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右京さん94年に一回でいいから表彰台に登ってほしかったなぁ。ジョーダンのバリチェロとアーバインのつばぜり合いではじき出されたハンガリーGPも完走したらどうなったか興味アリアリです
ホッケンハイムは大チャンスだったんですがねえ。大荒れの中でフェラーリのベルガーが勝ち、苦しんでいたリジェの2人が2位・3位になりましたが、あそこで生き残っていたらベルガー相手なら一発大勝負できたんじゃないかなと今でも思っています
鈴木亜久里さんの表彰台は中学校の卒業アルバムの裏の日本人快挙アスリートに載ってました!F1ブームもあり盛り上がってましたね😆
BAR006はシーズン前のテストから速かったなー。琢磨もスピードではバトンを圧倒してたんだよな。それがエンジンに負荷かけ過ぎてリタイア多かったのかもしれないけど。
佐藤琢磨と小林可夢偉は強さあるドライバーだったと思うけど運とかに恵まれなかったな…と思う
佐藤は絶頂期のBARですら表彰台1回だけの腕なのでともかく、小林はもう少し運が良ければフェラーリで優勝できたんじゃないかと思える程の腕なので...特にルマンでは圧倒的な腕を見せてますし。
@@Reichssophist 2004年の琢磨は腕というより尽くトラブルに見舞われたって感じですけどね
琢磨はインディで勝ってるし、運はあると思うけどな〜
日本ではブームがとっくに終わってますしね…
片山右京も運があったとは言えないかなぁと・・・スライドバルブの締め忘れとか有り得ないでしょう
右京のドイツよりも、イタリアのインパクトが強烈でした。マクラーレンで速さを増していたハッキネンを一回目は鋭い動きで抜き去り、2回目はマシンを右に左に振って「遅い奴はどけ」とばかりにオーバーテイク、ハッキネンのオンボードに右京のマシンが映された映像は、チャンピオンレベルのオーラが漂ってました。レース後にハッキネンは「あの日本人は何だ!?」と周囲に聞いて回ってたそう。
このレース、最後はその右京に二度オーバーテイクされたハッキネンが3位表彰台でしたね。リタイアしてなければ右京の初表彰台もあったかもしれません。右京より先にチームメイトのブランデルがリタイアしてたけど、最初どっちがリタイアしてたのかわからなくて、実況の三宅アナが興奮しながら「どっちだ?どっちだ?」と叫んでて、ブランデルだとわかると一気に落ち着いてたのが当時面白かったです。
数日前にがんの診断(後に誤診と知る)をされ、真の神風になってた時ね
コジマのフォーミュラカーに乗った長谷見、星野、高原、ロズベルグ、ピローニ、高橋国光、片山etcいずれ劣らぬ強者揃い。78日本GPが開催されていたらとか、コジマで風洞が使えていたらとか、実際、たった2回の参戦で終わってしまったのが残念でした。幻のウイングカーF1、KE010、完成した姿が見たかったですね!!😌
死ぬまでにF1ドライバーと凱旋門賞の初優勝を、観たい…
悔しくて眠れなかったレースがいくつもあった。 トップチームに行けるチャンスがあれば違約金払おうが憎まれようが行くべきだよね、04年は中盤戦までマクラーレンとウィリアムズが低迷していたからチャンスは何回もあったし。 日本人ドライバーってなんで間が悪いんだろうか。
右京さんがベネトンに行っていたら 何回か優勝できていたんだろうなと思う。
片山右京 は ベネトンに行っとけばよかったのにあぐりの表彰台はめちゃめちゃ嬉しかった
ミハエル・シューマッハからも誘われて、ベネトンから直接サインしろとまで言われたのにね日本タバコや古巣に配慮したのは日本人らしいが日本人初優勝を見たかった
@@ネコのま シューマッハがエースドライバーとして君臨していたから下克上の許されないセカンド ドライバーになってたんだろうけどそれでも年に何回かはシューマッハのリタイアでタナボタ 優勝のチャンスがあったかもしれないね
正直日本のファンだと、日本人ドライバーが外国製のマシンに乗ると難色を示し出すし。そういう発想が当然とされてたから、スーパーアグリができた時大人気になったわけだし。
@@thomasomalley1691 セッティングはみせない、嫁同士しゃべるな、チームオーダー、その他ひどい待遇でしたでしょうけど、ヒルとマイケルが接触事故した英国GPでハーバートが優勝してますから、チャンスはあったかもしれません。そうすればベネトンから戦闘力のあるチームへの移籍も可能だったかも、ほんとに残念です。
@@ネコのま ピアストリみたいなメンタルが日本人にほしい。義理は違約金で返せばいいくらいのメンタルが必要と思います
ベルギーでのグロージャンミサイルは未だに解せない…あれが無ければ…と思うも仕方ない…
一番惜しかったのは、間違いなく94年の右京の西ドイツGP。1回目のスタートでも、赤旗再スタートの2回目のスタートでも、2度もシューマッハをぶち抜いた、あのレースは間違いなく右京が勝つ!って超興奮した。でも、カメラが切り替わった瞬間、逆向きに止まっていた右京のマシンが。。。あとは、やっぱり89年のアデレードの中嶋。国際放送の実況が「NAKAJIMA!NAKAJIMA!unbelievable!」を連呼してた、あの雨の中嶋は、本当に震えながら見ていました。雨を吸ってしまうだけじゃなく、エキマニが割れてたんですよね。あともう少しで表彰台、あのレースは本当に痺れました。
1976年のF1世界選手権イン・ジャパンでは長谷見の他にも、型落ちのティレルで参戦したヒーローズの星野一義も一時3位を走り注目を集めましたね。
ティレル007コスワースにブリヂストンタイヤの組み合わせでしたね。
タイヤが足りなくて交換できなくてリタイヤはちょっと可哀想
確か、レインタイヤが無くて、それ以上走れなかったんですよね。星野選手は悔しくて、しばらくマシンから降りなかったと聞いてます。
あのティレル007で翌年の日本GPに高橋国光がスポット参戦して、中古マシンながらも見事に完走。その時のエピソードを国さんが嬉しそうに話していた姿が、今でも僕の脳裏に焼き付いています!!🥲
必要な時に必要な場所にいる。これこそ人生の宿命。結局、チャンプになれる人、人生の成功者になれる人の差がここにある。
今でも94年のティレル・ヤマハのマシンに信頼性が備わっており、メカニックが間抜けなミスをしなかったなら…と残念に思います。ついでにジョーダン・ハートの2人の張り合いに巻き込まれていなければ片山選手が1つくらいは…と思うところです。あとは数名の方が仰る通り、小林選手の資金が途切れなければとも。ただ、私はドライビングスタイルやセッティングの好みを考えると、95年のベネトン・ルノーに行っていても片山選手は難しかったように考えています。オーバーステアで繊細過ぎるマシンには合わなかったんじゃないかと
ティレル022は個人的に一番好きなマシン、デザイン・カラーリング・フォルム全てが美しい。
単純にF1の視点からみたらスポンサーが少ない地味なカラーリング…なんですが、カッコいいですよね。そして走れば速いんだからなおさら。
やっぱり雨の中嶋!サイコー!
1989年 土砂降りのアデレードでの中嶋さんの走りは素晴らしかった3位のパトレーゼに何度もアタックしましたが巻き上げられた水煙の勢いに加えて パトレーゼの捨てバイザーが偶然にも中嶋さんのバイザーに貼り付いて前方が見えなくなりアタック不能になったんだそうです
あのクソマシン(ロータスジャッド)であれでしたからねぇ~・・・。もし、中嶋さんがこの年も”ロータスホンダ”だったらパトレーゼさんに勝ってましたよ・・・たぶん。
ベネトンの契約を断った右京さんは、後にシューマッハから「ティレルで勝てると思っているのか?」と本気で叱られたそうですね。当時右京さんのファンだった私も、ティレル・ヤマハで勝てると思ってしまったのですが、やはりF1は甘くないですね。それにしても、当時ベネトンと契約して優勝する右京さんを見てみたかったです!
中嶋さんは参加した時の年齢がもう少し若ければ、もっといい結果が出たかもしれない。或いはもう少し早い時期のF1ならとか思ってしまう。片山さんは、トップチームのアクシデントや雨などの天候にかかわらず優勝できるんじゃないかと思ったドライバー。もし契約の件がうまくいってベネトンに乗っていたら確実に優勝もできたと思うし、ドライバーズチャンピオンシップも上位にいたと思う。
佐藤琢磨はマシントラブルさえなければ、表彰台の常連だっただろうし、普通に優勝もあり得た
たらればは意味無いけどやはり94年の右京かなぁ。この年の活躍で翌95年のベネトン移籍が実現仕掛けたのに契約を優先させてティレルに残ったのがね………………95年11勝したマシンに乗れるチャンスがあった事を考えると残念で仕方ない。
シューマッハの独特な好みに合わせ過ぎたベネトンのマシンには右京でも苦しんだと思うので互角に戦ってタイトルを争うのは難しかったと思いますが、ハーバートが実現したのと同様にシューマッハの取りこぼしを拾うことはできただろうと思いますよ
2012スパのグロージャンミサイルは残念だったなぁ可夢偉だけでなく、タイトル争い中心にいたアロンソもリタイアに追い込まれたアロンソのシーズン中の2度のリタイアはどっちもロータスに追突されてのリタイアなんだよね・・・レースにたらればは禁物だけど本当にこれが無ければ・・・
正直、F1は日本人が勝てないようになってると思ってる。
04年の佐藤琢磨は彼自身の至らない点も多々あったと思うが、「HONDAの七光りで走るイエローモンキー」っていう見方をされたがために、失った舞台や奪われたチャンスも沢山あったと思う。
中嶋選手とホンダ、亜久里選手とジャパンバブルマネー&無限、片山選手とヤマハ&JT、琢磨選手と無限&ホンダと、日本人ドライバーのF1との関わりはどうしても日本企業の七光りという目で見られていたのは残念だと感じますが、所詮白人文化なんだと割り切るしかないんでしょうね…その点では小林選手がかろうじてメーカー支援抜きで健闘したと言えるように思いますが、結局持ち込み資金がネックになってシートを失ってしまったのは勿体なかったと思っています。琢磨選手はバトン選手に比べて正直に言って見劣りしていたと思うし、フェラーリを出たバリチェッロに押し出されてしまったのは仕方がなかったと考えていますが、いまではインディ500のマルチウイナーに辿り着いたのだから、ヨーロッパフォーミュラでの苦労が実ったんじゃないかなと…
鈴木亜久里が表彰台に立ったRで(もちろんめちゃくちゃ嬉しかったけど)、苦労人モレノが喜びの涙にひたりそれをピケが祝福する光景は印象深かったです
この右京のレースはマンガ家の曽田正人さんもすげえ推してるな
トヨタが撤退せず可夢偉君を起用してたら優勝してたと思う、日本人ドライバーを日本企業がもっと応援してあげないと勝てないよ、残念です
2010はただでさえ空力的にすごいマシンって言われてましたからねあと1年だったのに・・・
多分それが一番可能性が高かった気がする。
6位入賞時代はトップチームでもマシントラブルは普通で、中段下位チームも毎度ワンチャンあってレースは最後の最後まで分からないとハラハラドキドキしながら観てた思い出トップチームより下位チームの方応援してたし今は雨乞いするくらいしか出来ない
バドエルがポイント圏内走っててトラブルでリタイヤして泣いてたの思い出した
長谷見昌弘がレース後のインタビューで日本人でもやれるって言ってのを聞いた高原敬武は、たった一戦走ってそれも地元レースでそんな事言うのが大きな間違いだって言ってたのが印象深いです。佐藤琢磨はBAR時代もっと慎重な走りをしてたら表彰台回数も増えてトップチームからのオファーもあったのではと思います。当時チームメイトだったバトンは後にチャンピオンになってますし😊後はやっぱり金の問題かな😣
中嶋さんねぇ、予選も雨だったらセナとフロントロー、たぶん、勝ってたね。
2004年のBARでは、なぜか佐藤琢磨のマシンにばかりトラブルが発生し、ジェンソンのマシンはノートラブルと言う事が数戦あり、実に歯がゆい思いをしたのをよく覚えています
シフトダウンが下手くそなのが原因でエンジン壊れてたのはエンジニアから指摘されてた
1977年の日本GPのコジマがDUNLOPではなくてGoodyearを履いていたら。。。
77年のコジマ009は、2台ともにブリヂストンタイヤでしたよ。
2004年アメリカGPの琢磨は2年後のハンガリーGPでバトンが状況が違うとはいえ、全く同じ戦略(ステイアウト)で勝ったのがまた...その後のチャンピオンといい、そういう星の運命だったのかなと思っている。
ティレルが品質管理の甘さからレースを失うの、中嶋の時もそうでしたね。リアウイングが飛んでクラッシュや、あと日本GPラストランでステアリングがロックしたのなんて高速コーナーで起こったら命が危ない状況でした。タイヤバリアに突っ込んだとき首がかなり揺れてましたからS字のスピード域でも危ない事故だった。しかし片山右京が失ったレースがそのまま走り続けられたら優勝も狙えていた内容だったのは初めて知りました。
片山選手の94年ドイツに至っては、器材の不備どころかメカニックのミスだったような記憶が…ティレルがトップチームから転落し、結果として消滅していったのはマクラーレンやウイリアムズに比べ、どこかぬるかったからだったのかと未だに考えています
私はタラレバ…が好きです!なので日本人F1ドライバー…少なくともここに出てきたドライバーには勝つチャンスがあったな…と思ってます!長谷見選手は76年は駄目だったとしても、もし77年に出てたら…しかもダンロップかグッドイヤーだったら…。中嶋選手は88年…シャシー性能が良くてエンジンの信頼性があれば…。亜久里選手はフットワーク無限時代…色んな歯車が噛み合えば…。右京選手はトラブルが…無ければ、しかも亜久里選手とも通じますがベネトンへ行ってれば…。世代的に80年代〜90年代が私の全盛期なので印象的なのは、この辺りまでですね。勝つ為に足りない何か…を模索してた時代だったのかな…と思いますね。琢磨選手、可夢偉選手は、いつ勝ってもおかしくないな…という感覚は有りましたがホントに不運……って感じで…。逆に日本人勝てねぇな…と思って今に至ります。希望は持ちたいけど…現状はキビしいかなぁ~…って感じですね。
日本人みな共通すること…速さは本物だがトラブルやミスで肝心なときに結果を残せない。大抵チームが中堅〜下位だけにマシン性能にも限界があるが…常にみな攻めの走りが信条だけにときに状況を読んだ安定した走りに徹することも大事かと…シート争いが困難なときが多い。来季のシートはウワサが出る夏頃に動いても遅い。またトップチームでない限りある程度の“ペイ”の準備が必要。その準備も遅い気がします。亜久里さんと右京さんにはベネトンの誘いもあったみたいですが一方でスポンサー絡みもあったかもしれません。94年時はベネトンのスポンサーのJT(マイルドセブン)は右京さんの個人スポンサーでもありましたし。ヨーロッパと比べクルマ文化やモータースポーツが浸透していない日本人の体質としてもドライバーをF1に送り出すまでは上手くいっても、そこで満足している状態。イイ走りを魅せたら御の字と“勝つ”ために何が必要かわからないのかもしれません。
右京君は、あの時躊躇せずにベネトンの契約書にサインをするべきでした。そうすれば、日本人初の優勝のチャンスは大きく広がっていたでしょうね。
F1の世界において契約年数なんて意味なし…と聞いた事があります。何年契約だろうと他で良い条件があれば鞍替えは当たり前。違約金を支払って終了。多分あの時でもティレルの残りの契約年数の事なんてベネトン 側で何とでもしたのでしょう。しかし右京さんはしなかった。それが右京さんの好きな部分でもあり「黙ってサインしとけば良かったのに…」と思う私もいます。
@@ToyotaTeamARaco 契約年数よりもスポンサーの意向のほうが大きかったそうです日本たばこがフォードエンジンのベネトンよりもヤマハエンジンのティレルに右京を乗せたがったようでそして右京さんはF3000時代からの関係であるJTの意向を断れなかった・・・私としては右京さんよりもスポンサーのほうに対して「日本人が優勝できるならフォードでもいい」と言ってやれる度量があればなぁと
@@三毛猫-d9i そうですね。契約年数なんて意味なし、スポンサー次第で何とかなる。同じJTスポンサーなんだからOKじゃん…なんて当時思ってましたが、ヤマハエンジンも絡んでたのですね。確かに日本人と日本のエンジン、右京選手とヤマハの繋がり…気持ちが分からないわけではないですけどね。かと言ってベネトン ・ヤマハすれば良いってもんでもないですし。ホント、タイミングが悪かったですね。
日本の企業が日本人ドライバーにスポンサーに付いてくれないのが一番残念。日本人贔屓すると海外で売れなくなるとかやってもいないのに変な理由付けをやめて欲しい。レイトンハウスなんて国内でバカ売れしたじゃん。
チーム、マシンに恵まれていなかった右京。悲運の日本人ドライバー😢
日本人の常識に縛られちゃったんだよね。上に行くチャンスがあるなら義理も契約もすっ飛ばすのがあの界隈の常識なのに。
時代も移り変わり、新生日本人ドライバー角田君に夢の実現を期待しています😊
高木虎ノ助…
グロージャンは本当に最悪なドライバーだった
ベネトンの契約を断った右京さんは、後にシューマッハから「ティレルで勝てると思っているのか?」と本気で叱られたそうですね。当時右京さんのファンだった私も、ティレル・ヤマハで勝てると思ってしまったのですが、やはりF1は甘くないですね。それにしても、当時ベネトンと契約して優勝する右京さんを見てみたかったです
タラレバだけど星野一義さんが1990年に二千万払ってベネトンに乗っていたらとんでもないことになっていたでしょうね。※亜久里さんは5位走行だったかな?でもマンセルのトラブルで3位確定で鈴鹿は大騒ぎでした。佐藤琢磨さんはインディ、小林可夢偉さんはWECで才能を開花したからよかったけど・・・グロージャン・ハミルトンともども体当たりが得意で困りものですねw
体当たりはハミルトンよりむしろ琢磨の方が多いイメージ。
結局日本人ってまた F1で優勝してないんだな!
佐藤琢磨選手強いドライバーですよね。しかし勝負はそれまでの積み重ねとその時の運とそれまでの積み重ねかと思います。アマチュアから勝ち続けてステップアップしていった彼等でも勝てなかった、というF1の厳しさを感じますね。
グロージャンはマジで邪魔だったなって思う
積まれいるヤマハエンジンの栄誉を考えれば、右京さん…ダブルで悔しいかっただろうね。
うーん・・・生きてる間に日本人がF1で勝利するレースを見られるのだろうか。
この中で一番印象的なのはロベルトモレノ涙の2位表彰台(笑)
琢磨は運がなかったし、可夢偉はお金がなかった…
小林選手は、ほんまそれ…キャラクターは好きになれなかったけど、彼は可能性を見せていたと思います
1993年の鈴木亜久里さんも予選では速さが光ってたのに決勝では結果に結びつかないそんなシ-ズンでしたね1989年のポルトガルGPの中嶋さんの速さ、走りもかなりいいものでした✨決勝の朝のフリー走行では、トップタイムでした。
浮き沈みが激しい亜久里選手が好調に転じたのでもしかしたらと思いましたが、残念ながらマシンの信頼性があまりに低かったですね…ただ、マシンが持ち堪えていても93年はウイリアムズの2人、シューマッハ、セナ、ラスト3戦はハッキネンまで加わってと、地力が違うマシン・ドライバーが居並んでいたので優勝までは届かなかったかも知れませんね
小林可夢偉のベルギーは、あのクラッシュが無く完走してたらどうなってたか未だに気になります
ポールスタートのバトンがそのまま勝ったこととザウバーのスパでのペースを考えると、順当に行けばバトンと優勝争いをしていたのかな…と思ってます。
ありがとうございます 。
ニュルで佐藤琢磨が2位だった予選を見ていました。予選中、周りのドイツ人サポーターが私に「Satoはいま何位?」と何度も聞いてきました。1位のマイケル・シューマッハとの順位を気にしていたのです。決勝はがっかりでしたが。
去年、フジテレビNEXTで日本人ドライバーが活躍した過去のレースを本人と振り返る番組があって、片山右京がこの動画のドイツGPを振り返っていた。そこで右京本人があのスロットルトラブルの真相を語ってたんだけど、その話を聞いて心の底から愕然としたね。動画でも触れてる通り、メカニックがスロットルバルブを固定するナットに規定のトルクをかけていなかったんだ。ボルトやナットには、どれくらいの力の強さで固定部品を締め付けれるのかという数値が国際規格で決まっていて、それに従わないと当然固定した部品はグラついたり、外れたりしてしまう。だからそれらを使用するときは、トルクレンチで決まった強さで固定具を締め付けて、その後に緩みチェックのための印をつけておくものなんだ。こんなの機械整備の基本中の基本だ。ただ、ミスがあったのがスロットルバルブだったのは幸運だったよ。ブレーキやサスペンションの部品だったら大怪我をしていたかもしれない。ミハエルがシルバーストーンで骨折をして、シーズンを棒に振ったことがあったけど、アレもブレーキのニップルをしっかり締めてなかったせいで起きたクラッシュだったからな。
F1は色んな要素があるからこそタラレバifを言いたくなりますよね中嶋がもし腕力をそこまで必要としないセミオートマパワステ時代の車に乗ってたらどうなってたのか?なにより見てみたいですね
そこは気になる。セナやプロストほどではなくても、パニスみたいな感じにはなれたのかもって思う。
引退後に中嶋さんがステアリングの重さについて語った時、ホンダのスタッフが「なぜ当時に言ってくれなかったんだ。中嶋さん用にパワステを作ったのに」と言ってた…と聞いた事があります。また、雨のレースは体への負担が少なくなるとも聞いた事があり、だとするならば腕力のハンデが無ければすごい速いドライバーという事に…。まぁ、私はそう思ってますが。
パニスくらいはかなり評価高いホンダの中嶋専用パワステなんて話があったのですね~F2で一緒に戦ったブーツェンが「中さんF1にきてどうしちゃったの?」と言うくらいだから速さは持ってたのに出しきれなかった環境が惜しい
2020年に更新されるまでニュルGPコース最速だった琢磨選手。2004年のヨーロッパGP、当時の予選フォーマットじゃなければ琢磨選手がPP取れたんじゃないかと思います。
あのときの右京だったらベネトンのマシンなら一回ぐらい勝てたよなあれは右京だけでなく日本人ドライバーにとっての最初で最後のビッグチャンスだった94年の右京はマジで一番速かった
94年はイモラやモナコなど重大事故があり悲壮なシーズンでしたがタイレル片山の走りには光明があった
琢磨と右京と小林は運に恵まれず勝てなかったレース中嶋は運に恵まれて4位になったレース
インジャパン以外は全て観てますが、後にも先にも右京しかチャンスはありませんでした。雨のオーストラリアも鈴鹿の3位も当時はドキドキしながら観ていたけど優勝できたな!とは思わなかった。2000年代は惜しいとも思わなかった。1994年の右京は別格。その後チャンピオンマシンを持つチームからの誘いが来たのが何よりの証拠。ただベネトンのマシーンに乗って優勝出来たか?はわかりません。かなり前側に寄ったセッティングのスペシャルカーだったと思うので...個人的には中嶋さんの大ファンですw
F1ほど、運も実力ってのはないですね
ル・マンも〜
タクマがリタイアしたモナコGPを完走していたらイケたと思うね。それから、もしも星野一義御大がフルにF1で走っていたら日本人ドライバーのイメージは変わっていたと今でも思う…😓
片山右京の乗ってた時のティレルYAMAHAは中嶋悟が乗ってたティレルHONDAより速かったなあ〜YAMAHAエンジンの方が軽かったもんなあ 小林可夢偉はTOYOTAでデビューしたけど撤退したのが運がなかったな今はル・マンで活躍してるけど 今やHONDAもYAMAHAもTOYOTAも無いF-1 日本人が上位に行く可能性はみるみる無くなったなあ
佐藤 琢磨は04年のヨーロッパGPも優勝する可能性があったと思います(一周目にトゥルーリと接触してなかったら…)。中嶋さんは優勝出来なかったとよりも、日本人初のファステストラップを取ったのが印象的です。
雨の中嶋って言われてましたからね。
解説にもありましたけど、あの年のロータスはポンコツエンジンなんて言われてましたからね。
中嶋だろうね。中身が突出してる。
マイセンもスポンサーだったのか
亜久里さんの3位入賞はチームの レギュレーション違反が発覚してますよね?当時リアルタイムで観てましたちなみに 私はナイジェルマンセルが大好きでした
亜久里選手、と言うよりラルースの違反ですね。本来コンストラクターとしてシャシーを制作したローラの名で参戦しなければならなかったところ、チーム名のラルースで登録していたのをシーズン終了後に同じフランスのリジェが難癖つけるように訴えて、リジェの代表だったG.リジェの後盾的な存在だった当時のFIA会長が動いてコンストラクターズランキングを抹消されたってのが1990年の結末だったと記憶しています。だったら同じ体制で参戦していた前年までは何だったのと言いたくなる出来事でしたが、当時のF1はそんな雰囲気でしたね。で、亜久里選手の走り自体がインチキだったわけではないので、3位は幸運と粘りの走りがもたらした結果だと思いますよ
まあみんな世界とは差があるなぁってイメージ。
チームに恵まれてたら右京は1勝はしてた気がする。ベネトンでミハエルのセカンドを務めたら更に優勝したろう。琢磨は下位カテゴリーでセナの記録を総なめにしてF1に乗り込んだがルーキーイヤーフィジケラに全く敵わなかった。2004年競争力のあるBARでバトンはランキング3位に対してランキング6位ないだろ。世紀の期待外れの烙印を捺された。まあ右京に関してもタラレバだけど。
タラレバじゃない、結果が全ての世界だから、なおのこと、悔やまれるよね。
KEって京都滋賀ではいい評判聞かなかったけど勘違い?
そもそも本当に右京にベネトンからの真剣なオファーはあったのか?当時の雑誌とかでその報道が加熱していた記憶が殆どない。普通に考えて右京とハーバートならハーバート選ぶしね。右京は広東風炒飯サインの話とかウケ狙いで誇張する癖があるしティレルを放出された時も「トップチームからもオファーがある」とか言いながら結局ミナルディに拾われてるわで発言はイマイチ信用できん
本当に勝手な考えですが、日本人は「譲る」という美徳があるので、一対一の競技には不向きな部分があるのでは⁉️ 野球やサッカーは団体競技だから、勝ち目があるように思います。あくまでも、個人的な考え方です‼️ ともかく、2回もインディを征した、琢磨は素晴らしいですね‼️
そんなこと言ったらボクシングとかレスリングはどうなるんですかね…
ぜんぜん話は変わりますがMTカテゴリークラス、ありですかね~。望み。
カーレース界の凱旋門賞 とも言えるでしょう✋白人の有色人種には何が何でも優勝などさせないぞという念が渦巻いていてそれをもろに抜けてしまっているんでしょうね❓それと運も実力の世界☺️陸上短距離走は絶望的ですが、悲願の競馬と カーレースの頂点を極める日本人一刻も早く現れること皆で願いましょう✌️😁✋
日本人F1ドライバーって個性的なお名前が多いですよね、そしてその大半が幼少時からカートの経験をお持ちだし…やはりフォーミュラで競うにハコ車の経験は言うに及ばずカート経験の有無は大事なのかな?と思います。
レーシングカートがフォーミュラに近いのかそのまた逆なのか。ハコのドライバーはハコというイメージはやはりちょっとありますね。ラリーやナスカーは除いてほとんどの競技が気づけばフォーミュラ系ドライバーばかり。
@@user-td2nr4ni3 個人的には世界でイチバン疾いカートがformula1と言うカテゴリーだと思っております。
亜久里、右京、隆千穂、虎之助、左近、琢磨、可夢偉・・・・・あらためて見ると確かに個性的な名前が多い!たいていはカート経験を持ってますが、右京のようにFJ1600からスタート、あるいは琢磨のように20歳そこそこでカートを始めるといった例もありますね。
@@tanurinra7409 もっと日本に少年野球やサッカーチームのようにカートが根付けば日本人World championも夢ではありませんネ(^^)
やはり自分もカートをやってたので痛感するんですが、ハコは重さを上手く使わないといけないのと、ロールがカートの研ぎ澄まされた?感覚から、まるでバスか!ってくらいロール速度の遅さと移動量がとにかく怖いんですよね。特にノーマル車みたいな柔らかい足の車になる程に難しいです。その辺の感覚?がカート上がりがフォーミュラで通じる傾向なんでしょうね。
過去の事を残念がっても仕方ない。是非とも角田君にこれまでの無念を晴らしてもらいたいです。将来レッドブルに昇格できるような事があればチャンスはあるはず。
たらればはなしやわ
右京さんがAS+Fでの連載コラムで、1994年ドイツGPを振り返って、「クソっ!10ポイント(当時の優勝の獲得ポイント)損した!」と仰っていました。僕は4ポイント(当時の3位の獲得ポイント)だと思っていたけど、1つでも上の順位を狙って、果敢な走りをする右京さんらしいと思いました。
夢見せてもらえたのは、右京氏と可夢偉氏だけ。あとは、、、
たら、れば……。🤔🏎️
正直日本人ドライバーが優勝するには、国籍をコネとしたシート獲得ではなく、純粋に実力でシートを得られるようにすべきではないかと思う。小林を除いて、国籍を背景としたシート獲得が半ば常識となってるので...製造国と国籍のお陰でホンダやトヨタ製などのシートは得られるけど、それ以外の国のマシンには実質的に乗ることができてないし。
小林選手はトヨタの後ろ盾で登場しましたが、すぐにトヨタは撤退してしまい、コネを超えたところで頑張っていましたよね。資金が尽きなければ、もっと成長していたのではないかと今でも残念に思うドライバーでした。それ以外では右京選手がイタリアのコンストラクター、イギリスのエンジンという体制のミナルディに乗ったのが日本のエンジンコンストラクターに無縁の起用だったと思いますが、あれはベネトンからの誘いを断った後も誘われたことに義理を感じていた彼がブリアトーレ氏がオーナーとなったミナルディに加わったのだという説があり、日本の枠組みではないけどコネクションで得たシートと言えるのかもしれませんね
中嶋悟さんはウェットの路面状態で決勝レースで上位にいました鈴木亜久里さんは鈴鹿のコースに慣れているので表彰台の3位を獲得しました日本人ドライバーだけではなく全日本F3000出身のドライバーは鈴鹿のコースは速さを見せました
よく言われる話かも知れませんが、勝負に勝てた「はず」や、たられば、は無いです。そんな話は結果的にそのレースの勝者に失礼かと思います。
優勝者が普通に「彼がリタイヤしたおかげで勝てた」とか平気で言いますよ。
ファンが勝手にUA-camでタラれば語ってる程度のものに、失礼もへったくれもない。こんなもので一体誰を不快にするのかっていう。
むなしい、近づいたとか惜しかったとか勝負の世界では無意味。メカニックスポンサードライバー監督全て合わせてとのコンストラクターだよ。
右京さん94年に一回でいいから表彰台に登ってほしかったなぁ。ジョーダンのバリチェロとアーバインのつばぜり合いではじき出されたハンガリーGPも完走したらどうなったか興味アリアリです
ホッケンハイムは大チャンスだったんですがねえ。大荒れの中でフェラーリのベルガーが勝ち、苦しんでいたリジェの2人が2位・3位になりましたが、あそこで生き残っていたらベルガー相手なら一発大勝負できたんじゃないかなと今でも思っています
鈴木亜久里さんの表彰台は中学校の卒業アルバムの裏の日本人快挙アスリートに載ってました!F1ブームもあり盛り上がってましたね😆
BAR006はシーズン前のテストから速かったなー。琢磨もスピードではバトンを圧倒してたんだよな。それがエンジンに負荷かけ過ぎてリタイア多かったのかもしれないけど。
佐藤琢磨と小林可夢偉は強さあるドライバーだったと思うけど運とかに恵まれなかったな…と思う
佐藤は絶頂期のBARですら表彰台1回だけの腕なのでともかく、小林はもう少し運が良ければフェラーリで優勝できたんじゃないかと思える程の腕なので...特にルマンでは圧倒的な腕を見せてますし。
@@Reichssophist 2004年の琢磨は腕というより尽くトラブルに見舞われたって感じですけどね
琢磨はインディで勝ってるし、運はあると思うけどな〜
日本ではブームがとっくに終わってますしね…
片山右京も運があったとは言えないかなぁと・・・スライドバルブの締め忘れとか有り得ないでしょう
右京のドイツよりも、
イタリアのインパクトが強烈でした。
マクラーレンで速さを増していたハッキネンを一回目は鋭い動きで抜き去り、
2回目はマシンを右に左に振って「遅い奴はどけ」とばかりにオーバーテイク、
ハッキネンのオンボードに右京のマシンが映された映像は、
チャンピオンレベルのオーラが漂ってました。
レース後にハッキネンは「あの日本人は何だ!?」と周囲に聞いて回ってたそう。
このレース、最後はその右京に二度オーバーテイクされたハッキネンが3位表彰台でしたね。リタイアしてなければ右京の初表彰台もあったかもしれません。
右京より先にチームメイトのブランデルがリタイアしてたけど、最初どっちがリタイアしてたのかわからなくて、実況の三宅アナが興奮しながら「どっちだ?どっちだ?」と叫んでて、ブランデルだとわかると一気に落ち着いてたのが当時面白かったです。
数日前にがんの診断(後に誤診と知る)をされ、真の神風になってた時ね
コジマのフォーミュラカーに乗った長谷見、星野、高原、ロズベルグ、ピローニ、高橋国光、片山etcいずれ劣らぬ強者揃い。78日本GPが開催されていたらとか、コジマで風洞が使えていたらとか、実際、たった2回の参戦で終わってしまったのが残念でした。幻のウイングカーF1、KE010、完成した姿が見たかったですね!!😌
死ぬまでにF1ドライバーと凱旋門賞の初優勝を、観たい…
悔しくて眠れなかったレースがいくつもあった。 トップチームに行けるチャンスがあれば違約金払おうが憎まれようが行くべきだよね、04年は中盤戦までマクラーレンとウィリアムズが低迷していたからチャンスは何回もあったし。 日本人ドライバーってなんで間が悪いんだろうか。
右京さんがベネトンに行っていたら 何回か優勝できていたんだろうなと思う。
片山右京 は ベネトンに行っとけばよかったのに
あぐりの表彰台はめちゃめちゃ嬉しかった
ミハエル・シューマッハからも誘われて、ベネトンから直接サインしろとまで言われたのにね
日本タバコや古巣に配慮したのは日本人らしいが日本人初優勝を見たかった
@@ネコのま
シューマッハがエースドライバーとして君臨していたから下克上の許されないセカンド ドライバーになってたんだろうけど
それでも年に何回かはシューマッハのリタイアでタナボタ 優勝のチャンスがあったかもしれないね
正直日本のファンだと、日本人ドライバーが外国製のマシンに乗ると難色を示し出すし。
そういう発想が当然とされてたから、スーパーアグリができた時大人気になったわけだし。
@@thomasomalley1691 セッティングはみせない、嫁同士しゃべるな、チームオーダー、その他ひどい待遇でしたでしょうけど、ヒルとマイケルが接触事故した英国GPでハーバートが優勝してますから、チャンスはあったかもしれません。そうすればベネトンから戦闘力のあるチームへの移籍も可能だったかも、ほんとに残念です。
@@ネコのま ピアストリみたいなメンタルが日本人にほしい。義理は違約金で返せばいいくらいのメンタルが必要と思います
ベルギーでのグロージャンミサイルは未だに解せない…あれが無ければ…と思うも仕方ない…
一番惜しかったのは、間違いなく94年の右京の西ドイツGP。1回目のスタートでも、赤旗再スタートの2回目のスタートでも、2度もシューマッハをぶち抜いた、あのレースは間違いなく右京が勝つ!って超興奮した。でも、カメラが切り替わった瞬間、逆向きに止まっていた右京のマシンが。。。
あとは、やっぱり89年のアデレードの中嶋。
国際放送の実況が「NAKAJIMA!NAKAJIMA!unbelievable!」を連呼してた、あの雨の中嶋は、本当に震えながら見ていました。雨を吸ってしまうだけじゃなく、エキマニが割れてたんですよね。あともう少しで表彰台、あのレースは本当に痺れました。
1976年のF1世界選手権イン・ジャパンでは長谷見の他にも、型落ちのティレルで参戦したヒーローズの星野一義も一時3位を走り注目を集めましたね。
ティレル007コスワースにブリヂストンタイヤの組み合わせでしたね。
タイヤが足りなくて交換できなくてリタイヤはちょっと可哀想
確か、レインタイヤが無くて、それ以上走れなかったんですよね。星野選手は悔しくて、しばらくマシンから降りなかったと聞いてます。
あのティレル007で翌年の日本GPに高橋国光がスポット参戦して、中古マシンながらも見事に完走。その時のエピソードを国さんが嬉しそうに話していた姿が、今でも僕の脳裏に焼き付いています!!🥲
必要な時に必要な場所にいる。これこそ人生の宿命。結局、チャンプになれる人、人生の成功者になれる人の差がここにある。
今でも94年のティレル・ヤマハのマシンに信頼性が備わっており、メカニックが間抜けなミスをしなかったなら…と残念に思います。ついでにジョーダン・ハートの2人の張り合いに巻き込まれていなければ片山選手が1つくらいは…と思うところです。あとは数名の方が仰る通り、小林選手の資金が途切れなければとも。ただ、私はドライビングスタイルやセッティングの好みを考えると、95年のベネトン・ルノーに行っていても片山選手は難しかったように考えています。オーバーステアで繊細過ぎるマシンには合わなかったんじゃないかと
ティレル022は個人的に一番好きなマシン、デザイン・カラーリング・フォルム全てが美しい。
単純にF1の視点からみたらスポンサーが少ない地味なカラーリング…なんですが、カッコいいですよね。そして走れば速いんだからなおさら。
やっぱり雨の中嶋!サイコー!
1989年 土砂降りのアデレードでの中嶋さんの走りは素晴らしかった
3位のパトレーゼに何度もアタックしましたが巻き上げられた水煙の勢いに加えて パトレーゼの捨てバイザーが偶然にも中嶋さんのバイザーに貼り付いて前方が見えなくなりアタック不能になったんだそうです
あのクソマシン(ロータスジャッド)であれでしたからねぇ~・・・。
もし、中嶋さんがこの年も”ロータスホンダ”だったらパトレーゼさんに勝ってましたよ・・・たぶん。
ベネトンの契約を断った右京さんは、後にシューマッハから
「ティレルで勝てると思っているのか?」と本気で叱られたそうですね。
当時右京さんのファンだった私も、ティレル・ヤマハで勝てると思ってしまったのですが、やはりF1は甘くないですね。
それにしても、当時ベネトンと契約して優勝する右京さんを見てみたかったです!
ミハエル・シューマッハからも誘われて、ベネトンから直接サインしろとまで言われたのにね
日本タバコや古巣に配慮したのは日本人らしいが日本人初優勝を見たかった
中嶋さんは参加した時の年齢がもう少し若ければ、もっといい結果が出たかもしれない。或いはもう少し早い時期のF1ならとか思ってしまう。
片山さんは、トップチームのアクシデントや雨などの天候にかかわらず優勝できるんじゃないかと思ったドライバー。もし契約の件がうまくいってベネトンに乗っていたら確実に優勝もできたと思うし、ドライバーズチャンピオンシップも上位にいたと思う。
佐藤琢磨はマシントラブルさえなければ、表彰台の常連だっただろうし、普通に優勝もあり得た
たらればは意味無いけどやはり94年の右京かなぁ。この年の活躍で翌95年のベネトン移籍が実現仕掛けたのに契約を優先させてティレルに残ったのがね………………95年11勝したマシンに乗れるチャンスがあった事を考えると残念で仕方ない。
シューマッハの独特な好みに合わせ過ぎたベネトンのマシンには右京でも苦しんだと思うので互角に戦ってタイトルを争うのは難しかったと思いますが、ハーバートが実現したのと同様にシューマッハの取りこぼしを拾うことはできただろうと思いますよ
2012スパのグロージャンミサイルは残念だったなぁ
可夢偉だけでなく、タイトル争い中心にいたアロンソもリタイアに追い込まれた
アロンソのシーズン中の2度のリタイアはどっちもロータスに追突されてのリタイアなんだよね・・・
レースにたらればは禁物だけど本当にこれが無ければ・・・
正直、F1は日本人が勝てないようになってると思ってる。
04年の佐藤琢磨は彼自身の至らない点も多々あったと思うが、「HONDAの七光りで走るイエローモンキー」っていう見方をされたがために、失った舞台や奪われたチャンスも沢山あったと思う。
中嶋選手とホンダ、亜久里選手とジャパンバブルマネー&無限、片山選手とヤマハ&JT、琢磨選手と無限&ホンダと、日本人ドライバーのF1との関わりはどうしても日本企業の七光りという目で見られていたのは残念だと感じますが、所詮白人文化なんだと割り切るしかないんでしょうね…その点では小林選手がかろうじてメーカー支援抜きで健闘したと言えるように思いますが、結局持ち込み資金がネックになってシートを失ってしまったのは勿体なかったと思っています。琢磨選手はバトン選手に比べて正直に言って見劣りしていたと思うし、フェラーリを出たバリチェッロに押し出されてしまったのは仕方がなかったと考えていますが、いまではインディ500のマルチウイナーに辿り着いたのだから、ヨーロッパフォーミュラでの苦労が実ったんじゃないかなと…
鈴木亜久里が表彰台に立ったRで(もちろんめちゃくちゃ嬉しかったけど)、苦労人モレノが喜びの涙にひたりそれをピケが祝福する光景は印象深かったです
この右京のレースはマンガ家の曽田正人さんもすげえ推してるな
トヨタが撤退せず可夢偉君を起用してたら優勝してたと思う、日本人ドライバーを日本企業がもっと応援してあげないと勝てないよ、残念です
2010はただでさえ空力的にすごいマシンって言われてましたからね
あと1年だったのに・・・
多分それが一番可能性が高かった気がする。
6位入賞時代はトップチームでもマシントラブルは普通で、
中段下位チームも毎度ワンチャンあって
レースは最後の最後まで分からないと
ハラハラドキドキしながら観てた思い出
トップチームより下位チームの方応援してたし
今は雨乞いするくらいしか出来ない
バドエルがポイント圏内走っててトラブルでリタイヤして泣いてたの思い出した
長谷見昌弘がレース後のインタビューで日本人でもやれるって言ってのを聞いた高原敬武は、たった一戦走ってそれも地元レースでそんな事言うのが大きな間違いだって言ってたのが印象深いです。佐藤琢磨はBAR時代もっと慎重な走りをしてたら表彰台回数も増えてトップチームからのオファーもあったのではと思います。当時チームメイトだったバトンは後にチャンピオンになってますし😊後はやっぱり金の問題かな😣
中嶋さんねぇ、予選も雨だったらセナとフロントロー、たぶん、勝ってたね。
2004年のBARでは、なぜか佐藤琢磨のマシンにばかりトラブルが発生し、ジェンソンのマシンはノートラブルと言う事が数戦あり、実に歯がゆい思いをしたのをよく覚えています
シフトダウンが下手くそなのが原因でエンジン壊れてたのはエンジニアから指摘されてた
1977年の日本GPのコジマがDUNLOPではなくてGoodyearを履いていたら。。。
77年のコジマ009は、2台ともにブリヂストンタイヤでしたよ。
2004年アメリカGPの琢磨は2年後のハンガリーGPでバトンが状況が違うとはいえ、全く同じ戦略(ステイアウト)で勝ったのがまた...その後のチャンピオンといい、そういう星の運命だったのかなと思っている。
ティレルが品質管理の甘さからレースを失うの、中嶋の時もそうでしたね。リアウイングが飛んでクラッシュや、あと日本GPラストランでステアリングがロックしたのなんて高速コーナーで起こったら命が危ない状況でした。タイヤバリアに突っ込んだとき首がかなり揺れてましたからS字のスピード域でも危ない事故だった。しかし片山右京が失ったレースがそのまま走り続けられたら優勝も狙えていた内容だったのは初めて知りました。
片山選手の94年ドイツに至っては、器材の不備どころかメカニックのミスだったような記憶が…ティレルがトップチームから転落し、結果として消滅していったのはマクラーレンやウイリアムズに比べ、どこかぬるかったからだったのかと未だに考えています
私はタラレバ…が好きです!
なので日本人F1ドライバー…少なくともここに出てきたドライバーには勝つチャンスがあったな…と思ってます!
長谷見選手は76年は駄目だったとしても、もし77年に出てたら…しかもダンロップかグッドイヤーだったら…。中嶋選手は88年…シャシー性能が良くてエンジンの信頼性があれば…。亜久里選手はフットワーク無限時代…色んな歯車が噛み合えば…。右京選手はトラブルが…無ければ、しかも亜久里選手とも通じますがベネトンへ行ってれば…。世代的に80年代〜90年代が私の全盛期なので印象的なのは、この辺りまでですね。
勝つ為に足りない何か…を模索してた時代だったのかな…と思いますね。琢磨選手、可夢偉選手は、いつ勝ってもおかしくないな…という感覚は有りましたがホントに不運……って感じで…。逆に日本人勝てねぇな…と思って今に至ります。希望は持ちたいけど…現状はキビしいかなぁ~…って感じですね。
日本人みな共通すること…
速さは本物だがトラブルやミスで肝心なときに結果を残せない。大抵チームが中堅〜下位だけにマシン性能にも限界があるが…
常にみな攻めの走りが信条だけにときに状況を読んだ安定した走りに徹することも大事かと…
シート争いが困難なときが多い。
来季のシートはウワサが出る夏頃に動いても遅い。またトップチームでない限りある程度の“ペイ”の準備が必要。その準備も遅い気がします。
亜久里さんと右京さんにはベネトンの誘いもあったみたいですが一方でスポンサー絡みもあったかもしれません。
94年時はベネトンのスポンサーのJT(マイルドセブン)は右京さんの個人スポンサーでもありましたし。
ヨーロッパと比べクルマ文化やモータースポーツが浸透していない日本人の体質としてもドライバーをF1に送り出すまでは上手くいっても、そこで満足している状態。イイ走りを魅せたら御の字と“勝つ”ために何が必要かわからないのかもしれません。
右京君は、あの時躊躇せずにベネトンの契約書にサインをするべきでした。
そうすれば、日本人初の優勝のチャンスは大きく広がっていたでしょうね。
F1の世界において契約年数なんて意味なし…と聞いた事があります。何年契約だろうと他で良い条件があれば鞍替えは当たり前。違約金を支払って終了。
多分あの時でもティレルの残りの契約年数の事なんてベネトン 側で何とでもしたのでしょう。しかし右京さんはしなかった。それが右京さんの好きな部分でもあり「黙ってサインしとけば良かったのに…」と思う私もいます。
@@ToyotaTeamARaco
契約年数よりもスポンサーの意向のほうが大きかったそうです
日本たばこがフォードエンジンのベネトンよりもヤマハエンジンのティレルに右京を乗せたがったようで
そして右京さんはF3000時代からの関係であるJTの意向を断れなかった・・・
私としては右京さんよりもスポンサーのほうに対して
「日本人が優勝できるならフォードでもいい」と言ってやれる度量があればなぁと
@@三毛猫-d9i
そうですね。契約年数なんて意味なし、スポンサー次第で何とかなる。同じJTスポンサーなんだからOKじゃん…なんて当時思ってましたが、ヤマハエンジンも絡んでたのですね。確かに日本人と日本のエンジン、右京選手とヤマハの繋がり…気持ちが分からないわけではないですけどね。かと言ってベネトン ・ヤマハすれば良いってもんでもないですし。ホント、タイミングが悪かったですね。
日本の企業が日本人ドライバーにスポンサーに付いてくれないのが一番残念。
日本人贔屓すると海外で売れなくなるとかやってもいないのに変な理由付けをやめて欲しい。
レイトンハウスなんて国内でバカ売れしたじゃん。
チーム、マシンに恵まれていなかった
右京。
悲運の日本人ドライバー😢
日本人の常識に縛られちゃったんだよね。上に行くチャンスがあるなら義理も契約もすっ飛ばすのがあの界隈の常識なのに。
時代も移り変わり、新生日本人ドライバー
角田君に夢の実現を期待しています😊
高木虎ノ助…
グロージャンは本当に最悪なドライバーだった
ベネトンの契約を断った右京さんは、後にシューマッハから
「ティレルで勝てると思っているのか?」と本気で叱られたそうですね。
当時右京さんのファンだった私も、ティレル・ヤマハで勝てると思ってしまったのですが、やはりF1は甘くないですね。
それにしても、当時ベネトンと契約して優勝する右京さんを見てみたかったです
タラレバだけど星野一義さんが1990年に二千万払ってベネトンに乗っていたらとんでもないことになっていたでしょうね。
※亜久里さんは5位走行だったかな?でもマンセルのトラブルで3位確定で鈴鹿は大騒ぎでした。
佐藤琢磨さんはインディ、小林可夢偉さんはWECで才能を開花したからよかったけど・・・
グロージャン・ハミルトンともども体当たりが得意で困りものですねw
体当たりはハミルトンよりむしろ琢磨の方が多いイメージ。
結局日本人ってまた F1で優勝してないんだな!
佐藤琢磨選手強いドライバーですよね。
しかし勝負はそれまでの積み重ねとその時の運とそれまでの積み重ねかと思います。
アマチュアから勝ち続けてステップアップしていった彼等でも勝てなかった、というF1の厳しさを感じますね。
グロージャンはマジで邪魔だったなって思う
積まれいるヤマハエンジンの栄誉を考えれば、右京さん…ダブルで悔しいかっただろうね。
うーん・・・生きてる間に日本人がF1で勝利するレースを見られるのだろうか。
この中で一番印象的なのはロベルトモレノ涙の2位表彰台(笑)
琢磨は運がなかったし、可夢偉はお金がなかった…
小林選手は、ほんまそれ…キャラクターは好きになれなかったけど、彼は可能性を見せていたと思います
1993年の鈴木亜久里さんも予選では速さが光ってたのに決勝では結果に結びつかない
そんなシ-ズンでしたね
1989年のポルトガルGPの中嶋さんの速さ、走りもかなりいいものでした✨
決勝の朝のフリー走行では、トップタイムでした。
浮き沈みが激しい亜久里選手が好調に転じたのでもしかしたらと思いましたが、残念ながらマシンの信頼性があまりに低かったですね…ただ、マシンが持ち堪えていても93年はウイリアムズの2人、シューマッハ、セナ、ラスト3戦はハッキネンまで加わってと、地力が違うマシン・ドライバーが居並んでいたので優勝までは届かなかったかも知れませんね
小林可夢偉のベルギーは、あのクラッシュが無く完走してたらどうなってたか未だに気になります
ポールスタートのバトンがそのまま勝ったこととザウバーのスパでのペースを考えると、順当に行けばバトンと優勝争いをしていたのかな…と思ってます。
ありがとうございます 。
ニュルで佐藤琢磨が2位だった予選を見ていました。予選中、周りのドイツ人サポーターが私に「Satoはいま何位?」と何度も聞いてきました。1位のマイケル・シューマッハとの順位を気にしていたのです。決勝はがっかりでしたが。
去年、フジテレビNEXTで日本人ドライバーが活躍した過去のレースを本人と振り返る番組があって、片山右京がこの動画のドイツGPを振り返っていた。
そこで右京本人があのスロットルトラブルの真相を語ってたんだけど、その話を聞いて心の底から愕然としたね。
動画でも触れてる通り、メカニックがスロットルバルブを固定するナットに規定のトルクをかけていなかったんだ。
ボルトやナットには、どれくらいの力の強さで固定部品を締め付けれるのかという数値が国際規格で決まっていて、それに従わないと当然固定した部品はグラついたり、外れたりしてしまう。
だからそれらを使用するときは、トルクレンチで決まった強さで固定具を締め付けて、その後に緩みチェックのための印をつけておくものなんだ。こんなの機械整備の基本中の基本だ。
ただ、ミスがあったのがスロットルバルブだったのは幸運だったよ。ブレーキやサスペンションの部品だったら大怪我をしていたかもしれない。
ミハエルがシルバーストーンで骨折をして、シーズンを棒に振ったことがあったけど、アレもブレーキのニップルをしっかり締めてなかったせいで起きたクラッシュだったからな。
F1は色んな要素があるからこそタラレバifを言いたくなりますよね
中嶋がもし腕力をそこまで必要としないセミオートマパワステ時代の車に乗ってたらどうなってたのか?
なにより見てみたいですね
そこは気になる。セナやプロストほどではなくても、パニスみたいな感じにはなれたのかもって思う。
引退後に中嶋さんがステアリングの重さについて語った時、ホンダのスタッフが「なぜ当時に言ってくれなかったんだ。中嶋さん用にパワステを作ったのに」と言ってた…と聞いた事があります。
また、雨のレースは体への負担が少なくなるとも聞いた事があり、だとするならば腕力のハンデが無ければすごい速いドライバーという事に…。まぁ、私はそう思ってますが。
パニスくらいはかなり評価高い
ホンダの中嶋専用パワステなんて話があったのですね~
F2で一緒に戦ったブーツェンが「中さんF1にきてどうしちゃったの?」と言うくらいだから速さは持ってたのに出しきれなかった環境が惜しい
2020年に更新されるまでニュルGPコース最速だった琢磨選手。
2004年のヨーロッパGP、当時の予選フォーマットじゃなければ
琢磨選手がPP取れたんじゃないかと思います。
あのときの右京だったらベネトンのマシンなら一回ぐらい勝てたよな
あれは右京だけでなく日本人ドライバーにとっての最初で最後のビッグチャンスだった
94年の右京はマジで一番速かった
94年はイモラやモナコなど重大事故があり悲壮なシーズンでしたがタイレル片山の走りには光明があった
琢磨と右京と小林は運に恵まれず勝てなかったレース
中嶋は運に恵まれて4位になったレース
インジャパン以外は全て観てますが、後にも先にも右京しかチャンスはありませんでした。
雨のオーストラリアも鈴鹿の3位も当時はドキドキしながら観ていたけど優勝できたな!とは思わなかった。
2000年代は惜しいとも思わなかった。
1994年の右京は別格。その後チャンピオンマシンを持つチームからの誘いが来たのが何よりの証拠。
ただベネトンのマシーンに乗って優勝出来たか?はわかりません。
かなり前側に寄ったセッティングのスペシャルカーだったと思うので...
個人的には中嶋さんの大ファンですw
F1ほど、運も実力ってのはないですね
ル・マンも〜
タクマがリタイアしたモナコGPを完走していたらイケたと思うね。それから、もしも星野一義御大がフルにF1で走っていたら日本人ドライバーのイメージは変わっていたと今でも思う…😓
片山右京の乗ってた時のティレルYAMAHAは中嶋悟が乗ってたティレルHONDAより速かったなあ〜YAMAHAエンジンの方が軽かったもんなあ 小林可夢偉はTOYOTAでデビューしたけど撤退したのが運がなかったな今はル・マンで活躍してるけど 今やHONDAもYAMAHAもTOYOTAも無いF-1 日本人が上位に行く可能性はみるみる無くなったなあ
佐藤 琢磨は04年のヨーロッパGPも優勝する可能性があったと思います(一周目にトゥルーリと接触してなかったら…)。
中嶋さんは優勝出来なかったとよりも、日本人初のファステストラップを取ったのが印象的です。
雨の中嶋って言われてましたからね。
解説にもありましたけど、あの年のロータスはポンコツエンジンなんて言われてましたからね。
中嶋だろうね。中身が突出してる。
マイセンもスポンサーだったのか
亜久里さんの3位入賞は
チームの レギュレーション違反が
発覚してますよね?
当時リアルタイムで観てました
ちなみに 私は
ナイジェルマンセルが大好きでした
亜久里選手、と言うよりラルースの違反ですね。本来コンストラクターとしてシャシーを制作したローラの名で参戦しなければならなかったところ、チーム名のラルースで登録していたのをシーズン終了後に同じフランスのリジェが難癖つけるように訴えて、リジェの代表だったG.リジェの後盾的な存在だった当時のFIA会長が動いてコンストラクターズランキングを抹消されたってのが1990年の結末だったと記憶しています。だったら同じ体制で参戦していた前年までは何だったのと言いたくなる出来事でしたが、当時のF1はそんな雰囲気でしたね。で、亜久里選手の走り自体がインチキだったわけではないので、3位は幸運と粘りの走りがもたらした結果だと思いますよ
まあみんな世界とは差があるなぁってイメージ。
チームに恵まれてたら右京は1勝はしてた気がする。
ベネトンでミハエルのセカンドを務めたら更に優勝したろう。
琢磨は下位カテゴリーでセナの記録を総なめにしてF1に乗り込んだがルーキーイヤーフィジケラに全く敵わなかった。
2004年競争力のあるBARでバトンはランキング3位に対してランキング6位ないだろ。世紀の期待外れの烙印を捺された。
まあ右京に関してもタラレバだけど。
タラレバじゃない、結果が全ての世界だから、なおのこと、悔やまれるよね。
KEって京都滋賀ではいい評判聞かなかったけど勘違い?
そもそも本当に右京にベネトンからの真剣なオファーはあったのか?当時の雑誌とかでその報道が加熱していた記憶が殆どない。普通に考えて右京とハーバートならハーバート選ぶしね。
右京は広東風炒飯サインの話とかウケ狙いで誇張する癖があるしティレルを放出された時も「トップチームからもオファーがある」とか言いながら結局ミナルディに拾われてるわで発言はイマイチ信用できん
本当に勝手な考えですが、日本人は「譲る」という美徳があるので、一対一の競技には不向きな部分があるのでは⁉️ 野球やサッカーは団体競技だから、勝ち目があるように思います。あくまでも、個人的な考え方です‼️ ともかく、2回もインディを征した、琢磨は素晴らしいですね‼️
そんなこと言ったらボクシングとかレスリングはどうなるんですかね…
ぜんぜん話は変わりますがMTカテゴリークラス、ありですかね~。
望み。
カーレース界の凱旋門賞 とも言えるでしょう✋
白人の有色人種には何が何でも優勝などさせないぞという念が渦巻いていてそれをもろに抜けてしまっているんでしょうね❓
それと運も実力の世界☺️
陸上短距離走は絶望的ですが、悲願の競馬と カーレースの頂点を極める日本人一刻も早く現れること皆で願いましょう✌️😁✋
日本人F1ドライバーって個性的なお名前が多いですよね、そしてその大半が幼少時からカートの経験をお持ちだし…
やはりフォーミュラで競うにハコ車の経験は言うに及ばずカート経験の有無は大事なのかな?と思います。
レーシングカートがフォーミュラに近いのかそのまた逆なのか。
ハコのドライバーはハコというイメージはやはりちょっとありますね。
ラリーやナスカーは除いてほとんどの競技が気づけばフォーミュラ系ドライバーばかり。
@@user-td2nr4ni3
個人的には世界でイチバン疾いカートがformula1と言うカテゴリーだと思っております。
亜久里、右京、隆千穂、虎之助、左近、琢磨、可夢偉・・・・・あらためて見ると確かに個性的な名前が多い!
たいていはカート経験を持ってますが、右京のようにFJ1600からスタート、あるいは琢磨のように20歳そこそこでカートを始めるといった例もありますね。
@@tanurinra7409
もっと日本に少年野球やサッカーチームのようにカートが根付けば日本人World championも夢ではありませんネ(^^)
やはり自分もカートをやってたので痛感するんですが、ハコは重さを上手く使わないといけないのと、ロールがカートの研ぎ澄まされた?感覚から、まるでバスか!ってくらいロール速度の遅さと移動量がとにかく怖いんですよね。
特にノーマル車みたいな柔らかい足の車になる程に難しいです。
その辺の感覚?がカート上がりがフォーミュラで通じる傾向なんでしょうね。
過去の事を残念がっても仕方ない。是非とも角田君にこれまでの無念を晴らしてもらいたいです。
将来レッドブルに昇格できるような事があればチャンスはあるはず。
たらればはなしやわ
右京さんがAS+Fでの連載コラムで、1994年ドイツGPを振り返って、「クソっ!10ポイント(当時の優勝の獲得ポイント)損した!」と仰っていました。
僕は4ポイント(当時の3位の獲得ポイント)だと思っていたけど、1つでも上の順位を狙って、果敢な走りをする右京さんらしいと思いました。
夢見せてもらえたのは、右京氏と可夢偉氏だけ。あとは、、、
たら、れば……。🤔🏎️
正直日本人ドライバーが優勝するには、国籍をコネとしたシート獲得ではなく、純粋に実力でシートを得られるようにすべきではないかと思う。
小林を除いて、国籍を背景としたシート獲得が半ば常識となってるので...
製造国と国籍のお陰でホンダやトヨタ製などのシートは得られるけど、それ以外の国のマシンには実質的に乗ることができてないし。
小林選手はトヨタの後ろ盾で登場しましたが、すぐにトヨタは撤退してしまい、コネを超えたところで頑張っていましたよね。資金が尽きなければ、もっと成長していたのではないかと今でも残念に思うドライバーでした。それ以外では右京選手がイタリアのコンストラクター、イギリスのエンジンという体制のミナルディに乗ったのが日本のエンジンコンストラクターに無縁の起用だったと思いますが、あれはベネトンからの誘いを断った後も誘われたことに義理を感じていた彼がブリアトーレ氏がオーナーとなったミナルディに加わったのだという説があり、日本の枠組みではないけどコネクションで得たシートと言えるのかもしれませんね
中嶋悟さんはウェットの路面状態で決勝レースで上位にいました鈴木亜久里さんは鈴鹿のコースに慣れているので表彰台の3位を獲得しました日本人ドライバーだけではなく全日本F3000出身のドライバーは鈴鹿のコースは速さを見せました
よく言われる話かも知れませんが、勝負に勝てた「はず」や、たられば、は無いです。
そんな話は結果的にそのレースの勝者に失礼かと思います。
優勝者が普通に「彼がリタイヤしたおかげで勝てた」とか平気で言いますよ。
ファンが勝手にUA-camでタラれば語ってる程度のものに、失礼もへったくれもない。こんなもので一体誰を不快にするのかっていう。
むなしい、近づいたとか惜しかったとか勝負の世界では無意味。
メカニック
スポンサー
ドライバー
監督
全て合わせてとのコンストラクターだよ。