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吹奏楽コンクールの問題って、何だか高校野球の問題と似てますね。大人が作り上げたシステムとビジネスががっちり結びつき、マスコミもこれに便乗する。本当に大切な学生の心や体を育むことは、いつしか忘れ去られている。そして、音楽やスポーツの持つ本質的な素晴らしさや楽しさも置き去りにされてしまう。本末転倒ですね。大変多くのことを考えさせられました。
中学生から社会人の若いころまで、吹奏楽をやっていました。社会人で全日本に行ったときの楽団では、本番直前だけは監督が来ますが、普段の合奏練習では大きなメトロノームを合わせ、機械の音に合わせて正確な音を求められました。普段から「ショボっ!」と馬鹿にされ、監督が来て合奏をすると「ヘタクソ!」と罵られるばかり。ひたすら機械で音を合わせ、フォルテの所でもフォルテッシモで吹くことを要求されました。吹奏楽コンクールの演奏は、音楽などではなく、競技です。先日、大阪府吹奏楽コンクールの高校の部を聴きに行きましたが、銀賞や銅賞の演奏の方が印象に残る所が多かったです。私は縁があって、吹奏楽を辞めた後、オーケストラに入ることができました。ベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザーク、チャイコフスキーといった作曲家の、素晴らしい作品との出会いに、心が震えました。私もオケも演奏は未熟でしたが、作品に惚れ込み、アンサンブルを楽しみ、それがお客様にも伝わって、お客様も大変喜んでくれて、大人になってようやく音楽を心から楽しめるようになりました。でも、そのような音楽の素晴らしさを感じる前に、吹奏楽コンクールで疲れて楽器を辞めてしまう人の方が多いんですよね。悲しいです・・・。
高校で普門館に2回行きました。仰る通り、ほとんどの時間を基礎練習に費やし、先輩の言う事は絶対的、顧問は神様でした。ブラバンはスポコンです。身についたのは「忍耐力」です😁子供には楽しく音楽してほしいので絶対に強豪ブラバンには入らせたくありません。誰かが言わなくてはならないとても良いお話をありがとうございます♪
県大会で必ず金賞を取る中学で吹奏楽をやっていました。自由曲でロッシーニのセビリアの理髪師を演奏しましたが、顧問の先生が曲想重視で仕上げたら県大会で銀賞でした。顧問の先生は応援してくれていた保護者たちとがっかりしている生徒たちに謝罪して次の年は方針を変更し、ひたすら楽譜の音をきっちりと組み立てる指導に変えて金賞を受賞しました。でも演奏することの素晴らしさを実感できたのはロッシーニの方だったんです。このお話を聞いてそんな40年も前の記憶が蘇りました。
こんにちは。いつも楽しく動画を拝見しています。お話に非常に同感です。私は高校で強豪校の吹奏楽部に所属し、それはそれは厳しい練習をしてきました。おかげで技術は向上しましたが、楽器演奏=楽しくないもの、となってしまい、もったいないことに高校で楽器をやめてしまいました。疲れてしまったのでしょう。そして大好きだったクラシック音楽も聴かなくなってしまいました。それから数十年後にふとしたことで楽器を再開したくなり、今はアマオケで楽器を吹いています。恥ずかしながら今になって音楽の素晴らしさ、楽しさを満喫しています。車田さんのおっしゃる通り、大人たちが中高生の音楽性を豊かにできる、素晴らしさ伝える教育ができればと心から思います。
高校生だった40年前、うちの吹奏楽部はコンクールに出ない学校でした。理由は「コンクールに出ると表現重視の演奏が出来なくなるから」でした。あの先生、あの時代に凄い方針打ち立ててたんだな、とあらためて思いました。
ものすごく良い視点からの考察で、私の頭の中がスッキリしました。そうなんですよね。結局コンクールバンドを経験した多くの人がせっかく多くの時間を費やしたにも拘らず、卒業後に音楽、楽器を続けておられないことが多いのです。これってご指摘されている通り、音楽教育になっていないからなんでしょうね…
素晴らしい!以前、全国大会で金賞受賞する中学校吹奏楽部の卒業生に、私が所属する一般バンドへ勧誘したところ「もう音楽はいいです。極めました。」と言われました。音楽の楽しさって奥が深くて極められる物でも無いのに、とても寂しい思いをしたことを思い出しました。勝ち負けに拘る吹奏楽界は子供たちにとって健全ではありません。大人も同じです。これからも車田先生の強い発信を期待します。でも、たい焼きにはコーヒーより熱い緑茶です。
その子 音楽を極めた❗んですか🤣😱たい焼き&☕ 🥴🥴
小学生も同じです。講師が指導に来て、コンクールでは担当教諭が指揮をする。何が目的なのかなぁ~?お休みの日は、1日中の練習です。小学生もこんなことになっております。
昨日、吹奏楽コンクールの県大会で代表金を取れました。私達の顧問は「コンクールで勝つことだけを目標としないでほしい。」とした上で「皆さんが頑張りたいのなら私はそれに従います。」といってくれていました。私の学校は部長さんがみんなの意見を聞きながら予定を全部組んでくれて、それに顧問も部員も従って動いています。雰囲気は本当にいつも和やかです。昨日、顧問がマスクを外して指揮をしているところを初めて見ました。最初から最後までびっくりするくらいずっと笑顔で楽しそうでした。この先生は音楽がとても大好きなんだなとこっちにも伝わりましたし、私も楽しかったです。この先生が私たちの顧問で本当に良かったです。
NHKで「響けユーフォニアム3」という高校の吹奏楽部が全国大会を目指すアニメが流れているのですが、先輩より上手い後輩が大会に出るとか、転校生が同じ楽器を演奏してるとか、主に人間関係の問題の描写が続いて、見ていて「これって、音楽の本質なのかな?」「音楽を演奏する喜びと離れてないか?」ともやもやしていたのですが、この動画を見て、現在の中高の吹奏楽部が抱えている問題がアニメにも投影されているのだとわかりました。
私は高校の吹奏楽部で部長を務め、ソロの演奏もしましたが、いろいろと悩んだ挙句、最終的には音大に進学しませんでした。その理由は、なんとなく演奏をすることが楽しくなくなっていたからです。今までずっとその原因がわからないでいたのですが、この動画を見てなんかものすごく納得しました。おそらく私が演奏していたものは音楽ではなかったのでしょう。結局、音楽とは全く関係のない仕事をしながら、趣味として音楽活動をしていますが、高校のときよりも楽しくできています。言われてみれば、確かに、高校の吹奏楽は音楽が好きな人を排除するようなシステムになっているのかもしれませんね。実際に、私も高校生の演奏を聞きに行くことはほとんどありませんし、たまに聞きに行っても音楽としては聞いていない気がします。例えてみれば、習字のコンクールに既定のフォントをプリントアウトした紙を提出するような感じでしょうか。
よくぞ言ってくれました!👍
車田さんに大賛成‼️私は元中学校音楽教師です。吹奏楽連盟の地区事務局もやり、審査員経験もあります。ある時、酷いのを見てしまいました。ホールのロビーのモニター前で複数の学校の生徒さん30人くらいが集まって祈ってました。何やってるんだろう?と近寄ると「失敗しろ、失敗しろ」と言ってました。これには大変ショックを受けまして、驚いていたら私の生徒が「あなたたちどこの学校?今なんて言ったの?名乗りなさい」と噛みつきました。慌てて引っ張って、「あいつらは県代表になるかならないかの学校だぞ」と言うと「先生そんなの関係ありません。あんなの許すんですか?」と生徒に怒られました。よくぞ言ってくれたと心の中では思ったものです。とてもショックで地元の先生たちとその晩、そのことを話したら「他の学校は敵だ!」と教えてる先生が何人かいると聞きました。ホントにショッキングでした。ご自身が隣の学校へ転勤したらどうするのでしょう?生徒たちは中学校卒業したら、高校で吹奏楽やるのに一緒になるのにどうするのでしょう?私が教員に戻らない理由です。受験の内申書にも県代表になればプラス、金賞取ればプラスです。車田さんの仰るように音楽や教育がどこかへ行ってしまっています。週一回の音楽の授業では行事に追われてしまい、教科書を十分扱えない、ましてや作曲家たちの想いを伝える、音楽の素晴らしさを教えるところまでなかなか出来ませんでした。一点、車田さん違います。吹奏楽コンクールの審査で最も重要なのは全体のサウンドの美しさです。音程や縦を揃える方が次点です。そのため、よく鳴る楽曲を自由曲に選曲するのがよくて音楽的な中身は後回しです。少なくとも地区大会や県大会までは審査員たちは表現なんか聴いてはくれてません。ぶっちゃけ曲なんかなんでもいいんですよ。切ったら血がほとばしるような熱い演奏しても評価されず、そうした演奏は銅賞です。全国大会常連の関東の私立高ですが、ラテンやったら下手くそでした。毎年生徒や曲は違うのに毎年似たような音楽づくりしてます。つまらないです。汗もかかないような演奏は音楽ではありません。私の教員時代から部活動の社会教育化が言われてましたが今年になってやっと大きく動き出しました。部活動を学校でやらなくなったら、私は吹奏楽部は生き残れないと思います。正直コロナでコンクール中止になったのは私はコンクールのあり方や教育としての吹奏楽を見直すチャンスだったように思います。でも先生方が旧来の価値観でしか考えられなかった。残念でなりません。たった一人の抵抗ですが、クラシックの素晴らしさ、童謡・唱歌の教育的な価値や美しさを伝える活動をやっています。今度も楽曲を持ってて吹ける人なら誰でも参加できるイベントやります。昨年、車田さんの動画を見つけて、あれ私と似たようなこと考える声楽家がいるなあととても嬉しく思いました。音楽の素晴らしさ、愉しさ、頑張って伝えていきたいと思います。ありがとうございます‼️
言われてみて気づきました。ベルリンフィルの演奏を聴いている時の自分と吹奏楽の演奏を聴いている時の自分はなんかモードが違います。前者は純粋に音楽を楽しんでいるのですが、後者は如何にバンドを鍛え込んできているか、という高校野球を見る時のようなモードです。30年前の夏の後遺症だと思います。
音楽に関する動画を探していた折にこちらの動画に辿り着き、懐かしさを感じコメントをさせて頂きました。高校在学の3年間、車田先生のもとで沢山学ばさせて頂きました生徒のものです。車田先生が担任となり、吹奏楽部へお誘いしてくださらなかったら、私の人生は今とは180度違ったのかなとふとした時にいつも思います。先生の指導は音楽を楽しく学び、そして考え、自身が音楽へ向き合う事の大切さを気づかせてくれました。そこで学び、感じ、育った感性は、社会人となった今でも常に私の心を刺激し続け、ジャンルを問わずに音楽を愛する大きな基軸となり、自分自身を突き動かしております。(楽器を続けており、今月はオーケストラ、来月は吹奏楽のステージに奏者として出演予定です)そこには勝ち負けよりも、先生が音楽の素晴らしさを僕ら生徒へ伝える姿勢が第一にあったからなのだなと動画を拝聴していて、納得した次第です。音楽の素晴らしさを教えて下さりありがとうございます。とても満足の行く充実した学生ライフでした。動画でご指摘の通り、技術の向上も大切ではありますが、音楽を学び、そして心を育むことが若いうちはとても大切だと思います。バランスよく学生の皆様が学べる環境が少しでも増えていくことを祈ります。今後の動画も楽しみに見させて頂きます。秋山(per.)
連絡ありがとう。元気そうで何よりです!ここではなんですから、気が向いたらホームページの方からでも連絡ください!kazuhisakurumada.com/question/
今回も含蓄のある深いお話有難う御座います。技術的に優れてるから、必ずしも良い演奏とは言えない、理論的に難しい事をやっているから必ずしも良い音楽とは言えない…やっぱり聴いていてわくわくしたり、熱いものが湧き上がって来たり、音が楽しくないと駄目だということでしょうか…。
担当楽器・パートでのマウントも有った。ソロを吹く子、1st担当、希望楽器でずっと固定、持ち替え担当が勝者伴奏パート(低音)、3rd・4th担当、希望楽器叶わず廻されたが敗者こういう図式が成立していた。社会人になってオケを鑑賞するのが趣味となり、自分が担当していた楽器の重要性を知り嬉しかった。
有難うございます。この様な動画を公開することには多少なりとも勇気が必要だったのでは、と思います。スポーツでも音楽でも武道でも皆同じですが、中高校生の時に部活動等を通じて接する機会を得たもの。しかも造り出す側としての体験。それを、その人生のなかの非常に短い期間で燃え尽きる様な活動、指導はして欲しくない。そう思います。その年齢で全身全霊をつぎ込む体験は本当に素晴らしい。無限の可能性を秘めています。しかし、その体験を「過去の記憶」で十分。もうやりたくない、なんて感じてしまうこと。とても残念でしか有りません。私自身、中3からブラスバンド部に入りました。当時の音楽の先生に勧められての事。でも、それをきっかけにして半世紀を経た今でもオーケストラやアンサンブルで楽器を演奏し、演奏会を催してお客様に「この演奏会に来て良かった」と感じて頂きたくこだわって居ます。そんなきっかけを授けて頂いた当時の先生には大変感謝しています。あの経験がなければ間違いなく私の人生は大きく変わっていました。勿論、体験をどうするか?は人それぞれの価値観です。でも、授ける側の方々には取り組み事の「美しさ」「素晴らしさ」を少しでも触れる事が出来るような授け方をして欲しい。受け取った生徒側はそんな体験が多ければ多いほど可能性が拡がるはず。その後をどう選択しどう追求するかは本人に任せる。器用な人は2つでもやればよい。そうでない人は一つの事を大切にして人生を過ごす。その繰返しが、人作り=教育と思います。
問題を具現化して頂き有難うございます。私は小、中、高と吹奏楽部で音楽に触れ、大学でアマチュアオーケストラに初めて入団、現在に至るアマチュアのob.吹きです。私の出身が千葉県であることもあり、某「つまようじ事件」の市立高校とか美爆音とマスコミにもてはやされる某市立高校と同じ部門で予選で演奏もしました。私の高校の吹奏楽部はともかくとして、他校の演奏も聴くと心を打つ演奏も数々ありました。が、結局本選会出場校は最初から決まっています。そういった所は得てして確かに音のタイミングがずれることは殆どありませんが、心は打ちません。タダの競技なんです。それではつまらないと、部員でどこが良かった、と独自で勝手に表彰したい学校を選んでました。それが音楽を本当に聴く自然な動きだとも今考えると思いました(到底プロの演奏とはかけはなれていて模範にするべきか?という疑問は承知の上です)。それに嫌気が差したのもあり、大学でアマチュアオーケストラに飛び込みました。プロの講師の先生に師事することが出来て、音の出し方、音楽のフレージングをもう一度イチから学び直しました。そして、ココロを打つ音楽こそ究極の目標だということに気づかされました。勿論、自らの音の質、響き方、周りとの音楽という観点からのアンサンブルの方法も学び直しました。結局、全吹連自体がかつての上位校の指導者で占められている以上残念ながら体質は変わらないと思います。それが正に「吹奏楽の旅」に凝縮されていて見たくもありません。いっそ、コンクールに「観衆賞」を作り、技術偏重を補正出来ないかと思ったりもしました。だらだらと長文申し訳ありませんでした。先生のご意見に非常に感銘を受け、メンバー登録させて頂きました。
メンバー登録ありがとうございます😊😊
解説その通りだと思います。下地の無い日本での音楽教育難しいですね。
最後のまとめ、 ”より多くの大人たちが学校の教育現場で行われていることについて考える” その通りですね。❣
難しい問題をあえて取り上げていただきありがとうございます。この動画を通して「どんな目的や目標を持った先生に巡り合うか」が大事だなぁ、と改めて思います。勝ち負けだけではなく、技術や音楽性向上にコンクールをうまく利用できる先生がたくさん出てきてくれることに期待しています。
同意します😌この手の問題点というか話題は時々目にしますが、実際に勝ち負けだけに拘って吹奏楽をやっている子は、それほど多くないのではと思っています。学生たちは大人が思うよりも柔軟で純粋です。年に一度のコンクールとそれ以外の活動、意識も思いも切り替えて、自ら学び自ら感じ、多くのことを吸収しています。また、日本の学生の吹奏楽文化と、音大生や音楽家の芸術音楽は別物ではないでしょうか。そういう立場の大人が学生の吹奏楽を同じ土俵で考えようとするから「批判」が生まれるのではないかと思います。
音楽の意味をあらためて考えさせてくれる談話ありがとうございます。
吹奏楽部に所属して、卒業後OBとして後輩と関わり、その後吹奏楽から離れて随分と経ちます。今でも、状況は殆ど変わっていないようですね。自分の所属していた部は、顧問が変わってからコンクール志向に変わりました。その顧問は、高校生時代強豪校の吹奏楽部に所属していたので、その流れだったと思います。リズムや音程を揃えることに加えて、会場の奥まで届くように大きいだけでなく遠鳴りするようにということが、コンクールで評価されやすいからということで、(特に金管が)バリバリと鳴ることにこだわっていたことを思い出します。価値観の問題なので、なんとも言えないけど、僕はその鳴りは下品に感じて好きではありませんでした。自分が卒業してからは、座奏に限界を感じたのか、マーチングにも手を出し始めましたが、炎天下のなかのマーチングの練習は、見ていて気の毒でした。また、新顧問のもとでは、学校が所有している安い楽器では勝てないということで、結構高い楽器を持たせることを強力にプッシュしていて親の負担もかなりのものだったと思います。ただ、コンクールだけではなく、定期演奏会があったので、そこで一般の聴衆(とはいっても同級生や家族中心)に楽しんでもらえるためにいろいろと工夫するなど、生徒自身も音楽自体を楽しむ機会があったようには思います。自分は、その後吹奏楽からは離れ、ジャズの世界に行きました。吹連のような強固な組織はありませんが、やはり勝ち負けにこだわる人、音楽性より技術に囚われている人は少なからずいます(吹奏楽出身の人でそういう人が多いようにも感じます。)こちらの方は教育の現場ではなく、大人が自己責任でやっていることなので、とやかく言うことではないかもしれませんが、技術一辺倒(超絶技巧至上主義)ではなく、音楽性も豊かな音楽愛好家が増えて欲しいと感じています。
私はコンクールと無縁の社会人バンドで演奏してます。あるとき高校生の女の子と一緒に練習する機会があり聞いた話ですが、顧問の先生に高校のコンクールでの曲を決めるときにプッチーニの「トゥーランドット」がやりたいと言ったら、「トゥーランドット」は人気曲なので沢山の学校が取り上げると思うから、上手い学校と被ったら勝てない」と却下されたそうです。で、結局は顧問の先生が選んだ″勝てそうな曲″でやることになった。と、残念そうに言っていました。その子の学校は強豪校ではなかったはずですが、そんな学校ですら勝ち負け意識して練習するのか、と驚きました。
そもそも芸術にコンクールって必要か?合唱も演劇もそうだけど、文化部が甲子園の雰囲気を疑似体験したくて芸術から脱線させてスポーツ化したとしか思えない。
最後にコーヒータイムがあるのですね和みました☕️
😊😊
わたしは吹奏楽でクラシック音楽に出会い、それからCDで名曲をたくさん聴き、楽器もプロ奏者に習いました。吹奏楽はわたしのような環境のない者にとっては音楽との出会いの場でした。そして、それが銅賞の学校だったことを感謝しています。もし金賞の学校だったら、学校の活動と同化することしかできず、自由に音楽の夢想にふけることなどできなかったでしょう。中学の時、チャイコフスキーの「悲愴」などを聴いていたことは、一生の宝物となりましたし、楽器でそれが吹けたこと自体単に聴いているだけとは違います。当時は編曲ものが多かったので、クラシックと出会いました。今の子は、その年のコンクールだけの正直質の高いとは言えない曲に膨大なエネルギーを使います。その中でどれだけオペラなどに親しむ音楽ファンが生まれるでしょう。
今はいい大人ですが何もわからないまま音楽へのちょっとした興味で中学で吹奏楽に入りました。中学では顧問の先生が同じ金管楽器出身で、練習して戸惑っていると私の吹いていた楽器をとってマウスピースを拭いて隣で吹いてくれました。プヘーみたいな音しか出せなかった私は同じ楽器でもこんなに違う音が鳴るんだと、そのことが凄くて先生に憧れ一生懸命打ち込んでいました。今となっては、このことがいい体験だったと思いますし、今でも先生とは連絡が取れます。 高校でもそれなりに吹奏楽が盛んな所に入り、今度は半体育会系でTVで言う所のずっとダメ金でした(私達は悔しさこそあれダメだなんて思っていませんでしたが)。高校の先生は「うまくなりたかったら自分達がうまくなれるように練習しろ、他校がどうじゃない。」と言っていました。 高校以降はその時期の自分に合わせてやったりやらなかったりです。 サッカーでも野球でも今回の内容のような事は聞きますね。また、今、全国強豪校にいる皆さんを非難をするものでもありません。学生時代なら、今、一生懸命やっているのなら体系はどうであれまずは良しとして、最悪音楽を嫌いになるような毎日を過ごしてはもらいたくないです。 本当に音楽の深さに触れるのはそれ以降かなと。
貴重なお話を聞かせていただきありがとうございます。私は吹奏楽部の演奏者、顧問両方経験してましたので、コンクールの良さと弊害について本当に共感しました。成績云々ではなく、ステージに立てる喜びや音楽を仲間と奏でる楽しさをもっと学生の頃に味わってほしいと思います。腹六分目くらいで終わらせておいて、残りは一生音楽を楽しめる隙間を残しておいてほしいです。僕は吹奏楽コンクールがきっかけでもっと音楽に関わりたいと思った一人ですので、全てを否定する気はありません。コンクールに限らず何かに直向きに取り組む学生さん方を見てると感動します。なので、コンクールの良さもあると思います。顧問としても自主性や協調性を育てること、何よりも音楽を一生好きでいられる素地を作るための吹奏楽部であってほしいと感じながら、取り組んでおりました。
中学生の時は吹奏楽部でした。短時間でコンクールよりもクラシックの名曲を親しむ事を中心に練習しました。県のコンクールでは3位でブロック大会には惜しくも進めませんでした。顧問の先生からは理想的な音楽教育をしていただいたと思って今でも感謝していました。
私の場合は楽譜も全く読めないのに吹奏楽部に入ってしまいました。けど下手過ぎて、コンクールなんて話題にも上りませんでした。いちいち丁寧に楽譜の読み方を先生に教えてもらいました。クラシックや行進曲を演奏してるうちに音楽が大好きになってしまいました。今は仕事で楽器を演奏しています。
吹奏楽部の顧問です。車田先生にまったく同感で、コンクールに対してどうしても積極的になれません。よその学校は、「勝つ」ために、いろんな講師を呼んで、難しい曲に取り組んでいますが、そもそも「勝つ」ってなんでしょう。演奏することが楽しくて気持ちよくて嬉しくて、聴いてもらえて幸せで、それでいいじゃないか、って思ってしまいます。疑問をもちつつ、でも、大きなホールで演奏をする貴重な場なので、精一杯生徒と音楽を楽しんできたいと思います。
生徒が部活動で過ごす時間は2年とちょっとだと思います。その少ない時間で、卒業以降も音楽と接していく事ができる何かが伝わる事が大事だと思います。音楽の楽しみもその一つですね。頑張って下さい😊😊
返信ありがとうございます。本当におっしゃる通りで、生涯に渡って音楽に親しむ窓になれればいいな、と思っています。私自身、オーケストラでチェロを弾いていて、胸の熱くなる瞬間をたくさん味わっています。いろいろな方からもらったものを、生徒に還元していきたいと思います。
全く同感です。私も高時代に吹奏楽部でコンクールをめざして夏合宿したりして頑張りましたが、関東大会で銀賞が最高位でした。今、高校1年になった孫娘が、やはり中学から高校で吹奏楽をやっています。しかし、コンクールで優秀な成績を残すより、本当に音楽が好きになって、生涯音楽を楽しんでほしいと願っています。音楽が嫌いにならなければと良いなと思います。
長年吹奏楽に関わってきましたが、全く同感です。よくある話で、学校を卒業後、燃え尽き症候群で楽器を辞めてしまう生徒さんがいると聞きました。音楽の楽しみではなく、苦しさを植え付けてしまったからでしょう。しかし、このようなシステムがあるために日本は世界一の吹奏楽大国になり、個人のレベルも上がったといえます。でも、この先を考えれば協会の抜本的な改革が必要だと思います。この動画はとても参考になるので、シェアさせていただきます。
卒業後に楽器を演奏しなくなる要因はさまざまだろうけれど、どの楽器にしろ吹奏楽、打楽器は音が大きかったりするし、人数が集まらないとアンサンブルを含めて合奏する場所や条件が整わないからかもしれませんし全国の吹奏楽部出身の数万人の卒業生を受け入れていたら吹奏楽団や交響楽団はいくつあっても足りませんよね。だから卒業生が楽器を演奏しなくなるのはあなたの指導とは必ずしも関係ないかも知れない気がします。
私も吹奏楽部を指導していました。私は吹奏楽コンクールやマーチングを指導していました。マーチングで全国大会に出場し金賞をもらった事もありました。が、教師を引退して、「私の指導は間違っていた!」と感じています。大会の指導であって音楽の指導ではなかったのです。もっと楽しく音楽の指導をすればよかったと思っています。車田さんのお話はとても共感できます!
そうですね、外に出て初めて見えるんですよね。僕は47年間ヨーロッパに住んで音楽を仕事としていますが日本のコンクールは異常です。子供たちが犠牲になっています。
驚きました。いや、そうでもないか。私は理科教員をしていますが、車田さんと100%同じように感じています。音楽に限らず、国語、数学、理科、社会、英語、美術、家庭、技術、体育、職業、校則・・・・・どの部分を見ても、「大人のための教育になってないか?」と思うことがよくあります。教育とは、原則子どものためにあるもの。そこの視点が見落とされた教育現場が多いのです、本当に。大人の都合で進められる教育・・・そのことに子どもの側からのクレームは、どの学校においても、ほとんど来ません。また、クレームが出たとして、クレームを本気で受け止めてくれる大人の教員もほぼいません。私はどの分野においても、「そもそも勉強が楽しい!」と思ってくれる子どもたちを育てたい。日本の子どもたちは、先進国の中だけで比較しても「勉強が嫌い」「勉強したって何の役に立つの?」という意識の子どもが、統計上多い。ダントツに多い。このことに、日本の教育を憂えてしまいます。車田さんは、いつも、音楽だけの狭い世界で語らず、社会的背景などをふまえた深い考察で、根本から物事を見ています。素晴らしいの一言に尽きると思います。
ありがとうございます😊😊現場では大変な事も沢山あると思いますが、ぜひ子供たちのために情熱を持って頑張って下さい!
大変な学校ですね。学校によって実態は違いますよね。お疲れ様です。
こんな先生ばっかりなら、日本の未来は明るいのですが…
「銅賞だったらどうしよう」って言ってて本当に銅賞になっちゃった時に女子がめっちゃ泣いてた。先生は文科省の方針に従うしかない。つまり、大人の責任という事です。
私の娘も、強豪高でしたが、幸いにも、35歳でも、まだ、一般バンドで、楽しく演奏しています!!顧問の先生が、とても、良い指導をしてみえて、演奏を上手になることも大事だけれど、将来的に、良い社会人になって欲しいと、いって見えたのが、良かったと思います❤
私も中高大吹奏楽部でしたが、お話を聞いて、納得しました。私が合奏を楽しいと思ったのは幼稚園や小学校で学年全員で鼓笛した頃からだと思います。特に小学生の時は運動会や町中を練り歩きましたが、大衆に聴いてもらう目的の良い教育を受けることができたと、お話を聞いて感じました。また、先日子供が通う小学校で、音楽発表会がありました。子供が持ってた楽譜には音符ではなく、シ・ラ・ソ・ーが4つずつ並んでおり(例 シシシー シラシー)、それを全員で演奏するのだと自宅での練習を聞いてましたが、なんとも単調な音楽と言っていいかどうか分からないものでした。しかし、発表会当日、子どもたちの演奏に、音楽の先生が作曲した曲が合わさることにより、ジャズの雰囲気の軽やかな曲に変身しました。私はサプライズのようで、楽しかったです。今の先生方も工夫して子供達に音楽の楽しさを教えてくれてるようです。
自分の場合は、先輩の影響が強くてコンクール上位を目指すようになりました。先輩の凄い演奏を見て、こうなりたい、先輩と同じ舞台に立ちたい、そう思って練習をし続けてきました。顧問からもっと上位目指そうとか言われたことはあまりないですね。技術面より表現面に重きを置いている顧問です。こういう環境でできたのは幸運なのかな、と思ってます。
良いお話有難うございます。私は大学時代はオーケストラに所属していましたが、同じ建物で練習していた吹奏楽団がコンクールでの課題曲で演奏時間オーバーで失格になった話を聞いて、以前から吹奏楽の在り方に問題を感じていました。基本的には高校での運動系の部活的な発想の延長、しかも古い体質の運動部の発想。野球で言えば、目標は甲子園、その為に全てを犠牲にする、家族も子供の夢の為に支援する、私立の高校なら生徒を集めるためのビジネスの一環として強豪校に野球部を仕立て上げる。この発想と基本的には同じでしょうね。しかも、高校野球以上に始末に悪いのが、指導している先生が音楽が専門でない人が多いこと。その為、顧問の先生が生徒に不条理な扱いをすることもあります。この構図は容易には変えられないでしょう。しかし、中学生の部活には良い兆候が。先生の仕事の負担減の為、部活の指導を外部に委託する動きがあります。この動きが本格化すれば、外部の音大卒の人が中学生を指導するということが増えそうです。もっとも、こういうシステムは既得権益化し易いので、別の意味での問題もあると思いますけど。
私自身は吹奏楽未経験ですが、アニメ「響けユーフォニア」でもまさに同じことがテーマになってました。ピアノやバイオリンのコンクールみたいに一人一人演奏して審査されるのと違って、吹奏楽は集団で演奏するからどうしても音楽の表現というより他の人と合わせる技術偏重になってしまうというわけですね。それを考えると響けユーフォニアの劇中で顧問の先生が、青春の楽しみで音楽するのか、全国で金賞をとるために練習するのか、最初に生徒に選ばせたのもちゃんと理由があったのだなと、今回の話を聞いて改めて思いました。他の分野、例えばスポーツでも同じような問題はありますね。最近、小学生の柔道全国大会が廃止されたのも、勝つための技術偏重になっている、大人たちだけが盛り上がっているだけで肝心の子供達に柔道の楽しさを教えることが置き去りになっている等と、似たような理由だったと思います。
数十年前、中学校でトランペットをしていました。わたしは下手でした。その時の顧問の先生はある時、イギリスの独特の衣装を身につけたブラスバンドの演奏会に、夜、武道館に部員を連れて行ってくれました。本物を聴かせてくれました。また、別のところで顧問をしていたある企業のブラスバンドの練習にも連れて行ってくれました。憧れました。コンクールの「コ」の字も記憶がありません。この先生のおかげで、今は歌とキーボードくらいですが、下手なりに音楽とはいつも一緒です。この先生は、お名前をあげてももう許される時と思いますが、中2中3担任の音楽専科の「山本常雄先生」です。
元教員・元吹奏楽部顧問です。過去にとある全国大会常連の公立中学校で教員(当時は別の部活の顧問)をしておりましたが、下校時刻を過ぎても吹奏楽部だけ特別扱いで教員も帰宅するような20時半まで子供を残して練習をさせていました。防犯上よくありません。本当にコンクールはゆがんだ教育音楽であり有害です。大学オーケストラなどは定期演奏会がモチベーションになっていてまだ健全だと思います。
日本の音楽大学の問題など、優しい口調で言いにくいことをズバッと切ってくださるこのチャンネルがとても楽しみです。私は西洋と日本の音楽教育の違いには、教会の存在もあるのではとずっと前から考えてきました。スポーツ優先の現代日本においては、男性にとっては、女性にとってより音楽をやるのはハードルが高いです。音楽をやりたいという低学年の男子は周囲からからかわれるのではないでしょうか?でもドイツ,オーストリアには、シューベルト所縁のウィーン少年合唱団、バッハ所縁のトーマス教会合唱団, シュッツ所縁のKreuzchorなど 優れた少年合唱団がたくさんあり、教会付属であることが多いです。このような合唱団の存在が、そのような少年たちの受け皿となり、西洋の音楽文化に大きく貢献していると思います。イギリスにもケンブリッジのKings College、Westminster Cathedralなど、教会付属の名門合唱団がたくさんあります。イギリスに滞在していたとき、グレゴリオ聖歌から現代音楽まで、彼らの美しい歌声によってタダで聴けるという環境を本当に羨ましく思いました。男の子は声変わりをするので教育は大変だと思いますが、長い歴史の中で維持されているレベルは驚くほどです。子供の時からパレストリーナやバッハなどを歌っていれば、そうではない人達とは耳や感性が全く違うでしょう。彼らが将来皆歌手になるわけではないでしょうが、音楽関係に行ったり、評論家になったりする人も多いと聞きます。このような少年時代の教育が、ヨーロッパの音楽文化の基礎の一部となっていることには間違いないと思います。長々とすみません。でも一度このテーマも取り上げていただけると嬉しいです。
合唱の基本は、讃美歌なのですからキリスト教会の文化なんですよね~♥いろんな国で、いろんな文化があるように、日本では部活動が音楽の教育の基本なんですね。合唱にしろ吹奏楽にしろ、コンクールありきでなくて、楽しさを共有するような教え方を重視していただきたいですね。
中高ブラス経験者ですが、課題曲について言うと、色々なクオリティを判定しやすく作られ、正解のある「塗り絵」みたいなものだと思っておりました。実際に文化祭等で演奏しても他の学生にはまったくウケないんですよ。私はどちらかというと、名曲の生の和音の中にいて、自分なりに「こういう風に演奏したい」を生演奏のバックで実践する贅沢、他の学生に聞かせて圧倒させることに喜びを感じてました。なので、(同じ曲に)長期間を費やすコンクールに対しては、もちろん最善を尽くしましたが内心は冷めていたと思います。九州大会はライバル校と半々の確立で進出しましたが、逃したときに泣く生徒たちを見ると、否定こそしませんが温度差を感じましたね。過ぎたるは及ばざるがごとし、だと。むしろ「これで夏休みが出来た」「もうあの曲は吹かなくていい」と不謹慎なことを考えてました。
半世紀ほど前、高校で吹奏楽部にいましたが、うちのクラブは顧問はお飾りで指揮者は同級生、コンクール?なに、それ?という感じの、まったりした活動で、楽しかったです。お陰で今も音楽が好きです。
皆様の書き込みを見て驚きました・・・・皆さん吹奏楽部で「難行・苦行」を経験されたのですね~~私は半世紀以上前に吹奏楽部でユーホニュームを担当していました当時はコンクールより演奏会や文化祭、市の行事での演奏や野球の応援と様々な行事に駆り出される事が主で、愉しい学校生活を堪能しましたコンクールでの随意曲は3年生が皆で決める等、普段練習する曲は全て部員自身で決め、進駐軍でピアノを弾いて生計を立てたという顧問の先生が偶に顔を出す程度でした、部員がプロのレコードを聴き、プロの演奏会を聴きに行き、時にヤマハ楽器へ譜面を見に行ったり・・・自分達で音楽を組み立てました・・・演奏会用に吹奏楽用の楽曲をフルメンバーで練習した後は、ジャズのフルメンバー編成でジャズやラテン楽曲を練習し・・・音楽を堪能しました・・・当時は、70年安保の時代で服装の自由化も生徒自身で決める等、先生が押し付ける事は在りませんでしたね~~~ 皆さんの書き込みを見て、私は本当に良い時代を良い環境で過ごす事が出来たとつくづく思います・・・神仏に感謝したいと思います。
すばらしいお話でした。娘3人が吹奏楽をやり、2人は大学まで。30を過ぎた今でも、それぞれ団体に所属して活動していますが、残念なことに、クラシック音楽を聴いて楽しむ時間はほとんどないようです。
クラシック分野の方で車田さんのような考え方をもっておられるのは非常に意外であり,非常にうれしくおもいます。車田さんのような方ばっかりだったら学校の音楽の授業も楽しかっただろうとおもいます。もう60年近く前の話になりますが。吹奏楽部には入ってませんでしたが,今は社会に出てから50年以上楽器を吹いています。楽しいです。車田さんのチャンネルを聴(聞?)いてクラシックも聴くようになりました。
私も中学は吹奏楽部に入部してコントラバス→ホルン→トランペットを経て部長にまでなりましたが、車田先生の仰るような音楽的なお話は担当の先生からは一度たりとも有りませんでした。orz.
公立高校で吹奏楽部でしたが、音楽の先生は非常勤で顧問になれませんでした。顧問は吹奏楽素人の先生だったので、コンクールは変拍子がなく、テンポも極力変わらない曲をどうにか選んだ記憶があります。指揮を振るだけの人です…近隣校と合同練習するときは、上位の大会まで行く学校の演奏に圧倒され、どうやったらあんな演奏が出来るのだろう。と疑問でした。大学に入って、全国大会常連校だったので、その疑問を解消すべく入部し、その謎が解けました。個人レベルは普通でも、時間をかけて緻密に練習すれば精度が上がることを学び取りました。仰るような縦と横を合わせる練習を積んだわけです。でも、初めて全国大会に出た喜びは大きかったですし、そこで聴いた他大学の演奏には感動しましたよ。
こんにちは。いつも、楽しく拝見しています。学生時代、吹奏楽部に所属していました。小規模で無名の学校でしたので、純粋に音楽を楽しむことができたと思います。目標を持つことは大切ですが、勝ち負けに拘り過ぎること、大人のビジネスシステムになりつつあることの問題点は、私も危惧しており共感しました。吹奏楽経験者のための限定の音楽から、一般の聴衆にも、素晴らしい作品の数々が広がるとより良いなと、私も思います。
部活を引退したらそれ以降完全に楽器演奏から離れてしまう人達の多さが全てを物語ってる。幸いにして自分は楽器演奏はもとより、音楽に携わって過ごせて来たので幸せな人生をおくれたと思ってはおりますが
それは運動部も同じではないでしょうか?学生の部活動はそういう物かと思います。
すごく同感です。中高で吹奏楽をしていたのですが中学の時は確かに縦横命の顧問だったのですが多分本当に音楽が好きで演奏したミュージカルの生演奏会に連れて行ってもらったりコンクールの自由曲はやる前にどんな曲なのかなどを研究してからやってました。中学の時は音楽として楽しめました。しかし、高校ではコンクールコンクールばかりで全く楽しめず何がしたいのかが分からなかったです。
初めてコメントさせて頂きます。私はアメリカ、ニューヨーク州に生まれ、イギリス、オックスフォードを経て、日本で育ち、国立の音楽高校、大学、それからアメリカの大学大学院に行き、ヨーロッパで弦楽四重奏を10年間演奏してきました。勿論演奏だけしてれば良いので幸せでした。しかしある時「伝えたい」との想いで帰国しました。現在は研究機関である音楽大学に所属し、演奏、様々な「伝えたい」活動しています。そして先生の動画に出会いました。本音で語ってくださる勇気と本当に中学校高校生への溢れる音楽の想い、情熱に衝撃を覚えました。吹奏楽に限らず、弦楽も同じですね。コンクールとは本来競うものではなく、本当に人々を感動させられる人材を広く社会へ紹介するのが役目ですね。私は音楽にジャンルはさほど必要と思っていません。私にとって音楽とは喜怒哀楽であり、「感動する心」「感動を伝えること」それはコンピュータには出来ませんね。感動は測れませんから即ち勝ち負けもつけられません。更に人間はイメージにどうやって近づける?悩み努力します。作曲家はどんな人?動機は?なにを伝えようとしてるか?そこに作曲家と奏者のコミュニケーションが生まれます。まさにタイムマシーンですよね。そして奏者が本番演奏しながら共に感じ、リアルタイムで修正していく。それがアンサンブル。一期一会、音は出た瞬間に消えていきます。物理的な振動が減衰していきます。しかし、人の心にに感動という波紋を広げます。物資から心の中へ、もしかしたら何十年も人はその感動を持ち続けられます。私達は音の計測機器ではない命の波動を時を超えて共有するタイムマシーン。「伝えたいこと」ひとりひとり音楽の捉え方な違ってほしい。だからこそのライブ演奏であり、多様性が産まれる。そして私達は日々新しい世界を共有し、毎瞬間生まれ変わっている。「伝えたいこと」
なるほど、教育現場や家庭教師的なレッスンには、そのような特殊思考があったのか。私は、40になってから歌唱の達人の道を歩み出したから、目標や、聴いてくれる人、特殊なレベルの聴き耳を持つ人、たくさんの知人に真っ向勝負で、趣味に時間と費用をふんだんに費やせました。中でも圧倒的な揺るぎない情熱や熱望が一番の成長を続けるエネルギーです。そしてジョンレノンならこの楽曲を空間をどのようにチェンジできるか考えて練習はするものです。人生の渇望を歌唱に変える私と、カラオケで100点連発してクラシックも幼少で終えた者との差が気になってました。音階はドレミではなく、楽曲や歌詞や時代が薫る音色でなかったからだと思いました。車田さんの動画は毎日観てますが、経験則の自分の言葉を世の中の言葉に変えてくれるバイブルです。
同感です。私も50数年前、中学、高校と吹奏楽部命、受験勉強そっちのけで打ち込んでいた口です。幸い、高校時代の先生がフルトベングラーを一番尊敬しているような方で、いわゆる吹奏楽的な演奏とは関係なく、まるでオーケストラを相手に自分の音楽を表現させるような指揮をするので、生徒たちもそんな感じで育ってしまって。聞くのは世界の名門オーケストラのレコードばかり。おかげで技術より音楽を表現する心を育てていただいて。先生に感謝です。あ、ここで話題にされている縦横をそろえる様な技術的な事は一切口を出さない方でした。ので、それはOBや生徒たちだけで勝手にやらせていただいてました。吹奏楽コンクールは、たまたま審査員の方に恵まれて(音楽表現に対する大木正興さんの評価の言葉が嬉しかった)全国初出場で音楽性だけで金賞頂きましたが、技術的には大した事なかったです。吹奏楽部活動の在り方としては、この方が大事だと思います。審査員を総入れ替えして、いわゆる「吹奏楽コンクール頭」の人を排除した方が...あ、危ない発言でした。
コンクールのあり方を変えるのは必要かなと思います。〇〇高校と発表してしまえば、強豪だなとかある程度は先入観もあるから、そのような耳で聴くと思うんです。平等に評価するなら、学校名は伏せて生徒はどの学校も同じ服装、指揮者も審査席から見えないようにして、音のみで審査がいいのではないかと思ったりします。
スポーツとどう違うのでしょうか?私は中学の時に友達に誘われて水泳部に入りました。理由は上下関係がなく顧問も優しいと言う事でw。1・2年は楽しく一応地区大会では賞状を貰っていたりしていました。ところが3年で顧問が代わり県大会常連強豪校の先生でした。練習は激変でなんと最後の夏の大会で県大会に出場決定学校始まって以来と言う事で校長先生からの激励、しかしみんなそんな大舞台まで望んで無かったので辞退したいと顧問に言うと、俺が泳ぐわけじゃないどうせ勝てないんだから遊びに行ってこい!世の中の広さに気づかされました。結局望むのは生徒たちじゃないかと思いました。首に縄付けて鍛えて1位になれるわけじゃないので、また喜びも生徒たちの物ではないのでしょうか?最近、座奏より沖縄の世界1位のマーチングを見て興味を持ち、従妹が精華の吹奏をしていたのでそういえば体育会系だったなと思いだしました。あれだけ厳しいのだから上位に入るということは喜びであり、誇りを持てると思います。楽しくやるもよし、厳しい環境で賞を目指すもよし、と実体験から感じた次第です。
高校時代に吹奏楽部で過ごしました。本気で全国大会を目指していました。(出場できませんでしたが・・・)コンクール音楽の弊害なのか、今でも音楽を聴く際に、「リズムが揃っているか」「音程が揃っているか」が非常に気になり、音楽を楽しむことができません。当然ですが、現在は音楽とは離れた生活をしています。父親(小学校教師)も、車田さんと同じく、「教育活動から逸脱している」という内容のことを言っていたのを思い出しました。考えさせられました。ありがとうございます。
教育という点から考えると、部活動は「技術」・「音楽性」・「人としての生き方を育てる」の三つが大切だと考えています。今、部活動を学校以外のところに預けてしむのは、「人としての生き方を育てる」がないがしろにされるのではと危惧しております。学校教育における部活動の根幹が見失われていると思われてとても心配です。
とても適切な指摘に感動しました。私も、正しいリズム、音程、整ったバランスで演奏できる事は、大切だと思いますが、それは、演奏が「音楽的」であるためのツールとして捉えていたいと思っています。そちらが、目的となって「音楽的」であることが、蔑ろになってしまっている、今の日本の「競技吹奏楽」には、アレルギーを感じています。このように、論理的に且つ、解りやすく説明をして頂いて、とても嬉しく感じました。私も健在、吹奏楽の指揮指導をしていますが、チューナーを見て音を合わせている事も、注意します。「音は目で見てあわせるのではなくて、耳で聴いて合わせるものです。心地良く響きあっているところを探って、そこにたどり着くことに、意味が有り音楽の演奏の幸せが見つけられるはず😊」と話しています。他にも、先生の音楽全般のお話は、とても素敵なお話ですので、団員には、このUA-camの視聴を紹介させて頂きます。
まったく同感です!幸運か、中学校2年生の時に全国大会まで行きましたが、高校ではコンクール中心の活動に嫌気がさして1年しか活動しませんでした。やり残し感があったのか、21歳の時に市民バンドができたので10年位活動して、今は70歳になりましたが、ボケ防止にほとんど毎日トランペットを吹いています。苦笑。。当時の高校の同級生はほとんど楽器と関わってないと思いますので、あの時部活を辞めて良かったと思ってます。
なるほどですね。私の地域で合唱部の強い中学、高校があり、つい期待してしまいます。応援の仕方が偏らないように気をつけたいと思いました。生徒さん達が合唱部の活動を楽しんでもらえること願っています。それから、コンクールと文化祭以外にも地域でクラブの演奏が聞ける機会をもっと設けて欲しいと思います。
これまでずっと吹奏楽コンクールや合唱コンクールを純粋な音楽活動ではないという観点で批判的に見ていましたが、車田先生のお話でそれを論理的は裏付けることができました。
自分の吹奏楽は45年くらい前の高校時代ですね。(ちなみに大学では吹奏楽部はなく、オケでした。)同じクラスに中学校からやっていたメンバーに部員数が少ないからと誘われてからですね。部員となった同級生の半分(20名のうち10名)が初心者。当時は1部(小編成)から3部(50名程度の大編成)と別れていて、3部が県代表、地区、全国に進む制度でした。自分が入学した高校では、ようやく本格的に大編成が可能な人数が揃いだした時代で、3部に出場する高校の数は40校程度だったと記憶しています。1年時は3部で銅、2年で銀、3年で金(代表にはなれない最近の言葉ではダメ金)まで行けました。2年時に音楽の先生(顧問)が変わり、女性のピアノ科出身に変わり指揮ができないので、同級生の3人が地元のアマ吹奏楽団に所属していたので、その知り合いのセミプロの人にお願いしました。(改革1)コンクールに対しては1年目よりも2年目、2年目よりも3年目の方が真剣に練習しましたね。代表にはなれませんでしたが、満足度は最高でヤッタぞって叫んでいましたね。また2年時には自分たちの代が音頭をとり、市内の市民会館を利用して初めてのコンサートも開くことができました。今ではこれは春の定期演奏会になって定着しているようです。(改革2)自分たちの吹奏楽部時代に春から夏に向けてはコンクール、秋には文化祭、春に向けては定期演奏会がルーティンになりました。結果的には自分たちの在籍時に現在の吹奏楽部の基礎を作ってしまいました。吹奏楽のオリジナル曲は確かに少ないですが、当時はホルスト、ジェイガー、リード、フーサなどの曲があり、楽しく演奏できた記憶がありますし、オケのアレンジものでは通常の有名なクラッシック以外の作曲家(ヴォーン・ウィリアムズ、イベール、コダーイ、プロコフィエフなど)も知ることができました。補足ですが、文化祭(お客さんが父兄や同級生なので有名なクラッシックのアレンジ中心)や演奏会(1部は映画音楽や楽しい曲、2部ではオリジナル曲中心)で、選曲は生徒たちで行いました。車田さんがおっしゃる通り、今のコンクールには問題があるのは理解できます。個人的にはコンクールの練習は基礎的な技術のレベルアップや周りの音と自分の音がどのように化学変化して聞こえるのかなどの気づきを教えてくれるものであり、コンクール自体はその演奏を評価をしてくれるものです。このプロセスがないと文化祭やら定期演奏会などはもしかしたら、とんでもなく酷いものになる可能性もあります。そんな訳で当時の自分からみたら、コンクール自体が絶対悪の認識はありません。ただ指導される先生には、できれば生徒たちの主体性を生かし、演奏する喜びを教えていただきたいですね。そして演奏した生徒たちが満足できるような後押しする教育をしていただければと思いますね。そのためにはプロオケじゃなくても、アマオケやアマ吹奏楽団の演奏会を聴きに行くのもありだと思います。生徒たちに演奏する楽しさを知ってもらうことが一番です。※同級生の中にはプロの演奏家になって、今では大学で教えているものもいます。 そんな彼らと一緒に過ごせた高校時代の吹奏楽部は一生の宝物です。
一般聴衆のための演奏でない、身内だけの演奏。それから、クラブ活動(あえて課外活動とはいいません)であることは、音楽を通して、人間として社会に役に立つ、協調性とか、自己の発見、自分で道を拓く力を養うものだと信じています。クラブが学校の生徒を集めるための「広告塔」であってはならない、その商業的意識から抜け出す事。吹奏楽に限らず、スポーツ系のクラブ活動も、特に私学には、なんらかの規制、たとえば、特別活動税などを課す、公立では、指導者は、定年を期に引退させる。などの、対策が必要だと思います。
自分はコンクール賛成派ですが、そういうと思ったよといった感じでほぼ反論されてしまいましたね確かに県大会金賞を目指すくらいの活動ならバランスいいかもしれません自分は音楽を楽しむよりも縦やピッチ等まわりと合わせることに達成感を感じていましたコンクールは音楽というよりこういうものだと思っています音楽は音楽で別で楽しめばいいと思いますスポーツ等の他でもいえることですが目標によってまったく別のジャンルの活動になると思います名門校は勝ちたい、本気で練習したいという人が集まると思うのでニーズに合っているのではないでしょうか顧問の先生がコンクール賛成反対を押し付けるものではないと思います他の方がコメントでも言っていましたがアニメで顧問の先生がどっちの活動にするか生徒に選ばせていたのは良かったと思います自分は全国目指して練習したほうが達成感があり楽しかったですでも確かにやめてしまう人が多いですあんなに上手だったのにもったいないとは思いますが燃え尽きてしまうんでしょうかね
中学生のときに吹奏楽部でしたが、金賞取れたら嬉しいけど、絶対金賞って感じの雰囲気の部ではなくゆる~く、音楽を楽しみました。社会人になってUA-camで競合校の練習風景とかみたりして、すごいなぁと思うと同時に、こんなことできないなぁと関心します。コンクール自体は毎年銅賞でしたが、それでも自分たちなりに練習して、ステージに立つという経験ができたのはとても良かったと感じます。良いとこを残しつつ時代に沿った形に変わっていくといいですね!
私自身は音大ピアノ科卒、今は娘がそこそこの強豪校(中学)で吹奏楽部に所属しています。なぜ吹奏楽部の顧問の先生は音楽の先生がほとんどいないのか?疑問に思ってよく夫と話していました。が、その謎が解けました!先日、吹奏楽コンクール東海大会がありました。審査員の講評で、管楽器奏者の方がお話されました。ぜひプロの演奏を聴いてください、プロが何をやろうとしているのかを知ってください、金賞を取った学校の演奏ばかり聴いてプロの演奏には見向きもしないのは…等、車田さんと同じような事を話していました。1人でも多くの生徒、指導する先生に伝わればいいなぁと思いました。車田さんのお話はどれも本当に興味深いなぁと毎度思います。
学校の吹奏楽は「スポーツ」と「芸術としての音楽」を混同している傾向にありますよね。両者は別物なのに、それを両方同じ現場で育てようとするからこのような歪んだシステムができる。仰る通り、ここは改革すべきポイントだと思います。
私が小学生の時は、ピアニカとリコーダー(笛)を習って、クラス別にその巧拙を競っていました。でも、7年前オーストラリアに来て娘の学校で知ったのですが、こちらでは小学生から、子供用のサイズではあっても本物のバイオリン等を使って演奏をしています。もちろん高いレベルの演奏には聴こえませんが、最初から、本物を目指して練習している意識を感じます。今はもうやっていないのかも知れませんが、ピアニカとかリコーダーとか、日本の箱庭の中で、コンクールに優勝するための技術だけを競ってしまっている感じがします。
私はブラバン経験者ではありませんが、ご指摘の問題点になんとなく気づいていたので、子供がブラバンに入るかどうか迷っているときにブラバンやるよりも今までずっとやってきたピアノを継続するように奨めました。まだ、サックスをやりたいとか、フルートを吹くセンスがあるとか、そういうブラバン適性があれば、やってもいいと思うんですが。
合唱をやって卒業するときに生徒一人一人が、どれだけ人間としてどれだけ”豊か”になったか”豊の種”を植え付けられたかどうやって評価したらいいのでしょうか。考えさせられます。
小学生から吹奏楽を始め、大学卒業まで吹奏楽部でした。今も社会人バンドに所属して、参加できるときに参加するようなゆるい関わり方をしています。ずっとやってきて、中学、高校はやはりコンクール中心の活動でしたね。中学校はさらに文化祭や地域のイベントに呼ばれての演奏とか。高校では定期演奏会も加わりました。大学でもコンクールにも出ましたが、そもそもコンクールに出るかどうするか?ということからみんなで話し合って決めていました。他にも年2回の定期演奏会や各種イベントに呼ばれての演奏など演奏機会はたくさんありましたし、自分達の演奏で聴きに来てくれた方が喜んでくれることのほうが楽しくなった記憶があります。お客さんにいかに楽しんでもらうか?という観点を自分の中で持って、活動するようになったのは大学からでした。今、所属している社会人バンドも地域に根ざした活動をしていて、楽器をやったこともないおじいちゃん、おばあちゃんが開演の何時間も前から楽しみに並んで待ってくれて、大きなホ−ルがほぼ地域の方々で満席になるようなバンドです。たくさんのお客さんに来てもらえると演奏する側も張り合いがありますし、演奏会後にホ−ルの出入り口で見送りをしていると知らないお客さん達から「楽しかった!また来るわ!」「また生きる元気を貰いました!」なんて言われると音楽の力みたいなものを感じます。コンクールに出ることもそこで技術を高める、仲間たちとの絆を深める、目標に向けて頑張って、評価を貰うなどの意義もあると思います。そこで得たものを演奏会など別の機会に発揮して、音楽を楽しんで貰いたいし、聴いている人達を楽しませて欲しいですね。
吹奏楽部に限らない。クラシックの国際コンクールも同じ問題がある。音楽の本質とは別の性質の問題がある。
今日も興味深いお話、ありがとうございます。小、中、高と吹奏楽やっていましたが、四十年前のことが目に浮かんできます。幸い?コンクールで全国大会なんて考えられないようなレベルでしたので、定期演奏会や文化祭がメインで、楽しかったです。音楽の演奏にはまず技術ありきで、それができてはじめて音楽表現も可能ではないかと、当時は必死に個人練習していました。ところが、大学時代に楽器会社が主催するサマーキャンプに参加してプロの演奏家の方々にご指導を受ける機会があり、その発表会でまだ楽器触って数ヶ月ですぐらいの方のジャズソロ、これが素晴らしかった。レベルの高い方たちが集まっていたキャンプでしたが、会場がどよめき、わきたちました。忘れられないなあ。つたない技術でも聴衆にうったえられる力のある演奏。それを可能にした先生の素晴らしさ。今五十を超えて中断していた演奏にまた取り組みたいと思う今日このごろです。
吹奏楽部のための音楽は短いがゆえに私のような者には楽に聞けるように思います。また、吹奏楽部の旅はとっても好きな番組でした。技術9音楽1ではおかしいということは良く分かりました。勝つために技術9になってしまうのですね。
大変勉強になります。「合唱コンクール」のお話でも私の意見を書かせて頂きました。私は高校時代だけ吹奏楽部でした。30年以上前の事です。車田さんの仰るような、先生が先頭になって全国大会を目指す程の部では無かったと、お話を聞いた後で思いました。「なぜ勝負に拘るのか?」同感です。プロの演奏家の方にも勝負の場面があるとは言え、どこまで行ってもそれは音楽の本当の悦びや興奮とはかけ離れてますよね。それと、音楽に限らずですが、部活や授業の内容が「実技」に傾きすぎてるとも感じます。例えば国語での詩・短歌・俳句でも、作ってみるのも大切でしょうが、もっと多くの作品に触れる事が大切だと感じますし、車田さんが吹奏楽部でしたなさったように、その良さや味わいを生徒たちに伝える事にも時間をもう少し割けば良いのにと感じます。
これだけ吹奏楽人口が多いのに、音大に行く人、プロの音楽家を目指す人が少ない理由がわかりました。そして、吹奏楽に限らず、わかりやすい勝ち負けに打ち込んだ後に燃え尽きて、そこまでやってきたことを辞めてしまうとしたら、もしかしたら素晴らしい才能を摘んでしまっているのかもしれないですね。
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高校時代オーケストラ部でした。総文などには参加しましたが、大きな賞レースには参加せず、定期演奏会やホールや施設での演奏発表機会を軸に活動していました。お客さんに音楽を届ける、ひいては自分たちが音楽を楽しむ。そのために技術や表現の向上を図る活動内容でした。まさに大学オケみたいな感じですが、県代表だとか金だとかそういう指標はないけれども、振り返ると我ながらいい音楽が出来ていたのではないかと思います。コンクールももちろん盛り上がりますが、音楽を楽しむこと、お客さんに楽しんでもらうことを根底に置いた団体の演奏は、上手くないかもしれなくても、他団体より安心して楽しんで聴くことができますね。
楽譜のレンタル料5万から7万コンクール曲候補が毎年出ます。サンプル楽譜と楽器人数と、部費と相談しながら決めました。コンクール日本人作曲家の新曲が多いです。
そうだな、大会で上の大会に進むのもいいけど、それ以外で地域のイベントなど演奏の機会が多いのが理想かな。
中学校の時、吹奏楽部にも入っていました。「吹奏楽部も」というのは、へき地の学校なので、スケート選手だった私もコンクール参加のために駆り出されていた訳です。地区大会を突破して北海道大会で金賞を取ることを目標にやっていました。スケート選手として北海道大会で活躍するという目標と並行していました。音楽で競争することに違和感を持っていましたが、上位に入ることはうれしいことではあるので、頑張っていました。私が一番分からなかったのはピッチがあっていないという概念でした。音があっていない、高いとか低いとか言われても分かりませんでした。今となっては、こんなこと何故分からなかったのだろうと思うことです。コンクール上位を目指して努力するということは良いことだと思います。ただ、上位に入るために大切なことが忘れ去られているという印象もあります。
吹奏楽部のある学校が増えたよねわたしらの頃は高校まで吹奏楽部は無かった吹奏楽部がある学校は金持ちの学校というイメージだった高校は音楽か美術か選ぶ選択科目だったけど音楽を選んだのは教科書以外何も買う必要がなくお金がかからないから
私も中学生でコンクールのために暗くなるまで練習しましたが、家族との時間が足りなかったと思います。
吹奏楽の世界には、最初から最後までこのテンポで完璧に演奏出来さえすれば金賞間違いなし、みたいな曲も存在しますね。でもそれって音楽としてどうなのか、と考えてしまいます。僕も吹奏楽出身なので、ピッチが完璧でビシッと縦の線が揃ってる演奏が好きなんです。まだまだですね…。
高校生の時、吹奏楽部に入って、練習ばかりで一年間の休みはたったの6日。1日でも休むと先輩方から大勢の前で吊し上げられる。練習や指導は技術ばかりで、3年間で音楽に感動したことは1回だけでした。フィンランディアを聞いて演奏した時です。100%吹奏楽部を否定はしませんが、勝ち負けにこだわるやり方では、本末転倒で音楽を愛するとか親しむ人々の広がりは生まれないと思います。よく分かるご説明に感謝申し上げます。
もうかなり時間経ちますが、某高校でのコンクールで、連続優勝している高校のドキュメンタリーやっていましたが、その、体育会系の教師によるスパルタ的指導方法にかなり賛否が別れ、話題になった事を思い出します。
中学校の吹奏楽でホルンを演奏していました☺️ うちの学校はコンクールに出たことはありません😅 でも体育祭でマーチングをしたり、知らなかったクラシックを演奏したり楽しかったなー☺️ 先輩も後輩もみんな仲良かったし、先生もちょっと変わってて面白かったし☺️でも、コンクール、出てみたかったな。賞を取れなくても あの仲間だったら楽しかったかも🤗
コンクールには出なかったんですね。もう少しできれば、もっと楽しかったかもと思うぐらいが案外良いのかもしれないです😊😊。
素敵な動画でした。ありがとうございました。
コンクールに「勝つ」ことに照準を当てると、必然的に個々の「表現しよう」という欲求は棄損されると思っています。ピアノ界も同様で、コンクールに多数入賞する教室ほど、生徒は皆、同じ音しか出さない傾向にあると感じています。ホロヴィッツはコンクールを全否定していましたね。
正直高校まではすごい音楽が楽しく、音大を目指す先輩がいて、コンクールよりもコンサートをやることに重きを置いていたので良かったのですが、大学の吹奏楽団の活動は地獄でしかありませんでした。たしかにプロのオケの先生に分奏(ブラスセクションとウッドセクション)をやって、曲のアレンジをなさった先生が直々練習を付け、夜は忖度漬けの接待。正直地獄でしかありませんでしたし、もう限界でした。むしろ、楽団外の合同演奏会や高校のオケ合同でやったヘンデルの『メサイア』をやってるときのほうがむしろのびのび演奏できて、それこそチャイコフスキーのブラスセクションみたいな音を出せるようになりました。僕は躁うつ病になってしまったのも親の厳しいしつけで萎縮して怖くて演奏できなくなりました。今、アマチュアのオケに入ろうか迷ってますが、レヒナー等のドイツトランペットかC管トランペットを買わなきゃいけないので厳しいです。車田先生、実はぼくのいた高校の楽団は、ポップスもカシオペアやスクエアの曲を自分たちで編曲し、先生もバーンスタインのウエストサイドストーリーの『トゥナイト』を歌ったり、クラシックもチャイコフスキーの『くるみ割り人形』ムソルグスキーの『展覧会の絵』ヴェルディの歌劇『シチリア島の夕べの祈り』を演奏したりと、声楽専門の先生らしい楽しい時間でした。今でもお世話になった仙台フィルの先生には大学にくる楽団の定期演奏会の裏方のアルバイトが本当に大好きで、ぼくの師匠の首席トランペットの先生がステマネさんと本番前までオイチョカブをやっていつも勝つと『これで今日もいい演奏ができるぞ!』と言って愛機のバックのC管、レヒナーのトランペットを持って舞台に上がっていきました。いまは娘が声楽家のタマゴになり、今月ベートーヴェンの第9演奏会に立ちます。
現在高校生で、中学から継続して吹奏楽をやっています。正直、中学の時のコンクールに嫌な思い出はあまりありません。車田さんの言うように、地区大会止まりの学校だからなのでしょう。コンクールを通して、パートの後輩との仲を一層深め、外部の指導者から教えていただいたことは今でも役に立っています。顧問は吹奏楽経験者であり、軽音の経験もあった若手教員でした。自分の入学と共に赴任し、3年間付き添った恩師です。もし、自分が住んでいた地区が強豪校の校区だったら。地区突破も夢ではない、という希望の半面、今通っている志望校にも合格できていないのではないか、吹部にしか知人・友人ができていなかったのではないか。そういった一抹の不安が、今の自分とどこまで乖離した自分を作り出すのかは想像がつきません。それでは、コンクールはよくないものなのか。その思考は私の高校の吹奏楽部を見れば一瞬にして吹き飛びます。学校の方針でコンクールや地域の演奏会には出場せず、唯一残された舞台は学校祭のみ。顧問はやる気がなく、指揮は学生が担っています。もちろんコロナの影響もあるでしょう。しかし、舞台がない。演奏する機会のない吹奏楽部。なんのためにあるのでしょう。どこに価値があるのでしょう。それこそ、ポケットのないドラえもんとなんら変わりないではありませんか。それであれば、のび太君に道具を与えず、ただひたすら勉強を教えるドラえもんの方が、面白くないのは共通していても、子守ロボットとしての意義を有してはいませんか。吹奏楽も、ただ縦や横を揃え、顧問の指導力を競うコンクールであっても、何もしないよりかは確実に生徒の思い出に残り、確実な成績や結果が残ります。コンクールには、吹奏楽に携わる多くの中高生の目標であることは間違いありません。音楽での勝ち負け。確かに良くわかりません。音楽は芸術です。しかし、「コンクールで勝ちたい。」、この意志は、参加する吹奏楽部員の心を突き動かします。音楽を通した教育的意義ならば、ここに有る。そう考えています。部員は辛い顧問の言葉を受け止め、演奏に反映させる。ここだけを切り取れば確かに「顧問のコンクール」になってしまいかねません。しかし、いざ本番。今までの経験や知識、そして一体感が生み出す一曲がもたらすのは賞だけではありません。部員の達成感と、ある種の絆です。今、丁度コンクール時期で、結果発表を受けた三年生から、出身中学に来るように言われました。いざついてみると、そこには鮮やかな笑顔で写真を撮り、談笑を交わす後輩たちで溢れていました。これを見て、来て良かった。そう思いました。決してよい結果を残したわけではありません。その光景は、とても眩しくみえました。これが、私の高校では感じられない。今改めてそう感じると、涙さえ出てきます。強豪校であっても、コンクールが終われば、保護者は我が子を労い、生徒たちはお互いに「おつかれ」と言葉を交わすことでしょう。吹奏楽で音楽的教育における欠点があったとしても、これは人間として大きな経験になりえます。これこそが、コンクールの教育的意義である。私はそう考えています。車田さんの話を聞いて、コンクールに対する熱意を語りたくなりました。多くの点で共感することがありました。「コンクール」について考えるきっかけとなる、素晴らしい動画だと思います。ありがとうございました。
車田先生の素晴らしいお話しが、この方の更に深いところの思いをひき出して下さった事に、今喜びを感じています。語り始めれば付きません、時間切れの為、取り急ぎ、感謝して❤️
尽きません、の間違い💦🙇♀️
みんなで1つの目標に向って頑張る…それ自体は悪い事では有りませんがそれが音楽である必要はあるのかなあ…。
車田先生は吹奏楽部を音楽教育の観点から話していて、あなたは純粋にの部活動として話している。そこに違いがあるのであって、目指しているゴールが違うだけの話。
自分が演奏した楽器から綺麗な音が奏でられるうれしさ、みんなが上手に吹きこなして1つの音楽をつくりあげる喜び、吹奏楽部員になりこのようなことを味わえて幸せでした。発表の場としては、文化祭、単独コンサート、地域音楽祭、吹奏楽コンクール、その他、学校の朝礼、出初め式、市主催のパレードでも校歌や行進曲を吹いた記憶があります。昔も今もコンクールのためだけの吹奏楽部ではないと思っています。それでもコンクールとなると、勝ち負けにこだわってしまいます。「地区大会で金賞とって、都道府県大会に行きたい」これが多くのバンドピープルの望みでしょう。全国大会という高みを目指す学校はほんの一握り。そのような雲の上の存在はそのままでよいと思います。CDやDVDで「ああ、凄い演奏だな」と、遠い昔から毎年感動させてもらっています。
私も同じです!!そう思います👏
おそらく、部活動の音楽、部活動の吹奏楽部のことだとおもいます。今でも、そうですが、小中高の教育課程には、部活動はありません。文科省が、部活動は教育であると 学習指導要領で言ってしまったがために、いろんな問題が今でも解決されません。一番問題になるのは教員のタダ働き。大昔の文化部は、金のかからない合唱部があったのですが、昭和39年のオリンピックのころには、運動部の金銀銅の表彰ができたことと伴って、ブラス部が最も盛んに活動し、金を目標にがんばったと思います。学校備品として楽器購入上の予算では楽器をそろえることは難しいので、個人持ちの生徒を集めて、部に参加した生徒がおおかったと思います。運動部の地域移行、民間移行が3年以内に行われるので、ブラス部もそうなっていきます。そうすると、教員は部活動から解放され、賞にもこだわらなくていいことになります。
吹奏楽コンクールに限ったことではなく、各種コンクールに通ずる話だなと思います。
同意です。吹奏楽部に限らず、部活動は教育活動の一部であるにもかかわらず、本来のあるべき姿から外れていると思います。1つのことに集中して取り組み、より高い結果を得るために、つらいことにも耐えて努力することによって、"**力"を養う、という、いかにも教育活動であるかのようなもっともらしいお題目の下に、顧問の教師も生徒もより高い結果を目指して活動する。そして、結果を残せる学校はごく一部の学校だけなのに、他の大多数の結果を残せない学校のほとんども同じ価値観の上で活動しているので、結果を出せない多くの生徒たちは少なからず劣等感を持つ。部活動には違う視点からも様々な問題点があるのですが、それらには触れません。とにかく、仰るように強固なシステムが出来上がっているので、それを壊すのは簡単ではありません。
大変共感の共感の持てるご意見、感銘を受けました。私は70代の1老人ですが、昔から音楽が好きで、中学生の時は女子ながら吹奏楽部に入ってユーフォニアムを吹いてました。楽器も少なければ部員も少なかったんですが、音楽の先生の指導のもと楽しく部活動をしてたと思います。60年ほど昔のことです、コンクールがあるなんてことも知らず、ただ楽しむだけで文化祭の時に練習した曲や、小さな曲を編曲して聴いてもらったりするくらいでしたけどとても楽しかった記憶があります。しかし、昔は我が市は男女共学の高校はなく(多分先生は合唱の動画の内容から安積高等学校ご出身かなと思いましたが)女子校へ進むしかありません。吹奏楽を続けたくてもできなかったのです。会津高校へ進んだ男子の同級生が羨ましかったです。それでも、音楽の先生に音楽の楽しさをたくさん教えていただいていたので、女子校に進み、リード楽器等や弦楽器だけの器楽部に進んでも、ピアノが演奏できない私でも何とか編曲を駆使し、帰宅部だった器楽部を校内でも上位の人気文化部までにできたことは、きっと音楽を楽しんだからだと思います。コンクールも大切かもしれませんが、先生のおっしゃる通り、もっと音楽を楽しく勉強してほしいと思いますね。数年前お会いできた90歳になる中学生当時の音楽の先生、ちゃんと当時のこと覚えててくださっていました。今の時代、歪んだ競争がいいのか悪いのか芸術に限らず、スポーツでも同じなんですが、なんとかならないものかといつも思ってましたが、先生のこの動画を見て、まさにその通り❣️と拍手してしまいました。そして、ご迷惑かとは思いましたが、長い長いコメントをしてしまいました。申し訳ありません。先に拝見した合唱の方へもコメントさせていただきますね。本当に素晴らしい動画もっともっと大勢の方に見ていただきたいです。娘たちや孫たちにも共有させていただきました。
ありがとうございます😊
車田先生がかつてコンクールの功罪と何故巨匠が生まれなくなったのかといったお話をされたことに通じるものがあると感じました。日本では指導者が世界での大手Labelと同じような存在となっているのですね。若い時に自由な心を持って自分の表現を開けた聴衆に表現することが大切です。美しいものを美しいと感じる心を養うことが音楽教育だと思います。
吹奏楽コンクールの問題って、何だか高校野球の問題と似てますね。
大人が作り上げたシステムとビジネスががっちり結びつき、マスコミもこれに便乗する。
本当に大切な学生の心や体を育むことは、いつしか忘れ去られている。
そして、音楽やスポーツの持つ本質的な素晴らしさや楽しさも置き去りにされてしまう。
本末転倒ですね。
大変多くのことを考えさせられました。
中学生から社会人の若いころまで、吹奏楽をやっていました。
社会人で全日本に行ったときの楽団では、本番直前だけは監督が来ますが、
普段の合奏練習では大きなメトロノームを合わせ、機械の音に合わせて正確な音を求められました。
普段から「ショボっ!」と馬鹿にされ、監督が来て合奏をすると「ヘタクソ!」と罵られるばかり。
ひたすら機械で音を合わせ、フォルテの所でもフォルテッシモで吹くことを要求されました。
吹奏楽コンクールの演奏は、音楽などではなく、競技です。
先日、大阪府吹奏楽コンクールの高校の部を聴きに行きましたが、銀賞や銅賞の演奏の方が印象に残る所が多かったです。
私は縁があって、吹奏楽を辞めた後、オーケストラに入ることができました。
ベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザーク、チャイコフスキーといった作曲家の、素晴らしい作品との出会いに、心が震えました。
私もオケも演奏は未熟でしたが、作品に惚れ込み、アンサンブルを楽しみ、それがお客様にも伝わって、お客様も大変喜んでくれて、大人になってようやく音楽を心から楽しめるようになりました。
でも、そのような音楽の素晴らしさを感じる前に、吹奏楽コンクールで疲れて楽器を辞めてしまう人の方が多いんですよね。
悲しいです・・・。
高校で普門館に2回行きました。
仰る通り、ほとんどの時間を基礎練習に費
やし、先輩の言う事は絶対的、顧問は神様でした。ブラバンはスポコンです。
身についたのは「忍耐力」です😁
子供には楽しく音楽してほしいので絶対に強豪ブラバンには入らせたくありません。
誰かが言わなくてはならないとても良いお話をありがとうございます♪
県大会で必ず金賞を取る中学で吹奏楽をやっていました。自由曲でロッシーニのセビリアの理髪師を演奏しましたが、顧問の先生が曲想重視で仕上げたら県大会で銀賞でした。顧問の先生は応援してくれていた保護者たちとがっかりしている生徒たちに謝罪して次の年は方針を変更し、ひたすら楽譜の音をきっちりと組み立てる指導に変えて金賞を受賞しました。でも演奏することの素晴らしさを実感できたのはロッシーニの方だったんです。
このお話を聞いてそんな40年も前の記憶が蘇りました。
こんにちは。いつも楽しく動画を拝見しています。
お話に非常に同感です。
私は高校で強豪校の吹奏楽部に所属し、それはそれは厳しい練習をしてきました。
おかげで技術は向上しましたが、楽器演奏=楽しくないもの、となってしまい、もったいないことに高校で楽器をやめてしまいました。疲れてしまったのでしょう。そして大好きだったクラシック音楽も聴かなくなってしまいました。
それから数十年後にふとしたことで楽器を再開したくなり、今はアマオケで楽器を吹いています。恥ずかしながら今になって音楽の素晴らしさ、楽しさを満喫しています。
車田さんのおっしゃる通り、大人たちが中高生の音楽性を豊かにできる、素晴らしさ伝える教育ができればと心から思います。
高校生だった40年前、うちの吹奏楽部はコンクールに出ない学校でした。理由は「コンクールに出ると表現重視の演奏が出来なくなるから」でした。あの先生、あの時代に凄い方針打ち立ててたんだな、とあらためて思いました。
ものすごく良い視点からの考察で、私の頭の中がスッキリしました。
そうなんですよね。結局コンクールバンドを経験した多くの人がせっかく多くの時間を費やしたにも拘らず、卒業後に音楽、楽器を続けておられないことが多いのです。これってご指摘されている通り、音楽教育になっていないからなんでしょうね…
素晴らしい!
以前、全国大会で金賞受賞する中学校吹奏楽部の卒業生に、私が所属する一般バンドへ勧誘したところ「もう音楽はいいです。極めました。」と言われました。音楽の楽しさって奥が深くて極められる物でも無いのに、とても寂しい思いをしたことを思い出しました。勝ち負けに拘る吹奏楽界は子供たちにとって健全ではありません。大人も同じです。これからも車田先生の強い発信を期待します。
でも、たい焼きにはコーヒーより熱い緑茶です。
その子 音楽を極めた❗んですか🤣😱
たい焼き&☕ 🥴🥴
小学生も同じです。講師が指導に来て、コンクールでは担当教諭が指揮をする。何が目的なのかなぁ~?お休みの日は、1日中の練習です。小学生もこんなことになっております。
昨日、吹奏楽コンクールの県大会で代表金を取れました。私達の顧問は「コンクールで勝つことだけを目標としないでほしい。」とした上で「皆さんが頑張りたいのなら私はそれに従います。」といってくれていました。私の学校は部長さんがみんなの意見を聞きながら予定を全部組んでくれて、それに顧問も部員も従って動いています。雰囲気は本当にいつも和やかです。
昨日、顧問がマスクを外して指揮をしているところを初めて見ました。最初から最後までびっくりするくらいずっと笑顔で楽しそうでした。この先生は音楽がとても大好きなんだなとこっちにも伝わりましたし、私も楽しかったです。この先生が私たちの顧問で本当に良かったです。
NHKで「響けユーフォニアム3」という高校の吹奏楽部が全国大会を目指すアニメが流れているのですが、先輩より上手い後輩が大会に出るとか、転校生が同じ楽器を演奏してるとか、主に人間関係の問題の描写が続いて、見ていて「これって、音楽の本質なのかな?」「音楽を演奏する喜びと離れてないか?」ともやもやしていたのですが、この動画を見て、現在の中高の吹奏楽部が抱えている問題がアニメにも投影されているのだとわかりました。
私は高校の吹奏楽部で部長を務め、ソロの演奏もしましたが、いろいろと悩んだ挙句、最終的には音大に進学しませんでした。その理由は、なんとなく演奏をすることが楽しくなくなっていたからです。今までずっとその原因がわからないでいたのですが、この動画を見てなんかものすごく納得しました。おそらく私が演奏していたものは音楽ではなかったのでしょう。結局、音楽とは全く関係のない仕事をしながら、趣味として音楽活動をしていますが、高校のときよりも楽しくできています。言われてみれば、確かに、高校の吹奏楽は音楽が好きな人を排除するようなシステムになっているのかもしれませんね。実際に、私も高校生の演奏を聞きに行くことはほとんどありませんし、たまに聞きに行っても音楽としては聞いていない気がします。例えてみれば、習字のコンクールに既定のフォントをプリントアウトした紙を提出するような感じでしょうか。
よくぞ言ってくれました!👍
車田さんに大賛成‼️
私は元中学校音楽教師です。
吹奏楽連盟の地区事務局もやり、審査員経験もあります。
ある時、酷いのを見てしまいました。
ホールのロビーのモニター前で複数の学校の生徒さん30人くらいが集まって祈ってました。
何やってるんだろう?と近寄ると「失敗しろ、失敗しろ」と言ってました。
これには大変ショックを受けまして、驚いていたら私の生徒が「あなたたちどこの学校?今なんて言ったの?名乗りなさい」と噛みつきました。
慌てて引っ張って、「あいつらは県代表になるかならないかの学校だぞ」と言うと「先生そんなの関係ありません。あんなの許すんですか?」と生徒に怒られました。
よくぞ言ってくれたと心の中では思ったものです。
とてもショックで地元の先生たちとその晩、そのことを話したら「他の学校は敵だ!」と教えてる先生が何人かいると聞きました。
ホントにショッキングでした。
ご自身が隣の学校へ転勤したらどうするのでしょう?
生徒たちは中学校卒業したら、高校で吹奏楽やるのに一緒になるのにどうするのでしょう?
私が教員に戻らない理由です。
受験の内申書にも県代表になればプラス、金賞取ればプラスです。
車田さんの仰るように音楽や教育がどこかへ行ってしまっています。
週一回の音楽の授業では行事に追われてしまい、教科書を十分扱えない、ましてや作曲家たちの想いを伝える、音楽の素晴らしさを教えるところまでなかなか出来ませんでした。
一点、車田さん違います。
吹奏楽コンクールの審査で最も重要なのは全体のサウンドの美しさです。
音程や縦を揃える方が次点です。
そのため、よく鳴る楽曲を自由曲に選曲するのがよくて音楽的な中身は後回しです。
少なくとも地区大会や県大会までは審査員たちは表現なんか聴いてはくれてません。
ぶっちゃけ曲なんかなんでもいいんですよ。
切ったら血がほとばしるような熱い演奏しても評価されず、そうした演奏は銅賞です。
全国大会常連の関東の私立高ですが、ラテンやったら下手くそでした。
毎年生徒や曲は違うのに毎年似たような音楽づくりしてます。
つまらないです。
汗もかかないような演奏は音楽ではありません。
私の教員時代から部活動の社会教育化が言われてましたが今年になってやっと大きく動き出しました。
部活動を学校でやらなくなったら、私は吹奏楽部は生き残れないと思います。
正直コロナでコンクール中止になったのは私はコンクールのあり方や教育としての吹奏楽を見直すチャンスだったように思います。
でも先生方が旧来の価値観でしか考えられなかった。
残念でなりません。
たった一人の抵抗ですが、クラシックの素晴らしさ、童謡・唱歌の教育的な価値や美しさを伝える活動をやっています。
今度も楽曲を持ってて吹ける人なら誰でも参加できるイベントやります。
昨年、車田さんの動画を見つけて、あれ私と似たようなこと考える声楽家がいるなあととても嬉しく思いました。
音楽の素晴らしさ、愉しさ、頑張って伝えていきたいと思います。
ありがとうございます‼️
言われてみて気づきました。ベルリンフィルの演奏を聴いている時の自分と吹奏楽の演奏を聴いている時の自分はなんかモードが違います。前者は純粋に音楽を楽しんでいるのですが、後者は如何にバンドを鍛え込んできているか、という高校野球を見る時のようなモードです。30年前の夏の後遺症だと思います。
音楽に関する動画を探していた折にこちらの動画に辿り着き、懐かしさを感じコメントをさせて頂きました。
高校在学の3年間、車田先生のもとで沢山学ばさせて頂きました生徒のものです。
車田先生が担任となり、吹奏楽部へお誘いしてくださらなかったら、私の人生は今とは180度違ったのかなとふとした時にいつも思います。
先生の指導は音楽を楽しく学び、そして考え、自身が音楽へ向き合う事の大切さを気づかせてくれました。そこで学び、感じ、育った感性は、社会人となった今でも常に私の心を刺激し続け、ジャンルを問わずに音楽を愛する大きな基軸となり、自分自身を突き動かしております。(楽器を続けており、今月はオーケストラ、来月は吹奏楽のステージに奏者として出演予定です)
そこには勝ち負けよりも、先生が音楽の素晴らしさを僕ら生徒へ伝える姿勢が第一にあったからなのだなと動画を拝聴していて、納得した次第です。
音楽の素晴らしさを教えて下さりありがとうございます。とても満足の行く充実した学生ライフでした。
動画でご指摘の通り、技術の向上も大切ではありますが、音楽を学び、そして心を育むことが若いうちはとても大切だと思います。バランスよく学生の皆様が学べる環境が少しでも増えていくことを祈ります。
今後の動画も楽しみに見させて頂きます。
秋山(per.)
連絡ありがとう。元気そうで何よりです!ここではなんですから、気が向いたらホームページの方からでも連絡ください!
kazuhisakurumada.com/question/
今回も含蓄のある深いお話有難う御座います。
技術的に優れてるから、必ずしも良い演奏とは言えない、理論的に難しい事をやっているから必ずしも良い音楽とは言えない…やっぱり聴いていてわくわくしたり、熱いものが湧き上がって来たり、音が楽しくないと駄目だということでしょうか…。
担当楽器・パートでのマウントも有った。
ソロを吹く子、1st担当、希望楽器でずっと固定、持ち替え担当が勝者
伴奏パート(低音)、3rd・4th担当、希望楽器叶わず廻されたが敗者
こういう図式が成立していた。
社会人になってオケを鑑賞するのが趣味となり、自分が担当していた楽器の重要性を知り嬉しかった。
有難うございます。この様な動画を公開することには多少なりとも勇気が必要だったのでは、と思います。スポーツでも音楽でも武道でも皆同じですが、中高校生の時に部活動等を通じて接する機会を得たもの。しかも造り出す側としての体験。それを、その人生のなかの非常に短い期間で燃え尽きる様な活動、指導はして欲しくない。そう思います。その年齢で全身全霊をつぎ込む体験は本当に素晴らしい。無限の可能性を秘めています。しかし、その体験を「過去の記憶」で十分。もうやりたくない、なんて感じてしまうこと。とても残念でしか有りません。
私自身、中3からブラスバンド部に入りました。当時の音楽の先生に勧められての事。でも、それをきっかけにして半世紀を経た今でもオーケストラやアンサンブルで楽器を演奏し、演奏会を催してお客様に「この演奏会に来て良かった」と感じて頂きたくこだわって居ます。そんなきっかけを授けて頂いた当時の先生には大変感謝しています。あの経験がなければ間違いなく私の人生は大きく変わっていました。
勿論、体験をどうするか?は人それぞれの価値観です。でも、授ける側の方々には取り組み事の「美しさ」「素晴らしさ」を少しでも触れる事が出来るような授け方をして欲しい。
受け取った生徒側はそんな体験が多ければ多いほど可能性が拡がるはず。その後をどう選択しどう追求するかは本人に任せる。器用な人は2つでもやればよい。そうでない人は一つの事を大切にして人生を過ごす。その繰返しが、人作り=教育と思います。
問題を具現化して頂き有難うございます。私は小、中、高と吹奏楽部で音楽に触れ、大学でアマチュアオーケストラに初めて入団、現在に至るアマチュアのob.吹きです。
私の出身が千葉県であることもあり、某「つまようじ事件」の市立高校とか美爆音とマスコミにもてはやされる某市立高校と同じ部門で予選で演奏もしました。私の高校の吹奏楽部はともかくとして、他校の演奏も聴くと心を打つ演奏も数々ありました。が、結局本選会出場校は最初から決まっています。そういった所は得てして確かに音のタイミングがずれることは殆どありませんが、心は打ちません。タダの競技なんです。それではつまらないと、部員でどこが良かった、と独自で勝手に表彰したい学校を選んでました。それが音楽を本当に聴く自然な動きだとも今考えると思いました(到底プロの演奏とはかけはなれていて模範にするべきか?という疑問は承知の上です)。
それに嫌気が差したのもあり、大学でアマチュアオーケストラに飛び込みました。プロの講師の先生に師事することが出来て、音の出し方、音楽のフレージングをもう一度イチから学び直しました。そして、ココロを打つ音楽こそ究極の目標だということに気づかされました。勿論、自らの音の質、響き方、周りとの音楽という観点からのアンサンブルの方法も学び直しました。
結局、全吹連自体がかつての上位校の指導者で占められている以上残念ながら体質は変わらないと思います。それが正に「吹奏楽の旅」に凝縮されていて見たくもありません。いっそ、コンクールに「観衆賞」を作り、技術偏重を補正出来ないかと思ったりもしました。
だらだらと長文申し訳ありませんでした。先生のご意見に非常に感銘を受け、メンバー登録させて頂きました。
メンバー登録ありがとうございます😊😊
解説その通りだと思います。下地の無い日本での音楽教育難しいですね。
最後のまとめ、 ”より多くの大人たちが学校の教育現場で行われていることについて考える” その通りですね。❣
難しい問題をあえて取り上げていただきありがとうございます。この動画を通して「どんな目的や目標を持った先生に巡り合うか」が大事だなぁ、と改めて思います。
勝ち負けだけではなく、技術や音楽性向上にコンクールをうまく利用できる先生がたくさん出てきてくれることに期待しています。
同意します😌
この手の問題点というか話題は時々目にしますが、実際に勝ち負けだけに拘って吹奏楽をやっている子は、それほど多くないのではと思っています。学生たちは大人が思うよりも柔軟で純粋です。
年に一度のコンクールとそれ以外の活動、意識も思いも切り替えて、自ら学び自ら感じ、多くのことを吸収しています。また、日本の学生の吹奏楽文化と、音大生や音楽家の芸術音楽は別物ではないでしょうか。そういう立場の大人が学生の吹奏楽を同じ土俵で考えようとするから「批判」が生まれるのではないかと思います。
音楽の意味をあらためて考えさせてくれる談話ありがとうございます。
吹奏楽部に所属して、卒業後OBとして後輩と関わり、その後吹奏楽から離れて随分と経ちます。
今でも、状況は殆ど変わっていないようですね。
自分の所属していた部は、顧問が変わってからコンクール志向に変わりました。
その顧問は、高校生時代強豪校の吹奏楽部に所属していたので、その流れだったと思います。
リズムや音程を揃えることに加えて、会場の奥まで届くように大きいだけでなく遠鳴りするようにということが、コンクールで評価されやすいからということで、(特に金管が)バリバリと鳴ることにこだわっていたことを思い出します。価値観の問題なので、なんとも言えないけど、僕はその鳴りは下品に感じて好きではありませんでした。
自分が卒業してからは、座奏に限界を感じたのか、マーチングにも手を出し始めましたが、炎天下のなかのマーチングの練習は、見ていて気の毒でした。
また、新顧問のもとでは、学校が所有している安い楽器では勝てないということで、
結構高い楽器を持たせることを強力にプッシュしていて親の負担もかなりのものだったと思います。
ただ、コンクールだけではなく、定期演奏会があったので、そこで一般の聴衆(とはいっても同級生や家族中心)に楽しんでもらえるためにいろいろと工夫するなど、生徒自身も音楽自体を楽しむ機会があったようには思います。
自分は、その後吹奏楽からは離れ、ジャズの世界に行きました。
吹連のような強固な組織はありませんが、やはり勝ち負けにこだわる人、音楽性より技術に囚われている人は少なからずいます(吹奏楽出身の人でそういう人が多いようにも感じます。)
こちらの方は教育の現場ではなく、大人が自己責任でやっていることなので、とやかく言うことではないかもしれませんが、技術一辺倒(超絶技巧至上主義)ではなく、音楽性も豊かな音楽愛好家が増えて欲しいと感じています。
私はコンクールと無縁の社会人バンドで演奏してます。
あるとき高校生の女の子と一緒に練習する機会があり聞いた話ですが、
顧問の先生に高校のコンクールでの曲を決めるときにプッチーニの「トゥーランドット」がやりたいと言ったら、「トゥーランドット」は人気曲なので沢山の学校が取り上げると思うから、上手い学校と被ったら勝てない」と却下されたそうです。
で、結局は顧問の先生が選んだ″勝てそうな曲″でやることになった。と、残念そうに言っていました。
その子の学校は強豪校ではなかったはずですが、そんな学校ですら勝ち負け意識して練習するのか、と驚きました。
そもそも芸術にコンクールって必要か?合唱も演劇もそうだけど、文化部が甲子園の雰囲気を疑似体験したくて芸術から脱線させてスポーツ化したとしか思えない。
最後にコーヒータイムがあるのですね
和みました☕️
😊😊
わたしは吹奏楽でクラシック音楽に出会い、それからCDで名曲をたくさん聴き、楽器もプロ奏者に習いました。吹奏楽はわたしのような環境のない者にとっては音楽との出会いの場でした。そして、それが銅賞の学校だったことを感謝しています。もし金賞の学校だったら、学校の活動と同化することしかできず、自由に音楽の夢想にふけることなどできなかったでしょう。中学の時、チャイコフスキーの「悲愴」などを聴いていたことは、一生の宝物となりましたし、楽器でそれが吹けたこと自体単に聴いているだけとは違います。当時は編曲ものが多かったので、クラシックと出会いました。今の子は、その年のコンクールだけの正直質の高いとは言えない曲に膨大なエネルギーを使います。その中でどれだけオペラなどに親しむ音楽ファンが生まれるでしょう。
今はいい大人ですが何もわからないまま音楽へのちょっとした興味で中学で吹奏楽に入りました。中学では顧問の先生が同じ金管楽器出身で、練習して戸惑っていると私の吹いていた楽器をとってマウスピースを拭いて隣で吹いてくれました。プヘーみたいな音しか出せなかった私は同じ楽器でもこんなに違う音が鳴るんだと、そのことが凄くて先生に憧れ一生懸命打ち込んでいました。今となっては、このことがいい体験だったと思いますし、今でも先生とは連絡が取れます。 高校でもそれなりに吹奏楽が盛んな所に入り、今度は半体育会系でTVで言う所のずっとダメ金でした(私達は悔しさこそあれダメだなんて思っていませんでしたが)。高校の先生は「うまくなりたかったら自分達がうまくなれるように練習しろ、他校がどうじゃない。」と言っていました。 高校以降はその時期の自分に合わせてやったりやらなかったりです。 サッカーでも野球でも今回の内容のような事は聞きますね。また、今、全国強豪校にいる皆さんを非難をするものでもありません。学生時代なら、今、一生懸命やっているのなら体系はどうであれまずは良しとして、最悪音楽を嫌いになるような毎日を過ごしてはもらいたくないです。 本当に音楽の深さに触れるのはそれ以降かなと。
貴重なお話を聞かせていただきありがとうございます。
私は吹奏楽部の演奏者、顧問両方経験してましたので、コンクールの良さと弊害について本当に共感しました。
成績云々ではなく、ステージに立てる喜びや音楽を仲間と奏でる楽しさをもっと学生の頃に味わってほしいと思います。腹六分目くらいで終わらせておいて、残りは一生音楽を楽しめる隙間を残しておいてほしいです。僕は吹奏楽コンクールがきっかけでもっと音楽に関わりたいと思った一人ですので、全てを否定する気はありません。コンクールに限らず何かに直向きに取り組む学生さん方を見てると感動します。なので、コンクールの良さもあると思います。顧問としても自主性や協調性を育てること、何よりも音楽を一生好きでいられる素地を作るための吹奏楽部であってほしいと感じながら、取り組んでおりました。
中学生の時は吹奏楽部でした。短時間でコンクールよりもクラシックの名曲を親しむ事を中心に練習しました。県のコンクールでは3位でブロック大会には惜しくも進めませんでした。顧問の先生からは理想的な音楽教育をしていただいたと思って今でも感謝していました。
私の場合は楽譜も全く読めないのに吹奏楽部に入ってしまいました。けど下手過ぎて、コンクールなんて話題にも上りませんでした。いちいち丁寧に楽譜の読み方を先生に教えてもらいました。クラシックや行進曲を演奏してるうちに音楽が大好きになってしまいました。今は仕事で楽器を演奏しています。
吹奏楽部の顧問です。
車田先生にまったく同感で、コンクールに対してどうしても積極的になれません。
よその学校は、「勝つ」ために、いろんな講師を呼んで、難しい曲に取り組んでいますが、そもそも「勝つ」ってなんでしょう。
演奏することが楽しくて気持ちよくて嬉しくて、聴いてもらえて幸せで、それでいいじゃないか、って思ってしまいます。
疑問をもちつつ、でも、大きなホールで演奏をする貴重な場なので、精一杯生徒と音楽を楽しんできたいと思います。
生徒が部活動で過ごす時間は2年とちょっとだと思います。その少ない時間で、卒業以降も音楽と接していく事ができる何かが伝わる事が大事だと思います。音楽の楽しみもその一つですね。頑張って下さい😊😊
返信ありがとうございます。本当におっしゃる通りで、生涯に渡って音楽に親しむ窓になれればいいな、と思っています。
私自身、オーケストラでチェロを弾いていて、胸の熱くなる瞬間をたくさん味わっています。いろいろな方からもらったものを、生徒に還元していきたいと思います。
全く同感です。私も高時代に吹奏楽部でコンクールをめざして夏合宿したりして頑張りましたが、関東大会で銀賞が最高位でした。今、高校1年になった孫娘が、やはり中学から高校で吹奏楽をやっています。しかし、コンクールで優秀な成績を残すより、本当に音楽が好きになって、生涯音楽を楽しんでほしいと願っています。音楽が嫌いにならなければと良いなと思います。
長年吹奏楽に関わってきましたが、全く同感です。よくある話で、学校を卒業後、燃え尽き症候群で楽器を辞めてしまう生徒さんがいると聞きました。音楽の楽しみではなく、苦しさを植え付けてしまったからでしょう。しかし、このようなシステムがあるために日本は世界一の吹奏楽大国になり、個人のレベルも上がったといえます。でも、この先を考えれば協会の抜本的な改革が必要だと思います。
この動画はとても参考になるので、シェアさせていただきます。
卒業後に楽器を演奏しなくなる要因はさまざまだろうけれど、どの楽器にしろ吹奏楽、打楽器は音が大きかったりするし、人数が集まらないとアンサンブルを含めて合奏する場所や条件が整わないからかもしれませんし全国の吹奏楽部出身の数万人の卒業生を受け入れていたら吹奏楽団や交響楽団はいくつあっても足りませんよね。
だから卒業生が楽器を演奏しなくなるのはあなたの指導とは必ずしも関係ないかも知れない気がします。
私も吹奏楽部を指導していました。私は吹奏楽コンクールやマーチングを指導していました。マーチングで全国大会に出場し金賞をもらった事もありました。が、教師を引退して、「私の指導は間違っていた!」と感じています。大会の指導であって音楽の指導ではなかったのです。もっと楽しく音楽の指導をすればよかったと思っています。車田さんのお話はとても共感できます!
😊😊
そうですね、外に出て初めて見えるんですよね。
僕は47年間ヨーロッパに住んで音楽を仕事としていますが
日本のコンクールは異常です。子供たちが犠牲になっています。
驚きました。いや、そうでもないか。私は理科教員をしていますが、車田さんと100%同じように感じています。音楽に限らず、国語、数学、理科、社会、英語、美術、家庭、技術、体育、職業、校則・・・・・どの部分を見ても、「大人のための教育になってないか?」と思うことがよくあります。教育とは、原則子どものためにあるもの。そこの視点が見落とされた教育現場が多いのです、本当に。大人の都合で進められる教育・・・そのことに子どもの側からのクレームは、どの学校においても、ほとんど来ません。また、クレームが出たとして、クレームを本気で受け止めてくれる大人の教員もほぼいません。私はどの分野においても、「そもそも勉強が楽しい!」と思ってくれる子どもたちを育てたい。日本の子どもたちは、先進国の中だけで比較しても「勉強が嫌い」「勉強したって何の役に立つの?」という意識の子どもが、統計上多い。ダントツに多い。このことに、日本の教育を憂えてしまいます。車田さんは、いつも、音楽だけの狭い世界で語らず、社会的背景などをふまえた深い考察で、根本から物事を見ています。素晴らしいの一言に尽きると思います。
ありがとうございます😊😊現場では大変な事も沢山あると思いますが、ぜひ子供たちのために情熱を持って頑張って下さい!
大変な学校ですね。学校によって実態は違いますよね。お疲れ様です。
こんな先生ばっかりなら、日本の未来は明るいのですが…
「銅賞だったらどうしよう」って言ってて本当に銅賞になっちゃった時に女子がめっちゃ泣いてた。
先生は文科省の方針に従うしかない。つまり、大人の責任という事です。
私の娘も、強豪高でしたが、幸いにも、35歳でも、まだ、一般バンドで、楽しく演奏しています!!顧問の先生が、とても、良い指導をしてみえて、演奏を上手になることも大事だけれど、将来的に、良い社会人になって欲しいと、いって見えたのが、良かったと思います❤
私も中高大吹奏楽部でしたが、お話を聞いて、納得しました。
私が合奏を楽しいと思ったのは幼稚園や小学校で学年全員で鼓笛した頃からだと思います。
特に小学生の時は運動会や町中を練り歩きましたが、大衆に聴いてもらう目的の良い教育を受けることができたと、お話を聞いて感じました。
また、先日子供が通う小学校で、音楽発表会がありました。子供が持ってた楽譜には音符ではなく、シ・ラ・ソ・ーが4つずつ並んでおり(例 シシシー シラシー)、それを全員で演奏するのだと自宅での練習を聞いてましたが、なんとも単調な音楽と言っていいかどうか分からないものでした。
しかし、発表会当日、子どもたちの演奏に、音楽の先生が作曲した曲が合わさることにより、ジャズの雰囲気の軽やかな曲に変身しました。
私はサプライズのようで、楽しかったです。
今の先生方も工夫して子供達に音楽の楽しさを教えてくれてるようです。
自分の場合は、先輩の影響が強くてコンクール上位を目指すようになりました。先輩の凄い演奏を見て、こうなりたい、先輩と同じ舞台に立ちたい、そう思って練習をし続けてきました。顧問からもっと上位目指そうとか言われたことはあまりないですね。技術面より表現面に重きを置いている顧問です。こういう環境でできたのは幸運なのかな、と思ってます。
良いお話有難うございます。私は大学時代はオーケストラに所属していましたが、同じ建物で練習していた吹奏楽団がコンクールでの課題曲で
演奏時間オーバーで失格になった話を聞いて、以前から吹奏楽の在り方に問題を感じていました。
基本的には高校での運動系の部活的な発想の延長、しかも古い体質の運動部の発想。野球で言えば、目標は甲子園、その為に全てを犠牲にする、
家族も子供の夢の為に支援する、私立の高校なら生徒を集めるためのビジネスの一環として強豪校に野球部を仕立て上げる。
この発想と基本的には同じでしょうね。しかも、高校野球以上に始末に悪いのが、指導している先生が音楽が専門でない人が多いこと。
その為、顧問の先生が生徒に不条理な扱いをすることもあります。この構図は容易には変えられないでしょう。
しかし、中学生の部活には良い兆候が。先生の仕事の負担減の為、部活の指導を外部に委託する動きがあります。
この動きが本格化すれば、外部の音大卒の人が中学生を指導するということが増えそうです。もっとも、こういうシステムは既得権益化し易いので、別の意味での
問題もあると思いますけど。
私自身は吹奏楽未経験ですが、アニメ「響けユーフォニア」でもまさに同じことがテーマになってました。ピアノやバイオリンのコンクールみたいに一人一人演奏して審査されるのと違って、吹奏楽は集団で演奏するからどうしても音楽の表現というより他の人と合わせる技術偏重になってしまうというわけですね。それを考えると響けユーフォニアの劇中で顧問の先生が、青春の楽しみで音楽するのか、全国で金賞をとるために練習するのか、最初に生徒に選ばせたのもちゃんと理由があったのだなと、今回の話を聞いて改めて思いました。
他の分野、例えばスポーツでも同じような問題はありますね。最近、小学生の柔道全国大会が廃止されたのも、勝つための技術偏重になっている、大人たちだけが盛り上がっているだけで肝心の子供達に柔道の楽しさを教えることが置き去りになっている等と、似たような理由だったと思います。
数十年前、中学校でトランペットをしていました。わたしは下手でした。
その時の顧問の先生はある時、イギリスの独特の衣装を身につけたブラスバンドの演奏会に、夜、武道館に部員を連れて行ってくれました。本物を聴かせてくれました。また、別のところで顧問をしていたある企業のブラスバンドの練習にも連れて行ってくれました。憧れました。コンクールの「コ」の字も記憶がありません。この先生のおかげで、今は歌とキーボードくらいですが、下手なりに音楽とはいつも一緒です。この先生は、お名前をあげてももう許される時と思いますが、中2中3担任の音楽専科の「山本常雄先生」です。
元教員・元吹奏楽部顧問です。過去にとある全国大会常連の公立中学校で教員(当時は別の部活の顧問)をしておりましたが、下校時刻を過ぎても吹奏楽部だけ特別扱いで教員も帰宅するような20時半まで子供を残して練習をさせていました。防犯上よくありません。本当にコンクールはゆがんだ教育音楽であり有害です。
大学オーケストラなどは定期演奏会がモチベーションになっていてまだ健全だと思います。
日本の音楽大学の問題など、優しい口調で言いにくいことをズバッと切ってくださるこのチャンネルがとても楽しみです。私は西洋と日本の音楽教育の違いには、教会の存在もあるのではとずっと前から考えてきました。スポーツ優先の現代日本においては、男性にとっては、女性にとってより音楽をやるのはハードルが高いです。音楽をやりたいという低学年の男子は周囲からからかわれるのではないでしょうか?でもドイツ,オーストリアには、シューベルト所縁のウィーン少年合唱団、バッハ所縁のトーマス教会合唱団, シュッツ所縁のKreuzchorなど 優れた少年合唱団がたくさんあり、教会付属であることが多いです。このような合唱団の存在が、そのような少年たちの受け皿となり、西洋の音楽文化に大きく貢献していると思います。イギリスにもケンブリッジのKings College、Westminster Cathedralなど、教会付属の名門合唱団がたくさんあります。イギリスに滞在していたとき、グレゴリオ聖歌から現代音楽まで、彼らの美しい歌声によってタダで聴けるという環境を本当に羨ましく思いました。男の子は声変わりをするので教育は大変だと思いますが、長い歴史の中で維持されているレベルは驚くほどです。子供の時からパレストリーナやバッハなどを歌っていれば、そうではない人達とは耳や感性が全く違うでしょう。彼らが将来皆歌手になるわけではないでしょうが、音楽関係に行ったり、評論家になったりする人も多いと聞きます。このような少年時代の教育が、ヨーロッパの音楽文化の基礎の一部となっていることには間違いないと思います。長々とすみません。でも一度このテーマも取り上げていただけると嬉しいです。
合唱の基本は、讃美歌なのですからキリスト教会の文化なんですよね~♥いろんな国で、いろんな文化があるように、日本では部活動が音楽の教育の基本なんですね。
合唱にしろ吹奏楽にしろ、コンクールありきでなくて、楽しさを共有するような教え方を重視していただきたいですね。
中高ブラス経験者ですが、課題曲について言うと、色々なクオリティを判定しやすく作られ、正解のある「塗り絵」みたいなものだと思っておりました。実際に文化祭等で演奏しても他の学生にはまったくウケないんですよ。私はどちらかというと、名曲の生の和音の中にいて、自分なりに「こういう風に演奏したい」を生演奏のバックで実践する贅沢、他の学生に聞かせて圧倒させることに喜びを感じてました。なので、(同じ曲に)長期間を費やすコンクールに対しては、もちろん最善を尽くしましたが内心は冷めていたと思います。九州大会はライバル校と半々の確立で進出しましたが、逃したときに泣く生徒たちを見ると、否定こそしませんが温度差を感じましたね。過ぎたるは及ばざるがごとし、だと。むしろ「これで夏休みが出来た」「もうあの曲は吹かなくていい」と不謹慎なことを考えてました。
半世紀ほど前、高校で吹奏楽部にいましたが、うちのクラブは顧問はお飾りで指揮者は同級生、コンクール?なに、それ?という感じの、まったりした活動で、楽しかったです。お陰で今も音楽が好きです。
皆様の書き込みを見て驚きました・・・・皆さん吹奏楽部で「難行・苦行」を経験されたのですね~~
私は半世紀以上前に吹奏楽部でユーホニュームを担当していました
当時はコンクールより演奏会や文化祭、市の行事での演奏や野球の応援と様々な行事に駆り出される事が主で、愉しい学校生活を堪能しました
コンクールでの随意曲は3年生が皆で決める等、普段練習する曲は全て部員自身で決め、進駐軍でピアノを弾いて生計を立てたという顧問の先生が偶に顔を出す程度でした、部員がプロのレコードを聴き、プロの演奏会を聴きに行き、時にヤマハ楽器へ譜面を見に行ったり・・・自分達で音楽を組み立てました・・・
演奏会用に吹奏楽用の楽曲をフルメンバーで練習した後は、ジャズのフルメンバー編成でジャズやラテン楽曲を練習し・・・音楽を堪能しました・・・
当時は、70年安保の時代で服装の自由化も生徒自身で決める等、先生が押し付ける事は在りませんでしたね~~~
皆さんの書き込みを見て、私は本当に良い時代を良い環境で過ごす事が出来たとつくづく思います・・・神仏に感謝したいと思います。
すばらしいお話でした。
娘3人が吹奏楽をやり、2人は大学まで。
30を過ぎた今でも、それぞれ団体に所属して活動していますが、
残念なことに、クラシック音楽を聴いて楽しむ時間はほとんどないようです。
クラシック分野の方で車田さんのような考え方をもっておられるのは非常に意外であり,非常にうれしくおもいます。車田さんのような方ばっかりだったら学校の音楽の授業も楽しかっただろうとおもいます。もう60年近く前の話になりますが。吹奏楽部には入ってませんでしたが,今は社会に出てから50年以上楽器を吹いています。楽しいです。車田さんのチャンネルを聴(聞?)いてクラシックも聴くようになりました。
私も中学は吹奏楽部に入部してコントラバス→ホルン→トランペットを経て部長にまでなりましたが、
車田先生の仰るような音楽的なお話は担当の先生からは一度たりとも有りませんでした。orz.
公立高校で吹奏楽部でしたが、音楽の先生は非常勤で顧問になれませんでした。
顧問は吹奏楽素人の先生だったので、コンクールは変拍子がなく、テンポも極力変わらない曲をどうにか選んだ記憶があります。指揮を振るだけの人です…
近隣校と合同練習するときは、上位の大会まで行く学校の演奏に圧倒され、どうやったらあんな演奏が出来るのだろう。と疑問でした。
大学に入って、全国大会常連校だったので、その疑問を解消すべく入部し、その謎が解けました。
個人レベルは普通でも、時間をかけて緻密に練習すれば精度が上がることを学び取りました。仰るような縦と横を合わせる練習を積んだわけです。
でも、初めて全国大会に出た喜びは大きかったですし、そこで聴いた他大学の演奏には感動しましたよ。
こんにちは。
いつも、楽しく拝見しています。
学生時代、吹奏楽部に所属していました。
小規模で無名の学校でしたので、純粋に
音楽を楽しむことができたと思います。
目標を持つことは大切ですが、勝ち負け
に拘り過ぎること、大人のビジネス
システムになりつつあることの問題点
は、私も危惧しており共感しました。
吹奏楽経験者のための限定の音楽から、
一般の聴衆にも、素晴らしい作品の数々
が広がるとより良いなと、私も思います。
部活を引退したらそれ以降完全に楽器演奏から離れてしまう人達の多さが全てを物語ってる。
幸いにして自分は楽器演奏はもとより、音楽に携わって過ごせて来たので幸せな人生をおくれたと思ってはおりますが
それは運動部も同じではないでしょうか?学生の部活動はそういう物かと思います。
すごく同感です。
中高で吹奏楽をしていたのですが中学の時は確かに縦横命の顧問だったのですが多分本当に音楽が好きで演奏したミュージカルの生演奏会に連れて行ってもらったりコンクールの自由曲はやる前にどんな曲なのかなどを研究してからやってました。
中学の時は音楽として楽しめました。しかし、高校ではコンクールコンクールばかりで全く楽しめず何がしたいのかが分からなかったです。
初めてコメントさせて頂きます。
私はアメリカ、ニューヨーク州に生まれ、イギリス、オックスフォードを経て、日本で育ち、国立の音楽高校、大学、それからアメリカの大学大学院に行き、ヨーロッパで弦楽四重奏を10年間演奏してきました。
勿論演奏だけしてれば良いので幸せでした。
しかしある時「伝えたい」との想いで帰国しました。
現在は研究機関である音楽大学に所属し、演奏、様々な「伝えたい」活動しています。
そして先生の動画に出会いました。
本音で語ってくださる勇気と本当に中学校高校生への溢れる音楽の想い、情熱に衝撃を覚えました。
吹奏楽に限らず、弦楽も同じですね。
コンクールとは本来競うものではなく、本当に人々を感動させられる人材を広く社会へ紹介するのが役目ですね。
私は音楽にジャンルはさほど必要と思っていません。
私にとって音楽とは喜怒哀楽であり、
「感動する心」
「感動を伝えること」
それはコンピュータには出来ませんね。
感動は測れませんから
即ち勝ち負けもつけられません。
更に人間はイメージにどうやって近づける?
悩み努力します。
作曲家はどんな人?
動機は?
なにを伝えようとしてるか?
そこに作曲家と奏者のコミュニケーションが生まれます。
まさにタイムマシーンですよね。
そして奏者が本番演奏しながら共に感じ、リアルタイムで修正していく。
それがアンサンブル。
一期一会、音は出た瞬間に消えていきます。
物理的な振動が減衰していきます。
しかし、人の心にに感動という波紋を広げます。
物資から心の中へ、もしかしたら何十年も人はその感動を持ち続けられます。
私達は音の計測機器ではない
命の波動を時を超えて共有するタイムマシーン。
「伝えたいこと」
ひとりひとり音楽の捉え方な違ってほしい。
だからこそのライブ演奏であり、多様性が産まれる。
そして私達は日々新しい世界を共有し、毎瞬間生まれ変わっている。
「伝えたいこと」
なるほど、教育現場や家庭教師的なレッスンには、そのような特殊思考があったのか。
私は、40になってから歌唱の達人の道を歩み出したから、目標や、聴いてくれる人、特殊なレベルの聴き耳を持つ人、
たくさんの知人に真っ向勝負で、趣味に時間と費用をふんだんに費やせました。
中でも圧倒的な揺るぎない情熱や熱望が一番の成長を続けるエネルギーです。
そしてジョンレノンならこの楽曲を空間をどのようにチェンジできるか考えて練習はするものです。
人生の渇望を歌唱に変える私と、カラオケで100点連発してクラシックも幼少で終えた者との差が
気になってました。音階はドレミではなく、楽曲や歌詞や時代が薫る音色でなかったからだと思いました。
車田さんの動画は毎日観てますが、経験則の自分の言葉を世の中の言葉に変えてくれるバイブルです。
同感です。私も50数年前、中学、高校と吹奏楽部命、受験勉強そっちのけで打ち込んでいた口です。
幸い、高校時代の先生がフルトベングラーを一番尊敬しているような方で、いわゆる吹奏楽的な演奏とは関係なく、まるでオーケストラを相手に自分の音楽を表現させるような指揮をするので、生徒たちもそんな感じで育ってしまって。聞くのは世界の名門オーケストラのレコードばかり。おかげで技術より音楽を表現する心を育てていただいて。先生に感謝です。
あ、ここで話題にされている縦横をそろえる様な技術的な事は一切口を出さない方でした。ので、それはOBや生徒たちだけで勝手にやらせていただいてました。
吹奏楽コンクールは、たまたま審査員の方に恵まれて(音楽表現に対する大木正興さんの評価の言葉が嬉しかった)全国初出場で音楽性だけで金賞頂きましたが、技術的には大した事なかったです。
吹奏楽部活動の在り方としては、この方が大事だと思います。審査員を総入れ替えして、いわゆる「吹奏楽コンクール頭」の人を排除した方が...あ、危ない発言でした。
コンクールのあり方を変えるのは必要かなと思います。
〇〇高校と発表してしまえば、強豪だなとかある程度は先入観もあるから、そのような耳で聴くと思うんです。
平等に評価するなら、学校名は伏せて生徒はどの学校も同じ服装、指揮者も審査席から見えないようにして、音のみで審査がいいのではないかと思ったりします。
スポーツとどう違うのでしょうか?私は中学の時に友達に誘われて水泳部に入りました。
理由は上下関係がなく顧問も優しいと言う事でw。1・2年は楽しく一応地区大会では賞状を
貰っていたりしていました。ところが3年で顧問が代わり県大会常連強豪校の先生でした。
練習は激変でなんと最後の夏の大会で県大会に出場決定学校始まって以来と言う事で校長
先生からの激励、しかしみんなそんな大舞台まで望んで無かったので辞退したいと顧問に
言うと、俺が泳ぐわけじゃないどうせ勝てないんだから遊びに行ってこい!世の中の広さ
に気づかされました。結局望むのは生徒たちじゃないかと思いました。首に縄付けて鍛えて
1位になれるわけじゃないので、また喜びも生徒たちの物ではないのでしょうか?
最近、座奏より沖縄の世界1位のマーチングを見て興味を持ち、従妹が精華の吹奏をしていたので
そういえば体育会系だったなと思いだしました。あれだけ厳しいのだから上位に入るということは
喜びであり、誇りを持てると思います。楽しくやるもよし、厳しい環境で賞を目指すもよし、と
実体験から感じた次第です。
高校時代に吹奏楽部で過ごしました。
本気で全国大会を目指していました。(出場できませんでしたが・・・)
コンクール音楽の弊害なのか、今でも音楽を聴く際に、「リズムが揃っているか」
「音程が揃っているか」が非常に気になり、音楽を楽しむことができません。
当然ですが、現在は音楽とは離れた生活をしています。
父親(小学校教師)も、車田さんと同じく、「教育活動から逸脱している」とい
う内容のことを言っていたのを思い出しました。
考えさせられました。
ありがとうございます。
教育という点から考えると、部活動は「技術」・「音楽性」・「人としての生き方を育てる」の三つが大切だと考えています。今、部活動を学校以外のところに預けてしむのは、「人としての生き方を育てる」がないがしろにされるのではと危惧しております。学校教育における部活動の根幹が見失われていると思われてとても心配です。
とても適切な指摘に感動しました。
私も、正しいリズム、音程、整ったバランスで演奏できる事は、大切だと思いますが、それは、演奏が「音楽的」であるためのツールとして捉えていたいと思っています。
そちらが、目的となって「音楽的」であることが、蔑ろになってしまっている、今の日本の「競技吹奏楽」には、アレルギーを感じています。
このように、論理的に且つ、解りやすく説明をして頂いて、とても嬉しく感じました。
私も健在、吹奏楽の指揮指導をしていますが、チューナーを見て音を合わせている事も、注意します。
「音は目で見てあわせるのではなくて、耳で聴いて合わせるものです。心地良く響きあっているところを探って、そこにたどり着くことに、意味が有り音楽の演奏の幸せが見つけられるはず😊」
と話しています。
他にも、先生の音楽全般のお話は、とても素敵なお話ですので、
団員には、このUA-camの視聴を紹介させて頂きます。
まったく同感です!
幸運か、中学校2年生の時に全国大会まで行きましたが、高校ではコンクール中心の活動に嫌気がさして1年しか活動しませんでした。
やり残し感があったのか、21歳の時に市民バンドができたので10年位活動して、今は70歳になりましたが、ボケ防止にほとんど毎日トランペットを吹いています。苦笑。。
当時の高校の同級生はほとんど楽器と関わってないと思いますので、あの時部活を辞めて良かったと思ってます。
なるほどですね。私の地域で合唱部の強い中学、高校があり、つい期待してしまいます。応援の仕方が偏らないように気をつけたいと思いました。生徒さん達が合唱部の活動を楽しんでもらえること願っています。それから、コンクールと文化祭以外にも地域でクラブの演奏が聞ける機会をもっと設けて欲しいと思います。
これまでずっと吹奏楽コンクールや合唱コンクールを純粋な音楽活動ではないという観点で批判的に見ていましたが、車田先生のお話でそれを論理的は裏付けることができました。
自分の吹奏楽は45年くらい前の高校時代ですね。(ちなみに大学では吹奏楽部はなく、オケでした。)
同じクラスに中学校からやっていたメンバーに部員数が少ないからと誘われてからですね。
部員となった同級生の半分(20名のうち10名)が初心者。
当時は1部(小編成)から3部(50名程度の大編成)と別れていて、3部が県代表、地区、全国に進む制度でした。
自分が入学した高校では、ようやく本格的に大編成が可能な人数が揃いだした時代で、3部に出場する高校の数は40校程度だったと記憶しています。
1年時は3部で銅、2年で銀、3年で金(代表にはなれない最近の言葉ではダメ金)まで行けました。
2年時に音楽の先生(顧問)が変わり、女性のピアノ科出身に変わり指揮ができないので、同級生の3人が地元のアマ吹奏楽団に所属していたので、その知り合いのセミプロの人にお願いしました。(改革1)
コンクールに対しては1年目よりも2年目、2年目よりも3年目の方が真剣に練習しましたね。
代表にはなれませんでしたが、満足度は最高でヤッタぞって叫んでいましたね。
また2年時には自分たちの代が音頭をとり、市内の市民会館を利用して初めてのコンサートも開くことができました。今ではこれは春の定期演奏会になって定着しているようです。(改革2)
自分たちの吹奏楽部時代に春から夏に向けてはコンクール、秋には文化祭、春に向けては定期演奏会がルーティンになりました。
結果的には自分たちの在籍時に現在の吹奏楽部の基礎を作ってしまいました。
吹奏楽のオリジナル曲は確かに少ないですが、当時はホルスト、ジェイガー、リード、フーサなどの曲があり、楽しく演奏できた記憶がありますし、オケのアレンジものでは通常の有名なクラッシック以外の作曲家(ヴォーン・ウィリアムズ、イベール、コダーイ、プロコフィエフなど)も知ることができました。
補足ですが、文化祭(お客さんが父兄や同級生なので有名なクラッシックのアレンジ中心)や演奏会(1部は映画音楽や楽しい曲、2部ではオリジナル曲中心)で、選曲は生徒たちで行いました。
車田さんがおっしゃる通り、今のコンクールには問題があるのは理解できます。
個人的にはコンクールの練習は基礎的な技術のレベルアップや周りの音と自分の音がどのように化学変化して聞こえるのかなどの気づきを教えてくれるものであり、コンクール自体はその演奏を評価をしてくれるものです。
このプロセスがないと文化祭やら定期演奏会などはもしかしたら、とんでもなく酷いものになる可能性もあります。
そんな訳で当時の自分からみたら、コンクール自体が絶対悪の認識はありません。
ただ指導される先生には、できれば生徒たちの主体性を生かし、演奏する喜びを教えていただきたいですね。
そして演奏した生徒たちが満足できるような後押しする教育をしていただければと思いますね。
そのためにはプロオケじゃなくても、アマオケやアマ吹奏楽団の演奏会を聴きに行くのもありだと思います。
生徒たちに演奏する楽しさを知ってもらうことが一番です。
※同級生の中にはプロの演奏家になって、今では大学で教えているものもいます。
そんな彼らと一緒に過ごせた高校時代の吹奏楽部は一生の宝物です。
一般聴衆のための演奏でない、身内だけの演奏。それから、クラブ活動(あえて課外活動とはいいません)であることは、音楽を通して、人間として社会に役に立つ、協調性とか、自己の発見、自分で道を拓く力を養うものだと信じています。クラブが学校の生徒を集めるための「広告塔」であってはならない、その商業的意識から抜け出す事。吹奏楽に限らず、スポーツ系のクラブ活動も、特に私学には、なんらかの規制、たとえば、特別活動税などを課す、公立では、指導者は、定年を期に引退させる。などの、対策が必要だと思います。
自分はコンクール賛成派ですが、そういうと思ったよといった感じでほぼ反論されてしまいましたね
確かに県大会金賞を目指すくらいの活動ならバランスいいかもしれません
自分は音楽を楽しむよりも縦やピッチ等まわりと合わせることに達成感を感じていました
コンクールは音楽というよりこういうものだと思っています
音楽は音楽で別で楽しめばいいと思います
スポーツ等の他でもいえることですが目標によってまったく別のジャンルの活動になると思います
名門校は勝ちたい、本気で練習したいという人が集まると思うのでニーズに合っているのではないでしょうか
顧問の先生がコンクール賛成反対を押し付けるものではないと思います
他の方がコメントでも言っていましたがアニメで顧問の先生がどっちの活動にするか生徒に選ばせていたのは良かったと思います
自分は全国目指して練習したほうが達成感があり楽しかったです
でも確かにやめてしまう人が多いです
あんなに上手だったのにもったいないとは思いますが燃え尽きてしまうんでしょうかね
中学生のときに吹奏楽部でしたが、金賞取れたら嬉しいけど、絶対金賞って感じの雰囲気の部ではなくゆる~く、音楽を楽しみました。
社会人になってUA-camで競合校の練習風景とかみたりして、すごいなぁと思うと同時に、こんなことできないなぁと関心します。
コンクール自体は毎年銅賞でしたが、それでも自分たちなりに練習して、ステージに立つという経験ができたのはとても良かったと感じます。良いとこを残しつつ時代に沿った形に変わっていくといいですね!
私自身は音大ピアノ科卒、今は娘がそこそこの強豪校(中学)で吹奏楽部に所属しています。
なぜ吹奏楽部の顧問の先生は音楽の先生がほとんどいないのか?疑問に思ってよく夫と話していました。
が、その謎が解けました!
先日、吹奏楽コンクール東海大会がありました。
審査員の講評で、管楽器奏者の方がお話されました。
ぜひプロの演奏を聴いてください、プロが何をやろうとしているのかを知ってください、金賞を取った学校の演奏ばかり聴いてプロの演奏には見向きもしないのは…
等、車田さんと同じような事を話していました。
1人でも多くの生徒、指導する先生に伝わればいいなぁと思いました。
車田さんのお話はどれも本当に興味深いなぁと毎度思います。
学校の吹奏楽は「スポーツ」と「芸術としての音楽」を混同している傾向にありますよね。両者は別物なのに、それを両方同じ現場で育てようとするからこのような歪んだシステムができる。
仰る通り、ここは改革すべきポイントだと思います。
私が小学生の時は、ピアニカとリコーダー(笛)を習って、クラス別にその巧拙を競っていました。
でも、7年前オーストラリアに来て娘の学校で知ったのですが、こちらでは小学生から、子供用のサイズではあっても本物のバイオリン等を使って演奏をしています。もちろん高いレベルの演奏には聴こえませんが、最初から、本物を目指して練習している意識を感じます。今はもうやっていないのかも知れませんが、ピアニカとかリコーダーとか、日本の箱庭の中で、コンクールに優勝するための技術だけを競ってしまっている感じがします。
私はブラバン経験者ではありませんが、ご指摘の問題点になんとなく気づいていたので、子供がブラバンに入るかどうか迷っているときにブラバンやるよりも今までずっとやってきたピアノを継続するように奨めました。まだ、サックスをやりたいとか、フルートを吹くセンスがあるとか、そういうブラバン適性があれば、やってもいいと思うんですが。
合唱をやって卒業するときに生徒一人一人が、どれだけ人間としてどれだけ”豊か”になったか”豊の種”を植え付けられたかどうやって評価したらいいのでしょうか。考えさせられます。
小学生から吹奏楽を始め、大学卒業まで吹奏楽部でした。
今も社会人バンドに所属して、参加できるときに参加するようなゆるい関わり方をしています。
ずっとやってきて、中学、高校はやはりコンクール中心の活動でしたね。中学校はさらに文化祭や地域のイベントに呼ばれての演奏とか。
高校では定期演奏会も加わりました。
大学でもコンクールにも出ましたが、そもそもコンクールに出るかどうするか?ということからみんなで話し合って決めていました。
他にも年2回の定期演奏会や各種イベントに呼ばれての演奏など演奏機会はたくさんありましたし、自分達の演奏で聴きに来てくれた方が喜んでくれることのほうが楽しくなった記憶があります。お客さんにいかに楽しんでもらうか?という観点を
自分の中で持って、活動するようになったのは大学からでした。
今、所属している社会人バンドも地域に根ざした活動をしていて、楽器をやったこともないおじいちゃん、おばあちゃんが開演の何時間も前から楽しみに並んで待ってくれて、大きなホ−ルがほぼ地域の方々で満席になるようなバンドです。
たくさんのお客さんに来てもらえると演奏する側も張り合いがありますし、演奏会後にホ−ルの出入り口で見送りをしていると知らないお客さん達から「楽しかった!また来るわ!」「また生きる元気を貰いました!」なんて言われると音楽の力みたいなものを感じます。
コンクールに出ることもそこで技術を高める、仲間たちとの絆を深める、目標に向けて頑張って、評価を貰うなどの意義もあると思います。そこで得たものを演奏会など別の機会に発揮して、音楽を楽しんで貰いたいし、聴いている人達を楽しませて欲しいですね。
吹奏楽部に限らない。クラシックの国際コンクールも同じ問題がある。音楽の本質とは別の性質の問題がある。
今日も興味深いお話、ありがとうございます。小、中、高と吹奏楽やっていましたが、四十年前のことが目に浮かんできます。幸い?コンクールで全国大会なんて考えられないようなレベルでしたので、定期演奏会や文化祭がメインで、楽しかったです。音楽の演奏にはまず技術ありきで、それができてはじめて音楽表現も可能ではないかと、当時は必死に個人練習していました。ところが、大学時代に楽器会社が主催するサマーキャンプに参加してプロの演奏家の方々にご指導を受ける機会があり、その発表会でまだ楽器触って数ヶ月ですぐらいの方のジャズソロ、これが素晴らしかった。レベルの高い方たちが集まっていたキャンプでしたが、会場がどよめき、わきたちました。忘れられないなあ。つたない技術でも聴衆にうったえられる力のある演奏。それを可能にした先生の素晴らしさ。今五十を超えて中断していた演奏にまた取り組みたいと思う今日このごろです。
吹奏楽部のための音楽は短いがゆえに私のような者には楽に聞けるように思います。また、吹奏楽部の旅はとっても好きな番組でした。技術9音楽1ではおかしいということは良く分かりました。勝つために技術9になってしまうのですね。
大変勉強になります。
「合唱コンクール」のお話でも私の意見を書かせて頂きました。私は高校時代だけ吹奏楽部でした。30年以上前の事です。車田さんの仰るような、先生が先頭になって全国大会を目指す程の部では無かったと、お話を聞いた後で思いました。
「なぜ勝負に拘るのか?」同感です。プロの演奏家の方にも勝負の場面があるとは言え、どこまで行ってもそれは音楽の本当の悦びや興奮とはかけ離れてますよね。
それと、音楽に限らずですが、部活や授業の内容が「実技」に傾きすぎてるとも感じます。例えば国語での詩・短歌・俳句でも、作ってみるのも大切でしょうが、もっと多くの作品に触れる事が大切だと感じますし、車田さんが吹奏楽部でしたなさったように、その良さや味わいを生徒たちに伝える事にも時間をもう少し割けば良いのにと感じます。
これだけ吹奏楽人口が多いのに、音大に行く人、プロの音楽家を目指す人が少ない理由がわかりました。
そして、吹奏楽に限らず、わかりやすい勝ち負けに打ち込んだ後に燃え尽きて、そこまでやってきたことを辞めてしまうとしたら、もしかしたら素晴らしい才能を摘んでしまっているのかもしれないですね。
🧐
高校時代オーケストラ部でした。
総文などには参加しましたが、大きな賞レースには参加せず、定期演奏会やホールや施設での演奏発表機会を軸に活動していました。お客さんに音楽を届ける、ひいては自分たちが音楽を楽しむ。そのために技術や表現の向上を図る活動内容でした。まさに大学オケみたいな感じですが、県代表だとか金だとかそういう指標はないけれども、振り返ると我ながらいい音楽が出来ていたのではないかと思います。
コンクールももちろん盛り上がりますが、音楽を楽しむこと、お客さんに楽しんでもらうことを根底に置いた団体の演奏は、上手くないかもしれなくても、他団体より安心して楽しんで聴くことができますね。
楽譜のレンタル料5万から7万
コンクール曲候補が毎年出ます。サンプル楽譜と楽器人数と、部費と相談しながら決めました。コンクール日本人作曲家の新曲が多いです。
そうだな、大会で上の大会に進むのもいいけど、それ以外で地域のイベントなど演奏の機会が多いのが理想かな。
中学校の時、吹奏楽部にも入っていました。「吹奏楽部も」というのは、へき地の学校なので、スケート選手だった私もコンクール参加のために駆り出されていた訳です。地区大会を突破して北海道大会で金賞を取ることを目標にやっていました。スケート選手として北海道大会で活躍するという目標と並行していました。音楽で競争することに違和感を持っていましたが、上位に入ることはうれしいことではあるので、頑張っていました。私が一番分からなかったのはピッチがあっていないという概念でした。音があっていない、高いとか低いとか言われても分かりませんでした。今となっては、こんなこと何故分からなかったのだろうと思うことです。コンクール上位を目指して努力するということは良いことだと思います。ただ、上位に入るために大切なことが忘れ去られているという印象もあります。
吹奏楽部のある学校が増えたよね
わたしらの頃は高校まで吹奏楽部は無かった
吹奏楽部がある学校は金持ちの学校というイメージだった
高校は音楽か美術か選ぶ選択科目だったけど音楽を選んだのは教科書以外何も買う必要がなくお金がかからないから
私も中学生でコンクールのために暗くなるまで練習しましたが、家族との時間が足りなかったと思います。
吹奏楽の世界には、最初から最後までこのテンポで完璧に演奏出来さえすれば金賞間違いなし、みたいな曲も存在しますね。でもそれって音楽としてどうなのか、と考えてしまいます。
僕も吹奏楽出身なので、ピッチが完璧でビシッと縦の線が揃ってる演奏が好きなんです。まだまだですね…。
高校生の時、吹奏楽部に入って、練習ばかりで一年間の休みはたったの6日。1日でも休むと先輩方から大勢の前で吊し上げられる。練習や指導は技術ばかりで、3年間で音楽に感動したことは1回だけでした。フィンランディアを聞いて演奏した時です。100%吹奏楽部を否定はしませんが、勝ち負けにこだわるやり方では、本末転倒で音楽を愛するとか親しむ人々の広がりは生まれないと思います。よく分かるご説明に感謝申し上げます。
もうかなり時間経ちますが、某高校でのコンクールで、連続優勝している高校のドキュメンタリーやっていましたが、その、体育会系の教師によるスパルタ的指導方法にかなり賛否が別れ、話題になった事を思い出します。
中学校の吹奏楽でホルンを演奏していました☺️ うちの学校はコンクールに出たことはありません😅 でも体育祭でマーチングをしたり、知らなかったクラシックを演奏したり楽しかったなー☺️ 先輩も後輩もみんな仲良かったし、先生もちょっと変わってて面白かったし☺️でも、コンクール、出てみたかったな。賞を取れなくても あの仲間だったら楽しかったかも🤗
コンクールには出なかったんですね。もう少しできれば、もっと楽しかったかもと思うぐらいが案外良いのかもしれないです😊😊。
素敵な動画でした。ありがとうございました。
コンクールに「勝つ」ことに照準を当てると、必然的に個々の「表現しよう」という欲求は棄損されると思っています。ピアノ界も同様で、コンクールに多数入賞する教室ほど、生徒は皆、同じ音しか出さない傾向にあると感じています。ホロヴィッツはコンクールを全否定していましたね。
正直高校まではすごい音楽が楽しく、音大を目指す先輩がいて、コンクールよりもコンサートをやることに重きを置いていたので良かったのですが、大学の吹奏楽団の活動は地獄でしかありませんでした。たしかにプロのオケの先生に分奏(ブラスセクションとウッドセクション)をやって、曲のアレンジをなさった先生が直々練習を付け、夜は忖度漬けの接待。正直地獄でしかありませんでしたし、もう限界でした。むしろ、楽団外の合同演奏会や高校のオケ合同でやったヘンデルの『メサイア』をやってるときのほうがむしろのびのび演奏できて、それこそチャイコフスキーのブラスセクションみたいな音を出せるようになりました。僕は躁うつ病になってしまったのも親の厳しいしつけで萎縮して怖くて演奏できなくなりました。今、アマチュアのオケに入ろうか迷ってますが、レヒナー等のドイツトランペットかC管トランペットを買わなきゃいけないので厳しいです。
車田先生、実はぼくのいた高校の楽団は、ポップスもカシオペアやスクエアの曲を自分たちで編曲し、先生もバーンスタインのウエストサイドストーリーの『トゥナイト』を歌ったり、クラシックもチャイコフスキーの『くるみ割り人形』ムソルグスキーの『展覧会の絵』ヴェルディの歌劇『シチリア島の夕べの祈り』を演奏したりと、声楽専門の先生らしい楽しい時間でした。今でもお世話になった仙台フィルの先生には大学にくる楽団の定期演奏会の裏方のアルバイトが本当に大好きで、ぼくの師匠の首席トランペットの先生がステマネさんと本番前までオイチョカブをやっていつも勝つと『これで今日もいい演奏ができるぞ!』と言って愛機のバックのC管、レヒナーのトランペットを持って舞台に上がっていきました。いまは娘が声楽家のタマゴになり、今月ベートーヴェンの第9演奏会に立ちます。
現在高校生で、中学から継続して吹奏楽をやっています。正直、中学の時のコンクールに嫌な思い出はあまりありません。車田さんの言うように、地区大会止まりの学校だからなのでしょう。コンクールを通して、パートの後輩との仲を一層深め、外部の指導者から教えていただいたことは今でも役に立っています。顧問は吹奏楽経験者であり、軽音の経験もあった若手教員でした。自分の入学と共に赴任し、3年間付き添った恩師です。もし、自分が住んでいた地区が強豪校の校区だったら。地区突破も夢ではない、という希望の半面、今通っている志望校にも合格できていないのではないか、吹部にしか知人・友人ができていなかったのではないか。そういった一抹の不安が、今の自分とどこまで乖離した自分を作り出すのかは想像がつきません。それでは、コンクールはよくないものなのか。その思考は私の高校の吹奏楽部を見れば一瞬にして吹き飛びます。学校の方針でコンクールや地域の演奏会には出場せず、唯一残された舞台は学校祭のみ。顧問はやる気がなく、指揮は学生が担っています。もちろんコロナの影響もあるでしょう。しかし、舞台がない。演奏する機会のない吹奏楽部。なんのためにあるのでしょう。どこに価値があるのでしょう。それこそ、ポケットのないドラえもんとなんら変わりないではありませんか。それであれば、のび太君に道具を与えず、ただひたすら勉強を教えるドラえもんの方が、面白くないのは共通していても、子守ロボットとしての意義を有してはいませんか。吹奏楽も、ただ縦や横を揃え、顧問の指導力を競うコンクールであっても、何もしないよりかは確実に生徒の思い出に残り、確実な成績や結果が残ります。コンクールには、吹奏楽に携わる多くの中高生の目標であることは間違いありません。音楽での勝ち負け。確かに良くわかりません。音楽は芸術です。しかし、「コンクールで勝ちたい。」、この意志は、参加する吹奏楽部員の心を突き動かします。音楽を通した教育的意義ならば、ここに有る。そう考えています。部員は辛い顧問の言葉を受け止め、演奏に反映させる。ここだけを切り取れば確かに「顧問のコンクール」になってしまいかねません。しかし、いざ本番。今までの経験や知識、そして一体感が生み出す一曲がもたらすのは賞だけではありません。部員の達成感と、ある種の絆です。今、丁度コンクール時期で、結果発表を受けた三年生から、出身中学に来るように言われました。いざついてみると、そこには鮮やかな笑顔で写真を撮り、談笑を交わす後輩たちで溢れていました。これを見て、来て良かった。そう思いました。決してよい結果を残したわけではありません。その光景は、とても眩しくみえました。これが、私の高校では感じられない。今改めてそう感じると、涙さえ出てきます。強豪校であっても、コンクールが終われば、保護者は我が子を労い、生徒たちはお互いに「おつかれ」と言葉を交わすことでしょう。吹奏楽で音楽的教育における欠点があったとしても、これは人間として大きな経験になりえます。これこそが、コンクールの教育的意義である。私はそう考えています。
車田さんの話を聞いて、コンクールに対する熱意を語りたくなりました。多くの点で共感することがありました。「コンクール」について考えるきっかけとなる、素晴らしい動画だと思います。ありがとうございました。
車田先生の素晴らしいお話しが、この方の更に深いところの思いをひき出して下さった事に、今喜びを感じています。
語り始めれば付きません、時間切れの為、取り急ぎ、感謝して❤️
尽きません、の間違い💦🙇♀️
みんなで1つの目標に向って頑張る…それ自体は悪い事では有りませんがそれが音楽である必要はあるのかなあ…。
車田先生は吹奏楽部を音楽教育の観点から話していて、あなたは純粋にの部活動として話している。そこに違いがあるのであって、目指しているゴールが違うだけの話。
自分が演奏した楽器から綺麗な音が奏でられるうれしさ、みんなが上手に吹きこなして1つの音楽をつくりあげる喜び、吹奏楽部員になりこのようなことを味わえて幸せでした。発表の場としては、文化祭、単独コンサート、地域音楽祭、吹奏楽コンクール、その他、学校の朝礼、出初め式、市主催のパレードでも校歌や行進曲を吹いた記憶があります。昔も今もコンクールのためだけの吹奏楽部ではないと思っています。それでもコンクールとなると、勝ち負けにこだわってしまいます。「地区大会で金賞とって、都道府県大会に行きたい」これが多くのバンドピープルの望みでしょう。全国大会という高みを目指す学校はほんの一握り。そのような雲の上の存在はそのままでよいと思います。CDやDVDで「ああ、凄い演奏だな」と、遠い昔から毎年感動させてもらっています。
私も同じです!!そう思います👏
おそらく、部活動の音楽、部活動の吹奏楽部のことだとおもいます。今でも、そうですが、小中高の教育課程には、部活動はありません。文科省が、部活動は教育であると 学習指導要領で言ってしまったがために、いろんな問題が今でも解決されません。一番問題になるのは教員のタダ働き。大昔の文化部は、金のかからない合唱部があったのですが、昭和39年のオリンピックのころには、運動部の金銀銅の表彰ができたことと伴って、ブラス部が最も盛んに活動し、金を目標にがんばったと思います。学校備品として楽器購入上の予算では楽器をそろえることは難しいので、個人持ちの生徒を集めて、部に参加した生徒がおおかったと思います。運動部の地域移行、民間移行が3年以内に行われるので、ブラス部もそうなっていきます。そうすると、教員は部活動から解放され、賞にもこだわらなくていいことになります。
吹奏楽コンクールに限ったことではなく、各種コンクールに通ずる話だなと思います。
同意です。吹奏楽部に限らず、部活動は教育活動の一部であるにもかかわらず、本来のあるべき姿から外れていると思います。1つのことに集中して取り組み、より高い結果を得るために、つらいことにも耐えて努力することによって、"**力"を養う、という、いかにも教育活動であるかのようなもっともらしいお題目の下に、顧問の教師も生徒もより高い結果を目指して活動する。そして、結果を残せる学校はごく一部の学校だけなのに、他の大多数の結果を残せない学校のほとんども同じ価値観の上で活動しているので、結果を出せない多くの生徒たちは少なからず劣等感を持つ。部活動には違う視点からも様々な問題点があるのですが、それらには触れません。とにかく、仰るように強固なシステムが出来上がっているので、それを壊すのは簡単ではありません。
大変共感の共感の持てるご意見、感銘を受けました。
私は70代の1老人ですが、昔から音楽が好きで、中学生の時は女子ながら吹奏楽部に入ってユーフォニアムを吹いてました。
楽器も少なければ部員も少なかったんですが、音楽の先生の指導のもと楽しく部活動をしてたと思います。60年ほど昔のことです、コンクールがあるなんてことも知らず、ただ楽しむだけで文化祭の時に練習した曲や、小さな曲を編曲して聴いてもらったりするくらいでしたけどとても楽しかった記憶があります。
しかし、昔は我が市は男女共学の高校はなく(多分先生は合唱の動画の内容から安積高等学校ご出身かなと思いましたが)女子校へ進むしかありません。吹奏楽を続けたくてもできなかったのです。
会津高校へ進んだ男子の同級生が羨ましかったです。それでも、音楽の先生に音楽の楽しさをたくさん教えていただいていたので、女子校に進み、リード楽器等や弦楽器だけの器楽部に進んでも、ピアノが演奏できない私でも何とか編曲を駆使し、帰宅部だった器楽部を校内でも上位の人気文化部までにできたことは、きっと音楽を楽しんだからだと思います。コンクールも大切かもしれませんが、先生のおっしゃる通り、もっと音楽を楽しく勉強してほしいと思いますね。
数年前お会いできた90歳になる中学生当時の音楽の先生、ちゃんと当時のこと覚えててくださっていました。
今の時代、歪んだ競争がいいのか悪いのか芸術に限らず、スポーツでも同じなんですが、なんとかならないものかといつも思ってましたが、先生のこの動画を見て、まさにその通り❣️と拍手してしまいました。そして、ご迷惑かとは思いましたが、長い長いコメントをしてしまいました。申し訳ありません。先に拝見した合唱の方へもコメントさせていただきますね。
本当に素晴らしい動画もっともっと大勢の方に見ていただきたいです。
娘たちや孫たちにも共有させていただきました。
ありがとうございます😊
車田先生がかつてコンクールの功罪と何故巨匠が生まれなくなったのかといったお話をされたことに通じるものがあると感じました。日本では指導者が世界での大手Labelと同じような存在となっているのですね。若い時に自由な心を持って自分の表現を開けた聴衆に表現することが大切です。美しいものを美しいと感じる心を養うことが音楽教育だと思います。