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懐かしいです。その昔では旭川行きでしたね。夏季臨時では網走迄脚を伸ばしていました。当時は函館中心のダイヤが組まれていましたね
貴重な車内放送のアップ、ありがとうございます。この何年か前に札幌→函館で乗車しました。まだ食堂車が連結されていて、最後の記念に食堂車で食事をしたのが思い出されます。山線の廃止が決定的になるとは、当時は考えもしませんでした。
anklady様コメントありがとうございます。山線は函館から札幌まで行く際に北海で2度ほど通りました。車窓から初めて見た羊蹄山の美しい姿にとても感動したことが思い出されます。新幹線になると移動は便利になりますが、トンネルばかりになってしまうので、山線の車窓からの素晴らしい風景が見られなくなってしまうかと思うととても残念な気持ちです。
とてもとても懐かしいです。有難うございます。この車掌さん、北海4号でお世話になりました。札幌発車時のアナウンスの冒頭は「おばんでございます。」ではじまりました。味のある放送は印象に残っています。
コメントありがとうございます。始発駅発車後は停車駅と到着時刻の案内から入るのがほとんどかと思いますが、この車掌さんはまず停車駅案内に始まり、札幌での接続列車も天北まで案内されるなど、とても親切、丁寧な放送をしてくれました。私もこの車掌さんの担当で、且つ車内放送を録音できて本当に良かったと思っています。
1980年の3月に乗車しました。懐かしい。明け方の噴火湾で、どこからともなく(どなたかのラジオでしょうか)寺尾聰「ルビーの指環」が聞こえてきました。TBS「ザ・ベストテン」で12週連続1位となるなど爆発的なヒットとなったのは、4月以降です。車内オルゴール「ブラームスの子守歌」もこの時が初めてでした。アップ、本当にありがとうございます。
懐かしい音声ありがとうございます。約40年ほど前ですが、懐かしさと共に今では考えられない放送でした。1986年10月というと国鉄最後のダイヤ改正の頃で、山線はもう特殊電子連動閉塞に変わっていたでしょうか。私もその1~2年ほど前に上りか下りか忘れましたが夕方運転のキハ82系「北海」に乗車して、冬で車窓が真っ暗な中、食堂車でイカ焼きと黒ビールをいただきました。食堂車の利用客がほとんど居なくてなぜかこの時のことを覚えています。1986年当時乗車記念のスタンプを無料で配布していたのは知りませんでした。乗車記念のオレンジカードとかを車掌さんが車内を回って販売していた記憶はあります。山線に入ってから頻繁に停車していますが、黒松内に停車していたとは思いませんでした。目名には停車しなかったのですね。ニセコに駅員が居ないというのも意外で、ということはすでに特殊電子連動閉塞だったのでしょうね。札幌到着前信号開通待ちというのも、数分遅延すると札幌付近は列車が輻輳していますからさらに待たされたのでしょう。「北海1号」が札幌から「おおぞら3号」になるのも驚きで、昔だったら「おおぞら」として函館から通しだったのでしょうし、お客さんは一旦ホームに降りる必要もなかったと思います。1986年に胆振線がまだあったことも驚きでした。貴重な音声ありがとうございました。
@user-yn2sf6gi6y 様ご丁寧なコメントありがとうございます。この車内放送は北海が廃止になる1週間前に乗車した際に録音したもので、そのタイミングで乗車記念のスタンプを押した用紙を配布していたのだと思います。その用紙は今でも大切にとってあります。当時指定席でしたが、廃止1週間前でも車内は閑散としていて途中駅での乗降もほとんどありませんでした。函館を後から発車する北斗1号の方が札幌に先着してしまうのですから、通しで乗る乗客が少ないのも仕方がないことだったのかもしれません。私はこの北海1号には2回乗車しまして、キハ82系が好きだったのと車窓から羊蹄山や旧張碓駅あたりの日本海沿いの風景を見たくて、札幌まで時間がかかっても北海を利用したものです。札幌ではヘッドマークが北海からおおぞらに付け替えられた姿も見まして、可愛らしくてこちらもよく似合っていました。
@@ラビタロ 様、こちらこそ丁寧なご返事をいただきありがとうございます。40年近く前のことで1986年10月ダイヤ改正で「北海」が廃止になったことすら忘れておりました。もしかしたら録音時はぎりぎりまだ通票閉塞だったのかもしれません。別の方の動画で比羅夫が駅員配置で閉塞していたので、もしかしてニセコは閉塞がなく当時駅員無配置(あるいは日中のみ駅員配置)だったのかもしれません。後年「ニセコエクスプレス」や「C62ニセコ」が運転されて駅員が復活したのかもしれませんね。ご指摘のように私が利用した時も「北海」は利用者が少なかったですから廃止もやむを得なかったのかもしれません。現在模型でKATO(16番)のキハ82系7B(キロ・キシ入り)の「北海」編成を所有しており、拙動画にも少し出ていますがDCCサウンド化して楽しんでおります。ちょうど今デコーダー交換などいじっており、いつかまた模型の動画を上げられたらと思っております。貴重な動画ありがとうございました。
特急北海がまだ1往復のときは特急おおぞらよりも空いていたように思う。北海よりも後に函館を出発する急行ニセコ1号は北海道ワイド周遊券が活かせたのでこちらに乗車することが多かった。当時北海道の特急は全車指定席だし、ワイド周遊券では特急券も必用であまり特急には乗らなかった。それでも北海には何度かお世話になった。
@@さいだいちつのすけ 北海の廃止とともに通票閉塞が廃止になりました。それまでの山線は全ての駅で交換可能で棒線駅はありません。ニセコは駅員がいないということではなくタブレット閉塞なので運転扱いの駅員は常駐していて出改札は多分このころは日中の時間帯のみ民間会社に委託していたんじゃなかったかと思います。北海の到着が7時代なので委託さんがまだいなかった可能性あります。
小学校の頃、かもめで京都から小郡(新山口)に乗って食堂車にも連れて行ってもらいました。後は、小郡から松江までおきで、そこから181系の出雲だと思いますが岡山へ、岡山から新幹線で小郡まで1日で帰りました。連れて行ってくれた親父は認知で施設へ、お袋はもう仏壇へ収まっています。後、高校の頃、札幌の叔母の家へ遊びに行くのに、新幹線で東京、上野から青森まではつかり、青函連絡船で函館、函館からおおそらかなんかで札幌へ、おおそらが81系でした。
81は北海道で運用実績ないけど()中途半端な知ったかぶりコメで馬脚を現す(大草原)
ごめんなさい、82系の間違いでしたね。別に知ったかぶりを知ったかぶりをしている訳ではなかったのですが、本当のごめんなさい。しかし、貴殿の文章はなぜ上目線的な文章なんでしょうか。その割に良く「馬脚」なんて言葉をご存じでしたね。尊敬致します。日頃から、良く勉強をされているのですね。素晴らしい。
函館から長万部まで全て通過だったのですか?山線にも特急が走っていたのですね。瀬棚線とか胆振線とかの乗り換え案内が歴史を感じます
浅尾嘉男様コメントありがとうございます。仰る通りで、北海1号は函館から長万部まで通過でした。北海1号に続いて10分後に発車する北斗1号がありましたので、そちらが途中の森や八雲に停車していたと思います。
別の音声も聞いたことあるのですが、北海1号が札幌到着後に帯広行きのおおぞら3号になるのですね
メンタンピン様 0:57 コメントありがとうございます。仰る通りで、札幌到着後に「おおぞら」のヘッドマークに変わったのも見ました。
車内放送で旅のテンションが上がります。この時代の車掌さんの放送は、正にプロ!今は自動で実に味気ない。
この当時は職場内教育で、NHKアナウンサーが車掌区を訪れてアナウンスの仕方やアナウンス原稿の書き方などを指導されていました。
特別急行というアナウンスが最高です。
新幹線の札幌延伸に伴って今度は新幹線として『北海』の名前が復活しないかな?
北斗星のときにもそれは思いました。「寝台特急 北海」北斗星よりかっこよくないですか?
@@daisukehomma3589 北斗星だと在来線ですね。札幌~函館間のキハ261系特急『北斗星』
新幹線の名称は基本簡単なひらがなが多いので、無いと思います
@@たつさまアシュラ それなら平仮名で『ほっかい』でいいのではないですか?
妄想・妄言乙(大草原)
青函連絡船からの乗り継ぎというのもあったのでしょうが、朝4時台出発って今から考えられませんね
コメントありがとうございます。当時は函館4:40発の北海1号と4:50発の北斗1号がありました。
車販アナウンスの声が、今の女性とトーンが違う...
懐かしいです。
その昔では旭川行きでしたね。夏季臨時では網走迄脚を伸ばしていました。当時は函館中心のダイヤが組まれていましたね
貴重な車内放送のアップ、ありがとうございます。この何年か前に札幌→函館で乗車しました。
まだ食堂車が連結されていて、最後の記念に食堂車で食事をしたのが思い出されます。
山線の廃止が決定的になるとは、当時は考えもしませんでした。
anklady様
コメントありがとうございます。
山線は函館から札幌まで行く際に北海で2度ほど通りました。車窓から初めて見た羊蹄山の美しい姿にとても感動したことが思い出されます。新幹線になると移動は便利になりますが、トンネルばかりになってしまうので、山線の車窓からの素晴らしい風景が見られなくなってしまうかと思うととても残念な気持ちです。
とてもとても懐かしいです。有難うございます。この車掌さん、北海4号でお世話になりました。札幌発車時のアナウンスの冒頭は「おばんでございます。」ではじまりました。味のある放送は印象に残っています。
コメントありがとうございます。
始発駅発車後は停車駅と到着時刻の案内から入るのがほとんどかと思いますが、この車掌さんはまず停車駅案内に始まり、札幌での接続列車も天北まで案内されるなど、とても親切、丁寧な放送をしてくれました。私もこの車掌さんの担当で、且つ車内放送を録音できて本当に良かったと思っています。
1980年の3月に乗車しました。懐かしい。明け方の噴火湾で、どこからともなく(どなたかのラジオでしょうか)寺尾聰「ルビーの指環」が聞こえてきました。TBS「ザ・ベストテン」で12週連続1位となるなど爆発的なヒットとなったのは、4月以降です。車内オルゴール「ブラームスの子守歌」もこの時が初めてでした。アップ、本当にありがとうございます。
懐かしい音声ありがとうございます。約40年ほど前ですが、懐かしさと共に今では考えられない放送でした。1986年10月というと国鉄最後のダイヤ改正の頃で、山線はもう特殊電子連動閉塞に変わっていたでしょうか。私もその1~2年ほど前に上りか下りか忘れましたが夕方運転のキハ82系「北海」に乗車して、冬で車窓が真っ暗な中、食堂車でイカ焼きと黒ビールをいただきました。食堂車の利用客がほとんど居なくてなぜかこの時のことを覚えています。1986年当時乗車記念のスタンプを無料で配布していたのは知りませんでした。乗車記念のオレンジカードとかを車掌さんが車内を回って販売していた記憶はあります。山線に入ってから頻繁に停車していますが、黒松内に停車していたとは思いませんでした。目名には停車しなかったのですね。ニセコに駅員が居ないというのも意外で、ということはすでに特殊電子連動閉塞だったのでしょうね。札幌到着前信号開通待ちというのも、数分遅延すると札幌付近は列車が輻輳していますからさらに待たされたのでしょう。「北海1号」が札幌から「おおぞら3号」になるのも驚きで、昔だったら「おおぞら」として函館から通しだったのでしょうし、お客さんは一旦ホームに降りる必要もなかったと思います。1986年に胆振線がまだあったことも驚きでした。貴重な音声ありがとうございました。
@user-yn2sf6gi6y 様
ご丁寧なコメントありがとうございます。
この車内放送は北海が廃止になる1週間前に乗車した際に録音したもので、そのタイミングで乗車記念のスタンプを押した用紙を配布していたのだと思います。その用紙は今でも大切にとってあります。
当時指定席でしたが、廃止1週間前でも車内は閑散としていて途中駅での乗降もほとんどありませんでした。函館を後から発車する北斗1号の方が札幌に先着してしまうのですから、通しで乗る乗客が少ないのも仕方がないことだったのかもしれません。
私はこの北海1号には2回乗車しまして、キハ82系が好きだったのと車窓から羊蹄山や旧張碓駅あたりの日本海沿いの風景を見たくて、札幌まで時間がかかっても北海を利用したものです。
札幌ではヘッドマークが北海からおおぞらに付け替えられた姿も見まして、可愛らしくてこちらもよく似合っていました。
@@ラビタロ 様、こちらこそ丁寧なご返事をいただきありがとうございます。40年近く前のことで1986年10月ダイヤ改正で「北海」が廃止になったことすら忘れておりました。もしかしたら録音時はぎりぎりまだ通票閉塞だったのかもしれません。別の方の動画で比羅夫が駅員配置で閉塞していたので、もしかしてニセコは閉塞がなく当時駅員無配置(あるいは日中のみ駅員配置)だったのかもしれません。後年「ニセコエクスプレス」や「C62ニセコ」が運転されて駅員が復活したのかもしれませんね。ご指摘のように私が利用した時も「北海」は利用者が少なかったですから廃止もやむを得なかったのかもしれません。現在模型でKATO(16番)のキハ82系7B(キロ・キシ入り)の「北海」編成を所有しており、拙動画にも少し出ていますがDCCサウンド化して楽しんでおります。ちょうど今デコーダー交換などいじっており、いつかまた模型の動画を上げられたらと思っております。貴重な動画ありがとうございました。
特急北海がまだ1往復のときは特急おおぞらよりも空いていたように思う。北海よりも後に函館を出発する急行ニセコ1号は北海道ワイド周遊券が活かせたのでこちらに乗車することが多かった。当時北海道の特急は全車指定席だし、ワイド周遊券では特急券も必用であまり特急には乗らなかった。それでも北海には何度かお世話になった。
@@さいだいちつのすけ 北海の廃止とともに通票閉塞が廃止になりました。それまでの山線は全ての駅で交換可能で棒線駅はありません。
ニセコは駅員がいないということではなくタブレット閉塞なので運転扱いの駅員は常駐していて出改札は多分このころは日中の時間帯のみ民間会社に委託していたんじゃなかったかと思います。北海の到着が7時代なので委託さんがまだいなかった可能性あります。
小学校の頃、かもめで京都から小郡(新山口)に乗って食堂車にも連れて行ってもらいました。
後は、小郡から松江までおきで、そこから181系の出雲だと思いますが岡山へ、岡山から新幹線で小郡まで1日で帰りました。連れて行ってくれた親父は認知で施設へ、お袋はもう仏壇へ収まっています。
後、高校の頃、札幌の叔母の家へ遊びに行くのに、新幹線で東京、上野から青森まではつかり、青函連絡船で函館、函館からおおそらかなんかで札幌へ、おおそらが81系でした。
81は北海道で運用実績ないけど()
中途半端な知ったかぶりコメで馬脚を現す(大草原)
ごめんなさい、82系の間違いでしたね。
別に知ったかぶりを知ったかぶりをしている訳ではなかったのですが、本当のごめんなさい。
しかし、貴殿の文章はなぜ上目線的な文章なんでしょうか。その割に良く「馬脚」なんて言葉をご存じでしたね。尊敬致します。日頃から、良く勉強をされているのですね。素晴らしい。
函館から長万部まで全て通過だったのですか?
山線にも特急が走っていたのですね。瀬棚線とか胆振線とかの乗り換え案内が歴史を感じます
浅尾嘉男様
コメントありがとうございます。
仰る通りで、北海1号は函館から長万部まで通過でした。北海1号に続いて10分後に発車する北斗1号がありましたので、そちらが途中の森や八雲に停車していたと思います。
別の音声も聞いたことあるのですが、北海1号が札幌到着後に帯広行きのおおぞら3号になるのですね
メンタンピン様 0:57
コメントありがとうございます。
仰る通りで、札幌到着後に「おおぞら」のヘッドマークに変わったのも見ました。
車内放送で旅のテンションが上がります。
この時代の車掌さんの放送は、正にプロ!
今は自動で実に味気ない。
この当時は職場内教育で、NHKアナウンサーが車掌区を訪れてアナウンスの仕方やアナウンス原稿の書き方などを指導されていました。
特別急行というアナウンスが最高です。
新幹線の札幌延伸に伴って今度は新幹線として『北海』の名前が復活しないかな?
北斗星のときにもそれは思いました。「寝台特急 北海」北斗星よりかっこよくないですか?
@@daisukehomma3589
北斗星だと在来線ですね。
札幌~函館間のキハ261系特急『北斗星』
新幹線の名称は基本簡単なひらがなが多いので、無いと思います
@@たつさまアシュラ
それなら平仮名で『ほっかい』でいいのではないですか?
妄想・妄言乙(大草原)
青函連絡船からの乗り継ぎというのもあったのでしょうが、朝4時台出発って今から考えられませんね
コメントありがとうございます。
当時は函館4:40発の北海1号と4:50発の北斗1号がありました。
車販アナウンスの声が、今の女性とトーンが違う...