【始まり】白土三平、水木しげる、つげ義春ら先生方が看板作家だった初期・1964年から1971年にかけての「月刊漫画ガロ」について見ていく

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  • Опубліковано 20 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 18

  • @kazuyaonodera438
    @kazuyaonodera438 5 місяців тому +4

    80年代にガロ知った世代です。昔からガロのルーツを探っていましたが、この動画で自分の知識の隙間が埋まりました。感謝します。

    • @人見広介-p2b
      @人見広介-p2b 4 місяці тому +1

      作家だった中島らもはガロに作品応募し長井さんによくできた作品で、掲載するのでページ数増やした物をもう一回描いてくれと返答が来たのだがが描く気力も無く断念したらしい。

  • @punchu2006
    @punchu2006 5 місяців тому +7

    ああ、綾波レイのあのポーズってネジ式だったんだ!なんで今まで気づかなかったんだろう。

  • @MARIOATUSHI
    @MARIOATUSHI 5 місяців тому +5

    マンガが熱い時期だったんですね。
    自己表現と商業主義の合間に先生たちも苦労したと思います。

  • @まじんぶー-t8k
    @まじんぶー-t8k 5 місяців тому +3

    もうこんな雑誌生まれないんだろうなぁ

  • @宮崎和明-y2d
    @宮崎和明-y2d 5 місяців тому +2

    ’64~’67の中学生時代、「ガロ」が私にとって社会の教科書みたいな存在でした。「カムイ伝」が歴史、「目安箱」という投書コーナーが政治(社会)を学ぶ生きた‘教科書’でした。当時「日韓条約」についての投稿内容は新聞記事より面白かった記憶があります。後に「歴史学」を志望するきっかけにもなりました。

    • @人見広介-p2b
      @人見広介-p2b 4 місяці тому

      確か、白土さんの妹さんがコラムの挿絵を描いていたんだっけかな

  • @三共もえ
    @三共もえ 5 місяців тому +2

    ガロ、表紙がまっ黒で異彩放っていましたね。
    読者層は、意外に女子が多かった気がします。
    つげ義春先生の作品は、ジーンと来る重い作品が多かったですね。

  • @山ニ-h9z
    @山ニ-h9z 5 місяців тому +4

    ガロの解説の続きをお願いします

  • @人見広介-p2b
    @人見広介-p2b 4 місяці тому

    長井勝一著「ガロ編集長」とか加太こうじ著の「紙芝居昭和史」とか読むとガロ創刊時の空気が味わえて面白い。
    以前は作品の製作時期ははっきりしないのだが、漫画の原稿に製作日の記入を入れるよう指示したのが白土さんだったらしい。
    貸本後のつげさんは行方不明だったので長井さんが広告出して探したらしいw
    初期のガロの背表紙カムイ伝が載っていれば赤目プロのロゴ、休みだったら鬼太郎マークの水木プロのロゴだった。
    ガロという雑誌は好きだが中でも、つりたくにこ、楠勝平、佐々木マキ、滝田ゆう、勝又進、デビューしたての池上遼一、日野日出志、林静一の作品が載ってる時代が一番好き。

  • @クラーク生は頭が悪い
    @クラーク生は頭が悪い 2 місяці тому

    ガロの後編の動画お願いします!

  • @敗者男性
    @敗者男性 5 місяців тому

    夜行とか出てきたのも興味深かったです、どんな経緯でてきた雑誌?なのか気になってました

  • @yaminabe212
    @yaminabe212 4 місяці тому

    平成1ケタぐらいの頃に、材木屋の2階にあった青林堂の編集部に行ったことあります。
    当時でも相当古い建物でしたね

  • @spacecomsow
    @spacecomsow 5 місяців тому +1

    おじさんガロやCOMには一足遅かった世代なんだけど
    「沼」や「チーコ」は別冊少年マガジンの水木しげる特集号で読んだお。
    後を追うよーに永島慎二を読み漁り、真崎守を夢中で探し捲ったっけ。
    なぜか秋田の壁村はこの辺の作家にも寛容で、月刊チャンピオンで矢代まさこにも出会った。名作だと疑わない「三郎の伝説」は単行本収録されたのを見た事ない。
    秋田、そーゆーとこだぞ!
    m9 (・З・)

    • @spacecomsow
      @spacecomsow 5 місяців тому +1

      80年代になると青林堂はいきなり賑やかになり「カッコイイスキヤキ」や「パースペクティブキッド」、「私の彼は意味がない」等々
      チョットアタマいかれた漫画家の奇っ怪な(でもステキな)単行本を連発してくれた。
      中には根本敬なんてホントにアタマいかれた漫画家も居たが
      「薔薇色ノ怪物」て言うこれまたなんと評価して良いのかワカンナイ傑作も生まれた。
      そうです、丸尾末広テンテーです。
      「浮浪者を家に招き入れ、○んずりの手伝いをした」なんてウソつけ!てな独白もしてたけどウソと言い切れない危うさが
      青林堂だな~てオモタ。
      (・З・;) ノ

  • @ymaza7538
    @ymaza7538 5 місяців тому

    安倍、鈴木、古川の一二三コンビの話も動画にしてください😂

  • @manjimanjimanji
    @manjimanjimanji 5 місяців тому +1

    初期のガロと共産主義思想との関係は?

    • @kazuyaonodera438
      @kazuyaonodera438 5 місяців тому +1

      それはカムイ伝の作風によるものと思われます。カムイ伝はあからさまな共産主義の性根ではないのですが、武士によって虐げられた農民たちの怒りをテーマとしてますので、それが共産主義の団体に受けが良かったんだと思います。(白土さんの生い立ちや作品からすると偏りすぎの共産主義や宗教も好きではなかったと感じ取れますが)