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かなり先ながら、定年後時間出来たらここの動画を参照しながら、ニ次大戦史を読み直したいな。高校生ぐらいの時に有名なヤシはほぼ読んだけどアメリカ側の大作戦史でさえ工業力や物量は書かれていても急速に進んだ技術開発についての認識が足りなかったように見える、総力戦をいかに戦うかについてもアメリカの考え方や体制が正しい選択だったように見えて来ますね。国内に余力があったから技術も進歩したんだよな、だから目先の目的の為に統制を強めれば良い訳では無い。日本の失敗は開戦のかなり前から始まっていたんだと思います。主さんの技術解説は考える素材として実に素晴らしくて、頭が喜んでます。感謝
日米で水雷方位盤の構造や操作手の乗る場所が端か真ん中とか異なるのは面白い。戦前の魚雷オタクな日本海軍でも遠距離は複数の艦から攻撃するつもりだったので一隻で当てるのが無理なことは御互いよく分ってたんではないかなあ。
数撃てば当たると思って188本撃ったのに8本しか命中せず、結局遠距離雷撃は諦めたとか(´・ω・`)
@@nuruosan4398 米軍に限っては8000mという近距離から何十本も魚雷を発射してもあらぬ方向に走っていったり早期爆発して1本も命中しなかったがな。日本海軍は数万メートルから発射して命中をだしてるからすごいよな。アメリカならそもそも魚雷が届きもしない
@@prague1534 当時は世界的に見ても魚雷の信頼性は低かった。戦間期はどの海軍も予算削減に苦しんでいて魚雷を開発したくても、量産品でさえ1本で家一軒建つほど高価な魚雷の試射がほとんどできなかったのが実情。予算が潤沢に増えた戦時中は米軍は一気に挽回して音響誘導魚雷で戦果を挙げている。
アメリカ艦の魚雷発射管って甲板よりも一段高いところに設置してるケースもあったと思いますが、トップヘビーとか、水面までの高さを考えるとあまり好ましくない気もするのですが、問題は無かったのかな?
波が穏やかな西海岸やフロリダ沖なら問題無かったのでは?
> 甲板よりも一段高いところに設置してるケースもあった1:36 あたりの絵がまさにそれですね。砲塔の場合、砲塔そのものも重い上に、砲塔作業員区画や、砲塔の駆動機構/弾薬エレベータなどがある砲塔、その下部にある弾薬庫、などをガードするために分厚い装甲を施さなければなりません。魚雷発射管の場合、なぜか剥き身(w)ですので、そこまで重くはならないような気がします。船速を優先させた結果なのかもしれませんね。
日本海軍は魚雷の発射の際、雷管の発火で発見されるのを嫌って圧縮空気で魚雷を発射していたんですよね。そこまで暗闇に紛れても連合軍の電探が発達してくると全く意味が無かったですが。帝国海軍の発射管との違いが色々と見れてとても興味深かったです。
1943年秋以降の米駆逐艦は魚雷発射管に遮光用のカバーをつけて対策したので、圧縮空気まで使わなくても解決できる問題ではありますねでも夜間に於ける魚雷発射の閃光防止には大きな意味がありこの頃から日本水雷戦隊は米駆逐艦からの魚雷を一方的に喰らってやられてしまう様になる訳です
@@skouichi01 現場の駆逐艦長達は42年末には米軍の夜間射撃の正確さや待ち伏せの的確さを危惧して米軍の恐らくは電探による夜間戦闘能力を上部に訴えてはいたんですよね。とはいえ、そのあたりからどれだけ電子兵器の開発に注力しても技術格差は埋めれるレベルには無く、ソロモン戦末期のような惨敗は避けられなかったとは思いますが。
@@motosan7 とまれコロンバンガラ島沖海戦の様に明確にレーダー性能が劣る条件でも夜戦で日本側が勝利する事もあり、かなり粘ったんですがね この話に限った話では無いが各戦闘の結果を分析して戦術を改善し続けた米海軍に最終的に負けたんだと思いますよ
@@skouichi01 残念ながら米海軍はレーダーで日本艦隊を捉えていてもそもそもの正確性にかけ、島やなんもない海を日本艦隊と誤認して砲弾を叩き込み、逆に日本の駆逐艦に逆襲され駆逐艦どころか重巡まで沈められている。ルンガ沖や第一次ソロモン海戦、キスカ島撤退作戦が主な例。なにか勘違いしているようだが当時のレーダーや射撃管制装置は自動的に敵艦に照準をあわせるために用いるのではなく距離を測定するためにしか使えないんだぞ。それでも命中率は1パーセントを大きく下回っていたが。
大戦前の米駆では 4×4 搭載で重雷装だったのが、5×2 に減装したのは如何なる流れだったのでしょう? まぁ、16門と言っても片側 8本の射線でしかない上、予備魚雷も無し。 状況によれば片側 8本斉射ののち、反転しない限り反対舷の 8本はそのまま残るただの死重となる。何とも使いづらい配置ですな。
水上艦の魚雷発射解説ってなかなかないのでありがたいです👍潜水艦はいっぱいあるのにな。結局魚雷はコスパ的にどうだったんだろう?
命中しさえすれば軍艦でもない限りほぼ撃沈確実ですからコスパはいいですよ。命中しさえすれば。ちなみに九一式魚雷1本2万円、松型駆逐艦961万円。
うーん、でも敵艦隊に1個水雷戦隊が突撃すれば、敵の反撃で自軍の駆逐艦や軽巡も数隻は撃沈破されちゃうんだよねえ。それも含めたコスパはどうなんだろうか。
そうなんです。命中率を上げるには肉薄攻撃になり被害が出ます。確かに軽巡洋艦や駆逐艦の砲撃で大型戦闘艦を沈める事は無理なので魚雷になるのですが。誘導魚雷以前の魚雷戦についてその辺も踏まえて知りたいです。
ちなみに魚雷が2万円という事は現在の金額で約12700000円😥コスパがいいとは思えないなぁ。
@@user-mx1vc4pg9k でも小型艦艇は小型艦艇同士であっても砲撃だけで撃沈は難しいですからね。小型艦の砲はどうしても近距離戦になるから放物線を描いて落下する戦艦と違って命中弾を出しても水線上にしかダメージがいかない。そうするとビスマルク撃沈の時みたいに艦上構造物をメチャメチャに破壊して継戦能力を奪ってから接近して魚雷を撃ちこまなきゃならなくなる。結局魚雷は使うから砲弾を消費して彼我ともに艦上構造物にダメージを蓄積させてから魚雷でとどめを刺すより、そうなる前の早い段階で敵艦の浮力を奪う方が効率は良くなるんです。ただ、あとはどうやって命中させるかなんですよ。
背景が水曜ロードショー!
戦闘艦が相手ならば、相手艦はある程度魚雷を放ってくる事を予測して機動しそうですね。
対大型艦用の長距離雷撃戦のための島風(五連装三基)や重雷装巡洋艦(片舷四連装五基)だったけど、潜水艦や航空機が主要敵になったからデッドウエイトにしかならなかったんだよね…現代だとロシア系艦の対艦ミサイルみたいな存在かな?仮想敵が空母のような大型艦艇だし
実際、島風は、喪失前の最後の対空戦闘に際して、予め魚雷を投棄していますものね。魚雷は、デッドウエイトどころか、自ら抱える巨大な爆発物になってしまっていました。
水上発射管の場合魚雷の点検整備は大変難しくなる。潜水艦のように密閉された状態ではないから塩害の影響は深刻だ。ただ潜水艦ほど長期航海はしないので、寄港時に徹底的に整備して、あとは運を天に任せるというような状態だったようだ。日本海軍では次発装填機構を利用して、次発魚雷を吊り上げ、発射管の魚雷を引き抜いて整備することも考えていたようだが、余程の静海面でないと出来ない作業で無謀だった。ただ発射出来ないのは最悪なのでそこだけは何らかの工夫があったと思う。火災がが発生したり、航空攻撃を受けた際、自爆装置を抱えているような代物なので投棄できないとえらいことになる。戦後の水上艦艇が大口径魚雷の搭載を止めたのは、対艦ミサイルの発達もあるが、このような事情もあったかと思う。
戦争終盤になると航空攻撃を受けたら魚雷は即投棄を決めていた艦も多く、坊ノ岬沖海戦での矢矧はこれでかなりの被弾に耐えていますね。また圧搾空気供給が止まったら魚雷発射・投棄できなくなることは戦前から問題視されており(レイテ沖海戦での重巡喪失につながっている)火薬発射装置を予備で装備する事が研究されていました。開戦直前に特に熱心に配備要求を行っていた特型駆逐艦用が完成していたのだが、開戦に伴い装備優先度が下げられて結局装備されませんでした。帝国海軍の魚雷発射管については終戦時にかなりの資料が焼かれてしまい、開発主任者が密かに持ち出した開発資料を死蔵させないため防衛庁技研に寄贈して現NECの玉川事業場の倉庫に保管したところ、その晩に火災で全焼。「海軍水雷史」執筆時の段階で一次資料はほとんど残っておらず、開発関係者の多くも鬼籍に入っていたため詳細不明だらけという状況でした。今後も資料が出てくることはほぼ絶望と言われています。
つまり帝国海軍が海戦中にもかかわらず勇猛果敢に装填をこなし敵に大損害をあたえたことは奇跡に近い偉業だということですか😂無知って怖いね
兵器は絶えず矛盾を孕みますね。魚雷を当てる事自体が最高の技術+運にしかならず戦闘の想定も未来予測でまあ予言でしか無い。でも当時の技術的制約下での解答は胸躍る面白さで尊敬するしかないな。本物の技術大国だったアメリカはかっこ良すぎな希ガス。
「我々は水雷突撃を敢行する。結果はどうなるかわからない、だが義務を果たそう」護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツ艦長ロバート・W・コープランド少佐
これほど精密な管制装置があっても、動画にあるように雷跡を残し水面近くを航走していたら輸送船ですら避けてしまいそうです。夜襲や待ち伏せにしても魚雷の射程なら主砲で撃った方が確実で早いでしょうし、使いどころが難しそうですね。
あれは訓練の映像でしょう。魚雷は避けることは不可能ではありませんが実際には結構厳しいです。雷速45ノット(時速83キロ)で距離3000から撃たれたら命中するまで2分ほどしかないです。撃った瞬間を目撃したならともかく、ある程度近づかないと分からなかったりしますから避けるための時間的余裕はかなり少ないです。軍艦が魚雷を避けるのはだいたい航空機による魚雷で、艦船からの雷撃は意外と避けれてなかったりします。航空機の雷撃を避けられるのは撃つところが見えてるからで、雷撃機が突入を開始してから魚雷を投下する前に回避運動の準備を開始しているから避けることが出来ているにすぎません。艦船・・・特に潜水艦からの雷撃なんかはだいたいが発見が遅れ、結構な確率で命中してたりします。
砲は相手の抵抗力を奪うためのものであって沈めるのは難しいってのもあるぞ大和級の46cm砲ですら砲弾内の炸薬は33kgぐらいなのに魚雷の炸薬は数百kgでそれが水面下突き破って浸水させてくる戦艦や巡洋艦が自分の砲で自分を沈めるには火薬庫誘爆みたいなラッキーヒットが無いと数十発の命中が必要だが魚雷なら1〜数発だし駆逐艦の砲だと1000トン級の商船沈めるのも相当時間かかったりする(特にタンカーとかやたら丈夫らしい)
魚雷の有効射程を1万m以下とすると、その距離の砲戦では主砲の弾道は水平に近く、命中しても喫水線上になり浸水につながる可能性は低くなります。あた、遠距離砲戦で喫水線付近に着弾しても砲弾が海中に突入することで弾道が変わり有効弾にはなりにくい。そこで水中弾道を安定させるために海軍では九一式徹甲弾などを開発しましたが、魚雷であれば命中箇所が喫水線下なので浸水を与える致命傷になる。そんなことで魚雷の装備が続いたのではと。
Mk.15魚雷には欠陥があったので改良型が出てくるまでは効果が低く当たる当たらない以前に限られた戦果しか出せなかった。なので欠陥が明らかになった以降は米駆逐艦の雷撃には期待せず巡洋艦の砲撃に頼る戦術を採用していましたね。Mk.15魚雷の欠陥が改善したのは1943年の秋頃からです。同時にアーレイ・バークが考案した優勢なレーダー性能を活用して日本側が探知出来ない距離で接敵してレーダーのみで照準して奇襲的に雷撃を行う新戦術を採用して日本水雷戦隊を圧倒します。この新戦術はMk.15魚雷を主戦力とする点で画期的だった。この為、砲撃禁止の徹底・魚雷発射管に遮光装置を付けて雷撃時の閃光が見えない様に改良までしています。この新戦術はベラ湾夜戦での完勝を皮切りに採用され、特にセントジョージ岬沖海戦ではバーク自ら指揮を行い駆逐艦夕立で高名を上げた吉川中佐以下の日本駆逐艦隊に何もさせず壊滅させる大戦果を挙げ31ノットバークの名前は米海軍の歴史に轟ます。一方、この海戦を最後にソロモン海域において日本の水雷戦隊は米艦隊と対決する事を諦める事となる
@@user-mk9er5ck5q さんへ 砲戦だと、近距離以外は山なりの弾道を3次元で割り出さないといけない。 一方、魚雷は基本的に2次元。(勿論潮流の影響や到達時間が長い問題もあるが…) 小型の艦艇でも命中さえすれば効果の大きい魚雷は棄てづらかったのだと思います。
魚雷が当る事が信じられんなやはり連射出来ないと、でも連射可能な砲弾では与えられるダメージも限られる、で最初に戻る。やはり自ら目標に向かう魚雷で無いと、で人間魚雷になるのはやりきれない。魚雷て難しい兵器だなやはり。現代なら空母群に代表する戦術核使用の誘惑も大きくなるし、やはり世界大戦は無理ゲーなんだよな。まあだから六村も隼もやらざる得ないとなるよな。
かなり先ながら、定年後時間出来たら
ここの動画を参照しながら、ニ次大戦史を読み直したいな。高校生ぐらいの時に
有名なヤシはほぼ読んだけどアメリカ側の大作戦史でさえ工業力や物量は書かれていても急速に進んだ技術開発についての認識が足りなかったように見える、総力戦をいかに戦うかについてもアメリカの考え方や体制が正しい選択だったように見えて来ますね。国内に余力があったから技術も進歩したんだよな、だから目先の目的の為に統制を強めれば良い訳では無い。日本の失敗は開戦のかなり前から始まっていたんだと思います。
主さんの技術解説は考える素材として実に素晴らしくて、頭が喜んでます。感謝
日米で水雷方位盤の構造や操作手の乗る場所が端か真ん中とか異なるのは面白い。
戦前の魚雷オタクな日本海軍でも遠距離は複数の艦から攻撃するつもりだったので一隻で当てるのが無理なことは御互いよく分ってたんではないかなあ。
数撃てば当たると思って188本撃ったのに8本しか命中せず、結局遠距離雷撃は諦めたとか(´・ω・`)
@@nuruosan4398 米軍に限っては8000mという近距離から何十本も魚雷を発射してもあらぬ方向に走っていったり早期爆発して1本も命中しなかったがな。日本海軍は数万メートルから発射して命中をだしてるからすごいよな。アメリカならそもそも魚雷が届きもしない
@@prague1534 当時は世界的に見ても魚雷の信頼性は低かった。戦間期はどの海軍も予算削減に苦しんでいて魚雷を開発したくても、量産品でさえ1本で家一軒建つほど高価な魚雷の試射がほとんどできなかったのが実情。
予算が潤沢に増えた戦時中は米軍は一気に挽回して音響誘導魚雷で戦果を挙げている。
アメリカ艦の魚雷発射管って甲板よりも一段高いところに設置してるケースもあったと思いますが、トップヘビーとか、水面までの高さを考えるとあまり好ましくない気もするのですが、問題は無かったのかな?
波が穏やかな西海岸やフロリダ沖なら問題無かったのでは?
> 甲板よりも一段高いところに設置してるケースもあった
1:36 あたりの絵がまさにそれですね。
砲塔の場合、砲塔そのものも重い上に、砲塔作業員区画や、砲塔の駆動機構/弾薬エレベータなどがある砲塔、その下部にある弾薬庫、などをガードするために分厚い装甲を施さなければなりません。
魚雷発射管の場合、なぜか剥き身(w)ですので、そこまで重くはならないような気がします。船速を優先させた結果なのかもしれませんね。
日本海軍は魚雷の発射の際、雷管の発火で発見されるのを嫌って圧縮空気で魚雷を発射していた
んですよね。そこまで暗闇に紛れても連合軍の電探が発達してくると全く意味が無かったですが。
帝国海軍の発射管との違いが色々と見れてとても興味深かったです。
1943年秋以降の米駆逐艦は魚雷発射管に遮光用のカバーをつけて対策したので、圧縮空気まで使わなくても解決できる問題ではありますね
でも夜間に於ける魚雷発射の閃光防止には大きな意味がありこの頃から日本水雷戦隊は米駆逐艦からの魚雷を一方的に喰らってやられてしまう様になる訳です
@@skouichi01 現場の駆逐艦長達は42年末には米軍の夜間射撃の正確さや待ち伏せの的確さ
を危惧して米軍の恐らくは電探による夜間戦闘能力を上部に訴えてはいたんですよね。
とはいえ、そのあたりからどれだけ電子兵器の開発に注力しても技術格差は埋めれる
レベルには無く、ソロモン戦末期のような惨敗は避けられなかったとは思いますが。
@@motosan7 とまれコロンバンガラ島沖海戦の様に明確にレーダー性能が劣る条件でも夜戦で日本側が勝利する事もあり、かなり粘ったんですがね この話に限った話では無いが各戦闘の結果を分析して戦術を改善し続けた米海軍に最終的に負けたんだと思いますよ
@@skouichi01 残念ながら米海軍はレーダーで日本艦隊を捉えていてもそもそもの正確性にかけ、島やなんもない海を日本艦隊と誤認して砲弾を叩き込み、逆に日本の駆逐艦に逆襲され駆逐艦どころか重巡まで沈められている。ルンガ沖や第一次ソロモン海戦、キスカ島撤退作戦が主な例。なにか勘違いしているようだが当時のレーダーや射撃管制装置は自動的に敵艦に照準をあわせるために用いるのではなく距離を測定するためにしか使えないんだぞ。それでも命中率は1パーセントを大きく下回っていたが。
大戦前の米駆では 4×4 搭載で重雷装だったのが、5×2 に減装したのは如何なる流れだったのでしょう?
まぁ、16門と言っても片側 8本の射線でしかない上、予備魚雷も無し。
状況によれば片側 8本斉射ののち、反転しない限り反対舷の 8本はそのまま残るただの死重となる。何とも使いづらい配置ですな。
水上艦の魚雷発射解説ってなかなかないのでありがたいです👍潜水艦はいっぱいあるのにな。結局魚雷はコスパ的にどうだったんだろう?
命中しさえすれば軍艦でもない限りほぼ撃沈確実ですからコスパはいいですよ。命中しさえすれば。
ちなみに九一式魚雷1本2万円、松型駆逐艦961万円。
うーん、でも敵艦隊に1個水雷戦隊が突撃すれば、敵の反撃で自軍の駆逐艦や軽巡も数隻は撃沈破されちゃうんだよねえ。それも含めたコスパはどうなんだろうか。
そうなんです。命中率を上げるには肉薄攻撃になり被害が出ます。確かに軽巡洋艦や駆逐艦の砲撃で大型戦闘艦を沈める事は無理なので魚雷になるのですが。誘導魚雷以前の魚雷戦についてその辺も踏まえて知りたいです。
ちなみに魚雷が2万円という事は現在の金額で約12700000円😥コスパがいいとは思えないなぁ。
@@user-mx1vc4pg9k でも小型艦艇は小型艦艇同士であっても砲撃だけで撃沈は難しいですからね。
小型艦の砲はどうしても近距離戦になるから放物線を描いて落下する戦艦と違って命中弾を出しても水線上にしかダメージがいかない。
そうするとビスマルク撃沈の時みたいに艦上構造物をメチャメチャに破壊して継戦能力を奪ってから接近して魚雷を撃ちこまなきゃならなくなる。
結局魚雷は使うから砲弾を消費して彼我ともに艦上構造物にダメージを蓄積させてから魚雷でとどめを刺すより、そうなる前の早い段階で敵艦の浮力を奪う方が効率は良くなるんです。
ただ、あとはどうやって命中させるかなんですよ。
背景が水曜ロードショー!
戦闘艦が相手ならば、相手艦はある程度魚雷を放ってくる事を予測して機動しそうですね。
対大型艦用の長距離雷撃戦のための島風(五連装三基)や重雷装巡洋艦(片舷四連装五基)だったけど、潜水艦や航空機が主要敵になったからデッドウエイトにしかならなかったんだよね…
現代だとロシア系艦の対艦ミサイルみたいな存在かな?仮想敵が空母のような大型艦艇だし
実際、島風は、喪失前の最後の対空戦闘に際して、予め魚雷を投棄していますものね。魚雷は、デッドウエイトどころか、自ら抱える巨大な爆発物になってしまっていました。
水上発射管の場合魚雷の点検整備は大変難しくなる。潜水艦のように密閉された状態ではないから塩害の影響は深刻だ。
ただ潜水艦ほど長期航海はしないので、寄港時に徹底的に整備して、あとは運を天に任せるというような状態だったようだ。
日本海軍では次発装填機構を利用して、次発魚雷を吊り上げ、発射管の魚雷を引き抜いて整備することも考えていたようだが、余程の静海面でないと出来ない作業で無謀だった。
ただ発射出来ないのは最悪なのでそこだけは何らかの工夫があったと思う。火災がが発生したり、航空攻撃を受けた際、自爆装置を抱えているような代物なので投棄できないとえらいことになる。
戦後の水上艦艇が大口径魚雷の搭載を止めたのは、対艦ミサイルの発達もあるが、このような事情もあったかと思う。
戦争終盤になると航空攻撃を受けたら魚雷は即投棄を決めていた艦も多く、坊ノ岬沖海戦での矢矧はこれでかなりの被弾に耐えていますね。また圧搾空気供給が止まったら魚雷発射・投棄できなくなることは戦前から問題視されており(レイテ沖海戦での重巡喪失につながっている)火薬発射装置を予備で装備する事が研究されていました。開戦直前に特に熱心に配備要求を行っていた特型駆逐艦用が完成していたのだが、開戦に伴い装備優先度が下げられて結局装備されませんでした。
帝国海軍の魚雷発射管については終戦時にかなりの資料が焼かれてしまい、開発主任者が密かに持ち出した開発資料を死蔵させないため防衛庁技研に寄贈して現NECの玉川事業場の倉庫に保管したところ、その晩に火災で全焼。「海軍水雷史」執筆時の段階で一次資料はほとんど残っておらず、開発関係者の多くも鬼籍に入っていたため詳細不明だらけという状況でした。今後も資料が出てくることはほぼ絶望と言われています。
つまり帝国海軍が海戦中にもかかわらず勇猛果敢に装填をこなし敵に大損害をあたえたことは奇跡に近い偉業だということですか😂無知って怖いね
兵器は絶えず矛盾を孕みますね。
魚雷を当てる事自体が最高の技術+運にしかならず戦闘の想定も未来予測で
まあ予言でしか無い。でも当時の技術的制約下での解答は胸躍る面白さで尊敬するしかないな。本物の技術大国だったアメリカはかっこ良すぎな希ガス。
「我々は水雷突撃を敢行する。結果はどうなるかわからない、だが義務を果たそう」
護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツ艦長ロバート・W・コープランド少佐
これほど精密な管制装置があっても、動画にあるように雷跡を残し水面近くを航走していたら輸送船ですら避けてしまいそうです。夜襲や待ち伏せにしても魚雷の射程なら主砲で撃った方が確実で早いでしょうし、使いどころが難しそうですね。
あれは訓練の映像でしょう。
魚雷は避けることは不可能ではありませんが実際には結構厳しいです。
雷速45ノット(時速83キロ)で距離3000から撃たれたら命中するまで2分ほどしかないです。
撃った瞬間を目撃したならともかく、ある程度近づかないと分からなかったりしますから避けるための時間的余裕はかなり少ないです。
軍艦が魚雷を避けるのはだいたい航空機による魚雷で、艦船からの雷撃は意外と避けれてなかったりします。
航空機の雷撃を避けられるのは撃つところが見えてるからで、雷撃機が突入を開始してから魚雷を投下する前に回避運動の準備を開始しているから避けることが出来ているにすぎません。艦船・・・特に潜水艦からの雷撃なんかはだいたいが発見が遅れ、結構な確率で命中してたりします。
砲は相手の抵抗力を奪うためのものであって沈めるのは難しいってのもあるぞ
大和級の46cm砲ですら砲弾内の炸薬は33kgぐらいなのに魚雷の炸薬は数百kgでそれが水面下突き破って浸水させてくる
戦艦や巡洋艦が自分の砲で自分を沈めるには火薬庫誘爆みたいなラッキーヒットが無いと数十発の命中が必要だが魚雷なら1〜数発だし駆逐艦の砲だと1000トン級の商船沈めるのも相当時間かかったりする(特にタンカーとかやたら丈夫らしい)
魚雷の有効射程を1万m以下とすると、その距離の砲戦では主砲の弾道は水平に近く、命中しても喫水線上になり浸水につながる可能性は低くなります。
あた、遠距離砲戦で喫水線付近に着弾しても砲弾が海中に突入することで弾道が変わり有効弾にはなりにくい。
そこで水中弾道を安定させるために海軍では九一式徹甲弾などを開発しましたが、
魚雷であれば命中箇所が喫水線下なので浸水を与える致命傷になる。
そんなことで魚雷の装備が続いたのではと。
Mk.15魚雷には欠陥があったので改良型が出てくるまでは効果が低く当たる当たらない以前に限られた戦果しか出せなかった。なので欠陥が明らかになった以降は米駆逐艦の雷撃には期待せず巡洋艦の砲撃に頼る戦術を採用していましたね。
Mk.15魚雷の欠陥が改善したのは1943年の秋頃からです。同時にアーレイ・バークが考案した優勢なレーダー性能を活用して日本側が探知出来ない距離で接敵してレーダーのみで照準して奇襲的に雷撃を行う新戦術を採用して日本水雷戦隊を圧倒します。この新戦術はMk.15魚雷を主戦力とする点で画期的だった。この為、砲撃禁止の徹底・魚雷発射管に遮光装置を付けて雷撃時の閃光が見えない様に改良までしています。
この新戦術はベラ湾夜戦での完勝を皮切りに採用され、特にセントジョージ岬沖海戦ではバーク自ら指揮を行い駆逐艦夕立で高名を上げた吉川中佐以下の日本駆逐艦隊に何もさせず壊滅させる大戦果を挙げ31ノットバークの名前は米海軍の歴史に轟ます。
一方、この海戦を最後にソロモン海域において日本の水雷戦隊は米艦隊と対決する事を諦める事となる
@@user-mk9er5ck5q さんへ
砲戦だと、近距離以外は山なりの弾道を3次元で割り出さないといけない。
一方、魚雷は基本的に2次元。(勿論潮流の影響や到達時間が長い問題もあるが…)
小型の艦艇でも命中さえすれば効果の大きい魚雷は棄てづらかったのだと思います。
魚雷が当る事が信じられんな
やはり連射出来ないと、でも連射可能な
砲弾では与えられるダメージも限られる、で最初に戻る。やはり自ら目標に向かう魚雷で無いと、で人間魚雷になるのはやりきれない。魚雷て難しい兵器だなやはり。現代なら空母群に代表する戦術核使用の誘惑も大きくなるし、やはり
世界大戦は無理ゲーなんだよな。
まあだから六村も隼もやらざる得ないと
なるよな。