P38の撃墜王のマグガイヤーを撃墜したのは隼です。 隼は低空での運動性能は新型連合軍機と互角にわたり会えた。 零戦は苦戦していのに、
終わりの方は日本機が撮影したガンカメラ映像ですか?珍しいですね。
誉エンジンが全て敗戦も一つの要因かと。2000馬力級との事ですが開発時点で1800馬力。鋳込みシリンダーが生産出来ない時点で1500馬力程度にダウングレードし、前線では吸入濃度の調整に職人技が必要な神経質なエンジンなんて役に立ちません。中島の品質不良も敗戦に要因と思われます。海軍には疎まれましたが三菱の金星は戦中の物資不足や熟練工不足の中、順調に発展し安定した発動機に熟成したのと対照的ですね。
3枚羽の隼の写真をよく見たが、のちに改良されたのかな。
ドローンを迎撃するのに往年のプロペラ機が最適らしい。さしずめ一式戦が投入されれば大活躍だろう。
2式戦闘機鍾馗の急降下性能と加速の良さ、射撃の座りの良さ整備生産のし易さを考慮すればもっとも育成しなければならなかった戦闘機。
👍️んじたん👍️しにかたぐゎー👍️
スナップロールする戦闘機初めて見た 素晴らしい
この隼するどい旋回をもってしても、劣ると言われた97式戦の恐ろしさよ(97式の映像あります?)
軽量は自動車に技術継承させている。
隼の苦難の歴史を初めて知りました それにしても当時の撮影技術は素晴らしいですね
先祖がパイロットは日本軍の機体以上に沢山居て腐る程聞く話なんだけど整備や補給をやってた兵隊さんの話を聞いてみたいよね。 25歳で武装解除した軍人さんは今104歳なんだよね。もう当時を知る人の話は聞けないかも知れないね。
父方の祖父は戦争当時に既に高齢で招集されず!母方の祖父は繊維工場で働いてて肺線維症を病んでいて招集されずにすんだらしいが、父方祖父は食料増産の為に農作業〜母方祖父は軍隊に納める被服を造る工場の班長をしていて増産増産で何やら表彰状もちらっと見たことがありましたが、その祖父の勤めてた工場の直ぐ南方に中島飛行機があり、かなり爆撃の被害に遭ったそうで、米軍機はそのまま北上して母方祖父の工場には銃撃と何故か火のついていない焼夷弾が落ちてきたそうです…また祖父がよく言ってたのは中島飛行機周辺に高射砲が有り、それ等の攻撃が当たったのか日本の迎撃機によってなのかは不明ですが〜飛来したB29のうちの一機がエンジンから火が見え黒煙を噴きながら更に北上していくのが見えたと言ってました…それがどうなったかは分からなかったらしいですが〜後に福島県に一機のB29が墜落したという話を聞いたそうです…また中島飛行機の工場のやや東方にある邑楽町にもB29が墜落したのも当時大騒ぎだったと…
2:42あたりで隼が低空飛行するシーンの小学校をご存じの方はいますか。明野飛行学校の近くでしょうか?
最後の最後で・・・ オートジャイロの、カ号も出てたのね!!www
あれっ終わっちゃった、
木の葉のように軽やかな動き
加藤隊長氏は、この戦闘機は欠陥だと言っていましたがどこが欠陥なんでしょうか?
私は零戦より隼の方が好き
自分は疾風や零戦、紫電改より、隼や97式重爆が好きです。子供や若いの頃は、疾風や零戦が好きでしたが、安定した性能を持ち、長年、堅実な活躍をしたところが好きです。
当時は殆どの日本人は零戦のことをあまりよく知らなかった。その理由は隼のほうが圧倒的に有名だったのと、海軍があまり零戦のことを広く宣伝しなかったことに尽きる。一方の隼はその開発をめぐる兄弟の絆の映画「翼の凱歌」や、映画「加藤隼戦闘隊」など、それぞれ同タイトルの戦時歌謡(翼の凱歌は霧島昇や藤山一郎/加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌)は灰田勝彦)の大ヒットも相まって、隼の存在は当時の国民に多く知れ渡っていた。 翼の凱歌:ua-cam.com/video/ZQZ0ZMpbpt0/v-deo.html 加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌):ua-cam.com/video/uHu-EAC3drE/v-deo.html しかし零戦は決して極秘扱いだったわけじゃないが敵国へあまりその存在を知られたくないと海軍が考えたからなのか、当時の少年雑誌や新聞に少し載る程度で広く国民に知られていたわけではなかった。零戦がここまで有名になったのは戦艦大和と同様に戦後になってからの話で、とくに零戦と直接戦ったアメリカ軍パイロットたちによる評判が戦後の日本に広まったことが大きい。 したがって有名だったのは、 【戦中】隼>零銭 【戦後】隼<零戦 となってしまい、零戦にまつわる戦後映画は「永遠の0」や「ゼロファイター大空戦」や「あゝ零戦」など他にもたくさんあるのに、隼にまつわる映画は殆ど無いと言っていいほど少ない。 ちなみに映画「翼の凱歌」は黒澤明や円谷英二が映画製作に関わっていて、また同映画の撮影には陸軍が全面協力した事もあり本物の隼が実際に撮影に使われ、今となっては非常に貴重な映像資料の価値ある映画となった。
技術者に頭脳に驚くばかりです。😮
隼の設計に携わった糸川技師(糸川英夫氏)、戦後日本のロケットの父となり貢献して、没後発見された小惑星にイトカワと名前をつけられました。その小惑星イトカワに行った探査機の名前は「はやぶさ」でしたね。探査機に姿を変えた隼は星になった糸川技師に会いに行ったのです。
それ、めちゃくちゃいい話しですね。知りませんでした。 ありがとうございます。
戦後作られたダメビデオっすね。大陸の戦闘は半年で終了して、あとは時々やってくる馬賊と、共産ゲリラの対応だけで泥沼なんて言うことはなかったのが事実。私の大叔父が大陸に派兵されていたので間違いがない話。 それより大変だったのが、安全な日本統治領に逃げ込んでくる地元民対策。別に日本は大陸を支配なんかしようとは考えていない。自らの権益地を守っていただけ。
2:41学校らしき上を高度下げて飛んであげてるの、ワクワクする子もいただでしょうね。
同じ技量を持ったパイロットで隼同士で模擬空中戦やったら・・・と勝手に妄想してました。
パイロットの技量も凄いのですが、撮影している方の腕も凄いのではないでしょうか?
あれー隼はぜろせんより戦闘能力上でねーか航続距離では陸戦と艦戦で違うが。
ロードスターの飛行機版です
ナレーションの最中、突然動画終わってビックリしたw それにしても最新鋭戦闘機にもかかわらず九七式戦闘機と同等の性能ってどゆことー!?
そこは旋回性能を指して言っているんでしょうね。 航空機設計は採用するエンジン出力で機体サイズ、速力、上昇性能、航続距離はほぼ決まる。 ハ1とハ115では比較にならないくらい一式戦が圧倒すると思います。
初めて拝見する貴重な映像です!
一応言っときますが、九七式戦闘機は「軽戦」として開発されたわけではありません。従来の複葉戦闘機に勝る「高速」を発揮する「単葉戦闘機」として開発されたものです。 「軽戦」「重戦」というカテゴリーを設けたのは、キ-43(後の一式戦)やキ-44(後の二式戦)そしてキ-60(試作止まり)の開発からです。それもキ-84(後の四式戦)の頃には撤廃されている。
動画ありがとうございます。格闘戦で戦域にとどまるより一撃離脱。一騎打ちより集団戦闘。今度は海軍陸軍仲良くして同じ型の戦闘機、弾薬、部品、無線機も使える物で開発お願いします。 旧軍からの無理な要求にもかかわらず、三菱中島様、製造開発お疲れ様でした。隼は傑作機だったと思います。
せめて12.7ミリ機銃を積んでたらなあと思う。
改良型には積んでたよ 二型乙からは20ミリに変わった
学徒動員での半かな作業員では、精密機械の飛行機は作れないです。部品も一つずつ、現場部隊で擦り合わせ等の作業が多く、実際稼働機が少なかったと云うのが、搭乗員だった叔父さんの意見です。
改良を繰り返し長期に戦線を支えた一式戦は決して失敗作ではないと思うけどね 陸軍の航空機開発は海軍よりよほどまともに思う でなければ2式戦など見向きもされなかったはず そもそも陸軍も海軍も力をあわせて開発できてればもっと負けない戦ができたろうに
隼より鍾馗が正しかった それを理解した陸軍は疾風を作らせる 隼のパイロットは疾風に転換できず、疾風のパイロットを 新兵から育てなければならなかった それくらい隼は時代錯誤の戦闘機
隼は藤田進さんが加藤建夫さんの隼戦闘機隊の隊長の映画見ましたよ、藤田進さんが照準器に目を当てて機銃射撃される姿が印象的でしたよ、あとコロンビアトップさんがその加藤隼戦闘隊従兵でしたよ。
二式戦をもうちょっと頑張って発展させて欲しかったな。1000馬力級の隼のような軽戦では連合軍機に比べて速度が出ないし急降下速度も制限される。連合軍機と戦っても逃げられるし、逆に相手は好きな時に戦闘を仕掛けることが出来る。つまり戦いの主導権は相手側で隼は防戦いっぽうの受け身の立場😢
陸海一緒に開発して欲しかったなあ
ちょっと見ただけでコリャダメヤと思ったわ……
東條英機、石原莞爾が無謀な日中戦争に巻き込まれ、その後大戦争へ突入した。米国と工業生産力、石油資源国、科学力を過小評価した結果の負け戦となった。知恵のない軍幹部が大日本帝国を破滅させた。石原莞爾と東條英機の罪は重い。
確かにこんな木の葉の様に舞う機動性を見たらまともに格闘戦を挑んだら勝ち目がないことがわかる。
素晴らしい運動性能、防弾板まで設けた中島飛行機設計の方々の良心を感じます。
疾風のデザインは素晴らしく洗練されていると思います。疾風を作った中島飛行機を承継するスバル、素晴らしいメーカーですよね。
報道って怖いな 二式単座戦闘機は失敗やないで。 アメリカ側では確か1番の高評価やしな。 一式戦と二式単座戦闘機があるから四式戦が生まれたんやで。 更に、屠竜を作ったからB29邀撃できたんやんか。
Excellent. Japanese WWII channels have some fantastic content !!
隼は随分活躍したんだけどね。旧式化しても活躍してたよ。
「日本陸軍の戦闘機なんぞガラクタ (crap) だ」と英語でコメントする奴がいたので「お前ら南方でそのガラクタに三年勝てなかったんだよな?大したもんだよな」とコメントを返しといた。返信コメントは無かったな。
自分の親父が隼のパイロットでした。旋回能力はピカイチだったと言っていました。余談ですが戦後親父が勤めていた会社の社員食堂にあの加藤隊長の奥さんが勤めていて色々話しをしたらその後飯に行くと2品ほどおまけしてくれたと言っていました。
凄い話です!
敬礼🫡
素晴らしい、お話ありがとうございます🙇😊
貴方何歳なの?笑
軍神と言われた方の奥様も、食堂で働かなければならなかったのですね~。
P38の撃墜王のマグガイヤーを撃墜したのは隼です。 隼は低空での運動性能は新型連合軍機と互角にわたり会えた。 零戦は苦戦していのに、
終わりの方は日本機が撮影したガンカメラ映像ですか?珍しいですね。
誉エンジンが全て敗戦も一つの要因かと。2000馬力級との事ですが開発時点で1800馬力。鋳込みシリンダーが生産出来ない時点で1500馬力程度にダウングレードし、前線では吸入濃度の調整に職人技が必要な神経質なエンジンなんて役に立ちません。中島の品質不良も敗戦に要因と思われます。海軍には疎まれましたが三菱の金星は戦中の物資不足や熟練工不足の中、順調に発展し安定した発動機に熟成したのと対照的ですね。
3枚羽の隼の写真をよく見たが、のちに改良されたのかな。
ドローンを迎撃するのに往年のプロペラ機が最適らしい。さしずめ一式戦が投入されれば大活躍だろう。
2式戦闘機鍾馗の急降下性能と加速の良さ、射撃の座りの良さ整備生産のし易さを考慮すればもっとも育成しなければならなかった戦闘機。
👍️んじたん👍️しにかたぐゎー👍️
スナップロールする戦闘機初めて見た 素晴らしい
この隼するどい旋回をもってしても、劣ると言われた97式戦の恐ろしさよ(97式の映像あります?)
軽量は自動車に技術継承させている。
隼の苦難の歴史を初めて知りました それにしても当時の撮影技術は素晴らしいですね
先祖がパイロットは日本軍の機体以上に沢山居て腐る程聞く話なんだけど整備や補給をやってた兵隊さんの話を聞いてみたいよね。 25歳で武装解除した軍人さんは今104歳なんだよね。もう当時を知る人の話は聞けないかも知れないね。
父方の祖父は戦争当時に既に高齢で招集されず!母方の祖父は繊維工場で働いてて肺線維症を病んでいて招集されずにすんだらしいが、父方祖父は食料増産の為に農作業〜母方祖父は軍隊に納める被服を造る工場の班長をしていて増産増産で何やら表彰状もちらっと見たことがありましたが、その祖父の勤めてた工場の直ぐ南方に中島飛行機があり、かなり爆撃の被害に遭ったそうで、米軍機はそのまま北上して母方祖父の工場には銃撃と何故か火のついていない焼夷弾が落ちてきたそうです…また祖父がよく言ってたのは中島飛行機周辺に高射砲が有り、それ等の攻撃が当たったのか日本の迎撃機によってなのかは不明ですが〜飛来したB29のうちの一機がエンジンから火が見え黒煙を噴きながら更に北上していくのが見えたと言ってました…それがどうなったかは分からなかったらしいですが〜後に福島県に一機のB29が墜落したという話を聞いたそうです…また中島飛行機の工場のやや東方にある邑楽町にもB29が墜落したのも当時大騒ぎだったと…
2:42あたりで隼が低空飛行するシーンの小学校をご存じの方はいますか。明野飛行学校の近くでしょうか?
最後の最後で・・・ オートジャイロの、カ号も出てたのね!!www
あれっ終わっちゃった、
木の葉のように軽やかな動き
加藤隊長氏は、この戦闘機は欠陥だと言っていましたがどこが欠陥なんでしょうか?
私は零戦より隼の方が好き
自分は疾風や零戦、紫電改より、隼や97式重爆が好きです。子供や若いの頃は、疾風や零戦が好きでしたが、安定した性能を持ち、長年、堅実な活躍をしたところが好きです。
当時は殆どの日本人は零戦のことをあまりよく知らなかった。その理由は隼のほうが圧倒的に有名だったのと、海軍があまり零戦のことを広く宣伝しなかったことに尽きる。一方の隼はその開発をめぐる兄弟の絆の映画「翼の凱歌」や、映画「加藤隼戦闘隊」など、それぞれ同タイトルの戦時歌謡(翼の凱歌は霧島昇や藤山一郎/加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌)は灰田勝彦)の大ヒットも相まって、隼の存在は当時の国民に多く知れ渡っていた。 翼の凱歌:ua-cam.com/video/ZQZ0ZMpbpt0/v-deo.html 加藤隼戦闘隊(加藤部隊歌):ua-cam.com/video/uHu-EAC3drE/v-deo.html しかし零戦は決して極秘扱いだったわけじゃないが敵国へあまりその存在を知られたくないと海軍が考えたからなのか、当時の少年雑誌や新聞に少し載る程度で広く国民に知られていたわけではなかった。零戦がここまで有名になったのは戦艦大和と同様に戦後になってからの話で、とくに零戦と直接戦ったアメリカ軍パイロットたちによる評判が戦後の日本に広まったことが大きい。 したがって有名だったのは、 【戦中】隼>零銭 【戦後】隼<零戦 となってしまい、零戦にまつわる戦後映画は「永遠の0」や「ゼロファイター大空戦」や「あゝ零戦」など他にもたくさんあるのに、隼にまつわる映画は殆ど無いと言っていいほど少ない。 ちなみに映画「翼の凱歌」は黒澤明や円谷英二が映画製作に関わっていて、また同映画の撮影には陸軍が全面協力した事もあり本物の隼が実際に撮影に使われ、今となっては非常に貴重な映像資料の価値ある映画となった。
技術者に頭脳に驚くばかりです。😮
隼の設計に携わった糸川技師(糸川英夫氏)、戦後日本のロケットの父となり貢献して、没後発見された小惑星にイトカワと名前をつけられました。その小惑星イトカワに行った探査機の名前は「はやぶさ」でしたね。探査機に姿を変えた隼は星になった糸川技師に会いに行ったのです。
それ、めちゃくちゃいい話しですね。知りませんでした。 ありがとうございます。
戦後作られたダメビデオっすね。大陸の戦闘は半年で終了して、あとは時々やってくる馬賊と、共産ゲリラの対応だけで泥沼なんて言うことはなかったのが事実。私の大叔父が大陸に派兵されていたので間違いがない話。 それより大変だったのが、安全な日本統治領に逃げ込んでくる地元民対策。別に日本は大陸を支配なんかしようとは考えていない。自らの権益地を守っていただけ。
2:41学校らしき上を高度下げて飛んであげてるの、ワクワクする子もいただでしょうね。
同じ技量を持ったパイロットで隼同士で模擬空中戦やったら・・・と勝手に妄想してました。
パイロットの技量も凄いのですが、撮影している方の腕も凄いのではないでしょうか?
あれー隼はぜろせんより戦闘能力上でねーか航続距離では陸戦と艦戦で違うが。
ロードスターの飛行機版です
ナレーションの最中、突然動画終わってビックリしたw それにしても最新鋭戦闘機にもかかわらず九七式戦闘機と同等の性能ってどゆことー!?
そこは旋回性能を指して言っているんでしょうね。 航空機設計は採用するエンジン出力で機体サイズ、速力、上昇性能、航続距離はほぼ決まる。 ハ1とハ115では比較にならないくらい一式戦が圧倒すると思います。
初めて拝見する貴重な映像です!
一応言っときますが、九七式戦闘機は「軽戦」として開発されたわけではありません。従来の複葉戦闘機に勝る「高速」を発揮する「単葉戦闘機」として開発されたものです。 「軽戦」「重戦」というカテゴリーを設けたのは、キ-43(後の一式戦)やキ-44(後の二式戦)そしてキ-60(試作止まり)の開発からです。それもキ-84(後の四式戦)の頃には撤廃されている。
動画ありがとうございます。格闘戦で戦域にとどまるより一撃離脱。一騎打ちより集団戦闘。今度は海軍陸軍仲良くして同じ型の戦闘機、弾薬、部品、無線機も使える物で開発お願いします。 旧軍からの無理な要求にもかかわらず、三菱中島様、製造開発お疲れ様でした。隼は傑作機だったと思います。
せめて12.7ミリ機銃を積んでたらなあと思う。
改良型には積んでたよ 二型乙からは20ミリに変わった
学徒動員での半かな作業員では、精密機械の飛行機は作れないです。部品も一つずつ、現場部隊で擦り合わせ等の作業が多く、実際稼働機が少なかったと云うのが、搭乗員だった叔父さんの意見です。
改良を繰り返し長期に戦線を支えた一式戦は決して失敗作ではないと思うけどね 陸軍の航空機開発は海軍よりよほどまともに思う でなければ2式戦など見向きもされなかったはず そもそも陸軍も海軍も力をあわせて開発できてればもっと負けない戦ができたろうに
隼より鍾馗が正しかった それを理解した陸軍は疾風を作らせる 隼のパイロットは疾風に転換できず、疾風のパイロットを 新兵から育てなければならなかった それくらい隼は時代錯誤の戦闘機
隼は藤田進さんが加藤建夫さんの隼戦闘機隊の隊長の映画見ましたよ、藤田進さんが照準器に目を当てて機銃射撃される姿が印象的でしたよ、あとコロンビアトップさんがその加藤隼戦闘隊従兵でしたよ。
二式戦をもうちょっと頑張って発展させて欲しかったな。1000馬力級の隼のような軽戦では連合軍機に比べて速度が出ないし急降下速度も制限される。連合軍機と戦っても逃げられるし、逆に相手は好きな時に戦闘を仕掛けることが出来る。つまり戦いの主導権は相手側で隼は防戦いっぽうの受け身の立場😢
陸海一緒に開発して欲しかったなあ
ちょっと見ただけでコリャダメヤと思ったわ……
東條英機、石原莞爾が無謀な日中戦争に巻き込まれ、その後大戦争へ突入した。米国と工業生産力、石油資源国、科学力を過小評価した結果の負け戦となった。知恵のない軍幹部が大日本帝国を破滅させた。石原莞爾と東條英機の罪は重い。
確かにこんな木の葉の様に舞う機動性を見たらまともに格闘戦を挑んだら勝ち目がないことがわかる。
素晴らしい運動性能、防弾板まで設けた中島飛行機設計の方々の良心を感じます。
疾風のデザインは素晴らしく洗練されていると思います。疾風を作った中島飛行機を承継するスバル、素晴らしいメーカーですよね。
報道って怖いな 二式単座戦闘機は失敗やないで。 アメリカ側では確か1番の高評価やしな。 一式戦と二式単座戦闘機があるから四式戦が生まれたんやで。 更に、屠竜を作ったからB29邀撃できたんやんか。
Excellent. Japanese WWII channels have some fantastic content !!
隼は随分活躍したんだけどね。旧式化しても活躍してたよ。
「日本陸軍の戦闘機なんぞガラクタ (crap) だ」と英語でコメントする奴がいたので「お前ら南方でそのガラクタに三年勝てなかったんだよな?大したもんだよな」とコメントを返しといた。返信コメントは無かったな。
自分の親父が隼のパイロットでした。旋回能力はピカイチだったと言っていました。余談ですが戦後親父が勤めていた会社の社員食堂にあの加藤隊長の奥さんが勤めていて色々話しをしたらその後飯に行くと2品ほどおまけしてくれたと言っていました。
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敬礼🫡
素晴らしい、お話ありがとうございます🙇😊
貴方何歳なの?笑
軍神と言われた方の奥様も、食堂で働かなければならなかったのですね~。