【ゆっくり解説】本州最北端の戦国時代がヤバすぎた。。。『青森の戦国時代』の情勢を徹底解説!!
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- Опубліковано 25 жов 2024
- #ゆっくり解説 #ゆっくり歴史解説 #日本史 #
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津軽は関ヶ原の後も面白くて
為信の子が三成の子供たち連れて帰って匿ってたり、
その連れ帰った三成の娘(辰姫)と、家康の娘が為信の子に嫁いで最終的には辰姫の子が津軽家を継いだりと
石田三成が好きな人にはたまんねえだろうな
たしか石田家の血縁の方は津軽でご存命ですよね。
大河ドラマでは無理だろうが、南部や津軽などの戦いや生き様をドラマ化して欲しい。
ナイス〜頼んます
むしろ需要のみしかないと感じる
中世のやつは大河でやってたやろ、昔。藤原氏とか。
小説はありますね。「髭の殿様」
需要はあるよ。
おかしな思想入れなければ戦国大名の物語は普通に面白い。
関羽大好きすぎて髭伸ばしまくった津軽為信さん
青森県と岩手県の過去は面白いんですよね。
元々同族、親戚縁者だったのに権力争いして、騙し合い、殺し合いをしてた。
小高い丘を見つけては城と称して館を建てて謀議ばかりしていた(笑)
安東氏が滅んでからの津軽は実質的に南部出身者が支配していたことを知らない人は意外と多いです。
ちなみに九戸や一戸の子孫は津軽地方の鰺ヶ沢などに今も生活していらっしゃいますよ。
九戸の乱の時、今まで戦争していた東北諸藩の大名が皆、こぞって九戸に集まったんだよな。ちなみに秋田氏は安東氏の名前を変えた大名だね。普段は戦闘をしていた大名が全部集まったのだから、さぞ壮観だったに違いない。蠣崎氏なんかは北海道からアイヌ兵を連れてきている。
ちなみに九戸政実の子孫は津軽藩に匿われて現在も津軽にいます。
せっかく奥州の仕置を終えたばかりなのに、さっそく乱が発生したので秀吉は激怒したのですよね。
このときに四戸が消滅したんだったかな
どうでもいいけど青森県ってなんかわからなんけど謎の不思議な力で護られてるとこあるイメージがある
まぁキリストの墓()とブッダのお骨()が眠ってるからな
@@ザミラのザミザミ 様
探せばきっとマホメットのなんとかが見つかる、とかつて伊奈かっぺい
氏が申しておりました(笑)
安東氏は海運業で利を得て『石高(領地)をもたぬ大名』と呼ばれる程になりましたね
北前船の一部を代行したり、蝦夷地との貿易船の護衛をしたり、湊に館を建てて商売や問屋業をしたりの大儲け
秀吉の奥州仕置で10万石の藩にさせられた、という感じ
ちなみに秋田は佐竹氏が関ヶ原の戦い以降に転封になってから名乗った
難しいだろうけど、読み仮名しっかり入れて欲しいです。たっことかぬかのぶとかしっかり入れて欲しいな。
地元視聴率高いと思うんで…
違和感で中身入りづらくなるともったいない
津軽家は南部家が家督問題で揉めてる時にどさくさに紛れて独立して、そのまま独立を認められたし、石高が南部より高いんだったかで余計に南部家は津軽家が許せないんよ。
秀吉に手紙を書いて承認されてる。
江戸時代を通して南部家の石高の方が高かった気が。
津軽は最後には皇族にも取り入るし、世渡りの上手さがすごい
@@YamasunYamasun秀吉への謁見が僅かの差で津軽家の方が早かったそうな・・・
津軽藩の実高30万石超えてるからな
盛岡藩よりかなり豊か
津軽為信、大名として認めてくれた秀吉に恩義を感じていたのか城内にある神社に秀吉の木像を祀っていた。
南部氏は源義家の弟の義光の孫、加賀美遠光の子供の南部光行が初代。かの甲斐武田氏の祖に当たる源(武田)義信が光行にとっての従兄弟に当たり、弓道で有名な小笠原氏の祖、小笠原長清が兄弟にあたる。
つまり他人ですね
9:13
晩年まで活躍する北奥羽の名将で、そのネームインパクトは(ある意味)戦国随一の人物が早くもこの時代から活躍してたのか😊
秀吉は奥州では武力を使わなかったのも九戸らに舐められた理由なんだろうかね
そして再仕置きで圧倒的な力を見せつけ、二度と反乱を起こせないように約束を反故にしてまで滅ぼした
EDカードで使われてる曲ってなんですか?
好きな曲調だなと思ったのでフルで聴きたいです。
三戸 みと? さんのへ です
うおー!!一戸二戸三戸五戸六戸七戸八戸九戸
奥戸(おこっぺ)もあります
陸奥は鎌倉時代末期に抗争があり、これを鎮めるのに失敗し、執権や内管領の権威の失墜、これが決定打で幕府は滅んだ、とも言われる。
日本で云う処の、スコット・ランド
もっと、大切に扱って
おくれやす。
当時は何を食べていたんだろうか? 南部藩側に夏が寒い日が有って、現代でも米が取れない時がある。十三湊 は日本海側の津波に消された遺跡があったような記憶がある。
最後は1580年頃で閉めているようですがこのあと不思議なことが起こります。関ケ原で敗れた石田三成の子供6人居るうちの二人を津軽氏が引取ります。娘は嫁に息子はそのオマケだったけど嫁に子供が生まれず養子にしちゃいます。権現様がよく許したものだと思います。なんかあったんだろうなぁ。
日本で最初の関白が四国上津国の藤原基経で経津主神は
陸奥出羽按察使として鹿角へ来た。
常陸国の建御雷、上毛野国の上野氏は上津国、摂津国と共に平安時代の金の産出地蝦夷統治に務めた。
崇峻天皇の第三皇子蜂子皇子は大化の改新で聖徳太子とヤタガラスによって出羽三山に逃れ守護神となり、
欠史八代の国譲りで東北に消えた事代主は北東北の守護神牛頭天王となった。
この国譲りの儀式で使われた前方後円墳とピラミッドは共に八卦・二十八宿・ホロスコープの星座早見盤(天に照らし合わせるアマテラス)で、
日本海と朝鮮三国と関西・関東・東北の案内人の術師ヤタガラスによって【混ぜ合わされし者キリスト馬宿王・聖徳太子】は生まれた。
その空白の四世紀・欠史八代天皇の伝説はシルクロードを渡ってヨーロッパにキリスト教をもたらした。
ケルト神話やヨーロッパに刻まれた神代文字によって
バチカンも知るところだけど、四世紀、四国、四戸、奇魂クシミタマのキリストは再び前方後円墳の儀式ヘルメス・トリスメギストスが行われる時まで櫛引八幡宮に封印されました。
青森出身なのですが、櫛引、毛馬内、川守田……こういった名字の方と関わった経験があります。
やはりこういった歴史に由来する方の子孫だったのでしょうかと考えさせられました。
もろに子孫です。
鰺ヶ沢の知人に一戸さんがいますが、岩手から援軍で行ったり、逃げて行った子孫の方です。
それらの苗字は、青森県では割とみられますよね。
それらの領主が治めてた地域の農民が明治になって苗字にしたという話もあります
姉帯という名字の方もいましたね。
藩内体制がしっかりしていた八戸、盛岡、秋田と違い弘前藩は藩主を筆頭に家臣其々が保身に奔り統一されず物色外交を重ねていくので新政府側からも不信を買っていた事が伝わっている
その為弘前津軽藩は一時は錦旗の返還まで要求されている
その後、新政府側から鶴岡、秋田戦争、箱館戦争への出兵、兵糧等を立て続けに命令されて年間の藩の予算を大幅に上回る出費を余儀なくされて、打つ手が無くなった挙句に藩札を出したが一瞬で紙切れに変わっている
窮地に遭った弘前を偶然救ったのが斗南の広澤安任と八戸の太田喜満多(広城)が画策した南下するロシアに対抗する為の現在の青森県構想
新政府からの強い圧力で意思統一されない弘前藩を押し付けられ、
渋々引き受けた挙句、新政府が駐留する弘前へ当初は県庁を置く事になったが、やはり弘前の能力、資質ではその任は果たせないと判断されて僅か19日で箱館との交易港の現在の青森へ県庁が移された
莫大な借金を背負っていた弘前津軽藩はこの後、広澤安任、太田広城が国から資金を借入て始めた洋式牧場に習い青森県から資金を借りて同じ洋式牧場を始め次に洋式りんご栽培を奨励してようやく糧を得ていく
弘前藩の平均歳入は約45万両に対して
戊辰戦争終結後の支出は箱館戦争の戦費を含まず49万5000両
箱館戦争の支出はこれ以上の支出を重ねていた
廃藩か秋田藩直轄領地になるしかない状態であった弘前藩
しかし秋田藩は藩内がごちゃごちゃで且つ財政破綻状態の弘前藩を直轄地にするのはヤケボックリを懐に入れるのと同じだと頑なに拒否をした
行き場が無くなった弘前藩は新政府より青森県への誘いがあった時には溺れるもの藁をも掴むで一も二もなく懇願して参加した
野辺地戦争でも八戸南部藩にコテンパンにやられて敗走している弱過ぎ津軽藩であった。
県庁を青森に奪われた弘前は、その復讐とばかりに旧制中学を青森から奪っております(旧制青森一中が現在の弘前高校なのはそのため)。
@@a2s54ghu76 国立大学もそうだな
弘前藩は気の毒なような気がする。
盛岡市でタカラレーベンマンションの写真が問題になったのも歴史的要因があるのだ
弘前市に建てていた同社のマンションのチラシは弘前市の中心市街地から見える岩木山をちゃんと使っていたので、余計に話が面倒に・・・。
現代でも続く、因縁だとかなんとか
九州、四国の武将も大河になってないもんな
立花宗茂とか大河にすごくいいんだけどな。秀吉の焼き直しの秀長とか江戸の瓦版屋やるよか絶対いいよ。半島への忖度なんだろうけど。
@@クマーム
今回の大河じゃ、紫式部が主人公だけど、清少納言も副主人公?で出てますね。
それと同じに、立花宗茂と本多忠勝をセットで出せば良いかも。
タイトルは、銀杏と葵とか。
@@クマーム 中々渋い人選ですな。歴史好きには貯まりません。
@@liond3104
実父、養父の教育、誾千代との関係、激戦岩屋城の戦い、危機一髪の朝鮮の役、ライバル島津義弘との関係、関ヶ原とその後の浪人生活、柳川復帰、島原の乱で終幕と下手な題材より余程面白いかと思うのですがね。
訛りが酷すぎて放送できない
津軽と南部ってすごく仲が悪そう言葉通じないって言ってた奴居たし
三日月の 丸くなるまで 南部領
地名としての四戸は無いけど、名字としての四戸はある不思議
昔は四戸って地名もあったと言われてますね。現在の五戸の浅水地区だったかと。自分が聞いたのは四戸の、四=死を連想して縁起が悪いからなくなったって説です。
身内同士で殺し合いして青森からはほとんど出ない
虚しいな
内紛は甲州にいたときからの南部氏のお家芸なんでね
南部氏の本家、山梨県の歴史も凄いよ(笑)
東西でもめるから、廃藩置県で青森市は未開の中央に置いたんですよね。
八甲田があるから令和の今でも行き来は不便だし有料道路通るか青森市を迂回するしかお互いに行き来できないw
津軽は裏切り者だとかいうけど、身内同士の争いしかしない南部家に嫌気を指して津軽を平定しただけだな。
南部本家(岩手北部)の高僧が八戸に行った際は八戸の僧の平身低頭はすさまじいものらしいw
ようこそ八戸くんだりまでお越しくださいましたって()
南部本家の人と話したけどぶっちゃけ八戸とかには南部を名乗らないでほしいってぼそっと言ってたのが印象的だったよ。
津軽と南部(青森東側)が今でも仲が悪いというけど、岩手北部からも嫌煙されている。
弱者が強者の悪口を言うのは どこの世界でもいつの時代も同じ
謀反の大義名分に「身内同士の争いしかしない南部家に嫌気」を利用しただけ
ましてや下克上が当たり前の戦国時代ならチャンスがあったら謀反で下克上とか珍しい事じゃない
読み間違いは見る気なくしますね
みとって何w
津軽為信の髭やべー
蝦夷の血が濃いんじゃないのか?蝦夷は毛が多いという記述だし。そしてそれがアイデンティティとなり、南部氏よりは津軽氏という民衆の支持に繋がったのではないだろうか?
浅野長政(あざいながまさ)参戦!
冥府の軍、強そう(笑)
南部地方と津軽地方の仲は良くない。
最近だと、知事選挙で南部地方と津軽地方でやり合って、南部地方出身の方が知事になりました。津軽出身の知事はやらかす人がいましたから。過去に。
津軽藩(弘前藩)は米の石髙が実質30万石もあり江戸幕府からの扱いは南部藩(岩手)より格上あつかいだった。南部諸藩の八戸藩は津軽にとっては敵対勢力でしかなかったが、ゲガジと言われるぐらい飢餓が頻発しておこる地域だったから、米が豊富にとれケシの特産品もあり強力な財政基盤の津軽と合併させ、弱小で飢餓もひんぱんに起こっていた八戸藩を救済させるように津軽に八戸南部を合併させた。津軽にとってはえらい迷惑だった。八戸藩にとって運が良かったのは、その時の八戸藩主が薩摩藩(鹿児島)から婿養子として来ていた人だったから。官軍の主力、薩摩藩出身者が領主となっている八戸藩を潰すわけにはいかなかった
米どころ津軽は見栄張り粉飾だらけのハッタリ虚言だった
飢饉による餓死者
元禄8 津軽藩10万 南部藩4万
天明3
天保4 津軽藩3万5616
天保10 津軽藩4万7千40
天明三年の津軽藩には8万1702人説もあり、最後の天保の大飢饉では津軽藩で天保8年だけで4万5千人説がある。
野垂れ死にを加え、飢饉の犠牲者が何万、何十万あったのか実はよくわからない。
史料に死者数が出ているものから拾い上げると上のようになる。
しかし、これとて異説異論があってはっきりしない。
例えば元禄8年の津軽藩の死者数は20万人説もある。
五大飢饉のうち、元和元年や天保8年等が上に入っていない。
確かに元和元年の飢饉は翌春『弘前城堀端に餓鬼山が出来る』ほどの大飢饉であった。
なのに犠牲者の具体的な記録はない。
次に、餓死者が多いからイコール大飢饉という等式も実は当てはまらない。なぜか。天保7年飢饉では、津軽藩で死者が多数出ているのに、八戸藩にはない。
これは記録がないのではなく、実際に死者が出なかったのである。
八戸藩が適切、有効な手を打ったのと反対に津軽藩はあれよあれよと騒ぐだけで手をこまねき傍観するだけ、あるいは凶作なのに貯蔵米を売りに出してしまう失政などで、その差がはっきり出たのだった。
今でも南部と津軽は仲が悪いからな……
ぶっちゃけ南部、津軽、下北は現代でもそんなにアクセスは良くない
実際に八戸に住んでるが津軽(弘前)より岩手(盛岡)の方が馴染がある
まあ、蛇足だしどうでもいい話だが、青森No.2は八戸ですよ、人口も経済も弘前は問題にならない
新幹線が新青森に来るようになった時から、本当に弘前〜八戸方面の公共交通でのアクセスが悪くなりましたね。弘前からも八戸に行くよりは新幹線か高速バスで盛岡に行く方が行きやすいまであります(^_^;)。
南部と津軽でそんな仲悪いか?部活の練習試合でどっちにも行ったけど全然そんなこと感じなかったけど
政治の世界では悪いよ、金や権力の引っ張り合いしてるしね
一般人は南部、津軽共に余り興味が無い、仲が悪い以前の問題
トータルで考えると仲は悪いよ
@@shshsh553 仲悪いというのとは違うのですけどね。どちらかというと、アクセスの要因で、ひと頃より往来する動きが減っている感覚です。ただ、変に張り合っている構図を作っているところはあって、それをネタとして面白がる人もいれば、対抗意識を考えすぎている人もいるという感じですかね。どうとも思わない人が大半ではあります。
今はそんなに仲は悪くないですね、昭和半ばくらいまで?な気がします。
実際に甥は津軽育ちの嫁さん南部地方、両家は仲良しです。
いとをかし日本の歴史様、3:08は間違いです。八戸が青森県第2の都市。青森市人口26万人(中核市)、八戸市人口21万人(中核市)、弘前市人口15万人。都市力、経済力ともに八戸が弘前を圧倒している。青森県の歴史を特集する場合、このような数字や順番は絶対に間違えてはいけません!
糠て
とうほぐはまきょうでござる・・・
まあ人間の住むとこじゃないしな
青森市に住んでるけど
青森弘前に続く第3の都市八戸???
弘前に続く??第3???😮
安倍水軍。
九戸って岩手県なんですが…青森の戦国時代じゃなくて南部氏の戦国時代ですよね!タイトルがまちがってます
いちいち細かいな。黙ってろよ
明治時代には、九戸郡も青森県だった時期があります。
まぁ 南部の居城が三戸城だし
廃藩置県直後の地図を見ると面白いよ
青森県ちゃんと九戸郡まで入っているからね
@@メープル味-t6y それでも、その事実を今の九戸民は認めたくないのです
ちなみに自分は青森県民
米も不味かったかな🌾
不味かったなぁ
広さだけだからなぁ陸奥北部って
というより山がとにかく多い上に寒いし、水運もそこまで発展していない上に産業もあまりないから重要度が低い。
津軽平野は結構広く、米作の北限地でもあったから穀倉地帯で、南部氏と津軽氏の抗争の地だったんだよ。太平洋側はヤマセが吹くから、コメがあまり取れなかったしね。
中世は北海道の物資を運ぶ中継地として栄えたんだ。安東氏の十三湊は北海道の昆布や毛皮などの中継地として栄華を誇った。嵐があっても比較的安全な日本海航路が確保できたからな。昆布なんかは薩摩、琉球そして中国まで流通している。
@@55tg
重要度が低いならわざわざ関東・関西から攻め込むメリットが無い気がする。
三八上北は八甲田の火山灰が堆積して水はけが良すぎるので、稲生川の造成までは稲作に向かない土地ばっかりだったんだっけね
南部氏は甲斐の国の南部郡一帯を治めて居た甲斐源氏です!津軽氏も南部一族の久慈氏の末席なので、青森、岩手は源氏が治めて居た事に成ります。
安東氏は滅んでませんよ!蝦夷に渡った一族と南下して秋田を治めた一族の二手に分かれてましたから!其れと、安東氏の本氏は安倍氏で前九年の役で
滅びましたが、四国、九州、山口に流されて子孫の安倍晋三さんが日本の宰相と成り岩手の蝦夷の俘囚長の末裔が天下を取ったのです!