中学で音楽を教えています。歌の試験は一人ずつ別室でしています。 生徒達(特に男子)は自分が音痴だと思っている子が多いです。 音痴だと思い込んでいる理由に、変声期で音域が変化したり狭くなったりすることで、上手く歌えないから音痴だと思い込んでいる生徒が多いです。 一人ずつ、それぞれの音域に合わせて歌ってもらうことで、君が音痴なんじゃなくてみんなで歌う時の音域が君に合ってないだけだよ。という事に気づいてもらいたい思いもあり、一人ずつ歌の試験をやっています。音域に調を合わせてあげると歌える子が多いし、歌いやすい調は本当に人それぞれです。(特に中1,2) 変声期男子に歌を歌わせることに関しては悩みがつきず、何より点数をつけるのが良いとは思いません。でも、一人一人の歌声を聴いて変声前の声から変声後の声に導いたり、音痴という誤解を解いたりしてあげる必要はあると感じています。 子供達に音楽の喜びを感じる授業を展開するヒントになるので、車田先生の動画はいつも楽しみにしています。 Vielen Dank für Ihre Zeit !!
中学校でクラス全員の前で歌わされるテストが嫌いすぎて、高校は美術選択にしました…
文科省職員は全員、
この動画を視聴するべき
中学で音楽を教えています。歌の試験は一人ずつ別室でしています。
生徒達(特に男子)は自分が音痴だと思っている子が多いです。
音痴だと思い込んでいる理由に、変声期で音域が変化したり狭くなったりすることで、上手く歌えないから音痴だと思い込んでいる生徒が多いです。
一人ずつ、それぞれの音域に合わせて歌ってもらうことで、君が音痴なんじゃなくてみんなで歌う時の音域が君に合ってないだけだよ。という事に気づいてもらいたい思いもあり、一人ずつ歌の試験をやっています。音域に調を合わせてあげると歌える子が多いし、歌いやすい調は本当に人それぞれです。(特に中1,2)
変声期男子に歌を歌わせることに関しては悩みがつきず、何より点数をつけるのが良いとは思いません。でも、一人一人の歌声を聴いて変声前の声から変声後の声に導いたり、音痴という誤解を解いたりしてあげる必要はあると感じています。
子供達に音楽の喜びを感じる授業を展開するヒントになるので、車田先生の動画はいつも楽しみにしています。
Vielen Dank für Ihre Zeit !!
こちらこそありがとうございます!ご指導頑張って下さい!
音楽の先生が個人的に感動した思いを生徒に直接話してあげる事が大切。車田先生がしてるように。
中学校の音楽の先生はとても個性的で お話も面白くて楽しかったなー☺️ 歌のテストも生徒全員の歌い方を決して否定しなかったような、、、。小さい声で歌う子も褒めて、ふざけて歌う子も褒めて😅授業も車田さんのお話に近い内容をしてくださったような、、。不良達も音楽の授業だけは ちゃんと受けてたなー☺️ いい先生に恵まれた大好きな音楽の授業でした😃
本当にそのような出会いは大事だと思います!そういう先生に出会えた生徒達は本当にラッキー!
こんにちは。車田さんの、音楽に対する愛情と敬意に感服します。ボクは音楽教室を運営してますが、いつもとても共感して、生徒たちにも車田さんの動画を見てもらってます。
音楽に限らず、学校には素晴らしい先生はいらっしゃいます。不幸なことは、そういう先生が学習指導要領に縛られて、自由な授業がしにくいことです。個性や多様性が大切とか言いながら、実際には未履修だと言われることを恐れて、検定教科書を使って型にはまった授業をする。車田先生のおっしゃるように、教科書から離れ、中学や高校の範囲からも離れ、もっと先生が自由で個性的な授業ができる学校になってほしいですね。車田先生の今日の教育に関するお話は本当にその通りだと思います。
一時期音楽が教科から外される危機もありました。文科省としては音楽科を残しただけでも十分頑張ったと感じているのかなあ、という印象です。
現在50代後半の者です。私も歌のテスト、嫌でした。一人ずつみんなの前に出て唄わさせられました。私は音痴だったので笑われることもあり、超苦痛でした。
学校での歌に関してもう一つ嫌だったのが、文化祭や卒業式などで唄う歌の練習でした。
とにかく大きな声で唄えとクラスで選ばれた曲を何度も歌わさせられました。クラス全員で唄うのですが、一人でも声が出ていないと、何度でもやり直しさせられます。しかもこれ、放課後にやるので教師のOKがでないと帰れません。しかも曲目が合唱するような曲ではなく、当時流行っていたフォークソングなのです。大きな声を張り上げて唄うような曲ではありません!唄い辛い上、大きな声を出すのが苦手な私は何度となく、教師やクラスの係りの生徒から注意されました。本当に苦痛でたまりませんでした。これははっきり言って音楽ではなく、根性論そのものだと思います。
私は当時から根性論や精神論には疑問があり、吐き気がするほど嫌いです。
私は音楽を聴くことは好きなのですが唄うことは未だに苦手で、カラオケもやりませんでした。
体育も同じ。というか国語や数学も私が気づかなかっただけで同じかもしれない。
小学校の時音程の取れない生徒を皆の前で叱りつけた先生がいた。ヒステリックにピアノの鍵盤をたたいて「この音を出しなさい。なぜ出せないの!」としかりつけてとうとう泣き出してしまった。それでもゆるさず鍵盤をたたき続けた。それ以来ピアノの音が嫌いになった。つまらない次元ではない。恐怖だった。体育でも同じようなことがあった。グランドなので全校生徒に見られた。
学校の音楽では、この歌い方が正解とかこういう発声をしなさい。というものは、もっと上のレベルになってからで
いいように思います。やはり学校では、何も気にせずにのびのびと自己表現する場であってほしい。
昭和40年代の高校入試では、音楽のテストもありました。それと、1年に3回の音楽のテストがありました。週に1時間の音楽では、テストのための音楽時間の内容は知識習得が主となりました。高校入試に音楽がなくなっても、学校での3回の定期テストのためみ、知識習得の時間は続きました。そのうち、学校は、合唱コンクーの行事を催すことによって、学年内に一位をめざさせ、他教科の時間まで使って、合唱活動を盛んにさせました。知識だけではなく、歌を評価に入れた音楽の時間に変わっていきました。合唱といっても、自信のある子だけ楽しく、ほとんどはいやいや参加してたと思います。
小学校の歌のテストは嫌だった。みんなの前で歌わされれ上に、私は声変りが早くて高い声が出ずみんなにバカにされた。
カラオケなどという言葉すらない、小学生に人前で歌う機会など全く無い時代だった。
中学時代は3年になって一度だけ歌のテストがあった。もちろん嫌だった。曲はS.C.Fosterの故郷の人々。
その時もみんなの前で独唱だったが、なぜかうまく歌えたみたいで喝采を受けた記憶がある。
それでも歌のテストと聞いただけで反射的に「嫌だ!」と感じてしまう。
ドイツに留学してピアニスト、ピアノ講師をしております。車田さんの解説分かりやすくて作曲家や作品については面白くて良い音楽の授業を聞いているようで、教育に関することは私もなるほどなーって思う内容で勉強になります。私も、中学校のころもピアノや音楽が大好きはずなのに、音楽の授業は少しツラかったです。理由は歌のテストです😂私は裏声でしか歌えず、あまり声が通るほうでないし、地声できたなく歌うことにも抵抗があり結果声が細くて小さいということで厳しく指摘を受けたり、成績が5段階評価で満点貰えにくかったり(授業はちゃんと参加していて、筆記試験はピアノを習っているので出来て当然でしょうけど満点かそれに近かったです)していました。
歌のテストは本当に憂鬱でしたね。。
大学での定期試験の副科声楽も一人ずつ歌わされてたのですが、声が小さいから云々でなかったので良かったです😅採点基準が歌詞が正しいかとか音程やリズムといった基本的なことで、副科なので声そのもののような持って生まれたものや専門的に訓練して習得することというより、試験の前に頑張れば音楽学生なら皆成し遂げられるであろうことが出来れば良いですという感じでした。
中学で音楽教えてました。
先生と全く同じ言葉をブツブツ言いながら授業計画立ててました。音が苦ではなく、音が楽しい授業を目指してました。
小3の時にみんなの前で歌わされ笑われた事がきっかけで、音楽の授業をボイコットするようになりました。
中3のときの音楽の先生がきっかけでトラウマ?は払拭され、それからチェロも始め今でも続けています。音楽は私の人生に無くてはならないものになりました。
努力して先生になった人から教わる音楽が音楽嫌いな子供を作る……。お互い不幸な教育システムです。
😢
教科のひとつだから、公平だと説明できる基準で成績をつける必要があっての現状ですね。成績をつけずによい音楽に触れる機会になったらいいでしょうね。
今の授業の内容では、音楽的には評価のしようがないですね。結局、名前を覚えるテストなってしまいます。
中学校の音楽科教師です。この動画で全くその通り!と思うことを聞きました。音楽の授業が楽しくなければならないと考えて、日々授業を作っています。僕は若い頃からずっと長年教科書を使っていません。歌のテストも行っていません。新しい学校へ異動するとまず行うのが音楽室にある肖像画を外して捨てるところから始めます。理由はいらないからです。特に僕は鑑賞授業は大事だと思っていて、さらにコロナ禍で表現活動ができない時、鑑賞授業の割合が多くなりました。鑑賞授業ではその作曲家の本当の姿を生徒に話します。また、その作曲家がどのように音楽に関わったか背景を含め話をします。
おかげで、音楽の授業が楽しいと思ってくれる生徒が多く、授業の時には授業前にはほとんどの生徒が音楽室に揃って、僕の話を待っていてくれます。
僕と同じように思っている方がいて嬉しく思います。昨年、定年を迎え、今、再任用で音楽授業と部活に向き合っていますが、楽しい音楽授業、部活を目指しています。
動画、楽しみにしています。よろしくお願いします。
あれは中学校に入って少したった頃、音楽の授業で、先生のピアノに併せて校歌を歌うということがありました、授業が終わった時、先生が、「放課後この部屋に来て」と言うので、行ってみるとなんと声楽部、先生に紹介されて、声楽部もやることになりました、テニス部にも入っていましたが、話はついているとのことでした、放課後はまず声楽部に顔を出し、発声練習の歌を、ドレミで歌い30分それから、曲を歌う歌う、テニスにも顔を出し毎日帰りは10時ころ、
しかし声楽部は楽しかったです、部の雰囲気が良かったし、何といっても部の偏差値がとても高いのです、卒業生は県内の有名進学校に行く人たくさん、男女ともにです、とても秩序が保たれている部で、1年に1回市の公会堂でミュージカルの発表会もありました、高校には声楽部はなかったので、テニスに集中していましたが、声楽部があれば入っていたかも、今孫がピアノをやっており(男子)楽器は3歳から小学校低学年くらいまでは(今6歳)大人の10倍から100倍くらいのスピードで伸び、吸収すると思いますが、声楽は中学高校からでも出来るのではないかという感じがします、今も歌は好きです、
それから、他人から「あんたの声は高い」と、よく言われます。
声楽部というは面白いですね!
こんばんは(^^)
私は音楽の授業は楽しかったですよ!
私の知らない曲を教えてくれたり、歌を歌ったり、笛を吹いたり、アコーディオンとか、小学校時はベルリラと言う鉄琴を叩いたり、いろいろ新しい体験が音楽を好きにさせてくれたのかな❣️
ただし私の体験は55年前ですか⁉︎
また次回も楽しみにしてます(^ ^)
私は、学校の音楽の先生の授業の進め方が大事だと思います。私は、特に不満を抱いた事はありませんが、音楽が苦手な人にとっては、たまらないだろうと思います。日本は、テレビでいろんな音楽番組が視聴できます。これで、音楽を楽しんでいる人が多い気がします。日本人にとって、音楽とは何であるのかを考える事が必要なのかも知れないですね。
音楽の授業をちゃんと受けていればと後悔してます。最近、趣味で作曲を始めようと思い音楽の勉強をしているのですが、楽譜を読むのも苦労しています。音楽の先生も優しかったのに。私のバカ。
音楽の授業は特別好きではありませんでした。でも音楽は好きです。自分で好きに曲を作ったり、好きな曲を演奏したり、簡単な音楽の知識や音楽理論の勉強も好きです。
音楽以前に数学も得意ではなかったのでは?
楽譜云々だと楽譜の理解は「数学的」なセンスも要求されるので。
なお、初めて「音階」を解析・定義したのは音楽家では無く三平方の定理を発見したピタゴラスです。
私の出身の中学や高校では、試験は「音楽に関して言えばなんでも」許されました。
昭和ガッツリでしたけど、音楽の先生がとても先進的で、
私は中学の時は自分でアレンジした譜面をMIDIで演奏しましたし、高校ではoboeのソロで成績を貰いました。芸術の授業であれば、幅広くていいですよね。
😶
うまく歌えない生徒を職員室に呼んでそこで歌わせる。外れてるので周りの先生方はニヤニヤ。赤くなって消え入りそうになってる生徒。
僕はその中の一人で、卒業時これで音楽から解放され一生無縁でいられるとホットしたのに、10年くらいしてクラシック音楽を聴くやうになってました。
ヒトは音楽と無縁でいられないようにできてるんですね。
訳あって回り道したと思い、その訳を想うのもまた歓び❤️
楽譜の読めないのは自業自得。分かりたくは思うけれど、この世界を知り聴ける歓びに若くものはなし❤️☺️
職員室はひどい・・😅
元教員です。私が教員になって10年くらいからは歌のテストは個別が多かったです。個別でなかったのは全校数名の小さい学校でした。(その学校で実技の教科は1~3年一緒、音楽の授業では人が足りないと音楽の先生でない私も参加する時もあり) カラオケがこれだけ流行ってる通りで本来歌うのが好きな人は確かに多いと思います。歌うのを嫌にさせないのも音楽の授業にかかってますね。私の初任(臨採)の時に1番よく遊んだN先生は音楽の先生。彼の父親は国鉄を定年後、自宅でカラオケ教室の先生をしてました。カラオケ歌ってみたいけど、人前で歌う自信がない、カラオケ教室でレッスンして自信つけてからいくそういう人多いので彼の家のカラオケ教室は流行ってましたね。
勉強になりました、ありがとうございます🙇
実技テストがコンサート形式の発想良いですね!
コンサートだったら楽しく見れそうな雰囲気になりそうです
個室の実技テストの場合、教室でもしアクシデントが起きたときに、個室にいた教師が見てませんでしたではいけないらしいです…
個室のテストと、皆の前でコンサート形式どちらを取り入れても良い気もしてきました
小学校で音楽教師をしています。音楽の成績をつけなくてもいい!となったらだいぶ変わるのではないでしょうか。成績をつけるために、いついつまでにまでにこれもあれもやらないとと思うのに神経を使ってばかりで思うようになりません。今ならできそうと思うと今度は行事でこれを歌いたいから練習しといて〜というような仕事が入ることも。なかなか難しいです…
大変興味深いお話で楽しく聞かせていただきました。私が中学2年生3年生の音楽の先生は若い女性で教科書を無視してオペラを歌わされてました。大きな紙に書いた歌詞を黒板に張り付け、もちろん1回や回では歌を覚えられないので、最低でも3時間分の授業を費やしていた記憶が...短いもので5分、長くなると15分近いものもありました。もちろん歌のテストでは教わったオペラの曲から選ぶのですが、先生も気合いが入っていたのか生徒1人ずつの為にピアノを弾いていました...闘牛士の歌くらいしか覚えていないのですが、歌の合間に「アイン、ツバイ、ドライ」の歌詞が入っていました、これって「こうもり」からかなあと思ったりもするのですが、どうなんでしょう。残念なことは当時は洋楽が好きでしたが、今になっては時代の先(?)を行っていた先生だったのかなあと思っています。ちなみに九州のド田舎の学校でした。
私は前教科調査官(現在の学習指導要領を取りまとめた方)から「教育課程をまとめる過程で、音楽科が公教育から消される危機的な状況があった。例えば合唱コンクールなどの音楽活動は学級活動や総合的な学習の時間に置き換えればよいと。それを回避するためには指導と評価の一体化が可能であること=学習活動として成立することを明らかにする必要があった。」というお話を3回ほど直接聞いたことがあります。因みに前調査官は「歌のテストをしなくても生徒の学習状況の達成度を見取る方法はある。」と話されていました。
私は歌唱の学習活動を進める際には黒板全面にマグネットスクリーンを貼って楽譜を投影し、生徒たちと一緒に対話しながら大切に歌いたい箇所とその歌い方などを書き込んで板書としてまとめ、写真に撮って蓄積しています。そしてまとめの段階でその画像を見せながら一斉歌唱させ、一人一人にタブレットの授業支援アプリ(ロイロノート)を使って録画・提出させて題材の学習活動を終わります。よい演奏動画は次の題材の学活動の時間を始める前に、最初に1〜2つだけ選んで紹介することはありますが、生徒全員の発表会を行うことはできていません。授業時数が足りないんです‥😭
鑑賞教材についても、かつては先生と同じように「もっと面白い教材を扱えないものか」とあれこれ探したものでした。しかしそれは「西洋音楽」に限定された思考だったのではないかと考えるようになりました。真のコスモポリタンを育てるという視点に立てば、民族音楽や自国の音楽についてもその魅力が分かるように扱うことも同じ位大事な事と考えます😀
それぞれの社会にある音楽文化を比較させながらその「共通性と固有性」について考えを深めさせることは、激動の世界を生きる現在の中学生にとって必要不可欠な思考ではないでしょうか。何より生徒たちには、持続可能な地球であるために異なる価値観を持つ世界の人々と共に、幸せな世界や社会を築くために粘り強く思考し、諦めずに行動できる一人一人に育ってほしいですから‥
そういう意味で、今回の学習指導要領の改訂で音楽科が教科として公教育から消えなかったことは、この国の未来に希望を残した形になったと思います。しかし今回取り上げてくださった問題の殆どが「年間授業時数の少なさ」から派生したものではないかと考えます。あまりにも少ないというのが、正直な感覚です。特に2、3年生については、せめてあと10時間多く欲しい。グループ毎に生徒主体で学ばせて発表させ、質疑応答しながら学びを深めさせる学習活動を増やして、生徒が自ら音楽の魅力に気づく力をもっともっと育てたいと奮闘しております‥長文失礼致しました😅
いつも鋭い指摘の動画有り難うございます。学校の歌を強制的に歌わせる体質が飲み会カラオケにそのまま引き継がれていると思います。歌うことを強要され他人の聞きたくも無い歌を聞かされる。流れてくる音楽はシンセサイザーのインチキ音楽!これ拷問です。最近はブルッフとシベリウスのバイオリン協奏曲とイザイのソナタ3番を毎日聴いています。特にブルッフの音の展開が素晴らしいです。
私は専門ですが、子供の頃、ピアノを習いに行ってるのに、歌を歌わされたので、泣いた事が、あります。その先生は、学校の音楽の先生でした。学校の音楽は、印象になかった。
私のクラシックへのきっかけは自発的に観出したシュトラウス2世の「こうもり」でした。ゲラゲラ笑いました。人によっては軽いものとして嫌うかも知れませんが・・・音楽の先生、とんでもなく怖い人でビクビクしてた思い出が、何せ「こうしなさい、こうしなきゃ減点!」って人でしたから。「こうもり」を観たのは卒業してからなのです。
少年時代は「大東亜戦争」真っ最中で「音楽の授業」はなかったです。外地から引き揚げてきて中学校で「音楽の授業」ありました「車田さん」力説の「面白さ楽しさ」はなかったですね(昭和21年)今の教室での問題点「皆んなが同じ答えを出すように教える」に心が止まりました。いやいや「ショガナイよ」がありますが一方で「ショガナイよ」って思いました。余談です「なんだあんた映画なんか観るの」ってある友人に言われてことありますが、僕はつまり「音楽と活動写真」が好きなんですよ。80歳を過ぎてDVDを買い集めて、この頃80年前90年前の洋画鑑賞に明け暮れるようになってますが「好きならショガナイですね」。「車田さん」と映画のお話がしたいです(爆笑)いつも慈しみとそこはかとない愛に盛られた「車田さん」のトークを聞いてると、不思議に、静かな落ち着いた気持ちになるんですよ。きょうも観て良かったです有り難う御座いました。
お初にお目にかかります。
クラシック音楽が好きだったので登録させていただきました。
私は学生時代に歌のテストは受けませんでしたが、車田さんのおっしゃる通り、学校の音楽の授業はつまらなかった記憶しかございません。中学時代にベートーヴェンの運命の鑑賞会がありましたが正直眠たかったです。(今では一番好きな音楽の一つなのですが…)
私がクラシック音楽にのめり込むきっかけになったのもドラクエなどのゲーム音楽を聴いてからですし…
さて、車田さんのこの動画について、いくつか質問点がございましたので列挙します。
・車田さんは動画で「(音楽を面白いと思ってもらうためには)まずは色んな感じ方があっていいと教えなければならない」と言っておりますが、とっかかりのためには最初はその方針にするのも良いかと思われます。
しかしながら、国語(現代文)においては、最初に自由な感性を重視することを重視しすぎた結果、肝心のリテラシー教育を軽視し、読解力が低い人間が増えているという実情があります。
学校音楽における音楽教育の目的が一般教養、つまりリテラシーであることを踏まえると、私はある程度は音楽理論も教育に盛り込む必要があると思うのですが、車田さんはこのことについてどのようにお考えでしょうか。
・音楽の評価について、車田さんのおっしゃる通り、私も歌のテストは成績をつけるという点においても、声楽の興味を持つ点においても逆効果ではないかと思いますので反対の立場です。
ですが、教育の現場においては成績をつけないと、その生徒が音楽についてどのくらい成長しているか、どのくらい音楽に対するリテラシーがあるか、そして教育が適切に行われているかいないかなど、生徒や学校における音楽教育について客観的に評価することができず、生徒の(音大に進むにしろ進まないにしろ)今後のライフプランと、今後の音楽教育の方針を計画することが困難になってしまいます。
従って音楽の評価自体は生徒・学校双方の面で重要だと思われますが、どのような評価方法を行う方がよろしいとお考えでしょうか。
以上のことについて、車田さんはどのようにお考えでしょうか。お忙しいところ失礼しますが、ご意見をお聞かせくだされば幸いです。
長文コメント失礼いたしました。今後もどうぞよろしくお願いします。
音楽の教師って西洋クラシックこそ音楽で日本音楽や和楽器、更には流行歌みたいなのは2流や俗、音楽ではないっていう凝り固まった考え方でしたからね。音を楽しむのではなく「音学」でしたから。
車田先生のような先生に出会った中学生は、本当に幸せ!
アイーダ や トッカータとフーガ の話、つい笑ってしまいました。
娘が中学の時、リコーダーのテストを、時間の短縮の為? 2人1組でさせられた。相手の子が途中で止まってしまったので、自分だけ続けるわけにはいかないから自分も止まったら減点された!と怒っていたことがあります。その点数が高校入試の内申点でした。
なんだか…
中学校の音楽教師です。
鋭いご指摘、ありがとうございます。身の引き締まるような思いです。
教科書の内容ももちろんですが、一斉授業というスタイルが音楽の授業を難しくしていると思います。
音楽の授業に前向きな生徒もいればそうでない生徒もいますし、授業そのものに取り組めない生徒もいます。
そんな子たちを40人相手に全クラス同じ内容で進めないといけない、評価も平等にしなくてはいけない、というとなかなかご指摘のような授業をするのはハードルがかなり高いと思っています。
しかし、これを面白おかしくすることを考えるのが私の仕事で、やりがいのあるところだと思っています。
歌のテストですが、様々な考え方があると思いますが、私は授業内容の理解度のテスト、と捉えています。
そもそも私は歌中心の授業をしています。
歌が音楽の中心で、一番音楽を味わえる手段だという考えだからです。(ちなみに私は打楽器専攻)
歌のテストは細かく評価項目を設定し、授業で触れた内容や発声練習で指導した内容を歌で表現できているかに重点を置いてます。
もちろん事前にここを評価する、と伝えたうえでテストをしています。
極端なことを言えば音程が外れていても、強弱が然るべきところでついていればその点は評価するというスタイルです。
なのでみんなの前で歌う必要もなく、GIGAスクールで配布されたChromebookを一人一人手に持ち、一斉に歌を録音してデータを提出させています。
まだ試行錯誤の段階ですが、テストのハードルが下がったという話を多く聞きます。
ご指摘のとおり、一人一人に歌唱指導を丁寧に指導することは難しいですが、このテストの点数を生徒に返すことが、指導と評価が結びつくことになると考えています。
鑑賞も難しいです。
運命で扱うソナタ形式は正直私も教えにくいです。(私はベートーヴェン大好きですが)
しかし、魔王は場面を想像しやすいので工夫のしがいがある教材だと思います。
アイーダも素晴らしい作品ですが、扱いにくい教材とも感じているのでミュージカルや歌舞伎との比較鑑賞にしています。
そして実は学習指導要領には「この曲をやりなさい」とは書かれていません。歌唱分野では少しありますが、一年間を通して教科書を利用"しなくてはいけない"場面はかなり少ないです。にも関わらず、昔ながらの指導をし続けている先生も多いのが現状です。
その一方で動画の最後の方でおっしゃっている、音楽が好きになる授業を研究している先生もたくさんいます。
私もまだまだですが、このような素晴らしい動画に刺激を受けて日々頑張っています。
随分と長文の乱文になってしまいましたが、少しでも現場の現状や思いを知っていただきたく、思わずコメントしてしまいました。
車田さんのような素晴らしい音楽家が、義務教育の音楽にこのようなご意見をお持ちなことに深く感銘を受けました。
これからも動画の更新を楽しみにしています!
コメントありがとうございます!いろんな子供たちがいるので大変でしょうが、やっぱり現場の先生方の熱意が大事です!これからもぜひ頑張って下さい!
いつも勉強させていただいてます。
学校で教える音楽・・・むつかしいテーマですね。発表会も、好きな子には励みになりますが、へんな「感想」きかされると傷付く子もおおいのではないでしょうか?ただしい指摘だったらいいか?これも微妙。じぶんで、「たしかにそうなんだよね」とわかっていても、それを人に、それも先生じゃなく同じ生徒仲間に指摘されるのは嫌だ、と思う子もいることでしょう。そういうことが嫌で発表会は重荷、と思う子もいると思います。
テストなら、暗記物、例えば、作品名から作曲家を書かせる、そんな類がいちばん無難かもしれないと思います。もちろん、つまらない。でもテストなんてもともとつまらないもの。先生も生徒も〇×がはっきりしてるだけストレスがない。
わたしは、鑑賞の時間をもっと増やしてもらいたかったです。けっこう楽しかった。
それと、中学校で教わった音楽知識・・・楽譜の読み方など・・・アマチュアが楽器演奏を楽しむ程度ならじゅうぶんな内容だと思っています。そういう意味では授業に感謝してます。
憶えてませんが私は小1の時テストで歌を歌わなかったそうです。今ではありえないですがそのため評価は1でした。大学の時子ども関係のボランティア活動の中で、歌の楽しさを(はじめて?)味わいました。体育も大学の教養科目の体育は出席すれば単位がもらえましたから、楽しかったです。味わえたか、楽しめたかで指導の効果測定をするなら評価の意味もあるでしょうが、苦手=低評価では指導とはいえないですよね。
小学校と高校で仰天音楽教師に出会いましたよ。 小学校では、先生が音楽専門じゃなかったせいなのか、ハ長調とト長調の楽譜で一緒くたに合奏させられた。 高校の音楽教師は一つの曲を解説したあとは、生徒一人づつ自主的に挙手させ皆の前で歌わせて皆の前で点数評価。
こんなの楽しいワケがない。 いっぺんで”音楽の授業”が嫌いになりました。
Thank you Kurumada, great video lecture about music, really enjoy all of them, I will keep watching ,you are extent teacher . appreciated.
😊😊
長年、中学校音楽教師をしていました。全くその通りです!常に葛藤していました。
コーヒーは飲んでるように見えない(カップに何も入っていないように見える)けど、今回のビール(?)はグラスなので飲んでるのがわかるのがよかった。w
🤣
声変わり真っ只中の子が多い時期に歌わすなよって感じ。
前に立って皆の前で歌うテストで声が裏返ったりかすれたり散々恥ずかしめ(くすくす笑われたり)を受けて、それが原因で人前で話したりするの抵抗持つようになった。
音大卒で音楽の教員免許を持つ者ですが、私の学生時代、高校の音楽のテストで、ピアノで、ハ長調のカデンツを弾かせるのですが、ピアノを習っていない子は時間がかかり、弾ける子との格差が生まれ、平等でないし、意味がわからないので、先生には、がっかりしたしもう少し考えてもらいたかったです。私は教育実習では色々考えて授業をしました。
中学生時代に学校で聴いたベートーヴェンの悲愴ソナタが印象に残りました。それを覚えていて20才のときに初めてクラシックのCDを買いました。グルダの弾いたベートーヴェンの三大ソナタです。廉価版で一枚1000円でした😊
中学や高校の音楽の先生はちょっと個性が強すぎてなんとも困りました。
子どもの通っている小学校ではモーツアルトの魔笛が取り上げられたそうです。
車田さんの音楽教育への熱い思いが伝わるすばらしい動画ですね❗
日本の義務教育で英語と並んで最も失敗しているのが、音楽だと思います・・・😪
日本の将来のために、英語と音楽は授業のシステムを根本から変えないといけませんね。
バッハのオルガン曲を授業で紹介するなら、私も車田さんのおっしゃる通りコラール前奏曲がいいのではないかと思います。
「シュープラー・コラール集」(BWV645~650)が時間も短くわかりやすくて、小中学生におすすめですね😄
シュープラー・コラール集は僕もおすすめです!
音楽と美術の選択制にすれば、子供達も「音が苦」から解放されると思います。
私が学習していたバイオリンと小学校中学校の音楽の授業の音階の読み方が異なっていたのでとても不思議でしたけれど、音楽学校でいう「楽典」の授業だと思って割り切っていました。高校の音楽の授業では(こちらのチャンネルの趣旨から外れるかもしれませんが)ビートルズの曲を歌っていたので楽しく授業を受けていました。
クラシック音楽はドイツ語読みを踏襲
ポピュラー音楽だと英語読みが主流っぽいけど
学校教育だとイタリア語読みに由来する ド・レ・ミ〜 となる不思議。
音楽を聴くようになり、授業をちゃんと聞いておけば良かったかなと、後悔していた時期もありました。
採点のために行われるカリキュラムという感じで、意義もわからない状態で聞いた無味乾燥な楽譜の説明でした。
弟の奥さんが小学校で音楽を教え始めた頃、クラシック音楽で作曲家が何を表しているか解るのかなと尋ねたことがあります。
「全然わからない」
教科書を無視して、歌を楽しんだ🎉ので救われた😊のだー!
私67歳男、音楽の授業は分からないのが当然という雰囲気でした。実際周りの皆もそうでした。今になって感じるのですが何故日本の指導要領を決める官僚の方々は90パーセントの生徒が理解出来ない内容を決めてたのでしょうか。いまだにわかりません。
🧐
アマチュアの ソプラノ カウンターテナーです。
はい、私も日本の義務教育の音楽授業での 「歌唱」 は、つまらなかったです!
男子 ⇒ テナー又はバス と機械的に振り分けられ、個々の生徒が 「自分の声」 を検討するための材料すら、提示されませんでした。
何十年もあとに、ある事情からカウンター テナーで歌う機会がありました。それを聞いてらした方々から、「今度、~~で音楽会があるんで、歌ってよ」 と依頼を受けました。「人前で歌うのなら、しっかり学ばないと」 ってことで、声楽のレッスンを受け始めました。passagioとかFachといったことも学びました。そうした結果、「自分の場合、コロラトゥーラ ソプラノ用の曲をカウンターテナーの発声で歌うのが、適していたんだなあ」と実感するようになった次第です。
私のような実例が稀であることは、言うを待ちません。でも、「自分の声とは?」 という検討をするための材料すら提示しない授業では、そもそも 「音楽教育」 という名称に値しないと考えます。
音楽教育との関連でも、車田先生の問題指摘は必要かつ重要だと思います! これからも、一層のご活躍を!
ミュンヘンのシュナイダーヴァイスが好きです🍺😆
90年くらいですが、高校の音楽の授業では、ラピュタのエンディングテーマの君を乗せてをピアノでアレンジするなどあって楽しかったですよ。
高校の授業は選択なので、結構自由がききますね。
@@kazuhisakurumada なるほど、そういうことなんですか。
義務教育までは先生が好きにできないのですね。
私は40年来の「聴き専」ですが、学生時代はずっと音楽の授業はつまらない、というか退屈でした。
ワーグナーやマーラー、R・シュトラウスを聴くようになったのも、音楽の授業とは全く関係ない(そもそも音楽の授業では扱わない)理由からです。
まあ、今思えば、《春の祭典》でも聴かせれば、一発で音楽に興味持ってくれるんじゃないかって思いますがw
音楽の授業がつまらない要因の多くは、他の学科にも言えることですが、「なぜこんな曲を聴かされるのか」「こんな曲のどこが良いのか」、Whyの部分が曖昧にされたまま「とにかく有名曲だから聴け」と、流行歌やTV音楽しかほとんど知らない子どもたちに「押し付ける」からじゃないでしょうか。
もちろん、動画中でもおっしゃっているように、限られた総授業時間の中で効率よく教えるために、一つの作品で、曲の魅力から作曲家の人生、形式までいっぺんに分かるような教材のチョイスも間違っていると思います。
そういう意味では、例えばベートーヴェンの交響曲なら、まずは《英雄》を取り上げるのがベターだと思っています。フランス革命と絡めて教えることが出来るのと、ベートーヴェンという作曲家自体の革新性と凄さが分かるし、クラシック音楽の作曲家や作品がただ単に「そこ」に存在するだけでなく、歴史(西洋史)との密接な関係性の中から生まれてくるということも分かり、他の作曲家や作品を知る際の道標にもなる。また、もし《田園》を聴かせるなら、私ならディズニーの『ファンタジア』の映像で《田園》が使われている場面を見せますね。きっと、「交響曲」という抽象的な音楽から(まあ後に出てくる交響詩の概念にも繋がる作品ですが)、このような豊富なイメージが湧いてくることに驚くでしょう。
そして、ベートーヴェンがナポレオン嫌いになった結果、フランスが敗北したビトリアの戦いを題材に《ウェリントンの勝利》を書いたところまで行ければ御の字。途中、イギリス(勝利側)の国歌とフランスの国歌が対位法で交差し、敗北した側の国歌が短調で次第に減衰していく様子は、楽しく聴け、作品の背景を知ると曲の面白さがパワーアップすることも教えられると思います。また、その延長線上にチャイコフスキーの《1812年》やショスタコーヴィチのレニングラード交響曲、シベリウスの《フィンランディア》があることも分かれば、歴史がずっと繋がっているように、音楽作品も過去から現在まで繋がっており、縦割りではなく、そういう水平的な様々な繋がりの中から作品が生まれていることを知ることができれば、抽象的な音楽作品が身近に感じられてくると思います(昔の「N響アワー」のMCに、芥川先生といっしょに世界史の専門家がいたのはそういうと)。
また、これは私の漠然としたイメージですが、音楽の授業がつまらない原因として、教師の知識不足があると思います。
音楽の先生って、「ピアノ科」だったり「声楽科」だったり「器楽科」だったり、各々「専門」がありますよね。
一応、教育課程においては、器楽科でヴァイオリンやトランペットが専門でも、ピアノと声楽は必須ですし、音楽史一般も履修しなければなりません。しかし、音楽の教師になるための免許取得自体は、特別難しいものではないようです。
また、演奏家になるために音大行ったけど・・・、というような人が、「保険」で取った音楽教師の免許を活用して、たまたま空いていた音楽教師の席に滑り込む、という例もあるでしょう。
今はほとんどいないと思いますが、大昔は、結婚するまでの間の腰掛けとして、「箔」を付けるために音楽教師として働いてみた、という「お嬢さん」もいたようです。
ということで、音楽について「広く浅い」知識は持っていても、自分の専門以外で、前述したようなことを教えられる「広く深い」知識を持ち合わせている人は、中高生の時代から音楽好きでガチに幅広く勉強していて、「音楽教師になりたい」と決めていた人は別にして、少なくとも小・中・高校の一般教員レベルでは、少数派だと感じます。
あと、いろいろな「音楽好き」と話していて「あれ?」と思うのは、「楽譜が読めない」と言っている人が多いこと。
中学の吹奏楽部の勧誘でも、「楽譜が読めなくても大丈夫」と言ってたような記憶があります。
これこそが、音楽教育の意味の無さをもっとも体現した現象だと思います。
少なくとも義務教育の9年間は音楽の授業を受けてきたハズなのに・・・。
成績を付けるためのテストでは、楽典を入れて、低学年では与えられた拍子記号に合ったリズムを付けるとか、高学年では和声分析とかだけでなく、与えられた和音に簡単な低音やメロディーを付けるところまでやっても良いのではないでしょうか。
中学校で音楽が好きになったのですが、高校の時、音楽は歌ばかりでイヤになりました。
たしかに、楽器はすぐには出来ませんが、歌ならとりあえずは出来るだろう的な安易さがイヤでした。
中3のテストは滝廉太郎の花でした(笑)
歌うくらいならピアノ伴奏をしたかった(笑)
音楽の授業そのものは楽しくなかったけど、時間が余るとレコード(アナログですよw)
をかけてくれたりしたから私は結構楽しみだったりした。いたずらの彫り傷だらけのグランドピアノがある
音楽室の五線の入った黒板の横にはカール・ベームのポスターが張られてたけど、無残に落書きされてた(泣笑
そんな音楽の授業で聴かされて衝撃だったのはラフマニノフの2番協奏曲だった。哀愁に満ちて胸を締め付ける
メロディーに感動したのを覚えている。あと、ワルソーの生き残りなんてのも聴いたっけ・・・
by三十数年前の高校生
昔の学校は一般の家庭と比べると設備がすごかったと思います。ステレオ設備もそうですが、レコードなどもそこでなければ聴けない、という有難味がありましたね。
学問としての「音楽学」の授業なのに、実技が入ってるからですね。そして中途半端に専門的。他教科のように大学レベルの研究とは明確に分離しないと。
音楽の授業は好きでしたよ。シューベルトの「鱒」とかも聴かせてもらいましたね。歌は嫌でした。嫌すぎて記憶から抹殺してます。
高校の音楽は嫌というより苦痛…なんだか楽典をみっちりやるタイプの先生で、移調させられたり、メジャーからマイナーに変えさせられたり、コードで伴奏つけさせられたり、全全半全半?泣うわーん!みたいな….テストで赤点取ったので課題が出され、その課題をバンド組んでる男子に頼みこんでやってもらいました笑笑。自力でできる内容を超えてました。
正直、数学もあまり成績は良くなかったでしょ?
たとえば移調はグラフの平行移動と感覚的には同じになるはずなので。
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はは。他の科目に比べたら理数系苦手でしたね。でも数学は大学受験科目だし、時間をかけて理解して国公立二次まで乗り切れましたけど。音楽で高得点狙いたい欲もなかったんですよ。なーんか失礼ですね笑
歌のテストは、コキリコ節かお江戸日本橋(題名は間違ってるかも)の選択でした。大半の生徒は前者を選んでいたのですが、私は後者が良かったけど目立つのがイヤで前者を歌ったらクラス中で大笑いされ、真面目に歌ってないだろと先生にも怒られました。真面目に歌っていたのに。トラウマでいまだにマイクを使って歌う事ができません。
音を楽しむ音楽でなく音を学ばされる[音学]だからつまらないのかな。私は一音でも間違えるとやり直しさせられるリコーダーテストが仇になり、後に授業で音楽を選択肢から外しました。
学校では、音楽の楽しさを教えていただくことができなかったのが残念でした。
😢
中学の時だけ歌のテストがあったけど、楽しくも何ともなかった。どう評価されてたかも分かんないし、何か指導があったわけでもなかった。
小学校の音楽は楽しかった。歌のテストは無かったし、代わりに年1回音楽会があった。一、二年生は学年全体で、3年以上はクラス単位で合唱1曲、合奏1曲やった。それこそドラえもんの曲だったり映画音楽だったり…クラスで好きな曲選んで音楽会に向けて練習する。3年以上は指揮や合唱の伴奏も児童がやる。何なら担任の先生も合唱合奏両方に参加するし、先生だけで1曲合唱もする。別に審査とか無かったし、マジで楽しかった記憶しかない。
うんうんと頷きながら動画拝見しました。
あと、かなり前から日本の唱歌が教科書から減っていると聞きます。
もう少し伝統的な日本の音楽を取り入れてもいいかなと思います。雅楽等。
例えば、なぜ日本の雅楽には指揮者がいないのか、ヨナ抜き音階がなぜ日本人は好むのかなど、そういった視点も音楽の授業でやったらおもしろいかなと。
某音響メーカーに父が勤めていた関係で、我が家には、立派な音響機器、レコードが溢れていました。
なので、クラッシック音楽は子供の頃から大好きです。
でも、音楽の授業は嫌いでしたね。
試験のコールユーブンゲン、「変調せよ」の筆記は大嫌いでした。😅
音楽は聴いて楽しむだけでも、人生を豊かに彩ってくれます。
クラッシック、ロック、ポップス、声明、謡、雅楽、どれも美しく、大好きです。
音楽は、それで良いと、個人的には思います。
学校の授業は『音が苦』っすね。
少しでもそうならないように願いたいですね。
私は音楽の授業は、好きでした。小学校、中学校音楽は楽しみでした。そして、高校は、三年間選択教科で、音楽を選んでいました。
先生そうです 歌のテストは皆の前で歌うので嫌だと孫は言ってました 孫は喉に違和感あるのか喋り声が低くかわいそうで私の時は準備室で先生の前で歌ってましたね 歌のテストはやめて欲しいですね
先日、先生の何の動画だったか…教科書の80%から85%は信用出来るとお話しが有りました。
数学なんかはそうかも知れないですが、歴史の教科書なんかは酷いものです。
音楽の指導要領のお話しを今お聞きして、やはり文科省の役人の考え方を変えなければと思いました。
歴史はいろいろ問題がありそうですね。教科書では人名の読み方をある程度世界共通に統一して欲しいですね。毛沢東(モウタクトウ)とか孔子(コウシ)とか日本語読みで発音してもドイツでは誰にも通じずに困りました・・
小学4年生の孫がカラオケが好きで連れて行くんですが、音程も悪いし、ピッチも悪いです。
おそらく、自分の声が客観的に聞こえていないんだろうと思いますが、そのまま本人が楽しそうなら修正をしない方がいいですか?
教え方も適切にできる自信がありません。
子供の内は好きに歌わせたほうが良いと思います。その方が心が育ちますので。
こんにちは!私は音大を卒業して中学校の音楽教師をし数年前に退職しました。車田さんのお話を聞いて本当に「そのとおり!」と感じました。教科書が音楽をおもしろくなくさせていると思います。学習指導要領のレベルが低すぎます。というか難しい言葉をつかいさも知的な専門家が作った学習指導要領のようになっていますが、生徒にとってはまったく意味を成しません。研修会などで他の先生方の授業をたくさん見ましたが、「本当にこれでいいの?」と思うことがよくありました。学校音楽は教科書なしで教えるのが音楽の先生にとって一番よいのかもしれません。そして成績はつけない。みんな上手に歌ったり楽器を演奏させたりしているのに、5段階で成績をつけなければならない。みんなに「5」はつけられないのです。必ず「1」から「5」をつけなければならない。絶対評価と国は言っていますが、中学校は内申点があるので必ず相対評価になります。矛盾です。自由に音楽を教えられたらこんなに楽しい授業はありませんね!
え!今でもトッカータとフーガを中学校で教えてる?!😅 私が習ったのはもう40年前・・・・
私は、合唱部に入って、顧問の先生がクラシックに詳しい先生だったので、幸運でした✨
そういう出会いも大切ですね!
音楽、美術、体育などの教科でテストをしたり、点数をつけたりすること自体が間違っていると思います。
学校は、成績つける所で音楽教える場所ではない。
音楽の授業は音苦でした。🙀
😥😥
最近、小学校の支援学級の先生になりました。音楽の専科の先生を希望していましたが、空きがなくて支援の担当になりました。が。自分の裁量が効くので、支援学級の生徒だけで合唱したいなぁって。学校全体の運動会に使用する音楽は私にすれば非音楽的なものばかりです。ウィリアム・テル序曲も最近では使用しないんですね。全体の行進もコロナ禍でナシのようです。威風堂々でもかけてやってほしいのになぁ(笑)つまらん〜!!
歌唱の評価は、体育館や市民会館の舞台から、最後部までの聴衆に聞こえるすなわち、怒鳴り声がだせる歌い方がよしとされました。演歌的なまた、オペラ的な歌い方すなわち個性的な歌い方も否定されることになりました。以上、音楽教員自身も、集団で歌う歌い方がよしと決めつけ、本来のソロの楽しさを教えることを忘れてしまいました。オペラでも、その他大勢の合唱より、ソロで歌うほうが楽しい。楽器も、ドソドソドソドーといつもこの音だけで、演奏するよりも、ソロ楽器のほうが楽しい。カラオケも一人で歌うほうが楽しい。学校の音楽の授業では、ソロで歌う機会はありません。あ、ありました。歌のテストだけがソロです。ソロをやっていない授業では
いきなり、ソロとは無茶です。感情込めて歌うなんて、授業でやっていないのに、ソロで感情を込めて歌えとはきついこと。
文科省も音楽科教育を指導要領に位置づけるために必死で努力・研究をしている方を私は知っています。
そもそも車田さん、日本における音楽教育の目的や必要性をどのようにお考えでいらっしゃいますか。教えていただけると幸いです。
他の動画もぜひご覧ください。いろんな動画で少しずつそういう話をしています。
バッハのフーガ、大昔たしかに中学でやりました。
いま思えば、右も左も分からない烏合の衆(ガキの集団)に最高度の対位法を聞かせてどうしようってんですかね。各声部を聞き取れる生徒なんてまずいないですよ。やるならせめて2声のカノンからとかにしないと。
耳を育てる教育をしないままではどんなに高度な音楽を聞かせようと嫌いになるだけです。そのおかげか日本ではクラシックは1ミリも根付いてませんからね…
振り返ってみると非常につまらなかったですね。半世紀前の話なので現在にはあてはまらないかもしれませんが、曲がとにかくつまらない。興味がないので歌えと言われても歌う気にならない。達成感がない。音楽を職業としている方には失礼ですが、たとえば、シューベルトの「野バラ」(今も教科書に載っているかどうか知りませんが)って、教室全員で歌って楽しい曲でしょうか?
そうだ、そうだ、
亡母は戦争中から小学校の教員をしており当時は専科がなくオルガンで授業をしていた。95歳で亡くなる前NHK合唱コンクールについて意見を言った。あれは良くない、機械音みたいだ。小学生を同じ声にしてしまう。子供は個性を伸ばすべきであって軍隊の合唱じゃあるまいに。全国コンクールを廃止すべきだ。合唱コンクールを支えているのは一部の野心的な先生であって音楽教育の階段を上ろうとしている病気の人たちだ。病人に教えられた子供たちは音楽嫌いになるか音楽の先生になって多大の悪をまき散らすと思います。
部活動については近いうちに話します😊😊
私の中学時代の音楽の先生はピアノ伴奏でみんなの前で歌のテスト、そこまでは珍しくないけど
その先生はみんなに名簿を配り生徒に生徒の採点もさせました。
苦痛以外の何物でもありませんでした。
おかげで人前で歌うことができなくなり、カラオケも行きません。
音楽を聴くことは大好きなんですが…。
授業も先生も大嫌いでした。
学習指導要領が悪いんやろ? あれは、学習ありきでしょ?それに音楽の理屈を教えるだけでしょ?