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王平は魏の降将だけど、実直で慎重かつ勇敢な将軍でしたね。もちろん武侯祠でも祀られてましたし、五丈原にも像が祀られてた記憶がありますね。派手さはないけど、蜀を支えた名将でしょう
王平は横山三国志では南蛮の戦いで立札で味方に危機を知らせている字が読めないのに書けたのか・・・恐ろしいな
王平は人気がありますね!
@@ななしうたひと意思を伝えるのは文字とは限らない。 王平がどの年齢から勉強を始めたか分からないが、南蛮征伐の頃になれば全く書けない訳はない。 第一、一軍の将が文書を扱わない訳にはいかないのだから、無学ではない。
報告書と同じように口述筆記させたのでは?@@ななしうたひと
関索(間違ってたらごめん)が これは王平の字だって言っていた・・・見よう見まねで文字になってないような感じで書いてそれゆえに本人のだと確認が取れたのではないかと・・・横山三国志は深いな@@舘川元騎
中国において将軍となるには、ある程度の学識は必須。ハンデをはね返した王平は見事ですが、叩き上げ武将の多かった蜀の雰囲気もプラスに働いたのでしょう。呉では孫権が呂蒙の学の無さを叱って、勉強を勧めるのですから。“呉下の阿蒙”、”子別れて三日なれば刮目して相待つべし“の故事成語の由来。
@@月友 訂正ありがとうございます。そうでした…💦
国によって武将の育ち方も色々ですね。
05:35 丁奉は地位が上がるにつれて傲慢になっていったからな。それで非難の声も随分あったらしい。07:54 楽進は主簿の経験があるからね。呂布も丁原配下時代は主簿を務めてたから。
偉くなっても謙虚さはいつの時代でもだいじですね。
横山光輝三国志で漢中の地形に詳しい案内人の役だった王平がそこで出番は終わりかと思いきや南蛮北伐で活躍するのは驚きました。
横山先生の三国志は、日本の王平人気に大きく寄与してますね!
選外でしたけど、関羽や張飛もたたき上げ組と言えるんじゃないかな?親分が苦労を知ってる為か、単に人材不足だった為かは兎も角、劉備配下はたたき上げ組多いですよね
そうですね、君主がたたき上げだと、部下もたたき上げがおおくなるのでしょう。
三国志はワシ等底辺の人間に夢と野望を与えてくれる素晴らしい物語やな…
(笑)
山菜採りから這い上がった張角、肉屋から這い上がった何進、吃りから這い上がった鄧艾や、ゴロツキどもの親分から這い上がった甘寧、名もなき部隊長から這い上がった魏延、湖賊から這い上がった周泰、文盲から這い上がった王平などなど。名士出身よりもこうした叩き上げの人物の方が実は優秀なんだよなぁ。
沢山のたたき上げ武将の紹介、ありがとうございます。
何進ですが、彼は意外にもまともに仕事をしてたりします。特に黄巾の乱のときは真っ先に馬元義を捕まえて十常侍と連携して行うつもりだった内部混乱を阻止したり、警備等もこなしたため、洛陽では特に混乱はありませんでした。あとは、これまた意外にも妹の力で成り上がったとよく言われるにしては名士代表の袁紹や荀攸が配下にいたこともあり、彼が殺された際には特に袁紹は必死で敵を討とうとしたほど。
叩き上げ武将と聞いて真っ先に浮かんだのはやはり王平ですかね。出自や能力がエリートなのに落ちぶれる武将も少なくない。ましてや群雄割拠の時代、何が起こるか分からないからこそ実力(運含む)がものを言う。だから尚のこと彼らが魅力的に感じるのかもしれませんね。
王平、人気ありますね!
13:40多くの人が肝に銘じるべき教えですね。
身に沁みますね!
甘寧とか現場たたき上げのイメージがあるなぁ。劉邦みたく任侠だったけど、益州の小役人から将軍位にまで成り上がったし。
893から、出世はドラマですよね。
ちなみに余談ですが劉備が貧しく、日銭を得るため蓆を売ってたというのは事実かもしれませんがそれは単に「事実として貧乏だった(物理的に金が無かった)」というだけで家柄自体は州、郡の地方公務員を代々排出するアッパークラスの階層でした(故に貧乏ではない一族の親戚といっしょに公務員予備校の私塾に入学できた)
@@nattotaro 個人的にはここで物売りをしていたというのは『親族に対するポーズ』であろと考えていますというのは上記したよう一応けつっぺたといえど士大夫層ですので(※貧乏していた理由は父親の早死で現金収入がなくなったため)最低限の生活費は親族が(いやいやでも)出してくれるはずなので笑(路頭に迷われでもしたらそれこそ一族の恥)たださすがに人の金でただ飯食って日中遊んでるのも体裁が悪いので「自分達もできる限りの事やってますよ😗✌」アピールとしての内職家業なのかと( ´艸`) あと一点、劉備が内職家業やってた(とされる)重要な理由とおぼしき点があると思うんですがまあ長くなるのでここでやめときます(=_=)(←酔っぱらっててねむい)もしご興味あり、酔っぱらいのたわごとにお付き合いいただけるならレスいただければ体調が万全なときにお応えしておく・・・かもしれません(^_^;)
@@nattotaro あともうひとつの劉備が内職してた(実際してたかどうかは別にして「内職してた」ということになっている)理由ですが琢郡劉家というのはメインには地方公務員を輩出する家系なんですがギリギリ孝廉(国家公務員キャリア職)も狙えるぐらいの家系だったわけです(劉備の祖父が孝廉に挙げられている)考廉は事実上各地方の名士、豪族を名声に準拠して国家公務員に推薦する豪族リクルートシステムに成り下がっていましたが建前としては未だ「『儒教的な徳の体現者』を中央政府に郡から国家公務員として推薦する」とされており特に”孝廉”というぐらいですので『孝』つまり父母への孝行、『廉』つまり私欲無き清廉(貧乏ともいう笑)な生活が特に重視される基準でしたで琢郡劉家に話を戻すんですが、上記した劉備に私塾遊学させた親戚のおじさんが奥さんから「金の無駄」みたいに文句を言われるんですが「いやいやこの子(劉備)は一族のエース候補だよ」って反論するんです一般にこれは後に大成する劉備の大徳の片鱗がその頃から散見されてておじさんはそれを見抜いてた・・・みたいに説明されますが、私はもっと具体的な『劉備なら将来的に考廉も狙える』というおじさんの目論見であったのだろうと考えていますつまり何が言いたいかというと、上記したよう(ぶっちぎりで文句なく若くして考廉に推挙されるような超名士、大豪族は別として)考廉に推挙されるには人々が納得するようなわかりやすい徳行のエピソードが郷里で噂になる必要があるわけなんですがおじさんは劉備の『片親で貧乏している』を『早くに父を亡くし貧しかったが母親に苦労させないため幼いころから蓆を編んで家計を助けていた』というナラティブに作り替え(は言い過ぎか笑。まあつまり貧乏で片親の現状も綺麗に言い換えればなかなかの”徳行”になると判断した)将来的に孝廉に推挙されやすい環境づくりをやっていたというわけです(中央政府の高級官僚を輩出すれば一族全員のメリットになりますので。私塾遊学の資金援助もその一環でしょう)
補足、ありがとうございます!
実在するかしないかで不透明さはあるけど、個人的には周倉かなと思ってます。元々黄巾族の生き残りから山賊に身を落として、でも実際はまっすぐな性格で関羽を心から慕っていて、関羽が五関を破った時に関羽へ仕える事になり、以降は右腕として活躍。魏との戦いでは関羽と互角の戦いをした龐徳を最後捕らえる大金星を上げたけど、麦城で関羽の死を知り、自害する。結構好きな武将です。
周倉は、たたき上げであり、存在するのかという点のロマンもありますね。
文官出身といえば、呂布も元は主簿でしたね
そうですね、実は博学だったのかもしれません。
三国志は蜀派なので劉備はすきです。蒼天航路の劉備がそれっぽくて好き
蒼天航路の劉備、魅力的ですよね
鄧艾も貧しいうえに吃音で周りから軽んじられてたが司馬懿はその才能を見抜き重用し蜀の首都を落とす大功を立てた
成上りエピソード、ありがとうございます!
最期は油断したのか鍾会の罠に呆気なくハマったのが実に惜しい・・・。
劉備はまだ盧植先生の知己があって人脈を作りやすく有利かなって。王平はすごい。劉備軍に降伏した時の行動が早すぎて驚くけどw
王平は通訳みたいなの1人着ければ能力が有れば問題無いって事だな。
変わり身の早さが出世の理由でしょうか!
妹のおかげで大将軍になれた何進もじゃねぇの?
フィクション世界の戦隊シリーズでも、戦闘員から叩き上げ幹部って、魔法戦隊マジレンジャーのブロンケンしかいない。1975年からやってるのに。
(笑)!!!!
劉備は生存能力も尋常じゃないからな・・・。呂布に降伏した時や曹操の配下になった時など、「自分は絶対に殺されない!」とゆう確信が無いと、出来ないよ。
そうですね、生き抜く力では劉備はトップレベルですね!
諸葛亮が傘下に加わるまでは直感で行動してる感じだよな。
少なくとも危機察知能力は並みじゃないと思う。曹操と対立したのと陸遜に負けたのとで評価を落としているが軍人としても十分有能だし。
こーゆー解説動画はゆっくりボイスが多いけどこの解説のお姉さんの声はすき。
ありがとうございます。嬉しいです。
劉備はむしろ売りから皇帝に出世しましたが、諸葛亮の力もかなり大きいですね。資金面では糜竺が居ましたし。武将だけでなく、多くの人を引き寄せる魅力在る人物では在りますが、世渡り上手ですからね←その分、裏切りが多いので三国志では曹操以上に悪役扱いされる事も。この動画で降将の特集在るか探してみようかな←無かったら動画化してほしい人 楽進が文官と知ったのは無双からだったなあ。曹操は実力主義ですから、出身とか容姿ではなく実力や忠義心などで決めますからね。李典も三国志大戦のカードだと大きい活躍はないと言われますが慎重なので欠かせないと思います←慎重な性格な人
降将、面白い題材ですね
降将か。蜀では魏延、黄忠、馬超、馬岱など、魏では張遼、張コウ・・・呉よりも魏と蜀の方が人数多いな。ちゃんと活躍の場をくれて正当な評価をしてくれれば忠を尽くしますよっと
王平はまさに叩き上げ好きな武将ですが張遼がこの中に入って無いのは残念、丁原、董卓、呂布、曹操と主を変えながらステップアップしたこと、史実ではないかもしれないが関羽との友情、不仲の李典らとともに呉軍を撃退したことなどエピソードは多数。
そうですね、張遼も君主を変えて着実にステップアップした凄い将ですね。
軍神さんのxから来ました。
横山三国志読者の自分は許チョ(チョの漢字が🤯)がエントリーされてるかもと🤔
許褚もたたき上げですね!
郭淮も夏侯淵の副官から色々あって対蜀の最高司令官的な役職に出世したから該当するのだろうか?
郭淮は孝廉に推挙されていますのでそれなりに若い頃から名声があったようですまた郭家について言えば祖父が大司農(九卿の一つ。財務大臣にあたる)、父が雁門郡太守という家系ですので漢帝国レベルで言っても『上の中』ぐらいの名家のようですまた夏侯淵旗下での”司馬”は幕僚全体のトップが長史であるのに対し軍事実務面での最高幕僚でした
郭淮は出生は良いようですけど、立派な出世を遂げていますね。優秀さがうかがえます。
鄧艾が入ってない ダメ
昔は楽進をガクチンと読んでたけど何でだったんだろう
(笑)
成り上がり・・・とだけ聞くと、董卓かなぁと思ってしまった。
成上りから暴君、ある意味、人間の煩悩ですね。
馬騰も祖先は光武帝劉秀の元で活躍した名将・馬援で凄かったけど父の頃には没落して材木を切って売る生活をしていて涼州で反乱が頻発し募兵に参加し出世横山版だと馬超が張飛との戦いで家柄自慢するけど馬超の親父は貧しくて木を切って売る生活をして一般兵から出世してた
馬騰もがんばったんですね!
@@月友 父は天水郡蘭干県の丞(副長官)を務めていたが、官位を失い、隴西郡(甘粛省南部)に留まった。父親の途中までは役人の偉い地位どっかの太守レベルさえ無いと言いたいならそのとおり
@@月友 話が全く噛み合ってないからもう止めてくれる?ウザい。
この中なら王平だけど黄巾党?から蜀の将軍まで出世した廖化
叩ぎあげ武将、廖化の勤続年数がえぐいですね!
@@sangokushich 現役期間で言えば横山光輝で言えば1巻~60巻まで生き抜いているバケモノ武将です。仮に劉備より10歳若く見積もっても蜀滅亡時は90歳越えになってしまう・・・。
呂蒙が入ってないのは、意外
すいません、今回、取り上げられませんでした_(._.)_
王平は演義でも特に好きな人物ですけど、正史では魏を出奔していたせいかいまいちな評価なのが残念ですね。字は読めなかったけど、部下に本を読ませて暗記していたという逸話がありますが、その記憶力があれば字を覚えるのも容易かったと思わないでもないですがw
許緒かなあた 関平
横山三国志の許緒と典韋の一騎打ち、大好きです!
漢の始祖の劉邦は劉備以上だよな...
ヒモ男→皇帝
明王朝の祖、朱元璋も出自は相当貧しいです。以前の動画と被りますが、暴君ぶりも朱元璋は凄まじい…!皇帝の座についてから粛清した功臣は数百人というのですから…!
朱元璋は戦前戦後でいうスターリンのような性格だといわれてますからね…
劉邦こそ、たたき上げですね。
ここにはいないけど出自がよく分かってない典韋やお尋ね者から天下の名将になった関羽や劉備と同郷以外はよく分かってない張飛も叩き上げ。
そうですね、典韋とかも最初から偉かったというイメージはないですね。
丁奉さん有能なんだけど怪しい動きもしててただの叩き上げ実直みたいなタイプじゃないよね、面白い
綺麗ごとだけだと出世は難しいということでしょうか。
王平は魏の降将だけど、実直で慎重かつ勇敢な将軍でしたね。
もちろん武侯祠でも祀られてましたし、五丈原にも像が祀られてた記憶がありますね。
派手さはないけど、蜀を支えた名将でしょう
王平は横山三国志では南蛮の戦いで立札で味方に危機を知らせている
字が読めないのに書けたのか・・・恐ろしいな
王平は人気がありますね!
@@ななしうたひと意思を伝えるのは文字とは限らない。
王平がどの年齢から勉強を始めたか分からないが、南蛮征伐の頃になれば全く書けない訳はない。
第一、一軍の将が文書を扱わない訳にはいかないのだから、無学ではない。
報告書と同じように口述筆記させたのでは?@@ななしうたひと
関索(間違ってたらごめん)が これは王平の字だって言っていた・・・
見よう見まねで文字になってないような感じで書いてそれゆえに本人のだと確認が取れたのではないかと・・・
横山三国志は深いな@@舘川元騎
中国において将軍となるには、ある程度の学識は必須。ハンデをはね返した王平は見事ですが、叩き上げ武将の多かった蜀の雰囲気もプラスに働いたのでしょう。呉では孫権が呂蒙の学の無さを叱って、勉強を勧めるのですから。“呉下の阿蒙”、”子別れて三日なれば刮目して相待つべし“の故事成語の由来。
@@月友 訂正ありがとうございます。そうでした…💦
国によって武将の育ち方も色々ですね。
05:35 丁奉は地位が上がるにつれて傲慢になっていったからな。それで非難の声も随分あったらしい。
07:54 楽進は主簿の経験があるからね。呂布も丁原配下時代は主簿を務めてたから。
偉くなっても謙虚さはいつの時代でもだいじですね。
横山光輝三国志で漢中の地形に詳しい案内人の役だった王平がそこで出番は終わりかと思いきや南蛮北伐で活躍するのは驚きました。
横山先生の三国志は、日本の王平人気に大きく寄与してますね!
選外でしたけど、関羽や張飛もたたき上げ組と言えるんじゃないかな?
親分が苦労を知ってる為か、単に人材不足だった為かは兎も角、劉備配下はたたき上げ組多いですよね
そうですね、君主がたたき上げだと、部下もたたき上げがおおくなるのでしょう。
三国志はワシ等底辺の人間に夢と野望を与えてくれる素晴らしい物語やな…
(笑)
山菜採りから這い上がった張角、肉屋から這い上がった何進、吃りから這い上がった鄧艾や、ゴロツキどもの親分から這い上がった甘寧、名もなき部隊長から這い上がった魏延、湖賊から這い上がった周泰、文盲から這い上がった王平などなど。
名士出身よりもこうした叩き上げの人物の方が実は優秀なんだよなぁ。
沢山のたたき上げ武将の紹介、ありがとうございます。
何進ですが、彼は意外にもまともに仕事をしてたりします。特に黄巾の乱のときは真っ先に馬元義を捕まえて十常侍と連携して行うつもりだった内部混乱を阻止したり、警備等もこなしたため、洛陽では特に混乱はありませんでした。
あとは、これまた意外にも妹の力で成り上がったとよく言われるにしては名士代表の袁紹や荀攸が配下にいたこともあり、彼が殺された際には特に袁紹は必死で敵を討とうとしたほど。
叩き上げ武将と聞いて真っ先に浮かんだのはやはり王平ですかね。
出自や能力がエリートなのに落ちぶれる武将も少なくない。ましてや群雄割拠の時代、何が起こるか分からないからこそ実力(運含む)がものを言う。だから尚のこと彼らが魅力的に感じるのかもしれませんね。
王平、人気ありますね!
13:40
多くの人が肝に銘じるべき教えですね。
身に沁みますね!
甘寧とか現場たたき上げのイメージがあるなぁ。劉邦みたく任侠だったけど、益州の小役人から将軍位にまで成り上がったし。
893から、出世はドラマですよね。
ちなみに余談ですが
劉備が貧しく、日銭を得るため蓆を売ってたというのは事実かもしれませんが
それは単に「事実として貧乏だった(物理的に金が無かった)」というだけで家柄自体は州、郡の地方公務員を代々排出するアッパークラスの階層でした(故に貧乏ではない一族の親戚といっしょに公務員予備校の私塾に入学できた)
@@nattotaro 個人的にはここで物売りをしていたというのは『親族に対するポーズ』であろと考えています
というのは上記したよう一応けつっぺたといえど士大夫層ですので(※貧乏していた理由は父親の早死で現金収入がなくなったため)最低限の生活費は親族が(いやいやでも)出してくれるはずなので笑(路頭に迷われでもしたらそれこそ一族の恥)
たださすがに人の金でただ飯食って日中遊んでるのも体裁が悪いので
「自分達もできる限りの事やってますよ😗✌」アピールとしての内職家業なのかと( ´艸`)
あと一点、劉備が内職家業やってた(とされる)重要な理由とおぼしき点があると思うんですが
まあ長くなるのでここでやめときます(=_=)(←酔っぱらっててねむい)
もしご興味あり、酔っぱらいのたわごとにお付き合いいただけるならレスいただけれ
ば体調が万全なときにお応えしておく・・・かもしれません(^_^;)
@@nattotaro あともうひとつの劉備が内職してた(実際してたかどうかは別にして「内職してた」ということになっている)理由ですが
琢郡劉家というのはメインには地方公務員を輩出する家系なんですがギリギリ孝廉(国家公務員キャリア職)も狙えるぐらいの家系だったわけです(劉備の祖父が孝廉に挙げられている)
考廉は事実上各地方の名士、豪族を名声に準拠して国家公務員に推薦する豪族リクルートシステムに成り下がっていましたが
建前としては未だ「『儒教的な徳の体現者』を中央政府に郡から国家公務員として推薦する」とされており特に”孝廉”というぐらいですので『孝』つまり父母への孝行、『廉』つまり私欲無き清廉(貧乏ともいう笑)な生活が特に重視される基準でした
で琢郡劉家に話を戻すんですが、上記した劉備に私塾遊学させた親戚のおじさんが奥さんから「金の無駄」みたいに文句を言われるんですが「いやいやこの子(劉備)は一族のエース候補だよ」って反論するんです
一般にこれは後に大成する劉備の大徳の片鱗がその頃から散見されてておじさんはそれを見抜いてた・・・みたいに説明されますが、私はもっと具体的な『劉備なら将来的に考廉も狙える』というおじさんの目論見であったのだろうと考えています
つまり何が言いたいかというと、上記したよう(ぶっちぎりで文句なく若くして考廉に推挙されるような超名士、大豪族は別として)考廉に推挙されるには人々が納得するようなわかりやすい徳行のエピソードが郷里で噂になる必要があるわけなんですが
おじさんは劉備の『片親で貧乏している』を『早くに父を亡くし貧しかったが母親に苦労させないため幼いころから蓆を編んで家計を助けていた』というナラティブに作り替え(は言い過ぎか笑。まあつまり貧乏で片親の現状も綺麗に言い換えればなかなかの”徳行”になると判断した)
将来的に孝廉に推挙されやすい環境づくりをやっていたというわけです(中央政府の高級官僚を輩出すれば一族全員のメリットになりますので。私塾遊学の資金援助もその一環でしょう)
補足、ありがとうございます!
実在するかしないかで不透明さはあるけど、個人的には周倉かなと思ってます。元々黄巾族の生き残りから山賊に身を落として、でも実際はまっすぐな性格で関羽を心から慕っていて、関羽が五関を破った時に関羽へ仕える事になり、以降は右腕として活躍。
魏との戦いでは関羽と互角の戦いをした龐徳を最後捕らえる大金星を上げたけど、麦城で関羽の死を知り、自害する。
結構好きな武将です。
周倉は、たたき上げであり、存在するのかという点のロマンもありますね。
文官出身といえば、呂布も元は主簿でしたね
そうですね、実は博学だったのかもしれません。
三国志は蜀派なので劉備はすきです。
蒼天航路の劉備がそれっぽくて好き
蒼天航路の劉備、魅力的ですよね
鄧艾も貧しいうえに吃音で周りから軽んじられてたが司馬懿はその才能を見抜き重用し蜀の首都を落とす大功を立てた
成上りエピソード、ありがとうございます!
最期は油断したのか鍾会の罠に呆気なくハマったのが実に惜しい・・・。
劉備はまだ盧植先生の知己があって人脈を作りやすく有利かなって。
王平はすごい。劉備軍に降伏した時の行動が早すぎて驚くけどw
王平は通訳みたいなの1人着ければ能力が有れば問題無いって事だな。
変わり身の早さが出世の理由でしょうか!
妹のおかげで大将軍になれた何進もじゃねぇの?
フィクション世界の戦隊シリーズでも、戦闘員から叩き上げ幹部って、魔法戦隊マジレンジャーのブロンケンしかいない。1975年からやってるのに。
(笑)!!!!
劉備は生存能力も尋常じゃないからな・・・。呂布に降伏した時や曹操の配下になった時など、「自分は絶対に殺されない!」とゆう確信が無いと、出来ないよ。
そうですね、生き抜く力では劉備はトップレベルですね!
諸葛亮が傘下に加わるまでは直感で行動してる感じだよな。
少なくとも危機察知能力は並みじゃないと思う。
曹操と対立したのと陸遜に負けたのとで評価を落としているが軍人としても十分有能だし。
こーゆー解説動画はゆっくりボイスが多いけどこの解説のお姉さんの声はすき。
ありがとうございます。嬉しいです。
劉備はむしろ売りから皇帝に出世しましたが、諸葛亮の力もかなり大きいですね。資金面では糜竺が居ましたし。武将だけでなく、多くの人を引き寄せる魅力在る人物では在りますが、世渡り上手ですからね←その分、裏切りが多いので三国志では曹操以上に悪役扱いされる事も。この動画で降将の特集在るか探してみようかな←無かったら動画化してほしい人 楽進が文官と知ったのは無双からだったなあ。曹操は実力主義ですから、出身とか容姿ではなく実力や忠義心などで決めますからね。李典も三国志大戦のカードだと大きい活躍はないと言われますが慎重なので欠かせないと思います←慎重な性格な人
降将、面白い題材ですね
降将か。
蜀では魏延、黄忠、馬超、馬岱など、魏では張遼、張コウ・・・呉よりも魏と蜀の方が人数多いな。
ちゃんと活躍の場をくれて正当な評価をしてくれれば忠を尽くしますよっと
王平はまさに叩き上げ好きな武将ですが張遼がこの中に入って無いのは残念、丁原、董卓、呂布、曹操と主を変えながらステップアップしたこと、史実ではないかもしれないが関羽との友情、不仲の李典らとともに呉軍を撃退したことなどエピソードは多数。
そうですね、張遼も君主を変えて着実にステップアップした凄い将ですね。
軍神さんのxから来ました。
横山三国志読者の自分は許チョ(チョの漢字が🤯)がエントリーされてるかもと🤔
許褚もたたき上げですね!
郭淮も夏侯淵の副官から色々あって対蜀の最高司令官的な役職に出世したから該当するのだろうか?
郭淮は孝廉に推挙されていますのでそれなりに若い頃から名声があったようです
また郭家について言えば祖父が大司農(九卿の一つ。財務大臣にあたる)、父が雁門郡太守という家系ですので
漢帝国レベルで言っても『上の中』ぐらいの名家のようです
また夏侯淵旗下での”司馬”は幕僚全体のトップが長史であるのに対し軍事実務面での最高幕僚でした
郭淮は出生は良いようですけど、立派な出世を遂げていますね。優秀さがうかがえます。
鄧艾が入ってない ダメ
昔は楽進をガクチンと読んでたけど何でだったんだろう
(笑)
成り上がり・・・とだけ聞くと、董卓かなぁと思ってしまった。
成上りから暴君、ある意味、人間の煩悩ですね。
馬騰も祖先は光武帝劉秀の元で活躍した名将・馬援で凄かったけど父の頃には没落して材木を切って売る生活をしていて涼州で反乱が頻発し募兵に参加し出世
横山版だと馬超が張飛との戦いで家柄自慢するけど馬超の親父は貧しくて木を切って売る生活をして一般兵から出世してた
馬騰もがんばったんですね!
@@月友 父は天水郡蘭干県の丞(副長官)を務めていたが、官位を失い、隴西郡(甘粛省南部)に留まった。
父親の途中までは役人の偉い地位
どっかの太守レベルさえ無いと言いたいならそのとおり
@@月友 話が全く噛み合ってないからもう止めてくれる?
ウザい。
この中なら王平だけど
黄巾党?から蜀の将軍まで出世した廖化
叩ぎあげ武将、廖化の勤続年数がえぐいですね!
@@sangokushich 現役期間で言えば横山光輝で言えば1巻~60巻まで生き抜いているバケモノ武将です。
仮に劉備より10歳若く見積もっても蜀滅亡時は90歳越えになってしまう・・・。
呂蒙が入ってないのは、意外
すいません、今回、取り上げられませんでした_(._.)_
王平は演義でも特に好きな人物ですけど、正史では魏を出奔していたせいかいまいちな評価なのが残念ですね。
字は読めなかったけど、部下に本を読ませて暗記していたという逸話がありますが、その記憶力があれば字を覚えるのも容易かったと思わないでもないですがw
許緒かな
あた 関平
横山三国志の許緒と典韋の一騎打ち、大好きです!
漢の始祖の劉邦は劉備以上だよな...
ヒモ男→皇帝
明王朝の祖、朱元璋も出自は相当貧しいです。以前の動画と被りますが、暴君ぶりも朱元璋は凄まじい…!皇帝の座についてから粛清した功臣は数百人というのですから…!
朱元璋は戦前戦後でいうスターリンのような性格だといわれてますからね…
劉邦こそ、たたき上げですね。
ここにはいないけど出自がよく分かってない典韋やお尋ね者から天下の名将になった関羽や劉備と同郷以外はよく分かってない張飛も叩き上げ。
そうですね、典韋とかも最初から偉かったというイメージはないですね。
丁奉さん有能なんだけど怪しい動きもしててただの叩き上げ実直みたいなタイプじゃないよね、面白い
綺麗ごとだけだと出世は難しいということでしょうか。