーを上げると顔が露出する構造のようですが、
和甲冑ってお面みたいのをオプションで付けるようになってて、兜との一体型バイザー、無い形でデザインされてますよね。
そこら辺の効果や、差、をご存じの方、教えて頂けると幸いです。
西洋の騎士は文字通り騎兵で突撃する訳だから視界より防御力が重視された
左右は良好だが、上下はほぼ見えないらしいですよ
白兵戦だとバイザー上げてるのをよく見ますね、低姿勢で組まれたらヤバいですからね、あくまでバイザーは矢を防ぐため
武器の使い方は西洋の2ハンドソード?もなかなかの技術だった
ファンタジーゲームは
暑さ寒さなんか関係無いので
あちらの世界じゃ最終装備は
プレートアーマー一択
プレートメイルって鉄壁の防御力ってイメージがあるけど
重量押さえるために厚さが薄くなっているからそこまででもないぞ
どっちが優れてるのか!?とワクワクしたら5ch連中の素人議論かい!
多くの人は議論したがりますが、誰も勉強したがりません。 テレビやインターネットでそれを見ることができますが、多くの人は賢いふりをしていますが、誰もこの問題の専門家ではありません。
日本の夏に戦ったらフルプレートの騎士は熱中症で倒れるんじゃないだろうか? 中世は今より涼しい時代だけど。
それでも西洋と比べて日本はずっと南で海が近い分湿潤で条件が悪い。
南蛮胴は別として日本の甲冑は小さな板を繋ぎ合わせた構造をしてるから、通気性特に内部に溜まった熱や汗の蒸気の排熱には優れているだろう。
戦国時代の刀ってサブウエポン扱いじゃねかな。
弓、槍がメインウエポンで斬馬刀なんかも使ってたのか。
で日本刀の様式は江戸時代の平和な時代に広く使われただけで、戦国時代の刀は太刀では?
取っ組み合いのとどめ用に小刀なんかも持ってたようだし。
こっから本題だけど、武士のあの頭は兜が蒸れるから剃ってたのでああなった。
つまり高温多湿を考慮した作りで、環境が違うとこの鎧を比べても意味がない。
十字軍の敗北も暑い地方にフルプレアーマーとか着てたからだし。
動きやすいとか防御云々の前に環境に適して無い方が負ける感じ。
フルプレートは和弓で貫通する
弓が貫通しないほど装甲厚いと場合は機動戦から嬲り殺し
日本が強いとかじゃなくてフルプレートは弱点多い
短弓でも貫通するよ。
貫通するって自信満々で言ってるけど検証動画見るにそこまで貫通せんよな…
勿論当たる角度とか距離にもよるけど
@@user-xr2sl9pu3g 記録に有りますよ。
ちょうど元の頃侵攻したモンゴル兵相手にしたフルプレートアーマーが貫通して殺られた記録が。
@@user-xr2sl9pu3g 現代の弱弓でもフライパンぶち抜いてたしな〜。
UA-camrの動画であったからな〜。
@@user-cz1ev1vl5m 元のモンゴル兵は草
フルプレート語るなら15〜16世紀だろ
それ以前と以後だとまるで違うぞ
今の時代ですと、西洋は軍隊、日本では機動隊が該当するでしょうね!此れ又防弾チョッキと比較しても、防衛手段としては格段に優れていますよね!そして又落下物や転倒物にも耐久が優れており、言わずと知れた無限の硬さを保っているのも頷けますよね!
つまり前線に西洋甲冑と剣とかを装備した人を配置して後方に日本甲冑と和弓とかを装備した人を配置すれば最強という事だな
日本の鎧兜への攻撃は鎧の隙間の首や脇を突き刺すとか聞いたよ
西洋の板金鎧も同じですよ
甲冑が薄い金属ってどこのファンタジーだ
プレートメイルより和鎧のほうが見た目が恐ろしい
どっちが優秀かはわからんけど、どっちも重い暑いで辛そう
まあ動画中にある通りまだ日本のが軽いけどね。鎧に加えて武器。んで殺した敵の首まで持たなきゃならんしもう辛い
剣道してた頃、道着に籠手や防具つけてたけどあれすら暑くて重くて嫌だった
フルプレート・アーマーの全身甲冑は重装騎兵の物で、ファンタジー系のゲームやアニメのようにあれ着て地上でチャンバラはやらない。
やるとしたら、相当ヤバい状況💧
本来的に、馬にも装甲を着せた重装騎兵(騎士)団が密集して突撃し、敵の戦列を蹂躙する『機甲部隊」用の装備でしょ。
普通に地上戦もやるよ。
第一フルプレートアーマーなんて紙装甲だぜ(笑)
百年戦争のときの下馬騎兵をしらんのかい?プレートアーマーって意外と動けるのよ。
@@user-tf3tj2xx9z 動けるのかも知れんが、本来的な使い方ではなかろうという事よ。
そんな事するんなら、こんなんじゃなくてもいいだろってんで廃れたんじゃないのか?
百年戦争なんて、その頃の戦いだろ。
戦国時代後期にはフルプレート伝来している。けど使われなかった。
それが答えになるんじゃね?
輸入されたのは全身のフルプレートアーマーじゃなくて胴とかパーツごとのプレートアーマーな
全身を覆われない変わりに胴を分厚くして銃弾を防げるようにしたプレートアーマーが輸入されてた
それが日本の甲冑に取り入れられて南蛮具足になってる
戦国後期は銃の登場でヨーロッパでもフルプレートアーマーは廃れ始めてるから
日本もヨーロッパもフルは使わないよ
ドラマでも信長の役をやる人はフルプレートアーマーは装備しない
フルプレートアーマーの必要部分だけ装備して改良してる
@@user-tl2uc5ez5u わざわざドラマと書いてるあたり、南蛮胴が現実にはあまり使われなかった事を御存じなのでは?
日本人の体格には無理じゃないの? 当時の平均身長150センチ台でしょ?
いや、フルプレートアーマーって役にたたないんですよ。
紙の鎧は明軍ではなく李氏朝鮮軍じゃなかったっけ?
なんかドラマだと、ノブがよく西洋甲冑を身に付けてるのが、カッコいい
日本の槍は叩くように使うからな、フルプレートだと近づくのがキツそう。
武器も甲冑も、その土地の環境に合わせて
進歩した物だから一概にどちらが優れて
いるかなど言えないのでは。
高温多湿の日本で西洋甲冑なんて着てたら
戦う前に死ぬ、湿気で直ぐに錆びるだろうから
手入れも大変だし、そもそも重い西洋甲冑は
大型の馬に乗って移動する事が前提だけど
森や沼や水田が多くて道が狭い日本では
そんな馬、邪魔なだけだし。
次の鎧がなかなか生まれないよね。もうこれ以上鎧は進化しないのかな。
ライフル弾を軽く防げる素材が誕生しない限り無理やな
100の知識でマウントの取り合い笑
金属板は刺突武器(矢、弾丸含む)に対して意外と防御力が弱いぞ
だから鉄砲が発達するとアーマーは消えていった
アーマーの復活はケブラー線維とセラミックが登場するまで待つ必要があった
ん?鎧通し技法を身に着けた足軽で十分フルプレートをフルボッコに出来るよね。
そりゃあ日本の甲冑をフルボッコするために作られたものだからな
それができるなら足軽でも武士を殺せる
鎧通し技法が発展してた現地でフルボッコにされてないので無理ですね
農民に農具でフルボッコにされている騎士の絵が印象的。
高度な技術など必要無く、ただ鈍器で殴り倒せば鎧や兜は凹むだけで済んでも、中の人は脳震盪やら何やらで無事では済みませんからね。
戦国時代の侍でも金砕棒で頭部を強打され、兜ごと胴体にめり込んで田んぼに落ちて亡くなった人とかいるようですし。
@@nekono_mimikon
そうですね。
あと、水に突き落とすか、油かけて火を点けるとか?
正直日本で戦うなら日本甲冑、ヨーロッパで戦うなら西洋甲冑が勝つと思う。
その通りだと思います
イギリスの軽装のロングボウ舞台にボコボコにされてるんだからフルプレートが勝てる場所なんて無いよ
ありゃ騎乗した騎士だからね、馬がやられる。
フランスの下馬したフルプレートの騎士はイングランド長弓兵の射撃に耐えたよ。アジャンクールでは攻撃に転じたフルプレートの下馬騎士が雨が降った後の泥濘に足を取られたところに、長弓から武器に持ち替えた軽装のイングランド兵に泥濘に引き倒されて身動きが取れずに殺戮されたけど。
@@user-tf3tj2xx9z イギリスのロングボウ部隊の戦果がアジャンク―ルだけだと思ってるのか?
そもそもプレートアーマーで身を固めた下馬騎士とロングボウ兵の正面衝突事態が少ないからね。ポワティエの戦いでフロワサールも「イングランド兵の放つ鏃はフランス騎士の鎧上を滑り、衝撃は緩和され、フランス騎士を傷つけることはできなかった」と書いているし。
百年戦争末期になるとイングランドのロングボウ兵は中小の火砲を運用したフランス砲兵隊にカスティヨンで止めを刺されたし。
単純な防御力はプレートアーマー>>>ラメラアーマー>>>チェインメイルだと思う
日本の甲冑は甲冑着て騎乗した状態で和弓使えるってだけで大分アドバンテージ有るぞ
身贔屓無しに武者鎧だと思うよ。先ず組紐が結構強いねん。その上で製鉄技術も「明珍の火箸風鈴」を見る限り、日本の甲冑師の方が上だったと思うよ。
鎧の技術はヨーロッパが上だと思う
銃が登場したあと銃を防げるプレートアーマーが作られ日本も輸入してる
それを組み込んだのが南蛮具足
織田信長が火縄銃で狙撃された時に南蛮具足を着ていて無事に済んでる
製鉄技術なんて17、8世紀にたたらとか言う原始的な技術用いてる時点で西洋に周回遅れしとるやんけ
@@user-di3zf3lp6w 周回遅れならわざわざ企業がたたら製鉄復活させたりなんかしねぇわw
@@日本語に出来るらしい それは文化保存のためと刀剣愛好家の需要によるものであって、技術的優位によるものではない
@@user-di3zf3lp6w 違いますw
剃刀の技術向上のためですw
西洋のフルプレートアーマーは防御力はあるよ。
イングランドの王様が戦争中、落馬して敵に囲まれ、戦闘用ハンマーやメイスでボッコボコに殴られ、家来が助けに来るまで15分以上はボッコボコにされたのに、怪我が一切なかったとか。
まー、当世具足のデザインは今のボディーアーマーのデザインの参考にもなってる。
フルプレートアーマーは高級品は焼きが入ってるから、クロスボウで貫通は不可能。
その、王の名前は誰ですか?
日本甲冑、肩だけなんとかならんか思う。
日本の鎌倉時代に落馬によるものが死亡に繋がった事故は無かった。(頼朝のものは暗殺説が濃厚なのでここでは数えない)
一方西洋ではフルプレートを着た騎士の多くが落馬で死んでいる。
日本の馬は暴れ馬が多く鎌倉武士は暴れ馬ほど名馬として好んだ。
この事実から日本の鎧の方が頑丈だと思われ
普通に馬の大きさじゃない?日本の伝統馬はクソ小さいやん。
あと日本人は小柄だから元の体重が軽いのもありそう。
チョット話逸れるけど中で「自衛隊~の盾」て言ってたが耐火性以外は兀突骨軍の南蛮藤甲て
今考えたら中身カーボン繊維で2000年先取りしてるよなぁ まぁ演技だけど実在らしいし
チャイ国営だかディスカバリーだかで見たわ 刺突、斬撃については数十回位、百近くは
余裕で耐える 耐久と編み目に先っちょ刺さっちゃう分自衛隊の盾よりちょっと劣る感じ?
そもそも前提からして勘違いしている。甲冑をフルで装備できる人なんて洋の東西を問わず、ごく限られた富裕層だけだし、現代まで残っているものの殆どは当時としても異例な高級品だけ。特別な物だから後世に残したいと多くの人が思って現存するに至るわけだから。そんなイレギュラーな装備は当然雑兵が身に着けて戦っていたわけではないし、一般的な兵士の武装は大体粗末な胸当てと兜くらいなもの。良くて鎖帷子、悪けりゃ防具無しで戦場に立った。立派な甲冑を着ることのできる有力者が前線に出て戦う事例なんてほとんど存在しない珍しい出来事だから記録に残っているに過ぎない。「普通に歩兵同士が正面から殴り合って数の多いほうが勝った」なんていう面白くない戦闘記録は誰も残さないからね。比較するのなら雑兵の装備で考えなくては意味がない。
こういう話題はオトコノコゴコロをいたく刺激して幻想や願望が強く表れるから、自分も含めて注意したいところです。
西洋の板金鎧を代表するフリューテッドアーマーも、神聖ローマ帝国の皇帝が注文した超高級品であって、金で雇われた足軽相当の貧乏騎士が買えるような安物では無いですしね。
そう思うと補助軍を除いた主力となる15万を越える軍団兵全員に、プレートアーマーであるロリカセグメンタリカを装備させてた元首政時代のローマ帝国が如何に恐ろしい存在だったかがよく分かりますね😅
その通りですが、動画の趣旨は西洋甲冑VS日本の甲冑なので、その違いや優れた点、劣った点などをコメントで議論する事自体は良い事だと思います。
そう考えると、ローマ帝国時代の兵士の装備って化け物じみてるな。あの重装備を一般兵に着せてたんだから
フルプレートとか湿地とか川とか池とかに誘い込めば勝ちやし 日本のが強いと思うけど
それは日本も同じ、朝鮮出兵の時に日本兵を川に誘い込んで殺すのが朝鮮のゲリラ戦術だった
騎兵は突撃力で攻撃する兵科だから、騎兵ではプレートアーマーの方が有利
逆を言えばヨーロッパの開けた平原でなら重装騎士の突撃で騎士が勝つのでは?
結局の所武器や装備という物は誕生した土地で使いやすい様に最適化されている訳ですから単純な比較は難しいです。
@@user-vw8it9oo8h 槍衾とかあるし
@@user-vw8it9oo8h ヨーロッパでもモンゴルの弓騎兵がかっているし、十字軍でもイスラムの弓騎兵が勝っているんだよなあ。だから、重装騎兵っていうのはかなり使いにくい兵種だと思います。
西洋甲冑って日本の梅雨や夏はダメでしょう。炎天下の鉄板がどれだけ熱いか。あと、弩弓あったけど廃れたんだよな。
西洋甲冑は足が長くないとね。短足で西洋甲冑とか変な生き物になっちゃうよ😅
フルプレートの前のチェンメいるでも弓矢の刺突武器以外はダメージを与えるのが難しかったし
日本の鎖帷子でも日本刀は無力化されていたからなぁ
江戸時代の打刀までは太刀も刀も鎧の上から殴るのであって切味は実は重視していないとか
アマゾンでも活躍なら大丈夫かもしれないが梅雨の日本とか砂漠の中東ではフルプレートは使いたくないな
甲冑もあれだけごつい武器のヨーロッパでは嫌だし
刀では鎧は切断できないが、太刀だったら鎧ごと切断できる。問題はそこまでする前に刃を押し当ててズバと押し切るのが簡単な点。
『どんな戦場を想定していたか』だと思う。
日本の甲冑は、言うまでも無く弓の撃ち合いを第一に想定してる。射程も威力もあるメイン武器から効果的に身を守れないと、鎧の意味がない。
西洋の甲冑は、万能を目指したのは分かるが、それでは『どんな戦場を想定していたか』と言う思索の大前提が崩れてしまうし、本当に万能であったなら廃れるはずがない。よって、一番効果的だと思われる戦場を想定していたと考えたい。西洋甲冑が最も輝きそうな戦場、それは多分、どこから刃が振られて来るか分からない乱戦だと思う。
よって、遠距離戦をするなら日本の甲冑が、乱戦をするなら西洋の甲冑が優位になるんじゃないかと思うのだが……『乱戦したい側』がより重い鎧で、遠距離戦をしたい側が軽い鎧である、と言うのは戦った場合の相性は出るんじゃないかな、と思う。西洋の甲冑が効果的に矢を弾ける防御力があるなら話は別だけど、日本の甲冑が重くて20㎏、西洋の甲冑が軽くて20㎏となれば、弓を効果的に弾くのに集中防御の20㎏の鎧が必要なら、製鉄技術にもよるが同じ重量で全身を防御した西洋の甲冑は防御力不足になりそうだ。
無論、重くて40㎏の方なら効果的に防御出来るかも知れないけど、いかに全身に重量が分散するとは言え40㎏を纏って軽い鎧を着た相手に走り寄るのはキツイと思う。
まぁ、判断にひいきがある、と感じる部分もあるかと思うが、鎧の防御力、と言う意味では最大重量のフルプレートが優秀だとは思うけれど、『有利に戦える戦場を作りやすい』と言う意味で日本甲冑の方が有利だと判断したい。
あと、水場に入ると西洋甲冑が弱い、と言う話をチラホラ見るけど、そりゃそうだろうとしか言いようがない……中に水が入ると、重くなっちゃうんだろう……長靴履いて中に水一杯注いで歩くような事を、水に浸かってる範囲全部でやるのだから、そりゃあ動きにくくてたまらないと思う……
フルプレートが強い戦場、と言うのもあるだろうが、その戦場がどれくらい実現するのか、相手がその戦場にどれくらい付き合うのか、を考えたら扱いが難しい鎧な気がする。
廃れた理由は銃火器の登場、それまでは万能で無敵。難点は費用のみ。
@@Voeloksas
万能で無敵、というのはかなり極端な評価だから、そのまま極端に考えるけど、本当に万能で無敵な装備があるなら、費用がかかろうがその装備で軍隊を固めることになる。
万能で無敵な装備とは、そのまま勝利を約束する装備だ。費用が掛かろうが問題にならないだけの価値が発生する。
だが、実際にはそうなっていない。
何故なら、優秀ではあったが流石に『万能で無敵』ではなかったからだ。
@@user-ce8xo2it5y
中世のヨーロッパは基本的に装備は自前。
ローマ帝国のように国が装備から何まで準備してる軍隊とは違う。
だから貴族は費用が賄えるなら必ず装備したが、一般兵は当たり前だけど装備できない。というかまとも防具は着てなかったと思われる。
それに万能で無敵でもフルプレートアーマーは体格に合わせるために各々に合わせて作らなければならず、やはり大量に準備するのに向いてない。
その用途なら鎖帷子と胸当てが限界。
まぁ答えとしては勝利が確約されようが流石に費用が補えない。
両方を着て模擬戦どころか実物を見たことすらないのに決めつけで物を言うヤツは一体何を知ってるのだろうか
フルプレートアーマー着ていたヨーロッパ軍にモンゴルは勝った。
日本はそのモンゴルに勝った。
@@user-cz1ev1vl5mその日本もアメリカ軍には完敗
モンゴル🇲🇳にもアメリカ🇺🇸にも勝った
ベトナム🇻🇳が世界最強
@@user-cz1ev1vl5m
その頃のヨーロッパはフルプレートアーマーじゃないw
十字軍遠征とモンゴル進攻の時代の13世紀はチェインメイルとバケツヘルメットだよ
チェインメイルにプレートアーマーを重ね着するようになったのはモンゴル進攻後の14世紀(百年戦争の時代)から
それが徐々に全身を覆うようになりフルプレートアーマーになったのは15世紀(アジャンクールの戦いやジャンヌダルクの時代)だけど
その後銃が登場し日本が戦国時代全盛の16世紀にはフルプレートは廃れ、胴と兜だけの軽装甲冑が主流になっていく
ちなみにヨーロッパでレイピアやサーベルが普及したのもこのころ
フルプレートアーマーの騎士と戦国時代全盛の武士は同じ時代にいないんだよ。
モンゴル進攻の時代のヨーロッパにフルプレートアーマーがあるわけないだろ
その時代のヨーロッパは鎖帷子
@@user-cz1ev1vl5m 日本はモンゴルに勝ったって言ってるけど、元寇なんてほぼ明と高麗やんけw
西洋鎧って昔聞いたけど100kあったんでしょ
うーん、それは嘘だね。
25キロくらいだよ。思ってるより軽い
いいえ、西洋のプレートアーマーは良いものだと16㎏くらい。40㎏はジャウストアーマーです。
日本の鎧は、動き安くする為に
わざと軽装甲だと、聞いた。
軽装甲というと軽いと誤解されそうだから言うけど、重量は西洋の甲冑とそこまで変わらない。
関節の可動域が広いのが日本の鎧の特徴。そのため弓が使える
どちらも着用した体験が無い者の考察はあてにならない。
そもそも武具は用途に応じて使い方が分かれるので単純な比較はできない。
西洋甲冑は実戦用と馬上槍試合(トーナメント)など競技用で大別できる。
後者は戦場ではないので落馬しても歩兵に群がられて討たれる心配が無い。
西洋甲冑が倒れると起き上がれないというのは、このトーナメント用のものであり
実践向きは軽快に動ける。
日本の甲冑は平安期からの大鎧は騎馬武者の為のものであり下半身の防御は馬に跨った場合を想定している。
室町時代から足軽による歩兵集団戦が主流になると当世具足が隆盛する。
単純比較は難しい。
また銃弾を弾く様に体の中央をとがらせた西洋式の甲冑は日本でも取り入れられた南蛮胴も流行した。
また、甲冑を語る上でコスパについても考慮する必要がある。
さらに武人にとって戦は晴れ舞台なので己を飾り立てる装飾・美的観点も重要な要素。
日本でも西洋でも尚武の気風が強かったので名品が多い。
日本の鎧は西洋で言うラメラーアーマーと同じ構造だからなぁ。純粋な堅牢さじゃプレートアーマーにゃ勝てんだろうな。
そんなプレートアーマーが日本じゃ流行らなかったのは板金技術が未熟だったから…じゃないはずで他の方が言う通り気候の違いだろうし
プレートアーマーって紙並にペラペラだぞ。
防御力が有るレベルで作ると100キロ超えるんだよね(笑)
流行ってはいたよ
後期にはプレートアーマーの胴を輸入して日本の甲冑と組み合わせた南蛮具足が戦国武将の間で流行っていた
フルプレートじゃないのは戦国時代の16世紀は銃の登場でヨーロッパでもフルプレートアーマーは廃れていたから
パレードとかで着るぐらいで戦場では胴と兜ぐらい(場合によっては小手も)だから実戦用のフルプレートアーマーは作られてすらいない
明治時代まで日本は製鉄技術が未熟だから硬くて脆い粗鋼しか作れなかったんだよ
@@user-di3zf3lp6w わかって無いな。
きちんと調べればわかる話だがな、室町頃までだと日本の方が製鉄技術は上?なせいで鋼鉄使用してるんだよね。
西洋ではやっと鉄から鋼鉄へ移り変わり始めた頃だよ。
@@user-cz1ev1vl5m
そんなにペラペラなら普及してないんだよな。
それに防御力で考えたら関節が守られてない時点で日本の甲冑に勝機はないよ
戦国刀は、
フルプレート
・動けない
・倒れたら起き上がれない
・動きが遅い
・馬がやられたら終わり
まー西洋甲冑と日本甲冑は、外車と日本車の考え方の違いと似てるな、とよく思う。
それデマやぞ
実際は動けるし、起き上がれる
馬上槍試合用の競技用の甲冑は槍を支え、かつ落馬したときに怪我をしないように間接を固めて重く、動き辛く作られたからことからきたデマ
実際の戦用のフルプレートアーマーは間接とかも自由に動けるし軽量化されてて見た目ほど重くない
動き安さでいうなら、西洋鎧の方が良いです。なぜなら、鎧の20~30kgという重量が均一に分散されるため、実際にはかなり動きやすいです。
@@WilhelmfranziskusAlbrechtあ〜、その重量ってフルプレートアーマー分だけだぞ。
実際は布鎧来てから、チェインメイル着て、その上にフルプレートアーマー着るから総重量は80キロ程度になるよ。
@@user-cz1ev1vl5m
下に着るチェインメイルは単体として着るチェインメイルより軽いぞ
せいぜい10キロ以内
付属品含めても総重量は30から40キロ
武士の装備の総重量も同程度で変わらない。
@@f-22usff あ、それも間違ってますよ。
それは『騎士試合用』で、実戦だと普通のタイプのチェインメイル着ていたそうですよ。
そもそもフルプレートアーマーって打撃にしか防御力が無いんでチェインメイル着とかないと普通に切られたそうですよ。
どう比べるかにもよるけど、例えばリングの上で3分間殺し合いをさせたらまず侍の鎧に勝ち目はないと思う。
近代戦では鎧・甲冑なんてきねえし。鎧・甲冑なんてもう美術や収集的にしか価値はない。
ライフル銃を完全無効化できる素材が生まれたら鎧はまた普及するかもね。
薩摩藩士が丸太担いだら西洋甲冑は豆腐同然だからせめて避けられる可能性がある日本甲冑の方が強いのかなぁ...
じゃあ裸が最強だな