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最後のプレステ2のオチで思わず「おー!」と唸ってしまいました(笑)ビデオ録画と言えば「野球中継の延長により以下の番組は繰り下げて放送します」の字幕に何度泣かされたかwww
サンテレビ「阪神が勝ったらヒーローインタビューまで放送やで」
@@tentaso0422 もはや繰り下げどころの騒ぎじゃないですねw
延長分を計算して予約時間を調整するのがクッソ面倒でw途中までしか録画できなかったりして、「野球中継なんてやめてしまえ!」と何度思ったことか
@@TheGureimon まさか本当に野球中継が無くなってしまうとは…(笑)たまに中継されても延長はしないみたいですしね。まぁ現代でそんなに魅力あるテレビがないのでこのチャンネルを見まくってるワケですがw
野球中継にしても、中途半端な延長で結局試合終了まで放送されることは稀なので、野球ファンからのクレームも凄かったらしいです。誰も幸せにならない延長でした。
素人はVHSよりベータの方が高画質と言っているが、VHS標準モード(2時間記録)より高画質だったのは、ベータのβⅠモード(1時間記録)だけなんだよな。日本ビクターは、家庭用VTRの基幹技術である映像記録「回転2ヘッドヘリカルスキャン方式」と色信号記録「カラーアンダー方式」を開発して、特許権を持っていた(ソニーもこの日本ビクターの特許技術を利用してベータなどのVTRを開発)。また、VHS(2時間記録)に対抗するためにソニーはベータに急遽βⅡモード(2時間記録)を搭載したが、βⅡモードはβⅠモードと比較するとテープ送り速度が1/2となったために画質が悪化したので、ソニーは日本ビクターの特許技術「キャリアインターリーブ」を使って画質改善を実現した。ソニーと日本ビクターは、両社で相互に特許技術を利用することができるクロスライセンス契約を締結していたが、もしクロスライセンス契約がなかったなら、ソニーのベータは日本ビクターの特許に抵触しまくりで、販売すらできなかったよ。
テープとヘッドの相対速度ならVHS標準よりβⅡが優れていたけど、βⅡの記録トラック幅はVHSの半分しかなかったもんな。
素人は、技術は VHS < ベータ が上と云うが、民生用として技術は、ベータ << VHSでした。VHSは機構を簡易化するだけでなくビデオカセットの形状にも技術が投入されており、長時間録画・再生を可能にしていました。
VHSも末期は一から作り直したD-VHSやW-VHSを出しましたね。やれば出来るじゃないかって思いましたよ。
ベータ陣営を作る時に最大の失敗は日立を取り込めなかった事。日立はベータに魅力を感じソニー本社に社長直々に訪問した。当時のベータⅡの問題も解決できるものを持って。でも対応が悪く心証を悪くしすぐVHSへ鞍替えしたんだよな。マクセルはベータテープでも意欲的だったし日立が入ればまた違った技術が出来てまた違った歴史が出来たのではないか?と松下ばかり見ていたソニーの不覚がそういう結果を招いてしまった。自分としてはここが一番無念に思う。
ベータ派でしたが、マクセルのHGX GOLDビデオテープはよく使っていましたね…。
確か日立の社長がベータのヘッド等を供給して欲しいと、ソニーの社長に頼んだらしいですね。でもソニーの社長は良い顔をしなかったので、日立を怒らせてしまったんでしたね。ソニーは何としても松下をベータ陣営に引き入れようと考え、松下とビクターにヘッド等を提供するとまで言ったそうですが、松下は子会社ビクターと共にVHSを作ることを選択しました。もし日立と松下がベータ陣営だったら、結果は違っていたかもしれませんね。日立マクセルのビデオテープは高品質でしたね。
録画開始やCMカット、繋ぎ録画のスムーズさなど、画質や操作性は明らかにベータのほうが上でした。でも解説されているように、デッキの価格や録画時間などコスト的にVHSが大きく優位。撮影機材がベータより安価だったせいか、当時のエロビデオが全てVHSだった事が決定打となったという説もありますね。
CMカットはのちにVHSでも搭載されたけどね。CMはステレオ放送だから簡単だったって話だけど。
アメリカでVHSが売れたのは録画でアメフトの試合分の録画が出来たのが大きい。
@@gitanes9071 ベータにCMカット機能はついてないです。上記のCMカットとは手動のCMカットですw
@@73moto T-120で4時間の2倍モードですね。日本のデッキにも搭載して欲しかったです。
話はそれますが、昔の録画って時間を合わせてするので昔よくあったナイター中継の延長放送でよく番組が欠けて最後まで見られなかった悔しさをよく経験した。その後Gコードとかいう番号を入力して録画するシステムもあったが長続きしなかった…
Gコードも結局、延長への自動対応は不可能でしたし…。
懐かしい。昔レンタルビデオ屋にはVHSとべーた吹き替えと字幕があった
野球中継の延長も中途半端で、結局は試合終了まで放送されなくて野球ファンにも不評だったとか…要するに誰からも歓迎されてなかったのですよ。
私の子どもの頃も今みたいに家電量販店はなく初めてビデオデッキを購入したのは近所のナショナルの電気屋のVHSでした。大事なテープは爪を折ったり必要がなくなるとセロハンテープを貼ってまた録画したりしていました。
なつかしい🤗保存用テープのツメ折り→セロテープ張り再利用テレビの世界でもテープが高価だった半世紀以上前は再利用が普通で、当時の貴重な映像が上撮りで消え、懐古番組等で視聴者に提供をお願いしたりしてますね
昔はスタンダードのビデオテープが1本数千円とかしてましたね。
β対VHSは松下がVHSについた時点で勝負は決まったようなものだったがLD対VHDの時は松下に敵対されてしかも実質13対1の圧倒的不利をひっくり返して勝利したパイオニアはスゲーと思った。
然程普及せずにマニア向けのニッチ商品としての範囲を脱却できなかった事がLD勝利の一要因だと思うこれがビデオデッキ並みに一般層に普及してれば販売力でVHDが押し切れたんじゃないかとLDの高画質もそれを表示できるテレビがなければ意味がなく、テレビがショボければLDだってVHD並みにしか映らない昭和末期の頃なんてバブル期とはいえそんな高画質テレビを所有している家庭なんてそんなにないだろ
LDはカラオケでの需要があったから勝利を後押しした。ハードに使うし画質ものきれいだし。VHDカラオケ置いてる飲み屋行った事あるけど音飛びとか頻繁にあった。あとソニーは最初からLD採用。CDの技術も使えるという事で。それでパイオニアはβに参加した。これ見るとVHSの勝利は技術ではなかったと分かる。松下はこの分野では見誤った。後のDCCとかVHS-Cでも。
MDとDCCの勝負では、松下はDCC陣営でしたが、MDが快勝しましたね。松下が勝つとは限らないことが立証されました。
当時、実家のβのビデオデッキが恥ずかしくて仕方なかったが、今は誇りに感じてる。
今から40年ほど昔、私が高校生の頃はVHSが優勢になりつつあったけど、ベータ派も其れなりに居たよ。
βもVHSも数世代持っていたが、どの世代でも画質はβのほうが画質が良かったのは一目瞭然でした。ところが長時間録画できる3倍速の利点が大きかったため、VHSの使用頻度が多くなったのも事実です。
S-VHSとTBC(Time Base Corrector)の組み合わせでベータの画質の優位性が無くなりました。
>どの世代でも画質はβのほうが画質が良かったのは一目瞭然でした。興味があります。ベータとVHSはどんな機種を使ってましたか?
ごめんなさい。機種名は既に記憶にありません。なお現在保有しているPanasonicのNV-SB800W以外は、かなり以前に全て廃棄してしまっています。これはビデオメディアを光学メディアに変換するため、やむを得ず残しています。なおベータはハイバンドベータまで所有してましたが、何れも編集するためにジョグシャトルが必要不可欠だったので、上位の機種を所有していました。
D-VHSの登場がベータに留めを差したのでは?ベータは最後までデジタル化はしませんでしたから。
コレは遠い昔、「プロジェクトX」という番組で題材が取り上げられていましたよ。よく覚えています🤔。またこの他にも、「VHD」という企画も耳にした気が。
それ持ってる
@@稲穂鈴 当時の放送の映像をお持ちですか!それはきっと貴重なものだと思いますよ。それにしても「プロジェクトX」、懐かしいです。😀
あの当時、VHSかβで分かれててどちらかが生き残るかと思ってたがVHSが台頭しβは家庭用から姿を消した。レンタルビデオ屋もVHSとβが並んでて子供の時に自分は間違えてβを借りて見れなかった記憶がある。
うちの近所にあったレンタルビデオ店は、初心者対策としてVHSとベータどちらを使っているか入会時に聞かれました。VHSとベータで会員証を色分けしていました。店員さんも一々どちから聞かなくて済みますので、良いアイデアだったなと思います。
プロジェクトXで見たけど、VHSの勝因は松下電器(現パナソニック)を味方にしたこと。このVHSを開発した日本ビクターの高野さんは「ミスターVHS」と言われた。このチャンネルはソニー目線で見てるみたいだけど、プロジェクトXは逆の目線でしたね☺️
ソニーは何としても松下をベータ陣営に引き入れようと必死だったそうです。松下とビクターにヘッドを提供するとまで言ったそうですよ。しかし松下は子会社ビクターと共にVHSを作ることを選択しました。
ソニーはハードの開発しか頭になかったのに対し、ビクターは映画や音楽ソフトとの合わせ技で勝利したと思います。レンタルビデオショップにはVHSばかりが並び、ベータのビデオソフトはほとんど並びませんでした。
レンタルビデオが流行りだした1985年から88年くらいまでは両方ありましたよ。
あまり触れる人は少ないがベータ自身は決して失敗作ではない。ベータカムは業務用や放送用、ハイアマチュア分野では全然成功している。よく言われる失敗例であるベータマックスはそもそもベータカムよりも昔の規格だから云わば型落ちで最新のVHSに戦いを挑んだようなもの。そりゃ勝てるわけない。もう過ぎたことではあるが、ベータマックスを続けるよりベータカムを低価格化する方向にリソースを割く方が難しいとはいえマシだったかもしれない。完全にソニーの戦略ミスだっただろうな。
しまいにはβはソニーくらいしかなくなりましたね。VHSは競争が激しくテープも安売りがはじまり、90年代初頭でSTDクラスで300円/本くらいになりました。その後ダイソーで100円。このくらいが最安値だったかとおもいます。ところが、βはそうはいかない。テープが高いのは難点でした。
ベータのもう一つの敗因はVHSに対抗するために自ら最初のβⅠモードを生かせなくなってしまった事。VHSの標準2時間に対抗するためβⅡモードを【急遽】作った。哀しいかな後付けで作ったので元々のβⅠモードとの互換性が完全でなくなってしまった。β陣営はβⅡ基本でVHSに対抗せざるを得ず後手後手にこの録画モードではなってしまった。一番の画質の技術の粋を詰め込んだβⅠを使えなくしてしまったのだ。(後のβⅠSとは違う)だから日立をもし取り込んでいたらその問題解決の技術提案を持っていた。傘下にマクセルもある。互換性を解決できてβⅠを生かせればもっと歴史は変わっていたと思う。大局を見る人が少なかったのか、技術に圧倒的に自信があったのか、日立の件は悔やまれる選択だった。ソニーの人がβの画質がVHSより全然良いというのは実はβⅠモードの事を言っているだから一番売りたい技術が早々に生かせなく自ら首を絞めてしまった。そういう点も松下幸之助は見逃さなかったという事だろう。そこもVHSとの店数の差をつけたのだろう。もしβⅠがⅡと完全互換性の可能性があって二時間テープも後に作れると言っていたら、採用可能性もあったという事だろう。そこを優先させたビクター高野氏。絶対互換性を守ったその信念が当時はソニーに勝ったのだろう。
テープと録画ヘッドの相対速度がVHS標準に劣るβⅡでは補正をしたところでそのハンデを覆せるものではなかったそしてまだベータが一般層にも購入されていた頃(80年代中盤くらいまで)、彼らの認識は既に標準=βⅡだった彼らのなかには知人宅等でVHSの映像を観て、あれベータの方が画質良いと言われてるけどなんかウチの方が画質悪くね?と思った人もいただろう頑ななマニアはβⅠやβⅠsを念頭にベータの方が画質に優れていると熱弁振るったが、録画時間が半分になるという致命的損失を甘受してでもそっちを取る一般層など居るわけがなく、彼らは買い替え時にベータを選ばなかったという結末
転勤族の子だった中・高の友達の家がベータだったけど、少数派故に苦労してたその家もやっぱり音や画質にこだわってたなぁ
ベータマックス側に付いた企業の内東芝、NEC、三洋が後にブルーレイ VS HD DVD戦争でHD DVD側に付いていた企業だったり。
NECや三洋は80年代半ば頃から輸出用にVHS出してましたね。東芝は結構頑張りましたが結局VHSに鞍替えしましたね。
次世代DVD規格の時もBlu-ray vs HD-DVDがありましたね。歴史は繰り返す・・・
実はDVDはSD(松下)とMMCD(ソニー)という次世代CDの規格争いになりかけたものが統一して生まれた
まさに繰り返しですね。当時HDDVDの方が高画質という評価もあったけれど、ソフト会社がより長時間収録できるBDを支持したのが大きかったというのもあったようですし。ましてやソニーはPS3をぶつけたという。
私は1980年にVHSデッキを購入、友人がβと VHS両方所有していたので、使い勝手を尋ねたら、画質はβの方が上、録画時間ならVHS、と言ってましたね。 ソフト面では、映画やドラマは収録時間が長いので、レンタルショップにはVHSのソフトばかりが並び、βのソフトはほとんどありませんでした。(特にAVソフト)。
80年代は画質重視した録画時間ならβⅡが3時間20分、VHS標準で2時間40分だったんだよwどっちもβが上回る!長時間モードはオマケ。VHSなんぞ買う理由は無かった♪
30年~40年前 どう言う切っ掛けか忘れてしまいましたが「裏ビデオ」の存在を知り友人三人と毎月「裏ビデオ」を買っていました。一人当たり3本買っては「ダビング」をして持っていましたが毎月9本になるので、妻に分からない様に色んな場所に隠していました。今では叡智ビデオ燃えるゴミとして廃却してしまいました。【ダビングをしていた事時効ですから】【本当に叡智ビデオ】ですね
40年くらい昔、私の学生時代は半々でしたね。親戚や友人など、VHSとベータどちらも愛用者は其れなりに居ましたから。
VHSもベータも日本初の技術が世界標準を決める戦いというのが日本の黄金時代を感じさせる。思えばスマートフォンはアップルでなくソニーが開発すべきだった。
放送局で使われていたのはベータカムでした。世界標準でもあった。何故かというと放送用は画質最優先だから・・。お金に糸目をつけない放送局はベータの独壇場だったのですね。それに対して民生用はあまり儲からなかった・・。SONYは儲けてたんですよね。いずれにしろ過去の話ですが・・。
ずっとベータを使っていました。最後にはしかたなくVHSデッキも買いましたが、手持ちのテープはほとんどがベータでした。1980年当時、アニメファンは圧倒的にベータが多かったように思います。ベータはテープのローディング時にヘッドにテープを巻き付けるので、タイマー録画時、タイムラグなしで録画を開始しますが、VHSでは起動してからヘッドにテープを巻き付けるので、番組のあたまが切れるのです。そんなこともあってコアなアニメファンほどベータを愛用しました。また、動画を止めたとき、ノイズの少ないのもベータ。コアではない一般家庭のほうがずっと数が多いので勝てるはずはありませんが。あと、TV局で使うプロ用機材も内部の仕組みはベータ方式でした。(ベータカム)
VHSは、録画したい番組の開始時間より1分早く予約する(例えば、夜7時から放送される番組であれば、1分前の6時59分に予約録画を開始)と、頭は切れずに済みました(開始前のCMは無駄になりますが…。時計がズレていても頭切れが起きませんでした)。余談ですが、我が家の初めてのビデオ生活は1993年の大晦日、まずはレンタルビデオで始まりました(←家族の中では(当時は小学生)自分しか接続方法を知らない…)。今はスマホ対応(ネット経由でどこでも視聴、予約出来る)ブルーレイレコーダーが主役です…(VHSはもう、叡智なものしか見なくなりました^^;)。(※ベータは知っていますが、使った事がありません)
VHSの動作が遅いのは、ソニーがVHS参入するまで解決しなかったw
@@us-cbactqa8893 いや、松下の1985年発売のNV-1000HDから解消されました。
VHSを開発、普及させた人達の映画陽はまた昇るを思い出しました。熱い物語やったなあ。もう20年前の映画だけど皆さんに観て欲しいなあ。レンタルでVHSとベータが並んでいたのが懐かしい。初期は一泊二日で1000円だったなあ。
SONYのベータマックス愛好者でした。第一次ビデオ戦争で惨敗だったのに今やPanasonicの企業規模をも超えたSONY。あれだけ世界でVHSが売れたのにその後凋落してKenwoodと経営統合せざるを得なくなったVictor。ヒット商品が出ても企業努力ってホント大事だと思わされる
結局、標準モードで2時間録画を実現したVHSが普及した。家庭用として高画質と長時間録画を両立したVHSの技術力にベータを始めVコードやVXなどが負けた要因である。SONYはハイビジョンビデオディスクでは2時間録画・再生を実現したBluray Discを出し1時間半しか対応しないHD-DVDに勝利した。
VHSの録画モードは標準と3倍かな(海外規格は2倍?) 後に更に長時間モードなども出来ましたね
D-VHSは、あまり流行らなかったね。Hi-Fiデッキが10万切ってから一気に売れた。
「昭和のビデオテープ戦争「VHSとベータ」熾烈な戦い」1976年頃私が最初に買ったのは「ソニー/ベータマックス」【VHSデッキは全面からテープを入れていました】でも「ソニー/ベータマックス」は本体上部が上がって来てそこに「テープ」を入れるシステムでした。【販売価格も20万円近かった筈です】「ベータマックス/テープ」も高くて一本2000円~3000円したと記憶しています。その後「ED ベーター」も購入しましたが、妻や子供達は「VHSデッキ」の方が良いと言い出した為「ビクター/VHSデッキ」を購入し主力は「VHSデッキ」に移り「ソニー」も「VHSデッキ」の販売をし始め「ソニー/ベータマックス」の製造を中止した為今でも「ED ベーター」と「ベータマックス/テープ」持っています。【画質が良いのはSONY ED ベーターの方ですね】
ペーターはコピーガードを無効にしてたから、レンタルビデオを借りてコピーしてましたね。初めに買ったVHSは動作音がかなり大きくてうるさかったですね。初めにソニーのベーターを作ってたの抜け出してVHSにかわったのは東芝でしたね。
そのコピーガード付きVHSソフトからダビングしたβはコピーガード付きなんだぜ!コピーガード除去せず丸々コピーするのは違法にはならない。東芝はVHSを出してからもβを売り続けていたから問題は無い。ソニーとは縁を切らずHi8ビデオデッキまで発売していたぜw
βからw.vhコピーできませんでしたね。
後にコピカードキャンセラーもうってましたねと
ソニーのVHSデッキは見た目も良くて、巻き上げ速度が速かった。
俺もソニーのVHSデッキ使うてた、普及型でも巻戻し早送りは速かったです。あの自滅広告から学んだことも多いかな?
ソニーのVHSはチューナーがアキレス腱でした。数年で受信不能になるトラブルが頻発していたようです。私が使っていたSLV-J10もチューナーが壊れました。
「ベータマックスはなくなるの?」の広告は大失敗でしたねえ。私もあの広告見て、「とうとうSONYがベータの敗北を認めた」と思いました。しかしUA-camにあがってる動画を見てみると、確かにベータマックスで録画した動画は画質がいいですね。うちの場合決定的だったのは録画時間でした。VHSは長時間モードで6時間録画できた。当時は2時間テープが¥4,800もしたので、画質、音質が落ちるのを我慢すればこれはありがたかった。
ビデオテープと言えばβよりVHSの方が圧倒的に使い易かったですよね。昔のレンタルビデオ店は殆どVHSで締めていましたしね。😐
逆にベータ派は「ベータ版があるか」が死活問題w…😅
VHSや上位互換の、SVHSを使ってたかな、
VHS開発の主に西田敏行さんでビクターの実話ベースの映画に成ってました。市場絵調査だかロードショー2時間映画が丸事録画出来る2時間にしたとか。タイマーは、別途だったかも。
「陽はまた昇る」ですね何回も見ました
余談ながらVHSは新書本サイズ、βは文庫本サイズになっています。当時のVテープ棚を持っている人は本棚として使えますョ!
最後のほうだと、レンタルビデオ屋にベータをおかなくなったり、あっても本数少なかったりで見たいものがVHSしかないって状況で、まだ使えるけど仕方がないからVHSに買い替えた覚えがあるwその後ソニーもVHS作り出して「裏切られた」って思ったなw
懐かしいです。初めて買ったVTRはベータでした。当時はむしろベータの方が安いのがありました。ただベータはテープが痛みやすく定期的にヘッド掃除が必要で、そのうちVHSのデッキの方が安くなりVHSに切り替えました。会社のデータレコーダーはDATになるまではベータ規格?のテープを使っていましたが。今ではSDカードとかですね。
ウチにビデオが来たのは1986年初頭のことで、その頃からビデオの普及してきた。それより前は、レンタルビデオ店でビデオデッキも貸出ししていた…
@@西島浩-n8q 私の家では1980年前後だったと思います。そういえばブルーレイとHDの両方の再生環境も持っていました。当時アポロ13号とバンドオブブラザースがHDしか売っていなかったので。まあPS3でBRが主流になり今ではネットですけど。
ソニーは冷蔵庫や洗濯機など所謂白物家電が無かったのも不利でしたね。VHS陣営の松下や日立、三菱などは白物家電にも力を入れてましたから、電気屋に冷蔵庫や洗濯機を買いにきたお客さんが、VHSビデオデッキを目にする機会が多かったと思われます。
動画内でもちょっと触れられていますがVHSにはベータの技術がふんだんに使われています。これでソニーに入る特許料だけでもかなりの額だったとか。ビデオ戦争に勝った「規格」はVHSだったのでしょうが、ビデオ戦争に勝った「メーカー」はソニーだったのかもしれません。
プロはベータカムが主流というか独占に近いぐらいで他は止む終えず締め出された状態だったね。現在も最初にダブルレックをつけたせいもあってデジはソニーのSRが主流だし、アルファのおかげで安い映画はソニーになってるな
初期の頃のレンタルビデオ店では、ベータとVHSの両方を置いていた店が多かったのを憶えていますね。独眼竜政宗が放送されていた頃にはベータは廃れてきて、VHSしか置かない店が増えてましたね。ベータのテープはたまにハードオフで見かけますが、動いているデッキを持っている方が珍しいかもしれませんね。
後付けな意見だけどビデオテープはスペース効率が悪かったリアタイでDVDとの世代交代を見たけど、2フロアで営業してたツタヤの大型店が1フロアになり、余剰となった大量のビデオはワゴンセールや中古屋にで、今度はレンタル終了でDVDが同じ事になり、作品はデータ配信にレンタルビデオ全盛期を知る世代としては寂しい…😔
テープの販売数量では実は85年位まではハードの比率の差ではなかった。松下が10万ビデオデッキ作ってβ広告の逆効果とそのイメージがVHSに大きく傾いた。(それだけの母数の機器がもう家庭にあったから)でもソニーが参戦するまでローディング系のメカはVHSはへたりや故障が多かった。画の出だしも遅かったし。
25年前に買ったSONYのVHSビデオレコーダーをまだ持ってる。VHSソフトや過去に録画したテープなんかがあって、捨てられずにいるんだよね。
VHSとベータマックスの争い構図は、プレイステーションとセガサターンの争いによく似てる。特に出来は良いんだけどコア過ぎて負けてしまったところが非常に似てる。
@@johnduegombei ある意味ソニーは失敗して学んだとも言える。
セガサターンの前にメガCDとワンダーメガのCD部分と映像・音声部分はビクターと共同開発し、だからVサターンがありました
@@johnduegombei ビクターのアナログハイビジョンテレビはNTSC放送(標準放送)を表示するにあたり、その規格と親和性の高い方式を採用していて(不自然になりがちなアプコンを諦めて単純2重トレースで普通のテレビと同様の映像にした)、ハイビジョンは欲しいけどまだNTSCメインは動かないからその機能目当てで買った事がある前置き長くなったがその頃のビクターのイメージモデルが菅野美穂だったな、21世紀まであと数年という時代
初期VHSテープが5000円してたんだよなあ。最後のほうは10本1280円だった。
ブルーレイ隆盛の今でも、なんか価値が認められているVHSソフトやLDソフトって一部ありますよね。
ソニーのSLH テープ、エルカセット、DAT松下のDCC、3DO、PD・・・技術競争はいいことです。
ベータはベータⅡが標準モードになってから、テープの長さをフィートで表示してた。120分が500、180分が750等、あれも解りにくく敗因の一つではないだろうか。
同意、初期のベータⅠのみの時代は、一時間テープがK-60と時間表示でした。VHS対抗のベータⅡで2種類の時間となり、フィート表示は苦肉の策だったみたい。個人的には、L-500よりK-60/120で良かったのではと思う。
あ〜、懐かしいですね。VHSとベータの他に、手のひらサイズの✇テープがありましたが、覚えている方はいらっしゃいますか❓あっという間に📀DVDが普及しましたっけ…今後、どんな物が出てくるのでしょうね。😃🍀
VHSの父の高野鎮雄さんの生き方は尊敬に値します!
@@johnduegombei 高野鎮雄さんと対立していた社長だった宍戸さんが一番の戦犯ですね!
子供の頃はVHSの3倍モードでも普通に見てたのに、BDが普及した今となってはDVDの画質ですら悪いと思うからな、時代の流れが早すぎる…
私は4K BDを見て2K BDでさえ荒さが見えてます。
βは単行本サイズ、VHSはカッパブックスサイズと呼ばれてました。
洗濯屋の裏ビデオ本当に伝説やった!!
選択屋けんちゃん
レンタルビデオは返す時、巻き戻して返さないと店員さんに注意されちゃう笑。
この時代はビデオテープの規格合戦が凄くてベータが8ミリビデオを出したと思ったらvhsがVHS-Cを発売しDVテープだミニDVだと購入する側にとっては混乱したものだったわ
VHSロングモードって倍だっけ?3倍だったような気がするけど
VHSですらカセット入り口から覗く内部は、部品が多そうなのに、ベータはさらに、なんだ。。。
ビデオデッキを初めて買ったのは 1982年だったんですが、ビデオテープ代の事も考え、録画時間の長さで VHS(ナショナルの「マックロード」)を選びました。当時はビデオテープの値段が高く、安い物で VHS120分テープ2本で ¥5,000でした。まあ VHSが勝った別の要因として、「洗濯屋ケンちゃん」などのソフトが、おっちゃんたちにウケた という話しも 聞いた事がありますが。
私が知っているAV女優「愛染恭子さん・小林ひとみさん」他にも沢山いた筈なのに名前を思い出す事が出来ません。
文庫本サイズのカセットサイズなどβは使い勝手も計算されていた。唯一のミスはβⅠで一時間録画スタートだったこと。実は井深さんが出したものでここがソニーでも忖度した面があった。モノ言えぬ人が存在した。本当は二時間基準が妥当という社内の人もいたと思う。ここが唯一悔やむべき面ではなかったかと思う。ここで二時間基準でスタートしたなら互換性や画質の優位性とかもっとVHSに対抗出来たかと。技術に自信持ちすぎてお客様目線が少し欠けていた。という事だろう。松下幸之助が響く点を与えられなかった。と。
基本、ソニーさんが普及のための貢献出来なかった。ものは優秀なのに、使用条件が厳しかったのでは?と思うけど。いまでも、つかわれているのかな?私は、全部捨てた!DVDの方が、保存、再生が楽だからね。
自分の時代ではVHSで、確か3倍モードというのがあったような……、そして6時間も録画できていたような記憶。モード切り替えというのをあとから知った。知る前は、なぜか録画時間が前と大きく違うなぁ……と不思議がっていた。
その後に一部のメーカーが5倍モードを出したが、自分は買わなかったね。それから、3倍モードだと録画したのと別の機種だとトラッキングが合わないことが有るのが困った。
でも、3倍モードだと画像が荒くなったのを覚えています。
うちは親がケチだし裕福なほうではなかったので標準で撮ったら怒られたものでした笑。
ビクターはアメリカのアメフト需要対応のためにVHSの2倍(LP)モードを開発したけど、より長時間でかつ標準(SP)モードと技術的に親和性の高い3倍(EP)モードに統一して2倍モードは切り捨てたこれはVHS系最後の規格であるD-VHSでも同じ状況で、2倍モード(アナログ地上波放送くらいならほぼ無劣化で録画可能)を搭載したのは日立だけだった
@@みけたま-s4i そもそも2倍モードは松下が勝手に出した規格で、ビクターは激怒していたらしい。
Panasonicが販売していた、Blu-rayレコーダーと、DVDレコーダーの中に、VHSビデオを、再生出来る、機種がありましたが、2012年までに、製造終了しました。
そのブルーレイ版でしたら、今でも当方で保有しております。まだ故障など無く現役です(ディスク読み込みが遅くなり、リモコンも効きが悪くなりましたが(一部、HDMI接続したテレビのリモコンで代用)、VHSやHDDは、まだ普通に使えます)が、古いので二台目を追加しております。10年以上経つと、機能等の変化が激しいです(同じディーガなのに…)。
「ベータマックスはなくなるの?」はDreamcastの「セガは、倒れたままなのか?」と並んで不利な状況の陣営がネガティブな自虐ネタを行う宣伝はむしろ逆効果というのを証明した例だと思う
DVデッキとVHSのダブルデッキなど色々なダブルデッキをSONYが出していた。そして、現在もまだそれらが動いていることを実感すると、きちんとアフターケアしていると機械はきちんと動いてくれるということを感じる今日この頃である・・・。
東芝はVTRでも負けて、DVDでも負けたのか
東芝はDVDの開発メーカーで、普通のDVDは普及に成功しましたが、次世代規格のHD DVDはブルーレイに敗北しています(東芝が「HD DVD」から撤退を表明し、ブルーレイレコーダーを発売することで、次世代DVD戦争は終結したが、そこから東芝の混迷が始まる(現在、映像部門は中国メーカーの傘下))。
あと東芝はVHDを選んでます。ほんとに先見のない会社です。
「ベータマックスはなくなるの?」…今で言う(これアカンやつや)と当時思いました😗
ソニーはAV業界の参入を頑なに拒んたのだと聞く。インターネットもそうだが、人間の根源的な欲望がテクノロジーを普及させるという好例。
一番最初に親父が懇意にしてる電気屋からかったのが、SANYOのβ版。リモコンはコード付だったなぁ。 学生時代はストロボ描写CM(一画面内に細かく次々と描写する。ゴルフのスイングや鳥の飛び立つ瞬間とかわかり易かった機能)に憧れて20万弱のSHARPのVHSレコーダーを頑張ってバイトして(当時歌舞伎町居酒屋で650円位。マックで550円位。)購入!…勿論、エロビにも適応(笑)!S-VHSはパナの88/880シリーズを購入。15万位の定価だったかな。ところがDVDレコーダーの登場で一変し、現在はBDレコーダーだけど、録画して保存するという文化は日本固有らしく、欧米の様に無くなっていくのかもね。今はパナBZT710が稼働10年越えて頑張ってくれてまっす!プラズマは先月映らなくなりました(苦笑)。
VHSデジタル放送で録画出来ない事はないけど、SD画質になるんだよね。SONYの自虐ネタはSEGAのドリキャスも同じ事やってたよね。どちらも失敗だったのは同じ。SEGAはSONYの失敗から学ばなかったのかね。
ソニーの一番目の失敗でベータは当初、最長1時間の録画しかできませんでしたからね、その規格に賛同できずに松下など、のちのVHSグループ側と分裂しちゃったそこで最初から2時間(3倍なら6時間)録画ができるVHSとの差が出ちゃったんですよ、慌てたソニーは二番目の失敗をして、テープの送り出し速度を遅くして録画時間を延ばすことにした、それがベータ2、そのために当初のベータ1を事実上切り捨てることになり、なおかつテープの表記もわかりにくくなったVHSは録画時間表記でわかりやすいのに、ベータはテープの長さ表記、そして一番の問題は、売り文句の画質が、テープの送り出し速度を遅くしたぶん悪くなってしまったこのあと、ほかにもいくつもの失敗を重ねてしまうんだけど、あまりに長文になるので略します。
笑っていいともで、明石家さんまさんがベータが生産中止なったら機械がただの箱になると愚痴ってたのを覚えてる…
ベータマックスの新聞広告をみて、既視感があったのはセガのドリームキャストの広告だわ同じようなことやって、同じようにコケたというのを知ると歴史を学ぶというのは大事なんだね
昭和60年頃(それ以前かも?)、東芝がサザエさんでのCMでベータデッキの「ビュースター」を108000円で安さを強調していた。
自分の場合は、CMが帰ってきたウルトラマンバージョンだった。
規格争い当時まさか最終的に両方消えてなくなるなんて夢にも思わなかったな
VHSの方が小型化と軽量化と二時間録画可能
良いもの作っても、それが良いものだと一般人が理解できるか、そして、理解できるかどうか以上に「信じるか」という信用もまた重要。また、最初は、「質がさらに良い」より、「必要十分な質」、すなわち「録画できるかどうか」がまず求められたのだろうと感じられた。事足りて、そしてすぐ壊れることもなく、そして出来るだけ安く、そして、その情報を分かりやすく消費者目線で伝えること、伝わること。「高画質・高性能」へ行ってしまったという話を聞く限りでは、SONYさんの見込みが失敗したのでは、という印象。そういえば、筆記具とか他の分野でも、はじめのうち、大半の人が求めるレベルは「まず普通に使えること。普通の使用に耐えて欲しい。あとは安ければ、とくに不満はない」ぐらいだったりする。使い続ける中で、ようやくあとになってから、「もっと良いものを」という興味が出てくるものなのかも、と。
UA-camの全盛の今、ベータで残ってるテレビ番組の画質の良さがVHSにはるかに勝っていてなん十年も経ってようやく勝てたな
家庭で普通に使うという視点でVHSとβの比較なら主婦向けの雑誌「暮らしの手帖」第二世紀87号の商品テストがわかりやすい。各社(ビクター、松下、シャープ、日立、三菱、ソニー、東芝、サンヨー)が自薦した定価15万円以下の機種を比較するテストだった。結果は、「画質や音質に目立った差は無い。テープ代を考えるとVHSがややお得。」だった。
ソニーさん今、ゲーム部門でかなり炎上してましたね。ベータの時もこそくなことやってたのかな?
オープンリールを使ってたけど70s'になってVコードとUマチックに変えて、80年からはVHSだったな。
東京オリンピックの頃カラーテレビが75%の普及率と言ってますが、この頃カラーテレビはほとんどなかったと思います。 4年後のメキシコオリンピックの前、「オリンピックをカラーで見よう!」というテレビコマーシャルが多くありました。
VHS普及の一因ですが、販売店が〇〇ビデオ(洗濯屋〇〇ちゃん)を付けますよ、という都市伝説もありましたね。後は、レンタルビデオがVHSのほうが多いからVHSデッキ購入、という流れもありますね。三洋のベータデッキ持っていましたが、画質はきれいでした。しかし、その当時はフローティング方式に難があって、再生スタートに若干時間がかかりました。
どちらも再生専用に新しく発売すれば売れそうな気がするんだけど。テープを処分するためにも是非してほしいな。
ベータマックは全ての面でVHSより優れていましたよ。良く言われる録画時間もVHSは単純に画質落としただけですけどね。敗因は松下を取り込めなかった事ですね。オーディオマニアはほぼ全てベータ派でしたね。事実テープの売上はベータの圧勝でしたよ。優れていた物が必ずしも勝利するというわけではない見本みたいな例ですよね。
マニアは長時間モードを使わないからだ!βⅡ3時間20分、VHS標準2時間40分が決め手なんだよw
1980年代頃に、街の電気屋さんが、設置していた看板は、Panasonicでは、ありません。nationalです。
パナソニックは元々輸出向けのブランドですよね。
@@prc148mbitr 1989年以降、日本国内で販売される、カラーテレビ・ビデオデッキ・オーディオなどに、Panasonicを使い始めてます。冷蔵庫・洗濯機などの、白物家電には、nationalを使い続けてました。松下電器産業が、Panasonicと、社名変更してから、日本国内で販売される、家電製品は、全てPanasonicに、ブランド名が統一されました。
1982年に親に無理を言ってVHSを買ってもらいました。当時小学生の私でもVHSの方がいいと思いました。120分テープが定価で3900円 実売でも2500円以上もした時代に3倍モードで6時間も録画できましたからね。貧乏な家庭では3時間しか録画できないベータは論外です。
VHSは庶民に寄り添った戦略が成功要因
ビデオだけに留まらず、ウォークマン、ディスクマン、MDウォークマンと、業界最先端がソニーだったが、先駆け故の宿命との闘いでもありました。安定しないテクノロジーから壊れやすく、後発組に悠々とアップデートされた商品を出され、アフターは高慢だし当時の裏キャッチコピーは"it's a SON(損)!"だったからなぁ。
その頃、松下電器は「マネシタ電器」と言われていたとか…。
まだTSUTAYAも無く個人店でレンタルビデオ店が大半だった頃はβとVHSが置いてあったな。
ソニーのBetaPRO ⅡSL-HF900mkⅡとビクターのHR-20000は最高でした。編集機能はソニーの圧勝でした。リニアタイムカウンターなどソニーのデッキが当たり前に搭載してた機能もVHSデッキは未搭載でしたからね。ベータもVHSもW-VHSもD-VHSもDVデッキもHi8デッキも持ってました。
置いていた場所が悪かったと思いますが、撮り溜めしたテープが稀にカビが生えていた事がありました。
販売店で、ベータとVHSどっちがいいのか聞いたら、VHSが良いと言われてVHSを、買いました。
そういえば、DVDを、見るために、プレステも、買いました。
子供の頃βが欲しいと思ってたら、地元の運動会がVHSで録画されてて、それを親父が借りて見たいから実家のデッキはVHSになってしまったw昔はテープも高くて学生時代パンの耳を食事にして節約し買ってる奴も居たなあテレビで放送される映画やアニメを録画するにはVHSが丁度良かったし、レンタルビデオ屋が出てからはエロビデオはVHSばかりだったのもあって自分もこっちにした想い出w一番のネックは両方ともカビに弱いって所でしょうね、一生懸命録画編集したテープは皆これでお釈迦になってしまったのが残念
ビデオ戦争時代、SONYのVHSが出たなら欲しかったwそれまでは初めて買ったβのSL-J9をずっと使い続けていたぜ!
エロビデオのおかげで普及した恐るべしエロビデオw
ウチが通っていた高校は当初独自の体育館がなく、雨の日は体育の授業はビデオ鑑賞だった。当然教養あるビデオを見たが、先生が職員室に行ってる隙にクラスメイトがビデオをサッと差し替えて、裏ビデオを観て笑ったのが懐かしい…
あれは熾烈な争いでしたね。うちはVHS 通が言うにはベータが上と言ってた気が。
通は長時間モードを使わないからだw
実VHS陣営では、ソニー一社だけになった場合の方を恐れていたらしいよだって、グループの縛りがなくなったらナニ始めるかわからない怪物なんだもんまぁアナログ時代(90年代中期までかな)に関する限り本当にモンスターだったけどね
「係長島耕作」でやってました。いっかにも昭和な家電戦争、AV付けて独身男性にうりこんだり、撮影現場見学したり。往時を思い出してニヤニヤ読んでたものです。 VTRといえば40年まえ、「タイム・トラベラー」を二インチで持ってるなんて自慢している奴がいた話。まあ、与太だったんだろうな。
今でもVHSで裏見てる😂昔パチヤの景品でビデオ3台交換しててよかった😉✴️
最後のプレステ2のオチで思わず「おー!」と唸ってしまいました(笑)
ビデオ録画と言えば「野球中継の延長により以下の番組は繰り下げて放送します」の字幕に何度泣かされたかwww
サンテレビ「阪神が勝ったらヒーローインタビューまで放送やで」
@@tentaso0422 もはや繰り下げどころの騒ぎじゃないですねw
延長分を計算して予約時間を調整するのがクッソ面倒でw
途中までしか録画できなかったりして、「野球中継なんてやめてしまえ!」と何度思ったことか
@@TheGureimon まさか本当に野球中継が無くなってしまうとは…(笑)
たまに中継されても延長はしないみたいですしね。
まぁ現代でそんなに魅力あるテレビがないのでこのチャンネルを見まくってるワケですがw
野球中継にしても、中途半端な延長で結局試合終了まで放送されることは稀なので、野球ファンからのクレームも凄かったらしいです。
誰も幸せにならない延長でした。
素人はVHSよりベータの方が高画質と言っているが、VHS標準モード(2時間記録)より高画質だったのは、ベータのβⅠモード(1時間記録)だけなんだよな。
日本ビクターは、家庭用VTRの基幹技術である映像記録「回転2ヘッドヘリカルスキャン方式」と色信号記録「カラーアンダー方式」を開発して、特許権を持っていた(ソニーもこの日本ビクターの特許技術を利用してベータなどのVTRを開発)。また、VHS(2時間記録)に対抗するためにソニーはベータに急遽βⅡモード(2時間記録)を搭載したが、βⅡモードはβⅠモードと比較するとテープ送り速度が1/2となったために画質が悪化したので、ソニーは日本ビクターの特許技術「キャリアインターリーブ」を使って画質改善を実現した。
ソニーと日本ビクターは、両社で相互に特許技術を利用することができるクロスライセンス契約を締結していたが、もしクロスライセンス契約がなかったなら、ソニーのベータは日本ビクターの特許に抵触しまくりで、販売すらできなかったよ。
テープとヘッドの相対速度ならVHS標準よりβⅡが優れていたけど、
βⅡの記録トラック幅はVHSの半分しかなかったもんな。
素人は、技術は VHS < ベータ が上と云うが、
民生用として技術は、ベータ << VHSでした。
VHSは機構を簡易化するだけでなくビデオカセットの形状にも技術が投入されており、
長時間録画・再生を可能にしていました。
VHSも末期は一から作り直したD-VHSやW-VHSを出しましたね。
やれば出来るじゃないかって思いましたよ。
ベータ陣営を作る時に最大の失敗は日立を取り込めなかった事。日立はベータに魅力を感じソニー本社に社長直々に訪問した。当時のベータⅡの問題も解決できるものを持って。でも対応が悪く心証を悪くしすぐVHSへ鞍替えしたんだよな。マクセルはベータテープでも意欲的だったし日立が入ればまた違った技術が出来てまた違った歴史が出来たのではないか?と松下ばかり見ていたソニーの不覚がそういう結果を招いてしまった。自分としてはここが一番無念に思う。
ベータ派でしたが、マクセルのHGX GOLDビデオテープはよく使っていましたね…。
確か日立の社長がベータのヘッド等を供給して欲しいと、ソニーの社長に頼んだらしいですね。
でもソニーの社長は良い顔をしなかったので、日立を怒らせてしまったんでしたね。
ソニーは何としても松下をベータ陣営に引き入れようと考え、松下とビクターにヘッド等を提供するとまで言ったそうですが、松下は子会社ビクターと共にVHSを作ることを選択しました。
もし日立と松下がベータ陣営だったら、結果は違っていたかもしれませんね。
日立マクセルのビデオテープは高品質でしたね。
録画開始やCMカット、繋ぎ録画のスムーズさなど、画質や操作性は明らかにベータのほうが上でした。でも解説されているように、デッキの価格や録画時間などコスト的にVHSが大きく優位。撮影機材がベータより安価だったせいか、当時のエロビデオが全てVHSだった事が決定打となったという説もありますね。
CMカットはのちにVHSでも搭載されたけどね。CMはステレオ放送だから簡単だったって話だけど。
アメリカでVHSが売れたのは録画でアメフトの試合分の録画が出来たのが大きい。
@@gitanes9071 ベータにCMカット機能はついてないです。上記のCMカットとは手動のCMカットですw
@@73moto T-120で4時間の2倍モードですね。日本のデッキにも搭載して欲しかったです。
話はそれますが、昔の録画って時間を合わせてするので昔よくあったナイター中継の延長放送でよく番組が欠けて最後まで見られなかった悔しさをよく経験した。その後Gコードとかいう番号を入力して録画するシステムもあったが長続きしなかった…
Gコードも結局、延長への自動対応は不可能でしたし…。
懐かしい。
昔レンタルビデオ屋には
VHSとべーた
吹き替えと字幕があった
野球中継の延長も中途半端で、結局は試合終了まで放送されなくて野球ファンにも不評だったとか…
要するに誰からも歓迎されてなかったのですよ。
私の子どもの頃も今みたいに家電量販店はなく初めてビデオデッキを購入したのは近所のナショナルの電気屋のVHSでした。
大事なテープは爪を折ったり必要がなくなるとセロハンテープを貼ってまた録画したりしていました。
なつかしい🤗
保存用テープのツメ折り→セロテープ張り再利用
テレビの世界でもテープが高価だった半世紀以上前は再利用が普通で、当時の貴重な映像が上撮りで消え、懐古番組等で視聴者に提供をお願いしたりしてますね
昔はスタンダードのビデオテープが1本数千円とかしてましたね。
β対VHSは松下がVHSについた時点で勝負は決まったようなものだったがLD対VHDの時は松下に敵対されてしかも実質13対1の圧倒的不利をひっくり返して勝利したパイオニアはスゲーと思った。
然程普及せずにマニア向けのニッチ商品としての範囲を脱却できなかった事がLD勝利の一要因だと思う
これがビデオデッキ並みに一般層に普及してれば販売力でVHDが押し切れたんじゃないかと
LDの高画質もそれを表示できるテレビがなければ意味がなく、テレビがショボければLDだってVHD並みにしか映らない
昭和末期の頃なんてバブル期とはいえそんな高画質テレビを所有している家庭なんてそんなにないだろ
LDはカラオケでの需要があったから勝利を後押しした。ハードに使うし画質ものきれいだし。VHDカラオケ置いてる飲み屋行った事あるけど音飛びとか頻繁にあった。あとソニーは最初からLD採用。CDの技術も使えるという事で。それでパイオニアはβに参加した。これ見るとVHSの勝利は技術ではなかったと分かる。松下はこの分野では見誤った。後のDCCとかVHS-Cでも。
MDとDCCの勝負では、松下はDCC陣営でしたが、MDが快勝しましたね。
松下が勝つとは限らないことが立証されました。
当時、実家のβのビデオデッキが恥ずかしくて仕方なかったが、今は誇りに感じてる。
今から40年ほど昔、私が高校生の頃はVHSが優勢になりつつあったけど、ベータ派も其れなりに居たよ。
βもVHSも数世代持っていたが、どの世代でも画質はβのほうが画質が良
かったのは一目瞭然でした。ところが長時間録画できる3倍速の利点が大き
かったため、VHSの使用頻度が多くなったのも事実です。
S-VHSとTBC(Time Base Corrector)の組み合わせで
ベータの画質の優位性が無くなりました。
>どの世代でも画質はβのほうが画質が良かったのは一目瞭然でした。
興味があります。ベータとVHSはどんな機種を使ってましたか?
ごめんなさい。機種名は既に記憶にありません。なお現在保有しているPana
sonicのNV-SB800W以外は、かなり以前に全て廃棄してしまっています。これ
はビデオメディアを光学メディアに変換するため、やむを得ず残しています。
なおベータはハイバンドベータまで所有してましたが、何れも編集するため
にジョグシャトルが必要不可欠だったので、上位の機種を所有していました。
D-VHSの登場がベータに留めを差したのでは?
ベータは最後までデジタル化はしませんでしたから。
コレは遠い昔、「プロジェクトX」という番組で題材が取り上げられていましたよ。
よく覚えています🤔。
またこの他にも、「VHD」という企画も耳にした気が。
それ持ってる
@@稲穂鈴
当時の放送の映像をお持ちですか!
それはきっと貴重なものだと思いますよ。
それにしても「プロジェクトX」、懐かしいです。😀
あの当時、VHSかβで分かれててどちらかが生き残るかと思ってたがVHSが台頭しβは家庭用から姿を消した。レンタルビデオ屋もVHSとβが並んでて子供の時に自分は間違えてβを借りて見れなかった記憶がある。
うちの近所にあったレンタルビデオ店は、初心者対策としてVHSとベータどちらを使っているか入会時に聞かれました。
VHSとベータで会員証を色分けしていました。
店員さんも一々どちから聞かなくて済みますので、良いアイデアだったなと思います。
プロジェクトXで見たけど、VHSの勝因は松下電器(現パナソニック)を味方にしたこと。
このVHSを開発した日本ビクターの高野さんは「ミスターVHS」と言われた。
このチャンネルはソニー目線で見てるみたいだけど、プロジェクトXは逆の目線でしたね☺️
ソニーは何としても松下をベータ陣営に引き入れようと必死だったそうです。
松下とビクターにヘッドを提供するとまで言ったそうですよ。
しかし松下は子会社ビクターと共にVHSを作ることを選択しました。
ソニーはハードの開発しか頭になかったのに対し、ビクターは
映画や音楽ソフトとの合わせ技で勝利したと思います。
レンタルビデオショップにはVHSばかりが並び、ベータのビデオ
ソフトはほとんど並びませんでした。
レンタルビデオが流行りだした1985年から88年くらいまでは両方ありましたよ。
あまり触れる人は少ないがベータ自身は決して失敗作ではない。
ベータカムは業務用や放送用、ハイアマチュア分野では全然成功している。
よく言われる失敗例であるベータマックスはそもそもベータカムよりも昔の規格だから云わば型落ちで最新のVHSに戦いを挑んだようなもの。
そりゃ勝てるわけない。
もう過ぎたことではあるが、ベータマックスを続けるよりベータカムを低価格化する方向にリソースを割く方が難しいとはいえマシだったかもしれない。
完全にソニーの戦略ミスだっただろうな。
しまいにはβはソニーくらいしかなくなりましたね。VHSは競争が激しくテープも安売りがはじまり、90年代初頭でSTDクラスで300円/本くらいになりました。その後ダイソーで100円。このくらいが最安値だったかとおもいます。ところが、βはそうはいかない。テープが高いのは難点でした。
ベータのもう一つの敗因はVHSに対抗するために自ら最初のβⅠモードを生かせなくなってしまった事。VHSの標準2時間に対抗するためβⅡモードを【急遽】作った。哀しいかな後付けで作ったので元々のβⅠモードとの互換性が完全でなくなってしまった。β陣営はβⅡ基本でVHSに対抗せざるを得ず後手後手にこの録画モードではなってしまった。
一番の画質の技術の粋を詰め込んだβⅠを使えなくしてしまったのだ。
(後のβⅠSとは違う)
だから日立をもし取り込んでいたらその問題解決の技術提案を持っていた。傘下にマクセルもある。互換性を解決できてβⅠを生かせればもっと歴史は変わっていたと思う。
大局を見る人が少なかったのか、技術に圧倒的に自信があったのか、日立の件は悔やまれる選択だった。ソニーの人がβの画質がVHSより全然良いというのは実はβⅠモードの事を言っている
だから一番売りたい技術が早々に生かせなく自ら首を絞めてしまった。そういう点も松下幸之助は見逃さなかったという事だろう。そこもVHSとの店数の差をつけたのだろう。
もしβⅠがⅡと完全互換性の可能性があって二時間テープも後に作れると言っていたら、採用可能性もあったという事だろう。そこを優先させたビクター高野氏。絶対互換性を守ったその信念が
当時はソニーに勝ったのだろう。
テープと録画ヘッドの相対速度がVHS標準に劣るβⅡでは補正をしたところでそのハンデを覆せるものではなかった
そしてまだベータが一般層にも購入されていた頃(80年代中盤くらいまで)、彼らの認識は既に標準=βⅡだった
彼らのなかには知人宅等でVHSの映像を観て、あれベータの方が画質良いと言われてるけどなんかウチの方が画質悪くね?と思った人もいただろう
頑ななマニアはβⅠやβⅠsを念頭にベータの方が画質に優れていると熱弁振るったが、録画時間が半分になるという致命的損失を甘受してでもそっちを取る一般層など居るわけがなく、彼らは買い替え時にベータを選ばなかったという結末
転勤族の子だった中・高の友達の家がベータだったけど、少数派故に苦労してた
その家もやっぱり音や画質にこだわってたなぁ
ベータマックス側に付いた企業の内東芝、NEC、三洋が後にブルーレイ VS HD DVD戦争でHD DVD側に付いていた企業だったり。
NECや三洋は80年代半ば頃から輸出用にVHS出してましたね。
東芝は結構頑張りましたが結局VHSに鞍替えしましたね。
次世代DVD規格の時もBlu-ray vs HD-DVDがありましたね。歴史は繰り返す・・・
実はDVDはSD(松下)とMMCD(ソニー)という次世代CDの規格争いになりかけたものが統一して生まれた
まさに繰り返しですね。当時HDDVDの方が高画質という評価もあったけれど、ソフト会社がより長時間収録できるBDを支持したのが大きかったというのもあったようですし。ましてやソニーはPS3をぶつけたという。
私は1980年にVHSデッキを購入、友人がβと VHS両方所有していたので、使い勝手を尋ねたら、画質はβの方が上、録画時間ならVHS、と言ってましたね。
ソフト面では、映画やドラマは収録時間が長いので、レンタルショップにはVHSのソフトばかりが並び、βのソフトはほとんどありませんでした。(特にAVソフト)。
80年代は画質重視した録画時間ならβⅡが3時間20分、VHS標準で2時間40分だったんだよw
どっちもβが上回る!長時間モードはオマケ。
VHSなんぞ買う理由は無かった♪
30年~40年前 どう言う切っ掛けか忘れてしまいましたが「裏ビデオ」の存在を知り友人三人と毎月「裏ビデオ」を
買っていました。一人当たり3本買っては「ダビング」をして持っていましたが毎月9本になるので、妻に分からない様に
色んな場所に隠していました。今では叡智ビデオ燃えるゴミとして廃却してしまいました。
【ダビングをしていた事時効ですから】【本当に叡智ビデオ】ですね
40年くらい昔、私の学生時代は半々でしたね。
親戚や友人など、VHSとベータどちらも愛用者は其れなりに居ましたから。
VHSもベータも日本初の技術が世界標準を決める戦いというのが日本の黄金時代を感じさせる。思えばスマートフォンはアップルでなくソニーが開発すべきだった。
放送局で使われていたのはベータカムでした。世界標準でもあった。何故かというと放送用は画質最優先だから・・。お金に糸目をつけない放送局はベータの独壇場だったのですね。それに対して民生用はあまり儲からなかった・・。SONYは儲けてたんですよね。いずれにしろ過去の話ですが・・。
ずっとベータを使っていました。最後にはしかたなくVHSデッキも買いましたが、手持ちのテープはほとんどがベータでした。1980年当時、アニメファンは圧倒的にベータが多かったように思います。ベータはテープのローディング時にヘッドにテープを巻き付けるので、タイマー録画時、タイムラグなしで録画を開始しますが、VHSでは起動してからヘッドにテープを巻き付けるので、番組のあたまが切れるのです。そんなこともあってコアなアニメファンほどベータを愛用しました。また、動画を止めたとき、ノイズの少ないのもベータ。コアではない一般家庭のほうがずっと数が多いので勝てるはずはありませんが。あと、TV局で使うプロ用機材も内部の仕組みはベータ方式でした。(ベータカム)
VHSは、録画したい番組の開始時間より1分早く予約する(例えば、夜7時から放送される番組であれば、1分前の6時59分に予約録画を開始)と、頭は切れずに済みました(開始前のCMは無駄になりますが…。時計がズレていても頭切れが起きませんでした)。
余談ですが、我が家の初めてのビデオ生活は1993年の大晦日、まずはレンタルビデオで始まりました(←家族の中では(当時は小学生)自分しか接続方法を知らない…)。
今はスマホ対応(ネット経由でどこでも視聴、予約出来る)ブルーレイレコーダーが主役です…(VHSはもう、叡智なものしか見なくなりました^^;)。
(※ベータは知っていますが、使った事がありません)
VHSの動作が遅いのは、ソニーがVHS参入するまで解決しなかったw
@@us-cbactqa8893 いや、松下の1985年発売のNV-1000HDから解消されました。
VHSを開発、普及させた人達の映画陽はまた昇るを思い出しました。
熱い物語やったなあ。もう20年前の映画だけど皆さんに観て欲しいなあ。レンタルでVHSとベータが並んでいたのが懐かしい。初期は一泊二日で1000円だったなあ。
SONYのベータマックス愛好者でした。第一次ビデオ戦争で惨敗だったのに今やPanasonicの企業規模をも超えたSONY。あれだけ世界でVHSが売れたのにその後凋落してKenwoodと経営統合せざるを得なくなったVictor。ヒット商品が出ても企業努力ってホント大事だと思わされる
結局、標準モードで2時間録画を実現したVHSが普及した。
家庭用として高画質と長時間録画を両立したVHSの技術力に
ベータを始めVコードやVXなどが負けた要因である。
SONYはハイビジョンビデオディスクでは2時間録画・再生を
実現したBluray Discを出し1時間半しか対応しないHD-DVDに勝利した。
VHSの録画モードは標準と3倍かな(海外規格は2倍?) 後に更に長時間モードなども出来ましたね
D-VHSは、あまり流行らなかったね。Hi-Fiデッキが10万切ってから一気に売れた。
「昭和のビデオテープ戦争「VHSとベータ」熾烈な戦い」1976年頃私が最初に買ったのは「ソニー/ベータマックス」
【VHSデッキは全面からテープを入れていました】でも「ソニー/ベータマックス」は本体上部が上がって来て
そこに「テープ」を入れるシステムでした。【販売価格も20万円近かった筈です】「ベータマックス/テープ」も高くて
一本2000円~3000円したと記憶しています。その後「ED ベーター」も購入しましたが、妻や子供達は「VHSデッキ」の
方が良いと言い出した為「ビクター/VHSデッキ」を購入し主力は「VHSデッキ」に移り「ソニー」も「VHSデッキ」の
販売をし始め「ソニー/ベータマックス」の製造を中止した為今でも「ED ベーター」と「ベータマックス/テープ」持っています。
【画質が良いのはSONY ED ベーターの方ですね】
ペーターはコピーガードを無効にしてたから、レンタルビデオを借りてコピーしてましたね。初めに買ったVHSは動作音がかなり大きくてうるさかったですね。初めにソニーのベーターを作ってたの抜け出してVHSにかわったのは東芝でしたね。
そのコピーガード付きVHSソフトからダビングしたβはコピーガード付きなんだぜ!
コピーガード除去せず丸々コピーするのは違法にはならない。
東芝はVHSを出してからもβを売り続けていたから問題は無い。ソニーとは縁を切らずHi8ビデオデッキまで発売していたぜw
βからw.vhコピーできませんでしたね。
後にコピカードキャンセラーもうってましたねと
ソニーのVHSデッキは見た目も良くて、巻き上げ速度が速かった。
俺もソニーのVHSデッキ使うてた、普及型でも巻戻し早送りは速かったです。あの自滅広告から学んだことも多いかな?
ソニーのVHSはチューナーがアキレス腱でした。
数年で受信不能になるトラブルが頻発していたようです。
私が使っていたSLV-J10もチューナーが壊れました。
「ベータマックスはなくなるの?」の広告は大失敗でしたねえ。私もあの広告見て、「とうとうSONYがベータの敗北を認めた」と思いました。しかしUA-camにあがってる動画を見てみると、確かにベータマックスで録画した動画は画質がいいですね。
うちの場合決定的だったのは録画時間でした。VHSは長時間モードで6時間録画できた。当時は2時間テープが¥4,800もしたので、画質、音質が落ちるのを我慢すればこれはありがたかった。
ビデオテープと言えばβよりVHSの方が圧倒的に使い易かったですよね。昔のレンタルビデオ店は殆どVHSで締めていましたしね。😐
逆にベータ派は「ベータ版があるか」が死活問題w…😅
VHSや上位互換の、SVHSを使ってたかな、
VHS開発の主に西田敏行さんでビクターの実話ベースの映画に成ってました。市場絵調査だかロードショー2時間映画が丸事録画出来る2時間にしたとか。タイマーは、別途だったかも。
「陽はまた昇る」ですね
何回も見ました
余談ながらVHSは新書本サイズ、βは文庫本サイズになっています。
当時のVテープ棚を持っている人は本棚として使えますョ!
最後のほうだと、レンタルビデオ屋にベータをおかなくなったり、あっても本数少なかったりで見たいものがVHSしかないって状況で、まだ使えるけど仕方がないからVHSに買い替えた覚えがあるwその後ソニーもVHS作り出して「裏切られた」って思ったなw
懐かしいです。初めて買ったVTRはベータでした。当時はむしろベータの方が安いのがありました。ただベータはテープが痛みやすく定期的にヘッド掃除が必要で、そのうちVHSのデッキの方が安くなりVHSに切り替えました。会社のデータレコーダーはDATになるまではベータ規格?のテープを使っていましたが。今ではSDカードとかですね。
ウチにビデオが来たのは1986年初頭のことで、その頃からビデオの普及してきた。それより前は、レンタルビデオ店でビデオデッキも貸出ししていた…
@@西島浩-n8q 私の家では1980年前後だったと思います。そういえばブルーレイとHDの両方の再生環境も持っていました。当時アポロ13号とバンドオブブラザースがHDしか売っていなかったので。まあPS3でBRが主流になり今ではネットですけど。
ソニーは冷蔵庫や洗濯機など所謂白物家電が無かったのも不利でしたね。
VHS陣営の松下や日立、三菱などは白物家電にも力を入れてましたから、電気屋に冷蔵庫や洗濯機を買いにきたお客さんが、VHSビデオデッキを目にする機会が多かったと思われます。
動画内でもちょっと触れられていますがVHSにはベータの技術がふんだんに使われています。これでソニーに入る特許料だけでもかなりの額だったとか。ビデオ戦争に勝った「規格」はVHSだったのでしょうが、ビデオ戦争に勝った「メーカー」はソニーだったのかもしれません。
プロはベータカムが主流というか独占に近いぐらいで他は止む終えず締め出された状態だったね。現在も最初にダブルレックをつけたせいもあってデジはソニーのSRが主流だし、アルファのおかげで安い映画はソニーになってるな
初期の頃のレンタルビデオ店では、ベータとVHSの両方を置いていた店が多かったのを憶えていますね。独眼竜政宗が放送されていた頃にはベータは廃れてきて、VHSしか置かない店が増えてましたね。ベータのテープはたまにハードオフで見かけますが、動いているデッキを持っている方が珍しいかもしれませんね。
後付けな意見だけどビデオテープはスペース効率が悪かった
リアタイでDVDとの世代交代を見たけど、2フロアで営業してたツタヤの大型店が1フロアになり、余剰となった大量のビデオはワゴンセールや中古屋に
で、今度はレンタル終了でDVDが同じ事になり、作品はデータ配信に
レンタルビデオ全盛期を知る世代としては寂しい…😔
テープの販売数量では実は85年位まではハードの比率の差ではなかった。松下が10万ビデオデッキ作ってβ広告の逆効果とそのイメージがVHSに大きく傾いた。(それだけの母数の機器がもう家庭にあったから)
でもソニーが参戦するまでローディング系のメカはVHSはへたりや故障が多かった。画の出だしも遅かったし。
25年前に買ったSONYのVHSビデオレコーダーをまだ持ってる。VHSソフトや過去に録画したテープなんかがあって、捨てられずにいるんだよね。
VHSとベータマックスの争い構図は、プレイステーションとセガサターンの争いによく似てる。特に出来は良いんだけどコア過ぎて負けてしまったところが非常に似てる。
@@johnduegombei ある意味ソニーは失敗して学んだとも言える。
セガサターンの前にメガCDとワンダーメガのCD部分と映像・音声部分はビクターと共同開発し、だからVサターンがありました
@@johnduegombei
ビクターのアナログハイビジョンテレビはNTSC放送(標準放送)を表示するにあたり、その規格と親和性の高い方式を採用していて(不自然になりがちなアプコンを諦めて単純2重トレースで普通のテレビと同様の映像にした)、ハイビジョンは欲しいけどまだNTSCメインは動かないからその機能目当てで買った事がある
前置き長くなったがその頃のビクターのイメージモデルが菅野美穂だったな、21世紀まであと数年という時代
初期VHSテープが5000円してたんだよなあ。最後のほうは10本1280円だった。
ブルーレイ隆盛の今でも、なんか価値が認められているVHSソフトやLDソフトって一部ありますよね。
ソニーのSLH テープ、エルカセット、DAT
松下のDCC、3DO、PD・・・技術競争はいいことです。
ベータはベータⅡが標準モードになってから、テープの長さをフィートで表示してた。120分が500、180分が750等、あれも解りにくく敗因の一つではないだろうか。
同意、初期のベータⅠのみの時代は、一時間テープがK-60と時間表示でした。
VHS対抗のベータⅡで2種類の時間となり、フィート表示は苦肉の策だったみたい。
個人的には、L-500よりK-60/120で良かったのではと思う。
あ〜、懐かしいですね。VHSとベータの他に、手のひらサイズの✇テープがありましたが、覚えている方はいらっしゃいますか❓あっという間に📀DVDが普及しましたっけ…今後、どんな物が出てくるのでしょうね。😃🍀
VHSの父の高野鎮雄さんの生き方は尊敬に値します!
@@johnduegombei
高野鎮雄さんと対立していた社長だった宍戸さんが一番の戦犯ですね!
子供の頃はVHSの3倍モードでも普通に見てたのに、BDが普及した今となってはDVDの画質ですら悪いと思うからな、時代の流れが早すぎる…
私は4K BDを見て2K BDでさえ荒さが見えてます。
βは単行本サイズ、VHSはカッパブックスサイズと呼ばれてました。
洗濯屋の裏ビデオ本当に伝説やった!!
選択屋けんちゃん
レンタルビデオは返す時、巻き戻して返さないと店員さんに注意されちゃう笑。
この時代はビデオテープの規格合戦が凄くて
ベータが8ミリビデオを出したと思ったらvhsが
VHS-Cを発売しDVテープだミニDVだと
購入する側にとっては混乱したものだったわ
VHSロングモードって倍だっけ?3倍だったような気がするけど
VHSですらカセット入り口から覗く内部は、部品が多そうなのに、ベータはさらに、なんだ。。。
ビデオデッキを初めて買ったのは 1982年だったんですが、ビデオテープ代の事も考え、録画時間の長さで VHS(ナショナルの「マックロード」)を選びました。当時はビデオテープの値段が高く、安い物で VHS120分テープ2本で ¥5,000でした。まあ VHSが勝った別の要因として、「洗濯屋ケンちゃん」などのソフトが、おっちゃんたちにウケた という話しも 聞いた事がありますが。
私が知っているAV女優「愛染恭子さん・小林ひとみさん」他にも沢山いた筈なのに名前を思い出す事が出来ません。
文庫本サイズのカセットサイズなどβは使い勝手も計算されていた。唯一のミスはβⅠで一時間録画スタートだったこと。
実は井深さんが出したものでここがソニーでも忖度した面があった。モノ言えぬ人が存在した。本当は二時間基準が妥当という社内の人もいたと思う。ここが唯一悔やむべき面ではなかったかと思う。ここで二時間基準でスタートしたなら互換性や画質の優位性とかもっとVHSに対抗出来たかと。技術に自信持ちすぎてお客様目線が少し欠けていた。という事だろう。
松下幸之助が響く点を与えられなかった。と。
基本、ソニーさんが普及のための貢献出来なかった。ものは優秀なのに、使用条件が厳しかったのでは?と思うけど。
いまでも、つかわれているのかな?私は、全部捨てた!DVDの方が、保存、再生が楽だからね。
自分の時代ではVHSで、確か3倍モードというのがあったような……、そして6時間も録画できていたような記憶。
モード切り替えというのをあとから知った。知る前は、なぜか録画時間が前と大きく違うなぁ……と不思議がっていた。
その後に一部のメーカーが5倍モードを出したが、自分は買わなかったね。
それから、3倍モードだと録画したのと別の機種だとトラッキングが合わないことが有るのが困った。
でも、3倍モードだと画像が荒くなったのを覚えています。
うちは親がケチだし裕福なほうではなかったので
標準で撮ったら怒られたものでした笑。
ビクターはアメリカのアメフト需要対応のためにVHSの2倍(LP)モードを開発したけど、より長時間でかつ標準(SP)モードと技術的に親和性の高い3倍(EP)モードに統一して2倍モードは切り捨てた
これはVHS系最後の規格であるD-VHSでも同じ状況で、2倍モード(アナログ地上波放送くらいならほぼ無劣化で録画可能)を搭載したのは日立だけだった
@@みけたま-s4i そもそも2倍モードは松下が勝手に出した規格で、ビクターは激怒していたらしい。
Panasonicが販売していた、Blu-rayレコーダーと、DVDレコーダーの中に、
VHSビデオを、再生出来る、機種がありましたが、2012年までに、
製造終了しました。
そのブルーレイ版でしたら、今でも当方で保有しております。
まだ故障など無く現役です(ディスク読み込みが遅くなり、リモコンも効きが悪くなりましたが(一部、HDMI接続したテレビのリモコンで代用)、VHSやHDDは、まだ普通に使えます)が、古いので二台目を追加しております。
10年以上経つと、機能等の変化が激しいです(同じディーガなのに…)。
「ベータマックスはなくなるの?」はDreamcastの「セガは、倒れたままなのか?」と並んで不利な状況の陣営がネガティブな自虐ネタを行う宣伝はむしろ逆効果というのを証明した例だと思う
DVデッキとVHSのダブルデッキなど色々なダブルデッキをSONYが出していた。
そして、現在もまだそれらが動いていることを実感すると、きちんとアフターケアしていると機械はきちんと動いてくれるということを感じる今日この頃である・・・。
東芝はVTRでも負けて、DVDでも負けたのか
東芝はDVDの開発メーカーで、普通のDVDは普及に成功しましたが、次世代規格のHD DVDはブルーレイに敗北しています(東芝が「HD DVD」から撤退を表明し、ブルーレイレコーダーを発売することで、次世代DVD戦争は終結したが、そこから東芝の混迷が始まる(現在、映像部門は中国メーカーの傘下))。
あと東芝はVHDを選んでます。ほんとに先見のない会社です。
「ベータマックスはなくなるの?」…今で言う(これアカンやつや)と当時思いました😗
ソニーはAV業界の参入を頑なに拒んたのだと聞く。インターネットもそうだが、人間の根源的な欲望がテクノロジーを普及させるという好例。
一番最初に親父が懇意にしてる電気屋からかったのが、SANYOのβ版。リモコンはコード付だったなぁ。
学生時代はストロボ描写CM(一画面内に細かく次々と描写する。ゴルフのスイングや鳥の飛び立つ瞬間とかわかり易かった機能)に憧れて20万弱のSHARPのVHSレコーダーを頑張ってバイトして(当時歌舞伎町居酒屋で650円位。マックで550円位。)購入!
…勿論、エロビにも適応(笑)!
S-VHSはパナの88/880シリーズを購入。15万位の定価だったかな。
ところがDVDレコーダーの登場で一変し、現在はBDレコーダーだけど、録画して保存するという文化は日本固有らしく、欧米の様に無くなっていくのかもね。
今はパナBZT710が稼働10年越えて頑張ってくれてまっす!
プラズマは先月映らなくなりました(苦笑)。
VHSデジタル放送で録画出来ない事はないけど、SD画質になるんだよね。
SONYの自虐ネタはSEGAのドリキャスも同じ事やってたよね。どちらも失敗だったのは同じ。SEGAはSONYの失敗から学ばなかったのかね。
ソニーの一番目の失敗でベータは当初、最長1時間の録画しかできませんでしたからね、その規格に賛同できずに松下など、のちのVHSグループ側と分裂しちゃった
そこで最初から2時間(3倍なら6時間)録画ができるVHSとの差が出ちゃったんですよ、慌てたソニーは二番目の失敗をして、テープの送り出し速度を遅くして
録画時間を延ばすことにした、それがベータ2、そのために当初のベータ1を事実上切り捨てることになり、なおかつテープの表記もわかりにくくなった
VHSは録画時間表記でわかりやすいのに、ベータはテープの長さ表記、そして一番の問題は、売り文句の画質が、テープの送り出し速度を遅くしたぶん悪くなってしまった
このあと、ほかにもいくつもの失敗を重ねてしまうんだけど、あまりに長文になるので略します。
笑っていいともで、明石家さんまさんがベータが生産中止なったら機械がただの箱になると愚痴ってたのを覚えてる…
ベータマックスの新聞広告をみて、既視感があったのはセガのドリームキャストの広告だわ
同じようなことやって、同じようにコケたというのを知ると歴史を学ぶというのは大事なんだね
昭和60年頃(それ以前かも?)、東芝がサザエさんでのCMでベータデッキの「ビュースター」を108000円で安さを強調していた。
自分の場合は、CMが帰ってきたウルトラマンバージョンだった。
規格争い当時まさか最終的に両方消えてなくなるなんて夢にも思わなかったな
VHSの方が小型化と軽量化と二時間録画可能
良いもの作っても、それが良いものだと一般人が理解できるか、そして、理解できるかどうか以上に「信じるか」という信用もまた重要。
また、最初は、「質がさらに良い」より、「必要十分な質」、すなわち「録画できるかどうか」がまず求められたのだろうと感じられた。
事足りて、そしてすぐ壊れることもなく、そして出来るだけ安く、そして、その情報を分かりやすく消費者目線で伝えること、伝わること。
「高画質・高性能」へ行ってしまったという話を聞く限りでは、SONYさんの見込みが失敗したのでは、という印象。
そういえば、筆記具とか他の分野でも、はじめのうち、大半の人が求めるレベルは
「まず普通に使えること。普通の使用に耐えて欲しい。あとは安ければ、とくに不満はない」
ぐらいだったりする。
使い続ける中で、ようやくあとになってから、「もっと良いものを」という興味が出てくるものなのかも、と。
UA-camの全盛の今、ベータで残ってるテレビ番組の画質の良さがVHSにはるかに勝っていてなん十年も経ってようやく勝てたな
家庭で普通に使うという視点でVHSとβの比較なら
主婦向けの雑誌「暮らしの手帖」第二世紀87号の商品テストがわかりやすい。
各社(ビクター、松下、シャープ、日立、三菱、ソニー、東芝、サンヨー)が自薦した
定価15万円以下の機種を比較するテストだった。
結果は、「画質や音質に目立った差は無い。テープ代を考えるとVHSがややお得。」だった。
ソニーさん今、ゲーム部門でかなり炎上してましたね。
ベータの時もこそくなことやってたのかな?
オープンリールを使ってたけど70s'になってVコードとUマチックに変えて、80年からはVHSだったな。
東京オリンピックの頃カラーテレビが75%の普及率と言ってますが、この頃カラーテレビはほとんどなかったと思います。 4年後のメキシコオリンピックの前、「オリンピックをカラーで見よう!」というテレビコマーシャルが多くありました。
VHS普及の一因ですが、販売店が〇〇ビデオ(洗濯屋〇〇ちゃん)を付けますよ、という都市伝説もありましたね。
後は、レンタルビデオがVHSのほうが多いからVHSデッキ購入、という流れもありますね。三洋のベータデッキ持っていましたが、画質はきれいでした。
しかし、その当時はフローティング方式に難があって、再生スタートに若干時間がかかりました。
どちらも再生専用に新しく発売すれば売れそうな気がするんだけど。
テープを処分するためにも是非してほしいな。
ベータマックは全ての面でVHSより優れていましたよ。良く言われる録画時間もVHSは単純に画質落としただけですけどね。敗因は松下を取り込めなかった事ですね。オーディオマニアはほぼ全てベータ派でしたね。事実テープの売上はベータの圧勝でしたよ。優れていた物が必ずしも勝利するというわけではない見本みたいな例ですよね。
マニアは長時間モードを使わないからだ!βⅡ3時間20分、VHS標準2時間40分が決め手なんだよw
1980年代頃に、街の電気屋さんが、設置していた看板は、
Panasonicでは、ありません。nationalです。
パナソニックは元々輸出向けのブランドですよね。
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1989年以降、日本国内で販売される、カラーテレビ・ビデオデッキ・
オーディオなどに、Panasonicを使い始めてます。冷蔵庫・洗濯機などの、
白物家電には、nationalを使い続けてました。松下電器産業が、Panasonicと、
社名変更してから、日本国内で販売される、家電製品は、全てPanasonicに、
ブランド名が統一されました。
1982年に親に無理を言ってVHSを買ってもらいました。当時小学生の私でもVHSの方がいいと思いました。120分テープが定価で3900円 実売でも2500円以上もした時代に3倍モードで6時間も録画できましたからね。貧乏な家庭では3時間しか録画できないベータは論外です。
VHSは庶民に寄り添った戦略が成功要因
ビデオだけに留まらず、ウォークマン、ディスクマン、MDウォークマンと、業界最先端がソニーだったが、先駆け故の宿命との闘いでもありました。安定しないテクノロジーから壊れやすく、後発組に悠々とアップデートされた商品を出され、アフターは高慢だし当時の裏キャッチコピーは"it's a SON(損)!"だったからなぁ。
その頃、松下電器は「マネシタ電器」と言われていたとか…。
まだTSUTAYAも無く個人店でレンタルビデオ店が大半だった頃はβとVHSが置いてあったな。
ソニーのBetaPRO ⅡSL-HF900mkⅡとビクターのHR-20000は最高でした。
編集機能はソニーの圧勝でした。リニアタイムカウンターなどソニーのデッキが当たり前に搭載してた機能もVHSデッキは未搭載でしたからね。ベータもVHSもW-VHSもD-VHSもDVデッキもHi8デッキも持ってました。
置いていた場所が悪かったと思いますが、撮り溜めしたテープが稀にカビが生えていた事がありました。
販売店で、ベータとVHSどっちがいいのか聞いたら、VHSが良いと言われてVHSを、買いました。
そういえば、DVDを、見るために、プレステも、買いました。
子供の頃βが欲しいと思ってたら、地元の運動会がVHSで録画されてて、それを親父が借りて見たいから実家のデッキはVHSになってしまったw
昔はテープも高くて学生時代パンの耳を食事にして節約し買ってる奴も居たなあ
テレビで放送される映画やアニメを録画するにはVHSが丁度良かったし、レンタルビデオ屋が出てからはエロビデオはVHSばかりだったのもあって自分もこっちにした想い出w
一番のネックは両方ともカビに弱いって所でしょうね、一生懸命録画編集したテープは皆これでお釈迦になってしまったのが残念
ビデオ戦争時代、SONYのVHSが出たなら欲しかったw
それまでは初めて買ったβのSL-J9をずっと使い続けていたぜ!
エロビデオのおかげで普及した
恐るべしエロビデオw
ウチが通っていた高校は当初独自の体育館がなく、雨の日は体育の授業はビデオ鑑賞だった。当然教養あるビデオを見たが、先生が職員室に行ってる隙にクラスメイトがビデオをサッと差し替えて、裏ビデオを観て笑ったのが懐かしい…
あれは熾烈な争いでしたね。
うちはVHS 通が言うにはベータが上と言ってた気が。
通は長時間モードを使わないからだw
実VHS陣営では、ソニー一社だけになった場合の方を恐れていたらしいよ
だって、グループの縛りがなくなったらナニ始めるかわからない怪物なんだもん
まぁアナログ時代(90年代中期までかな)に関する限り本当にモンスターだったけどね
「係長島耕作」でやってました。いっかにも昭和な家電戦争、AV付けて独身男性にうりこんだり、撮影現場見学したり。往時を思い出してニヤニヤ読んでたものです。 VTRといえば40年まえ、「タイム・トラベラー」を二インチで持ってるなんて自慢している奴がいた話。まあ、与太だったんだろうな。
今でもVHSで裏見てる😂昔パチヤの景品でビデオ3台交換しててよかった😉✴️