オレたちを熱狂させた、'80年代バイクブーム|ネモケンのBike Meeting.001 Part.1|RIDE HI
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- Опубліковано 13 тра 2020
- 世界グランプリ、そしてオートバイシーンがいちばん熱かった時代。そんな時代をリアルタイムでみてきたネモケンと宮城光さん、そしてその後、世界グランプリで大活躍する原田哲也さんが当時を語ります。MCの京本諷ちゃんはまだ生まれていないそう……。
1978年、イギリス人のバリー・シーンと最終戦まで戦いを繰り広げ、世界グランプリデビューイヤーでタイトルを獲得したアメリカ人のケニー・ロバーツ。ケニーは’80年まで3年連続でタイトルを獲得。その後のフレディ・スペンサー、ケビン・シュワンツといった名ライダーたちの活躍はいまも鮮明に思い出せますね。この熱かった時代を木引繁雄カメラマンの写真を見ながら振り返ります。
そして、話は市販車にも……。HY戦争などという言葉が生まれ、それは世界でもっともバイクが盛り上がった時代、そしてもっともバイクが加速的に進化した時代でした。ヤマハRZ250&350、ホンダVT250F、ホンダNSR250R、スズキGSX1100Sカタナ、ホンダCB750Fなどが登場します。
また、モリワキ時代の宮城さん、アプリリア時代の原田さんが当時の写真を見ながらあの頃を語ります。
※本映像は、2020年4月30日にライブ配信されたコンテンツからの再編集映像となります。
• ネモケンのBike Meeting.001「...
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私にとっては鈴鹿サーキット!
鈴鹿サーキットといえばガードナーだな!
因みにケニーのマシン私も作りました
まさにトークの時代を駆け抜けた世代です。宮城さんはオートバイ界のアイドル的存在でまさにシンデレラボーイでしたのでみんな期待して後を追って夢を見させてもらいました!
原田さんは凄かった、私をレースの世界から引退決意させたほど衝撃を受けさせてもらった方で今私が生きてるのは原田さんのおかげだと思って感謝してます。その後、世界チャンピオンになって納得させていただきました。
本当に熱い時代を経験させていただきました。
中学生の頃TBCビッグロードレースを毎年TV放送された時 招待選手にケニーロバーツが出て来て圧巻の走り。
79年の高校1年には免許を取り250ccオフ車で腕を磨きバイトに明け暮れる毎日。
翌年 " RZショック " の衝撃デビューを東京モーターショーで目の当たり。 高校3年の時は仲間5人でRZ350で筑波サーキットライセンスを所得。そこから80年代はどっぷり皆様と同じブームへ巻き込まれて行きました。RZ250へ乗り換えて筑波選手権、常に300台以上のエントリーで軽く予選落ち。
それでも夢ある80年代 メゲ無いレース三昧はテイストオブフリーランス、バトルオブザツイン...へと90年代まで繋がって行きました。👍
一昨年 東雲にあるバイクパーツ屋であの憧れたケニーロバーツが連れの方々と買い物に来ていて思わず声をかけ本人確認し速攻スマホで一緒に撮らせて握手して頂きました。
走馬灯状態w
まず「あいつとララバイ」からバイク漫画ブームが始まったよね。
ペリカンロードや湘南爆走族のような暴走族系と
バリ伝やふたり鷹のようなレース系に分かれていったと記憶してます。
鈴鹿耐久のブームもこの頃からでヨシムラやモリワキの人気が一気に高まった時代。
宮城さん。かっこええオッサンになられました。4耐見に行きましたがそんな昔だったのか・・・?と我を振り返りました。
バイクに夢中になっていた頃を思い出させてくれて、楽しい時間を頂きました。
宮城選手の画像見て、メーカーの戦いの他にモリワキvs.ヨシムラとか、SP忠生の活躍とか、チューナー屋さんの戦いも熱く観てた時代を呼び起こさせてくれました。
ネモケンさんが編集長の時のRIDERS CLUBは楽しかった。
TIで握手した時も感動だったな。
TT-F1の八耐もドカ、NS400、ガンマ色々でて、外装などのカスタムも楽しかったわ。
バリー・シーンを倒したケニー・ロバーツのインパクトは強烈でした!
80年代のGPは伝説になるライダーが沢山いた時代でしたね。
火の玉ボーイ宮城光 という8耐のドキュメンタリー番組覚えてます
ケビンとレイニーのテールをズリズリしながら走るの見てチビりそうになったわそれくらい衝撃的やったわ‼️
確か、フロントブレーキにラジアルマウントを採用したのはアプリリアのワークスマシンが最初でしたね。
何かの番組で、原田選手が自分のマシンを紹介してて、「僕のマシンはブレーキが他のと違ってカッコいいんですよ♪」と嬉しそうに解説してて、
「メカニックが言うには、この取り付け方法の方が剛性が強くて良いらしいです……まぁ、僕には剛性の違いは分かりませんけどね!」と言ってたのが凄く印象に残っています。
なので、よくバイク雑誌にしたり顔のライターが「ラジアルマウントは剛性が高いので、ブレーキのフィーリングが良い」とか書いてますが、
私は、「世界チャンピオンが違いが分からないって言ってるのを、なんでGPレーサーでも無いあんたがわかるんだよ!?」って思ってしまいます(笑
あと、原田選手はヤマハのマシンのテールカウルが尻下がりなのがカッコ悪くて嫌いで、新型に変わった時「今度のマシンはシートカウルが跳ね上がっててカッコ良いんですよ♪」と嬉しそうに話してるのをみて、「原田選手は、自分の乗るマシンがいくら性能が良くてもカッコ悪いのは嫌なんだな」と、普通のライダーのような感覚も持っている原田選手に、妙に親近感を覚えたのを覚えています。
あと、原田選手は、アプリリアのカウルにカタカナで「レーシング」と書かれてるのがカッコ悪くてとてもイヤだとも言ってましたね(笑
昔、自分が千葉の四街道にある某チームの作業場にいたとき、若井選手が原田選手と来て、「なあなあ、俺らのこと知ってる~?」とか聞いてきまして、元々若井選手の在籍してるチームなのは知っていたので、「若井選手ですよね? あと…(どうみても原田選手なんだけど、二人が友人関係だと知らなかったので、答えられなかった)」と、口ごもっていると若井選手が「ほら、やっぱ全日本じゃダメじゃん、知名度無いから。早くおまえもgp出てこいよ~!\(^o^)/」「マジか~(ToT)」とガッカリする原田選手の会話を今でも覚えてます(^o^;)(^o^;)
翌年、原田選手はコシンスキーを破りフル参戦を開始。世界で快進撃してwgp初参戦で初タイトルを決めたわけですが、今思えば若井選手の原田選手への焚き付けが、その起点になったのかも知れないですね…。
聞いてて心地いい情報の多さ、現役最高
キングケニーに憧れてました、ケニーのレプリカヘルメット買ったな。
自分の時代は「ナナハン・ライダー」
rz250はきっと歴史に残るバイクです
ネモケン会ったコトないけど 歳を感じるねー 声若い!!
漫画の二人鷹も忘れないで下さい。
ボクは エリア88派でした
新谷かおる先生ですね
スーパーライダー(@石渡治先生)も忘れずに。
俺もふたり鷹派!
ライダースクラブOW70の号は今も置いています。
なんだこの番組!!メッチャ熱くなるじゃん!!!
辛うじて30代ですがヤマハのロバーツの模型、昔親父が作ってたな〜。WGPにハマったのは94年鈴鹿のノリックです。ドゥーハン時代以前は更に濃く熱い時代だったんでしょうね。
令和の時代にこれを見ていますが、凄い方々の番組ですね!私がノービスとってロードレース初めた時代に、初めて鈴鹿の4時間耐久にエントリーして、スーパーノービスの宮城光さんを初めて拝見いたしました。もう憧れでしかなかったです。(もちろん私達は予選落ち致しましたが)そんなこともあり今でも宮城選手を応援いたしております。
平忠彦居てこそのブーム。彼こそが日本のヒーロー 汚れた英雄のツナギ、メット、マシンで日本GP出た時は感動した。
ケニーのYZRのプラモデル作りました、当時一桁台の年齢だったので難度が高すぎてトラウマにもなりましたがw
80年代当時のカタナ乗りは秀吉ファンだと勝手に思い込んでた自分・・・
彼のオートバイ、彼女の島・・・良かったですねぇ~!
あの頃のバブル期の何もかもが懐かしい😆 中免だったけど、いつかは限定解除するぞ〜って思いながらも今も中免😅 今のバイクよりも種類豊富でカッコ良くて、美しかったなぁ。普段マンガを読まない自分も『バリバリ伝説』、『あいつとララバイ』は読んだ。『汚れた英雄』、『彼のオートバイ彼女の島』も観た。ロードレース、鈴鹿8耐も凄かったぁ。根本編集長のライダース•クラブもよく読んだ。バイク女子も沢山いた。ネモケンさん、宮城光さん、原田哲也さんもこんなに熟年になった😄 カワサキ乗りながら平レプリカ被ってました。Z400GP、ZX4に乗って各地をツーリング三昧、レース観戦してました。ヨシムラ、モリワキ大好きでした。
少し時代がズレるかもですが、坪内隆直氏の「グランプリ・イラストレイテッド」がお気に入りの雑誌でした。雑誌と言うより、毎号、写真集でしたけどね。
「カメっ!」とコーナーで叫ぶ人も今はいない・・・w
早速チャンネル登録させて貰いました👍 YAMAHAがYZR500でジャコモ・アゴスティーニと金谷秀夫でGP500に参戦開始した1973年からのロードレースファンです。1979年イギリスGPでHONDAがNR500をデビューさせたのは驚きでした。ネモケンさんが乗られた1987年ルマン24時間でのNR750の思い出も聞かせて下さい。NRは永遠の興味深く、憧れのバイクなんです。
不思議なことに、宮城さんはノービスの頃が一番輝いていました。WGPまで参戦したのは流石でしたが、才能を持っていても運というのも大事なんだと思います。原田さんはWGPデビューでいきなりチャンピオンになりましたが、その後は苦労が多かったですね。ずば抜けた才能を持っていて努力しても、必ずしもケニーやフレディのレベルにいけるわけじゃ無いんですね。
80年代熱い時代でしたね。
一方でバイクブームの終わりに言われた言葉
『オートバイが市民権を得た。』
オートバイの本質を歪められたような寂しさを
感じました。敷居が低くなり、オートバイの
持つワイルドなかっこよさ(ダーティな部分)
が薄められ、憧れが消えた。それが後のオートバイ
人口減少に繋がったと思います。
華やかだった影に負の遺産も……
あ。二人鷹忘れないでに1票
USヤマハカラーのケニーも渋いな〜!
80年代といえば、南海部品提供の「清水国明のバイクバイクバイク」というラジオ番組を欠かさず聞いていたが、まわりの誰に聞いても知らないのであのラジオ番組は幻だったのかと不安になってる。
バイクバイクバイク、懐かしいです‼♪ヽ(´▽`)/
第一回の放送はテープに録ってあります。
o(^o^)o
物凄く懐かしいです。
根本建さんのRiders ClubのカワサキZ250FTがスタートに近いトコやったかな❓
宮城君、原田君 青年でカッコ良かったよ‼️😊
森脇モリワキさんてか👍
ガードナーとかロバーツ。
ドナルドダックのバリーシーン‼️
1980で博多に来てもう会社していたねー
根本さんの少し下です。
ネモケンさん、宮城さん、原田さん、ご無沙汰しております。私も当時、タミヤのYZR500、アライのスペンサーレプリカ、買っていました! チャンネル開設おめでとうございます。今後の動画も楽しみにしております(^o^)
80年代に高校生で、3ない運動にもめげずに免許を取得して走り回ってました😸
そんな私も50になりましたが、生き残ってライダー人生を楽しんでます!超安全運転で😁
この写真は凄い14:14
俺がテレビでGP見始めた頃です
ガードナーがカッコ良かった
オイラもスペンサーレプリカ被ってました!
ケニーは最初ロードのコーナーで足を出して曲がって笑われましたが今のmotoGPでも時々見ますね。フレディは本当に美しいなぁ 止まっているみたいに見える
弟の就職祝いにケニー・ロバーツ・レプリカのヘルメットをプレゼントした事を思い出しました^ ^
宮城さん懐かしいなぁ〜…CBXで峠走ってた時は俺は宮城さんより速いと自分に言い聞かせて走ってました笑
何処で手に入れたか忘れたけどライダーズクラブのワッペンMA-1に貼ってました😍
映画「ウイニングラン」だったかな~
ケニーロバーツのデビュー戦が凄く印象に残ってます。
まるで他のレーサーが全員流して走ってるの?って位に面白いようにビュンビュン抜いていく、って感じでしたね
以前、根本さんが出された自伝を拝読しました。ヨーロッパをレースで転戦された際の「Continental circus」の響きがカッコよく、初期KAWASAKIのライダー時に、30度バンクで転倒された話はゾッとした覚えがあります。
中免許取って空冷4スト単気筒乗ってたけど、仲間から やはり水冷でしょう!と言われてRZ-250RRから始まりました。憧れはRZV-500Rでした。NSR-250RR(MC-21)はご機嫌でしたよ。
TAMIYA1/12バイクシリーズNO.1 当時もちろん作りました
So sad no subtitles ✌️😅
根本さん、宮城さんが折角盛り上げてくれてるのに水を差すことはcoolではありませんよね!
当時ケニーとフレディの争いに割って入れたのは片山選手だったのをお忘れなく
バリバリ伝説を久しぶりに読んで厨二心が蘇りバイク乗りたくて仕方ない。大藪さんの単行本はほとんど全部読んだなぁ。「松の根っこのような」モノで何度笑った事かwww
80何年だっけか、ツクバで自分の30っ分前のステージで宮城さんがモリワキの400で
1ヘアでこけてた。
ネモトさん、お年は召されたけどお元気そうでひと安心。僕にとって生命の恩人です
二人鷹
宮城光は何曜日だったか忘れたけど毎週信貴スカに刀で来てたよね。
既にその頃有名人だったから、霊園で待ち伏せしてるのが沢山居ました。
やがて信貴スカは通行禁止になって走り屋は阪奈道路や変電所か、志のある者はサーキットへと向かったのであった。
オールナイトニッポンでベストバイク誌が特番やって、万沢さんが出たばっかのrgガンマを試乗してたなぁ。音だけペケペケペケ〜って😅よく考えたらラジオであり得ない放送だよなぁ
93年オーストリア初戦、海外で生中継みてたけど「スゲーのが来た」って思った
ヤマハといえばTX500が1番好きだったな。足が届かなくて苦労したが。ww
インターカラーといえば、『ヤーノサーリネン』。
VT250Fは16年くらい乗りましたね。三毛猫カラーのフルカウルのやつ
その後スーパーカブ90と110一筋で現在に至る
タクシードライバーしてますが今でもバイクの方が好きです
TBCビックロードレースで、ケニーとバリーを見ました。^^;
日本ではHBよりWW水谷モデルのが一般的だったかな
あいつとララバイもお忘れなく
「汚れた英雄」の話が出たら、そのあたりの漫画といえば、バリ伝の前に…「750ライダー」の方が早い。
ケニー、スペンサー、マモラ…すごく熱中しましたね~
デイトナカラーという名称のがしっくりくるなあ。スズキのマルコルキネリ、フランコウンチーニ、次がヤマハでケニーか
クリスチャンサロンはこの頃何に乗ってたんだろ?
倒立サスとかもこの辺りから実践投入してたね
バリ伝、ふたり鷹、ペリカンロードがほぼ同時期かな?
ネモケンさんに質問があるのですが、富士の30度バンクで転倒したときのバイクはA7でしたっけ?
Christian Sarron が居ないだと?
原付を除くと初めて乗ったバイクが従兄のRZ350だったな
直線だけだったけどパワーバンドに入るとウイリーしそうなパワーにしびれた
それから数年後にRZ25Rの中古を買ったんだよな
このころは限定解除世代ど真ん中
自分も8回で取れてバイトしてCBのFAを中古で買いました
就活でホンダ落ちてスズキに入社しました
本当に熱かった時代🎵青春の全てをバイクに懸けてる奴らも沢山いた夢見たGPライダー勿論そんなに甘くはないほとんどの奴らがスタートラインすら並べなかったからこそ憧れの潜在だった、勿論今でもそうさ🎵
こちらのチャンネルを見て、ホッとしました。
というのは、根本さんがライダースクラブを辞めたのが、てっきり宮城さんと仲悪くなったのかな?と思っていたので。
こちらを見て、根本さん、宮城さん、原田さんが楽しくバイク談義されていて良かったと思っています。
そのうち、モトグッチ特集をお願いします。
GPZにはカウル着いてなかったっけな
宮城さん喋ったら怒られるんかー。面白いのに。
根本さんは復刻NRで24時間ルマン?かなんかの耐久選手権で優勝してたよね
残念ながらリタイアでした。
NR750はオーストラリアのオープンレースで優勝してますね、嘗ての500を含めても内外で僅か3勝
汚れた英雄は、原作とはまるで違う内容に脚本されていて、原作(第4巻まで続いた)を数回読んだ大藪春彦ファンとしては映画内容にはガックリ😭😭でした。
映画しか見てない人に北野晶夫の最後が
フォードに乗ってルマン24時間に出場した時だと教えると
一応に「えっ?」ってなりますね。
映画の方は、別に汚れて無いですもんね(笑
あの監督、バイク免許持ってないし。角川にのせられて作っただけのキザで恥ずかしいB級作品としか思えません。
原作の良さは同調主義根強い日本文化の風潮へのアンチとも捕えられる無頼の強さと色気で国際舞台をのし上がる超人主義なんですよね。ネモケンがバイク版あしたのジョーとか評してませんでしたっけ?二巻か三巻の寄せ書きにあったはずです。
あれは基本的に超絶イケメンだった頃の草刈さんと平さんの美しいライディングを見るための映画ですね。
そもそもあの映画を楽しむ大前提として80年代に青春を過ごしたオッサンという限られた条件に当てはまらないとかなり退屈な映画ですよ。
それに、あの映画は何度見ても奥田瑛二のセリフ棒読みが気になってしょうがないです…
あの演技力でOK出しちゃうんだから本気で映画作ってないのがよくわかる…
@@yasu9941
春樹御大クスリキメながら作ってたのかなw?
今はスーパーカブに乗ってます。ただし750ccを抜いたりしませんよ笑
宮城のマシンて、Hの特別な物だったと聞きました
フレディ スペンサー、ワイン ガードナー、後 スタートだけ めちゃ 速い人、カーブで 尻 落として 回る人、 名前 忘れたけど … 2スト 全開の 時代だねー
ロン ハスラム😄
ロケットロン!
Z-1でのマックスターン。
根本や宮城が熱く語っているのに、女の子は興味なさげな相づちでおかしい。
スイマセン
ペプシと契約していたケビン・シュワンツが鈴鹿8耐で優勝したときツナギからペプシを出しコカ・コーラのスポンサーボードの前で「ペプシはウマい」っ言ったのはホントですか?
シュワンツは8耐じゃなく日本GPですね、しかし、#MCハマー より前にコカdisりやってたとは😂
すべてはRZ から始まったと思います。僕も免許をとってすぐに買ったのがRZでしだ。
初めまして。
80年代のバイクブームまっただか中、バイクの免許を取りVT250Fに乗ってました。
その後22歳で限定解除をし、今はFJ1200に乗っています。
RG250Γの登場は当時高校2年生の私にとっては衝撃的でした。
実は私の叔父が昔、根本さんと親しかったと聞いております。
叔父も交えて一度走りに行けたら良いなと思っております。
宮城氏とそう変わらない年齢だがRZ250/350が起爆剤になったのかなと思います。
片山タカズミの名前が出て来ないのが寂しい。
彼はサムライの様な努力の人に思えるけど。
今でもほぼ新品に近い状態でロスマンズカラー片山レプリカヘルメットを持っている。
在日だから
引退後バブル期の湘南でJAGUAR乗り回してたのを見掛けた
その一方パリダカに出たパルサーの支払が未納と聞いて…人としてどうなの?って印象が強い 二輪の栄光なんてチャラ
後になってから、実は日本人じゃないと言い出したり、デジバイクの金銭トラブルとか、良いイメージを自分で潰してしまった人。というイメージが強い。
故義美さんとは親縁関係あるのかな?
バイクはどんどん進化してる、タイヤの進化は驚いた❗️なのに旧車と呼ばれる古いバイクの値段がマグマのように沸騰している‼️💢😠💢困ったもんだ
ほう言われ無きゃ わからないかも?ネモケンさんも歳取ったね
自分も歳取る筈ですわ そうね自分は6/7/8年代までは
WGPを観ていたよ スター達だよね
90年代以降にスターは居ないし また自分も観なくなった
時々は観るけどねMotoGP デイトナ?金谷が最高速出した時
興奮したのを覚えているなあっ金谷・高井・隅谷などなど皆英雄だったよ
サーリネン・シーン・アゴ・リード・ヘイルウッド・国光・ケニー
ランシボリなど耳が聞こえなかったけどWGPを走り抜いた
古過ぎて若年にはわからんこと 昔は良かったなあっF1もね
みやぎひかるだ!
ブーム?真っ只中でしたが
当時高校で二人亡くなりました
あと、同級生のおんなの子も
高校卒業後に。
自分は
免許センターで叱責され
免許取得翌日
自宅にお巡りさんが家庭訪問
免許証拝見されました。
もうちょっと原田さんにも喋らせてあげてw
解説の根本さんは、素人に分かりやすく話すのは得意ではないように見えます。
「動画を誰に見せるのか」をしっかり考えてキャスティングするべき。
根本さんを解説者とするなら周りはプロをそろえて、マニア向けの動画に仕上げるべき。
素人女性を聞き手にするなら噛み砕いた解説を得意とする人を起用して、一般大衆向けを目指すべき。
レプリカの先駆けは誰が何と言おうとRG250Γ
50ccガンマ…
オールアルミフレームにフルカウルは間違い無く市販ではγが世界発。
そして初期型GSX-R750がスーパースポーツへの道を切り開いた…
なんだかんだスズキはすごいよね
あの時代 自分のヒーローはバリ伝の巨摩グンと聖秀吉と ヤマハワークスの平忠彦でした!
あと、あいララの研二も。
キングケニーはハングオンをはじめてやり始めたライダーだよ‼️
1973年 YAMAHA YZR500 0W20 ヤーノサーリネンが最初ですね。
宮城選手 は 色々言われてるよねー
「バリ伝」も「汚れたひでお」は大嫌いでしたわ。
「ケンタウロスの伝説」と「キリン」は好きでしたね~💛
「ワイルド7」はハマりました♡
オヤブンのハスラーが欲しかったス・・・
やはり「キング・ケニー」は最高でしたね~。
しかし現代の「マルク・マルケス」は神でしょ・・・
原田哲也さんはマカオに住んでてカジノ三昧らしいけど??
もし2ストが現在迄継続されてたら、どんなマシンに進化していたんだろう。一時WGPは500cc2ストと1000cc4ストの混走だったけど、2ストは4ストに全く歯が立たなかった。例え2ストは1000ccでもOKでも、2ストが実現が困難な電子制御された4ストには勝てないだろう。2スト乗りとしてはちょっと悲しかったな。
そうですねぇ…
750ccくらいあれば2ストでもいい勝負出来そうな気がします。
進化を続けてれば、ビモータみたいな掃気ポートインジェクションやラビリンスシールが採用され、色んな排気デバイスや吸気デバイスも開発されてたでしょうし、それらの新技術によって排ガスもずっと綺麗になり、それらの技術をフィードバックした2スト市販車が出てたかもしれませんね。
でも、レプリカブームと共に2ストは人気が無くなってしまいましたからねぇ…
レプリカブームが続いていて、2スト人気が続いていたら、きっとメーカーも2ストの研究開発をやめなかったでしょうね。
あいつとララバイってのもありましたよね!!!
あれは只のヤンキー漫画(ただし優等生的)
あいララはネイキッドだから好みが別れるかな?俺は大好きやったわ‼️
バイクマンガって。大抵レーサーになってレースマンガになっちゃうけど、ララバイは最後までレーサーにならないのが良かった。
ジャニ使って映画化された。