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勢至堂トンネルを過ぎた郡山市湖南町エリアは、旧街道にならではの、街並みを目の当たりにできます。自分の場合は、「あれさっきここ通らなかったっけ?」という錯覚に毎回陥ります。黒森トンネルを過ぎてから(27:23頃から)、名前は知らないけど、道路の西側に、吹雪対策用の折り畳み式のフェンスを見るたびに、確実に会津盆地に向かっていることを実感しています。
栃木県南部に住んでます。昔、会津若松に行った時に294号の標識を見て、294号ってここまで伸びてたのか!!っとすごい感動したのを覚えています。
確かに、国道にしては長めな感じがします!
私も県道、旧道を走破していますが、こういった見せ方もあるのかと感心しました。
ありがとうございます!
那須町から294で白河に何回も行ったけど遠い。信号なく早いけど...
私はこの動画と反対に猪苗代湖から那珂川町まで走ったことがあります。13:45付近の早送り部分で左折して県道72号線を少し入ったところに芦野温泉という月数回はとバスが来る超美肌の温泉がありますよ。
蛇尾川、今泉橋以南は水が出てるので、クソ細かくてすみませんが、伏流水になってるのは旧西那須野町エリアまでですね。ただ、最近は町島橋あたりも水が無いことがあるので、それだけ降水量が少ないと言うことか…🤔
おお、大田原の半分ぐらいのところで!ネットで検索しても、どこまで枯れているのか、どうもはっきりしなかったんです。もう一度そちらに行って確かめるわけにもいかず…情報ありがとうございます!
白河と西郷で勘違いしがちだけど、「西郷の方が栄えてる」訳ではない。白河の市街地の一部として連続しているけど、イオンしかない。国道4号線沿線としては、白河市の部分より発展してる様に感じるのはそうだろうけど。白河市の4国はバイパス化した時点で郊外に移っていますので。
湖南は別に間違えて安積郡になったわけじゃなくて江戸期からの郡割を受け継いだだけではないでしょうか?猪苗代湖畔は湖南町以外も西岸(会津若松市湊)は北会津郡、北岸(猪苗代町)は耶麻郡ともともと郡が分かれていましたので…ちなみに合併前の湖南は「湖南村」です。
あ、湖南村でしたね。それで、もう一度調べ直してみたのですが、面白いPDFが出てきました。www.city.koriyama.lg.jp/uploaded/life/61331_100241_misc.pdf1643年・保科正之が会津藩主となるが、石高を減らされて、湖南村2分される。明治2年・若松県、今の会津若松側に編入明治9年12月・安積郡創立と編入明治22年・町村制実施によって明治30年、独立村として歩む大正12年、以前からの「郡は煩雑で不要」論により郡制廃止以下引用「38年7月12日郡山新産業都市の発足に伴い関係者の絶えざる努力と村民の協力により,郡山市、安積郡全町村、田村村(中田、西田両村同年8月編入合併)が大同合併、新郡山市が誕生。40年4月30日限りで湖南村が発展的解消を告げ「郡山市湖南町」となった。」なぜ明治9年、安積郡に突然編入されたのかは書かれていませんでしたが、確かに決して役人のミスではなく、郡山市、安積郡全町村、田村村の人々の努力の結晶だったってわけですね~
白河市と隣接している西郷村の方が村なのにイオンなどの商業施設があって栄えてるんですよね。東北新幹線の新白河駅も東北自動車道の白河インターも西郷村にあり、村って感じがしなくて面白いです。
不思議ですね!今度行くとき、調べてみたいです。
那須野が原は、昔は川が土砂を運んでできたと言われていましたが、今は40万年前の大田原火砕流で平野が埋め尽くされてできたと言われていますね
へぇ~!そうなんですね!
明治の元勲のための華族農場を切り開くための那須疎水という存在は大きいけど・・・それは明治の話。昭和以降の栃木県北はポンプで地下水くみ上げて水田化してます。昔の用水路のあとは確認できる場所もあるけど、それよりも 地下水くみ上げて田んぼにしている地域が圧倒的に多い。コンクリブロックで作られた小さなポンプ小屋が この地域の水田脇には必ずと言っていいくらいに見当たります。さび川が普段枯れていて大雨時にのみ姿を現すのと同じように 普段のさび川が隠れている地下のあたりに大きな地下水源があるということでちょっと掘れば田んぼ作るのに十分な水量があるんです。
そうなんですね~情報ありがとうございます!
ちなみに、その情報はどちらで手にされましたか?www.google.com/search?q=%E9%82%A3%E9%A0%88%E7%96%8F%E6%B0%B4%E3%80%80%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E3%80%80%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97www.city.nasushiobara.tochigi.jp/material/files/group/38/rekibunhonpen05-4.pdfこちらのサイトでは、確かに「戦後になり、電動ポンプ利用が広まった」と一言書いてはありますが、サイトの内容は明治時代のものばかりです。suido-ishizue.jp/kokuei/kanto/Prefectures/0903/0903.htmlこちらのサイトでは昭和の流れを説明されていましたが、電動ポンプ利用には経済的、技術的限界があるため、深山ダムを建設し、現在も水路を改良して利用しているという情報もあります。那須疏水の地域の方の情報待ちですね!
@@kuwashimeDrive 現地にすんでるわけだが・・・那須疎水は確かにあるんだけど それを利用できるのはその流域だけ。ぶっちゃけ人の多い市街地ではその存在を目にすることが難しく、地元の地方史教科書の中、TVの中、ネットの情報で見るものです。逆に市街地に残された田んぼ(昭和の1/10くらいになった気もするが)は 確実にポンプ小屋が立ってます。華族農場向けに水を引いた後は その流域は確かに使えるけど・・・「地域全体に張り巡らす」ということになると無理があり、この地に土地を賜った華族様(日露戦争時の乃木将軍 大山陸軍大臣・・・)が死んだあとも 2世がそこで農業したの? それ以上の用水路網の構築しつづけたの?となると していない。(その資料でも明治で終わってるでしょ?昭和というか戦後すぐくらいになると もう国による開拓・用水路網の延長拡大なんて待つ(金をかける)意味がなく 地下水くみ上げれば水田出来るんです。そしてそれは確実に浅いところから出ます。そういう土地だから。地下水くみ上げたら 水がなくなって問題になる!? 地盤沈下が起きる? おきません。那須の山々に積もった雪解け水が地下にしみこみそれが那須野が原全体の地下にあるんです。地上は乾燥でひどいことになってるけど 地下には豊富な水があるんです。
@@kuwashimeDrive ちなみに この動画のルートは東山道なので 明治の元勲に渡すことができないそれ以前からの所有者の居る土地で、昔から人が住み田畑を作ってる土地です。そしてそれは那珂川に依存してるのかな。
えっと、正確を期するため、確認しますが、いつの教科書をご覧になられましたか?深山ダムができたのが1973年です。それ以前の教科書や、地方史なのではないでしょうか?確かに那須塩原市のホームページにだけはその旨記載されていますが、他のサイトが出てきません。suido-ishizue.jp/kokuei/kanto/Prefectures/0903/0903.html引用します。「かんがい排水事業では、老朽化が進んで漏水が著しかった既設の新・旧木ノ俣用水、蟇沼用水、那須疏水の土水路をコンクリート舗装水路に改修。那須疏水は下段幹線用水路と改称し、新設の上段幹線用水路とあわせて2大幹線用水系統に再編。総延長330kmにおよぶ水路を整備するとともに頭首工を新設・移設改修。」と書いてあります。昭和の「ダム建設」、「那須野が原再開発」の経緯も詳細に書かれています。
東山道伊王野は初見だとまず読めないですよね。白河に行く際、4号を通るよりも294号のほうが交通量が少ないので楽な気持ちで走れます。道の駅 天栄から少し北上した田園地帯は、左側が桜並木になっているのですが春に行くと本当にきれいですでお勧めですね。
あそこ、桜並木なんですね!春に行ってみたいです!
明るく リズミカル ナレーション いいね〜 💖
勢至堂トンネルを過ぎた郡山市湖南町エリアは、旧街道にならではの、街並みを目の当たりにできます。
自分の場合は、「あれさっきここ通らなかったっけ?」という錯覚に毎回陥ります。
黒森トンネルを過ぎてから(27:23頃から)、名前は知らないけど、道路の西側に、吹雪対策用の折り畳み式のフェンスを
見るたびに、確実に会津盆地に向かっていることを実感しています。
栃木県南部に住んでます。昔、会津若松に行った時に294号の標識を見て、294号ってここまで伸びてたのか!!っとすごい感動したのを覚えています。
確かに、国道にしては長めな感じがします!
私も県道、旧道を走破していますが、こういった見せ方もあるのかと感心しました。
ありがとうございます!
那須町から294で白河に何回も行ったけど遠い。信号なく早いけど...
私はこの動画と反対に猪苗代湖から那珂川町まで走ったことがあります。
13:45付近の早送り部分で左折して県道72号線を少し入ったところに芦野温泉という月数回はとバスが来る超美肌の温泉がありますよ。
蛇尾川、今泉橋以南は水が出てるので、クソ細かくてすみませんが、伏流水になってるのは旧西那須野町エリアまでですね。
ただ、最近は町島橋あたりも水が無いことがあるので、それだけ降水量が少ないと言うことか…🤔
おお、大田原の半分ぐらいのところで!
ネットで検索しても、どこまで枯れているのか、どうもはっきりしなかったんです。
もう一度そちらに行って確かめるわけにもいかず…
情報ありがとうございます!
白河と西郷で勘違いしがちだけど、「西郷の方が栄えてる」訳ではない。
白河の市街地の一部として連続しているけど、イオンしかない。
国道4号線沿線としては、白河市の部分より発展してる様に感じるのはそうだろうけど。
白河市の4国はバイパス化した時点で郊外に移っていますので。
湖南は別に間違えて安積郡になったわけじゃなくて江戸期からの郡割を受け継いだだけではないでしょうか?
猪苗代湖畔は湖南町以外も西岸(会津若松市湊)は北会津郡、北岸(猪苗代町)は耶麻郡ともともと郡が分かれていましたので…
ちなみに合併前の湖南は「湖南村」です。
あ、湖南村でしたね。
それで、もう一度調べ直してみたのですが、面白いPDFが出てきました。
www.city.koriyama.lg.jp/uploaded/life/61331_100241_misc.pdf
1643年・保科正之が会津藩主となるが、石高を減らされて、湖南村2分される。
明治2年・若松県、今の会津若松側に編入
明治9年12月・安積郡創立と編入
明治22年・町村制実施によって明治30年、独立村として歩む
大正12年、以前からの「郡は煩雑で不要」論により郡制廃止
以下引用
「38年7月12日郡山新産業都市の発足に伴い関係者の絶えざる努力と
村民の協力により,郡山市、安積郡全町村、田村村(中田、西田両村同年8月編入合併)が大同合併、新郡山市が誕生。
40年4月30日限りで湖南村が発展的解消を告げ「郡山市湖南町」となった。」
なぜ明治9年、安積郡に突然編入されたのかは書かれていませんでしたが、
確かに決して役人のミスではなく、郡山市、安積郡全町村、田村村の人々の努力の結晶だったってわけですね~
白河市と隣接している西郷村の方が村なのにイオンなどの商業施設があって栄えてるんですよね。東北新幹線の新白河駅も東北自動車道の白河インターも西郷村にあり、村って感じがしなくて面白いです。
不思議ですね!
今度行くとき、調べてみたいです。
那須野が原は、昔は川が土砂を運んでできたと言われていましたが、今は40万年前の大田原火砕流で平野が埋め尽くされてできたと言われていますね
へぇ~!そうなんですね!
明治の元勲のための華族農場を切り開くための那須疎水という存在は大きいけど・・・それは明治の話。
昭和以降の栃木県北はポンプで地下水くみ上げて水田化してます。
昔の用水路のあとは確認できる場所もあるけど、それよりも 地下水くみ上げて田んぼにしている地域が圧倒的に多い。
コンクリブロックで作られた小さなポンプ小屋が この地域の水田脇には必ずと言っていいくらいに見当たります。
さび川が普段枯れていて大雨時にのみ姿を現すのと同じように 普段のさび川が隠れている地下のあたりに大きな地下水源があるということで
ちょっと掘れば田んぼ作るのに十分な水量があるんです。
そうなんですね~情報ありがとうございます!
ちなみに、その情報はどちらで手にされましたか?
www.google.com/search?q=%E9%82%A3%E9%A0%88%E7%96%8F%E6%B0%B4%E3%80%80%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E3%80%80%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97
www.city.nasushiobara.tochigi.jp/material/files/group/38/rekibunhonpen05-4.pdf
こちらのサイトでは、確かに「戦後になり、電動ポンプ利用が広まった」と一言書いてはありますが、サイトの内容は明治時代のものばかりです。
suido-ishizue.jp/kokuei/kanto/Prefectures/0903/0903.html
こちらのサイトでは昭和の流れを説明されていましたが、電動ポンプ利用には経済的、技術的限界があるため、深山ダムを建設し、現在も水路を改良して利用しているという情報もあります。
那須疏水の地域の方の情報待ちですね!
@@kuwashimeDrive 現地にすんでるわけだが・・・那須疎水は確かにあるんだけど それを利用できるのはその流域だけ。
ぶっちゃけ人の多い市街地ではその存在を目にすることが難しく、地元の地方史教科書の中、TVの中、ネットの情報で見るものです。
逆に市街地に残された田んぼ(昭和の1/10くらいになった気もするが)は 確実にポンプ小屋が立ってます。
華族農場向けに水を引いた後は その流域は確かに使えるけど・・・「地域全体に張り巡らす」ということになると無理があり、
この地に土地を賜った華族様(日露戦争時の乃木将軍 大山陸軍大臣・・・)が死んだあとも 2世がそこで農業したの? それ以上の用水路網の構築しつづけたの?
となると していない。(その資料でも明治で終わってるでしょ?
昭和というか戦後すぐくらいになると もう国による開拓・用水路網の延長拡大なんて待つ(金をかける)意味がなく 地下水くみ上げれば水田出来るんです。
そしてそれは確実に浅いところから出ます。そういう土地だから。
地下水くみ上げたら 水がなくなって問題になる!? 地盤沈下が起きる? おきません。那須の山々に積もった雪解け水が地下にしみこみ
それが那須野が原全体の地下にあるんです。地上は乾燥でひどいことになってるけど 地下には豊富な水があるんです。
@@kuwashimeDrive ちなみに この動画のルートは東山道なので 明治の元勲に渡すことができないそれ以前からの所有者の居る土地で、
昔から人が住み田畑を作ってる土地です。そしてそれは那珂川に依存してるのかな。
えっと、正確を期するため、確認しますが、いつの教科書をご覧になられましたか?
深山ダムができたのが1973年です。
それ以前の教科書や、地方史なのではないでしょうか?
確かに那須塩原市のホームページにだけはその旨記載されていますが、他のサイトが出てきません。
suido-ishizue.jp/kokuei/kanto/Prefectures/0903/0903.html
引用します。
「かんがい排水事業では、老朽化が進んで漏水が著しかった既設の新・旧木ノ俣用水、蟇沼用水、那須疏水の土水路をコンクリート舗装水路に改修。
那須疏水は下段幹線用水路と改称し、新設の上段幹線用水路とあわせて2大幹線用水系統に再編。
総延長330kmにおよぶ水路を整備するとともに頭首工を新設・移設改修。」
と書いてあります。
昭和の「ダム建設」、「那須野が原再開発」の経緯も詳細に書かれています。
東山道伊王野は初見だとまず読めないですよね。白河に行く際、4号を通るよりも294号のほうが交通量が少ないので楽な気持ちで走れます。
道の駅 天栄から少し北上した田園地帯は、左側が桜並木になっているのですが春に行くと本当にきれいですでお勧めですね。
あそこ、桜並木なんですね!
春に行ってみたいです!
明るく リズミカル ナレーション いいね〜 💖
ありがとうございます!