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たった1人の応援者がいれば、救われます。教員であってパニック障害で病気休暇をとっていた自分を救ってくれたのは、たった1人の生徒の手紙でした。「大好きです」という言葉にどれだけ勇気をもらったことか…今は、自分がそのたった1人になろうと実践しています。
貴重なヒントをありがとうございます。
私は、フジコへミングさんの言葉で元気が出ました。
生徒さんの暖かいお手紙、素敵です。良かったです。
育児放棄された子どもを親代わりで成人年齢まで養育しました。子どもが幼少期に受けた心の傷、愛着障害のことなど、知識を得て、医療ともつながり、出来る限りのベストを尽くしてきましたが、今のこの子の状態だけ見ると自分の無力感を感じています。そしてあたらめて本人が受けた心の傷は大きくて深いのだなと実感させられています。今はこの子の「幸せと健康」を願って暮らしています。生ぬるい理想かもしれませんが、一人一人の子どもが大切にされる世の中になると良いなと心より願っています。
こんにちは【宿題】小学生の頃両親の不仲で切ない時期を長く味わいました。近所の個人塾の先生夫妻がいつも話を聞いてくれました。勉強が終わった後帰りたくなさそうにしていると「お残りさん?」と言ってくれました。いま、思うと、ご自分たちの夕飯の時間を後回しにしてくれていたのだなと、感謝の気持ちでいっぱいです。
私は若い頃、本当に誰一人として助けてくれなかったです。親がカルト宗教にハマって家も売ってしまって、精神的にボロボロになって、精神科医に助けを求めても「自分で解決しなさい」の一点張りで、精神保健センターのスタッフも私の言うことを信じてくれずに、無責任に言いたいこと言って本当に味方が一人もいなかったです。よく一人で頑張ってきたなぁと思います。
親の愚痴、本音を聞かされ、子供の時から親の意に沿うように生きてきました。子供を持ち、自分の育った家庭が機能不全であったことに気づきました。自分の子供には、論理的かつ倫理的に、あるがままを愛したいと思います。子供の習い事の年配の先生(60代)が私のお見本です。安心して自分の考えを伝えることができます。私40半ばですが、大人としての振る舞いを学んでいるところです。親に理解を求めるのは、諦めています。いつも先生の動画でたくさんのことを学ばせていただいています。ありがとうございます。
・この人についていけば救われる・ちょっと褒められただけで脳がとろけるような喜び↑自分を言語化されたようでびっくりしましたそれで30歳まで来てしまい、今徐々に修正中です。子どもの頃はそのままを認めてくれる人ってなかなかいなかったなと思います。時代なのか、もしくは私がうまく受け取れなかったのか。。でも見えないところで拾ってくださった先生方はきっといらっしゃったのだろうと思います。
学校で事故に合い、見た目が変わってしまって行けなくなった時、先生が美味しい食べ物買ってきてくれて普通に雑談しながらほぼ毎日一緒に食べてくれました。そういう先生が2人ほどいて救われました。何人かは学校と自分達のことしか考えてなくて腕を強く引っ張られ教室まで無理やり連れてかれてそうになりました。教師でも良い先生はいる、でも確かに非人道的な先生もいるんだなって小学校の頃経験しました。
愛着形成が不十分な家庭で育ちましたが、いろんな人や経験が、少しずついろんなことを教えてくれたように思います。学校の先生、塾の先生、親戚、友人、読書体験、などなど。私も今、お子さんの支援に関わる仕事をしていますが、1人にできることは限りがあるのと同時に、その1人の関わりが後にその子のリソースになり得るのだ、という、両方の真実を頭に入れて、共依存的にならないよう、かつ突き放さないよう、接していくことが大事なんだろうなと思っています。
中学の担任の先生に感謝しています。一年生の時、私は精神面に課題があり、先生に嫌な態度を取りました。三年生で再びその先生が担任で、私は申し訳ない気持ちがありましたがタイミングを逃して謝れませんでした。三者面談で『大丈夫?辛いことあった?』と聞いてくれました。その時普段泣かないのに涙が溢れてきました。親と友達と不仲で、生きていても辛い事が多いと思っていました。それが、ずっと、強い感謝として心に残っています。以後、人を無闇に傷付けることを辞めました。とても感謝しています。
腐ったミカンを守る金八先生のような先生は必要ですね。両親がいつも朝から喧嘩ばかりして憂鬱だったけど、学校に行くと皆の楽しそうな様子から他の家の親はきっと優しいのだろうと感じていました。子どもの頃は母の圧が強すぎて息苦しいと感じていましたが、近所の公文の教室に通うようになって、その先生がとても穏やかで優しかったから気持ちが楽になりました。プリントをしていたら「いつもはおちゃらけているのに、プリントをしだすと急に真面目になるね」と言われたことを今でも印象深く覚えていて、先生は自分のことを見ていてわかってくれているのだなと感じ、とても嬉しかったです。益田先生は十分やられていると思います。合う合わないはあるから、そんなに気にすることないです。
どこかに安心できる居場所があって本当に良かったですね。安心安全な居場所って大切ですね。
私も子どもの頃本当に辛かったです。母とは相性が悪く、母と仲の良い姉と母からよくいじめられました。自分だけ何も買ってもらえない、好きなおかずを作ってもらえない。悲しそうな顔をしてると母は嬉しそうだった。人に相談しても、「そんな親いる訳ない」とか「お母さんの言うことをよく聞いて」などと言われる。学校でもいじめられた。人を信じられないまま大人になったけど、子どもを産んで初めて幸せだなと感じた。自然に笑う事ができたし、食べ物が美味しいと感じる事ができた。子どもに出会えた事が私には良かった。10:34
両親がどっちも発達障害疑いで、片方の親が鬱でした。毎日小さい頃から両親の不仲であったり、私に妙な理屈で怒っては体罰、気が滅入る言葉を聞かせるなど嫌な目にあったりもしました。学校でも同級生は体型でバカにしたり、行動面でおかしいところをあげつらわれてきました。しかし、専門学校に通って年上の同性の友達や、共通の課題に取り組むことで少しずつ発達が促された部分があり、逆に専門学校の教員の対応が前時代的で抑うつ、適応障害みたいになって身体や心の機能が少しおかしくなったりもあるけれど、無事職場にありつけ、専門学校の同年代の友達と毎日頑張って生きてます。20歳を超えても周りに比べ、あまり余って未だにある。そんな未熟さに付き合ってくれてありがとう😂
親や兄からの言葉や態度が酷いものと気付かずに自分も外でやってしまうので先生や友達からも嫌われてました…
反抗期で家でも叱られ、勉強もできない時、美術の先生だけが温かく受け止めてくれた。あの時、あの先生がいなかったら、自分はバランスを崩していた気がするな。
ありがたいお話ですね
親はもちろんですが、先生にも「自己主張やコミュニケーションが出来ない子」と言われて疎まれることが多かったです。自分の意見をハッキリ述べる快活な子が先生には好かれます。先生からのいじめ(体罰、直接の悪口)も多かったです。親は「親御さんは普通なのにねぇ。」と言われ、心なしか嬉しそうでした。私はその裏側を少しでも理解してもらいたかったです。大人は頼れないもの、と考えました。
特に小学生の頃は心にゆとりが無かった。祖母、祖父との同居家族の中で母と祖母の嫁姑関係の悪さ。そこから負のスパイラル、夫婦喧嘩。私は心、落ち着かない事多々あり「私はこの家に居る意味あるのだろうか?」って思ってしまい苦しかったです。ですが、中学生になり良い友達に救われ、本音で話せる友達に巡り会い生きる勇気もらいました。そのお陰で学校が楽しかったし、目の前の人を喜ばす事だったり、笑顔にする事の大切さを学びました。
こんばんは🌙【宿題】恩師への感謝→思春期の頃は家庭内不和(兄妹間の確執)があって、ホルモンバランスの関係もあり精神が不安定でした。表向きはお調子者で通してましたが、その恩師にだけは色々と話を聞いてアドバイスをくれたりしてました。私が勝手に恋愛感情を持ってしまい、恩師にもそれは伝わっていたかと思います。しかし、恩師は教師としての姿勢と距離感を崩さずに私を見守ってくださったこと感謝してもしきれません。当時は友人にも恵まれておりましたが、恩師がいてくれたことでより楽しい学生生活を送る事ができました。
「運の悪い環境が続いた」って言うと、絶望感がありますが、「サイコロの6の目が3回続けて出てきた」って表現は良いですね。「たまたま出た目が悪かったんだ」って思えると少し希望が持てます。
私は父母に抱っこされたりおんぶや手を繋いだ記憶は殆ど無い典型的の愛着障害です。子どもの頃お隣の子どもが居ないご夫婦に可愛がって頂いたことが心の支えになっていました。私の事を愛おしいというような優しい眼差しで見守るってくれている感じか伝わるのです。自分の家でどうしても我慢出来なくなったら、お隣のうちの子にして貰おう!と思う事で淋しさを我慢し、やり過ごしました。
大人の人が、例え好意で近づいたとしても 大人 は自身にだけに無視、暴言、暴力などををふるう人と認識をしています。恐怖のあまり優しさを拒否をし、警戒をしています。身体を強張らせ凍てつく様な瞳になっているはずです。防衛のために拒否を続けているだけです。そこで考えてでた答えは「お話しを聴くプロの方々を勧めてほしい」と思いました。
キャッチャーインザライされた記憶…今にしても、ただただ緊張して生きてたので助けてもらった記憶が無いんです…すいません。恐らく歪んではいたけど稼げる叔母に可愛がられていたので生き延びたと思います。私の周りは残念ながら、あぁこの大人はまともだった、という人が一人もいなかったのは私の運の悪さを象徴しているなぁ、とは思います。皆んな、まともになろうとしてはいたんだと思いますけどね。
親代わりの人がいたらいいな!機能不全家族だと情緒分化しないらしい。 アダルトチルドレンだって成長と回復はできると思う。時間はかかるけど焦らず進んでいってほしい!
未成年の頃の事を思い出してしまいました。どうしたら良かったのか、これで良かったのか、当時はそうするしかなかったのか。学校に行ったり行かなかったり卒業出来なかったり、自傷行為や家出を繰り返したりしていました。見捨てられ不安があり、底なしの愛情を求めていたのかもしれないと思います。でもそんなものはなかった。学校の担任の先生が、急にこの世を去ってしまった事もありました。教職員の労働環境やメンタルヘルスの改善も考えた方が良いと思います。やはり、普通に学校に通って、卒業できるならそのようにしたかった。
私は親が憎いというより、悲しいが勝ちます。私の気持ちを聞いてもらえず、親の感情ばかり優先されるので。やめて欲しいとお願いしてもやめてくれなかったり、私が嫌な気持ちになることを言ってきたり。今回も兄が嫌いなので私の家に連れてこないで欲しいと言ったのに、いきなりきました。息子と兄で出かけましたが、もしそれで息子が亡くなったりしたらほんとに〇したくなります。
ご指導ありがとうございます。🙏実に心強いです。さて、この年になって、思い起こすと自身の精神のみでなく、ご自身は認識してか否か、実際に命まで救って下さった方々の存在が思い起こされます。その重みを今言語で表現できない自分がいます。🇺🇳🌏💞
ライ麦畑でつかまえてですね!良い本でした❤思いだしました😂ありがとうございます。名前も出ない、わからない、誰かが救ってくれている!世の中、そう悪くないって!そう思えたら、生きているのも悪くはないって!地の果てで、キーパーやってそんな人間、大人で生きて行きたいです!ささやかでも😊
一生懸命子供を愛して育てました。が、発達障害があるせいでしょうか、とにかく反抗的で挑発的、怠惰で盗癖もあります。これらの症状は愛着形成ができていないせいなのか、発達障害のせいなのかわかりませんが、親なので他人に任せる事もできずに病んでしまいました。。育児放棄気味の私が言うのも変ですが、この子にとって救いになってくれる大人が1人でもいると良いなと思います。
愛着は不安型だと思いますが、教師ガチャが良かったんだねと友人に言われたことがあります。特性で変わっている私を個性だと評価してくれる周囲の大人や困ったことが起きると手を差し伸べてくれる担任や友人知人に恵まれてきました。色々な傷つきや躓きを経験しても2次障害まで至らなかったのはそうゆう有り難い環境での育ちがあったからかもしれません。
すごく為になる動画でした!ありがとうございます!!
大学時代のゼミの先生に助けて貰ってました。親より相談事は先生にしてました。もう二十年以上前のことですがずっと恩は忘れません。もうおじいちゃんになってるかな?元気でいるといいな。
新参者で失礼します。講演、ありがとうございます。益田先生のお考えを、私は納得できます。教育現場等、チームで行うものについて。チームをバランスよく成り立たせるとするなら指導者を一人が担うのは危うさが増すだろうと私は考えます。先生が今回くださったお話の中であれば教師と生徒という立場なりますが、他人同士が依存や共依存状態に陥らないためにも役割分担しながら人間関係の均衡が保てるように、大人たちが理性と倫理でもって行動できるのが妥当と個人的には考えます。とはいえ、私はバランスが悪いですが、子育ても頑張りたいです。ひよこ健全とはなんであるか、相も変わらず考えさせられる日々ですが、UA-camで様々なお考えが聞けるのはありがたいです。重ね重ねになりますが、動画配信をくださりありがとうございます。
失礼します。5分診察+αについて。医師、精神保健福祉士、社会福祉士等の中で情報のフィードバックできていれば成り立つものと個人的には考えます。しっかりサポートできるにはやはり各持ち場をしっかりと行い、且つ、充分なフィードバックがなされることかとも思いました。たぶんですが、日本の世の中はまだまだ心療内科の位置付けが知られていないのだろうと思います。また、診察時間について、多方的な憶測や見解ができるかとは考えますが、なぜ5分診察+アルファであるのかを患者様やそのご家族、もっといえば社会が理解できさえすれば益田先生が抱く歯がゆさも減るんじゃないかなって思いました。医師目線と一般(患者さん)目線は離れている部分があるように思います。益田先生の診療方針の一部である5分+αがなぜそうであるかを、社会が共有できさえすれば理解や納得がえられやすいとも思います。が、そのタイミングが適切でなければならないところが心療内科の課題の一つともいえるのでしょうか。仮説ではありますが、5分+α診察を、患者様(社会)に説明しなくていいとするとなんだかさみしいなって思いますし、不満も発生しやすくなってしまうんじゃないかなって思います。ただ精神状態を悪く追い込むものであってはならないのと、悪化させてはならないとも思いますので、タイミングを見て患者様に5分診察であるわけをお話ししたり、初診の時に予めチラシ等で予告しておくのもいいように思います。私は、今回下さった動画で、なぜ益田先生が5分+αの診察であるかを理解したつもりです。「救いたい」というのが益田先生のお考えの一つであることも知れまています。ありがとうございます。余談でありますが、学校の先生のお話しで印象が深いのは、やはり先生の子どもの頃や青春時代のエピソードでしょうか。😊 たまにある教師のくだけたお話しは、やはりほっこりとしたように思います。
小学生の時にうつ病になり30年になります。子供の頃から家族が自死したり、虐待を受けたり、引きこもりになったり、社会人になってもパワハラセクハラ で苦しんだり。「運の悪い環境が続いた」「サイコロの6の目が3回続けて出てきた」・・・なぜ自分だけ?なぜ自分は絶望の沼から抜け出すことが出来ない?友達はみんな、10代の頃から年相応の経験をして、普通に恋愛して結婚して子供いて幸せそうにしている。私だけが40になっても、恋愛も仕事もまともに出来てない。こんな命に、人生に、意味や価値を感じません。
この発信が、私の心に刺さりました。だから、生きる意味はあります。一寸先は闇でもあり光。何が起こるかわかりません。サイコロの目が6続きで半世紀。一緒に生きましょう。
論理的かつ倫理的にものごとをみれて対応できてあるがままを愛せる親になれるように頑張りたいと思います。親になって自分の弱い部分や悪い部分がどんどん分かってきました。子どもが凸凹持ちで子育てで大変なことがありますが、私がまず大人として正しい姿、正しく愛せるように努力したいと思います。
宿題私と母は親子というか姉妹のような関係です。事実上の母は祖母だったように思います。小学校6年生の卒業制作に付き合ってくださった美術の先生には感謝しております。
母親に疎まれて育ち、学校の先生や同級生にも目をかけてもらえなかったけど、益田先生のお話を聞いて思い出しました。母親が親戚の仕事を手伝っていて、家にお手伝いさんが来ていたこと。私が幼稚園から小学校中学年までに来ていた最初の家政婦さんが私を可愛がってくれた。この人がお母さんならどれだけ良かっただろうって思った。父、祖父、弟は母から助けてくれなかったけど、中立だったのも今から思うと良かったのかな(6の目のサイコロの連続が少し止まった)。
仰せの通りと思います。昔、子供の思春期の問題発生し、担任に救われました。しかし、その反面、生活指導担当(体育科)の反感を買い常に体育の成績が「1」でした。そこには教師の権力や最善を尽くしてくれた担任の力の限界が有ったのだと思います。その当時に気づけば良かったのですが、知り合いの教育関係者に校長への問い合わせをして頂くのをお願いすれば良かったと、今でも思っています。教員の方も権力に驕れるのではなく公平というものを理解して頂きたく思います。(一生、気づきそうでも無いですが)
先生の頭の形がいいですねー
わたし一度だけ 人生を終える計画を立てようとしたことがあるんです 統合失調症の症状がでていて病院にまだ通ってないときで でそのとき細木先生の本を買って読んだんです 人は生まれ変わると前世と今世があると 親の因果は子どもに報うとは わたしは思わないのですが 前世と今世があると妙に納得したのを覚えてます
サラッと専門用語出てくるから、分かり辛いです😢私だけわからんのか?ここに集う患者は皆医者か?
毒親だの親ガチャだの言ったり、美智子さまご推奨のエポック博士から律する家庭の躾もされないのも問題だと私は考えます。親子関係は他人は本来立ち入れないと思います。教育機関に看護師が安易に入るのは反対ですが、良い先生ほど病気になります。病気にもならない図太い先生は色々気づきがない人が多いと思います。病気の先生をみてあーはなりたくないは間違っています
たった1人の応援者がいれば、救われます。教員であってパニック障害で病気休暇をとっていた自分を救ってくれたのは、たった1人の生徒の手紙でした。「大好きです」という言葉にどれだけ勇気をもらったことか…今は、自分がそのたった1人になろうと実践しています。
貴重なヒントをありがとうございます。
私は、フジコへミングさんの言葉で元気が出ました。
生徒さんの暖かいお手紙、素敵です。
良かったです。
育児放棄された子どもを親代わりで成人年齢まで養育しました。子どもが幼少期に受けた心の傷、愛着障害のことなど、知識を得て、医療ともつながり、出来る限りのベストを尽くしてきましたが、今のこの子の状態だけ見ると自分の無力感を感じています。そしてあたらめて本人が受けた心の傷は大きくて深いのだなと実感させられています。今はこの子の「幸せと健康」を願って暮らしています。生ぬるい理想かもしれませんが、一人一人の子どもが大切にされる世の中になると良いなと心より願っています。
こんにちは
【宿題】
小学生の頃両親の不仲で切ない時期を長く味わいました。近所の個人塾の先生夫妻がいつも話を聞いてくれました。勉強が終わった後帰りたくなさそうにしていると「お残りさん?」と言ってくれました。
いま、思うと、ご自分たちの夕飯の時間を後回しにしてくれていたのだなと、感謝の気持ちでいっぱいです。
私は若い頃、本当に誰一人として助けてくれなかったです。
親がカルト宗教にハマって家も売ってしまって、精神的にボロボロになって、精神科医に助けを求めても「自分で解決しなさい」の一点張りで、精神保健センターのスタッフも私の言うことを信じてくれずに、無責任に言いたいこと言って本当に味方が一人もいなかったです。
よく一人で頑張ってきたなぁと思います。
親の愚痴、本音を聞かされ、子供の時から親の意に沿うように生きてきました。
子供を持ち、自分の育った家庭が機能不全であったことに気づきました。
自分の子供には、論理的かつ倫理的に、あるがままを愛したいと思います。
子供の習い事の年配の先生(60代)が私のお見本です。安心して自分の考えを伝えることができます。
私40半ばですが、大人としての振る舞いを学んでいるところです。
親に理解を求めるのは、諦めています。
いつも先生の動画でたくさんのことを学ばせていただいています。ありがとうございます。
・この人についていけば救われる
・ちょっと褒められただけで脳がとろけるような喜び
↑自分を言語化されたようでびっくりしました
それで30歳まで来てしまい、今徐々に修正中です。
子どもの頃はそのままを認めてくれる人ってなかなかいなかったなと思います。時代なのか、もしくは私がうまく受け取れなかったのか。。
でも見えないところで拾ってくださった先生方はきっといらっしゃったのだろうと思います。
学校で事故に合い、見た目が変わってしまって行けなくなった時、先生が美味しい食べ物買ってきてくれて普通に雑談しながらほぼ毎日一緒に食べてくれました。そういう先生が2人ほどいて救われました。
何人かは学校と自分達のことしか考えてなくて腕を強く引っ張られ教室まで無理やり連れてかれてそうになりました。
教師でも良い先生はいる、でも確かに非人道的な先生もいるんだなって小学校の頃経験しました。
愛着形成が不十分な家庭で育ちましたが、
いろんな人や経験が、少しずついろんなことを教えてくれたように思います。
学校の先生、塾の先生、親戚、友人、読書体験、などなど。
私も今、お子さんの支援に関わる仕事をしていますが、
1人にできることは限りがあるのと同時に、その1人の関わりが後にその子のリソースになり得るのだ、という、
両方の真実を頭に入れて、
共依存的にならないよう、かつ突き放さないよう、接していくことが大事なんだろうなと思っています。
中学の担任の先生に感謝しています。
一年生の時、私は精神面に課題があり、
先生に嫌な態度を取りました。
三年生で再びその先生が担任で、
私は申し訳ない気持ちがありましたが
タイミングを逃して謝れませんでした。
三者面談で『大丈夫?辛いことあった?』と聞いてくれました。
その時普段泣かないのに涙が溢れてきました。
親と友達と不仲で、生きていても辛い事が多いと思っていました。
それが、ずっと、強い感謝として心に残っています。
以後、人を無闇に傷付けることを辞めました。
とても感謝しています。
腐ったミカンを守る金八先生のような先生は必要ですね。両親がいつも朝から喧嘩ばかりして憂鬱だったけど、学校に行くと皆の楽しそうな様子から他の家の親はきっと優しいのだろうと感じていました。
子どもの頃は母の圧が強すぎて息苦しいと感じていましたが、近所の公文の教室に通うようになって、その先生がとても穏やかで優しかったから気持ちが楽になりました。プリントをしていたら「いつもはおちゃらけているのに、プリントをしだすと急に真面目になるね」と言われたことを今でも印象深く覚えていて、先生は自分のことを見ていてわかってくれているのだなと感じ、とても嬉しかったです。
益田先生は十分やられていると思います。合う合わないはあるから、そんなに気にすることないです。
どこかに安心できる居場所があって本当に良かったですね。
安心安全な居場所って大切ですね。
私も子どもの頃本当に辛かったです。母とは相性が悪く、母と仲の良い姉と母からよくいじめられました。自分だけ何も買ってもらえない、好きなおかずを作ってもらえない。悲しそうな顔をしてると母は嬉しそうだった。人に相談しても、「そんな親いる訳ない」とか「お母さんの言うことをよく聞いて」などと言われる。学校でもいじめられた。
人を信じられないまま大人になったけど、子どもを産んで初めて幸せだなと感じた。自然に笑う事ができたし、食べ物が美味しいと感じる事ができた。
子どもに出会えた事が私には良かった。
10:34
両親がどっちも発達障害疑いで、片方の親が鬱でした。毎日小さい頃から両親の不仲であったり、私に妙な理屈で怒っては体罰、気が滅入る言葉を聞かせるなど嫌な目にあったりもしました。学校でも同級生は体型でバカにしたり、行動面でおかしいところをあげつらわれてきました。しかし、専門学校に通って年上の同性の友達や、共通の課題に取り組むことで少しずつ発達が促された部分があり、逆に専門学校の教員の対応が前時代的で抑うつ、適応障害みたいになって身体や心の機能が少しおかしくなったりもあるけれど、無事職場にありつけ、専門学校の同年代の友達と毎日頑張って生きてます。
20歳を超えても周りに比べ、あまり余って未だにある。そんな未熟さに付き合ってくれてありがとう😂
親や兄からの言葉や態度が酷いものと気付かずに自分も外でやってしまうので先生や友達からも嫌われてました…
反抗期で家でも叱られ、勉強もできない時、美術の先生だけが温かく受け止めてくれた。あの時、あの先生がいなかったら、自分はバランスを崩していた気がするな。
ありがたいお話ですね
親はもちろんですが、先生にも「自己主張やコミュニケーションが出来ない子」と言われて疎まれることが多かったです。
自分の意見をハッキリ述べる快活な子が先生には好かれます。
先生からのいじめ(体罰、直接の悪口)も多かったです。
親は「親御さんは普通なのにねぇ。」と言われ、心なしか嬉しそうでした。
私はその裏側を少しでも理解してもらいたかったです。
大人は頼れないもの、と考えました。
特に小学生の頃は心にゆとりが無かった。祖母、祖父との同居家族の中で母と祖母の嫁姑関係の悪さ。
そこから負のスパイラル、夫婦喧嘩。私は心、落ち着かない事多々あり「私はこの家に居る意味あるのだろうか?」って思ってしまい苦しかったです。
ですが、中学生になり良い友達に救われ、本音で話せる友達に巡り会い生きる勇気もらいました。
そのお陰で学校が楽しかったし、目の前の人を喜ばす事だったり、
笑顔にする事の大切さを学びました。
こんばんは🌙
【宿題】恩師への感謝
→思春期の頃は家庭内不和(兄妹間の確執)があって、ホルモンバランスの関係もあり精神が不安定でした。
表向きはお調子者で通してましたが、その恩師にだけは色々と話を聞いてアドバイスをくれたりしてました。
私が勝手に恋愛感情を持ってしまい、恩師にもそれは伝わっていたかと思います。
しかし、恩師は教師としての姿勢と距離感を崩さずに私を見守ってくださったこと感謝してもしきれません。
当時は友人にも恵まれておりましたが、恩師がいてくれたことでより楽しい学生生活を送る事ができました。
「運の悪い環境が続いた」って言うと、絶望感がありますが、「サイコロの6の目が3回続けて出てきた」って表現は良いですね。「たまたま出た目が悪かったんだ」って思えると少し希望が持てます。
私は父母に抱っこされたりおんぶや手を繋いだ記憶は殆ど無い典型的の愛着障害です。
子どもの頃お隣の子どもが居ないご夫婦に可愛がって頂いたことが心の支えになっていました。
私の事を愛おしいというような優しい眼差しで見守るってくれている感じか伝わるのです。
自分の家でどうしても我慢出来なくなったら、お隣のうちの子にして貰おう!と思う事で淋しさを我慢し、やり過ごしました。
大人の人が、例え好意で近づいたとしても 大人 は自身にだけに無視、暴言、暴力などををふるう人と認識をしています。恐怖のあまり優しさを拒否をし、警戒をしています。身体を強張らせ凍てつく様な瞳になっているはずです。防衛のために拒否を続けているだけです。そこで考えてでた答えは「お話しを聴くプロの方々を勧めてほしい」と思いました。
キャッチャーインザライされた記憶…今にしても、ただただ緊張して生きてたので助けてもらった記憶が無いんです…すいません。恐らく歪んではいたけど稼げる叔母に可愛がられていたので生き延びたと思います。私の周りは残念ながら、あぁこの大人はまともだった、という人が一人もいなかったのは私の運の悪さを象徴しているなぁ、とは思います。皆んな、まともになろうとしてはいたんだと思いますけどね。
親代わりの人がいたらいいな!機能不全家族だと情緒分化しないらしい。
アダルトチルドレンだって成長と回復はできると思う。
時間はかかるけど焦らず進んでいってほしい!
未成年の頃の事を思い出してしまいました。
どうしたら良かったのか、これで良かったのか、当時はそうするしかなかったのか。
学校に行ったり行かなかったり卒業出来なかったり、自傷行為や家出を繰り返したりしていました。
見捨てられ不安があり、底なしの愛情を求めていたのかもしれないと思います。でもそんなものはなかった。
学校の担任の先生が、急にこの世を去ってしまった事もありました。教職員の労働環境やメンタルヘルスの改善も考えた方が良いと思います。
やはり、普通に学校に通って、卒業できるならそのようにしたかった。
私は親が憎いというより、悲しいが勝ちます。
私の気持ちを聞いてもらえず、親の感情ばかり優先されるので。
やめて欲しいとお願いしてもやめてくれなかったり、私が嫌な気持ちになることを言ってきたり。
今回も兄が嫌いなので私の家に連れてこないで欲しいと言ったのに、いきなりきました。
息子と兄で出かけましたが、もしそれで息子が亡くなったりしたらほんとに〇したくなります。
ご指導ありがとうございます。🙏
実に心強いです。
さて、この年になって、思い起こすと自身の精神のみでなく、
ご自身は認識してか否か、実際に命まで救って下さった方々の存在が思い起こされます。
その重みを今言語で表現できない自分がいます。🇺🇳🌏💞
ライ麦畑でつかまえてですね!
良い本でした❤思いだしました😂
ありがとうございます。
名前も出ない、わからない、誰かが救ってくれている!
世の中、そう悪くないって!
そう思えたら、生きているのも悪くはないって!
地の果てで、キーパーやってそんな人間、大人で生きて行きたいです!ささやかでも😊
一生懸命子供を愛して育てました。が、発達障害があるせいでしょうか、とにかく反抗的で挑発的、怠惰で盗癖もあります。これらの症状は愛着形成ができていないせいなのか、発達障害のせいなのかわかりませんが、親なので他人に任せる事もできずに病んでしまいました。。育児放棄気味の私が言うのも変ですが、この子にとって救いになってくれる大人が1人でもいると良いなと思います。
愛着は不安型だと思いますが、
教師ガチャが良かったんだねと友人に言われたことがあります。
特性で変わっている私を個性だと評価してくれる周囲の大人や
困ったことが起きると手を差し伸べてくれる担任や友人知人に恵まれてきました。
色々な傷つきや躓きを経験しても2次障害まで至らなかったのは
そうゆう有り難い環境での育ちがあったからかもしれません。
すごく為になる動画でした!ありがとうございます!!
大学時代のゼミの先生に助けて貰ってました。親より相談事は先生にしてました。もう二十年以上前のことですがずっと恩は忘れません。もうおじいちゃんになってるかな?元気でいるといいな。
新参者で失礼します。
講演、ありがとうございます。
益田先生のお考えを、私は納得できます。
教育現場等、チームで行うものについて。
チームをバランスよく成り立たせるとするなら指導者を一人が担うのは危うさが増すだろうと私は考えます。
先生が今回くださったお話の中であれば教師と生徒という立場なりますが、他人同士が依存や共依存状態に陥らないためにも役割分担しながら人間関係の均衡が保てるように、大人たちが理性と倫理でもって行動できるのが妥当と個人的には考えます。
とはいえ、私はバランスが悪いですが、子育ても頑張りたいです。ひよこ
健全とはなんであるか、相も変わらず考えさせられる日々ですが、UA-camで様々なお考えが聞けるのはありがたいです。
重ね重ねになりますが、動画配信をくださりありがとうございます。
失礼します。
5分診察+αについて。
医師、精神保健福祉士、社会福祉士等の中で情報のフィードバックできていれば成り立つものと個人的には考えます。
しっかりサポートできるにはやはり各持ち場をしっかりと行い、且つ、充分なフィードバックがなされることかとも思いました。
たぶんですが、日本の世の中はまだまだ心療内科の位置付けが知られていないのだろうと思います。また、診察時間について、多方的な憶測や見解ができるかとは考えますが、なぜ5分診察+アルファであるのかを患者様やそのご家族、もっといえば社会が理解できさえすれば益田先生が抱く歯がゆさも減るんじゃないかなって思いました。
医師目線と一般(患者さん)目線は離れている部分があるように思います。益田先生の診療方針の一部である5分+αがなぜそうであるかを、社会が共有できさえすれば理解や納得がえられやすいとも思います。
が、そのタイミングが適切でなければならないところが心療内科の課題の一つともいえるのでしょうか。
仮説ではありますが、5分+α診察を、患者様(社会)に説明しなくていいとするとなんだかさみしいなって思いますし、不満も発生しやすくなってしまうんじゃないかなって思います。
ただ精神状態を悪く追い込むものであってはならないのと、悪化させてはならないとも思いますので、タイミングを見て患者様に5分診察であるわけをお話ししたり、初診の時に予めチラシ等で予告しておくのもいいように思います。
私は、今回下さった動画で、なぜ益田先生が5分+αの診察であるかを理解したつもりです。
「救いたい」というのが益田先生のお考えの一つであることも知れまています。ありがとうございます。
余談でありますが、学校の先生のお話しで印象が深いのは、やはり先生の子どもの頃や青春時代のエピソードでしょうか。😊 たまにある教師のくだけたお話しは、やはりほっこりとしたように思います。
小学生の時にうつ病になり30年になります。子供の頃から家族が自死したり、虐待を受けたり、引きこもりになったり、社会人になってもパワハラセクハラ で苦しんだり。
「運の悪い環境が続いた」「サイコロの6の目が3回続けて出てきた」・・・なぜ自分だけ?なぜ自分は絶望の沼から抜け出すことが出来ない?友達はみんな、10代の頃から年相応の経験をして、普通に恋愛して結婚して子供いて幸せそうにしている。私だけが40になっても、恋愛も仕事もまともに出来てない。こんな命に、人生に、意味や価値を感じません。
この発信が、私の心に刺さりました。だから、生きる意味はあります。
一寸先は闇でもあり光。
何が起こるかわかりません。
サイコロの目が6続きで半世紀。
一緒に生きましょう。
論理的かつ倫理的にものごとをみれて対応できてあるがままを愛せる親になれるように頑張りたいと思います。親になって自分の弱い部分や悪い部分がどんどん分かってきました。子どもが凸凹持ちで子育てで大変なことがありますが、私がまず大人として正しい姿、正しく愛せるように努力したいと思います。
宿題
私と母は親子というか姉妹のような関係です。事実上の母は祖母だったように思います。
小学校6年生の卒業制作に付き合ってくださった美術の先生には感謝しております。
母親に疎まれて育ち、学校の先生や同級生にも目をかけてもらえなかったけど、益田先生のお話を聞いて思い出しました。
母親が親戚の仕事を手伝っていて、家にお手伝いさんが来ていたこと。
私が幼稚園から小学校中学年までに来ていた最初の家政婦さんが私を可愛がってくれた。
この人がお母さんならどれだけ良かっただろうって思った。
父、祖父、弟は母から助けてくれなかったけど、中立だったのも今から思うと良かったのかな(6の目のサイコロの連続が少し止まった)。
仰せの通りと思います。昔、子供の思春期の問題発生し、担任に救われました。しかし、その反面、生活指導担当(体育科)の反感を買い常に体育の成績が「1」でした。そこには教師の権力や最善を尽くしてくれた担任の力の限界が有ったのだと思います。その当時に気づけば良かったのですが、知り合いの教育関係者に校長への問い合わせをして頂くのをお願いすれば良かったと、今でも思っています。
教員の方も権力に驕れるのではなく公平というものを理解して頂きたく思います。(一生、気づきそうでも無いですが)
先生の頭の形がいいですねー
わたし一度だけ 人生を終える計画を立てようとしたことがあるんです 統合失調症の症状がでていて病院にまだ通ってないときで でそのとき細木先生の本を買って読んだんです 人は生まれ変わると前世と今世があると 親の因果は子どもに報うとは わたしは思わないのですが 前世と今世があると妙に納得したのを覚えてます
サラッと専門用語出てくるから、分かり辛いです😢私だけわからんのか?ここに集う患者は皆医者か?
毒親だの親ガチャだの言ったり、美智子さまご推奨のエポック博士から律する家庭の躾もされないのも問題だと私は考えます。親子関係は他人は本来立ち入れないと思います。教育機関に看護師が安易に入るのは反対ですが、良い先生ほど病気になります。病気にもならない図太い先生は色々気づきがない人が多いと思います。病気の先生をみてあーはなりたくないは間違っています