「迷列車で行こう」沖縄に行った電気機関車EF60のお話「迷列車コレクション♯8」※再投稿

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 25 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 9

  • @kohkiLightning
    @kohkiLightning 8 місяців тому +11

    ef60 19号機、せっかくの動態保存だったのになんで重機のご飯にしたの…
    碓氷峠鉄道文化むらと足利駅に居る奴が貴重な生き残りとなった…

    • @秋津のOB
      @秋津のOB 8 місяців тому +4

      逆に考えば横川と足利に既に保存されているから……という可能性はありうるかと。

  • @みんなの日本語-n5v
    @みんなの日本語-n5v 8 місяців тому +6

    ブルートレインのEF60が一番かっこいい!

    • @出島伸浩
      @出島伸浩 8 місяців тому +1

      EF58
      EF60500
      EF65500
      EF651000
      EF66
      どれも好きだな。

  • @丸山輝義
    @丸山輝義 8 місяців тому +1

    アメトレ色、やすらぎ色時代にネガフィルムに収めてある。古めかしくなくてなかなかかっこよかった。寿命にはかなわないので仕方ない。

  • @SleeperExpressJNR
    @SleeperExpressJNR 8 місяців тому +4

    EF60はしかし1970年代の山陽本線では正に東奔西走であまりにも当たり前にみられるカマだった。定格速度39㎞/hは登場当時の2軸貨車が65km/hが最高速度だったのでそれでも良かった。然し所謂ヨンサントオから一部を除いて2軸貨車も二段リンク化して75㎞/h走行が出来るようになると流石に力不足は否めなかった様だが…
    それでもEF60が頻繁に走っていたのは若しかしたら?吹田や稲二のEH10と同じ理由だったのかも知れない。EH10やEF60の運用をEF65がピンチヒッターすることは出来るがEF65の運用によってはEH10やEF60ではピンチヒッター出来ない(Max95km/hの高速貨物Bなど)。
    そこでEF60やEH10は予備車無しで運用し、EF65を共通予備車として温存しておこうってことになっていたのかな?
    EH10は瀬野八でEF59との協調運転が出来なかった為岡山以東&宇野線(四国連絡)限定となってしまったがEF60は下関迄顔を出していた。
    尤も下関迄来ていたのは501~514位なもの。それ以外は幡生迄だったものと推測する。
    EF604次型84~129・512~514とEF651次型1~47は極めて酷似しているが、モニター屋根のエンドが識別ポイントだ。端が斜めになっていればEF60、垂直になっていればEF65。これは例外はない(^^);

  • @秋津のOB
    @秋津のOB 8 місяців тому

    60年代に登場した機関車のうち華々しくデビューしたものの、それ以後の技術的進歩や環境変化に合わなくなり不遇を囲ったのが結構いるように思いますね。DD54、EF70、DF50、ED70~74あたりは特に。

  • @緑地開発コキーナ
    @緑地開発コキーナ 8 місяців тому

    新性能直流電機、加えてフランス窓の電機でブルトレカラーだとEF-60とEF-65(500)の見分けが付きにくい
    って子供のころ図鑑を見て思っていました。

  • @ベータま
    @ベータま 8 місяців тому

    戦後の流れで行くとEF58>EH10>ED60>EF60ですかね。
    ED60のF型版なので初期はクイル駆動式も使われてましたね。
    元々EF15とEH10の置き換え用だったので高速性に難があるのは致し方なし。
    旅客用はEF58が有るから当分問題無しのはずでしたがブルトレの瀬野八超え補機削減目的でEF60形500番台登場。しかし長距離高速巡行に難ありその後でEF65形500番台へ移行。
    後期量産車はEF65試作機の意味合いも大きかったと思われます。