【禅の心】道元禅師 〜善い人生を送るために必要な4つの心構え〜

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 26 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 30

  • @ikenao
    @ikenao Рік тому +9

    配信ありがとうございます。
    実家が曹洞宗でした。改めて道元髙祖の教えをお聞きできて感動しました。

  • @鈴木春龍
    @鈴木春龍 Рік тому +7

    道元禅師のことが大好きで本もたくさん持っています。とても勉強になる動画でした。ありがとうございました!✴️

  • @藤垣弘樹
    @藤垣弘樹 6 місяців тому +3

    4つの心構え
    布施、愛語、利行、同事、日常生活の中で実践します。ありがとうございます🙏

  • @金目鯛-z1m
    @金目鯛-z1m 10 місяців тому +1

    宗教とか興味無かったのですが最近観光ついでに色々なお寺や神社を巡ってました、昨年永平寺で座禅をさせて頂きましたがとても良かったです。結構色々な宗教は救いを求めたりする所が多い印象ですが 禅は今有る状況を受け入れ自立のヒントを教えてくれている印象でした(素人の勝手な感想)でもゆっくりと深い呼吸は色々な事に役立ちます😄

  • @user-watashiwo4649
    @user-watashiwo4649 2 роки тому +10

    いつの時代も親が味方でいてくれる事は本当に心強いですね。

  • @DedpoolE1701
    @DedpoolE1701 Рік тому +8

    道元禅師の母親はなんて立派な人なんでしょう。

  • @TM-hh5ch
    @TM-hh5ch Рік тому +4

    凄い良かったです。有難いです。こうした自力ではどうしようもなくなった時に他力本願のセーフティーネットがあるのかなと、凡夫ながら思ってしまいました。ありがとうございます。

  • @森田章正
    @森田章正 Рік тому +4

    動画をありがとうございます。布施、愛語、利行、同事を出来るように顔晴ります!☺️森田章正拝。

  • @杉浦清進
    @杉浦清進 Рік тому +8

    道元は只管打坐と禅の教えを説きましたが、そもそも中国における禅の教えの根幹が人間の生活そのものが悟りを開く修行であるというのが私個人の感想です。

  • @ゴンチビ-z5h
    @ゴンチビ-z5h 5 місяців тому

    「禅の心」道元禅師・・拝見しました。
    言われていることは非常に優しくわかりやすいことです。
    しかし現実に日々実践となると非常に難しい。
    難しいから修行になるのかもしれませんね。
    良い動画、ありがとうございました。 感謝‼ 合掌

  • @lyou1971
    @lyou1971 2 роки тому +5

    貴重なお話有難うございます。布施とはお金を渡すだけではなく、行動や言葉などでもできることがわかりました。スーパーボランティアの方が話題になっていますが行動原理はこれだったのだろうと思いました。

    • @jiyujizai
      @jiyujizai 2 роки тому

      お金の無い人は熱意で。

    • @許碧玥-j2x
      @許碧玥-j2x Рік тому +1

      《金剛般若波羅蜜經》是大乘經典,衪講的不只是萬法皆空而已,重要的是在講我們本來的面目,真心如來藏。
      「若以色見我,以音聲求我、是人行邪道、不能見如來。」
      「不能見如來」是講,要見我們的自性如來藏,就要離色聲香味觸法才能見,也就是要離,見聞覺知心才能證得,禪宗所說的,離心、意、識,參。
      「一切有為法,如夢幻泡影,如露亦如電,應作如是觀。」
      前三句是講一切法空相,第四句「應作如是觀」也是講我們的自性如來藏,不然就成了斷滅空。
      「應作如是觀」 就是第二般若時 轉入第三方廣唯識時的內涵。
      (很多人都解釋錯誤)
      所以達摩祖師以唯識系的《入愣伽經》作為開悟的標地,表示離佛陀越近,法越濃純。
      《入楞伽經》卷九云:
      世諦一切有,
      第一義諦無,
      而實體無相,
      是第一義諦。
      見於虛妄法,
      是故說世諦,
      因於言語生,
      無如是實體。
      略釋:「佛法中之世俗諦,是說三界一切法有生住異滅等種種三界有的法相,第一義諦則非三界有的法相,祂是無相的法界本體,此真實而無相的涅槃實體即是第一義諦。世間人唯見三界有的種種虛妄法相的存在,因此為他們開示演說佛法中的世俗諦,世俗諦也就是因為此文字語言的施設而有,無有像是第一義諦之涅槃本際一樣的實體自性存在。」佛弟子解釋佛法,不能像斷滅者那樣妄說,將「第一義諦無」斷句取義解釋為無有第一義諦的意思,因為這樣解釋的話,則接下來的「而實體無相,是第一義諦」就會說不通;並且以下一句「無如是實體」的世俗諦義開示來相比對,即能顯見應有「有如是實體,是第一義諦」的意義蘊含其中。所以,此段經文也沒有像斷滅者們妄說的「無有法界實相實體」之意涵。
      大乘起信論云
      二者聞修多羅說。世間諸法。畢竟體空。乃至涅槃真如之法。亦畢竟空。本來自空。離一切相。以不知為破著故。即謂真如涅槃之性。唯是其空。云何對治。明真如法身自體不空具足無量性功德故。
      這是破:認為真如涅槃是斷滅空:「認為緣起性空是究竟」。因為有些人不明了世間法、出世間法都是假名,並不是真實,卻認為是實有,所以才說畢竟體空,以破他們的執著。聽的人不知這是破著的語言,就執著語言妄計真如涅槃是斷滅空。如何對治呢?說明真如法身自體不空,因為具足無量性功德的關係。
      (第六意識是斷滅空)
      學佛就是要證得第八識如來藏心,而這個如來藏心是要離見、聞、覺、知,才能證得;是故禪宗祖師教人參禪曰:離心、意、識,參;也就是《楞嚴經》二十五種圓通法門所修。
      阿難!汝性沉淪, 不悟汝之見、聞、覺、知,本如來藏 ,汝當觀此,見、聞、覺、知,為生為滅?為同為異?為非生滅?為非同異?汝曾不知,如來藏中,性見覺明,覺精明見,清淨本然,周遍法界。隨眾生心。應所知量。
      佛言:「若人欲了知,三世一切佛,應觀法界性,一切唯心造。」
      馬鳴菩薩以止觀證得第八識如來藏的方法如下:
      《大乘起信論》
      若修止者。住於靜處。端坐正意。不依氣息。不依形色。不依於空。不依地水火風。乃至不依見聞覺知。一切諸想。隨念皆除。亦遣除想。以一切法。本來無想。念念不生。念念不滅。亦不得隨心外念境界後以心除心。心若馳散。即當攝來住於正念。是正念者。當知唯心。無外境界。即復此心亦無自相。念念不可得。
      這是廣明修習止觀的歷程,而修心入定的方法,在這當中也完全指示的很清楚。「住於靜處」就是遠離外緣熱鬧的地方。天台小止觀有說到:想修學入定,要先學習調和身、心、息。文中所說的「端坐」,就是「調身」,身體不俯下、不仰上,所以說「端坐」。「正意」就是「調心」,不昏沈、不掉舉,寂照現前,所以說「正意」。
      但是這裡所說的修止觀的方法是:不依氣息,因此不調息,不依氣息形色,這是離自身;不依虛空四大,是離外在的世界;不依見聞覺知,則是離心意識。所以古大德在教人參禪時都說:於内,要沒有身心之見,於外,也沒有世界之相,只須離心意識去參,要超越凡聖的方法去學,要遠離妄想境界的企求,因此這裡都說「不依」,也就是「脫離」的意思。
      「一切諸想」至「念念不滅」這五句,正是用心的方法。一切眾生,迷失了本有的真心,一向以來都是用妄想心在做事,因此現在要修習,最重要的就是去除念想。所以《楞伽經》中說:「從上諸聖轉相傳授妄想無性」這一句話,是最為明白切要。
      問:妄想無性,要如何除呢?
      答:「一切諸想,隨念皆除。」意思就是說:這一念乃是直心正念真如之念。現在用心,只要提起這一念為主,再沒有第二念,以這一念的觀照之力,若見妄想一起,就隨即一念照破,當下消滅,更不容其相續,這也就是永嘉禪師所謂的「斷相續心」,參禪的要訣,再也沒有超過這一念了,這已是明確的指出修行的重點。
      《楞伽經》卷一
      「……時楞伽王尋即開悟,離諸雜染,證唯自心住無分別;往昔所種善根力故,於一切法得如實見,不隨他悟;能以自智善巧觀察,永離一切臆度邪解,住大修行,為修行師,現種種身,善達方便,巧知諸地,上增進相,常樂遠離,心、意、意識,斷三相續見,離外道執著,内自覺悟,入如來藏趣於佛地。聞虛空中及宮殿內咸出聲音:「善哉大王!如汝所學,諸修行者應如是學,應如是見,一切如來應如是見,一切諸法若異見者則是斷見;汝應永離,心、意、意識,應勤觀察一切諸法,應修内行莫著諸見,莫墮二乘及諸外道,所修句義所見境界,及所應得諸三昧法;汝不應樂戲論談笑,汝不應起圍陀諸見,亦不應著王位自在,亦不應住六定等中。若能如是,即是如實修行者行,能摧他論能破惡見,能捨一切我見執著,能以妙慧轉所依識,能修菩薩大乘之道,能入如來自證之地,汝應如是勤加修學,令所得法轉更清淨,善修三昧三摩缽底,莫著二乘外道境界以為勝樂,如凡修者之所分別,外道執我,見有我相,及實求那而生取著,二乘見有無明緣行,於性空中亂想分別。楞伽王!此大乘行破無明翳,滅識波浪,不墮外道諸邪行中。楞伽王!外道行者執著於我作諸異論,不能演說離執著見識性二義。善哉!楞伽王!汝先見佛,思維此義,如是思維乃是見佛。」

    • @許碧玥-j2x
      @許碧玥-j2x Рік тому

      達摩祖師所傳的”心”就是=佛經所說的:心、識、所知依、非心心、不念心、菩薩心、無住心、無心相心、阿賴耶、異熟、菴摩羅、無垢識、如、真如、實際、本際、涅盤、有分識、窮生死蘊、如來藏、愛阿賴耶、樂阿賴耶、欣阿賴耶、喜阿賴耶、如來、我、真我、阿陀那、種子識、淨無漏界、法身、法性……等;如是多名皆同一藏識,即大乘起信論所說如來藏心也,不可因有多名,便謂為多心也。如人有三名,不可謂三名為三個人也。
      《佛說不增不減經》
      舍利弗當知:如來藏本際相應體及清淨法者,此法如實、不虛妄、不離不脫,智慧清淨真如法界不思議法,無始本際來,有此清淨相應法體。
      舍利弗!我依此清淨真如法界,為眾生故,說為不可思議法自性清淨心。
      舍利弗當知:如來藏本際不相應體及煩惱纏不清淨者,此本際來,離脫不相應煩惱所纏不清淨法,唯有如來菩提智之所能斷 。
      舍利弗!我依此煩惱所纏、不相應、不思議法界,為眾生故,說為客塵煩惱所染自性清淨心不可思議法。
      舍利弗當知:如來藏未來際平等恆及有為法者,即是一切諸法根本,備一切法、具一切法,於世法中不離不脫真實一切法、住持一切法、攝一切法。
      舍利弗:我依此不生不滅、常恆清涼不變歸依、不可思議清淨法界,說名眾生。所以者何?言眾生者,即是不生不滅、常恆清涼不變歸依、不可思議清淨法界等異名。以是義故,我依彼法說名眾生。……舍利弗!甚深義者即是第一義諦,第一義諦者即是眾生界,眾生界者即是如來藏,如來藏者即是法身。
      心經明解:
      觀自在菩薩深入自性如來藏時;發現這個自性如來藏;祂的體性;是不生不滅不垢不淨不增不減、祂能出生五蘊:色受想行識、六根:眼耳鼻舌身意、六塵:色聲香味觸法、六識:眼識乃至意識界;也因此故:無有無明,也無有能盡無明;乃至老死盡的十二因緣;無四諦的苦集滅道;乃至於六度:施戒忍進定智,也是無所得的,(本來具足故);因此菩薩以這個緣故;能夠無畏的廣度眾生;十方諸佛也依此故而成佛;所以深入自性如來藏是最高無上的總持法。
      《大乘起信論》 馬鳴菩薩造
      下示三大義。所言義者。則有三種。云何為三。一者體大。謂一切法真如平等不增減故。二者相大。謂如來藏具足無量性功德故。三者用大。能生一切世間出世間善因果故。一切諸佛本所乘故。一切菩薩皆乘此法到如來地故。
      若要說明它的體,則「唯一真如,平等不二,不增不減」,這只是就「體」說。若要依如來藏隨染淨而言的話,那麼,以隨淨緣而轉,則具無量自性功德,就成就出世間因果;以隨染緣而轉,則變自性功德而為恒沙煩惱,就成世間因果,這樣才顯出「相」和「用」。因為這三大的特性,是不受染淨或生滅的影響而變化,因此名之為「大」,諸佛菩薩皆是乘此心,是故名之為「乘」,整部論的主要內容,都是在說明這個道理,所以這是「論」所據的根本。

  • @Shibamiya
    @Shibamiya Рік тому

    いい動画をありがとうございます。
    今回取り上げて頂いた四摂法(四枚の般若)は、曹洞宗という一仏教会派だけでなく、仏教全般全体(上座仏教や大乗仏教にこだわらず)についてもいえることだと思いました。実践していきます。合掌。

  • @orfsmn1659
    @orfsmn1659 2 роки тому +4

    こんにちは。
    大変勉強になる動画をありがとうございます。
    今後とも更新がんばってください。

    • @gakubook
      @gakubook  2 роки тому

      ありがとうございます!!
      頑張ります😌

  • @渡辺秀高
    @渡辺秀高 6 місяців тому

    勉強になります

  • @出口誠-r3f
    @出口誠-r3f 2 місяці тому

    あるがまま、あるがままですね

  • @jiyujizai
    @jiyujizai 2 роки тому +9

    布施 貪らないこと
    愛語

  • @pretz2902
    @pretz2902 8 місяців тому +1

    世界中の人が全員道元禅師になったらどうなるだろ?

  • @trhnd8949
    @trhnd8949 Рік тому +2

    配信ありがとうございます。私儀『正法眼蔵』御抄を現代語訳しながら『正法眼蔵』私訳にチャレンジ中です。拙稿を下記しますので、ご叱正等頂戴できればありがたく存じます。よろしくお願い申し上げます。  徹眞 九拝
    ①〔『正法眼蔵』本文〕                                       
    諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生ショウあり、死あり、諸仏あり、衆生シュジョウあり。     
    〔『正法眼蔵』私訳〕                                         今向かうとこのようにある時節、迷い〈無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回されること〉も悟り〈無我に目覚めること〉もあり、修行もある、生もあり、死もある、諸仏〈無我に目覚めている人〉もあり、衆生〈無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回される人〉もある、なんでもある。今向かうとこのようにある、これが現成は公案であるということである。 
     ①評釈等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-1-2.html
    ②〔『正法眼蔵』本文〕                                                           万法マンボウともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。                         〔『正法眼蔵』私訳〕                                                           あらゆるものにも私にも不変の実体がない時節、迷いも悟りもなく、諸仏も衆生もなく、生も滅もなく、あらゆるものはない。 
     ②御抄私訳等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-2-1_5.html ②評釈等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-2-2.html
    ③〔『正法眼蔵』本文〕                                                        仏道もとより豊倹ホウケンより跳出チョウシュツせるゆへに、生滅あり、迷悟あり、生仏ショウブツあり。  しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜アイセキにちり、草は棄嫌キケンにおふるのみなり。
    〔『正法眼蔵』私訳〕                                                          今向かうとこのようにある〈如是ニョゼの法〉という生き方〈仏道〉は、元来、豊・倹(豊か・倹ツヅマやか)や有・無などの相対概念(他の概念と相関してはじめて存在しうるような概念)から跳び出しているからこそ、この体内で毎秒数百万個の細胞の新陳代謝があり、無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回されながら無我に目覚めることがあり、自分という思いにに振り回されながら無我に目覚める人がいる。                         しかもこのようであるけれども、花〈生、悟、諸仏〉は惜オしまれながら散り、草〈滅、迷、衆生〉は嫌キラわれながら生ハえるばかりである。豊・倹、有・無、生・滅、迷・悟、衆生・諸仏などの相対概念は、ただ人間の好き嫌いの思いの上にあるだけであるから、実体のない好き嫌いの思いを離れて見れば、みなただコロッと今このようにあるだけである〈現成公案〉。
     ③御抄私訳等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-3-1.html
    返信

    • @城戸絹子
      @城戸絹子 5 місяців тому

      有難うございます🎇🙏素晴らしい🎇💓😆💕🎇❣️

  • @樹-w2l
    @樹-w2l Рік тому +1

    道元と呼び捨てはどうなんだろう。

    • @樹-w2l
      @樹-w2l Рік тому +1

      生意気でごめんなさい🙇‍♀️

    • @HHFIV-bg7bf
      @HHFIV-bg7bf 7 місяців тому

      禅師様な

  • @隆行森-k4p
    @隆行森-k4p 8 місяців тому

    天魔

  • @02h67
    @02h67 Рік тому

    いいけど、坐ったことあるんですか?(笑)