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今晩は横浜市鶴見区生麦駅事件日生麦は
当時の国鉄は政治家に振り回されていて総裁ですら権限は少なかった、現場は乗客と管理者の板挟みにされてどうにも出来なかった、責任は誰に何処にあるのか分からない。殉職された乗務員さんや亡くなられた乗客の方々の冥福を捧げます。事故を起こさない意識が最大の供養と思われます。
母は鶴見事故の横須賀線電車に乗車していました。横須賀線には一等車、現在のグリーン車が連結されていますが、母は一等車に乗車していました。当時の一等車は編成の前側と後側に分かれていたそうで、前側の方が満席だったので、後側に乗車したそうです。もし前側に乗車していたら、直接被害に遭っていました。現在87歳、元気です。
鶴見・桜木町事故は、5大事故のもう一つ、三河島も併せて会社の机上研修で必ず習いました。何故この事故が起こったのか、この事故を教訓で何が変わったのか、仮に同じ状況が発生したらどうするか。この事故以降に決められた安全対策が、今の安全の礎になっています。事故を忘れない、同じ事故を起こさない。
亡くなられた運転手さんの家族を思うと切なくなりますね。
この事故の発生時刻を特定する為に、当時テレビで放映されていたアメリカのコメディ番組「ルーシーショー」のフィルムを使って解明されました。手法はルーシーショーを観ていた方々を鶴見署かどこかの一室に集めそれぞれの方にストップウォッチを持ってもらい、フィルムを放映して事故の衝撃音が聴こえたシーンのところでストップウォッチを止めてもらう方法で発生時刻を特定したとの事でした。
先日ここのお祭りに参加しました。あの盆踊りにこのような意味があるとこの動画で初めて知りました。改めて、過去に起こった事故を風化させないことの大事さを考えるいい機会になりました。被害に遭われた方のご冥福をお祈りします。
鶴見事故が起きた当時国鉄総裁だった石田礼助総裁って、歴代の国鉄総裁の中でも特に安全対策に対しては重要に考えていた人物で、総裁に就任してすぐの頃に首都圏の通勤路線の混雑状況の悪化ぶりを見て直ちに安全対策を取らねばと考えていた矢先の事故でかなりショックを受けたって話だね合同葬儀では嗚咽で弔辞を読めず、総裁就任から半年とちょっとしか経ってなかったけど当時の池田首相に辞表を出そうとするぐらい追い詰められてたとか
總持寺の長廊下は緊急措置で一部の遺体が運ばれたようで、事故から60年近く経った今も供養の意味も込めて1日2回、長廊下に水で線を引いていると聞きます。
去年の11月9日の東京新聞に亡くなられた運転手の記事がありました。遺族の思い、亡くなられたベテラン運転手の思いが伝わってきました。
この場所ではS48年夏にも同じあたりで貨物の単独脱線事故が発生していますが日中であったこと、周りを走る列車の乗務員の機転、踏切警手の的確な判断により事故が拡大する事が防げたという事実があります、あまり知られていないのはこの時の経験が発揮され死傷者が0だったからです、。現在は事故現場の地下にも貨物線・相鉄連絡線が通っています。
30年ほど前、滝坂踏切の近くに住んでいましたので懐かしく拝見しました。当時とは風景が大分変わりました。住んでいた建屋ももうありません。
事故と安全は背中合わせってことを最近痛感しています・・・。これだけの重大事故があったからこそ、今安全に鉄道を運行出来ているんですよね!教訓は起こったことを学ぶことに意義があるんだなと。
事故現場のすぐ近くにある中高に通っていた者です中1の社会科の授業で1時限丸々学校の近隣を回ったことがあるのですが、その時に滝坂踏切の辺りで先生に鶴見事故について説明されたことを覚えています。
そしてこの直ぐ裏手の国道一号線(第二京浜)では、「第二京浜トラック爆発事故(1959)」というトラックに積載されていたTNT火薬4トンが交通事故が原因で大爆発したという事件も起こっています。死者4名負傷者99名。
この鶴見事故の前年には同じようなシチュエーションで三河島事故が起きていますね(乗客を脱出させてた点では異なりますが)。この頃の首都圏国鉄各線では過密ダイヤになっており、人の目で全てを管理するにはとうに限界がきていた中での事故でした。三河島事故以降、列車運行管理システムと自動停止装置(いわゆるATS)が開発、導入されますが、流石に1年ではできなかったでしょうから、事故を起こした運転士だけの責任ではないと個人的には思います…。
「国鉄と炭坑 相つぎ大惨事」昭和38年11月10日、事故の翌朝の読売新聞見出しです。一面中央に両事故の現場写真を縦に並べ、写真の右側で鶴見事故を、左側で三池炭鉱事故を伝え、その下に「このような大惨事が、東と西で一度に起こったことは、高度成長を続ける日本のヒズミのひとつのあらわれ‥」といった文が載っています。二つの事件が与えた衝撃の強さとともに時代の影の部分を暗示したような記事です。
確か土曜日だったためマスコミは[魔の土曜日]と報道していたそうです!炭鉱事故は三池炭鉱ガス爆発事故で250人以上が亡くなる大事故です三池炭鉱ガス爆発事故は朝そして鶴見事故は夜でしたから昭和38年11月10日土曜日は一瞬で500人近い方が亡くなるというまさしく魔の土曜日でした
この日は土曜日でマスコミは[魔の土曜日]と報道していたそうです!三池炭鉱ガス爆発事故が朝そして鶴見事故が夜一日で500人近い方が亡くなる大惨事でした!
多くの事故から安全の方法を学んでいったのですね。
三河島の事故と併せてATSの設置、列車無線の搭載。
以前総持寺の近くに住んでいたのでよく行きました。JRの職員の方がお参りに来ているのを見かけたことがあります。
鶴見事故は福知山線事故よりも死者が多かったのですね。こんな事故は2度と起きて欲しくないです。
横須賀線はこの5年後の1968年6月に多数の死傷者を出した電車爆破事件もありました
父に連れられ新子安の跨線橋から翌日現場を見たのですが、当時3歳の私は状況が理解できませんでした。近くの花月園競輪場の跡は戦前遊園地であったそうです👍
近くの生麦の踏切もいわく付きの場所ですね。長過ぎる踏切で何度も事故が起きてます。
この事故をCGで再現してわかりやすく解説する動画を誰か作ってほしいですね
Merci beaucoup pour cette vidéo. 🖐🖐🙏
生麦にあるんですね、、受験生時代、法政大学を受験した際に受けた会場が法政女子校で生麦の踏切を渡った記憶があります。日本史受験だったので生麦かぁと思いながら向かったものです。桜木町事故は確か赤羽発だったはず。赤羽出身なので昔の事故ながら記憶にありましたが鶴見事故もここだとは…てっきり鶴見駅だとばかり思ってました。
本日も配信有難うございます。昭和30年代後半の相次ぐ国鉄の事故によりプロ野球の国鉄スワローズが身売りせざるを得なくなったという話を聞いたことがあります・・・
つい最近に撮影されたんですね?自宅が現場から歩いて二十分ほどなので、時々通りかかることもあるのですが、事故の事を思い起こす事はまずないです。近くの花月園競輪も今はキレイな公園になり周辺も大規模な宅地開発が始まっています。昭和の風情を色濃く残す鶴見ですが、ゆっくりと優しく変化しています。こうして街の悲しい記憶は薄れて行きますが、たまに思い出したら、総持寺の慰霊碑に手を合わせようと思います。
事故と直接関係ありませんが、総持寺踏切って近年まであったが封鎖されて良かったと思う。開かずの踏切で車も多くおまけに腹を擦るほど凹凸が酷かった。大事故の原因になりそうな踏切だった。
総持寺の読み方は大崎や新橋のようなイントネーションの方がなじみがありますね(最近の駅の自動放送は変なのもありますけど)
鶴見の大事故の発生した当時は、まだ私が二才の頃だったから分からないが、この事故がわかったのは、中学の図書室で本を読んでわかった。犠牲者百人以上の大事故だったと書かれていた。貨物列車と電車の接触の上更に、上り電車衝突した。相当な事故だったらしい。
その頃、中学生で、新聞のスクラップブックを作っていて、鶴見事故の紙面も有ります。
三鷹に人民電車というのが走っていたというのも聞いた。燃えながら走っていたそうだ。
後進国・途上国は人の命が軽い。安全対策の手間やコストは嫌われ、「そんな暇と金が有ったら、一人でも多く一分でも早く運べ」がまかり通る。安心安全、人権重視が社会のコンセンサスになって来たのは、日本でも最近の話。
この辺りは現在スピードUPされ時速100Km、時にはそれ以上で走行してると思う。益々過密、かつカオスな多方面行先となっており、運転士には余裕が全く無い。秒単位スケジュールで走行、遅れに対する圧迫感ストレスは強い。電車は益々軽量化、15両の長大編成電車の事故、、想像すると身震いする。
この5年後の1968年6月、同じ横須賀線で113系電車が爆破され多数の死傷者を出した事件もありましたね。1967年6月には山陽本線電車爆破事件、1972年8月には近鉄奈良線電車爆破事件も発生しいずれも多数の死傷者を出しました。鶴見事故を機に横須賀線は旧貨物線経由に切り替え東京都心は地下を経由し総武線快速へ直通する計画が決定しましたが、実現まで17年かかりました。横須賀線は1980年9月30日まで川崎駅経由かつ、川崎駅は東海道通過の横須賀線停車でした。
いつも 有難うございます😊とてもこの動画に楽しく観せていただいて います😊
諸精霊追善供養を祈ります
確か毎日新聞で、この事故の犠牲者全員を実名で当日の行動などを紹介した記事があった。今では故人情報の観点から有り得ないけど、亡くなった女子大生が友達と別れたあと、全く家とは逆方向で目的も分からないまま事故にあった人がいて、妙に記憶に残ってます…不思議かつ不気味な亡くなり方ですよね
パワハラ全盛期‼️
今晩は横浜市鶴見区生麦駅事件日生麦は
当時の国鉄は政治家に振り回されていて総裁ですら権限は少なかった、現場は乗客と管理者の板挟みにされてどうにも出来なかった、責任は誰に何処にあるのか分からない。殉職された乗務員さんや亡くなられた乗客の方々の冥福を捧げます。事故を起こさない意識が最大の供養と思われます。
母は鶴見事故の横須賀線電車に乗車していました。
横須賀線には一等車、現在のグリーン車が連結されていますが、
母は一等車に乗車していました。
当時の一等車は編成の前側と後側に分かれていたそうで、
前側の方が満席だったので、後側に乗車したそうです。
もし前側に乗車していたら、直接被害に遭っていました。
現在87歳、元気です。
鶴見・桜木町事故は、5大事故のもう一つ、三河島も併せて会社の机上研修で必ず習いました。
何故この事故が起こったのか、この事故を教訓で何が変わったのか、仮に同じ状況が発生したらどうするか。
この事故以降に決められた安全対策が、今の安全の礎になっています。
事故を忘れない、同じ事故を起こさない。
亡くなられた運転手さんの家族を思うと切なくなりますね。
この事故の発生時刻を特定する為に、当時テレビで放映されていたアメリカのコメディ番組「ルーシーショー」のフィルムを使って解明されました。
手法はルーシーショーを観ていた方々を鶴見署かどこかの一室に集めそれぞれの方にストップウォッチを持ってもらい、フィルムを放映して事故の衝撃音が聴こえたシーンのところでストップウォッチを止めてもらう方法で発生時刻を特定したとの事でした。
先日ここのお祭りに参加しました。
あの盆踊りにこのような意味があるとこの動画で初めて知りました。
改めて、過去に起こった事故を風化させないことの大事さを考えるいい機会になりました。
被害に遭われた方のご冥福をお祈りします。
鶴見事故が起きた当時国鉄総裁だった石田礼助総裁って、歴代の国鉄総裁の中でも特に安全対策に対しては重要に考えていた人物で、
総裁に就任してすぐの頃に首都圏の通勤路線の混雑状況の悪化ぶりを見て直ちに安全対策を取らねばと考えていた矢先の事故でかなりショックを受けたって話だね
合同葬儀では嗚咽で弔辞を読めず、総裁就任から半年とちょっとしか経ってなかったけど当時の池田首相に辞表を出そうとするぐらい追い詰められてたとか
總持寺の長廊下は緊急措置で
一部の遺体が運ばれたようで、
事故から60年近く経った今も
供養の意味も込めて
1日2回、長廊下に水で
線を引いていると聞きます。
去年の11月9日の東京新聞に亡くなられた運転手の記事がありました。遺族の思い、亡くなられたベテラン運転手の思いが伝わってきました。
この場所ではS48年夏にも同じあたりで貨物の単独脱線事故が発生していますが日中であったこと、周りを走る列車の乗務員の機転、踏切警手の的確な判断により事故が拡大する事が防げたという事実があります、あまり知られていないのはこの時の経験が発揮され死傷者が0だったからです、。現在は事故現場の地下にも貨物線・相鉄連絡線が通っています。
30年ほど前、滝坂踏切の近くに住んでいましたので懐かしく拝見しました。
当時とは風景が大分変わりました。住んでいた建屋ももうありません。
事故と安全は背中合わせってことを最近痛感しています・・・。
これだけの重大事故があったからこそ、今安全に鉄道を運行出来ているんですよね!
教訓は起こったことを学ぶことに意義があるんだなと。
事故現場のすぐ近くにある中高に通っていた者です
中1の社会科の授業で1時限丸々学校の近隣を回ったことがあるのですが、その時に滝坂踏切の辺りで先生に鶴見事故について説明されたことを覚えています。
そしてこの直ぐ裏手の国道一号線(第二京浜)では、「第二京浜トラック爆発事故(1959)」というトラックに積載されていたTNT火薬4トンが交通事故が原因で大爆発したという事件も起こっています。死者4名負傷者99名。
この鶴見事故の前年には同じようなシチュエーションで三河島事故が起きていますね(乗客を脱出させてた点では異なりますが)。
この頃の首都圏国鉄各線では過密ダイヤになっており、人の目で全てを管理するにはとうに限界がきていた中での事故でした。
三河島事故以降、列車運行管理システムと自動停止装置(いわゆるATS)が開発、導入されますが、流石に1年ではできなかったでしょうから、事故を起こした運転士だけの責任ではないと個人的には思います…。
「国鉄と炭坑 相つぎ大惨事」昭和38年11月10日、事故の翌朝の読売新聞見出しです。一
面中央に両事故の現場写真を縦に並べ、写真の右側で鶴見事故を、左側で三池炭鉱事故を伝
え、その下に「このような大惨事が、東と西で一度に起こったことは、高度成長を続ける日
本のヒズミのひとつのあらわれ‥」といった文が載っています。二つの事件が与えた衝撃の
強さとともに時代の影の部分を暗示したような記事です。
確か土曜日だったためマスコミは[魔の土曜日]と報道していたそうです!炭鉱事故は三池炭鉱ガス爆発事故で250人以上が亡くなる大事故です三池炭鉱ガス爆発事故は朝そして鶴見事故は夜でしたから昭和38年11月10日土曜日は一瞬で500人近い方が亡くなるというまさしく魔の土曜日でした
この日は土曜日でマスコミは[魔の土曜日]と報道していたそうです!三池炭鉱ガス爆発事故が朝そして鶴見事故が夜一日で500人近い方が亡くなる大惨事でした!
多くの事故から安全の方法を学んでいったのですね。
三河島の事故と併せてATSの設置、列車無線の搭載。
以前総持寺の近くに住んでいたのでよく行きました。
JRの職員の方がお参りに来ているのを見かけたことがあります。
鶴見事故は福知山線事故よりも死者が多かったのですね。こんな事故は2度と起きて欲しくないです。
横須賀線はこの5年後の1968年6月に多数の死傷者を出した電車爆破事件もありました
父に連れられ新子安の跨線橋から翌日現場を見たのですが、当時3歳の私は状況が理解できませんでした。
近くの花月園競輪場の跡は戦前遊園地であったそうです👍
近くの生麦の踏切もいわく付きの場所ですね。長過ぎる踏切で何度も事故が起きてます。
この事故をCGで再現してわかりやすく解説する動画を誰か作ってほしいですね
Merci beaucoup pour cette vidéo. 🖐🖐🙏
生麦にあるんですね、、受験生時代、法政大学を受験した際に受けた会場が法政女子校で生麦の踏切を渡った記憶があります。日本史受験だったので生麦かぁと思いながら向かったものです。桜木町事故は確か赤羽発だったはず。赤羽出身なので昔の事故ながら記憶にありましたが鶴見事故もここだとは…てっきり鶴見駅だとばかり思ってました。
本日も配信有難うございます。
昭和30年代後半の相次ぐ国鉄の事故によりプロ野球の国鉄スワローズが身売りせざるを得なくなったという話を聞いたことがあります・・・
つい最近に撮影されたんですね?
自宅が現場から歩いて二十分ほどなので、時々通りかかることもあるのですが、事故の事を思い起こす事はまずないです。
近くの花月園競輪も今はキレイな公園になり周辺も大規模な宅地開発が始まっています。
昭和の風情を色濃く残す鶴見ですが、ゆっくりと優しく変化しています。
こうして街の悲しい記憶は薄れて行きますが、たまに思い出したら、総持寺の慰霊碑に手を合わせようと思います。
事故と直接関係ありませんが、総持寺踏切って近年まであったが封鎖されて良かったと思う。開かずの踏切で車も多くおまけに腹を擦るほど凹凸が酷かった。大事故の原因になりそうな踏切だった。
総持寺の読み方は大崎や新橋のようなイントネーションの方がなじみがありますね(最近の駅の自動放送は変なのもありますけど)
鶴見の大事故の発生した当時は、まだ私が二才の頃だったから分からないが、この事故がわかったのは、中学の図書室で本を読んでわかった。犠牲者百人以上の大事故だったと書かれていた。貨物列車と電車の接触の上更に、上り電車衝突した。相当な事故だったらしい。
その頃、中学生で、新聞のスクラップブックを作っていて、鶴見事故の紙面も有ります。
三鷹に人民電車というのが走っていたというのも聞いた。燃えながら走っていたそうだ。
後進国・途上国は人の命が軽い。安全対策の手間やコストは嫌われ、「そんな暇と金が有ったら、一人でも多く一分でも早く運べ」がまかり通る。
安心安全、人権重視が社会のコンセンサスになって来たのは、日本でも最近の話。
この辺りは現在スピードUPされ時速100Km、時にはそれ以上で走行してると思う。
益々過密、かつカオスな多方面行先となっており、運転士には余裕が全く無い。
秒単位スケジュールで走行、遅れに対する圧迫感ストレスは強い。
電車は益々軽量化、15両の長大編成電車の事故、、想像すると身震いする。
この5年後の1968年6月、同じ横須賀線で113系電車が爆破され多数の死傷者を出した事件もありましたね。
1967年6月には山陽本線電車爆破事件、
1972年8月には近鉄奈良線電車爆破事件
も発生しいずれも多数の死傷者を出しました。
鶴見事故を機に横須賀線は旧貨物線経由に切り替え東京都心は地下を経由し総武線快速へ直通する計画が決定しましたが、実現まで17年かかりました。
横須賀線は1980年9月30日まで川崎駅経由かつ、
川崎駅は東海道通過の横須賀線停車でした。
いつも 有難うございます😊とてもこの動画に楽しく観せていただいて います😊
諸精霊追善供養を祈ります
確か毎日新聞で、この事故の犠牲者全員を実名で当日の行動などを紹介した記事があった。今では故人情報の観点から有り得ないけど、亡くなった女子大生が友達と別れたあと、全く家とは逆方向で目的も分からないまま事故にあった人がいて、妙に記憶に残ってます…不思議かつ不気味な亡くなり方ですよね
パワハラ全盛期‼️