尾張氏の正体と謎!ニギハヤヒを祖とする実力者はなぜ隠された?

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 18 вер 2024

КОМЕНТАРІ • 24

  • @お肉屋さん-m7q
    @お肉屋さん-m7q Місяць тому +14

    続日本紀では、714年(和銅7)に尾張・上野・信濃・越後等から200戸を出羽柵へ移住させており、荘内年代記によれば、尾張国愛知郡の良民200戸が東禅寺(現酒田市松原)を開墾したと伝えています。酒田には小牧という地名が残っており、尾張にも羽黒や飛島など出羽に縁のある地名が残っています。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому

      人の移動は気候とも関係しているようですね。今まで耕作不可の土地も温暖化などで開墾可能になるとかありそうです。

  • @yolocobi5945
    @yolocobi5945 Місяць тому +7

    名古屋在住で尾張氏の歴史を調べていましたので、改めて参考になりました!
    ありがとうございました😊
    一点気になったのが、名古屋守山区と瀬戸市境にある、東谷山のしだみ古墳群(尾張氏の拠点)、尾張戸神社あたりの解説がなかった点です。(尾張氏の古墳群と熱田の奥の院がここにあります。)
    さらに高倉下は最初に、高蔵寺の近くの高倉山(高座神社)に降臨した伝承があります。(東谷山のすぐ近く)
    熱田へ移る前はここあたりが尾張氏の拠点だと思われるので、ここの解説があったらさらに内容が濃くなるなぁ、と感じました。
    またいろいろとこちらの投稿を拝見したいと思います♪

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому +1

      作っていて気がつきました、もう少し深堀りが必要だと。尾張氏は奥が深い。

    • @hoakarikusitama6573
      @hoakarikusitama6573 21 день тому

      高倉神(天香語山)と高倉下は別人だと思います。

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Місяць тому +5

    【むらくも歴史チャンネル】さま
    お名前に惹かれて
    動画を拝見しました。
    良く調べておられますね。
    ここまでご存知なら、
    旧出雲王家に伝わる伝承を
    お読みになれば、
    綺麗に繋がってゆくと思います。
    【天(海)村雲】こそが、
    初代ヤマト大王だと言うことです。
    ざっくり言いますと、
    徐福が2度渡来していますが、
    最初の渡来の時、
    天火明と名乗ります。
    大国主の娘【高照姫(天道日女)】
    を娶り、
    五十猛(海香語山)
    を生みます。
    その子が村雲ですね。
    海部氏3代目です。
    籠神社奥宮の
    真名井神社の御由緒に
    はっきり海部3代目とあります。
    徐福は一旦大陸に戻り、
    二度目は九州に上陸し、
    ニギハヤヒと名乗り、
    市杵島姫を娶って生まれたのが
    【彦火火出見】といいます。
    神話の山幸彦と同じ名ですね。
    こちらが山幸なら、
    異母兄の【五十猛(香語山)】は
    海幸彦となります。
    海部家となったのは
    神功皇后の時代で、
    それ以前は海家と呼ばれていました。
    彦火火出見の子孫に、
    五瀬とウマシマジの兄弟が出て
    第一次物部東征を行いますが、
    失敗して九州へ戻り、
    その後、後に崇神天皇や
    垂仁天皇と呼ばれる子孫が出て、
    第二次物部東征をし、
    村雲の子孫である磯城王朝を
    倒すのです。
    これが海幸・山幸の神話として
    描かれます。
    村雲は先にヤマトを開拓していた
    登美家のタタラ五十鈴姫の
    婿として迎えられ、
    初代大王になります。
    村雲の死後、
    後継者争いが起こり、
    皇統を継いだのは、
    タタラ五十鈴姫の血統になります。
    伊加里姫や阿俾良依姫の御子たちは
    ヤマトを出てゆきます。
    丹波へ戻ったのが海部氏となり、
    伊勢湾沿いに進出したのが尾張氏、
    ヤマトに残ったのが葛城氏となり、
    全て同族です。
    天叢雲剣は、
    元々、大王就任のお祝いに
    出雲王家から贈られたものであり、
    【村雲の剣】という
    個人的所有物でした。
    (村雲は大国主のひ孫になり、
    タタラ五十鈴姫は
    事代主の娘ですから、
    ヤマト政権は出雲王家の分家でも
    あるのです。)
    ですので、
    村雲の子孫たちが継承し、
    管理をしていました。
    それが尾張氏であり、
    最初から尾張氏が持っていたのです。
    正史を作るときに、
    徐福の名は隠さねばなりませんでした。
    徐福を隠したために
    村雲も隠され、
    尾張氏や海部氏が
    元々のヤマト政権の
    創設者であることも
    記述できなくなったため、
    何故、剣が熱田にあるのか
    その理由の説明ができず、
    ヤマトタケルに運ばせたのでしょう。
    詳しくは
    大元出版の各著作をお読みください。
    初代大王の名を冠する
    素敵なチャンネルさまへ。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому +2

      出雲口伝の本は読んでみたいと思います。情報ありがとうございました。

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Місяць тому +2

      @@kumao01nigi さま
      出雲口伝は
      【人間】の所業が
      淡々と綴られています。
      一番驚いたことは、
      時間的にも空間的にも
      ずっと繋がっているということです。
      多くの文献が
      その文献の限られた世界があり、
      その中で収まっているのに対し、
      四方八方に制限なく繋がってゆくことに
      大きな衝撃を受けました。
      正史で観えなかった部分が
      浮き出て来ます。
      出雲口伝を知ってから、
      古事記には
      無駄なことは何一つ
      書いていないと確信できました。
      なんでこんな変なことが
      書かれているのだろう…
      という記述が多い古事記でしたが、
      全て意味がある
      メッセージだったのです。
      出雲口伝と正史は
      同じことを言っていたということです。
      一字一句
      全てが正しいとは言いません。
      出雲口伝の中でも、
      筆者によっては違う記述もありますし、
      わたしの考えと違う部分もあります。
      ですが、
      大筋でこのようなことがあったのだろう
      という点では納得しています。
      ちなみに
      良く広まっている
      【謎の出雲帝国】は
      出雲口伝ではありません。
      こちらを読まれると
      勘違いをされると思いますので、
      大元出版の本を読まれることを
      おすすめします。
      【出雲王国と天皇政権】
      (第一次東征まで)
      ここから始めるのが良いでしょう。
      【魏志和国の都】
      (第二次東征まで)
      邪馬台国が分かります。
      【仁徳や若タケル大君】
      (雄略天皇まで)
      河内王朝とはなんであったか。
      このくらいを読まれますと
      大きな流れが理解できます。
      【出雲と蘇我王国】も
      興味深いですよ。

  • @trinitydisconnect
    @trinitydisconnect Місяць тому +1

    尾張氏関心高いですね。1万再生ですか。
    八日市の阿賀太郎坊宮・【天之忍穂耳】からの尾張の一の宮。
    近江の永源寺が、愛知川があり、永源寺の八風温泉からの愛知川は、秋の紅葉と調和のとれた風景です。
    南に下ると水口町・水口神社・大水口の宿禰も天之火明命の子孫と由緒書きにありましたよ。
    ある仮説によると、奴国α郡(奴・名前のない奴=雲)が、尾張に引越しして後期銅鐸文明エリアと融合して近江・高島市の安曇川から丹後半島に勢力を伸ばして行くのだとかありましたね。
    そして、奴国β郡が、現地の残留組(操縦が居ない・王が居ない的意味?)なんだとか。ほんとかな?
    伊賀の高倉下神社もあるので、ニギハヤヒ系は、後期銅鐸文明エリアを吸収した後に物部連祖・イカガシコオになり、娘のイカガシコメを8代天皇の后・9代天皇の皇后・10天皇の皇太后になる系譜ですね。
    奈良も後期銅鐸文明エリアで銅鐸製造してますが。
    伊勢湾から北上すると海部の文字見かけますよね。
    中臣・藤原氏が、悪だくみしようとも、文字の意味は消せません。
    愛知と愛媛。小千命と越智氏と持統天皇。何やら感じませんか?(笑)

  • @celiacartery5090
    @celiacartery5090 Місяць тому +4

    飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)は関係ないのでしょうか? オワリ-ダとも読める気もします。

  • @渋谷和弘-e7l
    @渋谷和弘-e7l Місяць тому +2

    国土は古代は陸に入り江ですね。家康が秀吉に国変えされた関東江戸も入り江だらけだったの村が点在する場所だったが、見事に工事して江戸となりました

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  Місяць тому +1

      大阪市、名古屋市、福岡市も同じように海から徐々に陸地になったようです。

  • @kenichiyamaguchi6761
    @kenichiyamaguchi6761 Місяць тому +2

    解けない神話をもつ民は千年王国を築く。
    いよいよ元年が始まろうとしています😄🌿

  • @渋谷和弘-e7l
    @渋谷和弘-e7l Місяць тому +3

    中々、藤原不比等は策略家ですね。いろんな物隠して、天皇の権威を高める為に、いろいろしていますね。困った歴史上の人物ですね

  • @加藤慎吾-l9r
    @加藤慎吾-l9r Місяць тому

    大和朝廷を軍事と建設の人員をかなり援助してたみたいですね。奈良の遺跡から尾張三河の土器が出土数の約半数出てる。奈良盆地は半分沼地みたいな感じで人口が自然増加したとは考えにくい。濃尾平野も今ほど整備されてるとは言えないが穀物は比較にならない生産されてたと思う。と言うことは人口は多かったと思う。

  • @hoakarikusitama6573
    @hoakarikusitama6573 21 день тому +1

    尾張氏の祖神は、ニギハヤヒではなく天火明尊ですね。

    • @hoakarikusitama6573
      @hoakarikusitama6573 21 день тому

      物部書ベースでは天部の実像はつかめません。

  • @kouseiyamada1402
    @kouseiyamada1402 Місяць тому

    ニギハヤヒには後継がなく、系譜を辿ると、養子が継いだような感じが残っていたような気がします。ニギハヤヒ自体がナラヲキミの養子でしたが。

  • @渋谷和弘-e7l
    @渋谷和弘-e7l Місяць тому

    天武天皇は出家し静かにしていたが、天智天皇の皇子がいよいよ大人となり天皇の話しあり、行動し皇統の次に就く為戦略的に動きますね。尾張氏の軍事力が後押しし戦い成功した

  • @森岩光
    @森岩光 Місяць тому +6

    天(海)忍穂耳尊
    =徐猛
    (徐福の父親)。
    高幡千千媛命
    =(徐福の母親)
    徐福は本名を徐市と言い、
    市は、フツと発音したと言うから
    フツ○○神は徐市(徐福)の事になります。
    徐福が出雲王国でクーデターを起こし引っ掻きまわした際に
    自称していたのが
    彦ホアカリ。
    出雲王国でのクーデターに失敗して
    秦の始皇帝を再び詐欺して
    三千人と共に
    北九州地方に再度の渡来を果たし
    吉野ヶ里をほ本拠地に北九州を支配していた
    出雲王国の分家、
    宗像王家の惣領、
    宗像のサヨリ媛(市杵島媛)と結婚して
    物部王家の祖となる
    彦ホホデミ命と、
    大和王国海(アマ)王朝の大祖母となる
    ホヤ媛命を生んだ。
    この際、徐福は
    ニギハヤヒを自称した。
    (九州妻のサヨリ媛(市杵島媛)はこのニギハヤヒと名乗る
    色男が実は彦ホアカリであり、
    2人の姉(の息子と夫を暗殺された)と出雲王国の仇敵で有ることは全く知らなかった。)
    先の出雲王国でのクーデターに際して
    出雲王国の内親王、高光媛と結婚して生まれた
    五十猛命が
    父、徐福のヤラカシた
    クーデターの失敗の後、
    引率してきた二千人の秦人らが散り散りになっていたのを
    出雲王国の許可を得て
    糾合して
    新天地の丹波に集団移住して
    リーダーの
    五十猛は丹波国主となり
    五十猛。改め、
    海(アマ)香語山を名乗り、
    海(アマ)家を創設した。
    ソコに、異母妹のホヤ媛が嫁ぎ、
    大和王国海(アマ)王朝
    初代大王となる
    海(アマ)村雲命を生んだ。
    海(アマ)村雲命が
    徐福のクーデターを忌避して大和に集団移住していた
    出雲族らを威圧、
    丹波勢が先住の出雲族を凌駕した事から
    出雲族側が折れて
    海(アマ)村雲命を大王と認め、
    代わりに大王后には
    出雲族側のリーダー
    登美家のクシヒカタの妹で
    三輪山の姫巫女に就任していた
    媛タタラ五十鈴媛命との政略結婚する事で
    大和王国海(アマ)王朝が成立を見た。
    大王家(宗家)とは同父母から生まれた
    後の尾張家が
    三代目タマテミ大王の即位に絡み、
    大王継承権を持ち出してゴネ始め、
    やがてそれが拗れに拗れて
    大和王国は内乱に突入して混迷を窮めた。
    三代目タマテミ大王即位に際して、
    高尾張(葛城の笛吹)の
    大王宮にあった
    村雲大王が出雲王国から拝領した出雲式の青銅剣を勝手に持ち出して
    タマテミ大王に渡す事を拒絶。
    以後、尾張家が
    件の剣(村雲剣、草薙剣)を保持し続け、
    孝霊天皇の時、
    大和の内乱につけこんだ
    同祖親戚の
    物部王家軍が
    大和王国海王朝を裏切り
    物部に走った
    太田多禰彦(太田田根子。八咫烏)の手引きで
    大和王国海王朝は物部王家軍に席巻され
    旧来の海王朝勢は各地に散開した。
    尾張家も同様で
    中京地域に至り盤きょして
    地方王国化。
    尾張王国を築いた。
    件の剣を納め祀ったのが
    熱田神宮。

    • @hoakarikusitama6573
      @hoakarikusitama6573 21 день тому

      引用元を明示しようね。斎木雲州口伝丸写し。当該論は世代が合わない、、、

  • @UnknownUnknown-nx7ov
    @UnknownUnknown-nx7ov Місяць тому +1

    残念ながら、複雑すぎてさっぱり理解できない。