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横山三国志の最後に剣を折って泣き崩れる姜維が好きでした強大な魏に何度も挑んだ気概は素晴らしいです
どういう経緯でかはわからないですが姜維死後約200年の時を得て実質的【北周】の創始者『宇文泰』に【開明王】と言う王号を追贈されてるのが興味深い。
姜維大好きでゲームでよく起用していたので、何度リメイクしても高評価しか押せない。
姜維の北伐自体は鄧艾陳泰が出てくるまでは優勢だったしそれこそ悲願の隴奪取もありえただけに惜しい
鄧艾とかホントに姜維を阻むために生まれてきたような能力してて怖い(笑)
つまり鄧艾陳泰が出てきてやっと魏が本気になった。両者が魏の首脳部が本気になるように説得したのかもしれない。ラスボスの”なかなかやるじゃないか、では本当の姿を見せてやろう”モードになった。
まだ後期武将が少なかった三国無双4の事典の蜀滅亡の下り読んで姜維に感情移入していた思い出が有ります、三国無双4の事典のbgmがまた良いんですよね。
姜維の北伐は賛否両論だが時期的に魏は司馬懿のクーデターにより寿春三叛があり楔を打つには最後のチャンスでもあった。段谷の大敗までは三県制圧、徐質を討ち取る戦果をあげている。姜維か北伐の総指揮官の地位を維持できていたのは荊州派、益州派からしてみたら降将の姜維に押し付けたほうが都合がよかった。魏の降将の姜維や夏侯覇が北伐の主力を担っていたあたり蜀の人材難はここまで酷かったのか。前任者の諸葛亮は内政、外征、外交を1手に担っておりそりゃあ過労死もする。北伐は荊州失陥時点で誰がやっても無理ゲーで呉との関係を悪化させた髭が悪い。
姜維は無理ゲーを押し付けられながら、よくやったよとは思いますね。
この興勢の役を止めようとした司馬懿と曹爽が仲違いし曹氏滅亡に向かうので姜維は曹家には大ダメージ与えたと言えるのではと鄧艾と言う70超える化物がまさか迂回ルート(死人出まくる超難関ルート)を超えてくるとは…相手も悪かったですね
劉備の代から蜀漢では「漢中に大軍を駐屯させて魏の侵攻に備える」という防衛体制を敷いていたけど、姜維はこの漢中に駐屯する軍に手を付けて北伐に必要な兵力を確保していたらしい。姜維が漢中郡にすら入れなくなったのは漢中から連れて行った将兵を大勢失った事に対する負い目もあったのかも。
好きな人物の再編集ありがとうございます。三国志大戦という作品では蜀漢が滅んでも最後の最期まで諦めず、「丞相、不出来な弟子をお許しください。」の台詞と共に絶命した時は、ゲームセンターでも憚らず彼の境遇を思い涙を流しました。そんな一面を知ってからは、私自身が諦めの悪い人間なのもあって、どうしても嫌ったり憎んだりすることができず共感してしまう人物の一人として記憶しております。
山中鹿之介と姜維が重なるんだよな。日本人好みの悲運の名将だもん。
孔明も姜維もすごい、これは事実だけど何年も、何回にも渡って軍事行動(徴兵や資材・食料調達など)があっても土地や民を平静に保った内政官なによりも蜀漢の民の忍耐力も本当にすごいと思っています、同じ状況が他国であったらどうなるものやら
人間は結構辛い環境というか、政治にも耐えれるのですが「不平等」には激しく反発するとされています。しかし諸葛亮は厳格な法の下で平等に人を裁き、誰よりも多くの仕事に身を捧げたことで人々から不満を言われるどころかめちゃくちゃ尊敬されました。人の上に立つというのは、こういうことなんでしょうね。ほんとにすごい。
もっとも蒋琬は死後「大鬼王(疫病神・死神)」になってるので、実際のところは相当民に恨まれてたかもしれません
ショウエンが恨まれる所以は何だと思いますか?
(大鬼王じゃなくて大鬼主だったので訂正します)@@太郎田中-b1t さん さて史書からは見当もつきませんが、陳寿の立場としては諸葛亮の人選が間違っていたとは絶対に言えないこともまた確か。あるいは政治家は民に嫌われるのが基本というだけかもしれません。ちなみにネタ元は『三教捜神大全』という書物です。三国志からは鍾会・鄧艾の名前も。こちらは非業の死を遂げたとか蜀を滅ぼしてたくさんの人が亡くなったとか理由を想像できますが。他にもよくわからない名前があって、秦の将軍白起・王翦、漢の蕭何・韓信、新の王莽も入ってます。何故蕭何??余談ですが鍾会は疫病神から転じて、疫病を遠ざける神として現代でも中国の一部で崇められています。字が変わっていますが五福大帝の鍾士貴がそれです。
涼州に1年以上駐屯できるほど影響力を強めたり、洮西の大勝では数万を討ち鄧艾をして存亡の危機と言わしめる大戦果。魏が戦死者を悼む詔勅を出したのはこの時が初です三国がある程度固まってからは曹操や陸遜でも侵攻戦では戦果を上手く挙げられていないので、将としてはこの時代でも屈指の人物だと思います
姜維に鄧艾に鍾会に諸葛恪。この時代の戦役で成果を上げた実力者達をこうして並べると、なんだか末路がみんなちょっとアレ🫠
曹仁を筆頭に魏の名だたる将を破った周瑜さんはヤバかった?姜維の軍才は確かだけど、相手も対等の相手がいたからね諸葛亮の時も曹真や司馬懿だから無理は出来ずに手堅くやるしか出来なかったけど、姜維は博打に出たここは性格の差かな
いつも楽しく拝見しています^ ^横山三国志でも、是非姜維の活躍を詳しく描いて欲しかったです(´;ω;`)
駆け足とはいえ、負けが目立つ感じでしたよね🥲
今も名前が残ってる時点で普通の人じゃないんだけど、三国志に出てくる人みんな当たり前のように姓を持ってるのがすごい
個人的に北伐をやる事に対して1番の懸念点は「北伐の時に背後から刺してきそうな同盟国の呉」じゃないかと思います。まだ関羽が健在だった時は北伐のルートが漢中方面以外にも荊州があり、上手くいけば呉とも協力した場合4〜5箇所から北伐出来たでしょう、ワンチャン北伐が出来た可能性も…
荊州侵攻で完全に呉と蜀の連携の道は絶たれた感じはしますね
滅亡した時でも白帝城しれっと攻撃してるしなぁ…(羅憲が守りきったけど)
魏延が就いていたのは『西征”大”将軍』ですね😗
優秀なんだけどそれ以上に蜀の人材不足が悲しくなる。
孔明死後まだ蜀にも王平、張嶷、姜維、張翼、馬忠と名将がいたんだよね。もし廖化がもっと有能な武将だったら…いや…よそう…
何となく想像しただけですが、姜維と劉備が出会っていたら。一体どんな風に評価しただろうか。
冷静に考えると、戦争が国是とか象徴って、一般民衆としてはたまったもんじゃないですね…
自分の立場に置き換えてみると、全く分からないとも言えないのが正直なところですね…日本がもしそうなったらば。もちろん戦うのは嫌だけど、理解できないとも言えないというのが('ω')
@@KOUMEI_NO_WANADA 私が曹操のファンだからというのもあると思いますが、何と言うか、例えば魏の支配者層が董卓のように悪辣で、民衆を酷使してたり虐殺してるのなら、民百姓のために魏を討ち倒さねば、というのは分かるんですけど、実際は曹魏の政治・統治は後漢と比べれば安定していて、だからこそ人口も多く、戦乱を避けて江南や蜀に逃れていた人達も中原へ帰って行ったと思うので、漢朝復興とか皇帝の血統云々と言われても、民衆からしたら知らんがな、でしかない。帝位を奪うのが問題と言うのであれば、じゃあ高祖劉邦はどうなんだと。
膨大な数の人間が一つにまとまるためには、国を国たらしめるには「共通するストーリー」が必要です。いわゆる「建国神話」ってやつですね。それがあるから「私はこの国の人間なんだ」という意識が芽生えます。人類は自分が体験していないストーリーを共有することで国家という膨大な数の塊を作り、地球の覇者になってきました。人類だけが持つ特殊能力ですね✨漢王朝は乱れたとはいえ四百年も続いており、その影響は計り知れません。だからこそ劉備に協力する人がいて、国まで作ったんです。部外者からすれば傍迷惑な話に見えるかもしれませんが、当事者からすれば果たしてどうであったのか。というのが私の考えです🐎
蜀ってついてないですよね。諸葛亮には司馬懿、姜維には鄧艾と何故か天敵が現れる。
たしか若い人が魏の武将になるのは、試験を受けて合格しないといけないという記事を三国志の本で書いてあった。
姜維は諸葛亮の後継者というより魏延の後継者感が個人的にはあるんだよなぁ
私も同意です。北伐を軍事行動しかしなかった。内政的な視点がないと、北伐はただ国力を圧迫するだけの軍事遠征でしかない。両者とも軍事面においては確かに非凡な能力があったけど。
限られた情報の中での推察ですが、魏延とは全く別物とおもいます❗
天水四姓については「六郡良家」というキーワードが重要になります。六郡とは并州の上郡・西河、涼州の隴西・天水・安定・北地です。漢の官吏登用制度は通常百石のところ、三百石の郎から採用される特別枠がありました。1.六郡良家2.二千石以上の官吏の子・弟のうち一人3.たくさん寄付をした者4.有名な学者の弟子や孝廉1.の六郡良家は対匈奴政策の必要から武芸の優れた者が選ばれます。姜維はそういう家柄です。ところが曹操が騎兵といっても烏桓突騎を優遇する中で、特別扱いがなくなっていったようなんですね。姜維が魏を生涯の敵とした理由はこのあたりに認められるでしょう。
董卓「隴西郡の期待の星、仲穎ちゃんです('ω')ノ
姜維が諸葛亮よりも確実に劣っていたのは国での権力と政治力のみだと思うんですよね、統率力に関しては歴代蜀将でも最高レベル
正史の姜維は20代後半で蜀漢に降伏し(諸葛亮→蔣琬→)費禕の死で軍のトップに立つのが実に50代の頃。下積み期間は何気に長い。
姜維の参謀に馬謖がいたらどうなったかと思う事があります。参謀としては優秀だった馬謖がサポートに徹して協力していたら…まあそれでも勝てなかったでしょうけどね。
最後に紹介された姜維のエピソードはさらに姜維をものすごくかっこよくさせ続けるものだと、聞いた奴はそう絶対思う。
姜維も生まれてくるタイミングがもう少し早ければ、趙雲のように生きられたかもしれないのに…と詮なきことと知りつつも妄想してしまいます。しかし、すべては運命。この悲劇の道こそ、彼を輝かせる唯一の道だったのでしょうね。
夷陵の戦いで人材不足の蜀漢にあって、姜維の麒麟児的人材加入は能力的、雍州攻略などメリットはデカい。姜維が魏将のままて立ち塞がれたら北伐どころでなく防衛しかない。 蜀漢は姜維の存在て国の存亡も左右したかも
蜀漢は武官文官共に人材が乏しかった。魏から降った姜維や王平、夏侯覇が高官に任じられている。降った人間を高位にするのはどの国も使う手だが、その人材を前線で使っている事がそれを物語っている。もしも夏侯玄が夏侯覇と共に蜀に降っていたら。重要な任務を担い職の国政を糺していたのだろうか?
暗黒期のオリックスみたいだな。
元々司馬昭(211〜65)は家臣から鐘会(225〜64)に10万を超す兵を与えてはならないと言われていたそうな😅
思い入れなら、中学の時に「横山三国志」を読んだ時から大学で卒論のテーマを姜維の北伐に決めた自分も負けぬと自負している(あの漫画の姜維を思い浮かべながら論文を書いたのが懐かしい)。さて、「姜維伝」の注で孫盛は「姜維は魏の官禄を食(は)みながら、蜀に出奔し、主君に背き利益に走ったゆえ注ではない。(中略)およそこの六点(忠・孝・義・節・智・勇)のうち、何一つ持っていない。まことに魏朝の亡命者、亡国の乱相」と罵倒している。確かに姜維にも蜀滅亡の責任の一端はあるし、一概に暴論とは言えないと思うが、いささか酷評が過ぎる。自分に言わせれば、そもそも魏は中華統一を国是にしていただろうから、蜀も守備一辺倒というわけにもいかなかったし、国が一枚岩にまとまれなかったのは国主劉禅、そして蜀臣たち全員の責任だ。裴松之は「孫盛は非難するならば、ただ母に背いたことだけ責めればよい」と述べており、同感だ。
羨ましい(´;ω;`)僕は理系だったので卒論は「大学の就活支援センターのオンライン予約システムの構築」を手掛けてました。本当に苦行だった…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 氏 そんな自分も今は某国家官署(防災関係)でネットワーク・情報セキュリティ関係つまり理系の業務に携わっていたりするから、本当に人生はどうなるか分からない。
すごすんぎです😭
@@武闘派のび太さん。姜維への思い入れならば、及ばずながらワイも相当あります。批判も多いでしょうが、あの武人気質は、同じ男として共感すら感じます。
@@saburiryu28go 氏 良し悪しはともかく、己が信念を貫き通したことは羨ましい気もする。
北伐はやるかやらないかではなく、やらねばならない国家事業なので、選択肢など最初から無いんですよね。王朝の簒奪者たる魏の存在を放置していたら、蜀という国の正統性と存在意義が揺らいでしまう。姜維はいわばその責任者なので、事業失敗の負債からは逃れないですし、最後のワンチャンスに賭けて反乱を起こしたのも必然だったと思います。
国が滅んでも戦い続けた漢
姜維という男が、蜀漢そのものだったのではとすら思わせる狂気
それだけ蜀漢に寄り添っていたとも思える。
鄧艾や鍾会、陳泰という、曹魏どころか中華歴代屈指の名将たちを相手にしなけりゃいけなかったのが姜維の悲劇。姜維も決して愚将ではなかったけど、もともとが関羽の荊州失陥と劉備の夷陵大敗が大元の原因だから致し方ない。
どのみち待ってても滅亡。攻めれば1%くらいは希望がある、みたいな状況ですからねぇ。キツすぎ🫠
見ていたら『last samurai』を連想した。不撓不屈が凄すぎる。目的というか理念というか、その辺は別にして、戦い方が上杉謙信にちょい似てるのかな?
確かに、ちょっと分かる🐎
@@KOUMEI_NO_WANADA ありがポン・デ・ダブルショコラ。
ニコニコでは「北伐」という異名まで付けられている武将しかし名将とは思えない連年の無理な北伐の連続が、せっかくの国力を弱体化させたわけだし蜀贔屓で美談が過ぎると思います
好鄭氏學とあるから鄭玄の門生だった孫乾が長生きしていればと思った。あと雑学の類だけど天水郡は後漢だと明帝辺りまで天水郡でその後は漢陽郡と改称されます。漢陽郡=天水郡。魏になると天水郡に戻ります。後漢書とかで漢陽郡と出たら天水郡だと思ってください。
意外なところの繋がりが見つかるの楽しい
姜維は晩年の蜀を代表する英傑だけど、やはり魏は逸材が何人もいるからどうしようもないよね正直、そうそう(わざと変換しない)一派が相手ならなんとかなったかも知れないが
蜀漢としては最後の華のような人物ではあるが、蜀漢の成立・国是からしたら打倒曹魏であったのは事実。ただし、国力・人口など全てが劣る蜀漢が北伐を成功させる条件は厳しかった。あの丞相・諸葛亮でも成し遂げられなかったミッションを一枚岩ではなく、後継者間の争いにも巻き込まれたのは痛かった。諦めず敵であった鍾会に近づいたところまでは順調だったが、将軍の裏切り(姜維・鍾会のほうもだが)にあい命を落とす。諸葛亮が53、4歳で亡くなり姜維はその10歳くらい長く生きたので、諸葛亮が10歳ほど長生きしていたらどんな展開を迎えていたのでしょう。
一部では蜀の滅亡を早めた戦犯とも言われる姜維ですが、明らかに戦力不足の状況でありながらも何だかんだ大きな戦果を挙げていたり、バチバチにやりあっていた鍾会・鄧艾から敬意を持たれていたりと、素晴らしい能力を持った人物であったことがうかがえます。あと20年ほど早くに産まれ、劉備存命時に仕えることが出来たらと思わざるを得ません。
更新お疲れ様でした他の動画とかも見ての感想ですが姜維が罷免されると思って戻って来なかったことが魏の進行を「北伐したいからあの手この手で兵を呼ぼうとしている」と図らずも狼少年になってしまったのかな、と
おまけに費禕があんな形で殺されてるので、戻って同じ目に合うかもしれないという危惧もあったでしょうね
孔明”ワイの後継げるのは君だけや、めっちゃ期待しとるで”これで丞相大好きマンになったは良いが大好き過ぎて孔明の悲願達成を全ての上に持ってく”打倒魏晋モンスター”になってしまったイメージいや良いんだけどもっと蔣琬とか費禕とかと連携取ろうみたいなある意味馬謖と似た別方向に暴走しがちなイケメン
「蜀の滅亡は北伐したから」ってドヤ顔で言ってた(ネットなのでおそらく)人が居たけど国是だったからそれもなんか違うやろ…って思ったそんな無理ゲー状態の中でも戦争で頑張ったって印象の人負けても反乱唆すとか最後の最後まで勝ち筋を見てるのも凄いゲームなんかでも逆転できる人は勝ち筋を考えて操作してるのよね
国是でもやっていいが国が滅亡を早めるのは限度を超えている。費偉、譙 周、廖化あたりなども”北伐はやめろ、お前じゃ無理”って言われてるほど姜維の軍事行動は蜀を苦しめていた。国政へのリスクを極力避けた孔明とは違って、国政を顧みない盲目的に軍事行動にのめり込んだ姜維が蜀の滅亡を決定づけたと言っていい。
@@Fahrenheit76 北伐の成功率自体が初回だけはワンチャンくらいだったし、諸葛亮無罪っていうよりワンマントップだったから強く反対できる人が居なかっただけじゃ?そもそも国力差が違い過ぎるし、夷陵で人材失ってるし、呉との共闘も出来そうに無いしで北伐しなくても最初からジリ貧で、普通に考えれば滅亡は時間の問題だったのでは
@@archipelago6130 国力差が絶望的だからこそワンチャンかけて逆転を狙いに北伐を敢行するのも仕方ない。という姜維が好きな人たちがコメントするんだけど、それはゲームの世界でのみ許されるのであって、数百万の人民の生命や生活に対して責任を持った統治者であったら絶対にやってはいけないこと。孔明にしても費禕にしても、魏というい強大な敵を相手にして国是を負いながらも、同時に小国の蜀をいかに生きながらえさせれるかという困難なテーマに一生懸命向き合っていた。孔明はその後継者に蒋琬、費禕、董允を指名していたが、姜維ではなかったのは、やはり孔明は政治家であって姜維は軍人でしかなかったということ。
天水の麒麟児という2つ名がまずカッコいい!姜維が厚遇されたのは、本人の優秀さも勿論だけど、天水郡の名家出身というのもあるんでしょうか。涼州を魏から切り取った後の統治を考えると名家のネームバリューは利用出来ますからね。本来は馬超がその役を担う筈だったけど、既に亡くなってますから、一族の馬岱と一緒に統治の旗頭として利用するつもりだったのかもしれませんね(でも、本当に馬超が早死しちゃったのは諸葛亮にとっても大誤算だったのかも)。
姜維の父親は多分、この馬超の戦乱の中で戦死してるので、馬氏の勢力が蜀に残ってたらそれはそれでちょっと厄介かも、なんて(笑)
更新お疲れ様です。こういうのは大歓迎です。この時期は孫呉も大変な状態で、協力を得られないことも蜀には不運でしたね。姜維は素晴らしい能力の持ち主だと思いますが、やはり蜀の人材面の層の薄さが、最後には響いたような気がします。😅姜維独りに罪を被せるのは、ちょっと気の毒かと…。鐘会の乱の失敗は、完全に鐘会の詰めの甘さと能力の無さかと思います。😂
鍾会はバチクソに有能だけど、性格的なところで不安定さを感じさせてしまう危うさがありますよね🫠
ゆるしてあげて決して悪いやつではない
Never Give Up !!!! いやはや……
段谷の戦いで大敗をした時に責任をとり、自ら降格を申し出ましたが実権は変わらずもう蜀漢には姜維の後任に張翼や廖化や張嶷の様な猛将がいないほど武官の人材が枯渇していたことに もう詰んでいる状態であればどうすればよいのかわからないです
陳祗がもうちょい長生きしていたらどうなっていたかしら?
段谷の敗戦がある以上、どうにもならなかったかもなぁ、と。
姜維の生年は202年頃。漢が魏に禅譲したのは220年であるため多感な十代の頃はまだ一応は漢帝国。そして父が異民族との戦いで戦死していたという事は姜維本人は「漢の忠臣の子」という自負があったのかも知れない。さらに言えば魏の涼州支配は210年代中盤から。もともと魏には反感があったのかもね。
漢への忠臣と見ても、栄達のための野心と見ても妄想が捗ります🤗(笑)
蜀は人材がいなかったのか本当に不思議。姜維を補佐できる知将、前線を荒らす猛将の類がいない。また、費禕が政争で北伐派の人たちを追放したのではないか。諸葛亮の時の李厳もそんな雰囲気があるんだよな。とにかく小国内で政争を繰り返してたら上手く行かんだろう。
姜=羊+女 羌=羊+人姜は羌と同じ。羊を飼う人々(遊牧民)という意味です
『逸を以て労を撃つ』第一次北伐は完全な奇襲。ですが、魏は曹叡以下蜀漢の手筋(長陣ができない)を見切り、以降は蜀軍に多大な戦費を使わせ、戦争資材を大苦労させて秦嶺山脈越えで関中に持ち込ませてから、おもむろに軍を動員、横綱相撲でたたく...という戦略に徹したかと見えます。司馬懿は、着任した当座はこの基本方針を飲み込んでいなかったようで、張郃戦死という不慮の事態を招く一因となったかと。寂しい話ですが、姜維の大活躍も司馬懿のせがれ達からみれば、鴨ネギにしか見えていなかった、のでしょうねえ。
KOEIの三国志の姜維は知力97武力80だったかな。
姜維は、良くも悪くも骨の髄まで武人だった。その評価は真っ二つに分かれるところだが、良き理解者に恵まれなかった事が不運に思えてならない。
陳祗も許靖に養育されたとはいえ豫州出身ですし、劉禅の威光を頼って政権を保つほかなかったと言うのがまた厳しい。
孫盛は酷評が過ぎる。裴松之に同感だ。
半兵衛「姜維さんて、こんなに凄い人だったんだね〜そりゃ諸葛亮さんが高く買うのも分かるよ。」諸葛亮「ええ、ですが劉備殿並びに私の想いを成してくれると思った一方でかなりの重荷を背負わせてしまったかもしれませんね。」龐統「あっしは元の世界では姜維に会ってすらないからね…返すも堕ちるのが早すぎたわ…」長政「国の為に全力で身を捧げるその精神、某も見習わなねば。」
♪やーまを越ーえー 谷を越えー僕らのまち(成都)にやってきたーあ、鄧艾の一軍が凄い忍者集団になっちゃった(^_^;)
次はオウケイですね。
姜維は勿論大好きなんだが、驚くべきは廖化の長寿っぷりで劉備時代から戦い続けて滅亡まで生きてるってw
演義では黄巾の乱時代から生きてるっていう化け物ぶり(笑)
打倒大国に全身全霊を賭け生涯を費やした一代の英雄から愛され後事を任された小国の偉才がどういうやり方でその遺託にこたえようとするかというのは正解のない問題だと思う未来を予見できず手探りで生きるしかない我らにはその決断が果敢か無謀かは結果が出るまで分からない
相当に優秀な武官だと思いますが、兵の将ではあったが将の将では無かったのかな?
なぜ諸葛亮はこいつを脳筋武将にしてしまったのか、、、、馬謖よりよほど有能だと思うのだが、、、
結果論だけど北伐しないで国力温存に努めとけば八王の乱で勝手に自滅してたんだよな
征西将軍の方は即答できます。姜維はただの征西将軍、魏延は征西大将軍。
四征将軍でなんか、こう、方角が被ることあるんですね。勝手に被りはないものだと思いこんでいた、なんでだろ…🤔
もともと漢の制度では征西だけで、他の方角はなかったから西は特別感がありますね
北伐を孔明の遺言に従って続けなきゃまだ命脈は保てたか?でも最終的には魏には負けるだろ
内政を盤石にして、防備をしっかりと整備していれば天然の要塞もてつだって呉や魏も簡単に手出しできない国家になれる。対面的には魏と対立する立場にいても、実質的なところでうまく魏とは協調路線をとる。魏としても何がなんでも蜀を滅亡させるという方向性には向かわなくなる。そのうちに賈南風や司馬懿のバカ息子たちが八王の乱を起こし国中が乱れる。その時こそそれまで臥薪嘗胆していた蜀が立ち上がるべき時だったと思う。まあその時姜維も生きてないだろうから、何がなんでも姜維が北伐しないと気が済まない姜維のファンの人たちは到底納得できないだろうが。
姜維の人生は花🌸のように咲いて❗美しく散った人生だね💧😢😭🥺……😔👀〰️💓破滅の儚さ😂😊😆👍️✨
まるで大輪の花火
お久しぶりです♥
@@user-fakegiraikanae お久しぶりです💧😢😭🥺😂☺️🙇♂️今年79歳に成る予定の老骨です😆👌❤️カナエさん🥺家の地元は来年の誕生日を迎えると、役所から銀の盃が貰えますので目指せ❗80歳を目標に頑張ってます🙇♂️100歳に成ると金の盃が貰えますが🎵「100歳はどうだろう⁉️🙄💬…🤔」今現在は杖無しで歩けますが😃ボケ防止で「Nintendo Switchlight・テトリス」をやってます🙄💬…🤔農家の仕事は去年、引退して娘夫婦に託しました🙇♂️
諸葛亮に馬良らと並び評価されたということは、姜維は単に軍才だけでなく論理的な思考や弁舌、名士としての振る舞いも優れていて早い段階で諸葛亮に将来の北伐の軍事的指導者として見出されたのでしょうね。意地悪い見方をすれば、姜維を見つけたからこそ馬謖を切ることができたとも・・。
馬謖を失ったけど、姜維を得た!みたいにどこか強がってると言うか、そうアピールしないと北伐の失敗に耐えられないような、そういう諸葛亮の人間的な部分を少し感じてしまう🥲
残念だが、司馬家の物語で、劉備や曹操などは脇役。
姜維の脅威はトウ艾さん
あと陳泰。
賃貸持った陳泰さんもですか姜維さんの脅威となる敵は
当該商会による成都吸収合併。
あとは孝行息子だったかどうかはわからないけど、高校は出てそうな宦官のコウコウ。
ボイーン!!姜維の驚異的な胸囲
諸葛亮と比べた場合、姜維の環境がいかに劣悪だったかが分かりますね。諸葛亮の場合、①権力は最高位の丞相(劉禅や皇族以外の人物には命令を強要できる)。②先帝劉備からの功臣で劉禅を始め、諸将からの信頼も厚い。③大派閥(荊州派閥)のトップで益州派閥とも調整ができる④外征中は蒋苑、張裔の有能な内政担当がおり、劉禅のお目付け役董允がいた。⑤諸葛亮自身外征内政もエキスパート(むしろ内政の方が得意。外征の相手は曹真と司馬懿と言うチート相手)であるのに対し姜維の場合、①大将軍・録尚書事ではあるものの人事を扱う尚書に足場を持たないため、人事関係は思うようにいかない。②新参者の降将で劉禅はともかく、文官では張翼や廖化、文官では諸葛瞻や樊建、劉禅お気に入りの黄皓と対立。③荊州派閥と益州派閥の蜀漢でほぼ唯一の涼州出身。派閥調整は皆無に等しい。④姜維が軍権をもった時の唯一の相方は陳祗(ちなみに北伐は同調協力してるが、政治的には対立している)。陳祗亡き後は不在。劉禅のそばにはお目付け役はいなくなり甘やかすだけの宦官黄皓がいた。⑤軍才は諸葛亮並みかそれ以上だが内政経験なし(そして外征の相手は司馬師、司馬昭、鄧艾、鍾会のこれまたチート級)
横山三国志の最後に剣を折って泣き崩れる姜維が好きでした
強大な魏に何度も挑んだ気概は素晴らしいです
どういう経緯でかはわからないですが姜維死後約200年の時を得て
実質的【北周】の創始者『宇文泰』に【開明王】と言う王号を追贈されてるのが興味深い。
姜維大好きでゲームでよく起用していたので、何度リメイクしても高評価しか押せない。
姜維の北伐自体は鄧艾陳泰が出てくるまでは優勢だったしそれこそ悲願の隴奪取もありえただけに惜しい
鄧艾とかホントに姜維を阻むために生まれてきたような能力してて怖い(笑)
つまり鄧艾陳泰が出てきてやっと魏が本気になった。両者が魏の首脳部が本気になるように説得したのかもしれない。ラスボスの”なかなかやるじゃないか、では本当の姿を見せてやろう”モードになった。
まだ後期武将が少なかった三国無双4の事典の蜀滅亡の下り読んで姜維に感情移入していた思い出が有ります、三国無双4の事典のbgmがまた良いんですよね。
姜維の北伐は賛否両論だが時期的に魏は司馬懿のクーデターにより寿春三叛があり楔を打つには最後のチャンスでもあった。段谷の大敗までは三県制圧、徐質を討ち取る戦果をあげている。姜維か北伐の総指揮官の地位を維持できていたのは荊州派、益州派からしてみたら降将の姜維に押し付けたほうが都合がよかった。
魏の降将の姜維や夏侯覇が北伐の主力を担っていたあたり蜀の人材難はここまで酷かったのか。前任者の諸葛亮は内政、外征、外交を1手に担っておりそりゃあ過労死もする。北伐は荊州失陥時点で誰がやっても無理ゲーで呉との関係を悪化させた髭が悪い。
姜維は無理ゲーを押し付けられながら、よくやったよとは思いますね。
この興勢の役を止めようとした司馬懿と曹爽が仲違いし曹氏滅亡に向かうので姜維は曹家には大ダメージ与えたと言えるのではと
鄧艾と言う70超える化物がまさか迂回ルート(死人出まくる超難関ルート)を超えてくるとは…相手も悪かったですね
劉備の代から蜀漢では「漢中に大軍を駐屯させて魏の侵攻に備える」という防衛体制を敷いていたけど、姜維はこの漢中に駐屯する軍に手を付けて北伐に必要な兵力を確保していたらしい。姜維が漢中郡にすら入れなくなったのは漢中から連れて行った将兵を大勢失った事に対する負い目もあったのかも。
好きな人物の再編集ありがとうございます。
三国志大戦という作品では蜀漢が滅んでも最後の最期まで諦めず、「丞相、不出来な弟子をお許しください。」の台詞と共に絶命した時は、ゲームセンターでも憚らず彼の境遇を思い涙を流しました。
そんな一面を知ってからは、私自身が諦めの悪い人間なのもあって、どうしても嫌ったり憎んだりすることができず共感してしまう人物の一人として記憶しております。
山中鹿之介と姜維が重なるんだよな。日本人好みの悲運の名将だもん。
孔明も姜維もすごい、これは事実だけど
何年も、何回にも渡って軍事行動(徴兵や資材・食料調達など)があっても土地や民を平静に保った内政官
なによりも蜀漢の民の忍耐力も本当にすごいと思っています、同じ状況が他国であったらどうなるものやら
人間は結構辛い環境というか、政治にも耐えれるのですが「不平等」には激しく反発するとされています。
しかし諸葛亮は厳格な法の下で平等に人を裁き、誰よりも多くの仕事に身を捧げたことで人々から不満を言われるどころかめちゃくちゃ尊敬されました。
人の上に立つというのは、こういうことなんでしょうね。ほんとにすごい。
もっとも蒋琬は死後「大鬼王(疫病神・死神)」になってるので、実際のところは相当民に恨まれてたかもしれません
ショウエンが恨まれる所以は何だと思いますか?
(大鬼王じゃなくて大鬼主だったので訂正します)
@@太郎田中-b1t さん
さて史書からは見当もつきませんが、陳寿の立場としては諸葛亮の人選が間違っていたとは絶対に言えないこともまた確か。
あるいは政治家は民に嫌われるのが基本というだけかもしれません。
ちなみにネタ元は『三教捜神大全』という書物です。
三国志からは鍾会・鄧艾の名前も。こちらは非業の死を遂げたとか蜀を滅ぼしてたくさんの人が亡くなったとか理由を想像できますが。
他にもよくわからない名前があって、秦の将軍白起・王翦、漢の蕭何・韓信、新の王莽も入ってます。何故蕭何??
余談ですが鍾会は疫病神から転じて、疫病を遠ざける神として現代でも中国の一部で崇められています。
字が変わっていますが五福大帝の鍾士貴がそれです。
涼州に1年以上駐屯できるほど影響力を強めたり、洮西の大勝では数万を討ち鄧艾をして存亡の危機と言わしめる大戦果。魏が戦死者を悼む詔勅を出したのはこの時が初です
三国がある程度固まってからは曹操や陸遜でも侵攻戦では戦果を上手く挙げられていないので、将としてはこの時代でも屈指の人物だと思います
姜維に鄧艾に鍾会に諸葛恪。
この時代の戦役で成果を上げた実力者達をこうして並べると、なんだか末路がみんなちょっとアレ🫠
曹仁を筆頭に魏の名だたる将を破った周瑜さんはヤバかった?
姜維の軍才は確かだけど、相手も対等の相手がいたからね
諸葛亮の時も曹真や司馬懿だから無理は出来ずに手堅くやるしか出来なかったけど、姜維は博打に出た
ここは性格の差かな
いつも楽しく拝見しています^ ^
横山三国志でも、是非姜維の活躍を詳しく描いて欲しかったです(´;ω;`)
駆け足とはいえ、負けが目立つ感じでしたよね🥲
今も名前が残ってる時点で普通の人じゃないんだけど、三国志に出てくる人みんな当たり前のように姓を持ってるのがすごい
個人的に北伐をやる事に対して1番の懸念点は「北伐の時に背後から刺してきそうな同盟国の呉」じゃないかと思います。
まだ関羽が健在だった時は北伐のルートが漢中方面以外にも荊州があり、上手くいけば呉とも協力した場合4〜5箇所から北伐出来たでしょう、ワンチャン北伐が出来た可能性も…
荊州侵攻で完全に呉と蜀の連携の道は絶たれた感じはしますね
滅亡した時でも白帝城しれっと攻撃してるしなぁ…(羅憲が守りきったけど)
魏延が就いていたのは『西征”大”将軍』ですね😗
優秀なんだけどそれ以上に蜀の人材不足が悲しくなる。
孔明死後まだ蜀にも王平、張嶷、姜維、張翼、馬忠と名将がいたんだよね。
もし廖化がもっと有能な武将だったら…いや…よそう…
何となく想像しただけですが、姜維と劉備が出会っていたら。
一体どんな風に評価しただろうか。
冷静に考えると、戦争が国是とか象徴って、一般民衆としてはたまったもんじゃないですね…
自分の立場に置き換えてみると、全く分からないとも言えないのが正直なところですね…
日本がもしそうなったらば。もちろん戦うのは嫌だけど、理解できないとも言えないというのが('ω')
@@KOUMEI_NO_WANADA 私が曹操のファンだからというのもあると思いますが、何と言うか、例えば魏の支配者層が董卓のように悪辣で、民衆を酷使してたり虐殺してるのなら、民百姓のために魏を討ち倒さねば、というのは分かるんですけど、実際は曹魏の政治・統治は後漢と比べれば安定していて、だからこそ人口も多く、戦乱を避けて江南や蜀に逃れていた人達も中原へ帰って行ったと思うので、漢朝復興とか皇帝の血統云々と言われても、民衆からしたら知らんがな、でしかない。帝位を奪うのが問題と言うのであれば、じゃあ高祖劉邦はどうなんだと。
膨大な数の人間が一つにまとまるためには、国を国たらしめるには「共通するストーリー」が必要です。いわゆる「建国神話」ってやつですね。
それがあるから「私はこの国の人間なんだ」という意識が芽生えます。人類は自分が体験していないストーリーを共有することで国家という膨大な数の塊を作り、地球の覇者になってきました。人類だけが持つ特殊能力ですね✨
漢王朝は乱れたとはいえ四百年も続いており、その影響は計り知れません。だからこそ劉備に協力する人がいて、国まで作ったんです。
部外者からすれば傍迷惑な話に見えるかもしれませんが、当事者からすれば果たしてどうであったのか。
というのが私の考えです🐎
蜀ってついてないですよね。諸葛亮には司馬懿、姜維には鄧艾と何故か天敵が現れる。
たしか若い人が魏の武将になるのは、試験を受けて合格しないといけないという記事を三国志の本で書いてあった。
姜維は諸葛亮の後継者というより魏延の後継者感が個人的にはあるんだよなぁ
私も同意です。北伐を軍事行動しかしなかった。内政的な視点がないと、北伐はただ国力を圧迫するだけの軍事遠征でしかない。両者とも軍事面においては確かに非凡な能力があったけど。
限られた情報の中での推察ですが、魏延とは全く別物とおもいます❗
天水四姓については「六郡良家」というキーワードが重要になります。
六郡とは并州の上郡・西河、涼州の隴西・天水・安定・北地です。
漢の官吏登用制度は通常百石のところ、三百石の郎から採用される特別枠がありました。
1.六郡良家
2.二千石以上の官吏の子・弟のうち一人
3.たくさん寄付をした者
4.有名な学者の弟子や孝廉
1.の六郡良家は対匈奴政策の必要から武芸の優れた者が選ばれます。姜維はそういう家柄です。
ところが曹操が騎兵といっても烏桓突騎を優遇する中で、特別扱いがなくなっていったようなんですね。
姜維が魏を生涯の敵とした理由はこのあたりに認められるでしょう。
董卓「隴西郡の期待の星、仲穎ちゃんです('ω')ノ
姜維が諸葛亮よりも確実に劣っていたのは国での権力と政治力のみだと思うんですよね、統率力に関しては歴代蜀将でも最高レベル
正史の姜維は20代後半で蜀漢に降伏し(諸葛亮→蔣琬→)費禕の死で軍のトップに立つのが実に50代の頃。下積み期間は何気に長い。
姜維の参謀に馬謖がいたらどうなったかと思う事があります。
参謀としては優秀だった馬謖がサポートに徹して協力していたら…
まあそれでも勝てなかったでしょうけどね。
最後に紹介された姜維のエピソードはさらに姜維をものすごくかっこよくさせ続けるものだと、聞いた奴はそう絶対思う。
姜維も生まれてくるタイミングがもう少し早ければ、趙雲のように生きられたかもしれないのに…と詮なきことと知りつつも妄想してしまいます。しかし、すべては運命。この悲劇の道こそ、彼を輝かせる唯一の道だったのでしょうね。
夷陵の戦いで人材不足の蜀漢にあって、姜維の麒麟児的人材加入は能力的、雍州攻略などメリットはデカい。姜維が魏将のままて立ち塞がれたら北伐どころでなく防衛しかない。
蜀漢は姜維の存在て国の存亡も左右したかも
蜀漢は武官文官共に人材が乏しかった。
魏から降った姜維や王平、夏侯覇が高官に任じられている。
降った人間を高位にするのはどの国も使う手だが、その人材を前線で使っている事がそれを物語っている。
もしも夏侯玄が夏侯覇と共に蜀に降っていたら。
重要な任務を担い職の国政を糺していたのだろうか?
暗黒期のオリックスみたいだな。
元々司馬昭(211〜65)は家臣から鐘会(225〜64)に10万を超す兵を与えてはならないと言われていたそうな😅
思い入れなら、中学の時に「横山三国志」を読んだ時から大学で卒論のテーマを姜維の北伐に決めた自分も負けぬと自負している(あの漫画の姜維を思い浮かべながら論文を書いたのが懐かしい)。さて、「姜維伝」の注で孫盛は「姜維は魏の官禄を食(は)みながら、蜀に出奔し、主君に背き利益に走ったゆえ注ではない。(中略)およそこの六点(忠・孝・義・節・智・勇)のうち、何一つ持っていない。まことに魏朝の亡命者、亡国の乱相」と罵倒している。確かに姜維にも蜀滅亡の責任の一端はあるし、一概に暴論とは言えないと思うが、いささか酷評が過ぎる。自分に言わせれば、そもそも魏は中華統一を国是にしていただろうから、蜀も守備一辺倒というわけにもいかなかったし、国が一枚岩にまとまれなかったのは国主劉禅、そして蜀臣たち全員の責任だ。裴松之は「孫盛は非難するならば、ただ母に背いたことだけ責めればよい」と述べており、同感だ。
羨ましい(´;ω;`)
僕は理系だったので卒論は「大学の就活支援センターのオンライン予約システムの構築」を手掛けてました。本当に苦行だった…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 氏 そんな自分も今は某国家官署(防災関係)でネットワーク・情報セキュリティ関係つまり理系の業務に携わっていたりするから、本当に人生はどうなるか分からない。
すごすんぎです😭
@@武闘派のび太さん。姜維への思い入れならば、及ばずながらワイも相当あります。批判も多いでしょうが、あの武人気質は、同じ男として共感すら感じます。
@@saburiryu28go 氏 良し悪しはともかく、己が信念を貫き通したことは羨ましい気もする。
北伐はやるかやらないかではなく、やらねばならない国家事業なので、選択肢など最初から無いんですよね。
王朝の簒奪者たる魏の存在を放置していたら、蜀という国の正統性と存在意義が揺らいでしまう。
姜維はいわばその責任者なので、事業失敗の負債からは逃れないですし、最後のワンチャンスに賭けて反乱を起こしたのも必然だったと思います。
国が滅んでも戦い続けた漢
姜維という男が、蜀漢そのものだったのではとすら思わせる狂気
それだけ蜀漢に寄り添っていたとも思える。
鄧艾や鍾会、陳泰という、曹魏どころか中華歴代屈指の名将たちを相手にしなけりゃいけなかったのが姜維の悲劇。姜維も決して愚将ではなかったけど、もともとが関羽の荊州失陥と劉備の夷陵大敗が大元の原因だから致し方ない。
どのみち待ってても滅亡。攻めれば1%くらいは希望がある、みたいな状況ですからねぇ。キツすぎ🫠
見ていたら『last samurai』を連想した。不撓不屈が凄すぎる。
目的というか理念というか、その辺は別にして、戦い方が上杉謙信にちょい似てるのかな?
確かに、ちょっと分かる🐎
@@KOUMEI_NO_WANADA ありがポン・デ・ダブルショコラ。
ニコニコでは「北伐」という異名まで付けられている武将
しかし名将とは思えない
連年の無理な北伐の連続が、せっかくの国力を弱体化させたわけだし
蜀贔屓で美談が過ぎると思います
好鄭氏學とあるから鄭玄の門生だった孫乾が長生きしていればと思った。
あと雑学の類だけど天水郡は後漢だと明帝辺りまで天水郡でその後は漢陽郡と改称されます。漢陽郡=天水郡。魏になると天水郡に戻ります。後漢書とかで漢陽郡と出たら天水郡だと思ってください。
意外なところの繋がりが見つかるの楽しい
姜維は晩年の蜀を代表する英傑だけど、やはり魏は逸材が何人もいるからどうしようもないよね
正直、そうそう(わざと変換しない)一派が相手ならなんとかなったかも知れないが
蜀漢としては最後の華のような人物ではあるが、蜀漢の成立・国是からしたら打倒曹魏であったのは事実。
ただし、国力・人口など全てが劣る蜀漢が北伐を成功させる条件は厳しかった。
あの丞相・諸葛亮でも成し遂げられなかったミッションを一枚岩ではなく、後継者間の争いにも巻き込まれたのは痛かった。
諦めず敵であった鍾会に近づいたところまでは順調だったが、将軍の裏切り(姜維・鍾会のほうもだが)にあい命を落とす。
諸葛亮が53、4歳で亡くなり姜維はその10歳くらい長く生きたので、諸葛亮が10歳ほど長生きしていたらどんな展開を迎えていたのでしょう。
一部では蜀の滅亡を早めた戦犯とも言われる姜維ですが、明らかに戦力不足の状況でありながらも何だかんだ大きな戦果を挙げていたり、バチバチにやりあっていた鍾会・鄧艾から敬意を持たれていたりと、素晴らしい能力を持った人物であったことがうかがえます。あと20年ほど早くに産まれ、劉備存命時に仕えることが出来たらと思わざるを得ません。
更新お疲れ様でした
他の動画とかも見ての感想ですが
姜維が罷免されると思って戻って来なかったことが
魏の進行を「北伐したいからあの手この手で兵を呼ぼうとしている」と図らずも狼少年になってしまったのかな、と
おまけに費禕があんな形で殺されてるので、戻って同じ目に合うかもしれないという危惧もあったでしょうね
孔明”ワイの後継げるのは君だけや、めっちゃ期待しとるで”
これで丞相大好きマンになったは良いが大好き過ぎて孔明の悲願達成を全ての上に持ってく”打倒魏晋モンスター”になってしまったイメージ
いや良いんだけどもっと蔣琬とか費禕とかと連携取ろうみたいなある意味馬謖と似た別方向に暴走しがちなイケメン
「蜀の滅亡は北伐したから」ってドヤ顔で言ってた(ネットなのでおそらく)人が居たけど
国是だったからそれもなんか違うやろ…って思った
そんな無理ゲー状態の中でも戦争で頑張ったって印象の人
負けても反乱唆すとか最後の最後まで勝ち筋を見てるのも凄い
ゲームなんかでも逆転できる人は勝ち筋を考えて操作してるのよね
国是でもやっていいが国が滅亡を早めるのは限度を超えている。費偉、譙 周、廖化あたりなども”北伐はやめろ、お前じゃ無理”って言われてるほど姜維の軍事行動は蜀を苦しめていた。国政へのリスクを極力避けた孔明とは違って、国政を顧みない盲目的に軍事行動にのめり込んだ姜維が蜀の滅亡を決定づけたと言っていい。
@@Fahrenheit76 北伐の成功率自体が初回だけはワンチャンくらいだったし、諸葛亮無罪っていうよりワンマントップだったから強く反対できる人が居なかっただけじゃ?
そもそも国力差が違い過ぎるし、夷陵で人材失ってるし、呉との共闘も出来そうに無いしで北伐しなくても最初からジリ貧で、普通に考えれば滅亡は時間の問題だったのでは
@@archipelago6130 国力差が絶望的だからこそワンチャンかけて逆転を狙いに北伐を敢行するのも仕方ない。という姜維が好きな人たちがコメントするんだけど、それはゲームの世界でのみ許されるのであって、数百万の人民の生命や生活に対して責任を持った統治者であったら絶対にやってはいけないこと。孔明にしても費禕にしても、魏というい強大な敵を相手にして国是を負いながらも、同時に小国の蜀をいかに生きながらえさせれるかという困難なテーマに一生懸命向き合っていた。孔明はその後継者に蒋琬、費禕、董允を指名していたが、姜維ではなかったのは、やはり孔明は政治家であって姜維は軍人でしかなかったということ。
天水の麒麟児という2つ名がまずカッコいい!
姜維が厚遇されたのは、本人の優秀さも勿論だけど、天水郡の名家出身というのもあるんでしょうか。
涼州を魏から切り取った後の統治を考えると名家のネームバリューは利用出来ますからね。
本来は馬超がその役を担う筈だったけど、既に亡くなってますから、一族の馬岱と一緒に統治の旗頭として利用するつもりだったのかもしれませんね(でも、本当に馬超が早死しちゃったのは諸葛亮にとっても大誤算だったのかも)。
姜維の父親は多分、この馬超の戦乱の中で戦死してるので、馬氏の勢力が蜀に残ってたらそれはそれでちょっと厄介かも、なんて(笑)
更新お疲れ様です。こういうのは大歓迎です。
この時期は孫呉も大変な状態で、協力を得られないことも蜀には不運でしたね。
姜維は素晴らしい能力の持ち主だと思いますが、やはり蜀の人材面の層の薄さが、最後には響いたような気がします。😅
姜維独りに罪を被せるのは、ちょっと気の毒かと…。
鐘会の乱の失敗は、完全に鐘会の詰めの甘さと能力の無さかと思います。😂
鍾会はバチクソに有能だけど、性格的なところで不安定さを感じさせてしまう危うさがありますよね🫠
ゆるしてあげて
決して悪いやつではない
Never Give Up !!!! いやはや……
段谷の戦いで大敗をした時に責任をとり、自ら降格を申し出ましたが実権は変わらず
もう蜀漢には姜維の後任に張翼や廖化や張嶷の様な猛将がいないほど武官の人材が枯渇していたことに
もう詰んでいる状態であればどうすればよいのかわからないです
陳祗がもうちょい長生きしていたらどうなっていたかしら?
段谷の敗戦がある以上、どうにもならなかったかもなぁ、と。
姜維の生年は202年頃。
漢が魏に禅譲したのは220年であるため多感な十代の頃はまだ一応は漢帝国。そして父が異民族との戦いで戦死していたという事は姜維本人は「漢の忠臣の子」という自負があったのかも知れない。さらに言えば魏の涼州支配は210年代中盤から。もともと魏には反感があったのかもね。
漢への忠臣と見ても、栄達のための野心と見ても妄想が捗ります🤗(笑)
蜀は人材がいなかったのか本当に不思議。
姜維を補佐できる知将、前線を荒らす猛将の類がいない。
また、費禕が政争で北伐派の人たちを追放したのではないか。
諸葛亮の時の李厳もそんな雰囲気があるんだよな。
とにかく小国内で政争を繰り返してたら上手く行かんだろう。
姜=羊+女 羌=羊+人
姜は羌と同じ。羊を飼う人々(遊牧民)という意味です
『逸を以て労を撃つ』
第一次北伐は完全な奇襲。ですが、魏は曹叡以下蜀漢の手筋(長陣ができない)を見切り、以降は蜀軍に多大な戦費を使わせ、戦争資材を大苦労させて秦嶺山脈越えで関中に持ち込ませてから、おもむろに軍を動員、横綱相撲でたたく...
という戦略に徹したかと見えます。司馬懿は、着任した当座はこの基本方針を飲み込んでいなかったようで、張郃戦死という不慮の事態を招く一因となったかと。
寂しい話ですが、姜維の大活躍も司馬懿のせがれ達からみれば、鴨ネギにしか見えていなかった、のでしょうねえ。
KOEIの三国志の姜維は知力97武力80だったかな。
姜維は、良くも悪くも骨の髄まで武人だった。その評価は真っ二つに分かれるところだが、良き理解者に恵まれなかった事が不運に思えてならない。
陳祗も許靖に養育されたとはいえ豫州出身ですし、劉禅の威光を頼って政権を保つほかなかったと言うのがまた厳しい。
孫盛は酷評が過ぎる。裴松之に同感だ。
半兵衛「姜維さんて、こんなに凄い人だったんだね〜そりゃ諸葛亮さんが高く買うのも分かるよ。」
諸葛亮「ええ、ですが劉備殿並びに私の想いを成してくれると思った一方でかなりの重荷を背負わせてしまったかもしれませんね。」
龐統「あっしは元の世界では姜維に会ってすらないからね…返すも堕ちるのが早すぎたわ…」
長政「国の為に全力で身を捧げるその精神、某も見習わなねば。」
♪やーまを越ーえー 谷を越えー
僕らのまち(成都)にやってきたー
あ、鄧艾の一軍が凄い忍者集団になっちゃった(^_^;)
次はオウケイですね。
姜維は勿論大好きなんだが、驚くべきは廖化の長寿っぷりで劉備時代から戦い続けて滅亡まで生きてるってw
演義では黄巾の乱時代から生きてるっていう化け物ぶり(笑)
打倒大国に全身全霊を賭け生涯を費やした一代の英雄から愛され後事を任された小国の偉才が
どういうやり方でその遺託にこたえようとするかというのは正解のない問題だと思う
未来を予見できず手探りで生きるしかない我らにはその決断が果敢か無謀かは結果が出るまで分からない
相当に優秀な武官だと思いますが、兵の将ではあったが将の将では無かったのかな?
なぜ諸葛亮は
こいつを
脳筋武将にしてしまったのか、、、、
馬謖よりよほど有能だと思うのだが、、、
結果論だけど北伐しないで国力温存に努めとけば八王の乱で勝手に自滅してたんだよな
征西将軍の方は即答できます。
姜維はただの征西将軍、魏延は征西大将軍。
四征将軍でなんか、こう、方角が被ることあるんですね。勝手に被りはないものだと思いこんでいた、なんでだろ…🤔
もともと漢の制度では征西だけで、他の方角はなかったから西は特別感がありますね
北伐を孔明の遺言に従って続けなきゃまだ命脈は保てたか?
でも最終的には魏には負けるだろ
内政を盤石にして、防備をしっかりと整備していれば天然の要塞もてつだって呉や魏も簡単に手出しできない国家になれる。対面的には魏と対立する立場にいても、実質的なところでうまく魏とは協調路線をとる。魏としても何がなんでも蜀を滅亡させるという方向性には向かわなくなる。そのうちに賈南風や司馬懿のバカ息子たちが八王の乱を起こし国中が乱れる。その時こそそれまで臥薪嘗胆していた蜀が立ち上がるべき時だったと思う。まあその時姜維も生きてないだろうから、何がなんでも姜維が北伐しないと気が済まない姜維のファンの人たちは到底納得できないだろうが。
姜維の人生は花🌸のように咲いて❗美しく散った人生だね💧😢😭🥺……😔👀〰️💓破滅の儚さ😂😊😆👍️✨
まるで大輪の花火
お久しぶりです♥
@@user-fakegiraikanae お久しぶりです💧😢😭🥺😂☺️🙇♂️今年79歳に成る予定の老骨です😆👌❤️カナエさん🥺家の地元は来年の誕生日を迎えると、役所から銀の盃が貰えますので目指せ❗80歳を目標に頑張ってます🙇♂️100歳に成ると金の盃が貰えますが🎵「100歳はどうだろう⁉️🙄💬…🤔」今現在は杖無しで歩けますが😃ボケ防止で「Nintendo Switchlight・テトリス」をやってます🙄💬…🤔農家の仕事は去年、引退して娘夫婦に託しました🙇♂️
諸葛亮に馬良らと並び評価されたということは、姜維は単に軍才だけでなく論理的な思考や弁舌、名士としての振る舞いも優れていて早い段階で諸葛亮に将来の北伐の軍事的指導者として見出されたのでしょうね。意地悪い見方をすれば、姜維を見つけたからこそ馬謖を切ることができたとも・・。
馬謖を失ったけど、姜維を得た!
みたいにどこか強がってると言うか、そうアピールしないと北伐の失敗に耐えられないような、そういう諸葛亮の人間的な部分を少し感じてしまう🥲
残念だが、司馬家の物語で、劉備や曹操などは脇役。
姜維の脅威はトウ艾さん
あと陳泰。
賃貸持った陳泰さんもですか姜維さんの脅威となる敵は
当該商会による成都吸収合併。
あとは孝行息子だったかどうかはわからないけど、高校は出てそうな宦官のコウコウ。
ボイーン!!
姜維の驚異的な胸囲
諸葛亮と比べた場合、姜維の環境がいかに劣悪だったかが分かりますね。
諸葛亮の場合、
①権力は最高位の丞相(劉禅や皇族以外の人物には命令を強要できる)。
②先帝劉備からの功臣で劉禅を始め、諸将からの信頼も厚い。
③大派閥(荊州派閥)のトップで益州派閥とも調整ができる
④外征中は蒋苑、張裔の有能な内政担当がおり、劉禅のお目付け役董允がいた。
⑤諸葛亮自身外征内政もエキスパート(むしろ内政の方が得意。外征の相手は曹真と司馬懿と言うチート相手)
であるのに対し姜維の場合、
①大将軍・録尚書事ではあるものの人事を扱う尚書に足場を持たないため、人事関係は思うようにいかない。
②新参者の降将で劉禅はともかく、文官では張翼や廖化、文官では諸葛瞻や樊建、劉禅お気に入りの黄皓と対立。
③荊州派閥と益州派閥の蜀漢でほぼ唯一の涼州出身。派閥調整は皆無に等しい。
④姜維が軍権をもった時の唯一の相方は陳祗(ちなみに北伐は同調協力してるが、政治的には対立している)。陳祗亡き後は不在。劉禅のそばにはお目付け役はいなくなり甘やかすだけの宦官黄皓がいた。
⑤軍才は諸葛亮並みかそれ以上だが内政経験なし(そして外征の相手は司馬師、司馬昭、鄧艾、鍾会のこれまたチート級)