日本軍が戦地で戦った誉疵のある軍刀
Вставка
- Опубліковано 3 лис 2022
- 今回は日本陸軍が戦地の戦で使用したと見られる軍刀の紹介です!
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#藁斬り抜刀斎 #日本刀 #軍刀 - Навчання та стиль
軍刀も歴史的資料的価値を認めるべきと思います。
軍刀は種別「軍刀 刀/脇差/短刀」という括りで登録通したらいいのに
私も98式軍刀を所持しています。こちらと同じく鉄鞘で駐爪(ボタン)付きの軍刀です。
ただし中の刀身は美濃関で作刀されたいわゆる昭和刀ですから、刀身も拵も正真正銘の軍刀ということになります。
戦時態勢となって軍刀の需要が急増すると陸海軍とも高品質な軍刀身を要求するようになり、実戦使用にも耐えられる強靭な刀身かどうかを検査する試験が行われました。この試験に合格した刀身にはその証明として茎に特別な刻印が打たれました。刻印には様々な種類があり有名なものとしては、桜花マークの中に「昭」と打たれたものや海軍の錨マークが打たれたもの等がありました。これらの刀身はその耐久性においていわば軍のお墨付きですから非常に人気も高く、希少性もあることから現在でも高値で取引されているようです。
さてこちらの軍刀の誉れ疵ですが、中国戦線で青龍刀を持った敵兵と白兵戦を戦ったか、あるいは敵陣地の鉄条網を切断する際にできた疵ではないかというのが私の見立てです。
鉄条網を切断するのは本来ならば専用の鋏を使いますが、激しい戦闘中で余裕がないときは軍刀を使うこともあったと聞いています。また青龍刀は斬れ味の鋭さこそ日本刀には及ばないものの、頑丈さにおいては日本刀を上回る刀も多かったと言われています。
この軍刀はどんな歴史を見てきたのか凄く興味がわいてきます。
祖国日本の為に戦ってくれた英霊にも敬礼!
そーいうのええから
@@meu330ci そーいうのええから
戦い
精神性を残してほしいっていう話、すごく共感しました。我が家にもステンレス刀が一振りあったのですが、祖父がなくなったあとに廃棄せざるを得ない状況でとても悲しかったことをよく覚えています。拵だけは残せたのがせめてもの救いです。
ルールとはいえ日本を守ってきた刀が認められないのは残念ですね
これから先も大切にしてほしいと思います!
思ったより凄い傷だった。。
これを持って命をかけて戦ってくれた方がいたからこそ今の我々がいる。
胸が熱くなります。
まさに自分の命を託した、武士の「魂」ではないでしょうか。
神回過ぎる…
研ぎCさんの話し好き過ぎる。
侍の時代や、戦争に行った大和魂を持った精神をもう一度必要な時代かもしれない
使い古されて傷だらけの刀ってかっこいいよな〜
軍刀にボタンがあるのも,一代限りというのも初耳でした。
キズがかっこよく見えましたし、1番最近の戦で戦った刀も戦国時代の刀もどちらも尊いものだとわかりました。
大和魂,自分にも残っていてほしいなと思いました。
お疲れ様でした。ありがとうございました。
旧日本軍は帯刀する将兵に当然のこと剣術の教練を行ったけど実際に戦えるレベルの者は少なかったと伝え聞いています。この刀はそんな数少ない猛者が使った貴重なものですね。
うちのじいちゃん銃剣御前試合で勝って昇級して勲章と軍刀貰った言ってた。
そのお陰で生き残れたともいってた
全て米軍に燃やされて残ってないけど
@@HateStylech うちのひいじいちゃんは海軍中佐だったけど壊滅的なまでに剣術が下手くそだったってひいばあちゃん言ってた
@@HateStylech😢😢
自分の振った刀で自分の膝を斬ってしまう方も居たらしいですが当時は剣道が盛んだったのでかなりの猛者も居たようです。
刀身が映っている時のとても優しいBGMが
この刀に「お疲れ様でした」と労っているかの様でした
今手に取って見えているものはほんの一部分に過ぎないので
その刀の歴史を想像したり妄想するのは、醍醐味だと思います。
刀好き同士でその様な話が出来るのはかけがえの無い時間です
文化的、歴史的に価値のある生き承認であるこの軍刀を未來永劫大事に残して欲しいですね
結論
やはり、日本刀は日本人の魂の具現化した存在であった。
その通りですね!
@@Togi_C だからこそ軍刀をも含めて多くの日本刀が失われいくのに多少の憤りと哀しみを感じます。
刀の傷についてですが、「中国戦線で青龍刀をもった中国軍と白兵戦をした。」と近所の骨董品屋さんのお爺さんが言ってましたので、そんなことがあったのかもです。
これだと思う
銃剣を着剣した小銃で乱戦になったのかもしれない?と想像してみるとなかなか面白いよなあ…って思ったり
日本在住の中国出身の人です。藁切りさんやHoykeyさんのチャンネルから色々勉強させていただきました。自分の前に受けた教育の影響や勉強不足のため、気持ち的にはもやがかかていますが。藁切りさんと研ぎCさんが言いたいことや何を大事にしていることは理解しているつもりです。日本の精神や意匠を籠った刀を実際に戦っていたということがとても貴重だと思います。戦争の中は一人一人の思いや歴史が軽視されやすいだと思います。この軍刀はこういった面で、戦争の中の人がどういう経歴があったのを人々に伝えると思います。
お二人のおっしゃった通り、殺し合いのような行為は古今東西ずっと起きっていることです。当時の日本でも、自分の国をよりよくしたいと思い、戦争を参加した方々も少なくないと思います。そういった意味で、このような信念をもって、結局色々な悲しみを起こしってしまい、とても残念だと思います。信念が大事と同時に、行動は慎むべきだと思います(そういう面でも、日本の精神にあっているのでしょうか?)。そういう過去があったこそ、歴史から教訓を得て、日本は今とても素晴らしい国だと思います。
自分はなるべく、国や団体から以外の角度で、物事を勉強し、考えたいと思っています。古い動画で、長いコメントをさせていただき、大変失礼いたしました。
戦地でご苦労された方に感謝申し上げます。
魂が震えた。
歴史を感じ、日本の魂を感じる逸品。
シナ事変の初期は、国府軍もやる気満々の将校なんかは、柳葉刀(青竜刀)で立ち向かったと聞き及んでます。
日本の軍人が 得意の面打ちを決めたら ドイツ製の頑丈な鉄帽にガツンとあてて 大刃こぼれを起こしたり 最後の突撃の際に 先頭を進む将校が、鉄条網を切ろうと刀を振るい 鋸の様に刃こぼれを付けた人も居たそうですね。
竜柳刀を使った事もありましたが、曲がりやすかったです。
この日本刀は凄く珍しく貴重だと思います。
謎だらけの日本刀でその日本刀は日本軍が誰が持っていたかも大きな謎の日本刀だとこの動画で思いました。
戦える刀、研ぎをしてるってのイイですね〜‼️魂や信念を大事にしてる御二人素晴らしい👏自分も武に身を置いて日々鍛錬してますが、御二人が仰るように「人を傷付ける事、殺める事が楽しい訳ではなくいざという時戦えるようにしとく為」に鍛錬してます。
イイ動画有難う御座います😊
凄くいい話でした。
研ぎCさん、詳しくないといいつつ聞き応えある解説ありがとうございます!
自分も居合剣士です。
知り合いの御父上が軍人で、軍刀をいただいきました。
刃こぼれ、有りますが関鍛冶の作です。
お気に入りですが、研ぎにお願いするお金無いので。
入間市の住人なので、研ぎCさん住まい近いですが~
武器として、美術品として
価値はそれだけでははかれない…
銃剣と打ち合ったのかなと思ったのですが研ぎCさんの見解も有り得るし面白いですね
持ち主と一緒に戦地へ行って帰ってきた御刀だから、お務めを労い大切にしてあげて欲しい
祖父も父も海軍士官でしたが祖父は太刀を軍刀拵え風にして鮫皮の鞘でしたが、陸戦任務の時は村田刀の鉄鞘で任務に当ったそうです今回の捲れと同じ様な形の傷と捲れが有り確か「コレどうしたの 」と聴いた時に銃剣と当たった時に突いて着たのを受けた時に着いて仕舞ったと言ってました少尉任官の時の恩賜の短刀はボタンが有ったそうですが、軍刀が咄嗟に抜けないと間に合わないとかで正式採用された軍刀は常時陸で這いずっている陸式には
必要だったろう、と言ってました。父は終戦時少佐でしたが、打刀の一文字なんとかとか覚えていないと言ってました、終戦時には米軍の捕虜になりまあ士官は帯刀を許せとか言って投降したそうですが収容所で キャッチボールしていた米兵に取り上げられて ノ~グット と言われ捨てられたそうで「何で?」と聞いた所あっちはポパイみたいな見上げる様なムキムキでこっちはやっと歩いて居る有様だったんで 嗚呼も吸うも無かったそうです。
海軍兵学校で戴いた短刀は二本在りますが 多分なんとか違反かな?研がなければ・・・
父の軍刀は千葉沖で米潜水艦の水雷で撃沈され村田刀は海中に太刀拵えの物は佩いていた時なのでありますが
祖父が登録して今は私名義です、しかし艦橋から放り出されたそうですが 重いでしょうに・・・
ノシ は得意だとか? 鮫皮巻で鞘は木だったから海面での負担が小さかったのでしょうね。
そう言えば短刀の拵えは随分と祖父と父では仕上げも相当違いますが刀身は父のまでは鍛造品ですが父の二期後は牛蒡剣で胡瓜かスイカ位しか切れないとか 祖父のは腹位切れるとか まあまあ父のは コレハラキリは無理一応短刀・・・
刀剣の扱いに関しては未だにGHQの思想そのものの部分が多いのかもしれないですね。その良し悪しはともかくとして、古来からの別の思想体系の存在を教えてくれるのもまた刀剣の魅力なんですね。古武術の先生方が大事にコレクションされる理由もなんとなくわかりました。
しかし軍刀もカッコイイ。どこかメカニカルな日本刀は中二心をくすぐりますわ。
抜けどめのバネの所を細かく見せてくれているわらきりさんの後ろで、それよりも、はよなかごはよ見たい研ぎCさんの絵がほんと好きです。
大和魂を感じるねえ
お二人の軍刀を含めた日本の昔から伝わる価値ある武器に対する思いを聞いて同意すると共に胸が熱くなりました。刀は人を斬るためのもの、だけどただの人殺しの道具ではなく持ち主の思い·信念を全うするためにその手段として使われていた。時代背景や持ち主の立場も含めて観てほしいですね。
神回!
研ぎCさんの言葉が胸に響く…
この刀を作刀した匠も、この刀を振るった鎌倉武士も、受け継いだかもしれない幕末志士も、武士の魂を軍刀にして背負った日本兵も、関わった全ての人の心に想いをはせられるいい動画でした。ありがとうございます♪
駐爪留めの小気味良い音、今も機能を保持されている事は素晴らしいです。徒に忌避することなくお清めを施した上で大切に継がれていた一振りなのでしょうね。
軍刀にも、美があると思います。
最高です。
支那兵も青竜刀を個人で装備しておりましたので、泥沼の戦場で切り結んだのかも知れませんね。
状態の良い拵え、少尉の刀緒がついてます。青年将校だったのでしょうか。
家宝の古刀を携えて出征した少尉と、子の無事を願い送り出した親兄弟の気持ちを考えると感慨無量です。
所持されていた方が無事帰還されたことを願います。
傷を見てると、持っていた人の戦う時の間合いを感じられて、思わず生唾ごっくんと鳴ってしまった🫢
観賞用じゃない刀の凄味というか、その刀の歴史を妄想できる楽しみっていうか、味付けが違うのも別の楽しみ方が味わえて面白いですね。
軍刀の拵えを別に作り替えて、改めて登録し直せないのかなぁ。
登録審査員はちゃんと鍛えてあるか、焼きはしっかり入っているか位しか見れないので(刀が見える人もいます)現状では軍刀の登録は難しいと思います。この動画を見て、そのような登録制度を変えるキッカケになればと思います。
私の本家にも曾祖父、祖父が大陸で実戦に使ってきた軍刀拵えの古刀があります。曾祖父は当時、中国軍何人を切って捨てた等と地方新聞の従軍取材記事に載った事もあり遺品として受け継いだその刀は研ぎ減りしこの動画の軍刀のように傷だらけですが間違いなく何人もの敵を切って日本を守ってきた軍神そのもと私は思っています。
軍刀のお話大変興味深く拝見させて頂き、私の祖父の軍刀の事を思い出しました。
私の祖父は武家の三男坊で任官して戦地に行く際に曽祖父から「お前は三男で家も財産も継げないかもしれないから、せめて刀を持って行け」と言われ先祖伝来の日本刀を持たされたそうです。
其れには西南戦争の時に付いたと言われる傷が有ったそうです。
残念ながら敗戦で戦地にて武装解除された時に敵兵に盗られる位ならばと、現地に拳銃と共に土中に埋めたそうで残っておりません。
もしかすると、そう言った祖父と同じ経緯で家宝の日本刀を軍刀にして持って行った人も多かったかも知れませんね。
私の曾祖父も家宝のものをもっていきました 途中で特務機関に引き抜かれたため、刀などが敵にとられることもなく戦後も残っていますが、
無念にも埋めたり、盗られた方もいらっしゃると思うと胸が痛みます
ウチにある九八式と同じなので九八式ですね。
この軍刀の鞘の輪っかは1つだけど2つだと九四式になります。
軍刀の中の刀身も無銘の刀身、軍刀として作った刀身、家伝の在銘の刀身、恩賞の刀身(恩賜)などがあります。
興亜一心 満鐵之作、越前國住兼植、相州住綱廣、靖延(恩賜)、無銘、無銘(ステンレス鋼)の軍刀を持っていますが、どれも違っていて面白いです。
ちなみに徳島県警の板野警察署の地域課の巡査長に職務質問を受けた際にこんなのは全部無銘は5万円〜在銘は20万円くらいで買える軍刀なんか玉数あって価値なんかそんなもんと言われました。(刀は骨董屋帰りだったので正当な理由あり)
本当に上記のモノはそんな程度なんでしょうか?
ちなみにウチにあるステンレス刀(登録あり)は私の名義に変更できましたけど所持はダメなんでしょうか?
傷を 残しながら 錆だけ取って、とても綺麗な刀になっていて、感激です。
激しい刃まくれに、厳かな気分日本人なりました。
無名で、目釘穴二つ
これも、想像を 掻き立たせるファクターですね。
童心に帰ったかのように楽しそうにしてる
尉官の刀緒がついた98式軍刀です。
鍔が透かしでなく、鞘が軍服色なので昭和12~17年に制作された拵えかもしれません。
ボタンは「ラッチ」といいます。
陸軍だけではなく海軍の軍刀にもラッチはついております。
3式軍刀や末期になると「ラッチ」省略されてしまうことが多くなります。
中国戦線において敵軍は青龍刀を装備しており白兵戦などで切りあうことは多くあったそうです。
アメリカ軍相手では切りあう以前に弾に当たってしまうため軍刀の回収はできないと思います。
持ち主の方は多分戦死か負傷し退役されたと思われます。
理由としては尉官刀緒の98式軍刀であるためこの形状の軍刀を所持していれば終戦前に佐官まで昇進しているはずなので尉官刀緒がついてということは戦死か負傷し退役し昇進できなかったと考えるのが妥当です。
「旧大日本帝国陸軍海軍軍刀」で検索するとHPが検索できますので参考にしていただけましたら幸いです。
しかし軍刀について理解のある動画に心より感謝申し上げます。
お二方の仰る通り拵えを見ただけで「なまくら」と言い張る方は多いのです。
軍刀と下士官刀の区別もつかないで頭ごなしに否定せずただし評価をしてほしいです。
ぜひ上にあげたHPをご覧になり参考にして頂けましたら幸いです。
今後も参考になる動画をぜひよろしく願いいたします。
御著書購入させて頂きました!
前にどっかのネット記事で軍刀の使い手が悪い事から、この様な日本刀の刀身を入れてた人も居ると見た事がありましたが、実際、藁斬りさんの動画で拝見できるとは思わなかったです
自分は美術品としても日本刀好きだし歴史的価値を感じる古刀は更に好きなので2人の会話が楽しくて良かったです
爺ちゃんの形見で、98式の末期仕様(木鞘革巻)持ってます。
駐爪(ロック)は革のホック式です。
お二人の会話が素晴らしい。これからも更なるご活躍に期待しております。
個人的に軍刀の鍔が小さくて分厚い所が好きだったりする。
素晴らしい刀を見せていただきました。これが正に「鎬を削る」戦いということなのでしょうか。
軍刀にもその時代その情勢の歴史があり歴史的価値はありますよね。
軍刀から学ぶ事や日本人としての精神性を今もって感じる事ができました。
ありがとうございます。
先祖伝来の刀の拵えを作り直して、軍刀にしたり、
中には福岡一文字の茎を擦り上げて、サーベル軍刀にした旧武士階級も居たとか…
現代人からしたら勿体ないと感じますが、それだけ家名を背負い、命を掛けたと云うことだと思います。
総力戦の時代に刀なんか吊ってと貶める向きが少なくありませんでしたけど、将校が心の拠り所として刀を携えて戦場に赴いたのだろうと思うと感慨無量ですね。
誉傷は、支那戦線で、もしかしたら青龍刀(抗日大刀)と打ち合ったのではないでしょうか?
アメリカのガンショップで"この銃は何人射殺した”とか履歴で銃を買わせないほうに動くもんだが、何人斬った、殺したとかをセールスポイントにする刀商は結構サイコ
古い刀だったら、現代戦の戦場で戦ってできた刃捲れではなく、もっと古い時代にできた刃捲れで
刃捲れできた状態で軍刀に拵えていった可能性もあるかもしれない
現地で使うわけじゃないけど、先祖代々の刀をお守り代わりみたいなのはありそう
お守りとして持っていった人も相当数いたと思います。
美術的かつ、目に見えた歴史的鵜価値があるお刀!私もぜひ鑑賞してみたいと思いました。靖国神社に奉納されていてもおかしくないですね。米軍の中でも九九/九六式軽機関銃と軍刀はこぞって鹵獲されたようです。軍刀を構えた剣術の心得がある前線指揮官の恐さを、身をもって体感した彼らが戦後に血眼で刀狩したのも納得です。
素晴らしいですね
軍刀の中に古刀が入ってるとは…
研ぎCさんは詳しそうと思ってました
むしろ海軍刀の方がお詳しいとか?
いつか海軍刀も共演してほしいですね
そろそろ海自時代のお話もお聞かせ願いたいなぁ……
海軍軍刀も過去に所有してました。
実戦では素晴らしい働きをしたであろうと想像できる刀でした。
あの時の戦いが今に伝わるいい刀だと思う
当時の中国軍は分厚いナタみたいな刀(抗日大刀と呼ばれる)を軍隊の装備として使ってたからもしかしたら中国兵の白兵突撃に対して日本軍も銃剣と刀で迎え撃ったのかもしれないと思ったり
お2人共、最高です!!
やはり刀は日本人にとって大切なモノですね!!これからも魂のこもった配信を楽しみにしています!頑張ってください(^^)
当時の国民党軍は青竜刀を
装備していましたので
青竜刀と戦ったのかと
思います。
歴史の証人ですから
おっしゃるとおり
ステンレス刀も
スプリング刀も
そして三十年式銃剣も
歴史的遺産として
許可していただきたいと
思います。
我が家に有る銃剣は
切断されていて痛ましい
限りです。
藁切りさんと研ぎCさんの考察が大好きでいつも視聴してます
お二人の、ワクワクしている表情、とても素敵です!
傷の入った刀から、色々妄想する気持ち、私もとても良く分かります。
タイムマシンがあったら、未来ではなく、迷わず過去に行き、刀がどんな使われ方をしたか見てみたいです!
軍刀として扱われながら新しく造った拵や鍔・柄巻もかなりしっかりしてるし、無駄のない質実剛健な造り、やっぱり日本刀は古刀がいいなぁ・・・
多分これお家の人も戦争に行くからお家の家宝に近いのを造り直してあげたんやろね・・・
誰かの命を守るために戦って、そして帰ってきたそんな刀な気がする。
英霊に敬礼!
最後まで刀を手にしながら語る 研ぎC さんワロタ。wwww
中国軍は貧乏だったから、万里の長城線などでは青龍刀を持った大刀隊が編成されて日本軍に肉薄、夜襲してたのでそういう経緯かと。
鞘がすごい✨👏👏👏
形もそうだけど、昔の方ってこんな風に工夫してるんですね!
直刃でほんと綺麗に研がれてて大事にされてたのがすごく伝わりました。
細い切込みと力が込めやすいとなるとナタとか外国だとマチェットなどが想像できますが、記録が無いのでそこに想いを馳せるしかないですね💦
同じとこに均等にってなると早ぶりで長さ短めな気もします、、、
最後のカチャがめっちゃかっこいい
当時の将校さんは、軍服、拳銃、軍刀の類は、自費で支度しなくてはならなかったので、戦地に赴く時に先祖代々伝わる刀を軍刀揃えにして戦地に赴く事は普通にあったようですよ。
ステンレス刀は当時のGHQから先祖代々の良き日本刀を 赤羽 に集められて破棄されそうなのを救うために 焼き入れ だのと言って廃棄する代わりに、動画にもあがっている古刀を救ったので、今の時代は、歴史的な視点から昭和刀やステンレス刀の所持を認めても良い気がします。
日本在住の中国出身です、自分日本刀も中国武具も好きですが、この刀を見ると昔の戦争は歴史教本の文字じゃなく実在の事件だどう実感しました。
ですが昔の戦争ことを想像しで楽しく感じることが少し理解できないです、こちらの刀の持ち主もきっと戦争に苦しまれでたし、この刀に奪われた命もあるだろうし、、
古刀と言うことは実は戦時下で付いた傷でなく更に古い傷であった可能性もあるのかなとも思えるとまた違ったドラマも想像できますね
今回の軍刀は姿も地鐵や刃文も出来が良いですね
上級軍人の中には現在の重文級の刀を戦地に携えた方も居られたとか聞いて居りますが、スプリング刀や満鐵刀等や刀匠に寄って近代的に鍛えられた刀が軍刀としての実戦刀として残って居ます
それらは本当に貴重な刀です
しかし現在は平成の刀狩りによって失われようとしています
自衛隊が国を守るための銃剣や特殊部隊のアーミーナイフ等に粗製乱造の物を使われたらたまりません
研ぎCさんが言われる様に“軍刀枠”で軍刀と歴史を守って欲しいものです
私も軍刀を歴史資料として遺すのは賛成です。
しかしながら軍刀は数打ち刀で安物と価値を理解しない人が圧倒的に多いのが現状です。
①どんな良い刀も軍刀にしたら価値は無いに等しい。
②軍刀は玉数残っているから価値が無い。
③恩賜軍刀や初期満鉄刀を見て10万円〜20万円くらいの値段を付ける警官。
そして法的根拠なく差し出せとかほざく警官と何の権限もなく警官の味方をしてゴチャゴチャ言う野次馬
過去に言われた事を3つほど書き込みしてみました。
日本刀好きとかコレクターの中には、軍刀や軍刀所持者を見下す人も居るので、動画の中のお二人はそうじゃなくて良かったです……
本当にそうですね
やはり偏見は私も良くないと思っています
当時の軍刀が刀匠に寄る作刀であろうとスプリング刀でも満鐵刀でもステンレス刀でも、出兵される方々の無事の帰還を願って作刀された魂の籠った軍刀だと思います
美術刀剣で実戦に使えない刀とは自ずと造り手の思いが違っていたのではないでしょうか
私は其の思いを現代の人々も受け継ぐべきだと考えています
若い世代の研師の方の話を初めて聴きましたが、
貴方が魅せられた刀剣の世界が御本人の目に滲んで垣間見える様な気がしました。
「宿る」とは良い日本語の言葉ですね。
研ぎCさんの考えとても分かります。
昔の方も好き好んで戦ったわけではないですよ。
だけど戦わないと人も土地も国も守れないから仕方なくかつ、
全力で戦うんですよ。
自分で言うのもなんですが、
自分も少しは昔の方のような気概を持って
生きていきたいと努めています。
ご存知だと思うのであれですけど、中国戦線であればいわゆる抗日大刀(清朝の漢人部隊で使われていた簡素な作りの砍刀とか言われるものを日中戦争時にも使ったもの)というものも火器の不足から使われていたそうですから、そうしたものと打ち合った可能性はある。とか色々考えられるのが何も言わない刀の物語を感じられて良いですね。
とても面白い動画です!軍刀は独特な魅力があると感じています。
とても素晴らしい御刀、お話ですね!
お話から刀の背景が伝わって来た感じで泣けて来ました。
蘭丸は変態さんだったんだね。
自衛隊幹部候補生学校でみた小野田さんの刀を思い出しました
さまざまな人、武人、ひとりの人間のおもいがあったんでしょうね
ウチの爺ちゃんの軍刀は弾が当たった跡があります。
多分研ぎ師さんの想像より白兵戦で敵の銃剣着剣のいわゆる槍的武器との交戦の結果の気がします。
今でも軍刀や銃剣の最後の白兵戦における重要性は変わりなく、現にウクライナ軍でも使用されているようです。
塹壕の白兵戦では軍刀の他スコップや銃剣など手当たり次第武器になりそうなものはなんでも動員されたようです。
過去、現在でも少数の部隊が数倍の敵部隊と交戦して勝つ事例はありますし、この軍刀もそうした戦いをくぐり抜けて日本に戻ってきたのでしょうね。
精神論が否定される昨今。だけどそんな今だからこそ武士道や騎士道の一途な志を学んで何事にも屈しない強靭な心を育てるべきだと思います!
同感です!
戦後のGHQの“刀狩り”さえ逃れた、凄い軍刀です~😉
おそらくは、中国戦線に赴かれた方が先祖伝来の刀を軍刀に仕込んで持って行かれた軍刀でしょう。
先の戦争に行った方々、戦争下にいた方々に敬意を持つ事は大切な事だとおもいます。軍刀の中でスプリング刀ステンレス刀が有って其れを子孫でも持てないのは、おかしいですね。
誉れの傷の刀は珍しいですね。登録高評価を入れました、応援しています頑張って下さい。
うちの祖父は中国で中国軍と刀で斬り合ったと言っていました。
恐らくですが、抗日大刀といういわゆる「青龍刀」(本当は青龍刀は長柄の別種武器)のような刀と戦ったのではないかと思います。
抗日大刀は振ると左右にしなるほど柔らかいので、受けた刀も折れなかったのではないでしょうか。
いつも楽しくみさせていただいてます。
今回は特に研ぎCさんの研ぎに対する思いがあまりにも素敵だったのでついコメントをしてしまいました。
昔の人は刀を信じて命を託し戦場へ赴いた。そして戦うことを想定し刀を研いでいらっしゃる研ぎCさんの古来の魂を受け継いでいくというあり方に感銘を受けました。
普段は変態的言動を楽しくみさせていただいてますが、是非これからも信念が垣間見える動画を楽しみにしています!
一度研ぎCさんの作業を実際に見てみたいものですね...
刀の良し悪しはわからないけど凄い物見せてもらったな
刀の知識は全くありませんが 綺麗な刀ですね。
持ち主の方は きっと真っ直ぐで誠実な方だったのではないかなぁと想像しました。
勉強になる解説 いつもありがとうございます。
何時も楽しく視聴させていただいてます 学生時代、合気道の西尾先生の北米指導ツアーに帯同する機会がありその折、古物商で軍刀を衝動買いしてしまいました、税関や警察にはお世話になりましたが、海外流失美術品というカテゴリーで無税でした、中身は豊後鎮行の銘と折紙付でした…今も大切に保存してます、奇跡の出逢いだと感じていました…
ボタン…は駐爪(ちゅうそう)と言います。
中国軍や匪賊は銃の他に青龍刀や次朗刀で武装していた例が多くありますよ。
かっこいい欲しくなる
ステンレス刀も登録できる場合もありますよ。
最近は登録しやすいそうです。
まさしく鎬を削った刀ですね。感動しました。
日本刀は人を斬るもので、この刀の持ち主は大和魂があると思います。
僕も大人になったら武器として愛刀にしたいと思います。
たぶん、銃剣じゃないかなぁ。米軍の銃剣もナイフタイプだし。WW2時代は日米ともに最後は白兵戦だからねぇ
刀を研ぐ方が戦地に行った体験談の中にとんでもないような刀があったって話がありましたね
古刀の軍刀ってかっこよすぎ
私の父も本家から一振り貰って出征したと言っていたので意外と古刀はあるかもしれませんね。但し敗戦の時武装解除で全て没収されたそうです。あと大陸では敵兵は刀身の幅の広い蛮刀(正式名は知りません)を持っていたと言っていました。
刀の傷が生きた歴史を感じさせてくれる
話が面白いだけで無く研ぎCさん凄い蘭丸の話をもっと聞きたい