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ご覧頂きありがとうございます。劉禅は、愚かだったのか、優秀だったのか、本当のところはどうだったんでしょうか。。。。今も、そんな論争を巻き起こす影響力!さすがは、劉禅というところでしょうか。
2周目
董允は費禕との比較で政務を滞らせたありますが侍中守尚書令で、劉禅への諫言・黄皓の監視もセットでやっておりオーバーワークだったのでないかと思います。呂乂は陳祗と分担、費禕の尚書令時代は、董允が侍中やってたはずなので、安心して任せられていたと
蜀の名将はオーバーワークになりがちですね、
まあ董允が黄皓を抑えてたってのは後年の後付な気はしますが。史実を調べると陳シが実は姜維の北伐をバックアップした名臣であったり、実は黄皓に国を支配させてしまったのは諸葛瞻だったり意外な事実が
董允は今でも四川の人から尊敬されていると聞いた事ありますね。彼や蒋琬が早く亡くなったのは惜しまれます
名将は今でも認められ続けていますね
蜀滅亡時に漁夫の利を得んとした呉に立ち向かった羅憲(らけん)もよろしく。
名将の紹介、ありがとうございます!
@@sangokushich 羅憲は単独の伝がなく、「霍峻(かくしゅん)伝」に載っているので、そちらを参照願いたい。
蜀が滅亡し城を守り通した後は登用され元蜀将を推挙した人ですね。陳寿も推挙した1人のはず?霍駿は父も本人も城を守り名声をあげ、蜀滅亡直後、魏の軍に劉禅の安否を問い劉禅の書状を見て降伏した将とか。
ナレーターさん、声が美しい
ありがとうございます!嬉しいです。
最近では劉禅を見直す向きがありますけど、名君というには程遠いでしょうね。ただ、劉禅を超えるバカ殿の一人として「万暦帝」を推します。
そうですね、名君は言い過ぎですね
胡亥や孫皓よりは余程マシという程度でしょうね。凡庸ではあれど暗君では無かったと。
三国志しか知らないからアトはアホ!(笑) とか言ってられるだけで、中国全体からみたらブルブル震えがくるくらいキチガイ君主だらけで彼はぜんぜん評価に値するレベル「見直す向き」は、評価できない人を逆張りでわざと持ち上げてる・・・わけじゃなく、知識が深まっていってる人が多いからでしょう
まともに正史読んだら後主伝なんて薄っぺら過ぎて再評価する余地ないからな
孫皓は意図的に呉を滅亡に向かわせた節がある
細かい事ですが”皇帝の配下”は”幕僚”とは言いません(『幕僚』が一般名詞化しているので小説なんかで使われたりすることもあると思いますので別に細かいこと言わなければいいんですが)『幕』が皇帝から命を受けて遠征先(もしくは朝廷)で幕府(個人的の府)を開いた状態の事でそのスタッフの事を特に”幕僚”というので『天下の人全員家来』の建前の皇帝は幕僚を持ちません
私個人が何らかの文章を書く場合は『その個人の官職(皇帝に仕える立場)がわかればその官職(例えば”侍中”とか)で』書きますがもしわからなければ『側近』という言葉でお茶を濁しますね笑
なるほど、勉強になります。ありがとうございます。
@@sangokushich 簡単に言えばこの制度を流用した日本の制度で天皇の家来を”幕臣”とはいわないですよね?そういうことです
りょうかやちょうよくみたいに最後まで頑張った武将も好きやこどね。
横山三国志でも良い感じで扱われてますね!
劉禅は結果的に国を滅ぼしたし流されやすいしで名君ではなかったと思うけど、圧倒的な国力差と絶望的な人材不足の中でも40年近く蜀を維持してみせたあたり只者ではなかったと信じてる。
そうですね、長い間、国を維持させてますよね。
もし劉禅が長坂なりで劉備の二人の娘みたいに捕まるか死ぬかしてた場合、武勇に優れた劉封か、もしくは後に黄皓とバチバチにやり合ってた次男の劉永が皇帝だったと思うと、その世界線も見てみたかったけどね。劉理は早死にしちゃったけど
劉永の皇帝のふるまいも見てみないですね!
戦犯は陳祇か
戦犯は、数名いそうですね。
お疲れ様です四相と呼ばれた劉禅相談役の董允、諸葛亮蜀の政治家、費禕と蔣琬劉禅の部下の霍弋も居ました仮に黄皓が居なかったら、北伐戦はもうちょっと粘ってたかもしれません黄皓と姜維の関係が良くないのは、ゲーム知ってました最後に董允の画像って、ウィキペディアに参照となった呂凱に似てますよね
黄皓、1人の部下の影響力ってすごいですね。
劉禅、血統を残せただけでも、阿呆ではないような気がするのですが
降伏した後に見せたあの愚行、あれ演技じゃないんですかね?
あの後の晋の動乱を見ると、例え阿呆に見られてでも、旧臣や民衆を守ったのは、頭の回転が良かったとは思いますね。だからこそ晋の動乱の中でも、巴蜀は安定していたわけですし
そうですね、なんだかんだ世渡り上手だったんでしょうか。
@@sangokushich 世渡り上手と言うか、あの期間政権を維持してきたことを思えば、寧ろ非凡
孫皓が生意気な態度とっても何もしないぐらい降伏者に対して甘々な司馬一族にそんな猿芝居をする必要性が無い後、劉禅の降伏なんて別に早い訳じゃなく三馬鹿騒動の影響もあって成都はボロボロだから血統残せたって安楽公の跡継ぎで揉めさせてるし永嘉の乱で直系は断絶だし
本当に愚かだったら、諸葛亮亡き後に40年近くも蜀を維持出来るのかと、うp主に聞いてみたい。
そうですね、40年ってなかなか頑張っていますよね
@@sangokushich 最初の数年はそれこそ他の人が名前を出している武将がいたからまだ何とかなったけど、その人達も皆亡くなったけど、蜀の中では徐州派閥・荊州派閥・益州派閥がかなり揉めていたし、そんなの関係なしで軍を進めていた涼州派閥筆頭の姜維がいたりで、よく胃に穴があかなかったもんだって思うよ。だからこその蜀滅亡後の朗らかな顔だったのではないかって思うよ。旧臣や民衆を救うためとは言え、滅亡後に暗君になりきれたのもある意味凄いと思う
在位期間が長ければすごいのなら万暦帝だって名君だわ
これって諸葛亮が生み出したシステムと人材が40年耐えうるものってことじゃない?
システムが万能だったとしても人材はいなくなるし、人材がいなくなればシステムを扱える人もいなくなるわけだし。それにその後の晋の八王の乱の時に、荒れた中原に比べて巴蜀は安定していたし、だからこそ成漢が成立されたし、いくら下処理を諸葛亮がしてたとしても、国を護った点では評価されるべきでは?
趙雲が助けなければ時代はどうなってたのだろう
蜀が滅ぶ年が幾分後ろにずれたのでは無かろうかと
そうですね、劉禅のいなかった蜀はどうなっていたんでしょう
劉備には他に子供はいなかったのだろうか。
劉永か劉理が後継者になるんじゃね?劉封は将器があるが、劉備直系じゃない為孔明が排除に動きそう。
た、助けなかったほうが…
この劉禅家臣団も、今の日本の政府を想像するんだよなぁ…特に黄浩は財務省…諸葛孔明みたいな人間が現れてほしいものだよ。
現れてほしいです!!
蜀は最初は人材の宝庫だった。伏龍鳳雛両者加わり、武芸には五虎大将軍に姜維、魏延や馬岱など。更に費禕や蒋琬、董允と内政も充実していた。だからこそ劉備、孔明死去後も数十年持ちこたえていたけど、次々に亡くなった結果、最後に黄皓が専横する事になり、滅亡へと繋がった。😊
その名将たちが劉禅の40年を支えたんですね
張苞!関興!そして劉封!早世、若死、そして賜死…曹操・孫堅に比べ、劉備一派の次世代の弱さよ
もっと、長生きしていたら、、、どうなっていたんでしょう
ご覧頂きありがとうございます。
劉禅は、愚かだったのか、優秀だったのか、本当のところはどうだったんでしょうか。。。。
今も、そんな論争を巻き起こす影響力!さすがは、劉禅というところでしょうか。
2周目
董允は費禕との比較で政務を滞らせたありますが
侍中守尚書令で、劉禅への諫言・黄皓の監視もセットでやっておりオーバーワークだったのでないかと思います。
呂乂は陳祗と分担、費禕の尚書令時代は、董允が侍中やってたはずなので、安心して任せられていたと
蜀の名将はオーバーワークになりがちですね、
まあ董允が黄皓を抑えてたってのは後年の後付な気はしますが。
史実を調べると陳シが実は姜維の北伐をバックアップした名臣であったり、実は黄皓に国を支配させてしまったのは諸葛瞻だったり意外な事実が
董允は今でも四川の人から尊敬されていると聞いた事ありますね。
彼や蒋琬が早く亡くなったのは惜しまれます
名将は今でも認められ続けていますね
蜀滅亡時に漁夫の利を得んとした呉に立ち向かった羅憲(らけん)もよろしく。
名将の紹介、ありがとうございます!
@@sangokushich 羅憲は単独の伝がなく、「霍峻(かくしゅん)伝」に載っているので、そちらを参照願いたい。
蜀が滅亡し城を守り通した後は登用され元蜀将を推挙した人ですね。陳寿も推挙した1人のはず?
霍駿は父も本人も城を守り名声をあげ、蜀滅亡直後、魏の軍に劉禅の安否を問い劉禅の書状を見て降伏した将とか。
ナレーターさん、声が美しい
ありがとうございます!嬉しいです。
最近では劉禅を見直す向きがありますけど、名君というには程遠いでしょうね。
ただ、劉禅を超えるバカ殿の一人として「万暦帝」を推します。
そうですね、名君は言い過ぎですね
胡亥や孫皓よりは余程マシという程度でしょうね。
凡庸ではあれど暗君では無かったと。
三国志しか知らないからアトはアホ!(笑) とか言ってられるだけで、
中国全体からみたらブルブル震えがくるくらいキチガイ君主だらけで
彼はぜんぜん評価に値するレベル
「見直す向き」は、評価できない人を逆張りでわざと持ち上げてる・・・わけじゃなく、
知識が深まっていってる人が多いからでしょう
まともに正史読んだら後主伝なんて薄っぺら過ぎて再評価する余地ないからな
孫皓は意図的に呉を滅亡に向かわせた節がある
細かい事ですが”皇帝の配下”は”幕僚”とは言いません(『幕僚』が一般名詞化しているので小説なんかで使われたりすることもあると思いますので別に細かいこと言わなければいいんですが)
『幕』が皇帝から命を受けて遠征先(もしくは朝廷)で幕府(個人的の府)を開いた状態の事でそのスタッフの事を特に”幕僚”というので『天下の人全員家来』の建前の皇帝は幕僚を持ちません
私個人が何らかの文章を書く場合は
『その個人の官職(皇帝に仕える立場)がわかればその官職(例えば”侍中”とか)で』書きますが
もしわからなければ『側近』という言葉でお茶を濁しますね笑
なるほど、勉強になります。ありがとうございます。
@@sangokushich 簡単に言えばこの制度を流用した日本の制度で
天皇の家来を”幕臣”とはいわないですよね?
そういうことです
りょうかやちょうよくみたいに最後まで頑張った武将も好きやこどね。
横山三国志でも良い感じで扱われてますね!
劉禅は結果的に国を滅ぼしたし流されやすいしで名君ではなかったと思うけど、圧倒的な国力差と絶望的な人材不足の中でも40年近く蜀を維持してみせたあたり只者ではなかったと信じてる。
そうですね、長い間、国を維持させてますよね。
もし劉禅が長坂なりで劉備の二人の娘みたいに捕まるか死ぬかしてた場合、武勇に優れた劉封か、もしくは後に黄皓とバチバチにやり合ってた次男の劉永が皇帝だったと思うと、その世界線も見てみたかったけどね。
劉理は早死にしちゃったけど
劉永の皇帝のふるまいも見てみないですね!
戦犯は陳祇か
戦犯は、数名いそうですね。
お疲れ様です
四相と呼ばれた劉禅相談役の董允、諸葛亮
蜀の政治家、費禕と蔣琬
劉禅の部下の霍弋も居ました
仮に黄皓が居なかったら、北伐戦はもうちょっと粘ってたかもしれません
黄皓と姜維の関係が良くないのは、ゲーム知ってました
最後に董允の画像って、ウィキペディアに参照となった呂凱に似てますよね
黄皓、1人の部下の影響力ってすごいですね。
劉禅、血統を残せただけでも、阿呆ではないような気がするのですが
降伏した後に見せたあの愚行、あれ演技じゃないんですかね?
あの後の晋の動乱を見ると、例え阿呆に見られてでも、旧臣や民衆を守ったのは、頭の回転が良かったとは思いますね。
だからこそ晋の動乱の中でも、巴蜀は安定していたわけですし
そうですね、なんだかんだ世渡り上手だったんでしょうか。
@@sangokushich 世渡り上手と言うか、あの期間政権を維持してきたことを思えば、寧ろ非凡
孫皓が生意気な態度とっても何もしないぐらい降伏者に対して甘々な司馬一族にそんな猿芝居をする必要性が無い
後、劉禅の降伏なんて別に早い訳じゃなく三馬鹿騒動の影響もあって成都はボロボロだから
血統残せたって安楽公の跡継ぎで揉めさせてるし永嘉の乱で直系は断絶だし
本当に愚かだったら、諸葛亮亡き後に40年近くも蜀を維持出来るのかと、うp主に聞いてみたい。
そうですね、40年ってなかなか頑張っていますよね
@@sangokushich 最初の数年はそれこそ他の人が名前を出している武将がいたからまだ何とかなったけど、その人達も皆亡くなったけど、蜀の中では徐州派閥・荊州派閥・益州派閥がかなり揉めていたし、そんなの関係なしで軍を進めていた涼州派閥筆頭の姜維がいたりで、よく胃に穴があかなかったもんだって思うよ。だからこその蜀滅亡後の朗らかな顔だったのではないかって思うよ。
旧臣や民衆を救うためとは言え、滅亡後に暗君になりきれたのもある意味凄いと思う
在位期間が長ければすごいのなら万暦帝だって名君だわ
これって諸葛亮が生み出したシステムと人材が40年耐えうるものってことじゃない?
システムが万能だったとしても人材はいなくなるし、人材がいなくなればシステムを扱える人もいなくなるわけだし。
それにその後の晋の八王の乱の時に、荒れた中原に比べて巴蜀は安定していたし、だからこそ成漢が成立されたし、いくら下処理を諸葛亮がしてたとしても、国を護った点では評価されるべきでは?
趙雲が助けなければ時代はどうなってたのだろう
蜀が滅ぶ年が幾分後ろにずれたのでは無かろうかと
そうですね、劉禅のいなかった蜀はどうなっていたんでしょう
劉備には他に子供はいなかったのだろうか。
劉永か劉理が後継者になるんじゃね?
劉封は将器があるが、劉備直系じゃない為孔明が排除に動きそう。
た、助けなかったほうが…
この劉禅家臣団も、今の日本の政府を想像するんだよなぁ…
特に黄浩は財務省…
諸葛孔明みたいな人間が現れてほしいものだよ。
現れてほしいです!!
蜀は最初は人材の宝庫だった。伏龍鳳雛両者加わり、武芸には五虎大将軍に姜維、魏延や馬岱など。更に費禕や蒋琬、董允と内政も充実していた。だからこそ劉備、孔明死去後も数十年持ちこたえていたけど、次々に亡くなった結果、最後に黄皓が専横する事になり、滅亡へと繋がった。😊
その名将たちが劉禅の40年を支えたんですね
張苞!関興!そして劉封!
早世、若死、そして賜死…
曹操・孫堅に比べ、劉備一派の次世代の弱さよ
もっと、長生きしていたら、、、どうなっていたんでしょう