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坂出のホテル経営者です。坂出にお越し頂き感激しております。昔は宿泊客の方々に崇徳天皇の遺言の『皇を取って民とし民を皇となさん』と後の鎌倉幕府の成立の話などをしたりもしておりました。先生の動画でさらに崇徳天皇と坂出に皆様のご興味ご関心が集まることを願っております。
昔でも、男でも、天皇でもどれほどつらかったでしょう。明るい陽射し。良かった。先生の、お言葉こそ温かいです
崇徳上皇の話、いつ聞いても涙が出ます。安らかにお眠りください。
京都の西陣に行ったときに、白峯神宮という蹴鞠が有名な神社があって訪れたのですが、そこで神職の方とお話しさせてもらった時に、明治天皇が崇徳天皇の魂を慰めるために創建されたと聞きました。近代になっての神宮創建ですから、皇族や公家の間では、七百年経っても崇徳天皇の祟りを恐れていたのだと思います。
保元の乱から維新まで続いた武家の時代を、「皇を取って民とし、民を皇となさん」という崇徳上皇の呪詛と結びつける観念があったようです。
@@maomao96363 もしかして小室が現れたのは崇徳天皇の呪詛😰
㏍も、KKと夫婦となったA宮家の姫も、A宮家も、崇徳上皇の呪詛を想起せずにはおられません。
20年前、高橋克彦先生の小説から崇徳院の事を知ることとなりました。有名な「瀬をはやみ岩にせかるる谷川の割れても末にあわむぞと思う」の句は、恋愛ではなく和解を願ったものではなかったか、と個人的には思っています😢歴代天皇はお忍びでこちらに参拝されているという噂を聴いたことがあります
教科書で読む、流すような歴史と違い茂木先生の息使い、本物の風景を見ながら学ぶ歴史。頭に入ってきます。なんと、贅沢な授業だろう。茂木先生の書籍、買わないといけないな。
真意はどうであれ、親子なのに、打ち解けることができないのは哀しいです。他人なら諦めることはできますが、家族ですから。崇徳上皇は優しすぎたのだと思います。自分がおかしくなるくらいに。せめて、瀬戸内の明るいところに葬られたのは救いです。周りの人も呪いが怖いと思うよりも、気の毒に思ってのことではないでしょうか。明るい廟なので、きっとすぐに成仏されたと思います。
またまた四国へようこそお越し下さいました。💕金毘羅さん=第6代大物主さまの力で崇徳院の霊を封じ込めているそうです。日本一の怨霊になってしまった崇徳院、胸が痛みます。😢
ここにも大物主!
茂木先生のお話しいつもとても心優しさが伝わります✨有り難うございます✨
もぎ先生のお話しは本当にわかりやすくてスーっと入って来ます!崇徳天皇は怨霊と言われているけど、ただひたすらに悲劇でかわいそうな方ですよね😢
茂木誠先生のお話で初めて、崇徳天皇様の御苦しみ悲しみが伝わりました。茂木誠先生、有り難い御供養で御座いました。茂木誠先生の大切な御使命だと思います。❤
@@kiyomi3245 本当におっしゃる通りです。私も涙しながら動画見ております。
茂木先生お疲れさまです。崇徳上皇を思うと怨念というよりも親に愛されなかった深い悲しみが痛いほど伝わって参ります…。転生された世では愛に満ちた人生を歩まれていることを願うばかりです。三大墓所(怨霊とは呼びたくないw)で唯一お参り出来ていなかったので先生のおかげで拝見することができました。ありがとうございました!
京都の祇園にも崇徳天皇の御廟がございます。崇徳院の御寵妃であった阿波内侍が崇徳院の崩御の後、ご遺髪をもらい請けて塚を築き崇徳院をお祭りしました。近くの安井金比羅宮は崇徳院と阿波内侍がともに過ごした寺院の跡に建てられた神社で、崇徳院の御苦難の多い人生の中でひと時の安らぎと幸せな時間を過ごされた場所であって、その場所に崇徳院の御霊を祀っています。また京都御所の近くの白峯神宮は、孝明天皇、明治天皇の聖慮により白峰陵より崇徳院の御霊に京都にお還りいただきお祭りをした神宮です。怨霊となった崇徳院も今では京都で神様として篤く崇敬されています。
ジオヒストリア、書店で見つけて買いました。東北の遺跡、行く前に予習します。
ありがとうございます。良いチャンネルに出逢い感激しております。崇徳天皇の悲しみに本当に涙しました。西行様が霊を慰めにお参りして下さいました。私は西行様を慕う人間です。ありがとうございました。これからも沢山の動画を楽しみにしております、
崇徳天皇様❗️本当に無念だったでしょう‼️合掌🙏
大河ドラマの平清盛を思い出します。待賢門院が檀れいさんで、美福門院が松雪泰子さんだったんですよね。白河法皇が伊東四朗さんでした。もう10年も前の放送とは…うろ覚えですが、最終回あたりで後の源氏による武士の世につながる平家の役割などに言及していて、教科書の単語の羅列の様な歴史ではなく、なぜそうなったかというストーリーが初めて理解できた作品でした。私はかなりいい作品だと思っていたんですが、視聴率の低さで話題になってましたね〜
古今東西、親子関係って難しいですね😢色んなことに執着し過ぎないで家族を大切に生きる、それしか答えは無い気がします😢
よしやきみ心に残ります。⛩️🇯🇵
その場に赴けば風景さえもが歴史の情景をも感じれ当時の人物像も生きず居て脈々と伝えられてきた日本の歴史感謝します
先生御自ら行かれた映像を見られてありがたいです。先生の企画された歴史散歩のようなものがあると嬉しいなぁ・・・と思ってしまいました。
伊豆の旅は、書籍化の計画があります。
平清盛の大河ドラマで、かなり泥々しく描かれて衝撃的だった、白河上皇に纏わるお話ですね皇族のお話なので不敬だと批判を受けそうですが、日本書紀を読んでも、昔は皇位継承を巡って皇族内で血生臭い争いがあったことが平然と書かれており、史実は下手な小説よりも興味深いと思います非業の最期を遂げられた崇徳上皇のご冥福をお祈りします
いつも参拝シリーズ楽しみにしております。日本の秋の風景、お寺の散策、心があらわれます。先生の解説を聞きながらだと、さらに時代スリップしたような臨場感あふれますね。生前のものではない歌のやりとりに、底知れぬ日本的な魂を感じました。あはれ、という感覚ってこんな感じなのでしょうか。
この世とあの世の境目が曖昧ですね。
四国ご旅行の動画がまだあったなんて💖。御陵のご様子がキラキラと清々しく輝いているように映るのは、きっと先生の崇徳天皇を思い遣られる心を受けられてのことだと思います。11月の八王子城楽しみです。山もそろそろ色付き始める頃でしょうか🍁
坂出にも来てくれてたんですかありがとうございますようこそ香川へ
正月休みに動画を拝見しました。中学生の時に雨月物語を読んで驚き、大学生の時に小室直樹先生の「天皇、畏るべし」を読んで雨月物語の意味を知りました。ここもお参りせねば・・と思いました。ありがとうございます。
上田秋成の雨月物語の最初の話が「白峰」ですね。西行と上皇の怨霊のやり取りが迫力が有ります。
実際に現地に赴かれたお話を聞くほど感じるものはないですね。静かなた語りと内容に毎回わくわくしてます。
竹田恒泰先生の『怨霊になった天皇』を読んで、京都の白峯神宮に参拝したことがあります。西行法師と崇徳天皇は生前から交流があり、西行は讃岐に配流された崇徳天皇に「その日より落つる涙を形見にて 思い忘るる時の間もなし」と詠んでいます。茂木先生は平将門にも心を寄せられ、この度は崇徳天皇の御霊も慰められにいかれ、とても感動しております😿機会がありましたら、菅原道真公がおはします太宰府天満宮にも訪れていただきたいです。朝のお散歩中のわんこがお父さんと一緒に礼儀正しく参拝していたり、近所のねこちゃんが灯籠に登って寝ていたり、お隣が幼稚園だったり、道真公の優しさしか感じないお宮でした。
茂木先生とともに各地を巡っているようで、とてもありがたく、楽しみなシリーズです。画面の揺れにもお気遣いをいただいて、とても見やすくなりました。感謝です。いつもありがとうございます。
鳥羽上皇が実の子か否かを疑ったのは何か核心があったのでしょうか、だとしても恨まれるなら白河上皇の方ですよね、崇徳にはなんの罪もないし、存在しているだけで恨まれるというのもお気の毒ですね…
鳥羽のサイコパスは、後白河が受け継ぎました。
このシリーズとブラタモギ、お酒と合うんですよね😊
さいご、相模坊大権現くだりに出てくる「大山」は、「おおやま」だと思います。「おおやま=大山」は、755年に東大寺初代別当の良弁(ろうべん)僧正が開山し、おおやまでら=大山寺を開創しました。明治元年の神仏判然令で聖職者同士の争いとなり、寺と神社(大山寺と阿夫利神社)に分かれ、今日に至ります。なお、鳥取県の「だいせん=大山」も修験で有名です。
ご教示ありがとうございます😊
西行が行かれた御陵 慈しみ、哀れみ溢れる 西行のかげながらの道行き🏞️
白峯神宮の近くで育ったので四国にある崇徳院陵の存在が長らく気になっていました。こうして動画で見る事ができるのは非常にありがたいです。私は玉の床は「たまのとこ」と読んでいました(玉床=たまどこ)、しかし「たまのゆか」でも間違いではない事を知りました。意味的にもほぼ同じ。また一つ知識が増えました😊
相変わらずのイケボ
崇徳上皇本当に不幸だったと思います。ご冥福をお祈り申し上げます
茂木誠先生の崇徳天皇さまを拝聴して、なぜ.魔王になられたのかが始めてわかりました。本当に心が痛みました。茂木誠先生はこの様にして、本当に御供養されました。
こんにちは、皇室の中で唯一物凄い怨みを残して亡くなられた天皇でしたね、どうぞ安らかにお休みください~
地元民です。白峯寺は大晦日から初詣に登る山でした。子供の頃は崇徳上皇の由来はあまりわからず、白峯寺より、隣の根来寺の怪物のほうが怖かったです。
やっぱりお寺はいいなぁ! 南無崇徳大菩薩 五体当地 合掌
崇徳上皇の事を下記の書籍で知りました。興味のある方は、是非、一読をお勧めします。■参考書籍 →「天皇」の原理■参考書籍 →天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議
神奈川県民です。大山は、おおやま です。先日初めて大山の阿夫利神社に行って参りました。
今回のお寺とは関係ありませんが、以前原付きで四国八十八ヶ所を回っているなかで根香寺(ねごろじ)というお寺に行ったことがあるのですが。なんとも言えない気持ちになりました。駐車場の時点で気持ちが悪くなったのですが、中に入っていくたびに入ってはいけない場所のような気持ちになり急いで御朱印だけもらい逃げるように帰ったのを思い出しました。私は合理主義者なので普段は霊とか信じないのですが、なんとも言えない不思議な気持ちでした。10年近く前のことなので白峰寺と根香寺どっちかだったのは覚えていたのですが、最近グーグルの写真を見て思い出しました。
西行も懸想したと云われる待賢門院は大変美しい人だったそうです。崇徳上皇の話を読むと最期も亡くなった後もおどろおどろしくて、もっと暗いイメージでしたが、瀬戸内の明るい御陵で驚きました。
ありがとうございます🎵平将門と菅原道真は有名、というか、九州に島流し、笑ですが、崇徳天皇はなんか、よく解らなかったですみんな島流しですね😃ありがとうございます🎵
■参考書籍 →天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議
あら?天狗。 そうか、茂木先生のお話にあった真言密教(汗)ググると相模坊は室町時代の人のようですね。崇徳院は西行の一歳下らしいので西行法師にも思うところは多々あったでしょうねぇ(合掌)
10年くらい前、大阪の朝日カルチャーセンターで怨霊の講義をされている大学の先生が、崇徳天皇の話をされていました。祇園で芸者さんの置屋をされている女将が、ある日突然、体の中に誰か入ってきて 誰?と聞くと崇徳じゃ と答えられて、それから数十年、女将の体に入って二人になったり、女将が崇徳に出てってと言うと暫く出ていったり、寂しくなって あんた戻って来てというとパッと戻ってきたり。長年、連れ添った夫婦のような関係だそうです。
大森亮尚とゆう方の講義で 崇徳院の生涯 という御本を書かれています。
京都の祇園にある崇徳天皇御廟もたまに通りますが、夜に前を通ると異様な雰囲気があります。安井金比羅宮の裏でホテル街という場所ではありますが。
ストックホルムからこの動画を拝見。相模大権現の持つ剣は典型的なローマ軍の使用した人を殺すための刀剣ですね。四国とは不思議な場所ですね...
太刀でも刀でもなく、諸刃の剣(つるぎ)ですね。古墳から出土するのがこれです。
古墳からの諸刃の剣は長、短剣があるのでは?ローマ軍は短剣が主。「太刀でも刀でもなく、諸刃の剣(つるぎ)ですね」は意味不明です?
茂木先生 ありがとうございます!
淡路島から次があったんですね。お帰りになったものと思ってました。時代が一気に進み、異なった時になりましたね。崇徳上皇がお亡くなりになるなった後、700年後に蛤御門の変があり、武家政治から戻った事を思うと、感慨深く、かなりの怨霊であったことが思われますが、京都にお戻りになられ今は鎮まっていらっしゃいますかね。その後(明治元年)から、2022年は、77年×2です。その丁度真ん中・前後77年が、太平洋戦争(第東亜戦争)終わった年であることを考えると、更に、考えさせられます。
うちは埼玉県の入間郡ですけど家の近くに中世の頃には廃れた崇徳寺跡がありますよ
崇徳天皇と平清盛は兄弟(腹違い)かもしれない
崇徳方について斬首された源為義(頼朝の祖父)の郎党が、武蔵まで落ち延びて崇徳寺を建立した、という話がありますね。
@@maomao96363 今もDNAで有能な方が育つ
自分の父親の子供かもしれないという直感、意外と当たっている。
明治天皇が大政奉還後に崇徳天皇の御霊を京都に戻したのは、崇徳上皇の呪いの「王が下民になり、下民が王になる」つまり武家政権が終わりの呪いが解けたという解釈でしょうか?
徳の名つく天皇は、不慮の死を遂げた天皇が多いと、怨霊封じのためと、ある作家が言っていました。古代の仁徳天皇は別として、聖徳太子、孝徳天皇、称徳天皇、崇徳天皇、安徳天皇、後鳥羽天皇(顕徳院)、順徳天皇。
今上陛下も徳の字が使ってある事が気になっています。もちろん諱ではないけれど。
@@user-on3jp3wd6n これは知っております。昭和大帝が名付けたとか。。。
崇徳天皇の悲劇は鳥羽天皇と白河法皇との確執が背景にあります。鳥羽天皇が在位中は白河法皇が院政をしき全く権限を与えられず、わずか20歳で譲位させられ3歳の崇徳天皇が即位したわけで、父を幼い時に亡くし祖父に蔑ろにされたという点では鳥羽天皇も不幸な方です。ちなみに保元の乱で崇徳側と敵対した平清盛も白河法皇の子と言われてましたね
祇園の茶屋よしうたの女将さんは前世で崇徳天皇と恋仲だったとか… 詳細は竹田恒泰氏の著書にあります 私も女将さんから直接聞いたことがあります
茂木先生の歴史の話とても面白くて毎回楽しみにしてますが、参政党と統一教会の話も聞きたいなぁ
竹田恒泰さんが崇徳天皇の事を本にした際、かなり恐ろしい事がつづいたらしいです。先生の動画を見て、崇徳天皇が立派な人格、天皇家にお生れになるくらいの神格をお持ちになるくらいにも関わらず「大魔王になって…。と呪いの念を持ってしまった事、本当にお労しいです。ところで、崇は祟りに似た字ですね。
崇徳上皇か。怨念ですね!
「崇徳院」どうしても落語に行っちゃう不届き者です床屋の梯子して 女性の消息を探す棟梁女房がケツを叩くので 見つかるまで家に帰れないし草鞋をどっさり持って 毎日恋煩いの若旦那の見初めた女性を探すんですこの時 崇徳院様の和歌が出てきます
院政期の皇室は、とても尊敬できるものではないですね。醜いの一言です。それでも皇統を維持してきた点には感謝したいです😉。
ご皇室は、権力から離れてこそ意味があります。
京都月輪陵に崇徳天皇皇后聖子陵があるよ。どういう人生だったんかな。
なんか山がポコポコ不自然
瀬を早み岩にせかるる瀧川の・・・のお方かな
崇徳院ですら落語になってしまう芸術性の高さよ。ua-cam.com/video/ZU15z0vuHcU/v-deo.html
「瀬をはやみ」が耳から離れないww
写経に現地妻との間に子をもうけたりと流刑地での田舎暮らしをそれなりにエンジョイしていた。没後に怨霊扱いされているとは思うまい。終生恨み節を呟いた後鳥羽院なら怨霊になっても仕方ないが。
個人的には、崇徳上皇も将門も道真も、祟るような恨みは持たなかっただろうと思っています。御三方とも、相当の勉学も収め人徳も高かったと思うのです。後世の人々の作り話ではないでしょうか。赤穂浪士の様な、ね。因みに崇徳上皇が写経されたというのは、どの経典なのでしょうか?お気持ちを偲ぶのに役立つと思います。
保元物語に、「五部大蔵経」とありますね。
@@maomao96363 ご返事ありがとうございます。大蔵経ですか。そりゃすごい!やはり安易な思いではないですね。
鳴くカラスすら意味深な
四国の唯一の崇徳天皇陵か? 3歳の天皇。
何時も有難う御座います。崇と言う字は余り、良い字では無いのですかね?
「崇める」と「祟る」とは別字です。
坂出のホテル経営者です。
坂出にお越し頂き感激しております。
昔は宿泊客の方々に崇徳天皇の遺言の『皇を取って民とし民を皇となさん』と後の鎌倉幕府の成立の話などをしたりもしておりました。
先生の動画でさらに崇徳天皇と坂出に皆様のご興味ご関心が集まることを願っております。
昔でも、男でも、天皇でもどれほどつらかったでしょう。
明るい陽射し。良かった。先生の、お言葉こそ温かいです
崇徳上皇の話、いつ聞いても涙が出ます。
安らかにお眠りください。
京都の西陣に行ったときに、白峯神宮という蹴鞠が有名な神社があって訪れたのですが、そこで神職の方とお話しさせてもらった時に、明治天皇が崇徳天皇の魂を慰めるために創建されたと聞きました。
近代になっての神宮創建ですから、皇族や公家の間では、七百年経っても崇徳天皇の祟りを恐れていたのだと思います。
保元の乱から維新まで続いた武家の時代を、「皇を取って民とし、民を皇となさん」という崇徳上皇の呪詛と結びつける観念があったようです。
@@maomao96363 もしかして小室が現れたのは崇徳天皇の呪詛😰
㏍も、KKと夫婦となったA宮家の姫も、A宮家も、崇徳上皇の呪詛を想起せずにはおられません。
20年前、高橋克彦先生の小説から崇徳院の事を知ることとなりました。
有名な「瀬をはやみ岩にせかるる谷川の割れても末にあわむぞと思う」の句は、恋愛ではなく和解を願ったものではなかったか、と個人的には思っています😢
歴代天皇はお忍びでこちらに参拝されているという噂を聴いたことがあります
教科書で読む、流すような歴史と違い
茂木先生の息使い、本物の風景を見ながら学ぶ歴史。
頭に入ってきます。
なんと、贅沢な授業だろう。
茂木先生の書籍、買わないといけないな。
真意はどうであれ、親子なのに、打ち解けることができないのは哀しいです。他人なら諦めることはできますが、家族ですから。
崇徳上皇は優しすぎたのだと思います。自分がおかしくなるくらいに。
せめて、瀬戸内の明るいところに葬られたのは救いです。周りの人も呪いが怖いと思うよりも、気の毒に思ってのことではないでしょうか。明るい廟なので、きっとすぐに成仏されたと思います。
またまた四国へようこそお越し下さいました。💕
金毘羅さん=第6代大物主さまの力で崇徳院の霊を封じ込めているそうです。
日本一の怨霊になってしまった崇徳院、胸が痛みます。😢
ここにも大物主!
茂木先生のお話しいつもとても心優しさが伝わります✨有り難うございます✨
もぎ先生のお話しは本当にわかりやすくてスーっと入って来ます!
崇徳天皇は怨霊と言われているけど、ただひたすらに悲劇でかわいそうな方ですよね😢
茂木誠先生のお話で初めて、崇徳天皇様の御苦しみ悲しみが伝わりました。
茂木誠先生、有り難い御供養で御座いました。茂木誠先生の大切な御使命だと思います。❤
@@kiyomi3245 本当におっしゃる通りです。私も涙しながら動画見ております。
茂木先生お疲れさまです。崇徳上皇を思うと怨念というよりも親に愛されなかった深い悲しみが痛いほど伝わって参ります…。
転生された世では愛に満ちた人生を歩まれていることを願うばかりです。三大墓所(怨霊とは呼びたくないw)で唯一お参り出来ていなかったので先生のおかげで拝見することができました。
ありがとうございました!
京都の祇園にも崇徳天皇の御廟がございます。崇徳院の御寵妃であった阿波内侍が崇徳院の崩御の後、ご遺髪をもらい請けて塚を築き崇徳院をお祭りしました。近くの安井金比羅宮は崇徳院と阿波内侍がともに過ごした寺院の跡に建てられた神社で、崇徳院の御苦難の多い人生の中でひと時の安らぎと幸せな時間を過ごされた場所であって、その場所に崇徳院の御霊を祀っています。
また京都御所の近くの白峯神宮は、孝明天皇、明治天皇の聖慮により白峰陵より崇徳院の御霊に京都にお還りいただきお祭りをした神宮です。怨霊となった崇徳院も今では京都で神様として篤く崇敬されています。
ジオヒストリア、書店で見つけて買いました。東北の遺跡、行く前に予習します。
ありがとうございます。良いチャンネルに出逢い感激しております。崇徳天皇の悲しみに本当に涙しました。西行様が霊を慰めにお参りして下さいました。私は西行様を慕う人間です。ありがとうございました。これからも沢山の動画を楽しみにしております、
崇徳天皇様❗️本当に無念だったでしょう‼️合掌🙏
大河ドラマの平清盛を思い出します。
待賢門院が檀れいさんで、美福門院が松雪泰子さんだったんですよね。
白河法皇が伊東四朗さんでした。
もう10年も前の放送とは…
うろ覚えですが、最終回あたりで後の源氏による武士の世につながる平家の役割などに言及していて、教科書の単語の羅列の様な歴史ではなく、なぜそうなったかというストーリーが初めて理解できた作品でした。
私はかなりいい作品だと思っていたんですが、視聴率の低さで話題になってましたね〜
古今東西、親子関係って難しいですね😢
色んなことに執着し過ぎないで家族を大切に生きる、それしか答えは無い気がします😢
よしやきみ心に残ります。⛩️🇯🇵
その場に赴けば風景さえもが歴史の情景をも感じれ当時の人物像も生きず居て脈々と伝えられてきた日本の歴史感謝します
先生御自ら行かれた映像を見られてありがたいです。先生の企画された歴史散歩のようなものがあると嬉しいなぁ・・・と思ってしまいました。
伊豆の旅は、書籍化の計画があります。
平清盛の大河ドラマで、かなり泥々しく描かれて衝撃的だった、白河上皇に纏わるお話ですね
皇族のお話なので不敬だと批判を受けそうですが、日本書紀を読んでも、昔は皇位継承を巡って皇族内で血生臭い争いがあったことが平然と書かれており、史実は下手な小説よりも興味深いと思います
非業の最期を遂げられた崇徳上皇のご冥福をお祈りします
いつも参拝シリーズ楽しみにしております。日本の秋の風景、お寺の散策、心があらわれます。先生の解説を聞きながらだと、さらに時代スリップしたような臨場感あふれますね。生前のものではない歌のやりとりに、底知れぬ日本的な魂を感じました。あはれ、という感覚ってこんな感じなのでしょうか。
この世とあの世の境目が曖昧ですね。
四国ご旅行の動画がまだあったなんて💖。御陵のご様子がキラキラと清々しく輝いているように映るのは、きっと先生の崇徳天皇を思い遣られる心を受けられてのことだと思います。
11月の八王子城楽しみです。山もそろそろ色付き始める頃でしょうか🍁
坂出にも来てくれてたんですか
ありがとうございます
ようこそ香川へ
正月休みに動画を拝見しました。中学生の時に雨月物語を読んで驚き、大学生の時に小室直樹先生の「天皇、畏るべし」を読んで雨月物語の意味を知りました。
ここもお参りせねば・・と思いました。ありがとうございます。
上田秋成の雨月物語の最初の話が「白峰」ですね。西行と上皇の怨霊のやり取りが迫力が有ります。
実際に現地に赴かれたお話を聞くほど感じるものはないですね。
静かなた語りと内容に毎回わくわくしてます。
竹田恒泰先生の『怨霊になった天皇』を読んで、京都の白峯神宮に参拝したことがあります。西行法師と崇徳天皇は生前から交流があり、西行は讃岐に配流された崇徳天皇に「その日より落つる涙を形見にて 思い忘るる時の間もなし」と詠んでいます。
茂木先生は平将門にも心を寄せられ、この度は崇徳天皇の御霊も慰められにいかれ、とても感動しております😿
機会がありましたら、菅原道真公がおはします太宰府天満宮にも訪れていただきたいです。朝のお散歩中のわんこがお父さんと一緒に礼儀正しく参拝していたり、近所のねこちゃんが灯籠に登って寝ていたり、お隣が幼稚園だったり、道真公の優しさしか感じないお宮でした。
茂木先生とともに各地を巡っているようで、とてもありがたく、楽しみなシリーズです。
画面の揺れにもお気遣いをいただいて、とても見やすくなりました。感謝です。
いつもありがとうございます。
鳥羽上皇が実の子か否かを疑ったのは何か核心があったのでしょうか、だとしても恨まれるなら白河上皇の方ですよね、崇徳にはなんの罪もないし、存在しているだけで恨まれるというのもお気の毒ですね…
鳥羽のサイコパスは、後白河が受け継ぎました。
このシリーズとブラタモギ、お酒と合うんですよね😊
さいご、相模坊大権現くだりに出てくる「大山」は、「おおやま」だと思います。
「おおやま=大山」は、755年に東大寺初代別当の良弁(ろうべん)僧正が開山し、
おおやまでら=大山寺を開創しました。明治元年の神仏判然令で聖職者同士の争い
となり、寺と神社(大山寺と阿夫利神社)に分かれ、今日に至ります。
なお、鳥取県の「だいせん=大山」も修験で有名です。
ご教示ありがとうございます😊
西行が行かれた御陵
慈しみ、哀れみ溢れる
西行のかげながらの道行き🏞️
白峯神宮の近くで育ったので四国にある崇徳院陵の存在が長らく気になっていました。こうして動画で見る事ができるのは非常にありがたいです。私は玉の床は「たまのとこ」と読んでいました(玉床=たまどこ)、しかし「たまのゆか」でも間違いではない事を知りました。意味的にもほぼ同じ。また一つ知識が増えました😊
相変わらずのイケボ
崇徳上皇本当に不幸だったと思います。ご冥福をお祈り申し上げます
茂木誠先生の崇徳天皇さまを拝聴して、なぜ.魔王になられたのかが始めてわかりました。本当に心が痛みました。茂木誠先生はこの様にして、本当に御供養されました。
こんにちは、皇室の中で唯一物凄い怨みを残して亡くなられた天皇でしたね、どうぞ安らかにお休みください~
地元民です。白峯寺は大晦日から初詣に登る山でした。子供の頃は崇徳上皇の由来はあまりわからず、白峯寺より、隣の根来寺の怪物のほうが怖かったです。
やっぱりお寺はいいなぁ! 南無崇徳大菩薩 五体当地 合掌
崇徳上皇の事を下記の書籍で知りました。
興味のある方は、是非、一読をお勧めします。
■参考書籍 →「天皇」の原理
■参考書籍 →天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議
神奈川県民です。大山は、おおやま です。先日初めて大山の阿夫利神社に行って参りました。
今回のお寺とは関係ありませんが、以前原付きで四国八十八ヶ所を回っているなかで根香寺(ねごろじ)というお寺に行ったことがあるのですが。
なんとも言えない気持ちになりました。
駐車場の時点で気持ちが悪くなったのですが、中に入っていくたびに入ってはいけない場所のような気持ちになり急いで御朱印だけもらい逃げるように帰ったのを思い出しました。私は合理主義者なので普段は霊とか信じないのですが、なんとも言えない不思議な気持ちでした。
10年近く前のことなので白峰寺と根香寺どっちかだったのは覚えていたのですが、最近グーグルの写真を見て思い出しました。
西行も懸想したと云われる待賢門院は大変美しい人だったそうです。
崇徳上皇の話を読むと最期も亡くなった後もおどろおどろしくて、もっと暗いイメージでしたが、瀬戸内の明るい御陵で驚きました。
ありがとうございます🎵
平将門と菅原道真は有名、
というか、九州に島流し、笑
ですが、
崇徳天皇はなんか、
よく解らなかったです
みんな島流しですね😃
ありがとうございます🎵
■参考書籍 →天皇恐るべし―誰も考えなかった日本の不思議
あら?天狗。 そうか、茂木先生のお話にあった真言密教(汗)
ググると相模坊は室町時代の人のようですね。
崇徳院は西行の一歳下らしいので西行法師にも思うところは多々あったでしょうねぇ(合掌)
10年くらい前、大阪の朝日カルチャーセンターで怨霊の講義をされている大学の先生が、崇徳天皇の話をされていました。祇園で芸者さんの置屋をされている女将が、ある日突然、体の中に誰か入ってきて 誰?と聞くと崇徳じゃ と答えられて、それから数十年、女将の体に入って二人になったり、女将が崇徳に出てってと言うと暫く出ていったり、寂しくなって あんた戻って来てというとパッと戻ってきたり。長年、連れ添った夫婦のような関係だそうです。
大森亮尚とゆう方の講義で 崇徳院の生涯 という御本を書かれています。
京都の祇園にある崇徳天皇御廟もたまに通りますが、夜に前を通ると異様な雰囲気があります。
安井金比羅宮の裏でホテル街という場所ではありますが。
ストックホルムからこの動画を拝見。相模大権現の持つ剣は典型的なローマ軍の使用した人を殺すための刀剣ですね。四国とは不思議な場所ですね...
太刀でも刀でもなく、諸刃の剣(つるぎ)ですね。古墳から出土するのがこれです。
古墳からの諸刃の剣は長、短剣があるのでは?ローマ軍は短剣が主。「太刀でも刀でもなく、諸刃の剣(つるぎ)ですね」は意味不明です?
茂木先生 ありがとうございます!
淡路島から次があったんですね。お帰りになったものと思ってました。
時代が一気に進み、異なった時になりましたね。
崇徳上皇がお亡くなりになるなった後、700年後に蛤御門の変があり、武家政治から戻った事を思うと、感慨深く、かなりの怨霊であったことが思われますが、京都にお戻りになられ今は鎮まっていらっしゃいますかね。その後(明治元年)から、2022年は、77年×2です。その丁度真ん中・前後77年が、太平洋戦争(第東亜戦争)終わった年であることを考えると、更に、考えさせられます。
うちは埼玉県の入間郡ですけど
家の近くに中世の頃には廃れた崇徳寺跡がありますよ
崇徳天皇と平清盛は兄弟(腹違い)かもしれない
崇徳方について斬首された源為義(頼朝の祖父)の郎党が、武蔵まで落ち延びて崇徳寺を建立した、という話がありますね。
@@maomao96363 今もDNAで有能な方が育つ
自分の父親の子供かもしれないという直感、意外と当たっている。
明治天皇が大政奉還後に崇徳天皇の御霊を京都に戻したのは、
崇徳上皇の呪いの「王が下民になり、下民が王になる」つまり武家政権が終わりの呪いが解けたという解釈でしょうか?
徳の名つく天皇は、不慮の死を遂げた天皇が多いと、怨霊封じのためと、ある作家が言っていました。古代の仁徳天皇は別として、聖徳太子、孝徳天皇、称徳天皇、崇徳天皇、安徳天皇、後鳥羽天皇(顕徳院)、順徳天皇。
今上陛下も徳の字が使ってある事が気になっています。もちろん諱ではないけれど。
@@user-on3jp3wd6n これは知っております。昭和大帝が名付けたとか。。。
崇徳天皇の悲劇は鳥羽天皇と白河法皇との確執が背景にあります。鳥羽天皇が在位中は白河法皇が院政をしき全く権限を与えられず、わずか20歳で譲位させられ3歳の崇徳天皇が即位したわけで、父を幼い時に亡くし祖父に蔑ろにされたという点では鳥羽天皇も不幸な方です。ちなみに保元の乱で崇徳側と敵対した平清盛も白河法皇の子と言われてましたね
祇園の茶屋よしうたの女将さんは前世で崇徳天皇と恋仲だったとか… 詳細は竹田恒泰氏の著書にあります 私も女将さんから直接聞いたことがあります
茂木先生の歴史の話とても面白くて毎回楽しみにしてますが、参政党と統一教会の話も聞きたいなぁ
竹田恒泰さんが崇徳天皇の事を本にした際、かなり恐ろしい事がつづいたらしいです。先生の動画を見て、崇徳天皇が立派な人格、天皇家にお生れになるくらいの神格をお持ちになるくらいにも関わらず「大魔王になって…。と呪いの念を持ってしまった事、本当にお労しいです。ところで、崇は祟りに似た字ですね。
崇徳上皇か。怨念ですね!
「崇徳院」
どうしても落語に行っちゃう不届き者です
床屋の梯子して 女性の消息を探す棟梁
女房がケツを叩くので 見つかるまで家に帰れないし
草鞋をどっさり持って 毎日恋煩いの若旦那の見初めた女性を探すんです
この時 崇徳院様の和歌が出てきます
院政期の皇室は、とても尊敬できるものではないですね。醜いの一言です。それでも皇統を維持してきた点には感謝したいです😉。
ご皇室は、権力から離れてこそ意味があります。
京都月輪陵に崇徳天皇皇后聖子陵があるよ。どういう人生だったんかな。
なんか山がポコポコ不自然
瀬を早み岩にせかるる瀧川の・・・のお方かな
崇徳院ですら落語になってしまう芸術性の高さよ。ua-cam.com/video/ZU15z0vuHcU/v-deo.html
「瀬をはやみ」が耳から離れないww
写経に現地妻との間に子をもうけたりと流刑地での田舎暮らしをそれなりにエンジョイしていた。
没後に怨霊扱いされているとは思うまい。
終生恨み節を呟いた後鳥羽院なら怨霊になっても仕方ないが。
個人的には、崇徳上皇も将門も道真も、祟るような恨みは持たなかっただろうと思っています。
御三方とも、相当の勉学も収め人徳も高かったと思うのです。後世の人々の作り話ではないでしょうか。赤穂浪士の様な、ね。
因みに崇徳上皇が写経されたというのは、どの経典なのでしょうか?お気持ちを偲ぶのに役立つと思います。
保元物語に、「五部大蔵経」とありますね。
@@maomao96363 ご返事ありがとうございます。大蔵経ですか。そりゃすごい!やはり安易な思いではないですね。
鳴くカラスすら意味深な
四国の唯一の崇徳天皇陵か? 3歳の天皇。
何時も有難う御座います。崇と言う字は余り、良い字では無いのですかね?
「崇める」と「祟る」とは別字です。