【鎌倉幕府滅亡】最後870人自ら…その場所と北条政子の怪談

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  • Опубліковано 3 гру 2024
  • 鎌倉殿の13人の聖地と鎌倉時代の怪談をご紹介
    心霊スポットの腹切りやぐら、北条政子・源実朝の墓を巡り
    その歴史も解説、場所は神奈川県鎌倉市寿福寺・東勝寺跡
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    / @怪奇な歴史研究室
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    #鎌倉幕府 #鎌倉時代 #怪談

КОМЕНТАРІ • 142

  • @怪奇な歴史研究室
    @怪奇な歴史研究室  7 місяців тому +26

    この頃、ナレーションの声を地声でなく高くしていました、へんな声ですみませんね

  • @伊藤まさし-z9j
    @伊藤まさし-z9j Рік тому +16

    取材、ありがとうございました。
    見ているだけでも、恐怖が伝わってきそうな場所ですね

  • @user-hm5vo4gj7r
    @user-hm5vo4gj7r 7 місяців тому +13

    誰もが耳にした事のある著名人の墓の質素さと腹切やぐらのすぐ前に民家?に驚き&拝見する事が出来、嬉しさと感激です。勉強家だなあ、、、、。

  • @言霊の幸う國のムソジニスト

    信濃北条氏も鎌倉街道と目されている道をひた走り、鎌倉の地で幕府と運命を共にしたと思う。荒俣宏氏が鎌倉の本来の意味は屍倉。屍を葬った場所だと言っていた。

  • @レモンキィィ
    @レモンキィィ Рік тому +89

    変に心霊スポット巡りみたいな煽り方をしないで亡くなられた方々に敬意を持って紹介してくださるところがとてもいいと思います。
    これからもよろしくお願いします。

  • @FreezeQueen-k4h
    @FreezeQueen-k4h Рік тому +25

    小6の時に福島へ修学旅行に行き、
    飯盛山の白虎隊隊士の墓にお参りした時に軽い金縛りのようなものが起こり勝手に涙が溢れて止まらなくなりました。きっと隊士が無念を訴えてきたのだろうと思います。
    小4の時の学芸会で劇をやったので思い入れも深くなったからかもしれません、北の雄星アテルイという書籍ともう一冊読んだ後に花巻市の神社に参拝して、田村麻呂側のかアテルイ側のか知らないけど血のついた草鞋やら剣が飾られてる場所を見た時も同様のことが起こりました。
    感受性が豊かなわけではないし、感覚は鋭いほうだと思うけどそこまで敏感じゃないので不思議でした
    そのことを思い出したのも何かの巡り合わせかもしれませんね( ̄人 ̄)

  • @emash_TL
    @emash_TL 9 місяців тому +15

    中世までの歴史上の人物の墓は驚くほど質素というか粗末にさえ見えて驚くのですが、わざわざ個別に墓を建てること自体が例外的だったという時代背景を知ると何となくむべなるかなと言う気にもなります

  • @鈴木忠相
    @鈴木忠相 Рік тому +36

    昔は腹切りやぐらは、普通に行けたんですがね😓
    心霊スポットとして、非常識な行動をする人達が沢山でたから、余計に亡くなった人を怒らせてしまったから、立入禁止になってしまったんでしょうね😓😓

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +11

      私が行ったときは、ハイキングコース自体が立入禁止で…
      土砂崩れとかそういう感じかもしれません。

  • @ぽん-q5k
    @ぽん-q5k 6 місяців тому +11

    数年前、歴史好きな友達に付いていって腹切りやぐらも入ったことあります。
    ここがそういう場所だとは全く知らずに行ったんですが、寸前までふつうに民家があるのに、近づく手前からドキドキ動悸がしました。。
    全く霊感はないはずなのに、足がすくむというか、本能的に「入っちゃいけない」と直感がして、まわりを見ると誰もいないのに複数の視線を感じました、、
    友達がどんどん腹切りやぐらに入っていくので、付いていったんですが、今までで1番怖かった。昼間なのに、本当に雰囲気が全然違う。
    静かに手だけ合わせて帰ってきましたが、動画見ただけで後頭部頭痛がした。

    • @CrystalPacker
      @CrystalPacker 2 місяці тому

      慰霊の為以外では奥へ行くな という内容の立て看板があったはずだけど、その奥まで行ってしまったの?

  • @user-uq4kp1mz7l
    @user-uq4kp1mz7l Рік тому +16

    漫画『逃げ上手の若君』から来ました。
    漫画にハマったので鎌倉を中心とした北条家ゆかりの土地は観光名所も、今回の動画のような所謂闇深い場所も許可下りてるところに限りですが行ってみたいと最近考えております。
    元大阪民的に、近畿はやはり京都がぶっちぎりで闇深いので機会があれば是非。
    あと隙有自語になりますが、自分の地元付近は本願寺勢力と織田の古戦場だったそうです。

  • @kunihiko690918
    @kunihiko690918 Рік тому +23

    2:59~左奥の墓石の一部が四角く光始める。これいかに。当方の先祖が新田義貞軍に従軍していたようで、鎌倉は大の苦手な場所ですが、以前は鎌倉に近い横浜市に住んでいたため学校行事を含めて沢山訪れています。東勝寺跡に行った時の事。「これは大変ノットウエルカムな気配がするなー。」と思っていたら上から落ちてきた石が下に落ちていた石に当たって、自分めがけて飛んできた事がありました。幸いギリかわして大事には至りませんでした。北条氏の怨念いまだ健在だと思います。鎌倉というと今泉と居場所に鎌倉湖別名散在が池という池があって、自殺の名所のガチ心霊スポットです。こちらも昔、周辺の村同士水を奪い合う「水争い」が多発した怨念の残る場所です。一度訪れて恐怖して帰宅。1か月背中の寒気が抜けませんでした。怖い場所なのでおすすめはしませんが、調査の価値ありです。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +6

      たしかに、、確実に光沢のある墓石ではないのですが。。

    • @言霊の幸う國のムソジニスト
      @言霊の幸う國のムソジニスト Рік тому +7

      あたしは、山から下る際に猿に石を投げ落とされました(-_-;)当たっていたら無事じゃ済まなかったでしょう。

    • @1958swd
      @1958swd 4 місяці тому

      散在が池では昔、バキュームカーのホースを洗浄してましたねw
      それと遊泳してた人が溺れたことがあったらしいです。湧水のせいで冷水域があるとのことでした。

  • @AM-md7zm
    @AM-md7zm 4 місяці тому +14

    いつも楽しく勉強させてもらってます!!
    今、逃げ上手の若君という北条高時の息子時行を主人公としたアニメがスタートしました!
    アニメ1話がまさに高氏が寝返った所と自決が題材になってて、復習がてらにまた見にきました!
    アニメきっかけでここに辿り着く方いらっしゃるかもしれませんね!

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  4 місяці тому +5

      なるほど、そんなアニメが。今度見てみようかな。

    • @lemonsoda5845
      @lemonsoda5845 2 місяці тому

      まさにアニメのショート動画からこの作品を知り、マンガを読んで鎌倉関係の動画を未漁っていたら、こちらのチャンネルに辿り着きました。自分1人では怖くて行くことが出来ないので、動画に上げて頂き、とても参考になります。

  • @LibertasAugustus
    @LibertasAugustus Рік тому +15

    地元を取り上げてくれてありがとうございます。腹切りやぐらも東勝寺も行きましたが東勝寺が圧倒的に怖いです。昼でも不気味です。昔ここで撮った写真に十二単の女性が映ってました

  • @やすゆき-w7e
    @やすゆき-w7e Рік тому +13

    お世話が行き届いているなぁと思います。

  • @信長五郎-k9r
    @信長五郎-k9r Рік тому +30

    面白い!! 不気味というしかない。多くの武士が殺されてきた鎌倉は、心霊というより怨念の地ですね👹

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +9

      コメントありがとうございます。色々まわりますのでこれからもよろしくお願いします!

  • @tokusimaxx4325
    @tokusimaxx4325 Рік тому +19

    二月騒動や霜月騒動、嘉元の乱なんか見てたら北条のあの末路は因果応報としか…、当時の得宗高時や最後の執権守時はかわいそうですが…

  • @mhxx5129
    @mhxx5129 Рік тому +45

    プロの人達が豊富な予算で作ったテレビ番組などよりはるかに面白いと思います
    ^_^/

  • @義和菊池
    @義和菊池 9 місяців тому +16

    腹切りやぐらには。高倉健さんの塔婆があるそうです。彼は北九州の出身ですが菩提寺に言って住職と話をしたところ、鎌倉北条氏の末裔(名越流か金沢流)であることが判明したそうです。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  9 місяців тому +6

      へー健さんの…

    • @近藤はつせ
      @近藤はつせ 7 місяців тому +4

      高倉健さんが亡くなって、しばらくしてから行った時には、もう卒塔婆はありませんでした。20年前はありましたけど~。元鎌倉市民より。最近、葛原岡がパワースポットになってますが、あそこは元処刑場です。幽霊が見える友人と一緒に行った時、どう見える?と聞いたら、居るけど古過ぎて形になって無くて、下の方に溜まってる、と言ってました😵‍💫その友人は池袋のサンシャインビルには行けないそうです。晴れてても上層階には雲がかかってるとか。何せ巣鴨プリズン跡ですからね~私は霊感ゼロなので全く見えないですが😮‍💨

  • @parapara500
    @parapara500 Рік тому +12

    いまでも手入れされてきれいなお墓ですね

  • @長谷川良行-w2e
    @長谷川良行-w2e Рік тому +8

    頼朝の墓と言われるものが一番怪しいですね。
    現在のものは江戸時代に作られたものと言われますが。

  • @pi-suke117
    @pi-suke117 7 місяців тому +8

    北条政子の墓にお~いお茶が供えてあるがなんかシュール

  • @マリアアントニア
    @マリアアントニア 11 місяців тому +49

    私の母方の先祖は平山季重です。源頼朝の父親に仕えたのが始まりの様です。北条家が滅ぼされた時に、平山の本家も小田原城にて亡くなったそうです。母方の先祖は分家になってたそうで、江戸時代まで武士として生き延びたそうです。鎌倉に関心があるのか?母のすぐ下の弟は鎌倉に住んでます。私も鎌倉幕府とかが出てくると、敏感に反応してしまう〜💦

    • @たま-v2e
      @たま-v2e 6 місяців тому +11

      一昨年、江戸後期の先祖が分かり源義朝の頼朝の同母の妹の坊門姫と異母の義経の兄の阿野全成から家系が繋がってます。
      平清盛も先祖で以後も先祖同士が戦っています。
      北条義時の五人の息子が先祖で太平記の東勝寺の自決のシーンは涙しました。もうすぐ5月22日ですね。
      鎌倉殿のドラマに直系先祖が32人出てると「歴史ディレクトリ」のサイトで確認出来ました。
      少しずつお墓のお参りやゆかりの地へ旅してます。
      以前は観光の鎌倉でしたが今は、特別な場所となりました。😊

    • @マリアアントニア
      @マリアアントニア 6 місяців тому +5

      @@たま-v2e 様
      うわぁ〜、凄い家系ですね❗
      先祖同士の戦いって辛いですよね。
      私の先祖は貴方様の先祖の側近だったのですね。鎌倉殿の13人には残念ながら平山季重は出てきませんでした。
      先祖の平山季重は頼朝の父親の家来だったのに、その後は平清盛の家来になり、頼朝が立ち上がったら頼朝の家来になったらしく、何だか立ち回りが上手いというか、ずる賢く思ってしまいますが、鎌倉幕府の大老だったみたいです。
      私も先日のGWに日野市と八王子市へ行き、平山季重城址公園と平山季重神社と墓参りをしました。八王子城へも行ったのですが時間が無く、最初の橋まで行き、鶯の鳴き声だけ聴いて戻りました。

    • @たま-v2e
      @たま-v2e 6 місяців тому +5

      @@マリアアントニア
      ご返信有難う御座います。
      私は家系が分かり歴史に今は触れておりますが元来疎くご先祖様の平山季重様も本日初めて知り申し訳け御座いません。
      大河ドラマもオンデマンドで観ており、最近「義経」で先祖の常盤御前が三人の息子と死のうとする所は涙しました。
      去年は宝戒寺にて腹切りやぐらへに供養をお願いしました。その後、初めて都内に住みながら鶴岡八幡宮にお参りしました。
      ご先祖様の平山季重様のお祭りが毎年開催されていると調べて知りました。
      いつかお墓参りとお祭りに行きたいと思っております。
      私は連休は菅原道真と三人の息子が先祖なので福岡の太宰府に母の親戚にも会う機会も有り旅しました。
      明日は三浦道寸まつりに行き、出来たら三浦義村の墓にお参りしたいと思ってます。
      長々とすいません。
      先祖同士が縁の有る方と繋がることが出来て感謝致します。🙏

    • @マリアアントニア
      @マリアアントニア 6 місяців тому

      @@たま-v2e 様
      歴史的に有名な御先祖様が沢山おられて供養の旅があちこち大変そうですね。
      若い頃の私は歴史に無関心でしたが、還暦間近になり歴史追跡したり両親それぞれのルーツにも関心が出て、今更ながら親に聞いたりネットで調べたりしている次第です😅
      平山季重祭りは私は行かないかもですが、大好きな平将門公祭りには昨年行って来ました。
      平清盛の先祖が平将門公を打ったのですよ~。複雑な気分。

  • @CrystalPacker
    @CrystalPacker 2 місяці тому +1

    動画にも映ってる東勝寺へ続く狭く長い坂道、当時、血の川になったという言い伝えが残ってます。
    鎌倉はいわくつきが多いですよね。また鎌倉に行くことがあれば、妙本寺も取材してみてください。

  • @西村正人-b5h
    @西村正人-b5h Рік тому +16

    この様な場所に日暮れ近くに行くと恐怖を感じるでしょうね.

    • @言霊の幸う國のムソジニスト
      @言霊の幸う國のムソジニスト Рік тому +7

      やぐらは基本、墓地ですからね。やぐらを訪れての怪異譚も沢山ありますね。新田軍に与していた人の子孫が当時は入れた腹切りやぐらに行った夜、宿で、腹に真一文字に奔る赤い傷跡を発見。記憶も痛みも出血も無かったそうですが。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +7

      ここはそうでもないですが、長くいるところじゃない、
      と、明らかに感じるところはあります。個人的にはあまり昼も夜も関係なく

    • @言霊の幸う國のムソジニスト
      @言霊の幸う國のムソジニスト Рік тому +6

      @@怪奇な歴史研究室 様
      どのやぐらの事か、忘れましたが、加門七海さんがやたら怖がってるやぐらさありました

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +4

      ありますあります。すぐ離れますよ。

    • @言霊の幸う國のムソジニスト
      @言霊の幸う國のムソジニスト Рік тому +3

      @@怪奇な歴史研究室 様
      やぐらに眠る人もうるさくされたくないでしょうしね。

  • @安井政則-k2c
    @安井政則-k2c Рік тому +8

    無闇やたらに心霊スポットなんか行くべきじゃないな、昔に男4人で湘南の134号から横須賀に繋がる長いトンネルがあったけど小坪トンネルより怖かったな、トンネルなのに街灯も照明も無くて、後続に車が続いてなかったら相当な恐怖を感じるトンネルだった。

    • @elkysunnykuri
      @elkysunnykuri 3 місяці тому

      自分も良く通りました。不思議な体験をしたことが有りました。

    • @安井政則-k2c
      @安井政則-k2c 3 місяці тому

      @@elkysunnykuri 何事もなくてよかったです、正直…あのトンネルは2度と通りたくないトンネルでした。

  • @やまさち-n5e
    @やまさち-n5e Рік тому +8

    画面越しにも強い念を感じます。未だに近づこうとするものを払わんとする十数人は特に。 早々に引き上げて正解だと思います。
    北条政子の墓の周囲が固められているのは、盗掘などを防ぐためでしょうか。 どなたかのコメントにもありましたが、私も鎌倉には長時間いられませんし、何かの念を感じる場所は大抵いわくのある場所です。 感じるだけで何もできないので、お邪魔をしないよう速やかに立ち去るようにしています。

  • @総意の器
    @総意の器 3 місяці тому +3

    燃えてなかったら長崎円喜、赤橋守時等の直筆書物が現在に残ってたと考えると燃やしてほしくはなかった。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke Рік тому +22

    もう20年近く前に東勝寺跡に友人と行きました。が、後にも先にもあの場所の重苦しい雰囲気は味わったことはありません。霊感とかそういうのは全くないのですが、何とも言えない重い空気を感じました。動画にある階段の先、当時はまだハイキング道の一つで入れていたように思いますが、先には行きませんでした。友人も何か重くない?と尋ねてきて、もう帰ろうという感じで後にしました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +9

      そうですね、、その20年前から、いやもっと前から、あそこに建物が建つことはありません。
      公園や公共施設が建つ可能性などはりますが。。

  • @Kurumi386
    @Kurumi386 Рік тому +16

    このやぐらは夜には絶対行けませんね、なんとゆーか異世界

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 5 місяців тому +3

    北条政子様のお墓には一度お参りさせて頂きましたが、ヤグラと呼ばれる横穴式のお墓は拝み墓で、あとから縁者により集合して建てられたものかも知れないと思いました。本当のお墓は別の場所、例えば伊豆あたりにありそうですが。勝手な想像です。
    源氏さんも平家さんも、歴史を見ると何だか唐突に現れた人達が武士として台頭した感があり、どこか海外から集団で渡来しているのかもしない気がします。それが南北朝として時を隔てて明治維新や現代まで何か繋がっていそうなのも、因縁めいて不思議ですね。いづれ敵を孫子の代まで根絶やしにしようとする考えは元々日本には無さそうなので、どこか大陸の伝統文化の様な気がします。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  5 місяців тому +2

      この時代の墓は同じ人物でもいくつかあったり、おっしゃる通り、参り墓多いですね。
      五輪塔とかのはそうでしょうね、やぐらもなんというか当時は土葬だと思うので、別のところかもしれません。

    • @hitachinokunigenji
      @hitachinokunigenji 3 місяці тому

      源氏平氏は皇籍降下した天皇の子孫です。海外から集団で来た帰化人は秦氏とか東漢氏です。中臣鎌足が祖の藤原氏も含め、みんな天皇家からお嫁さんをもらっていて血の繋がりはあります。

  • @厚子磯貝
    @厚子磯貝 6 місяців тому +3

    私の先祖は、北条義時の孫北条時村に仕えていました!東勝寺後付近に屋敷がありました!870人の武士が自決する28年前の出来事です!北条貞時の命令で北条時村の屋敷は、焼き討ちにあい、50人の武士が亡くなりました!嘉元の乱です!28年後の1333年、同じ、東勝寺で800人の北条氏と家来が自決しました!
    私と息子で2022年4月30日 、鎌倉の東勝寺跡地で、先祖の霊に手を合わせ祈り穏やかにゆっくり休んで下さい!散り散りになって逃げた子孫は、同じ、佐久に住んでいますよと報告しました!息子が、草笛で故郷を吹きました!胸につかえていたものが、スッキリしました!子孫どおしを見つける役目を果たしてよかったです!🥰

  • @タコ焼き次郎
    @タコ焼き次郎 8 місяців тому +5

    高倉健さんの祖先は
    北条篤時だとか。
    北条氏の菩提寺にあたる
    宝戒寺には友人の小林
    稔侍さんと亡くなる3か月
    前まで訪れていたとか。

  • @kunihiko690918
    @kunihiko690918 Рік тому +5

    3:06墓石に顔のようなものが。これいかに。2体映っているように見えます。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +2

      これはわかりませんでした、、
      ただ私の動画はたまにありますよ。
      心霊でいく感じでないので、それは言ってませんが。

    • @Oosansyouuo_tatsugoro717
      @Oosansyouuo_tatsugoro717 Рік тому +3

      自動車のタイヤかと思います

  • @ルクエ-d3w
    @ルクエ-d3w 7 місяців тому +3

    ここは供養ちゃんと県で毎年やるべきだと思う。

  • @萩原耕介
    @萩原耕介 Рік тому +8

    鎌倉!って聞くと恥ずかしながら「川端康成」です「長いトンネルをくぐり抜けると雪国だった」「池辺良岸恵子」です御免なさいほんと(91歳)

    • @京都のペンギンその名もオニショー
      @京都のペンギンその名もオニショー Рік тому +1

      川端先生は北条氏の末裔と言われています。川端先生の鎌倉を舞台とした作品には「千羽鶴」「山の音」などがあります

    • @萩原耕介
      @萩原耕介 Рік тому

      パーティーで「川端さん」と何故か目が合ったことがありますよ「芸術院授賞式」でした。当時院長を務めていらっしゃいました。@@京都のペンギンその名もオニショー 北条氏の末裔でいらっしゃるとは知りませんでした。

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 Рік тому +10

    巴御前や静御前は、立派な太刀を持った絵が描かれていますが、とりわけ病死なのか、よくわからないところがあります。鎌倉最後の六波羅探題、北条仲時が足利高氏に囲まれ、仲時やその従者、家臣団423名が、自刃した滋賀県米原の蓮華寺は、仲時の墓を中心に約400の小さな地蔵さまが並んでいます。互いに刺しあったのか、ハラキリをしたのか。切腹は、腕の良い介錯人がいないと、半日は、苦しんでお亡くなりになると聞きました。光景を見た敵方の馬廻衆が驚愕した、まわりが血に染まる惨状だったと聞きます。仲時28歳だったと。恐ろしい。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +4

      ありがとうございます。滋賀は遠いですが行ってみたいですね

  • @十蘭コメント
    @十蘭コメント 6 місяців тому +3

    切腹出来なければ、武士になってはいけない。
    戦前の大日本帝国の陸軍大臣の経歴を持つ東条英機も、軍人らしく、軍刀で自決して頂きたかった。軍刀は、見せびらかすだけの、飾りでは無い。

  • @shinpeikitajima7115
    @shinpeikitajima7115 Місяць тому +2

    北条政子は承久の乱の時になぜ京の朝廷を完全に攻め滅ぼさなかったのだろう?
    やろうと思えば容易にできたはずだし、そうしておれば幕府は安泰だったのに・・・・・

  • @kunihiko690918
    @kunihiko690918 Рік тому +6

    もう一つ鎌倉の戦の遺跡に「泣塔」というのがあります。過去に塔が寺院に移設された際に、よなよな「塔が泣いた」との事、ま た今の場所に戻ってきて、移動したりすると事故や死人が出るとかで今でも開発されずにのこっているのだとか。鎌倉の戦の際に首実検後の首を埋めたところだとか、いろんな噂があります。塔の裏にやぐらがあり十五の墓があるそうです。今はフェンスにかこまれていて中には入れないとの事。怖いところで自分も言ったことはありませんが、調査の価値はあると思います。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      泣塔は有名ですね。いつか行ってみたいのですが。たしかフェンスで近くまでしか行けないんですよね。

  • @リンリリンリ
    @リンリリンリ 6 місяців тому +1

    最初のお墓のところから頭痛がしたのですがそれだけ念の力が強いということなのでしょうね
    鎌倉は関東住みなのになぜか行けていません
    ご先祖様が行かなくてもいいようにしてくれてるのかな?

  • @mimanakano6730
    @mimanakano6730 Рік тому +3

    切腹って痛そう。😢😢😢😢😢

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      色々やり方があったようで、幕末の諸外国がドン引きしたらしいです、フランスとか。

  • @pontarou01
    @pontarou01 Рік тому +10

    頼朝の奥州攻めの決戦の地が私の親父の実家がある町

  • @akepon1
    @akepon1 Рік тому +20

    昔の遺跡やお墓大好きな自分でも、ちょっと気後れする雰囲気の場所ですね。霊感の強かった亡き母と鎌倉を訪れたことがあったのですが、気持ち悪くてもう行きたくないと言っていたのを思い出します。
    鎌倉近くに在住の友人は、切り通しを歩く武者姿の霊の話など、心霊に関する話しがたくさんあると言っていました。
    切腹した方々の骸はきちんと埋葬されたのか気になります。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +5

      はい、けっこうな雰囲気だしてましたね
      ご遺体はおそらくですが、空地が寺跡なので昔は塚があり、埋まっているか、、
      どこか一か所に集められた可能性が高いと考えています。

  • @鹿島高穂
    @鹿島高穂 Рік тому +5

    このお寺でしたっけ?高倉健さんが生前に供養なさって居たとか。健さんのお母様の方が鎌倉北条氏ゆかりだったとかで。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      そうなんですね、知らなかったです。ただ、ここはかなり著名人のお墓もあるようです。

  • @多田紗十海
    @多田紗十海 Місяць тому +1

    奥の洞穴が異様で怖い😨

  • @moikeru1
    @moikeru1 9 місяців тому +4

    動画2本目、たまたまオススメに出てきたので拝見してますが、闇っぽいところがお好きなんですね。
    BGMとナレーションのバランスですが、ややBGMが大きすぎるように感じます。
    せっかくのナレーションに価値があると思うので、バランス再考されてはいかがでしょうか?
    BGM自体は良いと思います。
    ちなみに吾妻鏡は「あずまかがみ」と読むかもしれません。多くの歴史解説チャンネルがそのように読んでましたので。

  • @BB-bd8ue
    @BB-bd8ue Рік тому +3

    え!これが北条政子の墓!驚き

  • @クルーゼさん
    @クルーゼさん Рік тому +5

    こんなに荒れてちゃ浄仏できんだろう

  • @1958swd
    @1958swd 4 місяці тому +1

    強い念を感じたとありましたが、具体的にはどのような感じですか?私は霊感ゼロです。羨ましい。
    地元民でウォーキングの折など、この場所は何回か行ったことがありますが、ヤブ蚊に刺されて痒かったことくらいだなぁ。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  4 місяці тому +1

      見えるんじゃなくて、しいていうとセピア調みたいな、カビ臭い感じ。
      でも実際にセピア調に見えるという意味ではなくて、においもするわけじゃない。
      お化けは見た事ありません。

  • @くまくまシャンシャン
    @くまくまシャンシャン 7 місяців тому +1

    立ち入り禁止残念すぎる。
    やぐら見たい。

  • @サクラチトセオー_11
    @サクラチトセオー_11 Рік тому +3

    源実朝と北条政子の墓は勝長寿院跡ですよ

  • @utorur1301
    @utorur1301 Рік тому +5

    以前行った事がありますが立ち入り禁止ではなかったです
    何かマナー違反でもする人が現れたのでしょうか

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +4

      その可能性もありますが、おそらく土砂崩れ的な通行止めですね。

  • @折敷瀬延明
    @折敷瀬延明 Рік тому +6

    かまくらにには、かまくらばくふめつぼうのときほうじやうたかときとながさきたかすけのはらきりやぐらがあるときいたことがあります。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      そうです、この動画がその場所です。やぐらが立入禁止なっていたのですが目の前までは行きました。

    • @masakomasako382
      @masakomasako382 Рік тому +2

      すごい 平仮名イッパイ

  • @祁答院貞久
    @祁答院貞久 7 місяців тому +1

    鎌倉時代は謀略、謀殺の歴史です。
    その舞台である鎌倉は怨霊渦巻く地と言っても過言じゃありません。

  • @wouldhrough
    @wouldhrough Рік тому +8

    自分が9年前に行った時は、まだ中まで入れましたよ。
    その時は何も感じなかったです…w
    今は何故入れなくなったのか?

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +8

      そうです、昔私も入れた気がします。私が行ったときはハイキングコース自体が通行止めでしたから、道が危険とか、そういう事だと思います。

    • @mamo0925
      @mamo0925 Рік тому +9

      令和元年の台風15号・19号の被害で鎌倉のハイキングコースはどこもズタボロになりました。
      予算の兼ね合いもあって利用する人も少ないここのルートは未だ手付かずなのです。
      まぁ、遊び半分でやぐらに近づいて騒ぎ立てる輩を避けるため、管理しているお寺や地域住民が手を回しているかも知れませんが。

  • @うめやごう
    @うめやごう Рік тому +3

    腹切りやぐらは面白半分遊び半分で絶対に訪れてはいけない場所😢
    870人が亡くなったとか念も思いも清めきらんでしょうな😂

    • @九戸政実-z6p
      @九戸政実-z6p Рік тому +1

      基本的にそんな類いの場所は、遊び半分で訪れてはならない……😱

  • @怨婆沙羅
    @怨婆沙羅 10 місяців тому +1

    東勝寺跡は立ち入り禁止なんですか?自決した北条一門の遺体はどこに埋葬されたんですか?

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  9 місяців тому +2

      それが由比ガ浜とかではないのかとも思うんですよね。

    • @怨婆沙羅
      @怨婆沙羅 9 місяців тому +2

      @@怪奇な歴史研究室 そうですか。さすがに鎌倉時代の骨なんて残っていませんよね?

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  9 місяців тому +3

      残ってるんじゃないですか、何百年も前の野ざらしの遺体なんて全部回収しきれませんかので。
      鶴岡八幡宮でも骨がでてきたり、今でも鎌倉は工事で骨でるらしいですよ。

    • @怨婆沙羅
      @怨婆沙羅 9 місяців тому

      @@怪奇な歴史研究室 見てみたいですね。

  • @pocketjangle8004
    @pocketjangle8004 Рік тому +6

    北条一門滅亡の場所にしては 手入れされてない様ですね❗

  • @Book456
    @Book456 Рік тому +4

    あそこは実は行き止まりではないのです。そのまま源氏山に入れます。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +4

      なにか立入禁止になっていました。。

    • @Book456
      @Book456 Рік тому +3

      @@怪奇な歴史研究室 あれま…それは残念ですね

  • @いなんくる
    @いなんくる Рік тому +1

    やぐら、横穴墓みたいな雰囲気ですね。
    あの世への入り口の雰囲気そのまま。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +1

      いい雰囲気です、是非機会ありましたら鎌倉いってみてください。

  • @オキナグサ-m5x
    @オキナグサ-m5x 6 місяців тому +2

    がんばれタケノコ

  • @筋肉初心者
    @筋肉初心者 Рік тому +1

    声の人が今と違うのか

  • @ポンヒロ-q3z
    @ポンヒロ-q3z Рік тому +1

    高氏ではなく尊氏です

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому

      誤植失礼しました、でも一度アップすると直せなく

    • @中原章裕
      @中原章裕 9 місяців тому +8

      老婆心ながら……厳密には、六波羅探題攻略当時なら高氏で合ってますよー。その後、後醍醐天皇から「尊」の一字を賜って以降は「尊氏」と名乗ってますので。同一人物ですが、ややこしい。

  • @コハクヌシハク-n7v
    @コハクヌシハク-n7v Рік тому +2

    何で昔の人達は、自分の大切なたった一つしかない命を無駄に散らすのですね! 忠義とは分かってますが、もっと他に打開策が無かったのかな? ほんとその点に関したら昔の人達は、頭が硬いと言う悪かったんですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +8

      それは同じく私も思うのですが、反面、
      現代でも、会社、政治、国家間で実は本質は昔の戦国と同じ事が起こっており、
      現代は法律や軍隊が抑制しているだけで、大きく人間の本質が変わってないようにも思います。

    • @菊川憲仁
      @菊川憲仁 10 місяців тому

      責任ですよケジメですか貴方は柔らかすぎて考えられないでしょうけど😢

  • @mhxx5129
    @mhxx5129 Рік тому +6

    この時代の忠義心ってすごいと思う
    私ならあるじの後を追っての追腹とか出来ないだろうなぁ
    真似しろとは言はないが第二次大戦までの日本人は日本の為に死ぬとかやったのだから世界中でも強い国のほうにあったのはなんとなく分かりますm(_ _)m
    その勇気のある人達のおかげで今の日本が他国に攻め込まれないのはあると思いますm(_ _)m
    私は今コロナ不況から脱出出来ず毎月の支払いも厳しいレベルの人間ですががんばろと思いますm(_ _)m

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      どこも今はヒドイです。ぼろぼろです。
      ある大手のグループ、給料20%カットとか…そんな話ばかり、
      昔は輝いていた会社だったのですが…皆苦しんでますね、一部除いて。