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投稿心待ちにしておりました。影ながら応援しております。
Super Thanks ありがとうございます。ガ島戦シリーズはアップロード間隔が長くなると思われますが、どうぞ気長にお付き合いください。
この時を待ってました!
連投お疲れ様です。大戦期のミリタリー模型製作が趣味なのですが、制作のお供には最高の動画だと思ってます。今作っているものが使われた戦場のマクロ視点での上質な解説を聞きながら、ミクロな要素を模型で再現する、大変贅沢な時間に感じますし、作業も捗ります。これからも無理のない範囲で頑張ってくださいませ。
待っておりましたいつもながら質の高い動画構成と深い考察、素晴らしいです
戦史好きな方にもっともっと注目されて良い。
歴史系では浸透襲撃さんと並ぶ傑出した動画を楽しませて貰っています。わずかですが応援させて下さい。
Super Thanks ありがとうございます。これからもご期待に沿えるよう尽力いたします。
この番組が解説する「レイテ沖海戦」を早く視聴したいです。
が島攻防線の始まりとニューギニア方面での作戦との関係など詳細な記録です。が島設営隊が重機などを持った機動的な部隊であったことは初めて知りました。飛行場完成の知らせも早まったようですが、すでに偵察で発見されていたようなので、ゼロ戦など飛行機進出を期待していたのでしょう。今後の動画の展開を期待します。
幼少の頃、富岡総合公園の近くに住んでいたので、よく遊びに行きました。祖母は、富岡公園の事を「はまくう」と呼んでおり、子供ごころに、なんでこの公園を「はまくう」と呼ぶのだろう?と不思議でなりませんでした。ある時、公園に行くと、園内にある浜空神社に関係者が集まって玉砕の慰霊祭をやっておりました。物珍しく、後ろの方で見学していると、関係者の方が話しかけてくださって、子供の私に色々と説明してくれました。内容は殆ど記憶していませんが、「飛行艇って分かるかい?」という一言だけはよく覚えています。富岡総合公園が、横浜航空隊の跡地であることを知ったのは、そのころだったと思います。祖父は中国戦線帰りで、戦争中の事は殆ど話しませんでしたが、戦後の混乱期の事は、時折口にしていました。戦後、横浜航空隊の跡地にもしばらく米軍が駐留しましたが、一時期、最寄りの京急の湘南富岡駅が閉鎖されたときは、米軍関係者は浜空への通勤に大変難儀していたそうです。その為、しばしば、駐留米兵は、京急の運転手を殴りつけて、本来は停車しない鳥見塚付近に無理やり電車を停車させて、降車する事もしばしばあったようで、アメリカ兵は酷かったという話を何度かしておりました。公園で遊んだ思い出、祖父母の証言、そして横浜航空隊という存在がずっと心に残っていました。なぜ浜空は玉砕したのか。複数の飛行艇を擁し哨戒任務にあたっていた筈なのに、なぜ米軍来襲を見逃してしまったのか、ここ数十年来、ずっとわだかまりがありました。本動画を拝見し、8月6日の3本の哨戒線や悪天候の不運、米遠征部隊はその機影をレーダーで捉えていた事を知り、長年の心の棘が取れたような思いでおります。改めて、素晴らしい動画ありがとうございます。続編も大変楽しみにしております。
日本の敗戦を決めた島だ。素晴らしい解説と編集!
陸海の連携やリーダーシップ不在は従来、日本の敗因とまで言われたが蓋を開けてみれば敵側も同じ悩みを抱えていたことがよく分かります。ゴームレー、フレッチャー、マケインはアナポリスの同期で一見相性は良さそうだった。しかしこれにターナーを加えた4人で上手く機能せず。ここで2人を解任に追い込んで組織改善を図った米軍の意思力とはキング提督の強さと言えるがその一方、キングの拙速が米軍に無用の損失を強いていた、とする見方もまた斬新でした。当時者達は両軍共に全体の見えない「戦場の霧」の中、常に仮想の敵と戦ってた訳で後世から見て最善の判断などは出来ていない、そのことを思い知らされます。この後のフレッチャー撤退然り、第一次ソロモン海戦然り、常に錯誤の連続。近代兵器がGPS、IoT、ドローンと情報を重視する方向に進化しているのもその現れだと思う。本動画では第17軍、台南空の直面していたニューギニア戦線にも光を当てられており、当事者と同じ観点から真の戦訓を得ようとする首尾一貫した姿勢が有難い。凡百のステレオ動画との格の違いと本当の意味での歴史の奥深さを感じつつ続編にも大変期待しております。
続編きたー😂😂
戦域が広大になって管轄がいろいろ分かれて把握するのがたいへん
22分過ぎに、辻中佐の独断について17軍から参謀本部に異議の申立が無かったと述べられています。これについて、松浦行真著「混迷の知恵」の340ページ付近に、17軍は東京に正式な命令を求めないまま麾下部隊に攻略命令を発令してしまい、辻中佐の独断を問題にすれば自身の行動も問題になるので、それを避けて大本営に『軍は陸路攻略成功の確信を有す。ご安心を請(ママ)う』と打電したと記述されています。
モレスビー陸路攻略に関する辻中佐の独断専行の経緯は、戦史叢書14巻のp180以降に記されていますが、第17軍は辻中佐がダバオに到着した当日の7月15日に早々と作戦綱領を策定し、3日後の18日には参謀本部からの正式命令もないまま、南海支隊に命令を下達しています。二見参謀長の回顧録では一応、百武司令官が辻中佐の行動に懸念示していたと記述されていますが(p194-195)、東京の参謀本部に正式命令の要請すらおこなわず、きわめて短時間に南海支隊への命令下達に及んでいることから見て、第17軍はそもそもモレスビー陸路攻略にきわめて積極的であり、辻中佐の来訪はたんなるトリガーとなったに過ぎないのではないかという印象を個人的には受けました。
丁寧な返信を頂き、有難うございます。それにしてもオーエンスタンレー越えの300km余の補給線に依らねばならぬ作戦を安易に考えているのは、結果を知る後世の人間にとって理解が困難です。モレスビーを占領した後の補給は海路で可能だと考えていたのでしょうが。
1.ミッドウェー海戦10巻の衝撃、教訓から、全てを疑えが鉄則だったことを思い出しました。2.この動画の研究方法は、ウクライナ戦争、政争にも応用が効くと思う。3.自衛隊の指揮官、将官がこの動画、また、特にミッドウェー海戦を見て戦史の研究をするとよいのですが。あまり期待はできない?
投稿心待ちにしておりました。影ながら応援しております。
Super Thanks ありがとうございます。
ガ島戦シリーズはアップロード間隔が長くなると思われますが、
どうぞ気長にお付き合いください。
この時を待ってました!
連投お疲れ様です。大戦期のミリタリー模型製作が趣味なのですが、制作のお供には最高の動画だと思ってます。
今作っているものが使われた戦場のマクロ視点での上質な解説を聞きながら、ミクロな要素を模型で再現する、大変贅沢な時間に感じますし、作業も捗ります。
これからも無理のない範囲で頑張ってくださいませ。
待っておりました
いつもながら質の高い動画構成と深い考察、素晴らしいです
戦史好きな方にもっともっと注目されて良い。
歴史系では浸透襲撃さんと並ぶ傑出した動画を楽しませて貰っています。
わずかですが応援させて下さい。
Super Thanks ありがとうございます。
これからもご期待に沿えるよう尽力いたします。
この番組が解説する「レイテ沖海戦」を早く視聴したいです。
が島攻防線の始まりとニューギニア方面での作戦との関係など詳細な記録です。が島設営隊が重機などを持った機動的な部隊であったことは初めて知りました。飛行場完成の知らせも早まったようですが、すでに偵察で発見されていたようなので、ゼロ戦など飛行機進出を期待していたのでしょう。今後の動画の展開を期待します。
幼少の頃、富岡総合公園の近くに住んでいたので、よく遊びに行きました。祖母は、富岡公園の事を「はまくう」と呼んでおり、子供ごころに、なんでこの公園を「はまくう」と呼ぶのだろう?と不思議でなりませんでした。
ある時、公園に行くと、園内にある浜空神社に関係者が集まって玉砕の慰霊祭をやっておりました。物珍しく、後ろの方で見学していると、関係者の方が話しかけてくださって、子供の私に色々と説明してくれました。内容は殆ど記憶していませんが、「飛行艇って分かるかい?」という一言だけはよく覚えています。
富岡総合公園が、横浜航空隊の跡地であることを知ったのは、そのころだったと思います。
祖父は中国戦線帰りで、戦争中の事は殆ど話しませんでしたが、戦後の混乱期の事は、時折口にしていました。戦後、横浜航空隊の跡地にもしばらく米軍が駐留しましたが、一時期、最寄りの京急の湘南富岡駅が閉鎖されたときは、米軍関係者は浜空への通勤に大変難儀していたそうです。その為、しばしば、駐留米兵は、京急の運転手を殴りつけて、本来は停車しない鳥見塚付近に無理やり電車を停車させて、降車する事もしばしばあったようで、アメリカ兵は酷かったという話を何度かしておりました。
公園で遊んだ思い出、祖父母の証言、そして横浜航空隊という存在がずっと心に残っていました。なぜ浜空は玉砕したのか。複数の飛行艇を擁し哨戒任務にあたっていた筈なのに、なぜ米軍来襲を見逃してしまったのか、ここ数十年来、ずっとわだかまりがありました。本動画を拝見し、8月6日の3本の哨戒線や悪天候の不運、米遠征部隊はその機影をレーダーで捉えていた事を知り、長年の心の棘が取れたような思いでおります。
改めて、素晴らしい動画ありがとうございます。続編も大変楽しみにしております。
日本の敗戦を決めた島だ。
素晴らしい解説と編集!
陸海の連携やリーダーシップ不在は従来、日本の敗因とまで言われたが蓋を開けてみれば敵側も同じ悩みを抱えていたことがよく分かります。ゴームレー、フレッチャー、マケインはアナポリスの同期で一見相性は良さそうだった。しかしこれにターナーを加えた4人で上手く機能せず。ここで2人を解任に追い込んで組織改善を図った米軍の意思力とはキング提督の強さと言えるがその一方、キングの拙速が米軍に無用の損失を強いていた、とする見方もまた斬新でした。
当時者達は両軍共に全体の見えない「戦場の霧」の中、常に仮想の敵と戦ってた訳で後世から見て最善の判断などは出来ていない、そのことを思い知らされます。この後のフレッチャー撤退然り、第一次ソロモン海戦然り、常に錯誤の連続。近代兵器がGPS、IoT、ドローンと情報を重視する方向に進化しているのもその現れだと思う。
本動画では第17軍、台南空の直面していたニューギニア戦線にも光を当てられており、当事者と同じ観点から真の戦訓を得ようとする首尾一貫した姿勢が有難い。凡百のステレオ動画との格の違いと本当の意味での歴史の奥深さを感じつつ続編にも大変期待しております。
続編きたー😂😂
戦域が広大になって管轄がいろいろ分かれて把握するのがたいへん
22分過ぎに、辻中佐の独断について17軍から参謀本部に異議の申立が無かったと述べられています。
これについて、松浦行真著「混迷の知恵」の340ページ付近に、17軍は東京に正式な命令を求めないまま麾下部隊に攻略命令を発令してしまい、辻中佐の独断を問題にすれば自身の行動も問題になるので、それを避けて大本営に『軍は陸路攻略成功の確信を有す。ご安心を請(ママ)う』と打電したと記述されています。
モレスビー陸路攻略に関する辻中佐の独断専行の経緯は、戦史叢書14巻のp180以降に記されていますが、第17軍は辻中佐がダバオに到着した当日の7月15日に早々と作戦綱領を策定し、3日後の18日には参謀本部からの正式命令もないまま、南海支隊に命令を下達しています。
二見参謀長の回顧録では一応、百武司令官が辻中佐の行動に懸念示していたと記述されていますが(p194-195)、東京の参謀本部に正式命令の要請すらおこなわず、きわめて短時間に南海支隊への命令下達に及んでいることから見て、第17軍はそもそもモレスビー陸路攻略にきわめて積極的であり、辻中佐の来訪はたんなるトリガーとなったに過ぎないのではないかという印象を個人的には受けました。
丁寧な返信を頂き、有難うございます。
それにしてもオーエンスタンレー越えの300km余の補給線に依らねばならぬ作戦を安易に考えているのは、結果を知る後世の人間にとって理解が困難です。モレスビーを占領した後の補給は海路で可能だと考えていたのでしょうが。
1.ミッドウェー海戦10巻の衝撃、教訓から、全てを疑えが鉄則だったことを思い出しました。
2.この動画の研究方法は、ウクライナ戦争、政争にも応用が効くと思う。
3.自衛隊の指揮官、将官がこの動画、また、特にミッドウェー海戦を見て戦史の研究をするとよいのですが。あまり期待はできない?