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六角氏は重要なプレイヤーなのに詳しい解説が少ないのでこの動画はとても興味深く面白かた。感謝。
信長の外交については見事過ぎる場面と迂闊過ぎる場面が突拍子無く混在する印象この上洛戦は最高傑作だと思う五畿内に縁もゆかりもない織田が一夜にして足利将軍を天下に据えてしまう魔術のような手並み信長にとっても人生のハイライトだったように見えますねこの後の苦労をおもうとなんとも
詳しいのに淡々と進んで分かりやすいですね。近年の研究も取り入れながら正確性も意識した解説なのに、くどくどしてないのが見やすい。
このチャンネルが1番おもしろいわ
あまり表にでないメジャーな情報ありがとうございます。
久秀とっても優秀何度裏切っても信長が最後まで味方に引き込みたかったのが分かります
前回分も含めこの辺りの畿内近江の政治状況の整理はありがたい。他の動画はこの辺りを省いたものばかりで信長上洛時の時代背景を説明していない。また、当時の常識についても、軽視しているのか理解出来ていないのか分からないが深く触れないものばかり。伝承部分や派手なものに触れつつ、時代背景や当時の常識を抑えているのが素晴らしい。
大変嬉しいコメントありがとうございます。一番時間をかけている点を褒めていただきとても励みになります。
続きを楽しみに待ちます!面白かったです!
ありがとうございました。主さんの考察は、とても分かりやすくて勉強になります。もっと、多くの人に見てもらいたいですね。作成に当たり、多くの資料をご覧になって大変かと思います。色々と言われていることを(軍記物とか)、一次資料に見られるかどうか等丁寧に作られていて、ありがたいです。主さんの影響で、信長公記(中川太古さんの再々版)を読み始めました。少しづつですが、もっと信長に接したいと思っています。
ありがとうございます。まだまだなので励みます!
こう見ると信長って、破天荒な革新派というよりも、ゴリゴリの保守派だなあ
名家六角家がなぜワンパンで信長にやられたのかという、30年間の謎が解けました。ありがたし
チャンネル登録しました!今後の動画も楽しみです!
とてもわかりやすい解説ありがとうございました。京都には城がなく、寺を陣所としていたのも窺えますね。朝廷のいる京に城を築くのは、当時はタブーだったのでしょうか。後に京で信長は横死するのですが、その教訓から家康が二条城を築きました。
京都は守りにくく、有力大名は朝廷と丁度良い距離感が必要だったかもしれないですね。
二条城を築いたのは信長じゃないの?
こうして見ると松永久秀はかなり孤軍奮闘していますね。
この孤軍奮闘は信長にとって大分助かりましたね。
早く次が見たい
ありがとうございます!
六角さん、よく鈴鹿山脈超えたな。当時の武将の行動力すごい
✨するの好き
積極的に使います!笑
なんかBGMの雰囲気からしてユキムラチャンネルさんかと思いました。
うん、テンポもよく面白かった
効果音の一部が無いほうが聞きやすいとおもいます。拡大・縮小時の音とか。
朝廷天皇の対義語として武があり武とは将軍と幕府の意味ですよね五畿内に将軍と幕府を置いて支配を行き渡らせるが1番自然な天下布武幕府という言葉は当時無くて朝廷側の記録では武が足利将軍とその支配体制を表していた
六角って何度も浅井領の深くまで攻めてるのにまた浅井領に戻ってなんどもシーソーゲームやってるけど信長みたいに遠征した土地維持できる大名とできない大名って違いは何なんだろう。謙信も関東奥地まで行っては取り返されてるけどこっちは険しい峠あるからわかるけど近江なんて交通の便いいし水路も使えるよね
伊勢を半分取ったの大きいと思うよ。米所だし、攻めるルートもそれほどない,それなのに海路で権益もある。伊勢神宮も保護したら権威も上がる。そのくせ民衆は呑気 こんな美味しいところないw
たぶん、兵農分離。専門の武士が土地維持に尽力したから。人材の登用とか…
六角氏が幕府から2度の征討を受けることになった原因の『寺社・奉公衆の所領を横領』は結局どういう結末になって、その後の将軍義晴・義輝父子を迎えることに繋がったのでしょうか?ちょっとモヤモヤするところなもんで🤔
きよたんチャンネルと何かありましたか?
😂😂
六角氏は重要なプレイヤーなのに
詳しい解説が少ないのでこの動画は
とても興味深く面白かた。感謝。
信長の外交については
見事過ぎる場面と迂闊過ぎる場面が
突拍子無く混在する印象
この上洛戦は最高傑作だと思う
五畿内に縁もゆかりもない織田が
一夜にして足利将軍を天下に据えてしまう魔術のような手並み
信長にとっても人生のハイライトだったように見えますね
この後の苦労をおもうとなんとも
詳しいのに淡々と進んで分かりやすいですね。
近年の研究も取り入れながら正確性も意識した解説なのに、くどくどしてないのが見やすい。
このチャンネルが1番おもしろいわ
あまり表にでないメジャーな情報ありがとうございます。
久秀とっても優秀何度裏切っても信長が最後まで味方に引き込みたかったのが分かります
前回分も含めこの辺りの畿内近江の政治状況の整理はありがたい。
他の動画はこの辺りを省いたものばかりで信長上洛時の時代背景を説明していない。
また、当時の常識についても、軽視しているのか理解出来ていないのか分からないが深く触れないものばかり。
伝承部分や派手なものに触れつつ、時代背景や当時の常識を抑えているのが素晴らしい。
大変嬉しいコメントありがとうございます。
一番時間をかけている点を褒めていただき
とても励みになります。
続きを楽しみに待ちます!面白かったです!
ありがとうございました。主さんの考察は、とても分かりやすくて勉強になります。もっと、多くの人に見てもらいたいですね。
作成に当たり、多くの資料をご覧になって大変かと思います。色々と言われていることを(軍記物とか)、一次資料に見られるか
どうか等丁寧に作られていて、ありがたいです。
主さんの影響で、信長公記(中川太古さんの再々版)を読み始めました。少しづつですが、もっと信長に接したいと思っています。
ありがとうございます。まだまだなので励みます!
こう見ると信長って、破天荒な革新派というよりも、ゴリゴリの保守派だなあ
名家六角家がなぜワンパンで信長にやられたのかという、30年間の謎が解けました。ありがたし
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今後の動画も楽しみです!
とてもわかりやすい解説ありがとうございました。
京都には城がなく、寺を陣所としていたのも窺えますね。
朝廷のいる京に城を築くのは、当時はタブーだったのでしょうか。
後に京で信長は横死するのですが、その教訓から家康が二条城を築きました。
京都は守りにくく、有力大名は朝廷と丁度良い距離感が必要だったかもしれないですね。
二条城を築いたのは信長じゃないの?
こうして見ると松永久秀はかなり孤軍奮闘していますね。
この孤軍奮闘は信長にとって大分助かりましたね。
早く次が見たい
ありがとうございます!
六角さん、よく鈴鹿山脈超えたな。
当時の武将の行動力すごい
✨するの好き
積極的に使います!笑
なんかBGMの雰囲気からしてユキムラチャンネルさんかと思いました。
うん、テンポもよく面白かった
効果音の一部が無いほうが聞きやすいとおもいます。拡大・縮小時の音とか。
朝廷天皇の対義語として武があり
武とは将軍と幕府の意味ですよね
五畿内に将軍と幕府を置いて支配を行き渡らせるが1番自然な天下布武
幕府という言葉は当時無くて
朝廷側の記録では武が足利将軍とその支配体制を表していた
六角って何度も浅井領の深くまで攻めてるのにまた浅井領に戻ってなんどもシーソーゲームやってるけど
信長みたいに遠征した土地維持できる大名とできない大名って違いは何なんだろう。
謙信も関東奥地まで行っては取り返されてるけどこっちは険しい峠あるからわかるけど近江なんて交通の便いいし水路も使えるよね
伊勢を半分取ったの大きいと思うよ。米所だし、攻めるルートもそれほどない,それなのに海路で権益もある。伊勢神宮も保護したら権威も上がる。そのくせ民衆は呑気 こんな美味しいところないw
たぶん、兵農分離。専門の武士が土地維持に尽力したから。
人材の登用とか…
六角氏が幕府から2度の征討を受けることになった原因の『寺社・奉公衆の所領を横領』は結局どういう結末になって、その後の将軍義晴・義輝父子を迎えることに繋がったのでしょうか?
ちょっとモヤモヤするところなもんで🤔
きよたんチャンネルと何かありましたか?
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