見れば見るほどカッコいいわ。
光武帝劉秀が主人公の漫画があったら是非見てみたいわ。
つまり、
統率100 武力100 知力100 政治100 魅力100
って事で♪
門番に締め出されるって、皇帝が道理をちゃんとわきまえているからできる行為だな。
皇帝に成っても門限を度々守らなくて、家臣がブチ切れ
門を開けてもらえ無かったエピソードが大好きです😂
責任者が守衛に顔パスで通れない事にキレたり
守衛が警備規則を破る訳にはいかない、
と抗議できないどころか逆に謝らせられる会社の話を聞くと
組織の質はリーダーの質そのものだと思い知らされる
つーか歴史上の偉人ってゴロツキの群れを率いてたハズなのに
いつの間にか精鋭部隊の引率者になってる
「糟糠の妻」の語源となった家臣とのエピソードは好きだね。
皇帝の姉を妻にして、皇帝の義兄になれば栄達は間違いないのに
苦楽を共にしてきた妻を捨てられませんと、それを断った宋弘の人なりもそうだが
自分の姉との婚姻を拒否されるのだから、恥をかかされたと怒る皇帝もいそうなものだが
宋弘の言葉に感激して諦める劉秀の人なりにも感じるところがある
「糟糠の妻」の語源となった家臣とのエピソードは好きだね。
皇帝の姉を妻にして、皇帝の義兄になれば栄達は間違いないのに
苦楽を共にしてきた妻を捨てられませんと、それを断った宋弘の人なりもそうだが
自分の姉との婚姻を拒否されるのだから、恥をかかされたと怒る皇帝もいそうなものだが
宋弘の言葉に感激して諦める劉秀の人なりにも感じるところがある
田舎の弱小勢力からのしあがって行った点では織田信長などとよく似ていますが、信長が若い頃から身内・味方に裏切られまくり続けてついに自滅してしまったのとは対称的です。劉秀は姉と仲がよく、また家臣とも友達になってしまうなど性格の良さが滲み出るエピソードが多い。劉秀が皇帝になってから故郷に凱旋して親戚一堂を集めて宴会した時「文叔みたいな大人しい子が皇帝様になるなんて思ってもみなかったよ」と親戚のオバチャンに冷やかされると劉秀は苦笑して「柔の道で天下を治めて行きたいと思っております」と答えたのも爽やかです。「軍を動かす度に白髪が増えてしまうよ」と友達にぼやく辺りは彼が軽い気持ちで戦をした事などないという事なのでしょう。私利私欲など全く軽視していたからこそ史上最高の皇帝になったのでしょうか。
前漢の劉邦や明の朱元璋、それに豊臣秀吉とかも。最近では毛沢東とか
下層から頂点に成りあがった人物は、権力を握るとそれに執着して傲慢に振る舞うことが多いのだよね
劉秀の場合は、下層と言っても、地方のそれなりの家の出だったし。学もあったのもよかったのでしょう。
成りあがっても理性的に振る舞っていたな
前漢の劉邦や明の朱元璋、それに豊臣秀吉とかも。最近では毛沢東とか
下層から頂点に成りあがった人物は、権力を握るとそれに執着して傲慢に振る舞うことが多いのだよね
劉秀の場合は、下層と言っても、地方のそれなりの家の出だったし。学もあったのもよかったのでしょう。
成りあがっても理性的に振る舞っていたな
周礼のような寓話や御伽噺のようなものを元のした王莽が、現実的な光武帝に滅ぼされ
現実的だった光武帝が御伽噺のような活躍をして、寓話のように後世に語られる皮肉
光武帝劉秀は歴史上漢を再興した唯一の男。軍事的才能と政治的手腕を兼備し美男子で陰麗華との恋愛を成就させたエピソードも好きです😄 天下統一後一人の功臣も粛清していない。まさに創業と守成を成し遂げた皇帝だ!
劉秀の幕僚たちはみな優秀だったと思うよ。劉邦の幕僚たちと比較しても遜色はない名将たちだっただろう。
そうでなければ劉秀も大成できるわけがない
ただ、一番に目立つ存在であるトップの皇帝が優れた人物だったから、家臣たちはどうしても目立たなかっただけでね
劉邦の場合はその逆に彼は政治とか軍事とかには無能だったから、家臣たちの才能が目立ったのだ
「結婚したのは37歳の時」と言ってるがこれは皇后になった歳の間違いなのでは? ウィキペディアで陰麗華の経歴を調べてみると18歳で劉秀(28歳)と結婚しております。
銅馬軍十数万の降伏兵の中を
悠々と謁兵したエピソードが凄すぎる。
是非とも映像で観てみたいが。
合い間にインサートされる「三国 Three Kingdoms」の画像で後漢の終焉を思い起こし複雑な気分に😢
あのドラマだと献帝は自らの命で先祖に詫び、船ごと水底に沈んでいくんですよね。悲しい。
サラディンと並ぶ(或いはそれ以上)の中国史というか世界史上でも類を見ない名君。ただ流石に奸臣になって不正を働きそうな者には例外的に厳しい処遇を下したそうですがそれは仕方ないですね。
そりゃあ、奸臣を放置しておくと国が乱れる元になりますしね( ̄▽ ̄;)苦笑
中国史上、1人の奸臣が切欠で王朝が滅亡した、滅亡への道が加速した、な〜んて事は幾らでもありますし( ̄▽ ̄;)苦笑
権力を握ることで起こる性格の歪みが見られないのが凄いところ
光武帝劉秀。銀英伝の作者田中芳樹先生も中国史上の最高の名君と評価されてましたね✨自分は清の康煕帝かな?と思ってますが。
さて動画の最後に言ってた取り上げて欲しい人物。大勢いるけど、あえて一人上げれば、唐の功臣李勣。若い時は徐世勣と名乗ってましたね。
ティーンネイジャーの頃から煬帝の圧政に反抗して、叛乱軍を組織して、戦ったという凄い経歴。ましてや自分は若すぎるからと、ボスを立てながら軍師として采配を奮ったと言う人物。李密にもかかわりますし、後に太宗の宿老の一人にもなります。本国中国ではどれくらいの人気かは分かりませんが、自分はとても興味深い人物ですね🤠
パーフェクト超人なんだけど敵がいまいちパッとしないせいであまり物語の題材にならない偉人だ
横山光輝先生には、劉秀の物語を描いてほしかった。
まっこと惜しい。
横山光輝ので思い出したが
横山氏は三国時代を舞台とした三国志だけではなく、殷周の時代を舞台とした封神演義や明代を舞台とした水滸伝とかも書いているけど
同じ中国でも時代は何百何千年と違うのに、鎧とか服装とか風俗はどれも一緒なのだよね
三国志の時代と明の時代とでは服装も武装も違いはあるだろうに
その辺をちゃんとかき分けて欲しかったような
横山光輝ので思い出したが
横山氏は三国時代を舞台とした三国志だけではなく、殷周の時代を舞台とした封神演義や明代を舞台とした水滸伝とかも書いているけど
同じ中国でも時代は何百何千年と違うのに、鎧とか服装とか風俗はどれも一緒なのだよね
三国志の時代と明の時代とでは服装も武装も違いはあるだろうに
その辺をちゃんとかき分けて欲しかったような
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三国志執筆当初はまだ日中国交正常化前で大陸から資料を取り寄せたりするのが困難だったとの事で、数少ない日本国内にある資料を元に軍装や武器等を描いていたが、その資料が明の時代のもので後漢末~三国時代からざっと1200年以上未来のデザインを採用してしまったらしいよ
後に国交正常化で様々な資料に目を通せる機会が生じてからこの事実に気がついたけど時すでに遅しってやつだったとか
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前漢の時代直後に赤眉の乱が起き
後漢の時代の末に黄巾の乱が起きているが
赤眉の乱では敵味方を区別するために賊軍は眉を赤くし
黄巾の乱では黄色い布をかぶっていたという。
要するに服装とか鎧などで、当時は賊軍と正規軍を区別することが出来なかった
正規軍と言えども、下のものはその程度の武装しか用意してなかったってことだ
劉秀が完璧すぎて盛り上がらない様な気もしますw
こういうのは「人望はあるけど欠点も多い英雄が、その徳望を慕った個性豊かな猛将・智将・名軍師に支えられ、幾多のピンチを軍師の計略で逃れ、大決戦で天下を取る」というのが盛り上がるのですが、劉秀の場合、強大な敵は自ら寡兵で正面突破し、不遇の時でも手堅く隙が無いので基本的にピンチに陥ることも少ないので配下が目立たないんですね。敵も勢力の大きさとしてはともかく将器としては格下ばかりですし。劉邦に対する項羽や、劉備に対する曹操の様な敵ではありません。
宮城谷正光の「草原の風」を読んだのですが、大きなドラマが無く淡々と地道に頑張って天下を取っていった感じです。
自分の好きな中国皇帝はこの後漢光武帝劉秀と宋太祖趙匡胤です。趙匡胤をお願いします。
雲台28将の肖像画(?)ジョジョ立ちっぽくて好き
陰麗華と結婚したのは陰麗華が37歳の時ではなく、陰麗華が19歳、劉秀が29歳の時です。
7:42 『周礼』は「しゅうれい」ではなく「しゅらい」と呼び慣らし、周代の礼制・主に官位制について述べた書です。
儒学十三経のひとつであり、『周礼(しゅらい)』『儀礼(ぎらい)』『礼記(らいき・小戴礼記)』の三書を併せ「三礼(さんらい)」と呼ばれます。
易・書・詩・礼・春秋の『五経』や『論語』『孟子』『孝経』などは古今の知識人にとって必須教養・必須学問であり続けました。(『四書』の呼称は『礼記』から「大学」「中庸」の二篇を独立させた南宋・朱熹以降)
現在でも漢籍愛好家であれば避けては通れない道ですが、礼制に関する経籍は恐ろしく退屈で遅々として進まず心が折れかけました。
「あの英雄や名臣たちもこれを学んだんだ」と自分を奮い立たせないと読破は厳しかったですね笑
他の人も書き込んでいるけど光武帝は名君というより忍耐と徳の人って感想になるよね三国志演義の劉備像の原型
雲台二十八将の多くがもともと文官畑の人材で武功をたてた功臣をそのまま官僚として活用できて創業期の混乱が少なかったという点が中興者光武帝の後漢政権の基盤を強固にできたことに影響していると思う(孝廉はまあ、みなさんご存じの結果になったけど)
聖王って言われるの嫌すぎて「聖」の字を使用禁止にしたエピソード大好き
この方のお兄ちゃんも素敵な方だったそうですね
この動画を見た後になんとなくWikipediaに行ったら後漢書が文庫になってるのを見かけたので早速ポチりました。後漢書ってAmazonじゃ一冊で1万円以上で10冊とか20冊でセットなので買うのに躊躇するし図書館で所蔵してるのは県庁所在地か都道府県立図書館じゃないと駄目なので実に嬉しい。
光武帝のエピソードで好きなのは「赤心を推して人の腹中に置く。」なんだけど心から信頼したからと解釈するべきか?それともいざとなれば武力で鎮圧するからその見極めとしたのか?で個人的に迷いますw
個人的にもう一人の「こうぶてい(洪武帝)」が一番夢があるかな
あえて付け加えると、
十全天子である後漢の光武帝(BC.5~AD.57、在位:AD.25~AD.57)が用いた「建武」という年号は、非常に縁起が良いものとされた。
そのため、中国では、西晋、東晋、後趙、西燕、南朝斉と北魏の北海王・元顥が採用した。
我が日本でも後醍醐天皇(第96代、1288~1339、在位1318~1339)も用いられたことでも知られている。
横山光輝先生にはもっと長生きをされて、光武帝劉秀の一代記を描いてほしかった・・・・・(涙)
更に蛇足ながら付け加える。
欧州では、ほぼ時期をを同じくしてアウグストゥス(オクタウィアヌス、BC.63~AD.14、在位:BC.27~AD.14)が帝政ローマを移行させている。偶然とはいえ興味深い史実である。
現代中国にいたら間違いなく日本にとって手強いライバルになったと思われますが、
そもそも光武帝は日本を敵と考えず、争いを避けようとするでしょうね。
この光武帝の解説を見て
秀麗伝見たくなったので
契約してる配信サービスで検索したけど…
配信されて無かった(T_T)
くだらない韓流や中国ドラマは糞みたいにウザいくらいあるのに…
肝心な作品が無いのは理不尽…
光武帝の欠点といえば、
・ジョークがクッソ寒い
・門限を守らない
以外には
・エロ絵マニア
・酔っぱらうと部下に死刑を言い渡す
くらい?
光武帝は讖緯説に傾倒しすぎた点はあんまり語られないよね
能力一級品、外見・妻云々はまぁ別として帝位に着く人に有りがちな精神的な屈折が無いところが一番デカいか?
リアルチートの体現者
優秀過ぎてゲームにすらできそうに無い
久しぶりにやる夫光武帝見ようかな。
徴姉妹が一番気になった^^
大魔导师,召唤陨石的男人
現在は、もっと関わりありません。
そら大河も凍る
あの国に優秀な遺伝子は遺されなかった。それが残念でならない。
聞き入りたいが、バックミュージックが傾聴を阻害する。甲高い音やドラムの様な音が邪魔をする。
皇帝になるまでの話は、劉秀という呼び名で語ってくれたほうが感じが出るなあ。
劉秀がのちに光武帝になった、程度のことは私みたいなアホでも理解できるので。笑
中華の出木杉君。ちょっとのび太。
圧倒的聖人であり聖王ではあるけど「名君」とは違うと思うんだよな
前漢王朝の劉邦は政治家としても武将としても特筆するべきような智謀の持ち主ではないだろう。
そんな人物が、なぜ漢王朝の建国者となれたのか、これも正直、不思議にも思えるが。
まあ、劉邦自身が語ったともされるけど、彼は自身が無能であったことを知っていたから
優秀な家臣を集め、彼らの能力に頼ったし、配下の功績を認める事も出来た。
そういうタイプの指導者は、ややすれば日本の岸田首相のように優柔不断な人物となりかねないのだが
劉邦の場合はそれでリーダーシップをとれたのだから、何が良いかわからないな
それに対して後漢王朝の光武帝劉秀は、下級とは言っても役人の家の生まれで、漢王朝の系譜に連なる家であり
地方の名門のご子息だったわけだし
学問も納めていた。
乱世で頭角を現すのは、劉邦とか織田信長のような型破りな人物が多いのだが。
劉秀の治世でもそれなりに才幹を発揮できる人物だったでしょう
それで彼が特筆出来るのは、彼が皇帝になってからも、穏やかな治世が続いたことか
前漢の劉邦はもちろん、明の朱元璋とか、それに豊臣秀吉とかも。最近では毛沢東か
とにかく下層から一機に頂点に上り詰めた人間は、おかしな政治をすることが多かったり、粛清とか繰り返す血なまぐさい統治があるのだが
劉秀の治世では、そういうこともなかったわけではないが、比較的に少なかったし。
家臣の面倒もよく見ていた。
まあ、諸葛亮の言うように家臣が才能がなかったわけではないと思うが。ぶっちゃけ、劉備の幕僚たちと比較しても遜色がない能力があったでしょうけど
トップの劉秀が優れていたので、劉備の幕僚たちほど活躍が注目される事はなかったのでしょうね
俺も彼を見習いたい。なぜなら俺は是非に置いて誰も許さないし、敵においては殺した先の地獄ですら生ぬるいと考えていて、どのような手順でケジメを付けさせるのが心身親族の痛みが最大になるのかを日々考えているからだ。なぜならそいつらの罪の重さがあまりにも大きく指を全て切り落とすぐらいでは全然足りないからだ。まぁつまり実はそんな自分を変えるつもりは一切ないという事なんだけどね。
私は、♀で、♂とは、過去も現在も未来も、永遠に一切関係ないので、この方の、前世現世来世とも関わりはありませんでした。よって、その方の敵とも、過去も未来永遠に一切関係ないです。こじ坂46の歌詞の中に、洛陽寿散っていく運命と謳われていて、それがミリオンで売れたから、洛陽の消滅は、永遠です。
さすがに清の康熙帝が最優秀だと思うわ
話長くね。
個人的にもう一人の「こうぶてい(洪武帝)」が一番夢があるかな
前漢王朝の劉邦は政治家としても武将としても特筆するべきような智謀の持ち主ではないだろう。
そんな人物が、なぜ漢王朝の建国者となれたのか、これも正直、不思議にも思えるが。
まあ、劉邦自身が語ったともされるけど、彼は自身が無能であったことを知っていたから
優秀な家臣を集め、彼らの能力に頼ったし、配下の功績を認める事も出来た。
そういうタイプの指導者は、ややすれば日本の岸田首相のように優柔不断な人物となりかねないのだが
劉邦の場合はそれでリーダーシップをとれたのだから、何が良いかわからないな
それに対して後漢王朝の光武帝劉秀は、下級とは言っても役人の家の生まれで、漢王朝の系譜に連なる家であり
地方の名門のご子息だったわけだし
学問も納めていた。
乱世で頭角を現すのは、劉邦とか織田信長のような型破りな人物が多いのだが。
劉秀の治世でもそれなりに才幹を発揮できる人物だったでしょう
それで彼が特筆出来るのは、彼が皇帝になってからも、穏やかな治世が続いたことか
前漢の劉邦はもちろん、明の朱元璋とか、それに豊臣秀吉とかも。最近では毛沢東か
とにかく下層から一機に頂点に上り詰めた人間は、おかしな政治をすることが多かったり、粛清とか繰り返す血なまぐさい統治があるのだが
劉秀の治世では、そういうこともなかったわけではないが、比較的に少なかったし。
家臣の面倒もよく見ていた。
まあ、諸葛亮の言うように家臣が才能がなかったわけではないと思うが。ぶっちゃけ、劉備の幕僚たちと比較しても遜色がない能力があったでしょうけど
トップの劉秀が優れていたので、劉備の幕僚たちほど活躍が注目される事はなかったのでしょうね
この人の何が一番すごいかというと 亡くなるまで 名君であり続けたこと
孫権「…」
🙏🏼🌈👍🌏
これ。案外難しいんだよなぁ。致命的な汚点がないところも。
粛清おじさん