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増結!これぞキハ82型の真骨頂!スマートで美しいデザイン!パノラミックウインドウが似合いますね。
非電化鉄路のクイーンと呼ばれた所以なんでしょうね
電車では157系、客車では20系、気動車では80系が、芸術性の高い車両だと、私は思います。
ワイが好きなのは、気動車はキハ82、客車はスハフ42、電車は485系100番台😉
@@psychedelicraspberry517 485系100番代という、シロート目には0番代と区別がつかない車両を選ぶのがイイですね!
来年70になるわたしが高卒で入った会社の出張で札幌から網走まで乗りました。食堂車でカレーを食べた覚えがあります。途中の停車駅にお袋の故郷があり窓にへばり付いてみました。エアサスの乗り心地はいまだに忘れられません。アップありがとうございました。
オホーツク5号の食堂車(キシ80 37)を利用した際、パンク台車かのように乗り心地が悪い上に横揺れが酷く、みそ汁を口元に運ぶのも揺れに合わせながら焼肉定食をいただきました。翌日も同じ車両で食事をしましたが乗り心地は良く、前夜の揺れは何だったんろうかと思っていました。
この増結にはわけがあって勿論北見からの乗客が増えるのもあるのですが、一番の要因は網走の屋根付き車庫が7両分しかないことです。実は7両分になったのはヨンナナサンダイヤ改正からで、それまでは6両分しかなかったのです。そのため特急おおとりが釧路行きを分離して網走編成単独になったヨンゴウトウダイヤ改正からヨンナナサンダイヤ改正まではおおとりに食堂車が連結されていませんでした。おおとりのような長距離列車は当日折返しできないので夜間停泊になるが極寒の冬季では早朝にエンジンの凍結が心配されるために車庫が必要だったのです。当時は特急に食堂車があるのはは当たり前だったので苦渋の決断だっのです。
追伸、北見増結編成ができたのは当時の特急おおぞら5号と2号の函館と札幌間が廃止されて183系気動車が本格運用されて石勝線が開通した1981年10月ダイヤ改正からで、当時は基本編成7両に増結編成3両の10両編成だった。特急オホーツクに折り返せばって思うかもしれないが、特急オホーツクはヨンナナトウダイヤ改正で急行大雪1往復格上げで誕生しており石北本線の特急はおおとりしかなかった時代です。まだまだ特急が特別急行の時代です。
うろ覚えですが10月28日の上りおおとりが7+3の10両編成でしたが、ビデオで撮っていないのが今でも悔やまれます
とても懐かしいです。網走から函館まで乗りました。この動画のとおり、北見で2輛増結も見学することができました・・・
北見での増結や分割は、おおとり乗車での楽しみのひとつでしたね。
カラカラいい音ですねー
今でもカラカラ音を聞くと心が躍り癒されます。
DMH17の独特の音ですね。
高校の修学旅行で東京・京都へ行くのに、北見からおおとりに乗って函館まで行ったのがちょうどこのころですね…懐かしいなあ。青森へ渡るのに生まれて初めての青函連絡船で興奮したな。
おおとり乗車で修学旅行がスタートし青函連絡船に乗船。長丁場の移動だったと思いますが私からすると羨ましい限りです。どのような日程で修学旅行をされたのかすごく気になります。
廃線も心配される石北線が、昔々は9両編成の特急列車があったことは信じられないですよね😓
当時は183系オホーツクを含めグリーン車連結の7両編成でした。その中でもおおとりの9両編成は見応えがありましたが今ではモノクラス3両編成でしょか?旭川紋別道路ができ石北本線は危機的状況となっているようですが、物流の事を考えると残って欲しいですね。
運転台と中間車の増結はもえますねぇ最近はほとんど見られなくなりましたね。
ほとんど見られなくて寂しい限りです。模型の世界で再現と言う事になるでしょうか?
@@ムラサキチチブ 運転台同士の連結がラク
今でも地方の気動車特急ではそういう増結ありますよ。スーパーまつかぜとか南風とか。
大好きなキハ82😊非電化のクイーンのDMH17Hのアイドリング音がたまりませんね180 PS / 1,500 rpm がこの後炸裂ですね♪♪
こんなに巨体なのに、私が乗ってる車よりも120PSも低いとは。でも国鉄の頃は一部の例外を除き、外国製エンジンが使えなかったと聞いたので仕方無かったのかなと。
定期でDMH17系のアイドリング音を楽しめるのは唯一小湊鉄道のキハ200。カラカラという 心地よいアイドル音聞きながら目を閉じるとキハ200がキハ82に思えてしまいます。
横型のDMH17Hと縦型のDMH17Cはかなり音が違いますよ
@@二代目魔耶麻一漏さんNAな上に当時の非効率な設計のエンジンですからね。ただ、トルクはかなりあります。180PS/1500rpmなので、この時点では64.5kgmになります。TC2やDF115はストールトルクが4強ありますから、変速段でのトルクは最大で260kgmを超えます。
「おおとり」は昭和52年頃は始発終着通しで7両編成だった。道内で函館始発の時点で単独は「おおとり」と、「北斗」1往復のみだった。千歳空港駅開業、札幌中心になった昭和55年ダイヤ改正で、北見にて増解結を行う様になった。
昭和45年10月のダイヤ改正でおおぞら編成から分離され、青函トンネル開業前日まで7両編成で函館発着を貫きましたね。
(おおとり)は何度も乗り七号車に一度だけ乗った事があります。運転席見れたのが思い出です。
この日の札幌駅停車時間に9号車の運転席を見せていただけました。
このエンジン音が素晴らしい!
客室に轟くキハ181系のターボサウンドも魅力的でしたが、非力でもDMH17Hのエンジン音が今でも好きでした。
@@kishi8037さまどちらも素晴らしいです。181は岡山から四国周りしたとき何度か乗りました。加速する時途中から直結段に入るのでしょうか、かすかにドロンと衝撃を感じて切り替わる瞬間が大好きでした。181に乗る時はなぜか土砂降りが多かったです。地元の廃線になった路線のキハ20で汽車大好きになりました。当時は朝は20の四連奏が毎日。今思えばとても贅沢な環境が身近でした。181は天井いっぱいのラジエーターが圧巻でしたね。
この頃、北見でDE10の入換機関車で、連結していました。旅客の居る車両に連結、緊張しながら、操車の合図を見ながら連結していました。懐かしい映像ありがとうございます。
操車担当されていたのですか?悪天候時や暑い時、寒い時もお疲れ様でした。
@ さん、操車でなく、当時は機関士でした。入換機関車で連結していました。
@まさひろはやさか 様失礼しました、機関士さんは小さい頃のあこがれでした。
熟練の技を持っても旅客のいる車両への連結はさぞ神経を使われた事でしょうね。
@@kishi8037さん、お客様を怪我させるわけにいかないので、細心の注意払って連結していました。
国鉄型の車両はデッキの佇まいだけでも旅情をかき立てられます。
まさにその通りですね。
連結カッコいい。
この増結編成が個人的に好きです。
「変態編成」👍近年ではキハ85でもありましたね👍
今では特急列車の切り離しや増結作業が数か所でしかみられなくなりましたね。
そんなに減ってしまったのですね。今や貴重な風景ですね。
一般的な増結、解結は運転席付きの先頭車両同士の顔合わせとなりますが、中間車が境界になる珍しい光景です。その性質上、最後尾の運転席から操作する推進運転での増結となりますね。
先頭車からのサービス電源供給容量は自車を含め4両、食堂車が入ると自車を含め3両となります。8両以上の編成には必ず先頭車を組み込まなければならず、このような編成となってしまいます。
いいですね。北海道にはキハ 80 系が似合う。玄関口が函館から札幌に変わったといえども、やっぱり長距離を走るといえば増結・解結は、つきもの。これが駅なんかで見れたら興奮モノ。この快感は、鉄ちゃんじゃなけりゃわからない。昔は編成両数も多いから楽しめたけど、今はダメ。4 両だもの…。
航空機の需要の高さや高速道路網の整備で移動手段が多様になり、昔のような長距離を走る列車の必要性が無くなりましたね。キハ80系特急と言えば基本7両編成なので、増結や解結時はひと時の楽しみでしたね。今では4両編成ですか…寂しすぎますね。
キハ80系は中間車が2エンジン車なので、例えばキハ261系のエンジンと変速機と対応する減速機に載せ換えてしまえば、メチャンコ走る車両に早変わりしてしまいますね。ただ、最高速度はブレーキの都合上100km/h止まりですけど。
随分とホームで撮影しているギャラリーが多いと思ったら、キハ82『おおとり』の最終日でしょうか?キハ82だけでなく在来線昼行特急食堂車の終焉でもありますね
最終日でギャラリーが多いだろうと考えダッシュして反対側のホームから撮りました。網走行き583Dが入線しカメラの前で停車するハプニングがあり、カメラ移動したりと停車時間の7分間は慌ただしく過ぎスリル感たっぷりでした。乗り遅れた時は583Dに乗車し女満別駅に向かい、女満別空港から千歳空港へ東亜国内航空(TDA)で飛び、再びおおとりに乗車するルートも考えておきました。
キハ80懐かしい!おおとりやないけど名古屋駅から那智まで南紀に乗ったな。1987年、ぼくが小2の夏に。
臨時北斗運用が終わったあとは最後のひだ運用を見届けました。その後南紀を撮りに何度か訪問しましたが撮影にかまけて全区間乗車はしませんでした。今思えば記念乗車しておけば良かったと思っています。
@kishi8037 タイム・マシンがあったらのりにいきたい。
@@K-Dra-n9g おっしゃる通りですね。欲を言えば今の機材を持って。
@@kishi8037 ぼくはスマホ📲もち動画で撮り現代に帰ったらUA-camに!
これぞ昭和の地方国鉄良い動画有り難うございました。推進運転で連結それでも事故なし正に国鉄マンの熟練した技今の鉄道からは昔ばなしですね。
さすが熟練した技の一言に尽きますね。
懐かしい増結シーンですね。この撮影の前年の夏に北海道を旅しました。その道中、北見駅から網走駅までキハ80系の特急に乗りました。出発前に北見駅前の東急百貨店のレストラン街で食べた屯田定食の美味しかった記憶が甦ります。ところで私は紀勢本線の白浜駅で天王寺行き特急「くろしお」の増結作業を見たことがあります。485系じゃないですよ。キハ80系2両の増結ですよ。乗車する車両が増結編成で、作業が終了するまでホームで長く待たされた記憶があります。
屯田定食、どのような献立なのか気になりますね。DCくろしおの白浜増結は多客期だけだったのでしょうか?こちらも気になります。
同じ顔のが来るのではないのですね。おおとりは、網走行きだったと思いますが、ずいぶん前からありましたね。
おおとりがデビューした時は函館ー札幌間を、おおぞらと併結運転していました。その時は同じ顔同士の連結となっていました。
昔は宗谷を1両名寄で増結していた。人件費高騰の今ではまずありえない光景だ
人件費高騰と言う言葉でサービス低下はいただけませんねぇ。
@@hasinomoto 両運転台車が多かったから、運転台同士で連結してほしいものです😐 その方が安全かつ人数も少なく済む😀
JR四国みたいな連結のしかたですね
キハ185系時代のしおかぜ・いしづちの一部で行われていたようですね。
一旦停止無しで連結するのですね?
網走行き583Dが入線しカメラの前で停車するハプニング。撮影を一時中断しカメラを移動した経緯から途中からの撮影となりましたが、一旦停止は行われていました
この時代でも増結作業のギャラリーがいたのは驚き!
この日で見納めとなる増結風景なので、惜別乗車客が普段より多くいたものと思います。ちなみにこの年の1月11日は私一人だったような記憶が残っています。
キハ80が北見で連結と切り離しを行う理由は、釧路に向かう際に車庫の全長が7両編成分しかないとのことで、北見では後ろの2両編成を切り離し及び連結を行っていました。今はどうですかね。
車庫長7両は厳冬期の夜間停泊の際、エンジン凍結防止のためと耳にしました。今ではモノクラス3両編成が所定ようです。
@@kishi8037 エンジン凍結はあかんですよね確かに。
謎だ。何で後ろで見えないはずなのに、ピッタリ止められるの?
連結作業に携わる方々と運転手の熟練した技の連携ではないでしょうか。
誘導係が居るからね
変態連結最高ッ😆💦‼️
キハ181系や485系、キハ85系でも変態連結がありましたね。
運転台なしでは危ないよ😖😫😭
運転台がない増結は運転士の他に操車係(運転士を誘導する駅員)、構内係(ブレーキ管や幌を接続する駅員)、検修係(ジャンパー線を接続する運転系統の駅在勤)が連携して行うので安全は確保されていますよ。
これは急行宗谷での名寄駅でもやっていました
@@中村主水-y2r 両運転台車の方が多いよ😀
増結!これぞキハ82型の真骨頂!
スマートで美しいデザイン!
パノラミックウインドウが似合いますね。
非電化鉄路のクイーンと呼ばれた所以なんでしょうね
電車では157系、客車では20系、気動車では80系が、芸術性の高い車両だと、私は思います。
ワイが好きなのは、気動車はキハ82、客車はスハフ42、電車は485系100番台😉
@@psychedelicraspberry517 485系100番代という、シロート目には0番代と区別がつかない車両を選ぶのがイイですね!
来年70になるわたしが高卒で入った会社の出張で札幌から網走まで乗りました。
食堂車でカレーを食べた覚えがあります。
途中の停車駅にお袋の故郷があり窓にへばり付いてみました。
エアサスの乗り心地はいまだに忘れられません。
アップありがとうございました。
オホーツク5号の食堂車(キシ80 37)を利用した際、パンク台車かのように乗り心地が悪い上に横揺れが酷く、みそ汁を口元に運ぶのも揺れに合わせながら焼肉定食をいただきました。翌日も同じ車両で食事をしましたが乗り心地は良く、前夜の揺れは何だったんろうかと思っていました。
この増結にはわけがあって勿論北見からの乗客が増えるのもあるのですが、一番の要因は網走の屋根付き車庫が7両分しかないことです。実は7両分になったのはヨンナナサンダイヤ改正からで、それまでは6両分しかなかったのです。そのため特急おおとりが釧路行きを分離して網走編成単独になったヨンゴウトウダイヤ改正からヨンナナサンダイヤ改正まではおおとりに食堂車が連結されていませんでした。おおとりのような長距離列車は当日折返しできないので夜間停泊になるが極寒の冬季では早朝にエンジンの凍結が心配されるために車庫が必要だったのです。当時は特急に食堂車があるのはは当たり前だったので苦渋の決断だっのです。
追伸、北見増結編成ができたのは当時の特急おおぞら5号と2号の函館と札幌間が廃止されて183系気動車が本格運用されて石勝線が開通した1981年10月ダイヤ改正からで、当時は基本編成7両に増結編成3両の10両編成だった。特急オホーツクに折り返せばって思うかもしれないが、特急オホーツクはヨンナナトウダイヤ改正で急行大雪1往復格上げで誕生しており石北本線の特急はおおとりしかなかった時代です。まだまだ特急が特別急行の時代です。
うろ覚えですが10月28日の上りおおとりが7+3の10両編成でしたが、ビデオで撮っていないのが今でも悔やまれます
とても懐かしいです。
網走から函館まで乗りました。
この動画のとおり、北見で2輛増結も見学することができました・・・
北見での増結や分割は、おおとり乗車での楽しみのひとつでしたね。
カラカラ
いい音ですねー
今でもカラカラ音を聞くと心が躍り癒されます。
DMH17の独特の音ですね。
高校の修学旅行で東京・京都へ行くのに、北見からおおとりに乗って函館まで行ったのがちょうどこのころですね…懐かしいなあ。
青森へ渡るのに生まれて初めての青函連絡船で興奮したな。
おおとり乗車で修学旅行がスタートし青函連絡船に乗船。長丁場の移動だったと思いますが私からすると羨ましい限りです。どのような日程で修学旅行をされたのかすごく気になります。
廃線も心配される石北線が、昔々は9両編成の特急列車があったことは信じられないですよね😓
当時は183系オホーツクを含めグリーン車連結の7両編成でした。その中でもおおとりの9両編成は見応えがありましたが今ではモノクラス3両編成でしょか?旭川紋別道路ができ石北本線は危機的状況となっているようですが、物流の事を考えると残って欲しいですね。
運転台と中間車の増結はもえますねぇ
最近はほとんど見られなくなりましたね。
ほとんど見られなくて寂しい限りです。模型の世界で再現と言う事になるでしょうか?
@@ムラサキチチブ 運転台同士の連結がラク
今でも地方の気動車特急ではそういう増結ありますよ。スーパーまつかぜとか南風とか。
大好きなキハ82😊非電化のクイーンのDMH17Hのアイドリング音がたまりませんね180 PS / 1,500 rpm がこの後炸裂ですね♪♪
こんなに巨体なのに、私が乗ってる車よりも120PSも低いとは。
でも国鉄の頃は一部の例外を除き、外国製エンジンが使えなかったと聞いたので仕方無かったのかなと。
定期でDMH17系のアイドリング音を楽しめるのは唯一小湊鉄道のキハ200。カラカラという 心地よいアイドル音聞きながら目を閉じるとキハ200がキハ82に思えてしまいます。
横型のDMH17Hと縦型のDMH17Cはかなり音が違いますよ
@@二代目魔耶麻一漏さん
NAな上に当時の非効率な設計のエンジンですからね。ただ、トルクはかなりあります。180PS/1500rpmなので、この時点では64.5kgmになります。TC2やDF115はストールトルクが4強ありますから、変速段でのトルクは最大で260kgmを超えます。
「おおとり」は昭和52年頃は始発終着通しで7両編成だった。道内で函館始発の時点で単独は「おおとり」と、「北斗」1往復のみだった。千歳空港駅開業、札幌中心になった昭和55年ダイヤ改正で、北見にて増解結を行う様になった。
昭和45年10月のダイヤ改正でおおぞら編成から分離され、青函トンネル開業前日まで7両編成で函館発着を貫きましたね。
(おおとり)は何度も乗り七号車に一度だけ乗った事があります。運転席見れたのが思い出です。
この日の札幌駅停車時間に9号車の運転席を見せていただけました。
このエンジン音が素晴らしい!
客室に轟くキハ181系のターボサウンドも魅力的でしたが、非力でもDMH17Hのエンジン音が今でも好きでした。
@@kishi8037さま
どちらも素晴らしいです。
181は岡山から四国周りしたとき何度か乗りました。
加速する時途中から直結段に入るのでしょうか、
かすかにドロンと衝撃を感じて切り替わる瞬間が大好きでした。
181に乗る時はなぜか土砂降りが多かったです。
地元の廃線になった路線のキハ20で汽車大好きになりました。
当時は朝は20の四連奏が毎日。
今思えばとても贅沢な環境が身近でした。
181は天井いっぱいのラジエーターが圧巻でしたね。
この頃、北見でDE10の入換機関車で、連結していました。旅客の居る車両に連結、緊張しながら、操車の合図を見ながら連結していました。懐かしい映像ありがとうございます。
操車担当されていたのですか?悪天候時や暑い時、寒い時もお疲れ様でした。
@ さん、操車でなく、当時は機関士でした。入換機関車で連結していました。
@まさひろはやさか 様失礼しました、機関士さんは小さい頃のあこがれでした。
熟練の技を持っても旅客のいる車両への連結はさぞ神経を使われた事でしょうね。
@@kishi8037さん、お客様を怪我させるわけにいかないので、細心の注意払って連結していました。
国鉄型の車両はデッキの佇まいだけでも旅情をかき立てられます。
まさにその通りですね。
連結カッコいい。
この増結編成が個人的に好きです。
「変態編成」👍
近年ではキハ85でもありましたね👍
今では特急列車の切り離しや増結作業が数か所でしかみられなくなりましたね。
そんなに減ってしまったのですね。今や貴重な風景ですね。
一般的な増結、解結は運転席付きの先頭車両同士の顔合わせとなりますが、中間車が境界になる珍しい光景です。
その性質上、最後尾の運転席から操作する推進運転での増結となりますね。
先頭車からのサービス電源供給容量は自車を含め4両、食堂車が入ると自車を含め3両となります。8両以上の編成には必ず先頭車を組み込まなければならず、このような編成となってしまいます。
いいですね。北海道にはキハ 80 系が似合う。玄関口が函館から札幌に変わったといえども、やっぱり長距離を走るといえば増結・解結は、つきもの。これが駅なんかで見れたら興奮モノ。この快感は、鉄ちゃんじゃなけりゃわからない。昔は編成両数も多いから楽しめたけど、今はダメ。4 両だもの…。
航空機の需要の高さや高速道路網の整備で移動手段が多様になり、昔のような長距離を走る列車の必要性が無くなりましたね。キハ80系特急と言えば基本7両編成なので、増結や解結時はひと時の楽しみでしたね。今では4両編成ですか…寂しすぎますね。
キハ80系は中間車が2エンジン車なので、例えばキハ261系のエンジンと変速機と対応する減速機に載せ換えてしまえば、メチャンコ走る車両に早変わりしてしまいますね。ただ、最高速度はブレーキの都合上100km/h止まりですけど。
随分とホームで撮影しているギャラリーが多いと思ったら、キハ82『おおとり』の最終日でしょうか?
キハ82だけでなく在来線昼行特急食堂車の終焉でもありますね
最終日でギャラリーが多いだろうと考えダッシュして反対側のホームから撮りました。網走行き583Dが入線しカメラの前で停車するハプニングがあり、カメラ移動したりと停車時間の7分間は慌ただしく過ぎスリル感たっぷりでした。
乗り遅れた時は583Dに乗車し女満別駅に向かい、女満別空港から千歳空港へ東亜国内航空(TDA)で飛び、再びおおとりに乗車するルートも考えておきました。
キハ80懐かしい!おおとりやないけど名古屋駅から那智まで南紀に乗ったな。1987年、ぼくが小2の夏に。
臨時北斗運用が終わったあとは最後のひだ運用を見届けました。その後南紀を撮りに何度か訪問しましたが撮影にかまけて全区間乗車はしませんでした。今思えば記念乗車しておけば良かったと思っています。
@kishi8037 タイム・マシンがあったらのりにいきたい。
@@K-Dra-n9g おっしゃる通りですね。欲を言えば今の機材を持って。
@@kishi8037 ぼくはスマホ📲もち動画で撮り現代に帰ったらUA-camに!
これぞ昭和の地方国鉄良い動画有り難うございました。推進運転で連結それでも事故なし正に国鉄マンの熟練した技今の鉄道からは昔ばなしですね。
さすが熟練した技の一言に尽きますね。
懐かしい増結シーンですね。この撮影の前年の夏に北海道を旅しました。その道中、北見駅から網走駅までキハ80系の特急に乗りました。出発前に北見駅前の東急百貨店のレストラン街で食べた屯田定食の美味しかった記憶が甦ります。
ところで私は紀勢本線の白浜駅で天王寺行き特急「くろしお」の増結作業を見たことがあります。485系じゃないですよ。キハ80系2両の増結ですよ。乗車する車両が増結編成で、作業が終了するまでホームで長く待たされた記憶があります。
屯田定食、どのような献立なのか気になりますね。
DCくろしおの白浜増結は多客期だけだったのでしょうか?こちらも気になります。
同じ顔のが来るのではないのですね。おおとりは、網走行き
だったと思いますが、ずいぶん前からありましたね。
おおとりがデビューした時は函館ー札幌間を、おおぞらと併結運転していました。その時は同じ顔同士の連結となっていました。
昔は宗谷を1両名寄で増結していた。人件費高騰の今ではまずありえない光景だ
人件費高騰と言う言葉でサービス低下はいただけませんねぇ。
@@hasinomoto 両運転台車が多かったから、運転台同士で連結してほしいものです😐 その方が安全かつ人数も少なく済む😀
JR四国みたいな連結のしかたですね
キハ185系時代のしおかぜ・いしづちの一部で行われていたようですね。
一旦停止無しで連結するのですね?
網走行き583Dが入線しカメラの前で停車するハプニング。撮影を一時中断しカメラを移動した経緯から途中からの撮影となりましたが、一旦停止は行われていました
この時代でも増結作業のギャラリーがいたのは驚き!
この日で見納めとなる増結風景なので、惜別乗車客が普段より多くいたものと思います。ちなみにこの年の1月11日は私一人だったような記憶が残っています。
キハ80が北見で連結と切り離しを行う理由は、釧路に向かう際に車庫の全長が7両編成分しかないとのことで、北見では後ろの2両編成を切り離し及び連結を行っていました。今はどうですかね。
車庫長7両は厳冬期の夜間停泊の際、エンジン凍結防止のためと耳にしました。今ではモノクラス3両編成が所定ようです。
@@kishi8037 エンジン凍結はあかんですよね確かに。
謎だ。何で後ろで見えないはずなのに、ピッタリ止められるの?
連結作業に携わる方々と運転手の熟練した技の連携ではないでしょうか。
誘導係が居るからね
変態連結最高ッ😆💦‼️
キハ181系や485系、キハ85系でも変態連結がありましたね。
運転台なしでは危ないよ😖😫😭
運転台がない増結は運転士の他に操車係(運転士を誘導する駅員)、構内係(ブレーキ管や幌を接続する駅員)、検修係(ジャンパー線を接続する運転系統の駅在勤)が連携して行うので安全は確保されていますよ。
これは急行宗谷での名寄駅でもやっていました
@@中村主水-y2r 両運転台車の方が多いよ😀