豊臣秀吉の側室・淀殿の見どころ+浅井三姉妹の初と江を深掘り!(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第16回)

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 15 вер 2024
  • BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
    番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを歴史作家の伊東潤先生に語っていただく「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第16回目です。
    今回は
     2023年9月16日(土)夜8時放送、「淀殿 編」の見どころと、
     収録で話しきれなかったエピソードをご紹介。
    秀吉の側室として有名な淀殿。
    息子の秀頼を授かるも大坂の陣で家康に敗れてしまう。
    淀殿に欠けていたもの、敗因は何だったのか?
    後半では、淀殿にまつわる人物として2人の妹について『深掘り』していきます。
    淀殿とは1歳違いだった次女・初の大坂の陣での行動とは?
    三女の江は、息子の徳川家光を邪険に扱ったといわれているが・・・
    伊東先生にたっぷりとお話いただきます。
    ■出演
    進行:中西悠理(キャスター)
    解説:伊東潤(歴史作家)
    ▼TikTokでショートムービー公開中!
    / bs11plus
    ▼BS11公式「歴史」関連動画をチェック!
    • 歴史「偉人・敗北からの教訓」ほか
    ■番組情報
    全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
    📺2023年6月3日より毎週土曜日 よる8時00分~8時55分放送
    【番組公式HP】www.bs11.jp/en...
    【BS11 イレブン じゅういっちゃんツイッター】 jy...
    <番組詳細>
    「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
    毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
    偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
    【BS11+ 公式Instagram】
    / bs11plus
    【BS11+ 公式Twitter】
    / bs11plus
    #淀殿 #茶々 #浅井長政 #お市 #初 #江 #浅井三姉妹 #豊臣秀吉 #織田信長 #安土桃山時代 #歴史 #日本史 #偉人 #英雄 #伊東潤 #中西悠理 #こぼれ噺 #BS11

КОМЕНТАРІ • 49

  • @HansSchmidt2006
    @HansSchmidt2006 Рік тому +16

    運を引き寄せられるかもしれないなら、努力は続けていきたいと思いました。中西さん「戦国時代に生まれなくてよかった。」というお話が良かったです。

  • @cancan5892
    @cancan5892 Рік тому +11

    才能があってお綺麗で、何よりこの番組を持たれている中西さんは、運に恵まれてますよ❤🎉😊
    淀殿は巡り合わせが悪いことは確かにありますが、その悪い方へと向かう流れを自ら変えることはできたはずです。大阪夏冬の陣では、もっと早い段階で柔軟に対処していたら息子も死ぬ必要はなかった。運は、待っているだけでなく、掴み取る必要があります。その瞬間を見極める目も大事です。

    • @如何様博行
      @如何様博行 7 місяців тому +1

      うーん、どうあがいても結果は滅亡しかなかったと思いますよ。徳川家にとってはどうしても邪魔だったですから。

    • @cancan5892
      @cancan5892 7 місяців тому

      @@如何様博行 さん 最近の研究では、徳川幕府に従い一大名として従属するなら、家康は豊臣を滅ぼすつもりはなかったとされています。むしろ、秀忠が滅亡を望んだと。仮に秀忠が柔軟になっても、豊臣の威信があるので、結局淀殿は同じ道を選んだでしょうね。ただ秀頼を出家あるいは公家にできれば、彼は生き延びられたかも。

  • @孝徳林
    @孝徳林 Рік тому +3

    中西さんの声は、ホント爽やかに耳に入って来ますねー😊きっと運が良い女性ですね

  • @junji1967
    @junji1967 Рік тому +4

    正室寧々との関係も気になります。
    本編がとても楽しみです😊

  • @鹿島健一
    @鹿島健一 Рік тому +3

    なるほど、歴史から学ぶ開運術が参考になりました。

  • @今泉一郎
    @今泉一郎 Рік тому +1

    伊東先生の運に対する考えかたには、共感しました。
    また、キュウちゃんの中世に生きた女性に対する考え方にも共感しました。
    本編が、楽しみです。

  • @user-vl3tt6cc5e
    @user-vl3tt6cc5e Рік тому +7

    もし秀頼が大将旗を掲げて出陣してたら勝てたのかな?
    そのくらいギリギリな戦いだったのじゃないかな?
    とか考えてみる歴史は面白いわ!

    • @TM-si1kj
      @TM-si1kj Рік тому +3

      たとえその戦いでぎり勝てても寄せ集めのメンバーで天下治めても続かない気もする、、戦いに勝つこと以上に厳しいしねーどっちみち滅ぶ運命だったのかなって個人的には思うな

  • @kurita1201
    @kurita1201 Рік тому +8

    頼朝と義経の父源義朝もやってください!!

  • @user-kn5op9zk7k
    @user-kn5op9zk7k Рік тому +6

    ・将来の大きなリスクより、目の前の小さなリスクの回避を優先しがち?
    ・そういう教育を受けなかっただろうから、
     政治・外交が得意じゃないのはしょうがないけど、なんで実権をとっちゃったの?
    …と、私の淀殿への心象はあまりよくないのですが、
    偏見、知識不足かもしれませんね。番組本編を見て勉強したいと思います。

  • @fazer-bn1rk
    @fazer-bn1rk Рік тому +7

    豊臣家の滅んだ原因は秀吉の晩年の悪政と身内を蔑ろにしたとだとおもいます。淀殿の失敗は秀吉の家族や子飼い家臣とちゃんとやっていけなかったとこですかね。お江は、大河の葵三代の岩下志麻さんが強烈に記憶に残ってます。あんなのいたら帰りたくない。

    • @erikasono565
      @erikasono565 Рік тому +4

      秀吉は農民からの成り上がりで、譜代家臣がいなかった。そのために身内を登用しようとはしたものの、当然ながら身内も元農民です。
      その意味では、いくら淀殿をはじめ、側室に名門の娘を揃えても、また身内以外にもこれぞと思った人は子飼いで育て、或いは他の大名家から引き抜いたりしても、限界はあったということでしょう。
      秀吉の才能は一代限り。むしろ、農民出身でよくあそこまでやった。
      秀吉も、秀次は切腹に追い込みましたが、前田家からは養女と側室を迎えた上、秀頼と千姫との婚姻など、有力大名とは婚姻による親交を図っている。
      でも、家康の人質時代から付き添い、築山殿殺害、信康切腹の危機も乗り越えてきた家康武士家臣団の団結には、到底かなわなかったということでしょう。
      秀吉晩年の朝鮮出兵などは、戦功に与える恩賞がないとか、スペイン・ポルトガルのアジア侵略に対抗する等の理由もあって、悪政ではあるけれども、仕方がない面もあったしね。

  • @tyourea
    @tyourea Рік тому +6

    淀も茶々も不幸だけど江で大逆転。女の人生は、夫次第かもね。
    負けても織田家と浅井家の血筋は、残せたね。

    • @俊朗伊田
      @俊朗伊田 7 місяців тому +1

      淀と茶々は同一人物です。今度ドラマや時代劇をする時、淀君役をする女優さんはぜひこの番組を見た方がいいと思います。おすすめします。

  • @高田健一-l7l
    @高田健一-l7l Рік тому +2

    淀君は信長の血統であるということで大事にされた。
    他の二人の姉妹も同様である。秀忠でさえ諸大名を従えるにはまだ信長の娘の力が必要であった。
    淀君・秀頼が大阪城出ることができなかったのは関ケ原浪人に事実上占拠されてしまい
    彼らが出ることを許さなかったからというのが正しい。この事情は家康宛ての書面にも出ている。

  • @おかポン太郎ー0kaponTarou

    淀さまが秀頼を産んだのもすごいんだけど。ひでよっさんの性力すごくない?
    この年齢になって思ふ。。。

  • @user-xf3gn7lv8q
    @user-xf3gn7lv8q Рік тому +4

    小谷城と北の庄城は確かに悲運といえるけど、その中で生き延びたんだから強運と言えなくもない。全部ドラマからの知識だけど、
    関ヶ原から大坂城は完全に自業自得で、父と母を滅ぼされた秀吉への恨みからわざと豊臣を滅亡に導いたんじゃないかと思えるくらいひどい。
    全部ドラマからの知識だけど、関ヶ原や大坂の陣に秀頼を出陣させていたら。淀が頑強に反対したシーンを見てそう思う。

  • @user-uy5hd9ji2j
    @user-uy5hd9ji2j 7 місяців тому +1

    関白豊臣家は武家ではなく公家なので、秀頼はその様に育てられた。如何せん関白秀次が切腹という形でいなくなって
    しまったので、豊臣家はハシゴを外された形になり、上がろうと努力すれば落ちるだけになってしまった。

  • @蔵田天然
    @蔵田天然 Рік тому +1

    運といえば、やはり家康公は運がよかったのだろう。その運を引き寄せたのは、家康公の不断の努力と学ぶ姿勢であったことは間違いないのだろうが、やはり天下人は天が決め、天に愛された人なのだろう。

  • @user-yt1ox5zh6q
    @user-yt1ox5zh6q Рік тому +3

    淀殿も淀殿なら寧々殿も寧々殿だ

  • @キャサリン-s8h
    @キャサリン-s8h Рік тому

    私は、淀殿親子を演じられた事がある女優さんが、27 歳の若さで、亡くなられた時、雑誌の追悼記事で、人の仕合わせと悲しみの量は同じと書いてあるのを読んで、そんなんもんかなぁ〜と半信半疑だった。それから40年近くの歳月が、流れそうかも?と想えるようになった。淀殿は、3度の落城を経験されたが、子供を生んだ事で、豪華な生活もされた。何より浅井三姉妹で、人々の関心を持たれるのも淀殿が、一番じゃないだろうか?

  • @user-kz3su8wg3f
    @user-kz3su8wg3f Рік тому +3

    水前寺清子さんの唄「365歩のマーチ」を自分への応援歌にしてます🎉

  • @user-pn6jc2gs7t
    @user-pn6jc2gs7t Рік тому +6

    私の中では、経験値からに過ぎませんが、第一子は出しゃばり、二子は自由な発送、環境次第で大きく成長するか、小さくなりがち。三子は、運が良く実は気が強い。かな?(笑)

  • @よしくんたた
    @よしくんたた Рік тому +6

    関ヶ原の役のさい石田三成の要請通りに秀頼を西軍の旗頭として出馬させていれば・・・・・と考えるのは タラレバか🤔

  • @user-gs9ui3ic5f
    @user-gs9ui3ic5f Рік тому +2

    初さんについては、あんまり知らないので楽しみにしてます

  • @ポンコツ-g5k
    @ポンコツ-g5k 11 днів тому

    多分
    豊臣滅亡は秀頼が秀吉の子供でないと行く事が大名クラスは皆知っていたからだろうと思うわ

  • @名無しさん-x6r
    @名無しさん-x6r Рік тому +11

    家康は最後まで豊臣家を滅ぼすまでは考えてなかった。
    あくまで家臣としてなら許容できたんだけどね。
    ただ、家康にも寿命があってその前までに認めないなら仕方なしだったのだろう。
    豊臣家滅亡は最後まで臣下になることを拒んだからねぇ。

  • @北川裕治-l4g
    @北川裕治-l4g Рік тому +11

    淀の人生は負けだらけ。伯父信長の小谷征伐に始まり、秀吉の賤ヶ岳、家康の大坂の陣。
    大坂の陣の前に出された3つの要求。どう読み直しても、受け入れやすいと思うけどね。
    淀が江戸に行く
    これは受け入れても良かったかも。秀忠の嫁の江と暮らそうと思えば暮らせたわけだし。要求を受け入れなかったのは姉妹の間に亀裂があったのかもしれない。

    • @hirose795
      @hirose795 Рік тому +3

      家康死後の秀忠政権下での豊臣系大名への容赦ない手打ちを考えたら、家康は可能な限り譲歩してるんですよね。

    • @安西弘-t1o
      @安西弘-t1o 7 місяців тому

      俗にいう3か条(国替え、人質、参勤)が家康から要請されればしたがったと思います。
      すでに秀頼は徳川から要請された、江戸城普請。
      豊臣家以外の関白職。
      4つの金銀鉱山と堺の譲渡。
      神社仏閣の再建。
      どんな命令にしたがっています。
      それに、すでに二条城まで赴いて頭を下げてるので、まずは駿河参勤などから始めれば、秀忠の官位が秀頼を上回った後なら江戸参勤もあり得たと思います。
      問題は、その3か条を突きつけたのは家康ではありませんでした。
       
      迫ったのは家老の片桐です。
       
      一緒に方広寺の一件の釈明に行った大蔵郷は何も聞いてなかったため大坂は混乱し、大野らが片桐を暗殺しそうにもなったので、秀頼は片桐を追放することになります。
      (11日後にはもう片桐軍と大野軍が堺で激突します)
      幕臣でもあった片桐追放に激怒した家康は大坂に出陣命令。
      その翌日、秀頼も全国に檄を飛ばし(真田や毛利等が集結)、大坂の陣へと繋がっていきます。
      定説では片桐追放は家康の分断工作だと言われてきましたが、最近では「両家が上手くいくよう解決案を出せ」と家康から指示された片桐の独断とも言われています。
      どちらにせよ家康は3か条を大坂の陣までは突きつけていません。
      戦が始まるまでは豊臣家を存続させるつもりだったのではないでしょうか?

  • @如何様博行
    @如何様博行 7 місяців тому

    努力し続ければ運が付いてくるだろうな。

  • @etsuotakahashi4559
    @etsuotakahashi4559 Рік тому +1

    淀殿と秀頼は同じ気質仲が良い。同じ気質の武将は景勝・氏政・右近・順慶など。行動の原理がおおよそ
    推測できる。相手の戦力の強弱を判断できず決定的な時一歩がでず自滅する。
    また秀吉との関係にも気質で問題がある。
    村重ー清秀
    家康ー正信
    東郷平八郎ー秋山真之
    秀吉ー淀殿・秀頼
    通常力量もあり有能なのだが決定的な時、間違った判断をする。
    この間違った判断を戦略脳をもつ武将は上手く回避する。出来なければ自滅の道。
    関ケ原に遅れた正信、津軽海峡へも戦力を分散させようとした真之。
    村重を裏切らせた清秀。
    淀殿・秀頼には秀吉は亡く自ら判断せざるを得ず、同じ気質の武将の辿った道を同じように歩んだ。
    自滅する気質からの回避は、家康に天下を譲ること。だが戦略判断を下す能力はない。
    気質の辿る運命に従うしかなかったのだろう。
    家康ー淀殿・秀頼も同じ気質関係にあるので、豊臣家はいずれ問題を引き起こすと家康は悟っていたのだろう。
    高次ーお初は同じ気質。秀忠ーお江も同じ気質。秀吉ー淀殿・秀頼は夫婦型。
    三人とも気質のあった相手を伴侶として幸せな一生だっただろう。

  • @おかポン太郎ー0kaponTarou

    まつは偉いよな。

  • @user-qt9xc2no4i
    @user-qt9xc2no4i Рік тому +1

    淀殿ではなく息子の秀頼が主役だろ。権力的にも淀殿は秀頼を出産した実母で秀頼を補佐してただけだろ。
    しかも秀頼の実父は秀吉ではなく大野治長(治長の母の大蔵卿局サキが淀殿幼少期茶々の時代から乳母を務めていて、治長出産で母乳が出る時に茶々を乳兄弟にしている)説も有力だしな。
    表向きは秀吉の子としているが秀吉では男性生殖機能がなくて子作りできないから秀頼の実父は治長で、秀頼が自害する時は全員殉死で自害(大河ドラマ江では治長は討死)しているしな。
    秀頼の実父が石田三成では朝鮮出兵時期で淀殿が秀頼を妊娠できないから、淀殿妊娠時期にいた側近男性かつ秀頼の実父としてふさわしいのは大野治長しかいないし。

  • @desiguma
    @desiguma Рік тому

    母親が子どもどうでもよくても子は母親を大事に思ってるのはあるだろうし
    親がいなくなったら忠長殺してるあたりからも愛されてない不満やヘイトが忠長にいってる感じで普通に通説通りと思うけどね

    • @desiguma
      @desiguma Рік тому

      @@user-lx4so1yb6q 理由つけて切腹させてますし死に追いやってるので殺したと表現しました。

    • @user-lx4so1yb6q
      @user-lx4so1yb6q Рік тому

      それは失礼致しました。

  • @Toshi-vt1jl
    @Toshi-vt1jl Рік тому +5

    この先生あまり好きじゃないんだよな、、、

  • @セブン7-y6k
    @セブン7-y6k 3 місяці тому

    秀吉存命中 無理やり 三成に百万石加増すれば 関が原で変わった  後は天下人の意識が強すぎた(信長の血筋) 家康も殺す気は無かったから普通の大名で我慢すれば良かった

  • @user-mn1no1gj5n
    @user-mn1no1gj5n Рік тому +2

    偉人と言う言葉の本当の意味知っていますか?
    よーく考えて下さい。