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ご視聴ありがとうございます。現在第2回を製作中ですが,諸事情により仕事が忙しく自由時間が取りづらい為,製作に遅れが生じております。申し訳ありませんが,もう少々お待ちいただきます様お願いします。
熊本市民です。普賢岳の火砕流は対岸の宇土半島三角から実際に見ました、次の動画待ってます。
@@higot723 ありがとうございます。 可能な限り,被災者の方の事を考えて動画を投稿しようと心がけます。お待たせし申し訳ありませんが,何とか作っていきます。
生まれて物心もつかない頃の出来事だけど、同じ島原半島に住んでいた身としては忘れてはいけない教訓が沢山ありますね。わざわざ取材までしてわかりやすく取り纏めていただいて感謝です。今の島原市は水が綺麗で食も豊富な良い街になってるので、観光のついでに慰霊に訪れてほしいものです。
ご視聴ありがとうございます。残念ながらコロナ渦の為,県内ながら中々ぶらりとは行けないですが落ち着いたら,また伺わせて頂こうかと考えております。ただ,先日の豪雨災害で,島原半島は特に被害が出ており中でも雲仙にあるなじみの旅館も大きな被害を受けて,まだ復興には時間がかかりそうですね。早く気軽に行ける日が来ることを待つばかりです。
25:57昨年島原で開かれたこの災害のシンポジウムの後に、島原市長とお話する機会がありましたが、「火砕流災害を機に、国に陳情してやっとの思いで整備した防災無線放送も、今となっては『うるさい』『もっと短い放送にしろ』とクレームの対象になってる」と肩を落としておられました。
ご視聴ありがとうございます、返信が遅れて申し訳ありません。 やはり被災経験がなかったり、記憶から忘れ去られると、そういった言葉が投げかけられるのも仕方ないのかもしれません。ですがこういった取り組みが万が一の際、誰かの助けになるかもしれませんし、クレーム対応は難しいかもしれませんが、是非とも続けて頂きたいですね。
良く調べましたね、地元の記念館は衝撃です。土石流で埋まった家屋がそのまま展示物に・・・知らずに訪れて、血の気が引きました。展示をオッケーした所有者の方、企画した島原市、私の想像を超えていた。
ご視聴ありがとうございます。いずれまた見に行こうかと考えておりますが,おっしゃる通り,想像以上の光景です。それだけ,被災地の方々が,後世に語り継ぎたいと真剣に考えて整備されたんだと思います。今はこの時期ですから,なかなか難しいですが展示物の一部は,博物館等のサイトでもご紹介されていますし興味を持っていただければ,色んな方に見て頂きたいと思う施設です。
@@hipopomona ご視聴ありがとうございます。運営については,補助も出ておりますので閉鎖という事はないかと思われますがコロナ禍による観光客減少の影響は少なからずあるかと思われます。ですが,運営の方々も様々なイベントや情報発信をして頂いておりますので後は,この状態が落ち着いて平時のように,普通に訪問できる環境になることを祈るばかりです。
島原の出身です。当時は10歳でしたが、噴火の光景は今でもはっきりと覚えています。登下校時にマスクやヘルメットを持参していました(火山灰や噴石が万が一来た時のため)。今となっては遠い記憶でもありますが、防災の意識は薄れさせてはならないなと思います。丁寧な内容で、当時をまざまざと思い出しました。思い出させてくださって、ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます。感謝を頂いておりますが,逆に辛い思い出を思い出す形になっていたのならば,申し訳ございません。今後もこのような動画を作る以上,その地方の方や被災された方もしかしたら,大切な方を亡くされた遺族の方も,見る可能性があるかもしれません。可能な限り,当時の状況を詳しく書こうと考えておりますがそれがトラウマを思い起こすきっかけになってしまわないか,悩む所です。とりあえず,続けてみようかと考えております,ご意見があれば遠慮なくおっしゃって下さい。
とても丁寧な解説で理解が深まりました。時間がかかってもイイので、これからも質の良い動画制作を希望します。頑張ってください、応援します。
ご視聴ありがとうございます。作ってる本人が,これで大丈夫かと自問自答しながら作っておりますが,災害を考えるきっかけになれば,ありがたいです。大変お待たせし,申し訳ありませんが,今日も幾分か製作が進みました。納得する形に出来上がり次第,投稿させて頂きます。
非常に分かり易い動画の作成ありがとうございました。昔の火山活動や30年前の当時の様子がよくわかりました。島原出身ですが災害当時は母のお腹の中におりましたので記憶は全くないのですが、同級生には大噴火当日に生まれた者や噴火の犠牲になった方を親に持つ者がおりました。余談ですが火山灰対策(夏に窓を開けられない)で地元の学校の教室はクーラー完備でした。備わっていることを当たり前に過ごしてきたので、後に全国的には全然設置されていないことを知り、地元の設置に至った背景を知って災害の影響を実感しました。また、学生の頃にアジア初の火山都市国際会議が島原で開催され、海外から多くの学者が集ったのを覚えています。地方の片田舎で何もないと思っていた地元が世界的にも注目されている場所だと知り、改めて事の大きさを実感しました。
ご視聴ありがとうございます。クーラーが付いている事は一見羨ましいと思えますがあの噴火災害を考えると,大人の方々が火山灰から子供達を守りたいという強い意志が見えますね。島原半島がジオパークとして認定されたのにはただ噴火災害が甚大だっただけではなく,そこに生きる人々が少しずつ復興を目指し,火山と共生していく事を選ばれたからこその結果だと思います。私自身も,その会議が行われた時は,まだそれがどれだけすごい事か,理解していませんでした。この動画を作っていた際に理解し,当時何が何でも行くべきだったと,後悔が残るばかりです。
やっとこの動画を見つけました❗ありがとうございます!ずっとこの動画を待ってましたうP主さんこの雲仙普賢岳の災害の動画を作るのは大変でしたね!お疲れさまでした❗
ご視聴ありがとうございます。そこまで言っていただき,感謝に堪えません。この災害特集については,すぐすぐ作ったというよりは過去様々な特集番組を見た記憶や,現地の伝承施設に伺った時の記憶を現在の知識と合わせて,まとめるような形の物でしたので時間はかかりましたが,製作自体は苦ではありませんでした。今後もご満足いただけるような動画制作に勤しんでいきます。
火傷といっても表面的な火傷だけではなく、灼熱の粉塵を含む空気を吸い込んで気管や肺まで焼けていて治療がとても困難だったと聞いています。とても痛ましいです。
ご視聴ありがとうございます。消防団員さんが大やけどを負いながら火砕流が逃げてきて山を下るシーンを見たことがあります。地面に横になられた際に,内部の火傷により呼吸が困難な上壮絶な痛みに叫ばれていたのが,とても痛ましく,辛い映像でした。そのような被災された方々を何とか助けようとした,地元病院の方々には,頭が下がる思いです。
熊本県天草在住です。江戸時代の津波の犠牲者がたくさん浜に流れ着いたため、今でも各地に弔うための慰霊碑などがたくさんあります。小学生の時対岸の雲仙岳から流れ下るドス黒い火砕流を見ていました。当時は津波を想定した避難訓練もしていました。今も活きている火山です。いつ何時、当時のような災害が起こるかもしれないことを忘れないために、動画にしていただいてありがとうございました!
ご視聴ありがとうございます。天草は長崎からすれば隣なのですが,まだ行ったことがありませんのでそのような慰霊碑の存在を知りませんでした。いずれ,この状況が落ち着いたら,当時の痕跡を辿りに,伺わせていただこうかと思います。こちらこそ,新しい情報を頂き,ありがとうございました。
返信ありがとうございます。私の母方の実家の庭にもその小さな慰霊碑があります。毎年4月1日に大きなものではありませんが慰霊祭をして私も参りに行っています。当時浜に上がった方々を埋葬したのだと聞いています。長崎と天草、潜伏キリシタンの関連もあり、縁が深いですよね!ぜひいつか天草にいらしてみて下さい😊
ご覧いただきありがとうございます。合わせて,大変お待たせし,申し訳ありません。先程,第2回ゆっくり災害史~熊本地震~を投稿しました。ua-cam.com/video/rlDsSgcMlyo/v-deo.html宜しければご覧ください。
江戸時代の噴火、知らなかったので面白く拝見しました🌋私も知っている世代ではないのですが、学生時代島原の結婚式場でバイトしていました。新婦さんのご両親へのお手紙で『普賢岳が噴火して避難したね』から一同すすり泣く事がよくあって記憶に残っています✨
ご視聴ありがとうございます。私も島原大変肥後迷惑について,具体的に何が起きたか,今回の動画作成で調べるまで知りませんでした。中身を紐解くと,甚大な災害であると同時に,現代にも通じる対策や,起こりうる二次災害など今でも学ぶ点が多々ありました。また,この噴火災害は,多くの島原市民の方々には辛い経験となったと思われます。災害を知ることで,被災者の方々の心情に少しでも近づける一助になれれば良いかと考えています。
熊本で生まれ熊本市在住です。普賢岳の様子は熊本からもたまに見えていました。当時は高校3年生~社会人になっていました。当時はコンタクトのハードレンズをつけていた人が目を真っ赤にして痛がっていました。そんなときに普賢岳のあの大火砕流を知りそこからマスコミがマスゴミと言われ始めたような気がします。当時その場にいたマスコミは自業自得だ天罰だと思いました。 30年経って亡くなった彼らもテレビ局の犠牲者だと思ってしまいますが、よその家を勝手に入った所に関しては許されないことと未だに思います。
ご視聴ありがとうございます。火山灰を直に浴びた経験がないので,存じ上げておりませんでしたが確かにコンタクトをつけてる方には,辛い時期だったのかもしれませんね。今でも多くの方から,マスコミの批判が多く出ていますし当時は今の比ではなかったのでしょうね。当事者や被災者ではないので,言える立場ではないとは思いますがこの犠牲は防ぐことはできなかったのか,とどうしても考えてしまいます。どうかマスコミの方々には,どのような状況下でも,人として・社会人として守るべき一線だけは心に留め置いて頂きたいと,考える次第です。
あの火山学者の男性、23年間も火山を見てきた。あした死んでも自分はかまわない、って、同じ定点にいた人たちは知っていたのかな?科学が発展して自然なんか制圧した、と思ってる現代人の勘違いへの警鐘でしょう。巻き添えになった方々や、哀れ。合掌
思いきり被災してました。親父が消防団で走り回ってましたね。友達の家は焼けましたし、兄貴は隣町の高校へ行くのに道が通行止めでフェリーに乗って通ってました。
ご視聴ありがとうございます。 私が知りえる情報は当時のニュースや特集体験談や現在でのレポートぐらいですが,当事者の方々は我々が想像できないほどの恐怖や苦労にあわれたのだろうと,推察します。 本当にご無事で何よりです。
ボクは当時島原半島民で高校生でした。マスコミによる人災についてはみなさんのおっしゃる通りです。他にも一人だけ深江町について書かれてる方がいますが、災害は島原市と南高来郡深江町(現 南島原市)との市境で起きてます。しかしマスコミの報道の仕方が悪く、義援金は島原市にばかり集まり深江町にはあまり来なかったそうです。本当に高校生のボクはマスコミに呆れ果てました。ジャマしかしない。
ご視聴ありがとうございます。やはり当時の被災者の方からすれば,当時の雰囲気やマスコミ対応については,我々が今思う以上の物があるんでしょうね。来てほしくない所には大勢で来て,逆に取り上げてほしいのに,誰も見向きもしない。それじゃあ,そういう気持ちになっても仕方ない。今は,マスコミに頼らずとも,自分達である程度は発信できるようになっていますので今後,被災地間での義援金や援助の差が少しでもなくなればいいですね。
楽しみに待ってるとは言えないけど、自衛のためにも必要な動画と思いますありがとうございます
ご視聴ありがとうございます。私の力不足故,中々制作スピードは上がりませんが何とか一通りの災害はご紹介できるようにし,類似した災害に万が一遭遇しても,対処の参考に出来るよう,努力する所存です。
災害復興記念館に行ったことあるけど、亡くなった記者が持っていたカメラの映像が流されていた。隣で一緒に見ていた知らない叔父さんが「こういった犠牲がないと、人間は危険性を理解しない。この人達の犠牲を覚えている限り、同じような犠牲者は出ないだろう。だから、忘れてはならない」と、多分息子さんに言っていたのを思い出した。
ご視聴ありがとうございます。自然災害は被害ばかり注目されますが同じくらい重要なのは,その後の復興と今後への教訓だと考えます。年が経つにつれ,災害の記憶は薄れていき,被災者・体験者はご高齢になっていき語り継ぐことが年々難しくなっていきます。幸いにもこの普賢岳噴火については島原半島の各地に多くの噴火災害の伝承施設があります。県外の一般の方はもちろんですが,動画内にもある通りマスコミの関係者の方々にも,一度来て頂きたいと考えています。といいつつ,自分自身も今後の動画で特集する場所は,いずれ伺わなければいけませんね。
まだインターネットがあまり普及してなかったから、情報はほとんどテレビの報道、新聞だったからマスゴミがやりたい放題な時代でしたね。東日本大震災、熊本地震でマスゴミの傍若無人な振る舞いが一般人のインターネットで暴露されるようになったのも大きな進歩だと思います。
ご視聴ありがとうございます。全部ではありませんが,一部のメディアによるモラルに反した報道はその他すべてのマスコミに対する世間の目を厳しいものにしてきました。だからこそ,ご指摘通り,一般の人から,見られているという自覚を持ちつつマスコミ側でも,一部の誤った報道姿勢については,同業他社できちんと報道し,NOを突き付けられるよう互いに監督する自浄作用を持っていただければ,今後の報道の在り方も変わってくるのかもしれません。といっても,その報道を見ている立場では偉そうな事を言えるわけではないですが一個人・一視聴者としての,願いです。
追加補足(動画内で収まらない為):動画内で,マスコミに対する批判がありますが一方で,現在のローカル局では,今年に限らず毎年普賢岳については,特集を行う程,真剣に向き合って報道をされております。長崎の各局のyoutubeチャンネルでは,特集動画を配信されておりますので,よければご覧になってはいかがでしょうか。訂正:雲仙岳災害復興記念館→雲仙岳災害記念館です、失礼しました。訂正:雲仙町ではなく小浜町内の雲仙地区でした。重ねてお詫びを申し上げます。
ローカル局は地元密着だから当然そういう流れになるけどキー局はそうじゃないから毎年やんないよねその後の災害報道をみて当時の教訓を生かしたり反省しているとはどう贔屓目に見ても思えないんですよね
@@スズシナルミネ ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通り,キー局とローカル局の災害報道での報道姿勢は災害発生時及びその後の報道において,差があると思います。きちんと地元の住民の声を拾って報道して頂いている所もあればそうでないところもありますしその両面をきちんと,今後の動画内で解説していければと考えております。
ありがとう本当にありがとうございますこれからも 動画作成 頑張って下さい
@@wottyannuottyann7964 ご視聴ありがとうございます。そこまで感謝して頂けるとは,思いませんでした。これからも,スローペースではありますが,皆様にご理解頂けるような動画の作成に勤しんでいきます。
実は私は長崎県に住んでいます町内の旅行で雲仙に行き普賢岳災害記念館にも行って来ましたその時の衝撃が何年経っても忘れられない記憶なんですだから みんなに知って貰いたいと思っていました!又次の動画も楽しみに待っています
小さい時、テレビで良く流れてました。報道の車が2匹の犬と出会って連れて逃げていて、良かったなぁって思ったのを覚えています。
ご視聴ありがとうございます。違う映像かも知れませんが,自衛隊のヘリが不時着した際同行している報道の方と逃げてる時に,自衛隊の方が民家の犬も逃げるように促しているのを見た事があります。
@@ゆっくり災害史 そうだったのですね!動物も助かっているのを見ると、ホッとしますよね☺️
とても丁寧な説明で見やすかったです。恐ろしいことに九州には大きな火山がいっぱいあって、例にもれず雲仙普賢岳にも本体がいる。1989年の地震の震源地の「橘湾」がそれで、この地下にマグマ溜まりがあって湾自体がカルデラとのこと。因みにこの頃の火砕流の一般認識としては「少し熱い程度の煙」としか見られていなかったのも大きな要因となったようです。
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通り,本州に比べて九州は火山の密度が多く普賢岳を含め,目に見える部分だけではなく,その本体の規模は大変大きい物です。(桜島の本体を知ったときは本当に驚きました,湾のほぼすべてでしたね。)火砕流については,当時はまだ,他の火山などの映像などではっきりと情報が出ておらず火山学者の一部の方々は,その危険性を十分把握されていた方もいましたが人々への通知によるパニックを防ぐため,良かれと思って危険性をそこまでお伝えされず結果,人々の認識が改まる事には繋がりませんでした。当時,観測されていた火山研究の方が噴火直後の特集番組でおっしゃられていましたがこの噴火災害では,我々火山学者,マスコミ,自治体,みんな揃って一年生だった,噴火・火砕流の事について,分からないことが多く,結果,的確な対処ができなかったと悔やんでおりました。ただ,この事例があったからこそ,その後の噴火災害での研究や通知,避難目安などに繋がっていると思います。
災害があった当時まだ小学生だったけど、父が購読していた新聞に火山灰の上に黒焦げの遺体が映ってる写真が載ってた記憶がある。いまだになんとなく覚えてる。
ご視聴ありがとうございます。当時は今ほど報道規制がありませんでしたので,今見たらショッキングな画像・映像でも掲載・報道されていました。ちなみにその映像自体は,どの動画かまでは覚えていませんがyoutube内にて,普賢岳噴火時の報道の動画があり一面,白い火山灰に覆われた農道にて,倒れて動かない複数の遺体が映っておりました。見るのには辛い映像ですが,火砕流がいかに恐ろしいものか,実感しました。
メディアの責任として現地の状況を伝えたいとか色々あるんだろうけど、救助ボランティアと同じで被災地で他人の物を使わない、盗まない、迷惑をかけないとか最低限は守らないと全てにおいて正義が無くなる。
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通りだと思います。現地の方々からすれば,ただでさえ少ない資源や,余裕のない生活においてそれを侵害するのは,邪魔以外の何物でもないでしょう。全国に被災地の実態を伝える役目がある事は重々承知していますがその報道の担保は,被災地と共にあり,被災者の助けになる事が前提です。伝える情報の中には,被災地以外の人々が知っておくべき事がたくさんあると,分かっているからこそそれを報じる立場の方々には,どうか被災者はもちろん視聴者の信頼を裏切るような行為だけは慎んでほしいと,切に願います。
大変に良い解説でした。
ご視聴ありがとうございます。第1回という事もあり,力・技量不足な分まだまだ解説しきれていない箇所もありますが今後も様々な災害について,できる限り多方面から詳しく解説できればと考えております。
詳しく丁寧で、変な煽りも無くとても観やすい動画でした。今後の動画も楽しみです。
ご視聴ありがとうございました。初投稿の作品であり,だいぶ固い印象のものになってしまったかもしれませんがご満足いただけたら何よりです。このチャンネルのモットーの一つに中立性を保ち,原因の糾弾ではなく,これからの対策を学ぶことを主眼にしております。今後もこの部分は特に重視して,少しずつ作成させて頂こうかと考えておりますので宜しければ,今後ともよろしくお願いいたします。
当時中学生でした。社会科の先生が雲仙普賢岳と今起きている災害を解説してくれたのを覚えています。そして、クラスで義援金を集めて、どこの局だったかは覚えていませんが、他局が島原市の被害を報道する中、深江町の被害と物質不足を報道している所があって、クラスで話し合った結果、深江町宛てにクラスで集めた義援金を送りました。後日、丁寧な手紙を深江町の方からいただいたのを覚えています。
ご視聴ありがとうございます。災害にありがちなのですが,ご指摘の通り取材は,一番被害が大きい所,被害が一目瞭然な場所に集中しがちで例え人的被害はなくとも,間接的に甚大な被害を受けている場所も数多くあります。現在の災害対策では,大小関わらず,支援が必要な場所からのSOSを確実に受け止め支援を行き届ける事が,重要な課題となっています。深江町自体も,火砕流・土石流・火山灰と大きな被害を受けており現在も,当時の被害の痕跡を残す施設があります。行き届きづらい箇所への援助をして頂き,一長崎県民としてお礼を申し上げます。
当時福岡の佐賀寄りに住んでいましたが、噴火する一週間くらい前に修学旅行で行って、山にバスで登り、バスで行けるギリギリの距離まで観光しました。バスガイドさんが「最近煙が多いんですー」って言っていて、バスが包まれて視界がなくなるくらい煙が多かったのを覚えています。噴火した後は福岡の自宅の方まで道や車が灰で真っ白になってましたね。
ご視聴ありがとうございます。あの当時,あそこまでの大噴火になるとは専門家はともかく,一般の方には予測することは難しかったでしょう。島原から風向を考えれば,火山灰が北側にいってもおかしくはないと思いましたがまさか福岡まで届いていたんですか。火山灰については,九州の多くの地域に影響が出ていたのでしょうね。
事故や事件の解説は他にもあるけれど、災害に限ったチャンネルは珍しいなと思い、チャンネル登録させていただきました。落ち着いた雰囲気の動画で、めちゃくちゃ見やすかったです☺️これからの動画も楽しみにしております。無理なさらず主さんのペースで!
ご視聴ならびにご登録,誠にありがとうございます。まだ完全な予定ではありませんが,過去の災害に加えて災害発生のメカニズムや,災害発生時の対処法,備えなど防災に関する情報等も動画にしていきたいと考えております。個人的な希望としては,今後の動画作成においてただの過去の災害として,一出来事としてお伝えするのではなくそこから学べる知識を,いずれ来るかもしれない,災害発生時に役に立っていただければ,と。
火砕流からに逃げるシーンが記憶に残る天災と人災初の報道
ご視聴ありがとうございます。あのシーンは,テレビでの過去の災害の特集時には必ずと言っていいほど流れる映像です。実際に被害を受けたのは,あの逃げる人と消防車ではなくあの映像の後,風向きが変わって火砕流が向かってきた,定点にいた方々ですが。逃げる人や車に比べて,どれだけ火砕流が巨大で,ものすごいスピードか火砕流の恐ろしさを伝える,貴重な映像だと思われます。
ものすごく勉強になりました‼️素晴らしい動画をありがとうございました😊
ご視聴ありがとうございます。未熟な動画ではありますが普賢岳噴火について少しでも興味を持っていただき感謝しております。実際の映像などが,youtube内にもありますので,宜しければそちらもご参照ください。今後も様々な動画を製作させて頂きますので,どうぞよろしくお願い致します。
雲仙普賢岳の火砕流事故は当時テレビのニュースで観ましたが、かなり衝撃的で恐ろしかったです。新聞でも連日火砕流事故の記事が載っていて、またニュースでも迫りくる火砕流から必死に逃げる人々の姿や声が流れてきて、食事が出来なくなるくらい恐怖を覚えたのを30年経った今でも覚えています。マスコミの在り方に大きな一石を投じる事故でしたね。確かに各局でより大きなスクープを撮らねばならないというプレッシャーや焦りや欲はあったでしょうね。でもやはり一線を越えてはいけなかった。本来なら避難がスムーズに出来た筈だったのを連日マスコミが居座ったせいで、消防団や警察官は避難したくても出来なかった。結果として43名もの命が失われた。やはりルールや警告は守らねばならない。それは今のコロナ禍にも通じる。あれだけ国や各都道府県知事が外出自粛や大人数での旅行や会食、他府県への移動の自粛を呼び掛けている。一人一人が危機意識を持って呼び掛けにきちんと耳を傾けて節度のある行動をとらなければいけませんね。
ご視聴ありがとうございます。同意見です,現在のこの状況は,まさに全世界で起きている「災害」です。ルールは,社会全体の維持に必要であると同時に,自分自身を守る物。この普賢岳の問題は,対岸の火事と考えるべきではないかと。自分自身の欲求に負けず,規律ある行動を行わなければ,明日は我が身となりかねません。
当時は長崎市にいましたが地震の揺れが何度も起き不安になったことを思い出しましたいつかは崩れる溶岩ドームに対しての対策が万全であることを祈るばかりです
ご視聴ありがとうございます。自治体の対策もありますが,そこに住む人々も明日起きるかもしれない災害に備えて,訓練などを行っています。これからも動画を作りつつ,自分自身が勉強して,防災の知識を深めるつもりです。
今さらながら義援金やご支援ありがとうございました私は当時深江町の中学生でした当時のことをコメント欄に書いてたら、かなり長文になりすぎて削除しました携帯のない時代だったので、家族で町を出た友達には全く連絡も取れず、会うこともなくなったことや、仮設校舎に通ったこと、高校に進学してからも土石流で道が寸断されフェリーや高速船で通学したこと、卒業アルバムには島原城に駐在してた自衛隊の災害派遣車に乗って写ったクラスがあったこと、色々思い出されました。割愛したのに長文失礼しました。コロナ禍が落ち着いてきたので、そろそろ故郷に帰省したいなぁ。
ご視聴ありがとうございます。貴重な体験ですし,コメントの長さについてはお気になさらないで下さい。昨今のコロナ禍での学生の方々もそうですが災害時では,学生生活において様々な面で影響があり,ご苦労があったかと推察します。当時の映像では被災日からある程度までの状況は放送されていますが被災地の方々はその年だけではなくその後何年間も噴火・土石流の危険性と隣り合わせで生活されており日々の生活でも不便があったかと思います。現在も,溶岩ドームの一部が崩壊の危険性があり今後,土石流の発生が危惧されていますが砂防施設も整えられており,先日も島原市内で官民・地域住民共同での防災訓練も行われており今日でも,災害の教訓が地域で活かされています。災害に強い町として,今後も見本になり続けてほしいですね。
素晴らしい動画ありがとうございます。当時、テレビで見ていましたがこの動画で知ったことも多く勉強になりました。わたしは岩手県在住で東日本大震災を経験しました。内陸部にいたので甚大な被害は受けませんでしたが、色々と考えるキッカケになりました。テレビ局で数年だけですが働いた経験があり、改めて考えさせられました。どの災害でも風化させずに後世に伝え役に立ててほしいものですね。
ご視聴ありがとうございます。東日本大震災を経験されたとの事で,ご無事で何よりです。あの災害は,私自身この十年間での災害への向き方を決めたような,大災害でした。いずれ取り上げたいとは思ってはいるのですが中々語る内容も多い上,生半可な覚悟では取り上げてはいけないと思っておりますので,残念ながら取り上げるのは少し先かもしれません。ですが,その間にいろんな災害を特集しベースとなる知識を徐々に蓄えて,いずれ向き合おうかと考えております。
当時のニュースも勿論衝撃的でしたが、九死に一生系の再現ドラマがとても怖くて、今でも時々夢に見ます。
ご視聴ありがとうございます。当時のドラマは今ほど規制がかかっていませんのでかなりリアルに迫ったドラマを作る事が出来たのかもしれませんね。ニュースに関しても,当時のものを見ると,これは映していい映像なのか今では放送できないショッキングな物も流していました。
日テレ系の九死に一生スペシャルですかね。特撮を駆使した再現ドラマが大好評でしたが、トラウマになるのもわかります。中でも、島原の回は特に演出に力が入っていたと記憶しています。
大変興味深く拝見いたしました。連日、このニュースが流れていたので覚えています。マスコミの人たちも「自分たちは大丈夫」って根拠のない自信もあったのかも。
ご視聴ありがとうございます。当時は火砕流の情報が今ほど浸透しておらず,危険性が周知されていなかった事撮影場所がそれなりに離れた高台にあった事もありますがここに集まっていた多くのマスコミの方々には,皆良い映像が欲しいという欲求を持っていた事に加えて,こんなに多くの人が集まっているからここは大丈夫だろうという正常性バイアスがあったのかなと,個人的に思っております。油断・思い込みの隣には大きな落とし穴が潜んでいる事も多々あります。災害時には,万が一の事も考えて,余裕のある避難行動を取る事が重要なのだと思います。
島原市出身です、昔、小学校の遠足で普賢岳登山しました災害の起きる10年程前でしたが山はなだらかで登りやすく景色も良かった当時も活火山だったのに今思うとよく小学生に登らせたよね(^^)実家のみかん畑が火山灰て焼け野原になったのを実際に見て噴火中の火山灰は炎より高温なんだと分かりましたね
ご視聴ありがとうございます。地元局のyoutubeに,噴火前後の映像がありますが登山コースの真横からも噴火していましたね。御嶽山の噴火もそうですが,火山予知はまだまだ研究中の段階ですしいつ近く活火山が噴火してもおかしくない,のかもしれません。個人的な話ですが,普賢岳の近くにある仁田峠には毎年行ってます。あそこは普賢岳を見る事もできますが,春はツツジ,秋は紅葉と四季折々の風景が素晴らしい山です。県外の方には,雲仙・島原に来て頂いた際に是非とも来て頂きたい場所ですね。
島原市のお隣、雲仙市在住です。噴火当時は小学生でした。私の町からもピンク色の噴煙が入道雲のように空高く立ち上る光景を何度も見ました。またこちらの町も風向きによっては火山灰が頻繁に降り、当時の小学校でも椅子に常に防災頭巾がかけられてました。また噴火期間中には大型台風が頻繁に被災地を襲って(平成3年の台風17号と19号)幼い私が自然災害の恐怖を初めて感じた出来事でした。
ご視聴ありがとうございます。大変なご苦労をなされたようですが,ご無事で何よりです。平年の台風ですら,九州に来た際は勢力が落ちていないので,大きな脅威ですが当時の噴火時での台風は,今後何が起きるかわからない,と不安になられたのだろうと推察します。当時の映像資料もいくつか残っていますが,あれから30年。噴火災害を知らない方も多いので,そのような体験は貴重です。教えて頂き、ありがとうございました。
当時、幹線道路の復興事業に従事のため、島原市内に宿泊してハイウェイ灯の設置工事をしてました。付近は、本当に酷い状況で火山灰が風が吹いたり、作業車両が通る度舞い上がり、水無川付近は、土石流に埋もれた民家など今でも、忘れることができません。しかし、今では、当時、被害者の治療をしていた総合病院も2000年に建新しく建替えて市民の医療の中心になって居り道路整備も災害対策のため町が孤立しないよう配慮されてます。それは見事な復興を遂げています。
ご視聴ありがとうございます。工事に従事された方だったんですね,復興に尽力して頂き,ありがとうございました。当時のテレビ放送を見ましたが,本当に灰の量がすごく,呼吸にも悪影響な上雨が降ると地面がぬかるむ上,土石流などの二次災害の発生に繋がりかねないと厳しい自然との長い闘いだったかと推察します。現在,島原道路の新規造成が進んでいますが,繋がると県中心部からのアクセスが大分近くなり雲仙・島原へ観光がしやすくなるはずです。これからの雲仙・島原の発展にとても期待しています。
阪神大震災で家を無くした神戸出身の高校時代のクラスメート曰く、来てくれたのが早かった順番に、1、山口組2、自衛隊3、天皇陛下(現・上皇陛下)4、消防5、警察6、総理大臣だったとの事。陛下へのご恩は一生忘れぬと事ある毎に云っておりました。
ご視聴ありがとうございます。阪神淡路大震災については,都市部での大地震で救助が必要な方々が各地でいらっしゃいましたが多くの火災,建物の損壊,交通インフラの寸断などがありたどり着くことが難しくなっており結果救助が間に合わなかった方々がたくさんいたと伺っております。ご指摘の順序については,大変驚きではありますが火災や倒壊で住む家を亡くされた方々にとって両陛下の訪問は,希望を取り戻すきっかけになったのでしょう。個人的に印象に残っているのは上皇后陛下が,火災で焼損した市場跡に自ら切って持参された水仙を手向けられた事です。確かその水仙が地域住民によって永久保存されて跡地の公園のシンボルになったという話を覚えています。ご自身も被災地を目の当たりにし少なからずショックをお受けになったであろうにも拘らず被災者の為に寄り添われた姿勢は,なんと尊い事かと思います。
数年前、はじめて行きました。噴火当時は幼いながらに報道が加熱する有り様を見ていたのでこの目で現場を見られてよかったです。来月、また再訪する予定です。
ご視聴ありがとうございます。重ねて,来て頂きありがとうございます。やっとコロナ渦も落ち着いてきており,長崎県内でも,県外からの方々をお見掛けするようになりました。私も今月,紅葉のシーズンという事もあり手前の仁田峠と,普賢岳を訪問する予定です。普賢岳の噴火災害のイメージがありますが島原・雲仙は観光するにもいい場所ですのでゆっくりなさっていってください。
東京にいる私達家族は ニュースなどで 迫りくる火砕流から 逃げる様子を 視ていました。。翌年くらいに母が 旅行で現地に行くことがあって とにかく悲惨な状況を 目の当たりにして 手を合わせ🙏ながら 涙が止まらなかったと。。その後私と子供当時(中2と小2)と 夏休み熊本に単身赴任していた 主人の所へ行き 湯布院、阿蘇、島原、天草と旅行しました。。その時に普賢岳の現場に行き 慰霊碑に参拝し 火砕流で二階建ての家の 一階が 殆ど埋まってしまった家を 何軒も見て私達は 言葉にならなかった。。主人は運転しながら 私はタオルで 口を押さえながら 涙をこらえることが 出来ませんでした。。
ご視聴ありがとうございます。合わせて,ご来県・ご見学誠にありがとうございます。噴火後の数年ならば,今以上に火砕流・土石流の爪痕が生々しく残っていたのだろうかと思います。当時は火砕流・土石流・火山灰により,自分達の家はおろか,農業・畜産業など自分の仕事すら奪われた方も数多くいます。災害によって被害を受けた被災地は,テレビで見る光景と,実際に行ってみる光景とは大きく異なる物だろうと推察します。見て頂いた経験が,今後起こるかもしれない災害に対して,少しでも役に立ってくれることを願うばかりです。
子供の頃、対岸の熊本の自宅からたまたま火砕流が噴煙をあげながら滑り落ちる様子を見てしまった。あの光景は未だ脳裏に焼き付いて残っています。。。犠牲者の方々にご冥福をお祈りします。
ご視聴ありがとうございます。リアルタイムでそのような光景を見られたのなら犠牲者が出てしまったと知ったときは,さぞお辛かっただろうと推察します。ましてや,子供の時ならなおさらですね…当時は日本はおろか,世界でも珍しい現象でしたがこの災害で,火砕流の恐ろしさが広く認知されたと考えております。だからこそ,このような被害は二度と起きてほしくないですね。犠牲となった方々は,どうか安らかに,そして,これからもこの島原を見守っていただきたいです。
ある週刊誌に載っていた新婚の看護師さんと被災した消防団員の話がマスゴミに対する怒りと被害者に泣けます。災害復興中の自衛隊員が指輪を発見する下りも泣けますが、マスゴミはその事を封殺して自分達だけを殉職だと持ち上げた事には怒りを禁じ得ない
ご視聴ありがとうございます。残念ながら,週刊誌の話については,存じ上げておりませんが調査の際の参考動画では,殉職した消防団員や警察官のご家族が悲しみに打ちひしがれるシーンがあり子供が親類の手を握りしめながら,父の死に向き合おうとしており,あまりにも悲しく,見るには辛い映像でした。ご指摘された被害者や地元の方々の,マスコミへの怒りがあったからこそ,定点整備が30年もかかったかと思われます。定点整備時には,当時そのような報道をしたと思われるマスコミの関係者も,一部ではありますが参加し整備に協力されていました。完全に良くなったとは言えませんが,当時より少しは良くなっているからこそどうか今後の災害報道では被災者に寄り添った報道をして頂きたいと,一視聴者として考えております。
@@ゆっくり災害史 ご返事有り難うございます。週刊誌の記事ですが、文春だと記憶しておりますが。火砕流から数ヶ月後、復興作業中の自衛隊員が火山灰の中から何か光るものを発見、拾って見たら指輪だった、持って帰って調べたら結婚指輪で、死亡した消防団員の物だった。で、奥さんに返したらその場で泣き崩れた。実はその日は結婚記念日だった、との記事でした。日頃、お涙頂戴のマスゴミは一切報道しなかったのは何故だろうか(怒)まぁ理由は二つは想像出来ますが。
@@隼膺飛膺-s3n マスゴミたるゆえんですな
次も楽しみにしてます❗
ご視聴ありがとうございます。多くの方から,次回へのご期待の言葉を頂き,重ねてお礼を申し上げます。試行錯誤しておりますが,納得する形で出来上がり次第投稿させて頂きます。
自分は当時まだ生まれてなかったけど島原の隣の諫早の人間なので小さい時からお話はよく聞いてました。昔からがまだすドームや災害遺構家屋など見る機会多かったです。去年の30年追悼の時も丁度島原にいて当時のことを聞く機会がありました。災害のことしか知らなかったですがマスコミのことを知れたので勉強になりました。長文失礼しました。
ご視聴ありがとうございます。私も同県内に住んでおりますが恥ずかしながら,噴火災害の施設については大人になるまで伺う機会はありませんでした。今回の特集のきっかけも,テレビでの特集番組を見たことによるものでした。ですが,こういう災害への知識を得ることについては速いも遅いもないかと思っております。重要なのは,遠くの災害でも他人事と思わず自然災害を身近にも起こりうる事と認識し防災の知識や心構えを持っておく事かと。遅筆ではありますが,今回の普賢岳災害については現地訪問のレポート動画を現在製作中ですので出来次第アップさせて頂きます。今後とも宜しければ動画ご視聴の程宜しくお願いします。
島原半島出身者です今年の祈念の日にあたり色んな動画を探していて出会いました当時はまだ幼い子供でしたが、髭面の鐘ヶ江元市長は覚えてます数年前帰省して島原半島をぐるっとドライブしましたが、遺構も寂しい感じでした次は平成新山の崩落も待ったナシ兎に角無事を祈りたい
ご視聴ありがとうございます。今年の記念式典で鐘ヶ江元市長も出席されていらっしゃいましたが91歳なのに依然お元気で,これからも被災記憶の伝承が続いていってほしいとおっしゃっていました。がまだすドームなど屋内で保存している物はともかく屋外の遺構は,今後も少しずつ朽ちていくのでしょう。また平成新山も溶岩ドームの崩壊の危険性が伝えられる中今後の観測体制についてはここ普賢岳を含む日本全体での観測員の人員が少ない状況もあり課題が残っている状況です。ですが,ここには復興事業で多くの方が尽力して建設した砂防施設や地域住民の高い防災意識があります。新たな災害が起きないのが一番ですが,この防災・減災体制があれば被害は最小限にできるでしょうし,ソフト面の意識については,本当に見習いたいです。
長崎県は普賢岳の件もあったし、長崎市内の大雨(1982年の長崎大水害)や九州北部豪雨、先日の豪雨も酷かった。山がちな県なので、どうしても被害が大きくなりやすいんですよね・・・。長崎県の方だと思いますが、全国の災害をこれからも丁寧に取り上げてほしいと思います。過去の災害から現在起こっている災害に生かせるところはあるはずですから・・・。私は東海地方の人間なので、伊勢湾台風・東海豪雨はやってほしいと思いますし、人間が起こしたものも災害と見るなら、新潟や糸魚川などで起こった大火(大火事)も取り上げてほしいです。
ご視聴ありがとうございます。合わせて,様々なリクエストを頂き,重ねて感謝を申し上げます。ご指摘頂いている災害については,一通り存じ上げております。順番に関しては,特に決めておりませんが,様々な種類の災害をローテーションの形で取り上げる予定です。長くやっていきたいと考えておりますのでくれぐれもその地域の被災者の方々に失礼が無いようよく推敲して,少しずつ動画を作成させて頂く所存です。
解説お疲れ様です。私事ながら防災士でして、島原大変肥後迷惑まできちんとしっかり解説して下さる動画に巡り会えて嬉しいです。ぜひこれからも重厚な調査に裏打ちされた動画、楽しみにしています
ご視聴ありがとうございます。自然災害の中には,過去に似たような災害が起きた場合もありますのでそちらにもできる限り触れ,最近の災害との比較,過去の災害から学べることなど多くの事を伝えられるよう努力していきます。防災士については,私自身も興味があるのですがただ,私が住んでいる県では,講座などは時期が違うようなのでその機会が来れば,受講してみようかと考えておりますこのような動画を作っている身としては,取っておきたい資格です。
@@ゆっくり災害史 どんな災害も未来は予知できませんし、過去から学ぶ事しかできませんから、こうやって遺してくれた先人たちに感謝です。防災士講習は1年の間に全国をグルリと周回するように開催されてますし、受講前に救急救命講習1級を取得しておかなければいけないなど準備もたくさんありますので、慌てずじっくり狙っても良いと思います。いつか一緒に防災士です、と言えると良いですね。応援しています。
あれから数か月経ちましたが,その後講習受講や試験を経て昨日付けで正式に防災士の認定証が届きました。応援頂き,誠にありがとうございました。奇しくも丁度普賢岳の祈りの日に間に合いました。改めてですが防災士同士,今後も防災活動の啓発などに頑張りましょう。
14:19 雲仙岳はたくさんの山・岳がある状態なので谷もたくさんあります、そんな状態で仁田峠や雲仙温泉街が危ないなら島原半島は全てが危険だと思う・・・と半島内に生まれてから今も住んでる私が言ってみる。
ご視聴ありがとうございます。私も仁田峠や定点に行き,普賢岳がどれ程高いか実感しましたがご指摘の通り,あの山頂や他の山で一度噴火したら,火砕流がどの方角に流れても甚大な被害が出ると思います。災害が起きた後では,あの時の災害前の行動は危険だと,いくらでも言えるのですがもし私が,当時あの環境に居たとして,果たして,今と同じように注意を出せるのかと言われると何とも言えません。ただ,私個人としては,小学生の頃,同県内で起きたこの災害の被害と復興活動を知った事が防災への意識をもつきっかけになりました。動画であの様にお伝えしておきながら,はっきりとしたコメントが出せず誠に申し訳ありません。
時代区分は違いますが、同じ災害史というジャンルで学部の卒論書いた者としてめっちゃ応援します!
ご視聴ありがとうございます。災害を専門とされた方からすれば,知識も動画の質も稚拙かもしれませんがこれから動画を作りながら,どちらも勉強していきたいと考えております。応援頂き,大変励みになります。
動画アップありがとうございます!この災害は小学生時代にテレビで見て口が開いたまま( ゚д゚)ポカーン状態で何が起きたか訳分からなかったのですが、母親から説明されて、涙をボロボロ流した記憶があります。遠い地域の出来事でしたが、とてつもなく心が痛い記憶です。
ご視聴ありがとうございます。私も,幼児でしたので,当時の記憶はほとんどなく地元のニュースでも,部分的にしか,当時の状況はわかりませんでした。その後,大人になり,youtubeを見たり,自分の意志で被災地の伝承施設に伺うことでこの災害の経緯などを学びました。テレビなどで各地の災害を見るだけでは,どこかフィクションに思ってしまうこともありましたがこのような学習の経験をしたことでこれら災害はまぎれもない現実であり,多くの犠牲が出てしまった悲しい事実があると考えるようになりました。このような動画作成も,自分自身で学ぶきっかけの一つとして作っているのでこれからも自分の知らない災害についても一つ一つしっかりと調査を行わせて頂きます。
眉山は有明海側に面した東側が一面絶壁になっていて、200年以上前の山体崩壊の痕跡が今でもハッキリとわかりますね。晴れた日には、直線距離で海を越えて100㌔近く離れた佐賀からでも雲仙岳や眉山の歪な山影が明確に展望できます。
ご視聴ありがとうございます。この動画を作るまで,眉山の事については,知識があまりありませんでしたので意識してみておりませんでした。今度,落ち着いてから島原にまた行こうかと考えておりますがその時にじっくりと,過去の崩壊の後を確認してみます。
自分も島原半島の南側に住んでます。この頃は火山灰で大変でしたね!
ご視聴ありがとうございます。当時の話を聞く機会がありましたが今の鹿児島県の桜島近辺の方々と同じようにたまっていく火山灰を度々回収しないといけない環境だったと伺っております。火砕流や土石流など,目に見える危険な災害ではありませんが日々の生活だけではなく家屋や農産・畜産にも影響を与えかねない事ですので大変ご苦労があったかと推察します。
普賢岳の噴火による災害は自衛隊の災害派遣では最長の1653日間という長期に渡る災害派遣となりました。6月3日の大火災流災害以降は、自衛隊が九州大学島原火山観測所の指導を受けながらヘリや車両などで警戒区域に入ったり、普賢岳の状況を常に提供する側になった。
ご視聴ありがとうございます。以前,県内の陸上自衛隊大村駐屯地を訪れる機会があり,同施設内の資料館にて派遣期間中の活動についてまとめられた報告内容や,当時の写真をまとめたアルバムを拝見させて頂きました。災害直後の避難誘導,エリア規制,被災者のフォロー,行方不明者の捜索,そして長期間にわたる普賢岳付近の監視など,様々な活動に尽力されておりこの方々によって,二次災害が防がれ,以降の復興へ進めるようになったのだと思います。
鹿児島住みなので他人事ではないです。当時映像を通して火砕流とはこれ程怖いものなのかと初めて知りました。改めて亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます
ご視聴ありがとうございます。桜島のように常時噴火活動をしている火山と共生する事は,想像以上にご苦労があるのだろうと推察します。桜島については,いずれ大正噴火・昭和噴火を解説したいと考えております。また,今日も九州では大雨が降っていますが,平成5年の8月豪雨も解説するつもりです。
@@ゆっくり災害史 お返事ありがとうございます。鹿児島県民は桜島に対して「お!!今日も噴火しておるな!カッケー」としか思って無いので噴火しない方が不安になります。動画お待ちしております。頑張ってください。
@@やと-f2d 私も鹿児島で生まれ育ちましたカッケーなんて思わない 数年前なぞ1000回弱/年 即ち3回/日爆発してました飯の回数と変わらない 後片付けが面倒くさい 冬場の爆発だから学生服が真っ白になる(大隅半島の人間だとばれますねw)くらいしか思わんですよ
普賢岳の噴火の時、営業をサボって先輩と二人で熊本市の国道3号線沿いのパチンコ屋に居て、辺りが真っ暗になったので外を見に行くと、真っ黒な雨混じりの火山灰が大量に降ってました。急いで先輩に報告し、ワイパー全開でなんとか事務所迄帰った記憶があります。国道の白線はほとんど見えなかった。灰は3cm以上積もっていたと思う。
ご視聴ありがとうございます。対岸の熊本市ですら,そのような事になってたんですか。雲仙の風景は,ニュースなどで確認はしていましたが普賢岳噴火は長崎県はおろか他県にすら影響を及ぼすほどの災害だったんですね。風景が一変して,そのような状態になれば帰社への道ですら,気が気ではなかったかと推察します。
火砕流という言葉にインパクトがあったのか、当時の職場て流行語になりました。
私は熊本市に住んでおります。その日は 子供を保育園から 自転車に乗せて家に向かっている途中でした。雨が降っていたのか 降り始めたのかは覚えていないのですが 黒い雨がバタバタ音を立てて降ってきた事を覚えています。何が起きているのか分からず 黒い雨というと 原爆の事しか知らない私は とにかく子供に持っている物を被せ急いで帰りました。テレビで火災流の映像をみてガタガタ震えました。硫黄の臭いがもしました。あんなに離れているのに …と 自然の前には人間とは なんと小さいものかと感じました。唯 予見されているならば それに合わせた行動ができるのも人間ですよね、災害による被害者を減らすためにも そこを考えて動かなくてはと思います。熊本地震の時 本震の数時間前に家に入り少し片付けて 横になった途端本震が来ました。閉じ込められ もう死ぬかと思いましたが どうにか生きています。帰るべきではなかったのです。愚かですね。長々と書きました、たくさんの人の役に立つ動画です。頑張ってください…ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます。他の方からのコメントでもありましたが,他県にも多く火山灰が飛んでいた事は存じ上げておりませんでした。しかし,よくよく当時の映像を見てみれば,天を覆わんばかりの,あの噴煙ですから何十キロ離れている所でも,届いてもおかしくはないですね。熊本地震では,よくご無事でなによりです。次回の動画でも書きますが,前震後の本震を予測しろというのは,専門家ならともかく我々一般人には無理のようなものです。あまりご自分をお責めにならないでください。被災者の方に失礼にならないか,心配ではありますが,何とか作り上げてみます。
@@ゆっくり災害史 ご丁寧な返信ありがとうございます。これから応援させて頂きます。登録を忘れていました😅ポチッとします。丁寧に作られているようですので 無理をされずに ゆっくりと進められると良いと思いますよ。頑張ってくださいね。
天皇陛下が膝ついてお話していた体育館にいました。小さかったのでほぼ覚えてませんが💦
ご視聴ありがとうございます。 避難中はご苦労もあったかと思いますが,大変な貴重な体験をされたんですね。両陛下のご訪問により,きっと多くの方の心が救われたのだろうと思います。
現上皇様が玉体をお運びになられたところに居られたのですか!貴重なご経験ですね。
母方の祖父母が天草住み「島原大変肥後迷惑」の教訓から、雲仙普賢岳噴火の際は飼い猫の首に猫餌くくりつけていつでも避難できるようにしていたそうな。普賢岳の噴火が落ち着き、立ち入り禁止区域がほとんど解除された後に見た、新築に近い家々が埋まっている光景が忘れられません。
ご視聴ありがとうございます。祖父母様がおっしゃられた教訓は,貴重な話ですね。当時は速報などはありませんし,過去の災害からの教訓が受け継がれていたんでしょうね。噴火によって住まいを失った方の中には,1年以内に新築を立てたばかりの方もいたそうです。(TV番組より)命が助かっても,家を失った人たちの心情は察するに余りあります。自分が同じ立場で,立ち直れるかと聞かれたら,正直答えられるかわかりません。
ひげの市長の鐘ヶ江さん、今も印象に残っている。
非常に興味深く拝見しました。平成の噴火の際は近所の幼馴染の祖父母宅が島原にあり非常に心配したのを覚えています。当時の記憶が蘇り改めて災害に対して備えることの重要性を痛感しました。ところで、この動画内で使用しているフォントは何でしょうか。差し支えなければ教えていただけますと幸いです。
ご視聴ありがとうございます。親類や知人が被災地にいると,たとえ遠く離れた所にいても気が気でなく,一刻も安否を確認したくなると思います。私も別の災害ですが,阪神淡路大震災の際は叔父・いとこが長田区に住んでおり家族一同,叔父家族の無事を願っておりました。(ちなみに全員無事でした)出先なので,後ほど確認しますがフォントは確か「けいふぉんと」だったかと思います。文字が見やすい物を選んだつもりです。
@@ゆっくり災害史 親族の方々が無事で何よりでした。幸い私の家族や親類は災害に巻き込まれたことはありませんが、災害の多い日本ですからいつ自身に降りかかるかわかりませんね。しっかりと備えようと思います。フォントは非常に読みやすく好感を覚えたので尋ねました。確認いただきありがとうございます。up主さんの丁寧な動画作りへの配慮が細部まで行き届いていますね。これからも投稿を楽しみにしております。
消防団員13名長崎県警の警察官2名が殉職
ご視聴ありがとうございます。亡くなった方の話・写真を,地元TV局の特集動画にて拝見しましたが一人一人の故人に対する,遺族や同僚・友人の皆さんの悲しみ・無念さが伝わってきました。
@@ゆっくり災害史 あの当時小学四年くらいでしたねえその後の進路を決める出来事の一つとして影響受けた件でした
それと取材していたマスコミに同行していたタクシー運転手も殉職しました。合掌…
当時の事故は覚えてる。火砕流が来る映像の絶望感は・・・。亡くなったマスコミの方の遺体も写されてたな。東日本もそうだけど、ろくなことしない・・・
ご視聴ありがとうございます。画面いっぱいに広がる,高速の黒い煙の塊は,人々に災害の脅威を知らしめました。当時は今ほど報道の規制がありませんでしたのでそのような映像も茶の間にて見られる状態でした。例えそれが真実だとしても,直視するにはあまりにもむごく多くの人に精神的影響を与えかねないので,今のテレビでは流さない方がいいでしょう。ですが,その御遺体を自衛隊の方々が命がけで運びご遺族が辛いながらも向き合われたことを考えると例え直視しなくても,火砕流に巻き込まれるとどうなるか事実として知っておく事は重要かと思います。東日本大震災で,当時衝撃的だったのは津波が襲った後,海岸に何百という数の御遺体が打ちあがっているというニュースが文面で出ていた事です。もちろん現在では,その映像を直に放送する事はまずありえませんがこの文面を見ただけで,一体何が起きてしまったのか津波とはこうも簡単に人々の命を奪っていくのかその脅威と,あまりにも多くの犠牲に,打ちのめされました。もしその映像を見てしまっていたら,たとえ大人の自分でも泣いていたかもしれません。
自衛隊が装甲車で遺体を回収しに行ってたのをよく覚えてる。当時、西日本新聞の夕刊にヘリからの空撮で回収されてない遺体に灰が積もってそこだけ人型に盛り上がってる写真が1面トップで自分の中では未だに報道写真では一番衝撃的で雲仙と聞くとその写真がパッと頭の中に出てくる
ご視聴ありがとうございます。当時のニュースの動画にて,現場の空撮を拝見しましたが今,地上波では多分流せない映像ですね,初見時はとても衝撃を受けました。ただ,見たインパクトは大変大きく,火砕流の恐ろしさを思い知る物でした。あそこに映っていた方々は噴火のその日まで生きていてどうにか火砕流から逃げようとし,苦しみながら亡くなられたのでしょう。その前の行動については色々賛否ある事は存じております。ただ,あのような姿を見ると,個人的にはその死を悼まずには居られません。
@@ゆっくり災害史 ご丁寧にありがとうございます。次の動画も楽しみにしております。
当時ニュースでよく見ていたのを覚えています。あの土石流の映像も…。あの災害の前に父が島原に単身赴任していて訪れた事があったのでより身近に感じていました。遠い昔にも災害が繰り返し起こってたようで、やはり地震や噴火って繰り返すんだなぁと思いました。次回は熊本地震との事。被害はなかったけど夜中に何度も揺れて怖い思いをしたし翌年熊本へ旅行に行って現地の人の話を聞く機会などありました。こちらも楽しみにチャンネル登録させていただきました。
ご視聴ありがとうございます。お待たせし,申し訳ありませんが,何とか製作が進んでいますのでもう少々お待ちください。次回の熊本地震でも過去の災害に触れていますが地震では,過去の災害のサイクルや,断層帯の状態から今後いつ地震が起きるか,将来起きる予測を立てています。ただ,これだけ技術や研究が進歩しても,まだまだ自然災害には未知の領域が多いみたいで,完全な予測ができるのはずっと先のようです。しかし,速報などで,この後すぐ来る地震に備える事ができるようになるとは数十年前には想像できなかったことかもしれません。今後も研究が進むことを願うばかりです。
約20年位前に平成新山を見に行った事があるその麓に災害記念館があって災害にあった当時のままの家屋や火砕流で焼けた軽トラなどが展示してあったまだ自分は20代だったけど楽しいような笑いが出るような場所では無かった事を覚えている
ご視聴ありがとうございます。この噴火によって,犠牲になった方々がいますが住んでいる家屋や土地を追われ,昨日までの当たり前の生活を捨てなければならない方々も多くいました。観光に来られた際に,見て気分がいいものではないですが様々な方々に災害に向き合う心を作るきっかけとなるであろう,重要な施設だと思います。
当時、テレビ各局は生放送でスクープを取ろうとしていた。大火砕流が噴火した時、比較的街に近いところに居た人々が逃げてきた被害者を生放送で全国に流してしまった。文字にするのも申し訳ない姿だった。大火傷の姿は見たくなかった。そして、言葉で逃げろ 逃げろと叫んでいた。夕方のニュースではカットされていたが。報道陣、警察官、消防隊巻き込まれた人々の最後は辛すぎた。その時に、噴火した火砕流は高温で人間の身体なんか溶かしてしまうと知った。国民は、ほとんど、その時知ったと思う。当時の島原市長は復興するまで髭を剃らなかった。それだけ市民の事を考えていたのだろう。
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通りです。報道姿勢がまずかったのは間違いありませんがその結果とはいえ,あのような最期はあまりにもむごいとしか言い様がありません。消防団やマスコミの遺族の方が,定点から帰ってこない親類を待っている間にあのヘリでの上空からの映像を見たと思うと…当時の鐘ヶ江島原市長は,当日は火山の現場視察の為ご本人も定点付近を伺う予定でしたので,被害にあう一歩手前でした。火砕流の後,警戒区域の設定を県から要請されその地場にいる農家・畜産家の人々に立入を禁止しなければいけなくなった際には県に補償を確約させるため,県知事に直談判して,確約をもらったとのことです。その後,警戒区域からの避難完了後,大規模な火砕流が発生しましたが避難が出来ていた為,犠牲者は出ませんでした。退任後も,モチーフの髭と防災服の格好で,各地にて防災講演を為されていたそうです。大変立派なリーダーだったと思います。
迫りくる火砕流の映像見て恐怖を感じた!!😣
ご視聴ありがとうございます。 がまだすドームには火砕流の速度を体感できる場所がありますが,気づいたらもう巻き込まれてたと思う程の速さで襲い掛かります。
夜だと暗い中に溶岩が真っ赤に見えるからより恐ろしかった、上京してかなり経つが今だに覚えている。
@@warasuboどんぽ ご視聴ありがとうございます。暗い中でも火山は依然噴火していますし火砕流前だと,いつ大噴火を起こすか気が気ではなかったのでしょうね。文面から,当時島原にいた方かと推察しますが.ご無事で何よりです。
住まいは島原から離れていましたが溶岩を見たのはとある諸用で家族で出掛けたときです。戻るまでは内心冷や汗でした。
@@warasuboどんぽ 出先で災害にあった時は自宅への被害を考えなくていい分いかに素早く,安全に自宅へ帰還するか不安な中だったのでしょうね。余談ですが,私も2005年の福岡西方沖地震の際,運悪くその日だけ福岡に立ち寄っており大きな地震も恐ろしかったですが高速・交通機関が麻痺し知り合いの車で7時間かけて県道コースで家に帰りました。無事家に帰れるか,不安でしたが何とか帰宅できました,知り合いの方には感謝しかありません。
緊急速報で見た真っ黒になって走ってくる人の姿が忘れられない。
ご視聴ありがとうございます。下りてこられた消防士の方々は,体中が火傷をされて歩くのも辛そうでしたが,何より呼吸器も火傷を負われていた為呼吸が困難になり,痛みも相まって絶叫されながら床に倒れていました。難を逃れた別の報道局の方が丁度撮影されておりすぐに救急に通報されていたので,すぐ収容されたかと思いますがその後については残念ながら存じ上げておりません,その後回復されていたら良いのですが…
@@ゆっくり災害史 亡くなられたとのこと。後の報道で知りました。
@@komugiyaki そうでしたか…あの時まではご存命でしたが呼吸困難で大変苦しまれていました。30年前の出来事ですが,ご冥福をお祈りします。
官公庁の協力を仰いだのか。尽力されたな今後の活躍を期待します。これは登録しないといけない人だ
ご視聴ありがとうございます。そこまで仰々しい事ではないのですが,動画作成にあたり著作物の動画内での使用許可を頂けないか,各団体の担当者様に御連絡させて頂きました。合わせて動画完成時には,(相手方が宜しければ)一度ご確認を頂き投稿しても問題ないか,許可を頂いております。このような方式を今後も続けようかと考えておりますので他のゆっくり解説者様の動画に比べ,かなりスローペースとなってしまいますがなにとぞご了承ください。
マスゴミは自業自得だけど、そのマスゴミに付き合ったタクシーの運ちゃんが可愛そうだった記憶
ご視聴ありがとうございます。タクシーの運転手の方はマスコミの方々と同じ場所で待機していた為定点付近にて,被害にあわれました。本編にもある通り,今年定点付近の整備にてタクシーの掘り起こしがなされましたが整備活動には当時のタクシー会社の同僚の方々も尽力されました。この掘り起こされたタクシーは普賢岳噴火災害を後年まで語り継ぐモニュメントとして,定点の慰霊碑と共に展示されています。
信実を伝えてくれて、ありがとう❤️
ご視聴ありがとうございます。真実といえるものかどうかは,ご視聴される皆様にお任せしますが可能な限りは複数の文献や動画等を参考に作成させていただいております。間違い等がありましたら,ご遠慮なくご指摘ください。
地域の歴史を調べるとどこでも過去にいろいろ災害があったりしてるからな。先人がインフラ整備した結果治水されてるところも、過去には暴れ川だったり。
ご視聴ありがとうございます,まさにおっしゃる通りです。私たちが当たり前に住んでいる土地は先人の治水や整備の結果,安心して住めているのだと思います。ただ,その歴史は,中々自分から調べようとしない限り,情報は入って来ず,徐々に風化されていくのでしょう。今の時代は,過去に比べ大雨・台風の規模が比較的大きい物となり,大災害になりやすい傾向です。治水された川ですら,氾濫しかねない災害も起こりうることを,自分達は肝に銘じておく必要がありますね。
今年初訪問した場所でもあるので、現地の地形を理解したうえで視聴することができました。ありがとうございました。今後、105名の殉職者を出した宮崎県の上椎葉ダムを取り上げていただけると幸いです。
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の宮崎県の上椎葉ダムについては,恥ずかしながら初耳でしたので,先程一通りWEBで確認してみましたが,情報があまり出ていませんね。ですが,宮崎県ではこの被害含め台風被害も結構起きているみたいなので,機会があればまとめて調査させて頂こうかと考えております。貴重なご意見ありがとうございます。
下校中、今でも覚えてますあの真っ赤に染まった帰り道…
ご視聴ありがとうございます。私自身が不勉強であり,当時のテレビ報道の動画から確認できず,申し訳ありませんが真っ赤というのは,夕暮れの色に染まった大量の火山灰の風景でしょうか?それとも火砕流の被害により焼けた家々が見えた光景でしょうか?どちらかは判然としませんが,いつも通う道が噴火によって一変し住んでいる町が大きな被害受けた姿には大きなショックを受けただろうと推察します。大変辛い経験であったかと思いますが,ご無事で何よりです。
@@ゆっくり災害史 下校中、ホントに周りは真っ赤に染まってて今日の夕焼けえらく凄いな位に思いながら帰ってたんですよ。そしたら一気に暗くなって雨降ってきたんで折り畳みの傘持ってたんで差したら雨が傘を突き抜けて来たんでビックリして良く見たら雨、黒かったんですよで、帰ってニュース見たら普賢岳の大火砕流だったって訳です眉山無かったらヤバかったらしいです
@@おたけ-u9t なるほど,空の光景も噴火の影響があったのでしょうね。火山灰を含んだ雨って,傘突き抜けちゃうんですね,素で怖いです。眉山については,ご指摘通り壁となって市内への流入を防いだと伺っております。過去の災害もありますが,結果的に更なる被害に繋がらなかったのは不幸中の幸いですね。
子供の頃、両親にイタリアのポンペイに連れて行ってもらい、この都市が火山灰と火砕流で埋まった街と教えられてはいたものの、ポンペイからベスビオス火山を見ても、遠くの山、、という印象だったので、当時の人たちは逃げる暇は何でなかったのだろうと疑問だったのを覚えていて、ちょうど中学の頃がこの雲仙普賢岳の災害がおきていて火砕流がいかに早いスピードで降りてくるか、、映像でみるとただの煙?のように見えた火砕流が高温のガスということを目の当たりにして、、改めてポンペイの人たちも逃げる暇がなかったというのが再認識したのをよく覚えています。(´・ω・`)
ご視聴ありがとうございます。ポンペイもご指摘の通り,火砕流による被害で多くの方が亡くなった災害でしたね。火砕流は動画内でも記載している通り,時速100km近くの速度で山を下ってきますので見えてすぐに避難しても,車で逃げ切れるか分からないぐらいです。さらに,定点は周りの土地に比べ,若干高い位置にあった高台の為火砕流が来ても,ここかもっと高い高台まで逃げれば大丈夫だろうという予測が記者の方々にあったのだろうかと思われていますが実際は,多少の高低差があっても,火砕流は乗り越えて来ることができ結果定点付近にて,多くの死者が出る事態になりました。この災害で,火砕流が如何に危険か,思い知らされました。
このニュースは駐在中の外地で新聞で知りました。地下鉄サリン事件、阪神震災、ちょっと後になりますが東海村JCO臨界事故、みんな外地にいる時。そう言えば連立政権発足(細川内閣とかの)の時は外地にいて日本の住民票を抜いていたので投票権がなくて… 今は全国区については投票権があるんですよね。今のようにオンライン送金とかできなかったし遠くから心配することしかできなかったな…
ご視聴ありがとうございます。1980~90年代は近年でも特に自然災害が続いた印象です。それだけ多くの尊い犠牲が出てしまいましたが災害対策や支援体制など,多くの改善が為されてきたと思います。今となっては,募金がWEB上で1クリックでできる上,クラウドファンディングなど個人でも簡単に支援ができる世の中になりました。だからこそ重要なのは,例え遠方の災害でも身近な問題と考え少しでも協力しようと一人一人が心がける事でしょうか。
マスゴミの報道犯罪を語る上で決して忘れることの出来ない事件の一つです。最後、定点観測点の整備をしようの仰る方は日本人的な優しさで優しすぎます。マスコミの人は被害者ではなく加害者ですよ。
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通り,マスコミの行った行動が正当化される訳ではありませんが個人的には,優しさだけで,定点の整備を行ったわけではないと思います。この災害から30年もたち当時幼児であった子ですら,30代の半ば以降と伝承する人々の高齢化が進んでいます。それと共に,災害の歴史自体も徐々にですが風化しつつあり地元長崎でも,その噴火の実態を知っている人々は多くないです。テレビ特集で放送された中に,去年の整備検討の会合で犠牲者のご友人・仲間で当時消防団の方が次のようにおっしゃっていました。亡くなった消防団員はいわば,ふるさとを守ろうとして犠牲になっている。でも30年経った今,そのふるさとがだんだんと衰退している。もしこの整備事業を行えば,報道や団体客・視察が来て,島原の魅力の一つになるならば多分,亡くなった消防団員も,何も言わないと思う。みんなでふるさとを盛り上げる・守っていくきっかけになればいい。その方は当日偶然居合わせなかった事で被害にあわれませんでしたが亡くなった犠牲者の事については,今も深く考えておりこの30年間,犠牲者への思い・マスコミへの恨みなど様々な感情を心に抱えて,今日まで生活されてきたとのことです。重ねて申し上げますが,報道の方々が行った事実については,覆ることはありません。この事について,各個人がそれぞれ考える事も重要ですが災害の歴史を守る立場として,これからの島原の為に被災地の方々が決断されたことについては私的な考えですが被災地・被災者の意志の一つとして,重く受け止めるべきかと思っています。我々が思っている以上に,自分達のふるさとを守るという事はとても難しい事なんだと思います。
道の駅「みずなし本陣ふかえ」も訪れるといい
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通り,みずなし本陣ふかえでは土石流により1階部分が埋まった,家屋をご覧になることができます。土石流による死者はいなかったものの,多くの家屋が流される甚大な被害を及ぼしています。他県の方は,普賢岳は火砕流・火山灰のイメージを持たれがちですが,大規模な土石流も,何度も発生しておりますのでその被害の実態を知る為にも,是非とも行ってみて頂きたいです。
火砕流が時速100キロ以上のスピードで画面に迫ってくる映像を見ました。この報道をされてる人々は助からないと思いました。恐ろしかった。ご冥福をお祈りします。
ご視聴ありがとうございます。一見テレビなどの映像ではゆっくり山を下っているように見えますが実際にはあまりにも早く,あの定点の位置では,気づいた時には間に合わなかったでしょう。被災までの経緯については議論がなされることが多いですがどなたも何とか逃げようとして,悲しい最期を迎えられた方々です。ただ,この方々の犠牲によって,どれ程火砕流という現象が恐ろしい事か日本のみならず世界中の方々に認識されたと思います。心からご冥福をお祈りします。
丁寧な調査で、九州はありがたく思っています。 只。一つだけ難を言えば、霊夢ちゃんの語尾が~よ。が多いと思います。 それだけです。
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通りです,本当に申し訳ありません。自分自身も,今まさに困っています。色々ゆっくり解説は見てきたんですが,いざ自分で作るとなると女の子の言葉の口調が難しいですね。3作目を今作っていますが,文章が思いついてもそれを話し言葉にするとなると前回までご指摘の傾向になってしまいました。何とか次の回から,減らすよう試行錯誤してみます。ご指摘ありがとうございます。
@@ゆっくり災害史 様やまなみさんの動画が参考にし易いと思います。
やまなみ様ですね,以前からいろんな山の解説をされている方だと認識しておりました。災害の事にも触れていらっしゃる先輩ですので,一度ゆっくり見させていただこうかと思います。ご推薦ありがとうございます。
私が大学で火山の講義を受けた際、雲仙普賢岳の災害の映像を魅せた後に、教授(災害発生後、数年内に現場入りし、実際に普賢岳を登って調査していた)が、「え~この方はこの後亡くなります。」とか「これ、遺体ね。」とかおっしゃっていて、災害史を学ぶってこういうことかと思った。たとえどんなにえげつない自然現象(地震・大雨・豪雪などなど)が起きても、人がいなければ災害は起きません。そして、私達、人や社会は愚かですので、残念ながら失敗からではないと変わる契機にはなりません。それまで成功したから大丈夫でしょ。となります。そして、災害における失敗とは人が無くなる事です。国や地方自治体に頼るだけでなく、我々個々人でも災害の失敗を少なくしていきたいです。自己責任論とは少し違いますが、国や〇〇のせいで死んだ!と声を張り上げても、死人に口はないし、逆に貴方は自分の命を他人に預けっぱなしで良いのでしょうか。私は我慢なりません。
ご視聴ありがとうございます。学生時代に防災や災害の授業が無く,独学で調べている身として専門の方からのご意見を頂き,大変恐縮です。ご指摘の通り,残念ながら痛みを伴わないと人々・社会の意識が変わりにくいのが実情だと思います。軽視し続け自分には関係ないと,無視し続けていてもその猛威が明日突然自分に降りかかるやもしれません。今後の動画作成で,少しの方々だけでも災害に対する危機意識を持っていただけるよう努力する所存です。また,最後の部分については,本当に悩むところです。災害時にはどうしても,被害や犠牲の原因・責任について取り沙汰される傾向になりがちです。この動画を含め,今後の動画でもお伝えしていきたいのですが動画投稿の主目的は,災害の原因を糾弾する事ではなく災害の際に分かった課題・対策を確認し今後の災害に,どう行動するべきか,指針の一端になる物を紹介したいと考えております。(合わせて,災害から復興した今も可能な限り紹介するつもりです。)技術・力不足な所もあり,中立性が保ちづらい所もありますがいずれは,自分の身は自分で守り,困ったときには互いに助け合う「自助・共助」の心が大切なんだと伝えていければと思います。
@@ゆっくり災害史 @ゆっくり災害史 私も災害に関しては大学で講義を受けた程度で、専門家ではないですが、大学のお手伝いとして災害の啓もう活動みたいなことはしていたくらいです。自己責任論の駄目なところとして、いざ自分の身になった時に無理に自分だけでなんとかしようとしたり、そこに家を建てるから悪いんだ。という個人ではどうしようもないところに飛躍したり、心が狭くなり不信感が増大したり、良いことはありません。ハザードマップがあるだろ!と言いますが、「地元で起きる可能性のある最大規模の地震」の地図とか、どこでも笑っちゃうくらい真っ赤で、「起きたらガンバ♡」という様相で、災害は程度の差はあれどこでも起きるという認識は必要です。蛇足ですが、お住まいは長崎県や九州だと拝察しますが、老婆心ながら、『長崎県防災推進員(自主防災リーダー)養成講座』なるものがあるそうですね。申込期限は切れていますが・・・
@@そこらの石-c1z ご返信ありがとうございます。ハザードマップについては,一度どなたにも見て頂きたいですが正直絶対安全だと言える場所は本当に少ないと思います。(というよりあるんですかね,どこも何かしら色がついていました)だからこそ,いずれ確実に来るだろうという前提で,避難ルートや避難先の確認は,やっておくべきかと。ご指摘の防災推進員や防災士については,少し確認していました。まだまだ知識不足ですが,来年か再来年以降,近くで機会があれば,受講してみようかと考えております。
あれから数か月経ちましたがご推奨頂いた養成講座を受講し,試験・救急講座を経て昨日付けで正式に防災士の認可が下りました,ご推奨誠にありがとうございました。おかげでやっと一歩目が踏めたと実感しております。今後も防災士として,動画制作に加えて,啓発活動などにも取り組んでみます。
動画配信おつかれさまです。噴火が終息するちょっと前(1994)まで島原(市役所に近いトコ)に住んでました、自分の記憶の限りで動画から多少脱線しますが・・・〇1990(小6)・秋の遠足で普賢岳に登頂した1か月後に噴火〇1991(中1)・春の体育祭の最中、灰混じりの黒いにわか雨が降り運動場に悲鳴が響く・火砕流発生後、家から外に出ると、焼けたような匂いが一帯に充満・市内の学校は1か月前倒しで夏休みに突入、避難していた親戚宅近くの学校に仮転校・週末はバスで島原へ戻るも、降りた島原駅周辺は一面灰色。人影は無く、車が巻き上げる灰で、半ば`ゴーストタウン'状態・雨と灰に加えて時々「火山礫」も降ってたので、家中の雨戸はしばらくの間すべて閉めきりに・市の北にある中尾川にも土石流が流れ通行止めになり、島原市が一時孤立・8月に学校が再開すると、掃除の時間は積もった灰の除去作業・降灰で窓が開けられないので、各教室に冷房が設置される。そして決まってヤンチャな連中が設定温度をMAXまで下げる・灰が積もった先生の車のボンネットに何者かが卑猥な落書きをして先生ガチギレ・同年秋の台風19号直撃で追い打ちを掛けられる翌年以降も降灰諸々ありましたが、いずれも小規模で前年程は無かったように思います。長々と失礼しました。
ご視聴ありがとうございます。辛いながらも当時の記憶を思い出して頂き,重ねてお礼申し上げます。ニュースにはない,被災された方の生の声が聞けたのは,大変貴重な経験でした。普賢岳の噴火は数年間も被災者の人々に不安な生活を強いたであろうし被災された当事者の方々しか分からないご苦労もあったかと思います。あれから30年経ちましたが,いまだ普賢岳は活火山であり将来いつか噴火するかもしれないと考えるとこの被災者の方々の証言や被災地の経験・対策がきちんと語り継がれていく事を願うばかりです。
@@ゆっくり災害史 さんご丁寧な返信ありがとうございます。当時住んでた島原市の中心部は比較的被害は少なかったんですが、被災された皆さんは長年仮設住まいで大変だったと思います。動画にもありましたように、今後は残った溶岩ドームの危険性や噴火災害の継承など、考えるべきことはまだまだありますね。そして、噴火の歴史をあらためて学ばせて頂き、感謝です。
初めて激甚災害法が適用された災害だったとおもいます。この後、激甚災害法の適用のハードルが下がりました。
ご視聴ありがとうございます。ただ,大変失礼ながら,この噴火災害って適用されたんでしたっけ?(もし間違っていたら,誠に申し訳ございません)確か90年代は阪神淡路大震災以外なかった気がします。噴火災害時も,基本は自主救済で,この法律が適用されなかった為このままでは被災者の経済的支援ができないという事で当時の島原市長が長崎県に直談判して,どうにか予算を付けたと記憶していました。ただ,個人的には,この噴火災害以前にもっと早く,色んな自然災害に法律を適用してほしかったと思います。(個人でできる復旧には限りがありますので)重ねて,もし記載内容に間違っていたら誠に申し訳ありません。
@@ゆっくり災害史 ありがとうございます。雇用保険関係で、一時的に休業を余儀なくされた事業所に雇用されている被保険者に基本手当が支給されることがあって、これは激甚災害法の適用によるものだと思います。職安はこのときのノウハウがあったことにより、阪神の震災で処理がスムーズに行えたと記憶しております。なお、“雲仙普賢岳 激甚災害”でネット検索するとレポートが出てきます。しかしながら、今のように十全を期した法律の体系ではなかったのでしょうね。このあと、震災や水害等が起きるごとに法律までいかなくても通達や要領とかが、整備されていったのでしょう。
当時は特別立法も検討されたとのことですが,立法化は難しいとのことで結局特別基金の設置がされましたが,後の阪神淡路大震災などでも参考となったみたいですね。激甚災害の指定については,大変失礼しました。私の間違いで,激甚災害の内の「本激」指定が90年代では阪神淡路大震災のみでそれ以外は記載が出てきませんでしたが,恐らくもう一つの「局激」での指定であったかと推察します。どちらも激甚災害指定であり,一定の補償が県や市町村にでていますね。今の制度も対策も,過去の災害から学び・経験したことによって出来上がってきた物ですから先人の辛い経験を決して無駄にせず,自分達の災害対策の糧にしないといけませんね。
@@ゆっくり災害史 いえいえ、曖昧な書き込みをして申し訳ありませんでした。実は先程の雇用保険のシステムのチェック(戦後初めて動くプログラム)にちょっとだけ関わっており、また、阪神、東北、熊本にお手伝いにこれもちょっとだけお手伝いに行ってました。その後、大船渡とか、熊本とかに訪れたさい、毎回泣きそうになってました。こうしたUA-camの記事で被害が少しでも少なくなると良いなと心底思います。そういう意味で、本当にありがとうございますm(__)m
当時も災害対策・復興にかかわっており色々被災地を回られた経験をお持ちだったのですね不勉強な身で,質問を返してしまい,失礼しました。このような動画がどれほど効果があるのかはわかりませんが災害を思い起こし,今一度防災を考えるきっかけになれば,本望です。落ち着いたら,特集した被災地は今後も訪問してみたいですね。
文殊の智慧と、普賢の慈悲なんだけど、私には厄才のイメージしかない。
ご視聴ありがとうございます。無知無学の身で恥ずかしいですが聞きなれない言葉だったので調べてみましたが,菩薩様の事でしたか。そういえば,満明寺や雲仙地獄,原城跡もそうですが,島原や雲仙って神道や仏教・キリスト教と,色んな宗教の歴史や名残が残っている場所でしたね。この普賢岳噴火は確かに多くの方が亡くなった厄災をもたらしましたが今のような平時での,温泉や湧き水など,人々に益をもたらす面もありますしこの地元の人々は,両面を受け止めた上で,この山と共存していらっしゃるのでしょうね。噴火災害のイメージが強いかと思いますが,今の雲仙・島原はとても落ち着ける良い場所です。
もし現代に、これと似たような出来事が起こった場合、面倒なのはマスコミよりもユーチューバーになると思います。将来こんなことが起こることがないよう願ってやみません。
ご視聴ありがとうございます。過去と違い,今では自分達一人一人が簡単に撮影でき全国に発信できるようになっています。ご指摘の通り,youtuberの方もそうですが一般の方々も災害時や緊急時において興味本位や迫力のある映像を撮りたいという気持ちで撮影をしたり,危険な場所まで近づくという行為は避けなければいけません。何よりも優先されるべきは,一人一人の命です。今後の災害特集でも同じ事ですが過去の災害を他県で起きた対岸の火事とは思わず自分達の立場に置き換えて今後起きた場合,どのような事が起こりうるか何をすべきか,してはいけないのか少しでもいいので,考える事が防災の第一歩だと考えています。
お疲れ様デス制止を破って危険地域に入った事は褒められませんが、火災流に巻き込まれた被害者には、国内外の火山研究者もいた事も忘れないでください。
ご視聴ありがとうございました。他の方の返信コメントでも記載させて頂きましたがもちろんクラフト夫妻の事や同行していたハリー氏の事も存じ上げております。彼らの残した様々な火山の調査記録は火山学の研究に大いに役立ったと聞いております。彼らの特集番組も昔拝見してますが,私の生前に噴火している火山の映像なども撮られており様々な種類の噴火を知るきっかけになりました。
被災された方々に手を差し伸べない政府って?なにもかも失ったらどうすればいいの?今だって助けなくていい人を助けてほんとに生活が大変な人のことは見てみぬふり、もう最悪だ‼️
ご視聴ありがとうございます。当時はまだ被災者救済の法律が整備されていない状態でしたが地元自治体や全国からの義援金で,被災者へ一定程度ですが,支援がなされました。本格的な救済制度が成立したのは,後の阪神淡路大震災以後になります。現在の甚大な災害時には,ある程度の救済がなされるようになりましたが被災者が元の生活を取り戻すためには国に加えて,県や市,地元自治体や地域,による全面的なバックアップ体制がより一層求められるのだと思います。
「他社にスクープを撮られたくない」「自分だけがスクープを撮りたい」「良い映像を撮りたい」まさに「撮り鉄」と同じ「撮れ高欲」だな
ご視聴ありがとうございます。どちらにも言える事なんですが,全部が全部そのような人ではないんですよね。ルールに沿って,真面目に取材される方ももちろんいます。ただ一部の方が暴走することで,全体のイメージ自体も悪くなる。中々解決が難しい問題かと思います。
今の迷惑youtuberやバカッター、インスタ蝿にも通じるものがありますね。他人の迷惑を顧みずに自分だけが良い映像を撮ろうとする欲は同じですね。
藩の時代から災害に対する対応ってしてたんだなあ
ご視聴ありがとうございます。100~200年前ではありますが,当時でのできる範囲で復旧・対策は為されていたみたいです。今回調べた際には,一部は現代の災害対策と大して変わらないものもあり先人の災害への向き合い方は,今でも大変勉強になると思います。
@@ゆっくり災害史 返信ありがとうございます😊高校時代に歴史の先生が「古文書を読み解いて昔あった災害について知れば、現在の災害対策に役立てることもできる。歴史を学ぶのは未来のためだ」と言っていたのを思い出しました。過去と現在は地続きですね。
新作はまだかい?(^。^)ノ楽しみに待っているのだ!
ご視聴ありがとうございます。重ね重ね,皆様にはお待ちいただき,誠に申し訳ございません。今日の段階では,文章が半分以上,打ち込みが終わっており大体書きたい内容もまとまっているのですがタイミング悪く,自己都合ながら2回目のワクチンを接種したばかりで,正直体調が芳しくありません。すいませんが,回復次第進めますのでもうしばらくお待ち頂きますよう,お願いします。
@@ゆっくり災害史 先輩! わざわざお返信ありま㌧!(^。^)ノ先輩の動画はとても詳しいしよく練られた原稿でわかりやすいと思います、そして長いのでお作りになるのにとても時間がかかるんだろぅな、って思ってます!おとなしく待ってますね! ご自愛ください!
インパクトの大きい災害でしたね
ご視聴ありがとうございます。みなさんがよく過去の映像で見られている,山から下る火砕流の映像もありますがローカルTVのyoutube映像には,違った視点からの映像もあり島原側から見たものでは,上空全てが火山灰に覆われ日中なのに,ほぼ真っ暗な光景も映像として残っています。こちらも結構衝撃的な映像ですので宜しければ,上記youtubeなどをご覧になってはいかがでしょうか?
箱根とか浅間山も一時期やばかったな
ご視聴ありがとうございます。大規模な噴火に至っていませんが,たまに噴火活動が見られるほどいずれも活火山として,まだ活動していますね。過去には多くの死傷者を出すほどの,噴火を起こしていますしまたいつかそのような噴火が起きる日が来るかもしれません。その日がすぐ来ないことを祈るばかりです。
今回のコロナの件を見ても、自分だけは大丈夫って根拠のない行動は、日本人のデフォかもしれませんね。玄倉川の水難事故でも、気象庁は慌てて台風の規模、強さの表示を変えたし、事が起きないと動かないのも日本人なのかもしれません。
ご視聴ありがとうございました。日本人に限らず,どんな人でも当事者になってみないと,本当の災害などの恐ろしさは分からないのかもしれません。今の災害対策は,残念ながら過去の災害による多くの方の犠牲の上に,出来上がった物だからこそ我々がもっと真剣に考えなければいけないのでしょう。
被災地での陛下の低姿勢には、最野党の党首も共感する旨トコメントしている。
この噴火災害は、バブル景気の絶好時に起こったことで噴火災害としては甚大な被害だが、その復旧は国の予算 民間の義援金など多数あって復興需要に沸いて、この地域は災害転じて福となりみたいな超好景気になった! 日本は災害大国で仕方ないことだが、その被害の復旧はその時の経済状況で解決出来ることです! 重要なのは、日本の景気経済だと思います!
ご視聴ありがとうございます。これから起こりうる災害に備えて,防災・減災の活動推進が重要ですが同時に,ご指摘の通り,被災地区の迅速かつ円滑な復興・復旧も重要な課題です。東日本大震災など近年の災害時には,日本全国に限らず世界中より支援の手が差し伸べられ国や自治体でも復興や復旧の方針がある程度まとめられており完全とはいかずとも,過去の災害時に比べると復興・復旧のスピードが早くなっていると思います。ただ災害の前の町のように戻す事を目指すのではなく以前よりも人々が住みやすく,新たな産業を開発し,魅力的な街を作る事そして同じ災害がまた来ても立ち向かえるような環境作り及び人々の防災・減災意識の育成がこれからの復興に求められている事の一つかと考えております。
@@ゆっくり災害史 災害対策など、いろんなことをやって被害を最小限にすることは災害大国の日本の歴史だと思いますが、災害が起きた時の景気経済状況でその地域の復旧復興が変わるから単純に災害の被害だけを言っても、ただ単に被害を誇張してるだけだと思います 東日本大震災の時は不景気で復興増税だし、雲仙岳の噴火災害ではそんな増税はなくて国の復興予算と民間の義援金でバブルです。
もう少し深堀してもいいような気がする。意外と普賢岳の噴火って重要な自然災害だと思うんだけど。災害派遣で自衛隊の装甲車出てきたり、遠隔操作の建設機器出てきたり、当時としては聞きなれない仮設住宅って言葉が出てきたり、あまり触れられてないけど土石流でえらい目あった人達も多かったよね。行くたんびに道が大変な事になってたし。そして長かったよね。これだけの動画だったらテレビの人と対して変わらないんじゃないw
ご視聴ありがとうございます。ご指摘の通り,触れられていない部分もあります。ニコ動にも同じように投稿しているため,ニコ動側の動画の画質の関係上動画の最大サイズが30分を目安に製作しております。主題を噴火災害の経緯と現在に置いたため,足りていない箇所については誠に申し訳ございません。今後の予定ではありますが,補足動画をそれぞれの動画で検討しております。そこでは補足に加えて,皆様のコメントを参考にし,新しく調べたものを追加したいと考えております。
長崎言うなら大水害はずせませんよ。最近大雨も多いし
ご視聴ありがとうございます。それは確実にやるつもりです,地元民ですし。というより,今日の特別警報自体がもう災害です。あまり被害が無ければいいのですが…
@@ゆっくり災害史 土砂崩れしたあとなんかに、たくさん住宅地やマンションなってるとこ多いから、また起きたら前よか被害でるかもですね。
今は亡き祖父の家が大水害で流された。幸い祖父は知り合いの消防団員から土嚢作りを手伝ってほしいとお願いされて、外出していて帰宅したら家が無かった。
ご視聴ありがとうございます。
現在第2回を製作中ですが,諸事情により仕事が忙しく
自由時間が取りづらい為,製作に遅れが生じております。
申し訳ありませんが,もう少々お待ちいただきます様お願いします。
熊本市民です。
普賢岳の火砕流は対岸の宇土半島三角から実際に見ました、次の動画待ってます。
@@higot723 ありがとうございます。 可能な限り,被災者の方の事を考えて動画を投稿しようと心がけます。
お待たせし申し訳ありませんが,何とか作っていきます。
生まれて物心もつかない頃の出来事だけど、同じ島原半島に住んでいた身としては忘れてはいけない教訓が沢山ありますね。
わざわざ取材までしてわかりやすく取り纏めていただいて感謝です。
今の島原市は水が綺麗で食も豊富な良い街になってるので、観光のついでに慰霊に訪れてほしいものです。
ご視聴ありがとうございます。
残念ながらコロナ渦の為,県内ながら中々ぶらりとは行けないですが
落ち着いたら,また伺わせて頂こうかと考えております。
ただ,先日の豪雨災害で,島原半島は特に被害が出ており
中でも雲仙にあるなじみの旅館も大きな被害を受けて,まだ復興には時間がかかりそうですね。
早く気軽に行ける日が来ることを待つばかりです。
25:57昨年島原で開かれたこの災害のシンポジウムの後に、島原市長とお話する機会がありましたが、
「火砕流災害を機に、国に陳情してやっとの思いで整備した防災無線放送も、今となっては『うるさい』『もっと短い放送にしろ』とクレームの対象になってる」と肩を落としておられました。
ご視聴ありがとうございます、返信が遅れて申し訳ありません。 やはり被災経験がなかったり、記憶から忘れ去られると、そういった言葉が投げかけられるのも仕方ないのかもしれません。ですがこういった取り組みが万が一の際、誰かの助けになるかもしれませんし、クレーム対応は難しいかもしれませんが、是非とも続けて頂きたいですね。
良く調べましたね、地元の記念館は衝撃です。土石流で埋まった家屋がそのまま展示物に・・・知らずに訪れて、血の気が引きました。展示をオッケーした所有者の方、企画した島原市、私の想像を超えていた。
ご視聴ありがとうございます。
いずれまた見に行こうかと考えておりますが,おっしゃる通り,想像以上の光景です。
それだけ,被災地の方々が,後世に語り継ぎたいと真剣に考えて整備されたんだと思います。
今はこの時期ですから,なかなか難しいですが
展示物の一部は,博物館等のサイトでもご紹介されていますし
興味を持っていただければ,色んな方に見て頂きたいと思う施設です。
@@hipopomona ご視聴ありがとうございます。
運営については,補助も出ておりますので
閉鎖という事はないかと思われますが
コロナ禍による観光客減少の影響は少なからずあるかと思われます。
ですが,運営の方々も様々なイベントや
情報発信をして頂いておりますので
後は,この状態が落ち着いて
平時のように,普通に訪問できる環境になることを
祈るばかりです。
島原の出身です。
当時は10歳でしたが、噴火の光景は今でもはっきりと覚えています。
登下校時にマスクやヘルメットを持参していました(火山灰や噴石が万が一来た時のため)。
今となっては遠い記憶でもありますが、防災の意識は薄れさせてはならないなと思います。
丁寧な内容で、当時をまざまざと思い出しました。思い出させてくださって、ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます。
感謝を頂いておりますが,逆に辛い思い出を思い出す形になっていたのならば,申し訳ございません。
今後もこのような動画を作る以上,その地方の方や被災された方
もしかしたら,大切な方を亡くされた遺族の方も,見る可能性があるかもしれません。
可能な限り,当時の状況を詳しく書こうと考えておりますが
それがトラウマを思い起こすきっかけになってしまわないか,悩む所です。
とりあえず,続けてみようかと考えております,ご意見があれば遠慮なくおっしゃって下さい。
とても丁寧な解説で理解が深まりました。
時間がかかってもイイので、これからも質の良い動画制作を希望します。
頑張ってください、応援します。
ご視聴ありがとうございます。
作ってる本人が,これで大丈夫かと自問自答しながら
作っておりますが,災害を考えるきっかけになれば,ありがたいです。
大変お待たせし,申し訳ありませんが,今日も幾分か製作が進みました。
納得する形に出来上がり次第,投稿させて頂きます。
非常に分かり易い動画の作成ありがとうございました。
昔の火山活動や30年前の当時の様子がよくわかりました。
島原出身ですが災害当時は母のお腹の中におりましたので記憶は全くないのですが、同級生には大噴火当日に生まれた者や噴火の犠牲になった方を親に持つ者がおりました。
余談ですが火山灰対策(夏に窓を開けられない)で地元の学校の教室はクーラー完備でした。
備わっていることを当たり前に過ごしてきたので、後に全国的には全然設置されていないことを知り、地元の設置に至った背景を知って災害の影響を実感しました。
また、学生の頃にアジア初の火山都市国際会議が島原で開催され、海外から多くの学者が集ったのを覚えています。
地方の片田舎で何もないと思っていた地元が世界的にも注目されている場所だと知り、改めて事の大きさを実感しました。
ご視聴ありがとうございます。
クーラーが付いている事は一見羨ましいと思えますが
あの噴火災害を考えると,大人の方々が火山灰から子供達を守りたいという強い意志が見えますね。
島原半島がジオパークとして認定されたのには
ただ噴火災害が甚大だっただけではなく,そこに生きる人々が
少しずつ復興を目指し,火山と共生していく事を選ばれたからこその結果だと思います。
私自身も,その会議が行われた時は,まだそれがどれだけすごい事か,理解していませんでした。
この動画を作っていた際に理解し,当時何が何でも行くべきだったと,後悔が残るばかりです。
やっとこの動画を見つけました❗
ありがとうございます!
ずっとこの動画を待ってました
うP主さんこの雲仙普賢岳の災害の動画を作るのは大変でしたね!
お疲れさまでした❗
ご視聴ありがとうございます。
そこまで言っていただき,感謝に堪えません。
この災害特集については,すぐすぐ作ったというよりは
過去様々な特集番組を見た記憶や,現地の伝承施設に伺った時の記憶を
現在の知識と合わせて,まとめるような形の物でしたので
時間はかかりましたが,製作自体は苦ではありませんでした。
今後もご満足いただけるような動画制作に勤しんでいきます。
火傷といっても表面的な火傷だけではなく、灼熱の粉塵を含む空気を吸い込んで気管や肺まで焼けていて治療がとても困難だったと聞いています。とても痛ましいです。
ご視聴ありがとうございます。
消防団員さんが大やけどを負いながら火砕流が逃げてきて山を下るシーンを見たことがあります。
地面に横になられた際に,内部の火傷により呼吸が困難な上
壮絶な痛みに叫ばれていたのが,とても痛ましく,辛い映像でした。
そのような被災された方々を何とか助けようとした,地元病院の方々には,頭が下がる思いです。
熊本県天草在住です。江戸時代の津波の犠牲者がたくさん浜に流れ着いたため、今でも各地に弔うための慰霊碑などがたくさんあります。
小学生の時対岸の雲仙岳から流れ下るドス黒い火砕流を見ていました。当時は津波を想定した避難訓練もしていました。
今も活きている火山です。いつ何時、当時のような災害が起こるかもしれないことを忘れないために、動画にしていただいてありがとうございました!
ご視聴ありがとうございます。
天草は長崎からすれば隣なのですが,まだ行ったことがありませんので
そのような慰霊碑の存在を知りませんでした。
いずれ,この状況が落ち着いたら,当時の痕跡を辿りに,伺わせていただこうかと思います。
こちらこそ,新しい情報を頂き,ありがとうございました。
返信ありがとうございます。私の母方の実家の庭にもその小さな慰霊碑があります。毎年4月1日に大きなものではありませんが慰霊祭をして私も参りに行っています。
当時浜に上がった方々を埋葬したのだと聞いています。
長崎と天草、潜伏キリシタンの関連もあり、縁が深いですよね!ぜひいつか天草にいらしてみて下さい😊
ご覧いただきありがとうございます。
合わせて,大変お待たせし,申し訳ありません。
先程,第2回ゆっくり災害史~熊本地震~を投稿しました。
ua-cam.com/video/rlDsSgcMlyo/v-deo.html
宜しければご覧ください。
江戸時代の噴火、知らなかったので面白く拝見しました🌋
私も知っている世代ではないのですが、学生時代島原の結婚式場でバイトしていました。
新婦さんのご両親へのお手紙で『普賢岳が噴火して避難したね』から一同すすり泣く事がよくあって記憶に残っています✨
ご視聴ありがとうございます。
私も島原大変肥後迷惑について,具体的に何が起きたか,今回の動画作成で調べるまで知りませんでした。
中身を紐解くと,甚大な災害であると同時に,現代にも通じる対策や,起こりうる二次災害など
今でも学ぶ点が多々ありました。
また,この噴火災害は,多くの島原市民の方々には辛い経験となったと思われます。
災害を知ることで,被災者の方々の心情に
少しでも近づける一助になれれば良いかと考えています。
熊本で生まれ熊本市在住です。普賢岳の様子は熊本からもたまに見えていました。当時は高校3年生~社会人になっていました。当時はコンタクトのハードレンズをつけていた人が目を真っ赤にして痛がっていました。そんなときに普賢岳のあの大火砕流を知りそこからマスコミがマスゴミと言われ始めたような気がします。当時その場にいたマスコミは自業自得だ天罰だと思いました。 30年経って亡くなった彼らもテレビ局の犠牲者だと思ってしまいますが、よその家を勝手に入った所に関しては許されないことと未だに思います。
ご視聴ありがとうございます。
火山灰を直に浴びた経験がないので,存じ上げておりませんでしたが
確かにコンタクトをつけてる方には,辛い時期だったのかもしれませんね。
今でも多くの方から,マスコミの批判が多く出ていますし
当時は今の比ではなかったのでしょうね。
当事者や被災者ではないので,言える立場ではないとは思いますが
この犠牲は防ぐことはできなかったのか,とどうしても考えてしまいます。
どうかマスコミの方々には,どのような状況下でも,人として・社会人として守るべき一線だけは
心に留め置いて頂きたいと,考える次第です。
あの火山学者の男性、23年間も火山を見てきた。あした死んでも自分はかまわない、って、同じ定点にいた人たちは知っていたのかな?
科学が発展して自然なんか制圧した、と思ってる現代人の勘違いへの警鐘でしょう。巻き添えになった方々や、哀れ。合掌
思いきり被災してました。
親父が消防団で走り回ってましたね。
友達の家は焼けましたし、兄貴は隣町の高校へ行くのに道が通行止めでフェリーに乗って通ってました。
ご視聴ありがとうございます。 私が知りえる情報は当時のニュースや特集
体験談や現在でのレポートぐらいですが,当事者の方々は我々が想像できないほどの
恐怖や苦労にあわれたのだろうと,推察します。 本当にご無事で何よりです。
ボクは当時島原半島民で高校生でした。
マスコミによる人災についてはみなさんのおっしゃる通りです。
他にも一人だけ深江町について書かれてる方がいますが、災害は島原市と南高来郡深江町(現 南島原市)との市境で起きてます。
しかしマスコミの報道の仕方が悪く、義援金は島原市にばかり集まり深江町にはあまり来なかったそうです。
本当に高校生のボクはマスコミに呆れ果てました。ジャマしかしない。
ご視聴ありがとうございます。
やはり当時の被災者の方からすれば,当時の雰囲気や
マスコミ対応については,我々が今思う以上の物があるんでしょうね。
来てほしくない所には大勢で来て,逆に取り上げてほしいのに,誰も見向きもしない。
それじゃあ,そういう気持ちになっても仕方ない。
今は,マスコミに頼らずとも,自分達である程度は発信できるようになっていますので
今後,被災地間での義援金や援助の差が少しでもなくなればいいですね。
楽しみに待ってるとは言えないけど、自衛のためにも必要な動画と思います
ありがとうございます
ご視聴ありがとうございます。
私の力不足故,中々制作スピードは上がりませんが
何とか一通りの災害はご紹介できるようにし,類似した災害に
万が一遭遇しても,対処の参考に出来るよう,努力する所存です。
災害復興記念館に行ったことあるけど、亡くなった記者が持っていたカメラの映像が流されていた。
隣で一緒に見ていた知らない叔父さんが「こういった犠牲がないと、人間は危険性を理解しない。この人達の犠牲を覚えている限り、同じような犠牲者は出ないだろう。だから、忘れてはならない」と、多分息子さんに言っていたのを思い出した。
ご視聴ありがとうございます。
自然災害は被害ばかり注目されますが
同じくらい重要なのは,その後の復興と今後への教訓だと考えます。
年が経つにつれ,災害の記憶は薄れていき,被災者・体験者はご高齢になっていき
語り継ぐことが年々難しくなっていきます。
幸いにもこの普賢岳噴火については
島原半島の各地に多くの噴火災害の伝承施設があります。
県外の一般の方はもちろんですが,動画内にもある通り
マスコミの関係者の方々にも,一度来て頂きたいと考えています。
といいつつ,自分自身も今後の動画で特集する場所は,いずれ伺わなければいけませんね。
まだインターネットがあまり普及してなかったから、情報はほとんどテレビの報道、新聞だったからマスゴミがやりたい放題な時代でしたね。
東日本大震災、熊本地震でマスゴミの傍若無人な振る舞いが一般人のインターネットで暴露されるようになったのも大きな進歩だと思います。
ご視聴ありがとうございます。
全部ではありませんが,一部のメディアによるモラルに反した報道は
その他すべてのマスコミに対する世間の目を厳しいものにしてきました。
だからこそ,ご指摘通り,一般の人から,見られているという自覚を持ちつつ
マスコミ側でも,一部の誤った報道姿勢については,同業他社できちんと報道し,NOを突き付けられるよう
互いに監督する自浄作用を持っていただければ,今後の報道の在り方も変わってくるのかもしれません。
といっても,その報道を見ている立場では偉そうな事を言えるわけではないですが
一個人・一視聴者としての,願いです。
追加補足(動画内で収まらない為):
動画内で,マスコミに対する批判がありますが
一方で,現在のローカル局では,今年に限らず
毎年普賢岳については,特集を行う程,真剣に向き合って報道をされております。
長崎の各局のyoutubeチャンネルでは,特集動画を
配信されておりますので,よければご覧になってはいかがでしょうか。
訂正:雲仙岳災害復興記念館
→雲仙岳災害記念館です、失礼しました。
訂正:雲仙町ではなく小浜町内の雲仙地区でした。
重ねてお詫びを申し上げます。
ローカル局は地元密着だから当然そういう流れになるけど
キー局はそうじゃないから毎年やんないよね
その後の災害報道をみて当時の教訓を生かしたり反省しているとは
どう贔屓目に見ても思えないんですよね
@@スズシナルミネ ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の通り,キー局とローカル局の災害報道での報道姿勢は
災害発生時及びその後の報道において,差があると思います。
きちんと地元の住民の声を拾って報道して頂いている所もあれば
そうでないところもありますし
その両面をきちんと,今後の動画内で解説していければと考えております。
ありがとう
本当にありがとうございます
これからも 動画作成 頑張って下さい
@@wottyannuottyann7964 ご視聴ありがとうございます。
そこまで感謝して頂けるとは,思いませんでした。
これからも,スローペースではありますが,皆様にご理解頂けるような
動画の作成に勤しんでいきます。
実は私は長崎県に住んでいます
町内の旅行で雲仙に行き普賢岳災害記念館にも行って来ました
その時の衝撃が何年経っても忘れられない記憶なんです
だから みんなに知って貰いたいと思っていました!又次の動画も楽しみに待っています
小さい時、テレビで良く流れてました。
報道の車が2匹の犬と出会って連れて逃げていて、良かったなぁって思ったのを覚えています。
ご視聴ありがとうございます。
違う映像かも知れませんが,自衛隊のヘリが不時着した際
同行している報道の方と逃げてる時に,自衛隊の方が民家の犬も
逃げるように促しているのを見た事があります。
@@ゆっくり災害史
そうだったのですね!
動物も助かっているのを見ると、ホッとしますよね☺️
とても丁寧な説明で見やすかったです。
恐ろしいことに九州には大きな火山がいっぱいあって、例にもれず雲仙普賢岳にも本体がいる。1989年の地震の震源地の「橘湾」がそれで、この地下にマグマ溜まりがあって湾自体がカルデラとのこと。
因みにこの頃の火砕流の一般認識としては「少し熱い程度の煙」としか見られていなかったのも大きな要因となったようです。
ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の通り,本州に比べて九州は火山の密度が多く
普賢岳を含め,目に見える部分だけではなく,その本体の規模は大変大きい物です。
(桜島の本体を知ったときは本当に驚きました,湾のほぼすべてでしたね。)
火砕流については,当時はまだ,他の火山などの映像などではっきりと情報が出ておらず
火山学者の一部の方々は,その危険性を十分把握されていた方もいましたが
人々への通知によるパニックを防ぐため,良かれと思って危険性をそこまでお伝えされず
結果,人々の認識が改まる事には繋がりませんでした。
当時,観測されていた火山研究の方が噴火直後の特集番組でおっしゃられていましたが
この噴火災害では,我々火山学者,マスコミ,自治体,みんな揃って一年生だった,
噴火・火砕流の事について,分からないことが多く,結果,的確な対処ができなかったと悔やんでおりました。
ただ,この事例があったからこそ,その後の噴火災害での研究や通知,避難目安などに
繋がっていると思います。
災害があった当時まだ小学生だったけど、父が購読していた新聞に火山灰の上に黒焦げの遺体が映ってる写真が載ってた記憶がある。いまだになんとなく覚えてる。
ご視聴ありがとうございます。
当時は今ほど報道規制がありませんでしたので,今見たらショッキングな画像・映像でも
掲載・報道されていました。
ちなみにその映像自体は,どの動画かまでは覚えていませんが
youtube内にて,普賢岳噴火時の報道の動画があり
一面,白い火山灰に覆われた農道にて,倒れて動かない複数の遺体が映っておりました。
見るのには辛い映像ですが,火砕流がいかに恐ろしいものか,実感しました。
メディアの責任として現地の状況を伝えたいとか色々あるんだろうけど、救助ボランティアと同じで被災地で他人の物を使わない、盗まない、迷惑をかけないとか最低限は守らないと全てにおいて正義が無くなる。
ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の通りだと思います。
現地の方々からすれば,ただでさえ少ない資源や,余裕のない生活において
それを侵害するのは,邪魔以外の何物でもないでしょう。
全国に被災地の実態を伝える役目がある事は重々承知していますが
その報道の担保は,被災地と共にあり,被災者の助けになる事が前提です。
伝える情報の中には,被災地以外の人々が知っておくべき事がたくさんあると,分かっているからこそ
それを報じる立場の方々には,どうか被災者はもちろん視聴者の信頼を裏切るような行為だけは
慎んでほしいと,切に願います。
大変に良い解説でした。
ご視聴ありがとうございます。
第1回という事もあり,力・技量不足な分
まだまだ解説しきれていない箇所もありますが
今後も様々な災害について,できる限り多方面から
詳しく解説できればと考えております。
詳しく丁寧で、変な煽りも無くとても観やすい動画でした。
今後の動画も楽しみです。
ご視聴ありがとうございました。
初投稿の作品であり,だいぶ固い印象のものになってしまったかもしれませんが
ご満足いただけたら何よりです。
このチャンネルのモットーの一つに
中立性を保ち,原因の糾弾ではなく,これからの対策を学ぶことを
主眼にしております。
今後もこの部分は特に重視して,少しずつ作成させて頂こうかと考えておりますので
宜しければ,今後ともよろしくお願いいたします。
当時中学生でした。社会科の先生が雲仙普賢岳と今起きている災害を解説してくれたのを覚えています。
そして、クラスで義援金を集めて、どこの局だったかは覚えていませんが、他局が島原市の被害を報道する中、深江町の被害と物質不足を報道している所があって、クラスで話し合った結果、深江町宛てにクラスで集めた義援金を送りました。
後日、丁寧な手紙を深江町の方からいただいたのを覚えています。
ご視聴ありがとうございます。
災害にありがちなのですが,ご指摘の通り
取材は,一番被害が大きい所,被害が一目瞭然な場所に集中しがちで
例え人的被害はなくとも,間接的に甚大な被害を受けている場所も数多くあります。
現在の災害対策では,大小関わらず,支援が必要な場所からのSOSを確実に受け止め
支援を行き届ける事が,重要な課題となっています。
深江町自体も,火砕流・土石流・火山灰と大きな被害を受けており
現在も,当時の被害の痕跡を残す施設があります。
行き届きづらい箇所への援助をして頂き,一長崎県民としてお礼を申し上げます。
当時福岡の佐賀寄りに住んでいましたが、噴火する一週間くらい前に修学旅行で行って、山にバスで登り、バスで行けるギリギリの距離まで観光しました。
バスガイドさんが「最近煙が多いんですー」って言っていて、バスが包まれて視界がなくなるくらい煙が多かったのを覚えています。
噴火した後は福岡の自宅の方まで道や車が灰で真っ白になってましたね。
ご視聴ありがとうございます。
あの当時,あそこまでの大噴火になるとは
専門家はともかく,一般の方には予測することは難しかったでしょう。
島原から風向を考えれば,火山灰が北側にいってもおかしくはないと思いましたが
まさか福岡まで届いていたんですか。
火山灰については,九州の多くの地域に影響が出ていたのでしょうね。
事故や事件の解説は他にもあるけれど、災害に限ったチャンネルは珍しいなと思い、チャンネル登録させていただきました。落ち着いた雰囲気の動画で、めちゃくちゃ見やすかったです☺️
これからの動画も楽しみにしております。無理なさらず主さんのペースで!
ご視聴ならびにご登録,誠にありがとうございます。
まだ完全な予定ではありませんが,過去の災害に加えて
災害発生のメカニズムや,災害発生時の対処法,備えなど
防災に関する情報等も動画にしていきたいと考えております。
個人的な希望としては,今後の動画作成において
ただの過去の災害として,一出来事としてお伝えするのではなく
そこから学べる知識を,いずれ来るかもしれない,災害発生時に役に立っていただければ,と。
火砕流からに逃げるシーンが記憶に残る
天災と人災初の報道
ご視聴ありがとうございます。
あのシーンは,テレビでの過去の災害の特集時には
必ずと言っていいほど流れる映像です。
実際に被害を受けたのは,あの逃げる人と消防車ではなく
あの映像の後,風向きが変わって火砕流が向かってきた,定点にいた方々ですが。
逃げる人や車に比べて,どれだけ火砕流が巨大で,ものすごいスピードか
火砕流の恐ろしさを伝える,貴重な映像だと思われます。
ものすごく勉強になりました‼️
素晴らしい動画をありがとうございました😊
ご視聴ありがとうございます。
未熟な動画ではありますが
普賢岳噴火について少しでも興味を持っていただき感謝しております。
実際の映像などが,youtube内にもありますので,宜しければそちらもご参照ください。
今後も様々な動画を製作させて頂きますので,どうぞよろしくお願い致します。
雲仙普賢岳の火砕流事故は当時テレビのニュースで観ましたが、かなり衝撃的で恐ろしかったです。
新聞でも連日火砕流事故の記事が載っていて、またニュースでも迫りくる火砕流から必死に逃げる人々の姿や声が流れてきて、食事が出来なくなるくらい恐怖を覚えたのを30年経った今でも覚えています。
マスコミの在り方に大きな一石を投じる事故でしたね。
確かに各局でより大きなスクープを撮らねばならないというプレッシャーや焦りや欲はあったでしょうね。でもやはり一線を越えてはいけなかった。
本来なら避難がスムーズに出来た筈だったのを連日マスコミが居座ったせいで、消防団や警察官は避難したくても出来なかった。結果として43名もの命が失われた。
やはりルールや警告は守らねばならない。
それは今のコロナ禍にも通じる。
あれだけ国や各都道府県知事が外出自粛や大人数での旅行や会食、他府県への移動の自粛を呼び掛けている。一人一人が危機意識を持って呼び掛けにきちんと耳を傾けて節度のある行動をとらなければいけませんね。
ご視聴ありがとうございます。
同意見です,現在のこの状況は,まさに全世界で起きている「災害」です。
ルールは,社会全体の維持に必要であると同時に,自分自身を守る物。
この普賢岳の問題は,対岸の火事と考えるべきではないかと。
自分自身の欲求に負けず,規律ある行動を行わなければ,明日は我が身となりかねません。
当時は長崎市にいましたが地震の揺れが何度も起き不安になったことを思い出しました
いつかは崩れる溶岩ドームに対しての対策が万全であることを祈るばかりです
ご視聴ありがとうございます。自治体の対策もありますが,そこに住む人々も
明日起きるかもしれない災害に備えて,訓練などを行っています。
これからも動画を作りつつ,自分自身が勉強して,防災の知識を深めるつもりです。
今さらながら義援金やご支援ありがとうございました
私は当時深江町の中学生でした
当時のことをコメント欄に書いてたら、かなり長文になりすぎて削除しました
携帯のない時代だったので、家族で町を出た友達には全く連絡も取れず、会うこともなくなったことや、仮設校舎に通ったこと、高校に進学してからも土石流で道が寸断されフェリーや高速船で通学したこと、卒業アルバムには島原城に駐在してた自衛隊の災害派遣車に乗って写ったクラスがあったこと、色々思い出されました。
割愛したのに長文失礼しました。
コロナ禍が落ち着いてきたので、そろそろ故郷に帰省したいなぁ。
ご視聴ありがとうございます。
貴重な体験ですし,コメントの長さについてはお気になさらないで下さい。
昨今のコロナ禍での学生の方々もそうですが
災害時では,学生生活において様々な面で
影響があり,ご苦労があったかと推察します。
当時の映像では被災日からある程度までの状況は
放送されていますが
被災地の方々はその年だけではなくその後何年間も
噴火・土石流の危険性と隣り合わせで生活されており
日々の生活でも不便があったかと思います。
現在も,溶岩ドームの一部が崩壊の危険性があり
今後,土石流の発生が危惧されていますが
砂防施設も整えられており,先日も島原市内で
官民・地域住民共同での防災訓練も行われており
今日でも,災害の教訓が地域で活かされています。
災害に強い町として,今後も見本になり続けてほしいですね。
素晴らしい動画ありがとうございます。
当時、テレビで見ていましたが
この動画で知ったことも多く勉強になりました。
わたしは岩手県在住で東日本大震災を経験しました。
内陸部にいたので甚大な被害は受けませんでしたが、
色々と考えるキッカケになりました。
テレビ局で数年だけですが働いた経験があり、改めて考えさせられました。
どの災害でも風化させずに後世に伝え役に立ててほしいものですね。
ご視聴ありがとうございます。
東日本大震災を経験されたとの事で,ご無事で何よりです。
あの災害は,私自身この十年間での災害への向き方を
決めたような,大災害でした。
いずれ取り上げたいとは思ってはいるのですが
中々語る内容も多い上,生半可な覚悟では取り上げては
いけないと思っておりますので,残念ながら取り上げるのは少し先かもしれません。
ですが,その間にいろんな災害を特集し
ベースとなる知識を徐々に蓄えて,いずれ向き合おうかと
考えております。
当時のニュースも勿論衝撃的でしたが、九死に一生系の再現ドラマがとても怖くて、今でも時々夢に見ます。
ご視聴ありがとうございます。
当時のドラマは今ほど規制がかかっていませんので
かなりリアルに迫ったドラマを作る事が出来たのかもしれませんね。
ニュースに関しても,当時のものを見ると,これは映していい映像なのか
今では放送できないショッキングな物も流していました。
日テレ系の九死に一生スペシャルですかね。特撮を駆使した再現ドラマが大好評でしたが、トラウマになるのもわかります。中でも、島原の回は特に演出に力が入っていたと記憶しています。
大変興味深く拝見いたしました。連日、このニュースが流れていたので覚えています。
マスコミの人たちも「自分たちは大丈夫」って根拠のない自信もあったのかも。
ご視聴ありがとうございます。
当時は火砕流の情報が今ほど浸透しておらず,危険性が周知されていなかった事
撮影場所がそれなりに離れた高台にあった事もありますが
ここに集まっていた多くのマスコミの方々には,皆良い映像が欲しいという欲求を持っていた事に加えて,
こんなに多くの人が集まっているからここは大丈夫だろうという
正常性バイアスがあったのかなと,個人的に思っております。
油断・思い込みの隣には大きな落とし穴が潜んでいる事も多々あります。
災害時には,万が一の事も考えて,余裕のある避難行動を取る事が重要なのだと思います。
島原市出身です、昔、小学校の遠足で普賢岳登山しました
災害の起きる10年程前でしたが山はなだらかで登りやすく景色も良かった
当時も活火山だったのに今思うとよく小学生に登らせたよね(^^)
実家のみかん畑が火山灰て焼け野原になったのを実際に見て
噴火中の火山灰は炎より高温なんだと分かりましたね
ご視聴ありがとうございます。
地元局のyoutubeに,噴火前後の映像がありますが
登山コースの真横からも噴火していましたね。
御嶽山の噴火もそうですが,火山予知はまだまだ研究中の段階ですし
いつ近く活火山が噴火してもおかしくない,のかもしれません。
個人的な話ですが,普賢岳の近くにある仁田峠には毎年行ってます。
あそこは普賢岳を見る事もできますが,春はツツジ,秋は紅葉と
四季折々の風景が素晴らしい山です。
県外の方には,雲仙・島原に来て頂いた際に是非とも来て頂きたい場所ですね。
島原市のお隣、雲仙市在住です。噴火当時は小学生でした。私の町からもピンク色の噴煙が入道雲のように空高く立ち上る光景を何度も見ました。またこちらの町も風向きによっては火山灰が頻繁に降り、当時の小学校でも椅子に常に防災頭巾がかけられてました。また噴火期間中には大型台風が頻繁に被災地を襲って(平成3年の台風17号と19号)幼い私が自然災害の恐怖を初めて感じた出来事でした。
ご視聴ありがとうございます。
大変なご苦労をなされたようですが,ご無事で何よりです。
平年の台風ですら,九州に来た際は勢力が落ちていないので,大きな脅威ですが
当時の噴火時での台風は,今後何が起きるかわからない,と不安になられたのだろうと推察します。
当時の映像資料もいくつか残っていますが,あれから30年。
噴火災害を知らない方も多いので,そのような体験は貴重です。
教えて頂き、ありがとうございました。
当時、幹線道路の復興事業に従事のため、島原市内に宿泊してハイウェイ灯の設置工事をしてました。
付近は、本当に酷い状況で火山灰が風が吹いたり、作業車両が通る度舞い上がり、水無川付近は、土石流に埋もれた民家など
今でも、忘れることができません。しかし、今では、当時、被害者の治療をしていた総合病院も2000年に建新しく建替えて市民の医療の中心になって居り
道路整備も災害対策のため町が孤立しないよう配慮されてます。それは見事な復興を遂げています。
ご視聴ありがとうございます。
工事に従事された方だったんですね,復興に尽力して頂き,ありがとうございました。
当時のテレビ放送を見ましたが,本当に灰の量がすごく,呼吸にも悪影響な上
雨が降ると地面がぬかるむ上,土石流などの二次災害の発生に繋がりかねないと
厳しい自然との長い闘いだったかと推察します。
現在,島原道路の新規造成が進んでいますが,繋がると県中心部からのアクセスが大分近くなり
雲仙・島原へ観光がしやすくなるはずです。
これからの雲仙・島原の発展にとても期待しています。
阪神大震災で家を無くした神戸出身の高校時代のクラスメート曰く、来てくれたのが早かった順番に、
1、山口組
2、自衛隊
3、天皇陛下(現・上皇陛下)
4、消防
5、警察
6、総理大臣
だったとの事。
陛下へのご恩は一生忘れぬと事ある毎に云っておりました。
ご視聴ありがとうございます。
阪神淡路大震災については,都市部での大地震で
救助が必要な方々が各地でいらっしゃいましたが
多くの火災,建物の損壊,交通インフラの寸断などがあり
たどり着くことが難しくなっており
結果救助が間に合わなかった方々がたくさんいたと伺っております。
ご指摘の順序については,大変驚きではありますが
火災や倒壊で住む家を亡くされた方々にとって
両陛下の訪問は,希望を取り戻すきっかけになったのでしょう。
個人的に印象に残っているのは
上皇后陛下が,火災で焼損した市場跡に
自ら切って持参された水仙を手向けられた事です。
確かその水仙が地域住民によって永久保存されて
跡地の公園のシンボルになったという話を覚えています。
ご自身も被災地を目の当たりにし
少なからずショックをお受けになったであろうにも拘らず
被災者の為に寄り添われた姿勢は,なんと尊い事かと思います。
数年前、はじめて行きました。噴火当時は幼いながらに報道が加熱する有り様を見ていたのでこの目で現場を見られてよかったです。
来月、また再訪する予定です。
ご視聴ありがとうございます。
重ねて,来て頂きありがとうございます。
やっとコロナ渦も落ち着いてきており,長崎県内でも,県外からの方々をお見掛けするようになりました。
私も今月,紅葉のシーズンという事もあり
手前の仁田峠と,普賢岳を訪問する予定です。
普賢岳の噴火災害のイメージがありますが
島原・雲仙は観光するにもいい場所ですので
ゆっくりなさっていってください。
東京にいる私達家族は ニュースなどで 迫りくる火砕流から 逃げる様子を 視ていました。。
翌年くらいに母が 旅行で現地に行くことがあって とにかく悲惨な状況を 目の当たりにして 手を合わせ🙏ながら 涙が止まらなかったと。。
その後私と子供当時(中2と小2)と 夏休み熊本に単身赴任していた 主人の所へ行き 湯布院、阿蘇、島原、天草と旅行しました。。その時に普賢岳の現場に行き 慰霊碑に参拝し 火砕流で二階建ての家の 一階が 殆ど埋まってしまった家を 何軒も見て私達は 言葉にならなかった。。主人は運転しながら 私はタオルで 口を押さえながら 涙をこらえることが 出来ませんでした。。
ご視聴ありがとうございます。
合わせて,ご来県・ご見学誠にありがとうございます。
噴火後の数年ならば,今以上に火砕流・土石流の爪痕が生々しく残っていたのだろうかと思います。
当時は火砕流・土石流・火山灰により,自分達の家はおろか,農業・畜産業など
自分の仕事すら奪われた方も数多くいます。
災害によって被害を受けた被災地は,テレビで見る光景と,実際に行ってみる光景とは
大きく異なる物だろうと推察します。
見て頂いた経験が,今後起こるかもしれない災害に対して,少しでも役に立ってくれることを願うばかりです。
子供の頃、対岸の熊本の自宅からたまたま火砕流が噴煙をあげながら滑り落ちる様子を見てしまった。あの光景は未だ脳裏に焼き付いて残っています。。。犠牲者の方々にご冥福をお祈りします。
ご視聴ありがとうございます。
リアルタイムでそのような光景を見られたのなら
犠牲者が出てしまったと知ったときは,さぞお辛かっただろうと推察します。
ましてや,子供の時ならなおさらですね…
当時は日本はおろか,世界でも珍しい現象でしたが
この災害で,火砕流の恐ろしさが広く認知されたと考えております。
だからこそ,このような被害は二度と起きてほしくないですね。
犠牲となった方々は,どうか安らかに,そして,これからもこの島原を見守っていただきたいです。
ある週刊誌に載っていた新婚の看護師さんと被災した消防団員の話がマスゴミに対する怒りと被害者に泣けます。
災害復興中の自衛隊員が指輪を発見する下りも泣けますが、マスゴミはその事を封殺して自分達だけを殉職だと持ち上げた事には怒りを禁じ得ない
ご視聴ありがとうございます。
残念ながら,週刊誌の話については,存じ上げておりませんが
調査の際の参考動画では,殉職した消防団員や警察官のご家族が悲しみに打ちひしがれるシーンがあり
子供が親類の手を握りしめながら,父の死に向き合おうとしており,あまりにも悲しく,見るには辛い映像でした。
ご指摘された被害者や地元の方々の,マスコミへの怒りがあったからこそ,定点整備が30年もかかったかと思われます。
定点整備時には,当時そのような報道をしたと思われるマスコミの関係者も,一部ではありますが参加し
整備に協力されていました。
完全に良くなったとは言えませんが,当時より少しは良くなっているからこそ
どうか今後の災害報道では被災者に寄り添った報道をして頂きたいと,一視聴者として考えております。
@@ゆっくり災害史
ご返事有り難うございます。
週刊誌の記事ですが、文春だと記憶しておりますが。
火砕流から数ヶ月後、復興作業中の自衛隊員が火山灰の中から何か光るものを発見、拾って見たら指輪だった、持って帰って調べたら結婚指輪で、死亡した消防団員の物だった。
で、奥さんに返したらその場で泣き崩れた。
実はその日は結婚記念日だった、
との記事でした。
日頃、お涙頂戴のマスゴミは一切報道しなかったのは何故だろうか(怒)
まぁ理由は二つは想像出来ますが。
@@隼膺飛膺-s3n マスゴミたるゆえんですな
次も楽しみにしてます❗
ご視聴ありがとうございます。
多くの方から,次回へのご期待の言葉を頂き,重ねてお礼を申し上げます。
試行錯誤しておりますが,納得する形で出来上がり次第
投稿させて頂きます。
自分は当時まだ生まれてなかったけど島原の隣の諫早の人間なので小さい時からお話はよく聞いてました。昔からがまだすドームや災害遺構家屋など見る機会多かったです。去年の30年追悼の時も丁度島原にいて当時のことを聞く機会がありました。災害のことしか知らなかったですがマスコミのことを知れたので勉強になりました。長文失礼しました。
ご視聴ありがとうございます。
私も同県内に住んでおりますが
恥ずかしながら,噴火災害の施設については
大人になるまで伺う機会はありませんでした。
今回の特集のきっかけも,テレビでの特集番組を見たことによるものでした。
ですが,こういう災害への知識を得ることについては
速いも遅いもないかと思っております。
重要なのは,遠くの災害でも他人事と思わず
自然災害を身近にも起こりうる事と認識し
防災の知識や心構えを持っておく事かと。
遅筆ではありますが,今回の普賢岳災害については
現地訪問のレポート動画を現在製作中ですので
出来次第アップさせて頂きます。
今後とも宜しければ動画ご視聴の程宜しくお願いします。
島原半島出身者です
今年の祈念の日にあたり色んな動画を探していて出会いました
当時はまだ幼い子供でしたが、髭面の鐘ヶ江元市長は覚えてます
数年前帰省して島原半島をぐるっとドライブしましたが、遺構も寂しい感じでした
次は平成新山の崩落も待ったナシ
兎に角無事を祈りたい
ご視聴ありがとうございます。
今年の記念式典で鐘ヶ江元市長も出席されていらっしゃいましたが
91歳なのに依然お元気で,これからも被災記憶の伝承が続いていってほしいと
おっしゃっていました。
がまだすドームなど屋内で保存している物はともかく
屋外の遺構は,今後も少しずつ朽ちていくのでしょう。
また平成新山も溶岩ドームの崩壊の危険性が伝えられる中
今後の観測体制については
ここ普賢岳を含む日本全体での観測員の人員が少ない状況もあり
課題が残っている状況です。
ですが,ここには復興事業で多くの方が尽力して建設した砂防施設や
地域住民の高い防災意識があります。
新たな災害が起きないのが一番ですが,この防災・減災体制があれば
被害は最小限にできるでしょうし,ソフト面の意識については,本当に見習いたいです。
長崎県は普賢岳の件もあったし、長崎市内の大雨(1982年の長崎大水害)や九州北部豪雨、先日の豪雨も酷かった。山がちな県なので、どうしても被害が大きくなりやすいんですよね・・・。
長崎県の方だと思いますが、全国の災害をこれからも丁寧に取り上げてほしいと思います。過去の災害から現在起こっている災害に生かせるところはあるはずですから・・・。
私は東海地方の人間なので、伊勢湾台風・東海豪雨はやってほしいと思いますし、人間が起こしたものも災害と見るなら、新潟や糸魚川などで起こった大火(大火事)も取り上げてほしいです。
ご視聴ありがとうございます。
合わせて,様々なリクエストを頂き,重ねて感謝を申し上げます。
ご指摘頂いている災害については,一通り存じ上げております。
順番に関しては,特に決めておりませんが,様々な種類の災害をローテーションの形で取り上げる予定です。
長くやっていきたいと考えておりますので
くれぐれもその地域の被災者の方々に失礼が無いよう
よく推敲して,少しずつ動画を作成させて頂く所存です。
解説お疲れ様です。
私事ながら防災士でして、島原大変肥後迷惑まできちんとしっかり解説して下さる動画に巡り会えて嬉しいです。
ぜひこれからも重厚な調査に裏打ちされた動画、楽しみにしています
ご視聴ありがとうございます。
自然災害の中には,過去に似たような災害が起きた場合もありますので
そちらにもできる限り触れ,最近の災害との比較,過去の災害から学べることなど
多くの事を伝えられるよう努力していきます。
防災士については,私自身も興味があるのですが
ただ,私が住んでいる県では,講座などは時期が違うようなので
その機会が来れば,受講してみようかと考えております
このような動画を作っている身としては,取っておきたい資格です。
@@ゆっくり災害史 どんな災害も未来は予知できませんし、過去から学ぶ事しかできませんから、こうやって遺してくれた先人たちに感謝です。
防災士講習は1年の間に全国をグルリと周回するように開催されてますし、受講前に救急救命講習1級を取得しておかなければいけないなど準備もたくさんありますので、慌てずじっくり狙っても良いと思います。
いつか一緒に防災士です、と言えると良いですね。
応援しています。
あれから数か月経ちましたが,その後講習受講や試験を経て
昨日付けで正式に防災士の認定証が届きました。
応援頂き,誠にありがとうございました。
奇しくも丁度普賢岳の祈りの日に間に合いました。
改めてですが防災士同士,今後も防災活動の啓発などに頑張りましょう。
14:19 雲仙岳はたくさんの山・岳がある状態なので谷もたくさんあります、
そんな状態で仁田峠や雲仙温泉街が危ないなら島原半島は全てが危険だと思う・・・と半島内に生まれてから今も住んでる私が言ってみる。
ご視聴ありがとうございます。
私も仁田峠や定点に行き,普賢岳がどれ程高いか実感しましたが
ご指摘の通り,あの山頂や他の山で一度噴火したら,火砕流がどの方角に流れても甚大な被害が出ると思います。
災害が起きた後では,あの時の災害前の行動は危険だと,いくらでも言えるのですが
もし私が,当時あの環境に居たとして,果たして,今と同じように注意を出せるのかと言われると
何とも言えません。
ただ,私個人としては,小学生の頃,同県内で起きたこの災害の被害と復興活動を知った事が
防災への意識をもつきっかけになりました。
動画であの様にお伝えしておきながら,はっきりとしたコメントが出せず誠に申し訳ありません。
時代区分は違いますが、同じ災害史というジャンルで学部の卒論書いた者としてめっちゃ応援します!
ご視聴ありがとうございます。
災害を専門とされた方からすれば,知識も動画の質も
稚拙かもしれませんが
これから動画を作りながら,どちらも勉強していきたいと考えております。
応援頂き,大変励みになります。
動画アップありがとうございます!
この災害は小学生時代にテレビで見て口が開いたまま( ゚д゚)ポカーン状態で何が起きたか訳分からなかったのですが、母親から説明されて、涙をボロボロ流した記憶があります。遠い地域の出来事でしたが、とてつもなく心が痛い記憶です。
ご視聴ありがとうございます。
私も,幼児でしたので,当時の記憶はほとんどなく
地元のニュースでも,部分的にしか,当時の状況はわかりませんでした。
その後,大人になり,youtubeを見たり,自分の意志で被災地の伝承施設に伺うことで
この災害の経緯などを学びました。
テレビなどで各地の災害を見るだけでは,どこかフィクションに思ってしまうこともありましたが
このような学習の経験をしたことで
これら災害はまぎれもない現実であり,多くの犠牲が出てしまった悲しい事実があると
考えるようになりました。
このような動画作成も,自分自身で学ぶきっかけの一つとして作っているので
これからも自分の知らない災害についても
一つ一つしっかりと調査を行わせて頂きます。
眉山は有明海側に面した東側が一面絶壁になっていて、200年以上前の山体崩壊の痕跡が今でもハッキリとわかりますね。
晴れた日には、直線距離で海を越えて100㌔近く離れた佐賀からでも雲仙岳や眉山の歪な山影が明確に展望できます。
ご視聴ありがとうございます。
この動画を作るまで,眉山の事については,知識があまりありませんでしたので
意識してみておりませんでした。
今度,落ち着いてから島原にまた行こうかと考えておりますが
その時にじっくりと,過去の崩壊の後を確認してみます。
自分も島原半島の南側に住んでます。この頃は火山灰で大変でしたね!
ご視聴ありがとうございます。
当時の話を聞く機会がありましたが
今の鹿児島県の桜島近辺の方々と同じように
たまっていく火山灰を度々回収しないといけない環境だったと伺っております。
火砕流や土石流など,目に見える危険な災害ではありませんが
日々の生活だけではなく
家屋や農産・畜産にも影響を与えかねない事ですので
大変ご苦労があったかと推察します。
普賢岳の噴火による災害は自衛隊の災害派遣では最長の1653日間という長期に渡る災害派遣となりました。
6月3日の大火災流災害以降は、自衛隊が九州大学島原火山観測所の指導を受けながらヘリや車両などで警戒区域に入ったり、普賢岳の状況を常に提供する側になった。
ご視聴ありがとうございます。
以前,県内の陸上自衛隊大村駐屯地を訪れる機会があり,同施設内の資料館にて
派遣期間中の活動についてまとめられた報告内容や,当時の写真をまとめたアルバムを
拝見させて頂きました。
災害直後の避難誘導,エリア規制,被災者のフォロー,行方不明者の捜索,そして長期間にわたる
普賢岳付近の監視など,様々な活動に尽力されており
この方々によって,二次災害が防がれ,以降の復興へ進めるようになったのだと思います。
鹿児島住みなので他人事ではないです。当時映像を通して火砕流とはこれ程怖いものなのかと初めて知りました。改めて亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます
ご視聴ありがとうございます。
桜島のように常時噴火活動をしている火山と共生する事は,想像以上にご苦労があるのだろうと推察します。
桜島については,いずれ大正噴火・昭和噴火を解説したいと考えております。
また,今日も九州では大雨が降っていますが,平成5年の8月豪雨も解説するつもりです。
@@ゆっくり災害史
お返事ありがとうございます。鹿児島県民は桜島に対して「お!!今日も噴火しておるな!カッケー」としか思って無いので噴火しない方が不安になります。動画お待ちしております。頑張ってください。
@@やと-f2d 私も鹿児島で生まれ育ちました
カッケーなんて思わない 数年前なぞ1000回弱/年 即ち3回/日爆発してました
飯の回数と変わらない 後片付けが面倒くさい 冬場の爆発だから学生服が真っ白になる(大隅半島の人間だとばれますねw)くらいしか思わんですよ
普賢岳の噴火の時、営業をサボって先輩と二人で熊本市の国道3号線沿いのパチンコ屋に居て、辺りが真っ暗になったので外を見に行くと、真っ黒な雨混じりの火山灰が大量に降ってました。急いで先輩に報告し、ワイパー全開でなんとか事務所迄帰った記憶があります。国道の白線はほとんど見えなかった。灰は3cm以上積もっていたと思う。
ご視聴ありがとうございます。
対岸の熊本市ですら,そのような事になってたんですか。
雲仙の風景は,ニュースなどで確認はしていましたが
普賢岳噴火は長崎県はおろか他県にすら影響を及ぼすほどの災害だったんですね。
風景が一変して,そのような状態になれば
帰社への道ですら,気が気ではなかったかと推察します。
火砕流という言葉にインパクトがあったのか、当時の職場て流行語になりました。
私は熊本市に住んでおります。その日は 子供を保育園から 自転車に乗せて家に向かっている途中でした。雨が降っていたのか 降り始めたのかは覚えていないのですが 黒い雨がバタバタ音を立てて降ってきた事を覚えています。何が起きているのか分からず 黒い雨というと 原爆の事しか知らない私は とにかく子供に持っている物を被せ急いで帰りました。テレビで火災流の映像をみてガタガタ震えました。硫黄の臭いがもしました。あんなに離れているのに …と 自然の前には人間とは なんと小さいものかと感じました。
唯 予見されているならば それに合わせた行動ができるのも人間ですよね、災害による被害者を減らすためにも そこを考えて動かなくてはと思います。
熊本地震の時 本震の数時間前に家に入り少し片付けて 横になった途端本震が来ました。閉じ込められ もう死ぬかと思いましたが どうにか生きています。帰るべきではなかったのです。愚かですね。
長々と書きました、たくさんの人の役に立つ動画です。頑張ってください…ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます。
他の方からのコメントでもありましたが,他県にも多く火山灰が飛んでいた事は存じ上げておりませんでした。
しかし,よくよく当時の映像を見てみれば,天を覆わんばかりの,あの噴煙ですから
何十キロ離れている所でも,届いてもおかしくはないですね。
熊本地震では,よくご無事でなによりです。
次回の動画でも書きますが,前震後の本震を予測しろというのは,専門家ならともかく
我々一般人には無理のようなものです。
あまりご自分をお責めにならないでください。
被災者の方に失礼にならないか,心配ではありますが,何とか作り上げてみます。
@@ゆっくり災害史 ご丁寧な返信ありがとうございます。
これから応援させて頂きます。登録を忘れていました😅ポチッとします。
丁寧に作られているようですので 無理をされずに ゆっくりと進められると良いと思いますよ。頑張ってくださいね。
天皇陛下が膝ついてお話していた体育館にいました。
小さかったのでほぼ覚えてませんが💦
ご視聴ありがとうございます。
避難中はご苦労もあったかと思いますが,大変な貴重な体験をされたんですね。
両陛下のご訪問により,きっと多くの方の心が救われたのだろうと思います。
現上皇様が玉体をお運びになられたところに居られたのですか!
貴重なご経験ですね。
母方の祖父母が天草住み
「島原大変肥後迷惑」の教訓から、雲仙普賢岳噴火の際は飼い猫の首に猫餌くくりつけていつでも避難できるようにしていたそうな。
普賢岳の噴火が落ち着き、立ち入り禁止区域がほとんど解除された後に見た、新築に近い家々が埋まっている光景が忘れられません。
ご視聴ありがとうございます。
祖父母様がおっしゃられた教訓は,貴重な話ですね。
当時は速報などはありませんし,過去の災害からの教訓が受け継がれていたんでしょうね。
噴火によって住まいを失った方の中には,1年以内に新築を立てたばかりの方もいたそうです。(TV番組より)
命が助かっても,家を失った人たちの心情は察するに余りあります。
自分が同じ立場で,立ち直れるかと聞かれたら,正直答えられるかわかりません。
ひげの市長の鐘ヶ江さん、今も印象に残っている。
非常に興味深く拝見しました。平成の噴火の際は近所の幼馴染の祖父母宅が島原にあり非常に心配したのを覚えています。当時の記憶が蘇り改めて災害に対して備えることの重要性を痛感しました。ところで、この動画内で使用しているフォントは何でしょうか。差し支えなければ教えていただけますと幸いです。
ご視聴ありがとうございます。
親類や知人が被災地にいると,たとえ遠く離れた所にいても
気が気でなく,一刻も安否を確認したくなると思います。
私も別の災害ですが,阪神淡路大震災の際は
叔父・いとこが長田区に住んでおり
家族一同,叔父家族の無事を願っておりました。
(ちなみに全員無事でした)
出先なので,後ほど確認しますが
フォントは確か「けいふぉんと」だったかと思います。
文字が見やすい物を選んだつもりです。
@@ゆっくり災害史 親族の方々が無事で何よりでした。幸い私の家族や親類は災害に巻き込まれたことはありませんが、災害の多い日本ですからいつ自身に降りかかるかわかりませんね。しっかりと備えようと思います。フォントは非常に読みやすく好感を覚えたので尋ねました。確認いただきありがとうございます。up主さんの丁寧な動画作りへの配慮が細部まで行き届いていますね。これからも投稿を楽しみにしております。
消防団員13名
長崎県警の警察官2名が殉職
ご視聴ありがとうございます。
亡くなった方の話・写真を,地元TV局の特集動画にて拝見しましたが
一人一人の故人に対する,遺族や同僚・友人の皆さんの悲しみ・無念さが伝わってきました。
@@ゆっくり災害史 あの当時
小学四年くらいでしたねえ
その後の進路を決める出来事の一つとして影響受けた件でした
それと取材していたマスコミに同行していたタクシー運転手も殉職しました。合掌…
当時の事故は覚えてる。火砕流が来る映像の絶望感は・・・。亡くなったマスコミの方の遺体も写されてたな。
東日本もそうだけど、ろくなことしない・・・
ご視聴ありがとうございます。
画面いっぱいに広がる,高速の黒い煙の塊は,人々に災害の脅威を知らしめました。
当時は今ほど報道の規制がありませんでしたので
そのような映像も茶の間にて見られる状態でした。
例えそれが真実だとしても,直視するにはあまりにもむごく
多くの人に精神的影響を与えかねないので,今のテレビでは流さない方がいいでしょう。
ですが,その御遺体を自衛隊の方々が命がけで運び
ご遺族が辛いながらも向き合われたことを考えると
例え直視しなくても,火砕流に巻き込まれるとどうなるか
事実として知っておく事は重要かと思います。
東日本大震災で,当時衝撃的だったのは
津波が襲った後,海岸に何百という数の御遺体が打ちあがっているという
ニュースが文面で出ていた事です。
もちろん現在では,その映像を直に放送する事はまずありえませんが
この文面を見ただけで,一体何が起きてしまったのか
津波とはこうも簡単に人々の命を奪っていくのか
その脅威と,あまりにも多くの犠牲に,打ちのめされました。
もしその映像を見てしまっていたら,たとえ大人の自分でも
泣いていたかもしれません。
自衛隊が装甲車で遺体を回収しに行ってたのをよく覚えてる。
当時、西日本新聞の夕刊にヘリからの空撮で回収されてない遺体に灰が積もってそこだけ人型に盛り上がってる写真が1面トップで自分の中では未だに報道写真では一番衝撃的で雲仙と聞くとその写真がパッと頭の中に出てくる
ご視聴ありがとうございます。
当時のニュースの動画にて,現場の空撮を拝見しましたが
今,地上波では多分流せない映像ですね,初見時はとても衝撃を受けました。
ただ,見たインパクトは大変大きく,火砕流の恐ろしさを思い知る物でした。
あそこに映っていた方々は噴火のその日まで生きていて
どうにか火砕流から逃げようとし,苦しみながら亡くなられたのでしょう。
その前の行動については色々賛否ある事は存じております。
ただ,あのような姿を見ると,個人的にはその死を悼まずには居られません。
@@ゆっくり災害史
ご丁寧にありがとうございます。
次の動画も楽しみにしております。
当時ニュースでよく見ていたのを覚えています。
あの土石流の映像も…。
あの災害の前に父が島原に単身赴任していて訪れた事があったのでより身近に感じていました。
遠い昔にも災害が繰り返し起こってたようで、やはり地震や噴火って繰り返すんだなぁと思いました。
次回は熊本地震との事。
被害はなかったけど夜中に何度も揺れて怖い思いをしたし翌年熊本へ旅行に行って現地の人の話を聞く機会などありました。
こちらも楽しみにチャンネル登録させていただきました。
ご視聴ありがとうございます。
お待たせし,申し訳ありませんが,何とか製作が進んでいますので
もう少々お待ちください。
次回の熊本地震でも過去の災害に触れていますが
地震では,過去の災害のサイクルや,断層帯の状態から
今後いつ地震が起きるか,将来起きる予測を立てています。
ただ,これだけ技術や研究が進歩しても,まだまだ自然災害には
未知の領域が多いみたいで,完全な予測ができるのはずっと先のようです。
しかし,速報などで,この後すぐ来る地震に備える事ができるようになるとは
数十年前には想像できなかったことかもしれません。
今後も研究が進むことを願うばかりです。
約20年位前に平成新山を見に行った事がある
その麓に災害記念館があって災害にあった当時のままの家屋や火砕流で焼けた軽トラなどが展示してあった
まだ自分は20代だったけど楽しいような笑いが出るような場所では無かった事を覚えている
ご視聴ありがとうございます。
この噴火によって,犠牲になった方々がいますが
住んでいる家屋や土地を追われ,昨日までの当たり前の生活を捨てなければならない方々も多くいました。
観光に来られた際に,見て気分がいいものではないですが
様々な方々に災害に向き合う心を作るきっかけとなるであろう,重要な施設だと思います。
当時、テレビ各局は生放送でスクープを取ろうとしていた。
大火砕流が噴火した時、比較的街に近いところに居た人々が逃げてきた被害者を生放送で全国に流してしまった。
文字にするのも申し訳ない姿だった。
大火傷の姿は見たくなかった。
そして、言葉で逃げろ 逃げろと叫んでいた。
夕方のニュースではカットされていたが。
報道陣、警察官、消防隊巻き込まれた人々の最後は辛すぎた。
その時に、噴火した火砕流は高温で人間の身体なんか溶かしてしまうと知った。
国民は、ほとんど、その時知ったと思う。
当時の島原市長は復興するまで髭を剃らなかった。それだけ市民の事を考えていたのだろう。
ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の通りです。
報道姿勢がまずかったのは間違いありませんが
その結果とはいえ,あのような最期はあまりにもむごいとしか言い様がありません。
消防団やマスコミの遺族の方が,定点から帰ってこない親類を待っている間に
あのヘリでの上空からの映像を見たと思うと…
当時の鐘ヶ江島原市長は,当日は火山の現場視察の為
ご本人も定点付近を伺う予定でしたので,被害にあう一歩手前でした。
火砕流の後,警戒区域の設定を県から要請され
その地場にいる農家・畜産家の人々に立入を禁止しなければいけなくなった際には
県に補償を確約させるため,県知事に直談判して,確約をもらったとのことです。
その後,警戒区域からの避難完了後,大規模な火砕流が発生しましたが
避難が出来ていた為,犠牲者は出ませんでした。
退任後も,モチーフの髭と防災服の格好で,各地にて防災講演を為されていたそうです。
大変立派なリーダーだったと思います。
迫りくる火砕流の映像見て恐怖を感じた!!😣
ご視聴ありがとうございます。 がまだすドームには火砕流の速度を体感できる
場所がありますが,気づいたらもう巻き込まれてたと思う程の速さで襲い掛かります。
夜だと暗い中に溶岩が真っ赤に見えるからより恐ろしかった、上京してかなり経つが今だに覚えている。
@@warasuboどんぽ ご視聴ありがとうございます。
暗い中でも火山は依然噴火していますし
火砕流前だと,いつ大噴火を起こすか
気が気ではなかったのでしょうね。
文面から,当時島原にいた方かと推察しますが.ご無事で何よりです。
住まいは島原から離れていましたが溶岩を見たのはとある諸用で家族で出掛けたときです。戻るまでは内心冷や汗でした。
@@warasuboどんぽ 出先で災害にあった時は
自宅への被害を考えなくていい分
いかに素早く,安全に自宅へ帰還するか
不安な中だったのでしょうね。
余談ですが,私も2005年の福岡西方沖地震の際,運悪くその日だけ福岡に立ち寄っており
大きな地震も恐ろしかったですが
高速・交通機関が麻痺し
知り合いの車で7時間かけて
県道コースで家に帰りました。
無事家に帰れるか,不安でしたが
何とか帰宅できました,知り合いの方には
感謝しかありません。
緊急速報で見た真っ黒になって走ってくる人の姿が忘れられない。
ご視聴ありがとうございます。
下りてこられた消防士の方々は,体中が火傷をされて
歩くのも辛そうでしたが,何より呼吸器も火傷を負われていた為
呼吸が困難になり,痛みも相まって絶叫されながら床に倒れていました。
難を逃れた別の報道局の方が丁度撮影されており
すぐに救急に通報されていたので,すぐ収容されたかと思いますが
その後については残念ながら存じ上げておりません,その後回復されていたら良いのですが…
@@ゆっくり災害史
亡くなられたとのこと。後の報道で知りました。
@@komugiyaki そうでしたか…
あの時まではご存命でしたが
呼吸困難で大変苦しまれていました。
30年前の出来事ですが,ご冥福をお祈りします。
官公庁の協力を仰いだのか。尽力されたな
今後の活躍を期待します。これは登録しないといけない人だ
ご視聴ありがとうございます。
そこまで仰々しい事ではないのですが,動画作成にあたり
著作物の動画内での使用許可を頂けないか,各団体の担当者様に御連絡させて頂きました。
合わせて動画完成時には,(相手方が宜しければ)一度ご確認を頂き
投稿しても問題ないか,許可を頂いております。
このような方式を今後も続けようかと考えておりますので
他のゆっくり解説者様の動画に比べ,かなりスローペースとなってしまいますが
なにとぞご了承ください。
マスゴミは自業自得だけど、そのマスゴミに付き合ったタクシーの運ちゃんが可愛そうだった記憶
ご視聴ありがとうございます。
タクシーの運転手の方はマスコミの方々と同じ場所で待機していた為
定点付近にて,被害にあわれました。
本編にもある通り,今年定点付近の整備にてタクシーの掘り起こしがなされましたが
整備活動には当時のタクシー会社の同僚の方々も尽力されました。
この掘り起こされたタクシーは普賢岳噴火災害を後年まで語り継ぐ
モニュメントとして,定点の慰霊碑と共に展示されています。
信実を伝えてくれて、ありがとう❤️
ご視聴ありがとうございます。
真実といえるものかどうかは,ご視聴される皆様にお任せしますが
可能な限りは複数の文献や動画等を参考に作成させていただいております。
間違い等がありましたら,ご遠慮なくご指摘ください。
地域の歴史を調べるとどこでも過去にいろいろ災害があったりしてるからな。
先人がインフラ整備した結果治水されてるところも、過去には暴れ川だったり。
ご視聴ありがとうございます,まさにおっしゃる通りです。
私たちが当たり前に住んでいる土地は先人の治水や整備の結果,安心して住めているのだと思います。
ただ,その歴史は,中々自分から調べようとしない限り,情報は入って来ず,徐々に風化されていくのでしょう。
今の時代は,過去に比べ大雨・台風の規模が比較的大きい物となり,大災害になりやすい傾向です。
治水された川ですら,氾濫しかねない災害も起こりうることを,自分達は肝に銘じておく必要がありますね。
今年初訪問した場所でもあるので、現地の地形を理解したうえで視聴することができました。ありがとうございました。
今後、105名の殉職者を出した宮崎県の上椎葉ダムを取り上げていただけると幸いです。
ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の宮崎県の上椎葉ダムについては,恥ずかしながら
初耳でしたので,先程一通りWEBで確認してみましたが,情報があまり出ていませんね。
ですが,宮崎県ではこの被害含め台風被害も結構起きているみたいなので,機会があれば
まとめて調査させて頂こうかと考えております。
貴重なご意見ありがとうございます。
下校中、今でも覚えてます
あの真っ赤に染まった帰り道…
ご視聴ありがとうございます。
私自身が不勉強であり,当時のテレビ報道の動画から確認できず,申し訳ありませんが
真っ赤というのは,夕暮れの色に染まった大量の火山灰の風景でしょうか?
それとも火砕流の被害により焼けた家々が見えた光景でしょうか?
どちらかは判然としませんが,いつも通う道が噴火によって一変し
住んでいる町が大きな被害受けた姿には大きなショックを受けただろうと推察します。
大変辛い経験であったかと思いますが,ご無事で何よりです。
@@ゆっくり災害史 下校中、ホントに周りは真っ赤に染まってて今日の夕焼けえらく凄いな位に思いながら帰ってたんですよ。
そしたら一気に暗くなって雨降ってきたんで折り畳みの傘持ってたんで差したら雨が傘を突き抜けて来たんでビックリして良く見たら雨、黒かったんですよ
で、帰ってニュース見たら普賢岳の大火砕流だったって訳です
眉山無かったらヤバかったらしいです
@@おたけ-u9t なるほど,空の光景も
噴火の影響があったのでしょうね。
火山灰を含んだ雨って,傘突き抜けちゃうんですね,素で怖いです。
眉山については,ご指摘通り
壁となって市内への流入を防いだと伺っております。
過去の災害もありますが,結果的に
更なる被害に繋がらなかったのは不幸中の幸いですね。
子供の頃、両親にイタリアのポンペイに連れて行ってもらい、この都市が火山灰と火砕流で埋まった街と教えられてはいたものの、ポンペイからベスビオス火山を見ても、遠くの山、、という印象だったので、当時の人たちは逃げる暇は何でなかったのだろうと疑問だったのを覚えていて、ちょうど中学の頃がこの雲仙普賢岳の災害がおきていて火砕流がいかに早いスピードで降りてくるか、、映像でみるとただの煙?のように見えた火砕流が高温のガスということを目の当たりにして、、改めてポンペイの人たちも逃げる暇がなかったというのが再認識したのをよく覚えています。(´・ω・`)
ご視聴ありがとうございます。
ポンペイもご指摘の通り,火砕流による被害で
多くの方が亡くなった災害でしたね。
火砕流は動画内でも記載している通り,時速100km近くの速度で山を下ってきますので
見えてすぐに避難しても,車で逃げ切れるか分からないぐらいです。
さらに,定点は周りの土地に比べ,若干高い位置にあった高台の為
火砕流が来ても,ここかもっと高い高台まで逃げれば
大丈夫だろうという予測が
記者の方々にあったのだろうかと思われていますが
実際は,多少の高低差があっても,火砕流は乗り越えて来ることができ
結果定点付近にて,多くの死者が出る事態になりました。
この災害で,火砕流が如何に危険か,思い知らされました。
このニュースは駐在中の外地で新聞で知りました。地下鉄サリン事件、阪神震災、ちょっと後になりますが東海村JCO臨界事故、みんな外地にいる時。そう言えば連立政権発足(細川内閣とかの)の時は外地にいて日本の住民票を抜いていたので投票権がなくて… 今は全国区については投票権があるんですよね。
今のようにオンライン送金とかできなかったし遠くから心配することしかできなかったな…
ご視聴ありがとうございます。
1980~90年代は近年でも特に自然災害が続いた印象です。
それだけ多くの尊い犠牲が出てしまいましたが
災害対策や支援体制など,多くの改善が為されてきたと思います。
今となっては,募金がWEB上で1クリックでできる上,クラウドファンディングなど
個人でも簡単に支援ができる世の中になりました。
だからこそ重要なのは,例え遠方の災害でも身近な問題と考え
少しでも協力しようと一人一人が心がける事でしょうか。
マスゴミの報道犯罪を語る上で決して忘れることの出来ない事件の一つです。
最後、定点観測点の整備をしようの仰る方は日本人的な優しさで優しすぎます。
マスコミの人は被害者ではなく加害者ですよ。
ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の通り,マスコミの行った行動が正当化される訳ではありませんが
個人的には,優しさだけで,定点の整備を行ったわけではないと思います。
この災害から30年もたち
当時幼児であった子ですら,30代の半ば以降と
伝承する人々の高齢化が進んでいます。
それと共に,災害の歴史自体も徐々にですが風化しつつあり
地元長崎でも,その噴火の実態を知っている人々は多くないです。
テレビ特集で放送された中に,去年の整備検討の会合で
犠牲者のご友人・仲間で当時消防団の方が次のようにおっしゃっていました。
亡くなった消防団員はいわば,ふるさとを守ろうとして犠牲になっている。
でも30年経った今,そのふるさとがだんだんと衰退している。
もしこの整備事業を行えば,報道や団体客・視察が来て,島原の魅力の一つになるならば
多分,亡くなった消防団員も,何も言わないと思う。
みんなでふるさとを盛り上げる・守っていくきっかけになればいい。
その方は当日偶然居合わせなかった事で被害にあわれませんでしたが
亡くなった犠牲者の事については,今も深く考えており
この30年間,犠牲者への思い・マスコミへの恨みなど
様々な感情を心に抱えて,今日まで生活されてきたとのことです。
重ねて申し上げますが,報道の方々が行った事実については,覆ることはありません。
この事について,各個人がそれぞれ考える事も重要ですが
災害の歴史を守る立場として,これからの島原の為に
被災地の方々が決断されたことについては
私的な考えですが
被災地・被災者の意志の一つとして,重く受け止めるべきかと思っています。
我々が思っている以上に,自分達のふるさとを守るという事は
とても難しい事なんだと思います。
道の駅「みずなし本陣ふかえ」も訪れるといい
ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の通り,みずなし本陣ふかえでは
土石流により1階部分が埋まった,家屋をご覧になることができます。
土石流による死者はいなかったものの,多くの家屋が流される甚大な被害を及ぼしています。
他県の方は,普賢岳は火砕流・火山灰のイメージを持たれがちですが,大規模な土石流も,何度も発生しておりますので
その被害の実態を知る為にも,是非とも行ってみて頂きたいです。
火砕流が時速100キロ以上のスピードで画面に迫ってくる映像を見ました。この報道をされてる人々は助からないと思いました。恐ろしかった。ご冥福をお祈りします。
ご視聴ありがとうございます。
一見テレビなどの映像ではゆっくり山を下っているように見えますが
実際にはあまりにも早く,あの定点の位置では,気づいた時には間に合わなかったでしょう。
被災までの経緯については議論がなされることが多いですが
どなたも何とか逃げようとして,悲しい最期を迎えられた方々です。
ただ,この方々の犠牲によって,どれ程火砕流という現象が恐ろしい事か
日本のみならず世界中の方々に認識されたと思います。
心からご冥福をお祈りします。
丁寧な調査で、九州はありがたく思っています。 只。一つだけ難を言えば、霊夢ちゃんの語尾が~よ。が多いと思います。 それだけです。
ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の通りです,本当に申し訳ありません。
自分自身も,今まさに困っています。
色々ゆっくり解説は見てきたんですが,いざ自分で作るとなると
女の子の言葉の口調が難しいですね。
3作目を今作っていますが,文章が思いついても
それを話し言葉にするとなると
前回までご指摘の傾向になってしまいました。
何とか次の回から,減らすよう試行錯誤してみます。
ご指摘ありがとうございます。
@@ゆっくり災害史 様
やまなみさんの動画が参考にし易いと思います。
やまなみ様ですね,以前からいろんな山の解説をされている方だと認識しておりました。
災害の事にも触れていらっしゃる先輩ですので,一度ゆっくり見させていただこうかと思います。
ご推薦ありがとうございます。
私が大学で火山の講義を受けた際、雲仙普賢岳の災害の映像を魅せた後に、教授(災害発生後、数年内に現場入りし、実際に普賢岳を登って調査していた)が、「え~この方はこの後亡くなります。」とか「これ、遺体ね。」とかおっしゃっていて、災害史を学ぶってこういうことかと思った。
たとえどんなにえげつない自然現象(地震・大雨・豪雪などなど)が起きても、人がいなければ災害は起きません。
そして、私達、人や社会は愚かですので、残念ながら失敗からではないと変わる契機にはなりません。それまで成功したから大丈夫でしょ。となります。
そして、災害における失敗とは人が無くなる事です。国や地方自治体に頼るだけでなく、我々個々人でも災害の失敗を少なくしていきたいです。
自己責任論とは少し違いますが、国や〇〇のせいで死んだ!と声を張り上げても、死人に口はないし、逆に貴方は自分の命を他人に預けっぱなしで良いのでしょうか。私は我慢なりません。
ご視聴ありがとうございます。
学生時代に防災や災害の授業が無く,独学で調べている身として
専門の方からのご意見を頂き,大変恐縮です。
ご指摘の通り,残念ながら痛みを伴わないと
人々・社会の意識が変わりにくいのが実情だと思います。
軽視し続け自分には関係ないと,無視し続けていても
その猛威が明日突然自分に降りかかるやもしれません。
今後の動画作成で,少しの方々だけでも
災害に対する危機意識を持っていただけるよう
努力する所存です。
また,最後の部分については,本当に悩むところです。
災害時にはどうしても,被害や犠牲の原因・責任について
取り沙汰される傾向になりがちです。
この動画を含め,今後の動画でもお伝えしていきたいのですが
動画投稿の主目的は,災害の原因を糾弾する事ではなく
災害の際に分かった課題・対策を確認し
今後の災害に,どう行動するべきか,指針の一端になる物を
紹介したいと考えております。
(合わせて,災害から復興した今も可能な限り紹介するつもりです。)
技術・力不足な所もあり,中立性が保ちづらい所もありますが
いずれは,自分の身は自分で守り,困ったときには互いに助け合う「自助・共助」の心が大切なんだと
伝えていければと思います。
@@ゆっくり災害史 @ゆっくり災害史 私も災害に関しては大学で講義を受けた程度で、専門家ではないですが、大学のお手伝いとして災害の啓もう活動みたいなことはしていたくらいです。
自己責任論の駄目なところとして、いざ自分の身になった時に無理に自分だけでなんとかしようとしたり、そこに家を建てるから悪いんだ。という個人ではどうしようもないところに飛躍したり、心が狭くなり不信感が増大したり、良いことはありません。
ハザードマップがあるだろ!と言いますが、「地元で起きる可能性のある最大規模の地震」の地図とか、どこでも笑っちゃうくらい真っ赤で、「起きたらガンバ♡」という様相で、災害は程度の差はあれどこでも起きるという認識は必要です。
蛇足ですが、お住まいは長崎県や九州だと拝察しますが、老婆心ながら、『長崎県防災推進員(自主防災リーダー)養成講座』なるものがあるそうですね。申込期限は切れていますが・・・
@@そこらの石-c1z ご返信ありがとうございます。
ハザードマップについては,一度どなたにも見て頂きたいですが
正直絶対安全だと言える場所は本当に少ないと思います。(というよりあるんですかね,どこも何かしら色がついていました)
だからこそ,いずれ確実に来るだろうという前提で,避難ルートや避難先の確認は,やっておくべきかと。
ご指摘の防災推進員や防災士については,少し確認していました。
まだまだ知識不足ですが,来年か再来年以降,近くで機会があれば,受講してみようかと考えております。
あれから数か月経ちましたが
ご推奨頂いた養成講座を受講し,試験・救急講座を経て
昨日付けで正式に防災士の認可が下りました,ご推奨誠にありがとうございました。
おかげでやっと一歩目が踏めたと実感しております。
今後も防災士として,動画制作に加えて,啓発活動などにも取り組んでみます。
動画配信おつかれさまです。
噴火が終息するちょっと前(1994)まで島原(市役所に近いトコ)に住んでました、
自分の記憶の限りで動画から多少脱線しますが・・・
〇1990(小6)
・秋の遠足で普賢岳に登頂した1か月後に噴火
〇1991(中1)
・春の体育祭の最中、灰混じりの黒いにわか雨が降り運動場に悲鳴が響く
・火砕流発生後、家から外に出ると、焼けたような匂いが一帯に充満
・市内の学校は1か月前倒しで夏休みに突入、避難していた親戚宅近くの学校に仮転校
・週末はバスで島原へ戻るも、降りた島原駅周辺は一面灰色。人影は無く、車が巻き上げる灰で、半ば`ゴーストタウン'状態
・雨と灰に加えて時々「火山礫」も降ってたので、家中の雨戸はしばらくの間すべて閉めきりに
・市の北にある中尾川にも土石流が流れ通行止めになり、島原市が一時孤立
・8月に学校が再開すると、掃除の時間は積もった灰の除去作業
・降灰で窓が開けられないので、各教室に冷房が設置される。そして決まってヤンチャな連中が設定温度をMAXまで下げる
・灰が積もった先生の車のボンネットに何者かが卑猥な落書きをして先生ガチギレ
・同年秋の台風19号直撃で追い打ちを掛けられる
翌年以降も降灰諸々ありましたが、いずれも小規模で前年程は無かったように思います。
長々と失礼しました。
ご視聴ありがとうございます。
辛いながらも当時の記憶を思い出して頂き,重ねてお礼申し上げます。
ニュースにはない,被災された方の生の声が聞けたのは,大変貴重な経験でした。
普賢岳の噴火は数年間も被災者の人々に不安な生活を強いたであろうし
被災された当事者の方々しか分からないご苦労もあったかと思います。
あれから30年経ちましたが,いまだ普賢岳は活火山であり
将来いつか噴火するかもしれないと考えると
この被災者の方々の証言や被災地の経験・対策がきちんと語り継がれていく事を願うばかりです。
@@ゆっくり災害史 さん
ご丁寧な返信ありがとうございます。
当時住んでた島原市の中心部は比較的被害は少なかったんですが、
被災された皆さんは長年仮設住まいで大変だったと思います。
動画にもありましたように、今後は残った溶岩ドームの危険性や噴火災害の継承など、
考えるべきことはまだまだありますね。
そして、噴火の歴史をあらためて学ばせて頂き、感謝です。
初めて激甚災害法が適用された災害だったとおもいます。
この後、激甚災害法の適用のハードルが下がりました。
ご視聴ありがとうございます。
ただ,大変失礼ながら,この噴火災害って適用されたんでしたっけ?
(もし間違っていたら,誠に申し訳ございません)
確か90年代は阪神淡路大震災以外なかった気がします。
噴火災害時も,基本は自主救済で,この法律が適用されなかった為
このままでは被災者の経済的支援ができないという事で
当時の島原市長が長崎県に直談判して,どうにか予算を付けたと記憶していました。
ただ,個人的には,この噴火災害以前にもっと早く,色んな自然災害に
法律を適用してほしかったと思います。(個人でできる復旧には限りがありますので)
重ねて,もし記載内容に間違っていたら誠に申し訳ありません。
@@ゆっくり災害史
ありがとうございます。
雇用保険関係で、一時的に休業を余儀なくされた事業所に雇用されている被保険者に基本手当が支給されることがあって、これは激甚災害法の適用によるものだと思います。職安はこのときのノウハウがあったことにより、阪神の震災で処理がスムーズに行えたと記憶しております。
なお、“雲仙普賢岳 激甚災害”でネット検索するとレポートが出てきます。
しかしながら、今のように十全を期した法律の体系ではなかったのでしょうね。
このあと、震災や水害等が起きるごとに法律までいかなくても通達や要領とかが、整備されていったのでしょう。
当時は特別立法も検討されたとのことですが,立法化は難しいとのことで
結局特別基金の設置がされましたが,後の阪神淡路大震災などでも参考となったみたいですね。
激甚災害の指定については,大変失礼しました。
私の間違いで,激甚災害の内の「本激」指定が90年代では阪神淡路大震災のみで
それ以外は記載が出てきませんでしたが,恐らくもう一つの「局激」での指定であったかと推察します。
どちらも激甚災害指定であり,一定の補償が県や市町村にでていますね。
今の制度も対策も,過去の災害から学び・経験したことによって出来上がってきた物ですから
先人の辛い経験を決して無駄にせず,自分達の災害対策の糧にしないといけませんね。
@@ゆっくり災害史
いえいえ、曖昧な書き込みをして申し訳ありませんでした。
実は先程の雇用保険のシステムのチェック(戦後初めて動くプログラム)にちょっとだけ関わっており、また、阪神、東北、熊本に
お手伝いにこれもちょっとだけお手伝いに行ってました。
その後、大船渡とか、熊本とかに訪れたさい、毎回泣きそうになってました。
こうしたUA-camの記事で被害が少しでも少なくなると良いなと心底思います。
そういう意味で、本当にありがとうございますm(__)m
当時も災害対策・復興にかかわっており
色々被災地を回られた経験をお持ちだったのですね
不勉強な身で,質問を返してしまい,失礼しました。
このような動画がどれほど効果があるのかはわかりませんが
災害を思い起こし,今一度防災を考えるきっかけになれば,本望です。
落ち着いたら,特集した被災地は今後も訪問してみたいですね。
文殊の智慧と、普賢の慈悲なんだけど、私には厄才のイメージしかない。
ご視聴ありがとうございます。
無知無学の身で恥ずかしいですが
聞きなれない言葉だったので調べてみましたが,菩薩様の事でしたか。
そういえば,満明寺や雲仙地獄,原城跡もそうですが,島原や雲仙って
神道や仏教・キリスト教と,色んな宗教の歴史や名残が残っている場所でしたね。
この普賢岳噴火は確かに多くの方が亡くなった厄災をもたらしましたが
今のような平時での,温泉や湧き水など,人々に益をもたらす面もありますし
この地元の人々は,両面を受け止めた上で,この山と共存していらっしゃるのでしょうね。
噴火災害のイメージが強いかと思いますが,今の雲仙・島原はとても落ち着ける良い場所です。
もし現代に、これと似たような出来事が起こった場合、面倒なのはマスコミよりもユーチューバーになると思います。
将来こんなことが起こることがないよう願ってやみません。
ご視聴ありがとうございます。
過去と違い,今では自分達一人一人が簡単に撮影でき
全国に発信できるようになっています。
ご指摘の通り,youtuberの方もそうですが一般の方々も
災害時や緊急時において
興味本位や迫力のある映像を撮りたいという気持ちで
撮影をしたり,危険な場所まで近づくという行為は
避けなければいけません。
何よりも優先されるべきは,一人一人の命です。
今後の災害特集でも同じ事ですが
過去の災害を他県で起きた対岸の火事とは思わず
自分達の立場に置き換えて
今後起きた場合,どのような事が起こりうるか
何をすべきか,してはいけないのか
少しでもいいので,考える事が防災の第一歩だと考えています。
お疲れ様デス
制止を破って危険地域に入った事は褒められませんが、火災流に巻き込まれた被害者には、国内外の火山研究者もいた事も忘れないでください。
ご視聴ありがとうございました。
他の方の返信コメントでも記載させて頂きましたが
もちろんクラフト夫妻の事や同行していたハリー氏の事も存じ上げております。
彼らの残した様々な火山の調査記録は火山学の研究に大いに役立ったと聞いております。
彼らの特集番組も昔拝見してますが,私の生前に噴火している火山の映像なども撮られており
様々な種類の噴火を知るきっかけになりました。
被災された方々に手を差し伸べない政府って?なにもかも失ったらどうすればいいの?今だって助けなくていい人を助けてほんとに生活が大変な人のことは見てみぬふり、もう最悪だ‼️
ご視聴ありがとうございます。
当時はまだ被災者救済の法律が整備されていない状態でしたが
地元自治体や全国からの義援金で,被災者へ一定程度ですが,支援がなされました。
本格的な救済制度が成立したのは,後の阪神淡路大震災以後になります。
現在の甚大な災害時には,ある程度の救済がなされるようになりましたが
被災者が元の生活を取り戻すためには
国に加えて,県や市,地元自治体や地域,による
全面的なバックアップ体制がより一層求められるのだと思います。
「他社にスクープを撮られたくない」「自分だけがスクープを撮りたい」「良い映像を撮りたい」
まさに「撮り鉄」と同じ「撮れ高欲」だな
ご視聴ありがとうございます。
どちらにも言える事なんですが,全部が全部そのような人ではないんですよね。
ルールに沿って,真面目に取材される方ももちろんいます。
ただ一部の方が暴走することで,全体のイメージ自体も悪くなる。
中々解決が難しい問題かと思います。
今の迷惑youtuberやバカッター、インスタ蝿にも通じるものがありますね。
他人の迷惑を顧みずに自分だけが良い映像を撮ろうとする欲は同じですね。
藩の時代から災害に対する対応ってしてたんだなあ
ご視聴ありがとうございます。
100~200年前ではありますが,当時でのできる範囲で復旧・対策は為されていたみたいです。
今回調べた際には,一部は現代の災害対策と大して変わらないものもあり
先人の災害への向き合い方は,今でも大変勉強になると思います。
@@ゆっくり災害史 返信ありがとうございます😊
高校時代に歴史の先生が「古文書を読み解いて昔あった災害について知れば、現在の災害対策に役立てることもできる。歴史を学ぶのは未来のためだ」と言っていたのを思い出しました。過去と現在は地続きですね。
新作はまだかい?(^。^)ノ楽しみに待っているのだ!
ご視聴ありがとうございます。
重ね重ね,皆様にはお待ちいただき,誠に申し訳ございません。
今日の段階では,文章が半分以上,打ち込みが終わっており
大体書きたい内容もまとまっているのですが
タイミング悪く,自己都合ながら2回目のワクチンを接種したばかりで,正直体調が芳しくありません。
すいませんが,回復次第進めますので
もうしばらくお待ち頂きますよう,お願いします。
@@ゆっくり災害史 先輩! わざわざお返信ありま㌧!(^。^)ノ
先輩の動画はとても詳しいしよく練られた原稿でわかりやすいと思います、そして長いのでお作りになるのにとても時間がかかるんだろぅな、って思ってます!
おとなしく待ってますね! ご自愛ください!
インパクトの大きい災害でしたね
ご視聴ありがとうございます。
みなさんがよく過去の映像で見られている,山から下る
火砕流の映像もありますが
ローカルTVのyoutube映像には,違った視点からの映像もあり
島原側から見たものでは,上空全てが火山灰に覆われ
日中なのに,ほぼ真っ暗な光景も映像として残っています。
こちらも結構衝撃的な映像ですので
宜しければ,上記youtubeなどをご覧になってはいかがでしょうか?
箱根とか浅間山も一時期やばかったな
ご視聴ありがとうございます。
大規模な噴火に至っていませんが,たまに噴火活動が見られるほど
いずれも活火山として,まだ活動していますね。
過去には多くの死傷者を出すほどの,噴火を起こしていますし
またいつかそのような噴火が起きる日が来るかもしれません。
その日がすぐ来ないことを祈るばかりです。
今回のコロナの件を見ても、自分だけは大丈夫って根拠のない行動は、日本人のデフォかもしれませんね。
玄倉川の水難事故でも、気象庁は慌てて台風の規模、強さの表示を変えたし、事が起きないと動かないのも日本人なのかもしれません。
ご視聴ありがとうございました。
日本人に限らず,どんな人でも
当事者になってみないと,本当の災害などの恐ろしさは分からないのかもしれません。
今の災害対策は,残念ながら過去の災害による多くの方の犠牲の上に,出来上がった物だからこそ
我々がもっと真剣に考えなければいけないのでしょう。
被災地での陛下の低姿勢には、最野党の党首も共感する旨トコメントしている。
この噴火災害は、バブル景気の絶好時に起こったことで噴火災害としては甚大な被害だが、その復旧は国の予算 民間の義援金など多数あって復興需要に沸いて、この地域は災害転じて福となりみたいな超好景気になった! 日本は災害大国で仕方ないことだが、その被害の復旧はその時の経済状況で解決出来ることです! 重要なのは、日本の景気経済だと思います!
ご視聴ありがとうございます。
これから起こりうる災害に備えて,防災・減災の活動推進が重要ですが
同時に,ご指摘の通り,被災地区の迅速かつ円滑な復興・復旧も重要な課題です。
東日本大震災など近年の災害時には,日本全国に限らず世界中より支援の手が差し伸べられ
国や自治体でも復興や復旧の方針がある程度まとめられており
完全とはいかずとも,過去の災害時に比べると復興・復旧のスピードが早くなっていると思います。
ただ災害の前の町のように戻す事を目指すのではなく
以前よりも人々が住みやすく,新たな産業を開発し,魅力的な街を作る事
そして同じ災害がまた来ても立ち向かえるような環境作り及び人々の防災・減災意識の育成が
これからの復興に求められている事の一つかと考えております。
@@ゆっくり災害史 災害対策など、いろんなことをやって被害を最小限にすることは災害大国の日本の歴史だと思いますが、災害が起きた時の景気経済状況でその地域の復旧復興が変わるから単純に災害の被害だけを言っても、ただ単に被害を誇張してるだけだと思います 東日本大震災の時は不景気で復興増税だし、雲仙岳の噴火災害ではそんな増税はなくて国の復興予算と民間の義援金でバブルです。
もう少し深堀してもいいような気がする。意外と普賢岳の噴火って重要な自然災害だと思うんだけど。災害派遣で自衛隊の装甲車出てきたり、遠隔操作の建設機器出てきたり、当時としては聞きなれない仮設住宅って言葉が出てきたり、あまり触れられてないけど土石流でえらい目あった人達も多かったよね。行くたんびに道が大変な事になってたし。そして長かったよね。これだけの動画だったらテレビの人と対して変わらないんじゃないw
ご視聴ありがとうございます。
ご指摘の通り,触れられていない部分もあります。
ニコ動にも同じように投稿しているため,ニコ動側の動画の画質の関係上
動画の最大サイズが30分を目安に製作しております。
主題を噴火災害の経緯と現在に置いたため,足りていない箇所については
誠に申し訳ございません。
今後の予定ではありますが,補足動画をそれぞれの動画で検討しております。
そこでは補足に加えて,皆様のコメントを参考にし,新しく調べたものを追加したいと考えております。
長崎言うなら大水害はずせませんよ。最近大雨も多いし
ご視聴ありがとうございます。
それは確実にやるつもりです,地元民ですし。
というより,今日の特別警報自体がもう災害です。
あまり被害が無ければいいのですが…
@@ゆっくり災害史 土砂崩れしたあとなんかに、たくさん住宅地やマンションなってるとこ多いから、また起きたら前よか被害でるかもですね。
今は亡き祖父の家が大水害で流された。
幸い祖父は知り合いの消防団員から土嚢作りを手伝ってほしいとお願いされて、外出していて帰宅したら家が無かった。