【中国史】三国志を襲った最強の騎馬民族「鮮卑族」とは?【ゆっくり歴史解説】

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  • Опубліковано 14 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 117

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 Рік тому +37

    烏桓と鮮卑は言語、風習は同じだったけど結婚の方法は異なっており、烏桓では「一旦妻となる女性を連れ去った後、仲人をやって家畜を贈物として嫁取りの礼を行う」というスタイルだったのに対し、鮮卑は「婚姻の前に髠頭し、春に饒楽水(作楽水)のほとりで開催される大会で、酒盛りをした後に妻を娶る」というスタイルだった。

    • @FREEDOM-vv3wu
      @FREEDOM-vv3wu Рік тому +2

      またはレベレート(間違いの可能性あり)婚制で、兄弟の妻を弟が娶るという仕組みもあったようですね。

  • @sabhumi-wy3en
    @sabhumi-wy3en Рік тому +6

    お疲れ様でした‼︎
    リクエストです!
    今回のような漢民族と他の民族の戦いつながりだと,タラス河畔の戦いだとかが解説のしがいがあるのではないでしょうか。
    ぜひタラス河畔の戦いについて解説して欲しいです!

  • @真島あたる
    @真島あたる Рік тому +28

    異民族集、楽しいです! またやってください😀

  • @ravilsan1987
    @ravilsan1987 Рік тому +18

    文字を残さなかった民族は隣接する地域の文字を持つ民族の記録で間接的にしか歴史を知ることはできない。ましてや民族そのものが消滅してしまっては、口伝えの伝承と照会することもできない。日本の場合は条件が良かったからおぼろげながら中国の記録と口伝記録との照合ができた部分もある。

  • @ななしのよっすん
    @ななしのよっすん Рік тому +11

    うぽつです。異民族といえば羌族が有名ですが鮮卑も熱いですよね。ちなみに鮮卑族が使用していた言語についてですが、昔はテュルク系であるとする説が有力だったのが、近年では鮮卑(主に拓跋部)の言語はモンゴル系である、あるいは扶余語に近いなどとも言われているそうですね。

    • @junkaisavoy1020
      @junkaisavoy1020 Рік тому +6

      慕容部だけが墓碑銘と鮮卑文字を残しており、その他の基本は史書上の鮮卑人名(漢字音訳、漢字意訳、音訳+意訳の組み合わせの3種類に分けられる)を参考にするしかなく、もはや誰も把握していない死の文字だ。そして慕容部鮮卑文との関係が最も近いのは契丹文(耶律阿保機が創造した契丹大字)である,モンゴル語族と緊密な関係がある

    • @user-eigas
      @user-eigas Рік тому +7

      鮮卑の王朝とされる隋と唐は、唐音ですね
      漢音ども呉音とも違います
      (日本は発音を記録に留めてます。他にも沙陀族とされる宋も宋音で別にあります)

    • @藤岡山之上
      @藤岡山之上 Рік тому +2

      鮮卑はシベリア方面で、後の北宋を建てる突厥とかは中東からやって来たみたい所がありますね。

    • @user-eigas
      @user-eigas Рік тому +2

      訂正。漢王朝が上古音、漢族の王朝である呉(三国志)と東晋の言葉が呉音、鮮卑族で日本が遣隋使を遣唐使を派遣していた隋と唐が漢音、沙陀族の宋が宋音ですね
      紛らわしいです

    • @junkaisavoy1020
      @junkaisavoy1020 Рік тому +4

      ​@@藤岡山之上 「天突厥」と名付けられた突厥阿史那氏はアルタイ山脈に起源を持つ。鮮卑拓跋部の祖先はフルンボイル草原に起源し、これは分子人類学と歴史文献の二重検証を基本的に得た。鮮卑拓跋部の祖先はフルンベール草原に起源し、これは分子人類学(北魏拓跋部貴族の遺骨DNA検査と溯源)と歴史文物+文献(歴史書における北魏皇室の祖先を祭る場所+1980年に発見された嘎仙洞遺跡)の二重検証を基本的に得た。突厥は最初は柔然の臣属部族で、鮮卑と同様に東胡の子孫であり、父系血統には千年の共祖現象が存在した

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Рік тому +15

    後漢末は漢民族側に段熲や張奐が、曹魏全盛期には閻柔や田豫のような対北方のスペシャリストが睨みを効かせていたが…
    丁度、北方異民族側も人口が増えたところで寒冷化を喰らったために長城越えざるを得なかったが、そんな時に八王やってた西晋さんはもう…

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Рік тому +5

      なんなら自軍の兵力足りなくなって引き込んでるくらいだから、そりゃもう、そうなるよねとしか😇

    • @matukawatositane
      @matukawatositane Рік тому +4

      @@KOUMEI_NO_WANADA 西のローマが異民族の流入に苦しみながら残ったのに西晋さん…

  • @junkaisavoy1020
    @junkaisavoy1020 Рік тому +8

    北鮮卑の「拓跋」(たくばつ、Tuòbá))と西鮮卑の「禿髪」(とくはつ, tūfà)は同音字で、2つの姓は同源である。いずれも鮮卑語の発音を漢語に音訳した結果だ,鮮卑語の「布団」という言葉に由来している。祖先(樹機能の祖父禿髪寿闐)は布団の中で生まれたので、それを姓とした。
    献皇帝 拓跋隣 生卒年:?-? 在位時間:後漢桓帝時代と推定される
    聖武皇帝 拓跋诘汾 生卒年:?-? 在位時間: 後漢桓帝時代と推定される
    神元皇帝 拓跋力微 生卒年:174年-277年 在位時間:220年-277年
    太祖文皇帝 拓跋沙漠汗 生卒年:?-277年 在位時間:不明 *禿髪匹孤の弟
    章皇帝 拓跋悉鹿(拓跋悉禄) 生卒年:?-286年 在位時間:277年-286年
    平皇帝 拓跋綽 生卒年:?-293年 在位時間:286年-293年

  • @user-fuji01
    @user-fuji01 Рік тому +9

    羌族の生活風景や習慣が知りたいです

  • @もやしは主食
    @もやしは主食 Рік тому +6

    とても面白かったです
    異民族特集もいいですね。三国時代の最後を異民族が絡んでくるのは悲しいとか意外ですよね

  • @小野裕輝-o7p
    @小野裕輝-o7p Рік тому +23

    異民族対策は難しく劉虞のように懐柔策では相手がつけあがる可能性もあり公孫瓚や曹操のように力で従わせるのが一番なのかも

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Рік тому +10

      異なる民族とどう付き合っていくのか。
      人類史の永遠の課題ですねぇ…

  • @junkaisavoy1020
    @junkaisavoy1020 Рік тому +10

    現代中国漢族の「慕容」、「拓跋」、「独孤」、「爾朱」、「宇文」、「斛律」、「長孫」はすべて漢化鮮卑に由来する姓である。「赫連」は匈奴鉄弗部に由来する姓である。夏侯、上官、令狐、南宮と同様に、武侠小説やネット小説の女1号や女2号、重要な男性脇役によく使われる中二な姓氏である。

    • @野坂慶一
      @野坂慶一 Рік тому +1

      現代中国で約4000人いて複姓の中で13番目に多い”尉遅”も漢化鮮卑に由来するもので唐の開国の功臣の尉遅恭(字は敬徳)が有名で「水滸伝」の登場人物で鎗と鉄鞭の使い手の孫立の渾名”病尉遅”は肌の色が黄色い(中国語で病は黄色いという意味がある)尉遅という敬称である。

    • @MyForestStudio
      @MyForestStudio Рік тому

      水滸伝に出てくる呼延灼の呼延もそうらしいね
      正しくは匈奴ルーツらしいけど…
      遊牧民起源

    • @野坂慶一
      @野坂慶一 Рік тому +1

      @@MyForestStudio
      呼延灼は宋の開国の功臣である呼延賛の子孫という設定でしたね。
      彼と孫立は共に鉄鞭の使い手(呼延灼の渾名は双鞭)で呼延灼が梁山泊入りする前に鉄鞭で渡り合っていました。

    • @吃瓜群众-l8i
      @吃瓜群众-l8i Рік тому +1

      補充一點,鮮卑人和其他少數民族漢化之後還會把複姓簡化,例如鮮卑拓拔改為拓,慕容改慕,尉遲改尉,契丹耶律改姓耶,女真完顏改姓完,漢人也會簡化自己的複姓,第五改姓第,司馬、司空改姓司,老實講複姓好聽,不知有些古人為何要簡化成單一姓,皇甫、諸葛、上官、歐陽就沒聽說過大規模簡化姓的

  • @武闘派のび太
    @武闘派のび太 Рік тому +43

    一番乗り。時に漢族を利用し時に利用されながらも、拓跋部が華北を統一したのだから、異民族たちのしたたかさも大したものと言えよう。

    • @MyForestStudio
      @MyForestStudio Рік тому +10

      そして、やがて全土を統一して隋唐を打ち立てて繁栄に導いたのだから凄い

    • @一竿風月-t4b
      @一竿風月-t4b Рік тому

      …ですよねー。
      そして、悠久の中華文化は中国本土では消えてっちゃうんだよな。

    • @RR-pm8ie
      @RR-pm8ie 11 місяців тому

      @@MyForestStudio
      唐って漢民族じゃなかったでしたっけ

    • @ガキの頃からホモりまくった321
      @ガキの頃からホモりまくった321 7 місяців тому

      フリクジョナラヤンって名前の漢人がおるもんかいな

    • @ねおぞえ
      @ねおぞえ 5 місяців тому

      ⁠唐の宗室である李氏は西魏の八柱国出身でさらに初代皇帝の李淵の独孤皇后はゴリゴリの鮮卑の名族出身なのでおそらく鮮卑族。

  • @雀-r4f
    @雀-r4f Рік тому +10

    後のチンギス・ハンも母が他部族に略奪された後に産まれてるし
    あの時代の遊牧民はそういうのが多かったんだろうなぁ。

    • @コーッケッコ
      @コーッケッコ Рік тому +6

      それ、テムジンの嫁と長男のエピソードでは?

    • @ねおぞえ
      @ねおぞえ 5 місяців тому

      元朝秘史によればテムジンの母ホエルンはメルキトへの嫁入り行列を父イエスゲイに襲撃され奪われている。

  • @アルティメットカイザー

    鮮卑族って言う名称なんだ歴史漫画では北方の騎馬民族だったから名称解って目から鱗だわさ🏇

  • @ひょうべえ
    @ひょうべえ Рік тому +13

    諸葛亮は北伐の際に軻比能を味方に引き入れましたが、その後の事を考えるとかなり危険な行為では?仮に蜀漢が天下統一したとしても、諸葛亮死後の歴史の流れは史実と大差無い気がします。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Рік тому +7

      共通敵を排除したあと、この虎狼の集団をどう御すか…🐎

    • @shou-sho
      @shou-sho Рік тому +7

      遊牧民族による中華王朝の誕生は、寒冷化による農牧境界線の南下という歴史の必然なので、どのみち4世紀中に農耕民族の王朝は崩壊したと思います。

  • @くま爺-t4z
    @くま爺-t4z Рік тому +4

    檀石槐はほんと怖い存在でしたねえ、彼が後20年生きていたら、後漢末の争乱もどうなっていたか
    軻比能も優秀ではあるものの、檀石槐のスケールの大きさには及ばないと、個人的には思ってしまいますね

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Рік тому +2

      檀石槐は才気から何からズバ抜けてて、軻比能は努力と立ち回りで地道に実績を積み上げていった感じがしますね🐎

  • @junkaisavoy1020
    @junkaisavoy1020 Рік тому +10

    東鮮卑: 段部(遼西国政権の建立者)
    慕容部(前燕、後燕、西燕、南燕政権の建立者、21世紀現代中国のネット小説、武侠ゲームで最も一般的な主役側イケメン用の姓)
    宇文部(西魏政権を簒奪して北周を建立し、その後の隋、唐皇帝の母系にも宇文部の血統が存在した,21世紀の中国のネット小説では主に大奸臣やイケメン悪役の姓 として使われていた)
    北鮮卑: 拓跋部(代国、北魏、そして分裂後に形成された傀儡政権の東魏、西魏の建立者、中国の歴史に最も長い影響を与えた鮮卑分支部族,漢化して「元」姓に改姓する)
    西鮮卑: 吐谷渾部(慕容部と同源、始祖は慕容吐谷渾)
    乞伏部(西秦の建立者)
    禿髪部(南涼政権の建立者,拓跋部と同源)
    北斉: 鮮卑化した漢人高歓が築いた政権で、先祖は慕容氏に3代仕えていた

  • @shou-sho
    @shou-sho Рік тому +5

    鮮卑を管轄する官職が烏桓校尉(東夷校尉)です。
    三国の抗争に絡んでこないからマイナーなんだけど(笑)、中でも面白いのが閻柔ですね。
    彼は烏桓校尉を殺害し取って代わったにもかかわらず、袁紹次いで曹操にそれを認めさせたという、なかなかやり手の武将です。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Рік тому +2

      めちゃんこ面白いマイナー人物…!

    • @松平竹千代-z2p
      @松平竹千代-z2p Рік тому +1

      閻柔ってマイナーなんですか…
      そうか…マイナーか…(´・Д・)

  • @朝霧ゴン
    @朝霧ゴン Рік тому +3

    カヒノウは過小評価されている様な感じがしていたので、少しでも取り扱いしていただいて嬉しいです。

  • @ゆういちろう松浦
    @ゆういちろう松浦 Рік тому +1

    鮮卑族については『三国志』「魏書」烏垣鮮卑東夷伝に詳しく書かれている。後漢時代に匈奴に変わって勢力を伸ばした。

  • @太郎ゴンザレス-o3n
    @太郎ゴンザレス-o3n Рік тому +7

    「随と唐は一説では鮮卑族の流れを汲む皇室であるとされている」とありますが、
    前に歴史学者の対談で、随も唐も鮮卑人の王朝というのは、世界中の中国古代史の学者の共通認識とありました。

    • @吃瓜群众-l8i
      @吃瓜群众-l8i Рік тому +2

      然而鮮卑人主動漢化了?有什麼問題?還有李世民和楊廣沒漢人血統?白居易的唐詩《長恨歌》都寫漢皇重色思傾國😅李世民罵胡人說:戎狄人面獸心。安祿山面對皇帝也自稱胡人😂漢人不是日本人這種血統論的民族,我們是文化認同😂華夷之辯了解一下,在中國只有寵物才論血統😂

    • @ponponpanda1
      @ponponpanda1 Рік тому

      王朝だけはね。しかし例えばヨーロッパの王族って大概は外国の王室からの輸入品とまで言われてますよ。特にドイツ系が人気でヨーロッパの王朝のほとんどがドイツ系だとか。
      隋、唐が鮮卑族が漢民族を支配しているとは言い難いです。
      上にも書きましたが、漢民族を支配した民族って月日を得ると漢民族と同化してしまい元の領土もろとも漢民族に同化させられてしまいます。

    • @sulivenjack6928
      @sulivenjack6928 4 місяці тому

      これはあなた方日本人の噂ではないでしょうが、楊堅さんのご両親は漢族で、李淵さんの父系は漢族で、ただ鮮卑の貴族と通婚しただけで、あなた方日本人の口にすると鮮卑族になってしまったのですか?それではあなた達の日本の天皇は実は朝鮮の血統であなたはどのように解釈しますか?

    • @温庭玮
      @温庭玮 3 місяці тому

      Nonsense! It is just a kind of propaganda of Japan. According to archaeology finding in Tang's tomb, the imperial families of Sui and Tang was undoubtedly Han Chinese.STOP LYING!

  • @なお太-w8w
    @なお太-w8w 10 місяців тому

    期間でいうと後漢は鮮卑よりも諸々の羌族に悩まされていますね。安帝初~桓帝末の間までたっぷり(約60年)ですから。
    省かれていますが章帝の末に鮮卑が北匈奴の単于を討ち、その混乱に乗じて北匈奴を共同で討とうと南単于が後漢側に申し出て大規模な遠征(指揮官は竇憲、耿秉など)の末に北匈奴に大打撃を与えたのが北匈奴の勢力衰微のきっかけですね。これが西暦90年頃の話なんで、檀石槐が勢力を最大限に伸長した西暦170年頃までの約80年間で鮮卑がモンゴル高原を支配しこの時点で勢力を三部に分けてるほどです。

  • @giantszero6962
    @giantszero6962 Рік тому +2

    漢民族の住む地域に移住して同化していった騎馬民族の子孫って多数いるんだな。

  • @tomohiro19880307
    @tomohiro19880307 Рік тому +5

    いつも楽しく拝見しています^ ^
    横山三国志だと、魏延にナレ死させられていたので、鮮卑族の詳しい解説が聞けて、とても面白かったです(*゚∀゚*)b

  • @ジャガーマン-t4l
    @ジャガーマン-t4l Рік тому

    檀石槐の出生エピソードってモンゴル族内部の氏族成立期の創生奇譚に似たようなエピソードあった気がする。
    元になった共通する神話なんかがあったのか檀石槐のエピソードがどっかで伝わって転用されたのか?

  • @junkaisavoy1020
    @junkaisavoy1020 Рік тому +4

    鮮卑の各部族は数回の分裂を経験し、複数の分支部落もあるため、鮮卑語にも多種の方言が存在し、例えば柔然鮮卑語、烏桓鮮卑語(烏桓語)、拓跋鮮卑語、慕容鮮卑語、吐谷渾鮮卑語などがある。その中で拓跋鮮卑語は北魏朝の国語であり、漢語に次ぐものであり、孝文帝の漢化改姓の過程で発音と意味を追求することはできるだけ漢語に近いことを追求してきた。現代言語学者の鮮卑語研究の参考資料は基本的にその鮮卑姓の人名だけである。

  • @Kotchan66
    @Kotchan66 Рік тому +1

    横山三国志では、黄巾賊が漢王朝を倒したら次の帝位は蒙古族(実際は匈奴、鮮卑、烏桓か?)とも相談しないと、というシーンがありましたが、檀石槐があと数年長命であれば黄巾賊と鮮卑が本当に結びついたかもしれない。

  • @adgjmptw889
    @adgjmptw889 Місяць тому

    源氏(北魏神元帝の兄一族)や孫悟空(北魏十姓の車焜氏)を生んだ民族ね。

  • @ぽんず-t9p
    @ぽんず-t9p Рік тому +1

    KOEIの三国志の曲いいよなぁ〜

  • @ainupersonflussen
    @ainupersonflussen Рік тому +1

    でも外敵が居なくなると必ず内で内戦が始まる。蓄財の文明が生まれた時から滅亡しない限り人類は滅びの運命にあり、もはやノットサステナブルな生物なのだ。

  • @活人-i4t
    @活人-i4t Рік тому +4

    異民族!最高!
    またお願い致します🎉

  • @mechadebu
    @mechadebu Рік тому

    こういった異民族との戦いが激しくなった漢代には征西将軍や征北将軍が軍の花形で、若い頃の曹操も征西将軍になるのが夢だったとか。古今東西、やはり外敵を打ち払う英雄というのはカッコよくてマジ憧れちゃいますね
    え、北条時宗?知らない人ですね……🤔

  • @種子島智紀
    @種子島智紀 Рік тому +2

    カヒノウなんて、三国志のゲームでは武力70、他の能力30程度の雑魚扱いだよなぁ。

  • @上田徹-c7l
    @上田徹-c7l Рік тому +1

    民族内でも派閥やリーダー争いが起きているのであれば、魏と呉の後継者争いが平和に見えるのは
    実力で上がってきた者と名士で担ぎ上げられた者を比較するのが間違っていますけど

  • @MyForestStudio
    @MyForestStudio Рік тому +3

    最終回に漢民族と混血しながらも中華全土を統一して隋唐を打ち立てのだから勝者といえますね

  • @初草原-y1s
    @初草原-y1s Рік тому +8

    本来の漢族の王朝って そう多くはないはずです。秦の始皇帝も漢民族ではないですし
    明が最後の漢民族王朝ということになってますが、確か異論もあるはずです。
    漢民族が王朝を築いたのは漢が最初で最後かも知れません。
    便宜上は、漢化していれば漢民族王朝にします。隋と唐は、鮮卑系漢民族王朝ですね
    元や清は、漢民族と皇族(モンゴル族、満州族)を明確に区別して支配したので誰がどうみても異民族王朝ですが。
    辛亥革命以降は客家(纏足をしない)と外資の国に成りました

    • @自称皇帝
      @自称皇帝 Рік тому +2

      漢民族の定義が広いんやで

  • @inamekono
    @inamekono Рік тому

    興味津々

  • @mattsong3975
    @mattsong3975 Рік тому +3

    「☓☓部」の『部』というのは、どういう意味なのか、教科書でイキナリ、説明もなく出てきた用語だと思ってます。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  Рік тому

      勝手ながら、○○部族の部だと思ってたんですが、どうなんでしょ…?🤔

    • @mattsong3975
      @mattsong3975 Рік тому

      @@KOUMEI_NO_WANADA 様
      私の雑駁な印象なのですが、部族というのは西洋史の中でTRIBEの訳であつて、民族よりは小集団を指す用語として、使われていて。他方、東洋史で出てくる部は、中国側が、ひとまとまりの辺境集団をカテゴライズするときに使った用語。………という印象なのです。TRIBEの訳語を考えるとき、東洋史で使っていた『部』を使って、『部族』としてしつくり来たという、そんな感じです。
      欧州でなら、いくつかの部族を併せて、ひとつの民族が想定できると思いますが(すなわち、上位概念としての『民族』)、東洋史での『☓☓部』には上位概念の『☓☓民』は、少なくとも、もともとは想定されていないと思いました。

    • @junkaisavoy1020
      @junkaisavoy1020 Рік тому +1

      @@mattsong3975 ある鮮卑大人の氏族を中心に、草原における特定の習慣法(これらの草原習慣法の遺存は21世紀のカザフスタンとモンゴルで見られる)を制約として、ある特定の地域で遊牧活動を行う部族連合。これらの参加連盟の部族には基本的に書くことができる文字がなく、慣用的な言語しかなく、成文法もない。
      だから「OO部」は拘束力の非常に弱い同盟であり、場合によっては人種の肌の色が大きく異なり、共通点はいくつかの言語と習慣法しかない可能性が高い。実力が強いときはこの中心氏族に依存し、実力が衰えたときは急速に分裂したり、この氏族に対して下克上したりする。

    • @junkaisavoy1020
      @junkaisavoy1020 Рік тому

      @@mattsong3975 慕容部を例にとると、鮮卑の重要な分支部族として、その父系祖先は匈奴に敗れた東胡の遺民に大きく由来し、匈奴が強大な時に匈奴の臣属にならざるを得なかった。匈奴が分裂し衰退すると、逆に10万人の匈奴人が鮮卑に加わった。
      檀石槐の指導の下での鮮卑は匈奴王庭のピーク時の版図を復元するまでになった,この時点での「鮮卑」の血統は混乱しており、中央アジアの白人からモンゴル高原の黄色人種までいる。
      その後、草原習慣法に基づいて統治版図を3部に分けた(詳細は「幼子守灶制」を参照)。慕容部の先祖は中部鮮卑の大人になった,遊牧活動の範囲は右北平以西から上谷。この活動範囲内のすべての遊牧部族は言語、人種、部族の姓、トーテムにかかわらず、漢人から総称して「中部鮮卑」と呼ばれる。
      三国になると、慕容部のリーダー「莫護跋」は曹魏政権によって率義王に封じられ、棘城以北に王庭を建設し始め、そして、漢人が頭につけている「歩揺」の鮮卑語の音声訳词「慕容」を自分の姓として使用した。
      西晋太康年間、慕容部は自分の部衆を河青山に移動させ、漢人難民を大量に吸収し始め、漢人の官制にならって郡県を設置し始めた。この時期から、「慕容部」は封建王室に近い。彼の支配者は慕容姓の首領で、軍事貴族の首領は慕容部の中心氏族出身で、統帥された軍隊は匈奴、鮮卑、羯、羌などの各民族の混合である(つまり『晋書』でよく言われる「雑胡」)。支配範囲内の漢人は農民と官僚である。
      慕容皝が前燕を樹立すると、慕容部は基本的に漢化し、中原地区の封建王朝になった

    • @junkaisavoy1020
      @junkaisavoy1020 Рік тому

      @@mattsong3975考古学的な説では、鮮卑貴族の遺骨(拓跋部)の核心父系遺伝子C2b1a1b1−F1756であり、早期東胡の父系遺伝子とほぼ一致し、起源はフルンベール草原にさかのぼることができ、現代中国の北方漢族は千分の6を含み、現代カザフスタンのカザフスタン人は11%を占めている。現代中国内蒙古自治区のモンゴル族(蒙古族)は9%を占めている。他の東胡に関連する遊牧部族の中には、父系の血統上で5千年以上にわたる共祖現象があった。

  • @だお半額
    @だお半額 Рік тому +2

    この漁夫の利みたいに北方民族に統一王朝の普が滅びるのはなんとも言えないね。三国志なんだったのってなる。

  • @user-eigas
    @user-eigas Рік тому +6

    ちなみに隋と唐の言語は唐音で、漢音と呉音とも違いますね

    • @野坂慶一
      @野坂慶一 Рік тому +1

      唐音は隋と唐の時代(7世紀から9世紀)の言語ではなく、もっと後の宋の時代(10世紀)以降の言語です、だからと唐音は宋音とも言います。
      隋と唐の時代の言語は漢音ですが何故そうなるかと言うと日本では古来から中国大陸や朝鮮半島の国を、その時代の王朝ではなく昔の王朝名で呼ぶ習わしがあり中国大陸が明で朝鮮半島が李氏朝鮮の時代に豊臣秀吉率いる日本軍が中国征服に乗り出した軍事行動を”唐入り”や”高麗陣”と、その時代の王朝名ではなく昔の王朝名で呼んでいました。

    • @user-eigas
      @user-eigas Рік тому

      @@野坂慶一
      唐は中国も意味しますが、宋音は、沙陀族の王朝とされる宋の発音です
      【宋音】
      〘名〙 漢字音の一種。一般に唐音、唐宋音と呼ばれる。特に平安中期から鎌倉時代にかけて伝えられた宋・元時代の中国語による漢字音をいう。

    • @user-eigas
      @user-eigas Рік тому

      日本漢字音の一種。六朝(りくちょう)時代の中国の呉の地方の音が伝わり、仏教語に多く用いる。
      呉音(ごおん)とは、日本漢字音(音読み)の一つ。 建康(今の南京市)付近の漢字音とも言われ、7-8世紀に漢音(長安付近の音韻)が伝わるより前にすでに日本に定着していた漢字音をいう。
      漢音・・・遣唐使の時代に、中国語の発音をもとに日本人向けに作られた読み方。古くは「からごえ」とも読まれた。唐の首都・長安の中国語の発音に由来する読み方
      なので、漢族の呉や東晋が呉音で
      鮮卑とされる隋、唐が漢音という
      誤解の生まれる発音になってますね

    • @user-eigas
      @user-eigas Рік тому

      さらに遡ると(漢時代)漢族の言葉は(洛陽)上古音になるようです

  • @toshichika720
    @toshichika720 Рік тому

    最強のかっこいい

  • @jackal7123
    @jackal7123 Рік тому

    唐代の女官を描いた図画にはズボンを履いて馬に跨る姿が描かれている事からも、唐王朝は騎馬遊牧民族の血脈だったのでしょうね。その李氏唐王朝は楊氏隋王朝の有力貴族だった訳ですから、唐王朝に至って鮮卑族系統の王朝成立と考えていいと思いますよ。中華は北方遊牧民によって征服された訳です。
    まぁ、後漢末~三国時代に彼の地は人口が盛期の1/10以下に激減していて過疎化の極致と言ってよい状況だったので、東夷西戎南蛮北狄のどの蛮族が襲来してもおかしくはない状況だったのでしょうね。三国時代に曹氏魏王朝が北狄との宥和的政策で現実路線を採っていたのが鮮卑族には幸いだったのでしょう。

  • @maccha-p6v
    @maccha-p6v Рік тому

    チャンネル初視聴です。
    誤読もう少しどうにかなりませんかね。
    字幕ちゃんと見てないと内容理解出来ないです。

  • @MuraSzgundam
    @MuraSzgundam Рік тому +1

    烏桓も鮮卑も山越も羌族も、いつか南蛮のようなファンタジー世界になればいい
    孔明のファンタジー性なキャラクターに合わせて南蛮もファンタジー世界になったわけだけど、他の異民族もそうであっても別によいはずだ

  • @80fire71
    @80fire71 Рік тому

    霊帝の後漢末期と曹操~曹叡の最盛期の魏では、相手が違いすぎたのではと空想を巡らす

  • @0612ふくちゃん
    @0612ふくちゃん Рік тому

    遊牧民ってすがすがしいくらい弱肉強食だなw

  • @ainupersonflussen
    @ainupersonflussen Рік тому +1

    でも父親誰なんだろうな

  • @探偵-d7p
    @探偵-d7p 10 місяців тому

    天皇家のルーツだよ

  • @ヤルッツエ
    @ヤルッツエ Рік тому +1

    名前からして、民族差別的❤

  • @Zosan7733
    @Zosan7733 Рік тому +2

    いつも以上に誤読みひどい

  • @atsushimikegmail
    @atsushimikegmail Рік тому

    江上 波夫 著 『騎馬民族国家』 を読んでいる補足で鑑賞しました。
    とてもためになり、面白かったです