206)玉城【49歳独身の黙々とひとり旅岐阜編】関ヶ原の戦いで西軍勝利の切り札として豊臣秀頼を迎え入れる予定だった城(岐阜県関ケ原町)Tama castle

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  • Опубліковано 3 лют 2025

КОМЕНТАРІ • 5

  • @塚越-p4z
    @塚越-p4z 10 днів тому +2

    もしここに秀頼が入場が実現していたら戦いの結果はどうなっていたのか?

    • @japancastletour
      @japancastletour  9 днів тому +2

      コメントありがとうございます。家康の東軍側も豊臣のためにというのが大義名分でしたから、秀頼が入城していたら、そもそも開戦していたのか?と個人的には思います

  • @renren5491
    @renren5491 21 день тому +2

    石田三成は、準備に準備した関ケ原大勝利の決戦を最初から頭に描いていて、結局そこに固執したあまり他の作戦にも思いが及ばず、無理な行軍を西軍に課したのでしょう。
    救援が間に合わなかった岐阜城陥落が潮目になりましたね。武将間の信頼関係が崩壊しました。

    • @japancastletour
      @japancastletour  21 день тому

      コメントありがとうございます。
      岐阜城、たしか1日で落城してましたね。

    • @renren5491
      @renren5491 21 день тому +1

      @@japancastletour 難攻不落の天下の名城を一日で下した東軍恐るべしの評判が三成への信頼と反比例して高まった感があります。玉城や松尾山の大規模な土木工事は三成が軍を起こす前から準備していたのだと思います。