ゆっくり災害史
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【ゆっくり解説】ゆっくり災害史 第4回~日本海中部地震~
#ゆっくり災害史 #ゆっくり解説 #日本海中部地震 #津波 #地震
こんにちは,ゆっくり災害史です。
前回より長く投稿が遅れ,申し訳ありません。
予告させて頂いた通り「第4回 日本海中部地震」を投稿しました。
先日5月26日に40年経った被災地では慰霊式典や防災訓練が行われています。
昨今も日本各地で地震が多発しており,津波が起きてもおかしくない状況です。
この動画が津波について考える一助になれば幸いです。
<チャプター>
00:00 オープニング
00:58 地震・津波発生
02:20 各地の被害
12:00 津波被害の原因
17:07 その後の対策
20:06 最後に
____________________________________________________________________
▼以下は動画作成にあたり,画像・資料等利用のご協力を頂いた関係機関の方々です
津波ディジタルライブラリィ 様
秋田地方気象台 様
気象庁 様
国土交通省 様
以下は画像・資料等の素材利用元様です。
(各サイト様の使用条件に基づいて使用しました )
いらすとや 様
イラストAC 様
DOVA-SYNDROME 様
H/MIX GALLERY 様
甘茶の音楽工房 様
動画作成にあたりご協力いただき,誠にありがとうございました。
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Відео

【ゆっくり解説】ゆっくり災害史 第1回番外編~雲仙普賢岳~ 今の被災地を訪ねました
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【ゆっくり解説】ゆっくり災害史 第2回~熊本地震~
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【ゆっくり解説】ゆっくり災害史 第1回~雲仙普賢岳~
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#ゆっくり災害史 #ゆっくり解説 #雲仙普賢岳 ※↓2022年追記:実際に被災地に行ってきましたので,良かったら合わせてご覧ください。 ua-cam.com/video/LPf_vBNW9FA/v-deo.html このチャンネルでは,日本各地で起きた様々な災害を振り返り 未来の災害に備えるために,今知っておくべきことを ゆっくり解説します。 第1回は雲仙普賢岳を解説します。 今年で噴火から30年となり,どのような災害だったのか よく知らない方も多いかと思います。 日本の噴火で前代未聞の被害を出した「島原大変肥後迷惑」 平成の噴火は,自然災害だったのか?それとも人災だったのか? 30年たった今,島原はどのように復興したのか。 少し長い話になりますが,良ければお付き合いください。 <チャプター> 00:00 オープニング 01:13 ①雲仙普賢岳とは 02:22 ②1792年噴火:「島...

КОМЕНТАРІ

  • @デイブマッカートニー-e2r

    熊本県人です。1回目は震度5弱だったけど「おお、凄い揺れだな」って感じで笑ってた。2回目は6弱を記録して飛び上がる25キロもあるPCを抱きかかえて「ヤバイ」って叫んだ。 TVつけたら津波注意報出たんで、高台にある公民館に車で非難した。先日の宮崎沖の地震の時も、携帯なるし役場の防災放送も「大地震です」って放送するんでメッチャ焦りました。

  • @Kuu-z6n
    @Kuu-z6n 28 днів тому

    男鹿水族館に行った際、スイス人女性記念碑があり、この動画に行きつきました。詳しい説明ありがとうございます.日本海中部地震の津波被害が引き継がれていれば東日本大震災の津波被害も減っていたかもしれません

  • @motokiPC
    @motokiPC 2 місяці тому

    高速道路が通行止めになった影響で、前震の時点で国道が激しく渋滞していました。 また、本震の影響で橋との間にズレが生じたり、塀の倒壊が多く生じ、国道以外の道路も大混雑になっていました。 ただ、各小売りチェーン店は復旧に全力を尽くされていましたので、1週間以内には、被災しなかった店舗へは潤沢に食料等が供給されていました。 また、プッシュ支援で支給された物資が避難所に溢れ無料配布されていたため、近所のスーパーの客が著しく減少し食料品が廃棄されるという事態が生じた場所もありました。

  • @morita11960
    @morita11960 3 місяці тому

    九州は火山がおおく地震が多いのになんで大震災にびっくりした話にしてるんだ?

  • @SONGOKU-uo1mb
    @SONGOKU-uo1mb 3 місяці тому

    今だから言えるけど、熊本地震の時は佐賀の原子力発電所にいたから、福島第一原発のことが頭にあって生きた心地がしなかった。 2回目の地震の時は福岡の家にいたけど、深夜に地震が数回起こって市の防災無線が放送をして、一階のテレビが地震を検知して勝手に電源が入ったりして寝れなかったが、被害の惨状が明るみになり、2回も震度7の熊本の人を思えば福岡や佐賀の震度5はまだいいほうなのかも。と思った。

  • @ゆんぞうゆんきち
    @ゆんぞうゆんきち 3 місяці тому

    この地震の当時はまだ生後半年ほどで覚えてないのですが、かなりの揺れだったようです。私は倒れた茶箪笥の下敷きになって死にかけたと亡祖母に聞かされました。秋田県はあまり大きい地震がこないので、話で聞かされてもピンとこなかったのですが、改めて動画でまとめられたのを見ると防災対策をきちんとしないとだめだなと思いました。

  • @針尾たてる
    @針尾たてる 4 місяці тому

    被災地での陛下の低姿勢には、最野党の党首も共感する旨トコメントしている。

  • @針尾たてる
    @針尾たてる 4 місяці тому

    ひげの市長の鐘ヶ江さん、今も印象に残っている。

  • @針尾たてる
    @針尾たてる 4 місяці тому

    火砕流という言葉にインパクトがあったのか、当時の職場て流行語になりました。

  • @針尾たてる
    @針尾たてる 4 місяці тому

    当初は、秋田県沖地震と命名されかけたが、日本海中部地震になった。青森県選出の政治家が気象庁に働きかけを行ったためと聞く。

  • @針尾たてる
    @針尾たてる 4 місяці тому

    高校1年のときでした。私は秋田県南部沿岸の由利本荘市に住んでいました。体感震度は4から5弱程度でした。樹玉は午前で打切りとなりました。幸い、さしたる被害はありませんでしたが、あまりにも多くの津波犠牲者に愕然としました。

    • @針尾たてる
      @針尾たてる 4 місяці тому

      すみません、誤字がありました。授業です。

  • @フクピカ
    @フクピカ 5 місяців тому

    動画ありがとうございます。友達のお姉ちゃんが、この地震の津波で亡くなりました。山あいの小学校の子供たちが、たまたま遠足で津波の遭難に合いました。幼いながらもこの地震のことは覚えています。 忘れない為にもこのような動画ありがたいです。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 5 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。また、その方に対して、心からお悔やみ申し上げます。 遠足というと、動画内でもある程度触れている所がありますが、あの場所の被害者の方でしょうか。 伝えられている情景を聞く限り、親御様はもちろん、地域の方々にとっても 辛い現場だったのだろうと推察します。 中々遠方なのでいつ行けるかは不明ですが、一度伺いたい場所です。

    • @フクピカ
      @フクピカ 5 місяців тому

      @@ゆっくり災害史 私はまだ小さかったので、地震が起きて避難した所までしか覚えていませんが、親から色々聞いて地震の後も悲惨な事が沢山あったみたいです。 今は閉校していますが、南小学校の裏山と、加茂青砂に慰霊碑があって、地元の子供たちは毎年慰霊式を行っています。風化させない為にもこのような動画はありがたいです。

  • @荒木-e6v
    @荒木-e6v 5 місяців тому

    最近『豪雨災害伝承館』が出来たので、先日見学に行って来ましたが、 現地は、JRの線路から山に向かって相当な急傾斜地が続き、そこに貼り付くように造成された住宅密集地となっていました。只でさえ崩れやすい地質の斜面に、あんな宅地造成をするとは… 19:58更に現地は、車1台がギリギリ通れる様な狭い路地が入り組んでいて、避難心理の観点から見ても、恐らく当時既に川のようになっていただろう路地を、暗闇の中徒歩で避難しようとするのは難しかったと思います。 砂防ダムや雨水を通す大きな排水路が整備された、とのことですが、 個人的には、相当大規模な道路改良による避難経路の確保がなされない限り、逃げ遅れの根本的な解決は出来ないと感じました。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 5 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 おっしゃる通り、ある程度の減災は工事などで可能ですが 特に昨今の豪雨の規模を考えると、どこまで防ぎきれるかわかりませんね… 災害の伝承館があるとは知りませんでした、是非とも現地で過去の被災状況詳細や取り組みを見たいです。 情報提供、誠にありがとうございました。

  • @af3288
    @af3288 6 місяців тому

    一年近く投稿してないけどどうしたんですか?次は能登半島地震や十勝沖地震(2003年)について解説して欲しいです。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 6 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。長らく投稿出来ていない点については申し訳ありません。 仕事の多忙化により以前ほど余裕がない為、投稿は余裕があるときに少しずつ上げさせて頂きます。

  • @J3Mジェイサンエム
    @J3Mジェイサンエム 7 місяців тому

    日本海中部地震の当時は5歳でしたが、今まで感じた事のない揺れで怖かった記憶があります😫

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 7 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 大人ですら、初めて震度5以上の地震を体感すれば動揺するのですから、子供なら尚更です。 今回は津波が主題でしたが、地震自体も大きな揺れで、地割れや家屋倒壊など多くの被害が出ました。 昨今も色んな地域で中規模の地震は度々発生しているので、依然注意が必要ですね。

  • @fuji-kiseki
    @fuji-kiseki 7 місяців тому

    サムネや1:30付近からの3枚の写真。 八森漁港付近と書いてますが、撮影場所自体は我が家の裏です。 漁港は写真奥の方遠くにに写ってます。 近所の父さんが撮った写真ですがうちでもパネルにして所持しております。 目の前の海は釣りをしたり夏は泳いだりと身近な海なので発災時期が時期なら自分も生きてなかったかもしれませんね。 発災時はこの場所から海沿いに1キロほど南の小学校にいましたが、揺れののち校庭に避難して暫く待機してたがラジオで警報発令と男鹿で児童が流されたとの速報が流れたのを聞いて初めて高台避難の行動に移りました。 高台もすぐ近くには無いので1キロほど走って逃げました。 波が来ないか何度も何度も後ろを振り返りながら怖かったのを覚えてます。 高台から望む景色には沿岸を襲う津波が見え泣き出す児童も多数いました。 幸い学校も自宅も堤防+のり面を乗り越えることは無く無事でしたが写真奥に写る地域は堤防も低く被害が出てました。 近辺は酒田沖の地震空白域の活動も控えてるのできちんと備えておかなきゃいけませんね。 サムネに懐かしい写真が有ったので長々と失礼しました。 啓蒙活動よろしくお願いします。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 7 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 写真については管理サイト様に許諾を頂いてはおりますが 見知った環境の写真という事で、驚かせてしまった点については誠に申し訳ありません。 記載地域については、元写真の記載地名をそのまま記載させて頂いておりますので 地元の方からすれば少し的外れだったかもしれません。 正直この写真のインパクトはかなりでかく この津波の規模では、この撮影地点も大変危険なのではと考える程 波の勢いがはっきりと映し出されています。 ともあれ、ご無事であり何よりです。 被災した方しか分からない体験談を語っていただき、誠にありがとうございます。 九州なので、中々うかがうことは出来ませんが、来年ぐらいには一度秋田県は訪問して 今回の撮影箇所や、解説した場所を自身の目で見に行きたいと考えております。 (というよりそろそろ次の動画作成に入らないと(-_-;)) 啓蒙とは恐れ多いですが、今後も少しずつ作成頑張ります。

    • @fuji-kiseki
      @fuji-kiseki 7 місяців тому

      @@ゆっくり災害史 >正直この写真のインパクトはかなりでかく そうですよね、今の津波に対する認識じゃ危険でもう取られない写真ですよね。 実際この波かは分かりませんが立ってる場所の目の前まで遡上の跡が残ってたとの事でした。 それに動画の切り抜きじゃない決定的な瞬間の写真は奇跡の一枚と言っても良いんじゃないでしょうか。 自分も30年前に見た時はスゲェと思って友達にも見せました。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 7 місяців тому

      ご返信遅くなり申し訳ありません。 波の高さ自体がすでに高いのに、津波ですから遡上高は想像以上だと思われます。 本当に撮影者の方がご無事で何よりでした。 定期的なものではないと思われますので、再度同じ場所でこのような地震が起きない事を祈るばかりですが 今年の能登半島地震の件もあります。 ここに限らず、海が面している町に住むのなら、少しだけでもそのような危険性を考える必要があるのだろうと思います。

  • @yurib-u6d
    @yurib-u6d 7 місяців тому

    動画制作ありがとうございます。 地元ですが、ちょうど北海道に遊びに行っており、そこも揺れたかすかな記憶があります。 そして、今年の能登半島地震の津波発生時も、旅行に行っていていませんでしたが、血の気が引く思いでした。津波は本当に恐ろしいです。 親から聞きましたが、秋田は近年津波が全く来なかったらしく、海へ逃げろと本当に言われていたらしいです。 今は、太平洋側よりもすぐ津波が来るから、即早く逃げろと言われています。 貴重な動画をありがとうございました。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 7 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 コメント返信をしようと思ったら今朝も震度5が石川県で起きたので、まだまだ気が抜けませんね。 今や直下型も考慮すれば、日本各地で地震は起きていますし、他人事ではなくなりました。 少なくとも昔よりは、災害の脅威を見て理解しやすい環境となっておりますので 明日の自分や家族の為に、災害を知る・備える事が第一歩だと思っております。

  • @ボノ-b1d
    @ボノ-b1d 8 місяців тому

    今日でちょうど41年目ですね。 当時秋田県境の海岸に住んでました。 小学校が高台にあり 津波が押し寄せる様子を 校庭から見ていましたが 当時小2だったので 海の上を白い線が海岸に 向かってきてたのを見て 先生や周りの人が驚いてる中 何が起こってるか 分からない状態でした。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 8 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 高台での避難とは言え、ご無事で何よりです。 津波の実際の被害をテレビで詳細に見れる様になったのはここ20~30年ですし 当時では子供・大人に限らず、実際にどれ程の脅威か正確にわかる方は多くはなかったと思います。 中々秋田まで行く機会がないですが、度々県外に出かける事がありますので いずれ自身の目で、被災地を見てみたいと思います。

  • @hajime.asahara
    @hajime.asahara 9 місяців тому

    日本海側では津波はないなんて変な伝承もあったらしいです。 過去にあまり記録がなかっただけなんだすけどね。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 7 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。ご返信が遅くなり申し訳ありません。 私自身特に東日本大震災や南海トラフのイメージが強かったので、調査前も日本海側の津波の印象は薄かったです。 ですがこの地震や北海道南西沖地震のように、近年大きな被害が出た津波災害もありますし 今年の能登半島地震のように大規模な地震が起きる事も十分考えられます。 過去にない、聞いた事がない、がそのまま災害が起きないことに繋がるわけではないので 自身のお住まいでも万が一がありうると認識を持つ事も必要なのかもしれません。

  • @AAAaaaaaAaaaa135
    @AAAaaaaaAaaaa135 9 місяців тому

    令和6年能登半島地震のマグニチュード7.6は日本海側で発生した大地震としては、この日本海中部地震に次ぐ規模であった。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 9 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 前回動画の作成時に、まさかこんな地震が起きるとは思いもよりませんでした。 天災とはいつ起きるか分からないと改めて痛感した地震でした。一刻も早い復興を祈るばかりです。

  • @おがわかおる-c4s
    @おがわかおる-c4s 9 місяців тому

    福岡市に住んでいます。 スマホで警報が鳴り渡り、福岡も随分揺れました。 熊本から通勤している人も多く、しばらくの間、混乱が続きました。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 9 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 私も1回目の地震は北九州に居たので、何事かと驚いた覚えがあります。 九州は地震に強いと勝手なイメージがありましたが、この日本にいる限りはどこに住んでいても、地震が起きる可能性があるのだと、思い知りました。 いずれ熊本の復興についても現地レポができればと考えております。

  • @怜羽瀨川
    @怜羽瀨川 9 місяців тому

    この地震は今の40代がまだ子供だった頃のことですね。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 9 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 かなり前の地震ではあり、他県の方では知らない方もいらっしゃるかもしれません。 年数が経つとどうしても風化・人々の記憶から忘れ去られる事態は避けられません。 ですが、今の時代のように過去の資料を比較的見やすい時代になっているからこそ、もっと関心を持つ事が重要なのだと認識しております。

  • @Mizuguchi4
    @Mizuguchi4 10 місяців тому

    元緑地震、 お願いします!!

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 9 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 元禄地震については、私も深く把握できている天災ではありませんが、津波等の被害は数字だけでも、とんでもない被害がでた天災だと知りました。 動画上で資料等の記載が可能か不明ですが、一度この地震の資料に目を通させて頂きます。

  • @syo-ou3dl
    @syo-ou3dl 11 місяців тому

    こんにちは「ゆっくり災害史」さん、私はがまだすドーム (雲仙岳災害記念館)を観覧し、地元の佐賀藩が「島原大変肥後迷惑」に際して、被災者を救援した話をシアターで知って以来、「災害」史に関心を持ち、自分なりに勉強しております。その上で、調べても分からなかったことがあります。  それは島原大変肥後迷惑に際して、近隣諸藩が救援隊や物資を提供していますが、その行動は、幕府から見れば軍事行動とも捉えられ兼ねません。故に私は近隣諸藩による被災地の救援、復興支援は、島原、天草の乱のように、事前に幕府の許可を得て行われた可能性が高いと考えております。  しかし、『徳川実紀』を読んでも、その記述を見つけ切れないのですが、「ゆっくり災害史」さんは佐賀藩や大村藩等は幕府の命令を受けて、救援行動を取ったかをご存知でしょうか?また、もし宜しければ、それを暗示する史料等もありましたら、ご教示下さい。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 9 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。また返信が大変遅くなり誠に申し訳ございません。 私も同様にシアターなどで過去の救援活動について知り、資料などを探して今回の動画を作成した次第です。 おっしゃる部分については、私の方でも把握が出来ておりませんでしたが、ご指摘についてはもっともでございます。 ご希望に添える答えが見つかるかわかりかねますが、改めて過去の資料を再度見直してみます。

  • @Hanaora
    @Hanaora 11 місяців тому

    これは小学生の時に経験しました。当時は青森県下北地方に住んでました。 体育の授業中で校庭にいましたが、まさに正午のチャイムが鳴ってすぐにすごい揺れが来ました。木造3階建ての校舎が信じられないくらいに横に振られる様子をよく覚えています。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 9 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 また返信が遅くなり申し訳ありませんでした。 当時の貴重な体験をお話しいただき誠にありがとうございます。 大人ですら地震には恐怖を抱くものですから、当時の体験時の心境は察するに余りあります。 子供の時から天災について学び、正しく震災を恐れ、正しく対策・対応を行う心構えを持つ事が防災・減災の一歩だと考えております。

  • @とみかわるりこ
    @とみかわるりこ 11 місяців тому

    日本海中部地震とは初めて知りました、また知らない地震を教えて下さい

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 11 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 私も新たに勉強しながらの作成となっておりますので、気になる災害があればまた作ってみる予定です。

  • @オムライスとジャムトースト
    @オムライスとジャムトースト 11 місяців тому

    僕もこの地震初めて知りました。1983年というと三宅島の噴火が強く印象に残っており、全然知らなかったです。大変有意義な動画どうもありがとうございます

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 11 місяців тому

      ご視聴ありがとうございます。 ペースは落ちていますが、機を見てそちらも作成できればと思っております。

  • @tme3124
    @tme3124 Рік тому

    その津波が一番最初に到達した所のすぐ側に住んでる者です。 当時祖父は早朝から漁にでており、港に帰ってきた時でした。 陸で船の係留作業をしてると、大きな揺れに襲われます。 地盤が強固で、揺れることがほとんどない地区が尋常ではない揺れに襲われ、海が震源だと、これはまずいとおもい、係留中の船を即座に沖に向けました。 湾外出る間もなく、北側から盛り上がる津波第1波が迫り、津波に進路を変え、乗り越えます。その後も2、3度来る津波を乗り越え湾外にて待機。 引き波に攫われてきた漁師仲間や住民を助けて回ったそうです。 沖に逃げた船総出で、津波に攫われた人を救助しつつ、残念ながら、溺死した人も数人引き上げたそうです。 今や齢90となった祖父ですが、地震津波に対する備えを幼少期から口酸っぱく言われてきました。 自分の子供にも風化させることのないよう、伝えていきます。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴並びに貴重な話を教えて頂きありがとうございます。 あの地域ですと、第一波の到達までの時間は本当にわずかだと思われますが 今のように地震速報・津波速報のシステムが整備されていない時期でも すぐに津波の危険性を判断し、すぐに対処されたのはさすがだと思います。 自分自身が津波の経験がないので、言えた立場ではありませんが 日頃の意識、住んでいる地域での災害リスクを予め把握し いざという時の対処を考えておくことが防災・減災の一歩だと思います。

  • @荒木-e6v
    @荒木-e6v Рік тому

    25:57昨年島原で開かれたこの災害のシンポジウムの後に、島原市長とお話する機会がありましたが、 「火砕流災害を機に、国に陳情してやっとの思いで整備した防災無線放送も、今となっては『うるさい』『もっと短い放送にしろ』とクレームの対象になってる」と肩を落としておられました。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます、返信が遅れて申し訳ありません。 やはり被災経験がなかったり、記憶から忘れ去られると、そういった言葉が投げかけられるのも仕方ないのかもしれません。ですがこういった取り組みが万が一の際、誰かの助けになるかもしれませんし、クレーム対応は難しいかもしれませんが、是非とも続けて頂きたいですね。

  • @城池敦子
    @城池敦子 Рік тому

    九州地方地震と火山🌋でできた地方

  • @アルベルト-d1h
    @アルベルト-d1h Рік тому

    初めまして、詳しい解説ありがとうございます。大変さんこうになりました😄。青森県の十三湖ですが津波で土砂が流れ込んだことを知った東北大学の箕浦助教授は、太平洋側にも大津波の痕跡があると考えボーリングを開始、仙台周辺で貞観地震の大津波の痕跡を発見しました。その後津波の危険を知らせようと活動してましたが、当時はバブル期で仙台周辺の地価も上昇、地上げ屋にしてみたら、津波が来ると言われると地価上昇の冷や水になるので、助教授やその家族に色々な脅しをかけたので巨大地震や津波の周知ができなくなり3.11を迎えることになりましたね

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。また合わせて貴重な話を頂き、重ねてお礼申し上げます。 災害が起きた痕跡や話は、これからの災害を防ぐ道しるべの一つとなりますが 土地のPRをしたい人からすれば、余計な情報なのかもしれませんね。 (かといってそのような行為は決して容認できるものではないですし、もしもの事も考えてしまいますね) この日本という土地で、何の災害の危険性もない土地などないと思いますし 自分の住む場所で起こりうる災害も認識しておくことが、これからの生き方に必要な事だと考えます。

  • @坂田銀時-h3c
    @坂田銀時-h3c Рік тому

    生まれも育ちも津軽で、当時は小1でした。 揺れてる最中の記憶はないけど、わんわん泣いて集団下校したようです。(親談) 家は酒屋をやっていたので、酒瓶が落下して割れまくりで店中が酒臭かったのは覚えています。 今でこそ建物も耐震性が優れて震度4~5は「でかめのが来たな」くらいだけど、 当時の震度4~5といったら大地震でした。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 また,当時の貴重な体験談をお話しいただき,重ねてお礼申し上げます。 当時と今では,震度の計測方法もさることながら 建物の耐震性も異なりますので 同程度の震度でも,当時だと被害が大きかったのかもしれません。 ましてや,幼い子供では,体験した事がない地震の経験は,恐怖以外の何物でもなかったと想像します。 (私も高3の時に震度6弱を体験しましたが,あれは怯えるなというのが無理なものです)

  • @EBIFRY20hey
    @EBIFRY20hey Рік тому

    解説お疲れ様です。 確かに日本海で津波が来るというイメージが無かった.... 発生してなかっただけで、こうやって人の命を飲み込んだ被害があったんですね。 時代背景もあるとはいえ、正しく迅速に避難を呼び掛け届ける事ができたなら.... 今の私達にできるのは悔やむ事でなく、学び繋げていくことですね。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 中々イメージが無いですが,昨今ですと石川県でも大きめの地震が発生していますし 日本海側で津波が起きないとは言い切れないですね。 いつどこで津波が発生するか,完全な予測は,我々が生きている間にはできないでしょう。 だからこそ,ご指摘の通り 過去の災害を知り,今の防災対策を振り返り,未来に備えることが,我々が出来る事だと思います。

  • @亜田りょうや
    @亜田りょうや Рік тому

    うわぁん……もう動画は上がらないと思ってました 嬉しいです、これからものんびりと待ってます!

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 大変お待たせする形となり、申し訳ありませんが 今後も少しずつ作成を続けていきますので 良ければお時間の良いときにご覧頂けると幸いです。

  • @kousakai6982
    @kousakai6982 Рік тому

    14:19 雲仙岳はたくさんの山・岳がある状態なので谷もたくさんあります、 そんな状態で仁田峠や雲仙温泉街が危ないなら島原半島は全てが危険だと思う・・・と半島内に生まれてから今も住んでる私が言ってみる。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 私も仁田峠や定点に行き,普賢岳がどれ程高いか実感しましたが ご指摘の通り,あの山頂や他の山で一度噴火したら,火砕流がどの方角に流れても甚大な被害が出ると思います。 災害が起きた後では,あの時の災害前の行動は危険だと,いくらでも言えるのですが もし私が,当時あの環境に居たとして,果たして,今と同じように注意を出せるのかと言われると 何とも言えません。 ただ,私個人としては,小学生の頃,同県内で起きたこの災害の被害と復興活動を知った事が 防災への意識をもつきっかけになりました。 動画であの様にお伝えしておきながら,はっきりとしたコメントが出せず誠に申し訳ありません。

  • @okka_da-chime
    @okka_da-chime Рік тому

    この津波の報道を聞いたとき「日本海の津波」にピンとこず、秋田って太平洋側だっけ??と、随分と混乱したことを覚えています。 津波は太平洋でしか起きないと思い込んでいたのです。 up主の毎回の真摯で丁寧な動画制作姿勢に感銘しております。 ありがとうございます。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 ご指摘の感想を,以前私も思っておりました。 どうしても東日本大震災や今後の南海トラフ地震など,津波=太平洋側のイメージが付いています。 ただ調べてみると,日本海側の津波は(発生回数は少ないですが) 近海の海底が浅い分,津波の到達スピードも速いので かえって太平洋側より危険になりやすい事を知りました。 最近ですと,石川県でも大きな地震が起きております。 日本のどこに住んでいても,地震や津波が地震の住む地域で起きるかもしれないと認識し それを想定した避難方法を予め考慮しておくことが必要だと思います。

  • @お米-y5u
    @お米-y5u Рік тому

    津波の被害は、三月十一日の震災の前座のようだったのに、人は忘れ易い。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 ご指摘の通り,年数が経つと人々の記憶から災害のイメージが薄れていくのでしょう。 ただ,今後もきっと同様の災害がどこかで起こりうる状態です。 見る事は辛いかもしれませんが,多くの人,特に知らない世代の方々に 一度でも津波の映像を見て頂き,津波がどれ程恐ろしい災害なのか 認識して頂きたいと考えております。

  • @al-bireo
    @al-bireo Рік тому

    動画アップありがとうございます😊 相変わらず丁寧に作られた、見応えもたくさんの学びもある動画でした。 普段はついつい忘れてしまってる災害の恐ろしさ、いつどこでも起こりうる、人ごとではないという事実を定期的に思い出し、危機感を高めるのはとても有益なことだと思います。 そのためにも、このチャンネルさんのような良質の動画は、どんどん再生が伸びてほしいですね。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      お久しぶりです,投稿が遅れる形となりましたが,ご視聴ありがとうございます。 丁寧かどうかはわかりませんが,過去の動画含め,被災者の方々の思いと剥離していないか 慎重に原稿及び動画を作成しているつもりです。 もし間違えている点があればご遠慮なくご指摘ください。 不定期ではありますが,今後も動画作成・(可能であれば)現地取材報告など やっていくつもりですので,今後もご視聴よろしくお願いします。

  • @黒龍-k8d
    @黒龍-k8d Рік тому

    動画リクエストありがとうございます。 40年も前の災害でしたがこの動画を見ていて当時をありありと思い出しました。 この動画が防災・減災の一助になれば幸いです。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 私はまだ生まれておりませんので,後から知った形でしたが 被害を調べれば調べる程,胸が痛む思いでした。 津波を体験した事はありませんが,地震の際には 津波・土砂災害と二次災害が起こりうることを想定して 避難行動にうつるべきだと,改めて実感しました。

  • @アンドロビッチMクローカスキー

    お久しぶりです。 この地震でNHKが偶然撮影した、水平線に現れた一直線の津波と。 地震中に突然地面から泥水が噴出し、それに反比例するように地面に沈んでいく建物の映像が当時流れた時、物凄い恐怖を感じました。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      1年ぶりの投稿と恥ずかしい限りですが,ご視聴ありがとうございます。 ご指摘の通り,この災害では各放送局の他,多くの市民の方々などによって撮影された映像が 残されており,地上波で放送されております。 津波映像が接近してくる映像については,youtubeでも「日本海中部地震」で検索して頂くと 色々見つかりますので,良ければ合わせてご覧ください。

  • @koperu1966
    @koperu1966 Рік тому

    大切で重要なお話感謝です。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 お待たせする形となり申し訳ありません。 不定期ですが今後も続ける予定ですので,よければご視聴よろしくお願いします。

    • @koperu1966
      @koperu1966 Рік тому

      @@ゆっくり災害史 様。私こそよろしくお願いします。

  • @ponshimeji
    @ponshimeji Рік тому

    動画作成お疲れ様です。 恥ずかしながら、この震災は全然知りませんでした。 被害状況を聞くと、やっぱり東日本大震災の時と似てるなって思います。 今のように情報の伝達がリアルタイムでできないのは、やはり厳しいですよね。 何とも苦しい気持ちにります。 この震災でなくなった方のご冥福をお祈りします。 次の動画もたのしみにしています。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 40年前ですので,知らない方も多い災害かもしれませんが 東日本大震災を想起させる点がいくつもあると思います。 同じ東北地方の災害ですので,この時の被災経験を被災者の方々が伝えて頂いたおかげで 東日本大震災の津波から逃れた方も,きっといるのではないか、と考えております。

  • @parzival-s1b
    @parzival-s1b Рік тому

    マスコミからマスゴミと言われるようになった災害。助かる命を奪ってまで撮影なんて、もってのほか。 火砕流は時速100kmで来る上に水上でも速度は変わらないから気をつけな。

  • @tosansakamoto
    @tosansakamoto Рік тому

    当時、幹線道路の復興事業に従事のため、島原市内に宿泊してハイウェイ灯の設置工事をしてました。 付近は、本当に酷い状況で火山灰が風が吹いたり、作業車両が通る度舞い上がり、水無川付近は、土石流に埋もれた民家など 今でも、忘れることができません。しかし、今では、当時、被害者の治療をしていた総合病院も2000年に建新しく建替えて市民の医療の中心になって居り 道路整備も災害対策のため町が孤立しないよう配慮されてます。それは見事な復興を遂げています。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 工事に従事された方だったんですね,復興に尽力して頂き,ありがとうございました。 当時のテレビ放送を見ましたが,本当に灰の量がすごく,呼吸にも悪影響な上 雨が降ると地面がぬかるむ上,土石流などの二次災害の発生に繋がりかねないと 厳しい自然との長い闘いだったかと推察します。 現在,島原道路の新規造成が進んでいますが,繋がると県中心部からのアクセスが大分近くなり 雲仙・島原へ観光がしやすくなるはずです。 これからの雲仙・島原の発展にとても期待しています。

  • @kaguyatukikage9094
    @kaguyatukikage9094 Рік тому

    島原は美しい水の街。天如塔も忘れてはなりません。 廣田言証師が建立された霊跡です😊。 私も深江の道の駅で食事をしました😊 貴重な未来へ伝えるべき痕跡を取り壊す。道の駅の閉鎖も残念でなりません😢

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 恥ずかしながら,ご指摘の天如塔については存じ上げておりませんでした。 前回島原にお伺いした際に近くまできていたのですが… 次回伺う機会がありましたら,訪問させて頂きます。 経営が成り立たない以上仕方ないとはいえ,道の駅の閉鎖は実に残念です。 残されている史跡にも時の限りがある事を改めて思い知りました 上記同様早めにまた伺いたいです。

  • @goro-yoko-teto869
    @goro-yoko-teto869 Рік тому

    良いまとめ動画ですね

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 そのように言って頂き,作成したかいがありました。 中々次のが完成しませんが,早めに投稿させて頂きます。

  • @kazunobu8745
    @kazunobu8745 Рік тому

    私はこのサムネのちょっと右側に住んでいます。 あの日は19日夜、雷が凄かったのを覚えています。でも雨は降ってなかったんですよね。 23時に就寝して朝4時、停電でクーラーが切れて寝苦しさに目が覚めた時、土砂と草木の異様な匂いにベランダへ出てみると、家の前の道路が土砂で埋まってました。 明るくなって確認すると、自宅上の地区は押し流されて、全く変わり果てた光景になっていました。多数の犠牲者がおられたことは後に知りました。 しかし被害が出た地域はごく限られた場所だったんですよね。県道を隔てると何事もなくて、とてつもない違和感を覚えたのを今でも覚えています。 今は砂防ダムが整備され、防災の為の工事が続いています。 この災害で感じたことは、いつ何処で何が起きるかわからない、ということです。 だから、万が一に備えておかなければならない、安全なところなど無いということです。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます,合わせて貴重な体験をお話しいただき,ありがとうございます。 載せきれていない参考写真でも,当時の風景を見させて頂きましたが,本当に大変な状況だったかと思われます。 色々被害があったかもしれませんが,ご無事で何よりです。 実際に被害を経験しないと,中々自分事として考えるのは難しいですが 昨今の天候状況を考えると,毎年どの場所で起きてもおかしくありません。 私自身も斜面地に住んでおり,例え土盤が崩れなくても鉄砲水が起きる可能性があるかもしれません。 今年ももうすぐ梅雨や台風の時期です。 一番良いのは,このような災害が起きない事ですが 万が一災害が起きても,自助・共助・公助で互いに助け合い 被害を最小限に出来るよう,心構えをしておく必要がありますね。

  • @長谷川亮-c4w
    @長谷川亮-c4w Рік тому

    普賢岳の噴火による災害は自衛隊の災害派遣では最長の1653日間という長期に渡る災害派遣となりました。 6月3日の大火災流災害以降は、自衛隊が九州大学島原火山観測所の指導を受けながらヘリや車両などで警戒区域に入ったり、普賢岳の状況を常に提供する側になった。

    • @ゆっくり災害史
      @ゆっくり災害史 Рік тому

      ご視聴ありがとうございます。 以前,県内の陸上自衛隊大村駐屯地を訪れる機会があり,同施設内の資料館にて 派遣期間中の活動についてまとめられた報告内容や,当時の写真をまとめたアルバムを 拝見させて頂きました。 災害直後の避難誘導,エリア規制,被災者のフォロー,行方不明者の捜索,そして長期間にわたる 普賢岳付近の監視など,様々な活動に尽力されており この方々によって,二次災害が防がれ,以降の復興へ進めるようになったのだと思います。

  • @user-df3kb2rg2d
    @user-df3kb2rg2d Рік тому

    やっぱ千羽鶴だよね