Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
なんと素晴らしい動画を…ありがとうございます✨八本松の撮影場所が大体わかりますし、列車通過時駅長さんか助役さんがホームに出てましたよね✨最高〜🌈です✨
コメント有難うございます。本音を言うと走るEF59と八本松での走行解放シーンを撮りたかった。
素晴らしいの一言です。EF62のブロア音&ジョイント音、EF61-200のクイル式の音。EF67とEF61-200の重連回送があったことは初めて知りました。非冷房115系12連も迫力ありました。
tatsuya super 当時まだあった、走行解放のシーンを撮りたかったのですが、該当の貨物の荷が軽く、補機が付いていなくてガッカリしたのを覚えています。でも今となっては、すべて想い出のシーンになってしまいました。
これぞザ・国鉄広島!セノハチのロクイチとか最高です
115系に、ヘッドマークが付いているのを見たのは、初めてです。上野駅のホームで、高崎線や宇都宮線では、ヘッドマークが付いていない115系を見慣れているので、ヘッドマーク付きは、新鮮さを感じました。JRになっても、ヘッドマークは付いているのでしょうか。
コキフが現役の時ですね。そもそもコキ50000はもう引退していたなぁ。今ではすごく貴重だと思いますね。
訂正です。撮影年は、1984年ではなく、1985年と思われます。私が記録をなくしたのが原因ですが。なぜ、1985年かと言うと只今編集中の瀬野機関区(1985年には、広島機関区瀬野派出所)のEF59休車群のシーンで「広」の区名札があったので、瀬野機関区が広島機関区に統合後と発覚したからです。
コキフ50000、民営化後も運用してましたが、車掌室の窓は塞がれてましたね。
郵便・荷物列車、上野駅や品川駅、新宿駅で見かけましたね。
赤のEF67と青のEF61200番台の補機回送があったんですね。
昔はEF59などの補機が付いていたけど今は見れないから一度見てみたいな補機付きで走ってるとこ
O T 今は確かEF210‐300が補機として活躍してますね。
意外とEF65のF型がこっちで運用されてますね 多分稲沢配置機だと思います この頃はまだ高崎に集められてなかったんですね
1:11ここトーマスやんwDE10「ペッペー 起きろよなまけもの!僕みたいに働けよ!」EF58「クゥ~後で仕返ししてやるからなぁ~」
コメントありがとうございます。EF58「今動いてやる。あれ動かない。マスコンに何か札が・・・。廃車前提の休車・・・・・・・・」
広島CITY電車のヘッドマークが懐かしいですね。昭和から駆け抜けた115系もこの3月でいよいよ山陽本線を引退する、と聞いて寂しい限りです。
コメントありがとうございます。え!115系引退ですか・・。寂しいですね。
@@rvdrv 広島地区から引退。
岡山、山口は115系運用に着くのかな?
この頃のEF66でPS22を搭載してるのは珍しいですね。
コメントありがとうございます。PS22のEF66は変則機として扱ってましたね。EF66は元々予備部品が少なく、検査などでは使いまわしで期間を短縮したと聞いた覚えがあります。
でも懐かしい‼️私が小学校4年生の頃ですね‼️当時は分割民営化時代の頃ですね‼️(^○^)
+渡辺清 コメントありがとうございます。ちょうど民営化を目前にしてシステムが変わろうとした頃だったと思います。EF62が牽引している荷物列車は民営化前に廃止、貨物列車に着いている車掌車も1985年には山陽筋からは原則連結になっています。
+RVDRV 懐かしいですね‼️貨物列車の車掌車も民営化後なくなりましたね‼️(^○^)
+RVDRV 原則連結→原則連結廃止
いい時代ですね。
コメントありがとうございます。いい時代でした。タイムマシーンがあれば・・・。
EF65F、それとコキフやヨがいた時代ですね。
コメ返し遅れて申し訳ないです。コキフやヨに関しては主に電気機関車牽引貨物に関しては車掌車の連結が廃止される直前だと思われます。EF65Fに関しては私自身、この動画に出るFを見るとテンションが上がります。
ゴハチに引導を渡したEF62でしたが、直後の荷物列車廃止でさほど活躍できませんでしたね。碓氷峠専用機をわざわざ改装せずゴハチを最後まで使ってあげれば良かったのに、暖房装置の都合なのでしょうかね?低歯車比ゆえに故障も多かったみたいですし。
コメントありがとうございます。私もEF62へ置き換えをしないでEF58で数年頑張った方が良かったと思います。セノハチの補機と蒸気暖房装置を嫌ったのでしょうね。上越・東北の電気暖房EF58を回すとか出来なかったのかな?
EF58は故障も多かったと聞きましたよ。EF64も検討されてたらしいけど、余剰車が無かったみたいです。
旧八本松駅舎がなつかしい。この撮影時より数年前まで、153系が留置されてました。
コメ返し遅れて申し訳ないです。留置されていた153系が気になります。特に低運転台車両が好きです。
コキの標準サイズのコンテナ、4個積みと5個積みがあるんですね。コキの形式が違うのでしょうか?
コメントありがとうございます。コキの形式は違います。コンテナ5個積みはコキ50000形、コンテナ4個積みはコキ5500形コキ10000形ですね。
10:52の貨物列車20両も繋がってるのにコンテナ3個しか載ってませんね。
コメントありがとうございます。当時のコンテナ列車ではよく見られた光景です。特に10000系の列車ではよくあったので(ここでは50000系みたいですが)、特急コンテナ列車と呼ばれた列車だったのかな?
貨物列車や郵便・荷物列車に補機が連結されてるのとされてないのが有りますが、補機が連結されてないのは編成が短いからでしょうか?
コメ返し遅れて申し訳ないです。セノハチに補機が付くのは上り列車のみ(下りは全て単機回送「と言っても重連で来ることが多いですが」)なので、荷が軽いと補機は付かない事が多いみたいです。当時はまだ八本松駅で走行解放のコンテナ列車が数本あったのですが、コンテナが乗っていなくて補機が付いていなくてガッカリした事がよくありました。客レに関しては、EF65,EF66,EF62牽引の場合補機が付く事は無いので、イベント以外で補機が付くことはなかったと思います。EF58現役末期は代走などでブルートレイン牽引時などは補機が付き八本松での走行解放もあったとか???西村京太郎トラベルミステリーのトリックになったけど。
@@rvdrv 説明不足ですいません。私が聞きたかったのは、上りの貨物列車に補機が連結されてるのとされてない事なのです。色々説明いただきありがとうございます。後西村京太郎のドラマ、見た記憶が有ります。あれは確か犯人が補機に乗り込み、そこから夜行列車に乗り移って犯行に及んだと言う内容だったでしょうか?(何分かなり前の事なので記憶違いだったらすいません😣💦⤵️)
いえいえ下りの単機回送は上りに補機が付いたり付かなかったりに大きく関係します。セノハチと碓氷峠や板谷峠の補機運用の大きな違いは碓氷峠(必ず)や板谷峠は基本的にダイヤに補機の指定があれば全て上りも下りも補機が付きます。(ブレーキの関係もあるみたい)しかし、セノハチはダイヤに補機連結の指定があっても荷が軽ければ補機はつきません。(コキフル編成でもコンテナが乗っていなければ補機はつきません)セノハチでは下り列車に補機の必要性がないので、上り列車の重量のみを考えれが良い訳です。ドラマの方は、私の記憶では「さくら」車内で殺人してセノハチでEF59に乗り移り八本松で走行解放したので、ノンストップ列車でのトリックが出来たと言ったところでしょうか。あとEF63がセノハチへ行かなかったのは、セノハチの補機用機関車としては定格速度が異常と言えるほど高く、EF63では山陽本線のダイヤに乗れないのかもしれません。EF62は高速走行で故障続きで短命でした。長文失礼しました。
@@rvdrv 考えてみれば、EF63は大宮への単機回送でも低速でしたね。色々ご指摘ありがとうございます。
RVDRV l
タイムマシンが有ったら、この頃にタイムスリップしたいですね😃
碓氷の主 、信越本線の主力のロクニが下関転属は一番衝撃だったかも
走行解放が行なわれていた。時代ですね。
コメントありがとうございます。時代としては、走行解放していたのですが、該当するれ列車(特に撮影可能な時間帯の)は荷が載ってないことが多く、走行解放を撮影するは難しいかったと思います。わたしも撃沈しました。
62が下関に来た時点で国鉄は終わったと思った
115の12連圧巻でしたね。今では見られないバカ長い編成です。
コメントありがとうございます。列車は長い方がいいですよね。
おがけん 東北本線(宇都宮線)、高崎線の115系は最大で15両走ってましたよ。
山陽本線の今では4両編成で、信越本線では3両編成やね。
國鐵末期のさい来る電車やシティトレイン化で編成を短くして本数増やしたのが影響してますかね…
今と変わらない気がする。
コメントありがとうございます。走っている車両はほぼ変わっていると思いますが周りの風景は動なのでしょうか。久々に訪れたいな瀬野八。
懐かしい感じです
EF58がいますね。
フロントウインドウの大きさから推測したら69号?
私が思うに残念なのは、碓氷峠越えの役目を終えたEF63をセノハチの補機として活用してくれた方が良かったと思うのですが。特に3次車は経年数も浅いと思うので、全車廃車にするのは勿体ない気がするのですが(´;ω;`)
セノハチで走らせるには車体重いから無理、と聞いたことがある
@@anago34 碓井峠みたいに2両で使用は難しいけど、1両の単機なら可能かも。EF63の出力はEF65と同じ2550キロワットで粘着ブレーキの装備有と無しの違いだから。試験走行をしながら改造したら行ける気がするんだけどね。その分費用がかかるかもしれないけど。
池田雅史その発想いいね!どうせEF63は横軽の運用外れたから瀬野八の運用に着くのも。試験走行と改造で運用は可能なはずなんだけどね。
いつ頃?
コメント有難うございます。1984年か1985年昭和59年が60年。山陽本線の荷物列車の牽引がEF58からEF62へ代わり、EF59は休車状態で廃車待ちでした。まだ国鉄時代です。
@@rvdrv レアル・マドリードのキンタデルエルブイトレとKKのPL学園の時代。
115の編成が長い
ラッシュ時に近い時間だった事も要因かな。
なんと素晴らしい動画を…ありがとうございます✨
八本松の撮影場所が大体わかりますし、列車通過時駅長さんか助役さんがホームに出てましたよね✨
最高〜🌈です✨
コメント有難うございます。本音を言うと走るEF59と八本松での走行解放シーンを撮りたかった。
素晴らしいの一言です。EF62のブロア音&ジョイント音、EF61-200のクイル式の音。EF67とEF61-200の重連回送があったことは初めて知りました。非冷房115系12連も迫力ありました。
tatsuya super 当時まだあった、走行解放のシーンを撮りたかったのですが、該当の貨物の荷が軽く、補機が付いていなくてガッカリしたのを覚えています。でも今となっては、すべて想い出のシーンになってしまいました。
これぞザ・国鉄広島!セノハチのロクイチとか最高です
115系に、ヘッドマークが付いているのを見たのは、初めてです。上野駅のホームで、高崎線や宇都宮線では、ヘッドマークが付いていない115系を見慣れているので、ヘッドマーク付きは、新鮮さを感じました。JRになっても、ヘッドマークは付いているのでしょうか。
コキフが現役の時ですね。
そもそもコキ50000はもう引退していたなぁ。今ではすごく貴重だと思いますね。
訂正です。撮影年は、1984年ではなく、1985年と思われます。私が記録をなくしたのが原因ですが。なぜ、1985年かと言うと只今編集中の瀬野機関区(1985年には、広島機関区瀬野派出所)のEF59休車群のシーンで「広」の区名札があったので、瀬野機関区が広島機関区に統合後と発覚したからです。
コキフ50000、民営化後も運用してましたが、車掌室の窓は塞がれてましたね。
郵便・荷物列車、上野駅や品川駅、新宿駅で見かけましたね。
赤のEF67と青のEF61200番台の補機回送があったんですね。
昔はEF59などの補機が付いていたけど今は見れないから一度見てみたいな補機付きで走ってるとこ
O T 今は確かEF210‐300が補機として活躍してますね。
意外とEF65のF型がこっちで運用されてますね 多分稲沢配置機だと思います この頃はまだ高崎に集められてなかったんですね
1:11ここトーマスやんw
DE10「ペッペー 起きろよなまけもの!僕みたいに働けよ!」
EF58「クゥ~後で仕返ししてやるからなぁ~」
コメントありがとうございます。
EF58「今動いてやる。あれ動かない。マスコンに何か札が・・・。廃車前提の休車・・・・・・・・」
広島CITY電車のヘッドマークが懐かしいですね。昭和から駆け抜けた115系もこの3月でいよいよ山陽本線を引退する、と聞いて寂しい限りです。
コメントありがとうございます。え!115系引退ですか・・。寂しいですね。
@@rvdrv
広島地区から引退。
岡山、山口は115系運用に着くのかな?
この頃のEF66でPS22を搭載してるのは珍しいですね。
コメントありがとうございます。PS22のEF66は変則機として扱ってましたね。EF66は元々予備部品が少なく、検査などでは使いまわしで期間を短縮したと聞いた覚えがあります。
でも懐かしい‼️私が小学校4年生の頃ですね‼️当時は分割民営化時代の頃ですね‼️(^○^)
+渡辺清 コメントありがとうございます。ちょうど民営化を目前にしてシステムが変わろうとした頃だったと思います。EF62が牽引している荷物列車は民営化前に廃止、貨物列車に着いている車掌車も1985年には山陽筋からは原則連結になっています。
+RVDRV 懐かしいですね‼️貨物列車の車掌車も民営化後なくなりましたね‼️(^○^)
+RVDRV 原則連結→原則連結廃止
いい時代ですね。
コメントありがとうございます。いい時代でした。タイムマシーンがあれば・・・。
EF65F、それとコキフやヨがいた時代ですね。
コメ返し遅れて申し訳ないです。コキフやヨに関しては主に電気機関車牽引貨物に関しては車掌車の連結が廃止される直前だと思われます。EF65Fに関しては私自身、この動画に出るFを見るとテンションが上がります。
ゴハチに引導を渡したEF62でしたが、直後の荷物列車廃止でさほど活躍できませんでしたね。
碓氷峠専用機をわざわざ改装せずゴハチを最後まで使ってあげれば良かったのに、暖房装置の都合なのでしょうかね?
低歯車比ゆえに故障も多かったみたいですし。
コメントありがとうございます。私もEF62へ置き換えをしないでEF58で数年頑張った方が良かったと思います。セノハチの補機と蒸気暖房装置を嫌ったのでしょうね。上越・東北の電気暖房EF58を回すとか出来なかったのかな?
EF58は故障も多かったと聞きましたよ。EF64も検討されてたらしいけど、余剰車が無かったみたいです。
旧八本松駅舎がなつかしい。
この撮影時より数年前まで、
153系が留置されてました。
コメ返し遅れて申し訳ないです。留置されていた153系が気になります。特に低運転台車両が好きです。
コキの標準サイズのコンテナ、4個積みと5個積みがあるんですね。
コキの形式が違うのでしょうか?
コメントありがとうございます。コキの形式は違います。コンテナ5個積みはコキ50000形、コンテナ4個積みはコキ5500形コキ10000形ですね。
10:52の貨物列車20両も繋がってるのにコンテナ3個しか載ってませんね。
コメントありがとうございます。当時のコンテナ列車ではよく見られた光景です。特に10000系の列車ではよくあったので(ここでは50000系みたいですが)、特急コンテナ列車と呼ばれた列車だったのかな?
貨物列車や郵便・荷物列車に補機が連結されてるのとされてないのが有りますが、補機が連結されてないのは編成が短いからでしょうか?
コメ返し遅れて申し訳ないです。セノハチに補機が付くのは上り列車のみ(下りは全て単機回送「と言っても重連で来ることが多いですが」)なので、荷が軽いと補機は付かない事が多いみたいです。当時はまだ八本松駅で走行解放のコンテナ列車が数本あったのですが、コンテナが乗っていなくて補機が付いていなくてガッカリした事がよくありました。客レに関しては、EF65,EF66,EF62牽引の場合補機が付く事は無いので、イベント以外で補機が付くことはなかったと思います。EF58現役末期は代走などでブルートレイン牽引時などは補機が付き八本松での走行解放もあったとか???
西村京太郎トラベルミステリーのトリックになったけど。
@@rvdrv 説明不足ですいません。私が聞きたかったのは、上りの貨物列車に補機が連結されてるのとされてない事なのです。色々説明いただきありがとうございます。後西村京太郎のドラマ、見た記憶が有ります。あれは確か犯人が補機に乗り込み、そこから夜行列車に乗り移って犯行に及んだと言う内容だったでしょうか?(何分かなり前の事なので記憶違いだったらすいません😣💦⤵️)
いえいえ下りの単機回送は上りに補機が付いたり付かなかったりに大きく関係します。セノハチと碓氷峠や板谷峠の補機運用の大きな違いは碓氷峠(必ず)や板谷峠は基本的にダイヤに補機の指定があれば全て上りも下りも補機が付きます。(ブレーキの関係もあるみたい)
しかし、セノハチはダイヤに補機連結の指定があっても荷が軽ければ補機はつきません。(コキフル編成でもコンテナが乗っていなければ補機はつきません)
セノハチでは下り列車に補機の必要性がないので、上り列車の重量のみを考えれが良い訳です。
ドラマの方は、私の記憶では「さくら」車内で殺人してセノハチでEF59に乗り移り八本松で走行解放したので、ノンストップ列車でのトリックが出来たと言ったところでしょうか。
あとEF63がセノハチへ行かなかったのは、セノハチの補機用機関車としては定格速度が異常と言えるほど高く、EF63では山陽本線のダイヤに乗れないのかもしれません。EF62は高速走行で故障続きで短命でした。
長文失礼しました。
@@rvdrv 考えてみれば、EF63は大宮への単機回送でも低速でしたね。色々ご指摘ありがとうございます。
RVDRV l
タイムマシンが有ったら、この頃にタイムスリップしたいですね😃
碓氷の主 、信越本線の主力のロクニが下関転属は一番衝撃だったかも
走行解放が行なわれていた。時代ですね。
コメントありがとうございます。時代としては、走行解放していたのですが、該当するれ列車(特に撮影可能な時間帯の)は荷が載ってないことが多く、走行解放を撮影するは難しいかったと思います。わたしも撃沈しました。
62が下関に来た時点で国鉄は終わったと思った
115の12連圧巻でしたね。
今では見られないバカ長い編成です。
コメントありがとうございます。列車は長い方がいいですよね。
おがけん 東北本線(宇都宮線)、高崎線の115系は最大で15両走ってましたよ。
山陽本線の今では4両編成で、信越本線では3両編成やね。
國鐵末期のさい来る電車やシティトレイン化で編成を短くして本数増やしたのが影響してますかね…
今と変わらない気がする。
コメントありがとうございます。走っている車両はほぼ変わっていると思いますが周りの風景は動なのでしょうか。久々に訪れたいな瀬野八。
懐かしい感じです
EF58がいますね。
フロントウインドウの大きさから推測したら69号?
私が思うに残念なのは、碓氷峠越えの役目を終えたEF63をセノハチの補機として活用してくれた方が良かったと思うのですが。特に3次車は経年数も浅いと思うので、全車廃車にするのは勿体ない気がするのですが(´;ω;`)
セノハチで走らせるには車体重いから無理、と聞いたことがある
@@anago34
碓井峠みたいに2両で使用は難しいけど、1両の単機なら可能かも。EF63の出力はEF65と同じ2550キロワットで粘着ブレーキの装備有と無しの違いだから。試験走行をしながら改造したら行ける気がするんだけどね。その分費用がかかるかもしれないけど。
池田雅史
その発想いいね!どうせEF63は横軽の運用外れたから瀬野八の運用に着くのも。試験走行と改造で運用は可能なはずなんだけどね。
いつ頃?
コメント有難うございます。
1984年か1985年昭和59年が60年。
山陽本線の荷物列車の牽引がEF58からEF62へ代わり、EF59は休車状態で廃車待ちでした。まだ国鉄時代です。
@@rvdrv レアル・マドリードのキンタデルエルブイトレとKKのPL学園の時代。
115の編成が長い
ラッシュ時に近い時間だった事も要因かな。