206<ゆっくり解説>四代目マツダ ファミリア「FRながら2ボックスハッチバックで登場」「このフロントフェイスはコスモAPから」「「幸福の黄色いハンカチ」の劇中車として大活躍」
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- Опубліковано 23 сер 2024
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あなたがお探しの名車は有るでしょうか?
是非のぞいてみて下さい。
みんなを夢中にしワクワクさせたあの名車たちをゆっくり解説いたします。
現在の車には無い生き生きした個性を放った当時の名車たち
「懐かしいなぁ」「俺乗ってたぜ!」とノスタルジーに浸っていただけたら嬉しいです。
この動画を見られた後にこの車のCMを見てください。
そして、当時カーステで聞いていた曲を検索すれば青春時代にタイムスリップできます。
よろしくお願いいたします。
FREE BGM "ほんわかぷっぷー" by もっぴーさうんど
dova-s.jp/bgm/...
幸せの黄色いハンカチで武田鉄矢、桃井かおり、そして高倉健さんが旅した車。懐かしい
解体屋ですがエンジンをメンバーごと下に下ろす時にエアークリーナーBOXが引っかかってキャブレターが割れてしまって親父によく怒られた、TCがほとんどでUCはボンゴではよく見たけどファミリアでは見なかった、同年代のマツダのエンジンはマニホールドから触媒までのパイプの焼け方が他のメーカーよりもキレイだったよ、
父親が乗ってた、ファミリア・スーパーカスタム・・・懐かしい。
手堅いFRで設計されたのも良かったのか 結構売れましたね。
前期型はトランザム。(映画の中でも流れるシーンあり)後期型はチェリッシュがCMソングを歌っていました。
私の父が免許をとって最初の車がこのファミリアです。でも、わずか半年で次のFFファミリアに乗り換えてしまいました。わずかしか思い出がありません。私が今乗っているのが、この4代目ファミリアに比較的似ているデミオ(現·MAZDA2)XDツーリングの4WDです。色も父の乗っていたファミリアと同じ白で、ナンバーも父が乗っていたファミリアと同じ番号にしています。今6年目です。
このファミリアは凄く思い出があって、前期型は幼稚園の先生に送り迎いしてもらった思い出があり、後期型は母の友達に乗せてもらった思い出が凄く残ってます。
私の父親がシルバーの4ドア、新車で購入していました。ハッチバックだったので、荷物が積みやすい車でした。4年後、父は、大学を卒業した兄に車を譲り、F F カローラセダンに乗り換えていました。今振り返ると、どちらも今は亡くなった父の愛車だったので、懐かしい思い出です。
この型のファミリアバン、ルーフ後端をダックテールにしてヒンジを隠し
かつガスダンパーを使って荷室を広くしてましたね
30年前、ラブ・ラークのフルエアロの323ファミリアがいました❤
Cピラーの凹みが「エアベントの付け忘れ」みたいでモヤモヤしてた。
私も4代目のファミリアは見かけたことがあり、色が赤で5ドアハッチバックのFRモデルでしたが。
当時は映画の「幸福の黄色いハンカチ」が公開し、その影響で購入する人が増えてましたが。
ロードペーサーの370万円は、ピンと来ない人が多いと思いますが、
同時期のセンチュリーの価格が380〜420万円でした
幸せの黄色いハンカチ(映画)の赤色の印象で映画は5ドア車でしたが
私の小学生時分・・赤色の3ドア車に乗ってた女性教師がいました。
中卒で町工場で整備士見習いをしてた時、時々入ってきました。
この車、タイヤを留めてるのが クリップボルト形式で タイヤの脱着だけでも、整備しにくい車でした。この型のファミリア=クリップボルトの整備しにくい車の思い出しかありません。
マツダはSA22Cセブンとかボンゴもボルト式でしたかな。独自のこだわりがあったかと。
角目の3ドア1300XT(4MT)に乗っていました。
エアコン(クーラ)なし、オーディオAMラジオのみ。
タコメータと電磁テールゲートオープナーだけは付いていました。
燃費が良かったですね。
4代目ファミリアは、確かに販売期間が3年には結構売れていましたね。但し、バンは、8年間販売されていました。
秋川リサ前期型 後期型チェッリッシュCM出演してた。
当時は中学生でしたが、地元デーラーの発表会は大盛況でした。分割可倒式リアシートのハッチバック車の利便性が注目されていたように思います。
その後前期型はよく見かけた覚えがありますが、後期型は走っていたのを見た覚えが無いです。そして存在を忘れていた頃に5代目の大人気を知り、ちょっとビックリ。
FR2ボックスというのに時代を感じる
正式発表前にシルエットだけを見せたり、フロントグリルとヘッドライトの一部だけを見せ「ミディ・コスモ」と言ったり、「X508」という開発コードを出して色々期待を煽る広告をした車だったと記憶しています。
乗っていました。ちょうどドアミラーが認可されたころで、後付けのナポレオンミラーをつけていました。BP5ES-13良くプラグを外して、掃除していました。323とGLCのエンブレムも付けていました。そして、あの赤いファミリア1500XGに乗り換えました。
懐かしいなぁ。このファミリア。ガキの頃親父の赤いファミリアにうんち漏らしちゃった記憶しかないなぁ。
13Bを載せて走り回ていました ただ爆音抑えるためマフラー製作にお金がだいぶ使いました
母方のおじさんが軽で家の130コロナリフトバックに対抗して買って乗ってたな…自分が当時3歳くらいで前期のバリカングリルの白5ドアやったことをよく覚えてる
ありがとうございます。
アメリカに居る時、「最も安価な自動車」と評価されてたですね。たしか、1$→240円くらいだったから。
40年程前。オラが小学2年生の時のある日。
突然、父親が免許取って、このファミリアの後期型(各目のやつ)を中古で買ってきました。5ドアハッチが使いやすいと踏んでの選択だったそうです。
兄弟3人居たので、ラゲッジスペースから移動中でも物が取り出せると言うのが良かったようです。
その次に買ったのがカローラバンでしたね。
小学生の頃、家にありましたった。親戚から譲り受けた車で、何故か当時としては珍しいAT車。凄くうるさい車で、60km/h出すと、普通の声で会話ができなかった😨。あれはATのせいだったんでしょうか。
メカノイズでなければ、この時代ですとタイヤが原因だったかもしれませんね。
まだまだ多かったバイアスからラジアルへ交換した際の静かさにびっくりした経験があります。(高速では怒鳴りあってたのが収まりました)
このFRファミリアにREが載っていれば?
KP系スターレットみたいなホットハッチに成れたかもしれませんが
世界中のクルマ好きが同じ事考え、
RE載せ換えた。FRだったんで楽に載せられたらしい
イギリスやオーストラリアではG5のラリーカーが走れたんで13Bに積み替えたラリーカーが走ってて
AS 誌やPD誌のグラビアを飾っていたことも。
死んだ母が初めて買った車が中古の2代目フミリア5ドアの白だつた
幸福の黄色いハンカチ!
古いねぇ
古いねぇ
武田鉄矢さんは 当時仮免で 一部運転シーンはスタッフさんの吹き替えだったとか。
納車のシーンでは「まだギヤは硬いですね。」(*´・∀・)とかウキウキした様子でしたな。
40年前の懐かしくも嫌な思い出。この4代目のFR 4MT 3ドアバン 2シーター グリルライト周りだけ5代目のFF車と同じと言う車両に乗っていました。それまでカロバンが会社の営業車だったのに、部長が 2台買えば1台オマケが貰えると喜んでこの車両を導入したのですが、実際乗ってみると とにかくブレーキが駄目、制動距離がカロバンの1.5倍。皆嫌がってこの車を 運転に不慣れな新卒の新人に押し付けて、結局 事故で全車廃車になりました。
MAZDAファミリア最後の後輪駆動モデル、それまでのセダンスタイルからハッチバックスタイルにモデルチェンジしたモデル、
小学校1年生の頃、担任の女の先生が乗っていました。
見た目のかわいさに似合わない、ドコドコした排気音が印象的でした。
ここから、BFMRまで三代続けてファミリアに乗りました。マツダ2もFR 6MTで出せば、売れるかも。
発売当初だけ爆売れしたが、すぐにジリ貧になってしまった。
FR、後輪リジッドサスというコンパクトカーとしては古めかしいシャシーに、とりあえず「流行の」ハッチバックボディを乗せてみた、というノリの車だったので飽きられるのも早かった。
この車種安いボロ車って印象しかない。そんな古くも無いのに解体屋にいっぱいありましたね
ワンダーシビックが登場するまでは、どの車もゴルフコンプレックス丸出しの台形デザインを採用していたのですが、それにしてもこのデザインはダサすぎないか?と当時ガキだった私は感じていました。マツダ地獄の頃の車でもあるので、同じFRでスッキリしたデザインだったKP61 スターレットほど残存数はないわけですが、結構売れた車にしてはマツダファンからも冷遇される不運なモデルですね。それにしても、FFファミリアのカタログ写真、エロ過ぎじゃないですか?
こんばんは。
当時の自動車カタログ、特に
若者向けはこんな感じでしたよ。
同世代の日産バネットも中々でした。
特に前期型のFマスクがダサかった・・・
KP61スターレットも、ジウジアーロの先代と比べるとダサかったけど・・・