秀吉の正室・北政所の見どころ+北政所と淀殿の関係に纏わる怖すぎる逸話とは?(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第37回)

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  • Опубліковано 10 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 35

  • @taniikuo7137
    @taniikuo7137 Місяць тому +1

    回を増すごとに中西さんと伊藤先生が仲良くなっていく感じですきです。
    きっと中西さんが日本史大好なのが伝わっているんでしょうね

  • @小林朋子-r2x
    @小林朋子-r2x 10 місяців тому +9

    ねねと淀の仲が不仲であったという説はもう過去のものだと言っていいだろう。
     ただ豊臣は一代限りとねねが思っていたのだとは思う。

  • @masanobuokuda5837
    @masanobuokuda5837 10 місяців тому +5

    今年は北政所没後400年に当たりますね。高台寺の霊屋には北政所と秀吉の像が菩薩像の左右に並べて置かれていたのが今でも印象に残っています。

  • @kikiashi8729
    @kikiashi8729 9 місяців тому

    旧説の解説コーナーは歴史初心者にとってすごくありがたいです。歴史番組は旧説を知っている事が前提の作りになっていると感じる事が多々あり、初心者はついていけない事もしばしばあるので。番組構成的に旧説の知識必須の回はぜひお願いします。

  • @ゴッチン-i9s
    @ゴッチン-i9s 10 місяців тому +12

    おねの聖母のような魅力は、悠里ちゃんに通じるものがある❤

    • @luftballons-9996
      @luftballons-9996 10 місяців тому +5

      確かにイメージぴったりですね。

    • @徳川家康-v3q
      @徳川家康-v3q 10 місяців тому

      きしょ

    • @etsuotakahashi4559
      @etsuotakahashi4559 10 місяців тому +1

      寧々さんと悠里さんは同じ気質。羽柴秀吉と伊東先生は同じ気質。二人の関係は
      夫婦型。素晴らしいコンビで番組は盛り上がります。
      ちなみに加来先生とは一目惚れ型。気質の合う先生方と楽しい番組のはずです。

  • @cancan5892
    @cancan5892 10 місяців тому +7

    お寧が自身の子供を持っていたら、他の武将を育てたように立派に慈しんで育てただろうから、同じように慕われる母親になったと思います。
    新コーナーの旧説を探る、は面白い試みですね。黒百合の話、いかにもドロドロした女の情念めいていて、昔の大奥系の時代劇にありそうな話ですね~😅よく出来すぎていて、かえって嘘と感じます。

  • @佐藤蓮-r4n
    @佐藤蓮-r4n 10 місяців тому +6

    中西悠里さん美人だなぁ。

  • @今泉一郎
    @今泉一郎 10 місяців тому

    私も、キュウちゃんと同じで、「ねね」派で、覚えてました。
    今回の新企画の「旧説」の解説のコーナーは、受験勉強だけに日本史を勉強した私にとっては、興味深いですので継続してくれるとありがたいです。

  • @ガウ-l7l
    @ガウ-l7l 10 місяців тому +1

    おねさんと秀吉の関係が楽しみなので本編に期待してます

  • @etsuotakahashi4559
    @etsuotakahashi4559 10 місяців тому +1

    結構仲の良い夫婦が多い戦国武将たち。気質が合わないと厳しい戦国の世を全う
    出来ない。
    秀吉の行動気質変化で寧々さんとの関係も変化する。
    はじめは一目惚れで結婚する。戦略脳をもち能力を見せつける秀吉に惚れた。
    羽柴となり大出世のときは夫婦型で秀吉を支え大活躍した。
    だが太閤となり光秀・義元型専制君主へと変貌で、寧々さんは注意人物に変わる。
    代る茶々は変貌した秀吉と夫婦型。秀頼も生まれ権勢を振るうことになる。
    寧々さんは立場を失う。
    ただし寧々さんと秀頼・茶々との関係は一目惚れ型で権力を争う関係ではない。
    二人のことを気にかけている。
    寧々さんは戦国に生きてきた経験から、家康に臣従しなければ豊臣の存続は難しいと思っ
    ているが、戦略脳の欠ける秀頼・茶々親子にその選択が出来ず、自ら滅亡の道を歩む。
    寧々さんと同質の武将たち浅野長政・石田三成・福島正則・小早川秀秋・京極高次など。
    三成を除き徳川へ。
    その三成も関ヶ原で豊臣滅亡へのスイッチを押した。
    寧々さんは「仕方がないわねー」と達観していたのでは。

  • @俊朗伊田
    @俊朗伊田 10 місяців тому

    大河も含めてのおね役が一番似合う女優は誰かは迷いますね。今度、春日局や江姫、前田利家、田沼意次、松平定信等やってほしい。

  • @erikasono565
    @erikasono565 10 місяців тому +3

    淀殿は側室、かつ北政所より遥かに年下。
    淀殿が自分の立場や年齢を弁えて北政所を尊敬し、素直だったら、関係性は異なっていたし、豊臣家の将来ももしかしたら違っていたのかもしれません。
    でも淀殿の側は、どう考えても北政所に対して対抗意識を丸出しにしていて、敵対的だったようにしか見えない。
    淀殿にしてみれば、秀康は伯父の臣下であり、両親の敵、わざと秀吉にこびて淀殿との間に溝を生じさせ、豊臣家を滅ぼすつもりだったのでは? 都すら思えてくる。
    そう思うと、秀頼が秀吉の子ではなかった説も信憑性を帯びてくる。
    また、大阪城落城、豊臣氏滅亡も、淀殿が北政所のみならず、家康らに対しても従順だったら、避けられたとも思える。

  • @松根則彦
    @松根則彦 10 місяців тому +11

    藤吉郎と寧々にお子様が出来てたらまた違った世に!秀吉の最期おねの最期も変わってただろう🙂

  • @88番大窪寺
    @88番大窪寺 10 місяців тому +2

    藤吉郎とおねに子供が一人生まれたけど、すぐに死んじゃったとかの話もある

  • @広島恭史
    @広島恭史 10 місяців тому

    >クロユリの話は根拠はない
    >淀殿とはむしろ連携していた
    面白いですねw
    僕も歴史好きで、2人の消息文を見るととても対立しているような人柄とは思えませんでした
    小学の頃、夏休みの課題で2人の連携していた研究を提出したら、「おんな太閤記」を見ないといけないぞ
    て先生に怒られました

  • @NM-ds3oo
    @NM-ds3oo 10 місяців тому

    初耳のことばかりでした!!
    いつもありがとうございます。本編が益々もって楽しみです。
    しかし。相変わらずと言いますか、中西さん、もの知りですね。
    黒百合事件?知らんかったです。

  • @りつでん
    @りつでん 10 місяців тому +2

    おねは子供をうんだ淀殿に嫉妬していたのかもしれませんね。面白くない存在だったかもしれませんね。
    後、、おねは石田三成と親密でした。

  • @hirofeatherfield
    @hirofeatherfield 4 місяці тому

    おねの秀吉死後の豊臣家に対する想いは愛憎半ばするもので、単純ではなかったはず。若い側室と種の定かならぬ幼子に乗っ取られた嫁家よりも、おねにとっては里である浅野や木下の家の方が大事だったと思う。

  • @欣求浄土-r7e
    @欣求浄土-r7e 10 місяців тому

    北政所といえば、やはり大河ドラマ「おんな太閤記」で熱演した佐久間良子さんがアタマに浮かびますなぁ🎉

  • @ゆうた-d3g
    @ゆうた-d3g 10 місяців тому +4

    秀吉に、原因があり、北政所に、子供が出来なかった。秀頼は、秀吉の子供ではない。北政所は、全てを、理解して、家康に、天下を、任せる為に動いた。私は、そう思います。

  • @北川裕治-l4g
    @北川裕治-l4g 10 місяців тому +7

    おねさんの敗北は、秀吉の子供を産めなかったことかな?こればかりは現代医学でも難しいかもしれない。勝利をあげるならば加藤清正や福島正則、黒田長政など。様々な武将を育てあげたことかな?

    • @tronfun
      @tronfun 10 місяців тому +6

      不妊は秀吉側の問題ではないでしょうか。秀頼が秀吉の子かどうか。

  • @hgmssq7512
    @hgmssq7512 10 місяців тому +2

    おねさんは秀頼を徳川家の千姫と結婚させ、出家した後の院号「高台院」としても有名ですね。
    秀吉の菩提寺「高台寺」の寺号由来となってますから

  • @miracle3739
    @miracle3739 10 місяців тому +2

    なんか、なるほど、確かにの頻度が多すぎる。

  • @suteyone7908
    @suteyone7908 10 місяців тому +5

    またこの人は…。「おね」説が優勢とかそんな状況にはないですよ。
    「お」をつけるのは敬称とかそういうルールによるもので、それでいくと名前は「ね」という事になってしまう。
    この時代にひらがな一文字から成る女性名の事例はありません。
    一方、鎌倉時代から「ねね」という名前は存在しており、その観点で行くと本名は「ねね」。
    現代語的に言うと「ねねさん」というニュアンスで「おね」と文面では記載されていたと考える。
    この建付けになっている「ねね」派があるけですが、これが少数派か?というとそんなことはありません。

    • @りつでん
      @りつでん 10 місяців тому

      加来耕三先生もおねと呼んでましたよ。まぁ歴史家の先生がそう呼んでるから実際にそうだとは限りませんが😅

    • @suteyone7908
      @suteyone7908 10 місяців тому +1

      @@りつでん 歴史家によって解釈が違うのは構わんが、八割っていう所が問題なのよ

  • @seyheykid660
    @seyheykid660 10 місяців тому +2

    豊臣家のお家騒動ばっかりで、お腹いっぱいです。
    何か特殊な事情でもあるのでしょうか?
    同じ内容ばかりでイライラします。
    他の話もみたいです。
    他の家や人物や時代にも敗北からの教訓は、ありますので。