Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
国鉄時代の客車には、旅情が詰まっていました。レールのジョイント音とは正にこれですね!懐かしく、貴重な音源ありがとうございます!
良くある車内音は人の会話が耳障りですけど、これは余程すいていたのかジョイント音と車内放送しか聴こえず、入眠時のBGMとして最高です。旧客の時代はガラガラにすいた長大編成の鈍行も沢山走っていましたね。先日同じ区間の乗り鉄旅に行って来ました!
80年代前半、我孫子から水戸まで旧型客車に乗りました!我孫子まで当時最新の千代田線の電車だったのに、我孫子からは旧型客車、しかも扉が開けっ放しでびっくり!40年近く経つというのに、いまだに忘れられません!
私なんか.扉付近に立つてて、危うく車外に落ちそうに、なりました。😂
発車の汽笛と自連の衝動、大きな台車の独特なジョイント音、窓側足元の邪魔なヒーターボックス、ブレーキシューの音、「よく止まるまでお待ちください」「飛び乗り飛び降りおやめください」の放送、、懐かしい旅の思い出がいっぱい蘇ってきました。
+kamepo さん、貴方様のコメントで、懐かしいあの頃がよみがえりました。青春まっただ中の青春時代、毎日古い客車に乗って通学してました。走ってる時でさえ、バタンバタンと開けっ放しのドア・・今では考えられませんよね。今では完全なイベント扱いのような列車が、毎日の日常生活の中に当たり前に存在していました。スマホなんか無くていい、時間がかかってもいい、あの頃の鉄道旅行を、もう一度味わってみたい衝動が突き上がってきます。
昔、旧客で仙山線でのこと。面白山トンネルの中ほどで、一部複線になるのですが。そこで、対向の列車の待ち合わせとなりました。するとたくさんの若者が向かいの線路に降りて度胸試し。単線から複線になり突然目の前にたくさんの人が現れ警笛の嵐、対向の運転士さんもさぞかし肝を冷やしたことでしょう。彼ら、ぴょんぴょんと自分の列車に飛び乗りことなきを得ました。慣れたもんです。今なら、テレビ、ネットで大事件ですが。なんともおおらかな時代でした。昭和54年のこと。
面白山信号場ですね。583系が719系を行き違いしていました。
「列車走行中の飛び降りは絶対おやめください・・・」、かなり減速され、大丈夫かなと思って飛び降りると、慣性の法則でよろめきますので本当に危険です。軽快なジョイント音、周波数の高い自動放送ではなく肉声の落ち着いた日本語だけの車内放送、停車中の無音、窓を開けての車窓かぶり付きと夏草の香り、デッキのドアを開けしがみつきの開放感、最後尾の感通路扉なしの開放感・・・みな懐かしいです。私は高校生の時、東北本線の上野16:14発普通列車福島行で大宮まで、中央本線の新宿12:08発普通列車松本行で立川まで、何度も乗りに行きました。貴重な動画、ありがとうございました。
出発のホイッスルと同時にガクンと客車が引っ張られる音が客車ならではの音でいいですよねぇ
私は旧客に乗ったことがない世代の人ですが、ドアが無くても、今の常磐線の列車と同じくらい速く走っているのが驚きました。今よりもとても静かな環境に響き渡るジョイント音と、肉声放送が良いですね!
東北本線の旧客列車は何度も乗りました。懐かしいです。オハ47 2261は、他の方もコメントされていますが、令和の今もJR東 高崎車両センターで現役です。
山下に祖母宅がありました。津波で流されました。この車両は懐かしすぎます。一番の思い出は自動連結器ゆえの起動時の「ガッチャーン!!」という音です。連結器に遊びあるので結構揺れました。また乗りたいな…
音質が良く、なおかつ貴重な音源に感動しました。聴き慣れてしまった短軸距ではない、台車のジョイント音(他の方のコメントにもございますが)から旧客であることが実感できます。旧客の匂いが思い出されるような臨場感です。
懐かしの音源です夜の眠りに打ってつけ東北本線沿線で小学6年迄過ごしました汽車の旅を今に甦らせて頂いて居ります
走行中の凄まじい喧騒と停車と共に訪れる静寂。私の職場では一般車、運転屋さんは在来型一般車と呼んでおりました。トイレ制限は上野〜取手の国電区間で、当時柏には停車しませんでした。今でも仲間うちでは「平」な「いわき」。こんなに良い音源を良くぞ残して下さいました!感謝!感謝です!
そうなんです。夏なんか止まると扇風機の音がブーンと聞こえる。走ってる間は音が騒音にかき消されて全く聞こえない。
松戸に行くのにわざわざ客車選んで乗ってました。(笑)常磐線は尾久のハコだったんで、整備もよく綺麗でしたね。スハ43主体なのでデッキ付きの急行型に乗った感じで得した気分になったもんです。このオハ47 2261も昭和56年改正以前は尾久車で、急行運用にも入ってたと思います。
そうでしたね...その喧騒と静寂の間のような瞬間に、何かとても大人びた隙間?の様なものを感じて...夜は特に音に敏感になって、そして何時の間にか眠ってしまう心地良さ(笑)不思議な空間でした...
その後1992年3月29日に添乗した団臨(WataraseExpress)に2261が組み込まれておりまして、常磐線普通でも乗って居た記憶がございまして、嬉しくなりました(笑)そうですね...尾客車だったのですものね...
綺麗な音源ですね。旧型客車の、重厚感ありながらもリズミカルなジョイント音がたまりません。そして駅に停車したときは一転、水を打ったようにシーンとなる。このギャップもいいですね。鈍行列車ならではの魅力です。新地駅の時間調整は無音がしばらく続くので放送事故かと思いました(笑)
あの頃いっぱい居た行商のおばちゃん達思い出して懐かしさで涙でました。ありがとう。
ひは
素晴らしい記録作品をありがとうございます。この列車は大学時代に何度か利用しました。この録音の頃はちょうど茨城の実家に帰省中でつくば万博の開催を心待ちにしている時でした。約2週間後に常磐線の旧客が廃止されたので、長い春休みを終えて仙台に戻る時には455系電車に乗ることになりました。「もう常磐線に旧客はいないんだ・・・」この時感じた言いようのない寂しさは三十数年経った今でも忘れられません。
懐かしいですね~当時は平からの普通列車は旧客と401系415系で国電区間では日暮里停車上野行なんてアナウウンスしていたな~松戸在住の拙者は中学生のころ良く度胸試しで旧客のドア付近でふざけていた遠い昔の事を思い出しました。時代は巡ると言いますが…素晴らしい音源で巡る事が出来ました感謝致します。
33:52から始まる短尺レールのリズムが心地よいです。常磐線の様な幹線でもあったんですね😌
とてもクリアーな音源ですね!今はロングレールが主ですが国鉄からJRに移行して間も無い頃はまだ25mレールが主流でした。ロングレールでは味わえないジョイント音がなんとも言えませんこれは永久保存版ですね!
聞き通しました.中学の頃上野発常磐線経由仙台行き旧客列車に乗ったのを思い出しました。完全にタイムトリップ出来ました、素敵な音源をありがとうございます。
+Tama Kaneko さま、私も、中学の頃、上野を早朝に出る客車列車に乗りました!仙石線の旧型国電に乗車する為です。当時は、手動ドア、走行中も開けっ放し・・・が当たり前だったんですもんねぇ・・今なら、大問題になってそう・・いい意味で、おおらかな時代でした。帰りは、ひばりの食堂車で、ちょっとした大人気分を味わったものです。社会や鉄道界の変化って、すさまじい・・・あの頃が懐かしく思い出されます。
+広子村田さまドアが開けっ放し、今はそこまでは望まなくともせめて窓が開く「列車」に乗ってみたいです。風に吹かれながらの旅情溢れる「旅」がしてみたいものですね。私は中学の頃夜行座席急行「出羽」で山形に行き、仙石線の背もたれが板の旧型鈍行で仙台に出て、ひばりで帰って来る旅をしました。勿論広子さんと同様食堂車を利用、エビフライ定食850円ナリを食べましたが、まあよく奮発したものです。
+Tama Kaneko さま、そうですよね、窓が開く列車・・本当に少なくなりましたね。当時は当たり前だった事が、現代では稀少になったり消滅してしまったり。ここ最近の時代の流れ、世の中の変化はすさまじい速さだと思います。ひばりの食堂車、私も揚げ物を食べたような記憶があります(笑)中学生の列車旅で、一食850円は奮発ですよね。だいたい、一杯200円位のホームの立ち食いそばで済ませてましたから。スマホもパソコンも何も持たずに、あの頃に戻ってみたいなーって感情が押し寄せます・・・
+Tama Kaneko ↑スミマセン、仙石線→仙山線、の間違いでした。まあしかし、懐古趣味と言われつつも旧型客車の年輪を刻み込んだようなあの車内の匂いが忘れられませんね…
+Tama Kaneko さま、大丈夫ですよ。石と山の間違いは承知しておりました。懐古趣味・・いいじゃないですか。昔や過去の良さに思いをはせるのは、決して恥ずかしい事ではないですよ。旧型客車の、木と油と鉄粉の匂いが混ざった、何とも言えない芳香・・・通過待ちで小駅に停車してる時の、あのシーンとした静寂感・・・いいものはいいです。懐かしいですよね。
昔、上野発一ノ関行きの普通列車(123レだったと思います)に乗った記憶が、私には唯一の旧客車乗車となってしまいました。やはり旧客車は旅情があって良いですね。もう一度乗ってみたいな。。
タイム・マシンがあったら乗りにいきたい、ドラえもん来ないかな⁉️
@@k-dra2793大井川鐵道あたりに行けばまだ楽しめると思います。
@@xanavimotul2007トイレなどは使えませんが、蒸気機関車が引く旧客を未だに楽しめますね。
客室の天井に扇風機が付いてたの、覚えてますか。
駅で停車して今しばらくお待ちくださいのアナウンスがあってから長い停車となりました。シーンと静まり返った客車で退屈でただをこね始めた私は父に一喝されたのを思い出します。今思えば貴重な時間でした。泣けます。
旧型客車は良いですね😃エアブレーキの音、発車時の衝撃音、ジョイント音、何もかも懐かしいの一言につきます❗
999の世界に入ったような気が。車掌や鉄郎、メーテルが乗ってるかも
当時の指定席は機関車直後、スハフ42の開放されている側の車掌室でした(笑)。駅に停まる時窓を開けてると、ブレーキを掛けた時「シューーーッ!」っと言う音と共に、ナナゴのブレーキシューのカス?が目に入って痛かったです。いい思い出ですわ。
良い音源ですね。上野からの221列車を思い出しました。あの頃は良い時代でしたね。
仙台駅で彼氏(?)がふざけて飛び降りようとしてるのを彼女(?)が「だめでしょー!」って止めようとしてる会話を聞いて、「ああ、いい時代だな」って思いました。今だったら「ウケるw」ですかね…あ〜あ、生まれる時代間違いましたかねぇ(現役高校生)
良いジョイント音だな~😊😊乗ってる気分になる😄✌️
聴いてると旧客の独特な車内の匂いまで思いおこしました。
今は原ノ町〜仙台間の普通列車はE721系と701系が中🎉心となっており、逢隈駅、館腰駅、太子堂駅、仙台空港アクセス線が開業しています。
この旧型客車ドアが手動開きで、良くドア付近に立って車外を見てました。出入り口から手摺りにつかまつて、たら、いきなりカーブ付近にて、ふあ~ン、警笛音長く私の姿が出入り口付近に見えたんでしよう、あの時は、ビックリしました。
震災で一部不通となっていた常磐線。あれから9年がたち、今日、全線復旧しました。再び一つのレールで繋がったことを感慨深く、仙台までの懐かしいジョイント音を堪能させていただきます。2020.3.14
本当に1985年?しかも普通の昼間の営業列車だ。とても205系が走っていた時期と思えません。哀愁が感じ取れます。
客車は、引き出し時以外静かでいいですね。
柏に来て約10年経ちますが80年代前半までこう言う列車があったのですね。同じ頃、この手の列車に乗りたくて福知山線に乗りに行ってました。非電化なので牽引はDE15だったような…関西の支線は当時も今も気動車ばかりなので客車列車は寝台か福知山線しかなかった。開けっ放しの乗降ドアに車掌室もなく切り落としの最後尾、発車時のブレーキ緩めた際に少し後退してからのガツンと前向けて進むのも懐かし過ぎますwあーそう言えば…ブレーキ臭のあの臭さは東武アーバンライン今も健在です!!
相馬に祖父母の家があり、夏休みになると、いつも常磐線を利用しました。上野~原ノ町は特急で、原ノ町~相馬は、このスハ43系の客車でした。原ノ町駅では、丸屋のそばが忘れられません。確かざるそば弁当もあったかと思います。もう40年近く前の事になりますが、この動画のお陰で明確によみがえります。私の模型の世界では、ED75-3~49番、スハ43系客車は、今でも現役です。素晴らしい動画をありがとうございます!
ざる蕎麦弁当🍱レア♥️
ホテルの脇に丸屋の立ち食いそば屋ありますよ。駅弁はやめました。
乗り通した(聞いた)昭和に戻れました。
車輪の「シャリシャリシャリ!」とした音が、懐かしい!
雑音や話し声がなくとても良い音源だと思います。いつも楽しませてもらっています☺️最近は子供の寝かしつけに大活躍しています 笑
やっぱりジョイント音が聞こえると乗ってる気分になりますね。その点ロングレールは情緒が無く、気分が損なわれます。
常磐線沿線出身ですが、古い記憶は401・403系と鉄板焼き電車103系1000番台、爆音103系であり、客車列車が自分が物心ついたときにまだ走っていた、ということは知りませんでした。
私も常磐線沿線出身であの少年時代は(東海村)に住んでました。この旧型客車の出来事は鉄道写真撮影してたら.窓から,顔出してた,客と目が、合った事😂ジーツとこちらを、見てました。笑
ジョイント音がたまらないなぁ
常磐線普通客車列車は水戸から上り乗ると必ず車内放送で 柏から先トイレの使用はお控えくらさいと放送が入る
今の日本に求められているのは、ドア開けっ放しの旧客のようなおおらかさだと思う。
999は都合いい時だけ『バタン』って自動で閉まるのに、哲郎が飛び乗らないと行けない時はいつもの開けっ放しwあれ宇宙空間でも開けっ放しなのだろうか??
タイはまだ手動扉非冷房現役だけど、新造車使う優等列車は自動ドア
ホームドアの時代に、完璧に無理。
なかなか上手い文言ですが、今日の様になったのもその国民がおのずとそういう選択をしてきた結果だと思うのですが。長い間生きてきて最近そう思います。
この旧客車ドアが開いたままだから、すれ違う列車が丸見えでした。そし😂て、通過する列車の最後尾がよく見えました。
この頃の列車は手動ドアだったから、動き始めてから飛び乗るなんて無謀者が多かったね😃
私なんか出入り口付近の手摺りにつかまつてたら、車外に危うく落ちそうになりました。
地方は違うけど、幼少期に婆ちゃんに連れられて何度も乗った旧客の鈍行列車を思い出すなぁ…。
仙台行きは乗ったことありませんが、幼少期に茨城にいたので、急行もりおかの通過待ちでよく見てました。そのかわり、茨城からの帰りに当時の平(今のいわき)発の夜の上野ゆきに乗ったことあります。いま思えば、それが唯一の乗車だと思います。
ED75 112は原色原形で2003年に廃車になった機。思い入れのあるED75の中の1両です。
夜寝る時に聞いたら寝れるかな
レールのジョイント音が良いですね。今はロングレールだから音的にはつまらないです。昔の鉄道は本当に良かったです。冷房なんか無くても、苦にならなかっです。返って今の方が苦になりますね。何故ならば、窓が開かないからです。
ドンクマ そうですよね!都会でもジョイント音を聞けるのは分岐点か鉄橋位で、普通にジョイント音を聞けるのも地方路線だけになってしまいましたね・・・私はロングレールも好きですがやっぱりこのガタンゴトンという音が一番ですね♪
@@ЯпонскийПетя 「急行電車」とか、ニワカにも程があるwww「国鉄時代の急行料金」もちゃんと調べなよ・・・
bobobon world 恐れ入りました。確かに急行電車ではありませんでした。誤ったことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。国鉄時代の急行料金に関しましてもこちらの方で調べさせていただきました。今回は申し訳ありませんでした。
ED75のホイッスル ブレーキシューの鳴き 勝電の場所で育った私には懐かしさでいっぱいです 両親の実家がノマでしたので
鹿島の発車ベル懐かしい❗
カセットテープにしては、とても音が良いですね。リマスタリングか何かされているのでしょうか?旧客は、山陰線でよく録音したので懐かしい響きに聴き込んでしまいました!また、原町~相馬間は、451系、455系での録音経験があるので、思い出しながら聴き比べも楽しませて頂きました。
作業用に最適w
原町の次の鹿島に住んでます❗(笑)
今となれば懐かしいですね。でも当時はハズレ列車って思ってました。今でもタイはこう言う客車が現役で、普通や快速を好んで乗ってたら、タイ人からお金あるのにどうしてそんな貧乏人の列車で行くの?って聞かれました。非冷房のボックスシートは三等座席は短距離はいいのですが、長距離ならリクライニング付き二等座席二等寝台車とか最高なのになぁ〜と思ってます。長距離快速には食堂車まで連結されてましたよ。
今この車両は高崎に居ますね。
東北本線では、50系客車と言う車両で走ってました赤色で
惰行運転になった際の浮遊感をもう一度味わいたいです。最近はプッシュプルで味わえないのです。
○ォハ47って事は横軽対応だったの?
鹿島まで9分時代今、七分
銀河鉄道999のイメージです、蒸気機関車じゃないけど。
よく残ってた
EF75加速速いなDF50の鈍重さと大違い
★5★
,
国鉄時代の客車には、旅情が詰まっていました。レールのジョイント音とは正にこれですね!懐かしく、貴重な音源ありがとうございます!
良くある車内音は人の会話が耳障りですけど、これは余程すいていたのかジョイント音と車内放送しか聴こえず、入眠時のBGMとして最高です。
旧客の時代はガラガラにすいた長大編成の鈍行も沢山走っていましたね。
先日同じ区間の乗り鉄旅に行って来ました!
80年代前半、我孫子から水戸まで旧型客車に乗りました!
我孫子まで当時最新の千代田線の電車だったのに、我孫子からは旧型客車、しかも扉が開けっ放しでびっくり!
40年近く経つというのに、いまだに忘れられません!
私なんか.扉付近に立つてて、危うく車外に落ちそうに、なりました。😂
発車の汽笛と自連の衝動、大きな台車の独特なジョイント音、窓側足元の邪魔なヒーターボックス、ブレーキシューの音、「よく止まるまでお待ちください」「飛び乗り飛び降りおやめください」の放送、、懐かしい旅の思い出がいっぱい蘇ってきました。
+kamepo さん、
貴方様のコメントで、懐かしいあの頃がよみがえりました。
青春まっただ中の青春時代、毎日古い客車に乗って通学してました。
走ってる時でさえ、バタンバタンと開けっ放しのドア・・今では考えられませんよね。
今では完全なイベント扱いのような列車が、毎日の日常生活の中に当たり前に存在していました。
スマホなんか無くていい、時間がかかってもいい、
あの頃の鉄道旅行を、もう一度味わってみたい衝動が突き上がってきます。
昔、旧客で仙山線でのこと。
面白山トンネルの中ほどで、一部複線になるのですが。
そこで、対向の列車の待ち合わせとなりました。
するとたくさんの若者が向かいの線路に降りて度胸試し。
単線から複線になり突然目の前にたくさんの人が現れ警笛の嵐、対向の運転士さんもさぞかし肝を冷やしたことでしょう。
彼ら、ぴょんぴょんと自分の列車に飛び乗りことなきを得ました。慣れたもんです。
今なら、テレビ、ネットで大事件ですが。
なんともおおらかな時代でした。昭和54年のこと。
面白山信号場ですね。
583系が719系を行き違いしていました。
「列車走行中の飛び降りは絶対おやめください・・・」、かなり減速され、大丈夫かなと思って飛び降りると、慣性の法則でよろめきますので本当に危険です。軽快なジョイント音、周波数の高い自動放送ではなく肉声の落ち着いた日本語だけの車内放送、停車中の無音、窓を開けての車窓かぶり付きと夏草の香り、デッキのドアを開けしがみつきの開放感、最後尾の感通路扉なしの開放感・・・みな懐かしいです。私は高校生の時、東北本線の上野16:14発普通列車福島行で大宮まで、中央本線の新宿12:08発普通列車松本行で立川まで、何度も乗りに行きました。貴重な動画、ありがとうございました。
出発のホイッスルと同時にガクンと客車が引っ張られる音が客車ならではの音でいいですよねぇ
私は旧客に乗ったことがない世代の人ですが、ドアが無くても、今の常磐線の列車と同じくらい速く走っているのが驚きました。今よりもとても静かな環境に響き渡るジョイント音と、肉声放送が良いですね!
東北本線の旧客列車は何度も乗りました。懐かしいです。
オハ47 2261は、他の方もコメントされていますが、令和の今もJR東 高崎車両センターで現役です。
山下に祖母宅がありました。
津波で流されました。
この車両は懐かしすぎます。
一番の思い出は
自動連結器ゆえの起動時の
「ガッチャーン!!」という音です。
連結器に遊びあるので結構揺れました。
また乗りたいな…
音質が良く、なおかつ貴重な音源に感動しました。
聴き慣れてしまった短軸距ではない、台車のジョイント音(他の方のコメントにもございますが)から旧客であることが実感できます。旧客の匂いが思い出されるような臨場感です。
懐かしの音源です
夜の眠りに打ってつけ
東北本線沿線で小学6年迄過ごしました
汽車の旅を今に甦らせて頂いて居ります
走行中の凄まじい喧騒と停車と共に訪れる静寂。
私の職場では一般車、運転屋さんは在来型一般車と呼んでおりました。
トイレ制限は上野〜取手の国電区間で、当時柏には停車しませんでした。
今でも仲間うちでは「平」な「いわき」。
こんなに良い音源を良くぞ残して下さいました!
感謝!感謝です!
そうなんです。夏なんか止まると扇風機の音がブーンと聞こえる。走ってる間は音が騒音にかき消されて全く聞こえない。
松戸に行くのにわざわざ客車選んで乗ってました。(笑)常磐線は尾久のハコだったんで、整備もよく綺麗でしたね。スハ43主体なのでデッキ付きの急行型に乗った感じで得した気分になったもんです。このオハ47 2261も昭和56年改正以前は尾久車で、急行運用にも入ってたと思います。
そうでしたね...
その喧騒と静寂の間のような瞬間に、何かとても大人びた隙間?の様なものを感じて...
夜は特に音に敏感になって、そして何時の間にか眠ってしまう心地良さ(笑)
不思議な空間でした...
その後1992年3月29日に添乗した団臨(WataraseExpress)に2261が組み込まれておりまして、常磐線普通でも乗って居た記憶がございまして、嬉しくなりました(笑)
そうですね...尾客車だったのですものね...
綺麗な音源ですね。旧型客車の、重厚感ありながらもリズミカルなジョイント音がたまりません。そして駅に停車したときは一転、水を打ったようにシーンとなる。このギャップもいいですね。鈍行列車ならではの魅力です。新地駅の時間調整は無音がしばらく続くので放送事故かと思いました(笑)
あの頃いっぱい居た行商のおばちゃん達思い出して懐かしさで涙でました。ありがとう。
ひは
素晴らしい記録作品をありがとうございます。この列車は大学時代に何度か利用しました。この録音の頃はちょうど茨城の実家に帰省中でつくば万博の開催を心待ちにしている時でした。約2週間後に常磐線の旧客が廃止されたので、長い春休みを終えて仙台に戻る時には455系電車に乗ることになりました。「もう常磐線に旧客はいないんだ・・・」この時感じた言いようのない寂しさは三十数年経った今でも忘れられません。
懐かしいですね~
当時は平からの普通列車は旧客と401系415系で国電区間では日暮里停車上野行なんてアナウウンスしていたな~
松戸在住の拙者は中学生のころ良く度胸試しで旧客のドア付近でふざけていた遠い昔の事を思い出しました。
時代は巡ると言いますが…素晴らしい音源で巡る事が出来ました感謝致します。
33:52から始まる短尺レールのリズムが心地よいです。常磐線の様な幹線でもあったんですね😌
とてもクリアーな音源ですね!今はロングレールが主ですが国鉄からJRに移行して間も無い頃はまだ25mレールが主流でした。ロングレールでは味わえないジョイント音がなんとも言えませんこれは永久保存版ですね!
聞き通しました.中学の頃上野発常磐線経由仙台行き旧客列車に乗ったのを思い出しました。完全にタイムトリップ出来ました、素敵な音源をありがとうございます。
+Tama Kaneko さま、
私も、中学の頃、上野を早朝に出る客車列車に乗りました!
仙石線の旧型国電に乗車する為です。
当時は、手動ドア、走行中も開けっ放し・・・が当たり前だったんですもんねぇ・・
今なら、大問題になってそう・・いい意味で、おおらかな時代でした。
帰りは、ひばりの食堂車で、ちょっとした大人気分を味わったものです。
社会や鉄道界の変化って、すさまじい・・・
あの頃が懐かしく思い出されます。
+広子村田さま
ドアが開けっ放し、今はそこまでは望まなくともせめて窓が開く「列車」に乗ってみたいです。風に吹かれながらの旅情溢れる「旅」がしてみたいものですね。
私は中学の頃夜行座席急行「出羽」で山形に行き、仙石線の背もたれが板の旧型鈍行で仙台に出て、ひばりで帰って来る旅をしました。勿論広子さんと同様食堂車を利用、エビフライ定食850円ナリを食べましたが、まあよく奮発したものです。
+Tama Kaneko さま、
そうですよね、窓が開く列車・・本当に少なくなりましたね。
当時は当たり前だった事が、現代では稀少になったり消滅してしまったり。
ここ最近の時代の流れ、世の中の変化はすさまじい速さだと思います。
ひばりの食堂車、私も揚げ物を食べたような記憶があります(笑)
中学生の列車旅で、一食850円は奮発ですよね。
だいたい、一杯200円位のホームの立ち食いそばで済ませてましたから。
スマホもパソコンも何も持たずに、
あの頃に戻ってみたいなーって感情が押し寄せます・・・
+Tama Kaneko ↑スミマセン、仙石線→仙山線、の間違いでした。まあしかし、懐古趣味と言われつつも旧型客車の年輪を刻み込んだようなあの車内の匂いが忘れられませんね…
+Tama Kaneko さま、
大丈夫ですよ。石と山の間違いは承知しておりました。
懐古趣味・・いいじゃないですか。
昔や過去の良さに思いをはせるのは、決して恥ずかしい事ではないですよ。
旧型客車の、木と油と鉄粉の匂いが混ざった、何とも言えない芳香・・・
通過待ちで小駅に停車してる時の、あのシーンとした静寂感・・・
いいものはいいです。
懐かしいですよね。
昔、上野発一ノ関行きの普通列車(123レだったと思います)に乗った記憶が、私には唯一の旧客車乗車となってしまいました。やはり旧客車は旅情があって良いですね。もう一度乗ってみたいな。。
タイム・マシンがあったら乗りにいきたい、ドラえもん来ないかな⁉️
@@k-dra2793
大井川鐵道あたりに行けばまだ楽しめると思います。
@@xanavimotul2007
トイレなどは使えませんが、蒸気機関車が引く旧客を未だに楽しめますね。
客室の天井に扇風機が付いてたの、覚えてますか。
駅で停車して今しばらくお待ちくださいのアナウンスがあってから長い停車となりました。シーンと静まり返った客車で退屈でただをこね始めた私は父に一喝されたのを思い出します。
今思えば貴重な時間でした。泣けます。
旧型客車は良いですね😃エアブレーキの音、発車時の衝撃音、ジョイント音、何もかも懐かしいの一言につきます❗
999の世界に入ったような気が。車掌や鉄郎、メーテルが乗ってるかも
当時の指定席は機関車直後、スハフ42の開放されている側の車掌室でした(笑)。駅に停まる時窓を開けてると、ブレーキを掛けた時「シューーーッ!」っと言う音と共に、ナナゴのブレーキシューのカス?が目に入って痛かったです。いい思い出ですわ。
良い音源ですね。
上野からの221列車を思い出しました。
あの頃は良い時代でしたね。
仙台駅で彼氏(?)がふざけて飛び降りようとしてるのを彼女(?)が「だめでしょー!」って止めようとしてる会話を聞いて、「ああ、いい時代だな」って思いました。今だったら「ウケるw」ですかね…あ〜あ、生まれる時代間違いましたかねぇ(現役高校生)
良いジョイント音だな~😊😊乗ってる気分になる😄✌️
聴いてると旧客の独特な車内の匂いまで思いおこしました。
今は原ノ町〜仙台間の普通列車はE721系と701系が中🎉心となっており、逢隈駅、館腰駅、太子堂駅、仙台空港アクセス線が開業しています。
この旧型客車ドアが手動開きで、良くドア付近に立って車外を見てました。出入り口から手摺りにつかまつて、たら、いきなりカーブ付近にて、ふあ~ン、警笛音長く私の姿が出入り口付近に見えたんでしよう、あの時は、ビックリしました。
震災で一部不通となっていた常磐線。あれから9年がたち、今日、全線復旧しました。再び一つのレールで繋がったことを感慨深く、仙台までの懐かしいジョイント音を堪能させていただきます。2020.3.14
本当に1985年?しかも普通の昼間の営業列車だ。とても205系が走っていた時期と思えません。哀愁が感じ取れます。
客車は、引き出し時以外静かでいいですね。
柏に来て約10年経ちますが80年代前半までこう言う列車があったのですね。
同じ頃、この手の列車に乗りたくて福知山線に乗りに行ってました。非電化なので牽引はDE15だったような…関西の支線は当時も今も気動車ばかりなので客車列車は寝台か福知山線しかなかった。
開けっ放しの乗降ドアに車掌室もなく切り落としの最後尾、発車時のブレーキ緩めた際に少し後退してからのガツンと前向けて進むのも懐かし過ぎますw
あーそう言えば…
ブレーキ臭のあの臭さは東武アーバンライン今も健在です!!
相馬に祖父母の家があり、夏休みになると、いつも常磐線を利用しました。上野~原ノ町は特急で、原ノ町~相馬は、このスハ43系の客車でした。原ノ町駅では、丸屋のそばが忘れられません。確かざるそば弁当もあったかと思います。
もう40年近く前の事になりますが、この動画のお陰で明確によみがえります。私の模型の世界では、ED75-3~49番、スハ43系客車は、今でも現役です。素晴らしい動画をありがとうございます!
ざる蕎麦弁当🍱レア♥️
ホテルの脇に丸屋の立ち食いそば屋ありますよ。駅弁はやめました。
乗り通した(聞いた)
昭和に戻れました。
車輪の「シャリシャリシャリ!」とした音が、懐かしい!
雑音や話し声がなくとても良い音源だと思います。いつも楽しませてもらっています☺️
最近は子供の寝かしつけに大活躍しています 笑
やっぱりジョイント音が聞こえると乗ってる気分になりますね。
その点ロングレールは情緒が無く、気分が損なわれます。
常磐線沿線出身ですが、古い記憶は401・403系と鉄板焼き電車103系1000番台、爆音103系であり、客車列車が自分が物心ついたときにまだ走っていた、ということは知りませんでした。
私も常磐線沿線出身であの少年時代は(東海村)に住んでました。この旧型客車の出来事は鉄道写真撮影してたら.窓から,顔出してた,客と目が、合った事😂ジーツとこちらを、見てました。笑
ジョイント音がたまらないなぁ
常磐線普通客車列車は水戸から上り乗ると必ず車内放送で 柏から先トイレの使用はお控えくらさいと放送が入る
今の日本に求められているのは、ドア開けっ放しの旧客のようなおおらかさだと思う。
999は都合いい時だけ『バタン』って自動で閉まるのに、
哲郎が飛び乗らないと行けない時はいつもの開けっ放しw
あれ宇宙空間でも開けっ放しなのだろうか??
タイはまだ手動扉非冷房現役だけど、新造車使う優等列車は自動ドア
ホームドアの時代に、完璧に無理。
なかなか上手い文言ですが、今日の様になったのもその国民がおのずとそういう選択をしてきた結果だと思うのですが。長い間生きてきて最近そう思います。
この旧客車ドアが開いたままだから、すれ違う列車が丸見えでした。そし😂て、通過する列車の最後尾がよく見えました。
この頃の列車は手動ドアだったから、動き始めてから飛び乗るなんて無謀者が多かったね😃
私なんか出入り口付近の手摺りにつかまつてたら、車外に危うく落ちそうになりました。
地方は違うけど、幼少期に婆ちゃんに連れられて何度も乗った旧客の鈍行列車を思い出すなぁ…。
仙台行きは乗ったことありませんが、幼少期に茨城にいたので、急行もりおかの通過待ちでよく見てました。そのかわり、茨城からの帰りに当時の平(今のいわき)発の夜の上野ゆきに乗ったことあります。いま思えば、それが唯一の乗車だと思います。
ED75 112は原色原形で2003年に廃車になった機。
思い入れのあるED75の中の1両です。
夜寝る時に聞いたら寝れるかな
レールのジョイント音が良いですね。
今はロングレールだから音的にはつまらないです。
昔の鉄道は本当に良かったです。
冷房なんか無くても、苦にならなかっです。
返って今の方が苦になりますね。
何故ならば、窓が開かないからです。
ドンクマ そうですよね!都会でもジョイント音を聞けるのは分岐点か鉄橋位で、普通にジョイント音を聞けるのも地方路線だけになってしまいましたね・・・私はロングレールも好きですがやっぱりこのガタンゴトンという音が一番ですね♪
@@ЯпонскийПетя 「急行電車」とか、ニワカにも程があるwww
「国鉄時代の急行料金」もちゃんと調べなよ・・・
bobobon world 恐れ入りました。確かに急行電車ではありませんでした。誤ったことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。
国鉄時代の急行料金に関しましてもこちらの方で調べさせていただきました。今回は申し訳ありませんでした。
ED75のホイッスル ブレーキシューの鳴き 勝電の場所で育った私には懐かしさでいっぱいです 両親の実家がノマでしたので
鹿島の発車ベル懐かしい❗
カセットテープにしては、とても音が良いですね。リマスタリングか何かされているのでしょうか?
旧客は、山陰線でよく録音したので懐かしい響きに聴き込んでしまいました!
また、原町~相馬間は、451系、455系での録音経験があるので、思い出しながら聴き比べも楽しませて頂きました。
作業用に最適w
原町の次の鹿島に住んでます❗(笑)
今となれば懐かしいですね。でも当時はハズレ列車って思ってました。今でもタイはこう言う客車が現役で、普通や快速を好んで乗ってたら、タイ人からお金あるのにどうしてそんな貧乏人の列車で行くの?って聞かれました。非冷房のボックスシートは三等座席は短距離はいいのですが、長距離ならリクライニング付き二等座席二等寝台車とか最高なのになぁ〜と思ってます。長距離快速には食堂車まで連結されてましたよ。
今この車両は高崎に居ますね。
東北本線では、50系客車と言う車両で走ってました赤色で
惰行運転になった際の浮遊感をもう一度味わいたいです。最近はプッシュプルで味わえないのです。
○ォハ47って事は横軽対応だったの?
鹿島まで9分時代今、七分
銀河鉄道999のイメージです、蒸気機関車じゃないけど。
よく残ってた
EF75加速速いな
DF50の鈍重さと大違い
★5★
,
,