【岐阜関ケ原古戦場記念館】古戦場史跡紹介「菩提山城」

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 23 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 23

  • @ひでとら
    @ひでとら 13 днів тому

    流石、竹中半兵衛氏の居城ですね。
    自然を利用した要害な堅城を縄張りしているのは凄いの一言です‼

  • @明智実光秀嫡流と作-t9d
    @明智実光秀嫡流と作-t9d 24 дні тому +2

    今年1年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします!

  • @hakucyanKK
    @hakucyanKK 28 днів тому +4

    とても面白かった。up有難うございます。

  • @明智実光秀嫡流と作-t9d
    @明智実光秀嫡流と作-t9d 26 днів тому +2

    パーティ恋愛術という曲の動画をアップしたので、ご覧ください。

  • @明智実光秀嫡流と作-t9d
    @明智実光秀嫡流と作-t9d 23 дні тому +2

    祐向山城(本巣市)、斎藤竜興が岐阜城から逃れて築いた掛洞城(岐阜市)も撮影されたら、いかがですか。推薦します。

  • @Taropo
    @Taropo 27 днів тому +4

    関ヶ原の戦いの時、竹中氏はかなり早い段階で
    西軍から東軍に鞍替えしてます
    その時に重門は「菩提山城は家康様のご自由にお使い下さい」と言ったと伝わってます
    元々は松尾山城・南宮山城と並んで関ヶ原包囲網の
    一角を担うはずだった城ですが
    関ヶ原の戦い当日は機能していなかった

  • @河野孝-y5t
    @河野孝-y5t 28 днів тому +3

    僕のお気に入りの武将・竹中半兵衛重治公の城なので、感慨もひとしおで視聴しました。ありがとうございました。

  • @user-s6ijrtyo
    @user-s6ijrtyo 28 днів тому +9

    小和田先生は、城巡りなどするので、脚が丈夫なんですね。私も、脚のためウォーキングを続けています。
    いつも、先生のお話は、興味深いです。ありがとうございます。

  • @金ぴか70
    @金ぴか70 28 днів тому +7

    先生、健脚ですね!
    両兵衛だと、断然半兵衛が好きです!去年挑戦しようと思いましたが、登るの大変だし、近道はまだ整備されてないと聞き、断念しました。
    絶対行きます!貴重なお話聞けて良かったです。半兵衛が長生きしてたらなぁ。もっともっと竹中家は繁栄したんでしょうかねー

    • @明智実光秀嫡流と作-t9d
      @明智実光秀嫡流と作-t9d 28 днів тому +4

      行かない方が良いのでは。伊吹山系には熊がいます、菩提山城で僕は小熊と対峙しました。

    • @金ぴか70
      @金ぴか70 28 днів тому +1

      @@明智実光秀嫡流と作-t9d そうそう、資料館の方に熊や蜂が出ると聞いたんですけど、熊鈴を付けて登っていく方おられましたが。まさかの格闘されたんですか?危険!!💦
      登山道ではなくて、車で上の方まで行けますよね?!そこが去年工事中だったんですが、そこが整備されたらそちらから行きたいですね

    • @明智実光秀嫡流と作-t9d
      @明智実光秀嫡流と作-t9d 28 днів тому +4

      対峙はしましたが、格闘はしてません。小さい熊だったので、小熊は下山して行きました。

    • @金ぴか70
      @金ぴか70 28 днів тому +2

      @@明智実光秀嫡流と作-t9d 小熊も半兵衛のファンだったのかもしれませんね笑 御無事でよかったです!

  • @佐藤龍史-w1g
    @佐藤龍史-w1g 28 днів тому +4

    12月27日UA-cam公開時点では関ケ原付近は雪によりとても行ける状態では無いと思います。3月位にならないと快適には
    行けそうに有りません。戦国期冬季も城に居たのか下の陣屋で暮らしていたのか。

    • @明智実光秀嫡流と作-t9d
      @明智実光秀嫡流と作-t9d 23 дні тому +2

      3月中旬まで、菩提山城本丸には雪が残ってるから、冬季は麓にいたんだと思う。

  • @明智実光秀嫡流と作-t9d
    @明智実光秀嫡流と作-t9d 28 днів тому +5

    僕も、菩提山城に登ったことがあります。菩提山城は、近江の佐々木氏に備えて、守護土岐頼芸の援助を得て、岩手氏が築いたので、守護の城だと思います。そこに竹中氏が、岩手氏との闘いに勝利して、入城した。菩提山城は、守護の城なので、元々大きな城だった思います。竹中半兵衛に岐阜城を追われた斎藤竜興が築いた祐向山城も大きいので、そうだと思います。2024年12月27日。1年ありがとうございました、楽しい動画ばかりでした、良いお年をお迎えください。

  • @saao4131
    @saao4131 28 днів тому +4

    公開ありがとうございます。
    山上に詰の城でなく立派な主郭有るのは戦国も後期だからかなぁ
    小和田先生達者やなぁ。

  • @batachan
    @batachan 28 днів тому +5

    小和田先生足腰強いですね!

  • @hakucyanKK
    @hakucyanKK 28 днів тому +2

    畝状竪堀と呼ぶようになったのはいつ頃からなんだろう。
    畝状と解説されている遺構ってその城跡での定義や要諦想像も曖昧な部分が多そうなのに、なにかそれっぽい解説がされているだけだなと違和感を感じることが多いように感じるのも事実。
    まあいわゆる堀、そしてそこでのあり方は解釈の問題なので、結論不明は仕方のないことだけれども。

  • @リエ-l3f
    @リエ-l3f 27 днів тому +1

    小和田さん、年なのに一生懸命頑張って降りてるのに、もう少し気付かってゆっくり行きながら待ってやりなよ、このガイド?幾ら説明出来ても、そんな風に分からないかもうそんなのに慣れちゃってて、そうした神経が麻痺してるんだねー。嫌だね。竹中半兵衛の話は良いけど、そうしたのが。小和田さんがああして最後にハアハア言ったりきつかったと言うのに、笑ってそうですねーよりも、今度からは幼児や老人等に対してはある程度ゆっくり行くのを心がける風にしたら?でなきゃそのうち怪我人が出てもおかしくないかもだよ。ガイドが、案内するなら勝手にスタスタ早く行かずに、連れの事を考えたら?、と思ったよ。

    • @明智実光秀嫡流と作-t9d
      @明智実光秀嫡流と作-t9d 24 дні тому +2

      ガイドではなく、学芸員という身分の垂井町職員ですよ。今年1年ありがとうございました。来年もよろしく!

    • @リエ-l3f
      @リエ-l3f 24 дні тому +1

      ​@@明智実光秀嫡流と作-t9dなるほど、職員ねー…。はい、良いお年を!!