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有り難うございます🙏🙏🙏
無我ひろき曹洞宗(そうとうしゅう)坐禅(ざぜん)無我の境地無為(むい)の幸せは、永遠の幸せ。私にとっての幸せは、無為(むい)の世界で平穏無事に安楽な人生を送ることだ。
配信ありがとうございます。私儀『正法眼蔵』御抄を現代語訳しながら『正法眼蔵』私訳にチャレンジ中です。拙稿を下記しますので、ご叱正等頂戴できればありがたく存じます。よろしくお願い申し上げます。 徹眞 九拝①〔『正法眼蔵』本文〕 諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生ショウあり、死あり、諸仏あり、衆生シュジョウあり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 今向かうとこのようにある時節、迷い〈無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回されること〉も悟り〈無我に目覚めること〉もあり、修行もある、生もあり、死もある、諸仏〈無我に目覚めている人〉もあり、衆生〈無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回される人〉もある、なんでもある。今向かうとこのようにある、これが現成は公案であるということである。 ①評釈等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-1-2.html②〔『正法眼蔵』本文〕 万法マンボウともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。 〔『正法眼蔵』私訳〕 あらゆるものにも私にも不変の実体がない時節、迷いも悟りもなく、諸仏も衆生もなく、生も滅もなく、あらゆるものはない。 ②御抄私訳等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-2-1_5.html ②評釈等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-2-2.html③〔『正法眼蔵』本文〕 仏道もとより豊倹ホウケンより跳出チョウシュツせるゆへに、生滅あり、迷悟あり、生仏ショウブツあり。 しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜アイセキにちり、草は棄嫌キケンにおふるのみなり。〔『正法眼蔵』私訳〕 今向かうとこのようにある〈如是ニョゼの法〉という生き方〈仏道〉は、元来、豊・倹(豊か・倹ツヅマやか)や有・無などの相対概念(他の概念と相関してはじめて存在しうるような概念)から跳び出しているからこそ、この体内で毎秒数百万個の細胞の新陳代謝があり、無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回されながら無我に目覚めることがあり、自分という思いにに振り回されながら無我に目覚める人がいる。 しかもこのようであるけれども、花〈生、悟、諸仏〉は惜オしまれながら散り、草〈滅、迷、衆生〉は嫌キラわれながら生ハえるばかりである。豊・倹、有・無、生・滅、迷・悟、衆生・諸仏などの相対概念は、ただ人間の好き嫌いの思いの上にあるだけであるから、実体のない好き嫌いの思いを離れて見れば、みなただコロッと今このようにあるだけである〈現成公案〉。 ③御抄私訳等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-3-1.html返信
不立文字なのによくしゃべる。
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無我ひろき
曹洞宗(そうとうしゅう)
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私にとっての幸せは、無為(むい)の世界で平穏無事に安楽な人生を送ることだ。
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①〔『正法眼蔵』本文〕
諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生ショウあり、死あり、諸仏あり、衆生シュジョウあり。
〔『正法眼蔵』私訳〕 今向かうとこのようにある時節、迷い〈無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回されること〉も悟り〈無我に目覚めること〉もあり、修行もある、生もあり、死もある、諸仏〈無我に目覚めている人〉もあり、衆生〈無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回される人〉もある、なんでもある。今向かうとこのようにある、これが現成は公案であるということである。
①評釈等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-1-2.html
②〔『正法眼蔵』本文〕 万法マンボウともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。 〔『正法眼蔵』私訳〕 あらゆるものにも私にも不変の実体がない時節、迷いも悟りもなく、諸仏も衆生もなく、生も滅もなく、あらゆるものはない。
②御抄私訳等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-2-1_5.html ②評釈等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-2-2.html
③〔『正法眼蔵』本文〕 仏道もとより豊倹ホウケンより跳出チョウシュツせるゆへに、生滅あり、迷悟あり、生仏ショウブツあり。 しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜アイセキにちり、草は棄嫌キケンにおふるのみなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕 今向かうとこのようにある〈如是ニョゼの法〉という生き方〈仏道〉は、元来、豊・倹(豊か・倹ツヅマやか)や有・無などの相対概念(他の概念と相関してはじめて存在しうるような概念)から跳び出しているからこそ、この体内で毎秒数百万個の細胞の新陳代謝があり、無数にある思いの一つでしかない自分という思いに振り回されながら無我に目覚めることがあり、自分という思いにに振り回されながら無我に目覚める人がいる。 しかもこのようであるけれども、花〈生、悟、諸仏〉は惜オしまれながら散り、草〈滅、迷、衆生〉は嫌キラわれながら生ハえるばかりである。豊・倹、有・無、生・滅、迷・悟、衆生・諸仏などの相対概念は、ただ人間の好き嫌いの思いの上にあるだけであるから、実体のない好き嫌いの思いを離れて見れば、みなただコロッと今このようにあるだけである〈現成公案〉。
③御抄私訳等:shobougenzo.blogspot.com/2023/06/1-3-1.html
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