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自分の親父が隼のパイロットでした。旋回能力はピカイチだったと言っていました。余談ですが戦後親父が勤めていた会社の社員食堂にあの加藤隊長の奥さんが勤めていて色々話しをしたらその後飯に行くと2品ほどおまけしてくれたと言っていました。
凄い話です!
敬礼🫡
素晴らしい、お話ありがとうございます🙇😊
大東亜戦争後東南アジアに残った2000人の日本兵と共にインドネシアで大活躍し、インドネシアのオランダからの独立戦争で大活躍したのが隼1970年代まで現役でしたよ。
数年前、河口湖の自動車博物館に国内初の隼の展示がありました。初めて見た隼は小さい機体だけど、その灰色の姿は少し上を向いて誇らしげでしたね。隣で見ていた老人がプロペラの先端を指さして、あそこにエンジン始動の車が来てエンジンを始動するんだって教えてくれたのを思い出します。セルモーターなどなかった時代ですが、人力よりも効率は良かったと、背筋を伸ばして言ってました。動画の始めで確認できますね。時代を生き抜いた人の言葉には説得力があります。有難うございました。
亡くなった祖父がよく一式戦の話をしてくれたのを思い出します。東京や神奈川にに爆弾を投下して帰投するb29の編隊に隼が体当り攻撃を仕掛けようと 編隊に近づこうとすると一式戦はあっという間に火だるまになって撃墜されてしまっていたそうです...子供ながらにとても胸が痛んだのをよく覚えています。
1:30辺りのロール性能凄いな
複葉機のサーカス飛行より軽快だわな。
この運動性よりすごい九七戦てどんなバケモノだよ!
子供の頃よく模型を作った。日本の飛行機の中で一番好きなスタイルだった。今見ても無駄のない完成された美しい工業製品。
本当に美しい機体だなぁ・・・
1:30 スナップロールめっちゃ綺麗
ちゃんと訓練したパイロットじゃないと気絶しそうなくらいですね
隼の設計に携わった糸川技師(糸川英夫氏)、戦後日本のロケットの父となり貢献して、没後発見された小惑星にイトカワと名前をつけられました。その小惑星イトカワに行った探査機の名前は「はやぶさ」でしたね。探査機に姿を変えた隼は星になった糸川技師に会いに行ったのです。
隼は改良を繰り返され終戦前にⅢ型ではムスタングですら警戒するほどの格闘性能と防御性を備えていた。ちなみにP51を日本機で初めて撃墜したのも隼。どんな名機でも欠点はあるし、むしろゼロ戦の様に改良する度に改悪されるのでは無く、隼の様に当初から防弾板を備え第25戦隊の様に隼から疾風に乗り換え終戦まで戦い続けた戦隊もある。25戦隊はフライングタイガースと昭和20年に南京上空戦を戦い互角以上の戦いをしている。海軍ばかり注目されるのはおかしい。陸軍は毎年新型機を開発している点も注目すべきだ。
偽 連合艦隊司令長官西垣ichiromatsuo自分もそう思います。陸軍四式戦なんか最高傑作だと思うし、エ-スパイロットだった坂井三郎さんも陸軍の戦闘機開発を褒めてたしね。
隼の初期型が2枚固定プロペラ、武装が7.7mm機銃で性能が低すぎたんですよ(改良の余地だらけ)零戦は初期型があまりに良すぎた
@@user-yo2ih2jr6s や
今はそうでもないでしょ。当時の戦闘記録や公文署も、ネットで見られる時代になってるし、海軍と陸軍の事も色々と分かるようになってきてる。後出しジャンケンだけど、陸海の航空隊を統合して再編成し、日本空軍を作らなかったことが悔やまれる。この点については、昔の日本人の愚かさと合理性の無さに嘆くばかりだ。
ichiromatsuo 隼3型に20粍機関砲装備が計画された。
確かにこんな木の葉の様に舞う機動性を見たらまともに格闘戦を挑んだら勝ち目がないことがわかる。
撮影機(多分双発機)の離陸速度に合わせて、カメラアングル内で脚上げ。後流に注意しつつ浮き上がる機体を抑える。写す方も写される方も凄い。
素晴らしい運動性能、防弾板まで設けた中島飛行機設計の方々の良心を感じます。
零戦より影薄くて涙が出ますよ…
めっちゃ気持ち良さそうに飛んでますね
隼は、ムスタングよりも良いでしょうねぇ~w運動性も、他より良いですよねw
このキャノビーの感じがすごく好き
周りが見えるので、アヴィオニクスを充実させれば、最高でしょうなw
(╭☞•́⍛•̀)╭☞それな
初めて拝見する貴重な映像です!
ニューギニア航空戦を戦い抜いた南郷茂男大尉は、飛行第59戦隊を率いて自らも一式戦2型を操り米空軍と幾度も交戦したが、昭和18年ごろに相手となったP38、P39、P40、P47に対し、日記に「(敵機は)性能を十分に発揮し、散々やらる。一式戦の時代に非ず」と記している。それでも対戦闘機戦に不向きな二式戦、稼働率の低い三式戦では戦力にならない為、一式戦の運動性を活かし何度も有効な攻撃をかけ、敵機を撃墜していった。性能面では今一つでも、同大尉のような存在と、優秀な整備兵によって高い稼働率を誇った一式戦しか航空戦力になり得なかった事が窺える。また、同大尉は、一式戦2型の座席背部の防弾板について「防弾鋼板は不要というものに非ず。後方視界を害さざる頭部防弾鋼板を装備し得ば理想なり」と川村中尉に航空本部へ向けての意見書を書かせたというエピソードも残っている。時には他部隊機も指揮し、「ニューギニアは南郷でもつ」とまで言われた南郷大尉。飛行第64戦隊を率いた加藤健夫少将と並んで、エースパイロットが一式戦の存在価値を更に高めていったのだろうと思う。
流石にP39はないwせめて推力式の2型後期があれば死なずに済んだかも二式戦はパイロットの適正だろうね、完全に真逆だし卓越した上昇力の差でP-51をも翻弄できる、難点は稼働率三式戦は稼働率もさることながら飛んでもカモにされる悲しい存在本家ではスピットⅠ型に負けたゴミエンジンで何が出来る?金星積んで出直せ
性能云々は置いといて、其にしても美しい機体だ!
1:29運動能力高ぇw
She is beautiful
美しい
自分は疾風や零戦、紫電改より、隼や97式重爆が好きです。子供や若いの頃は、疾風や零戦が好きでしたが、安定した性能を持ち、長年、堅実な活躍をしたところが好きです。
かっちょええ!!
プロペラ枚数はエンジン出力で決まるアルヨ。Ⅱ型は3枚アルネ。
一式戦は終戦まで第一線で活躍できた幸運な期待作戦高度が低かったのが幸いしたからねえ悲劇の零戦とは反対の運命
隼は藤田進さんが加藤建夫さんの隼戦闘機隊の隊長の映画見ましたよ、藤田進さんが照準器に目を当てて機銃射撃される姿が印象的でしたよ、あとコロンビアトップさんがその加藤隼戦闘隊従兵でしたよ。
動画ありがとうございます。格闘戦で戦域にとどまるより一撃離脱。一騎打ちより集団戦闘。今度は海軍陸軍仲良くして同じ型の戦闘機、弾薬、部品、無線機も使える物で開発お願いします。旧軍からの無理な要求にもかかわらず、三菱中島様、製造開発お疲れ様でした。隼は傑作機だったと思います。
この動画は、東宝映画[翼の凱歌]でも使われていますね。
In its time the Zero was an amazing plane.
This is actually the Ki-43 Hayabusa btw
陸軍は後に来るかもしれない重戦闘機偏重の戦争の可能性を予測していた。軽戦闘機、重戦闘機、双発戦闘機の三種類を同時期に開発して、「過去の成功体験(ゼロ戦)から脱却できず、世界の戦闘機開発から結果的に遅れてしまった」海軍とは違う傾向になった。ただ整備兵の教育に失敗し、部隊によって後続機の稼働率をバラバラにしてしまう等の問題を引き起こした。この隼は整備性が非常に良く、「少し油をさして燃料を入れるだけで良く飛んだ」らしく、整備兵達の航空機への間違った認識を植え付けてしまった可能性がある。ある部隊では四式戦闘機の納入品を必ず分解整備して(欧米では当たり前の整備方法)、あらかじめ粗悪部品等を交換しておいた結果実戦での稼働率がほぼ100%となった部隊もある。つまり「いかに過去の成功体験から脱却すべきか」であり、日本の航空機での失敗は各戦闘機の性能に起こることではない。
ノモンハン事件の戦訓で鍾馗が生まれたのに対し、漢江基地を爆撃されて生まれたのが雷電なんだけど、海軍は雷電が対戦闘機戦ができるということを認識していなかったんでしょうね。
3種想定できるから設計段階でそれぞれを一定の性能に特化させることができます。また運用が陸上基地前提なので複数運用が出来たと言う事もあります。しかし艦上機ではそうもいきません。戦闘機は一種類のみ。それでいてその一機種である程度任務をこなす必要があります。よく隼零戦論争で「陸軍機は種類がたくさんあり、海軍機は零戦に固執し、技術的に遅れている」意見を目にしますがそもそも運用方法、設計段階の制約(空母運用される機体なら尚更)が海軍機と陸軍機で大きく違う時点で単純比較は出来ません。
隼はゼロ戦に比べ不当に評価が低い様に思えます、太平洋戦争末期の米軍のマニュアルではゼロ戦はもはや我々の敵にはなり得ないが隼の後期型には注意を要すると記載されていたそうです。
益子徳久 後継機?
後期型か。目が疲れてる。
Check six!
今隼は荒野のコトブキ飛行隊というアニメで活躍中w
実は隼はあくまでも繋ぎで中島の本音は次の二式単座戦闘機「鍾馗」でした。又隼は高高度性能もそこそこ有り、64戦隊は「疾風より格闘性能もよく高高度性能も良いから新型の隼が欲しい」と言ったそうです。
隼は、一時お蔵入りしていたので、登場時期は鍾馗とほぼ同じ、64戦隊のエースの1人、檜与平さんは、加藤隊長が模擬戦闘で鍾馗と互角に渡り合うのを見て、「これなら、やれる。」と思ったそうです。
64は、4式が無いから、100式の評価がいいだけ。2式の発動機が、まともなら。2式の代わりに雷電を導入予定でしたが、火星の加工は悪く設計者がボンクラで完成せず。
当時は殆どの日本人は零戦のことをあまりよく知らなかった。その理由は隼のほうが圧倒的に有名だったのと、海軍があまり零戦のことを広く宣伝しなかったことに尽きる。一方の隼はその開発をめぐる兄弟の絆の映画「翼の凱歌」や、映画「加藤隼戦闘隊」など、それぞれ同タイトルの戦時歌謡(翼の凱歌は霧島昇や藤山一郎/加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌)は灰田勝彦)の大ヒットも相まって、隼の存在は当時の国民に多く知れ渡っていた。翼の凱歌:ua-cam.com/video/ZQZ0ZMpbpt0/v-deo.html加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌):ua-cam.com/video/uHu-EAC3drE/v-deo.htmlしかし零戦は決して極秘扱いだったわけじゃないが敵国へあまりその存在を知られたくないと海軍が考えたからなのか、当時の少年雑誌や新聞に少し載る程度で広く国民に知られていたわけではなかった。零戦がここまで有名になったのは戦艦大和と同様に戦後になってからの話で、とくに零戦と直接戦ったアメリカ軍パイロットたちによる評判が戦後の日本に広まったことが大きい。したがって有名だったのは、【戦中】隼>零銭【戦後】隼<零戦となってしまい、零戦にまつわる戦後映画は「永遠の0」や「ゼロファイター大空戦」や「あゝ零戦」など他にもたくさんあるのに、隼にまつわる映画は殆ど無いと言っていいほど少ない。ちなみに映画「翼の凱歌」は黒澤明や円谷英二が映画製作に関わっていて、また同映画の撮影には陸軍が全面協力した事もあり本物の隼が実際に撮影に使われ、今となっては非常に貴重な映像資料の価値ある映画となった。
Godly plane
Holt shit, that is one good airplane.
隼は随分活躍したんだけどね。旧式化しても活躍してたよ。
どの戦闘機だって一長一短ですしムスタングだって長距離飛んできてる訳ですから搭乗員や機械に負荷がかかるそれは零式もラバウル→ガダルカナルで体験済み隼、鍾馗、飛燕、飛燕改、疾風発動機含む機械的には飛燕が好みだが整備難しいしな~疾風も質の良い点火プラグ、高オクタン航空燃料、航空オイルさえあれば最強だが当時の日本に無い物ねだりだが・・・
マジで運動性高くて草
この隼は身震いするくらいカッコいいのに 最近のスズキの隼ときたら🙍
周りに競争相手と為る国がソ連だけだったってのも悲劇だったかもね?イキナリ最先端のアメリカ相手じゃあビックリしちゃうよね。
Pity Japan ran out of people to fly these awesome planes.
プリンス自動車工業
2:41学校らしき上を高度下げて飛んであげてるの、ワクワクする子もいただでしょうね。
1:45 Can someone help me find the name of the song? Shazam can't find it, but the music sounds so good!誰かが音楽の名前を教えてもらえますか?とても良いですが、何と呼ばれているのかわかりません。
同じ技量を持ったパイロットで隼同士で模擬空中戦やったら・・・と勝手に妄想してました。
昭和16年12月1日水戸陸軍飛行学校繰上卒業、12月7日宮﨑にて新品の隼を受領して日米開戦当日はベトナムの山岳地帯を垂れ込めた雲の中一機づつ飛び越えていったそうな。21年末に将官の内地への空輸業務に従事して復員。この時点で水戸飛行学校同期50名の内、生還したのは2人だけだったそう。そんな操縦士の消耗状況ということ。不時着3回、なぜパラシュート使用しなかったかの問に、当時アメリカ軍は落下傘降下中の日本軍パイロットを射殺していたので不時着しか選択肢はなかったとのこと。ラバウル基地におり、毎月羽田まで隼を連絡機として往復していたそうです。山本五十六将軍の受難時には捜索機として参加したようです。海軍と陸軍のパイロット操縦技量は格段の差があったようで、陸軍で計器飛行できるパイロットは殆どいなかったようです。だからこそのラバウル基地勤務だったようです。隼は故障の少ない期待だったようで、亡父は中島飛行機には全幅の信頼を置いていました。車も富士重工でしたね。
陸軍で計器飛行出来ないと、夜間戦闘出来ません。ただ、海上飛行が。海軍だって、副座、単座は海上飛行ができない。
隼1型は、機銃を強化出来なかったんですかね?
二式戦をもうちょっと頑張って発展させて欲しかったな。1000馬力級の隼のような軽戦では連合軍機に比べて速度が出ないし急降下速度も制限される。連合軍機と戦っても逃げられるし、逆に相手は好きな時に戦闘を仕掛けることが出来る。つまり戦いの主導権は相手側で隼は防戦いっぽうの受け身の立場😢
隼1型
日本の名機「隼」の悪い所ばかり探さないで良い所も言えば良いのに・・・
防弾性能の良さは零戦より遙かに上でしたね。
パイロットの技量も凄いのですが、撮影している方の腕も凄いのではないでしょうか?
中島飛行機の小山悌氏はその飛行機にのるパイロットの事を考え隼を設計したが、三菱の堀越二郎はパイロットの事よりひたすら戦闘性能のみを追求し零戦を設計した。
益子徳久 零戦が作られた当初、ほとんどの国の戦闘機には防弾は考えられていなかった。そして零戦は当時大砲とも言われた20mm機関砲を2門と7.7mm機関銃2門を搭載し、かつ運動性能も複葉機に負けぬ性能であった。なぜ複葉機にも運動性能で勝てたか、それは堀越二郎氏が徹底した軽量化。例えば主翼と胴体を繋ぐ部分の強度を当時不必要に強かったものを現代と同じ強さに研究により、したり、骨組みにも穴を開けた。これも現代でも使われれいる。他にも空気抵抗を減らすため、鋲を打ち込んだり、とても細かい設計図を書いたりした。そしてこの要求は軍からされており、堀越二郎氏はあくまでその要求にしたがっていただけである。半端な知識で堀越二郎氏を貶さないでいただきたい。
@@taicrider5897さん陸軍はノモンハンの経験で、防弾要求してます。海軍は、要求に無かったから、つけなかったと。戦後には、操縦員が下手ばかり成ったから、当たり出したんだとの。言い出してます。小山さんは、あれがよかった、これが良かった。いわれますが。なんて言えません。糸川博士は天才。
2次大戦の結果論として、勝利した戦闘機は、大馬力・高速・大積載・大火力・高い防御力のものばかり。実戦経験のある日本のパイロットが重視した運動性重視の機材と戦法では、日本に空の勝利をもたらせなかった。
俺の知ってる隼って64戦隊で大戦果上げまくって終戦時点でも連合軍機と互角以上に戦えてた日本軍史上1・2位を争う傑作機ってイメージなんだけど、違うの?
この編集は隼に恨みでもあるのかね。
機動性はいいけど10Gを2秒かけたら羽がもげるからな~、それ以外はいいんだけどね。
そもそも10Gなんて人間も耐えれないレベルだからなぁ
ロードスターの飛行機版です
ナレーションの最中、突然動画終わってビックリしたwそれにしても最新鋭戦闘機にもかかわらず九七式戦闘機と同等の性能ってどゆことー!?
そこは旋回性能を指して言っているんでしょうね。航空機設計は採用するエンジン出力で機体サイズ、速力、上昇性能、航続距離はほぼ決まる。ハ1とハ115では比較にならないくらい一式戦が圧倒すると思います。
隼より鍾馗が正しかったそれを理解した陸軍は疾風を作らせる隼のパイロットは疾風に転換できず、疾風のパイロットを新兵から育てなければならなかったそれくらい隼は時代錯誤の戦闘機
この運動性能では不満という九七戦て、どんなバケモンな戦闘機なんだ?単葉機なんでしょう?脚も引っ込まない
急横転して逃げられたら撃墜は無理だと思うな。
零戦の空戦フラップを半分くらい展開して急旋回したのと同じくらいの機動性だと聞いた事あるぞ
主翼の設計だと思います。各サイズの中で幅だけが97戦が隼より大きく、それに伴なって翼面荷重が著しく小さい。隼の翼面荷重は、欧米の一撃離脱思想のもとに設計された戦闘機より小さく軽快ですが、97戦は更に小さく軽快です。
私は零戦より隼の方が好き
今のジェット戦闘機に例えれば、機動性はフランカーのよう?
ロシア機に例えるならSu-37ターミネーターかSu-47ベルクートあたりじゃない?Su-27フランカーはカナード翼がついてないので上2つには劣っているので鍾馗あたりかなと....
改良を繰り返し長期に戦線を支えた一式戦は決して失敗作ではないと思うけどね陸軍の航空機開発は海軍よりよほどまともに思うでなければ2式戦など見向きもされなかったはずそもそも陸軍も海軍も力をあわせて開発できてればもっと負けない戦ができたろうに
技術者に頭脳に驚くばかりです。😮
加藤隊長氏は、この戦闘機は欠陥だと言っていましたがどこが欠陥なんでしょうか?
いいね666ゲット!隼は2型から
ちょっと見ただけでコリャダメヤと思ったわ……
あれー隼はぜろせんより戦闘能力上でねーか航続距離では陸戦と艦戦で違うが。
何故かボロクソ解説😢隼はP51に対抗しうる素晴らしい機体😊
せめて12.7ミリ機銃を積んでたらなあと思う。
こんないい飛行機を人殺しの道具に使うのは複雑だな
自分の親父が隼のパイロットでした。旋回能力はピカイチだったと言っていました。余談ですが戦後親父が勤めていた会社の社員食堂にあの加藤隊長の奥さんが勤めていて色々話しをしたらその後飯に行くと2品ほどおまけしてくれたと言っていました。
凄い話です!
敬礼🫡
素晴らしい、お話ありがとうございます🙇😊
大東亜戦争後東南アジアに残った2000人の日本兵と共にインドネシアで大活躍し、
インドネシアのオランダからの独立戦争で大活躍したのが隼1970年代まで現役でしたよ。
数年前、河口湖の自動車博物館に国内初の隼の展示がありました。初めて見た隼は小さい機体だけど、その灰色の姿は少し上を向いて誇らしげでしたね。隣で見ていた老人がプロペラの先端を指さして、あそこにエンジン始動の車が来てエンジンを始動するんだって教えてくれたのを思い出します。セルモーターなどなかった時代ですが、人力よりも効率は良かったと、背筋を伸ばして言ってました。動画の始めで確認できますね。時代を生き抜いた人の言葉には説得力があります。有難うございました。
亡くなった祖父がよく一式戦の話をしてくれたのを思い出します。東京や神奈川にに爆弾を投下して帰投するb29の編隊に隼が体当り攻撃を仕掛けようと 編隊に近づこうとすると一式戦はあっという間に火だるまになって撃墜されてしまっていたそうです...子供ながらにとても胸が痛んだのをよく覚えています。
1:30辺りのロール性能凄いな
複葉機のサーカス飛行より軽快だわな。
この運動性よりすごい九七戦てどんなバケモノだよ!
子供の頃よく模型を作った。日本の飛行機の中で一番好きなスタイルだった。今見ても無駄のない完成された美しい工業製品。
本当に美しい機体だなぁ・・・
1:30 スナップロールめっちゃ綺麗
ちゃんと訓練したパイロットじゃないと
気絶しそうなくらいですね
隼の設計に携わった糸川技師(糸川英夫氏)、戦後日本のロケットの父となり貢献して、没後発見された小惑星にイトカワと名前をつけられました。その小惑星イトカワに行った探査機の名前は「はやぶさ」でしたね。探査機に姿を変えた隼は星になった糸川技師に会いに行ったのです。
隼は改良を繰り返され終戦前にⅢ型ではムスタングですら警戒するほどの格闘性能と防御性を備えていた。ちなみにP51を日本機で初めて撃墜したのも隼。どんな名機でも欠点はあるし、むしろゼロ戦の様に改良する度に改悪されるのでは無く、隼の様に当初から防弾板を備え第25戦隊の様に隼から疾風に乗り換え終戦まで戦い続けた戦隊もある。25戦隊はフライングタイガースと昭和20年に南京上空戦を戦い互角以上の戦いをしている。海軍ばかり注目されるのはおかしい。陸軍は毎年新型機を開発している点も注目すべきだ。
偽 連合艦隊司令長官西垣
ichiromatsuo
自分もそう思います。陸軍四式戦なんか最高傑作だと思うし、エ-スパイロットだった坂井三郎さんも陸軍の戦闘機開発を褒めてたしね。
隼の初期型が2枚固定プロペラ、武装が7.7mm機銃で性能が低すぎたんですよ
(改良の余地だらけ)
零戦は初期型があまりに良すぎた
@@user-yo2ih2jr6s や
今はそうでもないでしょ。
当時の戦闘記録や公文署も、ネットで見られる時代になってるし、海軍と陸軍の事も色々と分かるようになってきてる。
後出しジャンケンだけど、陸海の航空隊を統合して再編成し、日本空軍を作らなかったことが悔やまれる。
この点については、昔の日本人の愚かさと合理性の無さに嘆くばかりだ。
ichiromatsuo 隼3型に20粍機関砲装備が計画された。
確かにこんな木の葉の様に舞う機動性を見たらまともに格闘戦を挑んだら勝ち目がないことがわかる。
撮影機(多分双発機)の離陸速度に合わせて、カメラアングル内で脚上げ。後流に注意しつつ浮き上がる機体を抑える。写す方も写される方も凄い。
素晴らしい運動性能、防弾板まで設けた中島飛行機設計の方々の良心を感じます。
零戦より影薄くて涙が出ますよ…
めっちゃ気持ち良さそうに飛んでますね
隼は、ムスタングよりも良いでしょうねぇ~w
運動性も、他より良いですよねw
このキャノビーの感じがすごく好き
周りが見えるので、
アヴィオニクスを充実させれば、
最高でしょうなw
(╭☞•́⍛•̀)╭☞それな
初めて拝見する貴重な映像です!
ニューギニア航空戦を戦い抜いた南郷茂男大尉は、飛行第59戦隊を率いて自らも一式戦2型を操り米空軍と幾度も交戦したが、昭和18年ごろに相手となったP38、P39、P40、P47に対し、日記に「(敵機は)性能を十分に発揮し、散々やらる。一式戦の時代に非ず」と記している。それでも対戦闘機戦に不向きな二式戦、稼働率の低い三式戦では戦力にならない為、一式戦の運動性を活かし何度も有効な攻撃をかけ、敵機を撃墜していった。性能面では今一つでも、同大尉のような存在と、優秀な整備兵によって高い稼働率を誇った一式戦しか航空戦力になり得なかった事が窺える。
また、同大尉は、一式戦2型の座席背部の防弾板について「防弾鋼板は不要というものに非ず。後方視界を害さざる頭部防弾鋼板を装備し得ば理想なり」と川村中尉に航空本部へ向けての意見書を書かせたというエピソードも残っている。
時には他部隊機も指揮し、「ニューギニアは南郷でもつ」とまで言われた南郷大尉。飛行第64戦隊を率いた加藤健夫少将と並んで、エースパイロットが一式戦の存在価値を更に高めていったのだろうと思う。
流石にP39はないw
せめて推力式の2型後期があれば死なずに済んだかも
二式戦はパイロットの適正だろうね、完全に真逆だし
卓越した上昇力の差でP-51をも翻弄できる、難点は稼働率
三式戦は稼働率もさることながら飛んでもカモにされる悲しい存在
本家ではスピットⅠ型に負けたゴミエンジンで何が出来る?
金星積んで出直せ
性能云々は置いといて、其にしても美しい機体だ!
1:29
運動能力高ぇw
She is beautiful
美しい
自分は疾風や零戦、紫電改より、隼や97式重爆が好きです。子供や若いの頃は、疾風や零戦が好きでしたが、安定した性能を持ち、長年、堅実な活躍をしたところが好きです。
かっちょええ!!
プロペラ枚数はエンジン出力で決まるアルヨ。Ⅱ型は3枚アルネ。
一式戦は終戦まで第一線で活躍できた幸運な期待
作戦高度が低かったのが幸いしたからねえ
悲劇の零戦とは反対の運命
隼は藤田進さんが加藤建夫さんの隼戦闘機隊の隊長の映画見ましたよ、藤田進さんが照準器に目を当てて機銃射撃される姿が印象的でしたよ、あとコロンビアトップさんがその加藤隼戦闘隊従兵でしたよ。
動画ありがとうございます。格闘戦で戦域にとどまるより一撃離脱。一騎打ちより集団戦闘。今度は海軍陸軍仲良くして同じ型の戦闘機、弾薬、部品、無線機も使える物で開発お願いします。
旧軍からの無理な要求にもかかわらず、三菱中島様、製造開発お疲れ様でした。隼は傑作機だったと思います。
この動画は、東宝映画[翼の凱歌]でも使われていますね。
In its time the Zero was an amazing plane.
This is actually the Ki-43 Hayabusa btw
陸軍は後に来るかもしれない重戦闘機偏重の戦争の可能性を予測していた。
軽戦闘機、重戦闘機、双発戦闘機の三種類を同時期に開発して、
「過去の成功体験(ゼロ戦)から脱却できず、世界の戦闘機開発から結果的に遅れてしまった」海軍とは違う傾向になった。
ただ整備兵の教育に失敗し、部隊によって後続機の稼働率をバラバラにしてしまう等の問題を引き起こした。
この隼は整備性が非常に良く、「少し油をさして燃料を入れるだけで良く飛んだ」らしく、整備兵達の航空機への間違った認識を植え付けてしまった可能性がある。
ある部隊では四式戦闘機の納入品を必ず分解整備して(欧米では当たり前の整備方法)、あらかじめ粗悪部品等を交換しておいた結果実戦での稼働率がほぼ100%となった部隊もある。
つまり「いかに過去の成功体験から脱却すべきか」であり、日本の航空機での失敗は各戦闘機の性能に起こることではない。
ノモンハン事件の戦訓で鍾馗が生まれたのに対し、漢江基地を爆撃されて生まれたのが雷電なんだけど、海軍は雷電が対戦闘機戦ができるということを認識していなかったんでしょうね。
3種想定できるから設計段階でそれぞれを一定の性能に特化させることができます。また運用が陸上基地前提なので複数運用が出来たと言う事もあります。しかし艦上機ではそうもいきません。戦闘機は一種類のみ。それでいてその一機種である程度任務をこなす必要があります。よく隼零戦論争で「陸軍機は種類がたくさんあり、海軍機は零戦に固執し、技術的に遅れている」意見を目にしますがそもそも運用方法、設計段階の制約(空母運用される機体なら尚更)が海軍機と陸軍機で大きく違う時点で単純比較は出来ません。
隼はゼロ戦に比べ不当に評価が低い様に思えます、太平洋戦争末期の米軍のマニュアルではゼロ戦はもはや我々の敵にはなり得ないが隼の後期型には注意を要すると記載されていたそうです。
益子徳久 後継機?
後期型か。目が疲れてる。
Check six!
今隼は荒野のコトブキ飛行隊というアニメで活躍中w
実は隼はあくまでも繋ぎで中島の本音は次の二式単座戦闘機「鍾馗」でした。
又隼は高高度性能もそこそこ有り、64戦隊は「疾風より格闘性能もよく高高度性能も良いから新型の隼が欲しい」と言ったそうです。
隼は、一時お蔵入りしていたので、登場時期は鍾馗とほぼ同じ、64戦隊のエースの1人、檜与平さんは、加藤隊長が模擬戦闘で鍾馗と互角に渡り合うのを見て、「これなら、やれる。」と思ったそうです。
64は、4式が無いから、100式の評価がいいだけ。
2式の発動機が、まともなら。
2式の代わりに雷電を導入予定でしたが、火星の加工は悪く設計者がボンクラで完成せず。
当時は殆どの日本人は零戦のことをあまりよく知らなかった。その理由は隼のほうが圧倒的に有名だったのと、海軍があまり零戦のことを広く宣伝しなかったことに尽きる。一方の隼はその開発をめぐる兄弟の絆の映画「翼の凱歌」や、映画「加藤隼戦闘隊」など、それぞれ同タイトルの戦時歌謡(翼の凱歌は霧島昇や藤山一郎/加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌)は灰田勝彦)の大ヒットも相まって、隼の存在は当時の国民に多く知れ渡っていた。
翼の凱歌:ua-cam.com/video/ZQZ0ZMpbpt0/v-deo.html
加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌):ua-cam.com/video/uHu-EAC3drE/v-deo.html
しかし零戦は決して極秘扱いだったわけじゃないが敵国へあまりその存在を知られたくないと海軍が考えたからなのか、当時の少年雑誌や新聞に少し載る程度で広く国民に知られていたわけではなかった。零戦がここまで有名になったのは戦艦大和と同様に戦後になってからの話で、とくに零戦と直接戦ったアメリカ軍パイロットたちによる評判が戦後の日本に広まったことが大きい。
したがって有名だったのは、
【戦中】隼>零銭
【戦後】隼<零戦
となってしまい、零戦にまつわる戦後映画は「永遠の0」や「ゼロファイター大空戦」や「あゝ零戦」など他にもたくさんあるのに、隼にまつわる映画は殆ど無いと言っていいほど少ない。
ちなみに映画「翼の凱歌」は黒澤明や円谷英二が映画製作に関わっていて、また同映画の撮影には陸軍が全面協力した事もあり本物の隼が実際に撮影に使われ、今となっては非常に貴重な映像資料の価値ある映画となった。
Godly plane
Holt shit, that is one good airplane.
隼は随分活躍したんだけどね。旧式化しても活躍してたよ。
どの戦闘機だって一長一短ですし
ムスタングだって長距離飛んで
きてる訳ですから搭乗員や機械に負荷がかかる
それは零式もラバウル→
ガダルカナルで体験済み
隼、鍾馗、飛燕、飛燕改、疾風
発動機含む機械的には飛燕が
好みだが整備難しいしな~
疾風も質の良い点火プラグ、
高オクタン航空燃料、
航空オイルさえあれば最強だが
当時の日本に
無い物ねだりだが・・・
マジで運動性高くて草
この隼は身震いするくらいカッコいいのに 最近のスズキの隼ときたら🙍
周りに競争相手と為る国がソ連だけだったってのも悲劇だったかもね?イキナリ最先端のアメリカ相手じゃあビックリしちゃうよね。
Pity Japan ran out of people to fly these awesome planes.
プリンス自動車工業
2:41学校らしき上を高度下げて飛んであげてるの、ワクワクする子もいただでしょうね。
1:45 Can someone help me find the name of the song? Shazam can't find it, but the music sounds so good!
誰かが音楽の名前を教えてもらえますか?とても良いですが、何と呼ばれているのかわかりません。
同じ技量を持ったパイロットで隼同士で模擬空中戦やったら・・・と勝手に妄想してました。
昭和16年12月1日水戸陸軍飛行学校繰上卒業、12月7日宮﨑にて新品の隼を受領して日米開戦当日はベトナムの山岳地帯を垂れ込めた雲の中一機づつ飛び越えていったそうな。21年末に将官の内地への空輸業務に従事して復員。この時点で水戸飛行学校同期50名の内、生還したのは2人だけだったそう。そんな操縦士の消耗状況ということ。不時着3回、なぜパラシュート使用しなかったかの問に、当時アメリカ軍は落下傘降下中の日本軍パイロットを射殺していたので不時着しか選択肢はなかったとのこと。ラバウル基地におり、毎月羽田まで隼を連絡機として往復していたそうです。山本五十六将軍の受難時には捜索機として参加したようです。海軍と陸軍のパイロット操縦技量は格段の差があったようで、陸軍で計器飛行できるパイロットは殆どいなかったようです。だからこそのラバウル基地勤務だったようです。隼は故障の少ない期待だったようで、亡父は中島飛行機には全幅の信頼を置いていました。車も富士重工でしたね。
陸軍で計器飛行出来ないと、夜間戦闘出来ません。ただ、海上飛行が。海軍だって、副座、単座は海上飛行ができない。
隼1型は、機銃を強化出来なかったんですかね?
二式戦をもうちょっと頑張って発展させて欲しかったな。1000馬力級の隼のような軽戦では連合軍機に比べて速度が出ないし急降下速度も制限される。連合軍機と戦っても逃げられるし、逆に相手は好きな時に戦闘を仕掛けることが出来る。つまり戦いの主導権は相手側で隼は防戦いっぽうの受け身の立場😢
隼1型
日本の名機「隼」の悪い所ばかり探さないで良い所も言えば良いのに・・・
防弾性能の良さは零戦より遙かに上でしたね。
パイロットの技量も凄いのですが、撮影している方の腕も凄いのではないでしょうか?
中島飛行機の小山悌氏はその飛行機にのるパイロットの事を考え隼を設計したが、三菱の堀越二郎はパイロットの事よりひたすら戦闘性能のみを追求し零戦を設計した。
益子徳久 零戦が作られた当初、ほとんどの国の戦闘機には防弾は考えられていなかった。そして零戦は当時大砲とも言われた20mm機関砲を2門と7.7mm機関銃2門を搭載し、かつ運動性能も複葉機に負けぬ性能であった。なぜ複葉機にも運動性能で勝てたか、それは堀越二郎氏が徹底した軽量化。例えば主翼と胴体を繋ぐ部分の強度を当時不必要に強かったものを現代と同じ強さに研究により、したり、骨組みにも穴を開けた。これも現代でも使われれいる。他にも空気抵抗を減らすため、鋲を打ち込んだり、とても細かい設計図を書いたりした。
そしてこの要求は軍からされており、堀越二郎氏はあくまでその要求にしたがっていただけである。
半端な知識で堀越二郎氏を貶さないでいただきたい。
@@taicrider5897さん
陸軍はノモンハンの経験で、防弾要求してます。
海軍は、要求に無かったから、つけなかったと。
戦後には、操縦員が下手ばかり成ったから、当たり出したんだとの。言い出してます。
小山さんは、あれがよかった、これが良かった。いわれますが。なんて言えません。
糸川博士は天才。
2次大戦の結果論として、勝利した戦闘機は、大馬力・高速・大積載・大火力・高い防御力のものばかり。
実戦経験のある日本のパイロットが重視した運動性重視の機材と戦法では、日本に空の勝利をもたらせなかった。
俺の知ってる隼って64戦隊で大戦果上げまくって終戦時点でも連合軍機と互角以上に戦えてた日本軍史上1・2位を争う傑作機ってイメージなんだけど、違うの?
この編集は隼に恨みでもあるのかね。
機動性はいいけど10Gを2秒かけたら羽がもげるからな~、それ以外はいいんだけどね。
そもそも10Gなんて人間も耐えれないレベルだからなぁ
ロードスターの飛行機版です
ナレーションの最中、突然動画終わってビックリしたw
それにしても最新鋭戦闘機にもかかわらず九七式戦闘機と同等の性能ってどゆことー!?
そこは旋回性能を指して言っているんでしょうね。
航空機設計は採用するエンジン出力で機体サイズ、速力、上昇性能、航続距離はほぼ決まる。
ハ1とハ115では比較にならないくらい一式戦が圧倒すると思います。
隼より鍾馗が正しかった
それを理解した陸軍は疾風を作らせる
隼のパイロットは疾風に転換できず、疾風のパイロットを
新兵から育てなければならなかった
それくらい隼は時代錯誤の戦闘機
この運動性能では不満という九七戦て、どんなバケモンな戦闘機なんだ?
単葉機なんでしょう?脚も引っ込まない
急横転して逃げられたら撃墜は無理だと思うな。
零戦の空戦フラップを半分くらい展開して急旋回したのと同じくらいの機動性だと聞いた事あるぞ
主翼の設計だと思います。
各サイズの中で幅だけが97戦が隼より大きく、それに伴なって翼面荷重が著しく小さい。
隼の翼面荷重は、欧米の一撃離脱思想のもとに設計された戦闘機より小さく軽快ですが、97戦は更に小さく軽快です。
私は零戦より隼の方が好き
今のジェット戦闘機に例えれば、機動性はフランカーのよう?
ロシア機に例えるならSu-37ターミネーターかSu-47ベルクートあたりじゃない?
Su-27フランカーはカナード翼がついてないので上2つには劣っているので鍾馗あたりかなと....
改良を繰り返し長期に戦線を支えた一式戦は決して失敗作ではないと思うけどね
陸軍の航空機開発は海軍よりよほどまともに思う
でなければ2式戦など見向きもされなかったはず
そもそも陸軍も海軍も力をあわせて開発できてればもっと負けない戦ができたろうに
技術者に頭脳に驚くばかりです。😮
加藤隊長氏は、この戦闘機は欠陥だと言っていましたがどこが欠陥なんでしょうか?
いいね666ゲット!隼は2型から
ちょっと見ただけでコリャダメヤと思ったわ……
あれー隼はぜろせんより戦闘能力上でねーか航続距離では陸戦と艦戦で違うが。
何故かボロクソ解説😢
隼はP51に対抗しうる素晴らしい機体😊
せめて12.7ミリ機銃を積んでたらなあと思う。
こんないい飛行機を人殺しの道具に使うのは複雑だな