【絵で見る!黒船来航】ペリー提督と黒船の狙いとは?そしてそれを華麗にかわす日本外交!?揺れる江戸、黒船来航の経緯とその船旅も徹底解説【教科書で見た!シリーズ/泰平の眠りを覚ます蒸気船・・・とは?】

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  • Опубліковано 16 тра 2024
  • 教科書で見たシリーズ‼️
    黒船来航ってそもそも何?
    超有名な教科書の挿絵を描いたのは日本人ではなかった!
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    • 【黒船画家ハイネ】混浴に富士山の美!ペリーも...
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    ⚫︎ドレスデン五月蜂起
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    ⚫︎首里城訪問
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    ⚫︎下田模型
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    ⚫︎江戸湾調査
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    ⚫︎初上陸
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    ⚫︎ペルリ省像
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    ⚫︎ユリウス・ヒューブナー
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    ⚫︎ 二月革命
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    ⚫︎ ピッチ(実験)
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КОМЕНТАРІ • 353

  • @art-yamadagoro
    @art-yamadagoro  29 днів тому +59

    🙇お詫びと訂正🙇 16:54 テロップに「防風」とあるのは「防腐」の誤りです。ulojjyu様、ご指摘ありがとうございました。

  • @mitu4714
    @mitu4714 29 днів тому +117

    もちろん捕鯨基地を獲得する狙いもありました。当時の鯨の世界的漁場は小笠原です。島に日本人は住んでませんが欧米人が定住し捕鯨船に物資を売る商売などをしていました。
    ペリーはアメリカ人入植者のセーボレーを自治政府の長官に任命して小笠原をアメリカ軍政下に置きます。こうした動きを知らなかった(島の存在すら忘れられていた)幕府は後年この事実を知って慌てて開拓団を送って小笠原の領有を主張。
    明治になって正式に日本領として認められ、先に入植していた欧米人は「欧米系先住民」として日本に帰化していきます。セーボレー家は瀬堀家として今も小笠原にお住まいです。

    • @kyfdhvdni4hi
      @kyfdhvdni4hi 24 дні тому +11

      セボリーさん達がくる約百年前に幕府が大調査団派遣して2ヶ月滞在して各地を調査して
      『ここ日本の領土です』てデカい立て看板たてたあとに、
      それからはコンスタントに日本人が所有権主張したり、渡航準備してたけど、幕府に渡航禁止にされたり、重罪に問われてる人もそこそこいます。なので忘れられたと言うより、日本国内で揉めてる間にトンビに油揚さらわれた感じ?
      またセボリーさん達が来る約50年前にも幕府が役人に再調査命じて、調査船出発したけど途中で遭難してたり、セボリーさん達来てすぐの頃も日本人が渡航計画企んで捕まってたりしたから、忘れてた訳では無く、日本で小笠原諸島についてあーだこーだ言ってたり揉めてる間に横から勝手に外国人が移住してやべぇってなった感じ?? ですかね?

    • @user-zm6vn8eh5k
      @user-zm6vn8eh5k 23 дні тому

      百田尚樹著の日本国紀にも捕鯨船の補給地の目的と書いてありました。話が繋がって面白いです!

  • @uzuri0
    @uzuri0 29 днів тому +48

    アメリカの戦略のブレなさは流石というか恐ろしさまでありますね。他にも本当に目から鱗が落ちまくった回でした。

  • @777mild
    @777mild 29 днів тому +43

    私も捕鯨船の補給基地が欲しかったから開国を迫ったと習った上にテストでも出ました。

  • @macmatsuhisa
    @macmatsuhisa 29 днів тому +34

    教科書で見たシリーズ、大好きです。

  • @hidt5429
    @hidt5429 29 днів тому +16

    「どう見てるお前?」w 久々に五郎さんのツッコミ炸裂でw

  • @shinkakky637
    @shinkakky637 29 днів тому +37

    このハイネ氏、日本側が用意した祝宴の料理について「非常に上品な風味の料理が出た」という感じの内容を
    記録に残しているそうです。
    その一方で、ペリー含めアメリカ人勢の感想はおおむね「品数が多いだけで量が少なく、貧相で味が薄すぎる」という雰囲気。
    なお、当時の日本側の記録では米国人が「甘たるく重い味の物を好み、淡泊な物を嫌う。刺身には手をつけない」とのこと。
    文化の違いというか、うん・・・

    • @snd00261jp
      @snd00261jp 29 днів тому +8

      そらまぁアメリカ🇺🇸は基本肉食🍖でバーベキューの国だからなぁ…😂さすがに現代では彼の地も長年の洗脳()で「和食はヘルシーでいいもんだ🍣」みたいな風になっているけど、基本的に今でもコーラ🥤とハンバーガー🍔と肉🍖大好きなのは変わらんからな。最近は物価が上がってそうでもないらしいですが、もともと食べる量も日本とアメリカでは全然違うと言うのもありますし😂
      基本欧米の人は魚は食べないから、最近和食ブームで寿司とか食うようにはなったけど😅
      ハイネはさすがにドイツ人でフランスにも留学していて教養があるのか肉とか甘いもんみたいな濃い味だけじゃなくてなかなかグルメ的な感想が出ますな😅

    • @user-pw6sr9gk7x
      @user-pw6sr9gk7x 28 днів тому +2

      @@snd00261jp
      中国で待機中はどんな料理を食べていたか分かりませんが
      沖縄でなら豚肉料理をいっぱい食べれたのかな?
      甘い料理が好きって事は、糖質を欲していたのかも。
      ナマモノ(刺身)を食べないのは船乗りとしてお腹を壊さない常識だったとしても
      ナマモノを食べても大丈夫って調理技術は世界一かも。
      刺身は分かるけど、生卵は江戸時代でも食べてないのかな…

    • @ykohrt880
      @ykohrt880 27 днів тому +5

      ヴィルヘルム・ハイネ氏日本料理の美味しさを味わえるって乙ですね✨通ですw

    • @yoda_dayo
      @yoda_dayo 27 днів тому

      @@snd00261jp 現代のアメリカ人はとっても小食ですよ!
      体が超でっかいのに、モーニングもランチもディナーも驚く程少食です。
      ただし、毎朝40個ほどドーナツ買ってきて午前中ずっとモグモグしてますw

    • @user-xn8xt6vb7t
      @user-xn8xt6vb7t 22 дні тому

      亜米利加側は、?せめてフライドチキンやチリコンカンはにゃーのきゃあ??と…いう

  • @browntea3826
    @browntea3826 29 днів тому +23

    教科書で見たシリーズ、黒船来航の絵、とても興味深いです。波瀾万丈の人生も知る事が出来て、当時の時代背景を思い浮かべながら、拝見しました。毎週、楽しみにしています♪

  • @user-ez9xf8wv3f
    @user-ez9xf8wv3f 28 днів тому +13

    ワーグナーは王様がパトロンで、ワーグナー専用の劇場まで作ってもらったという印象が強かったので、若い頃は革命側に肩入れしていたってのは意外でした。

  • @papapapageno199
    @papapapageno199 29 днів тому +15

    この時代の話、大好きです。日本、よく踏ん張ったな、とも思います。
    色々な切り口でのお話を、期待しています。

  • @user-xr3vm8be5c
    @user-xr3vm8be5c 29 днів тому +27

    次回続き楽しみにしています💓ウリタニさんもワダさんぽくなってきて笑ってしまいます😂🎉

  • @user-ef2ir6fg8o
    @user-ef2ir6fg8o 29 днів тому +20

    条約調印の時日本側は英語が出来ないのでオランダ語通訳を介して話をするが訳し間違いが多くて警護の真田藩の佐久間象山が怒っていたのをペリーが見て只者ではない奴がいると日記に書き記していたそうです、
    ちなみに帰る時食料として米や鶏を船まで担いで運んだのは江戸相撲の力士で肥った気持ち悪い連中だと見下していたのに米俵を四つ五つ一度に担いでビックリしたそうです、その後力自慢の船員と相撲をとって四、五人相手に大関ひとりで投げ伏したり足蹴にして強さを誇示したそうです、
    当時の庄屋さんの日記に書かれていました。

    • @gonippon
      @gonippon 29 днів тому +4

      幕末、特に佐久間象山に関して、松代、地元で話を聞き、信大の教授からも論文を頂いて調べてましたが、松代藩が海防掛となったため、警備に当たってたので、交渉の場に行くほどではなかったと思われます。
      ペリー提督が、象山の前を通り過ぎる時、象山に会釈をしたと本人が、正妻であったお順さんに手紙を書いてるという史実は御座います。彼は、身長が175センチ(あくまでも伝)あり、目がギョロッとしていて、地元でのあだ名がテデッポウ(フクロウ)だったので、ちょっと強面だったからかも知れません。
      象山が怒っていたのは、植民地化されないためにも、大砲を沢山鋳造して、台場を作り、こちらも攻撃できるぞ!と言う事を見せた方が良いと提案したにも関わらず、相手を刺激するとの理由から却下された事が1番大きかったかと思います。ただし、横浜の地中から見つかって、象山が頭に来て埋めたと言う伝説は、大砲の年代が合わず、違うと見られていると聞きました。

    • @user-kattak
      @user-kattak 28 днів тому +1

      米俵一俵は当時一人で持ち運ぶことが当たり前でした。当然女性でも❗

    • @radiocommander
      @radiocommander 22 дні тому

      @@gonippon 佐久間象山など、幕末の英傑・俊英の話としてしばしば登場し、恐らく誇張か嘘であろうトピックスの数々に、それを聞く/読むわれわれを辟易させる処の代表的な人物です。
      そんな人物に対して、正確な情報を有難うございます。
      これで佐久間象山にも少しは興味が抱けるようになります。

  • @hogohogehage
    @hogohogehage 29 днів тому +7

    音楽家「私にも左だった時期がありますたorz
    毎回楽しくかつ興味深く勉強させていただいております。
    ありがとうございます。
    歴史的背景はもとより、その背後にある事情まで
    示唆する素晴らしい講義。
    美術選択だけではなく書道・音楽選択の連中にも
    視聴必須とすべき動画と思いました。

  • @einheldenleben
    @einheldenleben 29 днів тому +24

    今回の動画でペリー来航の理由を知って、太平洋戦争後、石原莞爾が戦犯としての尋問に対し、幕末期に遡って論を張ろうとしていたという逸話に合点がいきました。

  • @cr_en
    @cr_en 29 днів тому +13

    マンハッタンの鳥瞰図、秀逸ですね!!♡。
    この人の天職ですね。

  • @gagagahegagaga2567
    @gagagahegagaga2567 29 днів тому +18

    日米修好通商条約を調べるとホント今と同じアメリカと日本の関係なんだなと思わされますね、つまり中韓ほか諸外国と組むくらいならウチの首輪付けといたほうが
    得だし譲歩しますよという関係。一般に不平等と言われるこの条約のおかげで日本はアヘンから守られ短期間で近代化に成功したわけで、まぁここら辺は次回やるかもしれないです楽しみにしております。

  • @user-zb1oz3pp1t
    @user-zb1oz3pp1t 29 днів тому +12

    この絵がある横浜開港資料館の「たまくすの木」は上陸の図右手にある木と言われてます。
    たまくすの木はペリー上陸の風景を見てきたのかと思うと感慨深いです。

  • @user-kattak
    @user-kattak 29 днів тому +34

    五郎さんの話では名前が出なかったペリーと最初に交渉をした与力:中島三郎助は幕末に詳しい方なら有名です。オランダ語の通詞:堀達之助とともに黒船に近寄り交渉を行った際、与力では相手にされないため副奉行を名乗ったのは有名です。ペリーとの交渉の後に幕府に蒸気船を含む艦隊の設置を幕府に進言し、長崎海軍伝習所の一期生になって、後に幕府の洋式軍艦製造で活躍します。戊辰戦争では幕府側として海軍副総裁・榎本武揚らと行動をともにし、開陽丸の機関長をしています。五稜郭降伏2日前に長男の恒太郎と次男の英次郎及び浦賀組同心の柴田伸助と共に戦死、その付近は中島町となっています。

  • @1awa2ko
    @1awa2ko 29 днів тому +9

    ペリー来航の目的は捕鯨活動のためだと思っておりました。
    清は欧州が複数。日本に米国が来たと思っておりました。
    測量の件は今も昔も変わらないなと。勉強になりました。

  • @user-vd3md2ru7q
    @user-vd3md2ru7q 28 днів тому +7

    面白い。なんか日本史がからむと楽しさが増すなぁ。次回もすごく楽しみ。

  • @timanako
    @timanako 29 днів тому +24

    やっぱり学校で習ったのはおかしかったのね。中国、東南アジアが西洋にやられて植民地化してる最中、残すは日本と半島しか残ってない状況ですもんね。上からはロシアが南下してきてるし対馬をロシアに占領されてるし。絵画と共に歴史の違う視点も教えてくれて本当にこのチャンネルは大好き♥

    • @radiocommander
      @radiocommander 22 дні тому

      >中国、東南アジアが西洋にやられて植民地化してる最中、残すは日本と
      五郎さんの話を大きく誤解してますね。
      中国はこの時点ではアヘン戦争という局地戦で英国に敗れただけで、清王朝は依然として安泰。事実、日本はこの40年後、日清戦争(1894年)へと突き進む。
      この依然として安泰で広大な中国の、資源や金や人やを西洋列強は狙っているのであって、日本はその補給地として興味があっただけです。最終的なターゲットでも何でもない。「残すは日本と半島」などは自意識過剰(笑)
      「東南アジアが西洋にやられて」というが、英蘭の東インド会社(1600年~)は香辛料などの交易会社であり、この時点では英蘭やの領土領有地などではないです。インドネシアなどのオランダ占有が始まるのは20世紀に入ってから。

  • @user-wv7en5eq6f
    @user-wv7en5eq6f 29 днів тому +10

    私もなんとなくルートはウリタニさん同様のイメージでいましたが、まさかそんなに遠回りして来ていたとは…!
    ペリー提督(とその他の皆さん)お疲れさまです😧

  • @you8996
    @you8996 25 днів тому +3

    非常に面白く聞いていられて飽きない。むしろ短い。こういう歴史の勉強をしたかったです。

  • @cancan5892
    @cancan5892 29 днів тому +33

    今回は、ハイネの登場以前の周りの状況解説が飛び抜けて面白かったです。あのワーグナーが若き日に、民衆を立ち上がれ!と革命運動に参加していたとは、後のバイエルン王ルートビッヒ2世との蜜月からは正反対な思想行動で、ビビりました!
    黒船来航の話題もまるで歴史番組のようで、日本へのルートが東海岸から出港し喜望峰を周りマラッカ海峡を経て、マカオ広州香港という長航路だったことは、初めて知りました。ハイネが描いた各地の風景が、当時は唯一各地を見られるスケッチであり、現在の写真の役割を果たしていたんでしょう。南蛮船の時代から船体が黒いのは、防虫防風防水のためのピッチという塗料のためだというのも初耳でした。ペリー来航が2回あり、常に将軍との対面を引き延ばすため病気を理由にしていたら、本当に将軍が亡くなってしまった、業を煮やしたペリー側が威嚇のため江戸湾内の測量を始めた、2回目の来航は予定よりかなり早かった等は、最近の時代劇(”大奥”でもえがかれていたかな?!うろ覚えです)ではよく描かれているので知っていました。来週の本編ハイネも楽しみです。

    • @radiocommander
      @radiocommander 22 дні тому

      >日本へのルートが……という長航路だったこと
      20世紀初頭の、ロマノフ王朝ロシアとの日露戦争で、東郷平八郎率いる日本艦隊がバルチック艦隊を日本海海戦で撃破したのは、われわれ日本人がとても好む勝ちいくさ譚です。
      あのバルチック艦隊が日本海へ到達したルートもやはり、バルト海-アフリカ西岸ー喜望峰ーインド-インドネシアー日本海という長航路だったんです。
      合衆国の西海岸には大きな船舶が停泊できる港が当時未だ無かった(五郎さんの説明どおり)のと似た理由で、バルト海に面したロシア軍港から東向きに太平洋まで出るルートが、(不凍港がないせいで)日露戦争当時まだ開発されてなかったのがその理由です。
      日本史だけを眺めているとなんとなく誤解/誤認識しやすい史実ですよね。

  • @Cathy-okari
    @Cathy-okari 28 днів тому +7

    楽しかったです!そしてコメント欄も勉強になるチャンネルだなぁ😂

  • @greenkossy1012
    @greenkossy1012 29 днів тому +6

    教科書で読んだ、幕末の開国に至る過程が楽しく理解出来ました。日本史の資料集で見た絵がドイツ人ハイネの作品だったとは。次回も楽しみにしています。

  • @aaaaaa-dr9ye
    @aaaaaa-dr9ye 28 днів тому +6

    しばらく視聴していなかったけど、今回中々面白かったわw

  • @user-zt9mw3fq1j
    @user-zt9mw3fq1j 29 днів тому +8

    今日はほとんど歴史の話ですが、ものすごくためになりました
    続きが気になります

  • @ulojjyu
    @ulojjyu 29 днів тому +25

    16:54 の「防風」は「防腐」とは違いますか?
    因みに米艦隊が来航することはオランダ経由で幕府首脳は知ってたらしいですよ
    ただオランダから入手した情報で言われていた時期よりかなり遅かったので、「なんだ来ないんじゃーん」と安心してた所に現れたという事ではあったらしいです

    • @user-vs2ml7yy1t
      @user-vs2ml7yy1t 28 днів тому +2

      長崎に出島を残したのは情報ルートとしての意味合いがあった、と言う話を聞いたことがあります。

    • @ykohrt880
      @ykohrt880 28 днів тому

      ​​@@user-vs2ml7yy1t誰が考えても分かります。そのつもりでいたのは地理的な配置を見てもその通りだったのでしょうね。

    • @einheldenleben
      @einheldenleben 28 днів тому +1

      米国内の南北戦争の影響でアジア進出が予定より遅れたのでは?

    • @monoris2008
      @monoris2008 22 дні тому +1

      @@einheldenleben
      南北戦争は黒船より後ですね

  • @kow3647
    @kow3647 29 днів тому +9

    ペリー艦隊が日本に来る情報はオランダ商館を通じて逐次報告を受けていたようですね。艦隊の規模やスケジュールなどかなり細かいところまで江戸幕府は把握していたそうですが江戸の一般の民衆には極秘にしていたのでパニックになったようですね。

  • @alex307
    @alex307 29 днів тому +6

    相変わらず五郎さんの博識はすごいな。ペリー来航前後の事情をこんなに詳しく知ったことはない。まさかバクーニンまで出てくるとは思わなかった。ひょっとしてハイネ氏もあの有名な詩人と関係あるんでないの?w

  • @Popo-mg2um
    @Popo-mg2um 29 днів тому +7

    次回お話に出るでしょうがその不意打ちの2回目までの半年で作ったのがお台場なんですよね
    明治期に来日したエドワード・モースも最初は天然の岩礁だと思ったら人工物だと知って、その仕事の早さと正確さに驚いた旨を日記に残しています

  • @user-vp9yq2qn2p
    @user-vp9yq2qn2p 29 днів тому +6

    ゴールドラッシュが始まったばかりでカリフォルニアがメキシコ領だった頃から大して変わってない時代に、
    オランダ以上に極東の地政にそこまで精通してた人がアメリカの意思決定部にいたんですねぇ

  • @28ari19
    @28ari19 25 днів тому +2

    江戸時代からマスコミ対策してる。参考になります。今のニュースもマスコミ対策しているとして、ニュースを見る週間をしていきたい。

  • @user-kc9jl4kt6i
    @user-kc9jl4kt6i 29 днів тому +5

    良い勉強になりました!

  • @fugubottyann88
    @fugubottyann88 29 днів тому +4

    ウリタニさんの着眼点に最初に驚きました。自分は日本史の幕末明治時代が一番好きで、色んな本とか読んで、確か何かの本に、ペリーが日本に
    来た真の目的は対中国と書いてあった事を思い出しました。でも、画家ハイネとワーグナーの関わり(ワーグナーの曲好きなんです)や、幕末の
    日本史やら、日本史苦手な五郎さんの話がほんとに詳しくて、話もわかりやすくて面白かったです。続きが楽しみです。

  • @gonippon
    @gonippon 29 днів тому +8

    Oliver Hazard Perry, brother of Matthew Perry is much more famous in the U.S., therefore, Matthew wanted to do something standing out.
    I saw the statue of Matthew Perry in Shiba Koen park but it looked like Oliver for me….as it’s from Rhode Island, I was thinking that the sculptor might curve Oliver.
    In Yokosuka, locals explained if all buttons on the Naval uniform the picture of Matthew Perry can be seen, it was photoshopped. In The real photo, the one button was lost.
    Thank you very much for the video! I’m looking forward to watch the next one!

  • @user-uf2tn7kr3z
    @user-uf2tn7kr3z 22 дні тому +3

    すでに書かれているように、幕府は高級料亭に本膳料理を作らせてペリー一行を接待したのですが、ペリーたちはあんまり気に入らなかったそうです。
    事実、テレビで当時の料理を再現してスタジオで芸能人の方々が食べてみていましたが、調味料が発達しておらず、味が薄くて物足らなく感じていました。
    一方のペリーたちが持って来た、砂糖をふんだんに含んだビスケットや、接待料理として出された鯛のグリル(江戸湾で釣ったもの)は、それこそ、ほっぺたが落ちるほど美味しく感じたのだとか。
    ちなみに、余った接待料理の一部を幕府方の役人たちが包んで持ち帰る様子を見て、文化の違いにペリーたちは驚いたといいます。

  • @ksd8341
    @ksd8341 29 днів тому +13

    勉強不足過ぎてハイネどころかこの絵も見た覚えがなくて😅開国の理由くらい解ってないとダメですね💦
    でも、ワーグナーが時々こちらのチャンネルにも出てくるし、何故アメリカから日本へ(何故かすんごい渡航をして😳)いらしたのか等よーくわかりました💡黒船のくだりとかも💕
    あと、何気に琉球の絵とかも貴重ですよね〜(🐯年六十歳プププ)
    次回も楽しみにしております😊

    • @ykohrt880
      @ykohrt880 28 днів тому

      御年数えで60歳。なるほどね。

  • @user-gz5kr9of8k
    @user-gz5kr9of8k 29 днів тому +5

    あぁ、、面白過ぎる次回が楽しみ過ぎる。

  • @thomasleftwite
    @thomasleftwite 29 днів тому +5

    一枚の絵にも、ドラマチックな人生がかくれていますね。
    ウリタニさん、どうみたら外輪がうしろに見えたんだろうw

  • @mitu4714
    @mitu4714 29 днів тому +9

    ペリー艦隊には多くの帆船が居ましたがその中にはサラトガ、レキシントンもあります。この名前はやがて戦艦に受け継がれ、その戦艦が退役すると次は空母に受け継がれ、その空母サラトガ、レキシントンが太平洋戦争で日本海軍と激戦を繰り広げます。そういう意味でも縁を感じる遠征軍です。

  • @saim3696
    @saim3696 28 днів тому +2

    面白かったです。自分は日本史好きだと思っていましたが、ペリーが太平洋では無く喜望峰周りでやってきていたとは知りませんでした。
    1年後の再訪をと言って太平洋を往復するのは大変だなあと思っていたぐらいです。
    確かに日本が米国の第一目標ではなく中国が第一だったというのもうなずけます。
    日本と結んだ条約は不平等条約トは言われますが力の関係を考えれば仕方がないものでもあり
    また米国と最初に条約を結んだ事で西欧諸国がそれにならわざるを得なかったことで、西欧諸国ならもっと不平等な条約を結ばされていたと聞きました。うろ覚えですが、奴隷制度だったような。
    それと沖縄と小笠原侵攻がこの時代からあったと言う話をされていましたが、そういう戦略的思考は受け継がれるモノであり、例えば現代中国共産党の対アメリカ戦略、防衛思想の一つ
    経済協力を謳った一帯一路というスローガンで語られますが、これの防衛戦略には旧日本帝国の対米国防衛戦略である大東亜共栄圏構想の焼き直しだとも指摘されています。
    日本史と世界史の関係については、日本の歴史学者磯田道史先生の話がとても面白いです。

  • @uriboux9927
    @uriboux9927 28 днів тому +2

    吾郎さんの語り口、面白い。そしてテロップもジワッと面白い…

  • @user-kattak
    @user-kattak 28 днів тому +8

    ペリー来航時に日本の占領も視野に入れていた様な話をしていますが、実際には当時の状況を考えれば無理でペリーたちも考えていないと思います。
    当時のアメリカの人口は当時の日本の人口の半分を超えた程度でしか無く、そんなに国力のある国ではありませんでした。米墨戦争を終えてカルフォニアなどの西海岸地域を獲得したばかりで海軍力も弱くペリーの率いていた東インド艦隊は艦隊(フリート)でなく戦隊(スコーンドロン)でしかなく、ペリーの階級も一時的に最上級指揮官にする代将(今で言う准将)です。しかも当初ペリーが交渉責任者ではなくジョン・オーリックの予定でしたが広東で更迭ないし辞退による(史料が錯綜してるので)代役として派遣されています(だからミシシッピー号からサスケハナへ上海で旗艦を変えたのはこのためです)交渉者としてはあまり地位の高い人物とは言えませんでした(初代東インド艦隊司令官は地位が低いので日本との交渉をやめてしまった位です、尤も幕府も交渉の場には与力や旗本など低い地位の人物しか応じていません)。ただペリー以前のアメリカから交渉は平和的交渉遵守であり、公使アレクサンダー・エバレットによる東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルの交渉はそのように行われ幕府から交渉の拒絶を受けています。ペリーの砲艦外交はジェームス・グリムの建議の影響を受けた物だと思われます。ただし、ペリー派遣中に後任の大統領のフランクリン・ピアースは日本との交渉を平和的交渉を求めていたのですが、派遣中のペリーに届かなかったようです。
    実際に戦闘になったとしても薩英戦争の様になってしまう結果の可能性が高いと思います(薩英戦争はよく教科書では市街地が十分の一が焼かれるなど多大の被害を出し薩摩側の敗北と言われましたが、人的被害は薩摩側の死者5人負傷者14人にたいし英国艦隊は死者20人負傷者43人を出し直接戦闘では英国の被害が多い状況になっています)

  • @user-np2qk4mu1p
    @user-np2qk4mu1p 29 днів тому +7

    日本人が結論を引き延ばすのは歴史的に明らかだから、私達は胸張って曖昧な返事で引き延ばせば良いですね👍

  • @16moggy
    @16moggy 29 днів тому +5

    ほんと教科書でみたわー

  • @user-SubeteMitaro
    @user-SubeteMitaro 24 дні тому +6

    歴史の勉強になりました。私はこのチャンネル「山田五郎アート解説チャンネル」だとずっと勘違いしていて、今回、改めてチャンネルタイトルを見たところ「山田五郎オトナの教養講座」。「なるほど!」と再認識いたしました。

  • @sammy4489
    @sammy4489 24 дні тому +2

    ワーグナーの「ワルキューレの騎行」は実体験からの 曲なんですねっ!
    フランシスFコッポラ監督も それを知っていて あのシーンに使ったのかな?
    勉強になります。

  • @user-fz6vi7nn6h
    @user-fz6vi7nn6h 29 днів тому +10

    黒船にパニックになったのは当時の政府(徳川)であって、庶民は物珍しさが先にあって黒船見物が流行ったのが実態です。見物客目当ての茶店も出来たそうです。*このあたりの誤解は無い様に補足もお願いします。

    • @user-cq2ix6fx9p
      @user-cq2ix6fx9p 26 днів тому +2

      わたし、このエピソード好きです💕日本人の好奇心の強さ、恐るべし😁

  • @user-zq7el5eh6m
    @user-zq7el5eh6m 29 днів тому +70

    翌年横浜に来航した時は、料亭「百川」が本膳料理を500人分も作ったとか。ところがあんまり気に入らなかったらしい。刺身とかあるし。逆にペリーにポーハタン号の晩餐会に招待された時にはスパークリングワインをガンガン飲んで日本人はべろんべろんに酔っぱらっていたとか☺

    • @user-zb1oz3pp1t
      @user-zb1oz3pp1t 29 днів тому +8

      ペリーさん、牛蒡料理出て「木の根っ子!日本食メシマズ~❗」と、言ったか言わないとか。

    • @nuruosan4398
      @nuruosan4398 29 днів тому +10

      着物の懐や袖に料理を入れて持ち帰ろうとする侍が多くて辟易したという話もありますね

    • @user-zq7el5eh6m
      @user-zq7el5eh6m 29 днів тому +10

      @@user-zb1oz3pp1t 様 料亭百川はカステラも出したらしいですね。ペリーの晩餐会ではケーキが出たらしい。
      応接掛の松崎満太郎はペリーに抱きついた挙句キスまでしたみたいですよ☺

    • @user-uu3st3je9k
      @user-uu3st3je9k 29 днів тому +26

      かつての日本人は、一番のご馳走にはその場で手を付けず、持ち帰る風習がありましたね。
      結婚式の尾頭付き鯛の塩焼きは、食べずに持ち帰る物と聞きました。
      東洋の日本と西洋では風習が違いますね。

    • @user-zq7el5eh6m
      @user-zq7el5eh6m 29 днів тому +14

      @@nuruosan4398 様 残った料理は紙に包んでみんな持って帰ったみたいですね。それと料理が口に合わなかったと思われたら気の毒と思った人がいたらしく、手で「お腹がいっぱい」っていうジェスチャーをやっていたとか☺

  • @user-so3zz6wm9y
    @user-so3zz6wm9y 29 днів тому +8

    いつかカミーユ・コローの解説もお願いいたします!

  • @takeshifujita5
    @takeshifujita5 29 днів тому +6

    実はお久しぶりです。ウリタニさん元気なようでよかった😄
    五郎さんも暑さにめげずお元気そうで何よりです👍🆗🤗

  • @maro_maruyama
    @maro_maruyama 29 днів тому +4

    ペリー提督と言ったら関根勤さんのモノマネが真っ先に浮かびます!!

  • @user-tm4qf4sv9l
    @user-tm4qf4sv9l 29 днів тому +1

    やっぱ日本史に関係あるものだと、より身近に感じられて面白いですね!
    日本の画家ももっとやってほしいです!棟方志功とか!!

  • @user-go8ve1kp8e
    @user-go8ve1kp8e 29 днів тому +8

    ワーグナーが出たと言うことは、ルードウィッヒ狂王の若き日と晩年の絵も出ますね❤️楽しみにしております❤

  • @moto1269
    @moto1269 29 днів тому +9

    興味深く視聴しました。
    交易を迫ったアメリカ側は捕鯨船の水や食料の調達も理由にしていたため、それならば領事館は伊豆の下田がよかろうということになったと記憶しています。
    ペリー艦隊はわたしたちが小中学校で習ったよりも友好的ではありませんでしたね。

    • @TabistN
      @TabistN 26 днів тому

      タウンゼント・ハリスも日本では清廉潔白な人というイメージですが、実際はそこまで清廉でもなかったですしね。
      日本と海外での金と銀の交換比率の差を利用して、日本の金貨(小判)を転売して金儲けに走った転売ヤーです。

  • @Kanboke-ur5ii9yd9l
    @Kanboke-ur5ii9yd9l 29 днів тому +6

    すでに写真のある時代なんですけど、
    カラーでわかりやすい、
    記録としての絵画はまだまだ
    需要があったのですね。
    キヨッソーネよりも前ですから、
    当たり前といえばそうなんですけどね。
    でも、動画まであと50年切っているんですよね。
    カラー写真に至っては、
    もう10年すればでてくるし。

    • @jiroizumi3870
      @jiroizumi3870 28 днів тому +1

      既に写真があると言っても
      あの構図であの瞬間を切り取れる性能のカメラとレンズは当時は未だ無かったでしょう。
      当時のカメラでは露光には時間がかかりすぎるるし
      例え閃光を焚いたとしても撮影範囲が広過ぎて効果は殆どありません。
      少し後の江戸末期の写真を見ても露光時間が長すぎて
      建物は写っていても人物は動くので全く写ってないという写真がありますからね。

    • @Kanboke-ur5ii9yd9l
      @Kanboke-ur5ii9yd9l 28 днів тому +1

      @@jiroizumi3870 おっしゃる通りですね!
      生活の一部として最初に写ったのは
      靴磨き職人とその客ですし、
      人物写すときはあの面倒臭い支えがいるし。
      ただ、幕末を動画で見たかったですよ。

  • @user-hk1kt2fs7w
    @user-hk1kt2fs7w 29 днів тому +5

    中国はイギリスによってアヘン漬けにされたけど、日本はアメリカと条約結んだ時にアヘン持ち込み禁止にしてもらったお陰で、イギリスにアヘン漬けにされずに済んだと聞いて背筋が凍った…。当時のイギリス怖すぎる。

    • @radiocommander
      @radiocommander 22 дні тому

      このペリー来航の時点から更に60年くらい経って第一次世界大戦が始まりますけど、イギリスって国の外交はホントに嘘とペテンと3枚舌4枚舌とから成っている、と思い知らされます。
      昨今話題のイスラエルは、その建国過程(第一次大戦後)がイギリスのせいで汚すぎて、アラビアのロレンス(実在したイギリス人です)が抱いた祖国への深い絶望が、もう痛いほどに判ります。

  • @estrellafugaz1844
    @estrellafugaz1844 22 дні тому

    五郎さんの歴史の話が大好き💕❤です。めっちゃ面白いです!

  • @user-pk5fx4xc4s
    @user-pk5fx4xc4s 29 днів тому +4

    調べると分かるものなんですね!
    五郎さんの資料、蔵書ってどのくらいなるのか?実に興味深いです。

  • @mterra7066
    @mterra7066 29 днів тому +3

    オトナの教養って、すごいなあ。教科書・資料集読み漁るのが趣味だった学生時代だったけど、喜望峰回ってきてたとか(ハワイ・小笠原経由だと思ってた。小笠原はニアミスかな?)知りませんでした。ニホンジン名物、持ち帰らせて検討させて頂きます・引き延ばしが当時からあったとか(でも、元寇の時はしてないてことは、江戸人が発明したのかな)は書いてたけど、誰があの絵を描いたのかなんて、思いもしなかった。(何だったら、写真だと思っていた)。
    勉強になります。続きが楽しみです。

    • @user-kattak
      @user-kattak 28 днів тому

      小笠原にもよっています。他の方もその事にコメントしています。

  • @oppx-ng2iz
    @oppx-ng2iz 28 днів тому +3

    面白かったです。愛を語らない方のハイネなんですね~

    • @ykohrt880
      @ykohrt880 28 днів тому +1

      ハイネ違い✨
      視点の明確化。

  • @hidehikoanno
    @hidehikoanno 29 днів тому +5

    ペリー艦隊の航路と目的はまさに目から鱗で勉強になりました。黒船が南蛮船の事だったのはこの前見たSHOGUNで知ったし、聖徳太子も坂本龍馬もインチキみたいだし、俺らの習った日本史はかなりテキトーだったんだな・・・

    • @shimameji
      @shimameji 21 день тому

      歴史的な事実と思われたことが、ある学者が唱えた説が取り上げられただけ、という事はあるそうですね。今主流になっている学説も30年位前に出てきたもので、その先生に教わった弟子が増えると主力になること…という流れはあるようです。教科書に掲載されている説は戦前の学者の説なので、昨今の新説と変わってしまっているのはまぁ当然かと…。歴史の教科書は30年たてばガラッと変わるでしょう。1950年代と80年代の差を思えば2010年の教科書も変わりますよね…

  • @user-mo3wy7in6g
    @user-mo3wy7in6g 29 днів тому +7

    ヴィルヘルム・ハイネ、懐かしい…。
    日本の諸藩の御用絵師も、軸物や襖、屏風絵だけでなく、地図の仕上げ彩色や「記録絵師」として働いていました。
    ハイネと同時代に流行した横浜絵、特に五雲亭貞秀も面白いですが、
    徳川幕府のために、ナポレオン3世が日本に派遣した陸軍軍事顧問団のメンバーの1人、ブリュネも取り上げていたたければと思います。

    • @user-kattak
      @user-kattak 28 днів тому

      ブリュネは有名な青い瞳のサムライと謂われる人物の一人ですね!
      戊辰戦争では国籍離脱して佐幕派に協力したのは有名ですね。

  • @nuruosan4398
    @nuruosan4398 29 днів тому +18

    ウリタニさんは五郎さんが自分の知らないことを話している時の相槌の打ち方が知的だと思う

  • @user-rv9qi7gb2b
    @user-rv9qi7gb2b 28 днів тому +3

    歴史の教科書ってけっこうテキトー

    • @user-ct2mm5zf2z
      @user-ct2mm5zf2z 23 дні тому +3

      子供の頃に黒船は木造船で黒い理由を話したら嘘扱いされたよ。
      歴史の教科書がってより、先生の知識が足りてない。

  • @cup77jp
    @cup77jp 28 днів тому +2

    こいつもヒラリーと同じくジャパンパッシングだったか~。(捕鯨船って習った口です)  あと、持ち帰って検討、とか、瓦版発禁回収とか、現代(=伝単拾うの禁止)までずっと同じなのですね。面白い。神回。

  • @user-xu5qm2jr6m
    @user-xu5qm2jr6m 21 день тому +2

    幕末ファンの私は鼻息荒くなりながら見ました笑笑
    日本人も外国人も優秀で波乱万丈。キャラが濃い…!
    『ペリー来航』の絵、日本の陸側からのアングルで描かれているのが面白い!黒船と日本人が同時に見れるから、何の絵なのか分かりやすいです。

  • @tmkartist9211
    @tmkartist9211 29 днів тому +4

    はぁ~楽しかったぁー😊です。私も日本史は苦手ですが😅、ペリー時代から第二次、現代にいたるまで、そういう考えだったのかー(沖縄を攻める)、😓なんとも、びっくりしました。
    昨今の戦争もそうですが、人類の(指導者の)進化の無さに😓ほとほと嫌気が差します😮‍💨ジョン・レノンのイマジンのように考えられんのか😩

  • @user-do6vl2fs6f
    @user-do6vl2fs6f 29 днів тому +4

    ポーハタン号といえば、日米修好通商条約(1858年)の調印がそこで行われたり、その条約の批准書を交換するための使節団が1860年にアメリカに派遣されたときに、正使の新見正興らが乗っていった船としてよく知られていると思いますが(このときに勝海舟も咸臨丸でアメリカに行ってますよね!)、ペリー再訪のときにもポーハタン号来ていたのですね…!それは大変恥ずかしながら認識していませんでした…😅

    • @user-kattak
      @user-kattak 28 днів тому

      ペリー艦隊の中でも一番新しい艦です

  • @tamaokatada9803
    @tamaokatada9803 17 днів тому

    すごい

  • @azuki___6458
    @azuki___6458 28 днів тому +2

    レキシの曲ペリーダンシングの歌詞にある、「たった四はいで眠れぬトゥナイト」ってこういう意味だったんだ!

  • @odorooyo
    @odorooyo 28 днів тому +2

    沖縄県の西表島の船浮港にも、那覇に到着前のペリー一行が寄港したみたいですね。

  • @user-df3sm5ql4b
    @user-df3sm5ql4b 28 днів тому +1

    この時露からも圧がかかっていた状態で米と不平等でも手を結ぶと露からの圧も減るという…一枚の絵から知れる頭脳戦、すごいな汗
    お台場は大砲台があったが挑発に乗らなかったので大砲は使われなかったみたいですね

  • @yu-dl3qz
    @yu-dl3qz 25 днів тому +1

    このチャンネルでバクーニンさんが出てくるとは。😮
    日本にも来てますよね。

  • @user-kattak
    @user-kattak 29 днів тому +6

    忘れがちですが、ペリー来航の2年後1855年にはパナマ地峡鉄道が開通したためアメリカの西海岸ー東海岸間の移動がしやすくなったのを忘れないように。アメリカへの最初の公式訪問団の万延元年遣米使節(正使:新見正興 副使:村垣範正 目付:小栗忠順とし、日米修好通商条約批准書の交換を行った、同時に通貨交換比率の不平等是正交渉で小栗忠順が活躍したことでも有名、また随行艦に咸臨丸がサンフランシスコまで随行、乗組員士官の勝海舟や通訳の中浜万次郎、軍艦奉行:木村喜毅の従者として福沢諭吉が乗船したことでも有名)が往路で利用しています。帰路は大西洋横断後喜望峰経由でインド洋横断バタヴィア、香港を経由して品川港到着で世界一周をしています。

    • @hamachi148
      @hamachi148 19 днів тому

      新見正興さん、おじいちゃんのおばあちゃんと同じ年の生まれです。

  • @genyama714
    @genyama714 26 днів тому +3

    コメ欄に博学な方が集っていて楽しい🤣

  • @niwancoguitarra
    @niwancoguitarra 28 днів тому

    めちゃくちゃおもしろい

  • @-deko-
    @-deko- 28 днів тому +2

    19:08 外輪がホバーボートの後ろについてる
    ホバーのように見えるから後ろに見えるってのわかるよウリタニさん!!w
    五郎さんすぐ怒らずもっと寄り添ってあげてw

  • @summer_green19542
    @summer_green19542 29 днів тому +3

    教科書に載っていた黒船の歴史画は幾つになっても脳裏に刻まれています。やはり興味ある事の記憶ってすごい。
    五郎さんが外輪船について説明されてる時には子どもの頃読んだマーク・トウェイン「トムソーヤの冒険」の挿絵が鮮やかによみがえりましたよ。ミシシッピ川を航行する船の姿が。

  • @yukioka_8rie
    @yukioka_8rie 29 днів тому +1

    五郎さんどこでこんな調べれるんや!面白い

  • @alwaysoutofbase5255
    @alwaysoutofbase5255 29 днів тому +4

    風雲児たち
    面白いけど、未完で終わっちゃったなぁ
    ペリー来航の辺りはワクワクした。

    • @user-bh4pu6tn9e
      @user-bh4pu6tn9e 28 днів тому

      約40年かけて、全巻持ってました。坂本龍馬を描きたくて資料を調べたら関ヶ原からになったとか。政治・経済・外交・文化・人物・事件を漫画とギャグで解説。大黒屋光太夫と蘭学事始が感動した。連載誌が変わり、タイトルも替わり、単行本が何巻出たのか不明になった。単行本を透明BOXに入れて物置に置いたら台風で水を被り何冊か捨てた。買い換えようとしたら絶版と返答。病気休載からご逝去され、残念です。名作で手塚賞を受けてたはず。今でもBOOKOFFで横山三国志の周りを探してます。

    • @radiocommander
      @radiocommander 22 дні тому +1

      もうホンッットにそう思います。> 風雲児たち
      みなもと太郎氏の大傑作です/でした。急逝されちゃいましたねえ(涙)

  • @loinorn
    @loinorn 29 днів тому

    捕鯨の基地と思ってました。
    色々本読んだりテレビで見たりしてるのでどこまで習ったかは覚えてないです。。。

  • @user-if3by2dt9u
    @user-if3by2dt9u 29 днів тому

    続きが気になる。

  • @user-pz8ie9es8n
    @user-pz8ie9es8n 23 дні тому

    ウリタニさん大丈夫!俺も最初外輪が後ろに付いてるように見えてました!😆
    たぶん真ん中の煙突と外輪のとこがそれだけで1隻に見えて、右、真ん中、左の3隻あるように見えたんだと思います!

  • @user-cc7hd8ow9c
    @user-cc7hd8ow9c 29 днів тому +2

    来週まで待たなくてはならないのですね、、、

  • @lemoncat1010
    @lemoncat1010 29 днів тому +3

    今日から下田市は黒船祭スタートです▶️

  • @kazuhisanakatani1209
    @kazuhisanakatani1209 29 днів тому +3

    ハリウッド製ドラマ『Shogun』で南蛮船を「黒船」と呼んでるのは間違いだと思ってたけど、間違いじゃなかったんですね

  • @user-xf1wc2td4k
    @user-xf1wc2td4k 29 днів тому +6

    今回も情報量が多くて、とても面白かったです。
    特にドレスデンで、ハイネとワーグナーとバクーニンが交錯している下りは、視聴しながら背中がゾクゾクしました。
    ワーグナーは、ドレスデン蜂起後、チューリッヒでの亡命生活中、豪商ヴェーゼンドンクの援助を受けますが、その妻マティルデと恋に落ち、彼女の詩を基にした「ヴェーゼンドンク歌曲集」を生み出すとともに、この不倫の恋がきっかけとなり、大作歌劇「トリスタンとイゾルデ」が生まれました。
    歌劇「トリスタンとイゾルデ」は西洋音楽史上、古典的機能和声の崩壊の引き金を引いた作品として、特筆されます。

    • @ykohrt880
      @ykohrt880 29 днів тому

      とても興味深いですね✨古典的機能和声の崩壊!?そんなことってあったかしら?意外とあるのかもね。その歌曲の調和は素晴らしいですけどね✨

    • @user-xf1wc2td4k
      @user-xf1wc2td4k 28 днів тому +1

      @@ykohrt880 半音階を多用して、聴いていて、どんな性格・キャラクター付けされた音楽なのか、掴み所がわかりにくい音楽になってます。故に発表当初は、猛烈な反発を受けてます。まあ媚薬が絡んだ、行く先がわからない不倫の恋描いた劇の内容には合っているかもしれません。

    • @user-xf1wc2td4k
      @user-xf1wc2td4k 28 днів тому

      @@ykohrt880 トニック、サブドミナント、ドミナント等で表される古典的な和声進行に則っていない為、発表当初は聴衆から反発を受けました。それまでの和声進行の感覚で行けば、歌劇「トリスタン~」冒頭の第1幕への前奏曲の3小節目から、和声的には、解決を求める不安定な状態が続いて、3時間55分かかる歌劇「トリスタン~」の演奏が終わる最後の2小節ぐらいで和声的解決に辿り着きます。

    • @ykohrt880
      @ykohrt880 28 днів тому

      @@user-xf1wc2td4k 演奏の難易度が高かったのかもしれませんね。
      『トリスタンとイゾルデ』でワーグナーが実験的な試みをしていたことまでお詳しいですね。当時としては異世界だったのでしょう✨

    • @ykohrt880
      @ykohrt880 28 днів тому

      ​@@user-xf1wc2td4kそう言えば冒頭の不穏な雰囲気は、イゾルデの苦悩が強調されていて、和声的な進行とばかりは言えなかったかもしれないですね。

  • @izumo4283
    @izumo4283 21 день тому

    お茶と掛けてるなんて知らなかった。ベリーに関しては教科書とネットの浅い情報だけだったから勉強になります。

  • @user-lr9hk9jd7s
    @user-lr9hk9jd7s 29 днів тому

    おもろい😊

  • @user-pk5fx4xc4s
    @user-pk5fx4xc4s 29 днів тому +4

    ワーグナー
    当たったw

  • @user-gy8ot9zj8k
    @user-gy8ot9zj8k 18 днів тому

    広州の絵の文字が、今のAIが生成した絵の文字みたいで面白いですね。

  • @takeshifujita5
    @takeshifujita5 29 днів тому +3

    蒸気船〜ウリタニ砲💢…爆裂💣

  • @lupinthe3rd629
    @lupinthe3rd629 29 днів тому +3

    最初に対応したのがオランダ語通詞でその人が、同席した与力に、「今ならあなたは奉行だ」と言って対応させた。

    • @user-kattak
      @user-kattak 28 днів тому

      正確には低い地位では対応されなかったので、副奉行と名乗ったそうです、因みにその与力は中島三郎助で幕末に詳しい人で有れば有名な人物です。函館には彼に因んで中島町という地名が有ります。

  • @gumgmaz
    @gumgmaz 29 днів тому +1

    ウリタニさんのWでベートーヴェンは日本人のべとヴェが混雑する頭ではよくあるやつ〜

  • @ryousukem3285
    @ryousukem3285 29 днів тому

    バクーニンの伝記があれば読んでみたいです📖

  • @trickstar048
    @trickstar048 29 днів тому +1

    追記しますが、浦賀での交渉も山田さんはサラリと「上のやつを呼べ」で流していますが、当時幕府の交渉役だった林復齋、岩瀬忠震はじめギリギリの江戸幕府の対応も私は評価したいと思います。

  • @MrCoponta
    @MrCoponta 29 днів тому +2

    さすがアメリカ、ノー天気なようでしっかりしとる。
    そして日本なんか利用する事しか考えとらんのは今も同じ。