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確かに昔はタブレット閉塞でしたね!私の生まれ故郷北海道では昨年のGW明けに廃止された札沼線の北海道医療大学〜新十津川間では石狩月形以北ではスタフ閉塞式でしたよね!✌️🤓
なるほど、そう言えば、そこの線路廃止されたのでしたね。
鉄道ファンさん お若いですね。5年以上前ですもんね。閉塞区間は理解しているつもりでしたが整理して教えていただいて感謝です。
メッセージありがとうございます。いや、私もそれほど詳しくないのですが、インターネットで調べたりして勉強しました。
@@HobbyVideos さん、やはり公共の電波に載せるということは情報の正確さや表現にはかなり気を遣っているということですね。ありがとうございます。国鉄時代の鉄道ファンさんのファンとしてより信頼感が増しました。餘部橋梁を紹介する動画で昭和45年に完成というのを観ました。明治と昭和の区別もしないのかと驚きました。子供が見たら間違えて覚えるかもしれないと心配しました。
メッセージありがとうございます。餘部橋梁の動画、間違っていました?まあ、色々チャックをしているのですが、時々間違えていることもあるのですみません。
@@HobbyVideos さん が間違えていたわけではありません。餘部橋梁が好きなので色々見て気づいた動画があったということです紛らわしくて申し訳ありません。
いえいえ、私も良く間違えるので。
人が連携して列車を動かしていたことを今に伝える貴重な映像ですね!
+MEITETSU2201F さん メッセージありがとうございます。そうですね。インターネットの時代、今なら想像も出来ない事ですね。でも、昔の人は昔なりに、良く考えたものですね。このシステム。
懐かしいですね。昔の紀勢線には、有りました。キハ58や82くろしおが良い思い出です。
そんな紀勢本線も、この時、たまたまホームでビデオを撮影していたら、駅長さんが「今、自動化の工事をしていてもう来れなくなるから中に入って撮影しておけ」って言われて、説明までしていただいたのです。
単にあの「輪っか」をやり取りしてるだけかと思ったら、タブレット閉塞ってもっと複雑怪奇なやり取りしてたんですね。
メッセージありがとうございます単線区間って均等に上り列車と下り列車が交互に走っているだけではないので、上りの次に、また上りなんて事もあるので、あの機械の中にタブレットを入れて、お互いに連絡し合ってどちらかの駅で1つしか出せないようにしていたのですね。 鉄道ジャーナルで読んだ記事なんですが、夜行の臨時列車があったのを夜勤の駅員に伝えるのを忘れて、それを知らない夜勤の駅員が、タブレットを出そうとしたが、出なかったので、故障と勘違いして、針金で引っ張り出して、列車に渡してしまい、事故になったと言う記事を読みました。笑い事ではないが、ちょっと笑ってしまいました。針金で引っ張り出すなんて。
蚊取り線香のボンボンの音が好きです。
何のことかと思ったら、鐘の音ですね。上りと下りで音が微妙に違うやつですね。
@@HobbyVideos 様最近、国鉄時代の動画を懐かしく思い、漁るように見るようになってました。その中で、自分の大好きだった通票閉塞(のちのタブレット閉塞)動画でしたのでコメントしましたが、まさか投稿後この年月を経て返信あると思いもよりませんでした。ありがとうございます。
+国鉄時代の鉄道ファンさん 懐かしく拝見していました。昔ですが古座駅で閉塞操作を見せて貰った事があります。説明もものすごくわかり易かったです。私が行った時は、お召し列車の信号規定の事とかきめ細かに教えてくれました
+chibita32 さん メッセージありがとうございます。今では、自動で列車が通過したら信号が変わるのですが、昔は信号もポイントも、全部手動だったのですね。こんな事を昔はやっていたなんて、今の世代の人が見たら、どう思うでしょうかね。 古座駅で閉塞操作を見せてもたっらそうですが、当時の駅員さんも、親切だったのですね。お召列車の信号規定とか、また特別なやり方なのかな?私も、当時としては珍しいビデオデッキとビデオカメラを持って、列車を撮影していると、駅員さんがもう無くなるから写しておけよ!って写させてもらいました。もう、駅のあちこちで、自動化の工事が進められている時でした。
国鉄時代の鉄道ファンさん お召し列車の場合万が一を考えて必ず助手が乗っていたらしいです。運転士や機関士は運転に専念するする為に助手がタブレットを受け渡ししていました。それとタブレットキャッチャーからタブレットを落としたり上手く受け取れない場合は谷底に落としたと同じ規定でそのまま通過していました。何よりも印象的だったのは天皇陛下から戴いた恩師たばこの木箱を見せて貰った事です。本当に自動化する前の鉄道って人海戦術で丁寧に運行されていたのだと思いました。
+chibita32 さん メッセージありがとうございます。タブレットを受け取れなかった時は、そのまま通過とは、すごい規定ですね。ほんとうに、人海戦術での運行だったのですね。その代り、テロにケーブルを切断されて、運行できないなんて事はなかったのでしょうね。
時刻表を見ると、901Dは、多気から鳥羽発の「はまゆう」1301Dが併結になっています。でも、時刻表の後ろの方の赤いページの編成表には、「はまゆう」の列車は記載が無いのです。名古屋から紀伊勝浦行きが「紀州1号」で「指」「G」「自」「自」 京都行きが 「平安」 で「自」「自」「自」 奈良行きが 「かすが」 で「自」「自」「自」としか、書かれていないのです。
3回鳴らすのは省略してるんですよ。お互いにダイヤとか把握してますしね。
メッセージ ありがとうございます。さっそく、見ていただいてありがとうございます。急行「砂丘」は、私はあまり良く知りませんが、最近までタブレットでの運行をしていたのですね。最後で喜んでいただいて嬉しいです。でも、他の人が投稿している映像に比べて画質が悪いのが悔しいです。
タブレット閉塞機の動画映像ですね、上手に撮影されておりますすよ、国鉄時代の 鉄道ファンさん、きにいりました、お見事です。
刈草信輔さんメッセージありがとうございます。昔のビデオで画質が悪くて、当時は悩みの種でした。まあ、それなりに気に入っていただいてうれしいです。
説明、とてもわかりやすかったです。自分はまだタブレット閉塞を見たことがないので、いつか小湊鉄道で見てみようと思います!
名古屋方の駅の電鈴が早いw押すのが早い駅員なのかな
その辺は分かりません。でも名古屋方の電鈴ってわかるのが凄いですね。この当時の鉄道員ですか?
@@HobbyVideos 鉄道員ではありませんナレーションで名古屋側とおっしゃっていたので
説明乙です。詳しく分からなかった私も分かりました(笑)
Wing White さん メッセージありがとうございます。これも、もう昔話となってしまいましたね。この前、名古屋のリニア鉄道博物館に行ってきましたが、この閉塞器がおいてありました。そこにも色々説明が書いてありました。時の流れは速いものです。余談ですが、2015年3月14日に北陸新幹線の長野と金沢の間が営業運転を始めたのですが、金沢と白山総合車両所の間は、まだ単線運行です。
確か国鉄紀勢本線相賀駅ですね?
メッセージありがとうございます。わ~お!良く分かりましたね。駅の看板写ってたのかな?
@@HobbyVideos 返信が遅くなりました💦駅表示で分かりましたね!!
勉強になりました。今やこの手作業もIT化で全自動ですね。
メッセージありがとうございますそうですね。ITなんて無い時代、電話がせいぜい通信手段だった時代、SLが走っていた時代、そんな時代にしては、画期的なものだったのかもしれませんね。でも、友達が言うには、単線にしたこと自体が、スピード化しにくくて、だめだったのではって言ってました。
国鉄時代の鉄道ファン 小学校の頃、土讃線の最寄り駅のホームに手動のポイント切り替え機があったのを思い出します。あと、キハ20の準急とか。
そうそう、昔はローカル線でこのような腕木信号機があった駅では、みなホームに主導のポイント切替機を腕木信号の切替機があったのです。信号機はホームの切替機からワイヤーロープで繋がっており、ポイントは太さ5センチくらいの鉄の棒で繋がっていました。つまり、停電しても全く問題なしに定刻通り信号やポイントは切り替えられるのでした。
とてもわかりやすかったです!!京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関車館)にプランジャーがあったと思います!!
メッセージありがとうございます鉄道博物館・・・・京都も、大宮も、横川も全然行ってないので、いつかは行こうと思いつつ、なかなか行けない状態なのです。人が一番少ない時期っていつ頃なのかな?夏休みはもう子供連れで一杯でしょうね。
多分平日の昼ぐらいだと思いますよでもこの間4月の日曜日に友達と行ったときはかなりすいていましたよ~
4月ですか?新学期が始まったり、新年度で博物館に行っている場合じゃーないって言う月なのかな?4月って。
多分そうだと思います
因みに3回は電話に出ろ‼って意味ですよ。
面倒な操作だけど良く考えられている ats もだか多くの血が流され学んだ事なので、伝承しそれを踏み台にし進化して欲しい
メッセージありがとうございます。ATSか!宝塚線の事故ですね。出来るだけ、人間のミスを防ぐシステムですが、やはりこのタブレット閉塞器も良く壊れる事があったそうで、昔、臨時列車が運行されていたのを、すっかり忘れて、何でタブレットが出ないのだろうと、針金で引っ張り出して、機関士に渡し、正面衝突をしたと言う事故もあったそうです。また、その機械は良く壊れて出ないことが度々あったそうで・・・・・この話は、鉄道月刊誌で読みました。鉄道ジャーナルだったかな?
連続で来る場合は票券方式ですよ
タブレット閉塞について,まあまあ分かりやすく説明がなされていると思います。タブレット閉塞と言えば個人的には急行「砂丘」を思い起こさせられますね。あと最後キハ80系で締めてくださったのには感謝ですw
列車を動かすのは容易じゃない。
+駿河鉄道チャンネル さん メッセージありがとうございます。そうですね。それが、今日首都圏や都会の通勤時間では、1分毎に列車が走っているのですからすごい事ですね。
見た感じでは急行「くまの」との併結ではないかと思います。
JNR 5828さん メッセージありがとうございます。これも、色々とネットで調べました。タブレットの授受は、やはり通過列車が迫力があってよかったですね。
ごめんなさい。その辺の詳しい事は、分からないのです。
単に、言えば、通行手形みたいなもんでしょうか?
メッセージありがとうございます。通行手形とは、ちょっと違いますね。通行手形は、江戸時代の日本で人が旅をしようとするときに、許可を得て旅行していることを証明した物。とウイキペディアに書かれていますが、タブレットは、 1つの道を通行しようとするときに、1つの列車しか走れないために、その線路を走る許可を出している物てな感じかな。通行手形は、例えば東海道を旅する時に、東海道に1人以上の旅人が旅をしているが、タブレットは、単線の線路を走行する時に、単線の線路に1列車しか走行していない。という感じ。上手く説明できなくてごめんなさい。
分かりやすい、解説ありがとうございました。お互い、必ずすれ違いが、できる、画期的なシステムだったのですねm(__)m
そうですね。あまり電子機器が発達していない昔にしては、画期的なシステムだったのだと思います。
気動車は電車じゃなくて列車ですよ
?
画質の件は仕方無い事ですよ(笑あと動画に出て来た急行「紀州」ですが,別の列車と併結していたのですか?
博多大吉?
確かに昔はタブレット閉塞でしたね!私の生まれ故郷北海道では昨年のGW明けに廃止された札沼線の北海道医療大学〜新十津川間では石狩月形以北ではスタフ閉塞式でしたよね!✌️🤓
なるほど、そう言えば、そこの線路廃止されたのでしたね。
鉄道ファンさん お若いですね。5年以上前ですもんね。閉塞区間は理解しているつもりでしたが整理して教えていただいて
感謝です。
メッセージありがとうございます。
いや、私もそれほど詳しくないのですが、インターネットで調べたりして勉強しました。
@@HobbyVideos さん、やはり公共の電波に載せるということは情報の正確さや表現にはかなり気を遣っているということですね。ありがとうございます。国鉄時代の鉄道ファンさんのファンとしてより信頼感が増しました。餘部橋梁を紹介する動画で昭和45年に完成というのを観ました。明治と昭和の区別もしないのかと驚きました。子供が見たら間違えて覚えるかもしれないと心配しました。
メッセージありがとうございます。
餘部橋梁の動画、間違っていました?
まあ、色々チャックをしているのですが、時々間違えていることもあるのですみません。
@@HobbyVideos さん が間違えていたわけではありません。餘部橋梁が好きなので色々見て気づいた動画があったということです紛らわしくて申し訳ありません。
いえいえ、私も良く間違えるので。
人が連携して列車を動かしていたことを今に伝える貴重な映像ですね!
+MEITETSU2201F さん メッセージありがとうございます。
そうですね。インターネットの時代、今なら想像も出来ない事ですね。
でも、昔の人は昔なりに、良く考えたものですね。このシステム。
懐かしいですね。昔の紀勢線には、有りました。キハ58や82くろしおが良い思い出です。
そんな紀勢本線も、この時、たまたまホームでビデオを撮影していたら、駅長さんが
「今、自動化の工事をしていてもう来れなくなるから中に入って撮影しておけ」
って言われて、説明までしていただいたのです。
単にあの「輪っか」をやり取りしてるだけかと思ったら、タブレット閉塞ってもっと複雑怪奇なやり取りしてたんですね。
メッセージありがとうございます
単線区間って均等に上り列車と下り列車が交互に走っているだけではないので、上りの次に、また上りなんて事もあるので、あの機械の中にタブレットを入れて、お互いに連絡し合ってどちらかの駅で1つしか出せないようにしていたのですね。
鉄道ジャーナルで読んだ記事なんですが、夜行の臨時列車があったのを夜勤の駅員に伝えるのを忘れて、それを知らない夜勤の駅員が、タブレットを出そうとしたが、出なかったので、故障と勘違いして、針金で引っ張り出して、列車に渡してしまい、事故になったと言う記事を読みました。笑い事ではないが、ちょっと笑ってしまいました。針金で引っ張り出すなんて。
蚊取り線香のボンボンの音が好きです。
何のことかと思ったら、鐘の音ですね。上りと下りで音が微妙に違うやつですね。
@@HobbyVideos 様
最近、国鉄時代の動画を懐かしく思い、漁るように見るようになってました。
その中で、自分の大好きだった通票閉塞(のちのタブレット閉塞)動画でしたのでコメントしましたが、まさか投稿後この年月を経て返信あると思いもよりませんでした。
ありがとうございます。
+国鉄時代の鉄道ファンさん 懐かしく拝見していました。昔ですが古座駅で閉塞操作を見せて貰った事があります。説明もものすごくわかり易かったです。私が行った時は、お召し列車の信号規定の事とかきめ細かに教えてくれました
+chibita32 さん メッセージありがとうございます。
今では、自動で列車が通過したら信号が変わるのですが、昔は信号もポイントも、全部手動だったのですね。こんな事を昔はやっていたなんて、今の世代の人が見たら、どう思うでしょうかね。
古座駅で閉塞操作を見せてもたっらそうですが、当時の駅員さんも、親切だったのですね。お召列車の信号規定とか、また特別なやり方なのかな?私も、当時としては珍しいビデオデッキとビデオカメラを持って、列車を撮影していると、駅員さんがもう無くなるから写しておけよ!って写させてもらいました。もう、駅のあちこちで、自動化の工事が進められている時でした。
国鉄時代の鉄道ファンさん お召し列車の場合万が一を考えて必ず助手が乗っていたらしいです。運転士や機関士は運転に専念するする為に助手がタブレットを受け渡ししていました。それとタブレットキャッチャーからタブレットを落としたり上手く受け取れない場合は谷底に落としたと同じ規定でそのまま通過していました。何よりも印象的だったのは天皇陛下から戴いた恩師たばこの木箱を見せて貰った事です。本当に自動化する前の鉄道って人海戦術で丁寧に運行されていたのだと思いました。
+chibita32 さん メッセージありがとうございます。
タブレットを受け取れなかった時は、そのまま通過とは、すごい規定ですね。ほんとうに、人海戦術での運行だったのですね。その代り、テロにケーブルを切断されて、運行できないなんて事はなかったのでしょうね。
時刻表を見ると、901Dは、多気から鳥羽発の「はまゆう」1301Dが併結になっています。
でも、時刻表の後ろの方の赤いページの編成表には、「はまゆう」の列車は記載が無いのです。
名古屋から紀伊勝浦行きが「紀州1号」で「指」「G」「自」「自」
京都行きが 「平安」 で「自」「自」「自」
奈良行きが 「かすが」 で「自」「自」「自」
としか、書かれていないのです。
3回鳴らすのは省略してるんですよ。お互いにダイヤとか把握してますしね。
メッセージ ありがとうございます。
さっそく、見ていただいてありがとうございます。
急行「砂丘」は、私はあまり良く知りませんが、最近までタブレットでの運行をしていたのですね。
最後で喜んでいただいて嬉しいです。
でも、他の人が投稿している映像に比べて画質が悪いのが悔しいです。
タブレット閉塞機の動画映像ですね、上手に撮影されておりますすよ、国鉄時代の 鉄道ファンさん、きにいりました、お見事です。
刈草信輔さん
メッセージありがとうございます。
昔のビデオで画質が悪くて、当時は悩みの種でした。まあ、それなりに気に入っていただいてうれしいです。
説明、とてもわかりやすかったです。
自分はまだタブレット閉塞を見たことがないので、いつか小湊鉄道で見てみようと思います!
名古屋方の駅の電鈴が早いw
押すのが早い駅員なのかな
その辺は分かりません。でも名古屋方の電鈴ってわかるのが凄いですね。
この当時の鉄道員ですか?
@@HobbyVideos
鉄道員ではありません
ナレーションで名古屋側とおっしゃっていたので
説明乙です。詳しく分からなかった私も分かりました(笑)
Wing White さん メッセージありがとうございます。これも、もう昔話となってしまいましたね。
この前、名古屋のリニア鉄道博物館に行ってきましたが、この閉塞器がおいてありました。そこにも色々説明が書いてありました。
時の流れは速いものです。
余談ですが、2015年3月14日に北陸新幹線の長野と金沢の間が営業運転を始めたのですが、金沢と白山総合車両所の間は、まだ単線運行です。
確か国鉄紀勢本線相賀駅ですね?
メッセージありがとうございます。
わ~お!
良く分かりましたね。
駅の看板写ってたのかな?
@@HobbyVideos 返信が遅くなりました💦駅表示で分かりましたね!!
勉強になりました。今やこの手作業もIT化で全自動ですね。
メッセージありがとうございます
そうですね。
ITなんて無い時代、電話がせいぜい通信手段だった時代、SLが走っていた時代、そんな時代にしては、画期的なものだったのかもしれませんね。
でも、友達が言うには、単線にしたこと自体が、スピード化しにくくて、だめだったのではって言ってました。
国鉄時代の鉄道ファン 小学校の頃、土讃線の最寄り駅のホームに手動のポイント切り替え機があったのを思い出します。あと、キハ20の準急とか。
そうそう、昔はローカル線でこのような腕木信号機があった駅では、みなホームに主導のポイント切替機を腕木信号の切替機があったのです。
信号機はホームの切替機からワイヤーロープで繋がっており、ポイントは太さ5センチくらいの鉄の棒で繋がっていました。
つまり、停電しても全く問題なしに定刻通り信号やポイントは切り替えられるのでした。
とてもわかりやすかったです!!
京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関車館)
にプランジャーがあったと思います!!
メッセージありがとうございます
鉄道博物館・・・・京都も、大宮も、横川も全然行ってないので、いつかは行こうと思いつつ、なかなか行けない状態なのです。
人が一番少ない時期っていつ頃なのかな?
夏休みはもう子供連れで一杯でしょうね。
多分平日の昼ぐらいだと思いますよ
でもこの間4月の日曜日に友達と行ったときはかなりすいていましたよ~
4月ですか?
新学期が始まったり、新年度で博物館に行っている場合じゃーないって言う月なのかな?4月って。
多分そうだと思います
因みに3回は電話に出ろ‼って意味ですよ。
面倒な操作だけど良く考えられている ats もだか多くの血が流され
学んだ事なので、伝承しそれを踏み台にし進化して欲しい
メッセージありがとうございます。
ATSか!宝塚線の事故ですね。
出来るだけ、人間のミスを防ぐシステムですが、やはりこのタブレット閉塞器も良く壊れる事があったそうで、昔、臨時列車が運行されていたのを、すっかり忘れて、何でタブレットが出ないのだろうと、針金で引っ張り出して、機関士に渡し、正面衝突をしたと言う事故もあったそうです。また、その機械は良く壊れて出ないことが度々あったそうで・・・・・この話は、鉄道月刊誌で読みました。鉄道ジャーナルだったかな?
連続で来る場合は票券方式ですよ
タブレット閉塞について,まあまあ分かりやすく説明がなされていると思います。
タブレット閉塞と言えば個人的には急行「砂丘」を思い起こさせられますね。
あと最後キハ80系で締めてくださったのには感謝ですw
列車を動かすのは容易じゃない。
+駿河鉄道チャンネル さん メッセージありがとうございます。
そうですね。それが、今日首都圏や都会の通勤時間では、1分毎に列車が走っているのですからすごい事ですね。
見た感じでは急行「くまの」との併結ではないかと思います。
JNR 5828さん メッセージありがとうございます。
これも、色々とネットで調べました。
タブレットの授受は、やはり通過列車が迫力があってよかったですね。
ごめんなさい。
その辺の詳しい事は、分からないのです。
単に、言えば、通行手形みたいなもんでしょうか?
メッセージありがとうございます。
通行手形とは、ちょっと違いますね。
通行手形は、江戸時代の日本で人が旅をしようとするときに、許可を得て旅行していることを証明した物。とウイキペディアに書かれていますが、
タブレットは、 1つの道を通行しようとするときに、1つの列車しか走れないために、その線路を走る許可を出している物
てな感じかな。
通行手形は、例えば東海道を旅する時に、東海道に1人以上の旅人が旅をしているが、
タブレットは、単線の線路を走行する時に、単線の線路に1列車しか走行していない。
という感じ。
上手く説明できなくてごめんなさい。
分かりやすい、解説ありがとうございました。お互い、必ずすれ違いが、できる、画期的なシステムだったのですねm(__)m
そうですね。あまり電子機器が発達していない昔にしては、画期的なシステムだったのだと思います。
気動車は電車じゃなくて列車ですよ
?
画質の件は仕方無い事ですよ(笑
あと動画に出て来た急行「紀州」ですが,別の列車と併結していたのですか?
博多大吉?