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この戦い、優秀な参謀(荀彧)を活用した曹操と優秀な人材がいながら無駄にした袁紹の印象が強いです。
演義では書かれてないが間違いなく荀攸がこの戦いのMVP。白馬、延津共に顔良、文醜を討ち取り、袁紹の補給隊を徐晃に襲わせたりなど作戦面で力を発揮してる。ちなみに演義だと曹操と仲違いしてるが史実では終始仲が良く、曹操は曹丕に荀攸を見習うように言っていた。曹丕も荀攸を尊敬していた。
いろんな三国志の本があるのに、サムネにも使われてるように、なんだかんだで1番三国志を広めたのは間違いなく横山光輝さんだよね!
三國志の戦いで、一番好きなのは官渡の戦いです。袁紹軍の白馬城包囲〜曹操軍の烏巣食糧庫襲撃までの一連の流れがドラマチックですね。
趙雲も一時期袁紹の配下にいたのに見切りをつけて去っていますからね。どれだけ優秀な部下を抱えても上手く使いこなせなければ宝の持ち腐れです。
確かに袁紹は官渡で負けたが、それが袁家滅亡とは違う。実際袁紹は官渡の数年後に死去しているが、その袁紹の死後も数年は河北は袁家の支配下にあった。袁紹最大の失敗は、後継者を周知で指名しなかったことだろうね。
後継者は袁譚だったのに遺言偽造するやつがね…
敗れた袁紹軍の中でも一際輝きを放った田豊、沮授、審配らの軍師・知将は大好きです。袁家が面白いのは、上の知略型三将に加え、郭図、逢紀、許攸、辛評、陳琳らの謀臣が互いに時にはくっつき、時には足を引っ張り合い、カオスな人間模様が見て取れるところです😅
兵站線を切られたら継戦不可能、短期突破不可能になった時点で、前線の部隊は降伏か潰走のどちらかという、至極シンプルな話だと思っています。
ちょいと留意しなきゃあいけないのは歴史の敗者は必要以上に貶められる傾向にあるから一概に袁紹が劣っていたというわけではない。袁家というのは大勢力なだけあって様々な豪族だの派閥だのがあったわけで。それらを纏める手腕とカリスマがあったのはまさに袁紹あってのもの。田豊や沮授も先見の明があったのは違いないでしょうが、沮授はともかく田豊も結構癖のある性格だったようですし。許攸の投降がなければ実際詰んでいたでしょうし、官渡の戦い敗北後も袁紹が健在だったらどう転んだか分からなかったかと。関ケ原の戦いも徳川家康の完全計算通りで戦う前に既に勝っていたなんて言われてたけど、んなものは大いに勝者目線の結果ありき論というもの。歴史の勝者たちはまさに紙一重の戦いを知略と勇気と幸運全てを振り絞って勝利をもぎ取ったと思います。
逆に言えば、ちゃんと人材を用いていれば袁紹に負けはなかった。兵の質とかにも差はあったんだろうけど、それも含めて長期戦を献策してたんだろうし…今では何を言っても想像でしかないが。袁紹といい袁術といい、この頃の袁氏はどうも我が強すぎるイメージを感じました。
日本だと桶狭間の戦い(敬意と中身は違うが大差の兵力差での勝利)だがやはり中国史は規模がw 三国志も好きなので高評価させて頂きました!
やっぱ田豊や沮授は向こう見ずじゃない烏巣をやられて「ウソー⁉️」でおしまい
袁紹は官渡の戦いもあるけど後継者しっかりと決めてなくて結果的に袁家を滅ぼしたあたりも決断力がないというか残念な人だなって思います
人材を適材適所で活かした曹操と人の意見を聞かず感情で動き内部分裂を起こした袁紹簡単に言えば、二人の人格の差がそのまま結果に出た戦いかと
曹操が部下の意見をしっかり取り入れその場その場で対応したり周りに敵が居る事の危機感が一層団結力に繋がって勝利に繋がって行ったやね~( ・д・)
官渡の戦いの後日談としては、袁紹が病死してその後、長男の袁譚、次男の袁煕、三男の袁尚が後継者争いを起こして、それに曹操が付け込み名門袁家は滅亡したんですよね。
何故か横山三国志だとこの重大な出来事が、いわゆる「ナレ死」というか「ナレ(ーション)・イベント」扱いなんだよね…。w
掲載してる雑誌の危機でしたっけ?きちんと書かれていたら、全62巻くらいになってたかな?
ちなみにアニメだと官途の戦いはしっかりやっていたよ。
@@nagoyashimin569 その代わりか孫策が領土を広げる話が削られてしまった・・。
個人的に1番の問題は⑤じゃなかろうか…。①や②で多少は不利になったかもだが、それでも短期決戦で兵力の数で圧殺させる時点で曹操に敗北を予期させるところまではきたので。ついでに言うと、長期決戦だと派閥争いの粗も出る危険性があるので。
赤壁と並ぶ小が大を破った戦い動画で的確に分析してるね田豊は持久戦に持ち込んで、外交戦を繰り広げるとか、天子への接触を曹操が妨害してることを公表するとか良い献策をしてるのにな一方で隙を見て攻める好機に攻撃を進言してるし他方、袁紹を見限った荀彧は曹操に、味方が苦しい時は敵も苦しいからここが頑張り時とか、敵の脅威より味方の優位、君主の優位を挙げて士気を高めるなどしてたこの二人、田豊と荀彧の明暗は君主を見る目の差か忠義の差かそして決死の覚悟で戦った曹操と侮った袁紹もはや世は四世三公という肩書きが通じない乱世であることを袁紹は理解してなかったのだろうか官渡の戦いは本当に様々な教訓に満ちているもっとも、後年、曹操の起こした魏が、ボンボンの後継者ばかり続いて司馬一族に乗っ取られたのは、歴史は本質的に繰り返すことの証左なのだろうか
袁紹は袁紹で袁家パワーの十全に使えないので四世三公とかどうでも良さそうではあるけどね
@@matukawatositane 名門ゆえ、董卓も討伐を躊躇って、位を与えたそうですし、没落しても、世に影響力が全く無かったとまでは言えないようです曹操は反対に、追手を差し向けられてますし
@@user-gw8hi1qu8y 汝南で挙兵してたらもっと袁家パワーがなぁとは思うんだけどね
時系列的にみると曹操の官渡からの撤退は時間の問題だった。さらに官渡は取り囲まれている。曹操が囲みを破って脱出したとして普通は許昌に撤退したと考える。
囲みを破られた責任がある張ゴウの献策は聞き入れられず元の配置に戻るように指示される。仮にウソウを襲撃するにしても囲みを突破した戦力ではどうにもならないから正しい判断だろう。念の為軽騎兵を送りウソウの周辺を巡回させる。
ここで荀彧の「至弱から至強に至る」一手が発動。最初から楽進に軍馬や兵力や食糧を保管する「駅」を秘密裏に統括させ敵の補給基地が分かり次第曹操と合流し重要拠点を消滅させる計画だったと考える。
質問ある方はどうぞ。
ウソウを守っていた淳于瓊が「敵が少数」と考えるのは計算済みだったのだろう。曹操は敵陣を突破した人数でウソウに接近。淳于瓊は砦をでてそれを取り囲もうとした所、楽進の部隊にウソウを焼かれたものと考えるのが自然だ。
ここで淳于瓊からしたら曹操を討ち取るしか無いわけだが楽進の部隊によって逆包囲されたのだろう討死。
苦しいから撤退しようとした曹操に対して荀彧が言った、苦しいからこそ撤退すれば二度と立ち直れないという言葉が曹操の運命を分けましたね。「至弱をもって至強にあたる。制することかなわずんば必ず乗ずるところとならん。そもそも公(曹操)は神武明哲をもち、大順をもって天子を輔弼なさっているのですから、いかなることも成らぬということはありません。」
安心できる声…寝るときに聴いてます
横山三国志で見たかった
今と当時で黄河の位置が全然違うから、今の地図で官渡とか延津とか言われても、「どこに黄河あるんだよ」になるのは中国史あるある。
本当…曹操よく勝てたなぁ〜って思う「官渡の戦い」ですよね…(´Д`)ハァ正直、脚色だらけの「赤壁の戦い」よりもこっちをフォーカスしてもらいたいです…😡「出ると負け軍師」の郭図は的確に“負けプラグ”に導いて行くのが、マジでウケますね…🤗オイラは郭嘉が好きなので袁紹との戦いで無理を押して行軍して病死したのは残念ですが、曹操に言った“十勝十敗”は見事としか言いようがないですね…👍
誰だかわせれましたけど、袁紹に睨み合いを装って長期戦をし、その間に曹操の本拠を急襲して帝を奪還しようと進言したようですね。そうすれば曹操は逆賊の立ち位置になると。
許攸の寝返りは勝利のキッカケだと思いますが、その後に調子に乗りすぎましたね😅
所詮、勝利の要因は、運の差だとと思うが。後から、どうこう評価するのは正しい事でない気がする。逆に、袁紹が勝って入れば、袁紹が「天才的な知略家であった」と評価される。どちらも有能な君主ではあったが、結果として曹操が勝利を収めた。それだけで良いのではなかろうかと。
三国志、全体の流れを知っている程度なので、官渡の戦い、大変勉強になりました!コーエーの無双シリーズは、官渡の戦いや赤壁みたいな大規模野戦が好物の私。信長の野望のパワーアップキットで三国志陣営が出てきた時、魏の武将、ツエェ! 他は孔明以外あんまり覚えていないけど、夏候惇はじめ諸々で無双していたのが思い出されます。曹操ってやり方、色々、織田信長と似てるよなあ…少し覇道よりだけど…みたいな感じのザックリ知識レベルです 苦笑。袁紹、蒼天航路という漫画では中々面白い描かれ方でしたが、日本史でいう今川義元と同じで見直される事はあるのだろうか…。とか、三国志素人なりに思いました。すなわち、愚かな君主袁紹から、袁紹は強かったが、曹操はもっと強かった、みたいな。というのも、素人なりに聞くと…袁紹の迷走もそうですが…曹操陣営の優秀さが異様な気がするんですよね。正史からなのか分からないですが。曹操陣営、優秀すぎる。これだけ優秀だと…袁紹軍の内部亀裂も意図的に起こせたのではないかと…勘ぐってしまいますね。そして、袁紹がそう決断せざるを得ない方向へ持っていく。…さすがにロマンがあり過ぎるか…。10倍の兵力で…しかも桶狭間みたいな雨中遭遇、乱戦、一発勝負と違い…何度も大きなミスを犯し、段々と追い込まれていますものね…。日本で言うと…状況的にも、河越夜戦が近いのかな…。上杉足利はやらかし、北条は凄かった、みたいな。これから色々、拝見します!よろしくお願いします!
戦の形は大幅に違いますが、これは小田原北条攻めに少し似てる気がします。袁紹は北条氏政ですかね😅アレも、小田原城は絶対に落ちない❗️とタカを括ってる氏政が、家臣の裏切りと食糧不足で、ジワジワと秀吉に追い詰められました。袁紹も、名家で大勢力の自軍が負けるなどと考えもせず、部下の裏切りと判断ミスで大敗を喫しています。翻って曹操は、帝を擁していますので官軍ですし(袁紹軍の裏切り者達が帝の配下になるのだから…と安心して寝返られる)、勢力は及ばずとも"漢のため!"という大義名分をスローガンに一致団結出来るんですね😃💡そして、秀吉も小田原攻めの頃は関白ですので、当然官軍になるわけです☺️✨
曹操の大将としての器の差が出た結果の勝利かな。孫子の兵法を注釈した程の軍略家だし許攸の投降からの鳥巣襲撃案も実際は罠の可能性だってあったわけでの判断だし(一か八かの賭けでもあっただろうけど。実際、日本の戦国だと村上義清に降った真田幸隆が義清の精鋭を城攻めで内応するふりしてつぶしてるし)赤壁では黄蓋の裏切りの可能性を排除しきれないと考えつつも、受け入れて結果大敗負けるとその結果をもって色々言われるけど、可能性は常にあるもんだからね。そこで信じるに値するかどうかを決断するのに人を見抜く目と天下の情勢を見抜く目が大きくかかわってくる。後は決断力。袁紹は人を受け入れる組織基盤と経済力は有れども、それを活かせるだけの見る目と決断力がなかった。治世や大きな組織ではバランス重視な感じで良いんだろうけど、生き馬の目を抜く戦乱の世では曹操のような清濁併せ呑むタイプじゃないと躍進できないんだろうね。
烏巣の食料庫を焼き払ったのが大きい。
曹操と袁紹の指揮官としての差が大きいですね。部下や兵士をちゃんと使いこなして、兵力の差を埋めてましたね。袁紹は優柔不断で気に入らないと田豊を牢獄に入れたり、許攸や張郃や高覧と優秀な人材や兵糧の場所を知ってる人材に裏切られて、勝てる戦いを捨ててる様なイメージですね。荀彧はちゃんとしたアドバイスで曹操を鼓舞したのも大きいですねえ
様々な失敗がある事よく分かりました。ありがとうございます。その中で私が根本的な所が分かってないなと感じたのは、張郃の使い方ですね。反対した策の指揮を任せるとは。様々な場面で選択した策が、失敗する事自体は難しい判断を迫られる場面に対する、あくまで結果論と見る事も可能でしょう。けどここの判断として、本人が献上した側の策の方にする位の事は難しい判断でもなんでもなく、少し考えればできたのではないでしょうか?ここに袁紹が日頃から配下の武将に対する心理を読み取る力、配慮を見せる能力が致命的に欠けていた事がまさに「剥き出し」状態で知る事ができると思います。普段から万事こう言う姿勢、判断であったのでしょう。よく言われる名門故のおぼっちゃま気質が一番出てしまってるエピソードなのではないでしょうか。
追記です。言い換えれば、曹操に比べ戦略を判断する能力に「相対的に」劣っていた事は確かなのでしょうが、それ以上に戦略が決まった後に成される具体的な武将や兵の動かし方である、戦術の面の方は「絶対的に」欠けていた、と言う事なのではないでしょうか?
三國志で一番のクライマックスとも言える👍️
烏巣焼かれたとき「今こそ本陣を攻めよ」と進言したことに後悔はない
郭図さん!?ごはん抜きです!
サムネで思ったが横山三国志で官途がらみのエピソードがバッサリカットされたのが同作最大の欠点。アニメで補完されたけどさ…。
ご視聴ありがとうございます。三国志で転機となった官渡の戦い。なぜ、曹操は勝利を勝ち取る事ができたのか。皆さんの袁紹や官渡の戦いへの知見をお待ちしております。
わかりやすいまとめありがとうございます。曹操軍と袁紹軍の軍の質の違いもあると思ってます。黄巾の残党を屯田兵として鍛えた半常備軍の曹操軍…強敵との戦いの経験値も高いですよね。一方袁紹軍は河北地方の守備軍の集まりですよね…後漢時代のシステムによって集められた大軍です。指揮系統も統一できてなかったのでしょう。袁紹がもし田豊の策をとりゆっくりと積極的に戦わないで押していったら食糧問題で先に崩壊したのは曹操軍だったかもしれませんね〜🤔
@@王徹 袁紹軍も公孫瓚を破った歴戦の軍団かなと
@@matukawatositane 公孫讃は北部騎馬民族部隊を袁紹に懐柔されてほとんど機能出来なくて、最終は守り負けなんで…どっちかいうと政治的にすでに負けてたって感じかなぁ?小説などに書かれているような激戦はなかったみたいですよ。実力差も大きいしね。袁紹軍はその北部騎馬民族部隊を扱える文醜&顔良を早くに失ったのも大きいですよね。
@@王徹 まるで袁紹軍が寄せ集めみたいななのはどうかなって思ったのよね
三国志演義は 兵力オーバー過ぎるし 袁紹軍50万!?普通大軍言うても精々20万位違うのか!?
三国志演義の兵士数は論外としても正史で袁紹軍歩兵10万騎兵1万で曹操軍1万とあるけど、この兵力は絶対おかしい曹操軍も袁紹に及ばなくても数万の兵力は動員でいるはず三国志に限らず中華の歴史の兵力は必ず盛ってあるけど、これはワザと曹操の凄さを知らしめる為に過小の兵力を敢えて書いたかと思う。10万を超える兵力は三国志時代は実際殆ど動員できる事は無かったと思うが曹操軍の兵力が袁紹軍の10分の1の兵力は流石に少なすぎる。
結構曹操の運勝ちっぽいんだよなぁ官渡後漢末を代表する怪物、袁紹に良く勝てたよ曹孟徳…
袁紹は過小評価されがちだから、そう見てる人は少ないですね。
@@YH-nu7wc 個人的には宦官抹殺や徒手空拳からの冀州奪取、公孫瓚を倒し河北最大の勢力にまで実力で登りつめた袁紹は後漢が生んだ怪物だと思ってます
@@matukawatositane 普通の三国志知ってる人はそこには注目しないから…。あんまりにもそれが悔しいものだから、コーエー三国志等で個人的にはやたら強化してますがw
やはり田豊を使いこなせず 動くべき時に動かず 動いてはならない時に動く これでは無理孫氏は風林火山陰雷を説いている武田軍で有名だが実際は陰雷まででセットになっている知り難き事陰の如く、動く事 いかづち(雷)の奮うが如し軽挙妄動で動く事を戒めたのが動かざること山の如しであり、勝機!となれば雷の如く動き、疾風怒濤で戦局に挑む孫氏を生みながら、孫氏に学ばず軽率な思考と感情で動く 袁紹が曹操に及ぶ訳も無し一頭の獅子に率いられた群れは一頭の羊に率いられた獅子の群れを駆逐する
戦争は補給でやるって話だな
(・(ェ)・)袁紹は優秀な部下を粛清しすぎ
いくらなんでも10倍は誇張だよ。
張郃の絵が武田信玄にしか見えない
沮授の皇帝を頭におく、をしなかったからかな。一応、漢帝国の内紛だから。
普通に袁紹が勝てた戦
どっかの張郃は気持ち悪いナルシストらしい…
袁紹を猿扱いか…
魏武帝(曹操)がギブアップしなかったから。
田豊の言うこと聞いてりゃね
割と聞いてるんだよなぁ…献帝伝では「紹、聞くこと能はず」となってるけど沮授らの進言と袁紹の実際の采配はかなり合致してるっぽい
勝ち確の人生だったのに己の怠慢で自滅した小物
許攸が裏切らないと厳しい戦いであるので、戦いそのものは別に間違っていたとは言い難い田豊や沮授の献策を容れるかどうかではなく、家臣の不和を抑える事こそ重要であったろう尤も、許攸は曹操もさっさと処刑してる程の人物なので許攸は用いた事が間違いと言えよう
管渡の戦いは三国志前半で重要なものだが横山光輝のマンガではカットされてるため知名度が低い,あと郭嘉も田豊は戦いの後自殺、沮授も死んでいる、ふたりとも仕えた人を間違ったとしかいいようがない、曹操ならうまく使いこなしたはず、袁紹が悪い、例えるなら日本シリーズでエースと4番を使わないようなもんだこういう袁紹みたいの坊ちゃんはみんな優柔不断だよな
田豊も沮授もアンチ袁紹が書いた献帝傅で持ち上げられてるからちょっとね…(范曄はこれをもとにしちゃった
袁紹勝ってたら...赤壁の戦いどうだったろう。
諸葛亮と周瑜に手玉に取られて終わりじゃないですか?北の人間なので水上戦には不慣れでしょうし😵…袁紹って言われると、三國無双シリーズの袁紹が思いついてしまう😅
やっぱり総大将の器だよな~◯対◯だったんですか?
人を大切にしなかった袁紹が負けるのは、当然の結果!仮に短期戦でも、勝てるチャンスがあったのに(許攸の意見を聞いていれば勝てたのに)
袁紹の統率力の無さと優柔不断が重なり、曹操に勝利をもたらした。
袁紹の自惚れ、プライド、優柔不断さ、人を信じられず、自分で物を考えない大切な息子たちを競争相手にしてしまい団結ゼロ
おもろそうなんだけど、声と音楽がどうやっても聴くに耐えられず残念
いや、良いんじゃない。私はこの「お母さんのようなふっくらとした声」好きですよ。誰もが声優みたいな声を求めてるわけではないです。そもそもユーチューバーで食べていける人は一握りでほとんどの動画は素人動画なのでそういう認識で楽しむのが良いです。多くを望みすぎても意味ないです。
優柔不断でコロコロ意見が変わる性格が問題だな。判断も遅いと曹操に指摘されたしな。
中国の戦記の人数差は話し半分以下だから意外と頭いいのいたら何とかなると思うの俺だけ?
どんなに優秀な人材と兵力があってもバカ殿一人が国を滅ぼす良い事例だね。
確かに、袁紹は戦に関しては凡庸だったかもしれませんね。ただ、一方で治国の才はあったようで、華北の民は曹丕の時代になっても袁紹様の時代が良かったと言っていたとか。
@@NK-bk6qh 対公孫瓚を見てるとそこまで戦争も弱くないかなと
@@matukawatositane 確かに、華北の名門ですもんね。董卓没後は最も官邸国際統一に近い勢力と言われてましたし。
袁紹は本来華北ではよそ者で、軍事基盤は完全に旧韓馥配下に依存してるからね麹義や田豊、沮授や審配辺りの権力デカすぎてどっかで粛清しないとあかんって危機感はあったんかもしれない
袁紹は自分の都合が良い武将以外は排除し過ぎた結果で滅亡?
袁紹は極論自分以外信じていないとこあるのよね夏侯惇や曹洪のような頼れる同世代の親族が全くいないのは痛い
名声だけで地盤0だからね。
@@nagoyashimin569 徒手空拳で冀州を乗っ取り河北の覇者になってるところはもっと評価されても感です
この戦い、優秀な参謀(荀彧)を活用した曹操と優秀な人材がいながら無駄にした袁紹の印象が強いです。
演義では書かれてないが間違いなく荀攸がこの戦いのMVP。白馬、延津共に顔良、文醜を討ち取り、袁紹の補給隊を徐晃に襲わせたりなど作戦面で力を発揮してる。ちなみに演義だと曹操と仲違いしてるが史実では終始仲が良く、曹操は曹丕に荀攸を見習うように言っていた。曹丕も荀攸を尊敬していた。
いろんな三国志の本があるのに、サムネにも使われてるように、なんだかんだで1番三国志を広めたのは間違いなく横山光輝さんだよね!
三國志の戦いで、一番好きなのは官渡の戦いです。袁紹軍の白馬城包囲〜曹操軍の烏巣食糧庫襲撃までの一連の流れがドラマチックですね。
趙雲も一時期袁紹の配下にいたのに見切りをつけて去っていますからね。
どれだけ優秀な部下を抱えても上手く使いこなせなければ宝の持ち腐れです。
確かに袁紹は官渡で負けたが、それが袁家滅亡とは違う。
実際袁紹は官渡の数年後に死去しているが、その袁紹の死後も数年は河北は袁家の支配下にあった。
袁紹最大の失敗は、後継者を周知で指名しなかったことだろうね。
後継者は袁譚だったのに遺言偽造するやつがね…
敗れた袁紹軍の中でも一際輝きを放った田豊、沮授、審配らの軍師・知将は大好きです。
袁家が面白いのは、上の知略型三将に加え、郭図、逢紀、許攸、辛評、陳琳らの謀臣が
互いに時にはくっつき、時には足を引っ張り合い、カオスな人間模様が見て取れるところです😅
兵站線を切られたら継戦不可能、短期突破不可能になった時点で、前線の部隊は降伏か潰走のどちらかという、至極シンプルな話だと思っています。
ちょいと留意しなきゃあいけないのは歴史の敗者は必要以上に貶められる傾向にあるから一概に袁紹が劣っていたというわけではない。
袁家というのは大勢力なだけあって様々な豪族だの派閥だのがあったわけで。それらを纏める手腕とカリスマがあったのはまさに袁紹あってのもの。
田豊や沮授も先見の明があったのは違いないでしょうが、沮授はともかく田豊も結構癖のある性格だったようですし。
許攸の投降がなければ実際詰んでいたでしょうし、官渡の戦い敗北後も袁紹が健在だったらどう転んだか分からなかったかと。
関ケ原の戦いも徳川家康の完全計算通りで戦う前に既に勝っていたなんて言われてたけど、んなものは大いに勝者目線の結果ありき論というもの。
歴史の勝者たちはまさに紙一重の戦いを知略と勇気と幸運全てを振り絞って勝利をもぎ取ったと思います。
逆に言えば、ちゃんと人材を用いていれば袁紹に負けはなかった。
兵の質とかにも差はあったんだろうけど、それも含めて長期戦を献策してたんだろうし…
今では何を言っても想像でしかないが。
袁紹といい袁術といい、この頃の袁氏はどうも我が強すぎるイメージを感じました。
日本だと桶狭間の戦い(敬意と中身は違うが大差の兵力差での勝利)だが
やはり中国史は規模がw 三国志も好きなので高評価させて頂きました!
やっぱ田豊や沮授は向こう見ずじゃない
烏巣をやられて「ウソー⁉️」
でおしまい
袁紹は官渡の戦いもあるけど後継者しっかりと決めてなくて結果的に袁家を滅ぼしたあたりも決断力がないというか残念な人だなって思います
人材を適材適所で活かした曹操と
人の意見を聞かず感情で動き
内部分裂を起こした袁紹
簡単に言えば、二人の人格の差がそのまま結果に出た戦いかと
曹操が部下の意見をしっかり取り入れその場その場で対応したり周りに敵が居る事の危機感が一層団結力に繋がって勝利に繋がって行ったやね~( ・д・)
官渡の戦いの後日談としては、袁紹が病死してその後、長男の袁譚、次男の袁煕、三男の袁尚が後継者争いを起こして、それに曹操が付け込み名門袁家は滅亡したんですよね。
何故か横山三国志だとこの重大な出来事が、いわゆる「ナレ死」というか「ナレ(ーション)・イベント」扱いなんだよね…。w
掲載してる雑誌の危機でしたっけ?きちんと書かれていたら、全62巻くらいになってたかな?
ちなみにアニメだと官途の戦いはしっかりやっていたよ。
@@nagoyashimin569 その代わりか孫策が領土を広げる話が削られてしまった・・。
個人的に1番の問題は⑤じゃなかろうか…。
①や②で多少は不利になったかもだが、それでも短期決戦で兵力の数で圧殺させる時点で曹操に敗北を予期させるところまではきたので。
ついでに言うと、長期決戦だと派閥争いの粗も出る危険性があるので。
赤壁と並ぶ小が大を破った戦い
動画で的確に分析してるね
田豊は持久戦に持ち込んで、外交戦を繰り広げるとか、天子への接触を曹操が妨害してることを公表するとか良い献策をしてるのにな
一方で隙を見て攻める好機に攻撃を進言してるし
他方、袁紹を見限った荀彧は曹操に、味方が苦しい時は敵も苦しいからここが頑張り時とか、敵の脅威より味方の優位、君主の優位を挙げて士気を高めるなどしてた
この二人、田豊と荀彧の明暗は君主を見る目の差か忠義の差か
そして決死の覚悟で戦った曹操と侮った袁紹
もはや世は四世三公という肩書きが通じない乱世であることを袁紹は理解してなかったのだろうか
官渡の戦いは本当に様々な教訓に満ちている
もっとも、後年、曹操の起こした魏が、ボンボンの後継者ばかり続いて司馬一族に乗っ取られたのは、歴史は本質的に繰り返すことの証左なのだろうか
袁紹は袁紹で袁家パワーの十全に使えないので四世三公とかどうでも良さそうではあるけどね
@@matukawatositane
名門ゆえ、董卓も討伐を躊躇って、位を与えたそうですし、没落しても、世に影響力が全く無かったとまでは言えないようです
曹操は反対に、追手を差し向けられてますし
@@user-gw8hi1qu8y 汝南で挙兵してたらもっと袁家パワーがなぁとは思うんだけどね
時系列的にみると曹操の官渡からの撤退は時間の問題だった。さらに官渡は取り囲まれている。曹操が囲みを破って脱出したとして普通は許昌に撤退したと考える。
囲みを破られた責任がある張ゴウの献策は聞き入れられず元の配置に戻るように指示される。仮にウソウを襲撃するにしても囲みを突破した戦力ではどうにもならないから正しい判断だろう。念の為軽騎兵を送りウソウの周辺を巡回させる。
ここで荀彧の「至弱から至強に至る」一手が発動。最初から楽進に軍馬や兵力や食糧を保管する「駅」を秘密裏に統括させ敵の補給基地が分かり次第曹操と合流し重要拠点を消滅させる計画だったと考える。
質問ある方はどうぞ。
ウソウを守っていた淳于瓊が「敵が少数」と考えるのは計算済みだったのだろう。曹操は敵陣を突破した人数でウソウに接近。淳于瓊は砦をでてそれを取り囲もうとした所、楽進の部隊にウソウを焼かれたものと考えるのが自然だ。
ここで淳于瓊からしたら曹操を討ち取るしか無いわけだが楽進の部隊によって逆包囲されたのだろう討死。
苦しいから撤退しようとした曹操に対して荀彧が言った、苦しいからこそ撤退すれば二度と立ち直れないという言葉が曹操の運命を分けましたね。「至弱をもって至強にあたる。制することかなわずんば必ず乗ずるところとならん。そもそも公(曹操)は神武明哲をもち、大順をもって天子を輔弼なさっているのですから、いかなることも成らぬということはありません。」
安心できる声…寝るときに聴いてます
横山三国志で見たかった
今と当時で黄河の位置が全然違うから、今の地図で官渡とか延津とか言われても、「どこに黄河あるんだよ」になるのは中国史あるある。
本当…曹操よく勝てたなぁ〜って思う「官渡の戦い」ですよね…(´Д`)ハァ
正直、脚色だらけの「赤壁の戦い」よりもこっちをフォーカスしてもらいたいです…😡
「出ると負け軍師」の郭図は的確に“負けプラグ”に導いて行くのが、マジでウケますね…🤗
オイラは郭嘉が好きなので袁紹との戦いで無理を押して行軍して病死したのは残念ですが、曹操に言った“十勝十敗”は見事としか言いようがないですね…👍
誰だかわせれましたけど、袁紹に睨み合いを装って長期戦をし、その間に曹操の本拠を急襲して帝を奪還しようと進言したようですね。そうすれば曹操は逆賊の立ち位置になると。
許攸の寝返りは勝利のキッカケだと思いますが、その後に調子に乗りすぎましたね😅
所詮、勝利の要因は、運の差だとと思うが。
後から、どうこう評価するのは正しい事でない気がする。
逆に、袁紹が勝って入れば、袁紹が「天才的な知略家であった」と評価される。
どちらも有能な君主ではあったが、結果として曹操が勝利を収めた。
それだけで良いのではなかろうかと。
三国志、全体の流れを知っている程度なので、官渡の戦い、大変勉強になりました!
コーエーの無双シリーズは、官渡の戦いや赤壁みたいな大規模野戦が好物の私。
信長の野望のパワーアップキットで三国志陣営が出てきた時、魏の武将、ツエェ! 他は孔明以外あんまり覚えていないけど、夏候惇はじめ諸々で無双していたのが思い出されます。
曹操ってやり方、色々、織田信長と似てるよなあ…少し覇道よりだけど…みたいな感じのザックリ知識レベルです 苦笑。
袁紹、蒼天航路という漫画では中々面白い描かれ方でしたが、日本史でいう今川義元と同じで見直される事はあるのだろうか…。とか、三国志素人なりに思いました。
すなわち、愚かな君主袁紹から、袁紹は強かったが、曹操はもっと強かった、みたいな。
というのも、素人なりに聞くと…袁紹の迷走もそうですが…曹操陣営の優秀さが異様な気がするんですよね。
正史からなのか分からないですが。
曹操陣営、優秀すぎる。これだけ優秀だと…袁紹軍の内部亀裂も意図的に起こせたのではないかと…勘ぐってしまいますね。
そして、袁紹がそう決断せざるを得ない方向へ持っていく。
…さすがにロマンがあり過ぎるか…。
10倍の兵力で…しかも桶狭間みたいな雨中遭遇、乱戦、一発勝負と違い…何度も大きなミスを犯し、段々と追い込まれていますものね…。
日本で言うと…状況的にも、河越夜戦が近いのかな…。上杉足利はやらかし、北条は凄かった、みたいな。
これから色々、拝見します!
よろしくお願いします!
戦の形は大幅に違いますが、これは小田原北条攻めに少し似てる気がします。
袁紹は北条氏政ですかね😅
アレも、小田原城は絶対に落ちない❗️とタカを括ってる氏政が、家臣の裏切りと食糧不足で、ジワジワと秀吉に追い詰められました。
袁紹も、名家で大勢力の自軍が負けるなどと考えもせず、部下の裏切りと判断ミスで大敗を喫しています。
翻って曹操は、帝を擁していますので官軍ですし(袁紹軍の裏切り者達が帝の配下になるのだから…と安心して寝返られる)、勢力は及ばずとも"漢のため!"という大義名分をスローガンに一致団結出来るんですね😃💡
そして、秀吉も小田原攻めの頃は関白ですので、当然官軍になるわけです☺️✨
曹操の大将としての器の差が出た結果の勝利かな。孫子の兵法を注釈した程の軍略家だし
許攸の投降からの鳥巣襲撃案も実際は罠の可能性だってあったわけでの判断だし(一か八かの賭けでもあっただろうけど。実際、日本の戦国だと村上義清に降った真田幸隆が義清の精鋭を城攻めで内応するふりしてつぶしてるし)
赤壁では黄蓋の裏切りの可能性を排除しきれないと考えつつも、受け入れて結果大敗
負けるとその結果をもって色々言われるけど、可能性は常にあるもんだからね。
そこで信じるに値するかどうかを決断するのに人を見抜く目と天下の情勢を見抜く目が大きくかかわってくる。後は決断力。袁紹は人を受け入れる組織基盤と経済力は有れども、それを活かせるだけの見る目と決断力がなかった。治世や大きな組織ではバランス重視な感じで良いんだろうけど、生き馬の目を抜く戦乱の世では曹操のような清濁併せ呑むタイプじゃないと躍進できないんだろうね。
烏巣の食料庫を焼き払ったのが大きい。
曹操と袁紹の指揮官としての差が大きいですね。部下や兵士をちゃんと使いこなして、兵力の差を埋めてましたね。袁紹は優柔不断で気に入らないと田豊を牢獄に入れたり、許攸や張郃や高覧と優秀な人材や兵糧の場所を知ってる人材に裏切られて、勝てる戦いを捨ててる様なイメージですね。荀彧はちゃんとしたアドバイスで曹操を鼓舞したのも大きいですねえ
様々な失敗がある事よく分かりました。ありがとうございます。その中で私が根本的な所が分かってないなと感じたのは、張郃の使い方ですね。反対した策の指揮を任せるとは。様々な場面で選択した策が、失敗する事自体は難しい判断を迫られる場面に対する、あくまで結果論と見る事も可能でしょう。けどここの判断として、本人が献上した側の策の方にする位の事は難しい判断でもなんでもなく、少し考えればできたのではないでしょうか?
ここに袁紹が日頃から配下の武将に対する心理を読み取る力、配慮を見せる能力が致命的に欠けていた事がまさに「剥き出し」状態で知る事ができると思います。普段から万事こう言う姿勢、判断であったのでしょう。よく言われる名門故のおぼっちゃま気質が一番出てしまってるエピソードなのではないでしょうか。
追記です。言い換えれば、曹操に比べ戦略を判断する能力に「相対的に」劣っていた事は確かなのでしょうが、それ以上に戦略が決まった後に成される具体的な武将や兵の動かし方である、戦術の面の方は「絶対的に」欠けていた、と言う事なのではないでしょうか?
三國志で一番のクライマックスとも言える👍️
烏巣焼かれたとき「今こそ本陣を攻めよ」と進言したことに後悔はない
郭図さん!?ごはん抜きです!
サムネで思ったが横山三国志で官途がらみのエピソードがバッサリカットされたのが同作最大の欠点。
アニメで補完されたけどさ…。
ご視聴ありがとうございます。
三国志で転機となった官渡の戦い。なぜ、曹操は勝利を勝ち取る事ができたのか。
皆さんの袁紹や官渡の戦いへの知見をお待ちしております。
わかりやすいまとめありがとうございます。
曹操軍と袁紹軍の軍の質の違いもあると思ってます。黄巾の残党を屯田兵として鍛えた半常備軍の曹操軍…強敵との戦いの経験値も高いですよね。一方袁紹軍は河北地方の守備軍の集まりですよね…後漢時代のシステムによって集められた大軍です。指揮系統も統一できてなかったのでしょう。袁紹がもし田豊の策をとりゆっくりと積極的に戦わないで押していったら食糧問題で先に崩壊したのは曹操軍だったかもしれませんね〜🤔
@@王徹 袁紹軍も公孫瓚を破った歴戦の軍団かなと
@@matukawatositane 公孫讃は北部騎馬民族部隊を袁紹に懐柔されてほとんど機能出来なくて、最終は守り負けなんで…どっちかいうと政治的にすでに負けてたって感じかなぁ?小説などに書かれているような激戦はなかったみたいですよ。実力差も大きいしね。
袁紹軍はその北部騎馬民族部隊を扱える文醜&顔良を早くに失ったのも大きいですよね。
@@王徹 まるで袁紹軍が寄せ集めみたいななのはどうかなって思ったのよね
三国志演義は 兵力オーバー過ぎるし 袁紹軍50万!?普通大軍言うても精々20万位違うのか!?
三国志演義の兵士数は論外としても
正史で袁紹軍歩兵10万騎兵1万で
曹操軍1万とあるけど、この兵力は
絶対おかしい曹操軍も袁紹に及ばな
くても数万の兵力は動員でいるはず
三国志に限らず中華の歴史の兵力は
必ず盛ってあるけど、これはワザと
曹操の凄さを知らしめる為に過小の
兵力を敢えて書いたかと思う。
10万を超える兵力は三国志時代は
実際殆ど動員できる事は無かったと
思うが曹操軍の兵力が袁紹軍の10
分の1の兵力は流石に少なすぎる。
結構曹操の運勝ちっぽいんだよなぁ官渡
後漢末を代表する怪物、袁紹に良く勝てたよ曹孟徳…
袁紹は過小評価されがちだから、そう見てる人は少ないですね。
@@YH-nu7wc 個人的には宦官抹殺や徒手空拳からの冀州奪取、公孫瓚を倒し河北最大の勢力にまで実力で登りつめた袁紹は後漢が生んだ怪物だと思ってます
@@matukawatositane 普通の三国志知ってる人はそこには注目しないから…。あんまりにもそれが悔しいものだから、コーエー三国志等で個人的にはやたら強化してますがw
やはり田豊を使いこなせず 動くべき時に動かず 動いてはならない時に動く これでは無理
孫氏は風林火山陰雷を説いている
武田軍で有名だが実際は陰雷まででセットになっている
知り難き事陰の如く、動く事 いかづち(雷)の奮うが如し
軽挙妄動で動く事を戒めたのが動かざること山の如しであり、勝機!となれば雷の如く動き、疾風怒濤で戦局に挑む
孫氏を生みながら、孫氏に学ばず軽率な思考と感情で動く 袁紹が曹操に及ぶ訳も無し
一頭の獅子に率いられた群れは一頭の羊に率いられた獅子の群れを駆逐する
戦争は補給でやるって話だな
(・(ェ)・)袁紹は優秀な部下を粛清しすぎ
いくらなんでも10倍は
誇張だよ。
張郃の絵が武田信玄にしか見えない
沮授の皇帝を頭におく、
をしなかったからかな。
一応、漢帝国の内紛だから。
普通に袁紹が勝てた戦
どっかの張郃は気持ち悪いナルシストらしい…
袁紹を猿扱いか…
魏武帝(曹操)がギブアップしなかったから。
田豊の言うこと聞いてりゃね
割と聞いてるんだよなぁ…献帝伝では「紹、聞くこと能はず」となってるけど沮授らの進言と袁紹の実際の采配はかなり合致してるっぽい
勝ち確の人生だったのに己の怠慢で自滅した小物
許攸が裏切らないと厳しい戦いであるので、戦いそのものは別に間違っていたとは言い難い
田豊や沮授の献策を容れるかどうかではなく、家臣の不和を抑える事こそ重要であったろう
尤も、許攸は曹操もさっさと処刑してる程の人物なので許攸は用いた事が間違いと言えよう
管渡の戦いは三国志前半で重要なものだが横山光輝のマンガではカットされてるため知名度が低い,あと郭嘉も
田豊は戦いの後自殺、沮授も死んでいる、ふたりとも仕えた人を間違ったとしかいいようがない、曹操ならうまく使いこなしたはず、袁紹が悪い、例えるなら日本シリーズでエースと4番を使わないようなもんだ
こういう袁紹みたいの坊ちゃんはみんな優柔不断だよな
田豊も沮授もアンチ袁紹が書いた献帝傅で持ち上げられてるからちょっとね…(范曄はこれをもとにしちゃった
袁紹勝ってたら...
赤壁の戦いどうだったろう。
諸葛亮と周瑜に手玉に取られて終わりじゃないですか?北の人間なので水上戦には不慣れでしょうし😵
…袁紹って言われると、三國無双シリーズの袁紹が思いついてしまう😅
やっぱり総大将の器だよな~
◯対◯だったんですか?
人を大切にしなかった袁紹が負けるのは、当然の結果!仮に短期戦でも、勝てるチャンスがあったのに(許攸の意見を聞いていれば勝てたのに)
袁紹の統率力の無さと優柔不断が重なり、曹操に勝利をもたらした。
袁紹の自惚れ、プライド、優柔不断さ、人を信じられず、自分で物を考えない
大切な息子たちを競争相手にしてしまい団結ゼロ
おもろそうなんだけど、声と音楽がどうやっても聴くに耐えられず残念
いや、良いんじゃない。私はこの「お母さんのようなふっくらとした声」好きですよ。
誰もが声優みたいな声を求めてるわけではないです。
そもそもユーチューバーで食べていける人は一握りでほとんどの動画は素人動画なのでそういう認識で楽しむのが良いです。多くを望みすぎても意味ないです。
優柔不断でコロコロ意見が変わる性格が問題だな。判断も遅いと曹操に指摘されたしな。
中国の戦記の人数差は話し半分以下だから意外と頭いいのいたら何とかなると思うの俺だけ?
どんなに優秀な人材と兵力があってもバカ殿一人が国を滅ぼす良い事例だね。
確かに、袁紹は戦に関しては凡庸だったかもしれませんね。ただ、一方で治国の才はあったようで、華北の民は曹丕の時代になっても袁紹様の時代が良かったと言っていたとか。
@@NK-bk6qh 対公孫瓚を見てるとそこまで戦争も弱くないかなと
@@matukawatositane 確かに、華北の名門ですもんね。董卓没後は最も官邸国際統一に近い勢力と言われてましたし。
袁紹は本来華北ではよそ者で、軍事基盤は完全に旧韓馥配下に依存してるからね
麹義や田豊、沮授や審配辺りの権力デカすぎてどっかで粛清しないとあかんって危機感はあったんかもしれない
袁紹は自分の都合が良い武将以外は排除し過ぎた結果で滅亡?
袁紹は極論自分以外信じていないとこあるのよね
夏侯惇や曹洪のような頼れる同世代の親族が全くいないのは痛い
名声だけで地盤0だからね。
@@nagoyashimin569 徒手空拳で冀州を乗っ取り河北の覇者になってるところはもっと評価されても感です