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「ただ精神科医は普通の瞬間にいるわけではなく、患者さんにとっては病気で苦しんでいるという人生の中でも特殊な時間に会う特殊な人たち」という表現にハッとしました。私は普段「自分が特殊」ということは意識しても「特殊な時間にいる」ということは意識してきませんでした。病気は一生で、この苦しみが普遍的なものに思えていたのです。ですが、この表現を見た時に、私は今たまたま病気で、たまたま医師のお世話になっている、ただそれだけのことに思えたのです。些細な言葉のマジックですが、そう感じられたことが嬉しかったです。ありがとうございます。
理解はできないけど理解しようとする努力は続けていきたい
同感です
家族でも友人でも他人は他人。色んな人がいる。それで良いと思います。自分の考え方も他人の考え方もとても大事です。わかり合えなくても何も問題ありません。でもどこかで通じ合える瞬間があるのは良くわかりますし、その時は嬉しくなります。
カサンドラのくだりのお話とてもしっくり来ました。ほんとに、恋は盲目で結婚し子どもが生まれた瞬間、あれ?となりました。気付いて行くとどんどん気持ちが悪くなり、もう理解し合えないと…深みにはまっていきました。先生の動画でまた、一つ勉強になりました。ありがとうございました。
とてもためになる動画をありがとうございます。元彼は未診断でしたが発達障害的な傾向があり本人もそう思っていたようです。複数の事柄で、私が「嫌だ」と言っても繰り返されることがあり大事にされていない、好かれていないと悩んでいました。よくよく話すと、彼は嫌がらせをしようと思ってしている行動ではないのに、私が嫌だと拒否することを理解できないから繰り返してしまうような感じがありました。彼のなかに私を喜ばせたりしたいという気持ちがあることが理解できました。お互いに愛情らしきものはあるのに、彼が楽しいと思った時間は私にとっては辛く、またその逆もありました。根本にある愛情を信じようと思いましたが、やはり上手くいかず度重なる喧嘩の末に別れました。彼の特性の問題だけでなく、私は境界知能であると最近分かり、私の世界も平均から離れていてすれ違いの原因だったと思います。今回の動画での、世界が違いすぎてゾッとするような感じは私だけが困惑していたわけではないのだと知ることができ、少しだけあの時の傷が和らいだような気がします。ありがとうございました。長文失礼しました。これからも動画楽しみにしています。
以前にもこの動画をみてコメントしています。が、夫とカウンセリングを重ねるほどゾクッとすると言う例えのところよく分かり共感しまくりです。異質の人と時間を重ね、話を聞いて理解できる点を探そうとする先生、仕事とは言え…すごいなと感じました。
少し前までは、自分と違いすぎる価値観を持った人に出会ったときに理解できすぎに苦しんでいた時期もありましたが、23歳になって、自分と全く違う価値観の人もたくさんいて、人間って本当に面白いなと思えるほどの余裕ができました。私は軽音部でバンド活動をしていたので、知性を超えた繋がりについてとっても共感できました😂
父は自分の考えしか認めない人でした。病気になり、認知の歪みを知りました。まさに自分。他人を認める方法を知らず、ふりかえると殻にこもっていました。理解しあえる楽しさも、まだよくわかりませんが、先生の声を聞くと希望がわきます。
一人で心細いと思い寂しいとき、先生の言葉 声を聴くと勇気が湧きます。
なるほど…なことが聞けました。率直な話し方で聞きやすいです。医師としての立場上、言う言わないの壁を越えて下さっているように感じます。ありがとうございます。
最後のまとめの、絶望するのではなくて、よい瞬間、理解し合える瞬間を大切に。という言葉が心に残りました☺️ありがとうございます。
先生の言葉が心の中に ストーンと落ちました。夫は全くの江戸っ子。私は元北九州市民 仲は良いのに食べる物も金銭感覚も違います。鬱病になった時は黙っていました。夫の家族が元気印だったから。今は私が1番明るく生きているかな😄 果報は寝て待て でした。
発達障害のパートナーとの関係に悩んでいて、1年前のこの動画を見返しました。最後に先生がおっしゃった、良い瞬間、共感できる瞬間を大事にするという言葉がすごく響いて涙が出ました。当事者も周囲もそのように思えたら良いですよね。ありがとうございます。
その人と分かりあいたくても話せば話すほど距離ができました。その人にとってたぶん私はおかしな人で理解ができない存在なんだと思います。相手の立場を考えるとそうしてしまうのもわかります。自分でもおかしいとわかってるので。でもその思考が止められないんですけど。仕方ないと分かりつつ寂しいです。最後に言われてた知性を超えたものでなんか分かり合えたような通じ合えたような感じがするので、それがあってよかったなぁと思ってます。
親子は100%分かり合えない全くその通りです。夫婦なら尚更。職業の立場の違いの例えがとても分かりやすかったです。母親で例えると昔から専業主婦VSパートVSフルタイムVS子供の数VS親が同居VS近所VS遠いとそれぞれの立場でそれぞれの苦労話があるのできりがありません(笑)相手の立場を思いやる事は続けたいです😌
発達障害がわかった時の、闇に落ちていく感覚を思い出して胃がキュッとなりました。私は誰かと理解し合うのをずっと前に諦めてしまいました。なのに寂しかったのかもしれないですねー。たしかに障害の配慮とか、パートナーとしての喜びを求めるなら歌でも踊りでもいいから何かしらの側面で理解し合った方がいいかもしれないですね。分かり合えない部分もあるかもしれないけど、それで精神的共鳴を諦めるのも極端かなと思いましたね。
肉じゃがとカレーの作り方知識があることが尊敬できた。先生のUA-camは好き。医学を机上から臨床を踏まえてご自身で噛み砕いているしリスナーに語りかけるような教えてくれるような感じが好き。わたし自身は生育環境、婚姻環境からカサンドラ症候群になっていった鬱病、摂食障害、線維筋痛症患者で、もう今生では元気になることを諦めてるアラサーで、先生のUA-camを視聴してる時間だけ救われた気持ちになってます。
究極的には他者は理解できないものだと思っています。他人なので。ただそれを分かった上で寄り添うとか共感する、思いやるのは大事なのかなと思います。分かったつもりになるのはよくないと思います。
こんにちは、久しぶりにコメントさせていただきます。適応障害から2年と1ヶ月、ついに、今日、昔の自分の戻った気がします。2年分の苦労分は気分爽快です。人間の心を形成する要素には次の四つがあると思います。1.身体、2.社会的環境、3.体験による社会理解、4.意識(生まれながら性格)、自分はこの四つの観点で自己分析を行い、他者理解の問診票としております。この四つが揃わないと相手の理解は難しいです。
溝……理解しようとしてくれる上司だからこそ、申し訳なくて、申し訳なくて、ここにい続けて良いか分からなくなります。仕事は休まない、と、なんとか頑張ってるけど明日は出勤できるかなあ
他者理解についての解説、興味深く拝見しました。発達の定型非定型・病気の有無に関わらず、他者との相互理解が上手くいかないのは共通の悩みなのかなと思います。わたしは他人の境遇や感情に興味がなく、また自分のことが他人に理解されるとも思わないので普段は孤独を感じないのですが、人間関係で問題が発生してはじめて意識せざるを得なくなります。わたしは、と前置きしましたが、同じように多くの人が、望んだ訳ではなく必要に迫られて他者を理解せねば生きていけないのかもしれないなと考え直しました。一方で、様々な方から「例外」とか「異常」と評されてきた人間としては、相互理解が可能であることを前提に物事を進められるのがとても苦痛です。先生のようにリベラルに考えてくださる方ばかりではありません。表面だけはまともであるように取り繕いながら偽の自分を見せ続けることが本当の相互理解につながるとは思えないのに、目の前の問題を避けるためにそうせざるを得ない。なかなかに辛い。他の人と同じように感じられる感性があれば、と思わずにいられません。相手の生い立ちや文化的背景から個人を推し測ろうとしても、ステレオタイプで個人の内面は理解できないと思ってしまうし私自身がステレオタイプに反発しながら生きてきたのであまり実用性を感じません。救いは、先生の仰るようにアートや音楽では他人と繋がれていると錯覚できることです。なので趣味を深めていくことを今は優先しています。長くなってしまいましたが、コメント欄を読む方たちのなんらかの暇潰しにでもなれば。
ある程度、同じ境遇だったり経験してきた人でないと本当の気持ちは、わかってもらえないような気がします。理解し合える瞬間、できれば大切にしたいです。
なんだかいつもの動画より、丁寧に話してくださっている感じがしました。
先日の診察で息子が先生とハラリ先生の本で会話が出来た事をとても嬉しがって居ました。事業所の誰とも共有出来ない話題を、僅かな時間であっても先生と共有出来たという事が励みになったようです。
とてもわかる気がします!ろうあ者と手話でしか通じないことはないし、健常者で言葉で通じ合えるはずでも通じなかったり、スペイン語わからなくても、どうにか身振り手振りのカタコト英語で通じたり、特に日本の文化が好きな外国人とか、熱意も含め、動と静の氣が通じる感じがします。全部じゃなくても、”伝わる”って嬉しいものですね。益田先生は愛は相手を尊重することと仰ってましたね!私にとって愛は理解しようとすることかなぁ。
非常にわかりやすかったです。システム維持の為に人を攻撃する、他者の思想の理解まで及ばない、 納得しました!先生、いつも難しいジャンルの解説をピンポイントで、分かりやすく発信して頂きありがとうございます✨
益田先生の優しさを動画から感じています✨ありがとうございます。
すごくいつも勉強になってます病気についてわかっておらず誤解していたものを教えてくれて病気を持った親友ともある程度上手く交流できるようになりました
今日も貴重な動画をありがとうございました。1人1人違う悩みや症状の理解というのは本当に難しいですね。先生の対応は本当に優しさ溢れています。日々ご苦労様です🙏このご時世に精神科や、心療内科は格段に患者さんが増えて行くだろうし、辛い事でもあり、振り子の心への理解を深める難しさ、距離感、本当に深い内容でした。先生ありがとうございました。
先生のドライで冷静な何時もの分析振り。勉強になりました。
今日も有難う御座いました。自分が発達障害故、そしてそれらの認知が無かった時代からか、親や学校の先生から理解されるという経験は、皆無に等しかったです。周りのいわゆる定型発達(普通の人)と違うというのは幼少期から気付いていました。最近、毎日コメントを書いているので狂気の沙汰じみてるなと思っています。(苦笑他者を理解する事と、他者から理解される事は違うと思っています。障害故か、他者を理解する時は自分の感覚はシャットアウトして普通の人はこう感じているのだろうと、合っているかは分かりかねますが、想像しています。そこには努力を重ねられても、他者から理解されるという事には期待していません。逆に理解されない、若しくは自分にとって苦しい他者目線も理解する必要が有ると思っています。何か苦しいコメントになってしまいましたが、理解するという事に希望は抱けても、理解し合う、という事には多分生涯希望は持てないと感じています。伝わらないかもしれませんが、先生の話を否定している訳では有りません。
個人的な考えとしては、定型発達の人も理解し合えているように見えて、別の個人で別の人生を歩んで別の感情を感じている以上、本当に理解し合えている人なんて、どんなに仲の良い家族や友人同士でも、一人もいないんじゃないのかな、とも思いました。だから理解し合えなくても良いんじゃないかな、と思いました。勿論、定型の人の方が、理解してるような振る舞いや、折り合いの付け方が上手い、想像の確度が高い、感覚が近い、というのはあるのかもしれませんが。
何時も先生の動画を勉強して書き取って残しています。気取らずに色んな子とを教えて下さって感謝しています。今日は家族でも他人だと言う話が有って勉強になりました。本当に夫婦、親子でもこれからは分かりあえない時があり苦しむ事もありますが、そう言うものかと納得できました。何時も有り難うございます。
他社理解。小学校の現場ではよく使う言葉です。なかなか、発達障害の子供を理解できないときもあって困ってました。几帳なお話をありがとうございました。勉強になりました。
「自己の延長上にある物は納得しやすい。」という考え方、納得できました。私の場合は弟の考え方が私の延長上にないように感じています。弟は私のことを全く理解できない、できていないように思います。
益田先生の動画は普段から拝見していました。今回のこの動画はなぜかすごく内容に釘付けになってしまいました。なぜだろう、他者理解について今すごく気になっているからかもしれません。いつもありがとうございます☺︎
肉じゃがもカレーも同じ日本食だから・・とか思っちゃいました。 音楽とかアートで発達障害の人は繋がろうとする・・なるほどそうだったのか!! 今日も益田先生ありがとうございました。
先生、発達障害の人が自分が発達障害だと知った時に絶望感を感じるとおっしゃいましたが、感じない人もいますよ、ホッとした って言ってる人もいます。
ある時、ふと益田先生のユーチューブにめぐりあい、心の整理に繋がっています🥰元々自分を追い込んでしまう癖があり、何度となく、病院へも通院(現在も)。また、母が早世していて、愛着障害や発達障害も持ちあわせている事も自覚しています。ここ数年、辛いことが重なりボロボロでしたが、少しずつ立ち直っています。地方(コロナ)なので、益田先生に診ていただくことはできませんが、これからも動画を楽しみにしていま~す🥰いつもありがとうございます🙇♀✨
またちょっとズレてるかもしれませんが😅道化師のソネットという歌を聴いた時「きっと誰もが同じ川のほとりを歩いている」という歌詞にとても共感しました。先生の見られる様々な人達も産まれてはやがて死んでいく人間。 その川のほとりを生老病死の苦悩をそれぞれ抱えて死という自己完結に向けて悩み歩く姿を想像し、高い視点で見れば大差はないのだなと思いました。ある意味同じと思えました。
最後の先生の言葉が、心に刺さりました。ありがとうございます。
鬱が良くなると自分の前の溝が 深さは10mぐらいあるけど幅は30cmだったと気付きます溝の深さは怖いけど 『えいや』で 飛び越える事が可能(歩幅の方が長い)です最初の1歩が 勇気がいります
益田先生、動画配信ありがとうございます🎵夫婦、親子でもなかなか理解することは、難しいです。子供がASDなので、話しかけてもあまり、会話がなくて、孤独を感じます。主人は、他人だからでも、共感したり、共に喜んだりしながら、仲良く生活していきたいです。私が精神疾患だから、主人からも、子供からも理解されないのだとおもっています。認知行動療法ノートを1人でしています。疲れてくると被害妄想みたいになるので、なるべく、疲れないようにしています。読書して、視座を広げて、益田先生の動画配信から、いろいろ学んでいき、いろいろ教えていただきました。主治医にも益田先生の動画配信を伝えています。本当にありがとうございます🎵
医療ではありませんが日々多くの人と関わる仕事に就いています。私の場合は他者理解は自己理解に深みが増しますし、先生の解説はあらゆる場面の閃きとなり、物事を俯瞰して見れるようになりました。有り難く感謝しています。
益田先生、他社理解の動画有難うございます✨😌発達障害と健常者の方だけでなく、障害を持っている者同士でも理解に苦しむ事があります。つくづく、色々な人がいるなと思います。相手・自分に悪気がなくても、価値観の違いなのか溝があり、ストレスが溜まります💦😓先ずは自己理解ですね🥲私の認知が歪みすぎて、人を疑って見てしまうんでしょうね😅
これは素晴らしい動画だと思いました。ためになりました。ありがとうございます
こんばんはいつもありがとうございます。話せば話す程溝が出来るような気がします。過去は変えられないし、本音を言えば言わなきゃ良かったと後悔してしまいます。辛かった過去を思い出しフラッシュバックで頭の中が混乱します。
これから実家で家族があっまることにプレッシャーを感じてます大切だから疲れる存在正直難しいです先生いつもありがとう
発達障害組です。音楽やスポーツなど趣味を共有して楽しんだ後、普通はアフターの飲み会などに流れがちですが、これをスキップしたり深入りしないようにしたりすることで、せっかく繋がった仲間と大きな喧嘩や問題をおこすことなくちょうどいい距離感が保てるかも、と思いました。それを寂しいと判断するか、深入りして問題に発展させる方がもったいないのか。。
私の頃は「片付けられない女たち」やイエメン博士の「わかっているのにできない脳」の時代。診断から20年ほどたちましたが、今年の初めに本当の意味で障害受容して、定型の方との決定的な違いというか…深い隔たりを感じて気の遠くなる気持ちになったので仰る意味がよく分かります。でも絶望して諦めるのではなくて、だからこそ通じ合える大切さ、そういった瞬間を大事にしたいと思いました😭
何時も、勉強になってます。診断は、出てなくても、解離性健忘だとか、発達障害だとか色々、自分にあるんだと、自己理解してますが、家族は、それを理解しようとしないです。無理です。。。
他者を,本当に,理解することは,出来ない。歩み寄りだとっている。相手を,尊重する心です。
主人が発達障害で結婚して36年になりますが そのお相手をずっとしてきました とてもつらいです 全て自分がやらなきゃいけないから 子供の教育 介護 それから 葬儀 それから 書類に関しても ほとんど私がやってきました これからも 生きてる間は私がやっていかなきゃいけないです
私は眼瞼痙攣から、左反側痙攣となり、MRI後、心療内科を勧められました。双子の子育ての疲労と、アスペルガーであろう主人との夫婦生活に悩みました。理解し合えない寂しさは、心身を弱らせとても辛かったです。主人をそういう人だと諦めるか、別れるかですねと言われ、10年後に離婚しました。月一のカウンセリングが私の心の支えで、何とか生きていられたと思います。どうか、同じ症状の方、乗り越えて頂きたいと思います!
とてもジーンときました😌多様化の世の中で色々もがくことが多いのですがとてもヒントになりました✨有難うございました😊
長い間、わたしが探してた共感ということが 分かりやすく、説明されていました。何か自分の思いを確認した感じです。先生有り難うございました。
わかりやすい解説ありがとうございます。今回、私がストレスをためたのも、他者理解ができないことも影響しているかなと感じています。私はIT企業のエンジニアですが、10年在籍している間に社員は5倍近くになりました。会社がベンチャー時代から大企業に成長していくなかで、上や下に入社されてきて保守的な違う考えの人も増えてきて、他者への理解が及ばなかったのだなと反省しています。
異質なものを理解する。他人を理解する。会話では通じ合わなくても、理解し合える瞬間がある。人間関係で悩んでいることがありましたが希望がみえてきました。
みんな違って、みんないい。くすりを飲まないで調子が悪くなるよりくすりを飲んで良くなるのであれば、病院へいくのは仕方の無いこと。と思うようになりました。
質の違いは特に感じます。鬱を患う中で、不満やいきどうりを口にしたとき健康な人とズレているなと感じたり。公平で客観的なはなしがしづらい自分、なんか違うなあ、このことが質の違いかと感じました。
自分は自己理解がまだよくできていないと思うので自己理解をすすめていきたいと思っています。それが結局は他者理解にもつながっていくのかな??と何となく思っています。他者理解についてもなんですが簡単に言うとザルです。自己理解、他者理解共にです。この動画を見て気付けた事は自分は他人の事をまるで自分の事の様に扱っているという点です。だから益田先生のことも勝手にもう既にいっぱい分かった気になっていた気がします。気付かせてくれてありがとうございます。
優しいなぁ…
今日のお話はとても助けになりました。 私は音楽 パソコンの話題なら普通に人と話せますが気持ちを理解することはできませんでもそれも理解の一つの方法 なんですね
多分、カサンドラ症候群です。旦那さんの信じ難い言動は、私にとって恐怖、怒り、悲しみです。それを理解しようとは、考えにも及びませんでした。そういう気持ちになれたら、きっと病気も良くなっていくのだろうなと感じました。
私は先生みたいにプロではないし、自分自身も病気持ちだし、おそらく変わっている…だから、上手く繋がっていけるかは、分からないけど、できるかぎり、繋がっていきたいと思っています。
人間という生き物が、いかに複雑で、あらゆる付加価値に絡められているか、ということを時々考えます。他者理解も自己理解も、人が生まれて死んでいくための生涯の課題なのかなと思います。
知性を超えたもの、私にとっては自然とか動物かなと思いました。もちろん音楽スポーツアートコンピュータ等も大好きですが、人と理解し合えない部分を動物を介して理解しようとしてきました。人の生き物としての本質的な部分を自然や動物は気づかせてくれます。やはり人も動物なんだなと思うと安心するというか。。みんな気づかないうちにそれぞれのやり方で理解し合おうとしているのかもしれませんね。そのやり方自体お互いに理解不能だったりもするかもしれませんが😓何だか感動するお話でした。
理解を深めようと このチャンネルで勉強していますが 頭でわかっていても難しい・・家族なら諦めもつきますが職場の同僚だと フォローしているうちにストレスで押しつぶされそうになります・・ほっとけばいいのに ああ 馬鹿な性分だと イライラしてる自分にため息が漏れます 相互理解の難しさですねでも結局これは 自己満でしかないこともわかっていますけどね〜
人間の問題の本質がコレな気がします!解決するには、自己理解と他者理解に努めるがしなやかな思考で割り切ったり、受容する事で凌ぐ。となるのかな?
埋まらない溝以前に人が人を完全に理解する事なんて不可能自身の事ですら怪しいものですよね……いかにさらけ出し受け入れて貰えるかですよね
良い動画!保存して何度も見ます🙏🍀
自身の勤める児童相談所の保護所の子どものなかには、発達障害や精神的な病いを抱えていて、気持ちに共感してもらえなかったり、理解してもらえないと、暴言を吐いたり、暴力的になったりすることもあります。言葉では、理解しあえないことが、音楽やスポーツ、数学的なことなどで共感しあえるという先生のお話、実感しています。鬼ごっこが好きな子、ルービックキューブが好きな子と、一緒に楽しめている時、子どもの笑顔がいっぱいみれて自身も幸せな気持ちなります。少し、気持ちが子どもに近づけたかなぁと思う瞬間です。いつもですが、今回の動画は特に、子どもたちとの関係性を考える上で、とても役に立ちました。ありがとうございました。
いつも素晴らしいお話をありがとうございます。深いお話し、とても勉強になりました。心細いと聞いて、いつも無言で見ていますが応援しています。と伝えたくてコメントしました。
もしよければですが、いつか緘黙についての話が聞きたいです。
いつも動画ありがとうございます。別のところですが、クオリアというものを取り上げているものがありました。子供のころから考えていた、あなたと私に見えている色は同じ色か、というものがクオリアというのか、と目から鱗でした。脳機能の科学的な話はわかりませんが、そんな考えがあったので、人間同士は完全に理解しあえることはできない、と思っています。ただ、それが各々の自己であるとも、相手の立場で常に考えることが大事とも思います。また、相手にも自分と同じものを求めすぎるところが、完璧主義の欠点なのかな、とも思います。余談ですが、エヴァの人類補完計画を求めた気持ちもそんな感じなのかな、と思ったり(苦笑)。
今回のトピックも興味深かったです。私は生い立ち上「普通の人」を理解出来ないと思っていたので、こちら側と同様というか、精神疾患を患わなかったという意味で平和に生きてきたなら尚更こちら側の世界の事なんて理解しようという人は滅多といないだろうと、理解されることを諦めていました。でも今回この動画を観て自分の感情論を無視して、正常な人の事を分析も踏まえて理解するとある程度の模倣が出来るのではないかと思いました。それが正解なのかは分かりませんしとっっっても難しそうですけど…ところでまさに解離性同一性障害の方の人間なんですが動画中に出てきていた「解離性障害の人が持っている盲点」というのはどういったものなのでしょうか?盲点という単語がちゃんと理解できてる気がしなかったのでネットで調べてみたら心理学の中に盲点の定義があるようですけどちょっと理解できませんでした、もしよければ解説していただきたく思います。あと、精神科医が診察していて他者理解をしたときに起きるぞくっとした感覚というのはこちら側でも結構起きていますが、それに動揺しないコツというのはあるのでしょうか?動揺が辛くて人とあまり接点を持てなくなっている場合どこまで自分を守ればいいのかというのも日々葛藤しています。今はほとんど周囲の人との接点を絶ちそうになっていてこのままだと元々いつでも消えていい人間だと思っていますがそちらの方向に動き出しそうです(というかこれこそ下準備なんじゃないかとも考えてしまいますが)あ、あと余談ですが前の動画でおっしゃっていた中でちびまる子ちゃんが核家族にカテゴライズされておりましたが、ちゃんと祖父母が同居しておられますwあちこちメッセージ送るのも面倒なのでこちらで失礼しますw
理解して欲しい人に理解してもらえなかったときって、どうしてあんなに辛いのでしょうか?期待しないこと!っていう答え、嫌いです 笑
これを仕事にしてるのが益田先生ですよね。
人対人、人対犬猫。どちらも同じだと思います。犬猫は「人間語」を話しませんが、表情、様子で気持ちが予測できます。見慣れると、同じ犬種でも顔で「この子は〇〇ちゃん」「こっちの子は〇〇君」と分かります。人間は、言葉で物理的現実を共有できますが、そのせいで難しく考えすぎなのだと思います。相手の個性で「誰か分かる」相手の様子で「気持ちが予測できる」それを他者理解と呼べばいいと思います。「共感」まで求めるから理解が不可能という話になるのかと思います。精神疾患の治療でいう他者理解は、「誰か分かる」「気持ちが予測できる」を目指しているだけなのかと。「誰か分かる」は、生育環境、性格、社会背景、言動·態度ect.「気持ちが予測できる」は、言動·態度の裏の真意の予測、コチラのアクションに対するレスポンスで予測精度の上昇という、客観的知識データや勘、感性などが求められる。精神疾患患者は、そのどこかで不足があって、だから、知る努力や誤魔化し方を、求められる。逆に、勘と処世術だけで生きている定型の人も多く、この技術が低いです。なので、思い通りにならない苛立ちをハンデ持ちにぶつけたり(八つ当たり)、カサンドラになったりするのかと。動物とのコミュニケーションも人間同士のコミュニケーションも同じですしバラエティを見ていれば、定型同士のコミュニケーションも同じなのが分かります。共感·共鳴できると感動·快感で、されないと、ツッコミが入る。でも、どれも多様性。それが面白いからバラエティ。自分がおかしい、変という事ではなく人間として、そこが苦手だと苦労することがある。それだけなのだと思います。
アウトプットを目的にコメントします。以前にもこの動画を拝見しましたが、見終わってみて、以前はたぶん感じなかった絶望感がじわっとあります。自分(達)はマイノリティ確定なんだな、性別や年齢の差別はやや改善されてきているように感じますが、この絶望感とは今後もつきあっていかなきゃならないんだな~、と悲しくなりました。
先生が、発達障害に大変ご造詣が深いことが改めて確かめられました。まず、発達障害のかたと健常者と呼ばれる人や発達障害と上手に向き合えている人との大きな違いは、物事を思考するときに、物事な時間的に連続した事実が重なり合ったもので、5分前に存在した事実と5分後に存在した事実は全てが同一とは限らないし、同一でないことを悪だとか間違いだとかは思う人がかなりの少ないのが実感ですね。事実はかわってゆくし、ある程度出たとこ勝負もあるから、先を見据えた準備をしてゆく意味をつかみやすいから、感じるとか感覚という見えにくい事実にも対処できるけど、発達障害のかたは、動かない事実からゆっくりと考えてゆこうという思考を楽に感じる方が多いですね。そこのあたりを先生以外のかたがおおくしっていただけたら、わかってくれるはずなのにでお互いくるしめられることも少なくると感じます。
他人を100%理解は出来ないと思います。ある程度想像して寄り添う事は可能ですが、それが相手の欲している物と合致するかは、また別問題だとも思います。そこに、支えたりしたたい、応援したくても、噛み合わない事も起こりやすいと思います。だから、他者理解は難しい事なんだと思いますネ。
他者理解を求める人がよく周りに集う性格なので、私自身は元夫を理解してあげられなかった上、14から精神疾患者なのに、いいのだろうか?理解してあげられる程のキャパもないと思うのだけれど…不安になります。ただ、ここまで悩む大人や思春期の子供達が多いと、いかに多様な人々を見てきて話してきたかの体験が必要とされている気がします。本当に暗い闇の中で笑いながら泣いてるような、大の大人も見ています。年齢として立場として…という事はプライベートでは取っ払って、同じ趣味嗜好などで感覚的に付き合っていくと、お互いいい関係で少しずつラクに生きられる方策を見つけられると信じたいです。何歳になっても、希死念慮も激しい私ですが、周りに生かされて必死になって貰ってる以上、私も必死に諦めたくないですね。
ASDの娘と話をしても全然 理解ができず、価値観の違いに打ちのめされる事がとても多いです。他の人が困っていても知らん顔して過ごす 共感の無さに 一言 怖いわ と思ってしまいます。何かかが違います 妙ですでも 関わっています。理解は難しいので…せめても聞いて認める ように心掛けています。
先生の考え方のしなやさかさに毎度救われます。
ほんとにマジで特定的なものでしか共通点がないと歩み寄れないので健気とおっしゃってくれてありがたいです(めでたく考えますm(_ _)m)
疾患や障害を持つ方たちの体感世界は特殊なものかもしれないですが、その世界の中でお話を伺ってみようとしてみると、ご自身の家族や恋人を大切に思う気持ちや寂しさ等を感じることもあったりします。 医療者として患者さんを理解するための知識やスキルを持つことは大切だと理解出来ますが、患者さんが生活をされるのは、社会の中だと考えると、一般の方たちにとって患者さんの体感世界は特殊なものという見方ですと、この先一般の方たちが患者さんを理解をすることは難しいだけのものになってしまわないだろうかと感じました。
他者理解孤独は近づき過ぎたら増える肉じゃがとカレー笑違うし違わない部分を言語化する。(考える)違うし違わない部分を探して折り合いをつける。同じ目標を達成して交わりを増やしていろいろ試していく。質的な違い(やっぱあるのかぁ。確かにあるなぁ。定型の人ともあるし、同じ発達障がいの人ともあるの。複雑に違う)理解はしたいけど、理解されることを求めるというか期待するとしんどくなる。他人を理解(本当の理解なのかわからん。あるいは自分の解釈の固定で安心感を感じてるだけかもしれない。ただあの人は肉じゃがで私がカレーだなと思う時はある)をすることで自分の内側の恐怖を打破する。だから、知識と経験を積んで他者を理解しようとし続けることで内側の恐怖を打破する。定型の会社で働いてる(定型の会社で働く定型の人間は私からして毎日異質なんですよ笑)だからこそ生き抜く為に理解したい心理を勉強して、他人の困り事や表面に出てくる信号を読んで期待される言葉やリアクションを当てはめて数をこなしていく。頑張ろ。
小学生の頃から自分のことは「誰も」理解できないだろうと感じていました。心療内科の主治医との10年以上にわたるカウンセリングで「理解」していただいた感覚があります、先生は「わかり過ぎて辛い」とおっしゃいました。その後は精神科のカウンセリングを受けていてまったく違う方法で不思議でした。いまは回復期です。
発達障害の人は音楽やスポーツ等でつながる。それは本当によくわかりました。でも、質的な違いを理解しようとしても無理でした。心が壊れそうになりました。
こちらの動画の主旨から外れてますが、最初にかかった医師に「あなたは大人の発達障害ですね。グレーゾーンです」と言われた時は、ものすごくショックで泣いて帰ったことを思い出しました。その頃の悩みに「発達障害」が加わり、どんどん落ち込んでいき症状も悪化した覚えがあります。転居後の病院の医師には「発達障害」ではないと言われ、だんだん症状も良くなりまた不調になったら、予約するように指示されました。その後、パートに出てパワハラにあい、現在のクリニックに移り、そちらの医師にも発達障害を否定されました。でも、どうしても気になり図書館の本を読み当てはまるところを見つけ、落ち着いて受け入れることができました。パートも含め色々な仕事を経験し、どんな仕事もその仕事に関わっている人とはつながりがあると思い、迅速に正確な処理をして、次の人につなぐよう心がけてきた私にとって、現在の所は別世界でしかない。(あちらにとって私が異質かも…)他者理解、先生のお話で少しはわかった気がします。ありがとうございます。長文ですみません😰
親子でも本当の意味での理解はできないーそのとおりだと思いました。
そうですね。確かに、「理解しあえる違い」と、「理解しあうのが非常に困難な違い」、はあるようにも私も感じてもいます。アスペルガー傾向やASD傾向の人達はあくまで一般的には「人の気持ちが理解できない」とも言われもしますが、これはおそらくは間違いで、正しくはおそらく「人間は誰でも自分の考え方や感じ方の延長線上にある違いを持つ人」のことは理解しやすいけれども、「自分の考え方の延長線上にはない違いを持つ人」のことは理解が非常に難しい。というのがおそらくは正確なのではないか?と私も感じています。前職の私の同僚(後輩)にアスペルガーとの確定診断を受けた女性がいましたが、彼女と話していて「人の気持ちがわからない」と思ったことは一度もないですし、むしろ彼女の考えていることや悩みは私にも非常に理解しやすかったですし、その後輩も私と非常に話しやすそうにしているし、私に変に気を使って接しているようでもないし、お互いに信頼関係は非常に築きやすかったです。だから一般に「アスペルガーの人達は社会的な関係を築くのが苦手だ」というのも私は正しくないと感じていて、おそらくは「人間は誰でも自分と似た感じ方や考え方をする人とは社会的な関係を築くのは得意だけれども」「価値観や感じ方が異なる人と社会的な関係を築くのは苦手」というのが、アスペルガーかどうかに関わらず大部分の人間にとっておそらく正解なのだと思います、、。他の例では、私はどうも物事をしっかりと時間をかけて掘り下げて考え込むのは比較的得意なようです。逆に言えば「すぐに決めること」や「即断即決すること」には相当強い苦手意識を持っています、、。時効だと思って書きますが、私も学生時代には友人達に誘われて、いわゆる「賭けマージャン」を少しだけですがやったことはありました(もうさすがに時効だと思うので書いています)。そうすると、いつもなぜか「あなたは打つのが遅い」と言われて急かされてしまうことがかなりの頻度でありました。相手の手がある程度は予測できる将棋とは異なり、マージャンの場合は次に何を引くかはわからないですから、考えなければならない場合の数は増えるはずで、考慮することの数が多い分考える時間も長くなるはずなのですが、どうも当時の友人達にはこれがわからなかったようです。あまりにも急かされることが多かったので、ついにはマージャンをやらなくなりました(当然ながらこれで良いのですが)。その一方でプロの将棋指しの将棋を観ていると、盤面と持ち駒は全てお互いに開示しているわけですから、相手の指す手もある程度は予測できているはずです。それでもやはりプロの将棋指しは一手指すのに1時間2時間考えて考え込むのは、非常によくあることです。そして私は将棋はiPad相手に時々指すくらいでちゃんとは指さないのですが、それでもなお、プロの将棋指しの人達が考えに考え込んで、「ああでもない、こうでもない、う~ん、え~っと、どうだろうか??」と迷いながら深く長考している姿は、私自身から観ても、「直感的感覚的に非常に理解しやすい姿」なのです。これは間違いなくプロの将棋指しの方達と私の間に、そして前職での「アスペルガーの後輩」と私の間に、「自分の感じ方考え方の延長線上で理解しやすいもの」があるからなのでしょうね。そしてその一方で、「マージャンの時に私を急かす人」(さすがにマージャンにはずいぶん昔に足を洗いましたが)、あるいは自動車を運転している時に後ろから煽り運転をする人は、少なくとも私にとっては「自分自身の延長線上で考えて想像できる人」では、おそらくないのでしょうね、、。少なくとも私自身にとっては、「ちゃんと考えなければ何もわからないじゃないか、どうしてそんなに急かすのか?」 と理解できなくなってしまいますし、今でも理解できないです、、。その一方で、プロの将棋指しが、「ああでもない、こうでもない、う~ん、え~っと、この場合は、、う~ん、やっぱり違うかな?そうではなく、この場合にこちらの手を指したとすれば、、う~ん、、????」と1時間2時間と考え込む姿が、私は将棋は指さないのに理解しやすいのは、「自分自身の延長線上で容易に理解しやすく、共感もしやすいこと」だからなのでしょうね、、。このビデオのテーマである、人間は一人一人異なっていることは当然とした上での他者理解について、「自分自身の延長線上にある異なりは理解しやすい」「自分自身の延長線上にはない異なりは頑張ってもやはり理解不能になってしまうことが多い」というのは、確かに私自身がこれまで生きてくる中で、強く感じ続けてきたことなのかもしれません、、。
子ども達が幼い頃、夫は土日の午前中は子どもの面倒を見たり外出に付き合ってくれましたが午後になると必ずテニスに出かけました。共稼ぎなので私は午前中家事や外出午後は子どもの世話と自分ひとりの自由時間が全くなくカサンドラ症候群になりました。娘もお金を出した私の苦労をよそになかなか教習所に行かずとても気をもみました。私も彼らもASDやADHDのため人の気持ちを推しはかれないため、具体的に言葉に出してしてほしいことを伝えたら良かったと思います。
やっと今日診断書を会社に提出できました、ですが家族には精神科に行っていることすら言えていません。
開国時に日本がカレーをまねて作ろうとして試行錯誤したのが、肉じゃがなんですよ。同じ材料と、同じような色をかんがえて発明したものです。
親の介護で思うことですが、高齢になり身体の機能が低下すると、柔軟になれないですが、人それぞれの人生経験とか受けてきた教育から、他者理解が働くのではと。しかし、その人の精神の状態や認知機能の度合いによって、相手との妥協点を変えるしかない、そんな気がしています。多くの専門家や、地域、友人たちが関わり複雑になるにつれて、課題は残ります。ですが、孤立するよりも、お互いに分かる信号を出すことで、生きていくしかありませんね。それが言語だけじゃなく音楽かもしれない、人生でお手本になる理想の形はないと、思うようになりました。高齢者だけでなく、精神に障害のある方との関わり方も、健常者基準で接していると、前へ進まないのが、先生の意見で分かりました。
精神疾患を全否定する夫が、50才で双極性障害と診断されました。夫が診断を受け入れるまであらゆる病院を周り時間がかかりました。夫との生活は地獄の様で私はうつ病を発症。数回 未遂しましたが、別居して落ち着いてくると夫がどれ程苦しかったのかと先生の動画を観て感じました。私が勝手に思うに夫は10代の頃から発症していたのではと思っています。苦しかったと思います。でも私は全く解っていませんでした。離れてみてようやく互いを思いやれる様になりました。夫の孤独感がどれ程深いかと案じています。
この動画は私には理解するのが難しくて、家事をしながら5回位繰り返しで聞きました。座って聞かないから時間がかかるのもあるけど。いくつもの自分ポイントがありました。 一つ心に残ったことをあげると、自分は幻覚妄想を経験した事がないけれど、幻覚妄想がある状態の患者さんと治療者が繋がったと感じる瞬間があるということ。それがすごく嬉しくて、感動した。ほんとに厳しいその状態から、抜け出す可能性があると感じたから。確かにお医者さんは特別な状態の人と向き合い、導こうとしてくれる人だ。一般人にはできない。
特殊な人と接する仕事に従事するので、私も精神科の人のような能力が必要なのかなぁって思いました。。。
コロナが始まったまさにあの頃、6分あたりのような感覚になりました。私へ怒る時や、娘と温かい会話をする以外、情緒的なものを言葉や身体で表現しない夫に対して、彼が心の底から感じてる感情、思いを全然理解出来てない。例えばこのまま夫が今死んだら、彼と私はいったい何だったのだろうって。それしか残らないと感じました。そしてこれではまずいと思い、それまでの自分にさらにアクセルを踏み、昨年秋まで延々と彼を受け入れよう、そして理解しよう、包み込もう。さらには、彼に愛される美しい妻になろう。というストイックに近い生活が始まったのでした。
「ただ精神科医は普通の瞬間にいるわけではなく、患者さんにとっては病気で苦しんでいるという人生の中でも特殊な時間に会う特殊な人たち」という表現にハッとしました。
私は普段「自分が特殊」ということは意識しても「特殊な時間にいる」ということは意識してきませんでした。
病気は一生で、この苦しみが普遍的なものに思えていたのです。
ですが、この表現を見た時に、私は今たまたま病気で、たまたま医師のお世話になっている、ただそれだけのことに思えたのです。
些細な言葉のマジックですが、そう感じられたことが嬉しかったです。
ありがとうございます。
理解はできないけど理解しようとする努力は続けていきたい
同感です
家族でも友人でも他人は他人。
色んな人がいる。
それで良いと思います。
自分の考え方も他人の考え方もとても大事です。
わかり合えなくても何も問題ありません。
でもどこかで通じ合える瞬間があるのは良くわかりますし、その時は嬉しくなります。
カサンドラのくだりのお話とてもしっくり来ました。ほんとに、恋は盲目で結婚し子どもが生まれた瞬間、あれ?となりました。気付いて行くとどんどん気持ちが悪くなり、もう理解し合えないと…深みにはまっていきました。
先生の動画でまた、一つ勉強になりました。ありがとうございました。
とてもためになる動画をありがとうございます。
元彼は未診断でしたが発達障害的な傾向があり本人もそう思っていたようです。
複数の事柄で、私が「嫌だ」と言っても繰り返されることがあり大事にされていない、好かれていないと悩んでいました。よくよく話すと、彼は嫌がらせをしようと思ってしている行動ではないのに、私が嫌だと拒否することを理解できないから繰り返してしまうような感じがありました。彼のなかに私を喜ばせたりしたいという気持ちがあることが理解できました。お互いに愛情らしきものはあるのに、彼が楽しいと思った時間は私にとっては辛く、またその逆もありました。
根本にある愛情を信じようと思いましたが、やはり上手くいかず度重なる喧嘩の末に別れました。
彼の特性の問題だけでなく、私は境界知能であると最近分かり、私の世界も平均から離れていてすれ違いの原因だったと思います。
今回の動画での、世界が違いすぎてゾッとするような感じは私だけが困惑していたわけではないのだと知ることができ、少しだけあの時の傷が和らいだような気がします。ありがとうございました。
長文失礼しました。
これからも動画楽しみにしています。
以前にもこの動画をみてコメントしています。が、夫とカウンセリングを重ねるほどゾクッとすると言う例えのところよく分かり共感しまくりです。異質の人と時間を重ね、話を聞いて理解できる点を探そうとする先生、仕事とは言え…すごいなと感じました。
少し前までは、自分と違いすぎる価値観を持った人に出会ったときに理解できすぎに苦しんでいた時期もありましたが、23歳になって、自分と全く違う価値観の人もたくさんいて、人間って本当に面白いなと思えるほどの余裕ができました。私は軽音部でバンド活動をしていたので、知性を超えた繋がりについてとっても共感できました😂
父は自分の考えしか認めない人でした。病気になり、認知の歪みを知りました。まさに自分。他人を認める方法を知らず、ふりかえると殻にこもっていました。
理解しあえる楽しさも、まだよくわかりませんが、先生の声を聞くと希望がわきます。
一人で心細いと思い寂しいとき、先生の言葉 声を聴くと勇気が湧きます。
なるほど…なことが聞けました。率直な話し方で聞きやすいです。医師としての立場上、言う言わないの壁を越えて下さっているように感じます。ありがとうございます。
最後のまとめの、絶望するのではなくて、よい瞬間、理解し合える瞬間を大切に。という言葉が心に残りました☺️ありがとうございます。
先生の言葉が心の中に ストーンと落ちました。夫は全くの江戸っ子。私は元北九州市民 仲は良いのに食べる物も金銭感覚も違います。鬱病になった時は黙っていました。夫の家族が元気印だったから。今は私が1番明るく生きているかな😄 果報は寝て待て でした。
発達障害のパートナーとの関係に悩んでいて、1年前のこの動画を見返しました。最後に先生がおっしゃった、良い瞬間、共感できる瞬間を大事にするという言葉がすごく響いて涙が出ました。当事者も周囲もそのように思えたら良いですよね。ありがとうございます。
その人と分かりあいたくても話せば話すほど距離ができました。その人にとってたぶん私はおかしな人で理解ができない存在なんだと思います。
相手の立場を考えるとそうしてしまうのもわかります。自分でもおかしいとわかってるので。でもその思考が止められないんですけど。仕方ないと分かりつつ寂しいです。
最後に言われてた知性を超えたものでなんか分かり合えたような通じ合えたような感じがするので、それがあってよかったなぁと思ってます。
親子は100%分かり合えない
全くその通りです。
夫婦なら尚更。
職業の立場の違いの例えがとても分かりやすかったです。
母親で例えると昔から専業主婦VSパートVSフルタイムVS子供の数VS親が同居VS近所VS遠い
とそれぞれの立場でそれぞれの苦労話があるのできりがありません(笑)
相手の立場を思いやる事は続けたいです😌
発達障害がわかった時の、闇に落ちていく感覚を思い出して胃がキュッとなりました。
私は誰かと理解し合うのをずっと前に諦めてしまいました。なのに寂しかったのかもしれないですねー。
たしかに障害の配慮とか、パートナーとしての喜びを求めるなら歌でも踊りでもいいから何かしらの側面で理解し合った方がいいかもしれないですね。
分かり合えない部分もあるかもしれないけど、それで精神的共鳴を諦めるのも極端かなと思いましたね。
肉じゃがとカレーの作り方知識があることが尊敬できた。
先生のUA-camは好き。医学を机上から臨床を踏まえてご自身で噛み砕いているしリスナーに語りかけるような教えてくれるような感じが好き。
わたし自身は生育環境、婚姻環境からカサンドラ症候群になっていった鬱病、摂食障害、線維筋痛症患者で、もう今生では元気になることを諦めてるアラサーで、先生のUA-camを視聴してる時間だけ救われた気持ちになってます。
究極的には他者は理解できないものだと思っています。
他人なので。
ただそれを分かった上で寄り添うとか共感する、思いやるのは大事なのかなと思います。
分かったつもりになるのはよくないと思います。
こんにちは、久しぶりにコメントさせていただきます。
適応障害から2年と1ヶ月、ついに、今日、昔の自分の戻った気がします。2年分の苦労分は気分爽快です。
人間の心を形成する要素には次の四つがあると思います。
1.身体、
2.社会的環境、
3.体験による社会理解、
4.意識(生まれながら性格)、
自分はこの四つの観点で自己分析を行い、他者理解の問診票としております。この四つが揃わないと相手の理解は難しいです。
溝……理解しようとしてくれる上司だからこそ、申し訳なくて、申し訳なくて、ここにい続けて良いか分からなくなります。仕事は休まない、と、なんとか頑張ってるけど明日は出勤できるかなあ
他者理解についての解説、興味深く拝見しました。発達の定型非定型・病気の有無に関わらず、他者との相互理解が上手くいかないのは共通の悩みなのかなと思います。わたしは他人の境遇や感情に興味がなく、また自分のことが他人に理解されるとも思わないので普段は孤独を感じないのですが、人間関係で問題が発生してはじめて意識せざるを得なくなります。わたしは、と前置きしましたが、同じように多くの人が、望んだ訳ではなく必要に迫られて他者を理解せねば生きていけないのかもしれないなと考え直しました。一方で、様々な方から「例外」とか「異常」と評されてきた人間としては、相互理解が可能であることを前提に物事を進められるのがとても苦痛です。先生のようにリベラルに考えてくださる方ばかりではありません。表面だけはまともであるように取り繕いながら偽の自分を見せ続けることが本当の相互理解につながるとは思えないのに、目の前の問題を避けるためにそうせざるを得ない。なかなかに辛い。他の人と同じように感じられる感性があれば、と思わずにいられません。相手の生い立ちや文化的背景から個人を推し測ろうとしても、ステレオタイプで個人の内面は理解できないと思ってしまうし私自身がステレオタイプに反発しながら生きてきたのであまり実用性を感じません。救いは、先生の仰るようにアートや音楽では他人と繋がれていると錯覚できることです。なので趣味を深めていくことを今は優先しています。長くなってしまいましたが、コメント欄を読む方たちのなんらかの暇潰しにでもなれば。
ある程度、同じ境遇だったり経験してきた人でないと本当の気持ちは、わかってもらえないような気がします。理解し合える瞬間、できれば大切にしたいです。
なんだかいつもの動画より、丁寧に話してくださっている感じがしました。
先日の診察で息子が先生とハラリ先生の本で会話が出来た事をとても嬉しがって居ました。事業所の誰とも共有出来ない話題を、僅かな時間であっても先生と共有出来たという事が励みになったようです。
とてもわかる気がします!
ろうあ者と手話でしか通じないことはないし、
健常者で言葉で通じ合えるはずでも通じなかったり、
スペイン語わからなくても、
どうにか身振り手振りのカタコト英語で通じたり、
特に日本の文化が好きな外国人とか、
熱意も含め、動と静の氣が通じる感じがします。
全部じゃなくても、”伝わる”って嬉しいものですね。
益田先生は愛は相手を尊重することと仰ってましたね!
私にとって愛は理解しようとすることかなぁ。
非常にわかりやすかったです。
システム維持の為に人を攻撃する、他者の思想の理解まで及ばない、 納得しました!
先生、いつも難しいジャンルの解説をピンポイントで、分かりやすく発信して頂きありがとうございます✨
益田先生の優しさを動画から感じています✨ありがとうございます。
すごくいつも勉強になってます
病気についてわかっておらず誤解していたものを教えてくれて病気を持った親友ともある程度上手く交流できるようになりました
今日も貴重な動画をありがとうございました。1人1人違う悩みや症状の理解というのは本当に難しいですね。先生の対応は本当に優しさ溢れています。日々ご苦労様です🙏このご時世に精神科や、心療内科は格段に患者さんが増えて行くだろうし、辛い事でもあり、振り子の心への理解を深める難しさ、距離感、本当に深い内容でした。先生ありがとうございました。
先生のドライで冷静な何時もの分析振り。
勉強になりました。
今日も有難う御座いました。
自分が発達障害故、そしてそれらの認知が無かった時代からか、親や学校の先生から理解されるという経験は、皆無に等しかったです。周りのいわゆる定型発達(普通の人)と違うというのは幼少期から気付いていました。
最近、毎日コメントを書いているので狂気の沙汰じみてるなと思っています。(苦笑
他者を理解する事と、他者から理解される事は違うと思っています。
障害故か、他者を理解する時は自分の感覚はシャットアウトして普通の人はこう感じているのだろうと、合っているかは分かりかねますが、想像しています。
そこには努力を重ねられても、他者から理解されるという事には期待していません。
逆に理解されない、若しくは自分にとって苦しい他者目線も理解する必要が有ると思っています。
何か苦しいコメントになってしまいましたが、理解するという事に希望は抱けても、理解し合う、という事には多分生涯希望は持てないと感じています。
伝わらないかもしれませんが、先生の話を否定している訳では有りません。
個人的な考えとしては、定型発達の人も理解し合えているように見えて、別の個人で別の人生を歩んで別の感情を感じている以上、本当に理解し合えている人なんて、どんなに仲の良い家族や友人同士でも、一人もいないんじゃないのかな、とも思いました。だから理解し合えなくても良いんじゃないかな、と思いました。
勿論、定型の人の方が、理解してるような振る舞いや、折り合いの付け方が上手い、想像の確度が高い、感覚が近い、というのはあるのかもしれませんが。
何時も先生の動画を勉強して書き取って残しています。
気取らずに色んな子とを教えて下さって感謝しています。
今日は家族でも他人だと言う話が有って勉強になりました。
本当に夫婦、親子でもこれからは分かりあえない時があり苦しむ事もありますが、そう言うものかと納得できました。
何時も有り難うございます。
他社理解。小学校の現場ではよく使う言葉です。なかなか、発達障害の子供を理解できないときもあって困ってました。几帳なお話をありがとうございました。勉強になりました。
「自己の延長上にある物は納得しやすい。」という考え方、納得できました。私の場合は弟の考え方が私の延長上にないように感じています。弟は私のことを全く理解できない、できていないように思います。
益田先生の動画は普段から拝見していました。
今回のこの動画はなぜかすごく内容に釘付けになってしまいました。
なぜだろう、他者理解について今すごく気になっているからかもしれません。
いつもありがとうございます☺︎
肉じゃがもカレーも同じ日本食だから・・とか思っちゃいました。 音楽とかアートで発達障害の人は繋がろうとする・・なるほどそうだったのか!! 今日も益田先生ありがとうございました。
先生、発達障害の人が自分が発達障害だと知った時に絶望感を感じるとおっしゃいましたが、感じない人もいますよ、ホッとした って言ってる人もいます。
ある時、ふと益田先生のユーチューブにめぐりあい、心の整理に繋がっています🥰
元々自分を追い込んでしまう癖があり、何度となく、病院へも通院(現在も)。また、母が早世していて、愛着障害や発達障害も持ちあわせている事も自覚しています。ここ数年、辛いことが重なりボロボロでしたが、少しずつ立ち直っています。
地方(コロナ)なので、益田先生に診ていただくことはできませんが、これからも動画を楽しみにしていま~す🥰
いつもありがとうございます🙇♀✨
またちょっとズレてるかもしれませんが😅
道化師のソネットという歌を聴いた時「きっと誰もが同じ川のほとりを歩いている」という歌詞にとても共感しました。
先生の見られる様々な人達も産まれてはやがて死んでいく人間。 その川のほとりを生老病死の苦悩をそれぞれ抱えて死という自己完結に向けて悩み歩く姿を想像し、高い視点で見れば大差はないのだなと思いました。
ある意味同じと思えました。
最後の先生の言葉が、心に刺さりました。ありがとうございます。
鬱が良くなると
自分の前の溝が 深さは10mぐらいあるけど幅は30cmだったと気付きます
溝の深さは怖いけど 『えいや』で
飛び越える事が可能(歩幅の方が長い)です
最初の1歩が 勇気がいります
益田先生、動画配信ありがとうございます🎵夫婦、親子でもなかなか理解することは、難しいです。子供がASDなので、話しかけてもあまり、会話がなくて、孤独を感じます。
主人は、他人だからでも、共感したり、共に喜んだりしながら、仲良く生活していきたいです。私が精神疾患だから、主人からも、子供からも理解されないのだとおもっています。認知行動療法ノートを1人でしています。疲れてくると被害妄想みたいになるので、なるべく、疲れないようにしています。読書して、視座を広げて、益田先生の動画配信から、いろいろ学んでいき、いろいろ教えていただきました。主治医にも益田先生の動画配信を伝えています。本当にありがとうございます🎵
医療ではありませんが日々多くの人と関わる仕事に就いています。私の場合は他者理解は自己理解に深みが増しますし、先生の解説はあらゆる場面の閃きとなり、物事を俯瞰して見れるようになりました。有り難く感謝しています。
益田先生、他社理解の動画有難うございます✨😌
発達障害と健常者の方だけでなく、障害を持っている者同士でも理解に苦しむ事があります。
つくづく、色々な人がいるなと思います。
相手・自分に悪気がなくても、価値観の違いなのか溝があり、ストレスが溜まります💦😓
先ずは自己理解ですね🥲私の認知が歪みすぎて、人を疑って見てしまうんでしょうね😅
これは素晴らしい動画だと思いました。ためになりました。ありがとうございます
こんばんは
いつもありがとうございます。
話せば話す程溝が出来るような気がします。過去は変えられないし、本音を言えば言わなきゃ良かったと後悔してしまいます。辛かった過去を思い出しフラッシュバックで頭の中が混乱します。
これから実家で家族があっまることにプレッシャーを感じてます
大切だから疲れる存在
正直難しいです
先生いつもありがとう
発達障害組です。音楽やスポーツなど趣味を共有して楽しんだ後、普通はアフターの飲み会などに流れがちですが、これをスキップしたり深入りしないようにしたりすることで、せっかく繋がった仲間と大きな喧嘩や問題をおこすことなくちょうどいい距離感が保てるかも、と思いました。それを寂しいと判断するか、深入りして問題に発展させる方がもったいないのか。。
私の頃は「片付けられない女たち」やイエメン博士の「わかっているのにできない脳」の時代。診断から20年ほどたちましたが、今年の初めに本当の意味で障害受容して、定型の方との決定的な違いというか…深い隔たりを感じて気の遠くなる気持ちになったので仰る意味がよく分かります。
でも絶望して諦めるのではなくて、だからこそ通じ合える大切さ、そういった瞬間を大事にしたいと思いました😭
何時も、勉強になってます。
診断は、出てなくても、解離性健忘だとか、発達障害だとか色々、自分にあるんだと、自己理解してますが、家族は、それを理解しようとしないです。
無理です。。。
他者を,本当に,理解することは,出来ない。歩み寄りだとっている。相手を,尊重する心です。
主人が発達障害で結婚して36年になりますが そのお相手をずっとしてきました とてもつらいです 全て自分がやらなきゃいけないから 子供の教育 介護 それから 葬儀 それから 書類に関しても ほとんど私がやってきました これからも 生きてる間は私がやっていかなきゃいけないです
私は眼瞼痙攣から、左反側痙攣となり、MRI後、心療内科を勧められました。
双子の子育ての疲労と、アスペルガーであろう主人との夫婦生活に悩みました。
理解し合えない寂しさは、心身を弱らせとても辛かったです。
主人をそういう人だと諦めるか、別れるかですねと言われ、10年後に離婚しました。
月一のカウンセリングが私の心の支えで、何とか生きていられたと思います。
どうか、同じ症状の方、乗り越えて頂きたいと思います!
とてもジーンときました😌
多様化の世の中で色々もがくことが多いのですがとてもヒントになりました✨
有難うございました😊
長い間、わたしが探してた共感ということが 分かりやすく、説明されていました。何か自分の思いを確認した感じです。先生有り難うございました。
わかりやすい解説ありがとうございます。
今回、私がストレスをためたのも、他者理解ができないことも影響しているかなと感じています。
私はIT企業のエンジニアですが、10年在籍している間に社員は5倍近くになりました。
会社がベンチャー時代から大企業に成長していくなかで、上や下に入社されてきて保守的な違う考えの人も増えてきて、他者への理解が及ばなかったのだなと反省しています。
異質なものを理解する。
他人を理解する。
会話では通じ合わなくても、理解し合える瞬間がある。
人間関係で悩んでいることがありましたが
希望がみえてきました。
みんな違って、みんないい。
くすりを飲まないで調子が悪くなるよりくすりを飲んで良くなるのであれば、病院へいくのは仕方の無いこと。と思うようになりました。
質の違いは特に感じます。鬱を患う中で、不満やいきどうりを口にしたとき健康な人とズレているなと感じたり。公平で客観的なはなしがしづらい自分、なんか違うなあ、このことが質の違いかと感じました。
自分は自己理解がまだよくできていないと思うので自己理解をすすめていきたいと思っています。それが結局は他者理解にもつながっていくのかな??と何となく思っています。他者理解についてもなんですが簡単に言うとザルです。自己理解、他者理解共にです。この動画を見て気付けた事は自分は他人の事をまるで自分の事の様に扱っているという点です。だから益田先生のことも勝手にもう既にいっぱい分かった気になっていた気がします。気付かせてくれてありがとうございます。
優しいなぁ…
今日のお話はとても助けになりました。 私は音楽 パソコンの話題なら普通に人と話せますが気持ちを理解することはできません
でもそれも理解の一つの方法 なんですね
多分、カサンドラ症候群です。旦那さんの信じ難い言動は、私にとって恐怖、怒り、悲しみです。それを理解しようとは、考えにも及びませんでした。そういう気持ちになれたら、きっと病気も良くなっていくのだろうなと感じました。
私は先生みたいにプロではないし、自分自身も病気持ちだし、おそらく変わっている…
だから、上手く繋がっていけるかは、分からないけど、できるかぎり、繋がっていきたいと思っています。
人間という生き物が、いかに複雑で、あらゆる付加価値に絡められているか、ということを時々考えます。他者理解も自己理解も、人が生まれて死んでいくための生涯の課題なのかなと思います。
知性を超えたもの、私にとっては自然とか動物かなと思いました。
もちろん音楽スポーツアートコンピュータ等も大好きですが、人と理解し合えない部分を動物を介して理解しようとしてきました。
人の生き物としての本質的な部分を自然や動物は気づかせてくれます。
やはり人も動物なんだなと思うと安心するというか。。
みんな気づかないうちにそれぞれのやり方で理解し合おうとしているのかもしれませんね。
そのやり方自体お互いに理解不能だったりもするかもしれませんが😓
何だか感動するお話でした。
理解を深めようと このチャンネルで勉強していますが 頭でわかっていても難しい・・家族なら諦めもつきますが職場の同僚だと フォローしているうちにストレスで押しつぶされそうになります
・・ほっとけばいいのに ああ 馬鹿な性分だと イライラしてる自分にため息が漏れます 相互理解の難しさですね
でも結局これは 自己満でしかないこともわかっていますけどね〜
人間の問題の本質がコレな気がします!
解決するには、自己理解と他者理解に努めるがしなやかな思考で割り切ったり、受容する事で凌ぐ。
となるのかな?
埋まらない溝以前に人が人を完全に理解する事なんて不可能
自身の事ですら怪しいものですよね……いかにさらけ出し受け入れて貰えるかですよね
良い動画!保存して何度も見ます🙏🍀
自身の勤める児童相談所の保護所の子どものなかには、発達障害や精神的な病いを抱えていて、気持ちに共感してもらえなかったり、理解してもらえないと、暴言を吐いたり、暴力的になったりすることもあります。言葉では、理解しあえないことが、音楽やスポーツ、数学的なことなどで共感しあえるという先生のお話、実感しています。
鬼ごっこが好きな子、ルービックキューブが好きな子と、一緒に楽しめている時、子どもの笑顔がいっぱいみれて
自身も幸せな気持ちなります。少し、気持ちが子どもに近づけたかなぁと思う瞬間です。
いつもですが、今回の動画は特に、子どもたちとの関係性を考える上で、とても役に立ちました。ありがとうございました。
いつも素晴らしいお話をありがとうございます。
深いお話し、とても勉強になりました。
心細いと聞いて、いつも無言で見ていますが
応援しています。と伝えたくてコメントしました。
もしよければですが、いつか緘黙についての話が聞きたいです。
いつも動画ありがとうございます。
別のところですが、クオリアというものを取り上げているものがありました。子供のころから考えていた、あなたと私に見えている色は同じ色か、というものがクオリアというのか、と目から鱗でした。脳機能の科学的な話はわかりませんが、そんな考えがあったので、人間同士は完全に理解しあえることはできない、と思っています。ただ、それが各々の自己であるとも、相手の立場で常に考えることが大事とも思います。
また、相手にも自分と同じものを求めすぎるところが、完璧主義の欠点なのかな、とも思います。余談ですが、エヴァの人類補完計画を求めた気持ちもそんな感じなのかな、と思ったり(苦笑)。
今回のトピックも興味深かったです。
私は生い立ち上「普通の人」を理解出来ないと思っていたので、こちら側と同様というか、精神疾患を患わなかったという意味で平和に生きてきたなら尚更こちら側の世界の事なんて理解しようという人は滅多といないだろうと、理解されることを諦めていました。
でも今回この動画を観て自分の感情論を無視して、正常な人の事を分析も踏まえて理解するとある程度の模倣が出来るのではないかと思いました。
それが正解なのかは分かりませんしとっっっても難しそうですけど…
ところでまさに解離性同一性障害の方の人間なんですが動画中に出てきていた「解離性障害の人が持っている盲点」というのはどういったものなのでしょうか?盲点という単語がちゃんと理解できてる気がしなかったのでネットで調べてみたら心理学の中に盲点の定義があるようですけどちょっと理解できませんでした、もしよければ解説していただきたく思います。
あと、精神科医が診察していて他者理解をしたときに起きるぞくっとした感覚というのはこちら側でも結構起きていますが、それに動揺しないコツというのはあるのでしょうか?動揺が辛くて人とあまり接点を持てなくなっている場合どこまで自分を守ればいいのかというのも日々葛藤しています。今はほとんど周囲の人との接点を絶ちそうになっていてこのままだと元々いつでも消えていい人間だと思っていますがそちらの方向に動き出しそうです(というかこれこそ下準備なんじゃないかとも考えてしまいますが)
あ、あと余談ですが前の動画でおっしゃっていた中でちびまる子ちゃんが核家族にカテゴライズされておりましたが、ちゃんと祖父母が同居しておられますwあちこちメッセージ送るのも面倒なのでこちらで失礼しますw
理解して欲しい人に理解してもらえなかったときって、どうしてあんなに辛いのでしょうか?
期待しないこと!っていう答え、
嫌いです 笑
これを仕事にしてるのが益田先生ですよね。
人対人、人対犬猫。どちらも同じだと思います。
犬猫は「人間語」を話しませんが、表情、様子で気持ちが予測できます。
見慣れると、同じ犬種でも顔で「この子は〇〇ちゃん」「こっちの子は〇〇君」と分かります。
人間は、言葉で物理的現実を共有できますが、そのせいで難しく考えすぎなのだと思います。
相手の個性で「誰か分かる」
相手の様子で「気持ちが予測できる」
それを他者理解と呼べばいいと思います。
「共感」まで求めるから理解が不可能という話になるのかと思います。
精神疾患の治療でいう他者理解は、
「誰か分かる」「気持ちが予測できる」
を目指しているだけなのかと。
「誰か分かる」は、
生育環境、性格、社会背景、言動·態度ect.
「気持ちが予測できる」は、
言動·態度の裏の真意の予測、
コチラのアクションに対するレスポンスで予測精度の上昇
という、客観的知識データや勘、感性などが求められる。
精神疾患患者は、そのどこかで不足があって、
だから、知る努力や誤魔化し方を、求められる。
逆に、勘と処世術だけで生きている定型の人も多く、この技術が低いです。
なので、思い通りにならない苛立ちをハンデ持ちにぶつけたり(八つ当たり)、カサンドラになったりするのかと。
動物とのコミュニケーションも
人間同士のコミュニケーションも
同じですし
バラエティを見ていれば、定型同士のコミュニケーションも同じなのが分かります。
共感·共鳴できると感動·快感で、
されないと、ツッコミが入る。
でも、どれも多様性。それが面白いからバラエティ。
自分がおかしい、変という事ではなく
人間として、そこが苦手だと苦労することがある。
それだけなのだと思います。
アウトプットを目的にコメントします。以前にもこの動画を拝見しましたが、見終わってみて、以前はたぶん感じなかった絶望感がじわっとあります。自分(達)はマイノリティ確定なんだな、性別や年齢の差別はやや改善されてきているように感じますが、この絶望感とは今後もつきあっていかなきゃならないんだな~、と悲しくなりました。
先生が、発達障害に大変ご造詣が深いことが改めて確かめられました。
まず、発達障害のかたと健常者と呼ばれる人や発達障害と上手に向き合えている人との大きな違いは、物事を思考するときに、物事な時間的に連続した事実が重なり合ったもので、5分前に存在した事実と5分後に存在した事実は全てが同一とは限らないし、同一でないことを悪だとか間違いだとかは思う人がかなりの少ないのが実感ですね。事実はかわってゆくし、ある程度出たとこ勝負もあるから、先を見据えた準備をしてゆく意味をつかみやすいから、感じるとか感覚という見えにくい事実にも対処できるけど、発達障害のかたは、動かない事実からゆっくりと考えてゆこうという思考を楽に感じる方が多いですね。
そこのあたりを先生以外のかたがおおくしっていただけたら、わかってくれるはずなのにでお互いくるしめられることも少なくると感じます。
他人を100%理解は出来ないと思います。
ある程度想像して寄り添う事は可能ですが、それが相手の欲している物と合致するかは、また別問題だとも思います。
そこに、支えたりしたたい、応援したくても、噛み合わない事も起こりやすいと思います。
だから、他者理解は難しい事なんだと思いますネ。
他者理解を求める人がよく周りに集う性格なので、私自身は元夫を理解してあげられなかった上、14から精神疾患者なのに、
いいのだろうか?
理解してあげられる程のキャパもないと思うのだけれど…
不安になります。
ただ、ここまで悩む大人や思春期の子供達が多いと、いかに多様な人々を見てきて話してきたかの体験が必要とされている気がします。
本当に暗い闇の中で笑いながら泣いてるような、大の大人も見ています。
年齢として立場として…という事はプライベートでは取っ払って、同じ趣味嗜好などで感覚的に付き合っていくと、お互いいい関係で少しずつラクに生きられる方策を見つけられると信じたいです。
何歳になっても、希死念慮も激しい私ですが、周りに生かされて必死になって貰ってる以上、私も必死に諦めたくないですね。
ASDの娘と話をしても
全然 理解ができず、価値観の違いに打ちのめされる事がとても多いです。
他の人が困っていても知らん顔して過ごす 共感の無さに 一言 怖いわ と思ってしまいます。
何かかが違います 妙です
でも 関わっています。
理解は難しいので…せめても
聞いて認める ように心掛けています。
先生の考え方のしなやさかさに毎度救われます。
ほんとにマジで特定的なものでしか共通点がないと歩み寄れないので健気とおっしゃってくれてありがたいです(めでたく考えますm(_ _)m)
疾患や障害を持つ方たちの体感世界は特殊なものかもしれないですが、その世界の中でお話を伺ってみようとしてみると、ご自身の家族や恋人を大切に思う気持ちや寂しさ等を感じることもあったりします。 医療者として患者さんを理解するための知識やスキルを持つことは大切だと理解出来ますが、患者さんが生活をされるのは、社会の中だと考えると、一般の方たちにとって患者さんの体感世界は特殊なものという見方ですと、この先一般の方たちが患者さんを理解をすることは難しいだけのものになってしまわないだろうかと感じました。
他者理解
孤独は近づき過ぎたら増える
肉じゃがとカレー笑
違うし違わない部分を言語化する。(考える)
違うし違わない部分を探して折り合いをつける。
同じ目標を達成して交わりを増やしていろいろ試していく。
質的な違い(やっぱあるのかぁ。確かにあるなぁ。定型の人ともあるし、同じ発達障がいの人ともあるの。複雑に違う)
理解はしたいけど、理解されることを求めるというか期待するとしんどくなる。
他人を理解(本当の理解なのかわからん。あるいは自分の解釈の固定で安心感を感じてるだけかもしれない。ただあの人は肉じゃがで私がカレーだなと思う時はある)をすることで自分の内側の恐怖を打破する。
だから、知識と経験を積んで他者を理解しようとし続けることで内側の恐怖を打破する。
定型の会社で働いてる(定型の会社で働く定型の人間は私からして毎日異質なんですよ笑)
だからこそ生き抜く為に理解したい
心理を勉強して、他人の困り事や表面に出てくる信号を読んで期待される言葉やリアクションを当てはめて数をこなしていく。
頑張ろ。
小学生の頃から自分のことは「誰も」理解できないだろうと感じていました。心療内科の主治医との10年以上にわたるカウンセリングで「理解」していただいた感覚があります、先生は「わかり過ぎて辛い」とおっしゃいました。その後は精神科のカウンセリングを受けていてまったく違う方法で不思議でした。いまは回復期です。
発達障害の人は音楽やスポーツ等でつながる。それは本当によくわかりました。でも、質的な違いを理解しようとしても無理でした。心が壊れそうになりました。
こちらの動画の主旨から外れてますが、最初にかかった医師に「あなたは大人の発達障害ですね。グレーゾーンです」と言われた時は、ものすごくショックで泣いて帰ったことを思い出しました。その頃の悩みに「発達障害」が加わり、どんどん落ち込んでいき症状も悪化した覚えがあります。転居後の病院の医師には「発達障害」ではないと言われ、だんだん症状も良くなりまた不調になったら、予約するように指示されました。その後、パートに出てパワハラにあい、現在のクリニックに移り、そちらの医師にも発達障害を否定されました。でも、どうしても気になり図書館の本を読み当てはまるところを見つけ、落ち着いて受け入れることができました。パートも含め色々な仕事を経験し、どんな仕事もその仕事に関わっている人とはつながりがあると思い、迅速に正確な処理をして、次の人につなぐよう心がけてきた私にとって、現在の所は別世界でしかない。(あちらにとって私が異質かも…)
他者理解、先生のお話で少しはわかった気がします。ありがとうございます。
長文ですみません😰
親子でも本当の意味での理解はできないーそのとおりだと思いました。
そうですね。確かに、
「理解しあえる違い」と、
「理解しあうのが非常に困難な違い」、
はあるようにも私も感じてもいます。
アスペルガー傾向やASD傾向の人達はあくまで一般的には「人の気持ちが理解できない」とも言われもしますが、
これはおそらくは間違いで、正しくはおそらく
「人間は誰でも自分の考え方や感じ方の延長線上にある違いを持つ人」のことは理解しやすいけれども、
「自分の考え方の延長線上にはない違いを持つ人」のことは理解が非常に難しい。
というのがおそらくは正確なのではないか?と私も感じています。
前職の私の同僚(後輩)にアスペルガーとの確定診断を受けた女性がいましたが、
彼女と話していて「人の気持ちがわからない」と思ったことは一度もないですし、むしろ彼女の考えていることや悩みは私にも非常に理解しやすかったですし、
その後輩も私と非常に話しやすそうにしているし、私に変に気を使って接しているようでもないし、
お互いに信頼関係は非常に築きやすかったです。だから一般に
「アスペルガーの人達は社会的な関係を築くのが苦手だ」というのも
私は正しくないと感じていて、おそらくは
「人間は誰でも自分と似た感じ方や考え方をする人とは社会的な関係を築くのは得意だけれども」
「価値観や感じ方が異なる人と社会的な関係を築くのは苦手」
というのが、アスペルガーかどうかに関わらず大部分の人間にとっておそらく正解なのだと思います、、。
他の例では、私はどうも物事をしっかりと時間をかけて掘り下げて考え込むのは比較的得意なようです。逆に言えば「すぐに決めること」や「即断即決すること」には相当強い苦手意識を持っています、、。
時効だと思って書きますが、私も学生時代には友人達に誘われて、いわゆる「賭けマージャン」を少しだけですがやったことはありました(もうさすがに時効だと思うので書いています)。
そうすると、いつもなぜか「あなたは打つのが遅い」と言われて急かされてしまうことがかなりの頻度でありました。
相手の手がある程度は予測できる将棋とは異なり、マージャンの場合は次に何を引くかはわからないですから、考えなければならない場合の数は増えるはずで、考慮することの数が多い分考える時間も長くなるはずなのですが、どうも当時の友人達にはこれがわからなかったようです。
あまりにも急かされることが多かったので、ついにはマージャンをやらなくなりました(当然ながらこれで良いのですが)。
その一方でプロの将棋指しの将棋を観ていると、盤面と持ち駒は全てお互いに開示しているわけですから、相手の指す手もある程度は予測できているはずです。
それでもやはりプロの将棋指しは一手指すのに1時間2時間考えて考え込むのは、非常によくあることです。
そして私は将棋はiPad相手に時々指すくらいでちゃんとは指さないのですが、
それでもなお、プロの将棋指しの人達が考えに考え込んで、
「ああでもない、こうでもない、う~ん、え~っと、どうだろうか??」
と迷いながら深く長考している姿は、私自身から観ても、「直感的感覚的に非常に理解しやすい姿」なのです。
これは間違いなくプロの将棋指しの方達と私の間に、
そして前職での「アスペルガーの後輩」と私の間に、
「自分の感じ方考え方の延長線上で理解しやすいもの」
があるからなのでしょうね。
そしてその一方で、「マージャンの時に私を急かす人」(さすがにマージャンにはずいぶん昔に足を洗いましたが)、あるいは自動車を運転している時に後ろから煽り運転をする人は、
少なくとも私にとっては
「自分自身の延長線上で考えて想像できる人」
では、おそらくないのでしょうね、、。少なくとも私自身にとっては、
「ちゃんと考えなければ何もわからないじゃないか、どうしてそんなに急かすのか?」
と理解できなくなってしまいますし、今でも理解できないです、、。
その一方で、プロの将棋指しが、「ああでもない、こうでもない、う~ん、え~っと、この場合は、、う~ん、やっぱり違うかな?そうではなく、この場合にこちらの手を指したとすれば、、う~ん、、????」
と1時間2時間と考え込む姿が、私は将棋は指さないのに理解しやすいのは、
「自分自身の延長線上で容易に理解しやすく、共感もしやすいこと」
だからなのでしょうね、、。
このビデオのテーマである、人間は一人一人異なっていることは当然とした上での他者理解について、
「自分自身の延長線上にある異なりは理解しやすい」
「自分自身の延長線上にはない異なりは頑張ってもやはり理解不能になってしまうことが多い」
というのは、確かに私自身がこれまで生きてくる中で、強く感じ続けてきたことなのかもしれません、、。
子ども達が幼い頃、夫は土日の午前中は子どもの面倒を見たり外出に付き合ってくれましたが午後になると必ずテニスに出かけました。共稼ぎなので私は午前中家事や外出午後は子どもの世話と自分ひとりの自由時間が全くなくカサンドラ症候群になりました。娘もお金を出した私の苦労をよそになかなか教習所に行かずとても気をもみました。私も彼らもASDやADHDのため人の気持ちを推しはかれないため、具体的に言葉に出してしてほしいことを伝えたら良かったと思います。
やっと今日診断書を会社に提出できました、ですが家族には精神科に行っていることすら言えていません。
開国時に日本がカレーをまねて作ろうとして試行錯誤したのが、肉じゃがなんですよ。同じ材料と、同じような色をかんがえて発明したものです。
親の介護で思うことですが、高齢になり身体の機能が低下すると、柔軟になれないですが、人それぞれの人生経験とか受けてきた教育から、他者理解が働くのではと。しかし、その人の精神の状態や認知機能の度合いによって、相手との妥協点を変えるしかない、そんな気がしています。
多くの専門家や、地域、友人たちが関わり複雑になるにつれて、課題は残ります。ですが、孤立するよりも、お互いに分かる信号を出すことで、生きていくしかありませんね。それが言語だけじゃなく音楽かもしれない、人生でお手本になる理想の形はないと、思うようになりました。高齢者だけでなく、精神に障害のある方との関わり方も、健常者基準で接していると、前へ進まないのが、先生の意見で分かりました。
精神疾患を全否定する夫が、50才で双極性障害と診断されました。夫が診断を受け入れるまであらゆる病院を周り時間がかかりました。夫との生活は地獄の様で私はうつ病を発症。数回 未遂しましたが、別居して落ち着いてくると夫がどれ程苦しかったのかと先生の動画を観て感じました。私が勝手に思うに夫は10代の頃から発症していたのではと思っています。苦しかったと思います。でも私は全く解っていませんでした。離れてみてようやく互いを思いやれる様になりました。夫の孤独感がどれ程深いかと案じています。
この動画は私には理解するのが難しくて、家事をしながら5回位繰り返しで聞きました。座って聞かないから時間がかかるのもあるけど。
いくつもの自分ポイントがありました。 一つ心に残ったことをあげると、自分は幻覚妄想を経験した事がないけれど、幻覚妄想がある状態の患者さんと治療者が繋がったと感じる瞬間があるということ。それがすごく嬉しくて、感動した。ほんとに厳しいその状態から、抜け出す可能性があると感じたから。確かにお医者さんは特別な状態の人と向き合い、導こうとしてくれる人だ。一般人にはできない。
特殊な人と接する仕事に従事するので、私も精神科の人のような能力が必要なのかなぁって思いました。。。
コロナが始まったまさにあの頃、6分あたり
のような感覚になりました。
私へ怒る時や、娘と温かい会話をする以外、情緒的なものを言葉や身体で表現しない夫に対して、彼が心の底から感じてる感情、思いを全然理解出来てない。例えばこのまま夫が今死んだら、彼と私はいったい何だったのだろうって。それしか残らないと感じました。
そしてこれではまずいと思い、それまでの自分にさらにアクセルを踏み、昨年秋まで延々と彼を受け入れよう、そして理解しよう、包み込もう。さらには、彼に愛される美しい妻になろう。というストイックに近い生活が始まったのでした。