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チャンネル登録しました。今は無き碓氷峠、北斗星、新特急谷川の堂々の14両等、懐かしい国鉄車両の数々ありがとうございます😄
チャンネル登録ありがとうございます。昔は色々と走っていましたね。今は新幹線が色々楽しくなってきた時代かもね。
0:45に出てくる115系は1000番台でしょうか。90年代に入っても冷房準備状態で冷房が載っていない車があったんですね!?
番台までは、よくわからないですね。
7:22 「これはなんか分からないんですけど、電気機関車と1両」試6992レですね。大宮工場への入出場回送を兼ねた試運転列車として、田端区の電機が尾久のマニ50をお供に高崎まで毎平日往復してました。午前中に尾久始発で試6991レとして高崎に向け出発し、途中大宮で尾久から牽引してきた大宮入場客車を解放、反対に大宮出場客車を連結し、お昼前に高崎に到着。そのまま午後に高崎から折り返し試6992レとして出発し夕方前に上野に到着し(これを鶯谷で捉えたのが本動画)、上野からは回6992レとして尾久に向け推回するという運用でした。土休日以外、毎日運転されていた(そのため列車番号の上一桁も臨時の8・9でなく季節列車を指す6)ものの、客車の入出場がある日の方が少ないので、控車のマニ50のみを牽引して高崎まで往復することの方が圧倒的に多かった列車で、「高崎試客」として呼ばれていました。尾久客車区所属車の大宮入出場用に主に設定された列車でしたが、高崎客車区所属車の大宮入出場に用いられることもあり、この場合、出場であれば往路の試6991レにて大宮で客車を連結し高崎で解放、入場であれば高崎で客車を復路の試6992レで連結し大宮で解放というパターンもありましたし、高崎客車区ないし高崎運転所所属の車両を尾久客車区で開催するイベントに出張させる際の、回送列車として使用されるケースもありました。国鉄時代から設定されていた、半ば定期列車然りとした無駄な往復ダイヤでしたが、民営化20年周年を控えた2007年3月のダイヤ改正で廃止されました。
詳しい説明ありがとうございます。勉強になりました。
この時代にタイムスリップしたい。この頃私は小学生でしたが、学級崩壊していた学校に無理やり通うくらいなら、学校抜け出して上野駅で国鉄車輌追っかけしたかったですね。「学級崩壊した学校サボって、鉄道追っかけ」なんか響きいいですね。
学級崩壊していたのですか?ところで、学級崩壊ってどうなる事なのかな?タイムスリップはできないから、今を精いっぱい楽しみましょう。
1985年3月以降、上野始発の昼間の特急列車はひたちとあさまの2トップになったな。
新幹線開業のためですね。
気が付いてみれば、客車列車、機関車増結けん引、寝台客車、平成の30年間に全滅した感が有ります。大井川鉄道がさらに貴重に見えてきました。寝台車はありませんが。映像ありがとうございます。
そうですね。機関車牽引列車は、ほんと無くなってしまいましたね。みな、乗らないのかな?時代も、お客のニーズも変わって来たようですね。これからは、長距離のカートレインの時代ではないかと思います。
私も上野駅で到着の夜行列車を撮りました。その時は一番最盛期でした。当時は愛知県の豊橋駅から東京駅まで大垣発の165系の4➕8の12両編成の夜行電車に乗り、東京駅に到着したあと、山手線の始発に乗り、上野駅で降りたあと、すぐに撮りました。その後の大垣発東京行の夜行電車は3➕8の11両編成になってしまいました。6時58分着の列車で一度終了して、京浜東北線か山手線に乗り、東京駅で降り、構内のグリーンけやきでおかゆ定食を朝御飯にして食べました。その後は中央線快速で新宿か中野まで行き、電車を撮り、9時12分着の北斗星2号があったため、上野に戻り、撮影したあと、15分着、10時12分着の北斗星4号、11時12分着の北斗星6号を撮影して、上野駅をあとにして、再び京浜東北線か山手線に乗り、東京で降り、東海道新幹線の自由席特急巻を買い、入場後、駅弁を買い、昼御飯代わりに車内で食べ、豊橋に帰りました。その時はまだ二十歳代で年号が昭和から平成に変わったばかりでした。当時は583系寝台特急ゆうづル号が2往復の時で2号、4号が続けて17番線、18番線に入って、到着した直後を撮影しました。以上
やってますね!貴重な映像が一杯撮れたようですね。私も、この当時は東京にはほとんど行かなかったので、この時くらいしか撮り鉄はしていませんでした。
通過中の列車の風圧がすごいので、気をつけて撮影しないと、飛ばされそうになりますよね。 「つばさ」は、電化されていましたね。僕らの時代の「つばさ」は、キハ181系でした。鶯谷駅のホームから、下り「つばさ」が、軽油の煙りを吐きながら走行してた風景を見ていました。
キハ181系のつばさですね。私は奥羽本線が電化される年の夏につばさなどを撮影に東北旅行をしていました。キハ181系は、発電用エンジンが止まることで「蒸し風呂特急しなの」なんて言われてましたが、私は、この旅行の時に、せっかくだから乗っておこうと、福島から秋田まで乗りました。つばさも、やはり板谷峠に入ると、発電用エンジンが止まり、「蒸し風呂特急」になりました。次のトラブルは、上りのつばさが、四ツ小屋駅で脱線して、私の乗っていた秋田行きのつばさは、新庄まで戻って陸羽西線経由で秋田へ行きました。 まあ、トラベルとトラブルは、紙一重かもね(笑)
@@HobbyVideos 国鉄時代は、トラブルありきで、旅行する覚悟でいないとダメなのでしょうね。長距離列車ではありませんが、通勤電車おもに、当時は、103系の山手線がしょっちゅう止まっていました。なので、出勤する時は、止まる事を予測して、早い時間に出勤していました。
いいカメラですね。かなり高価な時代でした。たくさん撮影されてますね。すごい❣️
今となっては、時代遅れのカメラです。
東北新幹線開業前、上野駅に何回も撮影に行ってました。上野~盛岡間の寝台特急北星の写真も撮りました。当時は特急、急行ばかり、特急、急行の合間をぬって普通電車が1時間に数本の時代でした。そんな時代を経験出来て鉄道ファンとして幸せでした。
今は、新幹線がいっぱいの過密時代ですね。時代も変わったもんです。
湘南色115系7両編成は恐らく東北本線でしょうね。自分は東北本線久喜駅で7両編成はよく見かけました。ただ 自分も記憶定かではないからひょっとしたらあれですけど😅少なくとも自分は高崎線方面 7両編成は見た記憶がないので。
なるほど、東北本線は、7輌編成ですか。高崎線はもっとつないでいたのかな?私も、関東地方の事は、ほとんどわかりません。
こんばんは、食堂車のスシは485系のサシでしたね。今となっては懐かしいです。仰る通りオリジナルのオシ24を使えば編成美は保たれましたね。。。冬季に折戸ドアは凍結して開かなくなるそうで、北海道の引き戸車両の戸袋にはヒーターを備えたそうです。
北斗星の食堂車のことですね。種車が485系の食堂車が一杯有ったのでしょうね。トワイライトエクスプレスのスシ24なんか、キノコ型のクーラーでしたからね。やはり北海道は、折り戸はダメですか?でも、特急日本海が、折り戸で函館まで行っていたように思うのです。これは、これで、珍しかったと言う事ですね。
貴重な映像を残して頂きありがとうございます!2000年代後半生まれなのですが、90年代の鉄道に対して興味があるので観ることができて嬉しいです
どういたしまして!
もしタイムスリップができるのならばJR型と国鉄型が混ざっているこの時代に行きたいと思っています(鉄道が好きになった理由の9割は国鉄型なので)
折り畳みドアは雪に弱いですからね。折り畳みドアの車両が入線した事はあるらしいです。
北海道ですね。大阪発の特急「日本海」が函館まで行っていました。たしか、この車両は折り畳みドアーではなかったのでしょうか?
@@HobbyVideos そうだったような気がします。東日本の12系も増便で北海道入りしてましたがこれも折戸でしたね。道南ならまだ大丈夫なんですかね…。
0:19 の489系ボンネット[白山]は国鉄色ですが、リニューアルで白山色に塗り替えられましたよね。末期は国鉄色に戻されましたけど、この撮影時は国鉄色で側面にJRマークが付いていたのでしょうか?この撮影年に生まれ、私が物心付いた頃には全て白山色でしたので。
この時代、国鉄色、白山色300番代、白山色100番台と3編成走っていました。順番にローテーションしていて、この時は、たまたま国鉄色が来たのです。
@@HobbyVideos 返信ありがとうございます。バリエーションが多くて、一番良い時代だったのですね。
かもしれません。逆に、今は新幹線のバリエーションが多くなりましたね。
いつも懐かしい鉄道映像をありがとうございます。拙者は尾久駅から下り方面へ少し行った、王子駅から線路を挟んだ飛鳥山公園で、土日など飽きずに鉄道を眺めていました。信越、上越、東北方面の特急や急行が、新幹線開通とともに姿を消していったのは子供心に寂しかったものですが、今となっては貴重なこうした映像を残してくれた方がいることは幸せなことです。
メッセージありがとうございますやはり、子どもの頃って何もかもが新鮮で、頭に焼き付いているものですね。でも、それをいくら口で行っても、絵に描いても、やはり百聞は一見に如かずと言う事で、ずべてを伝えることができないですね。この当時の動画を残す機材が一般市民の手に入る価格で、あった事。そして、今日インターネットでこうやって公開できる事。この技術の進歩にも感謝です。この当時の映像なんかは、自己満足で撮影した映像ばかり、それを多くの人にお見せできるのも、インターネットのお陰ですね。
ご自分の声で昔の電車の画像を解説していただいてありがとうございます。この時代を知らない今の若者にとってはとてもいいお勉強になりました。
Спасибо за сообщение昔の画像で、画質も悪いのですが、色々とありますのでアップしています。
電源車がまだ改札口に付いていた時代ですね。電源車が並んで止まる夜は、改札がうるさく賑やかだったのを思い出しました。北斗星の4号以外は乗りましたが、東日本のソロは狭かったなぁ~、食堂車はパブタイムだけ使いました(フランス料理のフルコースは手がでない)
北斗星には、ずいぶん乗られたのですね。私は、北斗星も、トワイライトエクスプレスにも乗った事が無いのです。ところで、フランス料理のフルコースっておいくらでしょうか?
楽しく拝見しております。9:57の北斗星の入線ですがJR北海道編成で全室ロビーなので3号のようです。「国鉄時代の鉄道ファン」からお名前変えられたのですね。
はい、チャンネル名を変えました。鉄道以外の動画もアップしますので、またよろしくお願いします。鉄道もどんどんアップしますよ。
@@HobbyVideos ご返信いただきありがとうございます。10系寝台の動画等古い動画等があればまた上げてください。楽しみにしています。
651系スーパーひたちは、現在は、スワローあかぎ号で活躍中です。
なるほど、スワローあかぎですか、なんかしらゆきでも活躍しているのではないかと思うのです。
最初ひたすら山手線や京浜東北線撮ってますけど形式考えると 今となっては大変貴重な映像になってますね。
メッセージありがとうございます。そうなんです。特急白山が中々来なくって、山手線や京浜東北線ばかりやって来るのでそればかり撮影してました。
その時代に生まれたかった…特に特急あさまに乗りたかった
あさまですか。すっごく一杯走っていましたよ。あさまの先へ走る白山も走っていました。
懐かしすぎます😂感激です。子供の頃13番ホームで583系の臨時特急ふるさと号を見た覚えがあります。2358の妙高と022の信州はよく乗りました。急行時代も懐かしい。上野駅の低いホームに入る途中に昔は引き上げ用の側線がありまして、旧型客車が止まってました。上を見ると103系が走っていて、不思議な感じがしました。新幹線で便利になりましたけど、賑わいもなくなりました。上野駅は通過駅になってしまいましたから。子供の頃から鉄道ファンでよかったです
上野駅は地元の駅なんですね。私は田舎もんなので、東京へはたまにしか行かなかったし、今はコロナで行かないようにしています。たまにしか、行かない東京の電車をただただ、撮影した映像がこれなのです。
懐かしいですね。若い頃一年くらい北上野に住んでいました。その後出張などで鶯谷や上野駅をよく利用しました。上野駅ではカシオペアや北斗星も見ました。鶯谷駅では車庫に向かうカシオペアを見ました。
メッセージありがとうございます。私は、結局カシオペアは、見たことが無いのです。でも、カシオペアって運行していた期間が短かったように思います。こんな物なのかな?
前半の鶯谷の山手線、京浜東北線、モータ音を除いて鉄輪、鉄軌道のロードノイズで走行音が静か。今の車両はモータ車が減って増えた付随車からヒュルヒュル独特の音がしますね。まるで車輪に100円玉のようなギザギザの溝を彫っているかのように感じます。レールか車輪に何か技術的な変化があったのでしょうか?
メッセージありがとうございます。そんな事まで気づきませんでした。モーター音が静かになったために、他の音が良く聞こえるようになったのではないでしょうか?
常磐線快速E2314M6T 10両基本編成によく乗るのですが、モーター音の影響が最も小さいサハ3連の真ん中の5号車でも何と表現したらいいか風切り音のような金属的なヒュルヒュルが聞こえます。103系のサハの車内の方が静かです。国鉄時代の長い編成の走行音はモハの走行音にサハが通過するときにふぁっと静かになる瞬間があるメリハリのあるものでした。ua-cam.com/video/fZDBwZBLm3I/v-deo.htmlこの動画に出てくる山手線や京浜東北線はまるで全車モーター車のように聞こえます。この音源がモーターならば最近のJR東のモーターは周囲にまんべんなく響かせる特性があるのでしょうか?
北斗星乗ってみたかった❗テレビ番組の超マニアックな鉄道番組で紹介していたので。上野駅の「上野~」がカシオペアのラストランの時に流れていました。懐かしいです。
北斗星・・・・私の地元では、トワイライトエクスプレスですね。トワイライトエクスプレスも、北斗星も、乗ったことが無いのです。撮影は、しましたけど。
3:28 ここに映ってる205が少し前まで武蔵野線を走ってたもんだからすごい、しかもまだジャカルタにて現役てw
ジャカルタで走っているのですか?線路の幅は標準軌なのかな?
おまけ動画が懐かしい!小田急沿線民なんで
小田急ですか。今はみなステンレスの車輛になってきましたね。昔の白っぽい色に青の線の入った車輛が懐かしいです。
未だ103系が、走ってたんですね、この2、3年前は京浜東北線で真ん中4両非冷房車の編成も走ってましたね。
京浜東北線・・・そこまで詳しくは知りませんでしたが、この当時、まだ新幹線もあまりなかった時代です。
貴重な映像を見る事ができました。ありがとうございます。私はまだ20代前半ですが幼い頃から電車が好きで小学校中学校はよく祖父母に全国の鉄道に乗せてもらいました。寝台列車が昔から好きで小学校の低学年の頃、東海道本線の某所に父によく連れられて深夜のブルートレインを見ていました。しかし東京よりは西側でしたので上に行く列車はあまり見る事が出来ませんでした。。このような映像を見るとこの時に大人だった方々が本当に羨ましいです。私でしたら北斗星やその他特急に乗りまくっていたと思います。笑いまやたくさんの寝台列車や特急がなくなってしまって本当に悲しいです…。大人になったらたくさん乗ってやろうと思っていたのに…泣本当に羨ましいです!ありがとうございました!!
メッセージありがとうございます。みなさん、そう言われますね。でも、実際働くようになったら、中々そんなに乗れないものです。時間のある学生時代は、周遊券で、急行ばかり乗っていました。
1:19 この頃は長距離列車が帰ってくると、一旦尾久まで推進回送されてそのあと数時間したら今度は東大宮電車区まで回送されました。関東に居ると通常は東京側エンドを昼間に見ることはできないのですが、東大宮へ回送される時に見ることができました。なので東十条の緩いカーブが昼前まで賑わっていましたよ。3:10 モントレー色165系(167系かも)が懐かしい。鉄道ダイヤ情報誌のジョイフルトレイン欄を思い出す。4:21 常磐線の415系はまだ一部は非冷房だったのか~沿線住民だったのに覚えてにゃい。w丸いベンチレータは非冷房時代の名残ですね。16:18 あの「あさま」の塗色はアコモデーション更新車で、シートや内装が国鉄時代から一新されているんですよ。最終的には全てあの塗色になりましたね。
私も、関東地方にはあまり縁がないので、行った時にとにかく来る列車を撮影していました。この中で特急「白山」だけが、地元で見る事が出来る列車です。色々と詳しい情報をありがとうございます。
自分の知らない時代だぁ〜(2004年生まれ)上野おばさんの放送は、子供の頃聞いた事あるから懐かしい!
メッセージありがとうございます。今は新幹線の時代ですね。新幹線が無かった当時は、このような感じでした。
@@HobbyVideos 様上野駅での様々な列車動画を見て、昔を懐かしく思いました。私自身は現在47歳で、当時上越新幹線が無かったときは、母の田舎である新潟県に行くには上越線しかありませんでした。廃車となった「とき」や115系の緑とオレンジのストライプの入った列車に乗って、上野から六日町駅まで約2時間40分位掛かったと思います。結構長時間かかって辛かったです。HobbyさんはさすがYouTubeに載せるだけあって、撮影の仕方が上手ですね。見ていて疲れないし、動画内での音声での案内もわかりやすく、楽しいです。1990年頃は、確か上野から大宮での短期区間でリレー号とかも走ってましたね。あれも懐かしいです。
山手線や大阪環状線は回るので「Choo Choo Train」や「山手線内回り ~愛の迷路~」を聴きながら動画を観たり,その2つの路線に乗ったりします。
なるほど、そう言う楽しみ方もあるのですね。でも、この電車って乗っても椅子に座ると車内の人しか見えないので、楽しくないのでは・・・・それが、楽しいのかな?私も東京の電車に乗って、車内の人を見ると、ほとんどの人がスマホの画面を見ていますね。逆に、スマホを見ていない人が居ないかと探したりしています。
@@HobbyVideos 路線によってこの曲が合うんではないかといういわゆる「音楽鉄」と言ったところですね。
なるほど、私は演歌が好きなので、鉄道に関連した唄を時々聞きます。
この時代に生まれてないもので、ある意味新鮮に拝見させていただきました。超貴重な映像と解説に感謝します!
メッセージありがとうございますこんな時代もあった。今は、新幹線が走る時代。でも、残された在来線は、またどんどん変わって行くかも知れませんね。当然新幹線の車両もね。
国鉄時代の鉄道ファン いずれE235系が古臭いと言われるのですかね...新幹線に関しては今第三世代への移行が著しく進んでいますので、自分の慣れ親しんでいたE4系は東北では見なくなってしまいました。
色々と、変わりつつあるのですね。まあ、クルマと違って、飽きがきたから新車に入れ替えるなんてことは無いでしょうけど、省エネなどの技術の進歩で新しい車両に変わって行くのでしょうね。例えば、直流モーター車からVVVFインバーターの交流モーター車に変わると言う風に。
国鉄時代の鉄道ファン そうですね。もうGTO-VVVFなんかもめっきり見なくなりましたもんねぇ...IGBTも良いですが、やはりなんか音が小さくて物足りないと感じてしまいますね。
その辺の、詳しい事は分かりませんが、北陸本線の方では、681系と683系の違いなのかな?681系は、少しインバーターの音が683系よりも大きいのです。また、681系は、走り出すときに、サイリスターチョッパー制御の音が、最初になってからインバーターの可変周波の音が鳴り始めます683系は、いきなり可変周波数の音がなって走り始めます。
碓氷峠行きましたが、もう廃線になっている、現在でした。私が生まれる前は、ブルートレイン車両などが、走っていたんですね。特急列車が多かった、上野駅も新幹線と上野東京ラインが出来たら、変わってしまいましたね。
今の上野駅って在来線特急は、ないのかな?あの、ストップ線は、そのまま、上野始発の列車が発着しているのかな?また行ってみたいけど、昔の思い出をそのまま持っている方が良いかも。
特急つばさは、福島発のつばさがメインで、上野発は1日2本くらいしか無かったはずです。上野発の特急つばさに乗った事がありますが、旅情感たっぷり味わえました
なるほど、私は学生時代に特急つばさに福島から秋田まで乗りました。でも、夏だったので板谷峠の連続するトンネルを通過中に発電用エンジンが停止し、蒸し風呂特急になり、真室川で停車し、上りのつばさが後三年で脱線したので、新庄に引き返して陸羽西線と羽越本線経由で秋田へ向かいました。これも、また、旅情だっぷり味わえました。
貴重な映像をありがとうございます。尾久には昔は色々ありましたね。懐かしく拝見しました。北斗星はJR東日本とJR北海道でそれぞれ車両を持っていましたね。北海道の電源車はカニ24が足りなくなっていたので50系荷物車からの改造車がありましたね。尾久で入替していた車両がそうです。ですからスシ24のシャンデリア等のいちが微妙に違うのはその為ですね。トワイライトエクスプレスにしてもそうですが24系になっていますが中には14系からの改造車もあります。見た目は一緒ですから‥鶯谷駅で走っていた白い近郊型電車は常磐線の415系です。ひたちの485系は485系の中でも本当に古い車両ですね。クハ481は100番台ではなく基本番台か多かったですから、最後は7両編成になってしまいサロ481をサハ481に改造していたはずです。ボンネットどうしをつないだ14両編成とかありました。それが後々のフレッシュひたちのE653系になって行きます。そうです特急しらゆきの車両です。この頃、上野発の特急列車はあいづ会津若松行きとつばさ秋田行きがそれぞれ残っていました。つばさの485は1000番台です。山手線は205系になってましたね。205系って後には何処にでもありましたが国鉄が初めて作ったステンレス車です。良く見ると1番最初の車両は窓がユニット窓になっています。途中から一段加工窓に変わっています。あさまは、国鉄色、スーパーあさま色等に分かれています。スーパーあさま色はグレートアップ車両です。スーパーあさま色は489系にもありました。白山色はJR西日本の車両だったと思います。急行能登にも使われていました。ふるさとチャイムが付いていて駅ごとにチャイムが違いましたね。北海道に行く客車列車は引戸に改造されました。唯一折りたたみ扉だったのは日本海だけでしたね。それでも函館行きは引戸色もありました。昔は宮原で入替よく見に行ってましたね。小田急は4000系か5000系が走っていますね。代々木で良く見てます。いつも長くなってすいません。貴重な映像をありがとうございます。
つばさの先頭車は1500番台もありましたね^_^
chibita32 さん いつもメッセージありがとうございます。詳しい説明ありがとうございます。北海道の電源車は50系荷物車からの改造なんですか?どうりで、ちょっと雰囲気違うなって思いました。それにしても、この当時は、改造、改造が流行ってたみたいですね。まるで、中古のマイクロバスやワゴン車をキャンピングカーに改造するような感じ。白山は、乗られたのですか?私は、この撮影の旅行で東京へ来る時は、白い白山で、ふるさとチャイムでしたが、帰りに乗った白山は、国鉄色の車両で、昔ながらの鉄道唱歌のチャイムでした。私の別チャンネルで「Japanese rail sound」と言うチャネルがあるのですが、このチャネルに、車窓風景と走行音をアップしています。こちらのチャネルは、ナレーションは無く、ひたすら走行音や、車窓風景のみを流しています。よかったら、BGMがわりに、聞いてみるのも良いかと思います。 北海道へ行く列車で、日本海は折り畳みドアーだったのですね。そこまで気にしていなかったけど、そう言えば、昔函館行ってありましたね。 小田急は、もう夜になってしまって何か分からなかったのですが、来た車両を撮影しました。この当時は、この車両が多かったように思います。
白山には全線ではありませんが、軽井沢や長野、妙高高原迄は乗った事はあります。特急色、あさま色、上垂沼色と一通り乗りました。北斗星の電源車ですが、あの頃は寝台列車のグレートアップの改造で車両が不足していた様です。電源車はマニ50を改造して充当していました。裾絞りがなく屋根も24系に合わした様になっています。JR北海道の車両だったと思います。又、トワイライトエクスプレスは、あさかぜの電源車を使って改造されました。下関あさかぜは12系客車を使いダブルパンのロビーカーが出てきたりと大変な事になっていました。その充当列車は下関あさかぜと瀬戸でした。又、北斗星、トワイライトエクスプレスの中間車両は14系寝台車から改造されたのもあります。元祖的な物は、品川客車区で24系25形が登場した時に食堂車が14系のオシ14から改造されています。尾久の車両は比較的初期車が多かったので老朽化も速かったですね。小田急線は当時、2600形、4000形、5000形って全部小田急顔だったのでどれを見ても同じ様に見えました。
chibita32 さん メッセージありがとうございます。トワイライトや北斗星ってそんなに、色んな車両を改造して出来たのですね。まるで、廃品利用みたい(笑)。で、それを知っているのは鉄ちゃんくらいで、一般の人は、豪華寝台列車に乗って楽しんでいたのですね(笑)。私の友達も鉄ちゃんですが、トワイライトエクスプレスに乗ったのですが、やはり種車が悪いから乗り心地は普通のブルトレと同じって言ってました。その人、スロネの個室に乗ったそうですよ。小田急って顔はみな同じなんですね。阪急もそんな感じだったかな?今は違うと思いますが。
はい^_^廃品利用に近い状態でしたね。寝台列車に限らず、雷鳥やくろしおのパノラマグリーン車や583系の食パン、新車投入がままならない時代でしたから何でも改造投入されていました。特にブルトレの14系や24系は車体の構造は12系座席車から始まる共通構造ですから使い回しが聞いたのだと思います。北海道のキハ183系やキハ400系の寝台車としても改造されています。
この頃がよかったな~
+485 国鉄 さん メッセージありがとうございます。新幹線が無かった時代ですね。
ちなみに、「スーパーひたち」に使用されている651系は、現在「あかぎ、草津」で使用されております。
メッセージありがとうございます。なるほど、知らない場所の情報をありがとうございます。
啓之小寺 でも1000番台に改造されてしまいましたけどね
いつも楽しく拝見してます。今回はとても懐かしく拝見しました。このエリアは私の地元で、白山やつばさを見た時は、新幹線何するものぞと思ったものです。北斗星は高校からの帰りの時間帯と同じで、1、3、5号、それぞれに編成を見て、あの食堂車にいつか乗りたいな…と思ったものです。というのも、開通初日に上野駅にいましたので、生まれて初めて、優等列車の発車の初日を見たという特別な思いのある列車でした。。北斗星最終日、(この時はココが地元ではなくなりましたが)王子駅の跨線橋までいって、見送りました。1、3、5号フルでの映像、本当に感涙ものです。。
メッセージありがとうございます。良い所居お住まいなのですね。私は、田舎なので、移動はほとんどがマイカーです。そんな田舎もんが東京へ行って、色々撮影したのがこの映像です。新幹線ができ、今はがらりと変わってしまったけれども、この当時はそんな事想像もしてませんでした。でも、田舎もんにとって、1つだけ思ったのは、今、ここで撮影出来る今走っている列車は、私はもう2度と撮影できないだろうな!って思いながら撮影しました。北斗星は、北海道まで行ける寝台特急ですが、豪華な個室などは、なかなか切符が取れないと聞き、あまり好きにはなれませんでした。当時は、特急白山が、ここを通る列車で私の住んでいる石川県へのアクセス列車だったのです。
東京遠征の映像と言っても、もうほとんどアップしてしまいました。後は、特急白山の映像を考えているのですが、まだまだテープに入っていて、まずはそのテープの整理からやらないと作れないので、まだまだ、時間がかかりそうです。
白山の映像!これは期待しちゃいます。というのも、私が幼少の頃に乗った優等列車は「白山」か「あさま」でした。トイレから、穴の中を走りゆく線路を不思議に思ってみてましたww白山の食堂車も行った記憶があります。白山に限らず、食堂車の映像もありましたら、ぜひぜひご教授ください。もちろん、国鉄時代の映像なら、どの映像でも楽しみにしております。ご多忙の中、ご返信を続けて賜り感謝します。これからも楽しみにしております。
残念ながら、白山はJRになってからの、国鉄色が色あせたような、白山色と言われる時代の映像なのです。比較的新しいので、まだパソコンにも入れてない状態です。なので、食堂車はもう連結されていませんでした。しょっと変わったビュッフェ風の車両がありました。あまり、期待しないでくださいね。
4:11辺りに写っている常磐線の車両は401系か403系(非冷房)ですね。当時は、まだ非冷房の車両が走っていました。但し、この当時も非冷房の常磐線は?車両は冬季だけでしたが。
よけ さん メッセージありがとうございます。白い色の車両ですね。非冷房ですね。これ、撮影したのは、11月後半なので、もう冬季の運用だったのかも知れませんね。私、この車両の形式が分からないのですが、401系か403系なんですね。ありがとうございます。
そうなんです。実は、この1年前から常磐線の401・401系(415系の方はずっと冷房車でしたが)は夏季はオール冷房車になり、冬季近くになると非冷房の車両が戻ってきたのでした。尚、変な話ですが、この非冷房の401・403系はトイレがタンク式になっておらず(ただ、単なる垂れ流し式ではなく、粉砕式という物でした。)トイレを使用すると線路が見えたのです。
+よけ さん メッセージありがとうございます。401系や403系は、私はあまりなじみが無かったので、あまり良く分かりませんが、トイレの粉砕式と言うのは、初めて知りました。線路が見えるのは、垂れ流し式と同じですが、垂れ流すときに、なんかプロペラみたいなもので、霧状にして、ばらまくのかな?駅に到着したら、汚くって車体を手で触れられないかも(笑)今は、真空の大きな音が鳴る方式ですね。
そうです。近郊型でもJR東日本のE531系、E231系、E233系JR西日本の225系、227系は真空式です。因みに、芸人の中川家の弟の礼二はこの真空式トイレの音のモノマネをやっております。上野東京ラインの開業で上野駅の地上ホームもすっかり寂れてしまいましたね。特に、16、17番乗り場は日中に発着する旅客列車がなくなってしましました。
北海道へ行く列車は、凍結防止の為引き戸になってます。
やはり、北海道の車輛はブルートレインも引き戸ですね。キハ181系は、初めから北海道には使わない設計だったのでしょうね。大阪発函館行の日本海は、折り畳みドアーで函館まで行っていました。
特急「谷川」号は、赤羽駅に停車していたので、「谷川」号の尾久駅の通過速度が、赤羽駅は通過していた特急「あさま」号よりも遅いのではないでしょうか。
通過速度までは、分かりません。
’90年頃の上野周辺の鉄道風景映像、懐かしいですねぇ。JR時代の車両苦手・・・ごくごく最近(令和時代)の車両を覚えるのも大変ですね(笑)。最初に出てきた尾久客車区で入換していた北斗星車両はJR北海道車を使用した「北斗星3号」用の編成ですかねぇ・・・。全車ロビー車が連結されていますから。電源車がマニ50形から魔改造された車両でマニ24ー500番台、JR北海道とJR東日本に1両ずつありました。
うわ~詳しいですね。私は、石川県在住なので、関東から北海道関係は苦手なのです。北斗星があったというくらいしか知らないので、ただ、色々な車輛の改造の寄せ集めと言うのは、食堂車を見れば、解りました。でも電源車までは、分かりませんでした。 私もJRになってから、特に最近の車両はなじみがなく、良く分からないです。あまり興味もわかないのかな。
Rail way.com さん メッセージありがとうございます。特急しらゆきは、E653系なんですか?今まで日本海をバックに485系が走っていて、演歌が似合いそうな風景だったのですが、しばらくは、ちょっと想像が付かないですね。 まあ、北陸本線に初めて681系が走った時も、そんな感じでした。やがて、これが、当たり前になるのでしょうね。そして、このE653系も遠い未来また見られなくなる日が来るのでしょうね。 時の流れって、知らないうちに過ぎ去っていくようです。
+国鉄時代の鉄道ファン 特急しらゆきは元E653系です
貴重な映像ありがとうございます。私が生まれる9年前ですがこの頃の上野駅はいいですね。北斗星も北海道編成と東日本編成でかなり違いがあったのでおもしろいですね。
私は石川県に住んでいるので、あまり東京へ行く機会がないので、行った時に少し撮影した映像なのです。北斗星も、この時の撮影が最初で最後かな。
昔TOMIXで、北斗星の北海道編成と東日本編成の違いを忠実に再現されてましたね。
上野駅は国鉄時代によく利用していました。親父の田舎の山形に行くのに「つばさ」で、家族で軽井沢へ行ったときは「そよかぜ」とかを使いました。JRになってからは大学時代に北海道へ卒業旅行に行くのに「北斗星」に乗って、初めてのひとり旅を楽しみましたね。長くなってすみませんでした。
’90がついこの前と思ったらあれから既に25年も経ってるんですね!これはエル特急「あさま」や「ひたち」がまだ元気だった頃の映像でしょうか。昔、尾久駅と隣接する田端機関区へよく観に行きました。この時期に同時発車を見られたのが「ひたち」と「あさま」ですが、東北新幹線開業前には上野同時発で「ひばり」と「ひたち」の並走シーンを味わったのを思い出します。この頃はまさに上野口の黄金時代でした。晩年は食堂車こそ外され塗装まで変えたものの、白山は最後まで北陸の直通特急として残ったのが良かったです。当時、上信越の特急・急行は上野駅の上のホームが発着線で下が東北本線でしたからかなり賑やかでした。189系もこの頃からグレードアップ色に塗り替えられ徐々に国鉄色が消えてしまったようです。今となっては「スーパーひたち」の651系も常磐線から既に引退し窓下にオレンジの帯を入れた「草津」や「スワローあかぎ」の群馬アクセスとして左遷されてますね。懐かしい映像ありがとうございます♪
1991xrider さん メッセージありがとうございます。そうですね。本当に月日が経つのが速いです。この当時の私は、東京は、右も左もよく分からない状態で、地元金沢からの白山だけが、唯一知っている列車てな感じでした。まあ、車両の形式は、485系189系など、まだ付いて行けましたが、山手線の205系は、全然分かりませんでした。 この当時、私が驚いたのは、客車列車がバックで普通の速度で走っているのには、驚きました。バックと言えば碓氷峠のEF63が、有りましたが、この都会で115系なんかの電車に交じって、普通の速度でバックで走っているのは、何ともいえない違和感があったのです。でも、東京ではそれが当たり前、伝統なんですよね。
国鉄時代の鉄道ファン さん、ご返答ありがとうございます。仰るように、地方の方が列車が後退で本線を一般速度と同じ光景を見るのは珍しいかと思います。機関車牽引の列車が上野に着いた後に車庫へ回送させるのに機関車の付け替えとなると東京駅のような専用に線路を側線に設けなければならず、スペース上不可能でしたのでそのまま推進(バック)で持って行ったのです。これには規定がありまして進行方向となる最前部に客車ブレーキ操作のできる運転手が乗務して無線を使って後部の機関士と連絡をとり標識等や信号の前方確認ができる運行であれば45km/h(無しの場合25km/h)まで許されているのだそうです。まさに上野口の風物詩ですね。車両の種類については都会の電車は東京に住んでいる私でさえ分からない形式が多々ありますよ。いつのまにこんなのが出てきたのかなと・・・笑JRになってからは更に分からなくなってきてます。映像の205系も103系の置き換え用でしたが東京都内ではすでに姿を消しています。京浜東北線の103系の後継車ではその後205系を導入することなくVVVFの209系にグレードアップされました。山手線や京浜東北線で私が一番印象深いのはやっぱりゲタ電こと103系ですね。
1991xrider さん メッセージありがとうございます。上野口の風物詩って本当に、珍しいと思います。詳しい運行規定のご説明ありがとうございます。昔は、当然電車よりも機関車牽引の客車列車ばかりだったと思うのですが、その昔から機回しのできないストップ線で、このような、バック運転での方法で、入線、引き揚げを行っていたのでしょうね。昔は、それが当たり前だったのが、他の終着駅では、このような方式は、取り入れられず、上野駅だけが、昔の方式を維持してきたのですね。今更駅を改造する事もなく、これまで通り、バックでの入線、引き揚げを行っているようですが、それが、とっても珍しく、新と旧が存在する東京って言う感じがします。103系ですが、昔は電車の色が違うだけで、みな103系でしたね。ちょっと話変わりますが、山手線の103系のATCの付いた高運転台窓の車両の黄緑と、以前の普通の窓の運転台の黄緑と、微妙に色が違っていた事がありました。
国鉄時代の鉄道ファン さん、ご返答ありがとうございます。103系が非冷房の時は私も少年の頃でしたので車両の色彩にはさほど気には留めていませんでしたが、ご指摘のように山手線の黄緑6号(ウグイス色)が年代によって微妙な差があったかもしれません。晩年のATC高運転台からクーラーが搭載されるようになってからは、初期の非冷房の中間車と混結編成がありましたが編成で見ると同じ色にしか見えませんでしたね。恐らく車検で塗料の調合を合わせたのかもしれませんが。それから新型の205系と相互運用するようになってからは103系の色も明るい緑色7号(グリーン車マーク)の色に近いような気がしました。これも私の気の性かもしれませんが。とにかく当時の103系はスピードを上げると縦揺れが酷く乗り心地が他の民鉄の通勤形に比べると悪かったですね。逆にこれが楽しいと思ったこともありましたが!笑蒸気時代から続いた上野口の推進走行は今年で北斗星が廃止となることもあって残るカシオペアが最後の定期列車となり臨時やイベント以外に観れなくなりますからまた一つ上野~尾久間の伝統が消えてしまい寂しくなりますね。
1991xrider さん メッセージありがとうございます。山手線の高運転台の走り始めたころ、私は高校生でした。わざわざ、東京まで行って、その車両の写真を撮影し、また古いほうの車両も撮影して奈良に帰りました。写真を現像してみると、色が全然違うのです。人間の目は、それなりに調節をして見ているので、気が付かなかったのですが、写真機では、はっきりと色の違いを見せてくれました。その時のネガ、まだ探せばあるかな?あれば良いのですがね。上野口のバック運転は、カシオペアだけなんですね。でも、カシオペアってあまりバックって言う感じがしませんね。そう思うのは私だけかな?
3:25〜に写ってる山手線の205系は田窓なので恐らく量産先行車ですね〜(今でも富士急で使われてる奴)
メッセージありがとうございます。その辺は、私も詳しく分かりませんが、他にメッセージを頂いた方も、量産試作車だと言ってました。
北へ行く客車は雪が噛んだりして折り戸だと開かなくなるんで引き戸なんですよね。引き戸になっても凍ってしまいますが・・・笑
ペガサス さん メッセージありがとうございます。なるほど、開かなくなるのですね。北海道の車両には、それなりの理由があるのですね。だから、キハ181は、北海道では、走らなかったのですね。
大阪アサヒ屋のマッハ模型?
行った事がありますよ。首を振る癖の店員のおじさんが大人気の有名でした。
最近は尾久,田端辺りも線路が寂しくなりました。この頃の白山は2往復してたんですね(=^_^=)
はい、白山は2往復はしっていました。今は、寂しくなったのですか?走る列車が普通か快速になってしまったためかな?新幹線が、楽しくなってきた時代ですね。
@@HobbyVideos 様尾久駅のホームから車庫の方を見ますと昔は寝台客車がずらりと並んでいましたが今はガランとしており、ホームに来る特急も上越線吾妻線の「草津」か通勤特急位になってしまいました。
北斗星3往復時代、1・2号はJR北海道編成、3・4号はJR北海道と東日本が隔日で、5・6号はJR東日本編成と決まっていました。晩年には「はまなす」専用みたいになってたオハネ24・500番台(元オハネ14)やマニ24電源車(元マニ50)の姿が懐かしいですね。北海道へ乗り入れの客車はドアが引戸に改造された上、ドアレールにヒーターもついています。普通の折戸だと北海道の雪は粉雪なのでデッキ内まで吹き込んでしまうし、雪を挟みこんだり最悪凍結して開閉できなくなります。
メッセージありがとうございますなるほど、折り畳みドアーだとそんな事になるのですね。でも、スライドドアーでも粉雪が車内に入って来てました。また、そんな理由でキハ181は、北海道では活躍できなかったのですね。
いい動画ですね。私の生まれた時はすでに碓氷峠はなく、新幹線でした。小さな頃に鉄道文化村によく連れて行ってもらったものです。特急亡き後の上野駅は寝台特急が主役みたいでした。東京に野球を見に行きその帰りに寝台特急を撮って帰ったのもいい思い出です。一つ気になったのが北斗星1号の推進回送と出発の時の電源車や釜のナンバーが違ったような気が…。でもマニ24とか81の北斗星いいものですね♪
メッセージありがとうございます。私は、鉄道文化村が出来てから、全然軽井沢付近には行っていません。鉄道文化村も行ってみたいなって思っています。電源車や釜のナンバーまでは、私もそこまで詳しく調べるほどのマニアではないので良く分かりませんが、当時の列車はこんな感じだったのです。
現在の特急しらゆき、特急いなほの車両はE653系です元は常磐線の特急フレッシュひたちの車両です
そうらしいですね。私はまだ、そのE653系のしらゆきは見たことが無いのです。一度見てみたいです。私の知っているしらゆきは、キハ28・58系のしらゆきです。
僕の祖父は、鳥栖駅にあった転車台のところで働いていた。国鉄時代は、定年が55才だった。貨物の連結は、動いてる貨物に飛び乗りハンドブレーキで調節しながら連結すると聞いた
貨物の連結作業、しているのを見た事があります。確か、ハンドブレーキを足で踏んで調整するのではなかったかな。
北斗星が1号~6号、さらに多客期81号82号にエルムまであった時代に今のカメラ持って帰りたいですね。頼むよドラえもん
そうですね。でも過去を変えてはいけないと言うルールがあるので、撮影だけなら、過去が変わらないから良いのかな?
国鉄色はかっこいいですね
+風間佑介 さん メッセージありがとうございます。国鉄時代は逆にこればっかりだったんですよね。電車は、181系183系189系381系485系489系781系などなど気動車は、80系181系183系でも、この色って今から思えばかっこいいのかな。雪の中でも、夏の緑の中でも映えますよね。
懐かしいですねぇ。当時の上野駅地平ホームは東北・上越新幹線の開業で東北筋の在来線特急・急行の殆どはなくなってしまいましたがまだまだ活気がありましたね。青函トンネルブームも手伝い、北斗星が三往復も運転されていたなんて今では語り草ですね。 489系ボンネットも白山色に塗り替えられた当初は「…なんかビミョー」と思ってました(笑)。やがて冒頭にも登場した横軽が廃止され、これで見納めかと思っていたら急行能登や北越急行はくたか(臨時便)で残ることが決まり、しかも国鉄色復活で大喜びしたのを覚えています。これ等も全て過去の思い出になってしまいました。
Akira Endo さん メッセージありがとうございます。この当時は、東北、上越新幹線が開業した後だったのですね。その前ってもっとすごかったのでしょうね。仙台へのひばり盛岡へのやまびこ青森へのはつかり山形へのやまばと会津若松へのあいづ・・・・これが、この当時残った。秋田へのつばさ・・・・・・これも、この当時残った。特に、つばさが、気動車だった時代は良かったでしょうね。白山色なんですが、聞いたところによると、この電車、直江津からJR東日本の運転手が運転するんだけど、なんかこの電車で東京を走るのは恥ずかしいって言うような事を聞いた覚えがあります。(笑)私も、最初あの塗装を見た時は、「何これ(珍百景)」って思いました。
流石上野駅という列車の多さ国鉄時代の列車には熱の入ったナレーションですね!
夏の入ったナレーションに感じました?特に気にしないでやってますよ。
485系「つばさ」はこの当時、現在の山形新幹線のルートを通っていましたね。新幹線開通後は485系がはつかり・いなほに転じました。
メッセージありがとうございますつばさ は、奥羽本線経由の秋田行きだったので、現在の山形新幹線のルートですね。はつかり、いなほに転じた485系も今はもう無いのですね。学生時代、奥羽本線の山形から秋田間が電化される前にキハ181系のつばさで、福島から秋田まで乗りました。ところが、上りの特急つばさが、四ツ小屋で脱線事故を起こし、私の乗っていたつばさは、新庄まで戻って陸羽西線と羽越本線経由での運行となりました。
キノコ型クーラーは、ひたちの指定席で乗った際に効きが悪くて辛い思い出が・・・
+dw5wbin さん メッセージありがとうございます。あの、クーラーって1個1個にスイッチが付いていて、調節が出来るはずなんですが。弱になってたのかも知れませんね。車掌さんも気が付かないまま。私は、昔真夏に特急やまばとクハ481-101に乗りました。その時はクーラーが効きすぎて、寒いくらいで、時々デッキにあったまりに行きました。辛い思い出が・・・(笑)
E653はフレッシュひたちデビュー時から次期転属崎は新潟に決まっていたらしく簡単な改造で上越 北陸本線に投入できるように準備されていたみたいです
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。ちゃんと計画性があるのですね。国鉄時代は、そんな計画は、無かったのかも。でも、485系1500番代は、当初北海道の交流専用の車両が設計に間に合わないため、実績のある485系で1500番代を作り北海道で使い、最終的には、白鳥で使う予定で作られたとか、まあ、その辺は計画性もあったみたいですね。
いつも動画をご覧になっております。動画の最初のほうで、「碓氷峠のほうもまた、特集でアップします。」と言っていましたが、できればそろそろアップしてくれますか?お願いします。
メッセージありがとうございます。そか!すっかり忘れてました。碓氷峠はもう他の人が一杯アップしているので、そんなに慌てなくてもいいかなって思ってたのです。ちょっとまだ、ビデオテープからパソコンに入れてないやつもありますので、もう少し時間がかかります。ごめんなさい。
ありがとうございます。
置き換えの話が出ている「スーパーひたち」の651系がまだ新品で、それ以外に存命なのは上越特急の185系のみ、それ以外の車両は全て過去帳入りしてしまったのを見ると、ああ大昔だなあという気がします。最後に出てきた小田急の車両さえももう現在はいないのではないでしょうか?実は「北斗星」の他に「エルム」というB寝台のみで組まれた臨時列車が多客期に走っていたのですが、この年の9月に今は亡き親父をその「エルム」に乗せて苫小牧まで連れて行きました。「北斗星5号」のさらに20-30分後に上野を出、函館に朝7時半頃着くのですが、大半の客が函館近辺までで降りてしまうのでそれ以遠は車内はがらがら、加えて臨時列車なのでのんびりしたダイヤが組まれていて車窓からの北海道の景色を堪能しながら長時間停車の長万部で駅弁を渉猟(「かにめし」を買おうとしていた我々の向かいに座ったおじさんに、ここの「もりそば」は美味いと教えてあげました)、苫小牧には11時半頃に着くという優雅な列車でした。その後も何度か「エルム」の世話になりましたが、最近企画されているような贅沢な車両で無くてよいからこういう旅が出来る列車が欲しいです。
ああ、「スーパーひたち」はもう置き換わったんですね。上野口の185ももういないのか。僕も浦島ですね。
エルムって言う列車は知りませんでした。でも、結構北海道に行かれているのですね。私は、列車で北海道へ行ったのはたった1回だけ・・・・と言うより、そんなに何度も北海道へは行ってないのです。長万部は「もりそば」がおいしいのですか。それは知らなかった。ほんと、こういう旅ができる列車があれば良いですね。でも、結局みんな乗らないから廃止になったのでしょうね。 まあ、私も最近のJRの列車はあまり興味がなく、浦島太郎になっていますよ。
長万部の「もりそば弁当」、冷たいそばは今でこそコンビニで簡単に手に入りますが、昔、冷たいそばを駅弁にするというのには並々ならぬ苦労が有ったと聞きます。「かにめし」みたいな超メジャー商品があるのになぜもりそば?という気もしましたが、駅職員向けだったのかな?でも僕はもりそばの方が好きだったな。
いつも楽しく拝見しています。山手線なんてわざわざ映すかなぁ、の映像、しっかり205系試作車(量産先行車)撮られてますね。懐かしいです。
メッセージありがとうございます。205系試作車・・・・どれがどれだか、全然分からないまま、来る列車を撮影していたのです。
けいせんさん メッセージありがとうございます。あの、夜の小田急の映像で、そこまで形式が分かるなんてすごい!私は、あの当時、初めて見る車両ばかりで、何が何なのか分からずただ、撮影するばかりでした。
当時北斗星3号ってオール開放B寝台なんでしたっけ?
メッセージありがとうございます。そのへんは、良く分かりませんが、個室とか連結してなかったでしょうか?
タキシードボディの車両は651系ですね。しらゆきはE653系です。私は物心がついた時にはすでにほとんどJR型の特急だったのでそんなに抵抗はありませんがそのぶんより一層国鉄型車両に憧れます。あと最近の新型車両はほぼ苦手です笑
メッセージありがとうございます。私と同じですね。私も最近の新型車両は、苦手です。あまり魅力を感じないのですね。これも年のせいかもね。
懐かしい映像ですね、たしかこの当時特急つばさは1往復か2往復は上野発着。それ以外は福島発着で秋田迄に行ってた気がします。間違ってたらごめんなさい。上野駅の構内放送最近聞いて無いな
私は関東地方の鉄道は、詳しくないので、ただ、来る列車を撮影していただけなので、つばさの上野発着の数までは考えていませんでした。
常磐線の快速懐かしい ボンネット特急も懐かしい
メッセージありがとうございますこの当時は、普通に走っていた列車なのにね。今は、懐かしい車両となってしまったみたいですね。
ちなみに白の常磐線は私の地元の415形です
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。そうなんですか?なんか大雨の被害も有ったみたいですが、大丈夫ですか?
北海道に折りたたみドアがないのはもしかしたら折りたたんだ時に雪が挟まって動かないとかじゃないですかね
メッセージありがとうございます。まあ、詳しい事は分かりませんが、どうもそのようです。
国鉄時代の鉄道ファン そうだったのですね。
115系は懐かしい、グリーン車がついてないのもいいのでは、サロ115?
そか!グリーン車なんてこの当時は気にしていませんでした。今は、連結されているのですね。
@@HobbyVideos 東海道本線東京口普通111系のグリーン車だって153系のサロ153の格下げサロ110+サロ111新造(当時は2等車)、80系2等車、サロ85継続で進化して111(113)系に継承。
つばさの上野方先頭車は1500番台かな?
Queen Jack さん メッセージありがとうございます。すごい!あの一瞬の映像でそこまで見てるのですか?多分ですが、1500番代のようですね。屋根には形式書いてないので、屋根に付いている機器で判断すると、どうもそんな感じです。
北海道にも書類上はサハネ581?がいたような気がするので全く折戸式のドアが無かったことはないかなぁと思います。それにしても、これらの映像凄いですね~ ただただリアルタイムでみたかった
メッセージありがとうございます。なるほど、でもなんでサハネ581が北海道にいたのかな?新幹線が走る前なんですね。
国鉄時代の鉄道ファン 何ででしょうね~ただ、一度も本線走行を行わずに廃車になったそうでその台車がクリスタルエクスプレスに一部流用されているとか
一度も本線走行をせずに廃車?そんな事やってるから、国鉄は赤字になるのですね。
489系いいですね~。特急しらゆきはE653系で、現在651系は水上とかあかぎに使用されています。
今、尾久車両センターには役目を終えた24系客車が留置されてます。方向幕も外され、見るに耐えないです。
+supermorikun さん メッセージありがとうございます。もしかして、北斗星の車両かな?誰か大富豪が買ってホテルでもやれば良いのにね。
JR車両苦手…仲良く出来そうですな笑
ご心配ありがとうございます こちらは被害が少なかったですが県南部はひどい見たいです
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。そうですか。被害にあわれた方は、本当にお気の毒です。今回の台風は石川県の方に来たみたいなのですが、こちらはあまり被害はありませんでした。石川県も、8年ほど前、市内を流れる浅ノ川が氾濫し、観光地になっている市内が、被害を受けました。でも、今回の東北の被害に比べたら、ほんの僅かな区域だったのです。こちらも、自然の災害は無いとは言えませんが、住んでいて、意外と少ないように思います。 ただ、北陸本線は、強風で時々電車が運転見合わせになります。
2歳の北斗星カニがみたことない車両
私が関東に来た時には、横川はとっくに分断されており、魅力的な列車たちは全部展示物になっていました。せめてもと、釜飯を戴いて帰ってきました。今でも丼鉢代わりに使っています。
Mack Rick さん メッセージありがとうございます。と言う事は、長野新幹線が開業していたのですね。でも、釜飯を買ったと言うのはさすがですね。当時は、ある業者が横川で機関車の連結と切り離しで全列車が4分停車する事に目をつけ、商売を始めたのが、峠の釜飯だったのですが、私は、横川駅で、釜飯を買った事が一度もないのです。 いつも、機関車の連結や切り離しを撮影していて、一度も買ってないのです。
へぇ••••••••••。 昔は上野から秋田や長野とかに行く列車があったんだ•••••
高野義行 さん メッセージありがとうございます。そうなんです。昼行の列車はもちろん、夜行列車も一杯走っていました。急行なんかは、座席と寝台なんかで、旧型客車と10系寝台でした。101列車は、東北本線経由 青森行201列車は、常磐線経由 青森行401列車は、東北、奥羽本線経由 青森行601列車は、高崎、上越線、信越本線、北陸本線経由 金沢行などなど、寝台特急も一杯走っていました。でも、もうそれも昔の思い出となってしまいましたね。今では、鉄道模型で再現するしかないのかな。
上野駅と言えば、東北新幹線 上越新幹線を忘れていませんか。
忘れていませんよ。
語りがじゃま テロップにして 音を聴きたい
まあ、色んな人が居ますからね。私は私流でやっています。
チャンネル登録しました。今は無き碓氷峠、北斗星、新特急谷川の堂々の14両等、懐かしい国鉄車両の数々ありがとうございます😄
チャンネル登録ありがとうございます。昔は色々と走っていましたね。
今は新幹線が色々楽しくなってきた時代かもね。
0:45に出てくる115系は1000番台でしょうか。
90年代に入っても冷房準備状態で冷房が載っていない車があったんですね!?
番台までは、よくわからないですね。
7:22 「これはなんか分からないんですけど、電気機関車と1両」
試6992レですね。
大宮工場への入出場回送を兼ねた試運転列車として、田端区の電機が尾久のマニ50をお供に高崎まで毎平日往復してました。
午前中に尾久始発で試6991レとして高崎に向け出発し、途中大宮で尾久から牽引してきた大宮入場客車を解放、
反対に大宮出場客車を連結し、お昼前に高崎に到着。
そのまま午後に高崎から折り返し試6992レとして出発し夕方前に上野に到着し(これを鶯谷で捉えたのが本動画)、
上野からは回6992レとして尾久に向け推回するという運用でした。
土休日以外、毎日運転されていた(そのため列車番号の上一桁も臨時の8・9でなく季節列車を指す6)ものの、
客車の入出場がある日の方が少ないので、控車のマニ50のみを牽引して高崎まで往復することの方が圧倒的に多かった列車で、
「高崎試客」として呼ばれていました。
尾久客車区所属車の大宮入出場用に主に設定された列車でしたが、高崎客車区所属車の大宮入出場に用いられることもあり、
この場合、出場であれば往路の試6991レにて大宮で客車を連結し高崎で解放、入場であれば高崎で客車を復路の試6992レで連結し大宮で解放という
パターンもありましたし、高崎客車区ないし高崎運転所所属の車両を尾久客車区で開催するイベントに出張させる際の、回送列車として
使用されるケースもありました。
国鉄時代から設定されていた、半ば定期列車然りとした無駄な往復ダイヤでしたが、民営化20年周年を控えた2007年3月のダイヤ改正で廃止されました。
詳しい説明ありがとうございます。
勉強になりました。
この時代にタイムスリップしたい。
この頃私は小学生でしたが、学級崩壊していた学校に無理やり通うくらいなら、学校抜け出して上野駅で国鉄車輌追っかけしたかったですね。
「学級崩壊した学校サボって、鉄道追っかけ」
なんか響きいいですね。
学級崩壊していたのですか?
ところで、学級崩壊ってどうなる事なのかな?
タイムスリップはできないから、今を精いっぱい楽しみましょう。
1985年3月以降、上野始発の昼間の特急列車はひたちとあさまの2トップになったな。
新幹線開業のためですね。
気が付いてみれば、客車列車、機関車増結けん引、寝台客車、平成の30年間に全滅した感が有ります。
大井川鉄道がさらに貴重に見えてきました。寝台車はありませんが。
映像ありがとうございます。
そうですね。機関車牽引列車は、ほんと無くなってしまいましたね。
みな、乗らないのかな?
時代も、お客のニーズも変わって来たようですね。
これからは、長距離のカートレインの時代ではないかと思います。
私も上野駅で到着の夜行列車を撮りました。その時は一番最盛期でした。当時は愛知県の豊橋駅から東京駅まで大垣発の165系の4➕8の12両編成の夜行電車に乗り、東京駅に到着したあと、山手線の始発に乗り、上野駅で降りたあと、すぐに撮りました。その後の大垣発東京行の夜行電車は3➕8の11両編成になってしまいました。6時58分着の列車で一度終了して、京浜東北線か山手線に乗り、東京駅で降り、構内のグリーンけやきでおかゆ定食を朝御飯にして食べました。その後は中央線快速で新宿か中野まで行き、電車を撮り、9時12分着の北斗星2号があったため、上野に戻り、撮影したあと、15分着、10時12分着の北斗星4号、11時12分着の北斗星6号を撮影して、上野駅をあとにして、再び京浜東北線か山手線に乗り、東京で降り、東海道新幹線の自由席特急巻を買い、入場後、駅弁を買い、昼御飯代わりに車内で食べ、豊橋に帰りました。その時はまだ二十歳代で年号が昭和から平成に変わったばかりでした。当時は583系寝台特急ゆうづル号が2往復の時で2号、4号が続けて17番線、18番線に入って、到着した直後を撮影しました。以上
やってますね!貴重な映像が一杯撮れたようですね。
私も、この当時は東京にはほとんど行かなかったので、この時くらいしか撮り鉄はしていませんでした。
通過中の列車の風圧がすごいので、気をつけて撮影しないと、飛ばされそうになりますよね。 「つばさ」は、電化されていましたね。僕らの時代の「つばさ」は、キハ181系でした。鶯谷駅のホームから、下り「つばさ」が、軽油の煙りを吐きながら走行してた風景を見ていました。
キハ181系のつばさですね。私は奥羽本線が電化される年の夏につばさなどを撮影に東北旅行をしていました。
キハ181系は、発電用エンジンが止まることで「蒸し風呂特急しなの」なんて言われてましたが、私は、この旅行の時に、せっかくだから乗っておこうと、福島から秋田まで乗りました。つばさも、やはり板谷峠に入ると、発電用エンジンが止まり、「蒸し風呂特急」になりました。次のトラブルは、上りのつばさが、四ツ小屋駅で脱線して、私の乗っていた秋田行きのつばさは、新庄まで戻って陸羽西線経由で秋田へ行きました。
まあ、トラベルとトラブルは、紙一重かもね(笑)
@@HobbyVideos 国鉄時代は、トラブルありきで、旅行する覚悟でいないとダメなのでしょうね。長距離列車ではありませんが、通勤電車おもに、当時は、103系の山手線がしょっちゅう止まっていました。なので、出勤する時は、止まる事を予測して、早い時間に出勤していました。
いいカメラですね。かなり高価な時代でした。たくさん撮影されてますね。すごい❣️
今となっては、時代遅れのカメラです。
東北新幹線開業前、上野駅に何回も撮影に行ってました。上野~盛岡間の寝台特急北星の写真も撮りました。当時は特急、急行ばかり、特急、急行の合間をぬって普通電車が1時間に数本の時代でした。そんな時代を経験出来て鉄道ファンとして幸せでした。
今は、新幹線がいっぱいの過密時代ですね。
時代も変わったもんです。
湘南色115系7両編成は恐らく東北本線でしょうね。自分は東北本線久喜駅で7両編成はよく見かけました。ただ 自分も記憶定かではないからひょっとしたらあれですけど😅少なくとも自分は高崎線方面 7両編成は見た記憶がないので。
なるほど、東北本線は、7輌編成ですか。高崎線はもっとつないでいたのかな?
私も、関東地方の事は、ほとんどわかりません。
こんばんは、
食堂車のスシは485系のサシでしたね。今となっては懐かしいです。
仰る通りオリジナルのオシ24を使えば編成美は保たれましたね。。。
冬季に折戸ドアは凍結して開かなくなるそうで、北海道の引き戸車両の戸袋にはヒーターを備えたそうです。
北斗星の食堂車のことですね。
種車が485系の食堂車が一杯有ったのでしょうね。
トワイライトエクスプレスのスシ24なんか、キノコ型のクーラーでしたからね。
やはり北海道は、折り戸はダメですか?
でも、特急日本海が、折り戸で函館まで行っていたように思うのです。
これは、これで、珍しかったと言う事ですね。
貴重な映像を残して頂きありがとうございます!
2000年代後半生まれなのですが、90年代の鉄道に対して興味があるので観ることができて嬉しいです
どういたしまして!
もしタイムスリップができるのならばJR型と国鉄型が混ざっているこの時代に行きたいと思っています(鉄道が好きになった理由の9割は国鉄型なので)
折り畳みドアは雪に弱いですからね。
折り畳みドアの車両が入線した事はあるらしいです。
北海道ですね。大阪発の特急「日本海」が函館まで行っていました。
たしか、この車両は折り畳みドアーではなかったのでしょうか?
@@HobbyVideos そうだったような気がします。東日本の12系も増便で北海道入りしてましたがこれも折戸でしたね。
道南ならまだ大丈夫なんですかね…。
0:19 の489系ボンネット[白山]は国鉄色ですが、リニューアルで白山色に塗り替えられましたよね。
末期は国鉄色に戻されましたけど、この撮影時は国鉄色で側面にJRマークが付いていたのでしょうか?
この撮影年に生まれ、私が物心付いた頃には全て白山色でしたので。
この時代、国鉄色、白山色300番代、白山色100番台と3編成走っていました。
順番にローテーションしていて、この時は、たまたま国鉄色が来たのです。
@@HobbyVideos
返信ありがとうございます。
バリエーションが多くて、一番良い時代だったのですね。
かもしれません。
逆に、今は新幹線のバリエーションが多くなりましたね。
いつも懐かしい鉄道映像をありがとうございます。
拙者は尾久駅から下り方面へ少し行った、王子駅から線路を挟んだ飛鳥山公園で、土日など飽きずに鉄道を眺めていました。
信越、上越、東北方面の特急や急行が、新幹線開通とともに姿を消していったのは子供心に寂しかったものですが、今となっては貴重なこうした映像を残してくれた方がいることは幸せなことです。
メッセージありがとうございます
やはり、子どもの頃って何もかもが新鮮で、頭に焼き付いているものですね。
でも、それをいくら口で行っても、絵に描いても、やはり百聞は一見に如かずと言う事で、ずべてを伝えることができないですね。
この当時の動画を残す機材が一般市民の手に入る価格で、あった事。
そして、今日インターネットでこうやって公開できる事。
この技術の進歩にも感謝です。
この当時の映像なんかは、自己満足で撮影した映像ばかり、それを多くの人にお見せできるのも、インターネットのお陰ですね。
ご自分の声で昔の電車の画像を解説していただいてありがとうございます。この時代を知らない今の若者にとってはとてもいいお勉強になりました。
Спасибо за сообщение
昔の画像で、画質も悪いのですが、色々とありますのでアップしています。
電源車がまだ改札口に付いていた時代ですね。
電源車が並んで止まる夜は、改札がうるさく賑やかだったのを思い出しました。
北斗星の4号以外は乗りましたが、東日本のソロは狭かったなぁ~、食堂車はパブタイムだけ使いました(フランス料理のフルコースは手がでない)
北斗星には、ずいぶん乗られたのですね。
私は、北斗星も、トワイライトエクスプレスにも乗った事が無いのです。
ところで、フランス料理のフルコースっておいくらでしょうか?
楽しく拝見しております。9:57の北斗星の入線ですがJR北海道編成で全室ロビーなので3号のようです。「国鉄時代の鉄道ファン」からお名前変えられたのですね。
はい、チャンネル名を変えました。鉄道以外の動画もアップしますので、またよろしくお願いします。
鉄道もどんどんアップしますよ。
@@HobbyVideos ご返信いただきありがとうございます。10系寝台の動画等古い動画等があればまた上げてください。楽しみにしています。
651系スーパーひたちは、現在は、スワローあかぎ号で活躍中です。
なるほど、スワローあかぎですか、なんかしらゆきでも活躍しているのではないかと思うのです。
最初ひたすら山手線や京浜東北線撮ってますけど形式考えると 今となっては大変貴重な映像になってますね。
メッセージありがとうございます。
そうなんです。特急白山が中々来なくって、山手線や京浜東北線ばかりやって来るのでそればかり撮影してました。
その時代に生まれたかった…
特に特急あさまに乗りたかった
あさまですか。すっごく一杯走っていましたよ。あさまの先へ走る白山も走っていました。
懐かしすぎます😂感激です。子供の頃13番ホームで583系の臨時特急ふるさと号を見た覚えがあります。2358の妙高と022の信州はよく乗りました。急行時代も懐かしい。
上野駅の低いホームに入る途中に昔は引き上げ用の側線がありまして、旧型客車が止まってました。上を見ると103系が走っていて、不思議な感じがしました。新幹線で便利になりましたけど、賑わいもなくなりました。上野駅は通過駅になってしまいましたから。子供の頃から鉄道ファンでよかったです
上野駅は地元の駅なんですね。
私は田舎もんなので、東京へはたまにしか行かなかったし、今はコロナで行かないようにしています。
たまにしか、行かない東京の電車をただただ、撮影した映像がこれなのです。
懐かしいですね。
若い頃一年くらい北上野に住んでいました。その後出張などで鶯谷や上野駅をよく利用しました。上野駅ではカシオペアや北斗星も見ました。鶯谷駅では車庫に向かうカシオペアを見ました。
メッセージありがとうございます。
私は、結局カシオペアは、見たことが無いのです。
でも、カシオペアって運行していた期間が短かったように思います。こんな物なのかな?
前半の鶯谷の山手線、京浜東北線、モータ音を除いて鉄輪、鉄軌道のロードノイズで走行音が静か。今の車両はモータ車が減って増えた付随車からヒュルヒュル独特の音がしますね。まるで車輪に100円玉のようなギザギザの溝を彫っているかのように感じます。レールか車輪に何か技術的な変化があったのでしょうか?
メッセージありがとうございます。
そんな事まで気づきませんでした。モーター音が静かになったために、他の音が良く聞こえるようになったのではないでしょうか?
常磐線快速E2314M6T 10両基本編成によく乗るのですが、モーター音の影響が最も小さいサハ3連の真ん中の5号車でも何と表現したらいいか風切り音のような金属的なヒュルヒュルが聞こえます。103系のサハの車内の方が静かです。国鉄時代の長い編成の走行音はモハの走行音にサハが通過するときにふぁっと静かになる瞬間があるメリハリのあるものでした。ua-cam.com/video/fZDBwZBLm3I/v-deo.htmlこの動画に出てくる山手線や京浜東北線はまるで全車モーター車のように聞こえます。この音源がモーターならば最近のJR東のモーターは周囲にまんべんなく響かせる特性があるのでしょうか?
北斗星乗ってみたかった❗テレビ番組の超マニアックな鉄道番組で紹介していたので。
上野駅の「上野~」がカシオペアのラストランの時に流れていました。懐かしいです。
北斗星・・・・私の地元では、トワイライトエクスプレスですね。
トワイライトエクスプレスも、北斗星も、乗ったことが無いのです。撮影は、しましたけど。
3:28 ここに映ってる205が少し前まで武蔵野線を走ってたもんだからすごい、しかもまだジャカルタにて現役てw
ジャカルタで走っているのですか?線路の幅は標準軌なのかな?
おまけ動画が懐かしい!
小田急沿線民なんで
小田急ですか。今はみなステンレスの車輛になってきましたね。
昔の白っぽい色に青の線の入った車輛が懐かしいです。
未だ103系が、走ってたんですね、この2、3年前は京浜東北線で真ん中4両非冷房車の編成も走ってましたね。
京浜東北線・・・そこまで詳しくは知りませんでしたが、この当時、まだ新幹線もあまりなかった時代です。
貴重な映像を見る事ができました。
ありがとうございます。
私はまだ20代前半ですが幼い頃から電車が好きで小学校中学校はよく祖父母に全国の鉄道に乗せてもらいました。
寝台列車が昔から好きで小学校の低学年の頃、東海道本線の某所に父によく連れられて深夜のブルートレインを見ていました。
しかし東京よりは西側でしたので上に行く列車はあまり見る事が出来ませんでした。。
このような映像を見るとこの時に大人だった方々が本当に羨ましいです。
私でしたら北斗星やその他特急に乗りまくっていたと思います。笑
いまやたくさんの寝台列車や特急がなくなってしまって本当に悲しいです…。
大人になったらたくさん乗ってやろうと思っていたのに…泣
本当に羨ましいです!
ありがとうございました!!
メッセージありがとうございます。
みなさん、そう言われますね。
でも、実際働くようになったら、中々そんなに乗れないものです。
時間のある学生時代は、周遊券で、急行ばかり乗っていました。
1:19 この頃は長距離列車が帰ってくると、一旦尾久まで推進回送されてそのあと数時間したら今度は東大宮電車区まで回送されました。
関東に居ると通常は東京側エンドを昼間に見ることはできないのですが、東大宮へ回送される時に見ることができました。なので東十条の緩いカーブが昼前まで賑わっていましたよ。
3:10 モントレー色165系(167系かも)が懐かしい。鉄道ダイヤ情報誌のジョイフルトレイン欄を思い出す。
4:21 常磐線の415系はまだ一部は非冷房だったのか~沿線住民だったのに覚えてにゃい。w
丸いベンチレータは非冷房時代の名残ですね。
16:18 あの「あさま」の塗色はアコモデーション更新車で、シートや内装が国鉄時代から一新されているんですよ。最終的には全てあの塗色になりましたね。
私も、関東地方にはあまり縁がないので、行った時にとにかく来る列車を撮影していました。
この中で特急「白山」だけが、地元で見る事が出来る列車です。
色々と詳しい情報をありがとうございます。
自分の知らない時代だぁ〜(2004年生まれ)
上野おばさんの放送は、子供の頃聞いた事あるから懐かしい!
メッセージありがとうございます。
今は新幹線の時代ですね。
新幹線が無かった当時は、このような感じでした。
@@HobbyVideos 様
上野駅での様々な列車動画を見て、昔を懐かしく思いました。私自身は現在47歳で、当時上越新幹線が無かったときは、
母の田舎である新潟県に行くには上越線しかありませんでした。廃車となった「とき」や115系の緑とオレンジのストライプの入った列車に乗って、上野から六日町駅まで約2時間40分位掛かったと思います。結構長時間かかって辛かった
です。HobbyさんはさすがYouTubeに載せるだけあって、撮影の仕方が上手ですね。見ていて疲れないし、動画内
での音声での案内もわかりやすく、楽しいです。1990年頃は、確か上野から大宮での短期区間でリレー号とかも
走ってましたね。あれも懐かしいです。
山手線や大阪環状線は回るので「Choo Choo Train」や「山手線内回り ~愛の迷路~」を聴きながら動画を観たり,その2つの路線に乗ったりします。
なるほど、そう言う楽しみ方もあるのですね。でも、この電車って乗っても椅子に座ると車内の人しか見えないので、楽しくないのでは・・・・それが、楽しいのかな?私も東京の電車に乗って、車内の人を見ると、ほとんどの人がスマホの画面を見ていますね。逆に、スマホを見ていない人が居ないかと探したりしています。
@@HobbyVideos 路線によってこの曲が合うんではないかといういわゆる「音楽鉄」と言ったところですね。
なるほど、私は演歌が好きなので、鉄道に関連した唄を時々聞きます。
この時代に生まれてないもので、ある意味新鮮に拝見させていただきました。
超貴重な映像と解説に感謝します!
メッセージありがとうございます
こんな時代もあった。
今は、新幹線が走る時代。
でも、残された在来線は、またどんどん変わって行くかも知れませんね。
当然新幹線の車両もね。
国鉄時代の鉄道ファン いずれE235系が古臭いと言われるのですかね...
新幹線に関しては今第三世代への移行が著しく進んでいますので、自分の慣れ親しんでいたE4系は東北では見なくなってしまいました。
色々と、変わりつつあるのですね。
まあ、クルマと違って、飽きがきたから新車に入れ替えるなんてことは無いでしょうけど、省エネなどの技術の進歩で新しい車両に変わって行くのでしょうね。
例えば、直流モーター車からVVVFインバーターの交流モーター車に変わると言う風に。
国鉄時代の鉄道ファン そうですね。もうGTO-VVVFなんかもめっきり見なくなりましたもんねぇ...
IGBTも良いですが、やはりなんか音が小さくて物足りないと感じてしまいますね。
その辺の、詳しい事は分かりませんが、北陸本線の方では、681系と683系の違いなのかな?
681系は、少しインバーターの音が683系よりも大きいのです。
また、681系は、走り出すときに、サイリスターチョッパー制御の音が、最初になってからインバーターの可変周波の音が鳴り始めます
683系は、いきなり可変周波数の音がなって走り始めます。
碓氷峠行きましたが、もう廃線になっている、現在でした。私が生まれる前は、ブルートレイン車両などが、走っていたんですね。特急列車が多かった、上野駅も新幹線と上野東京ラインが出来たら、変わってしまいましたね。
今の上野駅って在来線特急は、ないのかな?
あの、ストップ線は、そのまま、上野始発の列車が発着しているのかな?
また行ってみたいけど、昔の思い出をそのまま持っている方が良いかも。
特急つばさは、福島発のつばさがメインで、上野発は1日2本くらいしか無かったはずです。上野発の特急つばさに乗った事がありますが、旅情感たっぷり味わえました
なるほど、私は学生時代に特急つばさに福島から秋田まで乗りました。
でも、夏だったので板谷峠の連続するトンネルを通過中に発電用エンジンが停止し、蒸し風呂特急になり、
真室川で停車し、上りのつばさが後三年で脱線したので、新庄に引き返して陸羽西線と羽越本線経由で秋田へ向かいました。これも、また、旅情だっぷり味わえました。
貴重な映像をありがとうございます。尾久には昔は色々ありましたね。懐かしく拝見しました。北斗星はJR東日本とJR北海道でそれぞれ車両を持っていましたね。北海道の電源車はカニ24が足りなくなっていたので50系荷物車からの改造車がありましたね。尾久で入替していた車両がそうです。ですからスシ24のシャンデリア等のいちが微妙に違うのはその為ですね。トワイライトエクスプレスにしてもそうですが24系になっていますが中には14系からの改造車もあります。見た目は一緒ですから‥鶯谷駅で走っていた白い近郊型電車は常磐線の415系です。ひたちの485系は485系の中でも本当に古い車両ですね。クハ481は100番台ではなく基本番台か多かったですから、最後は7両編成になってしまいサロ481をサハ481に改造していたはずです。ボンネットどうしをつないだ14両編成とかありました。それが後々のフレッシュひたちのE653系になって行きます。そうです特急しらゆきの車両です。この頃、上野発の特急列車はあいづ会津若松行きとつばさ秋田行きがそれぞれ残っていました。つばさの485は1000番台です。山手線は205系になってましたね。205系って後には何処にでもありましたが国鉄が初めて作ったステンレス車です。良く見ると1番最初の車両は窓がユニット窓になっています。途中から一段加工窓に変わっています。あさまは、国鉄色、スーパーあさま色等に分かれています。スーパーあさま色はグレートアップ車両です。スーパーあさま色は489系にもありました。白山色はJR西日本の車両だったと思います。急行能登にも使われていました。ふるさとチャイムが付いていて駅ごとにチャイムが違いましたね。北海道に行く客車列車は引戸に改造されました。唯一折りたたみ扉だったのは日本海だけでしたね。それでも函館行きは引戸色もありました。昔は宮原で入替よく見に行ってましたね。小田急は4000系か5000系が走っていますね。
代々木で良く見てます。いつも長くなってすいません。貴重な映像をありがとうございます。
つばさの先頭車は1500番台もありましたね^_^
chibita32 さん いつもメッセージありがとうございます。
詳しい説明ありがとうございます。
北海道の電源車は50系荷物車からの改造なんですか?
どうりで、ちょっと雰囲気違うなって思いました。
それにしても、この当時は、改造、改造が流行ってたみたいですね。
まるで、中古のマイクロバスやワゴン車をキャンピングカーに改造するような感じ。白山は、乗られたのですか?私は、この撮影の旅行で東京へ来る時は、白い白山で、ふるさとチャイムでしたが、帰りに乗った白山は、国鉄色の車両で、昔ながらの鉄道唱歌のチャイムでした。私の別チャンネルで「Japanese rail sound」と言うチャネルがあるのですが、このチャネルに、車窓風景と走行音をアップしています。こちらのチャネルは、ナレーションは無く、ひたすら走行音や、車窓風景のみを流しています。よかったら、BGMがわりに、聞いてみるのも良いかと思います。
北海道へ行く列車で、日本海は折り畳みドアーだったのですね。そこまで気にしていなかったけど、そう言えば、昔函館行ってありましたね。
小田急は、もう夜になってしまって何か分からなかったのですが、来た車両を撮影しました。この当時は、この車両が多かったように思います。
白山には全線ではありませんが、軽井沢や長野、妙高高原迄は乗った事はあります。特急色、あさま色、上垂沼色と一通り乗りました。北斗星の電源車ですが、あの頃は寝台列車のグレートアップの改造で車両が不足していた様です。電源車はマニ50を改造して充当していました。裾絞りがなく屋根も24系に合わした様になっています。JR北海道の車両だったと思います。又、トワイライトエクスプレスは、あさかぜの電源車を使って改造されました。下関あさかぜは12系客車を使いダブルパンのロビーカーが出てきたりと大変な事になっていました。その充当列車は下関あさかぜと瀬戸でした。又、北斗星、トワイライトエクスプレスの中間車両は14系寝台車から改造されたのもあります。元祖的な物は、品川客車区で24系25形が登場した時に食堂車が14系のオシ14から改造されています。尾久の車両は比較的初期車が多かったので老朽化も速かったですね。小田急線は当時、2600形、4000形、5000形って全部小田急顔だったのでどれを見ても同じ様に見えました。
chibita32 さん メッセージありがとうございます。
トワイライトや北斗星ってそんなに、色んな車両を改造して出来たのですね。まるで、廃品利用みたい(笑)。で、それを知っているのは鉄ちゃんくらいで、一般の人は、豪華寝台列車に乗って楽しんでいたのですね(笑)。私の友達も鉄ちゃんですが、トワイライトエクスプレスに乗ったのですが、やはり種車が悪いから乗り心地は普通のブルトレと同じって言ってました。その人、スロネの個室に乗ったそうですよ。小田急って顔はみな同じなんですね。阪急もそんな感じだったかな?今は違うと思いますが。
はい^_^廃品利用に近い状態でしたね。寝台列車に限らず、雷鳥やくろしおのパノラマグリーン車や583系の食パン、新車投入がままならない時代でしたから何でも改造投入されていました。特にブルトレの14系や24系は車体の構造は12系座席車から始まる共通構造ですから使い回しが聞いたのだと思います。北海道のキハ183系やキハ400系の寝台車としても改造されています。
この頃がよかったな~
+485 国鉄 さん メッセージありがとうございます。
新幹線が無かった時代ですね。
ちなみに、「スーパーひたち」に使用されている651系は、現在「あかぎ、草津」で使用されております。
メッセージありがとうございます。
なるほど、知らない場所の情報をありがとうございます。
啓之小寺 でも1000番台に改造されてしまいましたけどね
いつも楽しく拝見してます。
今回はとても懐かしく拝見しました。
このエリアは私の地元で、白山やつばさを見た時は、新幹線何するものぞと思ったものです。
北斗星は高校からの帰りの時間帯と同じで、1、3、5号、それぞれに編成を見て、あの食堂車にいつか乗りたいな…と思ったものです。というのも、開通初日に上野駅にいましたので、生まれて初めて、優等列車の発車の初日を見たという特別な思いのある列車でした。。
北斗星最終日、(この時はココが地元ではなくなりましたが)王子駅の跨線橋までいって、見送りました。
1、3、5号フルでの映像、本当に感涙ものです。。
メッセージありがとうございます。
良い所居お住まいなのですね。
私は、田舎なので、移動はほとんどがマイカーです。
そんな田舎もんが東京へ行って、色々撮影したのがこの映像です。
新幹線ができ、今はがらりと変わってしまったけれども、この当時はそんな事想像もしてませんでした。
でも、田舎もんにとって、1つだけ思ったのは、今、ここで撮影出来る今走っている列車は、私はもう2度と撮影できないだろうな!って思いながら撮影しました。北斗星は、北海道まで行ける寝台特急ですが、豪華な個室などは、なかなか切符が取れないと聞き、あまり好きにはなれませんでした。当時は、特急白山が、ここを通る列車で私の住んでいる石川県へのアクセス列車だったのです。
東京遠征の映像と言っても、もうほとんどアップしてしまいました。
後は、特急白山の映像を考えているのですが、まだまだテープに入っていて、まずはそのテープの整理からやらないと作れないので、まだまだ、時間がかかりそうです。
白山の映像!
これは期待しちゃいます。
というのも、私が幼少の頃に乗った優等列車は「白山」か「あさま」でした。
トイレから、穴の中を走りゆく線路を不思議に思ってみてましたww
白山の食堂車も行った記憶があります。
白山に限らず、食堂車の映像もありましたら、ぜひぜひご教授ください。
もちろん、国鉄時代の映像なら、どの映像でも楽しみにしております。
ご多忙の中、ご返信を続けて賜り感謝します。
これからも楽しみにしております。
残念ながら、白山はJRになってからの、国鉄色が色あせたような、白山色と言われる時代の映像なのです。
比較的新しいので、まだパソコンにも入れてない状態です。なので、食堂車はもう連結されていませんでした。しょっと変わったビュッフェ風の車両がありました。あまり、期待しないでくださいね。
4:11辺りに写っている常磐線の車両は401系か403系(非冷房)ですね。当時は、まだ非冷房の車両が走っていました。但し、この当時も非冷房の常磐線は?車両は冬季だけでしたが。
よけ さん メッセージありがとうございます。
白い色の車両ですね。非冷房ですね。これ、撮影したのは、11月後半なので、もう冬季の運用だったのかも知れませんね。私、この車両の形式が分からないのですが、401系か403系なんですね。ありがとうございます。
そうなんです。実は、この1年前から常磐線の401・401系(415系の方はずっと冷房車でしたが)は夏季はオール冷房車になり、冬季近くになると非冷房の車両が戻ってきたのでした。尚、変な話ですが、この非冷房の401・403系はトイレがタンク式になっておらず(ただ、単なる垂れ流し式ではなく、粉砕式という物でした。)トイレを使用すると線路が見えたのです。
+よけ さん メッセージありがとうございます。
401系や403系は、私はあまりなじみが無かったので、あまり良く分かりませんが、トイレの粉砕式と言うのは、初めて知りました。
線路が見えるのは、垂れ流し式と同じですが、垂れ流すときに、なんかプロペラみたいなもので、霧状にして、ばらまくのかな?
駅に到着したら、汚くって車体を手で触れられないかも(笑)
今は、真空の大きな音が鳴る方式ですね。
そうです。近郊型でもJR東日本のE531系、E231系、E233系JR西日本の225系、227系は真空式です。因みに、芸人の中川家の弟の礼二はこの真空式トイレの音のモノマネをやっております。上野東京ラインの開業で上野駅の地上ホームもすっかり寂れてしまいましたね。特に、16、17番乗り場は日中に発着する旅客列車がなくなってしましました。
北海道へ行く列車は、凍結防止の為引き戸になってます。
やはり、北海道の車輛はブルートレインも引き戸ですね。
キハ181系は、初めから北海道には使わない設計だったのでしょうね。
大阪発函館行の日本海は、折り畳みドアーで函館まで行っていました。
特急「谷川」号は、赤羽駅に停車していたので、「谷川」号の尾久駅の通過速度が、赤羽駅は通過していた特急「あさま」号よりも遅いのではないでしょうか。
通過速度までは、分かりません。
’90年頃の上野周辺の鉄道風景映像、懐かしいですねぇ。JR時代の車両苦手・・・ごくごく最近(令和時代)の車両を覚えるのも大変ですね(笑)。
最初に出てきた尾久客車区で入換していた北斗星車両はJR北海道車を使用した「北斗星3号」用の編成ですかねぇ・・・。
全車ロビー車が連結されていますから。
電源車がマニ50形から魔改造された車両でマニ24ー500番台、JR北海道とJR東日本に1両ずつありました。
うわ~詳しいですね。私は、石川県在住なので、関東から北海道関係は苦手なのです。
北斗星があったというくらいしか知らないので、ただ、色々な車輛の改造の寄せ集めと言うのは、食堂車を見れば、解りました。でも電源車までは、分かりませんでした。
私もJRになってから、特に最近の車両はなじみがなく、良く分からないです。あまり興味もわかないのかな。
Rail way.com さん メッセージありがとうございます。
特急しらゆきは、E653系なんですか?
今まで日本海をバックに485系が走っていて、演歌が似合いそうな風景だったのですが、しばらくは、ちょっと想像が付かないですね。
まあ、北陸本線に初めて681系が走った時も、そんな感じでした。やがて、これが、当たり前になるのでしょうね。そして、このE653系も遠い未来また見られなくなる日が来るのでしょうね。
時の流れって、知らないうちに過ぎ去っていくようです。
+国鉄時代の鉄道ファン 特急しらゆきは元E653系です
貴重な映像ありがとうございます。私が生まれる9年前ですがこの頃の上野駅はいいですね。北斗星も北海道編成と東日本編成でかなり違いがあったのでおもしろいですね。
私は石川県に住んでいるので、あまり東京へ行く機会がないので、行った時に少し撮影した映像なのです。
北斗星も、この時の撮影が最初で最後かな。
昔TOMIXで、北斗星の北海道編成と東日本編成の違いを忠実に再現されてましたね。
上野駅は国鉄時代によく利用していました。親父の田舎の山形に行くのに「つばさ」で、家族で軽井沢へ行ったときは「そよかぜ」とかを使いました。JRになってからは大学時代に北海道へ卒業旅行に行くのに「北斗星」に乗って、初めてのひとり旅を楽しみましたね。長くなってすみませんでした。
’90がついこの前と思ったらあれから既に25年も経ってるんですね!これはエル特急「あさま」や「ひたち」がまだ元気だった頃の映像でしょうか。昔、尾久駅と隣接する田端機関区へよく観に行きました。この時期に同時発車を見られたのが「ひたち」と「あさま」ですが、東北新幹線開業前には上野同時発で「ひばり」と「ひたち」の並走シーンを味わったのを思い出します。この頃はまさに上野口の黄金時代でした。
晩年は食堂車こそ外され塗装まで変えたものの、白山は最後まで北陸の直通特急として残ったのが良かったです。
当時、上信越の特急・急行は上野駅の上のホームが発着線で下が東北本線でしたからかなり賑やかでした。189系もこの頃からグレードアップ色に塗り替えられ徐々に国鉄色が消えてしまったようです。今となっては「スーパーひたち」の651系も常磐線から既に引退し窓下にオレンジの帯を入れた「草津」や「スワローあかぎ」の群馬アクセスとして左遷されてますね。
懐かしい映像ありがとうございます♪
1991xrider さん メッセージありがとうございます。
そうですね。本当に月日が経つのが速いです。
この当時の私は、東京は、右も左もよく分からない状態で、地元金沢からの白山だけが、唯一知っている列車てな感じでした。
まあ、車両の形式は、485系189系など、まだ付いて行けましたが、山手線の205系は、全然分かりませんでした。
この当時、私が驚いたのは、客車列車がバックで普通の速度で走っているのには、驚きました。バックと言えば碓氷峠のEF63が、有りましたが、この都会で115系なんかの電車に交じって、普通の速度でバックで走っているのは、何ともいえない違和感があったのです。でも、東京ではそれが当たり前、伝統なんですよね。
国鉄時代の鉄道ファン さん、ご返答ありがとうございます。仰るように、地方の方が列車が後退で本線を一般速度と同じ光景を見るのは珍しいかと思います。機関車牽引の列車が上野に着いた後に車庫へ回送させるのに機関車の付け替えとなると東京駅のような専用に線路を側線に設けなければならず、スペース上不可能でしたのでそのまま推進(バック)で持って行ったのです。これには規定がありまして進行方向となる最前部に客車ブレーキ操作のできる運転手が乗務して無線を使って後部の機関士と連絡をとり標識等や信号の前方確認ができる運行であれば45km/h(無しの場合25km/h)まで許されているのだそうです。まさに上野口の風物詩ですね。車両の種類については都会の電車は東京に住んでいる私でさえ分からない形式が多々ありますよ。いつのまにこんなのが出てきたのかなと・・・笑JRになってからは更に分からなくなってきてます。映像の205系も103系の置き換え用でしたが東京都内ではすでに姿を消しています。京浜東北線の103系の後継車ではその後205系を導入することなくVVVFの209系にグレードアップされました。山手線や京浜東北線で私が一番印象深いのはやっぱりゲタ電こと103系ですね。
1991xrider さん メッセージありがとうございます。
上野口の風物詩って本当に、珍しいと思います。詳しい運行規定のご説明ありがとうございます。
昔は、当然電車よりも機関車牽引の客車列車ばかりだったと思うのですが、その昔から機回しのできないストップ線で、このような、バック運転での方法で、入線、引き揚げを行っていたのでしょうね。昔は、それが当たり前だったのが、他の終着駅では、このような方式は、取り入れられず、上野駅だけが、昔の方式を維持してきたのですね。今更駅を改造する事もなく、これまで通り、バックでの入線、引き揚げを行っているようですが、それが、とっても珍しく、新と旧が存在する東京って言う感じがします。103系ですが、昔は電車の色が違うだけで、みな103系でしたね。ちょっと話変わりますが、山手線の103系のATCの付いた高運転台窓の車両の黄緑と、以前の普通の窓の運転台の黄緑と、微妙に色が違っていた事がありました。
国鉄時代の鉄道ファン さん、ご返答ありがとうございます。103系が非冷房の時は私も少年の頃でしたので車両の色彩にはさほど気には留めていませんでしたが、ご指摘のように山手線の黄緑6号(ウグイス色)が年代によって微妙な差があったかもしれません。晩年のATC高運転台からクーラーが搭載されるようになってからは、初期の非冷房の中間車と混結編成がありましたが編成で見ると同じ色にしか見えませんでしたね。恐らく車検で塗料の調合を合わせたのかもしれませんが。それから新型の205系と相互運用するようになってからは103系の色も明るい緑色7号(グリーン車マーク)の色に近いような気がしました。これも私の気の性かもしれませんが。とにかく当時の103系はスピードを上げると縦揺れが酷く乗り心地が他の民鉄の通勤形に比べると悪かったですね。逆にこれが楽しいと思ったこともありましたが!笑蒸気時代から続いた上野口の推進走行は今年で北斗星が廃止となることもあって残るカシオペアが最後の定期列車となり臨時やイベント以外に観れなくなりますからまた一つ上野~尾久間の伝統が消えてしまい寂しくなりますね。
1991xrider さん メッセージありがとうございます。
山手線の高運転台の走り始めたころ、私は高校生でした。
わざわざ、東京まで行って、その車両の写真を撮影し、また古いほうの車両も撮影して奈良に帰りました。写真を現像してみると、色が全然違うのです。人間の目は、それなりに調節をして見ているので、気が付かなかったのですが、写真機では、はっきりと色の違いを見せてくれました。
その時のネガ、まだ探せばあるかな?あれば良いのですがね。
上野口のバック運転は、カシオペアだけなんですね。
でも、カシオペアってあまりバックって言う感じがしませんね。そう思うのは私だけかな?
3:25〜に写ってる山手線の205系は田窓なので恐らく量産先行車ですね〜
(今でも富士急で使われてる奴)
メッセージありがとうございます。
その辺は、私も詳しく分かりませんが、他にメッセージを頂いた方も、量産試作車だと言ってました。
北へ行く客車は雪が噛んだりして折り戸だと開かなくなるんで引き戸なんですよね。
引き戸になっても凍ってしまいますが・・・笑
ペガサス さん メッセージありがとうございます。
なるほど、開かなくなるのですね。
北海道の車両には、それなりの理由があるのですね。
だから、キハ181は、北海道では、走らなかったのですね。
大阪アサヒ屋のマッハ模型?
行った事がありますよ。
首を振る癖の店員のおじさんが大人気の有名でした。
最近は尾久,田端辺りも線路が寂しくなりました。この頃の白山は2往復してたんですね(=^_^=)
はい、白山は2往復はしっていました。
今は、寂しくなったのですか?
走る列車が普通か快速になってしまったためかな?
新幹線が、楽しくなってきた時代ですね。
@@HobbyVideos 様
尾久駅のホームから車庫の方を見ますと昔は寝台客車がずらりと並んでいましたが今はガランとしており、ホームに来る特急も上越線吾妻線の「草津」か通勤特急位になってしまいました。
北斗星3往復時代、1・2号はJR北海道編成、3・4号はJR北海道と東日本が隔日で、5・6号はJR東日本編成と決まっていました。晩年には「はまなす」専用みたいになってたオハネ24・500番台(元オハネ14)やマニ24電源車(元マニ50)の姿が懐かしいですね。北海道へ乗り入れの客車はドアが引戸に改造された上、ドアレールにヒーターもついています。普通の折戸だと北海道の雪は粉雪なのでデッキ内まで吹き込んでしまうし、雪を挟みこんだり最悪凍結して開閉できなくなります。
メッセージありがとうございます
なるほど、折り畳みドアーだとそんな事になるのですね。
でも、スライドドアーでも粉雪が車内に入って来てました。
また、そんな理由でキハ181は、北海道では活躍できなかったのですね。
いい動画ですね。私の生まれた時はすでに碓氷峠はなく、新幹線でした。小さな頃に鉄道文化村によく連れて行ってもらったものです。特急亡き後の上野駅は寝台特急が主役みたいでした。東京に野球を見に行きその帰りに寝台特急を撮って帰ったのもいい思い出です。一つ気になったのが北斗星1号の推進回送と出発の時の電源車や釜のナンバーが違ったような気が…。でもマニ24とか81の北斗星いいものですね♪
メッセージありがとうございます。
私は、鉄道文化村が出来てから、全然軽井沢付近には行っていません。
鉄道文化村も行ってみたいなって思っています。
電源車や釜のナンバーまでは、私もそこまで詳しく調べるほどのマニアではないので良く分かりませんが、当時の列車はこんな感じだったのです。
現在の特急しらゆき、特急いなほの車両はE653系です
元は常磐線の特急フレッシュひたちの車両です
そうらしいですね。私はまだ、そのE653系のしらゆきは見たことが無いのです。
一度見てみたいです。
私の知っているしらゆきは、キハ28・58系のしらゆきです。
僕の祖父は、鳥栖駅にあった転車台のところで働いていた。国鉄時代は、定年が55才だった。貨物の連結は、動いてる貨物に飛び乗りハンドブレーキで調節しながら連結すると聞いた
貨物の連結作業、しているのを見た事があります。確か、ハンドブレーキを足で踏んで調整するのではなかったかな。
北斗星が1号~6号、さらに多客期81号82号にエルムまであった時代に今のカメラ持って帰りたいですね。頼むよドラえもん
そうですね。でも過去を変えてはいけないと言うルールがあるので、撮影だけなら、過去が変わらないから良いのかな?
国鉄色はかっこいいですね
+風間佑介 さん メッセージありがとうございます。
国鉄時代は逆にこればっかりだったんですよね。
電車は、181系183系189系381系485系489系781系などなど
気動車は、80系181系183系
でも、この色って今から思えばかっこいいのかな。
雪の中でも、夏の緑の中でも映えますよね。
懐かしいですねぇ。当時の上野駅地平ホームは東北・上越新幹線の開業で東北筋の在来線特急・急行の殆どはなくなってしまいましたがまだまだ活気がありましたね。青函トンネルブームも手伝い、北斗星が三往復も運転されていたなんて今では語り草ですね。 489系ボンネットも白山色に塗り替えられた当初は「…なんかビミョー」と思ってました(笑)。やがて冒頭にも登場した横軽が廃止され、これで見納めかと思っていたら急行能登や北越急行はくたか(臨時便)で残ることが決まり、しかも国鉄色復活で大喜びしたのを覚えています。これ等も全て過去の思い出になってしまいました。
Akira Endo さん メッセージありがとうございます。
この当時は、東北、上越新幹線が開業した後だったのですね。
その前ってもっとすごかったのでしょうね。
仙台へのひばり
盛岡へのやまびこ
青森へのはつかり
山形へのやまばと
会津若松へのあいづ・・・・これが、この当時残った。
秋田へのつばさ・・・・・・これも、この当時残った。
特に、つばさが、気動車だった時代は良かったでしょうね。
白山色なんですが、聞いたところによると、この電車、直江津からJR東日本の運転手が運転するんだけど、なんかこの電車で東京を走るのは恥ずかしいって言うような事を聞いた覚えがあります。(笑)私も、最初あの塗装を見た時は、「何これ(珍百景)」って思いました。
流石上野駅という列車の多さ
国鉄時代の列車には熱の入ったナレーションですね!
夏の入ったナレーションに感じました?
特に気にしないでやってますよ。
485系「つばさ」はこの当時、現在の山形新幹線のルートを通っていましたね。新幹線開通後は485系がはつかり・いなほに転じました。
メッセージありがとうございます
つばさ は、奥羽本線経由の秋田行きだったので、現在の山形新幹線のルートですね。
はつかり、いなほに転じた485系も今はもう無いのですね。
学生時代、奥羽本線の山形から秋田間が電化される前にキハ181系のつばさで、福島から秋田まで乗りました。
ところが、上りの特急つばさが、四ツ小屋で脱線事故を起こし、私の乗っていたつばさは、新庄まで戻って陸羽西線と羽越本線経由での運行となりました。
キノコ型クーラーは、ひたちの指定席で乗った際に効きが悪くて辛い思い出が・・・
+dw5wbin さん メッセージありがとうございます。
あの、クーラーって1個1個にスイッチが付いていて、調節が出来るはずなんですが。
弱になってたのかも知れませんね。車掌さんも気が付かないまま。
私は、昔真夏に特急やまばとクハ481-101に乗りました。
その時はクーラーが効きすぎて、寒いくらいで、時々デッキにあったまりに行きました。
辛い思い出が・・・(笑)
E653はフレッシュひたちデビュー時から次期転属崎は新潟に決まっていたらしく簡単な改造で上越 北陸本線に投入できるように準備されていたみたいです
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。
ちゃんと計画性があるのですね。国鉄時代は、そんな計画は、無かったのかも。
でも、485系1500番代は、当初北海道の交流専用の車両が設計に間に合わないため、実績のある485系で1500番代を作り北海道で使い、最終的には、白鳥で使う予定で作られたとか、まあ、その辺は計画性もあったみたいですね。
いつも動画をご覧になっております。
動画の最初のほうで、「碓氷峠のほうもまた、特集で
アップします。」と言っていましたが、
できればそろそろアップしてくれますか?
お願いします。
メッセージありがとうございます。
そか!すっかり忘れてました。
碓氷峠はもう他の人が一杯アップしているので、そんなに慌てなくてもいいかなって思ってたのです。
ちょっとまだ、ビデオテープからパソコンに入れてないやつもありますので、もう少し時間がかかります。ごめんなさい。
ありがとうございます。
置き換えの話が出ている「スーパーひたち」の651系がまだ新品で、それ以外に存命なのは上越特急の185系のみ、それ以外の車両は全て過去帳入りしてしまったのを見ると、ああ大昔だなあという気がします。最後に出てきた小田急の車両さえももう現在はいないのではないでしょうか?実は「北斗星」の他に「エルム」というB寝台のみで組まれた臨時列車が多客期に走っていたのですが、この年の9月に今は亡き親父をその「エルム」に乗せて苫小牧まで連れて行きました。「北斗星5号」のさらに20-30分後に上野を出、函館に朝7時半頃着くのですが、大半の客が函館近辺までで降りてしまうのでそれ以遠は車内はがらがら、加えて臨時列車なのでのんびりしたダイヤが組まれていて車窓からの北海道の景色を堪能しながら長時間停車の長万部で駅弁を渉猟(「かにめし」を買おうとしていた我々の向かいに座ったおじさんに、ここの「もりそば」は美味いと教えてあげました)、苫小牧には11時半頃に着くという優雅な列車でした。その後も何度か「エルム」の世話になりましたが、最近企画されているような贅沢な車両で無くてよいからこういう旅が出来る列車が欲しいです。
ああ、「スーパーひたち」はもう置き換わったんですね。上野口の185ももういないのか。僕も浦島ですね。
エルムって言う列車は知りませんでした。でも、結構北海道に行かれているのですね。
私は、列車で北海道へ行ったのはたった1回だけ・・・・と言うより、そんなに何度も北海道へは行ってないのです。
長万部は「もりそば」がおいしいのですか。それは知らなかった。
ほんと、こういう旅ができる列車があれば良いですね。でも、結局みんな乗らないから廃止になったのでしょうね。
まあ、私も最近のJRの列車はあまり興味がなく、浦島太郎になっていますよ。
長万部の「もりそば弁当」、冷たいそばは今でこそコンビニで簡単に手に入りますが、昔、冷たいそばを駅弁にするというのには並々ならぬ苦労が有ったと聞きます。「かにめし」みたいな超メジャー商品があるのになぜもりそば?という気もしましたが、駅職員向けだったのかな?でも僕はもりそばの方が好きだったな。
いつも楽しく拝見しています。
山手線なんてわざわざ映すかなぁ、の映像、
しっかり205系試作車(量産先行車)撮られてますね。
懐かしいです。
メッセージありがとうございます。
205系試作車・・・・どれがどれだか、全然分からないまま、来る列車を撮影していたのです。
けいせんさん メッセージありがとうございます。
あの、夜の小田急の映像で、そこまで形式が分かるなんてすごい!
私は、あの当時、初めて見る車両ばかりで、何が何なのか分からずただ、撮影するばかりでした。
当時北斗星3号ってオール開放B寝台なんでしたっけ?
メッセージありがとうございます。
そのへんは、良く分かりませんが、個室とか連結してなかったでしょうか?
タキシードボディの車両は651系ですね。しらゆきはE653系です。
私は物心がついた時にはすでにほとんどJR型の特急だったのでそんなに抵抗はありませんがそのぶんより一層国鉄型車両に憧れます。
あと最近の新型車両はほぼ苦手です笑
メッセージありがとうございます。
私と同じですね。私も最近の新型車両は、苦手です。あまり魅力を感じないのですね。これも年のせいかもね。
懐かしい映像ですね、たしかこの当時特急つばさは1往復か2往復は上野発着。それ以外は福島発着で秋田迄に行ってた気がします。間違ってたらごめんなさい。上野駅の構内放送最近聞いて無いな
私は関東地方の鉄道は、詳しくないので、ただ、来る列車を撮影していただけなので、つばさの上野発着の数までは考えていませんでした。
常磐線の快速懐かしい ボンネット特急も懐かしい
メッセージありがとうございます
この当時は、普通に走っていた列車なのにね。
今は、懐かしい車両となってしまったみたいですね。
ちなみに白の常磐線は私の地元の415形です
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。
そうなんですか?なんか大雨の被害も有ったみたいですが、大丈夫ですか?
北海道に折りたたみドアがないのはもしかしたら折りたたんだ時に雪が挟まって動かないとかじゃないですかね
メッセージありがとうございます。
まあ、詳しい事は分かりませんが、どうもそのようです。
国鉄時代の鉄道ファン そうだったのですね。
115系は懐かしい、グリーン車がついてないのもいいのでは、サロ115?
そか!グリーン車なんてこの当時は気にしていませんでした。
今は、連結されているのですね。
@@HobbyVideos 東海道本線東京口普通111系のグリーン車だって153系のサロ153の格下げサロ110+サロ111新造(当時は2等車)、80系2等車、サロ85継続で進化して111(113)系に継承。
つばさの上野方先頭車は1500番台かな?
Queen Jack さん メッセージありがとうございます。
すごい!あの一瞬の映像でそこまで見てるのですか?
多分ですが、1500番代のようですね。
屋根には形式書いてないので、屋根に付いている機器で判断すると、どうもそんな感じです。
北海道にも書類上はサハネ581?がいたような気がするので全く折戸式のドアが無かったことはないかなぁと思います。
それにしても、これらの映像凄いですね~ ただただリアルタイムでみたかった
メッセージありがとうございます。
なるほど、でもなんでサハネ581が北海道にいたのかな?
新幹線が走る前なんですね。
国鉄時代の鉄道ファン
何ででしょうね~
ただ、一度も本線走行を行わずに廃車になったそうでその台車がクリスタルエクスプレスに一部流用されているとか
一度も本線走行をせずに廃車?
そんな事やってるから、国鉄は赤字になるのですね。
489系いいですね~。
特急しらゆきはE653系で、現在651系は水上とかあかぎに使用されています。
今、尾久車両センターには役目を終えた24系客車が留置されてます。
方向幕も外され、見るに耐えないです。
+supermorikun さん メッセージありがとうございます。
もしかして、北斗星の車両かな?
誰か大富豪が買ってホテルでもやれば良いのにね。
JR車両苦手…仲良く出来そうですな笑
ご心配ありがとうございます こちらは被害が少なかったですが県南部はひどい見たいです
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。
そうですか。被害にあわれた方は、本当にお気の毒です。
今回の台風は石川県の方に来たみたいなのですが、こちらはあまり被害はありませんでした。石川県も、8年ほど前、市内を流れる浅ノ川が氾濫し、観光地になっている市内が、被害を受けました。でも、今回の東北の被害に比べたら、ほんの僅かな区域だったのです。こちらも、自然の災害は無いとは言えませんが、住んでいて、意外と少ないように思います。
ただ、北陸本線は、強風で時々電車が運転見合わせになります。
2歳の北斗星カニがみたことない車両
私が関東に来た時には、横川はとっくに分断されており、魅力的な列車たちは全部展示物になっていました。
せめてもと、釜飯を戴いて帰ってきました。
今でも丼鉢代わりに使っています。
Mack Rick さん メッセージありがとうございます。
と言う事は、長野新幹線が開業していたのですね。
でも、釜飯を買ったと言うのはさすがですね。
当時は、ある業者が横川で機関車の連結と切り離しで全列車が4分停車する事に目をつけ、商売を始めたのが、峠の釜飯だったのですが、私は、横川駅で、釜飯を買った事が一度もないのです。
いつも、機関車の連結や切り離しを撮影していて、一度も買ってないのです。
へぇ••••••••••。 昔は上野から秋田や長野とかに行く列車があったんだ•••••
高野義行 さん メッセージありがとうございます。
そうなんです。
昼行の列車はもちろん、夜行列車も一杯走っていました。
急行なんかは、座席と寝台なんかで、旧型客車と10系寝台でした。
101列車は、東北本線経由 青森行
201列車は、常磐線経由 青森行
401列車は、東北、奥羽本線経由 青森行
601列車は、高崎、上越線、信越本線、北陸本線経由 金沢行
などなど、寝台特急も一杯走っていました。
でも、もうそれも昔の思い出となってしまいましたね。
今では、鉄道模型で再現するしかないのかな。
上野駅と言えば、東北新幹線 上越新幹線を忘れていませんか。
忘れていませんよ。
語りがじゃま テロップにして 音を聴きたい
まあ、色んな人が居ますからね。
私は私流でやっています。