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山本五十六が真珠湾攻撃で艦船に対する航空機の優位性を米海軍に教えてしまった…なんて主張もあったものですが、米海軍だって開戦前から空母を運用しており優位性は認識していたんですよね。アメリカの工業力が本気を出し攻勢に転じられる前に講和できていれば理想でしたが、文面からもそんなわけが無し…。
レキシントンを見て、赤城、加賀を1枚甲板に為ている。レキシントンは近未来的。艦爆は米国から。
相手側の感情以外に戦略目標が無い不思議な戦いが総力戦と呼ばれてますね。現実的に相手国本土への攻撃が不可能なのに勝てると考えて開戦する非論理性。ドーバーを渡る船無しにイギリスに勝てると考えるドイツ。国境線がコロコロ変わるヨーロッパでさえ国民国家は堅牢な実体を伴っていて、ロシア人はスターリンよりヒトラーを憎んだ。
だから、空母をわざと真珠湾から逃がした?
まあ、タラント空襲で明らかでしたよね。それなのに、真珠湾で魚雷柵も設けずに古い戦艦だけ配置する。そして、スパイも泳がせといて奇襲終了後に逮捕。怪しいなぁ、、、
この雑誌が戦中の物とはとても思えない位綺麗だな。現代の雑誌と言われても不思議じゃないね。
膨大な戦史を下に主要な海軍作戦を再現してくださっているCHさんがあり、そこでも指摘されていますが、山本長官の先見性は明らかなものの空母戦そのものの理解は乏しかったのではないかと思わざるを得ません。辿られる戦史のあらゆる瞬間、索敵、防空、給油、攻撃全てにおいて空母戦は本当に数が極めて重要で誤れば容易に喪失する戦力である事をひしひしと感じますが、南雲部隊は次第に分散運用されるようになるし敵情の調査も御座なりなままに都合で投入されるようになるのです。結果予測不能の事態の連続に晒された現場司令部に全ての責任を追わせた構造とその後の影響についても考えさせられるものがありました。1943年の敵側民間雑誌で同じ警句を見ることになるとは…素晴らしい解説者の皆様がこうやってピースを埋めてくださっていく事に感謝いたします。
あのミッドウェーシリーズには再度深く考えさせられましたね。山本長官には諜報情報とレーダーと索敵についての認識に何故か大きな穴があってあれではまるで幸運な偶然に頼って指揮したように見えます。確かにバルチック艦隊は対馬海峡を通らない選択も出来たけど理由があってあそこに来た。ミッドウェーで敵機動部隊がどこにいるかについて日本側には何の根拠も持たなかったように見えてしまう。楽観的な推理推論以外には。ロングレンジで戦うためには絶対に必要な情報の欠如
最善を尽くすは無能な働き物の言い訳では?と東部戦線、太平洋の戦いを知るほどシニカルに考えたくなる。勿論日本人ドイツ人があれほど激しく戦ったから戦後の世界でも決して軽く見られずそれが復興発展に大きな影響を与えた事は認めるし、そもそも英米に舐められたらお終いていう冷徹なリアリズムも理解しますが。指導者に求められる資質が総力戦では不可能なくらい高くなるから犠牲になる大衆側としては苛立ちがある
当時のフライング誌の鮮明な写真を見て、山モロは戦争に勝てないと悟った。
大和、武蔵以外の戦艦が老朽艦だったことを考えると、大和建造で満足させて空母は転用艦も含めて数を増やしたんだろうな
まあ、スプルーアンス提督もトラック空襲の時に、戦艦で突撃したりしていますし、戦後も戦艦を造ってNATO海軍の旗艦にした国も、湾岸戦争で戦艦を使用した国もあります
2:35 モニターが北軍でメリマックが南軍ですよね。この説明では逆になってるように見える(元の雑誌が間違えてる?)
敵を知り己を知らば、百戦殆うからずと言うが、米軍がまさにそれだったとはな… 敵(の正体)を知ろうともせず、己(の現実)も知ろうとしなかった我が国が敗れ去ったわけだわ。辛いけど。
1943年か…日本海軍はミッドウェーから半年間の混乱期を経て、主戦力を空母部隊から基地航空隊へとシフトしていく時期だ。
艦載機の搭乗員の枯渇から。艦爆、艦攻の被害が。
スリックだから結構お金持ち向きな雑誌ですね。綺麗に残ってる流石に。
米国は、戦時中の軍事組織といえども、議会の同意を得ないとリソースがもらえないし、説明不足だとリソースを削られてしまいます。それは一見軍事組織を縛るようでいて、失敗や責任を客観的に炙り出すことを可能とし、リソースを適切に配分することに寄与したように思われます。もっとも、米海軍は、太平洋戦争初頭、僅かな空母をフル稼働して日本海軍を翻弄したのが成功体験として染みついたため、現在も空母任務部隊/空母打撃群に固執し過ぎている、と批判されることもありますね。ソ連海軍というお得意様を失い、水上戦闘艦や攻撃型潜水艦に対地攻撃能力を付与して、組織維持に汲々としているし。
日本の発艦方法の2回に分ける。は、雷爆同時攻撃を可能にしている。ミッドウェーでフレッチャーが始めるまで、していなかった。TBDの航続距離、速度が同時攻撃を不可能に為ている。レキシントンは、97艦攻をTBDと道東にみて、護衛機を低空に配置為たために、上空を通過した戦闘機、艦爆、雷撃に雷爆同時攻撃されている。
サムネ、舘ひろしかと思ったら違った
アメリカが空母を軽視していたわけもなく、国内の文民向けに日本の脅威を強調する目的で書かれたものでしょうかね。巡洋戦艦最上!
アメリカも一枚岩ではなかったんですよ。海軍はもちろんちゃんと考えて艦隊を充実させたいと考えていたけど、議会はそうではなかった。海軍は空母の重要性を知っていたけど、議会はレキシントンやサラトガを金食い虫と見做していた。
だが、ミッドウエーでは後方の大和に乗艦していて、空母を失った後に重巡4隻にミッドウエーを艦砲射撃しろと命じている。当然、重巡部隊はボコボコにされた訳で。そして本人は一切戦闘もしないで退却。山本の良い話は伝聞やら戦後の回想やらで、史実で見たら失敗しかしてないよ。パールハーバーも日本視点で戦術的には成功でも、戦略的には大失敗。あの後、アメリカが講和をする道が完全に無くなった。
このころの米空母ですらタフ。以後はもっと沈まなくなる。さらに英空母は米空母かるく超える防御力。日本も相手が日米両横綱でない、ほかの国なら、十分戦えたのにね・・・もう政治的な判断力も致命的に欠落していたのが不幸の上塗りだよ
まあ、米国は後から作っても間に合うからね。航空機の発着のできない夜間と荒天時を考えると戦艦と空母両方が欲しい。木造船の頃。大砲に対して装甲を貼ることはできなかった。船の数を揃えるのはダメコンとして信頼できる。船に水兵の数をたくさん載せてダメコン要員に使う考えがある
この軍事雑誌記事は明快な解説内容ですね。
(´ー`)<空母レキシントンは、米海軍が喪失した最大の水上艦であり、その記録は未来永劫に破られないだろう…)
巡戦もがみんwwww
山本五十六が真珠湾攻撃で艦船に対する航空機の優位性を米海軍に教えてしまった…なんて主張もあったものですが、米海軍だって開戦前から空母を運用しており優位性は認識していたんですよね。アメリカの工業力が本気を出し攻勢に転じられる前に講和できていれば理想でしたが、文面からもそんなわけが無し…。
レキシントンを見て、赤城、加賀を1枚甲板に為ている。レキシントンは近未来的。
艦爆は米国から。
相手側の感情以外に戦略目標が無い
不思議な戦いが総力戦と呼ばれてますね。現実的に相手国本土への攻撃が不可能なのに勝てると考えて開戦する非論理性。ドーバーを渡る船無しにイギリスに勝てると考えるドイツ。国境線がコロコロ変わるヨーロッパでさえ国民国家は堅牢な実体を
伴っていて、ロシア人はスターリンよりヒトラーを憎んだ。
だから、空母をわざと真珠湾から逃がした?
まあ、タラント空襲で明らかでしたよね。それなのに、真珠湾で魚雷柵も設けずに古い戦艦だけ配置する。そして、スパイも泳がせといて奇襲終了後に逮捕。怪しいなぁ、、、
この雑誌が戦中の物とはとても思えない位綺麗だな。現代の雑誌と言われても不思議じゃないね。
膨大な戦史を下に主要な海軍作戦を再現してくださっているCHさんがあり、そこでも指摘されていますが、山本長官の先見性は明らかなものの空母戦そのものの理解は乏しかったのではないかと思わざるを得ません。辿られる戦史のあらゆる瞬間、索敵、防空、給油、攻撃全てにおいて空母戦は本当に数が極めて重要で誤れば容易に喪失する戦力である事をひしひしと感じますが、南雲部隊は次第に分散運用されるようになるし敵情の調査も御座なりなままに都合で投入されるようになるのです。結果予測不能の事態の連続に晒された現場司令部に全ての責任を追わせた構造とその後の影響についても考えさせられるものがありました。
1943年の敵側民間雑誌で同じ警句を見ることになるとは…素晴らしい解説者の皆様がこうやってピースを埋めてくださっていく事に感謝いたします。
あのミッドウェーシリーズには再度深く考えさせられましたね。山本長官には諜報情報とレーダーと索敵についての認識に何故か大きな穴があって
あれではまるで幸運な偶然に頼って
指揮したように見えます。確かにバルチック艦隊は対馬海峡を通らない選択も出来たけど理由があってあそこに来た。ミッドウェーで敵機動部隊がどこにいるかについて日本側には何の根拠も持たなかったように見えてしまう。楽観的な推理推論以外には。ロングレンジで戦うためには絶対に必要な情報の欠如
最善を尽くすは
無能な働き物の言い訳では?と
東部戦線、太平洋の戦いを
知るほどシニカルに考えたくなる。
勿論日本人ドイツ人があれほど激しく戦ったから戦後の世界でも決して軽く見られずそれが復興発展に大きな影響を与えた事は認めるし、そもそも英米に舐められたらお終いていう冷徹なリアリズムも理解しますが。
指導者に求められる資質が総力戦では不可能なくらい高くなるから犠牲になる大衆側としては苛立ちがある
当時のフライング誌の鮮明な写真を見て、山モロは戦争に勝てないと悟った。
大和、武蔵以外の戦艦が老朽艦だったことを考えると、大和建造で満足させて空母は転用艦も含めて数を増やしたんだろうな
まあ、スプルーアンス提督もトラック空襲の時に、戦艦で突撃したりしていますし、戦後も戦艦を造ってNATO海軍の旗艦にした国も、湾岸戦争で戦艦を使用した国もあります
2:35 モニターが北軍でメリマックが南軍ですよね。この説明では逆になってるように見える(元の雑誌が間違えてる?)
敵を知り己を知らば、百戦殆うからずと言うが、米軍がまさにそれだったとはな… 敵(の正体)を知ろうともせず、己(の現実)も知ろうとしなかった我が国が敗れ去ったわけだわ。辛いけど。
1943年か…
日本海軍はミッドウェーから半年間の混乱期を経て、主戦力を空母部隊から基地航空隊へとシフトしていく時期だ。
艦載機の搭乗員の枯渇から。艦爆、艦攻の被害が。
スリックだから結構お金持ち向きな雑誌ですね。綺麗に残ってる流石に。
米国は、戦時中の軍事組織といえども、議会の同意を得ないとリソースがもらえないし、説明不足だとリソースを削られてしまいます。それは一見軍事組織を縛るようでいて、失敗や責任を客観的に炙り出すことを可能とし、リソースを適切に配分することに寄与したように思われます。
もっとも、米海軍は、太平洋戦争初頭、僅かな空母をフル稼働して日本海軍を翻弄したのが成功体験として染みついたため、現在も空母任務部隊/空母打撃群に固執し過ぎている、と批判されることもありますね。ソ連海軍というお得意様を失い、水上戦闘艦や攻撃型潜水艦に対地攻撃能力を付与して、組織維持に汲々としているし。
日本の発艦方法の2回に分ける。は、雷爆同時攻撃を可能にしている。
ミッドウェーでフレッチャーが始めるまで、していなかった。TBDの航続距離、速度が同時攻撃を不可能に為ている。
レキシントンは、97艦攻をTBDと道東にみて、護衛機を低空に配置為たために、上空を通過した戦闘機、艦爆、雷撃に雷爆同時攻撃されている。
サムネ、舘ひろしかと思ったら違った
アメリカが空母を軽視していたわけもなく、国内の文民向けに日本の脅威を強調する目的で書かれたものでしょうかね。巡洋戦艦最上!
アメリカも一枚岩ではなかったんですよ。
海軍はもちろんちゃんと考えて艦隊を充実させたいと考えていたけど、議会はそうではなかった。海軍は空母の重要性を知っていたけど、議会はレキシントンやサラトガを金食い虫と見做していた。
だが、ミッドウエーでは後方の大和に乗艦していて、空母を失った後に重巡4隻にミッドウエーを艦砲射撃しろと命じている。
当然、重巡部隊はボコボコにされた訳で。
そして本人は一切戦闘もしないで退却。
山本の良い話は伝聞やら戦後の回想やらで、史実で見たら失敗しかしてないよ。
パールハーバーも日本視点で戦術的には成功でも、戦略的には大失敗。
あの後、アメリカが講和をする道が完全に無くなった。
このころの米空母ですらタフ。以後はもっと沈まなくなる。さらに英空母は米空母かるく超える防御力。日本も相手が日米両横綱でない、ほかの国なら、十分戦えたのにね・・・もう政治的な判断力も致命的に欠落していたのが不幸の上塗りだよ
まあ、米国は後から作っても間に合うからね。航空機の発着のできない夜間と荒天時を考えると戦艦と空母両方が欲しい。木造船の頃。大砲に対して装甲を貼ることはできなかった。船の数を揃えるのはダメコンとして信頼できる。船に水兵の数をたくさん載せてダメコン要員に使う考えがある
この軍事雑誌記事は明快な解説内容ですね。
(´ー`)<空母レキシントンは、米海軍が喪失した最大の水上艦であり、その記録は未来永劫に破られないだろう…)
巡戦もがみんwwww