薪を燃やしてバスを動かしてみた【前編】
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- Опубліковано 15 лис 2023
- 日本のバスの歴史の中で、戦中・戦後にわたり庶民の足として活躍した「代燃車」。
神奈川中央交通では1981年に自走可能な代燃車を復元しました。今回はおよそ10年ぶりに薪を燃やしてエンジン始動に挑戦します!
⇩後編はこちら⇩
• 薪を燃やしてバスを動かしてみた【後編】
⇩三太号についてはこちら(神奈中HP)⇩
www.kanachu.co.jp/service/fir...
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撮影・編集
神奈川中央交通㈱総務部広報担当 S
バスもすごいけど、それを整備できる神奈中の整備士さんがすごい👍
木炭バスについては聞いたことはあっても仕組みを知らなかったので、とても勉強になりました。
ガソリン代替でこうしたものを考えだした先人に敬意を表します!
しかもそれが今も残されていることが凄いです。
ガチな代燃車はガス発生装置とガソリンタンクをコックで切り替えることが出来、その気になればガソリンで動かす事が出来ました。
真冬のキャブ車でも「やべぇ、遅れる!」って時は絶望的なのに、その比じゃないくらい大変…
運行何時間前からエンジン始動の儀式が必要だったのだろう🤔
送風量が多くて完全燃焼でCO2になっても駄目、少なくて火が消えても駄目。不完全燃焼でCOの状態を保つには絶妙なバランスの調整が必要なんだど思います。
復元の取り組みも動画として残したのも素晴らしいと思います。
財務省「薪にも税金かけなきゃ」
こんな所にも日本の闇が垣間見えて草
復元当時にようやったなと思ったこれが、まだ動態で残ってたんだという感慨しかない
粘土万能なのも経験上理解できる
すみません、なぜゴムや銅ではなく粘土をパッキンにしているのですか?
高温かつ頻繁に開閉するからですか?
もし大規模自然災害や戦争などでエネルギー供給が断たれた場合、蒸気機関車なども含めてこういうレトロな技術が継承されていれば役立つかも知れません。神奈中バスさん、ありがとう。
良いんですけどね~。
でもエネルギー変換率が悪すぎるんで、新たに技術の再開発が必要です。(笑)
ちなみに、40km/hを出すのに70secかかるんで、大変です。(笑)
しかも点火からエンジン始動まで40分くらいいるし(戦争中親戚の運送屋で木炭トラックのエンジン始動を遊び半分で手伝いに言っていた祖父の話)。
今やるならアセチレンガスを発生させてそれで動かした方が良いかも。
海外で、現代の技術を使って作られた木炭車が(実験でですが)存在します。
驚くことに、性能は天然ガス車とほぼ変わりません。
実験の結論としては、木炭車の燃費やパワーが駄目なのは、、当時のエンジンの性能が悪かったからで、それ専用に設計すれば性能は十分確保できるというものでした。
燃料供給が大変なので商業ベースで普及はしないでしょうけれども、夢のなる話だと思います
@@user-ib1xo9qj4t 私も本屋で木炭車の専門書を立ち読みして、普通の車と同等の性能の木炭車の事を知りました。ただ戦争中の木炭車はガソリンエンジンをそのまま流用、しかもガソリンタンクも残っていて燃料の系統をコックで切り替え、その気になればガソリンで走る事も可能でしたただ一酸化炭素を燃料にする想定のエンジンをあの頃設計していれば問題なく走行出来たという事ですね。
周りの新しいバス達が「先輩、頑張れ!!!」と見守っているようでなんか感動的
1947年生れの私、木炭自動車が動いてたのを覚えてる最後の年齢層だと、思います(笑)何かモクモクと白っぽい煙りがたなびいていた遠い記憶が有ります。そして進駐軍ジープが、それを尻目に改走していたのを☺️懐かしくてカキコ🎉🔥
乗ってました 少し早めの生まれです
やはりかっこいい………いつの間にか神奈中公式出来てて嬉しいです!
「木炭バスは力がなくて坂が登れなかった」というような話はむかしよく聞きましたが、正常にガスを発生させるだけでもただ事ではなかったのですね。
文化の伝達ということにおいて、知識や伝承だけでなく現物があるというのがとても重要だということがよくわかります。
あ〜ら懐かしい!小生昭和17年生まれで戦後まだガソリン不足だった頃の木炭バスを知ってます。
小学校低学年ごろ、学校前からすぐの坂が数百メートルあり、馬力不足で乗客が降りてみんなで押上げ
たりしてました。またそこで出力を増すために燃料を追加しガス量を増やす事が必要で、、追加した細かく
切った木片を燃焼させる為の送風フアンを手回しするのです。それを回すのは規定では運転手がしてたの
ですが、見物してた悪道達が手回し役を買って出てました。ガーランガーランと音をたててまわすのが
面白く、回し役になるのに列を作ってたものです。
懐かしい、戸塚で乗ってました。
当時はこのバスが来ると乗るのが嫌で次のガソリンバスを待ったりしていました。
貴重な体験だと思うが、何世紀前の話なんだろう・・・
バスとは思えないエンジン音に正しくレトロな趣のある外観が良いですね。
母が昔乗った事あるらしく、登坂が登れなくて乗客の男性達が総出で後ろから押して登った思い出があると言ってました
まさしく母から同じ事を聞きました!
昭和10年生まれの母親。
♫田舎のパスは〜オンポロぐるまー
現代のようにブレーキペダルを踏んでワンプッシュでエンジン始動出来る車しか知らない世代にとっては驚異の世界でしょうねww
寒い冬や暑い夏にこんな作業をしないとエンジンが始動出来ないなんて考えたくもないです💦
しかもエンジン始動はセルモーターではなくクランクハンドルを回しての始動だったのでは無いでしょうか?祖父に木炭車のエンジン始動準備の話は聞いていましたがそこから先の話を聞いていなかったので残念です。
懐かしい😮
3才から4才の頃、小田原から強羅の下の町宮城野迄乗りました🎵
途中宮ノ下で燃料の薪を補充して走って居ました❗
湯本からの坂を登ったのですね!
はい、宮ノ下から左折せず直進すると宮城野、その先は仙石原になります。
神奈中さん,お世話になっています。こんなこともなさっているなんて,何だかとても嬉しいです。
40年以上前におばあちゃんに木炭車の事を聞いたら、坂は上らないし客が押したり散々だったと私が引く程ディスってました。
しかし機関車と競う程の準備が大変だったのは知らなかったですね。個人的にはこういうロマンのある乗り物は好きなのですがここまでとは。
神奈中の運転手さん、幼少期にお世話になっていたけど、発進の度に右、左、前にヨシを言って進行する姿にカッコいいと思ってました。
私は幼稚園児の頃「大人になったらバスの運転士さんになりたい。」と思っていました。それが小学生になって「電車の運転士」に変わり、大人になって「電車のメンテをする人」になりました。
@sasakkey2635さん
素敵!
神奈中さま、いつもお世話になっています。ありがとうございます。こんな取り組みもなさっているとは驚きました。
学生時代。同じ横浜市民でも、神奈中利用者は東急バス利用者にバカにされていました。
でも私は神奈中が好き。偉いぞ神奈中!がんばれ!
できるだけたくさんの子供が乗れるようなイベントをやって欲しい。
このバスなら絶対に喜ぶし、とても勉強になる。
戦争の歴史を体感できるし、日本の隣国にはおそらく世界で唯一の木炭自動車が現役の国がある。
もう一度、がんばれ神奈中!
神奈中公式UA-camチャンネルの開設と三太号のエンジン始動、おめでとうございます!!
本当に素晴らしい…!!!!
10年ぶりとなると、
2011年、当時の神奈中・厚木営業所(松蓮寺)でのイベントの際に試走した以来でしょうか。
10年ぶりとのことですが、この間にも絶えず整備士の方が三太号の整備・調整を行っていたことでしょう。
先人たちの労苦を後代へ継承する「三太号」、そして整備・調整に尽力された整備士の方々に感謝です…
20年ぐらい前の学生時代、学祭で三太号って言う代燃バスが良く展示されてたな…と思ったらまさかのご本人w
色々あって走行不能状態だったのですね。
まさか本当に動くバスが実際にあるとは・・・
小学生の頃読んだ本に「よく一酸化炭素中毒を起こして運転手が気絶し、気付けにトイレに連れて行かれた」という記述があったけど、これを見るとよく分かる
戦中戦後の物資欠乏時に木炭車なるものが走っていた、と聞いたことはありましたが、こういうものだったんですね。
エンジンをかけるの、めちゃくちゃたいへんですやんか。
こういうバス、聞いたことはありましたが、実働するのはすごい。
蒸気機関みたいなものかと思ったら、普通にエンジンなんですね。
お疲れ様でした。毎日、木炭バスのエンジンをかけていれば整備も運転も慣れるでしょうが、10年ぶりとなれば、ガソリン車でも厳しいかもしれませんね。
長野県の大町市に公道走れる木炭バスがあったと思います。
まるで式年遷宮見たいな感じですね!
後世に技術の継承のために!
これはプラグとかバルブが汚れそうですね
フロントバンパーに刺さってる手動でクランキングする工具がエモいです
小学校で戦時中の代用品をお家の人に描いてもらってこい。という宿題がでて親父が描いてくれたのは木炭トラックで、教師からも珍しがられた。親父は「力が出なくて困った」と言ってた。
後世への記録として👍
トラックの車体は、戦中に作られたトヨタKB型か戦後に作られたBM型トラックだと思います。
トヨタFS型トラックと日産180型バス組み合わせで復元されています。
ディーゼルエンジン ガソリンエンジン のありがたみがしみじみ分かる
今は亡き父親が当時、木炭車の整備に携わった事があるらしく、エンジン内部にススがよく溜まったと言っていました。
車っていうよりは昔の軍艦のような感じですねw
映画バトルシップのミズーリの出港みたいですw
良いですねえ☺
この様な取り組みには感謝です。
10年ぶりって、10年前にも動かしてたのか
昔親父が木炭車のトラック(多分昭和40年代前半頃まで)で運送やってて年中修理してたと聞いていました。実際こんなふうに動かしていたのかもしれないなぁと思いました。ありがとうございました。
電気自動車全盛になりそうな「今」だからこそ、こう言った試みは
とても大事ですね!
神奈中公式UA-camができて嬉しいです!
新カラーの導入状況など詳しく知れたら嬉しいです!三太号レトロかっこいいです!
こんにちは
代燃の想い出 幼少の頃街へ出ていくのに乗っていました
窓開けてますと臭くて服にまで沁みつきました
空燃比とか、凄く難しいそう!
良いガス作るのは、特に難しいだろうな
感覚の世界。
当時の人は毎回してたので、短時間で出来たのだろうけど、それでも薪を焚べる所からだから、運行準備は大変だったでしょうね…
ヤニとかでガス器やエンジンの汚れも大変そう。後片付けも労力凄そう。
多分、軽自動車よりも出力ないだろうから、坂道とか、未舗装路、大変だっただろうな。
脱石油と言われてる中ですが、化石燃料の使い勝手と、出力が現代では当たり前すぎて…
貴重な文化財だと思います。
カナ中、唐突にレベル高いですね!
10年ぶりってことは創立90周年イベントからエンジンかけてなかった!?
横一列のナンバープレートは當時のものですか
北三井家が戰前から乘つていたベントレーも横一列だつた
平成になつた頃まで90歳過の當主が運轉していた
木炭で回るのかと思っていたら薪なんですね。いずれにしても一酸化炭素中毒に気を付けてください。
少なくとも42年モノの木炭車の10年ぶりの再起動…
車庫内が凄い事になりますね…
薪って事は、木炭車よりも最先端だ。すげぇ。ホントにエンジン掛かるんだ。
これもロストテクノロジーになりかかってるでしょうからねぇ。
オラも、最初は木炭や薪を燃やして走るんだと思ってたんですけど、実際は、木炭や薪から可燃ガスを抽出するんでしたよね。或る意味、ロケットストーブとか似てますよね。
これって、カーボンニュートラルの古典であり、最前線技術ですよね。
個人的には木炭車や薪車って、可能性あるんじゃないかなぁ?って思うんですけど、手間がなぁ。
何より、木炭も薪も、税金が掛からないのがイイですよね。
すごいことやりましたね。薪でバスを動かすことができたとは。
北朝鮮では今でも現役らしいです。
@@sasakkey2635 なるほど
戦時中の木炭バスだ🚌レトロで貴重すぎる🚌
薪を燃やして車を走らせようと思うと普通はSLみたいな蒸気機関を思い浮かべるけど、薪を蒸し焼きにして発生したガスでガソリンエンジンを動かそうって思い付いて、さらに実用化したんだから当時の関係者は本当に凄いな
三太号カッコいいですね😃だいぶ前厚木営業所でのイベントで見ました‼️
スゴい‼️の一言です😳‼️
稼働するものがあるとは思いもしませんでした。「木炭車」は聞いたことがあります、「代燃車」はこの動画で初めて知りました。実際に運航していたのですね。実際にお客さんを乗せて動させていたのかは疑問に思っていたのです。しかしそれでも苦労が絶えなかったでしょうね。
想像の中ではアクセルを踏みすぎると燃欠を起こしてしまい、運航の際何度もエンストするのだろうと思ってます。その辺の話も載せてくれればありがたいです。
木炭バス聞いたことはあったけど動体保存されているとは!神奈中さん凄い!
火が消えない程度に不完全燃焼させてCOを作るのは経験が必要なんでしょうね。
始動時に整備士の方がCO中毒になりそうでちょっと怖い、木炭バスが走っていた当時はCO中毒事故なかったのかな。
貴重な動画ありがとうございます。いつか木炭バスの始動、走行を直接見てみたいです。
ところでゴムや銅ではなく粘土をパッキンにする理由はなぜですか?
見ていて大きな勘違いをしていたことに気づきました。燃焼ガスを利用してたんですね。凄い。21世紀へつながるような原理でもある。さすが日本。しかしちょっと危険だなぁ😆神奈中さんいつもありがとう。
煙の量凄いですね~火災感知器作動しなくて良かったです!それにしても昔の人はすごいですよねー
これに頼らなければいけなくなるのは緊急事態時の証拠。資源輸入ルートが確保できなくなった戦前日本がまさにそうだった。そんな時代がもう来ないことを祈る。一酸化炭素が出るシステム上、死者も多く出たそうだ。
10年前の復活整備の際の映像があれば当時尽力した方々のお話しを交えた動画を公開して欲しいです。
貴重な動画ありがとうございます。
昭和28(1953)年頃走っていたそうです?
車の助手がボイラー係していたそうです。
ソ連捕虜帰国後の仕事が運送業だったそうです。
昔、湘南台のイベントで一般道を自走するのを見た記憶があります。
薪を燃やしているから現場は相当煙いだろうなと思って見ていたら、 9:39 マスクされましたね。ご安全に!
いや~も~ワクワクしながら^^拝見してました。
子供のころ体験乗車したことがありますが、それが何十年もたってまだ存在するどころか動かせるとは驚きました
35年ほど前に小田急線中央林間駅の北口にイベントだかでこのバスが来ていて、初めて見た私はバスの後ろに何付けてんだ??蒸気機関では無いし、動力になるのか不思議に思っていた。やっと詳細が分かりました。もっと良く見ていれば良かったと思います。
北朝鮮では今でもこの動力を使い現役で動いているみたいです。
昭和27年、小学1年の夏休みに親父の田舎の実家に行き、その帰りに、木炭バスを初めて見ました❗、坂道を登りきれないので乗客が降りて押していて、ビックリしました、
珍しい光景を見ました。
2011年7月の神奈中さんのイベントで三太号のエンジンが稼働している事を見ました。
代燃車と言えば「なかなか走れない」・「パワーが無い」ってイメージでしたが、普通に稼働していて印象が変わっていたのですが…
長年の眠りから目を覚まそうとしているとは言え、最新のバッテリーやスパークプラグを使用しても稼働にここまで手間が掛かるとは…(チョークレバーなんて若い人は知りませんよw)
それを見事に復活させた神奈中さんのメカニックの方々は、正に職人ですね。ステキです!!
これこそ正真正銘のゼロエミッション車です。実用性でも天ぷら油や太陽電池を大きく凌駕しています。電気自動車や水素自動車は燃料製造時に大量の化石燃料を消費します。始動に苦労していましたが、ガスに火をつけてもすぐに消えてしまうようだとエンジンも安定して回らないと言うことかな。
以前イベントで同じ内燃機関のトラックのエンジン始動&走行の動画を見た事あります(たしかビデオオプションの公式チャンネル。のむけんさんがレポートしてたはず)が…バスも現存してるとは驚きました😵
送風とか二次燃焼装置のようなものを新造してマイコン制御してみたい!
と個人的にはおもたよ〜
とりあえず、stl fileが欲しいな
此のバスで箱根越え出来たのかなぁ、、、😢
札幌では木炭バスの走行は成功してる筈なので神奈中バスも頑張れ。
あー。泣きそう。
へえー 物好きだな
すげーびっくり
こんな昔の自動車でも6気筒は凄い✨✨
プラグは相当昔から採用されてたんや✨
木炭車はガソリンエンジン仕様なんかな❓
LPG車のように✨
そのままガソリン使ったらめちゃくちゃ速そう🤭
戦中の木炭車は、元々ガソリン車だったものばかりです・・・
エンジンのピストンに、気化したガソリンを入れるか、木炭から発生したガス入れるかの違いだけなので
後付けで木炭ガス発生機をガソリンエンジンに直結する感じだったようですね。
プロパンのボンベも後付け出来るもんな✨
こんな大昔の自動車で、6気筒、スパークプラグあるのは凄い✨✨
木炭から燃料ガスを発生させる事ができるんやな✨
正式名称がオモロイ
スヌーピーバスも復活させて!
かっこいいなぁ
1/1は、買えないし置き場もないから、1/80のスケールモデルとか、欲しいなぁ
stlでもいいや
これこそ持続可能な開発目標
現代でも実在するとは…
しかし見ているだけで目がショボショボする😂
木炭自動車って現存してたんですね...!
ビデオオプションとかで出したらオモロイ連中が集まってくるw
小田急トラベルのツアーで見学しましたが、エンジンが動くとは。是非小田急トラベルのツアーで車庫内乗車ツアー企画して欲しい。
ワクワクしました 次の動画も期待
必死こいてクランク回していたと言うのを聞いた事あるけど始動大変ですね
初めて知ったw
可燃性ガスで動かすエンジンってw
今だと水素エンジンかなw
LPGもあるよ。
自分もLPGトラック乗っている。
笑う様な事か?今もLPGのタクシーとかあるけどな、、、
木炭ガスも水素含まれてますよ。
一酸化炭素中毒には注意しましょうねw
薪だとガスに含まれている水分が多いのではないだろうか。木炭の方がガスが乾燥していて着火しやすそう。
薪で動くバス🚌初めて見たよ😮
確かに 炭焼き窯(木炭を作る)の 煙突から燃焼ガスは出てきて 煙の色で釜内の火の周り方見極め 釜の蓋をして木炭を作ってました😂 それを車に活用するなんて 先人の方達って 勇気と知恵・探究心を持ってたのに 敬服します😊 また日本中で走ってもらいたいが 二酸化炭素が😂 登り坂がキツイと スピードが遅くて後押しをしてた親父達は運ちゃんと仲良くなって さつまいも🍠を 焼いて貰った😅って 言ってたなぁ。ちょっと呑気な時代でしたね😅
あの神奈中さんがUA-camに進出した事にびっくりしました!
一般車新カラーの「お30」・絶滅寸前のPJ-MP37J◯(ペタノン)・舞岡のヤマテライナーなどもあげて欲しいです。
あとネオプラン(せ200)
一酸化炭素が燃料ってことか…
これ実は北朝鮮ではよく使われてるみたい
車両はトヨタ製なんですね。
戦時中は木炭以外にも松の油を精製した松根油なる物を戦闘機の代替え燃料にした逸話もあるそうですが?
管理してる営業所は松蓮寺【原則(あ )】でしたっけ?