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上本町駅で、近郊の通勤電車が次々と軽量の新型車両に置き換えられる中で、一時間に一回やってくる2200系宇治山田行き急行は、重厚で、いかにも長距離列車という貫禄にあふれていました。
奈良線と大阪線の線区別複々線だった1960年代 鶴橋から奈良線の8000系の急行で生駒へいったけど 並行して先頭が荷物合造の『急行 宇治山田』6連が布施まで並走してたのを昨日のように覚えてるよ
昔、近鉄高安工場に勤務していた方に聞いた事があります。高速運転の反面、2200系は特別仕様の電動機整備が大変だった様ですね。歯車が傷むのが尋常では無かったと。それでも『参急2200は関西一の名車やった』と。トイレが設置された片目の運転台のユニークなスタイルにゆったりしたクロスシートの車内…一度乗ってみたかったですね。
客扉が車端に寄っていて、実にいいスタイルだ。2600形も好きだったな。4扉でクロスシートとは狭っ苦しいけど、長距離運用を見込んでトイレを装備したり、補助シート使用時の半ドアなど、面白い車両だった。
小さい頃、何度か乗ったことがあります。重々しい吊り掛けモーターの轟音と、抑速ブレーキのモーターの轟音とが思い出されます。確か、まだ新青山トンネルが開通前でした。
これだけの名車が一両も保存されなかったのが悲しい。
あまりにも、1930年代としては現代でも十分通用できるくらいのスペックで、しかも50両未満しか建造されなかったと聞きますし、今で言うと東海道・山陽新幹線の車両並みの老朽化かと推察に難くなく。近鉄としても、とても保存が難しいと判断したのでは。奇跡的に、もし保存が実現したら就役当時の塗装で、近鉄あやめ池遊園地に2003年まで動態保存されたのではと思いますね。
@@yonesuke1008正確には参急2200系は増備車の2227系や付随車等と合わせると75両程作られています。老朽化していたのは事実ですが、性能的には実は引退時でも特に見劣りした訳ではないのです。事実一部の電動機は名古屋線用の1000、1200系に流用してましたからね。また車両保存に関しては近鉄内部で保存に一部反対する声があったと聞いています。2200系に関しても荷物、鮮魚車両、電動貨車として4両程残ってましたが、実はそのうち1両保存する予定で手配が進められていたのが、寸前で間に合わなかった話がありました。10100系も廃車後西武系の会社が遊具目的で譲渡を申し込んだ話もありましたが、これも断わっています。
@@トミヤマサキオ 10100系は吊り掛け駆動置き換え要員の機器流用車だったほどですからね。本来だったらカルダン車丸々一編成作って置き換えた方がいいんでしょうけど、吊り掛け車つくるよりもカネが掛かるカルダン車を何十編成と作るのは相当な資金が必要なので、機器流用したいほどに新性能車が欲しかったんでしょう。
小学校の修学旅行で上六~伊勢市(往路)はこの系列の団体専用列車(6連)でした。古いながらも重厚な乗り心地でした。帰路は宇治山田から青空号でした。
往路も復路も羨ましい。
往路も復路も羨ましい。関東モンの近鉄ファンです。
@@塩島聖一 さん、ありがとうございます。
主電動機は、名古屋線1000系や旧1200系に流用されましたね旧1200系は、名古屋線初の通勤冷房車両でした
近鉄名古屋駅で三扉化され、宇治山田急行運用に就いていた時代の車両は見ました。重厚感満載で、流石は名車と感じました。
名古屋から中川までだけど、この年末年始に5200系に初めて乗った私鉄に新快速?と不思議な感覚だった
一説では、近畿車輛で5200系とJR221系はコンセプトは同じとディザイナが言っていたそうな。
阪和のような『重戦車』のような電車ではなく 軽量化の為に敢えて『半鋼製』としましたが保温性や 当時は自由度の高い内装デザインと『半鋼製』にも 良い所はあったんですよね。この電車のお陰で 関西本線はとどめを刺されました。
対抗策で関西本線は直通快速列車に準急どころか急行にさえ一部なかった食堂車(「燕」用の冷房付き車両で、本来「富士」などの他の特急列車や特急より豪華な急行17、18列車と共用すべきもの)を連結してます。又奈良より需要の大きい京都経由に変更して速度面でも対抗を試みています。
2227系はモワ10と車番車籍なし高安工場入れ替え車がありましたね
最晩年の青山越えの2200新ローカルに辛うじて乗車体験できましたが、2610系より遥かにゆったりした座席でしたよ。また一部鮮魚列車にも使われていたので100キロ越えの高速運転もよく観に行き迫力に感動しました。
2227系は狭軌対策で超ホイールベース2700mmを採用してましたね。戦後特急車の主力となりました。また2250系登場後も2227系の一部は格下げではなく再整備されて、オールクロス化され10100系登場までは増結や臨時特急用に2250系と併用されています。貴賓車サ2600はその後3扉クロス化されて急行に使用されましたが、近鉄の悪しき例で一切保存もされずに解体されました。
修学旅行の時貸切り電車で伊勢へ。2200系でした。なかなか速かった記憶があります。勾配区間はさすがに苦しかったですが平坦線では100kmぐらいで走っていましたね。つり合い速度は120~130km/hとも。ただし加速力が低いので1km/h/sでだんだん速くなっていくという感じでした。
2260懐かしい。大阪線各停から荷物列車に格下げになり 鮮魚列車にもなりましたな。 ゴーォーとモータを奏でだして走る姿はすばらしかった。1490系や2400系の非冷房車がメインであった時代 そして2600系での冷房車両の登場。近鉄は奥か深い。🤣
新京阪鉄道のP-6、阪和電鉄のモヨ100など、戦前の関西の私鉄は名車が多かったですね。当時の資料があまり残っていないのが残念です。
P-6の晩年は5300系に追っかけられてる姿しか浮かんで来ません。5300はP-6よりも長生きですよね。
国鉄(鉄道省)にも名車あったがな!(流電等)その時期の電車は関東<関西やったな😉
@@psychedelicraspberry517 103系にあっさりと殺処分された流電ですか?119系にもあっさりと置き換えられ島流しにされましたね~。既に70年代80年代はカルダン駆動方式の新性能電車以外電車はお荷物とまで言われてる時代でして、加速性能が劣る旧式吊り掛け車の大半は本線から追い出され支線区で余生を送るほどでしたよ。それを嫌う現場職もいますが、高度経済成長で沿線に人が集まってきて既存のダイヤでは人がさばけないというのに加速しないスピードアップできない電車なんて昭和も令和もお荷物の他この上なかったですからね。旧国ファンには酷な話ですが都市部の電車はカルダン駆動でなかったらオイルショックの時に国電は死んでいたと断言できます。必死になって吊り掛け車を置き換えてたのもその理由。
父の社員旅行の写真を繰っていると2250系特急[いすず]の勇姿がある。倅の私は急行利用だが3ドアになっていた😅
実は国鉄も手をこまねいていた訳ではなく線形の良い東海道本線ー草津線経由にして速度向上と京阪神地区の乗客独占を図ったり、食堂車も連結、更にその食堂車には機関車を重連にしてまで「燕」用の冷房付き車両を持ってきたり、可能な限り手を打ってました。面白いのは新幹線にフルボッコにされた名阪ノンストップ特急再活性化策に戦前国鉄が対近鉄に用いた「食いもんで釣る」を行った事。まあ明治以来一貫して胃袋も財布も貧困な日本故これが成功したのは「替えだま」に電子レンジ付きビュッフェ車を投入してぐずる子供にハンバーグステーキ食わせて丸め込んだ時ぐらいですがw
ついにここまで辿り着いたね。片側便所の片目前面が異色で、ちょっとワルそうな風貌が丹下左膳みたいだった。
もし京阪が当時に本気で奈良路線に力を入れていたらもっと大手私鉄のなかで今より高い立場になってたのかなと思わなくもない。
たしか、昭和30年代には、運転席右側の、車掌室に、トイレになっていた🚾が、記憶あり。宇治山田から、内宮まで、路面電車で、行きました😅
超特急の名に恥じない電車
内容は素晴らしいのですが、誤植がありますね8:11 標準軌の幅は1435mmです、1452mmではないですあと直の字に違和感が、フォントは何を使ってるのですか?
すみません、編集ソフトの関係か漢字が簡体字のような形になってしまうようです。次回から編集ソフトを変えるため、改善する予定です。
@@hakusinnotakumi 了解です、ありがとうございますたぶん、中華系のソフトなんでしょうけど彼らは悪気がないにしても、そういうところで、色々他国の文化を侵食してきますので、取り扱いには気をつけて頂けるとありがたいです
@@ikkisan_htvkその表現微妙…もともと漢字自体がチャイナの文字だが😁
@@psychedelicraspberry517 日本の漢字と中国の漢字は別に進化してますが?
@@ikkisan_htvk大元は中国🇨🇳だがや😉
戦前で既に近鉄に敗けてたんだね😞…
この頃から特急型とは思えない化け物加速力だったのかよ
だからこれの後継の2610系はクソはえーんですね。確かこれを上回る設計だとお聞きしておりますよ。特に加速面
阪とか直とか、ちょいちょい見慣れないフォントが混じるのが気になります。何か意図があってのことですか?
すみません全く無いです。パソコンに元々付いてたヘッポコ編集ソフトを使ってた結果謎フォントが混じってしまっています。現在は解消されたのでまた機会があれば作り直す予定です。
冷房意外(以外)は最先端だった国鉄に圧勝
新京阪のP6 、阪和のモヨ、南海の2001と並んで関西のビッグ4阪急の900入れてビッグ5とも言えるけど戦前は小田急にロマンスカーがまだあらへんし関東の私鉄は郊外電車は路面電車の延長みたいな状況やのに関西私鉄は鉄道省とすでにガチンコ対決やから大型で馬鹿力の電車ばっかりやな
ワイとしては鉄道省のモハ42も入れてほしい😉
近鉄のWN駆動車が新幹線並みに性能いい理由ってこの電車よりも二倍以上の性能をたたき出せるように設計されたからでしょ。8000系とか見ててもわかるんだけど、吊り掛け駆動の車両がお話にならないぐらいの性能叩き出すWN駆動ってある意味電車における最高の駆動方式なんだと思うんですよ。よくカルダン駆動は吊り掛け駆動よりも悪いと聞くのですが、真っ赤な嘘な事に吊り掛け信者は気付いて欲しい。吊り掛け駆動が性能良かったら、東海道新幹線の0系電車はなんで吊り掛け駆動を採用していないの?って話になりますからね。阪急の5300系もそう、カルダン駆動車こそ日本の鉄道の救世主のはずなのに、吊り掛け駆動車と比べて評価されなさすぎるのが痛いです。
いつの間に、近畿日本鉄道に買収された。
大阪電気軌道は昭和恐慌の煽りを喰らって経営破綻した伊勢電気鉄道(今の近鉄名古屋線・・・江戸橋駅から桑名)を参宮急行鉄道(大阪電気軌道の傘下の会社。当時は桜井〜宇治山田、伊勢中川〜江戸橋)が買収、その後名古屋乗り入れを目論み大軌はグループ会社に関西急行鉄道を設立し関急によって名古屋乗り入れを完成させ、戦争になって南海電鉄と関西急行等と合併し、今の近畿日本鉄道になりました。その後昭和34年の伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けた名古屋線は、それまで狭軌だったところを標準軌化して復旧(江戸橋駅〜名古屋)、ついにそれまで伊勢中川で接続していた名阪輸送を中川短絡線を使って名阪直通運転をできる様になりました。現在の12000系や30000系、21000系、22000系や50000系といった特急車両群は大軌2200型のDNAを受け継いでいます。
上本町駅で、近郊の通勤電車が次々と軽量の新型車両に置き換えられる中で、一時間に一回やってくる2200系宇治山田行き急行は、重厚で、いかにも長距離列車という貫禄にあふれていました。
奈良線と大阪線の線区別複々線だった1960年代 鶴橋から奈良線の8000系の急行で生駒へいったけど 並行して先頭が荷物合造の『急行 宇治山田』6連が布施まで並走してたのを昨日のように覚えてるよ
昔、近鉄高安工場に勤務していた方に聞いた事があります。高速運転の反面、2200系は特別仕様の電動機整備が大変だった様ですね。
歯車が傷むのが尋常では無かったと。
それでも『参急2200は関西一の名車やった』と。
トイレが設置された片目の運転台のユニークなスタイルに
ゆったりしたクロスシートの車内…一度乗ってみたかったですね。
客扉が車端に寄っていて、実にいいスタイルだ。2600形も好きだったな。4扉でクロスシートとは狭っ苦しいけど、長距離運用を見込んでトイレを装備したり、補助シート使用時の半ドアなど、面白い車両だった。
小さい頃、何度か乗ったことがあります。
重々しい吊り掛けモーターの轟音と、抑速ブレーキのモーターの轟音とが思い出されます。
確か、まだ新青山トンネルが開通前でした。
これだけの名車が一両も保存されなかったのが悲しい。
あまりにも、1930年代としては現代でも十分通用できるくらいのスペックで、しかも50両未満しか建造されなかったと聞きますし、今で言うと東海道・山陽新幹線の車両並みの老朽化かと推察に難くなく。
近鉄としても、とても保存が難しいと判断したのでは。
奇跡的に、もし保存が実現したら就役当時の塗装で、近鉄あやめ池遊園地に2003年まで動態保存されたのではと思いますね。
@@yonesuke1008正確には参急2200系は増備車の2227系や付随車等と合わせると75両程作られています。
老朽化していたのは事実ですが、性能的には実は引退時でも特に見劣りした訳ではないのです。事実一部の電動機は名古屋線用の1000、1200系に流用してましたからね。
また車両保存に関しては近鉄内部で保存に一部反対する声があったと聞いています。2200系に関しても荷物、鮮魚車両、電動貨車として4両程残ってましたが、実はそのうち1両保存する予定で手配が進められていたのが、寸前で間に合わなかった話がありました。
10100系も廃車後西武系の会社が遊具目的で譲渡を申し込んだ話もありましたが、これも断わっています。
@@トミヤマサキオ 10100系は吊り掛け駆動置き換え要員の機器流用車だったほどですからね。本来だったらカルダン車丸々一編成作って置き換えた方がいいんでしょうけど、吊り掛け車つくるよりもカネが掛かるカルダン車を何十編成と作るのは相当な資金が必要なので、機器流用したいほどに新性能車が欲しかったんでしょう。
小学校の修学旅行で上六~伊勢市(往路)はこの系列の団体専用列車(6連)でした。古いながらも重厚な乗り心地でした。帰路は宇治山田から青空号でした。
往路も復路も羨ましい。
往路も復路も羨ましい。関東モンの近鉄ファンです。
@@塩島聖一 さん、ありがとうございます。
主電動機は、名古屋線1000系や旧1200系に流用されましたね
旧1200系は、名古屋線初の通勤冷房車両でした
近鉄名古屋駅で三扉化され、宇治山田急行運用に就いていた時代の車両は見ました。
重厚感満載で、流石は名車と感じました。
名古屋から中川までだけど、この年末年始に5200系に初めて乗った
私鉄に新快速?と不思議な感覚だった
一説では、近畿車輛で5200系とJR221系はコンセプトは同じとディザイナが言っていたそうな。
阪和のような『重戦車』のような電車ではなく 軽量化の為に敢えて『半鋼製』としましたが
保温性や 当時は自由度の高い内装デザインと『半鋼製』にも 良い所はあったんですよね。
この電車のお陰で 関西本線はとどめを刺されました。
対抗策で関西本線は直通快速列車に準急どころか急行にさえ一部なかった食堂車(「燕」用の冷房付き車両で、本来「富士」などの他の特急列車や特急より豪華な急行17、18列車と共用すべきもの)を連結してます。
又奈良より需要の大きい京都経由に変更して速度面でも対抗を試みています。
2227系はモワ10と車番車籍なし高安工場入れ替え車がありましたね
最晩年の青山越えの2200新ローカルに辛うじて乗車体験できましたが、2610系より遥かにゆったりした座席でしたよ。
また一部鮮魚列車にも使われていたので100キロ越えの高速運転もよく観に行き迫力に感動しました。
2227系は狭軌対策で超ホイールベース2700mmを採用してましたね。戦後特急車の主力となりました。また2250系登場後も2227系の一部は格下げではなく再整備されて、オールクロス化され10100系登場までは増結や臨時特急用に2250系と併用されています。
貴賓車サ2600はその後3扉クロス化されて急行に使用されましたが、近鉄の悪しき例で一切保存もされずに解体されました。
修学旅行の時貸切り電車で伊勢へ。2200系でした。なかなか速かった記憶があります。勾配区間はさすがに苦しかったですが平坦線では100kmぐらいで走っていましたね。つり合い速度は120~130km/hとも。ただし加速力が低いので1km/h/sでだんだん速くなっていくという感じでした。
2260懐かしい。大阪線各停から荷物列車に格下げになり 鮮魚列車にもなりましたな。 ゴーォーとモータを奏でだして走る姿はすばらしかった。1490系や2400系の非冷房車がメインであった時代 そして2600系での冷房車両の登場。近鉄は奥か深い。🤣
新京阪鉄道のP-6、阪和電鉄のモヨ100など、戦前の関西の私鉄は名車が多かったですね。当時の資料があまり残っていないのが残念です。
P-6の晩年は5300系に追っかけられてる姿しか浮かんで来ません。5300はP-6よりも長生きですよね。
国鉄(鉄道省)にも名車あったがな!(流電等)その時期の電車は関東<関西やったな😉
@@psychedelicraspberry517 103系にあっさりと殺処分された流電ですか?119系にもあっさりと置き換えられ島流しにされましたね~。既に70年代80年代はカルダン駆動方式の新性能電車以外電車はお荷物とまで言われてる時代でして、加速性能が劣る旧式吊り掛け車の大半は本線から追い出され支線区で余生を送るほどでしたよ。それを嫌う現場職もいますが、高度経済成長で沿線に人が集まってきて既存のダイヤでは人がさばけないというのに加速しないスピードアップできない電車なんて昭和も令和もお荷物の他この上なかったですからね。旧国ファンには酷な話ですが都市部の電車はカルダン駆動でなかったらオイルショックの時に国電は死んでいたと断言できます。必死になって吊り掛け車を置き換えてたのもその理由。
父の社員旅行の写真を繰っていると2250系特急[いすず]の勇姿がある。倅の私は急行利用だが3ドアになっていた😅
実は国鉄も手をこまねいていた訳ではなく
線形の良い東海道本線ー草津線経由にして速度向上と京阪神地区の乗客独占を図ったり、食堂車も連結、更にその食堂車には機関車を重連にしてまで「燕」用の冷房付き車両を持ってきたり、可能な限り手を打ってました。
面白いのは新幹線にフルボッコにされた名阪ノンストップ特急再活性化策に戦前国鉄が対近鉄に用いた「食いもんで釣る」を行った事。
まあ明治以来一貫して胃袋も財布も貧困な日本故これが成功したのは「替えだま」に電子レンジ付きビュッフェ車を投入してぐずる子供にハンバーグステーキ食わせて丸め込んだ時ぐらいですがw
ついにここまで辿り着いたね。片側便所の片目前面が異色で、ちょっとワルそうな風貌が丹下左膳みたいだった。
もし京阪が当時に本気で奈良路線に力を入れていたらもっと大手私鉄のなかで今より高い立場になってたのかなと思わなくもない。
たしか、昭和30年代には、運転席右側の、車掌室に、トイレになっていた🚾が、記憶あり。宇治山田から、内宮まで、路面電車で、行きました😅
超特急の名に恥じない電車
内容は素晴らしいのですが、誤植がありますね
8:11 標準軌の幅は1435mmです、1452mmではないです
あと直の字に違和感が、フォントは何を使ってるのですか?
すみません、編集ソフトの関係か漢字が簡体字のような形になってしまうようです。次回から編集ソフトを変えるため、改善する予定です。
@@hakusinnotakumi 了解です、ありがとうございます
たぶん、中華系のソフトなんでしょうけど
彼らは悪気がないにしても、そういうところで、色々他国の文化を侵食してきますので、取り扱いには気をつけて頂けるとありがたいです
@@ikkisan_htvkその表現微妙…もともと漢字自体がチャイナの文字だが😁
@@psychedelicraspberry517 日本の漢字と中国の漢字は別に進化してますが?
@@ikkisan_htvk大元は中国🇨🇳だがや😉
戦前で既に近鉄に敗けてたんだね😞…
この頃から特急型とは思えない化け物加速力だったのかよ
だからこれの後継の2610系はクソはえーんですね。確かこれを上回る設計だとお聞きしておりますよ。特に加速面
阪とか直とか、ちょいちょい見慣れないフォントが混じるのが気になります。何か意図があってのことですか?
すみません全く無いです。パソコンに元々付いてたヘッポコ編集ソフトを使ってた結果謎フォントが混じってしまっています。現在は解消されたのでまた機会があれば作り直す予定です。
冷房意外(以外)は最先端だった
国鉄に圧勝
新京阪のP6 、阪和のモヨ、南海の2001と並んで関西のビッグ4
阪急の900入れてビッグ5とも言えるけど
戦前は小田急にロマンスカーがまだあらへんし関東の私鉄は郊外電車は路面電車の延長みたいな状況やのに関西私鉄は鉄道省とすでにガチンコ対決やから大型で馬鹿力の電車ばっかりやな
ワイとしては鉄道省のモハ42も入れてほしい😉
近鉄のWN駆動車が新幹線並みに性能いい理由ってこの電車よりも二倍以上の性能をたたき出せるように設計されたからでしょ。8000系とか見ててもわかるんだけど、吊り掛け駆動の車両がお話にならないぐらいの性能叩き出すWN駆動ってある意味電車における最高の駆動方式なんだと思うんですよ。よくカルダン駆動は吊り掛け駆動よりも悪いと聞くのですが、真っ赤な嘘な事に吊り掛け信者は気付いて欲しい。吊り掛け駆動が性能良かったら、東海道新幹線の0系電車はなんで吊り掛け駆動を採用していないの?って話になりますからね。阪急の5300系もそう、カルダン駆動車こそ日本の鉄道の救世主のはずなのに、吊り掛け駆動車と比べて評価されなさすぎるのが痛いです。
いつの間に、近畿日本鉄道に買収された。
大阪電気軌道は昭和恐慌の煽りを喰らって経営破綻した伊勢電気鉄道(今の近鉄名古屋線・・・江戸橋駅から桑名)を参宮急行鉄道(大阪電気軌道の傘下の会社。当時は桜井〜宇治山田、伊勢中川〜江戸橋)が買収、その後名古屋乗り入れを目論み大軌はグループ会社に関西急行鉄道を設立し関急によって名古屋乗り入れを完成させ、戦争になって南海電鉄と関西急行等と合併し、今の近畿日本鉄道になりました。その後昭和34年の伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けた名古屋線は、それまで狭軌だったところを標準軌化して復旧(江戸橋駅〜名古屋)、ついにそれまで伊勢中川で接続していた名阪輸送を中川短絡線を使って名阪直通運転をできる様になりました。現在の12000系や30000系、21000系、22000系や50000系といった特急車両群は大軌2200型のDNAを受け継いでいます。