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1:39 何故かわからんが一瞬101系だと思った
コメ返し遅れ申し訳ございません。見分け方の一つは正面窓の大きさと言われるけど、塗装の色によって大きく見えたり小さく見えたり。
103系先頭車側面に表示されてるシルバーシートマークが懐かしいです。
日暮里駅のホーム延長部分の工事を中学生のころにやってたのを思い出す。日暮里駅谷中墓地への歩道橋の袂、京成の高架下には看板屋さんがあって、運賃改定があると新運賃表のペイントを乾かす作業を表でやっていたっけな。定期券の1か月・3か月・6か月の一覧とか、路線図に書かれた各駅の運賃とか。パネルの端材を工作用にもらいに行ってたこともあった。
1:50のクモハ103、101系からの改造車に見えるのですが。気のせいでしょうか?
これは貴重な動画だよ。
ENCHAN0 コメントありがとうございます。日暮里を走る列車はすっかり変わりましたね。
5分40秒辺りの常磐線の103系は、千代田線から転属車両ですね。
コメントありがとうございます。その通りです。個人的には貫通扉(非常扉?)付の1000番台は好きです。最近は奈良の105系(元千代田線乗り入れ車)が気になっています。
珍太郎さん、その通りです。
当時車両が足りなくなり千代田線の車両から転属されてきましたが、時間なかった為先頭と最後尾車両だけグリーンに塗り替えて中間車両が千代田線カラーだったのも覚えてます。
コメントしようとしたら わしだったw
この頃の103系1000番台は千代田線から転属されたばかりで、8M2Tの編成が主流だったんですね。それに側面のJRマークの位置も違うし。ところで京成本線の赤電はいつ頃まで走ってたんでしょうか?🤔🤔🤔
コメントありがとうございます。常磐線の103系は今までにも研究発表された方が数名いるぐらい奥深いですね。京成の赤電(ここで出るのは新赤電色だそうです。)は1996年に一度ピリオードされた後、2009年からリバイバル塗装があったそうです。
常磐線使用していた485系は元JR九州の車両だったらしいですね
常磐線の485系は全国から余剰になったのを集約したものですね。
まだこの頃は国鉄型車両全盛でしたね。
+android1899 コメントありがとうございます。そうですね。103系から481系ボンネット車まで国鉄の代表車両が見れました。この当時新鋭?だった415系ステンレス車も次のダイヤ改正で引退とか、時代を感じています。
そして現在は最新フルメタルのライン色
東北、高崎線の115系の中に非冷房の車両もいますね!
+いっはーチャンネル コメ返し遅れ申し訳ないです。そうですね、この頃は非冷房の車両がけっこうあったと思います。非冷房車は窓を全開して思いっきり外の風を取り入れる事が出来ました。
京成電車の初代3000系が1991年に引退 スカイライナーが1996年に引退
これも懐かしいですね!京成線が高架になったのが大きな変化でしょうか。日暮里は乗り換えで利用していましたが、案内放送で国鉄は「短い10両」と言い、京成は「長い6両」と流していたのが印象的でした。高い建物が密集してないので、響き渡る通過音がなんとも牧歌的です。京成も随分垢抜けたみたいですが、「京成電車」と呼ばれるのが似合う気がします。
コメントありがとうございます。京成の日暮里駅は高架になっていたのですね。しばらく東京へ行っていないので私は浦島太郎状態です。
@@rvdrv わかります。東京は常に変化が激しいので暫く来ないと困惑しますね😵😵😵
0:46 注目 トップナンバーだw
もう1989年の頃だからもう既に国鉄がJRに改名してたな
トラックも、ダンプも、電車も、ボンネット大好きサンから‼️‼️
ボンネット車だ‼
+山本みほ コメントありがとうございます。当時、特急「ひたち」のほとんどはボンネット車でした。しかも中間車もキノコ形クーラーの初期型で、グリン車のみAU13の比較的新しい車両でした。
+RVDRV そうなんですか❗教えて下さりありがとうございます(^^)
ふふ
コメントありがとうございます。
1:39 何故かわからんが一瞬101系だと思った
コメ返し遅れ申し訳ございません。見分け方の一つは正面窓の大きさと言われるけど、塗装の色によって大きく見えたり小さく見えたり。
103系先頭車側面に表示されてるシルバーシートマークが懐かしいです。
日暮里駅のホーム延長部分の工事を中学生のころにやってたのを思い出す。
日暮里駅谷中墓地への歩道橋の袂、京成の高架下には看板屋さんがあって、運賃改定があると新運賃表のペイントを乾かす作業を表でやっていたっけな。
定期券の1か月・3か月・6か月の一覧とか、路線図に書かれた各駅の運賃とか。
パネルの端材を工作用にもらいに行ってたこともあった。
1:50のクモハ103、101系からの改造車に見えるのですが。気のせいでしょうか?
これは貴重な動画だよ。
ENCHAN0 コメントありがとうございます。日暮里を走る列車はすっかり変わりましたね。
5分40秒辺りの常磐線の103系は、千代田線から転属車両ですね。
コメントありがとうございます。その通りです。個人的には貫通扉(非常扉?)付の1000番台は好きです。最近は奈良の105系(元千代田線乗り入れ車)が気になっています。
珍太郎さん、その通りです。
当時車両が足りなくなり千代田線の車両から転属されてきましたが、時間なかった為先頭と最後尾車両だけグリーンに塗り替えて中間車両が千代田線カラーだったのも覚えてます。
コメントしようとしたら わしだったw
この頃の103系1000番台は千代田線から転属されたばかりで、8M2Tの編成が主流だったんですね。それに側面のJRマークの位置も違うし。ところで京成本線の赤電はいつ頃まで走ってたんでしょうか?🤔🤔🤔
コメントありがとうございます。常磐線の103系は今までにも研究発表された方が数名いるぐらい奥深いですね。京成の赤電(ここで出るのは新赤電色だそうです。)は1996年に一度ピリオードされた後、2009年からリバイバル塗装があったそうです。
常磐線使用していた485系は元JR九州の車両だったらしいですね
常磐線の485系は全国から余剰になったのを集約したものですね。
まだこの頃は国鉄型車両全盛でしたね。
+android1899 コメントありがとうございます。そうですね。103系から481系ボンネット車まで国鉄の代表車両が見れました。この当時新鋭?だった415系ステンレス車も次のダイヤ改正で引退とか、時代を感じています。
そして現在は最新フルメタルのライン色
東北、高崎線の115系の中に非冷房の車両もいますね!
+いっはーチャンネル
コメ返し遅れ申し訳ないです。そうですね、この頃は非冷房の車両がけっこうあったと思います。非冷房車は窓を全開して思いっきり外の風を取り入れる事が出来ました。
京成電車の初代3000系が1991年に引退 スカイライナーが1996年に引退
これも懐かしいですね!京成線が高架になったのが大きな変化でしょうか。日暮里は乗り換えで利用していましたが、案内放送で国鉄は「短い10両」と言い、京成は「長い6両」と流していたのが印象的でした。高い建物が密集してないので、響き渡る通過音がなんとも牧歌的です。京成も随分垢抜けたみたいですが、「京成電車」と呼ばれるのが似合う気がします。
コメントありがとうございます。京成の日暮里駅は高架になっていたのですね。しばらく東京へ行っていないので私は浦島太郎状態です。
@@rvdrv わかります。東京は常に変化が激しいので暫く来ないと困惑しますね😵😵😵
0:46
注目
トップナンバーだw
もう1989年の頃だからもう既に国鉄がJRに改名してたな
トラックも、ダンプも、電車も、
ボンネット大好きサンから‼️‼️
ボンネット車だ‼
+山本みほ コメントありがとうございます。当時、特急「ひたち」のほとんどはボンネット車でした。しかも中間車もキノコ形クーラーの初期型で、グリン車のみAU13の比較的新しい車両でした。
+RVDRV そうなんですか❗教えて下さりありがとうございます(^^)
ふふ
コメントありがとうございます。